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めぇでるコラム 7ページ目

2025さわやかお受験のススメ<小学校受験編>■■[2]5つの試験形式■■(5) 面接テスト  

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         「めぇでる教育研究所」発行
2025さわやかお受験のススメ<小学校受験編>
      現年中児のお子様をお持ちの方々へ
 2025年度入試(2024年秋に実施)を成功に導く手引きです。
      <第24号>
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■■[2]5つの試験形式■■ 
(5) 面接テスト  
 
最後は、面接テストです。
ほとんどの学校は親子面接ですが、青山学院初等部、立教小学校、学習院初等科、成蹊小学校のようにお子様の面接のない両親面接のところもあります。
面接は、どの学校でも多くの場合、考査前に行われていますが、国府台女子学院小学部のように考査後に、学習院初等科、成蹊小学校、日出学園小学校のようにお子さんの考査当日に、暁星小学校、早稲田実業学校初等部のように一次試験合格者のみに行う学校もあります。
 
少し古くなりますが、雙葉小学校は母子面接でしたが、平成20年から父親も参加する親子面接になりました。これでお母さん一人が苦労しなくてよくなりました。
また、保護者面接であった暁星小学校は、平成25年から親子面接になりましたが、当時、試験間近の9月の説明会で公表しただけに、周りの父母の皆さん方から、「エッ!」といった驚きの声も聞こえ、直前講習に面接の講座を設けた教室もあったようです(令和3年度以降、コロナウィルス感染症を契機に保護者面接と作文という形式に変更になっています)。
保護者面接の学校は、形式に変更がないか、ホームページに目を通しておきましょう。
 
小学校側が面接をする目的は、保護者が考え、実行している育児の方針と小学校の教育方針に、共通認識があるか、限りなく同じ方向に近づいているかどうかを知ることです。
 
まず、大雑把に分けて説明しましょう。
 
「私どもは、共学で、宗教色のない小学校を希望します」
の場合は、慶應義塾幼稚舎、学習院初等科、成城学園初等学校、成蹊小学校、早稲田実業学校初等部、昭和学院小学校、日出学園小学校、千葉日本大学第一小学校、聖徳大学附属小学校などがあります。
 
「共学で、宗教教育を行っている学校が、いいですね」
となると、ミッション系の青山学院初等部、玉川学園小学部、聖学院小学校、仏教の淑徳小学校などでしょう。
 
「男子だけの学校を考えています」
となれば、立教小学校か暁星小学校です。
 
「女の子で一人っ子ですから、女子だけの宗教教育をやっている学校が、合っていると思います」ということであれば、たくさんあります。
ミッション系では、雙葉小学校、田園調布雙葉小学校、横浜雙葉小学校、白百合学園小学校、湘南白百合学園小学校、聖心女子学院初等科、東洋英和女学院小学部、立教女学院小学校、光塩女子学院初等科、仏教系では国府台女子学院小学部、この辺で勘弁してください。
 
「女の子だけの学校で宗教教育をおこなっていない学校を希望します」
の場合は、日本女子大学附属豊明小学校、東京女学館小学校、川村小学校でしょう。
東京女学館大学は、残念ながら2017年の11月16日をもって閉校、高校までになりました。
 
「私どもの子は、一人っ子ですから、受験で苦労させたくないのですが」
となると、大学まである小学校を選ぶことになります。この発想は、あまり歓迎できませんが、過保護にならないことを祈っています。
 
「それがいやなんですよ。生きることは競争です。社会人になる前に、自分の能力を確かめられる受験を体験させておきたいのです!」
となれば、高校まである小学校を選べばいいですね。暁星小学校、日出学園小学校、昭和学院小学校(短大まであります)、桐朋小学校、桐朋学園小学校、森村学園初等部でしょう。桐朋は、小学校は共学ですが、中学から国立にある桐朋中学校は男子校に、調布市仙川にある桐朋女子中学校は女子校と別学になります。
 
国立市にある国立学園小学校は、幼稚園と小学校だけの特殊な学園です。
 
こういった、大雑把な希望から方向を定めて、それから、それぞれの小学校の教育方針と我が家の育児の方針が、合っているかどうかを検討するわけです。
       
幼稚舎の教育方針がわかりやすいので、紹介しておきましょう。作文も面接もなくなりましたが、願書には、志望理由を書きますから参考にしてください。
 
幼稚舎の徳育の根本は、独立自尊の精神にあります。その規範となるものが、「幼稚舎修身要領」(10ヶ条)です。これは通信簿の第1ページにも記してあります。成績よりも前に目を通してほしい大切な事項だという意味です。新1年生になった時に3つの約束をしますが、「幼稚舎修身要領」の中から特に大切なものを取り上げたものです。
  1つ、うそをつかない。
  2つ、お父さん、お母さん、先生のいいつけを守る。
  3つ、自分でできることは自分でする。
これは福沢諭吉の精神を表した「幼稚舎修身要領」(10ヶ条)の中から、特に大切な項目を選んだものです。
(「子どもと向かい合う教育」元慶應義塾幼稚舎長 川崎悟郎著 リヨン社刊)
 
普段、子どもにいって聞かせていることを考えると、
「うそをついてはいけません!」
「約束は、守りなさい!」
「自分でできることは自分でしなさい、お母さんを頼っても知りませんよ!」
だとします。これを破ると、叱り、諭しているとします。そうであれば、お母さんの育児の姿勢と幼稚舎の教育方針は、一致していることになります。
そして、共学が自然だと思っているとします。
宗教教育は、両親共に経験がないので、なじめないものがあると考えていたとします。
大学まであって、受験戦争に参加しなくて済みますし、学部がたくさんありますから、将来、目指す道が広いのも魅力だと思っているとします。
通学に約1時間、しかし、体力、気力ともに心配ないとしましょう。
前提となる学費は自己解決か、頼れる祖父母に助けてもらえるとしましょう。
こういう図式ができていれば、面接があったとしても、幼稚舎を選んだ理由を、きちんと胸を張って説明できます。これが、面接の目的です。
 
幼稚舎の他にも、面接を実施していないのは、桐朋小学校、桐朋学園小学校で、その理由ですが、以前にも紹介しました、桐朋学園小学校の鈴村元校長の話です。文言は正確ではありませんが、次のような内容でした。
 
「大人は、趣味を尋ねられると、本当は、競馬、競輪などの博打が大好きでも、『趣味は、読書と音楽鑑賞です』と平気でいうものです。演技もできます。ですから、やっても無駄なのです。本音をおっしゃいませんから。しかし、子どもを2日間預からせてもらうと、子どもは正直ですから、みんな本当の姿を見せてくれます。育てられている環境は、わかります。ですから、私どもでは、面接をしないのです。」 (注 3年度入試は一日)
 
その通りではないでしょうか。大人は、猫をかぶりますから、面接は、ニャーニャー大会かもしれません。子どもは正直で、演技をしませんから、育てられている環境を、そのまま見せてくれます。
ですから、面接で、つけ焼刃は効かないのです。
 
また、慶應義塾幼稚舎では、紋切り型のステレオタイプ的な回答が増え、面接をやる意味がないと考え、廃止したと伺ったことがあります。
 
面接では、付け焼刃は効かないとお話ししましたが、入学試験そのものも、メッキでは駄目なのです。メッキは、はげるものです。以前、紹介しました、あるミッション系の校長先生の言葉です。
 
「入学試験に必要な知識や礼儀作法なるものを、泥縄式に詰め込み、『受験準備、事足れり』とお考えでしたら、それは誤りであることに気づいてほしい。」
 
繰り返しますが、その通りではないでしょうか。赤ちゃんを育てたとき、あれこれと泥縄式に詰め込みましたか。そんなばかげたことは、しなかったはずです。子どもの成長に合わせ、一歩一歩、ゆっくりと、一緒に、階段をのぼってきたのではありませんか。
 
その心は、「できるまで待ってあげよう、忍の一字」ではなかったでしょうか。
小学校は、無理やり受験戦士に育てられた子を望んでいません。
 
子どもの知育は、子ども自身が、「知りたい、識りたい」と、身体全体から、ふつふつと湧き出るときに、与えるものであることが大切なのです。モンテッソーリの「その時期に最も活動が盛んになり成長する敏感期」です。お子さんの成長を見極め、学習するためにふさわしい環境を作ってあげるのが、親の役目です。主導権は、子ども自身にありです。それを、親が握り締めていないでしょうか。勉強だけではなく、遊びまでも……。
 
やはり、親は、教育に関して信念というか哲学を持つべきだと思います。しかし、これを言うのには、勇気が必要です。小学校の受験にしても早期教育にしても、私たち親は、子どものためによかれと思って始めますから、「そんなことは、余計なお世話だ!」となりがちです。  
しかし、学校選びは「はじめに我が家の育児の姿勢(方針)ありき」であるべきです。古い話で恐縮ですが、明治初期に、小学校の高等科(現在の5、6年生)の家庭に配布されたものだそうですが、
 
「教育の道は、家庭の教えで芽を出し、学校の教えで花が咲き、世間の教えで実が成る」
 
これは含蓄のある言葉ではないでしょうか。
「ご家庭で育てた芽に、どういった花を咲かせるか。そのためにはどういった教育がふさわしいのか」、学校選びは、こうあってほしいものです。
 
来年1月から、国立、私立小学校の入試問題を紹介し、小学校の受験に何が必要なのかをお話ししましょう。誤った受験準備をしないことが、お子さんのためだからです。(面接に関する情報は令和5年度入試のものです。)
 
冬休みの講習会が始まります。まだ、入会されていない方、挑戦してみましょう。今、この時期に、学ぶべきことがたくさんあるからです。
 
(次回は、「よくある質問」についてお答えしましょう)
 
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第2章(2)何といっても、クリスマスと大晦日ですね 師走

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第7号-
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第2章 (2)何といっても、クリスマスと大晦日ですね  師走
 
★★なぜ、七面鳥の受難日なのですか★★
 
これも、わかりませんでした。七面鳥は高価ですから、私のような庶民はチキンで済ませています。七面鳥、やはり訳ありでした。
 
オランダの清教徒が1620年に、メイフラワー号に乗ってアメリカのプリマス港に着き、初めて食卓に乗せた肉が野性の七面鳥であった。清教徒は、キリスト教を布教するために苦労をしてアメリカを開拓したが、彼らの「生命の支え」となってくれた七面鳥を神に捧げて感謝した。初心を忘れないようにするために、クリスマスには昔の苦労をしのんで七面鳥を食べるのである。もっとも今日のアメリカでは七面鳥は感謝祭(11月の第4木曜日)に欠かせない料理となり、クリスマスの食卓にはチキンが運ばれることが多い。
〔年中行事を「科学」する P247-248 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
日本でも、これに似た習慣がありました。「ありました」と、またしても過去形になるのは、今では家で炊くことがあまりないからです。「赤飯」、またの名を「おこわ」ともいい、米に赤あずきを加えて蒸したもので、結婚式などのお祝いの席でしか、お目にかかれません。この赤飯には、「初心を忘れるな」という戒めがあったのです。米が大陸から日本に伝えられたときは、今のような白米ではなく、赤米(あかまい・あかごめ)でした。あわやひえ、山芋が主食であったことを考えれば、炊きたての赤米は、本当においしかったに違いありません。
 
 
★★なぜ、クリスマスにケーキを食べるのですか★★
 
ヴァレンタイン・デーのチョコレートは、何やらこじつけのような気配があります。しかし、ケーキは、何か意味がありそうです。これも、訳ありでした。
 
クリスマスケーキは、はじめ薪(まき)の形をしていたため、ユール・ログ(yule log)といわれていた。クリスマスの前夜、果物のなる木の丸太を暖炉に入れ、前の年の燃え残りから火を移す。新たな火を暖炉にともされる儀式は聖なるもので、新しい命が生まれると考えられていた。クリスマスに新しい薪を燃やすことによって家は暖かくなり、家族全員集まって神を讃(たた)え、喜
びを分かち合うのである。クリスマス・ログは、公現祭(1月6日)間で12日間、絶やさず燃やし続け、そのあとは灰を大切にとっておき、やけどや害虫予防に用いた。聖なる薪を菓子にして喜びを分かち合うしきたりとしたのが、クリスマスケーキのそもそもの始まりだったのである。
 (注 「(たた)」は引用者)
 〔年中行事を「科学」する P247 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
初代のケーキは、素朴な味がしたことでしょう。今のケーキは何代目かわかりませんが、相当、派手になっています。何といっても「デコレーション・ケーキ」ですから。やはり、感謝の気持ちをこめて食べなくてはいけません。ちなみに、デコレーション・ケーキは和製英語で、正しくはfancy cakeだそうです。
 
