めぇでるコラム
さわやかお受験のススメ<保護者編>第6章(4)四月に読んであげたい本
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「めぇでる教育研究所」発行
2024さわやかお受験のススメ<保護者編>
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第23号-
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第6章(4)四月に読んであげたい本
落語の「野ざらし」に、よく似た話です。「親切は、人のためならず」といっ
たものですが……。子どもでさえわかる悪いことをやっている大人の多い世の
中で、「地獄の沙汰も金次第」では、こういうおじいさんは、いなくなるでし
ょう。
◆むすめのしゃれこうべ◆ 小沢 清子 著
むかし、あるところに、村人から用事を頼まれては、わずかな礼金をもらい生
活をしている、じいさまがいました。
ある年のお釈迦さまの日に、酒を飲もうとしていたところへ、急ぎの使いを頼
まれ、ひょうたんに酒を入れて出かけました。野には、かすみがかかり、桜も
菜の花も、今が盛りと咲いています。「花見酒」としゃれたじいさまは、桜の
木の下に座ると、しゃれこうべがころがっていたのです。じいさまは、出会っ
たのも縁と思い、しゃれこうべに酒をたらして一緒に飲みました。
その帰りに同じ所へさしかかると、年の頃、十六、七の美しい娘がいたのです。
三年前に花に誘われ、ここまで来たが、胸が苦しくなり死んでしまい、今度、
三年忌の法事があるので、一緒に家まで行ってくれないかと頼まれます。花見
酒を飲んだしゃれこうべが娘だったのです。
行ってみれば、大きな屋敷で、尻込みするじいさまは、娘にせかされ屋敷に入
ったのですが、不思議なことに、じいさまの姿は見えないらしく、だれも気づ
きません。坊さまのお経が終わると、法事の膳が運ばれましたが、じいさまに
は、食べたこともない料理ばかり。
夢中になって食べていると、下女が誤って皿を割ったのです。主人は、客の前
で怒りだし、見ていた娘は、「三年前と変わらぬ、ととさまなんか見たくない」
と姿を消してしまいます。
とたんに、じいさまの姿は、人に見えるようになったので、事の次第を話し、
骨を持ち帰り、手厚く葬ったのです。じいさまは、娘の恩人として家に引き取
られ、幸せに暮らしたのでした。
春休みのおはなし 四月 花さかじい 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
日本民話の会・編 国土社 刊
次は、本当に皮肉な話ですが、信仰について考えさせられます。修行中の坊さ
まと、生きものを殺す仕事をしている猟師との心眼の話です。
◆とうとい仏さまの正体◆ 谷 真介 著
むかし、京都の愛宕山に、名高いお坊さんがいました。お坊さんは修行中で、
小僧さんを一人置き、小さなお堂から、めったに出なかったそうです。このお
坊さんのところへ、里から一人の猟師が、食べ物を持って、よく訪ねるのでし
た。
ある年のこと、猟師が久しぶりに訪ねると、お坊さんは「近ごろ、夜になると
普賢菩薩様が、白い象に乗りお姿を現す」というのです。そこで猟師は、一夜
を山のお堂で過ごすことにしました。すると、真夜中のこと、東の山から月が
昇るような光が、お堂に差し込み、白い象に乗った菩薩様が現われたのです。
お坊さんは、一心にお経を唱えています。猟師は、おかしなことに気づきまし
た。お坊さまの目にはともかく、お経一つ読めない自分の目に、どうして菩薩
様のお姿が見えるのだろう……、このことです。猟師は、弓に矢をつがえ、菩
薩の胸に向けて矢を放ちました。びっくりしたお坊さんは、大声で戒めました。
ところが、今まで明るく見えていた後光が消え、何ものかが谷底へ転げ落ちる
音がしたのです。猟師は、真の仏様なら矢が刺さるわけがないといいました。
夜の明けるのを待って、谷底を調べに行くと、大きな古狸が一匹、胸を射られ
て、仰向けに転がっていたのでした。
日づけのある話 365日
四月のむかしばなし 谷 真介 編・著 金の星社 刊
世界的なベストセラーとなった「ダ・ヴィンチ・コード」に、信仰について以
下のような話があります。
「世界中すべての信仰は虚構に基づいているんだよ。信仰ということばの定義
は、真実だと想像しつつも立証できない物事を受け入れることだ。古代エジプ
