めぇでるコラム

2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第13章  七五三でしょうな 霜 月(1)

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第47号-
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第13章  七五三でしょうな 霜 月(1)
 
9月17日の十五夜をご覧になった方、10月15日の十三夜も見ておきたいものです。「両方見ないと縁起が悪い」と言われていたそうですが、これは江戸時代の遊里、吉原の客寄せのキャッチフレーズで、「両日ともいらっしゃい!」が狙いだったとか。考えたものですね(笑)。
 
十五夜と言えば、お月見団子とススキを連想しますが、そのススキはネットによると「箱根、仙石原のススキが見頃」だそうです。お子さんに、ススキや月見団子など日本の秋の風物詩を肌で感じさせたいものです。
 
ちなみに今年の十五夜は満月ではなく「ほぼ満月」でした。次に十五夜が満月なのはなんと2030年だそうです。
 
さて、物の本によると、霜月(しもつき)のいわれは、文字通り「霜が降る月」という意味だそうです。
その他に、「凋(しぼ)む月」や「末つ月」がなまった説もあるそうですが、あまりいわれていないようですね。
 
 
 ★★なぜ、11月15日なのですか★★ 
 
11月といえば七五三でしょう。11月15日は、七五三のお祝いです。三歳になった男の子と女の子、五歳になった男の子、七歳になった女の子が、新しい着物をきてお宮へお参りし、神様に子どもの健康と成長をお祈りして、普段、ご無沙汰の限りをつくしている氏神さまへ、ご報告に出かけるわけです。氏神さまとは、その土地に生まれたものを守る神様で、鎮守の神、産土(うぶすな)の神のことです。これも、当然ながら、訳ありです。
     
 七五三は、もともとは徳川幕府の三代将軍家光の四男徳松(後の五代将軍綱吉)の身体が虚弱体質だったので、五歳の祝いを慶安3年(1650)11月15日に執(と)り行ったのがはじめといわれている。
 (年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P200)
 
その理由ですが、昔の暦には、いろいろと暦注があり、それぞれの「吉凶」が記されていますが、その暦注の中に「きしく」があります。「きしく」は、「鬼宿日(きしゅくにち)」のことで、鬼の宿る日と書きますから、何やら大凶のような感じがしますが、江戸時代の初期に使われていた暦、唐から入ってきた「宣命暦」(せんみょうれき)によると、「よろずよし、ただし婚礼には
忌むべし」の日になるのです。宣命暦は、インドの宿曜経(すくようきょう 人々の吉凶を知る方法を説く経典)に基づいて作られており、本家のインドでも、鬼宿を尊んでいます。お釈迦様が生まれた紀元前463年4月8日は、鬼宿でした。インドでは、鬼宿を最善の日としているのもうなずけますね。
 
そして、日本は、何といっても農耕民族です。古くより田の神さまは、春には山から下りて田畑を守り、秋には山に帰るものと信じられていましたし、そのために人々は、春には稲が順調に育つようにと祈り、秋には豊かな実りを感謝するしきたりがありました。
 
11月15日は霜月の祭りで、収穫を終えた稲や穀物と酒を供え、神さまのお恵みに感謝をする日だったのです。人々も、一年間の労働から開放された喜びの日です。
 
後の五代将軍の五歳のお祝いが11月15日に行われた理由は、ここにあったわけです。権力の頂点に君臨する将軍ですから、そのご威光とお祭りの日が重なった鬼宿日こそ、祝日に最もふさわしい日だったのです。こうして、11月15日が、七五三の日と決められたのでした。
 
 
 
 ★★七五三の本来の意味★★
 
今の七五三は、美しく着飾って神社へお参りし、千歳飴をもらい記念写真を撮って、食事をして帰る、一見、楽しそうですが、子どもにとっては何とも不自由な日、という感じもしないわけではありません。
      
女の子に聞いてみると、着物をきて、お化粧するのは嫌いではないのですが、この日だけは例外らしいのです。帯を何本も巻かれ苦しい思いをして、のどが渇いてジュースを飲むにも、わき目もふらずに飲むことに集中し、ソフトクリームなどとんでもない話で、もう、クタクタになるそうです。女の子の着物は購入する場合ももちろんですが、レンタルでも大変高価です。奮発してお金をかけますから、汚すと大変です。親中心のお祝いでは、こうなりがちですね。
 
