めぇでるコラム

さわやかお受験のススメ<保護者編>第11章 お月見です 長月(4)

 
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       「めぇでる教育研究所」発行
   2023さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第43号-
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第11章  お月見です   長 月 4
 
 
【九月に読んであげたい本】
 
なぜ、お月さまに、うさぎが住むようになったか、そのいわれを伝える話があ
ります。主役は、あの良寛さんです。原作は、良寛さんの略歴や性格などの説
明がありますが、ここでは、月とうさぎということで省略しました。
 
 ◆良寛と月とうさぎ◆   良寛 著
 
秋になると、お月さまの好きな良寛さまは、子ども達にこんな話をしました。
大むかし、猿ときつねとうさぎが、仲良く、助け合って住んでいると聞いた神
様は、本当かどうか知りたいと思いました。ある日、神様は、ぼろぼろの服を
着た老人に化け、三匹の住む林にやってきました。杖をつき、ひょろひょろと
歩いてきた老人は、長い間、何も食べていないので、食べ物を恵んでくれと言
うのです。
そこで、猿は木の実を少し見つけ、きつねは川魚を捕ってきましたが、うさぎ
だけは、何もとらずに戻って来ました。老人は、三匹は、心を一つにして暮ら
していると聞いたが、うさぎは、物を恵む心が薄いようだと言ったのです。
うさぎは、猿に芝を刈ってきてくれと頼み、きつねには、芝を燃してくれと、
悲しそうに言いました。
猿は芝を担い、きつねは、火をつけたのです。すると、うさぎは、「何もあげ
られないので、私の肉を食べてください」と、火の中へ飛び込み、死んでしま
ったのです。驚いたのは、神様です。かわいそうなことをしたと、泣き伏し、
猿も、きつねも、泣きました。立ち上がった老人は、「三匹は、感心なものだ。
中でもうさぎの心は、立派で、美しい」と言ったのです。
やがて、老人の姿は神様になり、杖でうさぎの体に触ると、もとの真っ白な体
になったのです。
しかし、うさぎは目をつむったままでした。
 「お前を天の月の宮へ送ろう。お前は、これから、いつまでも、あの月とと
もに輝くのだ」と神様は言ったのでした。       
 「それだから、まるいお月さまを、よく見てごらん。お月さまの中で、うさ
ぎが跳ねているのが、見えるだろう」と良寛さんは、子どもたちに話すのでし
た。
   少年少女・類別/民話と伝説-二九  日本の心をうつ話
                    関 英雄 編著 偕成社 刊 
    
この話は、良寛さんが作ったのではなく、原作は、龍樹(リュウジュ 2世紀
に生まれたインド仏教の僧)の主著の一つ「大智度論」(般若経の百巻に及ぶ
注訳書)にあるものだそうです。修行中のお坊さまが、空腹でふらふらになっ
ているのを見た鳩が、焼き鳥になるから食べてくれといって火に飛び込み、涙
ながらに食べる話です。鳩は、お釈迦さまの化身という教えであり、インド、
中国を経て、日本へ伝わったもので、「今昔物語」の巻の五にも出ています。
それを良寛さんが、子ども達に話してあげたのでしょう。月の中で、うさぎが
跳ねていたり、もちをついたりしているように見て楽しむのと、月の表面のま
だらなクレーターが、そのように見えるだけと片付けてしまうのとでは、どち
らが子どもの感性を育むのでしょうか。
 
うさぎといえば、童謡「うさぎとかめ」を思い出す方も少なくないのではない
でしょうか。夏目漱石の「吾輩は猫である」でも、くしゃみ先生の子どもが歌
っています。その二番の歌詞ですが、
 二、なんと おっしゃる うさぎさん  そんなら おまえと かけくらべ
   むこうの 小山の ふもとまで  どちらが さきに かけつくか
とあります。
 
ところで、かめさんに負けたうさぎさんは、どうなったかご存知ですか、実は、
続きがあるのです。
負けたうさぎさんは、うさぎ村から追放されるのですが「子うさぎをよこせ!」
と脅迫してきた狼を、知恵を働かせてやっつけ、名誉を回復し、うさぎ村へ帰
ることができたのです。「負けたうさぎ」で検索すると、「新潟県の民話 福
娘童話集」が出てきますが、これが傑作で、思わず1時間ばかり読んでしまい
ました(笑)。
このイソップ物語、驚いたことに、明治時代の教科書に掲載されたときの題名
は、何と「油断大敵」とあるではないですか。(脱帽!)
 
