めぇでるコラム
さわやかお受験のススメ<保護者編>第6章(4)四月に読んであげたい本
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「めぇでる教育研究所」発行
2020さわやかお受験のススメ<保護者編>
~紀元じぃの子育て春秋~
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第23号-
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第6章(4)四月に読んであげたい本
落語の「野ざらし」に、よく似た話です。「親切は、人のためならず」といった
ものですが……。子どもでさえわかる悪いことをやっている大人の多い世の中
ですから、「渡る世間は鬼ばかり」で、「地獄の沙汰も金次第」では、こういう
おじいさんは、いなくなるでしょう。
◆むすめのしゃれこうべ◆ 小沢 清子 著
むかし、あるところに、村人から用事を頼まれては、わずかな礼金をもらい生
活をしている、じいさまがいました。
ある年のお釈迦さまの日に、酒を飲もうとしていたところへ、急ぎの使いを頼
まれ、ひょうたんに酒を入れて出かけました。野には、かすみがかかり、桜も
菜の花も、今が盛りと咲いています。「花見酒」としゃれたじいさまは、桜の木
の下に座ると、しゃれこうべがころがっていたのです。じいさまは、出会った
のも縁と思い、しゃれこうべに酒をたらして一緒に飲みました。
その帰りに同じ所へさしかかると、年の頃、十六、七の美しい娘がいたのです。
三年前に花に誘われ、ここまで来たが、胸が苦しくなり死んでしまい、今度、
三年忌の法事があるので、一緒に家まで行ってくれないかと頼まれます。花見
酒を飲んだしゃれこうべが娘だったのです。
行ってみれば、大きな屋敷で、尻込みするじいさまは、娘にせかされ屋敷に入
ったのですが、不思議なことに、じいさまの姿は見えないらしく、だれも気づ
きません。坊さまのお経が終わると、法事の膳が運ばれましたが、じいさまに
は、食べたこともない料理ばかり。
夢中になって食べていると、下女が誤って皿を割ったのです。主人は、客の前
で怒りだし、見ていた娘は、「三年前と変わらぬ、ととさまなんか見たくない」
と姿を消してしまいます。
とたんに、じいさまの姿は、人に見えるようになったので、事の次第を話し、
骨を持ち帰り、手厚く葬ったのです。じいさまは、娘の恩人として家に引き取
られ、幸せに暮らしたのでした。
春休みのおはなし 四月 花さかじい 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
日本民話の会・編 国土社 刊
三代目、桂三木助師匠の名人芸を思い出します。新宿の末広演芸場で聞いた時
のことですが、演じる師匠と聞く客が一体となって楽しんでいました。何とも
和やかな雰囲気で、気がねなく大声で笑ったものです。
最近、みんなで大笑いする機会が、少なくなっていないでしょうか。自己中の
人(注:自己中心的な人)は、笑い顔を見せませんね。「笑う門には福きたる」
ともいわれていますが。新宿のバーで知り合った春風亭小柳枝師匠の話を聞く
ために末広に出かけますが、若い人はあまりいませんね。人情話なんか、かっ
たるくて聞く気がしないのでしょうか。「人情」を辞書で引くと、「人として自
然にそなわっている、心の動き、特に愛情、情け、思いやり」(岩波 国語辞典)
とあります。人の情けは、楽しく生活を過ごすための潤滑油の役割を果たして
いたのですが、「プライバシーの重視」とか何とかで影が薄くなってしまいまし
た。
落語は、笑いながら学べるエスプリの塊のようなもので、すぐれた話芸は心に