しかし、本来の七五三の目的は、素朴で厳粛な祝いだったのです。
 
昔の赤ちゃんは、ほとんどが頭をつるつるにそっていました。三歳になって、初めて髪の毛を伸ばし、「もう赤ちゃんではありません」というお祝いをしました。これを髪置(かみおき)といいます。
 
男の子は、五歳になると初めて袴をはくお祝いをしました。これを袴着(はかまぎ)といいます。
 
七歳の女の子は、それまでの、ひものついた着物から、ひものついていない新しい着物に代えて、初めて帯を結ぶお祝いをしました。これを帯解(おびとき)といいます。
 
この三つのお祝いを一つにまとめたのが、七五三の行事でした。 
 
昔の人たちは、子どもは神さまの子どもで、七歳になったとき、初めて人間の子どもになると思っていました。ですから、こういうお祝いをして、早く人間の子どもになることを神さまにお願いしたのです。「これで一人前の子どもになった!」と祝うのが、本来の七五三の意味なのです。
 
ですから、昔は、七歳までは、社会の一員として認められていませんでしたし、罪を犯してもとがめられず、また、喪に服することもなかったのです。一人前としての生存権を認められるのは、七歳からでした。今の義務教育が七歳になる年から始まるのも、やはり、訳ありなのです。
 
また、七五三は、それぞれ子どもの成長過程の節目にもあたります。
三歳は、親の手を借りずに自分でできるようにする自立の始まるときです。
五歳は、集団生活への適応力を身につける自律の始まるときです。
七歳は、学校教育が始まり、独り立ちの始まるときです。
 
七五三、やはり奇数がめでたい数ですから、こうなるのでしょうが、こうして見ると、その歳々に意味のあることがわかります。成長に伴い、自分でしなくてはならないことが増えるのですから、親が過保護にならないための戒めでもあったのです。しかし、今は子離れのできないお父さん、お母さんが、増えていると思えてなりません。
 
4月の「花祭りですね」でも触れましたが、子どもの成長過程をこう考えています。                         
一歳は、五感を通して受ける刺激に反応して成長する条件反射の時期。
二歳は、ご両親のお手本を見ながら学習する模倣の時期。
そして三歳は、自分の力で生きていくための自立の時期だということです。
 
ですから、やっていることをみて、口をはさみむようでは過干渉であり、手を貸したくなるようでは過保護だと思います。三歳過ぎても、何かにつけて口をはさみ、手を貸していると、いやな言葉ですが超過干渉であり超過保護です。
 
五歳を過ぎれば、一人前の人間になる修行の始まるときです。何でもお子さん自身にやらせるべきで、試行錯誤を積み重ねながら、自立心は育まれるもので、ここでも「失敗は成功のもと」です。いつまでもお母さんが口を出し、「早くしなさい!」「何をグズグズしているの!」などといわれ続けていると、自分でやろうとする意欲など育ちません。
 
子ども達がいちばん嫌いな言葉は、「早くしなさい!」です。
 
できないから早くできないのであって、どれだけ無理な注文をしているか、真剣に考えてください。そして、しなやかな気持ちで、お子さんと接するお父さん、お母さんになってあげましょう。主にお母さん方が得意とする料理、なぜ、レシピを見ないで素早く、上手に、美味しく作れるのでしょうか。試行錯誤を積み重ねた結果ではありませんか。
 
七歳は、独り立ちして育っていくことを願う前祝いです。きれいに着飾るのもお祝いですから結構ですが、それだけではなく、親が精神的に子離れをする最後の時期だと思います。
 
お父さん、お母さんの自立を見守る温かい眼差しは、子どもの自立心を培い、そこから自律心も育まれます。先にもお話ししましたが、義務教育が始まる時であることも、成長の理に適っているわけです。
 
 
 
