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めぇでるコラム
2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第10章 終戦記念日、このことです 葉月(1)
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「めぇでる教育研究所」発行
2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第36号-
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第10章 終戦記念日、このことです 葉 月(1)
物の本によれば、葉月のいわれは、季節は秋になり、木の葉が落ちる「葉落月」の略されたものが親しみやすいですね。この他に、稲穂の「発月」、雁が渡ってくるので「初来月(はっきづき)」、南から台風の風が吹きはじめるので「南風月(はえつき)」などの説があるそうです。
★★終戦記念日★★
8月といえば、終戦記念日です。8月15日、戦争体験が無くても忘れてはならない日です。これは、季節の行事と違いますから、おかしな話と思うかもしれません。しかし、私たち日本人は、この日を忘れてはならないのです。とにかく、大勢の人が亡くなりました。戦場で230万人、原爆、空襲で70万人、およそ300万人の命が奪われたといわれています。この中には、戦場となったアジアをはじめ、他国の人々は含まれていませんから、犠牲者はさらに増すはずです。この事実だけでも、戦争は絶対に許せません。
最近、「なぜ、日本は世界を相手に戦争をしなければならなかったのか」、その真相を明らかにする書物も多く出版され、知らなかった経緯を知る機会も増えてきました。その最たるものは、「あの戦争は、日本の自衛戦争であった」といった、日本と戦った連合国最高司令官、ダグラス・マッカーサー元帥の言葉でしょう。
その他、真珠湾攻撃の前に日本の暗号が解読されていた、など当時の書類が公開されてきました。原爆についてのことなど、今までの通説とは異なる事実が出てくるのではないでしょうか。
それらの内容はともかくとして、戦争は、人間の引き起こす最も愚劣な罪悪です。そして、戦時中は、全国民が真剣に戦争をしていたのも事実です。国家権力は絶対で、国民は逆らえません。これが恐い。たとえば、赤紙1枚で、たった1つの生命を交換させられたのです。その赤紙は、わずか1銭5厘(当時の葉書の値段)、1銭5厘です……。今ではドラマでしか見ることができない、という世の中でよかったです。
※赤紙 兵を集める召集令状のこと、淡赤色の紙を用いたもので、俗に赤紙という。(広辞苑)
浅はかにも、人間は万物の霊長などと表現されますが、その人間だけではないでしょうか、殺し合うのは。
それも、憎しみをこめて、徹底的に……。
他の動物も同じ仲間同士、争いますが、負けのサインを出すと、攻撃しないものです。満腹のライオンは、しま馬がそばを通っても襲いません。本当に、人間って、不思議な動物です。極限状態になると、何をしでかすかわからないのですから。
そして、ウクライナやイスラエルのように宗教と民族の問題がからむと、必ず、泥沼に落ち込みます。
ニューヨークにある世界でも有数なブロンクス動物園には、鉄格子をはめ込んだ檻、「鏡の間」があり、その前に立つと、人間の上半身が鏡に映り、その鏡の上には、こう書かれてあるそうです。
THE MOST DANGEROUS ANIMAL IN THE WORLD
(世界で最も危険な動物)
そして、世界ではともかく、日本では戦争も原爆も、何やら遠い昔の出来事として、風化されているのではないでしょうか。しかし、忘れてはならないことです。事実は事実として、きちんと語りつがれなければ、戦争のために亡くなった人たちは浮ばれませんし、申し訳ないではありませんか。これこそ、「現代の民話ではないだろうか」と、今月に紹介する本の解説者、米屋陽一氏はおっしゃっています。また、山崎豊子さんの「不毛地帯」のように、外地で苦労された人々の話も読んでおきたいものです。
戦争は、ゲームと違います。リセット、やり直しはできません。ゲーム・オーバーで、本当に「ゲーム・セット」ですから、子どもに戦争の悲惨なこと、二度と繰り返してはならないことを、しっかりと伝えておきたいのです。人間は、お互いに、労わりあう心がなければ生きていけません。「共生」「ともいき」ということを、責任をもって教えるのは、ご両親の大切な仕事です。
たびたび申し上げていますが、幼児期に必要なのは、知識を詰め込むのではなく、情操豊かな子に育つ環境を作ることです。
そこから、自分自身で考え、行動する力が身につくからです。
価値観が多様化し、「何でもありの人生観」をもつのも自由ですが、「共に生きる」意識がぜい弱では、やはり、偏った考えしか身につきません。「共生の反対は自己中心」ではないでしょうか。自己中は、恥じることを知らない人のことです。
(次回は、「なぜ、鳩は平和のシンボルなのでしょうか」などについてお話ししましょう)
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、制作したものです】
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2024年7月11日 01:06
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第10章 終戦記念日、このことです 葉月(2)
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「めぇでる教育研究所」発行
2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第37号-
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第10章 終戦記念日、このことです 葉 月(2)
★★なぜ、鳩は平和のシンボルなのでしょうか★★
神社、仏閣、さらに大きな公園には、なぜか鳩がいます。
いないと何か物足りない気がする不思議な存在でしたが、最近では、糞害などで問題になり、駅などでは「餌を与えないで!」といった看板が目立ちます。
しかし、オリーブの枝をくわえた鳩は、依然として、平和のシンボルとなっています。
なぜ、鳩なのでしょうか。
事の起こりは、聖書物語でおなじみの「ノアの方舟」なのですから驚きです。
「人間の邪悪さにあきれた神エホバは、大洪水を起こしてすべてを一掃しようと考えました。しかし、正しい人、ノアだけは救おうと、神は彼に方舟をつくるように命じました。
