めぇでるコラム

さわやかお受験のススメ<保護者編>第八章 (1) 何にもないのかな 水無月

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
             -第28号-
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第八章 (1) 何にもないのかな   水 無 月
 
暦の上では、6月から夏です。夏の読み方は、「暑(あつ)」の転化したもの
といわれていますが、他にも「生(な)る」「暑(ねつ)」などの転化したもの
という説もあるそうです。
 
水無月(みなづき)のいわれは、たくさんあります。
旧暦6月は、梅雨も終わり、炎天下の酷暑の季節に入り、文字通り、水もかれ
つきるという説と、逆に、田植えも終わり、田に水を張る月「水張り月」「水
月」からきた説、また、農家のもっとも重要なイベントでもあった田植えが終
わったことから「皆仕月(みなしつき)」「皆月(みなつき)」からきた説、
そして、雷が多い季節から「かみなり月」の「か」と「り」をとり、「みな月」
という説もあるそうです。最後の「ゴロ合わせ」ではなく「語呂合わせ」がお
かしいですね。
 
★★大切な田植えの時です★★
6月といったら、「何といっても……」というものがありません。
毎日、雨が降り、むし暑くて、うっとうしい梅雨です。
この梅雨のいわれですが、梅の実が熟する頃に降る雨から梅雨、湿っぽくて黴
(かび)が生えやすい気候から黴雨、この他に梅雨を「つゆ」と読む場合もあ
ります。しとしとと降る雨が、木々の梢や葉にまとわりつき、露となって落ち
ていく様子から“つゆ”とも呼ばれたのではないかと私流に思い込み、趣のあ
る言葉で好きなのですが、諸説があって本当のことはわからないようです。
 
梅雨前線が、日本列島にどっしりと腰をすえ、うんざりする毎日です。しかし、
この時期に、しっかりと雨が降らなくては、困るものがあります。
お米です。
田植えの季節です。
菖蒲(しょうぶ)や蓬(よもぎ)、柏の葉は、端午の節句の専売特許ではあり
ません。昔の5月は、今の6月頃にあたります。今のように、機械で苗を植え
るのと違い、田植えは、お百姓さんが、苗を1本1本、手で植えていました。
ですから、時間はかかりますし、田んぼが広ければ、人手もたくさん必要にな
ります。まさに、猫の手も借りたいほどの忙しさです。
「米」という字は、「八と十と八」からできています。お米は、種から芽を出
した苗を田んぼに植えて収穫し精米するまでに、人の手を八十八回わずらわす
といわれるほど、手がかかるのです。
 
さらに、天気にも左右されます。
ご存知のように、稲は水稲(すいとう)といって水田で栽培しますから、梅雨
にたくさん雨が降らないと、田植えはできません。ちなみに、水稲より大量の
水を必要としない畑で栽培する稲、陸稲(おかぼ)もありますが、水稲に比べ
品質は劣り収穫量も少ないため、日陰の存在に甘んじているようです。
そして、夏に日照りが悪いと、稲はきちんと育ちません。しかし、日が照りす
ぎても、田んぼの水が干上がって、稲は駄目になります。また、稲は順調に育
っても、収穫前に台風がきて、たわわに実った稲穂が強風になぎ倒され、豪雨
で水に浸かってしまっては使いものになりません。本当に、大変なのです、自
然、任せですから。農耕民族の自然との宿命的な因果関係で厳しいのですから、
神頼みにならざるを得ません。
 
そこで、昔の人は知恵を絞り、田植えが無事に終えられるように、たっぷりと
お水をいただき、夏にはしっかりとお日さまに顔を出してもらい、稲が立派に
育って、秋には、おいしいお米がたくさんとれるようにと、神様にお祈りをし
たわけです。米作りは、やり直しのきかない、言ってみれば、毎日が真剣勝負
なのです。まさに、人生そのものではないでしょうか。
 