 ★★千歳飴★★
 
七五三といえば千歳飴。記念写真を見ると、千歳飴と印刷された袋を持っていますね。
「千歳」とは千年のことですから、長寿への願いがこめられているわけです。
袋には、縁起物のシンボル松竹梅や、長寿の代表であるつるやかめ、それに翁や婆の絵をあしらった、これ以上はない、めでたいデザインが用意され、その中に、これでもかと紅白のあめの棒が入っています。めでた尽くめの千歳飴は、江戸の宝永時代のころ、観音様で有名な浅草寺のある浅草で、豊臣家の残党の一人であった平野陣九郎重政が、甚右衛門と名を改め、あめ屋となって始めたものといわれているそうです。千歳飴は長く伸びるので、子どもがぐんぐん大きくなって、いつまでも長生きできるようにと食べたのでした。
同じ飴で、今でも覚えているのは金太郎飴です。不思議でしたね、どこを切っても、同じ顔の金太郎さんが出てくるのですから。
現代の子は、食べているのでしょうか。
 
 
 
 ★★人の一生の祝い★★
 
お宮参り、七五三、成人式、還暦などは、今でもお祝いされていますから、耳新しい言葉ではないでしょう。しかし、三日祝、卒寿となると、「……?」となるかも知れません。
 
いずれも、人が生まれてから年をとり、老いて亡くなるまで、その年齢に応じた、さまざまな通過儀礼といわれているお祝いがあります。昔は、今のように医学が進歩していませんでしたから、病魔から命を守るために行った儀式でもあったのです。本来、祝いの対象となる年齢は、生まれた年を1歳とする数え年でしたが、今日では、生まれた年は0歳で翌年の誕生日の前日終了で1歳とする満年齢で行われています。さて、皆さんは、どのくらいご存知でしょうか。
 
[三日祝] 
湯始めを行い、三日衣裳という袖のある産着を着けさせる日で、お母さんは産後ですし、お父さんは新米のパパですから、ここはおばあちゃんの独壇場です。
                        
[お七夜] 
生後7日目、名前を付ける命名式を行う日で、昔は神棚に名前を飾り、家の神様に報告したものです。 
 
[お宮参り] 
地方によって異なりますが、男子は生後31日か30日、女子は32日か31日に産土神(うぶすながみ)にお参りをします。そんな昔のことではありませんから、覚えているでしょう。産土とは、その人が生まれた土地のことで、産土神とは、その人の生まれた土地を守る神さまで、鎮守(ちんじゅ)の神、氏神ともいいます。この頃のお母さん、輝いていますし、お父さんもファイト満々です。
 
[お食い初め](おくいぞめ)
生後100日目または120日目に初めてご飯を食べさせる内祝ですが、まだ、ご飯は無理ですから、実際は食べさせる真似をするだけです。離乳食を経て自分の手で食事のできるようになるまで、本当に大変な時期でした。
 
[初節句]
生まれて初めての節句、女の子のひな祭り、桃の節句と男の子の端午の節句です。初孫であれば、おじいちゃん、おばあちゃんの存在を有り難く思い、感謝する日です。
 
[七五三]
省略しますが、この間に入園、入学の内祝いがあります。「幼児にはシックスポケットあり」といわれていますが、お父さん、お母さん、ご両親の祖父母を入れると6つのポケットがあり、幼児にとって強力なスポンサーとなるという意味です。七五三も両祖父母の楽しみな祝になっているようです。
                          
[十三参り]
4月13日に初めての厄年の13歳の子どもが、福徳と知恵と健康を授けていただくために虚空菩薩様にお参りする日です。13歳は、精神的にも肉体的にも、子どもから大人へ成長する途中の不安定な過渡期で、最初の厄年にあたるところから、厄除けする意味もあります。中学生がこの時期にあたるわけです。
 
[成人式]
今は成人は18歳。お祝いは地域によって18歳または20歳に祝いますが、本来は、男子は15歳、女子は13歳が一般的でした。奈良時代に起きた元服から始まった儀式で、ヨーロッパやアメリカにはないそうです。成人の年齢を迎えても、自由と権利だけを主張し、義務を無視している自己中心の子どもに育てるのは、親の責任不履行の結果ではないでしょうか。
心したいものです。
 
 注 元服とは、奈良時代以降の男子の成人を示す儀礼、頭に冠を付ける意味。
   女子は裳着(もぎ)といって、平安時代以降、女子の成人を示す儀礼、初めて裳をきせるもの。裳とは、表着(うわぎ)や袿(うちき)の上に、腰部から下の後方だけをまとった服。
   (「ウィキペディア フリー百科事典」より)
 