ノアは人々に馬鹿にされながら巨大な方舟を作り、そこに家族と動物のつがいを乗せました。やがて神が予告したとおり大雨が降りはじめ、陸地はすべて海に沈みました。
数日後、水が引いたことを確かめるため、ノアはまずカラスを放ちました。
しかし、カラスはどこにも羽を休める場所を見つけることができないまま戻ってきました。
それから一週間後、ノアは鳩を放ちました。やがて鳩はオリーブの小枝をくわえて戻ってきました。そこでノアは洪水が引いたことを知りました」
この物語から、「鳩+オリーブの小枝=平和」という図式ができあがったのである。そして、「オリーブの小枝をくわえた鳩」が平和の象徴として世界中に広まったきっかけは、1949年にパリで開催された「国際平和擁護会議」に、パブロ・ピカソが鳩のポスターを描いたからだといわれている。
(「今さら誰にも聞けない555の疑問」 平川 陽一 編 株式会社 廣済堂出版 刊 P348)
歴史に「If」はありませんが、しかし、あえて「もしも」です、最初に栄誉ある偵察の任務を与えられたカラスが、オリーブの小枝をくわえて帰還していれば、カラスが平和の使者として、君臨していたことになります。
でも、悪食のカラスには、オリーブの小枝は似合いませんし、イベントなどで鳩のかわりに真っ黒なカラスが一斉に飛び立つのでは、黒い稲妻のようで、何やら不吉なムードに包まれそうです。
鳩は、一時、情報を伝える貴重な鳥として、脚光を浴びた時代がありました。
伝書鳩です。
足に情報を括り、さっそうと目的地へ向かった、貴重な鳥でもあったのですが、電信技術の進歩にはかなわず、いまでは引退し、伝書鳩レースとして、昔の面影を残すだけになりました。帰巣本能を利用したものといわれていますが、そのメカニズムは、解明されていないそうです。
しかし、まだ、主役として活躍している鳩もいます。手品で使われている、あの鳩です。マジシャンの使う白い小型の鳩は銀鳩と呼ばれ、観賞用としても人気があるそうです。
豆知識を一つ。
以前、五輪憲章にある開会式の項で「聖火への点火に続いて、平和を象徴する鳩が解き放たれる」と記載されていました。ところが、ソウル五輪で、聖火台で羽を休めていた鳩が焼け死んでから、その文言は削除されたそうです。
ところで、鳩の鳴き方ですが、実際に聞いてみると、「ズズーポッポー ズズーポッポー」と妙な鳴き方です。これを「ポッポ ポッポ」と表現したのは、童謡「鳩ポッポ」で、作詞は東くめ、作曲は瀧廉太郎、明治23年(1899)のことでした。それまでの童謡は、文語体で難しかったのですが、子どもが楽しく歌えるよう口語体にした童謡の第1号だそうです。現在、ほとんど歌われていません。
「えっ」と思うかもしれませんが、現在よく歌われている ♪ポッポッポ 鳩ポッポ♪は「鳩」という題名で、この歌とは全く違う曲です。「鳩ポッポ」は、音は悪いですがYouTubeで聞くことができます。
(大人の雑学 日本雑学研究会編 幻冬舎 刊P225より要約)
★★海水浴は治療の一種だった!★★
昔から、夏になれば、川や海で泳ぐものだと思っていましたら、これは、とんでもない間違いだそうです、ご存知でしたか。そういわれてみれば、時代劇で、子どもたちが泳ぐ姿を見たことがありません。「水練」といって武芸の一つでした。こういうことだそうです。
海水浴は、病気を治す方法の一つとして始まりました。はじめは海に入っても泳がずに、波打ちぎわで遊ぶだけでした。海水の塩分が体を刺激し、食欲が出て体重が増えるので、健康にいいといわれていたのです。1885年に神奈川県の大磯に、日本で最初の海水浴場が作られて、次第に泳いで遊ぶ海水浴となりました。
(心をそだてる 子ども歳時記12か月 監修 橋本裕之 講談社刊 P64)
★★なぜ、海の水は塩辛いのでしょう★★
それでは、海の水が塩辛いのにも理由があるのでしょうか。
有史以前の地球は、火山が爆発し続ける、灼熱地獄でした。やがて火山活動も沈静化し、豊富な水から植物が生え、動物が生息し、人間も地球の住民として存在するようになったのです。火山活動により、いろいろな物質や鉱物が、地上にばらまかれましたが、塩分もその一つで、地表からしみ込んだ塩分や岩石に含まれている塩分が雨に流され、河川の水に溶け込み、海に流れ着いたために塩辛くなったのです。
この海水ですが、ではどこから出てきたのでしょうか。
海水ができたのは、今から38億年前、地球上に生物(バクテリア)が生まれたころで、地球誕生から約7億年たっていました。
当時の海水は、塩酸を含む酸性で、岩石に含まれるカルシウムやナトリウムを溶かし、ナトリウムは海水中の塩素と一緒になって食塩になりました。
海水の成分はその頃から現在までほとんど変わっていません。
(「雑学特ダネ新聞 読売新聞大阪編集局 著 PHP研究所刊 P283)
最近の説では、溶岩は地球の内部にあるマグマがかたまったもので、その内部には10%ほどの水が含まれており、それが火山活動の時に地表や海に吹き出し、38億年かけてしみ出した結果、今の海になったそうです。
当時から成分は変わらないそうですから、驚かされますね。
人間は、生物の生態系や地形などを、地球に相談することなしに変えていますが、しっぺ返しを食うことはないでしょうか。
ところで、海水が太陽に温められ、蒸発して雲となり、それが雨となって地上に戻ってくる原理を知ったとき、「なぜ、雨は塩辛くないのかなぁ?」と母に尋ねたところ、塩水を入れた鍋を七輪(土製のこんろ)に乗せて沸騰させ、その蒸気を割り箸にあて、ついた水滴をなめさせてもらったことを覚えています。まったく辛くはないのですが、その割り箸で鍋の中の湯につけて口へ運ぶと辛いのです。塩分は海に残り、水だけが蒸発することがわかりました。
科学の話はここまで。
「海水が、どうして辛いのか」と、その経緯を語るおもしろい民話が残されています。図書館の紙芝居で見たのですが、廃館されてしまい、著者と出版社がわかりません。確か、青森から沖縄まで、広い範囲で残っている民話ではなかったかと思います。四国の場合は、阿波の鳴門となって、今も回り続けているとなっていたような記憶があるからです。
◆塩吹き臼◆
金持ちで欲張りの兄と、貧乏で正直な弟がいました。
ある年越しの晩、弟が兄のところへ米を借りにきますが、断られます。家に帰ろうと山道を歩いていると、白いひげを生やしたじいさんに会い、尋ねられます。
「この夜ふけに何をしているのだ」
「年神様に備える米がない」
といったところ、小さなきび饅頭をくれ、こういったのです。
「そこの森の神様のお堂の裏にいくがよい。そこに穴があり、住んでいる小人が饅頭を欲しがるから、石の引き臼となら交換してもよいといいなさい。必ず、欲しがるから」
そこで、弟は出かけていくと、小人はしきりに饅頭を欲しがり、二つとない宝物だが仕方がないといって、交換したのです。もと来た道へ引き返してみると、まだ、じいさんはいて、こういったのです。
