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さわやかお受験のススメ<保護者編>★★第5章(2) 雛祭りとお彼岸ですね

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
             -第17号-
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第5章 雛祭りですね(2)
      
★★なぜ、桃の花を飾るのですか★★
雛祭りを楽しんでいる雰囲気の伝わってくる、懐かしい唱歌があります。私に
は姉と妹がいましたから、この気持ちはよくわかります。箱の中から紙に包ま
れた人形を取出し、それを雛壇に飾りつける母やお手伝いさん(当時は女中さ
んといっていましたが)の姿が思い出されます。
作詞家のサトウ ハチローは、この詩の誤りを悔い印税をつぎ込み、買い戻し、
破棄したいと思っていたそうです。その誤りとは、二番の「お内裏様とおひな
様」で、お内裏様は天皇、皇后の姿をかたどって作った一対の人形、おひな様
は雛人形のことですからおかしな表現になり、三番の「あかいお顔の右大臣」
ではなく翁(おきな)の「左大臣」の方だからだそうです。誤ったまま伝えられ
るものは数多くあるようですから、これでいいのではないでしょうか。「男雛
様と女雛様」では、詩人の感性として許せないでしょう。
 
 うれしいひなまつり
  作詞 サトウ ハチロー  作曲 河村 光陽
 
    一 あかりをつけましょ ぼんぼりに
      お花をあげましょ  桃の花
      五人ばやしの    笛太鼓(たいこ)
      今日はたのしい  ひなまつり
 
    二 お内裏様と  おひな様
      二人ならんで  すまし顔
      お嫁にいらした 姉さまに 
      よく似た官女の  白い顔 
 
    三 金のびょうぶに  うつる灯(ひ)を
      かすかにゆする  春の風 
      すこし白酒    めされたか
      あかいお顔の   右大臣
 
    四 着物をきかえて  帯しめて
      今日はわたしも  はれ姿
      春のやよいの   このよき日
      なによりうれしい ひなまつり
 
なぜ、桃の花なのでしょうか。
 
「桃は五行の精なり」といい、桃には古来より邪気を払い百鬼を制すという魔
除けの信仰があった。(中略)中国で殷(いん)の時代に狩猟民族が天意を占
うときに、亀の甲や獣骨に占い字(ト辞・ぼくじ)を刻んでそれを火にあぶる
と、甲羅や骨にひび割れができる。
そのひびの入り方によって古代人は神意を判断して吉凶を占った。そのひび割
れをかたどったのが「兆」という象形文字である。「兆候(きざし)」「前兆
(しるし)」「兆占(うらない)」「兆見(まえぶれ)」などのことばからも
わかるように、兆は未来を予知するかたちを表している。「桃」は兆しを持つ
木とされ(中略)、未来を予知し、魔を防ぐという信仰が生まれたのである。
したがって鬼退治物語の主人公は、柿太郎でもなく梨太郎でもなく、桃太郎で
なければならないのである。
 (年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P79) 
 
桃の木には、たくさんの実がなり、魔を防ぐと信じられていましたから、桃の
花を供え、子宝に恵まれる女の子の幸せを祈ったのです。
 
さらに訳ありなのは、桃太郎の家来が、猿と雉と犬であることです。「犬猿の
仲」といわれるほど仲の悪い犬と猿が家来となって、うまくいくはずはないの
ですが、間に鳥がいるから大丈夫なのです。十二支にも「申(さる)・酉(と
り)・戌(いぬ)」と間に酉が入って、けんかをしないように配慮されていま
す。「和をもって貴しとなし」ではありませんが、「聖徳太子の教えが、ここ
にも生きているぞ!」と一人で悦に入っています(笑)。
〔注〕 十七条の憲法 
一曰 以和為貴 無忤為宗
「一に曰く 和を以って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗
(むね)とせよ」  
(和を何よりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本としなさい)
    (フリー百科事典〔ウィキベディアWikipedia〕より)
 
ところで、斑鳩の里にある法隆寺といえば、仏教を広めた聖徳太子の業績をた
たえるために建立された寺院であると思っていたのですが、哲学者、梅原猛氏
の「隠された十字架=法隆寺論」(新潮文庫 刊)には、一族を皆殺しにされ
た太子の怨霊を鎮めるために建てられた寺であることが明らかにされています。
夢殿にあった白い布で包まれた秘仏を、フェロノサ(明治時代に来日したアメ
リカの日本美術研究者)などの要請で開扉したところ、光背が頭の後に釘で打
ちつけられ、胴体が空洞でつり下げられている救世(ぐぜ)観音像が出てきた
そうで、ここから氏の怨霊説が生まれたのでした。読んで驚くことばかりです
が、哲学者の妥協を許さない鋭い明察は、歴史学者にはない魅力にあふれてお
り、すっかりはまりこみ、読みあさっています(笑)。
(注 光背 仏像の背後につける光明を表す装飾で、どのような仏像も、足元
の台座から支えを伸ばし、仏像の頭部まで持ち上げられている)
 
★★左近の桜、右近の橘って?★★
なぜ、雛壇に桃だけではなく、桜と橘を飾るのでしょうか。雛壇に向かって右
に桜、左に橘を飾りますが、これは京都御所にある「左近の桜」(御所に向か
って右側)「右近の橘」(向かって左側)を表しているそうです。京都の冬は、
昔から雪こそあまり積もりませんが、底冷えをする寒さは厳しく、禁中に仕え
る者は、古くから左近の桜のつぼみのふくらむ様子を眺めながら、春を待って
いました。
 
京都御所の紫宸殿の東側に桜、西側に橘が植えてあり、左近衛府の官人は桜の
木から、右近衛府の官人は橘の木からそれぞれ南側に整列して宮廷の警護にあ
たった。桜と橘はいわば、宮廷の門と同じ役割を果たしているのである。
 (年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P85)
 
官人とは天皇を守る近衛兵のことですが、お雛さまを飾るモデルは、京都御所
なんですね。
五段目には、おかしな顔をした傘と笠と沓を持った三仕丁を飾りますが、その
左右には、宮廷の門と同じように桜と橘を飾ります。その上の四段目には、向
かって右に左大臣(老人)、左に右大臣(若者)を飾りますが、唐の文化の影
響が、そのまま身分の上下となって表れているわけです。  
 
橘は、みかんの古称で、日本では万葉の時代から和歌に多くうたわれている馴
染み深い木の一つで、黄色い実が魔除けになるともいわれています。大昔より
日本に自生している常緑樹で、冬でも緑を失わないその姿と、見栄えのある美
しい果実、そしてかぐわしい香が、古くから尊ばれてきたのでした。また、神
の化身とされる蝶の幼虫が育つことで、神代と世俗を結ぶ神の依代(よりしろ・
心霊が招き寄せられて乗り移るもの)と考えられていました。
(http://www.e87.com/selection/sp_hina/colum_04.htmlより)
 
橘は 実さへ花さへ その葉さへ 枝に霜降れど いや常葉の樹
         万葉集 6(1009)
(注 枝“え” 常葉“とこは”)
 
「橘の木は、実も花も、その葉も、そして、その枝までも、霜が降ってもびく
ともしない。いつまでも葉の落ちない木だこと」と、万葉集にも歌われていま
すが、常葉の樹(常緑樹)の中でも、生命力の豊かな木であることがわかりま
す。何事も訳ありですね。
 
ところで、中宮和子が帝と初めて花見をしたのは、この左近の桜です。その折、
帝に献上したのが、在原業平をモデルとした押絵でした。見事なできに感激し
た帝が色紙に書いた和歌は、在原業平の世の中に
 たえて桜のなかりせば 春の心は のどけからまし
でしたが、その後、様々な事件が起き、帝も退位し、女帝興子の誕生となりま
す。帝の心中を推し量れば、「世の中にたえて徳川のなかりせば……」ではな
かったでしょうか。
 
若い皆さん方には馴染みのない作家かもしれませんが、文芸評論家、小林秀雄
の弟子で、60歳過ぎてから小説を書いた偉才、隆慶一郎の絶筆となった未完
の作品に「花と火の帝 上・下」(日経文芸文庫 刊)があり、25年の暮れ
再版され読むことができ感慨無量でした。家康、秀忠の横暴に毅然と立ち向か
った後水尾天皇とそれを支えた和子の様子が、猿飛佐助、霧隠才蔵などで組織
された「天皇の隠密」という奇想天外な応援を得て、徹底抗戦する展開になっ
ていましたが、完結することなく世を去ってしまいました。奇想天外というと
荒唐無稽と誤解されそうですが、昨年の正月に放映された「影武者徳川家康」
と同様、史実に基づいた着想からなり、一気呵成に読まされてしまう傑作で、
最後がどうなるかまるで想像もつかないだけに残念でなりません。宮尾登美子
さんと違った帝と中宮を知り、梅原猛氏と同様、歴史の謎を究明する鋭い洞察
力に脱帽するばかりで、1989年没、享年66歳、隆慶一郎のあまりにも早
い旅立ちに、無念の思いを禁じえませんでした。
 