 
★★なぜ、サンタさんは、世界共通なのですか★★
 
白いひげを生やし、丸々と太った、明るく、笑顔のやさしい、とっても善良なおじいさんで、プレゼントをいっぱい積んだトナカイの引くそりに乗り、雪の上どころか、空まで飛んでみせ、なぜか、煙突から入ってくるサンタさんのイメージは、世界共通です。これも、訳ありでした。
 
サンタクロースは、1822年に、聖書学者、アメリカのクレメント・クラーク・ムーアー(1777-1863)が作った、[ Twas the Night before Christmas](クリスマスイブのこと)の詩の中で生まれた。聖ニコラウスを原像としたサンタクロースは、ムーアーの詩の中で、白い鬚を生やし、丸々と太った明るい善良なおじいさんとして生まれたのである。(中略) 1863年に
アメリカの風刺画家、トーマス・ナスト(1842-1902)による絵が評判をよんで、白い鬚 、赤い帽子に赤い服、長靴をはき、大きな袋をかついだサンタクロースというイメージが定着したのである。
〔年中行事を「科学」する P242・248 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
サンタさんのモデルである聖ニコラウスは、十二使徒の一人で、毎年、クリスマス・プレゼントを配りにやってきますが、本来の意味は、キリスト自身が、この世の光として、神様から人々に、プレゼントされたのです。それが、いつ頃かわかりませんが、キリストからの贈り物となって、サンタさんが配達人となり、さらに、サンタさんに自分の欲しいものを頼めば、直接、枕元まで配達してくれるようになったのです。親が、サンタさんの代理人とわかり、がっかりするまで、長い子では、もの心ついてから小学校の高学年ぐらいまで、夢を与え続けるのですから、これはすごいものです。
 
それから、サンタさんにお手紙を書きたいとお子さんにせがまれたことはありませんか。安心してください。サンタさんの本部は、フィンランドにあります。
1961年に、フィンランドの郵政省は、正式にサンタさんの住所を決めたのです。「サンタのおじさん、日本語、わかりますか?」、心配ありません。ただし、返信用の切手を同封しなければ、返事はもらえません。しかも返事は夏になるようですから、保護者の方の工夫も必要です。「サンタの住所」で検索すると、手紙の書き方などの詳しい情報を得ることができます。検索してお子さんにプレゼントしてみませんか。
 
 
★★なぜ、サンタさんは、煙突から来るのですか★★
 
こう聞かれて、困ったことはありませんか。これも、やはり訳ありでした。
 
北欧では、長い冬を前にして、心地よく暖かい日を送るために、煙突掃除が必要欠くべからざるものであった。サンタクロースが煙突からやってくることによって子供たちに煙突掃除を手伝わせる大義名分が立ち、子供たちも喜んで手伝いをするというわけである。
〔年中行事を「科学」する P243 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
 
「サンタさんが、気持ち悪がって入れませんよ、こんなに汚れていては!」
子どもは、必死で、快く、真面目に、掃除を手伝います。それはそうでしょう、自分の家だけサンタさんが来なかったら大変です。寒い地方に住む人々の、生活の知恵でしょう。これは、嘘をついてだますのではなく、問題意識を持たせることです。
 
ところで、「なぜ、サンタさんは、トナカイのひくそりに乗ってくるのかな?」と尋ねられたことはありませんか。先に紹介しました聖書学者クレメント・クラーク・ムーアが、自分の子どものために書いた「サンタクロースが来る」の中で、「サンタは8頭のトナカイの引くそりに乗り、世界中の子どもたちにプレゼントを配る」と書かれており、これを踏まえて、ロバート・L・メイという通販会社の社員の書いた詩がもととなり、童話「ルドルフ 赤鼻のトナカイ」が発表され、アニメ映画となり、例の「真っ赤なお鼻のトナカイさんは♪……」の曲が生まれ、世界中に広がったそうです。
 
 
 
★★クリスマス・カードのルーツ★★
 
最後に、クリスマス・カードですが、これは、外国の人には、とても楽しみのようです。
 
1843年に、イギリスのヘンリー・コールが、知人の画家ホーレスーに絵を描かせ、クリスマスを祝して知人に送ったのが始まりという。そして、イギリスのヴィクトリア女王が3年後の1846年にクリスマス・カードを送ったことをきっかけとして、この習慣が世界中に広まったといわれている。 
〔年中行事を「科学」する P243 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
ところで、日本でクリスマスが始まったのは、何と永禄4年(1561)。といってもピンとこないかもしれませんが、上杉謙信と武田信玄が川中島で戦った年です。ポルトガルの宣教師ビレラが、大阪の堺から本国に送った手紙に、「堺のキリシタンらは、大いなる喜びと満足とをもって、クリスマスを祝したり」とあり、これがクリスマスに関するもっとも古い文献といわれています。
今のように、人々の間に広がるのは、大正時代まで待つことになります。
 
 
 
★★なぜ、冬至に柚子(ゆず)湯に入り、かぼちゃを食べるのですか★★
 
「12月25日はローマの冬至祭にあたり、この日を境に短かった昼間が次第に長くなる、不滅の太陽が生まれ変わる日」と紹介しましたが、日本では「物事が悪いことから善い方へ向かっていく」と考えられ、冬至のことを「一陽来復」という別名があります。神社では「一陽来復」のお札を配ります。
この日柚子湯に入ると風邪をひかない、かぼちゃを食べると中風(ちゅうぶう 半身不随、腕または足の麻痺する病気)にかからないともいわれています。柚子湯は体が温まり、風邪や神経痛などに効くことや、柚子にはビタミンCとカルシウムを多く含むため、食べても風邪の予防になり、かぼちゃはビタミンAが多く含まれ、目や体の健康に役立つと科学的にも立証されている優れものです。また、語尾に「ん」のつくたべもの、にんじん、れんこん、ぎんなん、かんてん、なんきん(かぼちゃのこと)、みかん、きんかん、ぽんかんなどには、食物繊維やビタミンが多く含まれ、野菜不足になる冬の食材、果物として欠かせません。これも昔から受け継がれてきた生活の知恵でしょう。子どもたちにはハロウィンでおなじみになったかぼちゃですが、食べる方はどうでしょうか。
 
(次回は、クリスマスと大晦日の(3)についてお話しましょう)
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」
をもとに編集、
制作したものです】
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2025さわやかお受験のススメ<小学校受験編>■■[2]5つの試験形式■■(4) 運動テスト

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         「めぇでる教育研究所」発行
2025さわやかお受験のススメ<小学校受験編>
      現年中児のお子様をお持ちの方々へ
 2025年度入試(2024年秋に実施)を成功に導く手引きです。
      <第23号>
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■■[2]5つの試験形式■■ 
 
(4) 運動テスト
 
みんなで一斉に行う集団テストと、一人ひとりで行う個別テストがあります。
集団テストには、先生のお手本を見て、その通りにする模倣体操や、タンバリンなどのリズムに合わせて行進をする、片足で30秒間ほど立つバランス感覚、指の屈伸などがあります。
 
個別テストは、ケンケン、ケンパー、くま歩き、ボール遊び、ゴム段、跳び箱、平均台といった運動をいくつか組み合わせて、先生の模範演技の後に一人ひとりが挑戦するものです。
 
たとえば、こういった組み合わせです。
「床に引かれた真っすぐな線の上をケンケンで進み、平均台を渡り、次に跳び箱に登り、跳び降りて、得意なポーズをする」
 
こういったテストは多くの学校でやっています。しかし、これは技を競う「競技大会」ではありません。
 
先ほどのような課題のほかにも、ボールを投げたり、ついたり、走ったりなどをしながら、年齢にふさわしい運動機能の発育状態を見ているだけです。ですから、難しいものはありません。何とか難度などは、オリンピックの話で、一所懸命、子どもらしく、挑戦できれば、いいのです。
 
これも生活体験が、そのまま出ます。
 
ボールをついたことのない子にボールをつけといってもできません。運動は、身体全体で学習するものですから、正直に表れます。これは、誰の責任でしょうか。ご両親です。運動器官に、何らかの障害がある場合はともかく、普通の発育状態で、みんなができる運動ができないのは、親がさせていないから、といえるのではないでしょうか。こういう子は、比較的に頭が良いそうです。頭だけ良くても、みんなができることができないと、いやな言葉ですが、いじめの原因になったりもします。
 
逆もあるそうです。スポーツ教室に通って、きちんと技をみがき、それは、それでいいのでしょうが、「みんな、下手だな……! こうやるんだよ!」見下しているのです。態度が大きいのです。ボール遊びなどでこういうこともあるそうですが、これも駄目ですね。
 
早期教育にも、こういう欠点が、表れがちではないでしょうか。
「九九もできないの!」
これと同じです。見下していたカメさんに抜かれるウサギさん、たくさんいるそうです。ウサギさんは、ひらめき型で、カメさんは、じっくり考えるタイプです。繰り返し試みるカメさんを、あたたかく見守ってあげるお母さんになりましょう。カメさんは、小学校の4年生頃から、ウサギさんを追い抜きはじめます。その理由は、選択肢が2つか3つの場合、直感力がすぐれているひらめき型のウサギさんは、あまり苦労することなく答えを選び出せますが、選択肢がふえてくると、直感力だけでは解決できなくなります。じっくり考えるカメさん型は、選択肢が少なくても、一つひとつ検証しながら答えを出すので、時間はかかりますが、試行錯誤、“trial and error”を積み重ね、きちんと考えて答えを出す習慣を身につけているからです。イソップの寓話「うさぎとかめ」は、油断を戒めたものですが、こういった解釈も可能ではないでしょうか。
 
余談になりますが、負けたウサギはどうなったかご存知でしょうか。カメに負けた駄目ウサギとして、ウサギ村から追放されますが、「子ウサギを餌に差し出せ!」と脅迫する狼をやっつけ、無事、ウサギ村に復帰します。狼をやっつける方法が、用心深いウサギらしく、傑作です。(「それからのうさぎ」読んであげたいおはなし 松谷みよ子の民話(上)  筑摩書房 刊)
 
話を戻しまして、問題点は、まだあります。指示されたとおりにできるかです。
先程のいろいろな運動を組み合わせたものや、模範演技をしっかり見て、理解し、同じようにできるかです。指示の理解と的確な行動力を判定しているのではないでしょうか。
 
まだ、あります。待っている間です。自分の番が来るまでは、緊張していますから心配ありませんが、自分の番が終わると、ゆるみがちです。他の子どもがやっている間、キチンと体操座りで待っていられるかです。これも学校側の狙いでしょう。
 
最後に、一言。これは、笑えない話ですね。あるミッション系の小学校の説明会で聞いた話です。
 
先生が模範演技をして、さて始めようとしたとき、一人の女の子が聞いたのでした。
「先生、これテストですか?」
「………!」
先生は、何ともいえません。どこの学校も、子どもたちには、テストというプレッシャーをかけないように気をつかっていますから、「テストです!」とは、いいがたいのです。
「テストでないなら、やりたくありません!」
 
子どもの正直な告白です。毎日、やること、全て、試験のための訓練になっているのでしょう。悲しくなりますね。しかし、体を動かすことをいやがる子どもなど、いるのでしょうか。「お子さんを追い込むような準備はしないでほしい」と、シスターはおっしゃっていました。やはり、おかしいです。
 
おかしくしているのは、誰でしょうか。「ほんの一部」の猛烈受験ママの話でしょうが、こういったことからマスコミのいう「受験戦争の低年齢化」となり、針小棒大に騒がれてしまうのでしょう。小学校受験はお子さんのためですから、こういったお父さんやお母さんにはならないでいただきたいとお願いしておきましょう。
 