沁みこむものですが、その火を消すのも今、生きている私達なんですね。三木
助師匠の左甚五郎の逸話を語る長編落語(CD約45分)「ねずみ」や「三井の大
黒」は、いつ聞いても心が和み、励まされたものでしたが……。
ところで、文中に、「霞がかかり、桜も菜の花も、今を盛りと…」とありますが、
これを読むと文部省唱歌の「朧月夜」を思い出します。「早春賦」のところでも
お話ししましたが、中学生の頃まで、この歌も、お姉さん達の歌声でなければ
「承知できない。許せない!」と、なぜか、かたくなに信じていたのです。大
好きな歌でしたが、歌うことには抵抗がありましたね。しかし、こういう風情
を味わえる時代があったことは、確かなのです。そこかしこに、自然は息吹い
ていました。
よく知られている与謝野蕪村の句に、
菜の花や 月は東に 日は西に
があります。
春の日暮れを思い描ける好きな句の一つですが、司馬遼太郎氏の随筆の中に、
この句について語るところがあります。代表作の一つである「坂の上の雲」、先
進国に追いつくために、富国強兵と駆け足で上がってみた雲は、大きな犠牲を
払った太平洋戦争で、雲散霧消してしまいました。NHKでドラマ化されまし
たが、氏は映画化されることを望んでいなかったはずですが、どうしたことで
しょうか。学校で習った「日本史」は面白くありませんでしたが、幕末から明
治時代の歴史は、氏の著書で楽しく学べます。私たち親も含めてですが、若者
に欠けているのは、歴史に対する認識ではないでしょうか。司馬遼太郎氏、永
井路子さん、澤田ふじ子さん、諸田玲子さんなどの歴史小説を読んでほしいで
すね。教科書ではわからなかったことが、たくさん書かれています。外国人と
対等な付き合いをするには、自国の文化を知らなければならないのですが……。
堤上に立てば、月は東の生駒山系にのぼり、日は西のかなたはるか一の
谷の雲間に沈む。両岸(淀川)の野は、菜の花の黄があるのみである。
(「以下、無用なことながら」(489頁)文春文庫
司馬遼太郎 著 文芸春秋社 刊)
朧月夜には、黄色が似合いますね。
話は変わりますが、松本清張氏にSF的な野心作があります。Z国から東京に向
かって誤射された、5メガトン級の核弾頭ミサイルが5個、飛んで来る恐ろし
い話。ある地下室で最後を迎えた一団が歌を歌うところがあり、老人が歌った
のは「朧月夜」。「歌いながら、男も女も涙を流していた」場面を、この歌が好
きだったせいでしょう、昭和48年発売にも関わらず、今でも覚えています。
壊滅寸前の東京のある所で、死を前にして春を思い描く清張氏の心象風景がた
まらなく好きでしたね。すぐ隣の国から、ミサイルが飛んでくる可能性のある
ことを考えると、SFの世界ではなくなりました。日本を守るのは、日本人自身
であることを、真剣に考えるべきではないかと心配しますが、若い皆さん方は、
どうお考えでしょうか。
朧月夜
作詞 高野 辰之 作曲 岡野 貞一
一 菜の花畠に 入日薄れ
見わたす山の端 霞ふかし
春風そよふく 空を見れば
夕月かかりて にほひ淡し
二 里わの火影(ほかげ)も、森の色も
田中の小路を たどる人も
蛙(かわず)のなくねも 鐘の音も
さながら霞める 朧月夜
里わ(里曲・さとみの誤読 人里の辺り)
にほひ(“におい”の旧仮名遣い)
ところで、現在、文部省は文部科学省といわれていますから、文部省唱歌も文
部科学省唱歌といわなければならないのかなと検索したところ、以下のような
回答にヒットしました。
文部省唱歌という呼称は法律や何かで規定されたものではありません。明治
時代に文部省が教科書用にした唱歌が自然発生的にそう呼ばれているので、文
部科学省とは直接に関係を持たないのです。ということで、回答としては「なり
ません」か「できません」です。
