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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第12章  神無月、風流です(2)

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第45号-
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第12章  神無月、風流です(2) 
 
 
今でも仏壇と神棚が家の中にあるご家庭もあるのではないでしょうか。
仏壇には先祖のお位牌が、神棚には天照大神のお札が鎮座ましまして、さらに庭には氏神さまを祭った小さな祠があるかもしれません。
仏さまと神さまが同居しているのです。
 
でも、不思議でも何でもないのでしょうね。
生まれた時には、神社へお参りして神さまに報告し、結婚式では、キリストに永遠に愛し合うことを誓い、死して後は、阿弥陀さまのもとでやすらぎを願うことに、何ら不都合を感じないのが、日本人の信仰心ですから。
 
キリスト教やイスラム教のように、唯一つの神を信仰する一神教は、やたらにもめたりしていますが、いろいろな教えや信条などの、よいところを少しずついただきながら、自前の信仰心を作り出し、お互いに仲良くやっていきましょうというのですから、合理的なのかもしれませんね。
 
世界の四大聖人の教え、キリスト教の愛、イスラム教の施し、仏教の慈悲、儒教の仁(相手を思いやる心)を理解しているのも、もしかすると、日本人だけかもしれません。言い過ぎでしょうか。
 
資源の乏しいわが民族が、経済大国に発展したのと同じで、独特の知恵だと思います。日本は文化の吹き溜まりといわれていますが、選択の自由はあるわけで、ただ、ひたすら迎合しているわけではありません。これだけはいえると思います。
 
さて、木がうっそうと茂る伊勢神宮の参道を、玉砂利を踏みしめながら歩くときや、出雲大社の古色蒼然とした社を参拝するときの、何とも表現のしようのない気持ち、荘厳とか厳粛などの言葉では表せない心情、これは、一体、何なのでしょうか。
 
松江の中学の英語の教師であったラフカディオ・ハーン、小泉八雲は、西洋人として初めて出雲大社の昇殿参拝を許されたのですが、その感動をこう述べています。
 
 仏教には百巻に及ぶ教理と、深遠な哲学と、海のような広大な文学がある。
神道には哲学はない。体系的な倫理も、抽象的な教理もない。しかし、まさしく「ない」ことによって、西洋の宗教思想の侵略に対抗できた、東洋のいかなる信仰もなし得なかったことである。
 (神々の国の首都 小泉八雲 著 平川 裕弘 編 講談社学術文庫 刊)
 
寺院に仏像はありますが、神社にはありません。ご神体は、なぜか、1枚の鏡です。にもかかわらず、神社には、「かたじけなさ」に頭を下げざるを得ないものが、確かにあります。「己の姿を映し、襟を正す」、これが日本人の信仰の源ではないでしょうか。
 
「無念無想に低頭できる」とありますが、正式な作法は、「二拝二拍手一拝」で、二度おじぎをし、ポンポンと二度手を打ち、最後にもう一度おじぎをします。出雲大社では4度打ち、伊勢神宮では、何と八開手(やひらで)といって八度打ちますが、参拝した時に伺ったところ、これは神職の方がなさることで、一般の方は「二拝二拍手一拝」でいいそうです。これは、神さまとご対面させていただくための儀式でしょうが、柏手を打つのは、日本だけだといわれています。
 
また、神社の参道には玉砂利が敷かれていますが、昔は、川で体を清めてから参拝した名残で、玉砂利は川を表しているそうです。その参道も、真ん中を「正中(せいちゅう)」といい神さまの通り道で、人間は左右の端を歩くのが正しいとされているそうです。
 
まったくの蛇足ですが、「私は無信仰です」などと平気で言う方がいますが、れは外国人と話すときには注意が必要です。無信仰とは、「私は平気で人を殺せます」というのと同じだそうです。
 
 
 
★★酉の市★★
 
「酉の市、11月ではありませんか?」と言われそうですが、何でもありの歳時記です。
 
酉の市は、何と日本誕生と深い関係があるのです。日本誕生となると、どうしても神話の世界に入っていかなければなりません。戦後、神話のすべては作り事と否定され、神代に関する「おとぎ話」さえ、子ども達の周りから消えてしまいました。ここで紹介する神話は、古事記(講談社学術文庫 刊)から要約したもので、神話の真偽はともかくとして、「おとぎ話」としてお読みください。僭越な話ですが、神さま方のお名前は読みやすくするためにカタカナで表記しました。
 
◆イザナギノミコトとイザナミノミコト◆
イザナギノミコトとイザナミノミコトは、神さまから授かった天沼矛(アマノヌボコ)を、雲の上の天の浮き橋からさし降ろし、海の水をかきまぜ引き上げました。すると、矛先から落ちた海水が固まってオノゴロジマができ、島に下りた二人が結婚し、大小八つの島、大八洲国(おおやしまのくに)を生み、日本列島が出来たのです。そして、岩や土、砂、風、海、川、水、山、船、穀物の神さまを生みますが、最後に火の神さまを生んだのが原因で、イザナミノミコトは亡くなります。
 
◆黄泉(よみ)の国の話◆
イザナギは黄泉の国を訪ね、国造りは終わっていないので現生に戻ってくれとイザナミに頼みます。ところが、イザナミの体にうじがわき、8匹の鬼が生まれるのを見て逃げ出したのです。姿を見られたイザナミは、恥をかかせたと怒り、黄泉の国の醜女(しこめ)に後を追わせます。最後に、イザナミ自身が追いかけてきて、黄泉の国とこの世を結ぶ岩をはさみ、夫婦別離の宣言をします。
イザナミは「いとしいわが君が、こんなことをするなら、あなたの国の人々を一日千人絞め殺しましょう」といい、「あなたがそうするなら、私は一日に千五百の産屋を建てよう」とイザナギはいい、この時から地上では一日千人の人が死に、千五百人が生まれることになったのでした。
 
醜女をやっつけるために桃を3個投げたと書かれていますが、桃太郎で紹介したように、桃は神話の世界でも、何やら神秘的な果物なんですね。また、ギリシャ神話にもそっくりな話があります。黄泉の国から脱出する際に、「振り向かないで!」という約束を破り、振り向いたためにご破算になる結末も同じです。
 
◆アマテラスオオミカミ◆
黄泉の国から逃げてきたイザナギは、身を清めるために体を洗い、いろいろな神さまを生んだのちに、左目を洗うと高天原(たかまがはら)を治めるアマテラスオオミカミが、右目を洗うと夜の国を治めるツクヨミノミコト、鼻を洗うと海原を治めるスサノウノミコトが生まれたのです。アマテラスオオミカミ、ツクヨミノミコト、スサノウノミコトは、禊(みそぎ)から誕生しました。
 
◆天の岩戸の伝説◆
スサノウは、海原を治める仕事をせず、母のイザナミのいる黄泉の国へ行きたいと、泣きわめいては乱暴を働くので、イザナギはひどく怒り追放します。アマテラスオオミカミに話してから、根の国へ行くことになったのですが、スサノウはここでも乱暴なふるまいをし、皮をはいだ馬の死骸を機織り小屋へ投げ込み、機織り娘にけがをさせ死んでしまいます。怒ったアマテラスは、天の岩屋に閉じこもり、この世は真っ暗闇になり、悪い神さまが悪事を働き、病気も広がりました。相談をした八百万の神さまは、岩戸の前でお祭り騒ぎを始めたのです。「私が姿を隠し世の中が暗くなっているのに、何を楽しそうに騒いでいるのだろう」と岩戸を少し開けた時、力持ちの神さまタジカラオが、岩戸をひきはがし、再び世界は明るくなったのでした。投げ飛ばされた岩は、信濃の戸隠山となったということです。
 
この天の岩戸の前で舞われた時、弦という楽器を演奏した神さまがおられ、岩戸が開いた時に、その弦の先に鷲(おおとり)が止まったのです。
 
神さま達は、世の中を明るくする瑞兆、よいしるしを現した鳥だとお喜びになり、以来、この神さまは、鷲の一字を入れ、鷲大明神、天日鷲命(アマノヒワシノミコト)と称されるようになったのです。このアマノヒワシノミコトが、諸国の土地を開き、開運、殖産、商売繁盛に御神徳の高い神さまとして、当地、浅草にお祀りされたのでした。
 
後に、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が、東夷征伐の際に社に立ち寄られ戦勝を祈願し、志を遂げての帰途、社前の松に武具の「熊手」をかけ勝ち戦を祝い、お礼参りをされました。その日が11月酉の日であったので、この日を鷲神社例祭日と定めたのが酉の祭り、「酉の市」です。この故事により日本武尊が併せて祀られ、ご神祭の一柱となりました。(「鷲神社 後由緒」より)
 
