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めぇでるコラム
2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第11章 お月見です 長 月(1)
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「めぇでる教育研究所」発行
2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第40号-
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第11章 お月見です 長 月(1)
8月はまだまだ「夏」という感覚(小学校受験としても夏)ですが、暦の上では、今月から秋です。
秋の読み方は、「黄熱(あかり 稲が成熟する)からとの説が一般的ですが、秋空が「あきらか(清明)」である、収穫が「飽き満る」、草木の葉が「紅(あか)く」なるなどの説もあるようです。
長月(ながつき)のいわれは、秋も深まり、次第に夜が長くなっていくから「夜長月」の略が、わかりやすいですね。
これにもいろいろな説があり、「稲刈月(いねかりづき)」の「い」と「り」を略して「ねかづき」が「ながつき」となったものや、「稲熟月(いねあかりつき)」が略されたという説もあるそうです。
★★お月見ですね★★
9月といったら、お月見ですね。
天保暦でいうと、8月15日にあたり、今のグレゴリオ暦では、9月の15日から20日頃が見頃です。今年は9月17日です。
秋の澄んだ夜空に、こうこうと輝く満月を観賞する習慣は、古くから中国にあり、それが平安時代に貴族の間に伝わり、やがて、武士や庶民にも広まったものです。昔は、「中秋の名月」といい、月を眺めながら、和歌を詠み、お酒を酌み交わし、秋の夜を過ごしました。何やら風流な趣が伝わってきそうですが、お百姓さんは、それどころではありません。何しろ日本は、農耕民族でしたから、とにかく自然が頼みの綱です。
お月さまは、お百姓さんにとって、お日さまと同様、大変な存在でもあったのです。
ご存知のように月は、およそ1ヵ月の間に丸くなり、また、だんだんと欠けていきます。新月から1週間程で半月になり、15日程で満月に、1週間後には半月となり、再び新月に、これの繰り返しです。そこで昔の人は、満ち欠けする月の形から、1ヵ月のおよその日にちを知ることができ、それをもとに農作業の時期、段取りを行っていました。
また、月の明かりで、夜遅くまで農作業ができたのです。言ってみれば、お月さんは暦であり、時計であり、夜間の照明器具でもあったわけですから、感謝の心は、現代では考えられないほど、深かったに違いありません。
さらに、旧暦の8月といえば、稲にとっては、夏の暑いお日さまを、さんさんと受け、しっかりと実をつける時です。しかし、台風が来ると、折角、丹精を込めて育ててきた稲は、強風と豪雨でメチャメチャになってしまいます。台風一過の秋晴れのもとで、すっかり水を被ってしまった田んぼを、お百姓さんはぼう然と眺めるしかありません。ですから、お月さまに、すすきや秋の花とおだんごや果物芋などを供えて、自然が荒れないようにお祈りを捧げたのです。
なお、十五夜を見た場合には、旧暦の9月13日(現在の10月10日~30日頃)の十三夜も見なければならないといわれています。1回しか見ないお月見を「片見月」といい、不吉なことが起こると嫌われていたからだそうです。
十三夜は、栗や豆を備えることから「栗名月」「豆名月」ともいい、十五夜が中国から伝来したものに対し、十三夜は日本のオリジナルな風習です。
また、「十三夜に曇りなし」ともいわれ、晴れの夜が多く、秋の澄んだ夜空に、こうこうと輝く月を見ることができます。丁度、10月の下旬にあたり、秋たけなわの頃だからです。お子さんと一緒に「片見月」とならないように、確かめてみましょう。こういった話をするだけでも、お子さんには、楽しい思い出となるものです。
★★なぜ、すすきを飾るのでしょうか★★
すすきは、姿、形から見ても稲科の仲間だとわかります。
あの白い花穂が、いいですね。別名「尾花」といいますが、本当に漢字は説得力があります。これは、お百姓さんから聞いた話ですが、なぜ、お月さまにすすきを飾るのか、その理由は、すすきの尾花は、細くて長く、まるでほうきのようですから、秋風に揺れながら、その穂で、しっかりと神さまを捕まえ、豊作をお願いしたいからだ、といっていました。
★★なぜ、お月さまにうさぎが…?★★
今の小学生は、笑ってばかにするかもしれませんが、昔は、宇宙ステーションや月面探査など想像外のことでしたから、月にうさぎが住んでいると信じられていました。満月を見ると、うさぎが跳ねているように、また、杵(きね)を持ち、餅をついているようにも見えていたようです。
うさぎ うさぎ なに見て跳ねる
十五夜お月さん見て 跳ねる
文部省唱歌です、牧歌的で、いいではありませんか。
うさぎの住んでいる満月を見ながら、すすきやおだんごを飾り、自然に感謝する心は、小さい時に、きちんと育んでおきたいものだと思います。これも情操教育に欠かせない、大切な行事ではないでしょうか。
満月を、星を、しみじみと眺めたことはありますか。お子さんと一緒に、夜空を探索してみましょう。
澄んだ秋の空には、お子さんと共有できるロマンがあふれています。星座にまつわる伝説を知る機会になるかもしれません。まずは、分かりやすく、3つの星が並ぶオリオン座、ですね。