(文部省唱歌jp.ask.com/)
次は、本当に皮肉な話ですが、信仰について考えさせられます。修行中の坊さ
まと、生きものを殺す仕事をしている猟師との心眼の話です。小泉八雲も「常
識」という題で書いています。まさに常識ですが、妙な宗教にはまる若者も、
その原因を指摘する声はいろいろ聞こえてきますけれど、一つは、良識に欠け
ている隙をつかれるのではないでしょうか。
神を感じるのは心であり、理性ではない パスカル〔パンセ〕
まことに神の本質を言い当てている。理性ではない、心に祀る神を、人間は悪
用、あるいは乱用している。神の御名において、神の御心のままに、などと自
分にとって都合のよいところだけをすくい取りして、人間の声を天声に変えて
しまう。
(忘れかけていた人生の名言・名句 森村 誠一 著 P226
角川 春樹 事務所 刊)
良識は、健全な一般人が共通に持っている思慮分別のことではないでしょうか。
良識は、自己を鍛錬して身につけるものであり、共生するための掟と考えてい
ます。価値観の多様化で、当たり前のことが当たり前と考えられなくなってい
ないでしょうか。小さいときの情操教育は、思慮分別の基本を作るものと思い
ます。お手本はご両親で、作る場所は家庭であり、第三者にゆだねるものでは
ありません。
◆とうとい仏さまの正体◆ 谷 真介 著
むかし、京都の愛宕山に、名高いお坊さんがいました。お坊さんは修行中で、
小僧さんを一人置き、小さなお堂から、めったに出なかったそうです。このお
坊さんのところへ、里から一人の猟師が、食べ物を持って、よく訪ねるのでし
た。
ある年のこと、猟師が久しぶりに訪ねると、お坊さんは「近ごろ、夜になると
普賢菩薩様が、白い象に乗りお姿を現す」というのです。そこで猟師は、一夜
を山のお堂で過ごすことにしました。すると、真夜中のこと、東の山から月が
昇るような光が、お堂に差し込み、白い象に乗った菩薩様が現われたのです。
お坊さんは、一心にお経を唱えています。猟師は、おかしなことに気づきまし
た。お坊さまの目にはともかく、お経一つ読めない自分の目に、どうして菩薩
様のお姿が見えるのだろう……、このことです。猟師は、弓を矢につがえ、菩
薩の胸に向けて矢を放ちました。びっくりしたお坊さんは、大声で戒めました。
ところが、今まで明るく見えていた後光が消え、何ものかが谷底へ転げ落ちる
音がしたのです。猟師は、真の仏様なら矢が刺さるわけがないといいました。
夜の明けるのを待って、谷底を調べに行くと、大きな古狸が一匹、胸を射られ
て、仰向けに転がっていたのでした。
日づけのある話 365日
四月のむかしばなし 谷 真介 編・著 金の星社 刊
世界的なベストセラーとなった「ダ・ヴィンチ・コード」(「最後の晩餐」の斬
新な解説には脱帽!)に、信仰について以下のような話があります。
「世界中すべての信仰は虚構に基づいているんだよ。信仰ということばの定義
は、真実だと想像しつつも立証できない物事を受け入れることだ。古代エジプ
トから現代の日曜学校にいたるどんな宗教も、象徴や寓話や誇張による神を描
いている。象徴は、表しにくい概念を表現するひとつの方法だ。それを丸呑み
しないかぎり、さほど問題を生じない。(中略)信仰を真に理解する者は、その
種の挿話が比喩にすぎないと承知しているはずだ」
(「ダ・ヴィンチ・コード」(下)P57-58
ダン・ブラン 著 越前敏弥 訳 角川書店 刊)
「信者には神聖なことかもしれないが、信者でない者には、おかしな話になる
ものだよ」と明治生まれの親父はよくいっていましたね。しかし親父は、「天皇
陛下様は神聖にしておかすべからず」が口癖でしたから、説得力に欠けていま
したが、言わんとすることは理解でき、若い頃、宗教にはまることはありませ