早乙女といって、田植えは女性の仕事でした。ですから、お祈りをするのも、
女性の役目だったのです。早乙女というと、若い女の人のことですが、猫の手
も借りたいほどの忙しさですから、早乙女ではない早乙女さんもいたことでし
ょう。それはともかくとして、田植えをする人は、悪いことが起きないように、
屋根を菖蒲の葉で作った小屋に集まり、精進潔斎(肉食を断つなどして身を清
めること)、一晩中、お祈りをしました。ですから、昔の5月5日は、夏負け
をしないように、匂いの強い草で、魔物を追い出す日であり、田植えの準備の
日でもあったのです。
 
浄瑠璃といえば近松門左衛門、そのすぐれた伝統芸能を観賞する機会はほとん
どありませんが、残された名作を本で読むことはできます。代表作の一つ、ど
うしようもない放蕩無頼で、典型的な自己中の不良青年、与兵衛を描いた「女
殺油地獄」の中に、「五月五日の一夜を女の家と言うぞかし」とあり、男の祭
りではなく、無事に田植えを行えるよう祈願する女性の祭りであることがわか
ります。
 
その田植えですが、本当に、たいへんな仕事です。
私も、子どもの頃に猫の手になり、手伝った経験があります。泥んこの田んぼ
に足をつけたまま、幅1メートルほどの範囲を、10センチ間隔ほどに苗を植え
ていくのです、腰をかがめて。これを30分程続けると、完全に腰にきます。
伸ばすと、ボリッと音がするほど、筋肉は、まいってしまいます。
先日、テレビで天皇陛下が苗を植えるお姿を拝見しましたが、陛下の重要なお
仕事とはいえご高齢だけに、無理をなさらないでほしいと願わずにはいられま
せんでした。
 
夏になると、稲のまわりに雑草が生えますが、これを取り除くのも一苦労です。
また、腰をまげて、手で雑草を取ります。これが、かんかん照りの太陽のもと
での作業ですから、田んぼの水は、それこそ生ぬるく、草いきれで、むっとす
る匂いには、泣かされました。蛭(ひる)という人の血を吸う虫もいて、環境
のよい仕事場ではありませんでした。日本の夏は高温多湿であるだけに、少し
でも手を抜くと雑草が生え、稲の成長を妨げますから手入れが大変で、まるで
わが子を育てるのと同じだとお百姓さんに聞いたことがありますが、子どもを
育てて実感しました。
手を抜いた分、親が考えもしなかった色に染まってしまうのですから。「手を
抜く」といっても育児を放棄するのではなく、ちょっとした思い違いから、親
子の絆にひびの入ることもあるものです。「おかしいな?」と感じた時は、親
から子どもに話しかけるべきではないでしょうか。そういう時は、子ども自身
も迷っているはずだからです。
 
さて、最後の収穫、これも1株、1株、鎌(かま)で刈っていきます。繰り返
しますが、お百姓さんの腰が曲がるわけです。刈った稲を、今度は、天日で乾
かします。それを脱穀機で稲穂を取り、もみ殻にして、これを精米機にかけ、
やっとお米になるのです。農業の機械化というのでしょうか、田植えから脱穀
まで、全部、機械でできるそうですから、これは、すごい省力化です。そうい
えば、最近、腰の曲がったお百姓さんを、あまり、見かけません。「農業に従
事する若者がいないのですよ」と言われそうですが、省力化の結果ではないで
しょうか。
 
田植えは、実りの秋への出発点です。ですから、この時期の天候は、本当に神
頼みでした。
私の住んでいる川越でも、田んぼに水が張られ、まもなく田植えが始まります。
JR埼京線や東武東上線の車窓からの眺めは、関東平野であることを実感できま
す。
 
勝手な思い込みですが、日本のお米ほどうまいものはありません。
貿易の自由化で外米が入ってきても、「私は日本産のお米しか食べません!」
などと農家を援護するけなげな心構えのようですが、本当のことを言えば、日
本酒が大好きだからです(笑)。日本酒がうまいのは、美味しいお米と水がある
からで、またしても日本人に生まれたことを感謝せざるを得ませんね。
 
★★てるてる坊主★★
この月は、しっかりと雨が降ってくれなくては困りますが、雨が降ってほしく
ない時もあります。
子どもの頃、遠足や運動会の前日に、てるてる坊主を作ったものでした。今で
も、この風習は残っているようです。天気にしてくれた時には、目、鼻、口を
つけてあげた記憶があります。
 