「その引き臼を右に回せば欲しいものが限りなく出てきて、左に回すと止まるものだ」
家に帰って、むしろの上に臼を置き、
「お米よ、出ろ! お米よ、出ろ!」
といいながら右に回すと、米が出てくるではありませんか。
そこで、餅や塩鮭などを出し、よい年越しをしたのです。
翌日には、屋敷や土蔵、お祝いの料理やら酒を出し、親戚や知り合いを招き、盛大な祝い事をしたのでした。驚いた兄は、これには何か訳在りと探りを入れ、石臼の秘密を見つけ、盗み出したのです。兄は、遠くで長者になろうと船で逃げ出します。途中で腹が減り、臼と一緒に盗んできた菓子や餅を食べたのですが、甘いものばかりなので、塩気が欲しくなりました。そこで、「塩、出ろ!」といって臼を右に回すと、塩があふれ出てきました。これで十分だと思い、止めようとしましたが、その方法がわかりません。臼は、勝手に回り続け、塩でいっぱいになってしまった船は、兄を乗せたまま、海の底へ沈んでいったのでした。臼は、今も続けて塩を出しているので、海の水は辛いのです。
こういった話であったと思います。
金持ちだが欲張りの兄、貧乏だが正直な弟も、むかし話の約束事ですね。
よく似ている話が、グリム作の「うまい粥」です。
塩の代わりに出すものはお粥で、止め方がわからず困り果てて、持ち主に返す結末が異なっています。
(次回は、「日本に富士山はいくつぐらいあるでしょうか」 などについてお話しましょう)
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2024年7月18日 01:06
2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第9章(4)七夕祭りでしょう 文月
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「めぇでる教育研究所」発行
2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第35号-
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第9章 (4) 七夕祭りでしょう 文 月
【七月に読んであげたい本】
七夕とお盆です。どちらも、その縁起話があるので、紹介しましょう。
◆天女のよめさま◆ 常光 徹 著
むかし、ある村の若い猟師が、沼のほとりで昼寝から目を覚すと天女が三人、泳いでいました。若者は、木にかけてあったとび衣(羽衣)を一枚隠したのです。水浴びが終わると、天女はとび衣を着て、天へ舞い上がって行きましたが、隠された天女は天上に帰れません。若者は、泣いていても仕方がないと慰め、家に連れて帰ったのです。
やがて、天女は若者の嫁になり、三人の子どもが生まれました。ある時、上の子が、むずかる下の子をあやす歌を聞き、その歌詞をヒントにとび衣を見つけ、子どもを連れて、天上へ帰ったのです。家に帰った若者は、「会いたければ、一番鶏が鳴く前に、わらじ百足分を肥やしにし、夕顔の種を植えてください」との置き手紙を読み、わらじを作ったのですが、あと一足で夜が明けたので、わらじを埋め、夕顔の種を植え、眠ってしまいました。目覚めた若者が見たのは、空に伸びた、夕顔のつるでした。これで、嫁や子どもに会えると、犬を抱えて登ったのですが、もう少しの所で、つるは止まっていました。若者は、犬を天上に放り上げ、しっぽにつかまり、天の庭に跳ね上り、家族と再会できたのです。
ところが、天上のじいさまは、若者を快く思わず、「四町歩の畑を一日で耕せ!」などと難癖をつけるのです。その度に、嫁さまの助けで解決しますが、最後は、うまくいきませんでした。うりの収穫が終わると、じいさまは、縦に切れ(本当は横に切る)というので切ると、積んであるうりが、音をたてて裂け、水があふれ出して大水となり、若者をのみこみ、流れていくのです。嫁さまは、毎月、七日に会いましょうと呼びましたが、若者は、七月七日と聞いてしまい、それ以来、年に一度、七月七日に、二人は会うことになったのです。
うりからあふれ出た大水が、夏の夜空に見える天の川になったのでした。
七月のおはなし 「かっぱのおくりもの」
松谷 みよ子/吉沢 和夫監修 日本民話の会・編 国土社 刊
同じような話に、鈴木三重吉の「星の女」があります。馬車や蜘蛛(くも)の王様が出てくるので、「羽衣伝説」は日本の他にあるのかなと、不思議に思ったことを思い出します。
鈴木三重吉には、立ち往生したソリで過ごす少年の素晴らしい知恵を描いた「少年駅伝夫」、肉屋と野良犬の心温まる生活を描いた「やどなし犬」など、子どもたちに読んでもらいたい作品が残されています。
この話から、「ジャックと豆の木」を思い出しませんか。何回もいいますが、人間、どこに住んでいても考えることは同じなのです。そう思うと、何やらうれしくなります。本当は、心のやさしい生きものなのです、人間は。
ところで、「ジャックと豆の木」に出てくるのは「鬼」でしょうか、それとも「大男」でしょうか。
◆お盆のはじまり◆
七月十五日は、祖先や亡くなった人たちの霊をなぐさめるお盆の日です。お盆の縁起を伝える話が残されています。
お釈迦さまに、目蓮上人という神通力にたけたお弟子がいて、修行中に息を引きとり、あの世へ旅立ちました。死んだお母さんに会いたいと思い、三途の川を渡り、閻魔大王のいる関所に着き、母に会わせてくれるよう、願い出たのです。大王は、上人を、湯が煮えたぎる大きな釜の所へ連れていきました。釜の中では、釜茹の刑を受ける人達がうめき、叫び声を上げていたのです。上人が、母の名前を呼んでいると、釜の中から一匹のカメがはい上がり、「私がお前の母だ」というのです。その訳を尋ねると、お前が可愛くて、賢いことを自慢し、お前さえ長生きすればよいと罪深いことばかり考えていたからだというのです。上人は、お母さんを助ける方法はないかと尋ねると、毎日、石に一字ずつお経を書き、それからお経を読んでと言いかけたとき、番人の鬼がきて、カメを湯の中へ投げ込んでしまい、二度と姿を見せません。そこで上人は、大王にお礼を言うと、不思議なことに、再びこの世に戻ってきたのです。
次の日、上人は神通力で、八千人もの羅漢(悟りに達した仏教の修行者)を集め、一つ一つの石に、一字ずつお経を書き、お母さんのために、盛大な供養を行ったのです。すると、紫雲たなびく天上遥かから、「お前のおかげで極楽浄土へ行けるようになったよ」というお母さんの声が聞こえてきたのでした。
上人は、その後、毎年、七月十五日になると、お灯明をあげ、祭壇に新鮮な野菜を備え、お母さんや祖先の供養をしたそうです。
これが、お盆の始まりだそうです。
日づけのあるお話 365日 七月のむかし話
谷真介編・著 金の星社 刊
