めぇでるコラム
さわやかお受験のススメ<保護者編>★★第12章 日本の神さまでしょう 神無月(3)
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「めぇでる教育研究所」発行
2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
~紀元じぃの子育て春秋~
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第46号-
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第12章 日本の神さまでしょう 神無月(3)
【十月に読んであげたい本】
神無月ですから、この話がいいでしょう。舞台は諏訪湖、といえば一大音響と
ともに湖面にできる氷の山脈「御神渡り(おみわたり)の現象が思い浮かぶの
ではないでしょうか。寒さで亀裂の生じた氷の隙間から噴き上げた水が凍り、
裂けた方向を見て吉凶を占う「御神渡り拝観式」は、約600年の歴史をもつ伝
統行事だそうで、昔の人は、本当に驚かれたことだと思います。その諏訪湖に
棲む龍神様の話です。
◆神在(かみあり)祭りと諏訪の竜神◆ 谷 真介 著
毎年、旧暦の1月にあたる11月には、全国の神様が出雲の国(島根県)に
集まるため、留守になる地方が多く神無月といわれ、反対に全国の神様が集
まる出雲は神在月といいます。神様の集まる場所は出雲大社で、八百万の神
様が集まりますから神様だらけになります。この集いを「神在祭り」といい、
出雲の人々は11月19日から1週間、静かに過ごすことになっていました。
ところが、出席しなくてもいい神様がいます。信濃の国(長野県)の諏訪湖
にいる竜神様もその一人で、こんな訳があったのです。
ある年のこと、諏訪湖にいる竜神様だけが姿を見せません。待ちくたびれた
神様達から文句が出始めると、「夜明けまえからここにいる」と声がしたの
で見上げると、天井の梁に身体の太い竜が巻きついていました。「降りてこ
られよ」というと、「私の体は長く、尻尾は湖畔の松にかかっていて、この
社に入るまいが下りて行こう」と言ったのですが、下りてこられては神様の
居場所がなくなるし、尾が国にあるならば全体が来るまでに相談は終わるの
で、これからは国にいてほしい。決められたことは、こちらから知らせるか
ら」ということになり、竜神様は大喜びして帰ったそうです。
この神在祭りが始まる夜には、近くの浜などに海蛇が押し寄せてきました。
これは神様たちの使者である竜蛇様といわれ、頭に「あり」という神様の紋
がついていたそうです。
(日づけのあるお話三百六十五日 11月のむかし話 谷 真介 編著
金星社 刊)
讃岐(香川県)の金毘羅さん、お伊勢さんも参加しません。神話を読むと面
白いことが書いてあります。出雲大社の神様は、もとから日本にいた土着の
神様、大国主命(おおくにぬしのみこと 大黒様)で、伊勢神宮の神様は、
高天原から天孫降臨された天照大神です。大国主命は、後から来られた天照
大神様に国を譲り、その代わりに壮大な神社を出雲に建立してもらったそう
です。社から出られないように、普通の神社と違い、しめ縄は逆向き、柏手
は四拍手(4回は死を意味する)、大黒様は正面ではなく、右の御座所に左
向きに祀られて、参拝者とは正面を向いていないことなどから、怨霊として
祟られないように、封じ込めた説もあります。
平安時代に源為憲の書いた「口遊“くちずさみ”」に、日本の三大建築を
意味する言葉が出ています。“雲太(うんた)、和二(わに)、京三(きょ
うさん)というのですが、(中略)実際はそうだったかは別にして、そう信