昔の話ですが、お父さんが海外へ単身赴任しているお子さんの志望校は、ボールを使った運動テストが行われる暁星小学校でした。盛んに話しかけてくるので、やはり、寂しいのだなと耳を傾け、時には叱ったりしたものでした。子どもから聞いた話ですが、お母さんと近所の公園で、毎日のようにボール遊びや縄跳びをしていたそうです。試験のためではなくても、親子で汗を流すのは、素晴らしいスキンシップになっています。少し太めであったお母さんが、スリムになってきたので、絶対に合格するだろうと思いました。親子が心を一つにして目標に向かえば、望みはかなえられるものです。入学式の帰りに挨拶に見えましたが、一番うれしそうだったのは、何と初対面のお父さんでした。遠く海外にいて手を貸せなかったこその喜びでしょう。
 
何から何まで、塾や教室の先生方にお任せだけでは、良い結果は出ないことも覚えておいてください。
 
(次回は、「面接テスト」についてお話しましょう。)
 
 
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第2章 (1)何といっても、クリスマスと大晦日ですね  師 走

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第6号-
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第2章 (1)何といっても、クリスマスと大晦日ですね  師 走
 
 
暦の上では11月に立冬がありますが、幼児教室では冬は12月からとしています。
さて、その冬ですが、物の本によると、冬という読み方は、「冷(ひ)ゆ」からといわれていますが、他にも、冬が威力を「振るう」、寒さに「震(ふる)う」、動物の出産の時期である「殖(ふ)ゆ」の意との説もあるようです。
師走(しわす)のいわれは、文字通り、1年の終わりである12月は、何かとあわただしい日が続き、普段、どっしりと構えている師匠といえども趨走(すうそう ちょこちょこ走る意)するので、師趨となり、これが「師走」となったという説が有力だそうですが、全てのことを「為果す(しはす)月」というのもあるそうです。
 
季節の読み方と陰暦のいわれについては、「子どもに伝えたい年中行事・記念日」(萌文書林 編集部編 萌文書林 刊)を参考にさせていただきました。
 
12月といったら、何といっても大晦日です。「ちょっと待った!」と、さえぎる声が聞こえそうです。
クリスマスですね、わかっています。子どもたちが、もっとも楽しみにしている日ですから。しかし、クリスマスはキリスト教の祭りで、12月だけ、にわか信者になってお祝いするのも、おかしな話ではありませんか、という声も聞こえてくるかもしれません。
 
それはさておき、北は北海道から南は沖縄まで、全国的に展開され、いや、世界的な規模でのお祝いですが、実はよく知らないことや、なぜ、なぜ、どうしてと思う素朴な疑問は、数々あります。
 
★★12月25日は、キリストの誕生日ではない!?★★
 
「ナヌ……!?」
この歳時記には、筆者の不勉強から「……!?」が再三、姿を見せますが、第1号は、キリストの誕生日です。読んだときはびっくりしました。例の、といっては不敬に当たると思いますが、馬小屋でお生まれになったあのお話は、どうなるのでしょうか。いろいろと探っていく内に、何と小さなお子さん用の歳時記に、実にわかりやすく、説明されているではありませんか。
 
  クリスマスは、イエス・キリストの生誕を祝うお祭りですが、聖書
  の中では、キリストの誕生日は特定されていません。4世紀頃、キ
  リスト教が広まるにつれて、統一された聖誕祭が必要となりました。
  その頃、力を持っていたミトラ教のお祭りに対抗するために、12
  月25日に決められたといわれています。
  (えほん百科 ぎょうじのゆらい 講談社 刊)
 
ミトラ教とは、ユーラシア大陸(ヨーロッパとアジアの総称 亜欧州)で信仰されていた太陽の神ミトラスのことで、12月25日はローマの冬至祭にあたり、この日を境に短かった昼間が次第に長くなる、不滅の太陽の生まれ変わる日と考えられていました。4世紀になり、この慣わしを取り入れ、「キリストこそ、私たちの太陽」とあがめ、キリストの誕生日として祝うようになったのです。
信者の皆さま方には不敬になるのをお詫びしながら申し上げますが、「イエス・キリストが、この世に生まれたことをお祝いする日」であり、「キリストが、神からこの世に送られてきたことを感謝する日」なのですね。「きよし、この夜」は、やはり、心静かに感謝の心を込めて過ごす日なのです。
 
ところで、我が国にも馬小屋の前で生まれた方がいらっしゃいます。厩戸皇子(うまやどのおうじ)こと、聖徳太子です。厩戸の名前の由来は、お母さまが宮中を見回っていた時に産気を催し、馬小屋の前で出産したからだそうですが、当時(574年 敏達3年)、キリスト教の一派であった景教が、既に中国に来ていたため、日本にもその話が伝わり、キリスト降誕説話と同じ伝説が生まれたのでした。この話は黒岩重吾の歴史小説を読み覚えているのですが、本が見つかりません。(陳謝)
 
 
★★なぜ、クリスマスには「赤、緑、白」の三色になるのですか★★ 
 
このことです。どうしてクリスマスになると、「赤、緑、白」の三色になるのでしょうか。12月になると、ジングルベルのメロデイーが流れ、この三色が街にあふれます。デパートでこの色にお目にかからない売場は、ほとんどありません。私は子どもたちに、「赤はサンタさんの着ている服の色、緑はクリスマス・ツリーの樅の木、白は雪です」といい加減な説明をしていました。ハワイで見たサンタさんは裸足でしたし、常夏の国ですから「白は雪」とはいえません。これも、当然のごとく訳ありでした。
 
クリスマスの色は、赤と緑と白である。キリストが人類のために十字架に流した血の色は赤である。キリストの純潔を表す色は白、そしてキリストの永遠の命を象徴する色が緑である。
〔年中行事を「科学」する P245 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
 
 
★★なぜ、クリスマス・ツリーは、樅の木ですか★★
 
日本では、松の木でしょう。常緑樹は、いつも、みずみずしい姿ですから縁起物には欠かせません。門松もその一つです。では、なぜ樅の木になったのでしょうか、これも訳ありでした。
 
  クリスマス・ツリーは不滅のシンボルとして永遠の生命を表す常緑の
  木である。12月24日は「アダムとイブ」の日といわれている。ア
  ダムは楽園を追われたとき、生命の木から実を一つとってきた。その
  実から木が育ち、キリストの十字架が作られたという。クリスマス・
  ツリーはアダムの持ってきた「善意を知る木」であり、キリストを表
  す不滅の生命の木である。
〔年中行事を「科学」する P244 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
クリスマス・ツリーは、アダムが楽園から持ってきた実から生まれたとは、これまた驚きです。では、いつ頃からクリスマス・ツリーは、飾られるようになったのでしょうか。
 
  プロテスタントでは、クリスマス・ツリーは、マルティン・ルーテル 
  (1483~1546)が、初めて採用したのです。1529年のク
  リスマスの前夜、ルーテルが凍りついた雪の道を歩きながら、澄み切
  った夜空を見上げると、無数の星が、美しく輝いていた。この星の輝
  きを、キリストの愛と感じたルーテルは、樅の木を一本切り取り、木
  の枝にたくさんのろうそくを灯し、感激した夜の情景を家の中に再現
  したのである。ギリシャ正教ではケルラリウスによって、1054年
  にクリスマス飾りとして採用された。
〔年中行事を「科学」する P244~245 永田 久 著 
 日本経済新聞社 刊〕
 
では、当時のクリスマス・ツリーは、どのようなものだったのでしょうか。
 
  樅の木は、はじめは、ろうそくと林檎(りんご)で飾られていた。人
  々は、キリストの光を表すろうそくと、豊穣を示す林檎によって、明
  日の命、永遠の命を讃(たた)え、祈った。さらに樅の木は天使が飾
  りつけをする意味を象徴して、一本の銀の糸を「天使の髪」といって、
  飾りつけの最後に何気なく木にかけておく習わしがある。 (ふり仮
  名は引用者)
〔年中行事を「科学」する P245 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
本来の飾りは、ろうそくとりんごだけで、質素なものでした。今の樅の木は、華やかです。靴までぶらさげ、物欲の権化のようになってはいますが、子どもの夢ですから仕方がないでしょう。
ところで、樅の木の天辺に飾ってある星は、キリストが生まれたときに輝いた星といわれ、「ベツレヘムの星」と呼ばれていますが、それがどの星に当たるかは、定かではないそうです。
 
 
★★なぜ、クリスマス・リースは、柊なのですか★★ 
 
クリスマスといえば、樅の木が主役だと思っていましたが、玄関やプレゼントの飾りつけにするクリスマス・リースも外せません。しかし、あれは柊(ひいらぎ)の葉です。柊は、日本では鬼から身を守る魔除けの一つですが、これも訳ありでした。
 
  クリスマスシーズンに赤い実をつけ、緑の葉を持つ柊(holly)は、古
  くから、ローマ人によって魔除けとして、また長寿の木として、サトゥ
  ルナリア、冬至祭にも用いられていたが、キリスト教がこの習慣を引き
  継ぎ、棘(とげ)はキリストの受難、赤い実はキリストの血という解釈
  を与え、クリスマスの愛の木としたのである。英語で(holly)がholy
  (神聖な)に通じる縁起もあるのだろう。
 〔年中行事を「科学」する P245 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
サトゥルナリアは、12月17日から25日まで祝われた古代ローマの祭りで、農耕神サトゥルナリアを祀り、闇を追い払う冬至祭のことです。ただし、リースに使う柊は「ひいらぎもち(Chinese holly)」と呼ばれ、赤い実をつけ、葉っぱもトゲの形も異なり、節分に使う柊とは同じではありません。
 
まだまだクリスマスについてありますが、今回はここまでにしましょう。
 
 
(次回は、クリスマスと大晦日の(2)についてお話しましょう)
 
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話 
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
制作したものです】

 
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2025さわやかお受験のススメ<小学校受験編>■■[2]5つの試験形式■■(3)集団テスト

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         「めぇでる教育研究所」発行
2025さわやかお受験のススメ<小学校受験編>
      現年中児のお子様をお持ちの方々へ
 2025年度入試(2024年秋に実施)を成功に導く手引きです。
      <第22号>
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(3)集団テスト
 
10名から20名位のグループで、部屋に置かれている遊び道具、ボールや縄
跳び、積み木や輪投げなどを使い、各人が自由に遊んでいる様子や、先生のま
ねをして踊ったり、熊や象などの動物のまねをしているところを観察するもの
や、話を聞いて、話の続きを想像して絵に描いたり、全く条件を与えられない
で好きな絵を描いたりします。
 
テストの狙いは、遊んでいる様子から自発性を、何かを作ったり、絵を描いた
りすることから表現力や創造力、巧緻性などを見ます。巧緻性は、きめ細かく
上手にできていることで、「手は第二の脳」(11号~14号)で詳しくお話
しましたから省略しますが、一言でいえば、普段、両手を使う作業をやってい
るかを見るわけです。親の手を借りずに、どのくらい自分自身でできるか、自
立心ですね。
 
さらに、基本的な生活習慣も関わっています。もちろん、積極的に参加する意
欲や自主性もわかりますから、手を抜けません。
 
また、たとえば、クリスマス・ツリーなどを作る課題を与えられ、5、6名の
友だちとグループを組み、相談をしながら、自分の考えをいい、相手の意見に
も耳をかたむけながら、仲良く作り上げていく問題もあります。社会性や協調
性が培われているかを見る行動観察型のテストです。
 
 
 
[自由遊び]
 
「好きな道具を選んで、自由に遊びなさい」
といわれて戸惑う子がいます。子どもは遊びが仕事ですから、信じられません
ね。
 
その原因は、日常生活が何から何まで管理されていることにあるのではないで
しょうか。
 
お母さんの指示どおりにしないと、お母さんの気持ちが済まないようで、その
心は、無事に〇〇小学校へ入るためです。これでは、学校側が求めている自発
性や自主性は、育たないと思いますね。お子さんの通っている幼稚園は、自由
保育です。お母さんのやっていることは、管理育児です。こんな言葉はないで
しょうけれど、保育の方針に逆らっています。
 
遊んでいるときに、子ども本来の姿が表れるもので、そこを学校側はみたいの
です。みんなが自分の好きな遊びに熱中している時に、何やら不安気に、ボー
ッとしていると、先生方は、どう思うでしょうか。育児が過干渉である証拠で、
自分の意志を持たない「受験サイボーグ戦士」と思われるかもしれません。そ
の心配なしとは言えませんね。
 