ところで、外国の人々も、うさぎだと見ているのでしょうか。天の川と同じく、いろいろな見方があるもので、想像のつかないものもあり、見る位置により、こんなに違うものかと驚かされました。
中国では、うさぎが薬草を作っているとも、ひきがえるやかにがすんでいるともいわれています。ヨーロッパや北アメリカでは、女の人の横顔やロバ、インドや南アメリカではワニ、中東ではライオン、アフリカではうさぎがひっかいた傷に見えるそうです。
(心を育てる 子ども歳時記12ヵ月 監修 橋本裕之 講談社 刊 P83)
やはり、世界中の人々も、こうこうと輝く満月に、いろいろな思いを抱いていたのですね。
海外へ出かけたとき、お月さまがどのように見えるか、お子さんと一緒に眺めてみるのも、いい思い出になるかも知れません。満天の星の主役は、北斗七星や南十字星、オリオン座などのようですが、お月さまも加えてみてはいかがでしょうか。手軽に出かけられませんが、南極では、逆さまに見えるそうです。
そして子どもから、「お父さん、どうしてうさぎさんは、いつも同じ格好をしているのかな」とかなり大人を困らせる質問があるかもしれません。裏側はどうなっているかなんですね。言われてみればその通りで、大人は不思議に思いませんが、そこは探求心の旺盛な子ども。良い質問です。
「月の自転周期と月が地球の周り回る公転周期が一致しているから、常に表しか見えない」ということのようですが、子どもにどう説明すれば良いか、悩みますね。
皆さんなら、どう説明しますか。
(次回は、「秋の七草」などについてお話しましょう)
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、制作したものです】
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2024年8月 8日 01:06
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第11章 お月見です 長月(2)
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
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第11章 お月見です 長 月(2)
★★秋の七草★★
春の七草は、色彩的には黄色が多く、それに食べられるものばかりでした。
正月の7日に食べる七草粥には、春の七草が入っています。今年1年間、息災で病気にならないようにと、払いの意味で食べたものですが、正月にご馳走を食べすぎて、弱った内蔵をいたわる意味でも食べたのでしょう。これも昔の人の生活の知恵です。
秋の七草は、どうでしょうか。
萩(はぎ)、薄(すすき)、葛(くず)、撫子(なでしこ)、女郎花(おみなえし)、藤袴(ふじばかま)、桔梗(ききょう)をいいます。見るとわかりますが、紫色が多くて観賞用です。葛は、根は解熱剤として使われていますし、粉にした葛粉は食べられますが、春の七草とは、大変な違いです。
事の起こりは万葉集で、山上憶良が秋の七種の草花を詠んだことから、秋の七草といわれるようになったのです。
秋の野に 咲きたる花を 指(おゆび)折り かき数ふれば 七草の花 芽子(はぎ)の花 尾花 葛花(くずばな) 瞿麦(なでしこ)の花 女郎花(おみなえし)また藤袴 朝貌(あさがお)が花
(万葉集八巻 山上憶良)
朝貌の花は、現在では桔梗のことです。
芽子といい瞿麦といい朝貌といい、昔の字は、秋の七草にしてはゴツゴツした感じを受けませんか。何だか花の名前の感じがしません。今の方が、親しめます。いや、もっと現実的な秋の七草があります。
昭和10年、菊池寛、高浜虚子などの文人や学者の推薦によって新聞社が選んだ「新秋の七草」があります。菊、葉鶏頭(はげいとう)、秋桜(コスモス)、彼岸花、赤飯(あかまんま)、白粉花(おしろいばな)、秋海棠(しゅうかいど
う)の七草です。山上憶良と比べると、色彩豊かで華やかで、人手がかかっている感じがします。
平成に行われたインターネット投票による「秋の七草」は、春の七草でご紹介した左大臣四辻善成(平安時代)の真似をするとこうなります。
ハギ キキョウ コスモス ススキ ヒガンバナ
リンドウ ナデシコ 秋の七草
しかし、本来の七草は、人の手にかかることをこばむ野草という感じが伝わってきますが、いかがでしょうか。
話は変わりますが、秋桜(コスモス)、漢字で書くと日本産まれのようですが、何とメキシコ産です。
コスモスは、一見、葉もきゃしゃで弱々しく、花もたおやかですから、責任をもって、きちんと保護してあげなくてはと思いがちですが、茎は太く、本当は、強いのです。台風でなぎ倒されても、いつのまにか窮屈な姿勢ながらも、花を咲かせます。
★★重陽って、五節句の一つではないのですか★★
9月といえば重陽の節句、とならないのが不思議です。
3月の「ひな祭りですね」を思い出してください。9月9日を重陽といい、陰暦9月9日の節句で、「9」は陰陽道では、陽の数とされており、この2つの数を重ねた日で、菊の節句ともいわれていると紹介しました。陰陽道では、このように奇数を尊び、「9」を最高の数と考え、天の数、天子様の数として、神聖視されていました。それでしたら、大変な日ではありませんか。
しかし、何かお祝いをした記憶がないのです。
この日は菊の節句である。平安時代に菊は「翁草」「千代見草」「齢草(よわいぐさ)」などといわれ、重陽の節句に寒菊の酒宴が催された。「菊酒」といって、酒に菊の花をひたして飲むと、長生きできるといわれ、また「菊の着せ綿」といって、前の晩に菊にかぶせて露にしめらせた綿で身体を拭くと長寿を保つといわれた。