じられていたことが重要だと思います。雲太は出雲太郎の略で出雲大社、和
二は大和次郎で大和、すなわち奈良にある東大寺の大仏殿、京三が京三郎で
京都御所の大極殿です。つまり日本で一番大きいのは出雲大社、次が大仏殿、
三番目が京都御所の大極殿というわけです。
(神道から見たこの国の心 樋口清之 井沢元彦 共著 P109
徳間書房 刊)
当時の大仏殿の高さは15丈で、出雲大社は現在の社の2倍の16丈
(48m)あったそうで、古代出雲史博物館に復元された模型が展示されて
いますが、48mの社まで伸びている階段を見た時は魂消ましたね。高所恐
怖症の私には登れません。
井沢元彦氏の「卑弥呼伝」(集英社 刊)には、殺人事件を絡めて、卑弥呼
が殺された原因は日食にあったことや、邪馬台国の位置、政治体制から伊勢
神宮と出雲大社の関係がわかりやすく解き明かされています。天照大神が男
神であるとの推理は江戸時代からあるそうで、哲学者、梅原猛氏の推論を紹
介している話には驚かされました。江戸時代は儒教が盛んで、男尊女卑が浸
透していましたから女神では気に入らず、天皇より将軍が威張っていたので、
こういう発想も自由にできたのでしょう。戦前のように、天皇が神格化され
た皇国史観の時代にこういうことを言えば、「間違いなく死刑」と梅原氏は
おっしゃっていましたが、こういった本を読むたびに、不備なところがある
とはいえ、民主主義の世の中に生まれてよかったと感謝せざるを得ません。
厚かましい話ですが、昔読んだ梅原氏の「神々の流竄(るざん)」
(集英社 刊)は、少し違和感がありましたが、発売された「葬られた王朝
古代出雲の謎を解く」(新潮社 刊)で過ちを認め、書き直されていまし
た。違和感とは、「八岐大蛇(やまたのおろち)」の話は大和の三輪山の話、
「因幡の白うさぎ」は宗像一族が祀る九州の話と立証しているところですが、
自説の誤りに気付いた先生は、出雲大社に出かけ大国主命に謝ってきたので
した。自説を訂正するには勇気がいるものですが、こういったところが先生
らしく心から尊敬できるのです。
それにしても笹井芳樹教授の死は、あまりにも悲しい。で、あの事件は、あ
れでいいのでしょうか。(疑問)
古事記には、大和朝廷が誕生するまでの熾烈(しれつ)な勢力争いが語られ
ていると先生は分析しています。古事記は、語り部の稗田阿礼の覚えている
話を太安万侶が書きとめたといわれていますが、何人もの編集者がいて、そ
の陰のチーフは藤原不比等で、古事記と日本書紀を編纂し、日本建国の経緯
を記録したものとの説は説得力があります。さらにその意を深めてくれたの
は、阿刀田高氏でした。
これからの数行は、学問的根拠の薄い私の文字通りの私見なのだが……神
話というものが歴史に入り込むのは、たいてい王国が興隆を極めた時である。
周囲の群雄勢力を平定し、強力な国家が誕生し、権勢ゆるぎない王が君臨す
ると、「俺の血筋はそんじょそこいらの馬の骨とは違うんだ。ずっと昔から
由緒のあるものとして、かくかくしかじかの歴史を持っているんだぞ」と、
その礎(もとい)の確かさを文献として残したくなる。つまり神から与えら
れた王座なんだということを、あと追いの形で記録したくなる。古事記も日
本書紀もそうだ。他にも類似の例はたくさんある。
(「旧約聖書を知っていますか」 阿刀田高 著 P241~242
新潮社 刊)
イザナギ、イザナミの尊(みこと)の国造りから、他国からやってきたいわ
ゆる天孫族と、元から住んでいた出雲族が争い、天孫族が勝って大和朝廷が
誕生し、律令国家として基礎固めが出来た時、国家の柱となる天皇家とそれ
を支える藤原一族の繁栄と権威づけるために書かれたのが記紀だとなると納
得できますね。初代の神武天皇から九代開花天皇までは、百歳をこえる年齢
