めぇでるコラム
さわやかお受験のススメ<保護者編>★★第3章(3)何といってもお正月ですね 【一月に読んであげたい本】
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「めぇでる教育研究所」発行
2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
~紀元じぃの子育て春秋~
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第12号-
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第3章(4)何と言っても正月ですね
【一月に読んであげたい本】
正月に関するむかし話は、たくさんありますが、この話は欠かせないでしょう。
「子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥」の十二支のことで、こ
れを決めた事の次第を話にしたものですが、いたちが出てくるとは知りません
でした。
◆十二支のはじまり 小沢 重雄 著
「元旦の朝、新年のあいさつにきた順番に、その動物の年にして、人間世界を
守らせてやる。ただし、一番から十二番まで」と神様からのお触れが出て、動
物たちは大喜び。ところが、ねこは、その日を忘れてしまい、運良く(本当は
運悪くですが)会ったねずみに、二日目の朝だと嘘をつかれます。計られたと
も知らずに、ねこは神様のお住まいになる御殿の門を叩いたのですが、「十二
支は決まった。寝ぼけていないで、顔でも洗ってこい!」
と神様に怒られ、だまされたと気づいたのです。それからというもの、ねこは
寝ぼけないように、いつでも顔を洗うようになり、嘘を教えたねずみを追いか
けるようになったのでした。
ところが、ねこの他にも十二支に入れなかった動物がいました。いたちです。
お触れがこなかったから、やり直してほしいと申し立てをします。手を焼いた
神様でしたが、名案を考え出します。
「一年に十二日だけ、おまえの日にしてあげよう。月の始めは縁起のいい日だ
から。ただし、『いたちの日』とすると、他の動物が騒ぎだすから、頭に「つ」
をつけることにしよう。数をいうときには、一つ、二つと、必ず『つ』をつけ
る大切な字だから」と提案をします。
「つ、いたちですか?」
「いや、いや、『つ、いたち』では、わかってしまうから、『ついたち』と続
けていうことにしよう」と説得され、月の初めを「ついたち」と呼ぶようにな
ったのです。
一月のおはなし ねこの正月 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
日本民話の会 編 国土社 刊
12月にもお話しましたが、朔日(ついたち)は、月立(つきたち)の音便で、
こもっていた月が出はじめる意味からできた言葉ですが、これを読んだとき、
しばらく笑いが止まりませんでした。神様といたちのやりとりが、本当におか
しいのです。しかも、場所は図書館でしたから、困りはてた様子をご想像くだ
さい。
5、6歳の子どもにとって、一日から十日までと、十四日、二十日、二十四日
は、漢字の音読みと訓読みが、入り混じっていますから覚えるのも難しく、き
ちんといえる子はあまりいません。一日は、これで覚えられますね。二十日は、
「二十日ネズミは二十日間しか生きられないから二十日ネズミというんだよ」
と、得意そうに教えてくれた子がいましたが、真相は定かではありませんけれ
ど、これで覚えられるでしょう。(※実際には妊娠期間が20日だそうです
<編集者注>)
ところで、かつて小学校一年生の子どもが、この読み方を歌にしたものがある
といって歌ってくれましたが、実にうまく出来ていて、これで簡単に覚えられ
ます。残念なことに題名を思い出せませんので、すみませんが探してあげてく
ださい。
大人でもよく間違える「十日」ですが、「とおか」、「とうか」どっちでしょ
うか。
氷、王さま、通りは、「お」「う」のどちらでしょうか、小学校一年生のとき
に習います。
正月といえば、欠かせないのは七福神でしょう。この話には、神様、一人ひと
りの紹介はありませんが、七福神の話です。これとよく似た話で、大晦日に長
者に宿を断られた乞食が、貧乏人の家に泊めてもらい、そのお礼に若水をもら
い若返った話を聞いた長者が、乞食を無理やり泊まらせ若水を強要し、あまり
