めぇでるコラム

さわやかお受験のススメ<保護者編>第10章 終戦記念日、このことです 葉月(4)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2018さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第39号-
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第10章 終戦記念日、このことです 葉 月(4)
 
間もなく終戦記念日。小さな子ども達には難しい話ですから、今回は、戦争に
ついて、ご両親はどう考えているか話し合ってみましょう。
 
私見ですが、憲法学者が「自衛隊そのものが憲法違反」だといい、「憲法9条
改定についてはその必要なし」という。「自衛隊は憲法違反だが、9条は改定
しなくてよい」となれば、一体どうやって国を守ればいいのでしょうか。「攻
撃する能力があっても仕掛けないのが最大の防御」、これが世界大戦にならな
い抑止力となっていると考えますが、皆さんは、いかがでしょうか。中国と北
朝鮮の軍事力に脅威を覚えない人はいないと思います。仲裁裁判所の判決を
「紙くず同然」と切り捨てる中国の傲慢な態度を見ると、「備えあれば憂いな
し」、我が子や孫のためにも、どういった政策がいいのか、私たち親は、真剣
に考えるべきではないでしょうか。観念論だけでは、日本を守ることなど不可
能です。もっとも、日本など中国の属国になればというのなら話は別ですが……。
チベット、新疆ウイグル問題を知らないはずはないのに、自由の有り難さを噛
みしめる必要はないのでしょうか。百田茂樹氏の「カエルの楽園」、寓話的な
「警世の書」であればいいのですが。「憲法9条さえ守っていれば日本は平和
である。たとえ滅んでも平和である」、滅んだ民族に平和があっても、何の価
値もないだろうに。最後は、ぞっとしましたね。
こんな状況なのに、あの議員先生方は、よほど暇なんですね。トランプ大統領
ではありませんが、「他にやることがないのか!」。恥ずかしい限り!
 
【八月に読んであげたい本】
昭和20年3月10日、東京大空襲。たった一晩で、10万人もの尊い命が失
われました。もし、親父の転勤がなければ、この日で私の人生は終わっていた
かも知れません。東京の下町、日暮里に住んでいたからです。戦後、訪ねた親
父の話では、一面焼け野原で、知人は誰もいなかったそうです。
「東京大空襲ものがたり」、年長さんでも理解できるのではないでしょうか。当
時の世相や風習もわかりやすく解説されています。作者は早乙女勝元氏で、既
刊の「東京大空襲」は読みましたが、こういった映画があり、子どもたちにも読
める本があるとは知りませんでした。(怠慢!)ダイジェストにするのはおこ
がましいと思い、本文を少し紹介することにしました。
 
今井正監督の「戦争と平和」。
主演は20歳になったばかりの愛らしい工藤夕貴。空襲のシーンは、思わず息
をのむ凄さです。主人公の電柱を巡って、次々に起こる悲しいできごと。私は
作者であることを忘れて涙が止まりませんでした。なお、映画の原作分「戦争
と平和」は講談社から刊行されましたが、私はこの電柱のことを子ども達に伝
えようと、同じ題材で書いたのが、この「東京大空襲ものがたり」となったの
です。
 
「電柱だけが知っている炎の夜のこと。
ゆかりと進一の家の近くに、真っ黒こげの電柱があります。
これは、咲子おばさんにとっては、たった一つだけの、大事な目印なのです。
東京大空襲の炎の夜に、おばさんは、赤ちゃんの螢子ちゃんと、ここではぐれ
てしまったのです。
二人は父さんから、その話を聞かされ……」
 
これが物語の始まりで、真っ黒こげの電柱の叫び声で終わります。
 
亡くなった人は、何も語ることができませんが、どれだけたくさんの、つらく
悲しいできごとがあったことでしょうか。焼け残りの電柱は、今も東京下町の、
あの町角に立っています。北風の吹く寒い日も、夏のカンカン照りの日も、電柱
は亡くなった人たちに変わって、「炎の夜」のできごとを、私に、そしてみんな
に語り続けているように思われます。
でも、その声は聞こえません。ですから、ゆかりと進一は、電柱にかわって、こ
う呼びかけるのです。
 
 誰もが、平和を守るための努力を、
 そのための、小さな勇気を、
 わすれてはいけない、と。     花房ゆかり 眞一
(東京大空襲ものがたり  早乙女勝元 著 有原誠治 絵  金の星社 刊)
 
