めぇでるコラム
さわやかお受験のススメ<幼稚園受験編>四季を楽しんでほしい(2)
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
「めぇでる教育研究所」発行
「2020さわやかお受験のススメ<幼稚園受験編>」
第15号
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
四季を楽しんでほしい(2)
南禅寺の掲示板の説教詩に、こういったものがあったそうです。
「そうです」と他人事のようで申し訳ないのですが、評論家、佐高信氏の作品
の中に紹介されていたからです。
花は黙って咲き
黙って散っていく
そうして再び枝に帰らない
けれどもその一時一処に
この世のすべてを托していく
一輪の花の声であり
一枝の枝の真である
永遠にほろびぬ命のよろこびが
悔いなくそこに輝いている
(講談社文庫「官僚たちの志と死」〈P148-149〉佐高 信 著 講談社 刊)
食卓にのった1匹の魚もそうです。
人間に食べられるために生きているわけではないでしょうに、何もいわずに、
黙って食べられています。
人間は、魚の世界では殺魚犯ですよ。
しかし、敵討にきません。
万物の霊長などと、何とも傲慢な考えでしょう。
感謝する気持ちを持たないと、罰が当たります。
私たちの生命、他の生き物の献身的な支えによって、何とか守られているので
す。
謙虚にならないといけないのではないでしょうか。
生命、無駄にできません。
「蓮如 われ深き淵より」や「親鸞」などの作品を通して、宗教の世界をやさ
しく説いてくれる五木寛之氏は、こうおっしゃっています。
私たちは、いわしやさんまを食べるとき、うまいと思う反面、人間は何と
酷な生き物だろう、お許しくださいと無意識のうちに考える感覚がどこ
かに残っている。しかし、ハンバーガーを食べているときは、そういった
感覚はほとんどない。ましてやカロリーメイトだったりすると、まったく
ありません。食生活がバーチャル・リアリティ化している。その結果、私
たちはまだしも、子供たちは、食生活の上でも、生命の重さとそれを消費
して生きている自分という存在の残酷さを実感するチャンスがなくなって
います。 (「他 力」五木寛之 著 講談社 刊 P144)
厳しさもあります。
鮭の回遊です、海亀の産卵です。
きちんと季節を守って、遥か彼方の太平洋の海の底から、やってきます。
横着な鮭や海亀は、いるのでしょうか。
みんな必死です、生命をかけています。
子孫を残すためと考えているかどうかはわかりませんが、頭が下がります。
卵を産むときの鮭の顔、見たことありますか。
すごいです、恐いです。
海亀のお母さん、泪を流しながら卵を産んでいます。
種族保存の本能、と軽薄に片付けるわけにはいかないでしょう。
感動します、感激します。
人間も、きっちり生き抜かなければいけません。
ちょっと、顔が赤くなりますが、もう少しです、我慢してください。
季節は、いってみれば自然界の生命の変遷、そのものです。
生者必滅を、きっぱり、静かに、はっきりとみせています。
学ぶべきことが、たくさんあります。
幼児期には、難しい理屈はいりません。
五感で感じる感性を大切にしてほしいと思います。
季節折々の変化を、きちんと目に収め、音色やさざめく音を耳で聞き取り、生
命の息吹や香りを鼻でかぎとり、旬のものを口で味わい、感触を手で確かめ、
肌で、体で、心で感じ取ってほしいのです。
幼児期は、花を咲かせるときではありません。
大きくはばたくために、しっかりとした根を張るときです。
その根っこに、成長に必要なエキスを、たっぷり注ぐときです。
そのエキスは、知識を詰め込むことではありません。
好奇心や、疑問の目を育てることです。
「何だろう、これ?」
ここから、知ろうという気持ちがわきます。
意欲です。
やる気です。
幼児期は、これらを育てる時です。
ですから、机の上で、記憶に頼って、頭にだけ知識を叩き込むときではありま
せん。
人より一歩先んじて、知識を身につける、たとえ、加減乗除ができても、漢字
の読み書きができても、それを日常生活で使えなければ、どれだけの意味があ
るのでしょうか。
目先の成果だけを追い求める時ではありません。
四季と、もっと仲良くしてほしいと思います。
四季ほど、よくできている教材はありません。
四季ほど、素晴らしい先生もいません。
しかし、四季は、お世辞をいいません。
人間におもねることもありません。
ですから、己れ自らが扉を叩かないことには、応えてくれません。
何やら、難しくなってきました。
「ルカによる福音書」に書かれていることですが、様になりませんから止めま
す。
四季やありがたし。
この言葉の方が自然です。
この気持ちを大切にしてほしい、私は心から、そう思います。
四季との交際マニュアルをご自身で作ってください。
そして、楽しい思い出を、たくさん残してあげましょう。
子どもは、当たり前のことですが、親を選べません。
お母さんは、子どもにとって、この世に生命を授けられて、ご対面した、その
時から、たった一人の「お母さん」です。
お父さんも同じですが……。
「ママに、育てられてよかった!」
こういわれるお母さんになってください。
お母さんなら、なれます。
何にもできなかった赤ちゃんを、ここまで育ててきたのは、お母さんではあり
ませんか。
自信をもってください。
よいお手本を見せてあげればいいのです、よいお手本を。
難しく考える必要はありません。
育児をしながら、育自をすることです。
自分を磨くことです、心を、です。
子どもを育てるのではなく、子どもに育てられると考えましょう。
そうすれば、お子さんも、お母さんの期待に応えてくれます。
お父さんも同じです。
男は黙ってとはいいませんが、よいお手本を見せましょう。
不言実行です。
それが育児の基本ではありませんか、私は、そう思います。
幼児期は、お父さんやお母さんの人生にとっては、まさに、ゴールデン・アワ
ーです。これほどまでに二人が力を合わせて何かをする時は、もうないかもし
れません。
ですから、お受験にしても早期教育にしても、二人で力を合わせて本気で取り
組んでほしいのです。
特に、お父さんの協力がないと、お母さんは、曲がりがちです。
それで、だれが被害者になるのでしょうか。
お子さん自身です。
子どもは、幼児期に体験したことを、そのまま背負って生きていくことを、肝
に銘じておきましょう。
「三つ子の魂、百まで」は、けだし名言ではないでしょうか。
注 ルカによる福音書〔第11章 1-13節〕
「求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開
かれん」
(次回は、「お受験、少し恐いですね」についてお話しましょう)