から実存しなかったのではと諸説紛々ですが、面白いのは、日本はイザナギ、
イザナミの尊が相和して国を作ったのに対し、旧約聖書によれば天地創造は、
「在って、在り続ける者」という神さまが7日間かけてお一人で創られたそ
うです。神様には名前など必要ないのでしょうが、モーセがお伺いを立てた
ところ「在って、在り続ける者」とお答えになったとか、阿刀田氏の受け売
りですが(笑)。
事実云々はともかくとして、神武天皇から神話の世界は終わり、聖書では神
様がアダムとイブを作り、禁断の実を食べたことから神の園から追放され人
類の歴史が始まり、新約聖書の時代になったと考えるとわかりやすいのでは
ないでしょうか。古事記の「天地開闢」といい、旧約聖書の「天地創造」と
いい、難しいことは分かりませんが、その後の人間の歴史が、常に宗教がら
みの部族間、国家間の争いに終始しているのには、進歩していないと思いま
すね、人類は。紀元前13世紀頃、モーセに率いられてエジプトを脱出し、
イスラエルが建国されたのは1948年で、何と三千年という想像を絶する
歳月が流れたにしては、その後も争いが続いているのですから、熱しやすく
冷めやすいわが民族では、想像できないことです。その辺の経緯は、阿刀田
氏の「旧約聖書を知っていますか」に書かれていますが、肩の凝らないしゃ
れた表現がわかりやすく、その一つに「これは日光の一つ手前だな」があり、
日光の手前は今市ですから、「これは今一だな」と笑わせてくれる楽しい本
です。
先に紹介しました「天の岩戸」の後には、「八俣大蛇」「因幡の白兎」「海幸彦
と山幸彦」の話が続きます。私の年代では、「いなばの白うさぎ」「海さち
ひこ。山さちひこ]などは、子守唄代わりに聞かされていたと記憶していま
す。およそ1300年前に書かれた本ですが、今ある地名がたくさん出てき
ますから、何やらタイムトンネルに迷い込んだような気持ちになりますね。
由良弥生さんの「眠れないほど面白い『古事記』」(三笠書房 刊)は気軽
に楽しめます。
読んでみると、人間味あふれる神話から、なぜ、戦前に天皇の神格化という
プロパガンダ(組織的な主義、思想の宣伝活動)が生まれ、日本民族がのめ
り込んでいったのか、不思議な気がしてなりません。この経緯を司馬遼太郎
の「竜馬がゆく 風雲編」(文芸春秋刊」にわかりやすく書かれており、力
不足で足踏みしていますが、いつか紹介したいものです。脱線しましたが、
神々を敬う気持ちは強制されるものではなく、西行法師のいう「かたじけな
さに涙こぼれる」と素直に低頭できるのが理想ではないでしょうか。
その「因幡の白兎」ですが、平成23年4月から教科書に採用されています。
戦後の教育では、古事記の神話は事実でないことから全部、否定され、軍国
主義復活の基になると切り捨てられ、日陰の存在として無視されていました
が、これは歓迎すべきことではないでしょうか。
「因幡の白うさぎ」の主人公大黒様を祀った出雲大社は、平成25年5月に
60年ぶりに「平成の大遷宮」で本殿の修造が終わり「本殿遷座祭」が、
10月には伊勢神宮の社殿を作り替える20年に一度の大祭、「式年遷宮」
が執り行われました。伊勢神宮といい出雲大社といい、神話の世界が現在ま
で受け継がれ、日常生活の中に自然と溶け込んでいるのは、世界広しといえ
ども日本だけでしょう。
皇紀2674年の時空を経て実現したのが、平成26年10月に行われた高
円宮典子さまと出雲大社宮司、千家国麿氏のご成婚。典子さまは天照大神、
天孫族の末裔で、国麿氏は国を譲った大国主命を祀る出雲国造(祭祀を司る
職)の末裔、国粋主義者ではありませんが、悠久の歴史を感じないわけには
いきませんでした。
ところで、なぜ、社殿を作り替えるのでしょうか。古くなった社殿の屋根を
