めぇでるコラム

さわやかお受験のススメ<保護者編>何といっても正月ですね 睦月

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2017さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第11号-
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第3章(2)何といってもお正月ですね  睦月
 
降りましたね。川越は初雪で15cm程積りました。「今年の天気予報は当た
らないから」とプランターを入れ忘れ、ビオラやパンジーなどが雪に埋もれて
しまいました。花は動けないだけに、きちんと面倒を見てあげなければ、花を
愛でる資格なしですね。(反省)
 
今年で31回を迎えた「東京私立小学校児童作品展」は、1月27日(水)か
ら2月1日(月)まで、銀座の松屋で開催されます。毎年、意欲的な作品が展
示され興味が尽きませんが、昨年の学習院初等科の「12の月の物語」は、全
校生800余名が参加した力作で、見ごたえがありました。拙著の歳時記と同
じ各月の特長、1月「雪だるま」・2月「鬼」・3月「お雛さま」・4月「桜」
・5月「鯉のぼり」・6月「雨傘」・7月「星座」・8月「花火」・9月「う
さぎ」・10月「ハロウイーン」・11月「酉の市」・12月「サンタクロー
ス」をテーマに、現代っ子の感性が伺えた楽しい集合作品で、30分ばかり見
とれてしまいました(笑)。学習院初等科のホームページを開き「初等科のニ
ュース」の「最近の記事」をクリックすると作品の一部を見ることができます。
 
◇お節料理◇
お雑煮を食べながらいただくのがお節料理です。木製できれいな絵や模様で飾
られ、二重から五重に積み重ね最上段にふたのある重箱にいろいろな料理を詰
めます。お節料理は、元旦の朝に神様と一緒にお祝いをして、家族が健康で良
いことがたくさんあるように、お祈りをするための食事ですから、縁起ものし
か選ばれません。
 
「三つ肴」または「祝い肴」といって、この三種でお節料理を代表するものが
ある。三は完全を意味し、全体を一つにまとめる働きをしている。三つ肴とは、
関東では黒豆、数の子、五万米(ごまめ)をいい、関西では、黒豆、数の子、敲
き牛蒡(たたきごぼう)をいう。
(年中行事を『科学』する 永田 久 著 日本経済社 刊 P9)
 
黒は魔除けの色といわれ悪魔が嫌う色、豆は「まめに生きる」、真面目に健康
に生きる願いが、数の子は、鰊(にしん)の卵巣で、数万の卵があることから
「数多い子」、子孫繁栄の意味で縁起がよいといわれ、「春告魚」とも書き
「春よ、早く来い!」と願い、ごまめは「五万米」とも書くことで豊作を、牛
蒡(ごぼう)は、お米がたくさん取れた時に飛んでくるといわれる黒い瑞鳥を
表したものです。
この三つは、必ず食べたそうで、私は、きんとん、だて巻き、かまぼこ、海老
や鯛、八つ頭(里芋の一種)こんにゃくなどを食べていました。きんとんは
「金団」と書いて「金の塊」のこと、だて巻の「伊達」は「粋で美しい様」、
かまぼこの赤は黒と同様に「魔よけ」、白は「清浄」を表し、八つ頭は「人の
頭に立つ人になってほしいことを願っている」といったように、お節料理は縁
起を担いだ食べ物からできています。
 
正式なお節料理は、四段重ねです。上から一の重、二の重といい、一の重には
三つの肴、黒豆、数の子、ごまめ、二の重は「口取り」といい金団、ゆず玉、
だて巻などオードブルが、三の重は海老や鮑、鯛などの「海の幸」を、四の重
は「与の重」といい、八つ頭、はす、くわい、里芋などの「山の幸」を入れ、
詰める品数は奇数がよいとされ、ここまでこだわります。  
料理の中心は煮物ですが、素材をそのまま煮炊きできませんから、下ごしらに
手間がかかり、味付けで素材の持ち味が決まる料理ですから、暮の台所はまさ
に戦場で、今のようにお節を買って済ませる時代ではなく、全部自前でこしら
えていましたから大変な騒ぎであったことを覚えています。お節料理は、三が
日の間、お母さん方から料理する手間を開放してあげる配慮があったと聞きま
したが、その通りではなかったでしょうか。
 