絵は、アニメの好きな方にはすぐわかる有原誠治氏。辛い体験をされた多くの方
々は、すでに冥界へ旅立たれたのではないでしょうか。こういった現実があった
ことを、しっかりと子どもに伝えることも、親の仕事ではないかと思います。久
しぶりに図書館に出かけ読んだのですが、「楽をするなよ!」と叱りつけられた
気がしました。長女が小学生の頃、涙を流しながら読んでいた「ガラスのうさぎ」
にも出会いました。(反省)
 
長崎のピカ
昭和20年の8月6日に、広島に原子爆弾が落とされたの。
一発で広島中が燃え、何10万の人が死んだの。
3日後の8月9日、今度は長崎に落ちて、私の家族8人は一人ずつ順々に死んで
いったの。
最初に死んだのは、おばあちゃん。外出中に被爆し、真っ黒になり、はらわたを
出して死んだの。次の日に、父さんと母さん、兄ちゃんと死んでいったけれど、
上の妹、ゆみ子は、ずうっと見ていたの。次の日の明け方、きれいな船に、父さ
んと母さんと、おばあちゃんと兄ちゃんが笑って、おいで、おいでしていると、
かぼそい声で言うの。「船に乗ったらだめ!」と叫んだけれど、「みんなで迎え
に来たよ」と言って亡くなったの。顔はボールのようにはれあがり、歯ぐきはま
っ黒にただれ、紫色の斑点が身体中に出て、口も動かないの。でも、そう言って
死んだの。気がついたら、弟も死んでいたの。下の末っ子の妹、すず子は、防空
壕で体を寄せ合っていたら、冷たくなっていくので、マッチをつけてみたら、も
う死んでいたの。その身体を、一晩中だいて寝ていたの。冷たくて、皮がべろべ
ろとはげるの。
次の日、お隣のおじさんがきて、一人ずつ焼いたの。
私は、12歳でした。
  夏休みのはなし
「海ぼうず」 松谷みよ子/吉沢 和夫 監修 日本民話の会・編  国土社 刊
 
12歳の無残な夏、平和な時代に生かされていることに、ただ感謝するだけです。
私は広島に原子爆弾が落とされた時、岡山の県境にある忠臣蔵で名高い播州赤穂、
兵庫県赤穂町に住んでいました。真っ青に晴れ渡った暑い朝でした。突然、空が
濃霧のようなものに覆われ、真夏の太陽が肉眼で見えるほどになったのです。こ
れが、あの悪名高きキノコ雲が流れてきたのだとは知りませんでした。「新型爆
弾が落とされたらしい!」と、大人達が声をひそめて、ささやきあっていたこと
を覚えています。
5歳の夏でした。 
 
8月6日は広島原爆忌。
慰霊碑に「過ちは繰り返しませぬから」と刻みながら、原発を受け入れ、想定外
の事故とはいえ、過ちを繰り返してしまいました。しかし、もう草木も生えない
だろうといわれた廃墟の中から、広島も、長崎も、復興しました。快適な文化生
活を望み、その結果として原発は作られたことも、自分達の住む町にないことに
胸をなでおろし、後ろめたい気持ちで、私達は承知していたのではないでしょう
か。ですから、日本列島に50基もの原発が設置されたわけです。東電や福島県
民や設置された地域の皆さん方だけが苦労するだけではなく、国民全員が、不便
な生活へ戻ることを覚悟し、真摯な気持ちで「電力について」考えるべきではな
いでしょうか。「原発反対」だけでは代替エネルギーは手に入りません。この猛
暑、クーラーなしの生活、考えただけでもぞっとしませんか。「のど元過ぎれば
熱さを忘れる」、情けない話ですが、人間、本当に弱いですね。性根を据えて考
えるべきだと思いますが、皆さんはいかがでしょうか。
 
