めぇでるコラム
さわやかお受験のススメ<保護者編>第10章 終戦記念日、このことです 葉月(4)
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「めぇでる教育研究所」発行
2024さわやかお受験のススメ<保護者編>
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第39号-
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第10章 終戦記念日、このことです 葉 月(4)
間もなく終戦記念日。終戦後80年近くになりましたので、保護者の方もなか
なかイメージしにくいのではないでしょうか。それにもまして戦争そのものの
話は小さな子ども達には難しい話ですから、今回の配信を機に、戦争について
ご両親はどう考えているか話し合ってみましょう。
【八月に読んであげたい本】
昭和20年3月10日、東京大空襲。たった一晩で、10万人もの尊い命が失
われました。
その東京大空襲を描いた「東京大空襲ものがたり」は、年長さんでも理解でき
るのではないでしょうか。当時の世相や風習もわかりやすく解説されています。
ダイジェストにするのはおこがましいと思い、本文を少し紹介することにしま
す。
◆東京大空襲ものがたり◆ 早乙女 勝元 著
「電柱だけが知っている炎の夜のこと。
ゆかりと進一の家の近くに、真っ黒こげの電柱があります。
これは、咲子おばさんにとっては、たった一つだけの、大事な目印なのです。
東京大空襲の炎の夜に、おばさんは、赤ちゃんの螢子ちゃんと、ここではぐ
れてしまったのです。
二人は父さんから、その話を聞かされ……」
これが物語の始まりで、真っ黒こげの電柱の叫び声で終わります。
亡くなった人は、何も語ることができませんが、どれだけたくさんの、つら
く悲しいできごとがあったことでしょうか。焼け残りの電柱は、今も東京下
町の、あの町角に立っています。北風の吹く寒い日も、夏のカンカン照りの
日も、電柱は亡くなった人たちに変わって、「炎の夜」のできごとを、私に、
そしてみんなに語り続けているように思われます。
でも、その声は聞こえません。ですから、ゆかりと進一は、電柱にかわって、
こう呼びかけるのです。
誰もが、平和を守るための努力を、
そのための、小さな勇気を、
わすれてはいけない、と。 花房ゆかり 眞一
(東京大空襲ものがたり 早乙女勝元著 有原誠治絵 金の星社 刊)
今となっては、空襲の辛い体験をされた多くの方々は、すでに冥界へ旅立たれ
たのではないでしょうか。こういった現実があったことを、しっかりと子ども
に伝えることも、親の仕事ではないかと思います。
◆長崎のピカ◆
昭和20年の8月6日に、広島に原子爆弾が落とされたの。
一発で広島中が燃え、何10万の人が死んだの。
3日後の8月9日、今度は長崎に落ちて、私の家族8人は一人ずつ順々に死
んでいったの。
最初に死んだのは、おばあちゃん。外出中に被爆し、真っ黒になり、はらわ
たを出して死んだの。次の日に、父さんと母さん、兄ちゃんと死んでいった
けれど、上の妹、ゆみ子は、ずうっと見ていたの。次の日の明け方、きれい
な船に、父さんと母さんと、おばあちゃんと兄ちゃんが笑って、おいで、お
いでしていると、かぼそい声で言うの。「船に乗ったらだめ!」と叫んだけ
れど、「みんなで迎えに来たよ」と言って亡くなったの。顔はボールのよう
にはれあがり、歯ぐきはまっ黒にただれ、紫色の斑点が身体中に出て、口も
動かないの。でも、そう言って死んだの。気がついたら、弟も死んでいたの。
下の末っ子の妹、すず子は、防空壕で体を寄せ合っていたら、冷たくなって
いくので、マッチをつけてみたら、もう死んでいたの。その身体を、一晩中
だいて寝ていたの。冷たくて、皮がべろべろとはげるの。
次の日、お隣のおじさんがきて、一人ずつ焼いたの。
私は、12歳でした。
夏休みのはなし
「海ぼうず」 松谷みよ子/吉沢和夫監修 日本民話の会・編 国土社刊
12歳の無残な夏、平和な時代に生かされていることに、ただ感謝するだけで
す。
もう一冊、戦時下を舞台にした話を紹介しましょう。
◆ホタルになった兵隊さん◆ 堀田 貴美 著