血圧が上がるといけないので心を静めるとして、桃も桜も橘も、日本の春を静
かに語っているように思え、心は落ち着き、いつまで見ていてもあきませんね。
桜については、4月に詳しくお話しする予定です。
 
★★なぜ、菱餅は、赤、白、緑なのですか★★
菱餅を見ていると、積もっていた雪も少しずつとけはじめ、雪の下で寒さに耐
えながら、春を待っていた木の葉や草の緑色が、ほんのわずかながら姿を見せ、
早春の息吹を感じることのできる、そんな情景が浮かんできます。咲き始めた
桃の花に、春の淡雪がうっすらと積もる初春の雪景色、その白と緑と赤の鮮や
かなコントラストに、「日本って、いいなぁ!」と日本人であることにしみじ
みと感謝したくなります。菱餅は、初春を待つ人々の心を見事に表していると
思いませんか。本当のところはどうなのでしょうか。
 
菱餅の赤、白、緑の三色は、赤は桃や紅花で色づけしたもので魔除けを、白は
清浄を、緑は独特の香りのある蓬(よもぎ)で、体に悪いものを外に出す働き
があり、薬として使われていたので健康を表しているのだそうです。雛壇の敷
物が赤いのも、意味ありなんですね。
アカデミー賞の華、レッドカーペットは、関係ないでしょうね(笑)。
また、どうして形が「菱形」かですが、餅に入っている菱の実の葉が、菱形を
しているからではないかと思うのですが、これは私の独断ですから間違ってい
るかもしれません。
菱餅を飾る理由は、インドの仏典の説話に、竜に菱の実を捧げたところ娘の命
を救った話
があり、そこから「菱の実は子どもを守る」という言い伝えが生まれたからだ
そうです。
この菱を、茹でて食べたことがあります。戦後の食糧事情は最悪で、食べ物が
なく、さつま芋のつるまで食べました。レストランなどで豪快に残しているの
を見ると腹立たしくなるのは、幼児期に飢餓の経験があるからです。今でもア
フリカなどでは、飢えで死んでいく子ども達がたくさんいて、写真で見た子ど
もたちの目を忘れることはできません。食べ物がないのは、空腹感を満たすた
めに心が卑しくなり、辛くて、悲しいものです。「衣食足りて礼節を知る」は、
昔々の話になったようです。
 
★★ひな祭りのごちそう★★
女のお子さんがいる家庭では、必ず頂く蛤(はまぐり)のお吸い物とお寿司で
す。蛤の貝殻は、他の貝とは合わないことから女性の貞節を教え、夫婦の相性
が良いことを願ったものです。女の子のお祝いらしく、彩(いろどり)が華や
かなちらしや五目寿司などに、菜の花やぜんまいのおひたし、たらの芽のてん
ぷらなど、春の旬の食材が花を添えます。先に紹介した菱餅の他に、干した米
を煎った雛あられ、元は桃の花を酒に浸した桃花酒でしたが江戸時代頃から飲
まれるようになった甘い白酒、塩漬けの桜の葉で巻いた上品な香りが何ともい
えない桜餅などが、雛祭りのごちそうの定番でしょう。この桜餅ですが、甘い
物が苦手な私でも長命寺餅は頂きます、絶品ですね。ちなみに関西では道明寺
餅が有名です。
 
★★桃源郷は、どこにあるのでしょうか★★
桃といえば、この話を忘れることはできないでしょう、桃源郷です。陶淵明の
書いた「桃花源記」にある理想郷は、桃の花が咲き乱れる桃源郷として描かれ
ています。魔除けの力を秘めた霊木であり、不老長寿の仙薬(飲むと仙人にな
るという薬から転じて効き目が著しい霊薬のこと)と信じられていた桃の花ゆ
えに、納得できますね。「桃花源記」の原文は手に負えませんが、こういった
古典文学には、小学生の高学年用に書かれたものがあり、時々、図書館の子ど
も部屋におじゃまして、「変なおじさん!」といった目を気にしながら読んで
います(笑)。
 
【桃花源記(作:陶淵明)の話の概略】(抄訳)
 中国太元の時代、武陵に一人の漁師がいました。
 ある日、小舟をあやつり漁に出たのですが、見覚えのない所に来てしまい、
あたり一面に桃の花しか咲いていない林を見つけたのです。甘美な香りを漂わ
せ、美しい花びらが舞っているではありませんか。見とれていた漁師は、林の
先を突き止めたくなり奥まで船を進めました。林は水源のあたりで山につきあ
たったのです。そこに小さな穴があり、中へ入っていくと、突然、景色が開け、
土地は四方に広がり、立派な建物や滋味豊かな田畑が見渡せました。鶏や犬の
鳴き声が聞こえ、そこにいる人々は、異国人のような装いをし、
みんな楽しそうでした。
 ぼんやりと立っている漁師に気づいた人々は驚き、どこから来たのか尋ね、
ありのままに答えると、一軒の家に案内され、お酒やご馳走でもてなされたの
です。人々が言うには、
「私どもの祖先が、妻子ともども一村の者たちと秦の世の戦乱を逃れ、この絶
境に来てから、一度も外に出たことがないので、よその人とまったく関わりを
持たなくなってしまったのです。ところで、今は一体、どういう時世なのです
か」
と、漢はもちろん、魏、晋のこともわからないのです。漁師が詳しく説明する
と、みな感に堪えないように聞き、家から家へ連れていかれ、どこでも歓待さ
れるので、4、5日滞在したのでした。
 やっと村を去る日が来たとき、「私どものことは言うほどのこともありませ
んから、よそ様にはお話にならないでください」と懇願するのです。しかし、
途中に目印を残しながら帰ってきた漁師は、家に着くと、さっそく郡の太子の
もとへ行き、この話をしました。興味を覚えた太子は、案内をさせましたが、
目印はおろか、前に行った道さえ見つかりません。この伝えを聞いたある君子
が、その仙境へ行こうとしましたが、その志を果たさぬ内に病で世を去り、こ
の後、再び訪ねようとする者はいなかったということです。
この話から「武陵桃源」「桃源郷」は仙境の意に使われ、転じて理想郷の意となっ
たのでした。
   生きる心の糧 中国故事物語 Ⅳ  駒田 信二・寺尾 善雄 編
                           河出書房新社 刊
 
人はだれしも秘密を持つと黙っていられなくなるようです。浦島太郎も乙姫さ
まとの約束を守れず、おじいさんになってしまいました。これも人間の性(さ
が)でしょう。
 
山の奥深くに、海の底に、理想郷を夢見るのは子どもではなく、いい年をした
大人、しかも男性に多いともいわれていますが、かくいう私もその一人です
(笑)。分別のある女性はばからしくて興味がないようですが、それだけ現実
的なのでしょうね。桃源郷は、誰しもが心の隅に描きたくなる「かくありたい、
ささやかな願い」ではないでしょうか。残念ながら実生活でも、ささやかな願
いは、かない難くなっているようです。
(次回は、「お彼岸」などについてお話しましょう)
 

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さわやかお受験のススメ<保護者編>★★第13章  七五三でしょうな 霜月(3)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
             -第49号-
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第13章 七五三ですね 霜月(3)
 
【11月に読んであげたい本 2 終わりにあたり】
 
ラグビーW杯 ベスト8入りならず、残念!
しかし、やってくれました。3勝の価値は計り知れないものがあります。特に
最終戦で、五郎丸の後輩である藤田選手が4戦目に初めて出場してトライ。若
手はひのき舞台で育つもので、自信を持った日本のラガーマン、前途に光明を
見るのは、私の欲目かもしれませんが、サッカーに押され気味であったラグビ
ー。今シーズンは、テレビの放映も増えるのではないかと楽しみにしています。
敢闘精神に感謝! 
 