また、こういう説もあります。
 
鷲神社は、もともとは、大阪府堺市の大鳥神社が本社で、大鳥の起源は、日本武尊の魂が白鳥になって、陵(みささぎ 貴人の墓)から飛び立ったという伝説によるものと言われています。
[子どもに伝えたい年中行事・記念日 P98 
萌文書林 編集部編 刊]
 
酉の市は、「お酉さま」の名前で親しまれており、境内では福をかき集める縁起物の熊手が、威勢のいい掛け声と共に売られ、冬の到来を告げる風物詩ともなっています。何事も訳ありですが、酉の市の由緒が、神代の時代までさかのぼるとは驚きです。日本武尊の武具であった熊手が、開運、商売繁盛のお守りになったとは。。。
 
熊手は、時代と共に形も飾り物も変わり、江戸中期より天保初年頃までは、柄の長い実用品の熊手に、おかめの面と四手(しめ縄についている細く切った紙)をつけたのだそうです。その後に、いろいろな縁起物をつけ、今のようなおかめや宝船、千両箱、大判小判などの紙を張り付け種類も多くなり、その年の流行を入れた熊手も話題を集めています。
江戸時代の頃は、商人や庶民の信仰の対象となっただけではなく、お武家さんにも空高く舞い上がる鷲を出世のシンボルとしてあがめられ、大いに賑わったそうです。
 
 
 
★ハロウィーン★
 
最後に、外国のお祭りを紹介しましょう、10月31日に行われるハロウィーンです。
キリスト教の祝日である「万聖節(ばんせいせつ)」の前夜祭で、秋の収穫を祝い、悪霊を追い出す祭り。
 
当夜には、日本のお盆と同じで親族の霊が各家に帰ってきますが、一緒に悪霊もやってきて悪さをするために、町中でたき火をして追い払ったのでした。紀元前からケルト人が行う宗教行事が、ハロウィーンの始まりといわれているそうです。
アメリカでは、悪霊を追い払うためにカボチャをくり抜いた提灯(ちょうちん)、ジャコランタンを飾り、魔女やお化けなどに仮装した子ども達が、「お菓子をくれないと悪戯をするぞ!」と近所の家を回る楽しいお祭りになっていますが、日本ではどうでしょうか。コロナでの自粛までは、仮装行列など、若者や大人が楽しんでいましたね。
 
※ジャコランタンの由来
 「昔アイルランドに、ジャックという名のケチなずるい男がいた。あまりにも狡猾であったため、ジャックは死んでも天国に入れてもらえず、仕方なく地獄へ向かったが、悪魔に追われて追い返されてしまった。ジャックは悪魔がくれた炭火を、くりぬいたカブに入れ、夜道を照らして歩いた。今でもジャックはそのランタンをもって、あの世とこの世の間をさまよい歩いている」という言い伝えが、ジャコランタンの始まりだそうです。今ではカブの代わりにカボチャを使うようになり、ジャコランタンはハロウィーンのシンボルになりました。(『和のこころ』 日本の年中行事 :So-net ブログより) 
 
当初はカブだったんですね。
トルストイの作品に出てくるような「大きなカブ」でなければ、提灯は無理ですね(笑)。
 
 
   (次回は、10月に読んであげたい本についてお話ししましょう)
 

 
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   2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第46号-
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第12章 日本の神さまでしょう  神無月(3)
 
       
【十月に読んであげたい本】
 
神無月ですから、この話がいいでしょう。舞台は諏訪湖、といえば一大音響とともに湖面にできる氷の山脈「御神渡り(おみわたり)の現象が思い浮かぶのではないでしょうか。寒さで亀裂の生じた氷の隙間から噴き上げた水が凍り、裂けた方向を見て吉凶を占う「御神渡り拝観式」は、約600年の歴史をもつ伝統行事だそうで、昔の人は、本当に驚かれたことだと思います。
その諏訪湖に棲む龍神様の話です。
 
 
◆神在(かみあり)祭りと諏訪の竜神◆  谷 真介 著
 
毎年、旧暦の1月にあたる11月には、全国の神様が出雲の国(島根県)に集まるため、留守になる地方が多く神無月といわれ、反対に全国の神様が集まる出雲は神在月といいます。神様の集まる場所は出雲大社で、八百万の神様が集まります。この集いを「神在祭り」といい、出雲の人々は11月19日から1週間、静かに過ごすことになっていました。ところが、出席しなくてもいい神様がいます。信濃の国(長野県)の諏訪湖にいる竜神様もその一人で、こんな訳があったのです。
ある年のこと、竜神様だけが姿を見せません。待ちくたびれた神様達から文句が出始めると、「夜明けまえからここにいるぞ!」と声がしたので見上げると、天井の梁に身体の太い竜が巻きついていました。「降りてこられよ」というと、「私の体は長く、尻尾は湖畔の松にかかっていて、この社に入るまいが下りて行こう」と言ったのですが、下りてこられては神様の居場所がなくなるし、尾が国にあるならば全体が来るまでに相談は終わるので、「これからは国にいてほしい。決められたことは、こちらから知らせるから」ということになり、竜神様は大喜びして帰ったそうです。神在祭りが始まる夜には、近くの浜に海蛇が押し寄せてきました。これは神様たちの使者である竜蛇様といわれ、頭に「あり」という神様の紋がついていたそうです。
 (日づけのあるお話三百六十五日  11月のむかし話 谷 真介 編著 金星社 刊)
 
出雲大社の神様は、日本にいた神様、大国主命(おおくにぬしのみこと 大黒様)で、伊勢神宮の神様は、高天原から天孫降臨された天照大神です。大国主命は、後から来られた天照大神に国を譲り、その代わりに壮大な神社を出雲に建立してもらったそうです。大黒様が社から出られないように、しめ縄は逆向きに飾り、柏手は4拍手(普通は2拍手、4回は死を意味する)、正面ではなく、右の御座所に左向きに祀られて、参拝者とは正面を向いていないことなどから、怨霊として祟られないように封じ込めた説もあります。
 
 平安時代に源為憲の書いた「口遊“くちずさみ”」に、日本の三大建築を意味する言葉が出ています。“雲太(うんた)、和二(わに)、京三(きょうさん)というのですが、(中略)実際はそうだったかは別にして、そう信じられていたことが重要だと思います。雲太は出雲太郎の略で出雲大社、和二は大和次郎で大和、すなわち奈良にある東大寺の大仏殿、京三は京三郎で京都御所の大極殿です。つまり日本で一番大きいのは出雲大社、次が大仏殿、三番目が京都御所の大極殿というわけです。
 (神道から見たこの国の心 樋口清之 井沢元彦 共著 P109 徳間書房 刊)
 
当時の大仏殿の高さは15丈で、出雲大社は現在の社の2倍の16丈(48m)あったそうで、古代出雲史博物館に復元された模型が展示されていますが、48mの社まで伸びている階段を見た時は魂消(たまげ)ましたね。
 
ところで、出雲大社では、平成25年5月に60年ぶりに「平成の大遷宮」、本殿の修造が終わり「本殿遷座祭」が、10月には伊勢神宮の社殿を作り替える20年に一度の大祭、「式年遷宮」が執り行われました。出雲大社といい伊勢神宮といい、神話の世界が現在まで受け継がれ、日常生活の中に自然と溶け込んでいるのは、世界広しといえども日本だけでしょう。皇紀2674年の時空を経て実現したのが、平成26年10月に行われた高円宮典子さまと出雲大社宮司、千家国麿氏のご成婚。典子さまは天照大神、天孫族の末裔で、国麿氏は国を譲った大国主命を祀る出雲国造(祭祀を司る職)の末裔、国粋主義者ではありませんが、悠久の歴史を感じないわけにはいきませんでした。
 
次は、伊勢神宮の霊験あらたかな話です。
伊勢神宮には、皇室の主神である天照大神が内宮に、外宮には食物を司る神、豊受(とようけ)大神が祀られています。参拝された方はお気づきかと思いますが、神社には必ずあるしめ縄、狛犬、賽銭箱、おみくじなどはありません。
 
しめ縄のない理由は不明。狛犬は江戸時代頃から神社に設置されるようになったもので当時はなかったから。賽銭箱がないのは、神宮の祭儀を主宰するのは天皇陛下であり、天皇以外のお供えは紙幣禁断といって許されていないから。おみくじがないのは、お参りすることが吉日で、おみくじは国の重要な問題を解決するために神さまにお伺いするもので、個人的には吉兆を占うのは憚(はばか)られるという理由だからだそうです。どうしてもおみくじのほしい方は、「おかげ横丁」で買えます。
(伊勢神宮の豆知識 http://matome.naver.jp/odai/2138915798271580401 より要約)
 
 
 
次です。落語にも同じ話があり主人公は犬ですが、この話は猫です。猫というと、妖怪変化など恐ろしい話が多いのですが、昔話だけに、ほのぼののとした構成になっている珍しい話です。
 
