めぇでるコラム
さわやかお受験のススメ<保護者編>★★第10章 終戦記念日、このことです 葉月(2)
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「めぇでる教育研究所」発行
2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
~紀元じぃの子育て春秋~
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第37号-
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第10章 終戦記念日、このことです 葉 月(2)
★★なぜ、鳩は平和のシンボルなのでしょうか★★
神社、仏閣、さらに大きな公園には、なぜか鳩がいます。
いないと何か物足りない気がする不思議な存在でしたが、最近では、糞害など
で問題になり、駅などでは「餌を与えないで!」といった看板が目立ちます。
しかし、オリーブの枝をくわえた鳩は、依然として、平和のシンボルとなって
います。なぜ、鳩なのでしょうか。事の起こりは、聖書物語でおなじみの「ノ
アの方舟」なのですから驚きです。
「人間の邪悪さにあきれた神エホバは、大洪水を起こしてすべてを一掃しよう
と考えました。しかし、正しい人「ノア」だけは救おうと、神は彼に方舟をつ
くるように命じました。
ノアは人々に馬鹿にされながら巨大な方舟を作り、そこに家族と動物のつがい
を乗せました。やがて神が予告したとおり大雨が降りはじめ、陸地はすべて海
に沈みました。
数日後、水が引いたことを確かめるため、ノアはまずカラスを放ちました。し
かし、カラスはどこにも羽を休める場所を見つけることができないまま戻って
きました。
それから一週間後、ノアは鳩を放ちました。やがて鳩はオリーブの小枝をくわ
えて戻ってきました。そこでノアは洪水が引いたことを知りました」
この物語から、「鳩+オリーブの小枝=平和」という図式ができあがったので
ある。そして、「オリーブの小枝をくわえた鳩」が平和の象徴として世界中に
広まったきっかけは、1949年にパリで開催された「国際平和擁護会議」に、
パブロ・ピカソが鳩のポスターを描いたからだといわれている。
(「今さら誰にも聞けない555の疑問」
平川 陽一 編 株式会社 廣済堂出版 刊 P348)
映画「天地創造」を思い出します。
歴史に「イフ」はありませんが、しかし、あえて「もしも」です、最初に栄誉
ある偵察の任務を与えられたカラスが、オリーブの小枝をくわえて帰還してい
れば、カラスが平和の使者として、君臨していたことになります。
でも、悪食のカラスには、オリーブの小枝は似合いませんし、イベントなどで
鳩のかわりに真っ黒なカラスが一斉に飛び立つのでは、黒い稲妻のようで、何
やら不吉なムードに包まれそうです。
煙草のピースのデザインも変わっていたでしょうし、イトーヨーカ堂のロゴマ
ークにもなれなかったに違いありません。
煙草のピースですが、ヘビースモーカーであった私は、両切りにフィルターの
付いていないピースの愛好家の一人で、今でもそばでピースを吸われると、あ
の何とも言えない上品な香りに、クラクラとします。他の煙草の煙は単なる嫌
な煙で、吸わない人には限りなく迷惑な煙害であることを、愛煙者は十分に承
知して吸ってほしいですね。禁煙してわかったのですが(笑)。
しかし、鳩は、一時、情報を伝える貴重な鳥として、脚光を浴びた時代があり
ました。伝書鳩です。
足に情報を括り、さっそうと目的地へ向かった、貴重な鳥でもあったのですが、
電信技術の進歩にはかなわず、いまでは引退し、伝書鳩レースとして、昔の面
影を残すだけになりました。帰巣本能を利用したものといわれていますが、そ
のメカニズムは、解明されていないそうです。