学生時代に映画で見た記憶があります。迫真の姥捨ての世界を描いた深沢七郎
の「楢山節考」を、木下惠介がメガホンを取ったもので、捨てられるおばあさ
ん、おりん役を田中絹代、背負っていく息子は高橋貞二といっても50年ほど
前の話ですから、若い皆さん方には、何のことやらわからないかもしれません
が、歌舞伎を見ているような導入部が印象に残った、怖い映画でした。映画は
恐かったのですが、ここでは、殿様を諌める話になっています。
 
◆うばすて山◆   吉村 輝夫 著
むかし、ある所に、年を取ったお母と息子が暮らしていました。その頃、年寄
は60歳になると山へ捨て、守らないと殺される掟があったのです。お母が6
0歳になったとき、山の奥までおぶって行ったのですが、捨てることは出来ず、
山を下り、家の裏に穴を掘って、隠したのです。
ある時、殿様が村の者に、「灰で縄を作ってこい」といってきました。灰は燃
えかすですから、縄などなえません。みんなが困っているのでお母に相談する
と、「わらで縄をきつく縛って、塩水につけてから燃やしてごらん」というの
で、やってみると出来たのです。
すると今度は、「きれいに磨いた丸い棒を出して、どっちが根っこか調べてこ
い」というのです。太さも堅さも同じですからわかりません。また、お母に相
談すると、「水に入れて、先の沈んだ方が根っこだ」と教わり解決します。
今度は、「玉に糸を通してこい」という。見ると、玉に糸の通る穴があいてい
ますが、曲がっているので、糸など通るわけがありません。そこで、お母に聞
くと、「小さな蟻を捕まえて糸の先に縛り、穴の口に蜜を塗り、塗っていない
方の穴へ蟻を入れると、蟻は蜜の匂いに誘われ穴の中を進むはずだから、糸を
通せる」というのでした。やってみると、糸は通ったのです。
喜んだ殿様は、「こういった知恵は、どうして生まれたのか」と尋ねます。そ
こで、「60を過ぎたお母に教えてもらい、年寄は、何でもよく知っているも
のです」と、震えながら告白したのです。決まりを破っていますから死刑です。
しかし、殿様は感心し、掟を改めたのでした。息子は褒美をもらって家に帰り、
穴蔵からお母を出し、仲良く暮らしたのです。
   寺村 輝夫のむかし話
      日本むかしばなし 4 寺村 輝夫・文/ヒサ クニヒコ・絵
       あかね書房 刊
 
これと、そっくりな話が、チベットにあります。「賢い大臣」です。中国の唐
の時代の話で、皇帝の1人娘をめぐり、7つの国の王子さまが結婚を争うので
すが、その知恵比べとして皇帝から出された問題が、この話に出てくる殿様の
難題と同じでした。灰で縄をなう代わりに、五百頭の親馬と子馬を放ち、それ
ぞれ親子に分ける課題になっています。チベットの人は、馬の扱いになれてい
るからでしょう。その親子の分け方ですが、チベットの賢い大臣は、親馬にお
いしい牧草をたっぷりと与え、それから子馬を放します。すると親馬は、子馬
にむかっていななきます。その声を聞いて、子馬は母馬のところへ、一頭も間
違わずに行くのです。後の二題は同じで、見事に解決し、お姫様はチベットへ
嫁ぐ話です。
 
何度もいいますけれど、こういう話に出会うと嬉しくなります。遠くチベット
から陸を旅し、海を渡り、何百年も時を費やし、日本に伝わってくるのですか
ら、これは大変なことです。このように、昔話が長く語り継がれるのは、時代
が変わっても、共感する心に変わりがないからでしょう。
 
ところで、年寄が増える高齢化社会です。
老後こそ人様に迷惑をかけないで生きたいものです。核家族化が進み、老後の
世話を誰が見てくれるのかと、老人受難の時代と嘆いても、若者からみれば、
これだけ多くなった年寄りの面倒をみるのですから、若者受難の時代だといわ
ざるを得ないでしょう。頼りは親子の絆ですが、これは小さい時に決まるよう
な気がします。過剰な愛情からは、強い絆は生まれないのではないでしょうか。
アルツハイマーになったら、頼りは連れ合いです。何だか寂しい話ですが、現
代版、「姥捨て山」、あちこちで聞かれます。年取ってからの生き方にこそ、
充実感を持ちたいものだと思います。体の健康も大事ですが、心の健康も大切
です。生きがいは、自分で作るものです。歳月で培われた知恵があるではない
ですかなどと、いきがることもありませんが(笑)。子どもの成長だけを生きが
いにするのは、子どもにとっても迷惑な話です。ましてや、「老後の面倒を子
どもに」と願うのは、年寄りのエゴではないかと考えます。「幼子に自立心を
養え」などと偉そうなことを言ってきましたが、年寄りこそ健康である限り、
自立心を強く持つべきではないでしょうか。ただし、若い皆様方には、「親孝
行、したいときに親はなし」とならないようにお願いしておきましょう。
 
それはさておき、秋も深まってきました。紅葉狩りも、日本の風物詩に欠かせ
ない絶景の一つでしょう。♪秋の夕日に照る山もみじ♪ 童謡「もみじ」の世
界ですが、もみじという木があるわけではなく、カエデ科の木、ナラ、クヌギ
など赤や黄色に色づく落葉樹をもみじといい、「紅葉狩り」は「梨狩り」「き
のこ狩り」「潮干狩り」などと違い、木の枝や葉を取るのではなく、色づいた
木の葉を見て楽しむものですね。枝を折る不心得者もいますが、やめてほしい
ですね。
 
♪ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 見つけた♪
私の住む川越の郊外には、こういった秋の気配を楽しめる自然が残っています。
一幅の絵になるような、郊外でよく見かける素朴な晩秋の景色です。柿がたわ
わに実り、桜の落ち葉からは、ほのかな匂いが漂う、そんな雑木林を散歩でき
る幸せを、月並みな表現で恥ずかしい限りですが、噛みしめています。ここ数
年、やってくるようになった鴨が、間もなく今年も近くを流れる不老川に戻っ
てくるでしょう。どういう仕組みになっているのでしょうか、不思議ですね。
今年の春のことでしたが、その鴨親子に石を投げている子ども達がいて叱りつ
けましたが、何と女の子でした。愕然としましたね。家庭での教育をしっかり
とやらねばいけないと思うのは、年寄りの愚痴であればいいのですが。
 
ところで、近所の雑木林を散歩していたら、ポトンと何か落ちてくる音がした
ので探してみると、かなり大きな丸いどんぐりでした。風が吹くたびに、ポト
ン、ポトンと落ちて来るのでびっくりしましたね。その時に思い出したのは、
「どんぐりころころ」の歌でした。私は、「どんぐりころころ どんぐり子」
だと思っていたのですが、進学教室の歌姫こと○○ちゃん(思い出せないので
す名前を)が、「先生違うよ。♪どんぐりころころ どんぶりこ♪というんだ
よ」といって歌ってくれたことでした。向田邦子さんもある随筆で、野口雨情
の「赤い靴」の歌詞、「異人さんに連れられて」を「いい爺さんに連れられて」
と覚えていたと読んだことがありますが、誤って覚えてしまうことは結構ある
ようですね(笑)。
 
枯葉といえば、私たちの世代では、イブ・モンタン、ジュリエット・グレコの
歌ったシャンソン「枯葉」と、マイルス・デイビスの名演奏を忘れることはで
きません。シャンソンもモダンジャズも、どこかへ消えてしまったようでさみ
しい限りですが、夜中、ひそかにレコード盤へ針を下ろし聴いているフアンも
いるのではないでしょうか。私もその一人です。モンタン、グレコの心にしみ
る歌声、デイビスのミュートをきかせたトランペットの音色と小粋なソロ(即
興演奏)も、静かな秋の夜が似合います。月を肴に人肌のかん酒で過ごすひと
時、晩秋は、人生をゆっくりと考えさせる自然の恵みかもしれません
やはり、日本の四季は、素晴らしいですね。(感謝)
 
【最終回にあたり】
思い返せば、幼児教育ほど難しく、奥の深いものはないと痛感させられること
ばかりでした。むずかる子ども達を、巧みにあやしてしまうお母さん方や保育
園、幼稚園、幼児教室の先生方を見るにつけ、「これはかなわない」と何度も
弱気になったものでしたが、その度に心の支えとなったのは、この言葉でした。
 
 心に火を点ける
 凡庸な教師はただしゃべる。
 少しましな教師は理解させようと説明する。
 優れた教師は自らやってみせる。
 本当に優れた教師は生徒の心に火を点ける。 
  ウィリアム・アーサー・ワード (19世紀のイギリスの教育学者)
 