◆ねこのよめさま◆   中本 勝則 著
 
むかし、心のやさしい若者がいましたが、貧乏で嫁のきてもありません。ある日、庄屋さまが猫を捨てようとしていたので訳を聞くと、ねずみも取らずに飯ばかり食べる猫だからという。若者は猫を貰い、「たま」と名付け、わずかな食べ物を半分あげかわいがりました。
ある時、若者が畑から帰るとたまが寝ていたので、「留守の間に、そばでも引いてくれ」といってみました。次の日、帰ってくると、うすの取っ手にしっぽを巻きつけ、うすを引いているのです。あんなことをいったので、そばを引いてくれているのかと、そばだんごを作り、たまにも食べさせました。
それから、うすを引くのは、たまの仕事になったのです。
ある晩のこと、「かわいがってもらいましたが、猫のままでは、恩返しができません。お伊勢さまにお参りすれば、人間に変えていただけるそうですから、お暇をください」といったのでした。若者は、それも一理あると考えて、銭を首に結びつけて旅に出したのです。しかし、若者は心配でくわを持つ手にも力が入らず、畑に出る日が少なくなったのでした。                             
それから一年たったある日のこと。若者が畑でぼんやりしていると、若い娘の声が聞こえたではありませんか。何と伊勢参りに行ったたまが、かわいい娘になって帰ってきたのでした。若者は大喜び、娘を嫁にして畑仕事に精を出し、幸せに暮らしたのです。
  十一月のお話 きつねのよめさま 松谷 みよ子/吉沢和夫・監修  日本民話の会・編 国土社 刊 
 
 
池波正太郎氏の「鬼平犯科帳」には、浅草の回向院に建てられた猫塚の話があります。両替屋に飼われていた猫が、小判を盗み出した現場を押さえられ、殺されてしまいます。この猫は両替屋にやってくる魚屋さんから、いつも魚をもらっていました。ところが、魚屋さんが風邪をひいて寝込んでしまい、一人暮らしで薬どころか三度の食事まで事欠く始末だった時、心配した猫が、店から小判三両を盗み出し、魚屋さんへ持っていったことが後でわかったのです。猫の恩返しをした心がわからずに殺されてしまったのを不憫に思い、建てた猫塚だそうです。動物の恩返し、真剣に聞く子ども達の目は、いつも輝いています。
 
ところで、この回向院には、義賊といわれた鼠小僧次郎吉の墓があり、墓石の欠けらを持っていると、「賭け事に勝つ」「運がつく」、受験生などには「するりと入れるご利益がある」といわれ、墓石を欠きとる人が絶えず、現在は墓前に真っ白な「欠き取り用の墓石」が置かれています。インターネットで見ることができますが、次郎吉は今でも有名人なんですね。織田信長父子の供養塔がある京都市の大雲寺には、安土桃山時代の大盗賊、石川五右衛門の墓があり、墓石を削って呑ませると盗癖が治ると信じられ丸くなっているそうで、二人ともお役に立っているようです。
 
 
 
ひな祭りに欠かせないのは桃の花、神さまに捧げる榊(さかき)も訳ありでしょう。少し恐ろしいですが、その言われを残した昔話があります。
      
◆鬼退治◆   おざわ としお 再話
 
むかし、ある村に元気のいい若者がいました。ある時、村に誰も来なくなり、若者は峠に化け物でも出ていると思い、家に伝わるやすりを持って退治に出かけたのです。山道の途中、たき火をしている老人に会いましたが、若者の行く手をじゃまするので腹をたて、けとばしました。すると、「わしには娘が三人いて、威勢のいい若者を婿にしたいと探していたのだ」と言うので若者は承知し、老人の家に行ったのです。立派な家でしたが、若者が門を入ると閉まり、かんぬきの掛かる音がするのです。鬼の家かもしれないと老人についていくと、家の前に二頭の馬がつながれ、裏には人間のしゃれこうべが積まれています。老人は、若者を座敷に招き、三人の娘がもてなしてくれました。夜になると、誰を嫁にするかと言うので末の娘を指名すると、「奥へ行って休みなさい」と娘には赤い星の、若者には白い星の模様の布団を用意したのです。若者は何かあると思い、娘が寝こむと自分の布団を娘にかけ、娘の布団を自分にかけ眠ったふりをしました。真夜中に鬼となった老人は、槍を持って現れ、白い星の模様の布団を刺すと、「料理は明日の朝だ」と戻っていったのです。若者は逃げようとしましたが、戸にはかんぬきがかかり出られません。そこで、やすりでこするとかんぬきは切れ、若者はつないであった馬に乗り逃げたのです。気づいた鬼は馬に乗り追いかけていきました。
倒れていた大木を若者の馬は跳び越えましたが、鬼の馬は大木に足をひっかけ、鬼もろとも下の滝に落ちたのです。倒れていた大木をみると榊でした。
無事に家へ帰った若者は、それから神さまを拝む時には、榊を使うようになったのです。うりや、うんぷんだりょん。
   日本の昔話 5 ねずみのもちつき おざわ としお 再話  赤羽 末吉 画  福音館書店 刊 
 
最後に出てくる「うりや、うんぷんだりょん」は、「これで話は終わり、めでたし、めでたし」という意味で、いろいろなのがあり、「とっぴんぱらりのぷぅ」といった奇妙なものがあったと記憶していますが、地方によって違うようです。
 
 
 
次の話は笑えますね。一休さんをはじめ、和尚さんと小僧さんの話には傑作がそろっています。いわゆる「とんち話」ですが、これも素晴らしい。「山川草木悉皆(しっかい・ことごとく)神性」などと冗談ですが、「至る所に神さまあり」ならではの話です。
 
◆かみがない◆   鶴見 正夫 著
 
むかし、あるお寺の小僧さんが、和尚さんのお供で出かけました。途中まで行くと、小僧さんは小便をしたくなり、道端によって着物の前を広げました。
和尚さんは、「そこには道の神さまがおられるので駄目だ」といいます。小僧さんはこらえました。少し行くと畠があったので飛び込み小便をしようとすると、和尚さんは、「そこには、作物の神さまがおられるから駄目だ」といいます。少し行くと川があったので、川へむかってかけ出しました。すると、「川には、水の神さまがおられるから駄目だ」といいます。どうにも我慢できなくなった小僧さんは、下っ腹を抱えて土手に登りました。そこには地蔵さまがありましたが、構ってはいられません。地蔵さまの前で小便をしようとすると、土手の下から和尚さんは、「駄目だ!」と怒鳴りましたが、小僧さんはもう我慢ができません。すると、何を思ったのか道の方へ向きかえ、着物の前をひろげてシャーと小便を飛ばしました。小便は、土手の下の和尚さんの、つんつるてんの頭にかかりました。「何をするんだ」と和尚さんは、びしょ濡れの頭で怒鳴りました。すると小僧さんは、すました顔でこういったのです。「和尚さんの頭は、つんつるてん。そこには、髪がないからよろしいでしょう」
 とんちでころり 鶴見 正夫・文 ヒサ クニヒコ・絵 ポプラ社 刊 
                    
人間の周りは、神さまだらけを実証した話ですが、落ちの語呂合わせ(神と髪)には、神さまも吹き出すことでしょう。
 
 
 
睦月、如月、弥生と懐かしい陰暦の月の名称が出てきましたが、昔はどんなことをしていたかわかる話があります。「鬼の目玉」(2月)にもありましたが、全部の部屋を説明しませんでしたから、ここで全てを紹介しましょう。
 
◆見るなの座敷◆   浜田 廣介 著
 
むかし、ある村の若者が、庭の梅の木の小枝に足をはさまれていたウグイスを助けたことがありました。秋に若者はキノコを取りに行って迷子となり、ある家の所へ出たので声をかけると、娘が出てきたのです。道を尋ねると方向違いだとわかり、途方に暮れていると、「今晩、ここに泊り、明日、いらっしゃれば」と。喜んだ若者を庭の縁側に招き、「母を呼んでくるので待っていてほしい。しかし、座敷の中を見ないでください」と言って出かけたのです。時間が経ち手持ちぶさたになった若者は、透き間から座敷の中をのぞいてみました。そこは一月の座敷で、床の間に松竹梅の鉢植えと鏡もちが供えられ、子どもが晴れ着をきてすご六遊びをしているのです。不思議に思った若者は、次の座敷をのぞきました。そこは二月の座敷で、稲荷様の初午祭りの様子でした。隣は三月の座敷でひな祭り、次は四月の座敷で花祭り、次は五月の座敷で端午の節句、次は六月の座敷で山開きの日の様子が、次は七月の座敷で七夕祭り、次は八月の座敷でお月見の様子が、次は九月の座敷で豆が実りアワも穂を下げて揺れています。次は十月の座敷、刈り入れ時でお百姓さんの働いている様子が見えるのです。次は十一月の座敷で、枯れ木が目立ち山には雪がかかり寂しい眺めです。最後は十二月の座敷で、人々は正月を迎える支度をしています。一年続きの座敷を見た若者は、元へ戻ろうとしたとき娘が現れたのです。「私は、助けていただいたウグイスです。お礼をしようと思っていましたのに、どうして、のぞきなさったの、見るなの座敷を。ホー、ホケキョ!」と鳴くと、娘も家も庭もなくなり、若者一人が、ぼんやりと林のやぶの中に立っていたのでした。     
   世界民話の旅 9  日本の民話 浜田廣介著 さ・え・ら書房 刊 
 
