めぇでるコラム

さわやかお受験のススメ<保護者編>第12章 日本の神様でしょう 神無月(1)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2017さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第44号-
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第12章 日本の神様でしょう  神 無 月(1)
 
神無月(かんなづき)は「かみなしづき」とも「かみなづき」ともいわれてい
ますが、そのいわれは、この月には、全国の神さまが出雲大社に集まり、男女
の縁結びの相談をすることから、神さまが留守になる「神無い月」というのが
わかりやすいですね。反対に、出雲地方では「神在月」となります。
これにも異説があり、「神嘗月(かんなめづき)」「神祭月(かみまつりづき)」
という説、おもしろいのには、10月は雷がならなくなるから「雷なし月」と
いうのもあるようです。
 
              ★★神無月、風流です (1)★★ 
何だか、おかしなテーマです。
神無月といえば、昔の十月の呼び名ではありませんか。睦月、如月、弥生、卯
月、皐月、水無月、文月、葉月、長月、神無月、霜月、そして師匠も忙しく走
る師走ですが、何やら情緒があります。弥生賞、皐月賞というと、競馬の好き
な方には、おなじみでしょう。今まで紹介してきましたように、どの月も季節
感があります。詩情豊かで、こたえられません。1月、2月、3月よりも、睦
月、如月、弥生といった方が、何やら、雅やかな感じがしないでしょうか。
「年だからですよ」といわれそうですが、私は好きです。
 
その一つの神無月。
先程もお話しましたが、読んで字のごとく「神さまのいない月」です。とにか
く、日本人ほど、神さまの好きな民族は、いないのではないでしょうか。「八
百万の神」といって、何しろ八百万人、いや、神さまは人ではありませんから、
八百万の神さまです。「やおよろずの神」と読みますが、八百万の神さまがい
るわけではなく、たくさんいらっしゃるという意味でしょう。それにしても豪
勢ではありませんか。
 
若いお父さんやお母さん方には、あまり縁がないかもしれませんが、一軒の家
の中にもいろいろな神さまが住んでいらっしゃったのです。「いらっしゃった」
と過去形になっているのは、最近では、神社にしか神さまはいないと思われて
いるからです。
 
門には門神さま、家を守ってくれる家神さま、福の神と貧乏神がいらっしゃっ
たそうです。
台所に入ると、ガス、水道、電気のない時代ですから、あちらこちらに神さま
がいらっしゃって、火の神さま、水の神さま、かまどの神さま、井戸の神さま、
納戸の神さま、便所の神さまが、庭に出れば木の神さま、石の神さま、草の神
さま、花の神さま、外には山の神さま、川の神さま、森の神さま、まだいらっ
しゃいます、日の神さま、雲の神さま、風の神さま、雨の神さま、仏教でいう
ところの「山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)」をまね
ると、こんな言葉はないでしょうが、「神が宿る」と解釈して、「山川草木悉皆
宿神」でどうでしょうか(笑)。(悉皆“しっかい” ことごとく)
 
とにかく、どこにでも神さまがいらっしゃったわけです。人の集落がある所に
は、必ず、その土地を守る鎮守さまがあって、人々の生活と密接な関係をもっ
ていました。いろいろと取り上げてきた年中行事にも、こういった神さまが顔
を出し、大いに楽しませてくれます。四季折々の大きな祭りから村祭りや、家
ごとの祭りまで、主人公は、こういった神さま達です。ある時期まで、日本は
農耕社会でした。頼りは、自然ですから、神頼みにならざるをえません。でき
るだけ災害が起きないように、そして、秋には豊作を願い、神さまにお祈りを
したのも当然なのです。
 