 
    
 ◆てんとうさまと金のくさり◆   おざわ としお 再話
 
むかし、あるところに、母さんと太郎、二郎、三郎の三人の子どもが住んでい
ました。
ある日、母さんは、「山へ仕事に行くから、だれが来ても戸を開けてはいけな
い」と言って出かけましたが、母さんは、鬼ばさに食われてしまいます。母さ
んに化けた鬼ばさは、家に来て、「戸を開けておくれ」と言うのですが、「母
さんはきれいな声なのに、がらがら声じゃないか」と開けません。鬼ばさは、
きれいな声のでる草を食べ、「開けておくれ」と言うと、太郎は、少し開けて
手を見ると毛むくじゃらなので、「母さんの手は、すべすべしてきれいだ」と、
閉めてしまいます。鬼ばさは、山芋を塗ってすべすべにし、いい声で「開けて
おくれ」と言うので、見ると、すべすべした手なので戸を開けたのです。鬼ば
さの化けた母さんは、三郎を抱き上げ、寝間へ入り寝てしまいました。
夜中に、太郎と二郎は、かじるような音で目を覚ますのです。
 「何を食べているの?」と聞くと、母さんは、三郎の指を投げたのです。
 「あいつは鬼ばさだ、三郎は食われた」と、二人は逃げ出しました。
夜が明ける頃、川に出ましたが渡れないので、木に登り隠れました。追いかけ
てきた鬼ばさは、川面に二人が写っているのを見つけ、「どうやって登ったの」
と聞くので、「木に油をつけて登ったのだ」と言うと、鬼ばさは、その通りに
しますが登れません。見ていた二郎が、「木に、なた目をつければ登れるのに」
と言ってしまうのです。鬼ばさは、なた目をつけて登ってきて、天辺まで追い
詰められた太郎は、「お天道さま金の鎖を下ろしてください」と叫びました。
すると、金の鎖が下がってきて、それにぶら下がり、天に登ったのです。
鬼ばさも、「鎖をよこせ!」と叫ぶと、腐った縄が下がってきて、それにぶら
さがりましたが、天に届く前に切れ、畑に落ちて死んでしまいました。鬼ばさ
の血で、そばの茎が真っ赤に染まったので、今でも、そばの茎は赤いのです。
天に登った太郎と二郎は、お星さまになったのでした。
  日本の昔話 3 ももたろう おざわとしお 再話 赤羽末吉 画 
                            福音館書店 刊 
    
兄弟が七人で、全員、空に登れて、お月さまのそばで、七つの兄弟星になり、
鬼は、すすきの原に落ちて死んだために、今でも、すすきの根が赤いという話
もあります。2月に紹介しました「まめをいるわけ」と「ヘンゼルとグレーテ
ル」の話といい、あまりにも似ているので、びっくりさせられます。グリムの
「狼と七匹の子やぎ」を読んでみましょう。思わず、「グスッ!」と、笑いた
くなるはずです。
 
 
 
