めぇでるコラム

さわやかお受験のススメ<保護者編>★★第4章 節分と建国記念の日でしょう 如月(1) 

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
             -第13号-
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第4章 節分と建国記念の日でしょう  如 月(1)   
 
物の本によると、如月(きさらぎ)のいわれは、二月は、まだ寒さが残り、衣
を更に重ね着する「衣更着」からとする説が一般的で、よく知られています。
また、草木の芽が張り出す月「草木張月」が転化したものや、旧暦二月には、
つばめがやって来るので「来更来」とする説もあるそうです。
 
★★二月といったら、節分、豆まきでしょう★★
父が煎った豆の入っている一升舛を持ち、玄関から始めて、すべての部屋の窓
を開け、
「鬼は外!福は内!」とやるのですから豪勢でした。ここまでは、文句なく楽
しいのです。終わって、豆の配分になります。自分の年に1つだけ上乗せした
数だけもらえました。父は40数個あっても、私は10本の指に満たない数で
す。これが不満でした。現代っ子に、この気持ちは理解できないでしょう。煎
り豆など食べていますかね。もっとおいしいお菓子がたくさん出回っています
から見向きもしないでしょうが、大豆は畑の肉ともいわれています。蛋白質は、
動物性より植物性の方が体にいいようですね。
 
しかし、不満を解消する道は残されていました。部屋にまかれた豆を拾って食
べるのは、黙認されていたからです。「汚い!」と思うかもしれませんが、そ
んなことはありません。
昔のお母さん方は、まめに掃除をしていました。廊下などは磨かれたように光
り、たたみも、いぐさの茎に、つやがある程でした。電気掃除機のない時代で
す。ほうきとはたきと雑巾だけで、きれいに掃除をするのですから、すごいも
のでした。夕飯が終わると、皿を持って部屋を回ります。豆を集め、それを食
べるのが楽しみでした。
 
そして、こたつに入って父や母から話を聞くのですが、これも楽しみでした。
テレビはありませんから、頭の中に自前の映像を作りだすのです。真剣に聞い
ていました。今の子どもと比べると、情報量は圧倒的に少なかったはずです。
しかし、自前で映像を作り上げる力、イメージ化は、培われていたような気が
します。鬼といえば、パンチパーマの頭に二本の角が生え、真っ赤な顔に牙が
生え、虎の皮で作ったパンツをはき、金棒を持った、本当に恐い存在でした。
地獄も閻魔さまも信じていましたから、恐ろしかったのです。   
 
しかも電球は、今の蛍光灯のように部屋中を明るくしない、60ワットの少々
暗めの明るさなのです。何だかおかしな表現ですが、電球は、かぶせてある電
気傘の具合で、真下からその近辺だけ照らし、部屋の隅は、ほの暗いのです。
怪談など聞いたときは、夜中に便所へ行けない雰囲気でした。昔の便所は水洗
式ではなく汲み取り式でしたから、快適な生活環境を維持するために、敷地内
のもっとも不便な所にあったものです。母を起こし、ついて来てもらったこと
を覚えています。          
 
ところで、思い出はとかく誇張されやすいものですが、節分の夜に食べた脂が
のった鰯、おいしかったですね。ある女子大学で、魚介類に関して上中下の評
価をしたところ、上は鯛、下は鰯だったそうです。鰯、字からして頼りなさそ
うですが、新鮮な握り鮨は絶品でこたえられません。しかし、柊と一緒に飾っ
てあった鰯の頭、あの臭いには往生しました。
あとで説明しますが、豆も鰯の頭も柊もそれなりに存在理由があったのです。
 
「鰯」は日本人が初めてつくった漢語である。中国の辞典には載っていない。
日本人は鰯が好きで中国人は食べないのかもしれない。イワシは弱い魚だとい
うので、8世紀に早くも日本人が造語した一例である。
(国民の歴史 西尾幹二 著 P107 産経新聞社 刊)
 
本書は、日本の歴史を1万年前の縄文時代から現代までたどった大長編(773
ページ)の労作で、神話を日本の歴史でどのように考えればいいかを模索して
いる私には、示唆に満ちた話があり参考になりました。その中に、いかにして
わが祖先が漢籍を読み下し、漢字をカタカナや平仮名にしたか、その経緯が書
かれており、当時は「阿治(あじ)」「佐米(こめ)」「乃利(のり)」と万
葉仮名のように音読みにしていたのが、この「鰯」だけは初めて訓読みで表さ
れていることから、造語の第一号になったそうです。わが祖先の繊細な感性が
うかがえる話ではないでしょうか。
 
