めぇでるコラム
さわやかお受験のススメ<保護者編>第6章(3)入園、入学を迎えたお母さん方へ
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「めぇでる教育研究所」発行
2017さわやかお受験のススメ<保護者編>
~紀元じぃの子育て春秋~
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第22号-
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第6章(3)入園、入学を迎えたお母さん方へ
4月は、これを抜きに考えられません。
環境が変わるのは、大変なことです。幼稚園や保育園は、ご両親にとっても、
第三者に教育を委ねる初めての場所です。子ども達は、親のもとを離れて初め
て生活する場所であり、ご両親に十分に保護されていた環境から巣立つわけで
す。
スタートが、肝心ではなかったでしょうか。
子ども達も、新しい環境になじもうと一所懸命に努力します。毎日、楽しいこ
とばかりが続くわけではなく、いやなこともあります。それでも、幼稚園へ行
こうとするのは、新しい環境には、家にはない魅力や新鮮な刺激があるからで
す。先生方も幼稚園は楽しい所だと、精いっぱいの努力をします。見ていると
涙ぐましいほどです。
しかし、変なお母さんがいるようですね。
「お母さん、ぼく、幼稚園へ、行きたくない!」
そのわけも聞かずに、瞬間湯沸器になって、幼稚園へ怒鳴りこむ「過保護・溺
愛・自己中心」の三つを備えたKYJT(空気読めない自己中)ママです。
「悪いのは友達、きちんと指導のできない先生!」
というそうです。多くの場合、お母さんと子どもに原因があるのですが、恥ず
かしげもなく、こういう行動を起こすお母さんですから、お母さんも子どもも、
そのことがわかりません。かわいそうなのは、子どもです。いつまでたっても、
お母さんから逃れられませんから。
幼稚園は、お母さんのもとを離れても楽しいことがたくさんあることを実地体
験する場所です。自立心を培って、小学校の集団生活に適応できる力をつける
所ですから、お母さん方も子ども中心の育児から卒業し、客観的にわが子を見
る機会と考えましょう。
過剰な愛情を注いでもいいのは、3歳までです。
3歳を過ぎると自立が始まりますから、「手を出さない、口をはさまない育児」
に徹すべきです。極端にいえば、3歳を過ぎても子どものやっていることを見
て、手を貸したくなるようでは、もう十分に過保護ですし、口を出したくなる
ようでしたら過干渉です。
一人っ子では、この加減がわからなくなりがちですが、きょうだい二人の下の
子を見るとわかります。上の子にないところを持っていることが、往々にして
あるものです。最初の育児は、何事につけても慎重になりがちですが、二番目
の子は経験済みですから手を抜きます。その分、子ども自身が自力でやらねば
なりませんから、それだけ試行錯誤を積み重ね、苦労しているわけでから、た
くましくなります。「一姫、二太郎」とは、「子を産み育てるには、最初は女
の子、二番目は男の子が育てやすくてよい」ということですが、それ以外にも
こういった意味があるのです。
男の子は、適度な試行錯誤を過ごせる環境でなければ、たくましく成長しませ
ん。進学教室でも、女の子はかなり積極的に自信を持って取り組んでいました
が、男の子は自信がないのか、なかなか手を出さない子がいたものでした。一
般に、女の子は成長が速いので、あまり手がかからないものですが、男の子は
少し遅いですから、男の子を育てているお母さん方、過保護にならないよう注
意しましょう。お母さん方は、とかく男の子に甘いところがあるからです。も
っともお父さん方は、女の子に甘くなりがちですから、お互いに客観的に子育
てを見直すことも大切ではないでしょうか。
ところで、平成4年度から施行された「幼稚園教育要領」によると、保育の方
針は、従来の「一斉保育から自由保育」となり、「一人ひとりの個性を伸ばし
ていく保育」に変わっています。これを誤解するお母さん方がいるようですね。
自由保育といっても、勝手気まま、何でもありの自由奔放な保育ではありませ