トから現代の日曜学校にいたるどんな宗教も、象徴や寓話や誇張による神を描
いている。象徴は、表しにくい概念を表現するひとつの方法だ。それを丸呑み
しないかぎり、さほど問題を生じない。(中略)信仰を真に理解する者は、そ
の種の挿話が比喩にすぎないと承知しているはずだ」
(「ダ・ヴィンチ・コード」(下)P57-58
ダン・ブラン 著 越前敏弥 訳 角川書店 刊)
ところで、東日本大震災が起きたとき、小泉八雲の作品で江戸時代にあった津
波の話を思い出したのですが、資料がなく残念に思っていたところ、月刊誌で
見つけましたので紹介しましょう。
高台の田んぼにいた庄屋(村落の長)五兵衛は、強い地の揺れを感じた。眼下の
村では、人々が祭りの準備に忙しかった。そこから、もう少し遠くに眼をやる
と―海がどんどん後退し干潟になってきている。これは―伝え聞いた「あれ」で
はないか。五兵衛は立ちすくんだ。すぐ避難させねば―しかし下りていって説
明する暇などない。彼は火打石を取り出し、とりいれたばかりの稲の束に火を
つけた。燃え上がった束で次々に火をつけてまわった。村人が炎と煙に気づき、
何をしている、やっと収穫した稲に火をつけてまわるとは―と、いっせいに駆
け上がってきた。村の男女・子供までが燃え上がる稲むらの前の五兵衛を取り
囲み非難しようとした。その時、彼は人々の背後を指さした。眼にする限りの
海が白い巨大な壁になって村に襲いかかってきた―。
「稲むらの火」挿話の教訓 諏訪 澄 著
WiLL 5月緊急特大号 P42 ワック株式会社 刊
主人公、五兵衛のモデルは、醤油醸造業(現・ヤマサ醤油)の家督を継いだ浜
口五陵。震災後故郷の紀州広村に千五百両の私財を投じ、高さ5メートル、長
さ600メートルの堤防を築き、村民の離散を防いだそうです。感謝を込め、
「浜口大明神」を祀ろうとすると、「神にも仏にもなるつもりはない」と叱り
つけて辞退。4メートルの津波が襲った1946年の昭和南海地震では堤防に
より、流失家屋は2軒だけでした。国指定史跡となった「広村堤防」は、今は
大きく育った樹木に覆われ、自然の中に溶け込んでいます。(インターネット
で「広村堤防」を見ることができます)
最後は、昔話ではおなじみの動物の恩返しです。動物でさえ恩を返すのに、人
間は、あだで返す話をよく聞きます。「動物でさえ」などといったら、動物た
ちから抗議文が来るかもしれません。「動物は」に訂正しておきましょう。
◆つばめの恩返し◆ 高津 美保子 著
ある日のこと、一人暮らしのじいさんが、飯を食べて縁側で休んでいたところ、
一羽のつばめが、けがをして落ちてきました。薬をつけて包帯し、介抱したと
ころ元気になり、南の国へ帰っていったのです。
次の年、一羽のつばめがやってきて、庭にいたおじいさんの頭の上に、真っ黒
な大きな粒を一つ、落としていきました。ふんかと思ったらすいかの種です。
育ててみると、とても大きなすいかになりました。食べようと包丁を入れたと
ころ、種が飛び出したかと思うと、小さな大工どんや木びきどんとなり、十日
もすると立派な家を作り上げたのです。それだけではなく、どこからか米の俵
や味噌桶、醤油樽などを、次々と担いできて、部屋をいっぱいにし、「なくな
れば、また来ます」と、どこへともなく姿を消してしまったのです。それから
と言うもの、おじいさんは、何不自由なく暮らしたのでした。
※木びきどん(木をのこぎりでひき木材にする人)
四月のおはなし あたまにさくら 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
日本民話の会・編 国土社 刊
小さな命を大切にする昔話は、情操教育に欠かせないもので、幼い心に、こう
いった刺激を、たくさん与えてあげたいものです。
良識は、健全な一般人が共通に持っている思慮分別のことではないでしょうか。
良識は、自己を鍛錬して身につけるものであり、共生するための掟と考えてい
ます。価値観の多様化で、当たり前のことが当たり前と考えられなくなってい
ないでしょうか。小さいときの情操教育は、思慮分別の基本を作るものだと思
います。お手本は保護者、作る場所は家庭であり、第三者にゆだねるものでは
ありませんね。
(次回は、「第7章(1) 端午の節句です 皐月」についてお話しましょう)
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