★★節分って……?★★    
文字通り「節」を「分ける」ことです。「節」とは、季節、四季のことですか
ら、季節の移り変わるときという意味です。昔は、月が地球を一周する時間を
もとに作った暦、太陰暦を使っていました。今は、地球が太陽の周りを一回り
する時間を一年とする暦、太陽暦です。その陰暦で季節の区分、その変わり目
を示す日を「節季」といい、立春から大寒まで二十四あったので二十四節気と
いったのです。(詳しくは六月に紹介します)。その中で、立春、立夏、立秋、
立冬は、それぞれ季節の移り変わるときを表した言葉で、季節がジワッと伝わ
ってくるような気がしますが、実感はありません。子どもの頃、立春と聞けば、
「春だ!」と、何やらほのぼのとした気持ちになったものですが、立夏、立秋、
立冬となると、何ら思い出がありません。あとで紹介しますが、立夏は五月六
日頃、立秋は八月八日頃、立冬は十一月七日頃ですから、一ヵ月程早く、実感
がわかなかったのも当然なのです。現代っ子はどうでしょうか。季節感が希薄
になりましたから、季節の息吹を肌で感じることも少ないでしょうが、こうい
った変化に気づかずに過ごすのは、本当は、恐ろしいことではないでしょうか。
 
話を戻して、この立春、立夏、立秋、立冬の前の日を節分といいます。言って
みれば、明日から季節が変わりますから、その前夜祭のことです。しかし、立
春の前の日の節分だけが、なぜか有名になりました。
 
私の勝手な想像ですが、昔の冬は本当に寒く、夜は暗かったのです。今は電気
という便利なものがあり、夜になっても明るく、ガスや電気ストーブ、ファン
ヒーター、床下暖房、エアコンと暖房機器で寒さを防ぎ、寒い外へ出かけると
きには防寒具も完備していますが、昔はこんなものはありませんでした。電気
も石油もありませんし、建物は木造です。勿論、断熱材もありませんし、ガラ
スもなくて紙を貼った障子です。夜は真っ暗で、月明かりが無ければ、それこ
そ鼻を摘まれてもわからない、漆黒の闇です。自然と仲良く共存していました
から、地球の温暖化とはまったく縁がなく、冬は本当に寒かったに違いありま
せん。
春を待つ気持ちは、現代人の想像を越えた強烈な願いであったと思います。
 
そこで立春を迎える前の日に、鬼は悪魔と信じられていましたから、その鬼に
春を取られては一大事と、鬼の嫌いな豆や鰯の頭を刺した柊を玄関に飾ったの
でした。昔の人の春を待つ、必死な気持ちが伝わってきませんか。
 
★★なぜ、節分に豆をまくのですか★★
いろいろな説がありますが、紙芝居で見たこの話が印象に残っています。 
 
むかし、源義経が牛若丸時代に天狗を相手に腕を磨いたといわれた鞍馬山の奥
深くに、人々を苦しめる悪い鬼が住んでいたのです。ある時のこと、困ってい
る人々を救ってあげようと、戦いの神さま、毘沙門天(びしゃもんてん)が現
われ、七人の賢い人、七賢人を呼び、三石三斗の大豆で、鬼の目を打てと命令
されました。鬼は、悪魔と思われていましたから、その悪魔の目を打つことか
ら「魔目」、すなわち「豆」となったそうです。
 
また、「魔」を「やっつける、滅ぼす」ことから、「魔滅(まめ)」に通じる
からだという話もあります。「魔」という字は、鬼が麻の布を被り隠れていま
すね。漢字はよく工夫されていて、成り立ちや字義を調べると面白いことが
わかり、楽しいものです。
 
★★なぜ、豆を煎るのですか★★  
これにも地方によって、いろいろな説がありますが、これから紹介する話と同
じような民話が、大分県の由布岳北麓にある塚原地方にもあり、石段ではなく
塚を作る約束で、面白いことに、その塚が60個あまり残っているそうです。
           (注 塚…一里塚など土を高く持って距離を表す標識)
 
むかし佐渡島に、人民に害を与える鬼が住んでいた。神様が鬼退治にやってき
て鬼と賭けをした。「今夜のうちに金山に百段の石段を作ることができれば鬼
の勝ちにしよう」。鬼は夜更けのうちに九十九段まで石段を築いてしまったの
で、神様は一計を案じて鶏の鳴き真似をすると、鶏は一斉に「東天紅」と声をは
りあげた。鬼は朝になったと思い神様に降参したが、百段にもう一歩のところ
で負けたことを悔しがって「豆の芽の出る頃にまた来るぞ」といって退散した。
神様は豆の芽が出ないように人民に豆をいることを命じた。
[年中行事を『科学』する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P35]
 