もう一つ紹介しておきましょう、これも世界中の子どもたちに親しまれている
話とそっくりです。
 
◆ぬかふくとこめふく◆
 
むかし、あるところに、母親と二人の娘が住んでいました。妹のこめふくは実
の子で、姉のぬかふくは、ままっ子でした。
ある日、こめふくには小さい袋を、ぬかふくには穴の空いた大きな袋を渡し、
「栗をとってこい」と言われ出かけました。ぬかふくは、いくら拾っても穴か
ら落ち、それをこめふくが拾いますから、間もなくいっぱいになり、帰ってし
まったのです。しばらくすると、大きな栗が落ち、拾おうとすると亡くなった
母親が現れ、穴を縫い、何でも出してくれる宝の小袋を授けました。その小袋
に「栗よ、出ろ!」というとたくさん出たので、袋に入れて家に帰ったのです
が、今頃まで何をしていたと怒られ、つらい仕事ばかりさせられる毎日が続き
ます。
祭りの日、母親と妹が見にいった芝居を見たいと思っていると、尼さんが来て、
「芝居がもう一幕で終わるところで帰ってきなさい」と言うのです。ぬかふく
は、宝の小袋に頼んで、着物や帯、かんざしを出し、出かけました。ぬかふく
が、きれいなので、人々は見とれました。こめふくが見つけて、「ぬかふくで
はないか」と言いますが、母親は信じません。ぬかふくは、もう一幕で終わる
ことに気づき、あわてて帰ったために、片方の足袋が脱げ、そのまま家へ帰っ
たのです。尼さまが、仕事を片付けてくれたので、汚い着物に着替え、仕事を
していました。帰ってきた母親は、まったく気づきません。
ところで、足袋を拾ったのは、村の大旦那の息子で、嫁にほしいと、作男たち
が足袋を持って探しにきたのです。こめふくにはかせましたが合いません。ぬ
かふくにはかせてみると、ぴったり合うのですが、母親は、「この子は、お祭
りには行っていない」と言いはります。
そこで、お盆の上に皿、皿の上に塩を盛り、塩の上に松葉をさして、歌の詠み
比べをして決めることになりました。見事な歌を詠んだぬかふくが嫁に決まり、
小袋から嫁入り衣装を出して着飾り、かごに乗って若旦那のところへ嫁いだの
でした。     
  おばばの夜語り(平凡社6 名作文庫) 新潟の昔話  
                 水沢 謙一/水野庄三・絵 平凡社 刊
 
シャルル・ペロー作の「シンデレラ」ですね。
魔法使いのお婆さんが尼さまに、ガラスの靴の代わりに足袋が、午前零時の刻
限の代わりに、芝居の最後の一幕前に帰る約束、傑作ではありませんか。最後
の決着の方法が「歌の詠み比べ」であるのも、日本人らしいですね。
こめふくの詠んだ歌は、
  よんべな こいた ねこのくそ  水けだった 毛だった
               今朝 こいた ねこのくそ  息 ほやほや
何やらに臭ってきそうな歌に対し、ぬかふくは、
    ぼんさらや さらさら山に 雪ふりて
                雪を根として そだつ松かな
ときれいに決め、作者の意図に拍手を送りたくなります。ぬかふくに、宝の小
袋を渡すのが、生みの親であるところも泣かせます。日本のむかし話、すばら
しいではありませんか。
 
ちなみに、シンデレラ型の類似話は、ヨーロッパだけでも五百を越えるそうで
す。口伝え話をシャルル・ペローが「過ぎた昔の物語ならびに小話」の中に、
「サンドリヨン、または小さなガラスのくつ」として再話したもので、グリム
兄弟の作品にも「灰かぶり」があります。「シンデレラ」が有名になったのは、
どうやら、ディズニーのアニメが世界的にヒットしたためだと言われているそ
うです。
「シンデレラの本名はエラ(ELLA)」という記事を見た記憶があるのです
が、その真偽は定かではありません。
  注 再話 昔話・伝説などを、言い伝えられたままではなく、現代的な表
       現の話に作り上げたもの。
 
 
 
鬼と並んで「やまんば」は、むかし話に欠かせません。
山姥(やまうば)のことで、地方によって、さまざまな呼び名があります。共
通しているのは、山に住み、その容姿は、髪の毛を長く伸ばし、ぼさぼさで、
口は耳までさけており、背は高くて、力持ちということでしょう。恐いのです
が、親しみの持てる話が多く、これもその一つです。そして、面白いことに、
兄の「だだ八」、弟の「ねぎそべ」、おばあさんの「あかざばんば」という妙
な名前を、たちどころに覚えてしまう子がいます。興味を持ったことは、即座
に記憶してしまうようですね。
 