 
日常生活を快適に過ごすために、やってはいけないことを定め、破ると破局を招く話は、「古事記」に豊玉姫の出産をのぞいたことから離別する神話があるほどで、「他言してもらっては困るのだが」といった約束と同様、守られないようです。「千夜一夜物語」にも同じような話「アジプと40人の美女」があり、部屋は40で「のぞいてはいけません」の約束を破りとんでもない結果になるのですが、好色な話なので割愛します。アラブの世界では40という数は「たくさんある」という意味で使われるそうです。中国では「白髪三千丈」、日本では「八百万」となりますが、ちっちゃな島国にしては何とも大げさな表現で、笑ってしまいますね。
 
「世界民話の旅 9」には「見るなの座敷」の他に28の作品があり、「泣いた赤オニ」の作者、浜田廣介の手になる再話集です。ただし、現在は絶版となっていて気軽に手に取ることができないのが残念です。こういった民話や神話は、私達祖先の精神的な文化遺産です。幼い子どもの情操を培う大切なエッセンスが、こういった昔話ではないでしょうか。
 
子どもは親が解説しなくても、分化されはじめたさまざまな情緒を育みながら、自分なりに解釈し、自分のものにしていきます。そこから幼いなりに自我が芽生え、自立心が育まれます。
 
わが子を溺愛する過保護な育児や、四六時中目を光らせ管理する過干渉な環境からは、情操豊かな子など育ちません。自立心や積極的に取り組む意欲を育てることです。そのためにも、お子さんをじっくり育てるゆとりを持ちましょう。子どもへの保護、干渉は、ほどほどに済ませるべきで、干渉していいのは、しつけです。「他人に迷惑をかけない」は共生の掟で、教えるのはご両親です。
 
例えば、携帯電話やスマートホンの使い方を見るにつけ、しつけが出来ていないと痛感する場面に出くわします。
何でも自分を中心にしか考えず、「思いやる気持ち」が薄れていくそのもとは、幼児期の育児に問題があるのでは、と思います。「褒める時にはやさしく褒め、叱るべき時には厳しく叱る」、これは親の真心であり、子どもにとっては、最高の有難い手本ではないかと考えますが、皆さん方はどうお考えでしょうか。  
 
 
 (次回は、「第13章 七五三でしょうな」についてお話しましょう)
 

 
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第12章 日本の神様でしょう 神無月(1)

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第44号-
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第12章 日本の神様でしょう  神 無 月(1)
 
                              
神無月(かんなづき)は「かみなしづき」とも「かみなづき」ともいわれていますが、そのいわれは、この月には、全国の神さまが出雲大社に集まり、男女の縁結びの相談をすることから、神さまが留守になる「神無い月」というのがわかりやすいですね。反対に、出雲地方では「神在月」となります。
これにも異説があり、「神嘗月(かんなめづき)」「神祭月(かみまつりづき)」という説、おもしろいのには、10月は雷がならなくなるから「雷なし月」というのもあるようです。
 
 
★★神無月、風流です (1)★★ 
 
何だか、おかしなテーマです。
神無月といえば、昔の十月の呼び名ではありませんか。睦月、如月、弥生、卯月、皐月、水無月、文月、葉月、長月、神無月、霜月、そして師匠も忙しく走る師走ですが、何やら情緒があります。弥生賞、皐月賞というと、競馬の好きな方には、おなじみでしょう。今まで紹介してきましたように、どの月も季節感があります。詩情豊かで、こたえられません。1月、2月、3月よりも、睦月、如月、弥生といった方が、何やら、雅やかな感じがしないでしょうか。
 
その一つの神無月。
 
先程もお話しましたが、読んで字のごとく「神さまのいない月」です。とにかく、日本人ほど、神さまの好きな民族は、いないのではないでしょうか。「八百万の神」といって、何しろ八百万人、いや、神さまは人ではありませんから、八百万の神さまです。「やおよろずの神」と読みますが、八百万の神さまがいるわけではなく、たくさんいらっしゃるという意味でしょう。それにしても豪勢ではありませんか。
 
若いお父さんやお母さん方には、あまり縁がないかもしれませんが、一軒の家の中にもいろいろな神さまが住んでいらっしゃったのです。「いらっしゃった」と過去形になっているのは、最近では、神社にしか神さまはいないと思われているからです。
                                
門には門神さま、家を守ってくれる家神さま、福の神と貧乏神がいらっしゃったそうです。
台所に入ると、ガス、水道、電気のない時代ですから、あちらこちらに神さまがいらっしゃって、火の神さま、水の神さま、かまどの神さま、井戸の神さま、納戸の神さま、便所の神さまが、庭に出れば木の神さま、石の神さま、草の神さま、花の神さま、外には山の神さま、川の神さま、森の神さま、まだいらっしゃいます、日の神さま、雲の神さま、風の神さま、雨の神さま、仏教でいうところの「山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)」をまねると、こんな言葉はないでしょうが、「神が宿る」と解釈して、「山川草木悉皆宿神」でどうでしょうか。(悉皆“しっかい” ことごとく)
とにかく、どこにでも神さまがいらっしゃったわけです。人の集落がある所には、必ず、その土地を守る鎮守さまがあって、人々の生活と密接な関係をもっていました。いろいろと取り上げてきた年中行事にも、こういった神さまが顔を出し、大いに楽しませてくれます。四季折々の大きな祭りから村祭りや、家ごとの祭りまで、主人公は、こういった神さま達です。ある時期まで、日本は農耕社会でした。頼りは、自然ですから、神頼みにならざるをえません。できるだけ災害が起きないように、そして、秋には豊作を願い、神さまにお祈りをしたのも当然なのです。
 
仏教が盛んになった奈良時代に、日本の八百万の神さまは、菩薩さまを始め様々な仏さまが化身して、日本の地に現れたものだと考えた本地垂迹説を唱え、神さまと仏さまを一緒にお祀りしたこともあるのですから、元来争いごとは大嫌いなんですね。仏教興隆に力をつくした聖徳太子の「和を以って貴しと為す」は、神仏の世界まで浸透しているのですから、すごい話ではありませんか。
 
そして、日本の神さまは、他の国の神さまとは違います。昔の神さまは、いってみれば人間と同居していたのです。ですから、願い事は、すごく現実的で、日々の生活に密着していました。しかし、今の神さまは、怒っています。何しろ、困った時だけの神頼みですから。正月にしか顔を見せない人が、多いのではないでしょうか。安いお賽銭で、厚かましく、いろいろと祈願しても、それは無理というものです。(笑)
 
神無月は、その神さま、八百万の神さまが、島根県の出雲大社にお集まりになる月で、盆暮れの民族大移動の比ではありません。何しろ、八百万の神さまですから、スケールが違います。
「神迎祭(かみむかえさい)」といい、集合日は旧暦の10月11日。場所は稲佐浜(いなさのはま)、八百万の神さまは、竜蛇神(りゅうじゃしん)に導かれ、海からお集まりになりまして、出雲大社へ向かわれます。滞在期間は、17日までの7日間。神々のお宿は、境内の東西に並ぶ「十九社」、何とも素朴な建物です。
 
本殿では、11日、15日、17日に「神在り祭(かみありさい)」が行われます。本殿の高さは24メートル、大社造といわれ、わが国、最古の神社建築様式で、神話でおなじみの「だいこくさま」と呼ばれている「大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)」が祀られています。
境内には、古代本殿の跡が発掘されており、何と柱の高さが8メートルもあり、復元図を見ると、古の人々、平安時代の高度な建築技術に、たまげましたね。
驚くついでにもう一つ、拝礼を行う「拝殿」には、長さ7メートル、胴回り4メートル、重さ1.5トンのしめ縄が、デーンと飾ってあります。このしめ縄ですが、普通の神社で飾る向きと逆になっています。(これを覚えておいてください)
 