この話は、幼児教室に通って来る子ども達に受けると思い探したのですが、原
作は見つかりませんでした。わたし流にアレンジして、毎年このように話して
いました。
 
むかし、金がたくさん取れた佐渡島に、鬼が住んでいました。そこへ、神さま
が鬼退治にきたのです。これがおもしろい神さまで、「今夜の内に、金山に百
段の石段を作れば、おまえの勝ちにしよう」と、鬼と賭けをしたのです。負け
ると佐渡島は鬼の支配下になるではありませんか。いくら神さまでもやり過ぎ
で、誰もが心配します。その心配が、的中するのです。鬼は、夜更けの内に、
何と九十九段まで作り上げました。これでは、誰が見ても鬼の勝ちです。絶体
絶命のピンチ、困りはてた神さまは、「弱ったな、何か方法はないものかな…?」
と何とも情けないことになりましたが、そこは全知全能の神さまです。しばら
く考えていましたが、何と鶏の鳴き声をまねたのです。すると、鶏たちが、一
斉に、「トーテンコー! トーテンコー!」と鳴きはじめました。「トーテン
コー」は、「東天紅」と書き、東の空が紅くなってきたので、「夜が明けるぞ!」
と、鶏たちがみんなに報せているのです。時計のなかった時代ですから、鶏さ
んの鳴声は、目覚まし時計でした。朝になったと勘違いした鬼は、神さまに負
けたと思ったのです。しかし、鬼は、あと一段で負けたのを悔しがり、「残念
じゃが、お日さまには勝てん。豆に芽が出る頃に、また来るぞ!」と捨てぜり
ふを吐いて、逃げたのでした。そこで、神さまは豆の芽が出ないように、人々
に豆を煎るように命令されました。煎った豆から芽は出ません。芽が出なけれ
ば、鬼も来ません。ですから、節分には、煎った豆をまくようになったのです。
 
すると、「どうして、オニは、ニワトリの鳴声を恐がるのですか?」といった
質問があったのです。
「別に、オニはニワトリを恐がっているのではなく、ニワトリが鳴く頃になる
と、お日さまが昇って来るんだよ。オニは、真っ暗な闇の世界に住んでいるか
ら、お日さまが恐いんだなぁ。だから逃げたんだよ」
「それなら、ドラキュラと一緒だ!」
何やらしたり顔でうなずき、納得していました。これは説得できましたが、次
がいけませんでした。
 
「何で、『トーテンコー』なんて、おかしな鳴き方をするのですか?」「トー
テンコー」と鳴かないと、この話は成り立ちませんから困りました。「お日さ
まは東から昇るので、『東天』は『夜明けの東の空という意味だ』といっても
うなずきませんし、『紅』は赤い色で、みんながお日さまを描くとき赤く塗る
でしょう。東の空が赤く染まってくる様子を見たニワトリは、『朝が来た!』
とみんなに報せているのですよ」と説明しても、「なぜ、夜明けにニワトリが
鳴くのですか?」と変な顔をします。
「日本のニワトリは『コケ・コッコー』と鳴きますが、中国のニワトリは『ト
ーテンコー』と鳴き、アメリカのニワトリは、『コッカ・ア・ドゥードル・ド
ゥー!』と鳴くそうだよ」
といっても、アンビリーバブルとばかりに首を傾げるだけでした。話がこじれ
たのは、ニワトリが、夜明けに鳴くのを知らないからでした。
 
「なぜ、ニワトリは、朝になると鳴くのか」、このことです。やはり、子ども
の疑問を追求する目は鋭く、妥協しません。これを説明しなければ、子ども達
は、納得できないわけです。「ニワトリは、鳥目といわれ、暗いところではま
ったく物が見えません。だから、夜になると、イタチなどに襲われる不安があ
るので、夜明けになると、ほっとして、一斉に鳴き出すのだよ」と苦し紛れに
こじつけて話したところ、「なるほど!」とうなずきはじめました。
 
子どもがわかるように話をするのは、本当に難しいですね。実際にやってみる
と、ほとほと困るときがあります。お母さん方は勿論のこと、幼稚園や保育園、
幼児教室の先生方は、何の苦もなくやっているように見えますが、大変だなと
思い、敬意を払うのは、こういう時です。我が子でさえ、「……?」といった
表情が続くと、面倒になって止めたくなりましたから(笑)。
 
★★なぜ、玄関に鰯の頭を刺した柊を飾ったのですか★★
豆まきをしない家がふえているようですから、柊や鰯の頭となると、「…!?」
変な目で見られるかもしれませんね。これもしめ縄と同じで、鬼や悪魔が入ら
ないようにした「おまじない」です。
 