(年中行事を「科学」する 永田久 著 日本経済新聞社 刊 P180-181)
このように菊は、古くから薬用植物として珍重されていましたが、菊の芯を集めて作る枕を菊枕や幽人枕(ゆうじんちん)ともいって、香りが高く、頭痛を治し、邪気を払うといわれ珍重されていたそうです。
日本の国花は、桜と菊です。
桜に始まり菊で終わる、自然に恵まれた日本を象徴する花であり、国花にふさわしい花であることも肯けます。
菊は、その姿が、端整で、美しく、香りにも、何ともいえない気品があります。
古くから菊は、竹、梅、蘭と合わせて四君子(しくんし)といわれ、水墨画の画材によく使われていました。
菊の品評会などで見る菊は、華やかなムードに包まれ 十分に手間暇のかかっている感じが、匂い出ています。菊人形も、ここまでやるかと、文句のつけようのない作品もあり、うならされます。
いずれも、秋の風物詩として欠かせません。
しかし、人里離れた山あいに、ひっそりと咲く、小さな野菊、あれも、いいですね。
香もふくいくとして、観賞用の人工菊に、絶対に負けません。寒さに強く、晩秋から初冬にかけて、けなげにも咲き続けています。花、ひっそりと咲いているからこそ、もののあわれを誘います。
ところで、皇室の菊の御紋章、あれは十六葉八重表菊で、後鳥羽上皇が、特に菊を好まれたために定められたものです。
そして、欲しい人には最高の価値がある勲章、舌をかみそうですが、大勲位菊花大綬章は、朝日と菊の花を表しています。
そして五十円硬貨の表のデザインは、何と菊です。さらに、兵庫県の県花は、野路菊(のじぎく)です。ご存知のことと思いますが、菊は献花に用いますから、病気の見舞いには、タブーの花となっています。
最後に、ことわざを一つ。
「春蘭秋菊 ともに 廃すべからず」(両者ともに優れており捨てがたい)
蘭と菊は、先ほども出てきた四君子の二つです。
四君子(しくんし)とは東洋絵画の画題の一つで、蘭・竹・梅・菊を指します。これらの植物が好まれたのは、蘭は深山幽谷で人知れず香る奥ゆかしさ、 竹は真っすぐに伸びて風に折れない節操、梅は雪の中でも寒さに耐えて花を咲かせる健気さ、菊は厳しい晩秋の霜にも屈せず咲き誇る気概というように、それぞれの特徴が俗に交わらず知性や礼節を兼ね備えた理想的な人物(君子)と重ねられたためです。
(福岡市博物館のホームページ
https://museum.city.fukuoka.jp/sp/exhibition/572/)
5月にも紹介しました「六日の菖蒲」、それに加えて「六日の菖蒲、十日の菊」があります。菖蒲は5月5日の端午の節句に、菊は9月9日の重陽の節句に用いるもので、6日と10日では間に合わないことから、「時期に遅れて役に立たないこと」のたとえです。類義語としては「後の祭り」「夏炉冬扇」、ちなみに英語では“a day after fair”だそうです。
(kotowaza-all guide com 故事ことわざ辞典より)
(次回は、「江戸時代の時の数え方」などについてお話しましょう)
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、制作したものです】
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2024年8月15日 01:06
2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第10章 終戦記念日、このことです 葉月(4)
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第39号-
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第10章 終戦記念日、このことです 葉 月(4)
間もなく終戦記念日。終戦後80年近くになりましたので、保護者の方もなかなかイメージしにくいのではないでしょうか。それにもまして戦争そのものの話は小さな子ども達には難しい話ですから、今回の配信を機に、ウクライナ情勢も参考にして、戦争についてご両親はどう考えているかも話し合ってみましょう。
【八月に読んであげたい本】
昭和20年3月10日、東京大空襲。たった一晩で、10万人もの尊い命が失われました。
その東京大空襲を描いた「東京大空襲ものがたり」は、年長さんでも理解できるのではないでしょうか。当時の世相や風習もわかりやすく解説されています。
ダイジェストにするのはおこがましいと思い、本文を少し紹介することにします。
◆東京大空襲ものがたり◆ 早乙女 勝元 著
「電柱だけが知っている炎の夜のこと。
ゆかりと進一の家の近くに、真っ黒こげの電柱があります。
これは、咲子おばさんにとっては、たった一つだけの、大事な目印なのです。
東京大空襲の炎の夜に、おばさんは、赤ちゃんの螢子ちゃんと、ここではぐれてしまったのです。
二人は父さんから、その話を聞かされ……」
これが物語の始まりで、真っ黒こげの電柱の叫び声で終わります。
亡くなった人は、何も語ることができませんが、どれだけたくさんの、つらく悲しいできごとがあったことでしょうか。焼け残りの電柱は、今も東京下町の、あの町角に立っています。北風の吹く寒い日も、夏のカンカン照りの日も、電柱は亡くなった人たちに変わって、「炎の夜」のできごとを、私に、そしてみんなに語り続けているように思われます。
でも、その声は聞こえません。ですから、ゆかりと進一は、電柱にかわって、こう呼びかけるのです。