この話を聞くたびに、「子煩悩」という言葉を思い出します。この言葉から、子どもをかわいがる親のイメージを持ちがちですが、本当はそうではありません。煩悩とは、「心身にまといつき心をかき乱す、一切の妄念・欲望」(岩波国語辞典)のことです。「子煩悩」は、「子は煩悩のもと」と考えるべきなのです。すると、目蓮上人のお母さんが、なぜ地獄へ落ちたかわかります。
「お前のことが可愛くて、可愛くてね。お前が賢いことを人に自慢ばかりしていたのじゃ。他の人は早く死んで、おまえだけ長生きしてくれればいいと、罪深いことばかり考えていたからだよ」
少子化時代に過保護な育児をしていると、「子煩悩地獄」に落ちます。被害者は、お子さん自身であることに、気づいてほしいものです。
また、「子ゆえの闇」という言葉があります。
「人の親の心は闇にあらねども 子を思ふ道にまどひぬるかな」 藤原 兼輔
親の心は普段は正しいが、子どものことを思うときだけは、迷いが生じてしまう、という意味の歌である。ここから「子ゆえの闇」という言い方が生まれた。
どんなに理性的な人でも、ことわが子が置かれた環境や将来の話になると思慮分別をなくしてしまう……子を持つ親なら、そういう気持ちはよく理解できるはずである。早い話が親ばかだが……。
(知らない日本語 教養が試される341語 谷沢永一 著 幻冬社刊 P57)
「早い話が親ばかだが……。」わかっていますが、つける薬はないということですね。
次に紹介する話は、「ナヌ?」となるはずです。そうです、芥川龍之介の世界です。こういった作品に出会うと、「やってくれるではないですか」とうれしくなりますね。
◆にんじんのしっぽ◆ 水谷章三 著
むかし、けちなばあさんが、じいさんと隣同士に住んでいました。じいさんが風邪を引き、薬にんじんを分けてくれと頼むと、一本あげるのを惜しみ、細いにんじんを半分に折り、曲がったしっぽのところを、あげたのです。じいさんの風邪は治りました。その後しばらくして、ばあさんは死にましたが、行き先は地獄です。
釜に投げこまれ、首だけ出して苦しみ、もがいていた時、天の神さまが、雲に乗り通りかかったので、助けてくれと大騒ぎをしたのです。その声が神さまの耳に届き、何か方法はないかと、使いの者を閻魔大王のもとへ走らせたのでした。困ったのは、大王です。ばあさんは、何も善いことをしていないからです。閻魔台帳を見ていると、やっと見つかったのは、隣のじいさんに、薬にんじんをあげたことでした。大王は鬼に言いつけ、薬にんじんのしっぽを、使いの者に渡しました。
神さまは、「お前が人助けをした、にんじんのしっぽだ。これにつかまって上がれ」と釜の上に降ろしたのです。それにつかまったばあさんを、神さまが引き上げはじめました。釜から二本の足が出ると、右足に一人、左足に一人、亡者が飛びついたのです。すると、四本の足に一人ずつ飛びつき、八本の足となり、十六人、三十二人と亡者が飛びつきます。ばあさんは、かなり上まで来たと思い下を見ると、足の下に亡者がつながっているではありませんか。にんじんが切れてしまうと、ばあさんが足をこねまわしたからたまりません。取りついていた亡者どもは、地獄の釜に落ちてしまいました。ばあさん一人になり、天国に上れると思ったのですが、あと一息のところで、しっぽは切れ、ばあさんも地獄に戻ってしまったのです。そして、「人のこと、降り落とさねばよかったってか、どうかな」と、つぶやいたのでした。
九月のはなし きのこばけもの 松谷みよ子/吉沢和生・監修
日本民話の会・編 国土社 刊
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」と違うのは、ばあさんの最後の一言でしょう。お釈迦さまが、カン陀多(カンダタ)の無慈悲な心を哀れんだのに対して、このばあさんの一声は、「人のこと、降り落とさねばよかったのではないのかだって、どうかな。そんなことはわからないよ」と、ばあさん本人に言わせているところがいいですね。後悔しないで開き直っています。昔話は、その時代に生きた庶民の息吹を感じることができます。この話も意味深長ではないでしょうか。
人生を達観している気がします。。
最後に、うなぎに関した面白い話があるのですが、インターネットで検索しても見つかりません。寺村輝夫氏の「とんち話・むかし話シリーズ」の「わらいばなし編」(あかね書房 刊)ではないかと思います。題もうろ覚えで間違っているかもしれませんが、こういった話です。
◆においの値段◆
うなぎ屋さんの店の前に、舌を出すのもいやな、けちべえさんが住んでいました。昼時になると、けちべえさんは、お茶碗にご飯をいっぱいつめ、家の窓をあけ、うなぎの焼ける匂いをかぎながら、美味そうにご飯を食べるのでした。
うなぎ屋さんはこれがしゃくで、何とかお金を取れないものかと考えていたのです。
うなぎ屋さんはこれがしゃくで、何とかお金を取れないものかと考えていたのです。
ある日のこと、請求書を持って、けちべえさんの家に行ったのでした。
「けちべえさん、あなたは、毎日、お昼になると、うなぎの匂いをかいで、ご飯を食べていますが、うなぎはただではありません。匂い代を払ってくれませんか」
「ああ、いいですよ。毎日、ご馳走になっていますから」
といって、けちべえさんは、奥にいって、何と財布を持って出てきたではありませんか。
「いくらですかな?」
驚いたのはうなぎ屋さんです。 けちべえさんが、お金を払ってくれるなど、信じられなかったからです。
「1月分ですから、ちょうど○○です」
「おや、安いものですな。じゃ、払いますよ」
といって、お金を床に投げ出したのでした。チャリン、チャリンと音を立てたのを聞いたけちべえさんは、
「私は、匂いだけをかぎましたから、お前さんにもお金の音だけで払ってあげましょう」
といって、お金を拾い、さっさと奥に入ってしまったのでした。
落語にも同じ話があったと記憶しています。これは、とんち話ですから、子ども達の方が知っているかもしれません。
(次回は「終戦記念日、このことです」についてお話しましょう)
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2024年7月 4日 01:06
2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第9章(3)七夕祭りでしょう 文月
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「めぇでる教育研究所」発行
2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第34号-
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第9章(3) 七夕祭りでしょう 文 月
★★お盆って何の日、ご冗談を★★
