めぇでるコラム
さわやかお受験のススメ<保護者編>第6章(4)四月に読んであげたい本
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「めぇでる教育研究所」発行
2017さわやかお受験のススメ<保護者編>
~紀元じぃの子育て春秋~
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第23号-
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第6章(4)四月に読んであげたい本
落語の「野ざらし」に、よく似た話です。「親切は、人のためならず」といっ
たものですが……。子どもでさえわかる悪いことをやっている大人の多い世の
中ですから、「渡る世間は鬼ばかり」で、「地獄の沙汰も金次第」では、こう
いうおじいさんは、いなくなるでしょう。
◆むすめのしゃれこうべ◆ 小沢 清子 著
むかし、あるところに、村人から用事を頼まれては、わずかな礼金をもらい生
活をしている、じいさまがいました。
ある年のお釈迦さまの日に、酒を飲もうとしていたところへ、急ぎの使いを頼
まれ、ひょうたんに酒を入れて出かけました。野には、かすみがかかり、桜も
菜の花も、今が盛りと咲いています。「花見酒」としゃれたじいさまは、桜の
木の下に座ると、しゃれこうべがころがっていたのです。じいさまは、出会っ
たのも縁と思い、しゃれこうべに酒をたらして一緒に飲みました。
その帰りに同じ所へさしかかると、年の頃、十六、七の美しい娘がいたのです。
三年前に花に誘われ、ここまで来たが、胸が苦しくなり死んでしまい、今度、
三年忌の法事があるので、一緒に家まで行ってくれないかと頼まれます。花見
酒を飲んだしゃれこうべが娘だったのです。
行ってみれば、大きな屋敷で、尻込みするじいさまは、娘にせかされ屋敷に入
ったのですが、不思議なことに、じいさまの姿は見えないらしく、だれも気づ
きません。坊さまのお経が終わると、法事の膳が運ばれましたが、じいさまに
は、食べたこともない料理ばかり。
夢中になって食べていると、下女が誤って皿を割ったのです。主人は、客の前
で怒りだし、見ていた娘は、「三年前と変わらぬ、ととさまなんか見たくない」
と姿を消してしまいます。
とたんに、じいさまの姿は、人に見えるようになったので、事の次第を話し、
骨を持ち帰り、手厚く葬ったのです。じいさまは、娘の恩人として家に引き取
られ、幸せに暮らしたのでした。
春休みのおはなし 四月 花さかじい 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
日本民話の会・編 国土社 刊
三代目、桂三木助師匠の名人芸を思い出します。新宿の末広演芸場で聞いた時
のことですが、演じる師匠と聞く客が一体となって楽しんでいました。何とも
和やかな雰囲気で、気がねなく大声で笑ったものです。
最近、みんなで大笑いする機会が、少なくなっていないでしょうか。自己中の
人は、笑い顔を見せませんね。「笑う門には福きたる」ともいわれていますが。
新宿のバーで知り合った春風亭小柳枝師匠の話を聞くために末広に出かけます
が、若い人はあまりいませんね。人情話なんか、かったるくて聞く気がしない
のでしょうか。「人情」を辞書で引くと、「人として自然にそなわっている、
心の動き、特に愛情、情け、思いやり」(岩波 国語辞典)とあります。人の
情けは、楽しく生活を過ごすための潤滑油の役割を果たしていたのですが、
「プライバシーの重視」とか何とかで影が薄くなってしまいました。
落語は、笑いながら学べるエスプリの塊のようなもので、すぐれた話芸は心に
沁みこむものですが、その火を消すのも今、生きている私達なんですね。三木
助師匠の左甚五郎の逸話を語る長編落語(CD約45分)「ねずみ」や「三井
の大黒」は、いつ聞いても心が和み、励まされたものでしたが……。
ところで、文中に、「霞がかかり、桜も菜の花も、今を盛りと…」とあります
が、これを読むと文部省唱歌の「朧月夜」を思い出します。「早春賦」のとこ
ろでもお話ししましたが、中学生の頃まで、この歌も、お姉さん達の歌声でな
ければ「承知できない。許せない」と、なぜか、かたくなに信じていたのです。
大好きな歌でしたが、歌うことには抵抗がありましたね。しかし、こういう風