でも、まだ、主役として活躍している鳩もいます。手品で使われている、あの
鳩です。マジシャンの使う白い小型の鳩は銀鳩と呼ばれ、観賞用としても人気
があるそうです。しかし、都会では、鳩とカラスが厄介者になりつつあるのも、
不思議な縁ですね。
ところで、最近、知ったことですが、五輪憲章にある開会式の項で「聖火への
点火に続いて、平和を象徴する鳩が解き放たれる」と明記されていた文言も消
えてしまったそうです。ロンドン・オリンピックで確かめたかったのですが、
すっかり忘れてしまい、リオデジャネイロまで待つことになりました(笑)。
★なぜ、海の水は塩辛いのでしょう★★
平和のシンボルの話から一転して、自然の摂理についてお話しましょう、など
と気取ることはないのですが。
夏といえば、海水浴。海水パンツではなく、赤い褌(ふんどし)をしめて泳い
でいました。初めて海で泳いだとき、不覚にも海水を飲んでしまい、その辛い
こと、喉をゼイゼイならしながら鼻水を出した顔はゆがみ、こりているはずな
のに、またしても海水を目に入れたときの、あの痛さに泣いた記憶があります。
当然です。海水約4リットルには、およそ100グラムの塩が含まれています
から、塩辛いわけですし、目に入れば痛いわけです。
では、なぜ、塩辛くなるのでしょうか。
有史以前の地球は、火山が爆発し続ける、灼熱地獄でした。やがて火山活動も
沈静化し、豊富な水から植物が生え、動物が生息し、人間も地球の住民として
存在するようになったのです。火山活動により、いろいろな物質や鉱物が、地
上にばらまかれましたが、塩分もその一つで、地表からしみ込んだ塩分や岩石
に含まれている塩分が、雨に流され、河川の水に溶け込み、海に流れ着いたた
めに塩辛くなったのです。
海水ができたのは、今から38億年前、地球上に生物(バクテリア)が生まれ
たころで、地球誕生から約7億年たっていました。
当時の海水は、塩酸を含む酸性で、岩石に含まれるカルシウムやナトリウムを
溶かし、ナトリウムは海水中の塩素と一緒になって食塩になりました。
海水の成分はその頃から現在までほとんど変わっていません。
(「雑学特ダネ新聞 読売新聞大阪編集局 著
PHP研究所 刊 P283)
この海水ですが、どこから出てきたのでしょうか。
最近の説では、溶岩は地球の内部にあるマグマがかたまったもので、その内部
には10%ほどの水が含まれており、それが火山活動の時に地表や海に吹き出
し、38億年かけてしみ出した結果、今の海になったそうです。
そして、当時から成分は変わらないそうですから、驚かされますね。
人間は、生物の生態系や地形などを、地球に相談することなしに変えています
が、しっぺ返しを食うことはないでしょうか。
ところで、海水が太陽に温められ、蒸発して雲となり、それが雨となって地上
に戻ってくる原理を知ったとき、
「なぜ、雨は塩辛くないのかなぁ?」
と母に尋ねたところ、塩水を入れた鍋を七輪(土製のこんろ)に乗せて沸騰さ
せ、その蒸気を割り箸にあて、ついた水滴をなめさせてもらったことを覚えて
います。まったく辛くはないのですが、その割り箸で鍋の中の湯につけて口へ
運ぶと辛いのです。塩分は海に残り、水だけが蒸発することがわかりました。
でも、酸性雨は別物で、これは恐ろしい。もっと「地球にやさしい暮らしをし
てほしい」と、地球自身が警告を発している気がしてなりません。
また、初めて地球儀を見たとき、余りにも海が広いことにびっくりし、真水の
ある河や湖が、こんなに少なくて、水不足にならないものかと、恐怖さえ感じ
ましたが、
「海が広いから、蒸発する水分も多くなるわけだ」
と何だか訳のわからない納得の仕方をして済ませていました。
★★海水浴は治療の一種だった!★★
昔から、夏になれば、川や海で泳ぐものだと思っていましたら、これは、とん
でもない間違いだそうです、ご存知でしたか。そういわれてみれば、時代劇で、