人間は死ぬと仏様になり、その仏様をお迎えする行事をお盆だと思っていましたが、少し違うようでした。「盆と正月が一緒に来たような忙しさ」といいますが、これは1年を半期ずつに分けた前期の始まりが正月で、後期の始まりがお盆だから、こういう使い方をするのです。
正月に、日頃お世話になった人々のところへ感謝と新たな年を迎えるにあたっての抱負を胸に、年始まわりするのと同じように、盆には健在な親、仲人、師などの親方筋を訪問し、心のこもった贈り物をする、盆礼という習慣があった。(中略)盆は満月の日、7月15日である。それが仏教の説く盂蘭盆会(うらぼんえ)と一致し、仏教国家として次第に民衆の間に浸透し、(中略)盆は7月15日の中元に吸収され、「盆と正月」は「盆暮」と姿を変えたのである。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P149)
日本に伝えられた盂蘭盆会は、推古天皇14年(606年)に初めて催され、聖武天皇天平5年 (733年)より、年中行事になったそうです。「盆と正月」が「盆暮」と言葉を変えたのは、1年を半期ずつに分けた前期の終わりを盆、後期の終わりを暮というようになったからです。それで盆は中元を、暮は歳末を意味するようになり、盆にはお中元を、暮にはお歳暮を、お世話になっている人に感謝の気持ちをこめて、贈り物をするようになったのです。
また、お正月に「お年玉」があるのと同様、お盆にも「お盆玉」があるのをご存じでしたか。江戸時代、山形県の風習がはじまりとか。
文具メーカーから盆玉のポチ袋が発売されたり、日本郵便からも「お盆玉袋」が発売されたりもしていたようです。
★★お盆の風物詩★★
お盆には、7月15日を中心に祖先の霊を迎えて送る行事、精霊祭(しょうりょうまつり)があります。
13日に迎え火をたきますが、これは仏様が、おがら(あさの皮をはぎ取った茎のこと)を折って、たいた煙に乗り、盆灯篭(ぼんどうろう)の明かりを頼りに家に帰ってくるからだそうです。おがらの足をつけたきゅうりの馬となすの牛を内向きに並べて飾るのは、仏様は、馬に乗り、荷物を牛に背負わせて帰ってくるといわれているからです。迷子にならないように、きちんとお迎えをする意味でしょう。私のように、そそっかしい仏様もいるはずですから。
仏様を祭る棚を盆棚(精霊棚)といって、そこに真菰(まこも)を敷き、ほおずき、ききょう、おみなえし、はぎ、山ゆりなどの秋の花を飾ります。こうして久しぶりに帰ってきた仏様は、真菰にお座りになり、それを家族みんなで慰めるということでしょう。お供えは、畑でとれたものや、仏様が生きていたときに好きだった食べ物も供えます。私でしたら「越乃寒梅」(幻の銘酒といわれていた新潟の酒)を1合だけ、お願いしたいものです。
そして、懐かしい自分の家で過ごした仏様は、7月16日には、お帰りになります。これが送り火で、きゅうりの馬となすの牛は、今度は外向きに並べて、送り出すことになりますが、これも間違いなく彼岸の方へ帰ってもらうためでしょう。
広島の灯篭流しのように、送り火を小さな船に乗せて、お供え物と一緒に、川へ流すこともあります。また、地方によっては、美しく飾られた精霊船に、仏様に供えたものを乗せて、灯火をつけ、経文や屋号を書いたのぼりを立てるところもあります。
送り火で有名なのが、京都の「大文字焼き」で、8月16日に行われていますが、これは8月15日を旧盆として祭る風習が、残っているからです。7月の京都は、まだ梅雨明け前です。しとしと降る梅雨空に、大文字焼きは映りがよくありません。やはり、しっかりと暑い8月だからこそ、風情があります。何やら風鈴の涼しげな音と、蚊取り線香の匂い漂ってくる、そんな感じがしませんか。
まだ、あります。盆踊りです。
これも、仏様を迎え、慰め、そして来年も間違いなく来てくださいと、送るために捧げられたもので、中央のやぐらのまわりを輪になり、鉦(しょう)と太鼓と笛に合わせて踊ったのです。今では、地域のコミュニケーションの場となり、夏に欠かせないイベントの1つになっていますね。親子で「ドラえもん音頭」に合わせて踊られてはいかがでしょうか。
「やっとさー!」の掛け声も楽しい徳島の阿波踊りは、ものすごい迫力で、夏の風物詩に欠かせません。東京の山の手、高円寺の阿波踊り、今ではすっかり定着して名物になっていますが、何だかおかしな気がしないでもありません。
しかし、下町の浅草では、ブラジル生まれのサンバ大会をやっていますから、おかしくないのでしょう。本場のブラジルから応援にきている女性軍団の踊り、リオのカーニバルのものすごさを想像させてくれます。
★★お神輿と山車の違い★★
浅草といえば「三社祭」、浅草寺の境内は、神輿(みこし)を担ぐ人で、ごった返します。威勢よく担ぐ神輿は、上下左右に激しくゆれ、よくぞ怪我人が出ないものだと心配になるほど殺気だち、恐いほどです。
この神輿のいわれですが、時代劇でよく見かけるように、昔、身分の高い人は、輿(こし)といわれた台に乗り出かけていました。神輿は、つまり、「神の輿」であって、神様の乗り物なのです。そして、お乗りになっている神様は、激しくゆさぶられるのが大好きで、激しければ激しいほどご機嫌になるといわれ、そのために、元気よく担ぐのだそうです。
山車は、祇園祭などでお馴染みですが、四月の桜の時に紹介しましたように、神様は、冬になると山に帰り、春になると下りてくると信じられていました。
お祭りには、神様が必要ですから、来ていただくために、お迎えするための乗り物が必要だったわけです。そのため、祭りには移動式の山が作られたのです。これさえあれば、祭りに神さまを招くことができると考えられていました。その後、形が変わり「山車(だし)」になっても、山の字が残ったのです。
(心を育てる 子ども歳時記12か月 監修 橋本裕之 講談社 刊 P66)
ところで、神様にも悪い神様がいたそうです。
夏祭りの神様は悪い神様で、病気や飢饉などを起こさないように、神輿を激しく揺さぶり、ご機嫌を取って、山に帰ってもらい、災いを未然に防ぐ、昔の人の知恵だったのです。日本の三大祭といえば、東京の神田祭、大阪の天神祭、コンチキチンコンチキチンのお囃子でおなじみの京都の祇園祭ですが、祇園祭の主役である牛頭(ごず)大王は、地獄にいるという牛頭人身の獄卒で、有名な悪い神様だそうです。
★★なぜ、土用の丑の日に、うなぎを食べるのですか★★
「土用」というのは、何も夏だけではありません。
「節分」と一緒で年に4回あります。前にもお話したと思いますが、立春、立夏、立秋、立冬はそれぞれの季節の始まりです。そして、それぞれの前の18日間を「土用」といい、その最初の日を「土用の入り」といいます。土用は、四季、それぞれにあるのですが、なぜか夏の土用だけが有名です。しかし、なぜ「丑の日」というのでしょうか。それは、それぞれの日にちには、正月で取り上げた「十二支」の動物の名前がついているからです。それで、夏の土用の内にやってくる丑の日のことを「土用の丑の日」といいます。