おこがましくも、教師の代わりに「親」を、生徒の代わりに「子ども」と置き
換えると、「本当に優れた親は子どもの心に火を点ける」となりますが、親を
40数年やって、「まさにその通りだな」とうなずかざるを得ません。私の好
きな響きのいい言葉に置き換えると、「わが子の心に火をともす」となります
が、これこそ育児の究極の目的、ご両親の仕事ではないでしょうか。
 
本メールマガジンの情報の基礎となっている「年中行事を『科学』する」(産
経新聞社 刊)のまえがきで永田久先生は、「年中行事は民族を象徴する。年
中行事を知ることは民族の歩みを知ることである」と述べています。将来に目
を向けることも大切ですが、私達の祖先が、どのように歩んできたかを、日常
生活を通して知ることも、意義があると思います。なぜなら、年中行事やむか
し話には、幼い子ども達が、楽しく生きるために心の糧となるヒントが、たく
さん詰まっているからです。
 
思惑通りになったかどうかわかりませんが、お子さんの小さな心に、ささやか
な灯火を点火できればと願い挑戦してみました。若い皆様の育児の参考になれ
ば幸いです。最後まで拙文をお読みいただきまして有難うございました。
 
お子さんの健やかな成長を、心からお祈りすると共に、素敵なお父さん、お母
さんになっていただきたく、一遍の詩を紹介しておきましょう。ここ数年、雙
葉小学校の説明会で配布されているものです。「この詩のプリントと入学試験
は関係ありません」と校長先生はおっしゃっていましたが、40数年親をやっ
てきた私には、とても難しいことでしたが……(苦笑)。
 
 ★親の祈り★
 神さま
 もっと よい私にしてください。
 子どものいうことを よく聞いてやり
 心の疑問に 親切に答え
 子どもを よく理解する私にしてください。
 理由なく 子どもの心を傷つけることのないように
 お助けください。
 子どもの失敗を 笑ったり 怒ったりせず
 子どもの小さい間違いには目を閉じて
 よいところを心から褒めてやり
 伸ばしてやることができますように。
 大人の判断や習慣で
 子どもを しばることのないように
 子どもが自分で判断し
 自分で正しく行動していけるよう
 導く智恵をお与えください。
 感情的に叱るのではなく
 正しく注意してやれますように。
 道理にかなった希望は、できるかぎりかなえてやり
 彼らのためにならないことは
 やめさせることができますように。 
 どうぞ 意地悪な気持ちを取り去ってください。
 不平を言わないように助けてください。
 こちらが間違ったときには
 きちんとあやまる勇気を与えてください。
 いつも穏やかな広い心を お与えください。
 子どもといっしょに成長させてください。
 子どもが心から私を尊敬し慕うことができるよう
 子どもの愛と信頼にふさわしいものとしてください。
 子どもも私も 神さまによって生かされ
 愛されることを知り
 他の人々の祝福となることができますように。
 
   平成27年10月吉日
    めぇでる教育研究所
    所長 藤本 紀元
お断り 
本文中に紹介しました作家名を、現役の男性には氏、亡くなられた方は敬称を略
しました。女性には、清少納言を除き全てさんをつけましたが、呼び捨てする勇
気がなかったからです(笑)。
 

さわやかお受験のススメ<保護者編>★★第13章  七五三でしょうな 霜月(2)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
             -第48号-
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第13章 七五三ですね 霜月(2) 
 
やってくれました日本のラグビー! 
W杯イングランド大会で南アフリカに続きサモアにも快勝。1940年生まれ
の私は大のラグビーファン。勝因は、感動的でさえある、あの低いタックル。
あれは本当に勇気のいる技で、大きな選手を一発で倒すにはあれしかありませ
ん。ベスト8を目指し、頑張れ、日本!
 
★★むかし話と伝説の違い★★
今月に読んであげたい本の中に、伝説「三井寺の晩鐘」とよく似た昔話が登場
します。
孫引きで気が引けるのですが、「昔話と伝説」について、わかりやすい解説が
ありますので、紹介しましょう。
 
昔話と伝説には区分がある。
「昔、昔、あるところにお爺さんとお婆さんがいました」と始まるのは昔話の
ほうである。いつ、どこで、だれが……を特定していない。いつでも、どこで
も、だれでもかまわない。
そこへ行くと伝説のほうは、
「伊吹山と浅井岳は古くから高さを競い合っていたが、あるとき浅井岳が一夜
にして背を高くした。伊吹山の神タダミヒコはおおいに怒って浅井岳の神アサ
イヒメの首を斬った。首は琵琶湖に落ちて島となり、これが竹生島である」と
いったぐあいに、まことしやかである。いつ、どこで、だれが、といった事情
がそれなりにはっきりとしている。とりわけ土地との結びつきが深い。どこで
起きたことなのか具体的に記されている。
 柳田國男 (1875-1962)の言葉を借りれば、
「伝説と昔話とはどう違うか。それに答えるならば、昔話は動物のごとく、伝
説は植物のようなものであります。昔話は方々をとび歩くから、どこに行って
も同じ姿を見かけることができますが、伝説はある一つの土地に根を生やして
いて、そうして常に成長してゆくのであります。雀や頬白(ほおじろ)はみな
同じ顔をしていますが、梅や椿は一本一本に枝ぶりが変わっているので見覚え
があります」(「日本の伝説」はしがき)
とあって、このたとえ話はわかりやすい。
伝説は土地との関わりにおいていろいろな枝葉をつけ、人々の願望を反映して
成長していく。昔話はどこにでも移っていく。同じような話があちこちにある。
多少姿がちがっても「同じものだな」と見当がつく。
(集英社文庫 「ものがたり風土記」P23  阿刀田 高 著 集英社 刊)
 
「さすが、柳田國男先生」などとおこがましい限りですが、「昔話は動物のご
とく、伝説は植物のようなものであります」の一言ですね。桜の名所を訪ねる
のも訳ありなのです。雀やほおじろ、どこにでも顔を出しているので、素直に
納得しています。
 
【十一月に読んであげたい本 (1)】
七五三は、親が子どもの健やかな成長を祈る日です。しかし、かけ過ぎる愛情
は、子どもの成長を妨げがちです。七五三は、親の子どもに対する愛情チェッ
クの節目ではないかと思います。子を思う親の素朴な愛情を描いた昔話は、心
があたたまります。
 
蛇というと、嫌われものの代名詞のようで、昔話でも悪役が多いのですが、こ
の話は違います。もともと蛇は、水の霊、水の神さまのお使いと信じられてい
ました。この話は、自然の恐ろしさと、お母さんの子を思う姿を伝えた話です
が、嫌われがちな蛇だからこそ、説得力があります。親子の愛情、特に母親の
見返りを求めない無償のほほ笑み的な子を思う心は、理屈を越えた素晴らしい
ものです。
 
しかし、今では、この親子の絆が壊れかけているような気がしてなりません。
ほとんどの場合、親に責任ありと考えます。
「あなたのために、お母さんは……!」
という言葉は、子どもにとって釈然としないものがあるのではないでしょうか。
育児は、皆さんのご両親がそうであったように無償です。エゴ丸出しのうとま
しい母性愛は、子ども達にも迷惑で、やがて嫌われるものではないでしょうか。
気持ちはわかるのですが……。        
 
愛には、報われることを目標とするエロス的愛と、与えるだけで全くお返しを
期待しないアガペー的愛があることは言われているが、親でありながら、エロ
ス的愛しか持たぬものがけっこう多いのである。
(完本 戒老録 自らの救いのために P86 曽野綾子 著 祥伝社 刊)
 
「アガペーとエロス」、学生時代にキリスト教倫理学で習った記憶があります
が、この年になってお目にかかるとは思いませんでした(笑)。曽野さんは聖心
女子大学出身の才媛で、キリスト教倫理に基づく数々の小説や歯に衣を着せぬ
評論で知られていますが、アフリカなどでのボランティア活動を知れば、さも
ありなんと納得せざるを得ません。近著の「人間にとって成熟とは何か」(幻
冬舎 刊)は、50代に出会いたかった本の一冊で、悔しい限りです。(残念)
現在、聖心女子学院には昭和46年に廃止したため幼稚園はありませんが、入
園した曽野さんは何かの随筆に、「私の時は、名前と年を聞かれただけでした」
と書かれていました。今、幼稚園があれば、とてもじゃありませんが、「名前
と年」だけでは済まないでしょう。学院は、小中高6・3・3制から4・4・
4制に移行し、中学受験はなくなりました。詳しくはホームページをご覧くだ
さい。
 