こんな子もいるそうです。今、ボールで遊んでいたと思ったら、今度は縄跳び、
と思う間もなく輪投げです。一ヶ所にジッとできません。これは、この時期に
見られる子どもの成長を現す一面で、目移りではなく、好奇心が旺盛なのです。
とは言っても、次から次へと手を出し、人が遊んでいるおもちゃを横取りした
り、いくつも独占したり、あげくのはてには散らかしっぱなしはどうでしょう
か。
これでは、好奇心が旺盛とは言えません。単なるわがままか、飽きっぽいだけ
で、育児が過保護になっている証拠です。
 
遊ばせると、子どもの育てられている環境はわかります。
 
幼児の試験に適していますね。子どもたちは、全身で育てられている環境を表
します。無心に遊ぶ、ちょっとしたしぐさから、育児の姿勢が伝わってくるも
のです。
 
 
 
[身体表現]
 
先生のやっている動作をまねる、いわゆる身体表現です。
たとえば、あざらしの歩き方をまねたりします。これは、かなり、難しいです
ね。両手で体重を支え、両足をそろえて伸ばし、両手を交互に出しながら前に
進みます。まさに、あざらしさんです。腕力と腹筋を使いますから、かなりき
ついですね。もちろん、あざらしそっくりにできればいいのですが、それだけ
ではありません。これも積極的に参加する意欲があるかどうかです。ちょっぴ
り照れながらも、顔を真っ赤にして挑戦する子、いいですね。
 
幼児は自分の考えを表すときに、言葉だけでは十分でない場合、どうするでし
ょうか。身体全体を使って表現しようとするものです。しかし、これは表現す
る対象をよく観察していないとできません。あざらしを見たことのない子に、
まねられるでしょうか。たとえお手本があっても、ぎごちないでしょう。見た
ことのある子は、「不思議な歩き方だな?」と思うはずです。「思う」とは、
注意を呼び起こされることです。「どこが、どう違うのかな?」と観察を始め
ます。幼児の学習は、これが基本です。
 
興味があれば、細かいところまで見極めようとします。他の動物との違いを見
つけられれば、素晴らしい学習になります。
 
大切なのは、実物を見ることです。
 
同じところと異なったところを見つける、「類似差異」の見分けです。そこか
ら、新しい知識が備わってきます。机の上で、いろいろと知識を詰め込まれて
も、あざらしを見たことがなければ、はつらつと表現できるでしょうか。この
テストの目的は、生活体験、自分を取り巻くものへの関心や、そういったもの
に対する観察力ではないでしょうか。
 
かつて、アメリカでベストセラーとなった「人生に必要な知恵はすべて幼稚園
の砂場で学んだ」の第1章 私の生活信条(クレド)に、「不思議だな、と思
う気持ちを大切にすること。(中略)ディックとジェーンを主人公にした子供
の本で最初に覚えた言葉を思い出そう。何よりも大切な意味を持つ言葉。“見
てごらん”」があります。(“  ”は発行者)幼児に大切なのは、教え込む
より、疑問や関心の芽を育ててあげることではないでしょうか。
 
 
 
[共同制作]
 
クリスマス・ツリーを作ることを考えてみましょう。折り紙、モール、きびが
ら、発泡スチロール、リボン、厚紙などの材料から、セロテープやのりなどの
接着剤、はさみ、穴あけパンチ、ホチキスといった道具が用意され、相談しな
がら作ります。共同制作です。
「制作、得意なんです、私に任せといて!」
「苦手なんだ、はさみを使うの。手を出さないで見てよう!」
そうはいきません。みんなで相談しながら作ります。自主制作ではありません、
共同制作です。
 
以前、日出学園小学校では、4、5人のグループで模造紙1枚とクレヨン1箱
だけ用意し、相談しながら絵を描かせる課題が出題されました。ある年は「弁
当箱」でした。クレヨン1箱ということは、同じ色は2本ないことです。さあ、
どうすれば絵は完成するのでしょうか。
 
これは、本当に大変です。
 
考えてください、全員、今日、初めて会ったのです。幼稚園や保育園、幼児教
室や近所の気心の知れた友だちではありません。名前も性格も能力も趣味も、
全く、わからない集りです。ですから、育てられている環境が、姿を表します。
「自分のことは自分でしなさい!」
と、ご両親が自主性を培う育児に徹していれば、一本しかない黄色のクレヨン、
どうすれば使えるかを自分で考えます。
 
過保護、過干渉な育児では、果たして自分の考えを言い、積極的に参加できる
でしょうか。学校側の狙いは、ここにあるのではないでしょうか。
 
 
 
[お絵描き]
 
かつて幼稚舎の試験に、こういうのがありました。
教室に紙を貼ったイーゼルが立てかけてあり、その前に数種類の絵具が用意さ
れ、絵を描かせたのです。学校の狙いは、何でしょう。絵の巧拙でしょうか。
それもあるかもしれませんが、それよりも挑戦する意欲をみているのではない
でしょうか。4、5歳の幼児が、イーゼルを使って絵を描く機会があるでしょ
うか。ほとんどの子どもは、「何だろう、これは?」となるに違いありません。
 
新しいもの、未知なるものに挑戦する意欲です。積極的に挑戦する子の好奇心
は、旺盛です。これですね。
 
体中から好奇心という触角を出して、うるさいほど知りたがるのが子どもです。
こういう子は、やります。筆につけすぎた絵具をボタボタ落としながらでも。
手や顔どころか、服まで絵具だらけになるかもしれませんが、幼稚舎の試験は、
体操着に着替えてしますから心配ありません。どうして、体操着に着替えるの
でしょうか。受験される方は、これを考えましょう。
 
ところで、「なぜ、イーゼルを使い絵を描かせたのですか」の質問に、「子ど
もの表情を見たかったのです」とおっしゃった当時の舎長のコメントが印象に
残っています。なぜなら、一心に絵を描いている子ども達の表情は、実に生き
生きとしているからです。知的能力だけではなく、身体全体から表われる子ど
もらしい成長の証(あかし)を見ているのです。ここがポイントではないでし
ょうか。
 
制作、絵画は、完成した作品の巧拙だけを見極めるのではありません。
 
積極的に楽しく取り組む意欲や共同で作業を進める協調性です。協調性は、社
会性と共に、大切な集団生活への適応力を育むものです。
 
ペーパーテストは満点を取っても、集団テストの苦手な子を、学校は歓迎する
とは考えにくいことです。社会性がどのくらい培われているか、子どもは態度
で示します。過保護、過干渉の環境では、意欲や集団生活への適応力に問題あ
りと判定されないでしょうか。
 
通っている幼稚園の先生や保育士さんに聞いてみましょう。「集団生活に、少
し心配な点がありますね」などの答えがあった場合は、「ものすごく心配な点
がある」と受け取り、お子さんに対する育児の姿勢、取り巻く環境を総点検す
る必要があります。
 
繰り返しますが、「ご両親の育児の姿勢」を総合的に判定するのが、小学校の
入学試験です。このことを、肝に銘じておくべきではないでしょうか。
 
  (次回は、運動テストについてお話しましょう)
 
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第1章(3)情操教育、難しく考える必要はありません 季節の行事、これも欠かせません

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第5号-
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第1章 (3) 情操教育、難しく考えることはありません
 
   - 季節の行事、これも欠かせません - 
 
 
季節折々の行事を祝うことも大切です。
昔は農耕民族でしたから、1年の生活は農作業を中心に営まれ、休みも仕事の
進み具合により取るようにしていましたが、今は法律で定めた国民の祝日にな
っているものが多く、全国的に休暇を取るようになりました。以前は、祝祭日
に日の丸を掲げたことから「旗日」ともいわれていたのですが、今はあまり見
かけなくなりました。
 
祝祭日を家庭で祝うことも、少なくなっているのでしょう。
元日に雑煮を食べない家庭もあるそうですから、当然かも知れません。しかし、
七五三や成人式は、華やかに行われていますし、ひな祭りと端午の節句、これ
はおじいちゃん、おばあちゃんの気張りどころでしょう。国産ではありません
が、クリスマスもきちんと祝い、ハロウィンも仲間入りしてきました。いずれ
も国産化され、本来の趣旨とは違ってきているようですね。
 
お父さん、お母さんに質問です。
 「なぜ、門松は、松竹梅で飾るのでしょうか」
 「なぜ、鬼は、柊(ひいらぎ)、いわしの頭、豆を嫌うのでしょうか」
 「なぜ、菱餅は、白、桃色、緑の三色なのでしょうか」
 「なぜ、端午の節句に、鯉のぼりを飾るのでしょうか」
これくらいにしておきましょう。
 
こういった四季折々の行事を、家族で祝い、その意味を両親から話してあげる
機会を少しでも多く持ちたいですね。
 
例えば、正月の門松です。
 
室町時代頃から飾るようになったそうですが、これには、きちんとした科学的
な根拠があるのです。詳しくは1月に説明しますが、ここでは、昔聞き、今で
も忘れられない話を紹介しましょう。
 
 「松は、一年中、葉が青くて、冬にも色が変わらん。元気で健康な証拠や。
  竹は、真っすぐに伸び、雪が積もっても折れへん我慢強さがある。しかも、
  中は空っぽやから腹に一物もなく、きれいや。『竹を割ったような性格』
  っていうやろ、正直や。男は、これでなきゃあかんのや。
  梅は、他の木がつぼみさえ持たん寒い冬に、リンと咲く強さやな。それに、
  咲く姿は清らかや。
  みんな、それぞれ、それなりの理由がある。みんな縁起もんや。そやから、
  これらを飾って、新しい年神様を迎えて、健康で、辛抱強く、正直に生き
  て、家内繁盛を願ったのや」
 
こういった話を、元日の朝祝いの時に、必ず聞かされていたものです。
今の時代、「男は」とか「女は」をつけると、何やら一言ありそうですが、昔
のこととして流してください。
 
季節折々の行事は、自然への感謝の気持ちと家族の幸せを願って、家族みんな
で祝ったものです。その行事の意味を子どもに教え、楽しく祝い、一つの思い
出として残してあげ、子どもが親になった時に、その楽しい思い出をわが子に
も伝える、そういった風習が残っていました。何しろ今と違い、情報量の少な
かった時代でしたから、これも親の大切な役目でもあったわけです。
 
しかし、最近は、「鬼は外、福は内!」の声など幼稚園や保育園では聞こえま
すが、ご家庭からは聞こえなくなりました。そんなことは迷信だといって、だ
んだん、影をひそめていくようです。
「月にうさぎが住んでいる」と信じている子はいないでしょうが、「サンタク
ロースはいる」と信じている子はたくさんいます。事実、サンタさんから送ら
れてきた手紙を、目を輝かせ、得意そうに見せてくれた子もいました。
 
 「迷信と切り捨てる」のと、「迷信でも子どもの夢を一緒に楽しんであげる」
とでは、どちらが子どもにとって幸せでしょうか。
 
豆をまき、菖蒲(しょうぶ)湯に入って菖蒲で鉢巻をしたり、短冊につたない
字で願い事を書いたり、お月見に薄(すすき)を飾ってお団子を食べ、素朴に
祝っていたのでしょう。「素朴」、いい言葉ではありませんか。最近、あまり
聞かれない言葉の一つになりましたけど……。
 
今のようにインターネットやテレビもなく、昔話の本などあまりなかった時代
は、ほとんど両親の記憶による話でした。その話も祖父母、先祖によって語り
継がれてきたもので、そういった昔話の原点が残っていました。
 
特に、鬼の話や地獄の話は恐かったものです。悪いことをすると地獄に落ち、
針の山に追われ、血の池に放りこまれる話などは、心から信じていました。こ
れも「情操教育」ですね。
 
こういった家族全員で祝うことがなくなったのも、家族の絆が薄くなった原因
の一つであることは、間違いないでしょう。季節折々の行事も、心を培う「情
操教育」に欠かせない、家庭でやらなければならない大切なイベントだと思い
ます。
 
そこで、月々の行事を取り上げ、その行事に関係のある昔話を紹介しようと試
みたのですが、日本中の行事といえば気が遠くなるほどありますし、昔話とな
ると、とてもではありませんが手に負えない、ものすごい数です。
 