ご存知のように、この日は夏ばてしないように、良質のたんぱく質、脂肪、ビタミン、カルシュウム、鉄、亜鉛、DHA、ミネラル類などを含む、栄養のバランスのすぐれたうなぎを食べる習慣がありますが、何とその歴史は古く、何しろ「万葉集」の大伴家持の歌に、「夏バテに効果がある」と詠われています。
奈良時代から、この日は、うなぎにとって、まさに受難の日であったわけです。
しかし、なぜ「土用の丑の日」に、うなぎなのでしょうか。丑の日ですから、ステーキとか焼肉という感じがしますが、江戸時代ですから、まだ、牛肉は無理でしょう。
事の起こりは、江戸時代の学者、平賀源内が、うなぎ屋の宣伝をしたのが始まりといわれ、そのコピーは、「土用の丑の日はうなぎの日」だったそうです。
源内は、起電気であるエレキテルを完成させたことで知られていますが、その他、本草学者(薬用に重点をおいて、植物や自然物を研究した中国古来の学問)、劇作家、発明家、科学者、陶芸家、画家、工学者として一流でしたから驚きです。非常に多才な方で、まさに江戸のレオナルド・ダ・ヴィンチ的な存在であったわけです。
ところで、江戸時代は4本足の獣を食べなかったのですが、「うさぎは、ぴょん、ぴょん飛ぶから、あれは鳥だ!」といって食べていたのです。ですから、うさぎは1羽、2羽と数え、それが今も残っているのですが、子どもたちには、よく理解できない数え方になっています。哺乳類を食べることを禁じていた仏教の影響でしょうが、とんだところで、子どもたちを悩ませているようです。
この数詞ですが、日本語は難しいですね。1本、2本、3本、1匹、2匹、3匹とふえるに従い読み方が違い、4本、4匹以下が、また違いますし、花にしても、1本、1輪、1束、1鉢、1株などと分けて使っていますから、外国の方には、魔法のように思えるようです。それだけ、物に関する感性が、繊細だということですね。
最後に蛇足ですが、天然うなぎの旬は、産卵前の秋から冬にかけての時期で、「秋の下りうなぎ」といわれているそうです。そういえば、下り鰹(戻り鰹)も脂がのり美味しいですね。
(次回は「7月に読んであげたい本」についてお話しましょう)
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2024年6月27日 01:06
2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第9章(2)七夕祭りでしょう 文月
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「めぇでる教育研究所」発行
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豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第33号-
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第9章(2) 七夕祭りでしょう 文 月
★★なぜ、仙台の七夕は、8月なのですか★★
七夕といえば、子ども達には待ちかねているのは夏祭りではないでしょうか。
以前のように祭りを存分に楽しめる日が一日でも早く戻ることを祈ってやみません。
それはともかくとして、仙台の七夕は、8月に行われています。竿燈とねぶたを合わせて、東北の三大夏祭りですから、華やかです。何しろ街中が、七夕の飾りで埋まっている感じがします。しかし、素朴な疑問ですが、何だかおかしくありませんか。七夕は、五節句の一つ「七夕」(しちせき)ですから、七月七日と、七が二つ重なるところに意味があるのではなかったでしょうか。
七夕を「たなばた」と読むのはなぜだろう。「たな」は棚で、「はた」は機である。7月7日の夜、遠来のまれびと・神を迎えるために水上に棚作りして、聖なる乙女が機を織る行事があり、その乙女を棚機女(たなばたつめ)、または乙棚機(おとたなばた)といった。「七月七日の夕べの行事」であったために「たなばた」に「七夕」の字を当てたのである。萬葉集には七夕は織女と書かれているが、新古今和歌集では七夕となっている。
「七夕」の字は平安時代に当てられたものであることがわかる。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P121-122)
永田先生のご指摘では、仙台の七夕は「八夕」になります、何と読むのでしょうか。冗談はさておき、これも訳ありなのです。
年中行事は、日本で最後に使われた太陰太陽暦である天保暦で行われています。
現在、使われている暦は、明治6年から採用された太陽暦、グレゴリオ暦です。
この天保暦とグレゴリオ暦との日付の差が、最小21日から最大50日あって、平均すると35日、グレゴリオ暦の方が進んでいます。
ですから、天保暦による旧7月7日は、現在の8月12日前後になるわけです。
そうすると、七夕は真夏の行事になります。ところが、天保暦によると、暦の上では7月から秋、立秋です。七夕が過ぎると、秋風の吹く処暑です。
太陰太陽暦では、暦の上の月日と季節感と食い違いを起こすので、暦の月日とは別に、農作業に必要な季節の標準を示したのが、二十四節気だったことを思い出してください。仙台の七夕は、旧七夕に近い8月7日に行われ、盛夏の行事になっていますが、天保暦に従った「ひと月遅れの七夕」で、旧七夕ということではありません。
たとえば8月12日に旧七夕だとして、8月12日に七夕の行事を行うのは、どうもしっくり来ない。七夕は七月七日という「七」に意味があるのであって、8月7日ならば一ヶ月延ばして行うという感覚が働いて、何となく旧暦という言葉のなかに埋め込んでしまえばわからぬながら納得しようというものであろう。(中略)平均35日進んでいる現行暦を30日戻すことになるから、季節感としての行事は5日進んでいると考えればよいわけである。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P134)
しかし、正月と盆の帰省ラッシュ、故郷にあるご先祖のお墓参り、何となく旧盆という感覚がありませんか。東北の三大祭りとして親しまれている行事ですから、それで不都合はないのでしょう。
子ども達も、夏休みです。大人も休みをとって、お子さんと一緒にリフレッシュする、もう夏の風物詩になっています。
ところで、この七夕のときに、雲一つない空を見上げて、天の川に感激した記憶が、ほとんどありません。日本列島は、梅雨の真最中です。天保暦を使っていた時代の人々は、大気汚染もなく、電気もありませんから、それこそ夜は、漆黒の闇です。澄み切った夜空に浮かぶ天の川をはさんだ2つの星を、見ていたのでしょう。