◆へびのよめさま◆   丸山 邦子 著
むかし、あるところに、一人のお百姓さんが住んでいました。
ある時、子どもたちがいじめていた蛇を助けてあげると、その晩、美しい女性
が、一晩泊めてほしいと訪ねてきました。次の日、お百姓さんが仕事を終えて
帰ってくると、その美しい女性が食事の支度をしていたのです。そうこうして
いる内に夫婦になり、子どもができ、お産の時は見てはいけないと言われまし
たが、心配のあまりのぞいたのです。すると、部屋の中には大きな蛇がいて、
とぐろの上に赤ん坊を乗せ、なめていたのです。
やがて、赤ん坊を抱いて出て来て、
「私は、助けてもらった蛇で恩返しに嫁になりましたが、姿を見られては、と
どまることは出来ません」と言い、赤ん坊が泣いたら、しゃぶらせてほしいと
美しい玉を渡すと、沼に姿を消したのです。赤ん坊は、玉をしゃぶり、健やか
に育ちました。
ところが、話を聞いた殿様は玉が欲しくなり、家来に言いつけて、取り上げて
しまったのです。腹を空かせた赤ん坊は、泣きやみません。途方に暮れたお百
姓さんは、沼の淵で、ことの次第を話しました。すると、大きな蛇が、口に玉
をくわえて現れたのです。一つの目から血が流れ、もう一つの目は、ふさがっ
ていました。美しい玉は、蛇の片目だったのです。取られたのなら仕方ないと、
もう片方の目玉をくれたのでした。
しかし、この玉も殿様に奪われてしまうのです。
お百姓さんが、このことを告げると、蛇は怒り、
「子どもを連れて山へ逃げてください!」
と言ったので、お百姓さんは、子どもを背負って駆け出しました。頂上に着い
たとき、沼の水が盛り上がり、城に向かって流れ出したのです。恐ろしい力で
向かってくる水の力に、城は、ひとたまりもありません。みんな流されたその
後は、湖になってしまったのでした。
 九月のはなし きのこのばけもの  松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
                  日本民話の会・編 国土社 刊 
 
日常生活を快適に過ごすために、やってはいけないことを定め、それを破ると
破局を招く発想は、先に紹介しました「古事記」の上巻に、豊玉姫(トヨタマ
ヒメ)の出産をのぞいたことで離別する神話があります。姫の正体はふかでし
たが、その他にも、機を織る仕事場をのぞいてしまった「鶴の恩返し」や、魚や
貝が恩返しをする話などでよく知られています。「見ないでください」といわ
れると見たくなるのは、「怖いもの見たさ」と同様、人間の悪しき性(さが)
のようですね。
 
これとよく似た話があります。
両目を失った蛇から、「私は盲目となってしまい、わが子の姿を見ることがで
きなくなりました。三井寺の鐘を毎日ついて、子どもの無事を知らせてくださ
い。年の暮れには、1年過ぎたことがわかるように、多くの鐘を撞いてくださ
い。お返しに人々に幸運を授けましょう」という滋賀県の伝説「三井寺の晩鐘」
です。以来、三井寺では、除夜の鐘に際し、多くの燈明を献じ、目玉餅を供え、
108に限らず、できるだけ多くの人に、できるだけ多く鐘を撞いてもらう特
別の儀式が行われています。(www.shiga-miidera.or.jpより)
 
余談になりますが、晩鐘というとジャン=フランソワ・ミレーの馬鈴薯畑で働
く農夫が、教会から流れる夕方のアンジェラスの鐘に合わせて祈りを捧げる名
画「晩鐘」があり、小学校6年生の時、図工の先生が画集を持ってきては絵の
解説をしてくれたことを思い出します。「落ち穂拾い」「羊飼いの少女」と共
に忘れられない作品となりましたが、先生から「馬鈴薯はジャガ芋」、「アン
ジェラスはラテン語でエンジェル」と教わり、言葉の響きが新鮮で今でも覚え
ています。おそらく、自分で解説書を読んだだけでは、このような印象を受け
なかったのではないかと思います。そういったことからも音読は、非常に大切
ではないかと考え、小学生の子ども達に薦めています。井沢元彦氏の「言霊
(ことだま)の国・解体新書」(小学館文庫 刊)ではありませんが、言葉に
も生命があるような気がしますね。万葉集をはじめ古今集などの歌集が今でも
読まれているのも、言霊が脈々と生き続けいる証(あかし)ではないでしょう
か。
 
ところで、最近、落語を聞く機会がほとんどなくなりましたが、「寿限無(じ
ゅげむ)」という噺があります。子どもがけんかをして、寿限無にぶたれた子
が、こぶを寿限無の親に見せるのですが、名前があまりにも長いために、文句
をいっているうちに、こぶがへこんでしまった噺です。名前の長さは、この話
に出てくる名前の五倍ほどあり、それをきちんと覚えている噺家さんは、すご
い記憶力だなと、子ども心にも感心させられたものです。
YouTubeで若き日の故立川談志師匠の「寿限無」を聞くことができます。
気持ちはわかるのですが、親の愛情が行き過ぎると、妙な具合になる話です。
名前は、一生の付き合いですから、あまりこったものでは、本人が大変です。
そういえば、「悪魔」という名前を、役所で受け付けなかった話がありました
ね。
 
◆長い名まえ◆   浜田 廣介 著
むかし、ある村外れに、「やぶん中」と呼ばれる家がありましたが、どうした
わけか、子どもが無事に育たず、3、4歳になると、あの世に行ってしまうの
です。ある年に、男の子が生まれ、心配したおじいさんは、長生きできるよう
に、長い名前をつけることにし、和尚さんにお願いしたのです。
つけた名前は、「一丁ぎりの丁ぎりの、丁丁ぎりの丁ぎりの、あの山こえて谷
こえて、ちゃんばちゃく助、なんみょう長助」でした。これで、長生きできる
と、おじいさんは安心して帰るのです。
ある日のこと、長助は川へ菖蒲をとりにいき、丸太の橋を渡ったときに、足を
滑らせ落ちてしまったのでした。友達は、おじいさんに知らせました。
「やぶん中のおじちゃん、大変だぁ。おじいちゃんちの、一丁ぎりの丁ぎりの、
丁丁ぎりの丁ぎりの、あの山こえて谷こえて、ちゃんばちゃく助、なんみょう
長助ちゃんが、落っこちたぁ、落っこちちゃったぁ、川ん中へ!」
声を聞いて、出てきたおじいちゃんは、
「おおい、子どもしゅう。一丁ぎりの丁ぎりの、丁丁ぎりの丁ぎりの、あの山
こえて谷こえて、ちゃんばちゃく助、なんみょう長助が、どうしたって。どう
したぁ?」
「川ん中へ落っこちたぁ!」
「そいつは、たいへん」
おじいさんは飛び出していき、近所の人も駆けつけ、間一髪のところで助かっ
たのでした。
 世界民話の旅 9
 日本の民話 浜田 廣介 著  さ・え・ら書房 刊
 
「長い名前で助かった」と思いたいのが人情ですね。原作では、井戸に落ちて
死んでしまうことになっているそうです。再話で命を救ったのは、作者、浜田
廣介の愛情ではないでしょうか。
 
私事でなんですが、名前を「紀元」(きげん)といいます。誕生日は昭和15
年2月11日で、今でいう「建国記念の日」でした。二月にお話しましたが、
当時は「紀元節」といい、日本の誕生した日を、日本書紀に記されている神武
天皇が即位されたといわれる年(西暦紀元前660年)を皇紀元年として、明
治5年(1872)に定めた祝日だったのです。しかも、昭和15年(1940)
は、皇紀二千六百年にあたり、時あたかも太平洋戦争の前の年でもあり、戦意
高揚のためか、皇室礼賛のためかわかりませんが、「紀元二千六百年、ああ一
億の胸がなる!」と歌を歌い、提灯行列をし、全国的にお祝いをしたそうです。
「紀元二千六百年の二月十一日生まれで名前は紀元」ですから、畏れ多い名前
であったわけで、戦争に勝っていたら、名前負けをした非国民といわれたかも
しれません。しかし、命名されても、名前負けをしない立派なものもあります。
世界自然遺産に登録され、椋鳩十の「片耳の大鹿」の舞台である屋久島にある
杉の巨木、推定樹齢3千年の「紀元杉」です。いつの日か訪ね、同名のよしみ
としてご対面したいものです。ちなみに縄文杉の推定樹齢は7千2百年で、世
界最古の植物といわれていますが、あくまでも推定で、本当のことはわからな
いようです。
 