欲張ったために猿になった話や、赤ん坊になってしまうのもあります。暮れか
ら正月の話ですが、七福神の登場ということで、一月の話にしました。
◆正月の神さん 渋谷 勲 著
ある年の大晦日に、貧乏なじいさまの家へ、七人の旅人が来て、笠を貸してほ
しいというので、家中、探したのですが六人分しかなく、大事にしまっていた
ご祝儀用の合羽を貸したのでした。
それから一年たった大晦日の晩のことです。今年も年越しのご馳走の用意が
できずに、白湯を呑んでいると、急に騒がしくなり、あの七人の旅人が入って
きたではありませんか。実は、旅人は神様で、笠のお礼にきたのでした。打出
の小槌から、米や魚やら、二人の欲しいものが何でも出て、寝る場所もなくな
るほどです。もっと欲しいものはないかという神様に、「もう少し若ければ、
子どもを授かりたいものだ」とおばあさんはいいました。
すると神様は、「明日は、元旦だ。目が覚めたら、二人そろってあいさつをし
なさい」といって帰ったのです。
元旦の朝、目を覚ました二人は、「おめでとう」とあいさつをすると、十七、
八のいい若者になり、それからというもの、何人もの子宝に恵まれて一生、安
穏に暮らしたのでした。
一月のおはなし
ねこの正月 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修 日本民話の会・編
国土社 刊
七福とは、「仁王経」(仁王護国般若波羅蜜経)の「七難即滅して七福即生す」
に由来するものといわれ、江戸時代を築いた徳川家康が、七福によって天下を
統一したとして、家康の相談役・天海僧正が、神仏の七徳を崇めるようにと七
福神信仰を勧めたため、江戸時代に流行したものです。
ちなみに、七徳とは、恵比寿の清廉、大黒の有徳、弁財天の愛敬、毘沙門天の
威光、福禄寿の人望、寿老人の長寿、布袋の大量(心が広いこと)をいいます。
ところで、七福神の国籍(?)を調べてみると、恵比寿は日本の神道、大黒天
と毘沙門天はインドの仏教、弁財天はインドのヒンドゥー教、そして布袋、寿
老人、福禄寿は中国の道教から生まれた神様なのです。
異教の神様や仏様を、いくら「呉越同舟」(呉・越、共に中国は春秋十二国の
一つで、互いによく争ったことから、仲の悪いもの同士が一所にいること)の
四字熟語があるからといって、同じ船にお乗せして問題が起こらないのでしょ
うか。キリスト教など他の宗教では考えられないことです。「融通無碍(ゆう
ずうむげ)考え方や行動が、何事にもとらわれず自由であること」というので
しょうか、本当に、日本人らしいですね。イスラム国で起きてしまった事件、
何とか無事におさまってほしいものです。
昔は、帆掛け船に乗った七福神の絵を枕の下にしいて、いい夢を見たそうです
が、私もそのようにした記憶はありませんから、かなり前の話のようです。そ
の夢ですが、正月というと、これも忘れられませんね、初夢です。初夢は室町
時代には、除夜から元旦にかけて見る夢でした。それが江戸時代の中頃から、
除夜は起き明かす習慣となり、元旦の夜に見る夢となっていましたが、「すべ
ての事始めは二日」ということから、今では二日の夜に見る夢となったのです。
これも、一つ紹介しておかないといけないでしょう。
◆ゆめみこぞう 渋谷 薫 著
ある長者のところに、風呂たきをしている、灰坊と呼ばれる若者がいました。
ある正月の二日の晩、灰坊は、よい夢を見たのです。その夢を長者が買おうと
いいますが、灰坊は売りません。怒った長者は下男に命じ、灰坊を縛り上げて
木箱の中へ詰め、海に投げ込んでしまいました。
二十一日間、波に揺られて着いたところは、鬼が島。鬼の親方に食べられる
前に、海に流されたわけを聞かれ、その話をすると、親方が、その夢をくれれ
ば食わないで、家に返してやるという。断ると、三つの宝物、刺すと死ぬ死に
針、死人を生き返せる生き針、千里を一飛びする千里車と交換しないかと灰坊
の前に置いたのですが、灰坊が「本物か?」と疑わしそうにいうと、試してみ
るがよいと腕を出したので、灰坊は、その腕に死に針を刺して殺し、生き針を
持って千里車に乗り、鬼が島を脱出したのです。
着いたところが、ある村の観音さまのお堂。休んでいると、お参りに来た人
達が、朝日長者の十七になる娘が死んだと話しているのです。それを聞いた灰
坊は、長者の家にかけつけ、「死んだ者を生き返す、日本一のお医者さま!