現代では、プラネタリウムで、完璧に再現された人工の天の川を見ることができますが、どちらに夢があるかは聞かずもがな、ですね。
★★そうめんと冷麦はどこが違うの★★
夏の風物詩の流しそうめん、何と、そうめんの1本1本が、機をおる織糸で、流れる様子は天の川を表しているそうです。江戸時代の「日本歳時記」には、七夕に索麺(そうめん)を食べる習慣があり、その由来は、中国の伝説によると記されています。何事も、訳ありなのですね。年越しそばのところで触れましたが、そばと薬味のねぎは、因果関係がありました。淡泊な口触りのそうめんには、生姜(しょうが)や茗荷(みょうが)の芳香が涼を誘い、食欲がますような気がします。
この茗荷には、おもしろい話が残っています。
お釈迦様の弟子に周梨般特(しゅりはんどく)という掃除をしながら悟りを開いたお坊さんがいました。聡明でしたが、物覚えが悪くて、朝聞いたことも夜になると忘れてしまう有様でした。その上、自分の名前も覚えられず、名前を背中に荷(にな)い、人に名前を聞かれると背中を指差し教えるほどでした。
彼の死後、墓から名前のわからない草が生えてきました。周梨槃特のお墓から生えてきたので、いつとはなしにその草を「茗荷」(名を荷う)と呼ぶようになりました。
茗荷を食べると、物忘れがひどく馬鹿になると言われるのも周梨槃特の逸話からきたものです。
(https://yakushiji.or.jp/column/20211018/ から要約)
「名前を荷う」から「茗荷」とは、しゃれた名前を付けたものですね。物忘れが激しくなることはありません、俗説です。この俗説を利用して、泊まっている金持ちから預かったお金を忘れさせようと、茗荷をたくさん食べさせるのですが、その効果がまったくなく、逆に宿泊料を貰うのを忘れてしまったという、落語のような昔話があります。
そういえば、東京メトロ丸ノ内線に「茗荷谷駅」がありますが、江戸時代には、たくさんの茗荷畑があったそうです。
ところで、そうめんといえば冷麦を連想しますが、どこが違うのでしょうか。
太さの違いと思っていましたら、そんな単純なことではありませんでした。困ったときの広辞苑によると、「冷麦は、細打ちにしたうどんを茹でて冷水でひやし、汁を付けて食べるもの」「素麺は、小麦粉に食塩水を加えてこね、これに植物油を塗り細く引き伸ばし、日光にさらして乾した食品。茹でまたは煮込んで食する」と製法の違いがありますが、うどんの仲間なのですね。うどんの乾麺には、そうめんと同じように植物油が塗られています。
でも、太さにこだわりますが、「なぜ、素麺は細いのかを正したい!」などと意気込むほどのことではないでしょうが、JAS(日本農林規格)には、きちんと、その違いがでているのには驚きました。
「切り口の直径が1.3ミリメートルより太いものが冷麦、それ未満の物が素麺」となっています。切り口は、そうめんは丸く、冷麦は角っぽく見えます。ちなみに1.7ミリメートル以上はうどんだそうです。
もう一つの疑問、冷麦には、なぜ、色のついた麺が入っているのでしょうか。
実は、食感だけではなく、見た目にも涼しさ、さわやかさを感じて食べて頂くために、数本ずつ色麺を入れているそうです。
★★七夕は、お盆の始まりの日です★★
七夕というと、何やら願い事をし、豪華な飾りものを楽しむ観光イベントという感じになっているようですが、本来は、7月は、正月と同じで、ご先祖様が帰ってくるお盆の月なのです。
7月7日を「七日盆」といって、お盆の始まりの日です。
七夕は盆の行事の一環として、先祖の霊を祭る前の禊(みそぎ)の行事であった。人里離れた水辺の機屋に神の嫁となる乙女が神を祭って一夜を過ごし、翌日に七夕送りをして、穢れを神に託して持ち去ってもらうための祓えの行事であった。盆に先立つ、物忌みのための祓えであった。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P122)
それと同時に、七夕は、畑作物の収穫祭のイベントでもあったのです。何といっても日本は、自然まかせの農耕民族で、いたる所に神さまがいます。収穫祭は、神さまへの感謝のお祭りでした。
まだ、麦を中心としてあわ、ひえ、芋、豆が主食の時代ですから、麦の実りを祝って、きゅうり、なす、みょうがなどの成熟を神さまに感謝したのです。この時に人々は、神さまの乗り物として、きゅうりで作った馬、なすで作った牛をお供えしました。それがお盆の行事の盆飾りとして、ご先祖さまの乗るきゅうりの馬と、なすの牛に引き継がれているのです。
先程の引用に「みそぎ(禊)」と「はらえ(祓え)」が出てきましたが、「みそぎ」とは、「身滌(禊)」の略されたものといわれ、身に罪や穢(けが)れがあるときや、神さまにお祈りするときに、川や海で身を洗い清め取り除くことで、「はらえ」は、神さまに祈って罪や穢れ、災いなどを除き去ることで、神社で行われ「おはらい」です。本質的には同じことで、「みそぎはらえ」ともいわれているようです。
ところで、「お払い箱にする」という言葉がありますが、そのいわれはこれで、伊勢神宮が全国の信者に配っていた厄除けのお札を入れた箱を「御祓箱」といって、毎年、お札を新しく替えることから、「祓い」と「払い」をかけ、古いものを捨てることを「お払い箱にする」といったそうです。何事も訳ありなのですね。
(次回は「お盆って何の日ですか、ご冗談を」などについてお話しましょう)
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2024年6月20日 01:06
2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第9章(1)七夕祭りでしょう 文月
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第9章(1) 七夕祭りでしょう 文 月
物の本によると、文月(ふみづき)のいわれは、七夕の短冊に、字がうまくなるようにと書いてお願いをすることから文月になった、といわれているようですが、七夕は、日本で始まったものではなく、中国から伝わってきた行事ですから、これはおかしいとして、稲の「穂含月(ほふみづき)」「含月」からとする説もあるそうです。
★★何といっても七夕祭り★★
7月といえば、何といっても七夕祭りでしょう。
たなばたさま
作詞 林 柳波 作曲 下総 皖一
一、笹の葉さらさら 二、五色の短冊
軒端にゆれる 私が書いた
お星さまきらきら お星さまきらきら
金銀砂子 空から見てる
何とものどかで、暑さも吹き飛び、夜空が浮かんできますね。
しかし、今はどうでしょうか。都会では、天の川も、逢瀬を楽しむ彦星も織姫星も、よく見えません。
明かりのせいでしょう。プラネタリウムで見ると、あまりに鮮やかすぎて、イメージが壊れそうですね。七夕は、古来、多くの人々に夢を与え続けた祭りの一つです。万葉集の中にも、星祭りとして七夕を詠んだ歌が残されています。