ところで、祝いの膳に欠かせない尾頭付きの鯛ですが、徒然草では鯉が「やん
ごとなき魚なり」と紹介されています。世界の四大聖人の一人、孔子の子息の
名前は「鯉」といいますが、王様からお祝いに鯉を頂いたことから命名された
そうで、当時、中国での魚の王様は鯉でした。ところが、江戸時代になると鯛
が祝い膳のトップに躍進し、今に至ってもその座を他の魚に許していません。
「めでたい」の語呂だけではなく、姿、形がよく、色鮮やかで、生でも焼いて
も汁にしてもうまい、これでしょうね。しかし、親父は「鯛はいつでも食べら
れるから旬がなく、その分、損しとるのや」と言っていましたが、今では鰹や
秋刀魚も、いつでも食卓に上がります。食生活は豊かになりましたが、そのた
めに失ったものもたくさんあります。季節感が希薄になったのも、その一つで
しょう。魚に限らず旬のものは、その時にしっかりと食べ、季節感を味わいま
しょう。
 
◇屠 蘇◇
読み方からしてやっかいですが、「とそ」といって、山椒、肉桂(にっけい)、
桔梗(ききょう)、ぼうふうなどの薬草を、砕いて調合した屠蘇散をひたした
味醂のことで、これが正月のセレモニーの主役でした。これを杯に注いで、
「おめでとうございます」と父がいわないことには、新年の朝祝いは始まりま
せん。これは、不老長寿の効き目があるといわれ、正月の祝い酒でした。山椒
はうなぎを食べるときに使うものですし、肉桂はにっきのことで刺激が強く、
桔梗は根を干したものはせき止めの薬で、ぼうふうはセリの仲間です。聞いた
だけで、飲むのを遠慮したくなりませんか。親父からちょっとなめさせてもら
いましたが、大人は、なぜ、こんなまずいものを飲みたがるのか不思議な気が
しました。 
 
しかし、何事も訳ありです。
屠蘇は、「鬼気を屠絶し、人魂を蘇生させる」という意味があり、「その年の
邪気を払い、寿命をのばす働きがある」と信じられ、正月には欠かせない祝い
酒でもあったのです。屠蘇で乾杯して大人はお酒です。子どもはお節料理を食
べながら、お雑煮をいただきますが、両親とも着物です。母は着物の上に、袖
付きの前掛けというのでしょうか、割烹着をつけていました。親父は立派に見
え、母はきれいだと思ったものです。そして、なぜか子どもたちも新しい服を
着せられていました。新しい年神様を、誠心誠意でお迎えした雰囲気がありま
したね。
 
当時は、4本足の座卓、ちゃぶ台で、正座をして食事をしていました。姿勢が
崩れると父が、恐い顔してにらみますから、おかしないい方ですが、真剣に、
真面目に食べていました。ですから、姿勢もよくなり、マナーも身についたも
のです。現代っ子は、姿勢の悪い子もいますし、妙なはしの持ち方の子もいま
す。ご飯をぼろぼろとこぼしても平気な子もいます。食事中は、テレビを消し
ましょう。4、5歳の子には、「食べながら見る」といった二つの作業をこな
すのは難しいものです。私の子ども時代と最も違ったのは食事ではないでしょ
うか。テレビはありませんから、食事は人が中心で、一家団欒の一時であり、
家族の会話があったような気がします。しかし、椅子とテーブルになって、子
どもたちの足が長くなり、スタイルもよくなりましたが、子どもに教えるべき
生活習慣やしつけの面で失ったものも、数々あります……。昔から守られてき
たよき習慣、礼儀作法などが姿を消してしまったのも、私達親が選択したので
あり、子ども達の責任ではありません。「現代っ子は……」という前に、反省
すべきは、そういう環境を作ってきた私達、大人達であることを、肝に銘じて
おきたいものです。
 
そして、年の順にお年玉を貰いますが、これが楽しみでした。でも、わずかで
したね。
現代っ子は、銀行に預けるほど貰えるようですが、これは不労所得です。汗水
を流さずに、お金をたくさんもらうのは、決してよいことではありません。子
ども時代にこそ、「分相応の精神」をしっかりと理解させるべきではないでし
ょうか。
 
★★初詣★★
朝祝いが済むと、近所の氏神さまへお参りをします。全国的に有名な神社、仏
閣に参拝しているようですが、生まれた土地の神さま、産土(うぶすな)神社
へ、神さまに失礼にならない服装に着替え、出かけるべきではないでしょうか。
そして、お子さんにも神前で、静かに頭を下げ、新年の希望や誓いなどをさせ
ましょう。目に見えない大いなる存在に畏怖を抱くのは、決して悪いことでは
ありません。親が、きちんと礼拝をする姿を見せれば、それで十分なのです。
 
我々日本人は畏怖することを忘れ、目に見えないものを敬うことを忘れ始めた
ような気がしてなりません。(「平成お徒歩日記」 宮部 みゆき 著
 新潮社 刊 P193)
 