ところで、世界の名機と言われたゼロ式艦上戦闘機「ゼロ戦」は2600年に
開発され、年号の末尾のゼロを使い命名したそうで、宮崎駿監督最後の作品
「風立ちぬ」が上映されましたから、若い皆さん方にもおなじみになったので
はないでしょうか。
ゼロ戦と聞くと特別攻撃隊、「特攻」のことを思い出します。私は国のために
命を捧げた純真な心には畏敬の念を抱いています。しかし、あまりにも人命を
無視した唾棄すべき史上最低の作戦であるため、涙なくして読めませんから読
みたくないのですが、250万部も売れていると聞き、百田尚樹氏の「永遠の
ゼロ」を読み、これは若い人達に読んでもらいたいと思いました。小説にも絶
対に謝らない日本の為政者、職業軍人の幹部、高級官僚、マスコミに怒りをぶ
ちまけていますが、読み終わり感じたことは、「少しも変わっていないな」と
いうことでした。先の大戦で300万人(戦場で230万人、原爆や空爆で
70万人)の命を失ったにもかかわらず、何もやってこなかった自分を棚に上
げて何ですが、むなしくなりましたね。(合掌)
 
この他、身長以外何でも整形できる世界を描いた「モンスター」、多重人格者
を扱った「プリズム」、影に徹する男の「影法師」、スズメバチの世界にメス
を入れた「風の中のマリア」、敗戦後の混乱期に一人の社員を馘首せずに会社
を再生させた、出光興産の出光佐三の生涯である「海賊とよばれた男」、ファ
イテイング・原田を活写した「最強のバンタムと戦った男」、ボクシングの青
春物語「ボックス」、最後の1行で決める短編集「幸福な生活」、自費出版の
内幕を明かした「夢を売る男」など楽しませてもらいましたが、ゴシップ風な
話に興味がないせいか「殉愛」で、少し引けました。とは言え、読書はありが
たいものです。
 
最後に、今は秋祭りの最中ではないでしょうか。
ここ川越でも、週末の17(土)、18日(日)は、「川越まつり」でにぎわい
ます。大江戸天下祭りを今に伝える歴史ある祭りで、十数台の山車(だし)が、
蔵造りの街に姿を表し、にぎやかなお囃子と愉快な踊りが見所です。出会った
山車同士が、互いに向き合い、独自の囃子と踊りを競う「曳(ひ)っかわせ」
は、祭りの醍醐味で、一見の価値があります。パソコンで「川越まつり」を検
索すると、その様子を見ることができます。
6月に火災があった菓子屋横町、火元は更地になっているようですが、他は営
業しています。川越の住人としても楽しいお菓子の町だけに早く再開してほし
いですね。もう一つの観光スポット、時の鐘は、先にもお話ししましたように、
29年1月の完成を目指し耐震化工事中のため、もしかするとシートをかぶっ
ているかもしれません。
(次回は、「11月に読んであげたい本(2)と最終回にあたり」についてお
話ししましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>★★第13章  七五三でしょうな 霜月(1)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
             -第47号-
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第13章  七五三でしょうな 霜 月(1)
 
物の本によると、霜月(しもつき)のいわれは、文字通り「霜が降る月」とい
う意味です。
その他に、「凋(しぼ)む月」や「末つ月」がなまった説もあるそうですが、
あまりいわれていないようですね。
 
★★なぜ、11月15日なのですか★★ 
11月といったら、七五三でしょう。11月15日は、七五三のお祝いです。
三歳になった男の子と女の子、五歳になった男の子、七歳になった女の子が、
新しい着物をきてお宮へお参りし、神様に子どもの健康と成長をお祈りし、
普段、ご無沙汰の限りをつくしている氏神さまへ、ご報告に出かけるのです。
氏神さまとは、その土地に生まれたものを守る神で、鎮守の神、産土(うぶす
な)の神のことです。これも、当然ながら、訳ありです。
 
七五三は、もともとは徳川幕府の三代将軍家光の四男徳松(後の五代将軍綱吉)
の身体が虚弱体質だったので、五歳の祝いを慶安3年(1650)11月15日
に執(と)り行ったのがはじめといわれている。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P200)
 
その理由ですが、昔の暦には、いろいろと暦注があり、それぞれの「吉凶」が記
されていますが、その暦注の中に「きしく」があります。「きしく」は、「鬼宿
日(きしゅくにち)」のことで、鬼の宿る日と書きますから、何やら大凶のよう
な感じがしますが、江戸時代の初期に使われていた暦、唐から入ってきた「宣命
暦」(せんみょうれき)によると、「よろずよし、ただし婚礼には忌むべし」の
日になるのです。宣命暦は、インドの宿曜経に基づいて作られており、本家のイ
ンドでも、鬼宿を尊んでいます。あのお釈迦様が生まれた紀元前463年4月8
日は、鬼宿でした。インドでは、鬼宿を最善の日としているのもうなずけます。
 
そして、日本は、何といっても農耕民族です。古くより田の神さまは、春には山
から下りて田畑を守り、秋には山に帰るものと信じられていましたし、そのため
に人々は、春には稲が順調に育つようにと祈り、秋には豊かな実りを感謝するし
きたりがありました。11月15日は霜月の祭りで、収穫を終えた稲や穀物と酒
を供え、神さまのお恵みに感謝をする日だったのです。人々も、一年間の労働か
ら開放された喜びの日です。それに加えて、先ほど紹介しました後の五代将軍の
ために行われた五歳のお祝いも、11月15日の鬼宿日でした。何といっても、
ご威光ある将軍さまです。その権威が重なって、鬼宿日を祝日にするには最もふ
さわしい日だったのです。こうして、11月15日が、七五三の日と決められた
のでした。
 
★★七五三の本来の意味★★
今の七五三は、美しく着飾って神社へお参りし、千歳飴をもらい記念写真を撮っ
て、食事をして帰る、一見、楽しそうですが、子どもにとっては何とも不自由な
日、という感じもしないわけではありません。
 
女の子に聞いてみると、着物をきて、お化粧するのは嫌いではないのですが、こ
の日だけは例外らしいのです。帯を何本も巻かれ苦しい思いをして、のどが渇い
てジュースを飲むにも、わき目もふらずに飲むことに集中し、ソフト・クリーム
などとんでもない話で、もう、クタクタになるそうです。女の子の着物は大変高
価ですが、奮発してお金をかけますから、汚すと大変です。親中心のお祝いでは、
こうなりがちですね。
 
しかし、本来の七五三の目的は、素朴で厳粛な祝いだったのです。
昔の赤ちゃんは、ほとんどが頭をつるつるにそっていました。三歳になって、初
めて髪の毛を伸ばし、「もう赤ちゃんではありません」というお祝いをしました。
これを髪置(かみおき)といいます。                 
男の子は、五歳になると初めて袴をはくお祝いをしました。これを袴着(はかま
ぎ)といいます。
七歳の女の子は、それまでの、ひものついた着物から、ひものついていない新し
い着物に代えて、初めて帯を結ぶお祝いをしました。これを帯解(おびとき)と
いいます。
この三つのお祝いを一つにまとめたのが、七五三の行事でした。
 
昔の人たちは、子どもは神さまの子どもで、七歳になったとき、初めて人間の子
どもになると思っていました。ですから、こういうお祝いをして、早く人間の子
どもになることを神さまにお願いしたのです。「これで一人前の子どもになった!」
と祝うのが、本来の七五三の意味なのです。
ですから、昔は、七歳までは、社会の一員として認められていませんでしたし、
罪を犯してもとがめられず、また、喪に服することもなかったのです。一人前と
しての生存権を認められるのは、七歳からでした。今の義務教育が七歳から始ま
るのも、やはり、訳ありなのです。
 
また、七五三は、それぞれ子どもの成長過程の節目にもあたります。
三歳は、親の手を借りずに自分でできるようにする自立の始まるときです。
五歳は、集団生活への適応力を身につける自律の始まるときです。
七歳は、学校教育が始まり、独り立ちの始まるときです。
 