誰もが、平和を守るための努力を、
そのための、小さな勇気を、
そのための、小さな勇気を、
わすれてはいけない、と。
花房ゆかり 眞一
花房ゆかり 眞一
(東京大空襲ものがたり 早乙女勝元著 有原誠治絵 金の星社 刊)
今となっては、空襲の辛い体験をされた多くの方々は、すでに冥界へ旅立たれたのではないでしょうか。こういった現実があったことを、しっかりと子どもに伝えることも、親の仕事ではないかと思います。
◆長崎のピカ◆
昭和20年の8月6日に、広島に原子爆弾が落とされたの。
一発で広島中が燃え、何10万の人が死んだの。
3日後の8月9日、今度は長崎に落ちて、私の家族8人は一人ずつ順々に死んでいったの。
最初に死んだのは、おばあちゃん。外出中に被爆し、真っ黒になり、はらわたを出して死んだの。次の日に、父さんと母さん、兄ちゃんと死んでいったけれど、上の妹、ゆみ子は、ずうっと見ていたの。次の日の明け方、きれいな船に、父さんと母さんと、おばあちゃんと兄ちゃんが笑って、おいで、おいでしていると、かぼそい声で言うの。「船に乗ったらだめ!」と叫んだけれど、「みんなで迎えに来たよ」と言って亡くなったの。顔はボールのようにはれあがり、歯ぐきはまっ黒にただれ、紫色の斑点が身体中に出て、口も動かないの。でも、そう言って死んだの。気がついたら、弟も死んでいたの。
下の末っ子の妹、すず子は、防空壕で体を寄せ合っていたら、冷たくなっていくので、マッチをつけてみたら、もう死んでいたの。その身体を、一晩中だいて寝ていたの。冷たくて、皮がべろべろとはげるの。
次の日、お隣のおじさんがきて、一人ずつ焼いたの。
私は、12歳でした。
夏休みのはなし
「海ぼうず」 松谷みよ子/吉沢和夫監修 日本民話の会・編 国土社刊
12歳の無残な夏、平和な時代に生かされていることに、ただ感謝するだけです。
もう一冊、戦時下を舞台にした話を紹介しましょう。
◆ホタルになった兵隊さん◆ 堀田 貴美 著
前の戦争のとき、九州南端の知覧に陸軍の飛行場があり、戦争末期、そこは特攻基地でした。
特攻機は人間爆弾で、搭乗員は、二十歳前後の若者達だったのです。基地の近くに、おばさんと二人の娘が手伝う富屋食堂があり、隊員達に親しまれていました。その中に、出撃後に飛行機が故障して、帰ってきた宮川三郎軍曹がいました。再び、出撃しましたが、二度とも機械が故障し、引き返したのです。整備隊長に、いい飛行機をくださいと訴えました。仲間が戦死し生き残るのは辛かったのでしょう。同じ頃、やはり、一人生き残った滝本軍曹が配属され、宮川さんと知り合い、富屋に一緒に顔を見せるようになりました。
昭和20年6月5日の夕方、二人は、明日出撃するため、富屋へ別れにきたのです。
娘たちは、出撃の鉢巻きを贈り、話もつきません。帰りがけに宮川さんが娘達に、「明日の晩9時に、ホタルが2匹入ってくるから、中に入れてやってね」と言いました。
翌日は天気が悪く、富屋の人達は、案じていましたが、夜8時頃、滝本さんが現われ宮川さんは行ったという。2機並んで飛び立ったが、雨雲にさえぎられ、帰ろうと合図しました。宮川さんは、「お前は引き返せ」と、別れの合図をし、雨雲の中へ飛び去ったのです。娘達は、宮川さんの気持ちが、痛いように伝わってきました。
その時、一匹のホタルが天上にとまり、時計を見ると、9時でした。宮川さんが言った時刻と何秒も違いません。店にいた隊員もよってきて、滝本さん達は、ホタルを見ながら、宮川さんの思い出を話しました。ホタルは、話を聞いているようでした。
「宮川さん、やっぱり帰ってきたんじゃねえ。」
おばさんは、ぽつんと言いました。
日本むかしばなし 23
ジェット機とゆうれい 日本民話の会 金沢祐光 絵 ポプラ社刊
最後の、おばさんのつぶやきが、悲しく、何とも言えません。多くの人達の犠牲でつかんだ平和を、私達は、無駄遣い、浪費していないでしょうか。
戦争の話から離れ、盛夏、真夏に怪談話を一席。
むかし話にも怪談はありますが、現代っ子は、昆虫を殺しても、「電池、取り替えてよ、お母さん!」と言うそうですから、こんな話、恐がらないかもしれませんね。
◆あめかいゆうれい◆ 中本 勝則 著
ある夏の暑い晩のこと。
あめ屋のじいさんのところへ、青ざめた顔をした一人の女が、あめを買いにきたのです。
それからというもの、決まったように、夜遅く、あめを買いに来ます。七日目の晩のことでした。
「あめをください」と差し出した手に、銭はありません。いつもより、青ざた顔は、悲しそうに見えるのです。じいさんは、何もいわずに、あめをあげました。
「どこの人だろう」と後をつけると、不思議なことに、山寺の山門まで来ると姿を消したのです。
すると、寺の中から、赤子の泣き声が聞こえるのでした。驚いたじいさんは、和尚さんに訳を話すと、まだ新しい墓にじいさんを連れていったのです。
先日、赤子を身ごもったまま女の人が亡くなり、それがこの墓だというのです。掘り出してみると、棺桶の中で、玉のような男の子が、母の胸にしがみつき、見れば男の子は、あめをにぎっているではありませんか。じいさんが売ったあめでした。
昔、死んだ人には、一文銭を六枚、手に握らせ墓に埋めたそうです。死んだら渡る「三途の川」の渡し賃でした。しかし、母親の手の中には、六文銭はなかったのです。
和尚さんは、泣いている男の子を抱き上げて、「母さまは、わしが供えた銭で、毎晩、お前のために、あめを買いに行ったのだ」と言って、静かに念仏を唱えたのでした。
海ぼうず 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
