めぇでるコラム

2016さわやかお受験のススメ<保護者編>★★第2章(4)12月に読んであげたい本

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
         「めぇでる教育研究所」発行
     2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
             -第9号-
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
 
第2章(4)12月に読んであげたい本
 
明けましておめでとうございます。
今年もご愛読の程よろしくお願い致します。
 
【十二月に読んであげたい本】
神さまの交代する月ですから、神さまの話が多いですね。あまりにも、たくさ
んあるので困りますが、これなどちょっと恐くて、面白いです。
      
◆おぶさりてえのおばけ◆
むかし、あるところに、正直で働き者の、じいと、ばあがいました。
二人は懸命に働きましたが、暮らしは楽になりません。
ある年越しの晩のことです。
寝ようとしたとき、裏山から重っ苦しく、「おぶさりてえ!」と叫ぶ声が聞こ
えたので、ばあが、「様子を見てきてくれ」というと、じいは、嫌だと布団に
もぐりこんでしまうのです。
声は、夜中になっても止めようとしません。
「『おぶさりてえ!』といっているから、おぶってやったらどうか」と、ばあ
がいうものだから、帯を持って出かけました。
山道を登って行くと、あの声がぴたりと止み、突然、そばの杉の木の天辺から、
「おぶさりてえっ!」
と、大声がしたので、じいは、頭をかかえて座りこんだのです。
すると、背中に、ずしんとおぶさってきたものがあり、おぶわれたきり、もう
何もいいません。
何とか庭までたどり着き、降ろそうとしますが、離れません。
台所でも、座敷でも、降りないので、「降ろしてくれ」と、ばあに声をかけま
した。
ばあが見ると、背中にのっているのは大きな石なので、あきれて背中に手をか
けると、自分から落ちたのです。
「この石は、おらたちの家に来たかったのだろう。家宝にしよう」と、二人で
床の間に運び、安心して寝てしまいました。
次の朝、その石はたくさんの大判小判に変わり、お金持ちになって、いい年越
しをしたのでした。
 世界のメルヘン 22 日本のむかしばなし 
   つるのよめさま  松谷みよ子・水谷章三 講談社 刊
 
これも、おかしな話です。普通は、福の神は歓迎されるはずですが、何と逆に
なるのです。
福の神にとっては初体験、その顔を思い浮べると、吹き出したくなります。
 
◆びんぼう神とふくの神◆   望月 新三郎 著
とんとむかし、あるところに、働き者のおやじとかかがいました。
朝早くから夜遅くまで働いたので、暮らしは次第によくなってきたのです。
ある年越しの晩、二人で正月の支度をしていると、泣き声がしたので、おやじ
が押し入れを開けると、ぼろを着た、やせたじじいが転げ出てきたのでした。
これが貧乏神で、「お前たちは働き者だから、福の神が来るので出ていかなけ
ればならない。それが悲しくて泣いているのだ」というのです。
「長年、おらの家に住んだ仲だから、福の神が来たら、追っ払ってしまえ」と
励まされたのです。
「貧乏神、早く出ていけ!」と福の神がやって来ました。
「しっかりと追い出せ!」と、二人の励ます声に、元気になった貧乏神、勢い
よく組みつきましたが、福の神は、びくともせず、貧乏神は押されるばかりで
す。
すると二人は、貧乏神の後から押しはじめました。
これには福の神もたまらず、引っ繰り返され、「福の神を追い出す家など初め
てだ!」と逃げ出しました。
戸口の前に打出の小槌が落ちていたので、貧乏神が拾い、「米、出ろ! 金、
出ろ!」とふると、米や小判が、たくさん出てきたのです。
それからというもの貧乏神は、福の神のようになり、いつまでも、この家で暮
らしたのでした。         
 日本むかしばなし 2
  子どものすきな神さま 民話の研究会 編 巽 弘一 絵
    ポプラ社 刊
 
12月といえば、私には忘れられない歴史的な事件、といってもかなり脚色さ
れた話になっていますが、四十七名の赤穂浪士が、主君、浅野内匠頭(たくみ
のかみ)の仇を討った「忠臣蔵」があります。
8月に出てきますが、広島に原子爆弾が落とされた時、岡山と兵庫の県境にあ
る赤穂市に住んでいたせいもあるかもしれません。
戦前は、小さな子どもでも知っていた話ですが、今はどうでしょうか。
こんな話が残されています。
 
◆キツネも喜んだ討ち入り◆
京都の紫野の南に、狐の霊を祭る小さな社があり、「忠臣蔵」で知られる兵庫
県の赤穂の殿様、浅野内匠頭(たくみのかみ)が建てたもので、浅野神社ともい
われています。殿様の恨みを果たそうと、家老、大石内蔵助(くらのすけ)以
下、四十七名の浪士が、江戸の本所松坂町にあった吉良上野介(こうずけのす
け)の屋敷に討ち入り、仇をとったのは、1720年(元禄15年)の12月
14日の夜でした。
同じ日の深夜、浅野神社の境内に数百人の人々が集まり、にぎやかな踊りが始
まったのです。
「こんな夜更けに何事か!」と近くに住む人々は驚いて神社まで行って見ると、
数え切れないほどのキツネ達が、社を取り巻き、後ろ足で立ち上がりながら、
前足を手のように打ち振り、踊り狂っていたのです。
家を飛び出してきた人々は、びっくりしてしまいました。 浪士が討ち入りを
果たした事件が京に伝えられたのは、三日後のことです。それなのに、同じ日
の夜に、何百キロも離れた京のキツネ達は、霊力でそれを知って喜び、踊って
いたのです。
「キツネというのは、本当に魔物じゃ。不思議なことじゃのう……」
キツネ達の踊りを見た人々は、後にそういって、キツネの霊力に感心したとい
う話です。
(「雪窓夜話抄 上野 忠親 著」
  必ずその日のお話がある  365のむかし話  
   谷 真介 編・著 講談社 刊)
 