子どもたちが泳ぐ姿を見たことがありません。「水練」といって武芸の一つでし
た。こういうことだそうです。
海水浴は、病気を治す方法の一つとして始まりました。はじめは海に入っても
泳がずに、波打ちぎわで遊ぶだけでした。海水の塩分が体を刺激し、食欲が出
て体重が増えるので、健康にいいといわれていたのです。1885年に神奈川
県の大磯に、日本で最初の海水浴場が作られて、次第に泳いで遊ぶ海水浴とな
りました。
(心をそだてる 子ども歳時記12か月 監修 橋本 裕之
講談社 刊 P64)
小学生の頃から、川や海で泳いでいましたから、夏になれば真っ黒に日焼けし
たものです。瀬戸内海の底まで澄んで見えるきれいな海に育った私は、東京に
出てきて、波がドーンと砕ける江ノ島の海岸に立ったとき、これが海かと信じら
れないほど汚く見えました。当時 (昭和25年頃)は、打ち寄せる波が砂を掘
り返すので汚れていたように見えたのですが、そこで大勢の人が泳いでいるの
ですから、びっくりしたものです。
高度成長時代に入り、河川や海洋汚染がすすみ、公害をもたらし、日本の至る
所で自然は壊され、無残な姿をさらけだしていました。自然と無邪気に遊べる
のは、子ども時代だけです。川や海で泳げないなど、私には想像できないこと
でした。10数年前になりますが、日本はおろか世界中の川や湖沼をカヌーで
旅をするリバー・ツーリングのスペシャリスト、野田知佑氏の本を読むたびに
憤慨していたものですが、憤慨しても何も始まらないだけに、虚しくなるだけ
でした。
ところが、最近、多摩川は地域の人々などの努力により、鮎が遡上するほど清
流が戻り、「江戸前の鮎」を食べられるようになりましたが、少し気になるこ
とがあります。平成24年は1194万尾、25年は645万尾、26年は
541万尾、そして今年は435万尾とその数が減少していることで、何が原
因なのでしょうか。「乱獲」というほど鮎にはお目にかかりませんが。自然を
壊すのは簡単ですが、もとに戻すには、大変な資金と労力と時間がかかります。
地道な努力を続けることで、日本の自然は息を吹き返し、子ども達に自然を返
してあげることができるのではと大いに期待をしていますが、何とか原因を究
明し頑張ってもらいたいものです。
今、心配なのは、福島原発事故による土壌や海水汚染ではないでしょうか。海
水注入を続け、被害の拡大を防いだ吉田昌郎、元東電原発所長は、25年7月
9日に亡くなりました。現場で陣頭指揮を執った貴重な経験を、十分に生かせ
なかったことは、痛恨の極みであり、吉田氏自身も悔しかったに違いありませ
ん。
ノンフィクション物語、「死の淵を見た男」を書いた門田隆将氏は、「もし、
海水の注入が遅れていれば、日本は北海道、人の住めない東北、関東、そして
西日本と3分割されたかもしれなかったといった話を、当時の原子力安全委員
会の斑目(まだらめ)委員長から聞いたことがある」と言っていましたが、東
京に住めない事態になる可能性もあったのです。
それにしても、すでに4年4ヶ月も経っているにもかかわらず、こうも事後対
策が後手に回るのは、どういうことなのでしょうか。何とかならないのかと、
腹立たしい限りです。東電は汚染された水が湾に流れ出たことを認めましたが、
これは誰もが懸念していたことではないでしょうか。
鯨、イルカに続き、シー・シェパードが「海水汚染」をターゲットに抗議する
のではとの憶測が流れていますが、世界中の注目度は、イルカどころではない
でしょう。
閑話休題。
暗い話しはそこまでにして、野田知佑氏のエッセーは、どれを読んでもわくわ
くさせられます。
特に、カヌー犬、ガクとの生活は、痛快そのものです。ガクの親は、野田知佑
氏と椎名誠氏ですが、ガクは、人間だと思い込んでいるところがおもしろいの
です。
ちなみに、「岳物語」の主人公は、椎名誠氏の長男で、岳とガクが親友(?)
