めぇでるコラム

2026さわやかお受験のススメ<現年中児 今から始める小学校受験>ご家庭で楽しくできる受験準備(2)「話の読み聞かせ」のすばらしい効用(1)

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         「めぇでる教育研究所」発行
2026さわやかお受験のススメ<現年中児 今から始める小学校受験
      現年中児のお子様をお持ちの方々へ
 2026年度入試(2025年秋に実施)を成功に導く手引きです。
      <第7号
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ご家庭で楽しくできる受験準備
(2)「話の読み聞かせ」のすばらしい効用 (1)
 
 
本を読んであげる「話の読み聞かせ」は、とても大切です。
 
動画で見る「フランダースの犬」や「アルプスの少女ハイジ」などのアニメの作品は、映像と語りだけではなく、臨場感を盛りあ
げる音楽や効果音まで駆使し、瞬く間に物語の世界へ誘い込まれ、楽しいものです。
 
これほど便利なものはありませんが、反面、幼児が疑問を抱いても、教えてくれない不便な点もあります。
 
幼児には、ご両親の「生」の声が何よりです。
 
5歳頃になると、絵が主役であった絵本から、字の多い絵本に変わり、話も筋道立てて進む物語になっていると思います。
 
ここで、お父さんやお母さんに本を読んでもらっていることを少し考えてみましょう。
読んでもらっているときの子どもの頭の中は、どうなっているのでしょうか。
 
絵を見ながらですから、大人が読んでくれる言葉を絵に置き換える、映像化するといった作業が、フルスピードで進んでいるので
はないかと思います。
 
絵本や図鑑、テレビや実際に見た映像が浮かんでいるのでしょう。
ところが、聞いたことがない言葉が出てくるとストップがかかります。
「お母さん(お父さん)、オニタイジって、どういうこと?」
やさしいお母さんは、お子さんの言葉に置き換えて説明します。
そこでお子さんは意味を確かめ、納得し、新しい言葉を覚えて、「語彙」が増えます。
 
そして、一人になると、まだ、字を読めないはずですが、何やらブツブツと言いながら絵本を見ています。
あれは、本当に不思議ですね。
おそらく、読んでもらった本が面白かったから、お母さんの言葉を思い出しながら確かめているのだと思います。
絵を見ながら、記憶した言葉をもとに映像を描き、イメージ化しているのです。
考え、想像しているのです、しかも「言葉」でです。
 
これは、すごいと思いませんか。
 
それが証拠に子どもは、とかく同じ本を何回も繰り返し、飽きもせずに読んでくれとせがみます。
それも読んでいる途中に、
「ママ(パパ)、ありがとう。そこまででいいです」
といったことが、しばしば起こりがちです。
そこまでのところを忘れてしまったのかどうかわかりませんが、それ以降、話が進まなくなり、イメージ化が中断してしまう、と
大人は考えてしまいます。
 
しかし、子どもとしては、読んでもらって全てがつながったから、そこまででいいのでしょう、あとは覚えていますから。
話を一所懸命に覚えようとしていることに違いはありません。
 
そこから「記憶力」がつきます。  
 
さらに繰り返し読んでもらうことで、描かれた映像は、より鮮明になり、そこから、「空想力や想像力」が培われるのではないで
しょうか。
 
ところで、昔話を何か思い出してください。
昔話だけではありませんが、幼児の読む本は、「起承結」で成り立っているのではないでしょうか。
「起承転結」の「転」はなく、話は複雑になっていません。
 
江戸時代の漢学者、頼山陽が、漢詩を説明するために「京都西陣帯屋の娘」と題して、面白い例を残しています。
 
   京都西陣帯屋の娘   (起)
   姉は十八、妹は十六  (承)
   諸国の大名は刀で殺し (転)
   姉妹二人は目もとで殺す(結)
 