七五三、やはり奇数がめでたい数ですから、こうなるのでしょうが、こうして見
ると、その歳々に意味のあることがわかります。成長に伴い、自分でしなくては
ならないことが増えるのですから、親が過保護にならないための戒めでもあった
のです。しかし、今は子離れのできないお母さんが、増えていると思えてなりま
せん。
4月の「花祭りですね」でも触れましたが、私は子どもの成長過程をこう考えて
います。
一歳は、五感を通して受ける刺激に反応して成長する条件反射の時代。
二歳は、ご両親のお手本を見ながら学習する模倣の時代。
そして三歳は、自分の力で生きていくための自立の時代だということです。
ですから、やっていることをみて、口をはさみむようでは過干渉であり、手を貸
したくなるようでは過保護だと思います。三歳過ぎても、何かにつけて口をはさ
み、手を貸していると、いやな言葉ですが超過干渉であり超過保護です。五歳を
過ぎれば、一人前の人間になる修行の始まるときです。何でもお子さん自
身にやらせるべきで、試行錯誤を積み重ねながら、自立心は育まれるものです。
ここでも、「失敗は成功のもと」です。いつまでもお母さんが口を出し、「早く
しなさい!」「何をグズグズしているの!」などといわれ続けていると、自分で
やろうとする意欲など育ちません。子ども達がいちばん嫌いな言葉は、「早くし
なさい!」です。できないから早くできないのであって、どれだけ無理な注文を
しているか、真剣に考えてください。そして、しなやかな気持ちで、お子さんと
接するお母さんになってあげましょう。お母さん方が得意とする料理、なぜ、レ
シピを見ないで上手に出来るのでしょうか。
 
七歳は、独り立ちして育っていくことを願う前祝いです。きれいに着飾るのもお
祝いですから結構ですが、それだけではなく、親が精神的に子離れをする最後の
時期だと思います。
お母さんの自立を見守る温かい眼差しは、子どもの自立心を培い、そこから自律
心も育まれます。先にもお話ししましたが、義務教育が始まる時であることも、
成長の理に適っているわけです。
 
★★千歳飴★★
七五三のときには、千歳飴を食べます。
「千歳」とは千年のことですから、長寿への願いがこめられているわけです。袋
には、縁起物のシンボル松竹梅や、長寿の代表であるつるやかめ、それに翁や婆
の絵をあしらった、これ以上はない、めでたいデザインが用意され、その中に、
これでもかと紅白のあめの棒が入っています。めでた尽くめの千歳飴は、江戸の
宝永時代のころ、観音様で有名な浅草寺のある浅草で、豊臣家の残党の一人であ
った平野陣九郎重政が、甚右衛門と名を改め、あめ屋となって始めたものといわ
れているそうです。千歳飴は長く伸びるので、子どもがぐんぐん大きくなって、
いつまでも長生きできるようにと食べたのでした。
同じ飴で、今でも覚えているのは金太郎飴です。不思議でしたね、どこを切って
も、同じ顔の金太郎さんが出てくるのですから。でも、現代っ子は、食べている
のでしょうか。
 
★★人の一生の祝い★★
お宮参り、七五三、成人式、還暦などは、今でもお祝いされていますから、耳新
しい言葉ではないでしょう。しかし、三日祝、卒寿となると、「……?」となる
かも知れません。
いずれも、人が生まれてから年をとり、老いて亡くなるまで、その年齢に応じた、
さまざまな通過儀礼といわれているお祝いがあります。昔は、今のように医学が
進歩していませんでしたから、病魔から命を守るために行った儀式でもあったの
です。本来、祝いの対象となる年齢は数え年でしたが、今日では満年齢で行われ
ています。さて、皆さんは、どのくらいご存知でしょうか。
 
[三日祝] 
湯始めを行い、三日衣裳という袖のある産着を着けさせる日で、お母さんは産後
ですし、お父さんは新米のパパですから、ここはおばあちゃんの独壇場です。
 
[お七夜] 
生後7日目、名前を付ける命名式を行う日で、昔は神棚に名前を飾り、家の神様
に報告したものです。 
 
[お宮参り] 
地方によって異なりますが、男子は生後31日か30日、女子は32日か31日
に産土神(うぶすながみ)にお参りをします。そんな昔のことではありませんか
ら、覚えているでしょう。産土とは、その人が生まれた土地のことで、産土神と
は、その人の生まれた土地を守る神さまで、鎮守(ちんじゅ)の神、氏神ともい
います。この頃のお母さん、輝いていますし、お父さんもファイト満々です。
 
[お食い初め](おくいぞめ)
生後100日目または120日目に初めてご飯を食べさせる内祝ですが、まだ、
ご飯は無理ですから、実際は食べさせる真似をするだけです。離乳食を経て自
分の手で食事のできるようになるまで、本当に大変な時期でした。
 
[初節句]
生まれて初めての節句、女の子のひな祭り、桃の節句と男の子の端午の節句です。
初孫であれば、おじいちゃん、おばあちゃんの存在を有り難く思い、感謝する日
です。
 
[七五三]
省略しますが、この間に入園、入学の内祝いがあります。「幼児にはシックスポ
ケットあり」といわれていますが、お父さん、お母さん、ご両親の祖父母を入れ
ると6つのポケットがあり、幼児にとって強力なスポンサーとなるという意味で
す。七五三も両祖父母の楽しみな祝になっているようです。
 
[十三参り]
4月13日に初めての厄年の13歳の子どもが、福徳と知恵と健康を授けていた
だくために虚空菩薩様にお参りする日です。13歳は、精神的にも肉体的にも、
子どもから大人へ成長する途中の不安定な過渡期で、最初の厄年にあたるところ
から、厄除けする意味もあります。中学生がこの時期にあたるわけです。
 
[成人式]
今は20歳に祝いますが、本来は、男子は15歳、女子は13歳が一般的でした。
20歳になっても自由と権利だけを主張し、義務を無視している自己中の子ども
に育ってしまったら、それははっきりいわなくても親の責任不履行の結果です。
 
[厄年]
厄年とは、「人の一生の内、何かの災いにあいやすい年齢をいい、医学の発達し
た現代においても、何事においても慎まなければならない年」で、男子42歳、
女子33歳が大厄です。本人に災いがなく周りに起こる場合もあり、心意現象と
して片付けるわけにいかない、不思議な現象といえます。
 
[還暦]
60歳、生まれた年の干支に返ることから「還暦」と呼ばれています。昔は、赤
い帽子をかぶり、ちゃんちゃんこを着て祝ったものですが、最近はどうでしょう
か。「ちゃんちゃんこ」とは、子どもの着る袖のない羽織のことです。
 
[古稀]
70歳のお祝いです。古稀の由来は、「国破山河在 城春草木深…」でおなじみ
の唐代随一の詩人、朴甫の『曲江詩』の中にある「人生七十古来稀」の句だそう
です。
(注「稀」は当用漢字にはなく「希」と書く場合が多い)
 
[喜寿]
77歳、「喜」の草書体が、七を三つ書き七十七と読めるところから、喜
寿の祝いとなりました。以降の命名と由来は、文字から起きたものです。
 
[傘寿]
80歳、「傘」の略字が、八と十から成り立っていることから。
 
[米寿]
88歳、6月にも紹介しましたが「米」の字を分解すると「八十八」になること
から、米寿の祝いとなりました。
 
[卒寿]
90歳、「卒」の略字体が「卆」で、九十と読めるから。
 
[白寿]
99歳、「百」から上の一字を取ると白になるからで、百の下は99ですから、
白寿とはしゃれています。
 
[茶寿]
108歳、茶という字を分解すると、十、十、八十八となり、足すと108に
なることと、古来「八」は、末広がりで縁起のよい数であることから、108歳
の祝に。
 
また、年齢に関する異称には、次のものがあります。
弱冠をのぞき、出典は「子曰(しいわく)」で始まる孔子の「論語」です。高校時
代に漢文で習いましたが、それっきりで縁のなかった言葉でした(笑)。
 
[志学]15歳のこと。論語(為政)吾十有五而志於学 十五にして学に志す。
[弱冠]20歳のこと。古代中国で20歳を「弱」といい、元服の冠をかぶること
から。
[而立](じりつ)30歳のことで、論語(為政)三十而立から。学問が備わって
自分の立場ができあがる年。
[不惑]40歳のことで、論語(為政)四十而不惑から。
人生の方向が定まって迷わなくなる年。
[知命]50歳のことで、論語(為政)五十而知天命から。
天から与えられた使命を知る年。
[耳順](じじゅん)60歳のことで、論語(為政)六十而耳順から。
修業を積んで他人の言葉を素直に受け入れられるようになる年。
 
それぞれの通過儀礼は、人生の節目と考えられますし、それなりに意味があり、
昔から伝えられてきた英知であり、哲学ではないでしょうか。お子さんだけで
はなく、ご両親のお祝いは、感謝をこめて行いましょう。そして、「育児」し
ながら、自らを育てる「育自」を心がけ、「わが人生を楽しむ、賢いお父さん、
お母さんになってほしい」と思います。ご両親の生きがいは、お子さんだけに
託するものではありません。なぜ、七五三のお祝いをするのか、もう一度、考
えておきましょう。
 