情を味わえる時代があったことは、確かなのです。そこかしこに、自然は息吹
いていました。
よく知られている与謝野蕪村の句に、
菜の花や 月は東に 日は西に
があります。
春の日暮れを思い描ける好きな句の一つですが、司馬遼太郎の随筆の中に、こ
の句について語るところがあります。代表作の一つである「坂の上の雲」、先
進国に追いつくために、富国強兵と駆け足で上がってみた雲は、大きな犠牲を
払った太平洋戦争で、雲散霧消してしまいました。NHKでドラマ化されまし
たが、氏は映画化されることを望んでいなかったはずですが、どうしたことで
しょうか。学校で習った「日本史」は面白くありませんでしたが、幕末から明
治時代の歴史は、氏の著書で楽しく学べます。私たち親も含めてですが、若者
に欠けているのは、歴史に対する認識ではないでしょうか。司馬遼太郎、永井
路子さん、澤田ふじ子さん、諸田玲子さんなどの歴史小説を読んでほしいです
ね。教科書ではわからなかったことが、たくさん書かれています。外国人と対
等な付き合いをするには、自国の文化を知らなければならないのですが……。
堤上に立てば、月は東の生駒山系にのぼり、日は西のかなたはるか一の谷の雲
間に沈む。両岸(淀川)の野は、菜の花の黄があるのみである。
(「以下、無用なことながら」(489頁)文春文庫
司馬遼太郎 著 文芸春秋社 刊)
朧月夜には、黄色が似合いますね。
朧月夜
作詞 高野 辰之
作曲 岡野 貞一
一 菜の花畠に 入日薄れ
見わたす山の端 霞ふかし
春風そよふく 空を見れば
夕月かかりて にほひ淡し
二 里わの火影(ほかげ)も、森の色も
田中の小路を たどる人も
蛙(かわず)のなくねも 鐘の音も
さながら霞める 朧月夜
里わ(里曲・さとみの誤読 人里の辺り)
にほひ(“におい”の旧仮名遣い)
ところで、現在、文部省は文部科学省といわれていますから、文部省唱歌も文
部科学省唱歌といわなければならないのかなと検索したところ、以下のような
回答にヒットしました。
文部省唱歌という呼称は法律や何かで規定されたものではありません。明治時
代に文部省が教科書用にした唱歌が自然発生的にそう呼ばれているので、文部
科学省とは直接に関係を持たないのです。ということで、回答としては「なり
ません」か「できません」です。
(文部省唱歌jp.ask.com/)
次は、本当に皮肉な話ですが、信仰について考えさせられます。修行中の坊さ
まと、生きものを殺す仕事をしている猟師との心眼の話です。小泉八雲氏も
「常識」という題で書いています。まさに常識ですが、妙な宗教にはまる若者
も、その原因を指摘する声はいろいろ聞こえてきますけれど、一つは、良識に
欠けている隙をつかれるのではないでしょうか。
神を感じるのは心であり、理性ではない パスカル〔パンセ〕
まことに神の本質を言い当てている。理性ではない、心に祀る神を、人間は悪
用、あるいは乱用している。神の御名において、神の御心のままに、などと自
分にとって都合のよいところだけをすくい取りして、人間の声を天声に変えて
しまう。
(忘れかけていた人生の名言・名句 森村 誠一 著 P226
角川 春樹 事務所 刊)
良識は、健全な一般人が共通に持っている思慮分別のことではないでしょうか。
良識は、自己を鍛錬して身につけるものであり、共生するための掟と考えてい
ます。価値観の多様化で、当たり前のことが当たり前と考えられなくなってい
ないでしょうか。小さいときの情操教育は、思慮分別の基本を作るものと思い
ます。お手本はご両親で、作る場所は家庭であり、第三者にゆだねるものでは
ありません。
◆とうとい仏さまの正体◆ 谷 真介 著
むかし、京都の愛宕山に、名高いお坊さんがいました。お坊さんは修行中で、
小僧さんを一人置き、小さなお堂から、めったに出なかったそうです。このお
坊さんのところへ、里から一人の猟師が、食べ物を持って、よく訪ねるのでし
た。
ある年のこと、猟師が久しぶりに訪ねると、お坊さんは「近ごろ、夜になると
普賢菩薩様が、白い象に乗りお姿を現す」というのです。そこで猟師は、一夜
を山のお堂で過ごすことにしました。すると、真夜中のこと、東の山から月が
昇るような光が、お堂に差し込み、白い象に乗った菩薩様が現われたのです。
お坊さんは、一心にお経を唱えています。猟師は、おかしなことに気づきまし
た。お坊さまの目にはともかく、お経一つ読めない自分の目に、どうして菩薩