「ショコクノダイミョウって、ナンですか?」
余計なものが入ってくると、すっきりしなくなります。
帯屋の娘の話は、帯屋の娘で終わらなければ、子どもは承知しません。
 
桃太郎が、鬼退治をしたついでに、海賊までやっつけるとはなりません。すっきりと終わって、「めでたし、めでたし」が、昔話
には欠かせない決まりです。
 
さらに物語は、「序破急」と快適なテンポで進みます。
 
浦島太郎の竜宮城で過ごしたひと時が、何十年であっても何ら差し支えありません。話は快く聞けるように仕組まれていますし、
簡潔明瞭ですから、「話を理解する力」がついてきます。
 
しかも、話は、「むかし、むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました」で始まります。
 
「むかし、むかし」は、「いつ」と時間の設定ですが、いつのことだかわかりません。 
 
「あるところ」は「場所」ですが、どこだかわかりません。
 
「おじいさんとおばあさん」は「だれ」と大切な登場人物ですが、名前もさだかではありません。
 
みんな「あいまい」です。
 
その「あいまい」なままに、話は、「何を」「なぜ」「どのように」と展開します。
これも考えてみると大変なことです。
 
時代はいつでも、場所はどこでも、名前がなくても、何ら不都合なことはありません。
奈良時代であろうが平成時代であろうと、北海道だろうが沖縄であろうと、みんな、「むかし、むかし、あるところに」で済ませ
てしまいます。
 
時代考証も、場所の設定も、登場する人物像をイメージ化する面倒な説明もありませんから、すっきりとした気持ちで話に入って
いけるのです。
 
これを仮に、
「江戸時代の元禄十五年、大晦日をむかえる二日前の朝、上総の国は蒲郡、大字蒲、字大和村の一本杉の近くに、四代目の山之上
太郎左衛門というじいさまと花というばあさまが住んでいました」
とやられては、聞いてみようかなという気持ちにもなれないでしょう。
 
「ママ、もう眠いから……」
こうなるに違いありません。
                
ところで、昔話は、
   いつ(when)
   どこで(where)
   だれが(who)
   なにを(what)
   なぜ(why)
   どのように(how)
といった[5W1H]から成り立っていますが、これは文章を書くときや情報を伝える時の基本で、小説や新聞、テレビのニュー
スなども、この形式(フォーム)で構成されています。
 
ということは、話を聞きながら[5W1Hのフォーム]を、小さいときから学んでいることになります。
 
これは、すごい知恵ではないでしょうか。
 
もちろん、子ども達が、「いつ、どこで、だれが」などと意識して聞いているわけではないでしょうが、理路整然とセオリーどお
りに話は進んでいきますから、楽しく話を聞き、その話を覚えることで、筋や物事を考える、「思考力や構成力」が、おのずと身
についてきます。
 
そして、子どもは、話を覚えると話したがります。
 
誰かに聞いてもらいたいのです。
それには、自分自身が話をよく理解しなければできませんから、そのための訓練が、自発的に始まります。
 
それが、「表現力」につながります。
 
しかも、「覚えなさい!」といわれて覚えたのでもなく、「話してみなさい!」といわれて訓練したものでもありません。
自ら、積極的に努力して得た力です。
 
こんなに大切な能力開発を、誰にもいわれずに挑戦しているにもかかわらず、
「パパ、『桃太郎』の話、知っている?」
「ああ、知っているよ。桃太郎が猿と犬と雉の家来を連れて、鬼退治にいく話だろう!」
と無造作に応じてしまっては、せっかく積んできたトレーニングの成果を試せません。
 
子どもは、話したいのです。
成果を試したいのです。
 
「うん、パパも子どもの頃は、よく知っていたけど、どういう話だったかな?」とやさしく受けてあげましょう。
お子さんは、一所懸命に話すはずです。
そして話し終えた時には一言、「よく覚えたな、偉いぞ!」とほめてあげることです。
 
お父さんにほめられて、不愉快になるはずはありません。
「よし、今度は『カチカチ山』を覚えるぞ!」
となり、新しい話に挑戦します。
 
記憶力どころか、「物事に取り組む意欲」を培うことになります。
しかも「自発的」にです。
 
30度越えの日々、自然が相手だけにどうしようもありませんが、お子さんの健康管理には十分に気を付けてください。
 
 
(次回は、「話の読み聞かせ」のすばらしい効用(2)」についてお話しましょう)
 
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