ですから、キリスト教やイスラム教などとは違います。
これらは、正真正銘の宗教です、こんなことばが適当かどうかわかりませんが。
異教徒とは、絶対に相容れません。中近東の戦争も、原因は、宗教でしょう。
しかも、気が遠くなる程の、はるか昔、聖書の時代からの戦いです。アイルラ
ンドのカトリック派とプロテスタント派との争いも、インド、パキスタンの紛
争も、シリアの内戦も、信仰や民族間の争いに根ざしていますから、深刻にな
らざるをえないでしょう。かつてのユーゴスラビアに対するNATOの攻撃も、
キリスト教とイスラム教の戦いで、昔は十字軍が出かけて行き、けしからんと
やったあの戦いが、ずっと続いていたのです。イスラエルとパレスチナの争い
も同じで予断を許さない状況のようです。さらにイスラム国のテロ事件、国際
連合は、何のためにあるのか、嘆かわしい限りですね。
 
我がご先祖様は、仏教が盛んになった奈良時代に、日本の八百万の神さまは、
菩薩さまを始め様々な仏さまが化身して、日本の地に現れたものだと考えた本
地垂迹説を唱え、神さまと仏さまを一緒にお祀りしたのですから、争いごとは
大嫌いなんですね。仏教興隆に力をつくした聖徳太子の「和を以って貴しと為
す」は、神仏の世界まで浸透しているのですから、すごい話ではありませんか。
 
ところが、明治維新の神仏分離の影響で「仏教破壊運動」があり、寺や仏像な
ど数多くの貴重な文化財が壊されました。毎度お世話になりますが、この騒動
を簡潔明瞭に解説した話が、澤田ふじ子さんの小説にありました。
 
維新政府は新しい政策の第一段として、太政官布告で「神仏分離令」を発した。
江戸幕府は仏教を宗教政策の根幹にすえてきた。しかし維新政府は、今後の王
政復興は神武創業の初めに基づくものであり、神社神道をもって宗教政策を行
い、(中略)。神道の国教化をはかったのだ。祭政一致を唱え、神祇官が復活
される。仏教を祭ることが禁じられ、神前から梵鐘、仏具、鰐口(わにぐち)
などの撤去が命じられた。そしてこの神仏分離令は、寺請(てらうけ)、宗旨
人別改めの廃止などとともに、政府の意に反して過激な「廃仏毀釈(きしゃく)」
にと発展していく。
全国的に廃仏が行われ、同時に多くの寺院が破却された。畿内でも国宝的価値
を持つ寺院や仏教美術がつぎつぎに壊され、また焼かれた。奈良・興福寺では、
大勢の僧侶が春日神社の神官となり、寺宝は私物化され、現在国宝になってい
る五重塔が、二百五十円で売られるありさまだった。だが塔は幸い解体費が高
くつくため、破却をまぬがれた。
  〔雪 椿 澤田ふじ子 著 P274 廣済堂文庫 刊〕
[引用者注]
寺請(江戸時代に庶民がキリシタン信徒ではなく檀徒であることを証明された
制度)
          
興福寺の五重塔は、皆さん方も修学旅行で訪れたと思いますが、もし解体され
ていれば、猿沢の池だけでは写りが悪いですね。幸い、仏教派と神道派が、ま
なじりを決するほどの争いにはなりませんでしたが、徳川幕府により日陰の存
在として頭を抑えられていた神道が復活し、再び神様が姿を現したのでした。
討幕派の掲げた錦の御旗は、皇室のご紋である菊ですが、やはり意味ありなん
ですね。
 