日本民話の会・編 国土社刊
妖怪やお化けの話は、たくさんあります。幼児用に、怖くない話が多いですから、お子さんが興味を持ったときは読んであげましょう。無理なく、勧善懲悪を教えるように構成されているからです。
( 次回は、「お月見です」についてお話しましょう。)
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、制作したものです】
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2024年8月 1日 01:06
2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第10章 終戦記念日、このことです 葉月(3)
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「めぇでる教育研究所」発行
2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第38号-
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第10章 終戦記念日、このことです 葉 月(3)
★★日本に富士山はいくつあるでしょうか★★
皆さんの住む街に「○○銀座」と命名されている所はありませんか。かなり、あるはずです。なぜ、全国、至る所に銀座があるのでしょうか。
銀座は、江戸幕府が銀貨の鋳造や発行をした役所のあった所で、明治を迎えて廃止されましたが、文明開化のもと洋風建築の商店街がつくられ、以来、東京随一の繁華街と発展し、「銀座」の名前は残ったのです。後発の新宿や池袋に押され気味でしたが、現在では1丁目から8丁目まで、大人の街として東京の観光スポットに欠かせない存在となっています。その繁栄にあやかろうと、各地の中心街の地名に用いられるようになり、そこから人のにぎわう場所を表す言葉ともなって、全国に300もの「○○銀座商店街」が生まれたのでした。
その栄光の第一号は、東京都品川区にある「戸越銀座商店街」だそうです。
文化遺産に登録された富士の名も、銀座と同じように全国に見られます。
いうまでもなく富士山は、山梨と静岡の両県にまたがる日本の最高峰、標高3776メートルの活火山です。宝永4年(1707年 徳川吉宗の時代)の噴火で宝永山ができて、以来、活動を中止していますが、いつ噴火しても不思議ではない、歴然とした火の山です。
ちなみに、日本には111の活火山があます。
一番多いのは北海道の31(北方領土に11)、二番目は何と東京都で、三原山から最南端の日光火山に至る伊豆、小笠原諸島に21、三番目は鹿児島で11、近畿、四国には活火山はありません。史上最悪の災害となった御岳山の噴火、霧島山系の硫黄山周辺、箱根大涌谷、桜島など、地震と同様、自然災害には穏便に願いたいものです。
富士山の話に戻りましょう。
古くから霊峰とあがめられ信仰登山が盛んで、頂上には浅間(せんげん)神社が祭られ、富士、不二、不二山、不尽山、富岳(ふがく)、芙蓉峰(ふようほう)、ふじやま、ふじのやま、富士の高根、といった名称で親しまれ、桜と共に日本のシンボルとして、世界の人々にも知られています。
富士山の山頂にある浅間神社には、古事記によれば、絶世の美女といわれている木花之佐久夜昆売命(コノハナノサクヤヒメミコ)が主神として祀られています。また、富士山麓には、日蓮宗を崇める寺院があり、神道と仏教が仲良く共存しています。一神教では想像できないことではないでしょうか。
さて、銀座が繁栄にあやかろうと普及したものなら、富士山は、その秀麗な姿を愛する私たちの心に、いわく言いがたいやすらぎを与えてくれることから、「おらが故郷の富士」と自賛する富士の名称が、全国に生まれたのではないでしょうか。
北は北海道から南は鹿児島まで、全国各地に富士の名山ありなのです。
おらが故郷の富士を紹介しておきましょう。
蝦夷富士(羊蹄山)標高 1,989m
北海道には、この他に富士に似た山が16山あります。
津軽富士(岩木山)標高 1,625m
津軽の人々は、岩木山こそ日本一の美しい山で、本家を「駿河富士」と呼ばせたい思いがあるそうです。
南部富士(岩手山)標高 2,038m
静岡県から見た富士山に似ており、片側が削げているように見えることから南部片富士ともいわれています。
吾妻富士(吾妻山)標高 1,707m
浄土平のシンボル、別名吾妻小富士山、本家と同様、摺り鉢状の火口には水はたまっていません。初めて訪れたとき、山頂から見上げる一切経山は、霧がかかり、地獄のような姿を見せてくれました。
榛名富士(榛名山)標高 1,391m
榛名山中央にある火口丘で榛名湖の東にそびえ、湖畔に映る姿は美しく、頂上にある神社は縁結び、安産の神として信仰されています。
信濃富士(黒姫山)標高 2,053m
黒姫山は妙高、戸隠、飯綱、斑尾山と並ぶ信越五山の一つで、野尻湖へのびた裾野には世界中から集められたコスモスが咲く黒姫高原があります。
伊豆富士(大室山)標高 581m
お碗を伏せたようなやわらかな曲線の山で、山麓には35種3000本の桜を栽培した「さくらの里」があり10月から翌年5月まで咲いているそうです。
八丈富士(八丈島 西山)標高 854m
ひょうたん型に似た八丈島の北川にそびえる伊豆七島の最高峰、晴れていれば、ご本家を眺望できます。
近江富士(三上山)標高 432m
湖国のシンボル、俵藤太の「百足伝説退治」で知られています。
都富士(比叡山)標高 848m