んでした。
東日本大震災が起きたとき、小泉八雲の作品で江戸時代にあった津波の話を思
い出したのですが、資料がなく残念に思っていたところ、月刊誌で見つけまし
たので紹介しましょう。
大震災後、64年ぶりに小学校の教科書に復活しました。
高台の田んぼにいた庄屋(村落の長)五兵衛は、強い地の揺れを感じた。眼下の
村では、人々が祭りの準備に忙しかった。そこから、もう少し遠くに眼をやる
と―海がどんどん後退し干潟になってきている。これは―伝え聞いた「あれ」で
はないか。五兵衛は立ちすくんだ。すぐ避難させねば―しかし下りていって説
明する暇などない。彼は火打石を取り出し、とりいれたばかりの稲の束に火を
つけた。燃え上がった束で次々に火をつけてまわった。村人が炎と煙に気づき、
何をしている、やっと収穫した稲に火をつけてまわるとは―と、いっせいに駆
け上がってきた。村の男女・子供までが燃え上がる稲むらの前の五兵衛を取り
囲み非難しようとした。その時、彼は人々の背後を指さした。眼にする限りの
海が白い巨大な壁になって村に襲いかかってきた―。
これは、戦前の小学校・国語教科書に載っていた「稲むらの火」の「あらすじ」
で、原作は
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の作品。安政年間、紀伊・和歌山を襲った大
地震・津波
での実話を伝えたものです。
「稲むらの火」挿話の教訓 諏訪 澄 著
WiLL 5月緊急特大号 P42 ワック株式会社 刊
主人公、五兵衛のモデルは、醤油醸造業(現・ヤマサ醤油)の家督を継いだ浜
口五陵。震災後故郷の紀州広村に千五百両の私財を投じ、高さ5メートル、長
さ600メートルの堤防を築き、村民の離散を防ぐ。感謝を込め「浜口大明神」
を祀ろうとすると、「神にも仏にもなるつもりはない」と叱りつけて辞退。4メ
ートルの津波が襲った1946年の昭和南海地震では堤防により、流失家屋は
2軒だけ。国指定史跡となった「広村堤防」は、大きく育った樹木に覆われ、
自然の中に溶け込んでいる。(インターネットで「広村堤防」を見ることができ
ます)
東京新聞“筆洗”に出ていたコラムの要約ですが、自然と共生するには「想定外
はない」ことを真摯に受け止め、「広村堤防」のように住んでいる人々の生活を
考え、大胆に計画、構築できないものでしょうか。
国民の安全と教育は行政の要であり、長期的な視野に立った計画でなければで
きません。
8年たった今現在、原発事故の収束はおろか、住む町に帰れない人々がいるこ
とを、私達は忘れようとしているのではないでしょうか。
「何かできることはないか」などと力んでみても、できないのが現実ですから、
せめて節電を心がけ、原発だけに依存しない生活を営み、次世代の人々にバト
ンタッチをしたいものですが、これだけ電気に依存する便利な生活に慣れてし
まうと、こんな考えは絵空事で、説得力などありませんね。「その国の発電量は
文化のバロメーター」、誰の言葉か思い出せないのですが、これは確かではない
でしょうか。
最後は、むかし話ではおなじみの動物の恩返しです。動物でさえ恩を返すのに、
人間は、あだで返す話をよく聞きます。「動物でさえ」などといったら、動物た
ちから抗議文が来るかもしれません。「動物は」に訂正しておきましょう。
春に来て子を育て秋に南の国へ帰り、そして生まれた所へ帰り子育てをする、
不思議な習性を持つツバメ。近くの関越高速道路の陸橋の下に、よく巣をかけ
ていたツバメが、ここ数年、全く姿を現さなくなりました。
また、ここ2、3年のことですが、10月頃になると日暮近くにスズメやムク
ドリの大群が、ねぐらを求めて東上線川越駅前の街路樹に群がっていました。