様のお姿が見えるのだろう……、このことです。猟師は、弓を矢につがえ、菩
薩の胸に向けて矢を放ちました。びっくりしたお坊さんは、大声で戒めました。
ところが、今まで明るく見えていた後光が消え、何ものかが谷底へ転げ落ちる
音がしたのです。猟師は、真の仏様なら矢が刺さるわけがないといいました。
夜の明けるのを待って、谷底を調べに行くと、大きな古狸が一匹、胸を射られ
て、仰向けに転がっていたのでした。
日づけのある話 365日
四月のむかしばなし 谷 真介 編・著 金の星社 刊
世界的なベストセラーとなった「ダ・ヴィンチ・コード」(「最後の晩餐」の
斬新な解説には脱帽!)に、信仰について以下のような話があります。
「世界中すべての信仰は虚構に基づいているんだよ。信仰ということばの定義
は、真実だと想像しつつも立証できない物事を受け入れることだ。古代エジプ
トから現代の日曜学校にいたるどんな宗教も、象徴や寓話や誇張による神を描
いている。象徴は、表しにくい概念を表現するひとつの方法だ。それを丸呑み
しないかぎり、さほど問題を生じない。(中略)信仰を真に理解する者は、そ
の種の挿話が比喩にすぎないと承知しているはずだ」
(「ダ・ヴィンチ・コード」(下)P57-58
ダン・ブラン 著 越前敏弥 訳 角川書店 刊)
「信者には神聖なことかもしれないが、信者でない者には、おかしな話になる
ものだよ」と明治生まれの親父はよくいっていましたね。しかし親父は、「天
皇陛下様は神聖にしておかすべからず」が口癖でしたから、説得力に欠けてい
ましたが、言わんとすることは理解でき、若い頃、宗教にはまることはありま
せんでした。
東日本大震災が起きたとき、小泉八雲の作品で江戸時代にあった津波の話を思
い出したのですが、資料がなく残念に思っていたところ、月刊誌で見つけまし
たので紹介しましょう。
大震災後、64年ぶりに小学校の教科書に復活しました。
高台の田んぼにいた庄屋(村落の長)五兵衛は、強い地の揺れを感じた。眼下
の村では、人々が祭りの準備に忙しかった。そこから、もう少し遠くに眼をや
ると―海がどんどん後退し干潟になってきている。これは―伝え聞いた「あれ」
ではないか。五兵衛は立ちすくんだ。すぐ避難させねば―しかし下りていって
説明する暇などない。彼は火打石を取り出し、とりいれたばかりの稲の束に火
をつけた。燃え上がった束で次々に火をつけてまわった。村人が炎と煙に気づ
き、何をしている、やっと収穫した稲に火をつけてまわるとは―と、いっせい
に駆け上がってきた。村の男女・子供までが燃え上がる稲むらの前の五兵衛を
取り囲み非難しようとした。その時、彼は人々の背後を指さした。眼にする限
りの海が白い巨大な壁になって村に襲いかかってきた―。
これは、戦前の小学校・国語教科書に載っていた「稲むらの火」の「あらすじ」
で、原作は小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の作品。安政年間、紀伊・和歌
山を襲った大地震・津波での実話を伝えたものです。
「稲むらの火」挿話の教訓 諏訪 澄 著
WiLL 5月緊急特大号 P42 ワック株式会社 刊
主人公、五兵衛のモデルは、醤油醸造業(現・ヤマサ醤油)の家督を継いだ浜
口五陵。震災後故郷の紀州広村に千五百両の私財を投じ、高さ5メートル、長
さ600メートルの堤防を築き、村民の離散を防ぐ。感謝を込め「浜口大明神」
を祀ろうとすると、「神にも仏にもなるつもりはない」と叱りつけて辞退。4
メートルの津波が襲った1946年の昭和南海地震では堤防により、流失家屋
は2軒だけ。国指定史跡となった「広村堤防」は、大きく育った樹木に覆われ、
自然の中に溶け込んでいる。(インターネットで「広村堤防」を見ることがで
きます)
東京新聞“筆洗”に出ていたコラムの抄訳ですが、自然と共生するには「想定
外はない」ことを真摯に受け止め、「広村堤防」のように住んでいる人々の生
活を考え、大胆に計画、構築できないものでしょうか。
国民の安全と教育は行政の要であり、長期的な視野に立った計画でなければで
きません。
5年たった今現在、原発事故の収束はおろか、住む町に帰れない人々がいるこ
とを、私達は忘れようとしているのではないでしょうか。
「何かできることはないか」などと力んでみても、できないのが現実ですから、
せめて節電を心がけ、原発だけに依存しない生活を営み、次世代の人々にバト