てるてる坊主
作詞 浅原 六郎  作曲 中山 晋平
 
(1) てるてる坊主 てる坊主 明日天気にしておくれ
    いつかの夢の空のように はれたら金の鈴あげよ
 
(2) てるてる坊主 てる坊主 明日天気にしておくれ
    私の願いを聞いたなら  甘いお酒をたんと飲ましょ
 
(3) てるてる坊主 てる坊主 明日天気にしておくれ
    それでも曇って泣いたなら そなたの首をチョンと切るぞ
 
幼子の「どうしても晴れてほしいなぁ!」という気持ちが伝わってきます。
「しかし、しかしです」と何も興奮することはありませんが、「てるてる坊主
は、坊主ではなく娘さんで
す!」と聞けば、「ナヌ!?」となりませんか。発祥の地は、またしても中国
でした。
 
てるてる坊主の起源は、中国で掃晴娘(そうせいじょ)とよばれる、ほうきを
持った女性の紙人形をつるす風習からきている。娘がほうきで晴れ気を掃きよ
せ、晴天や幸運を招き寄せようとするまじないで、平安時代に日本へ入ってか
らは、なぜか坊主に代わってしまった。
 (日本の年中行事百科 2 夏
   民具で見る日本人のくらしQ&A P14
     監修 岩井 宏實 河出書房新社 刊)
 
お坊さんの頭は、つるつるで、何やら光り輝いていますし、明日の天気は神頼
み、いや、この場合は仏頼みで、晴れのイメージにつながったのでしょうか。
ところが、今の小学校の音楽の教科書の中にはないそうですし、ラジオなどで
流す場合は3番をカットするケースが多いとか。その理由は、歌詞の3番に、
「それでも曇って泣いたなら そなたの首をチョンと切るぞ」
とありますが、それは自分の願いを聞き届けさせようとする「脅迫信仰」であ
って、童謡らしくない残酷な表現だからだそうです。作詞者のイメージとして
は、残酷に処刑するのではなく、「晴れなかったら承知しないからね!」と、
どうしても晴れてほしい切実な願い、その気持ちを表現したかったのではない
でしょうか。映画やテレビ、漫画、DSのゲームなどでは、もっと残酷な場面
を映像で見せつけているではありませんか。詩は、イメージです。こんなこと
まで規制されるのは、情操教育を考えると、首を傾げたくなります。残酷な犯
罪は、きちんとイメージを描けないから起きるのではないでしょうか。
 
ですから、「イメージ化できる」ことは、非常に大切な感性です。感性こそ、
子どもの時から様々な経験を積み重ね、磨いていくものです。以前にもお話し
ましたが、イメージ化を培う力は、読書と何事にも自力で挑戦する生活体験で
す。文字を読み取り、その世界を作り上げる作業は、人格を築き上げる大切な
学習です。若者の活字離れが指摘され久しくなりますが、思考力や思想を構築
する力が劣るわけです。お子さんに本を読む習慣を身にけさせるには、本の読
み聞かせと、ご両親の読書をする姿をしっかりと見せておくことです。
そして、何事も自力で挑戦する意欲を育てましょう。失敗を恐れる子にしては
いけません。「為せば成る」ではありませんが、試行錯誤を積み重ねることか
ら、工夫する力も忍耐力も育まれます。
「そんなこともできないのは駄目な子なの!」などというお母さんがいると聞
きますが、「できるように頑張る子に育てるのが親の仕事」です。ご両親のさ
じ加減で、お子さんの潜在能力は開発されることを肝に銘じてほしいものです。
 
最後にお母さん方に一言、お子さんがいる時は、テレビは消しましょう。
「ゲームばかりしていないで、勉強しなさい!」の説教に効き目のないのは、
ここに原因がある場合が多いのです。
「お母さんだって、テレビばっかり見ているじゃん!」
と不満に思う子どもの心が読めないようでは、賢いお母さんとは言えません。
(次回は、「しみじみとうまいにぎり飯」他についてお話しましょう)

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