ここまではよいとして、皇国史観を旗印に突っ走り、上りつめた「坂の上の雲」
から見た日本は、2発の原爆とB29のじゅうたん爆撃を受け、焦土と化した
無残な姿でした。そこから立ち上がった日本民族ですから、皆さんのお子さん
が、誇りをもち、夢を抱いて生きていける環境を、何としても作ってあげるべ
きではないでしょうか。
平成26年に、朝日新聞社が誤報を認めましたが、世界中に報道され、慰安婦
像まで建てられ、セックススレーブ(性奴隷)なる言葉まで広まってしまった
事実を、どうするのだろうか。素朴な疑問ですが、社に勤める方々は、次世代
を背負うわが子や孫が、世界中の人々から、どういった目で見られているか考
えたことがあるのでしょうか。「わが子だけは」と思うのは「親バカなんとか」
で、烙印を押された日本の子ども達は、全員、同じ視線にさらされるのですか
ら、凡人の私には不思議に思えますね。親父が生きていたら、「そんなに中国
や朝鮮がいいなら、さっさと移住すればいいじゃねえか!」とマジに怒るだろ
うな。
 
平成27年8月14日に発表された安倍首相の談話で素直にうなずけたのは、
「あの戦争に何ら関わりのない私達の子や孫、そしてその先の世代の子ども達
に、謝罪を続ける宿命を負わせてはなりません」の部分で、子どもや孫、その
先の世代の子ども達のことを考えれば、答えは自ずと出るのではないでしょう
か。家庭を築き、安心して生活できる環境を作り、妻や子を守る、それを妨げ
るものには命をかけても立ち向かっていくのが父親であり母親ですが、健全な
財政確保と安全、政治も基本的には子育てと同じだと思いますが、若い皆さん
方はどうお考えでしょうか。
 
百田尚樹氏の「カエルの楽園」を読み、つくづく感じたのは、新聞の使命は
「正確で公正な報道であること」です。いわゆる「朝日新聞論法」を分かりや
すく実証した作品で、「殉愛」でこけた私でしたが、久しぶりに新刊本を購読
しました。「憲法九条さえあれば日本は平和である」と考える皆さんに読んで
頂ければと思いましたが、ネットには「左翼にとっては最悪の本」と出ていま
したから、難しそうですね。ウシガエル、デイブレイクとハンドレットなどい
ろいろなカエルが出てきますが、何を想像されますか。ウシガエルはまさにそ
のもので、後の2匹は“Day break”(夜明け)と“Hundred”(百)ですが(笑)。
占領軍であったアメリカの作った憲法を、左翼陣営が「改訂反対」と叫んでい
ることが不思議な気がするのですが……。議論は慎重に、しかし「反対」だけ
では国を守れません。
 
それはさておくとして、日本の神さまは、他の国の神さまとは違います。昔の
神さまは、いってみれば人間と同居していたのです。ですから、願い事は、す
ごく現実的で、日々の生活に密着していました。しかし、今の神さまは、怒っ
ています。何しろ、困った時だけの神頼みですから。正月にしか顔を見せない
人が、多いのではないでしょうか。安いお賽銭で、厚かましく、いろいろと祈
願しても、それは無理というものです。
 
神無月は、その神さま、八百万の神さまが、島根県の出雲大社にお集まりにな
る月で、盆暮れの民族大移動の比ではありません。何しろ、八百万の神さまで
すから、スケールが違います。
「神迎祭(かみむかえさい)」といい、集合日は旧暦の10月11日。場所は
稲佐浜(いなさのはま)、八百万の神さまは、竜蛇神(りゅうじゃしん)に導
かれ、海からお集まりになりまして、出雲大社へ向かわれます。滞在期間は、
17日までの7日間。神々のお宿は、境内の東西に並ぶ「十九社」、何とも素
朴な建物です。
 
本殿では、11日、15日、17日に「神在り祭(かみありさい)」が行われ
ます。本殿の高さは24メートル、大社造といわれ、わが国、最古の神社建築
様式で、神話でおなじみの「だいこくさま」と呼ばれている「大国主大神(お
おくにぬしのおおかみ)」が祀られています。
境内には、古代本殿の跡が発掘されており、何と柱の高さが8メートルもあり、
復元図を見ると、古の人々、平安時代の高度な建築技術に、たまげましたね。
驚くついでにもう一つ、拝礼を行う「拝殿」には、長さ7メートル、胴回り4
メートル、重さ1.5トンのしめ縄が、デーンと飾ってあります。このしめ縄
ですが、普通の神社で飾る向きと逆になっています。(これを覚えておいてく
ださい)
 