天台宗総本山延暦寺のある山で、西側の宝が池公園から見ると「ふるさと富士」に見えます。
有馬富士(角山)標高 374m
北摂・三田(さんだ)八景の一つで、「有馬富士 ふもとの海は霧に似て波かと聞けば 小野の松風」と花山法皇が詠んだ花山院からの展望が絶景。
伯耆富士(大山)標高 1,711m
鳥取西部にある火山、中国地方の最高峰。中腹に大山寺があり伯耆(ほうき)富士、出雲富士ともいわれています。
安芸富士(広島 似島)標高 278m
広島市の沖に浮かぶ似島で、原爆投下後、1万人もの被爆者が運びこまれた島。安芸富士は8月6日を忘れません。
讃岐富士(飯野山)標高 421m
台形型の代表である屋島、奇峰型の代表五剣山と共に香川県の山の典型。
小富士(愛媛 興居島)標高 282m
霊峰富士を思い切って縮小すると、こうなるという見本のようなミニ富士で、興居島「ゴゴシマ」と読みます。
筑紫富士(浮岳)標高 805m
浮岳は、越前と肥前を分ける背振山地の西端にある山で、唐津焼きで有名な唐津側から見ると富士の形に見えます。
豊後富士(由布岳)標高 1,584m
日本を代表する温泉地湯布院町にあり、西峰で360度の展望を楽しめ、独立峰のため風が強く、冬は霧氷の名所として知られています。
薩摩富士(開聞岳)標高 922m
三方を海に囲まれた裾野がきれいな山で日本百名山の一つ。特攻隊員が目に止めた最後の内地の山。
インターネット等で検索すると、標高2000メートルから300メートルに満たないミニ富士まで、四季折々の富士の山を見ることができます。いずれも見慣れたコニーデ、円錐状の山で、あるものだなと感心してしまいます。
富士山の語源は、日本語説、アイヌ語説、南方語説などあり決め手はないそうですが、日本語説は、「『万葉集 巻3』の山辺赤人が詠んだ富士の歌に『不尽山』と書いてあるところから、永久に尽きることない、千古万古にそびえ立つ山という意味を込めて、あて字をしたものであろうと解釈する説」だそうです。
田子の浦うち出でて見れば真白にそ 不尽の高嶺に雪は降りける
万葉集巻3(318)
(「つい誰かに話したくなる雑学の本」P65 講談社文庫 刊 より要訳)
(次回は、「8月に読んであげたい本」についてお話しましょう)
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2024年7月25日 01:06
2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第10章 終戦記念日、このことです 葉月(2)
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「めぇでる教育研究所」発行
2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第37号-
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第10章 終戦記念日、このことです 葉 月(2)
★★なぜ、鳩は平和のシンボルなのでしょうか★★
神社、仏閣、さらに大きな公園には、なぜか鳩がいます。
いないと何か物足りない気がする不思議な存在でしたが、最近では、糞害などで問題になり、駅などでは「餌を与えないで!」といった看板が目立ちます。
しかし、オリーブの枝をくわえた鳩は、依然として、平和のシンボルとなっています。
なぜ、鳩なのでしょうか。
事の起こりは、聖書物語でおなじみの「ノアの方舟」なのですから驚きです。
「人間の邪悪さにあきれた神エホバは、大洪水を起こしてすべてを一掃しようと考えました。しかし、正しい人、ノアだけは救おうと、神は彼に方舟をつくるように命じました。
ノアは人々に馬鹿にされながら巨大な方舟を作り、そこに家族と動物のつがいを乗せました。やがて神が予告したとおり大雨が降りはじめ、陸地はすべて海に沈みました。
数日後、水が引いたことを確かめるため、ノアはまずカラスを放ちました。
しかし、カラスはどこにも羽を休める場所を見つけることができないまま戻ってきました。
それから一週間後、ノアは鳩を放ちました。やがて鳩はオリーブの小枝をくわえて戻ってきました。そこでノアは洪水が引いたことを知りました」
この物語から、「鳩+オリーブの小枝=平和」という図式ができあがったのである。そして、「オリーブの小枝をくわえた鳩」が平和の象徴として世界中に広まったきっかけは、1949年にパリで開催された「国際平和擁護会議」に、パブロ・ピカソが鳩のポスターを描いたからだといわれている。
(「今さら誰にも聞けない555の疑問」 平川 陽一 編 株式会社 廣済堂出版 刊 P348)
歴史に「If」はありませんが、しかし、あえて「もしも」です、最初に栄誉ある偵察の任務を与えられたカラスが、オリーブの小枝をくわえて帰還していれば、カラスが平和の使者として、君臨していたことになります。
でも、悪食のカラスには、オリーブの小枝は似合いませんし、イベントなどで鳩のかわりに真っ黒なカラスが一斉に飛び立つのでは、黒い稲妻のようで、何やら不吉なムードに包まれそうです。
鳩は、一時、情報を伝える貴重な鳥として、脚光を浴びた時代がありました。
伝書鳩です。
足に情報を括り、さっそうと目的地へ向かった、貴重な鳥でもあったのですが、電信技術の進歩にはかなわず、いまでは引退し、伝書鳩レースとして、昔の面影を残すだけになりました。帰巣本能を利用したものといわれていますが、そのメカニズムは、解明されていないそうです。