かの、紀貫之も一首、『新古今和歌集』に詠んでいます。
七夕は 今や別るる 天の川 川霧立ちて 千鳥鳴くなり
「川霧立ちて 千鳥鳴くなり」、千鳥が鳴くのを、別れを惜しむ織姫の忍び泣きと詠ったものでしょう。しかし、紀貫之が生きていた時代の田園風景を再現するのは無理でしょうが、残された和歌の世界で味わえるのは、やはり素晴らしいことで、大切な文化遺産です。
「幾星霜」とはいささか大げさですが、年月を刻んで受け継がれてきた文化は、遺伝子として心の中に組み込まれているようで、日本人には和歌や俳句を作ることもその一つではないでしょうか。
小学生になると、特に教えなくても、「五七五」の俳句を作るのですから。
さて、その七夕ですが、ご家庭で、短冊に願いごとを書いて、笹に飾り、お祝いをしているでしょうか。
30号で紹介しました「季節のことば36選」でも、七夕祭りは選ばれていませんでしたし、幼稚園や保育園、小学校での夏のイベントになってしまったようです。それはさておき、七夕祭りの事の起こりは、中国の星の伝説でおなじみの「織姫と彦星」の話です。
★★七夕のルーツ★★
中国の歳時記に、こういう話が残されているそうです。
天の川の東に織女が住んでいた。天帝の子である。いつも機織りをして、鮮やかな天衣を織りなした。天帝が独身であるのをかわいそうに思って、天の川の西に住んでいる彦星と結婚することを許した。しかし結婚した後は、機織りをしないので、天帝は怒って二人を別れさせ、天の川の西と東に帰らせた。ただ7月7日の夜だけ、川を渡って逢うことを許したのである。日本で最もよく知られた七夕の星の物語である。おりひめとひこぼしが愛し合っていながら一年に一度しか会えないという物語が日本人の共感を呼んで、万葉集の時代から「星祭」として、七夕にさまざまな思いを馳せたのである。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P134-124)
天衣は、“あまごろも”、羽衣(はごろも)のことで、日本でもおなじみの天女の証(あかし)です。
「天衣無縫」という四字熟語がありますが、これは、「物事に技巧などの形跡がなく自然なさまをいい、天人・天女の衣には縫い目がまったくないことから、文章や詩歌がわざとらしくなく、自然に作られていて巧みなこと。また、人柄に飾り気がなく、純真で無邪気なさまをいう」(goo辞書より)意味に用いられていますが、語源は「天衣」なんですね。ちなみに英語では、“To be natural and flawless”「自然で完璧」(「故事ことわざ辞典」より)だそうで、類似語は、今でもよく使われている「天真爛漫」です。
ところで、七夕の2つの星、彦星と織姫星は、どんな星でしょうか。
彦星、牽牛星は、鷲座の1等星アルタイルのことで、地球から17光年の彼方にあり、太陽の約10倍の明るさがあります。1光年は、9兆4605億キロで、その17倍です。本当にはるか、はるか、かなたです。アルタイル星の両側にある2つの星を牛に見立てて「牽牛」と名付けたのです。
面白いことに、あの清少納言も「枕草子」に書いています。
星はすばる。ひこぼし。ゆふづつ。よばいぼし、すこしおかし。
おだになからましかば、まいて」
(第二百三十九段 角川文庫 下巻 角川書店 刊)
「すばる」は、牡牛座にある星団プレアデスの和名、「ひこぼし」は、牽牛です。「ゆふづつ」は、日没後、すぐに西の空に輝く、宵の明星、金星で、「よばいぼし」は、流れ星のことです。「尾がなければよいのですが」ということでしょうが、尾は流れ星が大気圏に突入して、燃えつきる現象です。さすがの才媛も、まだ、ご存知なかったことでしょうね。
織姫、織女星は、琴座の1等星ベガのことで、地球から25光年離れ、明るさも太陽の40倍以上もある北天第一の星ですが、もう想像外の明るさと距離です。ベガと天の川をはさんだアルタイル星が、天の川の中にある白鳥座のデネブ星とで作るのが、夏の大三角形です。小学校時代に、理科で習ったと思いますが、覚えていますでしょうか。
この2つの星が、7月7日に際立って、美しく輝きます。それを見た昔の人が、天の川にさえぎられているために、1年に1回しか会えない、恋人の話に仕立てたのでしょう。作者は、何ともロマンチストではありませんか。中国生まれの伝説らしく、スケールが大きいですね。
ところで、天の川は、中国や日本の専売特許ではありません。昔から世界中の人々の注目を集めていました。
エジプトでは天のナイル川、インドでは天のガンジス川、中国では銀色の川で銀河と呼びます。ところが、ヨーロッパでは川ではなく道にたとえられ「乳の道(ミルキーウェイ)」と呼ばれています。これはギリシャ神話で、力持ちのヘラクルスが赤ちゃんのとき、お母さんのおっぱいを力強く吸ったため、こぼれてできたといわれているからです。
(心を育てる子ども歳時記12か月 監修 橋本裕之 講談社 刊 P65)
★★なぜ、短冊にお願いごとを書くのでしょう★★
こういうことらしいのです。
中国には「乞巧奠」(きこうでん)といって、星祭りの他に、七夕には、大変、重要な行事があり、こう書いてあるそうです。
「7月7日は牽牛と織女が相会する夜だ。夫人たちは7本の針に5色の糸を通し、庭にむしろをしいて机を出し、酒、肴、果物、菓子を並べて織物が上手になることを祈った」
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P132)
これが、そもそもの始まりらしいのです。
牽牛は、牛飼いで畑仕事をし、織女は、機織りです。そこで、男の人は畑仕事が、女の人は機織りや縫い物が上手にできますようにと、お祈りをするようになったのでしょう。それが、時とともに、織物の切れ端を短冊のように切って、笹の葉につけ、歌にあるように「軒端」に出すようになり、それが、今のように布から紙に変わり、笹竹は長い竹となり、お願いごとも、裁縫や字が上手になることよりも、ピアノが上手く弾けるようになど、願望成就希望達成型に変身したようです。
ところで、なぜ、笹竹なのでしょうか。
笹竹は、日本独自の祭り方で、竹は1日に1メートル伸びるといわれるほど成長が早く、人々は、その秘められたすばらしいエネルギーに願いを托し、天に届くようにと気持ちをこめたのです。
(絵本百科 ぎょうじのゆらい 講談社 刊 P21)
祈るだけではなく、強烈なエネルギーまで取り込んでいるんですね、恐れ入りました。
梅雨に入ります。気温、湿度ともに高くなりますので、体調にはくれぐれも気をつけてください。
(次回は「なぜ、仙台の七夕は、8月なのですか」他についてお話ししましょう)
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2024年6月13日 01:06