ん。みんなで一斉に、同じことを強制的にやるのは止めて、自発的に活動でき
るように導く保育という意味です。
例えば、知識や理解力を培うにも、自分自身で考え、工夫する機会や経験を、
たくさん持たせ、自分勝手な考え方ではなく、客観的なものの見方や考え方を、
身につけるように指導することです。もっと大胆にいえば、「他律」ではなく
「自律」の保育です。ですから、過保護や過干渉な育児をやっていては、自律
できない、わがままで、甘えん坊の弱虫な子になりがちです。
幼稚園へ行かせるのは、親の子離れ、子どもの親離れの実地訓練期間と考える
べきだと思います。子離れできない育児は、運転免許取得でいうと、まだ仮免
前の段階です。幼児期の過保護、過干渉の育児が、中学生の頃になると、幼児
期に体験していなかったことから生じるギャップに対応できず、家に引きこも
ったり、非行に走ったりするのではないかと思えてなりません。育児しながら
「育自」するお母さんになってください。
しばらくの間、慣れるまで、子ども達もくたくたに疲れて帰って来るでしょう。
しっかりと、やさしく抱きしめて、勇気を与えてあげましょう。また、送迎を
義務付けられている幼稚園の場合は、お母さん方も体調を崩さないように気を
つけてください。
小学校も同じです。
新学期が始まると、もう勉強を気にするお母さんが増えているようで、子ども
達が新しい環境に慣れるのに、どのくらい神経を使っているか、わからないお
母さん方がいると聞きます。特に、国立附属や私立の小学校へ通う子ども達は、
電車やバスを使い、1時間前後の時間をかけて通学するはずですから、慣れる
まで大変です。朝のラッシュ時に、ランドセルを背負い電車に乗り込む子ども
達を見ると、「頑張れ!」と声をかけたくなります。
何といっても、狭き門をくぐり抜けてきた幼き戦士ですから。新しい環境に慣
れるまで、勉強のことは忘れましょう。
今年受験予定の皆さん方は、東日本大震災以降、通学経路、所要時間も、学校
選択の大切なポイントにもなっていることもお忘れなく。
極端な話ですが、学校から帰ってくるなり、
「宿題はないの!」
「テストは、どうだったの?」
「予習しなくて、いいの!」
「4時から塾です。遊びに行ってはいけません!」
こんなことばかりいわれて、勉強好きな子になれるでしょうか。これでは、命
令、統制、禁止、管理の育児で、勉強もこの姿勢でされてはたまりませんね。
まだ、危険なことをしますから、監視の目は必要ですが、自分で考え、行動し、
やったことには責任を持たせる「自立させる育児」に切り替えるべきです。
勉強も同じです。
勉強は、本人がその気にならなければ、辛いものです。皆さん方も経験ありま
せんか、あったとすればなおさらのことでしょう。難しい話ではありますが、
「勉強は自分のためにすること」を、一学年でも早く自覚できる環境を作って
あげるべきではないでしょうか。
学校生活の様子を知る一つの目安として、先生からの連絡事項を、きちんと報
告できているかどうかがあります。できていれば、先生の話を聞いている証拠
ですから、とりあえず心配ありません。学習に取り組む姿勢も確実に身につい
ていきます。
そして、背を伸ばし、左手でノートを押さえ、きちんと筆記用具を持ち、筆順
に従った字を書いているか注意しましょう。知識を詰め込むより、姿勢を正し
て、きれいな字を書ける方が大切です。「形は心を作り、心は形を整える」は、
明治生まれの親父の口癖でしたが、一理あると思います。
しかし、小学校生活も、楽しいことばかりではないでしょう。いじめもありま
すし、けんかもするでしょう。先生に怒られることもありますし、勉強もわか
らなくなることもあるかもしれません。
「何で、ぼくだけ、こうなんだろ!」
と落ち込む時もあります。
しかし、翌日、子ども達が元気に学校へ行くのは、家に帰ればやさしいお母さ
ん方がいるからではありませんか。家庭でリフレッシュできるからこそ、明日
に希望をもてるのです。
低学年時代は、お母さん方が頼りですから、温かい雰囲気のある家庭を作って
あげましょう。大人はストレスを解消できるすべを心得ていますが、子ども達
にはないからです。
小学校低学年時代は、勉強はできても利己主義より、勉強はほどほどであって