神戸で起きた小学生殺人事件の容疑者が逮捕されたときの作者の言葉ですが、
忘れられない一言となっています。今でも「透明な存在である自分」なのか聞
いてみたい。昨年発売された「絶歌」、元少年A(33歳)は、100万部売れ
ると豪語したとか。それにしても、いつまで元少年Aで過ごすのか。(憤怒)
 
帰りには、不幸をもたらす悪魔を払う「破魔矢」や、七転び八起きを願う「だ
るま」などの縁起物を買い、そのいわれを話してあげ部屋に飾っておきましょ
う。子どもなりに夢を育てるものです。
 
また、「初日の出」を拝む習慣がありますが、普段でも海上から昇る朝日や夕
焼けの山間に沈む夕日には、何ともいえぬ感動を覚えるものです。ましてや、
その年の初日の出となると感慨もひとしおでしょう。では、「日本でいちばん
最初に初日の出を拝めるのはどこか」ですが、国土全体では日本の最東端にあ
たる南鳥島、島を除けば富士山頂で、平地では犬吠崎です。しかし、南鳥島は
一般の人は立ち入り禁止で、そこにいる防衛庁と気象庁の職員しか拝めません
し、富士山頂は氷点下何十度という所ですから、誰でもは無理ということで、
正解は小笠原諸島の乳房山で、何と1月1日が海開きに当たり海水浴も楽しめ
るそうです。
 
ところで、ジャズのスタンダード・ナンバーに
「The world is waiting for the sunrise」(世界は日の出を待っている)
があります。アメリカ人に「太陽遥拝」の信仰があるのではなく、第一次世界
大戦後の不況から脱出したい願いをこめて作られた曲です。ジャズの演奏スタ
イルは時代と共に変わりましたが、大雑把に分けるとデキシーランド、スイン
グ、モダンの3つがあり、デキシーランドには、ニューオーリンズ派とシカゴ
派があります。ニューオーリンズ派の名クラリネット奏者、ジョージ・ルイス
の率いるバンドが、オハイオ州立大学で行ったコンサートの中に、この曲の名
演奏が入っています。バンジョーの名手、ローレンス・マレロが、正確無比な
ビートで最高にスイングするソロを聴かせてくれます。沈んだ夕日が昇ってく
るのではと思うほどアグレッシブな演奏で、モノラルで音はよくありませんが、
いつ聴いても感動を新たにさせてくれる、ご機嫌な演奏です。私の正月は、こ
れを聴くことから始まります。
ジョージ・ルイスの素晴らしい音色を絶賛したのは、前衛ジャズの大御所、サ
ックス奏者のジョン・コルトレーンでした。ルイスの作曲した
“Burgundy Street Blues”(バーガンディ・ストリート・ブルース)
ではなかったでしょうか。音楽に新しい古いはないと思います、自前の感性に
訴えるものがあれば、いいのですから。私はドラムを少しやっていますが、学
生時代、ある黒人のドラム奏者に、「なぜ、そんなにスイングできるのですか」
とあほみたいな質問をしたところ、「なぜ、あなた方は、フォークソング
(民謡)をあんなにうまく歌え、踊れるのか」と言われ、ジャズのリズム(4
ビート 若い皆さんが乗れるリズムは8ビート)に抱いていた劣等感を拭い去
ることができたような気がしました。それぞれの民族は、長い時空を経て培わ
れたリズム感があるということです。それから、下手の横好きですが、私流の
リズムを刻むことを覚えました。
ジョージ・ルイス(George Lewis)の演奏はYouTubeで視聴できます。
“Burgundy Street Blues”は、黒人独特の哀愁を奏でた名演で、いつ聴いて
も涙ぐんでしまいますね(笑)。
 
平成19年の暮れ、体力の限界を感じバンドを解散しました。何と47年間も
やっていた、とてつもない道楽でしたが、演奏の醍醐味を忘れることができず、
また23年から始めてしまい、24年11月の「新宿ジャズ祭り」で、普段は
プロしか演奏しないライブハウス、ピットインでトリを取ってしまいました (笑) 。
 再びトリを目指して頑張る予定でしたが、25年9月にバンドリーダーの丸山
が亡くなり実現しませんでした。彼とは53年来の付き合いで、彼がいたからジ
ャズの醍醐味を味わえたと感謝しています。26年5月に、演奏会の度に香港か
ら駆けつけてくれたバンジョーの名手、菅原さんが、ご自分のバンドを率いて
「春の新宿ジャズ祭り」に来日した折、ドラムの方が参加できず、ピンチヒッタ
ーでお手伝いさせてもらいました。かなりのテクニシャンである外人の方が3名
いて、緊張している私に、「ジャズは自分で楽しむものだよ!」とまたしても教
えられ、楽しいひと時を過ごせました。しかも、これは偶然だったのですが、会
場も、時間も、丸山と最後の演奏となった時と全く同じで、追悼演奏ができたと
感無量でした。冥界入りして2年、あちこち痛みの出てきた私ですが、夢に出て
くる彼は、全く年をとっていないので、うらやましくなりますね(笑)。
 