しかし、まだ、主役として活躍している鳩もいます。手品で使われている、あの鳩です。マジシャンの使う白い小型の鳩は銀鳩と呼ばれ、観賞用としても人気があるそうです。
豆知識を一つ。
以前、五輪憲章にある開会式の項で「聖火への点火に続いて、平和を象徴する鳩が解き放たれる」と記載されていました。ところが、ソウル五輪で、聖火台で羽を休めていた鳩が焼け死んでから、その文言は削除されたそうです。
ところで、鳩の鳴き方ですが、実際に聞いてみると、「ズズーポッポー ズズーポッポー」と妙な鳴き方です。これを「ポッポ ポッポ」と表現したのは、童謡「鳩ポッポ」で、作詞は東くめ、作曲は瀧廉太郎、明治23年(1899)のことでした。それまでの童謡は、文語体で難しかったのですが、子どもが楽しく歌えるよう口語体にした童謡の第1号だそうです。現在、ほとんど歌われていません。
「えっ」と思うかもしれませんが、現在よく歌われている ♪ポッポッポ 鳩ポッポ♪は「鳩」という題名で、この歌とは全く違う曲です。「鳩ポッポ」は、音は悪いですがYouTubeで聞くことができます。
(大人の雑学 日本雑学研究会編 幻冬舎 刊P225より要約)
★★海水浴は治療の一種だった!★★
昔から、夏になれば、川や海で泳ぐものだと思っていましたら、これは、とんでもない間違いだそうです、ご存知でしたか。そういわれてみれば、時代劇で、子どもたちが泳ぐ姿を見たことがありません。「水練」といって武芸の一つでした。こういうことだそうです。
海水浴は、病気を治す方法の一つとして始まりました。はじめは海に入っても泳がずに、波打ちぎわで遊ぶだけでした。海水の塩分が体を刺激し、食欲が出て体重が増えるので、健康にいいといわれていたのです。1885年に神奈川県の大磯に、日本で最初の海水浴場が作られて、次第に泳いで遊ぶ海水浴となりました。
(心をそだてる 子ども歳時記12か月 監修 橋本裕之 講談社刊 P64)
★★なぜ、海の水は塩辛いのでしょう★★
それでは、海の水が塩辛いのにも理由があるのでしょうか。
有史以前の地球は、火山が爆発し続ける、灼熱地獄でした。やがて火山活動も沈静化し、豊富な水から植物が生え、動物が生息し、人間も地球の住民として存在するようになったのです。火山活動により、いろいろな物質や鉱物が、地上にばらまかれましたが、塩分もその一つで、地表からしみ込んだ塩分や岩石に含まれている塩分が雨に流され、河川の水に溶け込み、海に流れ着いたために塩辛くなったのです。
この海水ですが、ではどこから出てきたのでしょうか。
海水ができたのは、今から38億年前、地球上に生物(バクテリア)が生まれたころで、地球誕生から約7億年たっていました。
当時の海水は、塩酸を含む酸性で、岩石に含まれるカルシウムやナトリウムを溶かし、ナトリウムは海水中の塩素と一緒になって食塩になりました。
海水の成分はその頃から現在までほとんど変わっていません。
(「雑学特ダネ新聞 読売新聞大阪編集局 著 PHP研究所刊 P283)
最近の説では、溶岩は地球の内部にあるマグマがかたまったもので、その内部には10%ほどの水が含まれており、それが火山活動の時に地表や海に吹き出し、38億年かけてしみ出した結果、今の海になったそうです。
当時から成分は変わらないそうですから、驚かされますね。
人間は、生物の生態系や地形などを、地球に相談することなしに変えていますが、しっぺ返しを食うことはないでしょうか。
ところで、海水が太陽に温められ、蒸発して雲となり、それが雨となって地上に戻ってくる原理を知ったとき、「なぜ、雨は塩辛くないのかなぁ?」と母に尋ねたところ、塩水を入れた鍋を七輪(土製のこんろ)に乗せて沸騰させ、その蒸気を割り箸にあて、ついた水滴をなめさせてもらったことを覚えています。まったく辛くはないのですが、その割り箸で鍋の中の湯につけて口へ運ぶと辛いのです。塩分は海に残り、水だけが蒸発することがわかりました。
科学の話はここまで。
「海水が、どうして辛いのか」と、その経緯を語るおもしろい民話が残されています。図書館の紙芝居で見たのですが、廃館されてしまい、著者と出版社がわかりません。確か、青森から沖縄まで、広い範囲で残っている民話ではなかったかと思います。四国の場合は、阿波の鳴門となって、今も回り続けているとなっていたような記憶があるからです。
◆塩吹き臼◆
金持ちで欲張りの兄と、貧乏で正直な弟がいました。
ある年越しの晩、弟が兄のところへ米を借りにきますが、断られます。家に帰ろうと山道を歩いていると、白いひげを生やしたじいさんに会い、尋ねられます。
「この夜ふけに何をしているのだ」
「年神様に備える米がない」
といったところ、小さなきび饅頭をくれ、こういったのです。
「そこの森の神様のお堂の裏にいくがよい。そこに穴があり、住んでいる小人が饅頭を欲しがるから、石の引き臼となら交換してもよいといいなさい。必ず、欲しがるから」
そこで、弟は出かけていくと、小人はしきりに饅頭を欲しがり、二つとない宝物だが仕方がないといって、交換したのです。もと来た道へ引き返してみると、まだ、じいさんはいて、こういったのです。
「その引き臼を右に回せば欲しいものが限りなく出てきて、左に回すと止まるものだ」
家に帰って、むしろの上に臼を置き、
「お米よ、出ろ! お米よ、出ろ!」
といいながら右に回すと、米が出てくるではありませんか。
そこで、餅や塩鮭などを出し、よい年越しをしたのです。