新しく作り直した方が簡単だと思うのですが、それはとんでもない話で、不
浄な人間が神様の上にのぼって仕事をするなど、絶対に許されないことだそ
うですが、真相は定かではありません。
次は、伊勢神宮の霊験あらたかな話です。
伊勢神宮には、皇室の主神である天照大神が内宮に祀られ、外宮には食物を
司る神、豊受(とようけ)大神が祀られています。参拝された方はお気づき
かと思いますが、神社には必ずあるしめ縄、狛犬、賽銭箱、おみくじなどは
ありません。
しめ縄のない理由は不明。狛犬は江戸時代頃から神社に設置されるようにな
ったもので当時はなかったから。賽銭箱がないのは、神宮の祭儀を主宰する
のは天皇陛下であり、天皇以外のお供えは紙幣禁断といって許されていない
から。おみくじがないのは、お参りすることが吉日で、おみくじは国の重要
な問題を解決するために神さまにお伺いするもので、個人的には吉兆を占う
のは憚(はばか)られるという理由だからだそうです。
(伊勢神宮の豆知識 matome naver/jp/odai/2138915798271580401より)
どうしてもおみくじのほしい方は、「おかげ横丁」で買えます。
落語にも同じ話があり主人公は犬ですが、この話は猫です。猫というと、妖
怪変化の代名詞のようで恐ろしい話が多いのですが、子どもの読む昔話だけ
に、ほのぼののとした構成になっている珍しい話です。
◆ねこのよめさま◆ 中本 勝則 著
むかし、心のやさしい若者がいましたが、貧乏で嫁のきてもありません。あ
る日、庄屋さまが猫を捨てようとしていたので訳を聞くと、ねずみも取らず
に飯ばかり食べる猫だからという。若者は猫を貰い、「たま」と名付け、わ
ずかな食べ物を半分あげかわいがりました。
ある時、若者が畑から帰るとたまが寝ていたので、「留守の間に、そばでも
引いてくれ」といってみました。次の日、帰ってくると、うすの取っ手にし
っぽを巻きつけ、うすを引いるのです。あんなことをいったので、そばを引
いてくれているのかと、そばだんごを作り、たまにも食べさせました。それ
から、うすを引くのは、たまの仕事になったのです。
ある晩のこと、「かわいがってもらいましたが、猫のままでは、恩返しがで
きません。お伊勢さまにお参りすれば、人間に変えていただけるそうですか
ら、お暇をください」といったのでした。若者は、それも一理あると考えて、
銭を首に結びつけて旅に出したのです。しかし、若者は心配でくわを持つ手
にも力が入らず、畑に出る日が少なくなったのでした。
それから一年たったある日のこと。若者が畑でぼんやりしていると、若い娘
の声が聞こえたではありませんか。何と伊勢参りに行ったたまが、かわいい
娘になって帰ってきたのでした。若者は大喜び、娘を嫁にして畑仕事に精を
出し、幸せに暮らしたのです。
十一月のお話 きつねのよめさま 松谷 みよ子/吉沢和夫・監修
日本民話の会・編 国土社 刊
池波正太郎の「鬼平犯科帳」には、浅草の回向院に建てられた猫塚の話があ
ります。両替屋に飼われていた猫が、小判を盗み出した現場を押さえられ、
殺されてしまいます。この猫は両替屋にやってくる魚屋さんから、いつも魚
をもらっていました。ところが、魚屋さんが風邪をひいて寝込んでしまい、
一人暮らしで薬どころか三度の食事まで事欠く始末だった時、心配した猫が、
お店から小判三両を盗み出し、魚屋さんへ持っていったことが後でわかった
のです。猫の恩返しをした心がわからずに殺されてしまったのを不憫に思い、
建てた猫塚だそうです。動物の恩返し、真剣に聞く子ども達の目は、いつも
輝いています。
ところで、この回向院には、義賊といわれた鼠小僧次郎吉の墓があり、墓石
の欠けらを持っていると、「賭け事に勝つ」「運がつく」ともいわれ、受験