当日、雪が降っていたかどうかわかりませんが、14日ですから満月であった
ことは確かです。今読んでいる井沢元彦氏の「逆説の日本史 全17巻」の受け
売りですが、本能寺の変が起きた天正10(1582)年6月2日は月の姿は
ない闇夜で、そのために隠密に行動でき成功したとありますが、月の運行の様
子から遠い昔の事件の夜空を想像できるとは知りませんでした。(笑)  
 
最後は、どうしても、この話に出てもらわなければ、おさまりがつきません。
おじいさんが、笠を売りに行ったものの、まったく売れなくて、お地蔵様にか
ぶせてあげる話が多いのですが、私は、この話が好きです。おじいさんの見返
りを求めない無償の奉仕に、お地蔵様が応えてあげるのがいいですね。こうい
うことって、ありそうでないのが現実ですが、あってほしいと願う、庶民の素
朴な望みです。
育児も同じです。「あなたのために、お母さんはこんなにしてあげたのに…」。
育児は、有償の奉仕ではありません。見返りを期待しはじめると、親子の絆は、
切れがちではないでしょうか。「無償のほほ笑み」は、親の宿命です。みなさ
んのご両親が、そうであったように、巡り合わせです。「子を持って知る親の
恩」と言うではありませんか……。しかし、最近では、早期教育やお受験にか
かわると、「塾に通い始めて忘れる子どもの心」とも言われているようです。
子どもは、決して、断じて、絶対に、お母さんだけの宝物ではありません。
 
◆かさ地蔵◆   浜田 廣介 著
むかしのことです。
ある所に、じいと、ばあが住んでいました。
もうすぐお正月、貧乏でも年越しの晩に魚っ気がなくてはと、じいは、さけの
頭を買いに出かけたのです。
雪が降り、風も吹き始め、道端の六つのお地蔵さんの頭は、雪をかぶって寒そ
うに立っています。
石のお地蔵様でも、かわいそうだと、手でかき落としますが、すぐに積もって
しまいます。
そこで、じいは、町まで急ぎ、さけを買うのは止めてすげ笠を買ったのですが、
お金が足りず、五つしか買えません。
じいは、頭に一つずつ笠をかぶせ、足りない分は、自分の古い笠をかぶせてあ
げたのです。
帰ったじいは、さけを買わない訳を話すと、よいことをしたと、ばあも喜びま
す。
夜が明けると、大晦日。
二人は、麦飯を分け、菜づけに熱いお湯をかけて、塩気をすすって食べ、無病
息災で年を越せるこ
とを感謝し、火箱を抱いて寝床に入ったのです。
すると、どこからともなく、唱える声が近づき、ドシン、ドシンと重い響きが、
枕元まで響いてきました。
二人は恐くなり、布団をかぶって震えていました。
地響きと声は、庭先に入ってきたのです。
何やら話し声がしたかと思うと、かけ声と共に「ドシン!」と大きな音がして、
後は何の音もしません。
眠気も拭き飛んだ二人は、寝床でじっとしていました。
やがて、夜明けを知らせる三番鶏が鳴いたので、じいは戸を開けてみると、大
きな袋が置いてあり、中には金貨と銀貨が、ぎっしりとつまっていたのです。
六人のお地蔵様が、笠のお礼に袋をかつぎ、大地を踏みながら運んできたので
した。
 世界民話の旅 9
 日本民話  浜田 廣介 著 さ・え・ら書房 刊
 
お地蔵さまは、お釈迦さまが入滅後、弥勒菩薩さまが生まれるまでの間、人々
を救済する菩薩さまで、正しくは地蔵菩薩さまといい、仏さまの仲間なのです。
あのやさしいお顔から民間信仰に結びつき、村や子どもなど弱いものを守って
くれると信じられ、村の入口や街道筋などに、たくさん立てられるようになっ
たのでした。
この話に出てくる「六地蔵」とは、
地獄道(地獄で苦しむこと)、
餓鬼道(常に飢餓に苦しむこと)、
畜生道(けだものの姿に生まれて苦しむこと)、
修羅道(争いの絶えない世界で苦しむこと)、
人道(人の踏み行う道を外れて苦しむこと)、
天道(超自然宇宙の道理から外れて苦しむこと)
という六道に迷う人々を救済する願いがこめられているのです。
 
学生時代、京都の浄瑠璃寺へ歩いて行った時、途中の山道でたくさんの石仏と
出会い、感動したことがありました。今は、バスで山門までいけますから、見
過ごすかもしれません。浄瑠璃寺は、薬師仏とそれを祀る何とも素朴ですばら
しい三重塔、横一列に並んでいるどっしりと存在感のある阿弥陀仏九体とその
本堂、宝池を中心とした庭園が、平安時代のまま揃っている唯一の寺で、奈良
にある女人高野と呼ばれていた室生寺と同様、一人で訪ねたい寺です。名刹を
散策するには、晩秋から初冬がいいですね。
(次回は、「何といっても正月ですね」についてお話します)
 

過去の記事

全て見る