翌日には、屋敷や土蔵、お祝いの料理やら酒を出し、親戚や知り合いを招き、盛大な祝い事をしたのでした。驚いた兄は、これには何か訳在りと探りを入れ、石臼の秘密を見つけ、盗み出したのです。兄は、遠くで長者になろうと船で逃げ出します。途中で腹が減り、臼と一緒に盗んできた菓子や餅を食べたのですが、甘いものばかりなので、塩気が欲しくなりました。そこで、「塩、出ろ!」といって臼を右に回すと、塩があふれ出てきました。これで十分だと思い、止めようとしましたが、その方法がわかりません。臼は、勝手に回り続け、塩でいっぱいになってしまった船は、兄を乗せたまま、海の底へ沈んでいったのでした。臼は、今も続けて塩を出しているので、海の水は辛いのです。
こういった話であったと思います。
金持ちだが欲張りの兄、貧乏だが正直な弟も、むかし話の約束事ですね。
よく似ている話が、グリム作の「うまい粥」です。
塩の代わりに出すものはお粥で、止め方がわからず困り果てて、持ち主に返す結末が異なっています。
(次回は、「日本に富士山はいくつぐらいあるでしょうか」 などについてお話しましょう)
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第10章 終戦記念日、このことです 葉 月(1)
物の本によれば、葉月のいわれは、季節は秋になり、木の葉が落ちる「葉落月」の略されたものが親しみやすいですね。この他に、稲穂の「発月」、雁が渡ってくるので「初来月(はっきづき)」、南から台風の風が吹きはじめるので「南風月(はえつき)」などの説があるそうです。
★★終戦記念日★★
8月といえば、終戦記念日です。8月15日、戦争体験が無くても忘れてはならない日です。これは、季節の行事と違いますから、おかしな話と思うかもしれません。しかし、私たち日本人は、この日を忘れてはならないのです。とにかく、大勢の人が亡くなりました。戦場で230万人、原爆、空襲で70万人、およそ300万人の命が奪われたといわれています。この中には、戦場となったアジアをはじめ、他国の人々は含まれていませんから、犠牲者はさらに増すはずです。この事実だけでも、戦争は絶対に許せません。
最近、「なぜ、日本は世界を相手に戦争をしなければならなかったのか」、その真相を明らかにする書物も多く出版され、知らなかった経緯を知る機会も増えてきました。その最たるものは、「あの戦争は、日本の自衛戦争であった」といった、日本と戦った連合国最高司令官、ダグラス・マッカーサー元帥の言葉でしょう。
その他、真珠湾攻撃の前に日本の暗号が解読されていた、など当時の書類が公開されてきました。原爆についてのことなど、今までの通説とは異なる事実が出てくるのではないでしょうか。
それらの内容はともかくとして、戦争は、人間の引き起こす最も愚劣な罪悪です。そして、戦時中は、全国民が真剣に戦争をしていたのも事実です。国家権力は絶対で、国民は逆らえません。これが恐い。たとえば、赤紙1枚で、たった1つの生命を交換させられたのです。その赤紙は、わずか1銭5厘(当時の葉書の値段)、1銭5厘です……。今ではドラマでしか見ることができない、という世の中でよかったです。
※赤紙 兵を集める召集令状のこと、淡赤色の紙を用いたもので、俗に赤紙という。(広辞苑)
浅はかにも、人間は万物の霊長などと表現されますが、その人間だけではないでしょうか、殺し合うのは。
それも、憎しみをこめて、徹底的に……。
他の動物も同じ仲間同士、争いますが、負けのサインを出すと、攻撃しないものです。満腹のライオンは、しま馬がそばを通っても襲いません。本当に、人間って、不思議な動物です。極限状態になると、何をしでかすかわからないのですから。
そして、ウクライナやイスラエルのように宗教と民族の問題がからむと、必ず、泥沼に落ち込みます。
ニューヨークにある世界でも有数なブロンクス動物園には、鉄格子をはめ込んだ檻、「鏡の間」があり、その前に立つと、人間の上半身が鏡に映り、その鏡の上には、こう書かれてあるそうです。
THE MOST DANGEROUS ANIMAL IN THE WORLD
(世界で最も危険な動物)
そして、世界ではともかく、日本では戦争も原爆も、何やら遠い昔の出来事として、風化されているのではないでしょうか。しかし、忘れてはならないことです。事実は事実として、きちんと語りつがれなければ、戦争のために亡くなった人たちは浮ばれませんし、申し訳ないではありませんか。これこそ、「現代の民話ではないだろうか」と、今月に紹介する本の解説者、米屋陽一氏はおっしゃっています。また、山崎豊子さんの「不毛地帯」のように、外地で苦労された人々の話も読んでおきたいものです。
戦争は、ゲームと違います。リセット、やり直しはできません。ゲーム・オーバーで、本当に「ゲーム・セット」ですから、子どもに戦争の悲惨なこと、二度と繰り返してはならないことを、しっかりと伝えておきたいのです。人間は、お互いに、労わりあう心がなければ生きていけません。「共生」「ともいき」ということを、責任をもって教えるのは、ご両親の大切な仕事です。
たびたび申し上げていますが、幼児期に必要なのは、知識を詰め込むのではなく、情操豊かな子に育つ環境を作ることです。
そこから、自分自身で考え、行動する力が身につくからです。
価値観が多様化し、「何でもありの人生観」をもつのも自由ですが、「共に生きる」意識がぜい弱では、やはり、偏った考えしか身につきません。「共生の反対は自己中心」ではないでしょうか。自己中は、恥じることを知らない人のことです。
(次回は、「なぜ、鳩は平和のシンボルなのでしょうか」などについてお話ししましょう)
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