話題の中心は、何といっても自然災害回避、生産性向上、五穀豊穣、家内安全です。
 
たとえば、雨の神さまには、「えこひいきせずに全国に万遍なく雨を降らせなさい」とか、風の神さまには、「稲が花を咲かせ実をつけるころには、情緒不安定にならないように配慮してほしい」とか、雲の神さまには、「日輪の神さまと仲良くしてほしい」とか、「下野の国の何々村は、信心深いので豊作になるよう心してほしい」などと話し合うのでしょう。
 
次に、何といっても神さまの大切なお仕事は縁結びです。
 
こういうところが好きですね。子孫を残さないと神さまの存在意義がなくなり、寂しいからだと推察します。いろいろな神さまが、適齢期の男女の情報を交換し合い、これがよかろうと縁組を決め、次々と赤いひもを結んでいく、これが「赤い糸」の伝説です。
 
今はキリストの前で、愛を誓う方が多いように感じますが、昔は何といっても神前結婚でした。神さまに、添い遂げることを誓ったのでした。成田離婚(新婚旅行から成田空港へ戻ってきた途端離婚する状態をたとえて表したもの)などという言葉もかつて言われていましたが、赤い糸も頼りなくなり、神さまも首を傾げているのではないでしょうか。何といっても情報過多社会です。もしかしたら、神さま方も混乱しているのではないでしょうか。そういえば、すっかり酔っ払ってしまった神さまが、変な糸の結び方をしてもつれてしまい、三角関係を作ってしまった落語があったと記憶しています。
 
誠に僭越な話ではありますが、普段、神さまは、どうやらお眠りになっていらっしゃるのではないかと思える節があるのです。
 
神前で何かが始まるとき、必ず、大太鼓をドンドンと打ち鳴らし、神主さんも「ゥ…………」と、これまた大音声を発します。仏さまも、鐘や木魚の音がお好きのようです。日本の神さまだけではありません。教会でも、ミサの始まる前に、パイプオルガンをガンガン奏(かな)で、いや、荘厳に演奏し、賛美歌を歌います。いずれも、神さまにお目覚め頂くための儀式ではないかと思えてなりません。
 
ところで、出雲の人々は、逆に「神在月(かみありづき)」ですから大変です。
何しろ八百万の神さまです。この間は、音曲、歌舞のたぐいは、一切禁止。神さまの会議が無事終了するまで、ひたすら静かにひっそりと暮らします。神さまの中には、酔っ払って人に迷惑をかけるお方もいるかもしれません。何しろ日本の神さまは、お酒の上での問題には、実にご寛容です。その証拠に、神事にはお酒を欠かせませんし、神棚にはお神酒を差し上げます。
 
ですから、民話や昔話には、実に傑作な神さまがいらっしゃいます。どう考えても神棚から見下ろしている感じがしません。どこから、こういった発想が出てくるのかと、しみじみ考えさせられる話が、たくさん残っています。夢があるのです。そうです、夢があるんですね。
 
夢や希望をもたせる、これも神さまの大切なお仕事です。
 
そして25日(原文のまま)は、神さまが出雲を去っていく日で、この日を神去日(かんさらび)といい、その夜は明るいうちから戸を閉め、外の便所にもゆかなかったとか。その頃から吹き始める季節風、西南西(あなじ)が、あたかも神さまが道路を駆け去って行く風の音と考えられ、恐ろしさに震えていたそうです。
 (「菜の花の沖 2」P242 司馬遼太郎 著 文春文庫 刊より要約)
 
朝の散歩に出かけると、秋の気配を感じるようになりました。今年はまだ赤とんぼは見ていませんが、コスモスの仲間は咲きはじめました。
 
 
 (次回は、神無月、風流です(2)についてお話しましょう)

 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、制作したものです】
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第11章 お月見です 長月(4)

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第43号-
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第11章  お月見です   長 月 4
 
 
【九月に読んであげたい本】
 
なぜ、お月さまに、うさぎが住むようになったか、そのいわれを伝える話があります。主役は、あの良寛さんです。原作は、良寛さんの略歴や性格などの説明がありますが、ここでは、月とうさぎということで省略しました。
 
 ◆良寛と月とうさぎ◆   良寛 著
 
秋になると、お月さまの好きな良寛さまは、子ども達にこんな話をしました。
大むかし、猿ときつねとうさぎが、仲良く、助け合って住んでいると聞いた神様は、本当かどうか知りたいと思いました。ある日、神様は、ぼろぼろの服を着た老人に化け、三匹の住む林にやってきました。杖をつき、ひょろひょろと歩いてきた老人は、長い間、何も食べていないので、食べ物を恵んでくれと言うのです。
そこで、猿は木の実を少し見つけ、きつねは川魚を捕ってきましたが、うさぎだけは、何もとらずに戻って来ました。老人は、三匹は、心を一つにして暮らしていると聞いたが、うさぎは、物を恵む心が薄いようだと言ったのです。
うさぎは、猿に芝を刈ってきてくれと頼み、きつねには、芝を燃してくれと、悲しそうに言いました。
猿は芝を担い、きつねは、火をつけたのです。すると、うさぎは、「何もあげられないので、私の肉を食べてください」と、火の中へ飛び込み、死んでしまったのです。驚いたのは、神様です。かわいそうなことをしたと、泣き伏し、猿も、きつねも、泣きました。立ち上がった老人は、「三匹は、感心なものだ。中でもうさぎの心は、立派で、美しい」と言ったのです。
やがて、老人の姿は神様になり、杖でうさぎの体に触ると、もとの真っ白な体になったのです。
しかし、うさぎは目をつむったままでした。
 「お前を天の月の宮へ送ろう。お前は、これから、いつまでも、あの月とともに輝くのだ」と神様は言ったのでした。       
 「それだから、まるいお月さまを、よく見てごらん。お月さまの中で、うさぎが跳ねているのが、見えるだろう」と良寛さんは、子どもたちに話すのでした。
   少年少女・類別/民話と伝説-二九  日本の心をうつ話
                    関 英雄 編著 偕成社 刊 
    
この話は、良寛さんが作ったのではなく、原作は、龍樹(リュウジュ 2世紀に生まれたインド仏教の僧)の主著の一つ「大智度論」(般若経の百巻に及ぶ注訳書)にあるものだそうです。修行中のお坊さまが、空腹でふらふらになっているのを見た鳩が、焼き鳥になるから食べてくれといって火に飛び込み、涙ながらに食べる話です。鳩は、お釈迦さまの化身という教えであり、インド、中国を経て、日本へ伝わったもので、「今昔物語」の巻の五にも出ています。
それを良寛さんが、子ども達に話してあげたのでしょう。月の中で、うさぎが跳ねていたり、もちをついたりしているように見て楽しむのと、月の表面のまだらなクレーターが、そのように見えるだけと片付けてしまうのとでは、どちらが子どもの感性を育むのでしょうか。
 
うさぎといえば、童謡「うさぎとかめ」を思い出す方も少なくないのではないでしょうか。夏目漱石の「吾輩は猫である」でも、くしゃみ先生の子どもが歌っています。その二番の歌詞ですが、
 二、なんと おっしゃる うさぎさん  そんなら おまえと かけくらべ
   むこうの 小山の ふもとまで  どちらが さきに かけつくか
とあります。
 
ところで、かめさんに負けたうさぎさんは、どうなったかご存知ですか、実は、続きがあるのです。
負けたうさぎさんは、うさぎ村から追放されるのですが「子うさぎをよこせ!」と脅迫してきた狼を、知恵を働かせてやっつけ、名誉を回復し、うさぎ村へ帰ることができたのです。「負けたうさぎ」で検索すると、「新潟県の民話 福娘童話集」が出てきますが、これが傑作で、思わず1時間ばかり読んでしまいました(笑)。
このイソップ物語、驚いたことに、明治時代の教科書に掲載されたときの題名は、何と「油断大敵」とあるではないですか。(脱帽!)
 