ところで、東京大学法学部出身の現役エリート官僚が書いた「原発ホワイトアウ
ト」(若杉 冽 著 講談社 刊)を読み、モンスターシステムを知り、よくぞ
発表できたものと脱帽しました。
私が学生の頃、週刊誌創設ブームで、トップ屋、事件記者として活躍し、その後
「黒の試走車」「赤いダイア」「汚職ざんまい」など、産業スパイや政財界を舞
台に、城山三郎と共に一世を風靡した作家、梶山季之が、企業の暗部や闇社会を
暴露しましたが、ある週刊誌のインタビューで、「こういったことを書いてぃる
と命を狙われるのでは」と問われ、「事実を書いている内は殺されません」と答
えていたことを思い出しました。
「大統領の殺し屋」(光文社文庫 刊)を再読しましたが、イケルヴィッチ、シ
ロカネスキーと池田隼人や黒金泰美がモデルとわかる人物が出てくる、自民党総
裁選挙に絡む汚職の実態を暴いたもので、最後の2行に「この作品は、すべて架
空の物語です。しかし、もし事実の部分があるとしたら、筆者が何らかの形で報
復されるでしょう」と挑戦状を叩きつけた好漢。45歳の若さで香港にて客死。
報復されたのではとの疑念が消えないまま、旺盛なサービス精神が災いし、寿命
を縮めた逸材でした。
その後、森村誠一、清水一行、広瀬二紀、三好徹、高杉良など社会派が活躍し、
氏の精神は受け継がれていることがわかります。大好きな作家の1人で、本棚に
はかなりくたびれた文庫本が22冊、大きな顔をして残っています。困ったこと
に、同じ棚には友人であった山口瞳の「けっぱり先生」(モデルは桐朋学園の名
物先生、生江義男)など20冊があり、いずれも読み始めると止まらず、仕事に
差しさわりが出て困っています(笑)。
 
元に戻して、読み応えがあるので粗筋は省きますが、原発の安全を脅かすのは、
地震や津波などの自然災害だけではなく、もっと簡単に福島以上の災害をもたら
すことが明らかにされています。送電する鉄塔を利用することなのですが……。
「熱しやすく冷めやすい」私達に、「原発問題は、これでいいのか」と問いかけ
る警鐘ではないでしょうか。舞台は新潟、柏崎刈羽原発、山本議員らしき人も出
てきます。
 
◆ホタルになった兵隊さん◆   堀田 貴美 著
前の戦争のとき、九州南端の知覧に陸軍の飛行場があり、戦争末期、そこは特攻
基地でした。
特攻機は人間爆弾で、搭乗員は、二十歳前後の若者達だったのです。基地の近く
に、おばさんと二人の娘が手伝う富屋食堂があり、隊員達に親しまれていました。
その中に、出撃後に飛行機が故障して、帰ってきた宮川三郎軍曹がいました。再
び、出撃しましたが、二度とも機械が故障し、引き返したのです。整備隊長に、
いい飛行機をくださいと訴えました。仲間が戦死し生き残るのは辛かったのでし
ょう。同じ頃、やはり、一人生き残った滝本軍曹が配属され、宮川さんと知り合
い、富屋に一緒に顔を見せるようになりました。
昭和20年6月5日の夕方、二人は、明日出撃するため、富屋へ別れにきたので
す。
娘たちは、出撃の鉢巻きを贈り、話もつきません。帰りがけに宮川さんが娘達に、
「明日の晩9時に、ホタルが2匹入ってくるから、中に入れてやってね」と言い
ました。
翌日は天気が悪く、富屋の人達は、案じていましたが、夜8時頃、滝本さんが
現われ宮川さんは行ったという。2機並んで飛び立ったが、雨雲にさえぎられ、
帰ろうと合図しました。宮川さんは、「お前は引き返せ」と、別れの合図をし、
雨雲の中へ飛び去ったのです。娘達は、宮川さんの気持ちが、痛いように伝わっ
てきました。
その時、一匹のホタルが天上にとまり、時計を見ると、9時でした。宮川さんが
言った時刻と何秒も違いません。店にいた隊員もよってきて、滝本さん達は、ホ
タルを見ながら、宮川さんの思い出を話しました。ホタルは、話を聞いているよ
うでした。
「宮川さん、やっぱり帰ってきたんじゃねえ。」
おばさんは、ぽつんと言いました。
 日本むかしばなし 23
 ジェット機とゆうれい 日本民話の会 金沢 祐光 絵  ポプラ社 刊 
 
最後の、おばさんのつぶやきが、悲しく、むなしい。多くの人達の犠牲でつかん
だ平和を、私達は、無駄遣い、浪費していないでしょうか。特攻に関しては11
月にお話します。
 
4月に紹介した「同期の桜」の4番です。
 
    貴様と俺とは同期の桜  離れ離れに散ろうとも
    花の都の靖国神社    花の梢に咲いて会おう
 
戦場で命を落とすのは、多くは前途のある若者達です。終戦記念日には、毎年の
ように親父に連れられ靖国神社へお参りしたもので、「今の平和は、ここに眠る
人々の愛国心から築かれたものだ。忘れるなよ、紀元!」、これが口癖でした。
60年安保闘争に参加した時、「日本の平和は憲法9条で守られているわけでは
ない。安保条約で守られていることがわからんのか! 反対なら、日本人をやめ
て、とっととソ連へ移住しろ!」と怒鳴られたものでした。明治生まれのお父さ
ん方は、信念がありましたね。平和ボケ、親父が生きていたら嘆くだろうな。し
かし、段々と考えや言うことが、親父に似てきたようで、泉下で苦笑しているか
もしれません。白百合学園小学校は靖国神社のすぐそばにありますが、学校説明
会へ参加した帰りには参拝し、境内に併設された同社の祭神ゆかりの資料を集め
た遊就館に出かけ、元気を頂いています。
 