ンタッチをしたいものですが、これだけ電気に依存する便利な生活に慣れてし
まうと、こんな考えは絵空事で、説得力などありません。「その国の発電量は
文化のバロメーター」、誰の言葉か思い出せないのですが、これは確かではな
いでしょうか。
最後は、むかし話ではおなじみの動物の恩返しです。動物でさえ恩を返すのに、
人間は、あだで返す話をよく聞きます。「動物でさえ」などといったら、動物
たちから抗議文が来るかもしれません。「動物は」に訂正しておきましょう。
春に来て子を育て秋に南の国へ帰り、そして生まれた所へ帰り子育てをする、
不思議な習性を持つツバメ。近くの関越高速道路の陸橋の下に、よく巣をかけ
ていたツバメが、ここ数年、全く姿を現さなくなりました。
また、ここ2、3年のことですが、10月頃になると日暮近くにスズメやムク
ドリの大群が、ねぐらを求めて東上線川越駅前の街路樹に群がっていました。
およそ300羽もいるでしょうか、その騒々しいこと。アルフレッド・ヒッチ
コックの名作「鳥」ではありませんが、小さなスズメやムクドリでも、あれだ
け数がそろうと怖いですね。もっとも、糞害ですが(笑)。ところが、平成
25年に駅前の街路樹は、新しい駅前広場に改築されるため伐採され一本もな
くなり、帰ってきた鳥たちは、電信柱や近くのビルの屋上で羽を休めていまし
たが、昨年の秋は、ほとんど姿を見せませんでした。引っ越し先を見つけたの
でしょうか。人間にとって快適な環境でも、残念ながら恩恵を受けない生き物
が、たくさんいるということですね。ツバメも同じではないでしょうか。「地
球にやさしく」と自然環境を守る運動に参加を呼びかけられた時、「人間の存
在自体が自然環境の破壊になっているのに」などと、したり顔で言っていた自
分を思い出しました。年は取ってもいささかも貢献していませんね、「地球に
やさしく」に(笑)。
◆つばめの恩返し◆ 高津 美保子 著
ある日のこと、一人暮らしのじいさんが、飯を食べて縁側で休んでいたところ、
一羽のつばめが、けがをして落ちてきました。薬をつけて包帯し、介抱したと
ころ元気になり、南の国へ帰っていったのです。
次の年、一羽のつばめがやってきて、庭にいたおじいさんの頭の上に、真っ黒
な大きな粒を一つ、落としていきました。ふんかと思ったらすいかの種です。
育ててみると、とても大きなすいかになりました。食べようと包丁を入れたと
ころ、種が飛び出したかと思うと、小さな大工どんや木びきどんとなり、十日
もすると立派な家を作り上げたのです。それだけではなく、どこからか米の俵
や味噌桶、醤油樽などを、次々と担いできて、部屋をいっぱいにし、「なくな
れば、また来ます」と、どこへともなく姿を消してしまったのです。それから
と言うもの、おじいさんは、何不自由なく暮らしたのでした。
※木びきどん(木をのこぎりでひき木材にする人)
四月のおはなし あたまにさくら 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
日本民話の会・編 国土社 刊
小さな命を大切にする昔話は、情操教育に欠かせないもので、幼い心に、こう
いった刺激を、たくさん与えてあげたいものです。
ところで、1月下旬のことでしたが、「深谷ねぎ」で知られる埼玉県深谷市の
あるお宅に、どうしたことか雀が舞い込み、今では家族の一員として過ごして
いると埼玉新聞に出ていました。人懐っこい雀で「ピーちゃん」と呼ばれ近所
でも評判とか。事の起こりは、奥さんが近所の十字路で小学生の交通指導をし
ていた時に肩に止まり、「人懐っこいスズメだこと」と感心していたのですが、
奥さんが家に帰るとついてきて、追っても、追っても家に入ってき、そのまま
住み着いてしまったそうです。ご主人の手に乗り餌を食べている写真も出てい
ました。「舌切り雀」のような話でほほ笑ましくなりましたが、ツバメといい
スズメといい、あの小さな体のちっこい脳に、どのような働きがあるのか、不
思議ですね。
名物「深谷のねぎ」、これがねぎかと信じがたいほど甘みがあり、生でガリガ
リとかじって食べられるのにはびっくりしました。焼くと甘みが増し、ねぎの
イメージが変わったことを覚えています。親父はこれを肴に、焼酎をストレー
トでグビリと飲んでいましたが、嫌いではない私も、この真似はできません(笑)。
(次回は、「第7章(1) 端午の節句です 皐月」についてお話しましょう)