鰯は、冬にたくさん獲れる魚です。昔、女と子どもを食べるカグハナという鬼
は、鰯を焼く煙がきらいで、他の鬼達も生の鰯の頭はくさいですから、いやが
ったそうです。「柊」は、字そのものが寒そうで、冬そのものといった感じが
します。葉にとげがあり、触ると痛くて、ずきずきと痛みます。ズキズキと痛
むことを「うずく」といいますが、この「うずく」ことを別の言い方で「ひい
らぐ」といい、それで「柊」と呼ばれるようになったのです。
 
また、柊のことを別名「鬼の目突き」といって、そのとげが鬼の目を刺すと信
じられ、玄関に飾ったのですが、その行事は今でも残っているそうです。葉の
とげで、鬼の目を突く恐ろしい木のようですが、花を見ると印象が変わります。
とげのある葉の付け根に、匂いのよいかわいい白い小花が咲くからです。
 
話は変わりますが、いわしは「鰯」と書くように、魚は魚偏から出来ています。
しかし、何と木偏の魚がいて、その名を「柊」といい、命名の由来は、鰭(ひ
れ)のところに柊と同じように鋭いとげがあるからだそうです。これが網にひ
っかかるので漁師さんから嫌われていますが、味の程は好評で、塩焼き、干物、
刺身でもいけるとか。ただし、骨が硬く、身も少ないため、市場に姿を現さな
いそうです。宮尾登美子さんの随筆に、「にぎろ」という魚の話が出ています。
大森望氏の解説によると、「にぎろは、ススキ目ヒイラギ科の魚で、全国的に
はヒイラギとよばれているらしく、うちは煮付けで食べていました」とあり、
本文に頁をもどすとこう書かれていました。
 
  ニギロという小魚がよく釣れた。お隣の愛媛県では畑の肥料にするという
が、土佐では、一日干(ひいといぼ)しにして軽く炙ってよし、二杯酢にしてよ
し、ごく親しまれている魚だ。宮家の筆頭伏見宮家の長女として生まれ、大正
天皇妃の候補にもなった山内豊景(土佐山内家十七代当主)侯爵夫人禎子(さ
ちこ)さんは、ニギロの刺身が大好きで、あの小さい、小さい魚を女中さんが
苦労して身を削いでは食卓に載せていたそうである。
    (「生き行く力」 宮尾登美子 著 P215 新潮社 刊) 
 
子どもの頃、瀬戸内海を挟んだ兵庫県は赤穂に住んでいましたから食べたかも
しれません。
 
読むたびに作家魂とは、かくも凄まじきものかを叩きこんでくれた宮尾さんは、
2014年12月30日に、老衰のため逝去されました。(合掌)
 
もっと凄い魚がいます。
何と「猫またぎ」と呼ばれ、漁師に嫌われるどころか、小骨が多いため、猫も
またいで見向きもしないほど無視されていたのが、うなぎに似たあの鱧(はも)
なのです。ところが京都では、骨を食べやすく「骨切り」(高等技術だそうで
す)をし、硬い皮を食べやすく「湯引き」、熱湯にくぐらせ、氷で冷やし、梅
肉やからし酢味噌などで食べ、夏の味覚として珍重されており、祇園祭りに食
べる習慣があるのですから驚きです。
また、日本酒の肴に珍味な海鼠(なまこ)と、その腸である海鼠腸(このわた)
がありますが、最初に食べた人の勇気をたたえると共に、いつも感謝していた
だいています(笑)。
料理も包丁人(料理人)の度胸と工夫、腕次第なんですね。
 
ところで、鬼の嫌いなものは、鰯の臭いと柊とお日さまです。ドラキュラの嫌
いなものは、十字架とお日さまとにんにくです。お日さまと臭いの共通点はあ
りますが、宗教の出ないところが日本的なのでしょう。日本では、神さまと仏
さまが同居していますから、遠慮しているのかもしれません。
 
★★鬼のルーツは…?★★
陰陽(おんよう)五行説、聞きなれない言葉ですが、中国の易学のことです。
宇宙の万物を作り支配する二つの相反する性質をもつ気、陰と陽のことで、積
極的なものを陽、消極的なものを陰としたものだそうです。例えば、日、男、
春、奇数などは陽、月、女、秋、偶数などは陰と考えられ、奇数が縁起のいい
数というのも、起源は陰陽五行説なのです。
 