死んだ者は、おらんかなー!」と大声で叫びます。直ぐに死んだ娘の座敷に案
内され、人払いをしてもらい、生き針を娘に刺してみると、生き返ったのです。
喜んだ長者は、婿になってほしいと頼み込み、灰坊は朝日長者の娘婿になった
のです。これこそ灰坊が、見た夢、そのものだったのです。
一月のおはなし
ねこの正月 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修 日本民話の会・編
国土社 刊
正月ですから、ご祝儀を一つ。
これも、むかし話の定番ですが、継母の子どもいじめです。「親になるにもラ
イセンスが必要」とおっしゃった方がいるそうですが、幼子への虐待は、親と
いえども許されることではありません。ましてや親の手にかかり殺される子は、
どんな気持ちでこの世を去ったのでしょう。殺人犯は、実の親なのですから……。
また、ごく普通の家庭でも、父親は女の子に、母親は男の子に甘くなりがちで
す。子どもは、小さい目で、しっかり見ていることを忘れないでほしいもので
す。
話に出てくる季節の変わる様子は、古い話で恐縮ですが、高校時代に観た映画、
マルシャークの「森は生きている」を思い出します。気まぐれな女王が、真冬
に4月の花であるマツユキソウをほしいといい、継母の言いつけで吹雪の森へ
行き、12月の妖精たちに出会う話となっています。これと同じような話が、
スロバキアの民謡に「マルーシカと12の月」があります。こういった話を聞
くたびに、人間の考えることは「同じなんだな」と、しみじみと嬉しくなりま
す。
◆六月のむすこ 松谷 みよ子 著
むかし、あるところに母親と二人の娘がいて、妹は実の子、姉はまま子でし
た。ある年の正月、妹はいちごを食べたいといいます。母親も取り合わなかっ
たのですが、わがままに育てられていますから押し切られ、姉は取ってこいと
かごを背負わされて、山へ向かいますが、いちごなどあるわけがありません。
途方にくれていると、白いひげのじいさまと会い、訳を聞いてくれ、あたたか
い感じのする家に案内されたのでした。いろりの前に姉を座らせ、この家に一
月から十二月まで、十二の月の兄弟と住んでいて、どの息子も自分の月を呼び
出せるといい、声をかけると、奥から一人の若者が出てきたのです。訳を話す
と、今は一月、私の出る番の六月まで、一月から五月までの五人の兄弟の助け
が必要だという。再び声をかけると、五人の若者が現れ、みんな外へ出たので
す。すると雪がとけ、あたたかな日がさし、土が姿を見せ、草や木の芽がもえ、
花が咲き、小鳥は歌い、いちごが実ったのです。かごいっぱいに摘んだのを見
たじいさまに、「雪が降らない内に帰りなさい」といわれ、走るように山を下
った後から雪が降りはじめ、ふもとに着くと山は、もとの銀世界でした。
家に帰ると、二人でいちごを瞬く間に食べたばかりか、妹はもっと食べたい
と泣きわめき、母親は殿さまにあげればご褒美にありつけたと悔しがり、再び
山へ行けというのです。
姉は不思議なじいさまとの出会いを話し、二度は無理だというのですが、「い
うことを聞けんのか!」と怒り狂っていましたが、急に気が変わり、二人でじ
いさまに会ってくると出かける準備をはじめます。姉は必死に止めましたが、
大きなかごを背負い山へ出かけたきり、二度と戻って来ませんでした。
日本むかしばなし 18
まほうをとくむすめ 民話の研究会 編 櫓良 良春 絵
ポプラ社 刊