話題の中心は、何といっても自然災害回避、生産性向上、五穀豊穣、家内安全
です。       
たとえば、雨の神さまには、「えこひいきせずに全国に万遍なく雨を降らせな
さい」とか、風の神さまには、「稲が花を咲かせ実をつけるころには、情緒不
安定にならないように配慮してほしい」とか、雲の神さまには、「日輪の神さ
まと仲良くしてほしい」とか、「下野の国の何々村は、信心深いので豊作にな
るよう心してほしい」などと話し合うのでしょう。
 
次に、何といっても神さまの大切なお仕事は縁結びです。
こういうところが好きですね。子孫を残さないと神さまの存在意義がなくなり、
寂しいからだと推察します。いろいろな神さまが、適齢期の男女の情報を交換
し合い、これがよかろうと縁組を決め、次々と赤いひもを結んでいく、これが
「赤い糸」の伝説です。今はキリストの前で、愛を誓うのが流行っていますが、
昔は何といっても神前結婚でした。神さまに、添い遂げることを誓ったのでし
た。成田離婚など、赤い糸も頼りなくなりましたが、神さまも首を傾げている
のではないでしょうか。何といっても情報過多社会です。もしかしたら、神さ
ま方も混乱しているのではないでしょうか。そういえば、すっかり酔っ払って
しまった神さまが、変な糸の結び方をしてもつれてしまい、三角関係を作って
しまった落語があったと記憶しています。最近、若者に縁結びが少なくなって
いるのも、もしかすると、神様を蔑(ないがし)ろにしていることへの戒めで
はないでしょうか。(笑)。
 
誠に僭越な話ではありますが、普段、神さまは、どうやらお眠りになっていら
っしゃるのではないかと思える節があるのです。
神前で何かが始まるとき、必ず、大太鼓をドンドンと打ち鳴らし、神主さんも
「ゥ…………」と、これまた大音声を発します。仏さまも、鐘や木魚の音がお
好きのようです。日本の神さまだけではありません。教会でも、ミサの始まる
前に、パイプオルガンをガンガン奏(かな)で、いや、荘厳に演奏し、賛美歌
を歌います。いずれも、神さまにお目覚め頂くための儀式ではないかと思えて
なりません。
 
ところで、出雲の人々は、逆に「神在月(かみありづき)」ですから大変です。
何しろ八百万の神さまです。この間は、音曲、歌舞のたぐいは、一切禁止。神
さまの会議が無事終了するまで、ひたすら静かにひっそりと暮らします。神さ
まの中には、酔っ払って人に迷惑をかけるお方もいるかもしれません。何しろ
日本の神さまは、お酒の上での問題には、実にご寛容です。その証拠に、神事
にはお酒を欠かせませんし、神棚にはお神酒を差し上げます。
ですから、民話や昔話には、実に傑作な神さまがいらっしゃいます。どう考え
ても神棚から見下ろしている感じがしません。どこから、こういった発想が出
てくるのかと、しみじみ考えさせられる話が、たくさん残っています。夢があ
るのです。そうです、夢があるんですね。夢や希望をもたせる、これも神さま
の大切なお仕事です。
 
そして25日(原文のまま)は、神さまが出雲を去っていく日で、この日を神
去日(かんさらび)といい、その夜は明るいうちから戸を閉め、外の便所にも
ゆかなかったとか。その頃から吹き始める季節風、西南西(あなじ)が、あた
かも神さまが道路を駆け去って行く風の音と考えられ、恐ろしさに震えていた
そうです。
(「菜の花の沖 2」P242 司馬遼太郎 著 文春文庫 刊より要約)
 (次回は、神無月、風流です2についてお話しましょう)
 

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