前の戦争のとき、九州南端の知覧に陸軍の飛行場があり、戦争末期、そこは
特攻基地でした。
特攻機は人間爆弾で、搭乗員は、二十歳前後の若者達だったのです。基地の
近くに、おばさんと二人の娘が手伝う富屋食堂があり、隊員達に親しまれて
いました。その中に、出撃後に飛行機が故障して、帰ってきた宮川三郎軍曹
がいました。再び、出撃しましたが、二度とも機械が故障し、引き返したの
です。整備隊長に、いい飛行機をくださいと訴えました。仲間が戦死し生き
残るのは辛かったのでしょう。同じ頃、やはり、一人生き残った滝本軍曹が
配属され、宮川さんと知り合い、富屋に一緒に顔を見せるようになりました。
昭和20年6月5日の夕方、二人は、明日出撃するため、富屋へ別れにきた
のです。
娘たちは、出撃の鉢巻きを贈り、話もつきません。帰りがけに宮川さんが娘
達に、「明日の晩9時に、ホタルが2匹入ってくるから、中に入れてやって
ね」と言いました。
翌日は天気が悪く、富屋の人達は、案じていましたが、夜8時頃、滝本さん
が現われ宮川さんは行ったという。2機並んで飛び立ったが、雨雲にさえぎ
られ、帰ろうと合図しました。宮川さんは、「お前は引き返せ」と、別れの
合図をし、雨雲の中へ飛び去ったのです。娘達は、宮川さんの気持ちが、痛
いように伝わってきました。
その時、一匹のホタルが天上にとまり、時計を見ると、9時でした。宮川さ
んが言った時刻と何秒も違いません。店にいた隊員もよってきて、滝本さん
達は、ホタルを見ながら、宮川さんの思い出を話しました。ホタルは、話を
聞いているようでした。
「宮川さん、やっぱり帰ってきたんじゃねえ。」
おばさんは、ぽつんと言いました。
日本むかしばなし 23
ジェット機とゆうれい 日本民話の会 金沢祐光 絵 ポプラ社刊
最後の、おばさんのつぶやきが、悲しく、何とも言えません。多くの人達の犠
牲でつかんだ平和を、私達は、無駄遣い、浪費していないでしょうか。
戦争の話から離れ、盛夏、真夏に怪談話を一席。
むかし話にも怪談はありますが、現代っ子は、昆虫を殺しても、「電池、取り
替えてよ、お母さん!」というそうですから、こんな話、恐がらないかもしれ
ませんね。
◆あめかいゆうれい◆ 中本 勝則 著
ある夏の暑い晩のこと。
あめ屋のじいさんのところへ、青ざめた顔をした一人の女が、あめを買いに
きたのです。
それからというもの、決まったように、夜遅く、あめを買いに来ます。七日
目の晩のことでした。
「あめをください」と差し出した手に、銭はありません。いつもより、青ざ
た顔は、悲しそうに見えるのです。じいさんは、何もいわずに、あめをあげ
ました。
「どこの人だろう」と後をつけると、不思議なことに、山寺の山門まで来る
と姿を消したのです。
すると、寺の中から、赤子の泣き声が聞こえるのでした。驚いたじいさんは、
和尚さんに訳を話すと、まだ新しい墓にじいさんを連れていったのです。
先日、赤子を身ごもったまま女の人が亡くなり、それがこの墓だというので
す。掘り出してみると、棺桶の中で、玉のような男の子が、母の胸にしがみ
つき、見れば男の子は、あめをにぎっているではありませんか。じいさんが
売ったあめでした。
昔、死んだ人には、一文銭を六枚、手に握らせ墓に埋めたそうです。死んだ
ら渡る「三途の川」の渡し賃でした。しかし、母親の手の中には、六文銭は
なかったのです。
和尚さんは、泣いている男の子を抱き上げて、「母さまは、わしが供えた銭
で、毎晩、お前のために、あめを買いに行ったのだ」と言って、静かに念仏
を唱えたのでした。
海ぼうず 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
日本民話の会・編 国土社刊
妖怪やお化けの話は、たくさんあります。幼児用に、怖くない話が多いですか
ら、お子さんが興味を持ったときは読んであげましょう。無理なく、勧善懲悪
を教えるように構成されているからです。
( 次回は、「お月見です」についてお話しましょう。)
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
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