 
    
 ◆てんとうさまと金のくさり◆   おざわ としお 再話
 
むかし、あるところに、母さんと太郎、二郎、三郎の三人の子どもが住んでいました。
ある日、母さんは、「山へ仕事に行くから、だれが来ても戸を開けてはいけない」と言って出かけましたが、母さんは、鬼ばさに食われてしまいます。母さんに化けた鬼ばさは、家に来て、「戸を開けておくれ」と言うのですが、「母さんはきれいな声なのに、がらがら声じゃないか」と開けません。鬼ばさは、きれいな声のでる草を食べ、「開けておくれ」と言うと、太郎は、少し開けて手を見ると毛むくじゃらなので、「母さんの手は、すべすべしてきれいだ」と、閉めてしまいます。鬼ばさは、山芋を塗ってすべすべにし、いい声で「開けておくれ」と言うので、見ると、すべすべした手なので戸を開けたのです。鬼ばさの化けた母さんは、三郎を抱き上げ、寝間へ入り寝てしまいました。
夜中に、太郎と二郎は、かじるような音で目を覚ますのです。
 「何を食べているの?」と聞くと、母さんは、三郎の指を投げたのです。
 「あいつは鬼ばさだ、三郎は食われた」と、二人は逃げ出しました。
夜が明ける頃、川に出ましたが渡れないので、木に登り隠れました。追いかけてきた鬼ばさは、川面に二人が写っているのを見つけ、「どうやって登ったの」と聞くので、「木に油をつけて登ったのだ」と言うと、鬼ばさは、その通りにしますが登れません。見ていた二郎が、「木に、なた目をつければ登れるのに」と言ってしまうのです。鬼ばさは、なた目をつけて登ってきて、天辺まで追い詰められた太郎は、「お天道さま金の鎖を下ろしてください」と叫びました。
すると、金の鎖が下がってきて、それにぶら下がり、天に登ったのです。鬼ばさも、「鎖をよこせ!」と叫ぶと、腐った縄が下がってきて、それにぶらさがりましたが、天に届く前に切れ、畑に落ちて死んでしまいました。鬼ばさの血で、そばの茎が真っ赤に染まったので、今でも、そばの茎は赤いのです。
天に登った太郎と二郎は、お星さまになったのでした。
  日本の昔話 3 ももたろう おざわとしお 再話 赤羽末吉 画 
                            福音館書店 刊 
    
兄弟が七人で、全員、空に登れて、お月さまのそばで、七つの兄弟星になり、鬼は、すすきの原に落ちて死んだために、今でも、すすきの根が赤いという話もあります。2月に紹介しました「まめをいるわけ」と「ヘンゼルとグレーテル」の話といい、あまりにも似ているので、びっくりさせられます。グリムの「狼と七匹の子やぎ」を読んでみましょう。思わず、「グスッ!」と、笑いたくなるはずです。
 
 
 
もう一つ紹介しておきましょう、これも世界中の子どもたちに親しまれている話とそっくりです。
 
◆ぬかふくとこめふく◆
 
むかし、あるところに、母親と二人の娘が住んでいました。妹のこめふくは実の子で、姉のぬかふくは、ままっ子でした。
ある日、こめふくには小さい袋を、ぬかふくには穴の空いた大きな袋を渡し、「栗をとってこい」と言われ出かけました。ぬかふくは、いくら拾っても穴から落ち、それをこめふくが拾いますから、間もなくいっぱいになり、帰ってしまったのです。しばらくすると、大きな栗が落ち、拾おうとすると亡くなった母親が現れ、穴を縫い、何でも出してくれる宝の小袋を授けました。その小袋に「栗よ、出ろ!」というとたくさん出たので、袋に入れて家に帰ったのですが、今頃まで何をしていたと怒られ、つらい仕事ばかりさせられる毎日が続きます。
祭りの日、母親と妹が見にいった芝居を見たいと思っていると、尼さんが来て、「芝居がもう一幕で終わるところで帰ってきなさい」と言うのです。ぬかふくは、宝の小袋に頼んで、着物や帯、かんざしを出し、出かけました。ぬかふくが、きれいなので、人々は見とれました。こめふくが見つけて、「ぬかふくではないか」と言いますが、母親は信じません。ぬかふくは、もう一幕で終わることに気づき、あわてて帰ったために、片方の足袋が脱げ、そのまま家へ帰ったのです。尼さまが、仕事を片付けてくれたので、汚い着物に着替え、仕事をしていました。帰ってきた母親は、まったく気づきません。
ところで、足袋を拾ったのは、村の大旦那の息子で、嫁にほしいと、作男たちが足袋を持って探しにきたのです。こめふくにはかせましたが合いません。ぬかふくにはかせてみると、ぴったり合うのですが、母親は、「この子は、お祭りには行っていない」と言いはります。
そこで、お盆の上に皿、皿の上に塩を盛り、塩の上に松葉をさして、歌の詠み比べをして決めることになりました。見事な歌を詠んだぬかふくが嫁に決まり、小袋から嫁入り衣装を出して着飾り、かごに乗って若旦那のところへ嫁いだのでした。     
  おばばの夜語り(平凡社6 名作文庫) 新潟の昔話  
                 水沢 謙一/水野庄三・絵 平凡社 刊
 
シャルル・ペロー作の「シンデレラ」ですね。
魔法使いのお婆さんが尼さまに、ガラスの靴の代わりに足袋が、午前零時の刻限の代わりに、芝居の最後の一幕前に帰る約束、傑作ではありませんか。最後の決着の方法が「歌の詠み比べ」であるのも、日本人らしいですね。
こめふくの詠んだ歌は、
  よんべな こいた ねこのくそ  水けだった 毛だった
              今朝 こいた ねこのくそ  息 ほやほや
何やらに臭ってきそうな歌に対し、ぬかふくは、
  ぼんさらや さらさら山に 雪ふりて
              雪を根として そだつ松かな
ときれいに決め、作者の意図に拍手を送りたくなります。ぬかふくに、宝の小袋を渡すのが、生みの親であるところも泣かせます。日本のむかし話、すばらしいではありませんか。
 
ちなみに、シンデレラ型の類似話は、ヨーロッパだけでも五百を越えるそうです。口伝え話をシャルル・ペローが「過ぎた昔の物語ならびに小話」の中に、「サンドリヨン、または小さなガラスのくつ」として再話したもので、グリム兄弟の作品にも「灰かぶり」があります。「シンデレラ」が有名になったのは、どうやら、ディズニーのアニメが世界的にヒットしたためだと言われているそうです。
「シンデレラの本名はエラ(ELLA)」という記事を見た記憶があるのですが、その真偽は定かではありません。
  注 再話 昔話・伝説などを、言い伝えられたままではなく、現代的な表現の話に作り上げたもの。
 
 
 
鬼と並んで「やまんば」は、むかし話に欠かせません。
山姥(やまうば)のことで、地方によって、さまざまな呼び名があります。共通しているのは、山に住み、その容姿は、髪の毛を長く伸ばし、ぼさぼさで、口は耳までさけており、背は高くて、力持ちということでしょう。恐いのですが、親しみの持てる話が多く、これもその一つです。そして、面白いことに、兄の「だだ八」、弟の「ねぎそべ」、おばあさんの「あかざばんば」という妙な名前を、たちどころに覚えてしまう子がいます。興味を持ったことは、即座に記憶してしまうようですね。
 
◆ちょうふく山のやまんば◆   今村 素子 著
 
むかし、ちょうふく山のふもとに小さな村がありました。ある年の十五夜の晩、お月見の最中に、突然、激しい雨風となり、
「やまんばが、わらしこを持った。もちをついて持ってこい。こなければ、人も馬も殺すぞ!」
と叫びながら、何者かが屋根を飛び回るのでした。声が聞こえなくなると、もとの月夜となったのです。夜が明け、もちをつきましたが、届ける人がいません。そこで庄屋さんが、普段から威張っている、だだ八とねぎそべ兄弟に役をいいつけ、道案内に、あかざばんばを付けてもらい、届けることにしました。
三人とも、やまんばに殺されると思いながら、山を登って行ったのですが、途中で、血なまぐさい風が吹き、兄弟はおびえてしまい、再び強風が吹くと、もちを放り出し、逃げてしまったのでした。ばんばは、もちを届けなければ、人も馬も食われる。寿命も近いのだから、村人のために役立とうと、登っていきます。
やまんばの家に着くと、
「もちを食いたくなり、ガラを使いにやったが、村人達が迷惑をしたのではと心配していた。やまんばは、恐ろしいものではない」
と言うのです。ガラは、四、五才になる子どもで、放り出したもちを取ってこいというと、アッという間にかついできますし、すまし汁を作るから、くまを捕ってこいというと、捕まえてきます。村で暴れたガラだと、ばんばも納得したのです。夕方になり、帰るというと、手伝いする者がいないので、二十一日だけ助けてほしいと頼まれ、暮したのでした。帰る日が来ると、いくら使っても、もとの一ぴきにもどる不思議な錦をくれたのです。
家に着くと、何と、ばんばの葬式をしていたのですが、元気な姿をみてお祝いとなりました。貰った錦を分けてあげましたが、次の日には、もとの一ぴきに戻っていたのです。   
その後、村には悪い病気も流行らず、楽しく暮らしたのでした。
  日本むかしばなし 7  おにとやまんば 民話の研究会 編 
      松本 修一絵 ポプラ社 刊
 
「さばうりとやまんば」「山んばの桐のはこ」「もちのすきなやまんば」なども読んであげたい本です。
この本の挿絵では、やまんばは優しい顔をしたお母さんだったと記憶しています。なぜ、やまんばは、恐ろしい容貌になってしまったのか、その経緯を述べた話が、澤田ふじ子さんの作品にありました。引用文を読むと遠慮したくなりますが、全編、肩の凝らない傑作な事件簿です。
 