生などには「するりと入れるご利益がある」といわれ、墓石を欠きとる人が
絶えなくなり、現在は墓前に真っ白な「欠き取り用の墓石」が置かれていま
す。インターネットで見ることができますが、次郎吉は今でも有名人なんで
すね(笑)。織田信長父子の供養塔がある京都市の大雲寺には、安土桃山時代
の大盗賊、石川五右衛門の墓があり、墓石を削って呑ませると盗癖が治ると
信じられ丸くなっているそうで、二人ともお役にたっているようです(笑)。
ひな祭りに欠かせないのは桃の花、神さまに捧げる榊(さかき)も訳ありで
しょう。少し恐ろしいですが、その言われを残した昔話があります。
◆鬼退治◆ おざわ としお 再話
むかし、ある村に元気のいい若者がいました。ある時、村に誰も来なくなり、
若者は峠に化け物でも出ていると思い、家に伝わるやすりを持って退治に出
かけたのです。山道の途中、たき火をしている老人に会いましたが、若者の
行く手をじゃまするので腹をたて、けとばしました。すると、「わしには娘
が三人いて、威勢のいい若者を婿にしたいと探していたのだ」と言うので若
者は承知し、老人の家に行ったのです。立派な家でしたが、若者が門を入る
と閉まり、かんぬきの掛かる音がするのです。鬼の家かもしれないと老人に
ついていくと、家の前に二頭の馬がつながれ、裏には人間のしゃれこうべが
積まれています。老人は、若者を座敷に招き、三人の娘がもてなしてくれま
した。夜になると、誰を嫁にするかと言うので末の娘を指名すると、「奥へ
行って休みなさい」と娘には赤い星の、若者には白い星の模様の布団を用意
したのです。若者は何かあると思い、娘が寝こむと自分の布団を娘にかけ、
娘の布団を自分にかけ眠ったふりをしました。真夜中に鬼となった老人は、
槍を持って現れ、白い星の模様の布団を刺すと、「料理は明日の朝だ」と戻
っていったのです。若者は逃げようとしましたが、戸にはかんぬきがかかり
出られません。そこで、やすりでこするとかんぬきは切れ、若者はつないで
あった馬に乗り逃げたのです。気づいた鬼は馬に乗り追いかけていきました。
倒れていた大木を若者の馬は跳び越えましたが、鬼の馬は大木に足をひっか
け、鬼もろとも下の滝に落ちたのです。倒れていた大木をみると榊でした。
無事に家へ帰った若者は、それから神さまを拝む時には、榊を使うようにな
ったのです。うりや、うんぷんだりょん。
日本の昔話 5 ねずみのもちつき おざわ としお 再話
赤羽 末吉 画 福音館書店 刊
最後に出てくる「うりや、うんぷんだりょん」は、「これで話は終わり、め
でたし、めでたし」という意味だそうです。いろいろなのがあって、「とっ
ぴんぱらりのぷぅ」といった奇妙なものがあったと記憶していますが、地方
によって違うようです。
次の話は笑えますね。一休さんをはじめ、和尚さんと小僧さんの話には傑作
がそろっています。いわゆる「とんち話」ですが、これも素晴らしい。「山
川草木悉皆(しっかい・ことごとく)神性」などと冗談ですが、「至る所に
神さまあり」ならではの話です。
◆かみがない◆ 鶴見 正夫 著
むかし、あるお寺の小僧さんが、和尚さんのお供で出かけました。途中まで
行くと、小僧さんは小便をしたくなり、道端によって着物の前を広げました。
和尚さんは、「そこには道の神さまがおられるので駄目だ」といいます。小
僧さんはこらえました。少し行くと畠があったので飛び込み小便をしようと
すると、和尚さんは、「そこには、作物の神さまがおられるから駄目だ」と
いいます。少し行くと川があったので、川へむかってかけ出しました。する
と、「川には、水の神さまがおられるから駄目だ」といいます。どうにも我
慢できなくなった小僧さんは、下っ腹を抱えて土手に登りました。そこには