行事は、全国的に行われているものから選びましたが、その基本的な資料とし
て使わせていただいたのは、永田 久先生の「年中行事を『科学』する」(日
本経済新聞社 刊)です。専門用語が使われ難しいものですから、独自に解釈
させていただきました。
 
昔話は、独断と偏見で選んでみました。そして、解釈も独自ですから、専門家
の諸先生方に一笑されるかもしれませんが、ご容赦ください。
 
紹介する話は、ほんの氷山の一角で、しかもダイジェスト版にしています。面
白いと思われましたら、本物を読んであげてください。
それも、本メールマガジンの狙いの一つです。紹介する本は、ほとんどが図書
館で読めるものです。お住まいになっている図書館の子ども部屋にはあると思
いますので、作者と出版社名を明記しましたから、参考になさってください。
 
お父さん、お母さん、頑張ってください。
 
情操教育は、心の教育です。心の教育は、幼児期に基本的なことを学習してお
くべきです。今は学習ではなく、勉強が幼児の心をむしばんではいないでしょ
うか。文字の成り立ちからもわかるように、学習は「習い学ぶこと」で、勉強
は「強いて勉めること」です。幼児を取り巻く環境は、何やら落ち着きません。
 
親が勉強せず、子どもだけに勉強を強いる傾向にあると思えてならないのです。
情緒が不安定で、情操の乏しい子が増えているといわれていますが、知識を詰
め込むことにこだわり、心を育てる育児が、おろそかになっていないでしょう
か。
 
キリスト、お釈迦さま、マホメッドと共に、世界の四大聖人である孔子さまも、
「論語物語」の「うぐいすの声」でいっています。うぐいすのひな鳥が、親鳥
の美しく鳴く声を聞きながら、繰り返し練習をし、やがて一人前に鳴けるよう
になる話です。その心は、「親鳥のようになりたい……」、このことです。
 
幼児期は、「強いて勉めるときではなく、習い学ぶとき」です。心の教育は、
お子さんの人生観の基礎を培う大切な学習です。お手本は、ご両親です。ご両
親が、うぐいすの親のようにならなければ、迷うのはお子さん自身です。心の
教育こそ、ご両親が力を合わせて、育み、培うものです。
 
ご両親が受けてきた教育を、そのままお子さんにも受けさせたいとお考えでし
ょうか。もし、不安を感じているようでしたら、教育についての考え方を、改
めるべきではないかと、あえて言い切っておきましょう。
 
「教育とは自己学習のできる人間を育てること」であり、ご両親が作る環境か
ら培われていくものだと考えています。
 
通信簿に表れた目先の結果だけにこだわらず、どのような子どもに育ってほし
いのか、大らかな心をもち、お子さんの教育について考える賢いお父さん、お
母さんになってあげましょう。それがご両親の役目、親の責任ではないでしょ
うか。
 
最後に、落語「桃太郎」の全編を紹介しましょう。大人用は、複雑に脚色され
た噺が多く、長くなりますから、「こども古典落語」から選びました。
「桃太郎」は、「かちかち山」「花さか爺さん」「さるかに合戦」「舌きり雀」
と共に、日本の五大お伽話といわれています。なんと、この五つの話を知らな
い子がいます。ご自身のお子様はどうでしょうか。
 
余談になりますが、落語ですから声を出して読んでみてください。黙読とは一
味違うはずです。
 
 
★★古典落語「桃太郎」の作者
    乾坤坊 良斉(けんこんぼう りょうさい)の意図★★
 
桃太郎のお話を一席申し上げます。
近頃の子どもは学校に入る前に、大概、幼稚園や保育園に行っていますから、
昔とは大変に違います。昔は親が子どもを寝かしつけるのに、
「おとっつぁんが、面白い話をしてあげるから寝るんだよ。いいかい、あのね。
むかし、むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがいてね。ある日、
おじいさんは山へ芝を刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行ったんだよ。そして、
おばあさんが川で洗濯をしていると、大きな桃が流れてきたから、家に持って
帰って割ってみると、男の子が生まれたんだよ。桃の中から生まれたから桃太
郎と名前をつけてね。大きくなると桃太郎は、犬と猿と雉を連れて、鬼が島に
鬼退治に行ったんだ。そうして、鬼を退治して、宝物をたくさん持って帰って
きて、おじいさん、おばあさんを喜ばしたんだよ。どうだい、面白かったかい
……。おや、坊や……。もう寝ちまったよ。子どもなんて罪のないもんだね」
という具合だったんですが、今は、そうはいきません。
「坊や、お父さんが面白い話をしてあげるから早く寝な」
「せっかく親が面白い話をしてくれるのに、寝ちゃあ失礼だよ」
「失礼でもいいから寝なよ」
「あのね、むかしむかし」
「むかしむかしって、何年前?」
「ずうっと昔だよ」
「それじゃ、何世紀頃のお話?」
「何世紀だって、いいじゃないか!」
「あるところに、おじいさんとおばあさんがいたんだ」
「あるところって、どこ? おじいさんとおばあさんの本名は?」
「あるところはあるところさ。おじいさんとおばあさんには、名前がないんだ
よ!」
「でも、名前がない人っていないよ」
「貧乏だから、名前を売っちゃったんだよ」
「変なこと言ってら!」
「黙って聞きなよ!」
「おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行ったんだ。おばあさ
んが洗濯をしていると、大きな桃が流れてきたから、これをもって帰って割っ
てみると、男の子が生まれたから、桃太郎と名前をつけた。この子が大きくな
ると、犬と雉と猿を連れて、鬼が島に鬼退治に行ったんだ。そうして鬼を退治
して、宝物をたくさん持って帰ってきて、おじいさん、おばあさんを喜ばした
んだ……。あれっ、まだ寝ないのかい?」
「お父さんの話を聞いていたら、さっきまで眠かったのに、パッと目が覚めち
ゃった。だってこの話は、もっと深い意味があるんだよ」
「ほう、そうかい?」
「話してあげようかい、君!」
「あれっ、親をつかまえて、“君”というやつがあるかい! まあ、話してご
らん」
「むかし、むかし、あるところにというのは、何時代のどこと決めてもいいん
だけど、日本中の子どもがこの話を聞くわけでしょう。だから、子どもたちの
想像させるために、わざとぼかしてあるんだよ。おじいさん、おばあさんとい
うのは、本当はお父さん、お母さんなんだけど、やわらかみを出すために、お
じいさん、おばあさんにしてあるんだ。そして、それぞれ山と川に行くでしょ。
あれはね、父の恩は山より高く、母の恩は海よりも深いということを表してい
るんだよ。そして、海のない地方もあるから、わかりいいように川にしたんだ」
「えっ……、なるほど。これは、大人が聞いてもためになるな」
「そうさ。桃の中から子どもが生まれたというけど、あれは、桃のようなかわ
いい赤ちゃんが生まれたということなんだよ。第一、桃の中から赤ん坊が生ま
れてごらん。果物屋さんは、赤ん坊だらけになっちゃうよ」
「なるほど、なるほど、それから?」
「そんなに前に乗り出してこないでよ。そしてね、鬼が島に行くというのは、
つまり、父母のもとを離れて、世間に出るということなんだよ。犬、雉、猿を
連れて行くというのはね、犬は思いやりというものがある。難しい言葉でいう
と仁というんだよ。猿には知恵がある。雉は勇気がある。つまり人間は、世間
に出たら、仁、知、勇、この3つを働かせなければいけない。そうすれば段々
に偉くなってきて、世間から信用という宝物を得ることができるということな
んだよ。それをお父さんみたいに、この話をしたんじゃ、このお話の作者が泣
くよ。わかったかい、お父さん……。お父さん、あれぇ、お父さん寝ちゃった
よ! へえー、大人なんて、罪のないもんだ!」
こども古典落語1 あっぱれ! わんぱく編 
   小島 貞二 文 宮本 忠夫 画  アリス館 刊
 
きび団子の説明が抜けていますが、きびでできた団子は美味いものではなく、
人間いかなる時もおごってはいけないという戒めを表しています。桃太郎伝説
のモデルといわれている岡山県の吉備津神社で食べたきび団子は美味かったの
で、子どもたちから「うそでしょう?」と言われるかもしれません。
 
いかがでしょうか、説得力があると思いませんか。
歳月を経て伝えられてきた話は、研ぎ澄まされており、実に無駄がありません。
 
しかも、落語であるところが愉快ではありませんか。笑いながら、人生修業を
しているのですから。落語は、最後の「下げ」が勝負になりますが、これも決
まっていますね。YouTubeで視聴できます。
 
最近、落語を聞く機会がなくなりましたが、落語は素晴らしい話芸です。疲れ
たときに聞いてみませんか。落語は、声を出して笑うことが、いかに大切であ
るかを教えてくれるからです。
 
「笑う門に福来る」とも言うではありませんか。ご両親の笑顔は、お子さんの
健やかな成長を支える促進剤です。
ちなみに英語では、“Fortune comes in by a merry gate”、面白いのは、
“Laugh and be fat”(笑えば肥る)とも言うそうで、後の方が、実感があり、
納得できますね。(「故事ことば辞典」より)
 
ところで、あるミッション系の小学校の面接試験で、「最近、大笑いしたこと
がありますか」と尋ねられたことがありましたが、この質問の意図を、どのよ
うにお考えでしょうか。
 
 
  (次回は12月の年中行事についてお話しましょう)
 
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話 
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
制作したものです】
 
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2025さわやかお受験のススメ<小学校受験編>■■[2]5つの試験形式■■(2) 個別テスト

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         「めぇでる教育研究所」発行
2025さわやかお受験のススメ<小学校受験編>
      現年中児のお子様をお持ちの方々へ
 2025年度入試(2024年秋に実施)を成功に導く手引きです。
      <第21号>
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☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
発行者よりお知らせです。
 
 さわやかお受験のススメ<現年中児 今から始める小学校受験>
 
は、11月から
 
 さわやかお受験のススメ<小学校受験編>
 
にタイトル変更してお届けしています。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
■■[2]5つの試験形式■■ 
 
(2) 個別テスト
 
文字通り、先生と一対一、個別で行われるテストです。口頭試問と考えたらい
いでしょう。
しかし、幼児のことですから、言葉だけでは答え切れません。おはじきやプレ
ート、絵、時には本物や、それに近い物を使って出題され、おはじきを置いた
り、絵に指を差して答えたり、プレートで指示された形を作ったりします。学
校によっては、いくつもの部屋を回り、何人もの先生とお話しする場合もあり
ます。
 
この形式では、ペーパーテストと異なり、設問を聞き逃しても、「それまで!」、
ゲームセットとはなりません。勇気があればの話ですが、聞き直しができます。
 
幼児のテストは、こういった個別テストが適しているのかもしれませんが、答
える子どもたちには、つらいことになります。口頭試問の場合、問題を聞き、
考え、言葉で答えるからです。ペーパーテストでは、答えがわからなくても、
適当に印をつけても正解になる場合もあります。時には、偶然が支配する幸運
もあります。個別テストには、それがなく、全部、自分でやらなければなりま
せん。
 
育てられている環境そのものが、ズバリ顔を見せます。
 
育児が過保護や過干渉になっていると、親離れができていませんから困るでし
ょう。
「ママ、手伝って!」
「どうしたらいいの、ママ!」
そんなことをいっても、誰も手を貸してくれません。態度も、オドオドとして
落ち着きがないでしょう。
こういった子育てをしているお母さん方は、臆面もなくおっしゃるそうです。
 
「私となら何でもできるのに。やっぱり、コネなんだわ!」
 
少し解説が必要ですね。その子は、お母さんと一緒であれば、何でもできる抜
群の能力の持ち主だそうです。しかし、試験を受けたのですが、合格しません
でした。ですから、落ちたのは成績ではなく、出身者ではないから、また、紹
介者、つまり、コネクションがないために、合格しなかったとおっしゃりたい
らしいのです。出身者だけを入学させたくても収容人員は限られていますし、
紹介者がいれば合格するのであれば、受験料を取ることは詐欺行為と言われて
もおかしくありません。
 
ですから、こういった怪情報は、単なるうわさに過ぎません。
 
慶應義塾幼稚舎や青山学院初等部のホームページには、「推薦状や紹介状は必
要ない」、「用意しても受け取らない」と公表していますし、暁星小学校の説
明会でも「紹介状や推薦状は必要ない。本人の実力を第一とする」とおっしゃ
っていました。
 