盛夏、真夏に怪談話を一席。
むかし話にも怪談はありますが、現代っ子は、昆虫を殺しても、「電池、取り替
えてよ、お母さん!」というそうですから、こんな話、恐がらないでしょう。
 
◆あめかいゆうれい◆   中本 勝則 著
ある夏の暑い晩のこと。
あめ屋のじいさんのところへ、青ざめた顔をした一人の女が、あめを買いにきた
のです。
それからというもの、決まったように、夜遅く、あめを買いに来ます。七日目の
晩のことでした。
「あめをください」と差し出した手に、銭はありません。いつもより、青ざめた
顔は、悲しそうに見えるのです。じいさんは、何もいわずに、あめをあげました。
「どこの人だろう」と後をつけると、不思議なことに、山寺の山門まで来ると姿
を消したのです。
すると、寺の中から、赤子の泣き声が聞こえるのでした。驚いたじいさんは、和
尚さんに訳を話すと、まだ新しい墓にじいさんを連れていったのです。先日、赤
子を身ごもったまま女の人が亡くなり、それがこの墓だというのです。掘り出し
てみると、棺桶の中で、玉のような男の子が、母の胸にしがみつき、見れば男の
子は、あめをにぎっているではありませんか。じいさんが売ったあめでした。
昔、死んだ人には、一文銭を六枚、手に握らせ墓に埋めたそうです。死んだら渡
る「三途の川」の渡し賃でした。しかし、母親の手の中には、六文銭はなかった
のです。
和尚さんは、泣いている男の子を抱き上げて、「母さまは、わしが供えた銭で、
 毎晩、お前のために、あめを買いに行ったのだ」と言って、静かに念仏を唱えた
のでした。
 海ぼうず  松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
       日本民話の会・編  国土社 刊 
 
妖怪やお化けの話は、たくさんあります。幼児用に、怖くない話が多いですか
ら、お子さんが興味を持ったときは読んであげましょう。無理なく、勧善懲悪
を教えるように構成されているからです。
 
戦争の話はこれまでにして、全くの余談になりますが、一昨年の大河ドラマ
「花燃ゆ」は、せっかちな私にはまどろっこしいテンポにイライラし、高杉晋
作を扱った本を読み直してみました。その中の一冊、幕末、官軍につくか幕府
に従うか、迷う長岡藩家老、河井継之助を描いた「峠 (上下)」(司馬遼太
郎 著 新潮社 刊)には、晋作は“ただ者”ではなかったことが書かれたお
り、イライラの源は、この本であったと納得しましたが、読書とは有り難いも
ので、今回、読み落としていた3つのことに気づきました。
 
第1に、下巻の50~100頁には、福澤諭吉の西洋の自由と権利に基づく
「独立自尊」の精神が発酵する過程も描かれていたことです。付箋がたくさん
貼ってあるのですが、このところは1枚もなし。30歳後半で、まだ幼児教育
に手を染めていないからでした。
 
第2は、官軍に囲まれ長岡で、戦いを挑む時に、継之助は土民を奮起させるた
めに、文章を書いて配ったのですが、読む相手を考え、漢文や候文(そうろう
ぶん)ではなく、話し言葉で書いてあることでした。いわゆる言文一致体、山
田美妙から始まったと思っていたのですが、何と、先輩がいました。
 
第3は、諭吉が酒好きであることでしたね。
母親が幼童の福澤の月代(さかやき)を剃るとき、痛さに我慢できなくなり泣
くと、母親は、「あとで酒をたべさせるから」となだめて剃ったとか。こうい
った話に出会うと、うれしくなりますね。「酒をたべさせる」は誤植ではあり
ません。酒粕ではないでしょうか。私も幼少のみぎり、少し食べて頬を染め、
ボーッとなった記憶があるからです。この幼児体験が酒好きになったとは、単
なる言い訳です。以上、全くの余談ですが、長く引っ張ってきたのは、福澤諭
吉が酒好きであったことをいいたかったのです(笑)。
(次回は、「お月見です」についてお話しましょう」
 

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