 公家達は、己の腕を顕示するのを欲せず、武士とは逆に、秘匿するのを心得としていた。それが日本人だけではなく、東洋の文化の精髄というべきだろう。
今でもこの気風は、京都市民の中に脈々と受け継がれている。
 その精神を一言でいえば、すべてにおいて世間から目立つことをはばかるのがそれで、知者は山に隠れて〈仙人〉となり、意識的女性は〈山姥〉となるのだ。山姥は山に住み、怪力を発揮するという伝説的な女。鬼女とも考えられているが、図様として描かれている山姥が、童子(金太郎)を伴っているのは、知恵の伝承や再生を願う意味が、そこに込められているからである。
 近世から近代に及ぶ民俗学的考察の誤りが、山姥を醜悪で凄惨な女性として決め付けてしまった。長澤蘆雪の代表作、厳島神社に蔵されている〈山姥図〉(重文)は、美術史研究の中で、今もこうとしか捉えていないのだ。
  (祇園社神灯事件簿 四 お火役凶状 P278-279 澤田ふじ子著
                            中央文庫 刊)
  (引用者注 長澤芦雪 江戸時代の絵師、丸山応挙の高弟)
 
インターネットで検索して見ましたが怖い絵で、なぜか、西洋の魔女に似ていて、子ども達が読む絵本から描いていた山姥のイメージと異なり、意外に思いました。
澤田さんの人気シリーズの一つである「足引き閻魔帳 第4巻 山姥」の表紙が、長澤芦雪の〈山姥図〉です。アップになっていましたが、すさまじい形相で、子ども達には見せられません。
 
 
  (次回は、「日本の神様でしょう 神無月」についてお話しましょう)
 
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第11章 お月見です 長月(3)

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第42号-
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第11章  お月見です   長 月(3)
 
  
★★江戸時代の時の数え方★★
 
何かないものかと探していましたら、やはり、ありました。
江戸時代の「時の数え方」です。当時は、午前零時、午後零時(正午)を「九つ」といい、「2時間を一時(いっとき)」とし、そこから2時間ずつ、ずらして八つ、七つ、六つ、五つ、四つという数え方をしていました。面白いことに、「九つ」から始まって、「八つ」 「七つ」と減っていくのですから、現代人の感覚だと戸惑います。しかし、これにはきちんとした理由があるのです。
掛け算の九九のお出ましです。
 
まず、鐘を9つ打つ時刻、午前零時、午後12時を「九つ」どきとして、次に9の2倍の18を打つのですが、真夜中に18も鐘を打たれては、おちおち寝ていられません。18では多すぎるので、十の位を除いて、2時間後の午前2時に8つ打ち「八つ」として、以下、
   9×3=27で、十の位を除いて午前4時に7つ打ち「七つ」、
   9×4=36で、十の位を除いて午前6時に6つ打ち「六つ」、
   9×5=45で、十の位を除いて午前8時に5つ打ち「五つ」、
   9×6=54で、十の位を除いて午前10時に4つ打ち「四つ」、
元に戻って、午前12時が「九つ」、午後2時が「八つ」、午後4時が「七つ」、午後6時が「六つ」、午後8時が「五つ」、午後10時が「四つ」、そして午前零時が「九つ」と、こういう仕掛けなのです。
 
素朴な疑問ですが、なぜ10から始めなかったのでしょうか。
その理由は、陰陽思想では十を完全な数として数の頂点と考え、十は最上のため満ち足りると次はなくなってしまう、満月が欠けていくのと同じで、九を陽(奇数)の最上、八を陰(偶数)の最上の数と考え神聖視していたことによるものです。
 
余談になりますが、聖徳太子の「十七条の憲法」は陰と陽の最上の数を足したもので、陰陽思想の影響を受けてできたと言われているそうです。
 
また、時刻の決め方も世界標準時間などない頃ですから、こういったことで決めていました。
 
 江戸の時刻は、太陽の上るのを明(あけ)六ツとして、日没を暮六ツとして、その間を六等分して昼の一刻を決める。夜は日の入りから翌朝の日の出までをやはり六等分して夜の一刻は決められた。従って、夏は日が長いので、昼の一刻が夜の一刻より実際には長くなった。
 (御宿かわせみ 16 八丁堀の湯屋 P250 平岩弓枝 著 文春文庫刊)
 
ところで、東京地方の民謡に、この時を表した「お江戸日本橋」があります。
「七つ」を現代の時刻7時と考えると、おかしな歌になってしまいます。東海道五十三次を歌った長い歌で、全部残っている資料もあるそうで、興味のある方、インターネットで調べてみてください。
 
   お江戸日本橋 七つ立ち
   初のぼり
   行列そろえて アレワイサノサ
   コチャ 高輪`
   夜明けて 提灯(ちょうちん)消す
   コチャェ コチャェ
              
大名の参勤交代の行列を表した歌で、七つ(午前4時)に日本橋を出発、「下に~、下に~」の掛け声でゆっくりと進み、高輪で明け六つ(午前6時)を迎えて提灯の火を消す、のんびりとした行列であることがわかります。正月恒例の箱根駅伝、スタートの有楽町から高輪まであっという間ですから。
歌詞に「初のぼり」とありますが、江戸時代は京都へ行くのを上りといい今とは逆になっています。当時の都は京都で、明治に東京へ遷都されて東京が都となり、東京へ行くのが上りになりました。
 
日本橋は現在のコンクリートの橋を架けてから百年以上になりますが、橋の上を高速道路が走り、窮屈で無残な姿になっています。あの関東大震災や東京大空襲にも耐えた橋であり、親柱には「東京市の守護神・獅子像」と「15代将軍徳川慶喜の揮毫(きごう)した銘板」が設置されている由緒ある橋で、もっと優しく保存してあげるべきではないでしょうか。
 
所変わって、小江戸と呼ばれる川越には、江戸時代の風情を今に残す蔵造りの家並みを見下ろすように「時の鐘」がそびえたっています。鐘楼の高さは15.9メートル、トタン屋根三層作りの木造で、階段はありますが上れません。毎日6時、正午、15時、18時の4回、時を告げ、平成4年(1996年)に環境庁(現環境省)主催の「残したい日本の風景百選」にも選ばれています。
時の鐘は、今から約400年前に創建されたといわれ、現在建っているのは4代目。明治26年に起きた川越大火災後に再建されたもので、耐震診断の結果、「倒壊の恐れあり」と判明。明治27年の再建当時の姿に戻す復元工事も実施され、平成29年1月、工事は無事終了。
                              
さて、「時」つながりで、最近、きかれなくなった落語に、「時そば」と題した噺があります。
 
ちょうど九つどきに、屋台のそば屋で勘定を払う男が、細かい銭で済まないがと、数えながらおやじさんに渡します。
「ひい、ふう、みい、よう、いつ、むう、なな、やあ」
ここまできたとき男が、いきなり、時間を聞きます。
「何どきだい?」
「へぇ、ここのつで…!」
とおやじがいうと、九文目を払わないで、
「とお、じゅういち、じゅうに、じゅうさん、じゅうし、じゅうご、じゅうろく、ごちそうさん!」      
と、九をうまくとばして、お客さんが一文、見事にごまかします。 
これをまねた男が、今度は時を間違えて、多く払うはめになる話です。
 
この噺は、関西では「時うどん」になりますが、薄く透き通った関西風の味も、こたえられません。やはり、この時の数え方も、訳ありでした。
 
「ひい、ふ、みい」は、漢字の訓読みですが、これを覚えておくと、日付の読み方に役に立ちます。
 
一日を除き、「ふつか、みっか、よっか、いつか、むいか、なのか、ようか、ここのか、とおか」となっています。十一日、十二日、十三日と音読みになり、十四日は「じゅうよっか」と音訓読みになり、二十日は「はつか」となり、幼児には、難しい読み方になっています。「ついたち」は、一月に紹介しました「十二支の話」を思い出してください。毎日、カレンダーを見ながら、「今日は、9月4日、金曜日」とやっていると、無理なく覚えらます。以前、「日づけの歌」を紹介しましたが、お役に立ちましたか。お読みにならなかった方、YouTubeで見ることができます。
 
 
 
★★防災の日★★
 
9月1日は防災の日です。
ご存知のように、大正12年(1923年)に、関東大震災が起きた日です。
「災害は、忘れた頃にやってくる」と言いますが、平成23年(2011年)に東日本大震災が起きました。当時、防災非常袋などに、飲料水や非常食、着替え、乾電池などを用意し、万が一に備えていた方は、少なかったのではないでしょうか。用意した飲料水などの消費期限(Use by date)をチェックし、想定外の災難に遭わないように心がけましょう。
 