小学校の入学試験の狙いは、お母さんのもとを離れて、「一人で、どれだけの
ことができるか」であり、頼りになるのは自分だけです。こういうお母さん方
が、面接で、
「お子さんを育てるにあたって、どういったことに気をつけていますか」
と聞かれたとします。すると、お母さんが、格好よく、
「子どもの自主性を育てることに留意しています」
と答えたら、先生方は「……!?」となるでしょうね。
 
個別試験に対して、入学試験問題集を買い込んで試験に備えるのは、試験があ
る以上、やらねばなりませんが、子どもの発育状態、生まれ月、これを考えず
にやってしまうと、困ったことになりかねません。
 
例えば、一枚の絵を見て自分で話を作る問題があります、創作です。うまくで
きないと、お母さんが作った話を記憶させるようです。大人の考えた話や発想
は、大人のものですから、子どもは抵抗を感じるのではないでしょうか。うま
くでき過ぎているからです。それを覚えさせるそうですが、自分で考えたもの
ではなく、お母さんの創作ですから、ついていけません。そして、記憶させら
れた話は、忘れやすいものです。しかし、お母さんの前では、大丈夫なのです。
何回も繰り返し教え込まれるのですから、覚えるでしょう。
 
ところが、小学校の入学試験は、生まれて初めて入った場所で、初めて会った
先生のいうことを聞き、いろいろなことをしなければなりません。場所が変わ
り相手が変わると、うまくいかないものです。プレッシャーが、かかるからで
すね。大人の世界でもあるでしょう、ブルペン(野球場にある投球練習所)エ
ースです。練習では豪速球、生きたボールを投げるのですが、マウンドに立つ
と平凡なボールを投げては、ノックアウトされるピッチャーのことです。
 
さらに、問題集にあるとおりの絵が出てくる幸運は、ほとんどありません。た
とえ幸運に恵まれても、先生は、お母さんに教えられたとおりに、聞いてくれ
る保証もありません。同じような問題でも、ちょっとひねられると、それで、
おしまいです。先生方も、そこを見ていると思います。子ども自身の考えかど
うかですね。ですから、単に記憶させるだけでは駄目なのです。
 
ペーパーテストは、答えがあっていても、子ども自身の考えかどうか、わから
ない場合もあります。
個別テストは、ここが、はっきりとわかります。これが、いいですね。子ども
が自信を持って答えられるのは、日常生活で、きちんと体験していることだか
らです。
 
また、親の教育に対する姿勢も、はっきりと表れます。
 
「うちの子、引っ込み思案で、消極的だから、個別テストに向いていないわ」
とおっしゃるお母さんがいますが、子どもが好き好んでそうなったのではなく、
お母さんの育児の姿勢がそのまま表れているだけです。試験の形式だけで学校
を選ぶようでは本末転倒な話で、出発点から誤りです。
 
私学には、独自の建学の精神、教育理念があります。ご両親の教育に対する考
え方と、学校の教育方針に共通認識があり、限りなく近いことが、学校選びの
条件です。小学校の教育は、家庭と学校とお子さんの三人四脚で行われるもの
であり、決して忘れてはならないことです。
 
ところで、女の子で、一人っ子であると、消極的になりやすいものです。しか
し、過保護から身についた甘えん坊や、過干渉からなってしまった消極的な性
格から出る引っ込み思案とは、違います。一人っ子でも、自分でやるべきこと
をきちんとさせているお母さんに育てられていると、一所懸命に取り組みます。
わからない問題にぶつかっても、簡単にあきらめません。精一杯、挑戦したの
ですが、できなかったとしても、
「わかりません」
という顔に、悔しさこそあれ、明るいそうです。普段の生活が、そのまま出て
いるからです。
 
失敗を恐れずに、一所懸命に考え、頑張り、挑戦する意欲のある子に育てたい
と考えているご両親の姿が、そこにあるからです。
 
学校側の求めている子は、こういう子です。自分で考えていることを、自分の
言葉で話せる子です。
 
前にもお話しましたが、最近は、こういった問題が増えています。
 
◇机の上に半そでのYシャツと、近くの箱に500mlのペットボトルとプ
 ラスチックのコップ3個、黄色と赤色のリボンが入っている。
  ・Yシャツを着て、ボタンを留めましょう。
  ・箱からペットボトルを出し3個のコップに同じになるように水を入
   れましょう。
  ・終わったらペットボトルに黄色いリボンでちょう結びをしましょう。
  ・最後にYシャツを脱いで、たたんでください。
 
基本的な生活習慣やしつけ、自立心までわかります。個別テストからは、子ど
もの生育史をみることができるのです。それが、ご両親の育児の姿勢であり、
学校側のいう「ご家庭の教育方針」です。こういったことを理解していないと、
ご両親が面接で、どんなに格好のいいことをいっても、そうでないことをお子
さんが、きちんと見せるものです。
 
個別テストでは、自立心や自律心がどの程度、培われているかもはっきりと表
れます。「自分の考えを言葉で表す」のは、幼い子どもたちには、とても難し
いことですが、基本は、ご両親との対話から培われるものです。「対話の反対
は沈黙ではなく、命令と強制です」とおっしゃったのは、立教小学校の元校長
であった田中司先生で、ペーパーテストを廃止した方です。「こうしなさい!」
「それはだめ!」などと一方通行では、対話は成り立ちません。お子さんとの
対話を弾ませることから、言葉で考え、表現する力は培われます。
 
お子さんは、ご両親の目を見ながら楽しく話をしているでしょうか。
 
    (次回は、集団テストについてお話しましょう)
 
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第1章(2)情操教育、難しく考える必要はありません 本を読んであげてください〔2〕

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第4号-
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第1章 (2)情操教育、難しく考えることはありません
 
   - 本を読んであげてください 〔2〕 -
 
「竜宮城って、おもしろいところだな。絵に描いてみようかな!」
となると絵画の領域です。幼児期の絵は、写生ではなく、イメージ、想像し
て描いたものではないでしょうか。ファンタジーの世界ですから夢もふくら
みます。
 
絵を描こうとする動機は純粋です。
 
幼児には、この「……かな?」がついた時こそ、好奇心の芽を育む絶好のチ
ャンスなのです。「小学校の入学試験に、絵を描かせる学校があるから、絵
画教室に行きましょう」と考えて始めるのは、子どもの希望ではありません
から、絵を描くことが好きになるとは思えません。
 
最近、絵を描くことをいやがる子どもが増えていると聞きますが、想像力が
培われてくる前に、大人の求める望ましい上手な絵を期待するからではない
でしょうか。感性が磨かれなければ、絵は描けません。
 
(環境+五感が受けた刺激)×(想像力×好奇心÷咀嚼力)=描かれた絵
 
妙な式ですが、私見ですが私の経験では、感性は、子ども自身が与えられた
環境の中で、自らの力で培ってきた「自前の能力」ではないだろうかといい
たいのです。親が、注文を付け始めると、おもしろくない絵になりがちだか
らです。
 
お子さんの絵について、振り返ってみましょう。
 
2歳頃から、点や線の殴り書きが始まったのではないでしょうか。
3歳頃から、直線や曲線を使って○や□らしきものが表われ、それこそ、あ
る日突然、頭から手足がニョキニョキ出ている頭足人間を描いたと思います。
やがて、頭と体が分かれ、一応、人間らしくなりますが、手は電信柱のよう
に、横に真っすぐのびたままで、年長になって、やっと手も下におり、人間
と認められる絵になったのではないでしょうか。
 
ここまで表現できるようになるには、これだけの段階を踏んでいるのです。
絵は、言葉や身体表現と比べ、差のつきやすい能力といえます。うまい絵を
求めるより、何を描きたがっているのか、その内容に注目し、楽しく描ける
雰囲気を作ってあげることが大切です。
 
「絵は心の窓」ともいわれ、心の屈折が表れるそうです。冷静にお聞きくだ
さい。もしかしたら、遺伝もあるかも知れません。ご両親、特に、お母さん
は子どもの頃、どういった絵を描いていたか、ご自身のお母さんに聞いてお
きましょう。
 
話を本題に戻しましょう。
 
話の読み聞かせの効果は、まだ、あります。
昔話をはじめ、子どもの読む本は、勧善懲悪から成り立っています。正義は、
必ず勝ちます。倫理、道徳、善悪について、襟を正して説教をしなくても、
きちんと学習しています。いってみれば、お子さん用の「修身、道徳講座」
です。情操教育の基礎、基本を学習しています。
 
3歳を過ぎる頃から自立が始まります。自立が始まると、いろいろな経験を
重ねながら、さまざまな感情も一緒に培われます。これが情緒です。この情
緒の分化が、5歳頃には出揃うと考えられています。
 
赤ちゃん時代は、「ママ!」の一言ですべての要求を表し、ついこの間まで
は、望みが叶わなければ何でも泣くだけで表現していたことを考えれば、言
葉で表せるのは、格段の進歩ではないでしょうか。今まではおもちゃ箱の中
に、乱雑に入れられていたおもちゃが、「自動車はここ」、「ぬいぐるみは
こっち」、「ままごと道具はあっち」と、きちんと整理されて行く状態にな
るのです。まだ、整然とはいきませんが。
 
つまり、未分化だった情緒が分化されて、大人に見られるような、「喜び、
怒り、楽しみ、悲しみ、望み、不安」といった情緒が表れ、いろいろな話を
聞くことから、喜怒哀楽など心の動きが誘い起こされ、幼いなりに自我を作
っているのです。
 
ずる賢い人には怒りを覚え、悲しい話になると涙ぐみ、正直な人が報われる
と笑顔を見せ、恐い話になると表情も変わってきます。話をきちんと理解し
ている証拠です。正しいこと悪いことの分別を、感情を移入しながらシミュ
レーション学習をし、幼いながらも、正義に対する憧れや悪に対する嫌悪感
を養っているのです。それが自我であり、個性を培っていく基本的な学習に
なっているのです。
「三つ子の魂百まで」の意味は、ここにある事も忘れてはならないでしょう。
小学校受験編でも紹介しましたが、英語では“The leopard cannot change
 his spots”というそうで、世の東西を問わず、育児の鉄則となっているよ
うです。 
 
まだ、あります。これが最も大切だと思います。お母さんが感情こめて読ん
であげると、子どもは真剣に、心をこめて聞くものです。そこから、人の話
を静かに、行儀よく聞く姿勢が身につきます。これは、これから始まる小学
校の勉強にスムーズに取り組むために身につけておきたい、大切な心構えで
あり、学習態度です。
 
話が聞けないようでは、いくら漢字が読め、足し算や引き算ができ、九九を
そらんじていても、駄目です。
 
小学校の先生方に聞いてみると、みなさん、そうおっしゃいます。それほど、
話を聞く姿勢を身につけることは大切なのです。話を聞く姿勢ができていな
いと、勉強についていけず、落ちこぼれることにもなりかねません。
 
あまり本を読んであげずに、
「人の話は、キチンと聞かなくては駄目だと、お母さんはいつもいっている
でしょう!」 
と、恐い顔して、厳しく、何十回といっても無駄、と言っても過言ではない
でしょう。言葉だけで説得できません、態度で示すに限ります。本を読んで
あげることで、お母さん自身が、よいお手本を見せています。
それが、話を聞く姿勢を身につける訓練になっているのです。
 
ひたすら自己中心に行動する子や、落ち着きがなくじっとしていられない子
になる原因の一つとして、話を聞きたがる大切な時期に、読み聞かせを怠っ
たことも考えられるのではないでしょうか。
 
「たがる大切な時期」をモンテッソーリ教育では「敏感期」といいます。その
時期に著しく成長し、それを過ぎると鈍感になる成長過程のことです。真偽
の程は定かではないようですが、言葉の敏感期に人間の言葉に触れなかった
ため、言葉を話せないまま成長したインドの狼少女は、敏感期を実証した話
ではないでしょうか。
 