  ◆ちょうふく山のやまんば◆   今村 素子 著
 
むかし、ちょうふく山のふもとに小さな村がありました。ある年の十五夜の晩、
お月見の最中に、突然、激しい雨風となり、
「やまんばが、わらしこを持った。もちをついて持ってこい。こなければ、人
も馬も殺すぞ!」
と叫びながら、何者かが屋根を飛び回るのでした。声が聞こえなくなると、も
との月夜となったのです。夜が明け、もちをつきましたが、届ける人がいませ
ん。そこで庄屋さんが、普段から威張っている、だだ八とねぎそべ兄弟に役を
いいつけ、道案内に、あかざばんばを付けてもらい、届けることにしました。
三人とも、やまんばに殺されると思いながら、山を登って行ったのですが、途
中で、血なまぐさい風が吹き、兄弟はおびえてしまい、再び強風が吹くと、も
ちを放り出し、逃げてしまったのでした。ばんばは、もちを届けなければ、人
も馬も食われる。寿命も近いのだから、村人のために役立とうと、登っていき
ます。
やまんばの家に着くと、
「もちを食いたくなり、ガラを使いにやったが、村人達が迷惑をしたのではと
心配していた。やまんばは、恐ろしいものではない」
と言うのです。ガラは、四、五才になる子どもで、放り出したもちを取ってこ
いというと、アッという間にかついできますし、すまし汁を作るから、くまを
捕ってこいというと、捕まえてきます。村で暴れたガラだと、ばんばも納得し
たのです。夕方になり、帰るというと、手伝いする者がいないので、二十一日
だけ助けてほしいと頼まれ、暮したのでした。帰る日が来ると、いくら使って
も、もとの一ぴきにもどる不思議な錦をくれたのです。
家に着くと、何と、ばんばの葬式をしていたのですが、元気な姿をみてお祝い
となりました。貰った錦を分けてあげましたが、次の日には、もとの一ぴきに
戻っていたのです。   
その後、村には悪い病気も流行らず、楽しく暮らしたのでした。
  日本むかしばなし 7  おにとやまんば 民話の研究会 編  
      松本 修一絵 ポプラ社 刊
 
「さばうりとやまんば」「山んばの桐のはこ」「もちのすきなやまんば」など
も読んであげたい本です。
この本の挿絵では、やまんばは優しい顔をしたお母さんだったと記憶していま
す。なぜ、やまんばは、恐ろしい容貌になってしまったのか、その経緯を述べ
た話が、澤田ふじ子さんの作品にありました。引用文を読むと遠慮したくなり
ますが、全編、肩の凝らない傑作な事件簿です。
 
 公家達は、己の腕を顕示するのを欲せず、武士とは逆に、秘匿するのを心得
としていた。それが日本人だけではなく、東洋の文化の精髄というべきだろう。
今でもこの気風は、京都市民の中に脈々と受け継がれている。
 その精神を一言でいえば、すべてにおいて世間から目立つことをはばかるの
がそれで、知者は山に隠れて〈仙人〉となり、意識的女性は〈山姥〉となるの
だ。山姥は山に住み、怪力を発揮するという伝説的な女。鬼女とも考えられて
いるが、図様として描かれている山姥が、童子(金太郎)を伴っているのは、
知恵の伝承や再生を願う意味が、そこに込められているからである。
 近世から近代に及ぶ民俗学的考察の誤りが、山姥を醜悪で凄惨な女性として
決め付けてしまった。長澤蘆雪の代表作、厳島神社に蔵されている〈山姥図〉
(重文)は、美術史研究の中で、今もこうとしか捉えていないのだ。
  (祇園社神灯事件簿 四 お火役凶状 P278-279 澤田ふじ子著
                            中央文庫 刊)
  (引用者注 長澤芦雪 江戸時代の絵師、丸山応挙の高弟)
 
パソコンで検索して見ましたが怖い絵で、なぜか、西洋の魔女に似ていて、子
ども達が読む絵本から描いていた山姥のイメージと異なり、意外に思いました。
澤田さんの人気シリーズの一つである「足引き閻魔帳 第4巻 山姥」の表紙が、
長澤芦雪の〈山姥図〉です。アップになっていましたが、すさまじい形相で、
子ども達には見せられません。
 
 
  (次回は、「日本の神様でしょう 神無月」についてお話しましょう)
 
 
 
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