地蔵さまがありましたが、構ってはいられません。地蔵さまの前で小便をし
ようとすると、土手の下から和尚さんは、「駄目だ!」と怒鳴りましたが、
小僧さんはもう我慢ができません。すると、何を思ったのか道の方へ向きか
え、着物の前をひろげてシャーと小便を飛ばしました。小便は、土手の下の
和尚さんの、つんつるてんの頭にかかりました。「何をするんだ」と和尚さ
んは、びしょ濡れの頭で怒鳴りました。すると小僧さんは、すました顔でこ
ういったのです。「和尚さんの頭は、つんつるてん。そこには、髪がないか
らよろしいでしょう」
とんちでころり 鶴見 正夫・文 ヒサクニヒコ・絵 ポプラ社 刊
人間の周りは、神さまだらけを実証した話ですが、落ちの語呂合わせには、
神さまも吹き出すことでしょう。小さい子には、「髪」と「神」の違いを説
明する必要がありますね。
睦月、如月、弥生と懐かしい陰暦の月の名称が出てきましたが、昔はどんな
ことをしていたかわかる話があります。「鬼の目玉」(2月)にもありまし
たが、全部の部屋を説明しませんでしたから、ここで全てを紹介しましょう。
◆見るなの座敷◆ 浜田 廣介 著
むかし、ある村の若者が、庭の梅の木の小枝に足をはさまれていたウグイス
を助けたことがありました。秋に若者はキノコ取りに行って迷子となり、あ
る家の所へ出たので声をかけると、娘が出てきたのです。道を尋ねると方向
違いだとわかり、途方に暮れていると、「今晩、ここに泊り、明日、いらっ
しゃれば」と言うのです。喜んだ若者を庭の縁側に招き、「母を呼んでくる
ので待っていてほしい。しかし、座敷の中を見ないでください」
と言って出かけたのです。時間が経ち手持ちぶさたになった若者は、透き間
から座敷の中をのぞいてしまいました。そこは一月の座敷で、床の間に松竹
梅の鉢植えと鏡もちが供えられ、子どもが晴れ着をきてすご六遊びをしてい
るのです。不思議に思った若者は、次の座敷をのぞきました。そこは二月の
座敷で、稲荷様の初午祭りの様子でした。隣は、三月の座敷でひな祭り、次
は四月の座敷で花祭り、次は五月の座敷で端午の節句、次は六月の座敷で山
開きの日の様子が、次は七月の座敷で七夕祭り、次は八月の座敷でお月見の
様子が、次は九月の座敷で豆が実りアワも穂を下げて揺れています。次は十
月の座敷、刈り入れ時でお百姓さんの働いている様子が見えるのです。次は
十一月の座敷で、枯れ木が目立ち山には雪がかかり寂しい眺めです。最後は
十二月の座敷で、人々は正月を迎える支度をしています。一年続きの座敷を
見た若者は、元へ戻ろうとしたとき娘が現れたのです。「私は、助けていた
だいたウグイスです。お礼をしようと思っていましたのに、どうして、のぞ
きなさったの、見るなの座敷を。ホー、ホケキョ!」と鳴くと、娘も家も庭
もなくなり、若者一人が、ぼんやりと林のやぶの中に立っていたのでした。
世界民話の旅 9 日本の民話 浜田 廣介 著 さ・え・ら書房 刊
日常生活を快適に過ごすために、やってはいけないことを定め、それを破る
と破局を招く話は、「古事記」に豊玉姫の出産をのぞいたことから離別する
神話があるほどで、「他言してもらっては困るのだが」といった約束と同様、
守られないようです。「千夜一夜物語」にも同じような話「アジプと40人
の美女」があり、部屋は40で「のぞいてはいけません」の約束を破りとん
でもない結果になるのですが、好色な話なので割愛します。アラブの世界で
は40という数は「たくさんある」という意味で使われるそうです。中国で
は「白髪三千丈」、日本では「八百万」となりますが、ちっちゃな島国にし
ては何とも大げさな表現で、笑ってしまいますね。しかし「日出ずる処の天
子、日没する処の天子に致す、恙(つつが)なきや」、隋の煬帝に送った聖