  マリア・モンテッソーリ
    イタリアのローマで医師として精神病院で働き、知的障害児へ感
   覚教育を実施し、知的水準を上げる効果をみせ、1907年に設立
   した貧困層の健常児を対象にした保護施設「子どもの家」において、
   独特の教育法を完成させた。以後、モンテッソ―リ教育を実施する
   施設は「子どもの家」と呼ばれるようになった。
    (ウィキペディア フリー百科事典より)
 
それはともかくとして、話の読み聞かせは、予想もつかない力も育みます。
 
話がおもしろければ、そしてそれが長編ともなれば没我の世界の中で、一つ
のことに集中できる持久力や耐久力さえ身につきます。気力や体力は、運動
だけで培われるものではありません。こういった精神力を鍛えることで、物
事に取り組む意欲や頑張る力も育まれます。
 
さらに、すごいと思うのは、
「言語能力を高めるためのお勉強ですよ!」
といった意識は、読んでいるお母さんも、聞いているお子さんにも、まった
くないはずです。無意識の内に、自主的に、積極的に、しかも楽しく学習し
ています。
 
これこそ、「教えない教育」の最も効果的な方法ではないでしょうか。
 
「教えない教育」とは、誤解を恐れずにいえば、本人は、勉強だと思ってい
ないにもかかわらず、ものすごい勉強をしていることです。何かを学ぼうと
する気持ち、学習意欲が身につきます。
 
しつこいですけれど、まだ、あります。
 
お母さんの表情豊かな、やさしい語りかけが、何よりのスキンシップなので
す。ですから、本をたくさん読んであげるお母さんは、子どもに慕われます。
それは、お母さんとお子さんが、同じ土俵に上がり、同じ気持ちで、物語の
世界を楽しんでいるからです。お母さんは、こんな荒唐無稽な話などありえ
ないと思っても、また少し抵抗を感じる言葉でも、一切、無視し、お子さん
のレベルに合わせて読んであげているはずです。視線は同じ高さですから、
心は通います。
視線の高さが違ってくると、命令と忍従の関係になりがちです。
 
しかし、一つだけいっておきたいことがあります。
 
いくら話の読み聞かせは素晴らしいといっても、お子さんが興味を示さない
本では、あまり効果はありません。「少年少女 世界名作全集 全十巻」な
どを買い揃えるのはどうでしょうか。
「本当は、『かちかち山』の話、読んでもらいたいのだけど……」、こうい
ったことは、小さい時から、とかくありがちです。気を使ってください、親
の考えを押し付けるのは、決していいことではありません。私たち親は、と
かく子どものためによかれと思ってやることが、案外、子どもには迷惑な話
となっている場合があるものです。「あなたのためなのに……!」という前
に、親のエゴが優先していないか考えましょう。
(お断わり。同名の「少年少女 世界名作全集 全十巻」があったとしても、
 その本とは一切関係ありません)
 
また、ご両親が子どもの頃に読み、印象に残った本を読んであげることもあ
るでしょうが、「どう、面白かった?」といった言葉がけはやめましょう。
親のイメージを押し付けることになりがちだからです。
「ツバサちゃん、どうだったかしら?」
と軽い気持ちで聞き、反応が今一の場合は、引き下がる思いやりも必要です。
 
読んでほしいとリクエストがあり、数回読んであげて、しっかりとしたイメ
ージが出来上がってから、感想を聞くようにしましょう。
 
ところで、本の選び方ですが、一緒に図書館へ行き、最初はお母さんが選ん
であげ、後はお子さんに任せてみましょう。お子さんが選んだ本は、たとえ、
年齢にふさわしくない幼い内容であっても、いやな顔をせずに読んであげて
ください。そして、自分で選んだことを褒めてあげましょう。お子さん自身
が興味を持たなければ、本の好きな子にならないからです。読書の芽は、ご
両親、保護者の優しい心遣いから培われるものではないでしょうか。
 
また、お子さん自身が「読んでほしい」と意欲的になる以前に「読書の時間
です」などと、スケジュールをキッチリと組むのはどうでしょうか。お子さ
ん自身が望んだときが、最高の教場となるからです。まず、読み聞かせが習
慣となり、読んでほしいという意欲を掻き立てるために、寝る前に読んであ
げると良いのではないかと思います。以前、横浜雙葉小学校の説明会で、学
園長が「お子さまと添い寝をしながら本を読んであげる機会が少なくなって
いるのでは」と懸念されていましたが、皆さん方はどうでしょうか。
 
最後に、図書館には紙芝居がたくさんありますので、利用してみましょう。
紙芝居は、絵と言葉の表現に無駄がありませんから解りやすく、また、親子
で向き合っていますから、お子さんの表情がよく見え、どういったことに興
味をもっているかがわかるからです。
 
ところで、図書館で騒いでいる子や遊んでいる子もいますが、公衆道徳を教
えるのは、ご両親の大切な仕事です。手を抜いていると、あとで困るのは、
お子さん自身です。
 
また、借りた本は大切に扱う習慣をつけましょう。落書をされた本やジュー
スなどをこぼしたあとさえ残っているものも見かけます。「みんなで使うも
のは丁寧に扱う」、これも守らなければいけない規則です。たった1冊の本
から、育児の姿勢が至るところに顔を出しています。
 
そして、返却期日は、必ず、守りましょう。こういった約束事は、幼児期に
きちんと身につけてあげれば、お子さんの人格形成の礎(いしずえ)にもな
るからです。繰り返しますが、「三つ子の魂百まで」は、「良い習慣は幼児
期に身につく」ことを伝える、育児の鉄則ではないでしょうか。
 
このように、幼児期は、文字を教えこむより、心をこめて本を読んであげ、
心の通った会話ができる環境を作ってあげることが大切です。「文字よりも
言葉」です。小学生になれば、覚えた言葉を文字で表す学習に進み、国語を
楽しく勉強できるようになるものです。これが「情操教育の基礎、基本」で
す。ご納得していただけたでしょうか。
 
     (次回は、季節の行事についてお話しましょう) 
 
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話 
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
制作したものです】
 
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2025さわやかお受験のススメ<小学校受験編>■■[2]5つの試験形式■■ペーパーテスト(2)

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         「めぇでる教育研究所」発行
2025さわやかお受験のススメ<小学校受験編>
      現年中児のお子様をお持ちの方々へ
 2025年度入試(2024年秋に実施)を成功に導く手引きです。
      <第20号>
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
発行者よりお知らせです。
 
 さわやかお受験のススメ<現年中児 今から始める小学校受験>
 
は、11月から
 
 さわやかお受験のススメ<小学校受験編>
 
にタイトル変更してお届けしています。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
幼児教室では、11月から新年長クラスが始まりました。
お子さんは、お授業を楽しんでいますでしょうか。
 
 
■■[2]5つの試験形式■■ 
 
ペーパーテスト (2)
 
正直にいって、下のようなお父さん先生、お母さん先生が恐いのです。
 
何とか力をつけさせようと夢中になってしまい、自分の言っていること、やっ
ていることが、わからなくなってしまうことがあるのです。
例えば、難易度の高い「図形」の問題などで、子どもがよく理解できていない
ときに、こういったことが起きがちです。お父さん、お母さん自身は、説明し
たことでお子さんも理解できたと思い、問題に取り組むのですが、できません。
1回ぐらいの間違いは許容範囲ですが、何回も同じ間違いが続くと、親の顔つ
きも変わり、
 「何回、教えたらわかるの!」
 「こんな簡単な問題が、どうしてできないの!」
と、なりがちなのです。
 
幼児が「わからない」というときは、本当にわからない、理解できていないの
です。このことをしっかりと肝に銘じ、親御さんの説明が不十分であることを
考え、お子さんがわかるように工夫してあげることが大切で、お子さんを責め
るべきではありません。
 
また、昨日教えたことが、今日になるとできない場合もあります。それはお子
さん自身が経験していないことを、記憶だけに頼って憶えさせている場合が多
いからではないでしょうか。子どもは、興味や関心のないことをやっても、す
ぐに忘れがちなものです。
 
ですから、幼児は、机の上だけで知的な訓練をするのは、適切な方法ではあり
ません。やり方が間違っています。
 
それを棚に上げて、思わず子どもの頭を叩いてしまうお母さんもいるようです
が、何も悪いことをしていないにもかかわらず、いくらお腹を痛めたからとい
って、手を上げる権利は、母親といえどもありません。子どものためにもいっ
ておきたいことがあります。
 
お母さんの子どもの頃、どうだったかということです。冷静に聞いてください、
冷静に。お父さんも同様です。
 
ここでおさまると、まだ、両者の歩み寄る機会は残されています。しかし、こ
の線を越えて、怒鳴り散らしてまで勉強を続けると、子どもも切れますが、耐
えるしかありません。親に見捨てられれば、子どもは生きていけません。
 「ボク、本当にお母さんの子かな?」
こうなったらトラウマになりかねません。
 
昔は「子をもって知る親の恩」といいましたが、最近では、受験準備に熱が入
りすぎると、「合格の二文字のために忘れる子どもの心」ともいわれるような
状況になっているのではないかと感じることがあります。
 
わが子を虐待して殺してしまう、鬼のような親がいるご時勢です。訂正、鬼も
わが子を手にかけなかった話が残っていますから、犬畜生にも劣る親とします。
ですから、「受験を始めて忘れてしまう子どもの心」になるようでは、受験を
する資格はないと考えましょう。先人の知恵でもある「三つ子の魂百まで」を
絶対に忘れないでください。小さい時に経験したことで、お子さんの性格は築
かれていくからです。
 
子どもをプリント漬けにし、来る日も来る日も、毎日、何時間も、入試問題集
を広げ、猛練習をして力がついたと思うのは錯覚です。類似問題を数こなせば、
できるようになるでしょう。しかし、この方法は、一種の条件反射的なトレー
ニングです。
 
これで考える力がつくでしょうか。
疑問だと思います。
 
行動観察型のテストでは、対応できないでしょう。自ら考え、答えを導く力は、
年月をかけ、試行錯誤を積み重ねながらできたカリキュラムがあり、それをよ
く理解している先生方の的確な指導のもとで身につくものなのだからです。
 
なぜ、このような受験準備が、行われてしまうのでしょうか。
 
例えば、慶應義塾幼稚舎に入れば、余程のことがない限り、大学まで行けます。
子どもの努力次第では、医学部へ進める可能性さえあります。子どもの将来の
ためと考えるのも、無理からぬ親心です。
さらに、合格すれば、受験準備はこれっきりです。
場合によっては、中学、高校、大学と3回も受験戦争に参加させられる可能性
もあるわけですから。
「手のかからぬ内に入れてしまおう!」
このことです……。
思春期になり、難しい年齢になっての受験は、正直いって、しんどい話です。
身体は大人に近くなっても、精神年齢はそれ以下といったアンバランスな成長
をしている子、かなり見かけます。
 
さらにです。
 
年齢が下がれば下がるほど、能力の差は出にくいものです。ここで何とか手を
つくせば、志望校へ入学できるのではと考えるのも当然でしょう。しかし、厳
しい現実が控えています。お子さんの将来を案ずる親心は、どなたの心にも強
く、深く、ひそんでいます。ですから倍率は高くなり、10倍を越える学校も
あるほどです。
 
この現実を考えると、生半可な受験準備では、合格などありえないと考えるの
も無理からぬことで、かなりハードな受験準備が、待っていることになりがち
です。
 
しかし、受験勉強をさせられる子どもの立場になると大変です。
 
先にもお話ししましたように、何事もそうですが、過熱気味になると当事者は、
自分のやっていることが、わからなくなる仕組みになっています。「合格」の
二文字に、冷静さを失いがちですが、受験生のお母さん方全部が、こうなるわ
けではなく、ごく、一部のお母さん方であって、熱心すぎるだけで悪気はない
のです。ペーパーテストを行わない小学校はこういうことも考慮しているので
はないでしょうか。誤解されると困るのでいっておきますが、「ペーパーテス
トが悪い」といっているのではなく、「準備の仕方」に、とかく問題がありが
ちだといいたいのです。
 
また、ペーパーテストがないから問題集などやらなくてもいいと思っている方
がいると聞きますが、それはとんでもない間違いで、必ず、クリアしなければ
ならないハードルがあり、そのために問題集は必要です。問題に○や×をつけ
るだけではなく、行動観察型の試験のように、「どうしてそうなったか」など、
言葉で説明する口頭試問に対する準備です。
 