★★正月の遊び★★
たこ上げ、羽根つき、カルタにすご六、福笑いが、正月の遊びの定番でした。今
の子どもは、やらないでしょう。テレビゲームやDSのようなポータブルゲーム
等、一人で遊べるゲームに人気があります。これが問題ではないでしょうか。小
学校時代に友達と遊ぶことの楽しさを覚えないと、社会性は育ちません。社会性
が育たないと、共に生きる共生の心も育まれません。人は一人では生きられない
ことを、もっと教える必要があります。個性を育てるのとわがままを助長するの
は、紙一重の差です。我慢をすることのできない子が増えています。「訓練され
ていない個性は野性である」と国府台女子学院の平田学院長はおっしゃっていま
すが、勘違いすると後で困るのは、お子さん自身であることを真剣に考えましょ
う。
 
ところで、昔の遊びの中にもいいものもあります。例えば、すご六です。サイコ
ロを振り、出た目だけ動かなければなりません。しかも前後左右に進んだり戻っ
たりしますから、混乱しがちです。5、6歳の子にとって、出た数だけ上下、左
右に移動するのは難しいものです。いわゆる「位置の確認」で、こういう遊びで
覚えるのが効果的なのですが……。
 
このサイコロですが、2つ使うと最高12までの足し算ができます。二人で1個
ずつ振り、数の大きさで勝ち負けを競えば、引き算になります。数字を使いませ
んが、出た目を数えるだけで、簡単に答えが出ます。その上をいく優れ物が、ト
ランプです。ゲームは勝敗が伴いますから、真剣に遊びます。カードにはマーク
と数字がありますから、算数の学習、数感の学習になっています。
 
トランプの絵札は、11はJ、12はQ、13はKとアルファベットで表されて
います。
Kはキングで王様、Qはクイーンで女王様ですが、Jは何を表しているかご存じ
ですか。
Jは「ジャック」という人名の頭文字からとったもので、イギリスでは、ごくあ
りふれた名前の代名詞として使われ、日本でいえば「太郎」にあたり、よく耳に
する名前を付けることで、名もない一兵士を象徴させているのです。4つのマー
クは、ハートは僧侶、スペードは軍人、ダイヤは商人、クラブは農民と身分階級
を表していますが、何事も訳ありなのですね。ところで、中学生になり英語を習
ったときの教材は「JACK AND BETTY」でしたが、べティは「花子」
にあたるのでしょうか(笑)。
 
★★春の七草★★   
言葉だけが、一人歩きしているようです。
七草は、せり、なずな、御形(ごぎょう 母子草)、はこべら(はこべ)、仏の
座(たびら子の別称)、すずな(かぶ あおな)、すずしろ(大根 鏡草)のこ
とです。昔は、春を告げる七草を親子で摘み、お節料理やお餅を食べすぎて、お
腹の調子が少し悪くなった時に、消化のよいお粥に七草を入れて食べ、春を実感
していたのでしょう。ちなみに、セリは解毒・食欲増進・神経痛・リュウマチに、
なずなは高血圧・貧血・食欲増進に、御形は咳止め・痰切り・利尿作用に、はこ
べらは歯槽膿漏・催乳・健胃整腸に、仏の座は体質改善に、すずな、すずしろは
骨粗鬆症・腸内環境改善に良いという説があるそうです。
(三島函南農業協同組合「七草がゆセット」のしおり より)
 
この七草に関して、覚えやすい歌があります。
  せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、
すずな、すずしろ、これぞ七草      左大臣 四辻 善成(平安時代)
 
最後に、おもしろい話を紹介しましょう。間違って使われる言葉に「千六本」が
ありますが、永田先生でなくても笑えますね。
 
大根は、野菜の王様で消化によく、食べあたりしない。大根役者とは、当たらな
い役者のことである。「千六本」というのは、大根を細長く刻んだものであるが、
大根を中国では「繊蘿蔔」といい、これを唐宋音でローポと発音した。細長く刻
んだ大根=繊蘿蔔(センローポ)が日本でセンロッポンと訛って千六本と書いた。
千という字によって「たくさんの」という意味を感じて細かく切り刻んでしまう人
もいれば、「人参を千六本に切って」などと料理教室で教える先生もいる。六本と
いうのをどう解釈しているのかと考えると、ふきだしたくなる。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P35)
 
(次回は、「1月に読んであげたい本」についてお話ししましょう)

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