最近、継母という言葉は余り聞かないようになりましたが、幼児虐待の話はよ
く聞きます。
それも、育児に一所懸命なお母さんが虐待しがちだと聞くと、救いがありませ
ん。四六時中、お子さんと顔を合わせていますから、あまりのわからず屋にカ
ッとなる時もあるでしょう、わかります。しかし、そこが我慢のしどころです。
育児には、「耐えて、忍ばなければならない時期」があります。心の傷は間違
いなく子どもの心に残り、それを背負って生きていくものです。子育ては、
「育児」しながら「育自」することです。お母さん方は、自力で自身を成長さ
せなくて、誰がさせてくれますか。誰も、力を、機会を与えてくれません。そ
の教材が、お子さんと考えてはいかがでしょうか。お子さんは、ご両親で作る
環境でしか育ちません。ご両親が心を一つにして育児に専念するのは、幼児期
だけではないでしょうか。子どもは授かりものです。授からない人も、多くい
ることを考えてみましょう。
そして、ご自身を育ててくれたご両親、特にお母さん方は、同じ苦労をしてき
たことを思い起こすべきで、この気持ちを忘れないことが大切ではないでしょ
うか。
最後に、「七草」に関する話が「御伽草紙」にあります。若いときは、とかく
親のことなど考えないものです。だから「今の若い者は」などと口幅ったいこ
とは言いません。しかし、「親孝行、したいときには親はなし」……実感して
います。
この「御伽草紙」には、「鉢かつぎ」「酒呑童子」「浦島太郎」「ものぐさ太
郎」など子どもの頃に聞いた懐かしい話が入っています。中でも傑作なのは
「猫の草紙」で、昔は猫も首輪をされていたそうです。ところが、「首輪をし
てはならぬ」とのお触れが出て、それまで自由に走り回っていたねずみは、猫
に捕まり食い殺される恐怖の世界に一変するのです。
「十二支の始まり」と同様、猫とねずみの因果関係を納得させられる話です。
原文を読むのは少し面倒ですが、図書館の子どもの部屋には、小学生から中学
生向きに書き直されたものがあり気軽に読めます。現代人が忘れかけているも
のがたくさんありますが、ロマンも、その一つではないでしょうか。
◆七草草紙 北畠 八穂 著
正月七日に七草がゆを食べる習慣になったのは、唐国(中国)の楚の国のそば
に住んでいた、大しゅうという人が始めたものだそうです。大しゅうの両親は
百歳をこえ、腰は曲がり、目も耳も悪くなるばかり。そこで、両親を若くした
いと、天地の神仏に二十一日間、祈ったのでした。すると、二十一日目の夕方、
帝釈天王が現れ、若返りの秘訣を授けてくれたのです。それは須弥山(しゅみ
せん 仏教でいう世界の中心にそびえ立つ高山のこと)に棲む白鵞鳥が八千年
も生きるのは、春に七色の草を集めて食べるからで、その白鵞鳥の命を両親の
命にしてあげようと、摘んでくる七草の種類、たたく順序、時間など秘薬にす
る方法を授けたのです。大しゅうは、七草を集め、六日の夕方からたたきだし、
七日の朝に飲ませると、両親は若さを取り戻したのでした。この話が帝にも届
き、褒美として広い土地をあたえ、殿さまにしたのです。それから正月七日に
七草を帝へ差しあげることになったそうです。このように親に心を尽くす人に
は、天の幸いが授かるのです。
御伽草子 古典文学全集 13 ポプラ社 刊
(次回は、「第4章 豆まき、節分でしょう」についてお話しましょう)
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