ところで、最近の入試問題を読むと、「幼稚園での生活能力があればできるテ
ストを実施したい」と考える学校が増えているのは確かで、これは歓迎すべき
ですね。
 
たとえば、部屋の一角にじゅうたんが敷いてあり、机の上に紙に包まれたお菓
子が置いてあって、ペットボトルに入った麦茶らしきものとコップが用意され、
「さぁ、おやつですよ」といった試験がありますが、チェックポイントは、以
下のようになっていると思います。
 
まず、手を洗い、ハンカチで拭き、たたんでポケットにしまえるか。
靴を脱いで、キチンと揃えられるか。
包装紙でくるまれたお菓子を出すのにてこずらないか。
せんべいやクッキーであれば、ボロボロとこぼさないで食べられるか。
ペットボトルから、うまく麦茶をコップに注げるか。
「いただきます」、「ごちそうさま」をいえるか。
後片付けができるか。
みんな「……か」と、クエッション・マーク付きです。
これがテストです。
何を評価しているのでしょうか。
 
さらに、この話をどう思われますか。
 
教育者、特に小学校の先生方は、見るところが違います。テストが始まると、
子どもたちの姿勢と筆記用具の持ち方を見るそうです。姿勢がよければ、ご両
親がよいお手本を見せており、筆記用具を正しく持てていれば、おはしをきち
んと持って食事をしているはずですから、育児の方針がわかるというのです。
 
テレビを付けっ放しで食事をし、ダラダラ時間をかけていると、直ぐに腰が砕
けて、姿勢も崩れがちです。これは、お父さんにも責任の一端、ありです。特
に、朝食です。テレビを聞きながら新聞を読みながらもしくはスマートフォン
を見ながら、ご飯を胃袋に流しこんでいませんか。
 
親が、お手本です。
 
これは、しつけ以前の基本的な生活習慣です。
ですから、直そうと思っても、直ぐにというわけにはいかないものです。食事
は毎日のことですから、おざなりにしていると、お子さんは学習の第一歩で苦
しむことになります。知識を詰め込むより、こういった生活習慣を大切に育て
ているお母さんは、お子さんから尊敬されます。
なぜなら、お母さんの手を借りずにできることは、子ども心にも嬉しいからで
す。間違いなく、「自分でやろうとする意欲」が育ちます。
 
ペーパーテストといっても、知的能力だけを判定しているのではありません。
受験生は、幼児です。
親の育児の姿勢を評価しています。
このことをきちんと心に納めておかなくては、合格の二文字はありえません。
 
机の上だけで、記憶に頼った知識の詰込みばかりやっていると、頭でっかちで、
偏った経験しかしていない子になりがちで、被害者は子ども自身です。ペーパ
ーテストが中心になっている学校を受験される場合は、こういった結果が残る
ような準備だけは、避けてほしいと願っています。
 
これからの毎日の体験は、お子さんの心に残ることを忘れないでいただきたい
のです。
 
年中から年長にかけては、将来の学習意欲も培われていく大切な時であり、人
格を形成する重要な時期でもあるからです。
「三つ子の魂百まで」は英語で、“The leopard cannot change his spots”
(豹は斑点を変えることはできない)というそうですが、洋の東西を問わず育
児の鉄則ではないでしょうか。
 
  (次回は、個別テストについてお話しましょう)
 
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第1章(1)情操教育、難しく考える必要はありません 本を読んであげてください〔1〕

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第3号-
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第1章 (1) 情操教育、難しく考える必要はありません
 
 - 本を読んであげてください 〔1〕 -
 
本を読んであげる、話の読み聞かせは、とても大切です。
安易に、テレビやDVDなどに、子守をさせてはいけないと思います。確か
に、このような教具は、映像と語りだけではなく、臨場感を盛り上げる音楽
や効果音を駆使して、瞬く間に、たくさんの情報を与えてくれます。これほ
ど便利なものはありませんが、送信する側と受信する者は一方通行ですから、
疑問を感じても質問できないといった不便な点もあります。わからないまま
に、話はどんどん進みますから、疑問を残したままになり、消化不良を起こ
しがちではないでしょうか。しかも、伝える側に感情はありません、このこ
とです……。
 
幼児には、お父さんやお母さんの生の声が何よりです。5歳頃になると、絵
が主役だった絵本から、字の多くなったものに変わり、話も筋道を立てて進
む物語になっていると思います。
 
ところで、本を読んでもらっている時の子どもの頭は、どうなっているので
しょうか。絵を見ながら読んでもらっていますから、お母さんの読んでくれ
る言葉を、絵に置き換えるといいますか、映像化する作業がリアルタイムで
行われ、絵本や図鑑、テレビや実際に見た映像が、浮かんでいるのではない
かと思います。
 
聞いたことのない言葉が出てくると、声がかかります。 
 「お母さん、オニタイジって、どういうこと?」
そこで、お母さんは、お子さんのわかる言葉に置き換えて説明をします。お
子さんは、その意味を確かめ、納得し、新しい言葉を覚え、少しずつですが、
確実に語彙が増えていきます。
 
そして一人になると、まだ、字を読めないはずですが、何やらブツブツいい
ながら、絵本を見ています。あれは、本当に不思議ですね。おそらく、読ん
でもらった本がおもしろかったので、お母さんの言葉を思い出しながら、確
かめているのだと思います。絵を見ながら、その状況を記憶した言葉をもと
に映像を描き、イメージ化しているのではないでしょうか。つまり、「言葉
で考え、想像」しているのです。これは、すごいことだと思います。
 
それが証拠に子どもは、同じ本を、それこそ何回も何回も、飽きもせずに読
んでくれとせがみます。それも、読んであげている途中に、
 「お母さん、ありがとう、そこまででいいです。」
といったことが、しばしば起こりがちです。
読んでもらったところを忘れてしまったのか、思い出せないのかわかりませ
んが、話が先に進まなくなってしまったのでしょう。イメージ化の中断です。
読んでもらい話がつながったので、そこまででいいのでしょう、後は覚えて
いますから。あれは、話を一所懸命に覚えようとしているのに違いありませ
ん。覚えようとする力、「記憶力」がつきます。
 
さらに、繰り返し読んでもらうことで、頭に描かれた映像は、より鮮明に具
体的になり、そこから、独自の「想像力や空想力」が培われてきます。
 
ところで、昔話を何か思い出してください。
子どもの読む話は、「起承結」で成り立っています。「起承転結」の「転」
はなく、話は複雑になっていないはずです。「起承転結」は、漢詩を組み立
てる形式の一つで、転じて、「ものごとの順序・作法を表す言葉」ですが、
わかりやすい例えがありますので紹介しましょう。江戸時代後期の儒学者・
詩人・歴史家であった頼山陽が作った「京都西陣帯屋の娘」です。
   京都西陣帯屋の娘    (起)
   姉は十八、妹は十六   (承)
   諸国の大名は刀で殺す  (転)
   姉妹二人は目もとで殺す (結)
「ショコクノダイミョウって、なあに?」
余計なものが入ってくると、イメージ化する作業が複雑になります。帯屋の
娘の話は、帯屋の娘で終わらないと、子どもは安心できません。ですから、
鬼退治をした桃太郎が、ついでに海賊をやっつけることもなく、すんなりと
終わって、「めでたし、めでたし」が昔話に欠かせない決まりです。   
 
さらに、物語は、「序破急(初め・中・終わり」と快適なテンポで進みます。
浦島太郎が、竜宮城で過ごした時間が何十年であっても、何らさしつかえあ
りません。話は、快く聞けるように仕組まれています。しかも物語は、簡潔
明瞭に展開しますから、話の世界へ引き込まれていきます。そこから、話を
理解する力、「理解力」が培われてきます。
 
そして、何とも素晴らしいのは、自然と話に引き込んでいく、あの約束事で
しょう。イントロダクション、導入部などの言葉が、白々しくなるほど決ま
っています。「むかし、むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが、
住んでいました」で始まりますが、これが、実に重大な役目を果たしている
ではありませんか!などと興奮することもありませんが(笑)。
 
 「むかし、むかし」は「いつ」と時間の設定ですが、いつのことだかわか
りません。 
 「あるところ」は「場所」ですが、どこだかわかりません。
 「おじいさんとおばあさん」は「だれ」と大切な登場人物ですが、名前も
ありません。みんなあいまいで、そのあいまいなままに「何を、なぜ、どの
ように」と話は展開していきます。
 
これも、考えてみると大変なことです。
時代はいつでも、場所はどこでも、名前がなくても、何ら不都合はありませ
ん。奈良時代だろうが平成時代であろうが、北海道だろうが、はたまた沖縄
であろうが、みんな「むかし、むかし、あるところ……」で済ませてしまい
ます。時代考証も、場所の設定も、人物の履歴も、何も必要ありません。
 
ですから、子どもたちは、何ら抵抗なく、心安らかに、期待に胸を躍らせな
がら、話の世界へ入っていけるのです。しかも、没我の世界です。
 
これを、几帳面に、
「江戸時代の元禄十二年、大晦日を迎える二日前の朝、上総の国、蒲郷郡、
大字蒲郷、字大和村の一本杉の側に、山之上太郎左エ門という名の爺さまと
お熊という名の婆さまが住んでいました」では、聞いてみようかなとはなら
ないでしょう。
「お母さん、もう眠いから……」、こうなるのに違いありません。読むお母
さん方も疲れてしまいますね。
 
ところで、昔話は、
   いつ(when)
   どこで(where)
   だれが(who)
   何を(what)
   なぜ(why)
   どのように(how)
と文章を書くときの基本である[5W1H]から成り立っていますが、新聞
記事やテレビのニュースなどを瞬時に理解できるのは、この原則に従ってい
るからです。ということは、昔話を聞きながら、[5W1H]を小さい時か
ら学んでいることになります。これは、すごい知恵ではないでしょうか。
 
もちろん、子どもたちは、「いつ・どこで・だれが」などと意識して聞いて
いるわけではないでしょうが、話は理路整然とセオリーどおりに進んでいき
ますから、繰り返し話を読んでもらい、話を覚え、絵本を見ながら言葉で表
現することで、物事を筋道立てて考える訓練にもなっているのです。物事を
組み立てる、考える力、「構成力や思考力」が自ずと身につきます。
 
そして、子どもは話を覚えると話したがります。
それには、自分自身が、話をよく理解していなければできませんから、その
ための訓練が自発的に始まります。話の流れをきちんと記憶し、組み立て、
味わい、自分の言葉で話す訓練です。それが「表現力」につながります。
 
こんなに大切な能力開発を自ら積極的に挑戦しているにもかかわらず、
「パパ、『ももたろう』の話、知っている?」
「ああ、知っているよ。猿と犬と雉の家来を連れて、鬼退治に行く話だろう」
と無造作に応じてしまうと、折角、積んできたトレーニングの成果を試すこ
ともできません。
「今までの努力は、何だったのだ!」
とは思わないでしょうが、悔しい思いをさせているのではないでしょうか。
 
子どもは覚えた話を、話したいのです、聞いてもらいたいのです。
 
「うん、パパも子どもの頃はよく知っていたけど、どういう話だったかな?」
と、やさしく受けてあげましょう。
お子さんは、一所懸命に話すはずです。
 
そして話し終えたときに一言、「よく覚えたな、えらいぞ!」と、褒めてあ
げましょう。褒められて不愉快になるはずはありませんから、さらに、話を
覚えようとします。そこから、「物事に取り組む意欲」が芽生えます。
意欲は、新しい能力を開発する起爆剤です。
 
しかも、「覚えなさい!」といわれて覚えたものではなく、「話してみなさ
い!」といわれて訓練したものでもありません。強制されずに、自発的に、
楽しみながら積極的に挑戦し、能力を開発しているのですから、その効果は
一石二鳥どころではなく、計り知れないものがあります。
 
このように話の読み聞かせは、
「語彙を増やす」だけではなく、
「イメージをふくらませる空想力や想像力」
「話を聞く力」
「構成力や思考力」
「言葉での表現力」
「物事に取り組む意欲」
といった能力などの開発に、とてつもない大きな影響を与えているのです。
しかも、これだけではありません。
続きは次回お話ししましょう。
 
  (次回は、「本を読んであげてください 2」についてお話しましょう)
    
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話 
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
制作したものです】
 
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