幼稚園や小学校でも避難訓練をやっていますが、小さい子ども達は、自分で身を守るすべを知らないものです。幼稚園、小学校にいる場合は、万全の態勢で臨んでいますから心配ありませんが、一人で外にいる場合どうしたらよいか、しっかりと教えておきたいものです。
 
東日本大震災が起きるまでの学校選びは、「子どもの足で通える学校」でしたが、「子どもが安心して通える学校」ということも考慮されるようになっています。
 
私立小学校は、埼玉県は5校、神奈川県では31校、茨城県では7校あります。
千葉県は9校です。東京は、平成31年4月に東京農業大学稲花(とうか)小学校(世田谷)が開校するなど、現在では56校となっています。
なお、私立ではありませんが、令和4年に全国初の「公立」小中高一貫校として東京都立立川国際中等教育学校附属小学校が開校しました。
 
就学児童が減っている中で開校する学校側の狙いは、「安心して通える近くの学校」ではないでしょうか。「教育は国家百年の計」ともいわれていますが、地方の教育が充実するのは、長い目で見れば、わが国の教育のためにも歓迎すべきことだからです。
 
最後になりましたが、今年の二百十日(立春から数えて210日目)は、8月31日。この時季に、稲は花開き実を結びますが、台風が日本列島を襲い、農作物が被害を受けるため、お百姓さんには厄日といわれており、奈良県大和神社の「風鎮祭」、富山県の「おわら風の盆」など、各地で台風に暴れられないように、風雨を鎮めるお祭りが行われています。
 
 
  (次回は、「9月に読んであげたい本」についてお話しましょう)
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、制作したものです】
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第11章 お月見です 長月(2)

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第41号-
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第11章  お月見です   長 月(2)
  
★★秋の七草★★
 
春の七草は、色彩的には黄色が多く、それに食べられるものばかりでした。
正月の7日に食べる七草粥には、春の七草が入っています。今年1年間、息災で病気にならないようにと、払いの意味で食べたものですが、正月にご馳走を食べすぎて、弱った内蔵をいたわる意味でも食べたのでしょう。これも昔の人の生活の知恵です。
 
秋の七草は、どうでしょうか。
                
萩(はぎ)、薄(すすき)、葛(くず)、撫子(なでしこ)、女郎花(おみなえし)、藤袴(ふじばかま)、桔梗(ききょう)をいいます。見るとわかりますが、紫色が多くて観賞用です。葛は、根は解熱剤として使われていますし、粉にした葛粉は食べられますが、春の七草とは、大変な違いです。                                       
 
事の起こりは万葉集で、山上憶良が秋の七種の草花を詠んだことから、秋の七草といわれるようになったのです。
 
 秋の野に 咲きたる花を 指(おゆび)折り かき数ふれば 七草の花 芽子(はぎ)の花 尾花 葛花(くずばな) 瞿麦(なでしこ)の花 女郎花(おみなえし)また藤袴 朝貌(あさがお)が花
                                  
 (万葉集八巻 山上憶良)
                               
朝貌の花は、現在では桔梗のことです。
芽子といい瞿麦といい朝貌といい、昔の字は、秋の七草にしてはゴツゴツした感じを受けませんか。何だか花の名前の感じがしません。今の方が、親しめます。いや、もっと現実的な秋の七草があります。
 
昭和10年、菊池寛、高浜虚子などの文人や学者の推薦によって新聞社が選んだ「新秋の七草」があります。菊、葉鶏頭(はげいとう)、秋桜(コスモス)、彼岸花、赤飯(あかまんま)、白粉花(おしろいばな)、秋海棠(しゅうかいど
う)の七草です。山上憶良と比べると、色彩豊かで華やかで、人手がかかっている感じがします。
 
平成に行われたインターネット投票による「秋の七草」は、春の七草でご紹介した左大臣四辻善成(平安時代)の真似をするとこうなります。
 
  ハギ キキョウ コスモス ススキ ヒガンバナ
                リンドウ ナデシコ 秋の七草
 
しかし、本来の七草は、人の手にかかることをこばむ野草という感じが伝わってきますが、いかがでしょうか。                                     
 
話は変わりますが、秋桜(コスモス)、漢字で書くと日本産まれのようですが、何とメキシコ産です。
コスモスは、一見、葉もきゃしゃで弱々しく、花もたおやかですから、責任をもって、きちんと保護してあげなくてはと思いがちですが、茎は太く、本当は、強いのです。台風でなぎ倒されても、いつのまにか窮屈な姿勢ながらも、花を咲かせます。
 
 
 
★★重陽って、五節句の一つではないのですか★★
 
9月といえば重陽の節句、とならないのが不思議です。
3月の「ひな祭りですね」を思い出してください。9月9日を重陽といい、陰暦9月9日の節句で、「9」は陰陽道では、陽の数とされており、この2つの数を重ねた日で、菊の節句ともいわれていると紹介しました。陰陽道では、このように奇数を尊び、「9」を最高の数と考え、天の数、天子様の数として、神聖視されていました。それでしたら、大変な日ではありませんか。
しかし、何かお祝いをした記憶がないのです。
 
 この日は菊の節句である。平安時代に菊は「翁草」「千代見草」「齢草(よわいぐさ)」などといわれ、重陽の節句に寒菊の酒宴が催された。「菊酒」といって、酒に菊の花をひたして飲むと、長生きできるといわれ、また「菊の着せ綿」といって、前の晩に菊にかぶせて露にしめらせた綿で身体を拭くと長寿を保つといわれた。
 (年中行事を「科学」する 永田久 著 日本経済新聞社 刊 P180-181)
 
このように菊は、古くから薬用植物として珍重されていましたが、菊の芯を集めて作る枕を菊枕や幽人枕(ゆうじんちん)ともいって、香りが高く、頭痛を治し、邪気を払うといわれ珍重されていたそうです。
 
日本の国花は、桜と菊です。
桜に始まり菊で終わる、自然に恵まれた日本を象徴する花であり、国花にふさわしい花であることも肯けます。
 
菊は、その姿が、端整で、美しく、香りにも、何ともいえない気品があります。
古くから菊は、竹、梅、蘭と合わせて四君子(しくんし)といわれ、水墨画の画材によく使われていました。
菊の品評会などで見る菊は、華やかなムードに包まれ 十分に手間暇のかかっている感じが、匂い出ています。菊人形も、ここまでやるかと、文句のつけようのない作品もあり、うならされます。
いずれも、秋の風物詩として欠かせません。
                   
しかし、人里離れた山あいに、ひっそりと咲く、小さな野菊、あれも、いいですね。
香もふくいくとして、観賞用の人工菊に、絶対に負けません。寒さに強く、晩秋から初冬にかけて、けなげにも咲き続けています。花、ひっそりと咲いているからこそ、もののあわれを誘います。
 
ところで、皇室の菊の御紋章、あれは十六葉八重表菊で、後鳥羽上皇が、特に菊を好まれたために定められたものです。
そして、欲しい人には最高の価値がある勲章、舌をかみそうですが、大勲位菊花大綬章は、朝日と菊の花を表しています。
 
そして五十円硬貨の表のデザインは、何と菊です。さらに、兵庫県の県花は、野路菊(のじぎく)です。ご存知のことと思いますが、菊は献花に用いますから、病気の見舞いには、タブーの花となっています。
 
最後に、ことわざを一つ。
  「春蘭秋菊 ともに 廃すべからず」(両者ともに優れており捨てがたい)
 
蘭と菊は、先ほども出てきた四君子の二つです。 
 
 四君子(しくんし)とは東洋絵画の画題の一つで、蘭・竹・梅・菊を指します。これらの植物が好まれたのは、蘭は深山幽谷で人知れず香る奥ゆかしさ、 竹は真っすぐに伸びて風に折れない節操、梅は雪の中でも寒さに耐えて花を咲かせる健気さ、菊は厳しい晩秋の霜にも屈せず咲き誇る気概というように、それぞれの特徴が俗に交わらず知性や礼節を兼ね備えた理想的な人物(君子)と重ねられたためです。
        
  (福岡市博物館のホームページ
    https://museum.city.fukuoka.jp/sp/exhibition/572/)
 
5月にも紹介しました「六日の菖蒲」、それに加えて「六日の菖蒲、十日の菊」があります。菖蒲は5月5日の端午の節句に、菊は9月9日の重陽の節句に用いるもので、6日と10日では間に合わないことから、「時期に遅れて役に立たないこと」のたとえです。類義語としては「後の祭り」「夏炉冬扇」、ちなみに英語では“a day after fair”だそうです。
         (kotowaza-all guide com 故事ことわざ辞典より)
 
  (次回は、「江戸時代の時の数え方」などについてお話しましょう)

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