節分の夜、新しい春を迎えるために、家の隅々から鬼を追い出すが、鬼とはも
ともと冬の寒気であり、疫病であった。すなわち「人に災いをもたらす。目に
見えない隠れたもの」が鬼であり「隠(おに)」と呼ばれていたのである。
 (「年中行事を科学する」 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P51)
 
「鬼」は目に見えないもの「「隠(おぬ)」が転じたもので、陰陽五行説の考
えから、今の鬼が定着しました。
 
ところで、なぜ鬼は、二本の角が生え、鋭い牙を持ち、虎の皮のパンツをはい
ているのでしょうか。陰陽五行説によると、北東方面を「鬼門」と呼び、忌み
嫌われる方角を表す言葉で、恐ろしい鬼は、北東の方角にいると考えられてい
ました。正月に紹介しました十二支では、北東は「丑寅」の方角にあたります。
「丑寅」は牛と虎のことですから、鬼は牛と虎のイメージを持たされ、絵本な
どで見る鬼は、牛のような角と虎のような鋭い牙を持たされ、虎の皮のパンツ
をはいている姿になったわけです。
鬼門は忌み嫌われる方角ですから、京都の北東にあたる比叡山延暦寺は、当時
の都であった平安京を守るための「鬼門ふさぎ」として建てられたのでした。
ちなみに、江戸城から鬼門にあたる上野には、徳川家の菩提寺である寛永寺が
あり、山号を東叡山といい、天下国家の平安を祈り務めるために建立されたも
のです。毎度のことですが、何事も訳ありなんですね。NHKの大河ドラマの
放映以来、訪れる人が増えているそうですが、天璋院篤姫の墓所は寛永寺にあ
ります。
 
この鬼を寄せ付けないために豆や鰯、柊を用いたのは、「追儺(ついな)」と
いう7世紀頃に中国から伝わったといわれている鬼を祓う宮中行事が、近世に
なって民間化されたらしく、疫病神や貧乏神のたぐいを祓うのが目的になった。
そのような意味なら現代にも鬼は存在している。鳥インフルエンザとか世界的
な不況など立派な鬼である。
(2009年2月2日 東京新聞夕刊・文化欄「鬼は外」 司 修 著)
 
鬼と同様、目に見えないだけに、現代人には恐ろしい存在に違いありません。
今年もインフルエンザの猛威にさらされていますが、何とか穏便に願いたいも
のです。被害者は、弱い子ども達であり高齢者だからです。鳥インフルエンザ
は、渡り鳥に予防接種するわけにいきませんから困ったものですが、今のとこ
ろ何とかおさまっているようです。今年も寒波の襲来で世界的に冷え切ってい
ますが、豪雪地帯の雪害は、高齢者が多いだけに被害は深刻です。先日関東地
方にも雪が降りましたが、震災の復興からほど遠い東北地方の皆さん方に、雪
害による被害が広がらないように願ってやみません。
 
ところで、食べられた方も多いかと思いますが、節分に巻き寿司を食べる習慣
は、「福を巻き込む」「縁を切らない」などの意味があり、恵方に向かい、黙
って丸かじりするもので、主に関西で行われていましたが、最近ではバレンタ
インデーのチョコレートのように、全国で行われているようです。恵方とは、
「陰陽道に基づいて決められた縁起のよい方向」で、2015年の恵方は西南
西でした。七福神にあやかろうと、穴子、かんぴょう、きゅうり、椎茸、玉子、
おぼろ、高野豆腐など7種類の具を巻き、包丁で切らず、福を丸ごとかじって
食べるのが定法で、江戸時代に行われていた大阪の伝統習俗を復活させたもの
です。
 
最後に、豆まきの口上は「福は内、鬼は外」が定番ですが、そう言わない所も
あります。台東区にある「恐れ入谷の鬼子母神」(「おそれいりました」を冗
談めかし、しゃれて言う言葉)でおなじみの仏立山真源寺では、「福は内、悪
魔は外」と言いますが、これは人間の子どもを食べてしまう鬼神、鬼子母神を、
お釈迦さまが鬼神の子を隠し、子ども失う悲しみを諭されて仏教に帰依し、子
どもの守り神になった由来によるもので、成田山新勝寺では「福は内」だけで
すが、お祀りするご本尊は不動明王ですから、鬼も改心するとされているから
だそうです。また、群馬県藤岡市鬼石地域では、地名の通り鬼は守り神ですか
ら、「福は内、鬼は内」と言い、全国から追い出された鬼を歓迎する「鬼恋節
分」を開催しているそうですが、皆さんの住む町はいかがでしょうか。
(生活情報サイトAll About より)
 
(次回は、「建国記念の日と2月に読んであげたい本1」についてお話しまし
ょう)

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