[厄年]
厄年とは、「人の一生の内、何かの災いにあいやすい年齢をいい、医学の発達した現代においても、何事においても慎まなければならない年」で、男子42歳、女子33歳が大厄です。本人に災いがなく周りに起こる場合もあり、心意現象として片付けるわけにいかない、不思議な現象といえます。
                       
[還暦]
60歳、生まれた年の干支に返ることから「還暦」と呼ばれています。昔は、赤い帽子をかぶり、ちゃんちゃんこを着て祝ったものですが、最近はどうでしょうか。「ちゃんちゃんこ」とは、子どもの着る袖のない羽織のことです。
 
[古稀]
70歳のお祝いです。古稀の由来は、「国破山河在 城春草木深…」でおなじみの唐代随一の詩人、朴甫の『曲江詩』の中にある「人生七十古来稀」の句で、この前文に「酒債は尋常行く処に有り」、「酒代のつけは私が行くところ常にある。70年生きるのは稀であるから、今のうちに酒をたくさん飲んで楽しんでおこう」という意味だそうです。
     (注「稀」は当用漢字にはなく「希」と書く場合が多い)
 
[喜寿]
77歳、「喜」の草書体が、七を三つ書き七十七と読めるところから、喜寿の祝いとなりました。以降の命名と由来は、文字から起きたものです。
 
[傘寿]
80歳、「傘」の略字が、八と十から成り立っていることから。
 
[米寿]
88歳、6月にも紹介しましたが「米」の字を分解すると「八十八」になることから、米寿の祝いとなりました。
 
[卒寿]
90歳、「卒」の略字体が「卆」で、九十と読めるから。
 
[白寿]
99歳、「百」から上の一字を取ると白になるからで、百の下は99ですから、白寿とはしゃれています。
 
[茶寿]
108歳、茶という字を分解すると、十、十、八十八となり、足すと108になることと、古来「八」は、末広がりで縁起のよい数であることから、108歳の祝に。
 
また、年齢に関する異称には、次のものがあります。
弱冠をのぞき、出典は「子曰(しいわく)」で始まる孔子の「論語」です。
 
 [志学]15歳のこと。論語(為政)吾十有五而志於学 十有五にして学に志すから。
  [弱冠]20歳のこと。古代中国で20歳を「弱」といい、元服の冠をかぶることから。
 [而立](じりつ)30歳のことで、論語(為政)三十而立から。学問が備わって自分の立場ができあがる年。
 [不惑]40歳のことで、論語(為政)四十而不惑から。
     人生の方向が定まって迷わなくなる年。
 [知命]50歳のことで、論語(為政)五十而知天命から。
     天から与えられた使命を知る年。
 [耳順](じじゅん)60歳のことで、論語(為政)六十而耳順から。
     修業を積んで他人の言葉を素直に受け入れられるようになる年。
 
それぞれの通過儀礼は、人生の節目と考えられますし、それなりに意味があり、昔から伝えられてきた英知であり、哲学ではないでしょうか。お子さんだけではなく、ご両親のお祝いは、感謝をこめて行いましょう。そして、「育児」しながら、自らを育てる「育自」を心がけ、「わが人生を楽しむ、賢いお父さん、お母さんになってほしい」と思います。ご両親の生きがいは、お子さんだけに託するものではありません。なぜ、七五三のお祝いをするのか、もう一度、考えてみましょう。
 
ところで、日光の東照宮にある「三猿」の彫刻は、猿を通して人間の一生を8面で表したもので、その2番目には「幼年期の3匹の猿」がありますが、こういった教えであるとは知りませんでした。
 
 いわゆる「見ざる、言わざる、聞かざる」の教えは、物心のつく幼年期には、悪いことを見たり、言ったり、聞くことをしないで、良いものだけを受け入れ、素直なままに成長させよという教えが暗示されている。      (「三猿の教え」東照宮ホームページより)
 
「三猿」でクリックすると教訓を読むことができます。「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」ともいいますが、英語では簡単に“Ask much,know much”(「故事ことわざ辞典」より)だそうで、子どもにしっかりと教えたい教訓の一つではないでしょうか。
 
(次回は、「11月に読んであげたい本(1)」についてお話ししましょう)
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、制作したものです】
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