徳太子の国書ですが、「その意気やよし」で、私は好きですね。
「世界民話の旅 9」には「見るなの座敷」の他に28の作品があり、「泣
いた赤オニ」の作者、浜田廣介の手になる再話集です。「本のはじめ」にも
紹介されていますが、神話や民話は、私達祖先の精神的な文化遺産です。若
いお父さん、お母さん方、小さい時の情操教育は大切です。そのエッセンス
が、こういった昔話ではないでしょうか。子どもは親が解説しなくても、分
化されはじめたさまざまな情緒を育みながら、自分なりに解釈し、自分のも
のにしていきます。そこから幼いなりに自我が芽生え、自立心が育まれてい
くのだと思います。わが子を溺愛する過保護な育児や、四六時中目を光らせ
管理する過干渉な環境からは、情操豊かな子など育つわけがないのです。自
立心を育て、積極的に取り組む意欲を育てることです。そのためにも、お子
さんをじっくり育てるゆとりを持ちましょう。二人の子どもを育てた実感と
して難しいことですが、子どもへの保護、干渉は、ほどほどに済ませるべき
だと思います。しっかりと干渉していいのは、躾です。「他人に迷惑をかけ
ない」は共生の掟で、教えるのは親です。
携帯電話やスマートホンの使い方を見るにつけ、躾が出来ていないと痛感す
るのは年寄りのせいだとは思いますが、なぜ、混んでいる道路などで、歩き
ながら見なければならないのかな。そんなに急いで処理しなければならない
ほど切迫した事情があるとは思えないが、他人に不快感を与えているのかわ
からないのかな。スマホを見ながら自転車に乗っている若者を見かけるが、
あれは病気ではないかな。世の中、そんなに安全なところなどあるわけがな
く、周りの者が気を遣っていることに気づかないのかな。こういう愚痴を言
うところが後期高齢者になった証拠と、家内や子ども達は笑っています (苦
笑) 。
何でも自分が中心にしか物事を考えられなくなり、「思いやる気持ち」が薄
れていくそのもとは、幼児期の育児に問題があるのではないだろうか。「褒
める時にはやさしく褒め、叱るべき時には厳しく叱る」、これは親の真心で
あり、子どもにとっては、最高の有難い手本であると考えますが、若い皆さ
ん方は、どうお考えでしょうか。
最後に、恥ずかしながら私も誤解をしていた一人ですが、「三猿」の彫刻、
猿を通して人間の一生を8面で表したもので、2番目「幼年期」の猿のこと
ですが、こういった意味があったんですね。
日光東照宮の彫刻で知られている「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿
の意味を、目の前に不正な問題があっても見ないふりをして、声をあげず、
耳をふさぐみみっちい処世術と勘違いしていたが、本当は、幼年期に悪いこ
とを見たり、言ったり、聞いたりしないで、素直なままに育ちなさいという
教育論であると知った。
(平成23年11月2日 東京新聞朝刊 “筆洗”)
「三猿」でクリックすると、新厩舎(神様に仕える神馬、白馬をつなぐ厩舎)
の長押(なげし・柱と柱をつなぐ水平の板)8面に16匹の猿と教訓を読む
ことができます。
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」とも言いますが、英語では
“Ask much,know much”だそうで、子どもにもしっかりと教えたい教訓の一
つではないでしょうか。
台風一過、近くの小さな不老川の川辺には、彼岸花が一斉に咲きました。白
い彼岸花があるのを知りませんでしたね。別名を見ると、悪役的な存在で、
ひっそりと咲く孤独な花とみていましたが、埼玉県日高市のひだか巾着田、
一面真っ赤で圧倒されました。
(次回は、「第13章 七五三でしょうな」についてお話しましょう)