も、友達と仲良くできる子の方がいいと考えるのは、私が昭和15年生まれだ
からでしょうか。
もちろん、勉強も大切ですが、お子さんが、この時期に体験しなければならな
いことが、たくさんがあるはずです。桜の花ではありませんが、魅力がなけれ
ば、友も寄って来ません。今、大切に育てたいのは、相手を思いやる心、共に
生きる共生の心である徳育であり、いろいろなことを体験していくために必要
な体育であり、豊かな情操を養うための知育、そして挑戦する意欲だと思いま
す。「知育・徳育・体育」ではなく、今は、「徳育・体育・知育」と順番を入
れ替えるべきではないかと考えます。知育だけが優先される子育ては不自然で、
いつか壊れる不安が伴うのではないでしょうか。
幼児期は、三つの能力をバランスよく育てることが大切です。
かつて、聖心女子学院初等科の学校説明会で、本校の求める子ども像は、「心
身ともに強くて、心のやさしい子」だとおっしゃっていましたが、そのために
は、「心身ともに強く、心のやさしい親」であるべきだといいたかったのでは
ないでしょうか。昔からいうではありませんか「子は親の背を見て育つ」と、
これこそ育児の鉄則です。
そして、忘れてならないのは、お父さん、お母さんは、お子さんが何人いても、
お子さんにとっては、たった一人のお父さんであり、お母さんであることです。
私事でなんですが、嫁ぐ娘から、「お父さんは、生まれたときから私のただ一
人のお父さんでした」といわれ、少なからず狼狽したことを覚えています。子
どもは、間違いなく「お父さん、お母さん」として評価しています。
これからの毎日は、お子さんの記憶の中にきちんと刻み込まれていきます。
「三つ子の魂百まで」といいますが、私は小学校の低学年時代に、生きる姿勢
の基本的な枠組み、形が出来上がるのではないかと考えています。そのお手本
が、ご両親であることを肝に銘じておきましょう。2014(平成26)年度
中の全国、小学生、中学生の不登校児童生徒は、12万2650人(前年11
万9617人)【2015年12月25日、文部科学省「学校基本調査」より】。
無責任な言い方で恐縮ですが、その原因は、ご両親の育児の姿勢にもあると思
います。
仕事柄、「育児で、もっとも大切にしたことは何ですか」と尋ねられることも
ありますが、「両親からやってもらったことで、うれしかったことはどんどん
実行し、いやだったことはやらないようにしました」と答えています。自分が
いやだったことは、子どもだっていやなはずです。
種を明かせば、論語の「己の欲せざるところは、人に施すことなかれ」の受け売
りです(笑)。反対句は、「己の欲するところを人に施せ」(新約聖書・マタ
イによる福音)ですね。孔子の仁(思いやり)、キリストの愛、どちらでもい
いのですが、こういったことへの配慮でいいのではないでしょうか。
最近、ひょんなことから、理想的な親子関係を表しているではないかと思える
歌を見つけました。といっても、例によって「わたし流」の解釈ですが。
映るとも 月も思わず 映すとも 水も思わぬ 猿沢の池
興福寺の五重塔にかかる月を映す猿沢の池、古都を表す一幅の絵として親しま
れていますが、この歌から教えられるのは、育児は結局のところ、「親はよい
手本をみせ、子は意識することなく見習う」にあるのではないでしょうか。剣
豪、塚原ト伝、柳生新陰流の開祖、石舟斎の作ともいわれているそうですが、
およそ「剣の道」とは縁のない私ですから、とんでもない思い込みで、その道
の方々から嘲笑されるかもしれません(笑)。
ところで、ぴかぴかの一年生と聞けば、頭に浮かぶのはランドセルでしょう。
このランドセルを日本で最初に使った人は伊藤博文で、大正天皇が学習院に入
学されたときに献上したのです。その後、学習院御用達となり、それが全国に
普及しました。ランドセルは、オランダ語の「ランセル」がなまったもので、
ランセルとは、兵隊さんが背負っている「背嚢(はいのう)」のことです。つ
まり、軍国主義の時代に、軍人を尊敬してあこがれていた子ども達の心に合わ
せて、通学用かばんとして考案されたものなのです。
(頭にやさしい雑学読本 3 竹内 均 編 三笠書房 刊 P290)
(次回は、「4月に読んであげたい本」についてお話しましょう)