であるところが、また、おかしい。「岳物語」は、私にとっては、父親とは何
であるかを考えさせられた本でした。
また、母親である渡辺一枝さんのエッセー「時計のない保育園」も、育児の心
構えを教えてくれた本でした。目下、孫たちとの楽しい奮戦記が、笑わせてく
れます。
ところで、「海水が、どうして辛いのか」と、その経緯を語るおもしろい民話
が残されています。図書館の紙芝居で見たのですが、廃館されてしまい、著者
と出版社がわかりません。確か、青森から沖縄まで、広い範囲で残っている民
話ではなかったかと思います。四国の場合は、阿波の鳴門となって、今も回り
続けているとなっていたような記憶があるからです。
◆塩ひき臼◆
金持ちで欲張りの兄と、貧乏で正直な弟がいました。
ある年越しの晩、弟が兄のところへ米を借りにきますが、断られます。
家に帰ろうと山道を歩いていると、白いひげを生やしたじいさんに会
い、尋ねられます。
「この夜ふけに何をしているのだ」
「年神様に備える米がない」
といったところ、小さなきび饅頭をくれ、こういったのです。
「そこの森の神様のお堂の裏にいくがよい。そこに穴があり、住んでい
る小人が饅頭を欲しがるから、石の引き臼となら交換してもよいといい
なさい。必ず、欲しがるから」
そこで、弟は出かけていくと、小人はしきりに饅頭を欲しがり、二つとな
い宝物だが仕方がないといって、交換したのです。
もと来た道へ引き返してみると、まだ、じいさんはいて、こういったので
す。
「その引き臼を右に回せば欲しいものが限りなく出てきて、左に回すと
止まるものだ」
家に帰って、むしろの上に臼を置き、
「お米よ、出ろ! お米よ、出ろ!」
といいながら右に回すと、米が出てくるではありませんか。
そこで、餅や塩鮭などを出し、よい年越しをしたのです。
翌日には、屋敷や土蔵、お祝いの料理やら酒を出し、親戚や知り合いを
招き、盛大な祝い事をしたのでした。
驚いた兄は、これには何か訳在りと探りを入れ、石臼の秘密を見つけ、
盗み出したのです。
兄は、遠くで長者になろうと船で逃げ出します。
途中で腹が減り、臼と一緒に盗んできた菓子や餅を食べたのですが、
甘いものばかりなので、塩気が欲しくなりました。
そこで、
「塩、出ろ!」
といって臼を右に回すと、塩があふれ出てきました。
これで十分だと思い、止めようとしましたが、その方法がわかりません。
臼は、勝手に回り続け、塩でいっぱいになってしまった船は、兄を乗せ
たまま、海の底へ沈んでいったのでした。
臼は、今も続けて塩を出しているので、海の水は辛いのです。
こういった話であったと思います。
金持ちだが欲張りの兄、貧乏だが正直な弟も、むかし話の約束事ですね。
よく似ている話が、グリム作の「うまい粥」です。
塩の代わりに出すものはお粥で、止め方がわからず困り果てて、持ち主に返す
結末が異なっています。
ところで、先日、テレビで「花火のできない子どもが増えている」と報じてい
ました。マンションではやる場所がない、近所の公園は花火禁止、花火を楽し
む空間がないということでしたが、夏の夕涼みの楽しみの一つであり、日本の
夏の風物詩でもある花火。手持ち花火は、狭い場所でも、バケツに水をくみ、
その上で楽しんだものですが、皆さんはどうしていますか。
今年の芥川賞は「火花」。芥川賞を貰えなかった太宰治は、泉下で、どう思っ
ているでしょうか。線香花火で終わるか、豪快な打ち上げ花火になるか、真価
を問われるのは第2作から。自称、元作家志望の後期高齢者から一言、「頑張
れ!」。とにかく受賞は、大変なことなのですから。(称賛、少し羨望)
(次回は、「日本に富士山はいくつぐらいあるでしょうか」などについてお話
しましょう)