およそ300羽もいるでしょうか、その騒々しいこと。アルフレッド・ヒッチ
コックの名作「鳥」ではありませんが、小さなスズメやムクドリでも、あれだけ
数がそろうと怖いですね。もっとも、糞害ですが(笑)。ところが、平成25年
に駅前の街路樹は、新しい駅前広場に改築されるため伐採され一本もなくなり、
帰ってきた鳥たちは、電信柱や近くのビルの屋上で羽を休めていましたが、昨
年の秋は、ほとんど姿を見せませんでした。引っ越し先を見つけたのでしょう
か。人間にとって快適な環境でも、残念ながら恩恵を受けない生き物が、たく
さんいるということですね。ツバメも同じではないでしょうか。「地球にやさし
く」と自然環境を守る運動に参加を呼びかけられた時、「人間の存在自体が自然
環境の破壊になっているのに」などと、したり顔で言っていた自分を思い出し
ました。年は取ってもいささかも貢献していませんね、「地球にやさしく」に(笑)。
◆つばめの恩返し◆ 高津 美保子 著
ある日のこと、一人暮らしのじいさんが、飯を食べて縁側で休んでいたところ、
一羽のつばめが、けがをして落ちてきました。薬をつけて包帯し、介抱したと
ころ元気になり、南の国へ帰っていったのです。
次の年、一羽のつばめがやってきて、庭にいたおじいさんの頭の上に、真っ黒
な大きな粒を一つ、落としていきました。ふんかと思ったらすいかの種です。
育ててみると、とても大きなすいかになりました。食べようと包丁を入れたと
ころ、種が飛び出したかと思うと、小さな大工どんや木びきどんとなり、十日
もすると立派な家を作り上げたのです。それだけではなく、どこからか米の俵
や味噌桶、醤油樽などを、次々と担いできて、部屋をいっぱいにし、「なくなれ
ば、また来ます」と、どこへともなく姿を消してしまったのです。それからと
言うもの、おじいさんは、何不自由なく暮らしたのでした。
※木びきどん(木をのこぎりでひき木材にする人)
四月のおはなし あたまにさくら 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
日本民話の会・編 国土社 刊
小さな命を大切にする昔話は、情操教育に欠かせないもので、幼い心に、こう
いった刺激を、たくさん与えてあげたいものです。
ところで、「深谷ねぎ」で知られる埼玉県深谷市のあるお宅に、どうしたことか
雀が舞い込み、家族の一員として過ごしていると埼玉新聞に出ていました。人
懐っこい雀で「ピーちゃん」と呼ばれ近所でも評判とか。事の起こりは、奥さ
んが近所の十字路で小学生の交通指導をしていた時に肩に止まり、「人懐っこい
スズメだこと」と感心していたのですが、奥さんが家に帰るとついてきて、追
っても、追っても家に入ってき、そのまま住み着いてしまったそうです。ご主
人の手に乗り餌を食べている写真も出ていました。「舌切り雀」のような話でほ
ほ笑ましくなりましたが、ツバメといいスズメといい、あの小さな体のちっこ
い脳に、どのような働きがあるのか、不思議ですね。
名物「深谷のねぎ」、これがねぎかと信じがたいほど甘みがあり、生でガリガリ
とかじって食べられるのにはびっくりしました。焼くと甘みが増し、ねぎのイ
メージが変わったことを覚えています。親父はこれを肴に、焼酎をストレート
でグビリと飲んでいましたが、嫌いではない私も、この真似はできません(笑)。
余談ですが、イチローが国民栄誉賞を辞退しましたが、彼らしくていいではな
いですか。「与え過ぎ、廃止しろ!」といった意見もありましたが、王さん以下、
受賞者の栄誉はどうなるのだろうか。並の才能と努力だけではとてもできない
ことをやり遂げた人たちです。失礼ではありませんか!
(次回は、「第7章(1) 端午の節句です 皐月」についてお話しましょう)