ところで、私事で何ですが、還暦を迎えた時、全く泳げない金槌であった家内
は、一念発起してスイミングクラブへ入会、今では1日に1000メートル泳
ぎ、孫から「イルカのおばあちゃん!」といわれるほどになり、古希を迎えた
今年はコーラスクラブへ入り、譜面にあまり強くないのでどうかなと思いまし
たが、各パート別に録音されたものを使い、譜面を見ながらの練習法は中々な
もので、楽にこなしているようです。最初の練習曲は「夢の世界」(YouTube
で聴けます)、歌詞は後期高齢者の私には気恥ずかしくなりますが、メロディ
とコード進行が面白く、ウクレレを引っ張り出して、家内がいない時に歌って
います(笑)。
若い皆さん方も、節目に何かに挑戦するきっかけをつかむチャンスにしてはい
かがでしょうか。
(次回は、「11月に読んであげたい本1」についてお話ししましょう)
 

さわやかお受験のススメ<保護者編>★★第12章 日本の神さまでしょう  神無月(3)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
             -第46号-
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第12章 日本の神さまでしょう  神無月(3)
 
【十月に読んであげたい本】
神無月ですから、この話がいいでしょう。舞台は諏訪湖、といえば一大音響と
ともに湖面にできる氷の山脈「御神渡り(おみわたり)の現象が思い浮かぶの
ではないでしょうか。寒さで亀裂の生じた氷の隙間から噴き上げた水が凍り、
裂けた方向を見て吉凶を占う「御神渡り拝観式」は、約600年の歴史をもつ伝
統行事だそうで、昔の人は、本当に驚かれたことだと思います。その諏訪湖に
棲む龍神様の話です。
 
◆神在(かみあり)祭りと諏訪の竜神◆  谷 真介 著
毎年、旧暦の1月にあたる11月には、全国の神様が出雲の国(島根県)に
集まるため、留守になる地方が多く神無月といわれ、反対に全国の神様が集
まる出雲は神在月といいます。神様の集まる場所は出雲大社で、八百万の神
様が集まりますから神様だらけになります。この集いを「神在祭り」といい、
出雲の人々は11月19日から1週間、静かに過ごすことになっていました。
ところが、出席しなくてもいい神様がいます。信濃の国(長野県)の諏訪湖
にいる竜神様もその一人で、こんな訳があったのです。
ある年のこと、諏訪湖にいる竜神様だけが姿を見せません。待ちくたびれた
神様達から文句が出始めると、「夜明けまえからここにいる」と声がしたの
で見上げると、天井の梁に身体の太い竜が巻きついていました。「降りてこ
られよ」というと、「私の体は長く、尻尾は湖畔の松にかかっていて、この
社に入るまいが下りて行こう」と言ったのですが、下りてこられては神様の
居場所がなくなるし、尾が国にあるならば全体が来るまでに相談は終わるの
で、これからは国にいてほしい。決められたことは、こちらから知らせるか
ら」ということになり、竜神様は大喜びして帰ったそうです。
この神在祭りが始まる夜には、近くの浜などに海蛇が押し寄せてきました。
これは神様たちの使者である竜蛇様といわれ、頭に「あり」という神様の紋
がついていたそうです。
(日づけのあるお話三百六十五日  11月のむかし話 谷 真介 編著
 金星社 刊)
 
讃岐(香川県)の金毘羅さん、お伊勢さんも参加しません。神話を読むと面
白いことが書いてあります。出雲大社の神様は、もとから日本にいた土着の
神様、大国主命(おおくにぬしのみこと 大黒様)で、伊勢神宮の神様は、
高天原から天孫降臨された天照大神です。大国主命は、後から来られた天照
大神様に国を譲り、その代わりに壮大な神社を出雲に建立してもらったそう
です。社から出られないように、普通の神社と違い、しめ縄は逆向き、柏手
は四拍手(4回は死を意味する)、大黒様は正面ではなく、右の御座所に左
向きに祀られて、参拝者とは正面を向いていないことなどから、怨霊として
祟られないように、封じ込めた説もあります。
 
 平安時代に源為憲の書いた「口遊“くちずさみ”」に、日本の三大建築を
意味する言葉が出ています。“雲太(うんた)、和二(わに)、京三(きょ
うさん)というのですが、(中略)実際はそうだったかは別にして、そう信
じられていたことが重要だと思います。雲太は出雲太郎の略で出雲大社、和
二は大和次郎で大和、すなわち奈良にある東大寺の大仏殿、京三が京三郎で
京都御所の大極殿です。つまり日本で一番大きいのは出雲大社、次が大仏殿、
三番目が京都御所の大極殿というわけです。
(神道から見たこの国の心 樋口清之 井沢元彦 共著 P109
 徳間書房 刊)
 
当時の大仏殿の高さは15丈で、出雲大社は現在の社の2倍の16丈
(48m)あったそうで、古代出雲史博物館に復元された模型が展示されて
いますが、48mの社まで伸びている階段を見た時は魂消ましたね。高所恐
怖症の私には登れません。
 
井沢元彦氏の「卑弥呼伝」(集英社 刊)には、殺人事件を絡めて、卑弥呼
が殺された原因は日食にあったことや、邪馬台国の位置、政治体制から伊勢
神宮と出雲大社の関係がわかりやすく解き明かされています。天照大神が男
神であるとの推理は江戸時代からあるそうで、哲学者、梅原猛氏の推論を紹
介している話には驚かされました。江戸時代は儒教が盛んで、男尊女卑が浸
透していましたから女神では気に入らず、天皇より将軍が威張っていたので、
こういう発想も自由にできたのでしょう。戦前のように、天皇が神格化され
た皇国史観の時代にこういうことを言えば、「間違いなく死刑」と梅原氏は
おっしゃっていましたが、こういった本を読むたびに、不備なところがある
とはいえ、民主主義の世の中に生まれてよかったと感謝せざるを得ません。
 
厚かましい話ですが、昔読んだ梅原氏の「神々の流竄(るざん)」
(集英社 刊)は、少し違和感がありましたが、発売された「葬られた王朝
 古代出雲の謎を解く」(新潮社 刊)で過ちを認め、書き直されていまし
た。違和感とは、「八岐大蛇(やまたのおろち)」の話は大和の三輪山の話、
「因幡の白うさぎ」は宗像一族が祀る九州の話と立証しているところですが、
自説の誤りに気付いた先生は、出雲大社に出かけ大国主命に謝ってきたので
した。自説を訂正するには勇気がいるものですが、こういったところが先生
らしく心から尊敬できるのです。
それにしても笹井芳樹教授の死は、あまりにも悲しい。で、あの事件は、あ
れでいいのでしょうか。(疑問)
 
古事記には、大和朝廷が誕生するまでの熾烈(しれつ)な勢力争いが語られ
ていると先生は分析しています。古事記は、語り部の稗田阿礼の覚えている
話を太安万侶が書きとめたといわれていますが、何人もの編集者がいて、そ
の陰のチーフは藤原不比等で、古事記と日本書紀を編纂し、日本建国の経緯
を記録したものとの説は説得力があります。さらにその意を深めてくれたの
は、阿刀田高氏でした。
 
 これからの数行は、学問的根拠の薄い私の文字通りの私見なのだが……神
話というものが歴史に入り込むのは、たいてい王国が興隆を極めた時である。
周囲の群雄勢力を平定し、強力な国家が誕生し、権勢ゆるぎない王が君臨す
ると、「俺の血筋はそんじょそこいらの馬の骨とは違うんだ。ずっと昔から
由緒のあるものとして、かくかくしかじかの歴史を持っているんだぞ」と、
その礎(もとい)の確かさを文献として残したくなる。つまり神から与えら
れた王座なんだということを、あと追いの形で記録したくなる。古事記も日
本書紀もそうだ。他にも類似の例はたくさんある。
(「旧約聖書を知っていますか」 阿刀田高 著 P241~242
 新潮社 刊)
 
イザナギ、イザナミの尊(みこと)の国造りから、他国からやってきたいわ
ゆる天孫族と、元から住んでいた出雲族が争い、天孫族が勝って大和朝廷が
誕生し、律令国家として基礎固めが出来た時、国家の柱となる天皇家とそれ
を支える藤原一族の繁栄と権威づけるために書かれたのが記紀だとなると納
得できますね。初代の神武天皇から九代開花天皇までは、百歳をこえる年齢
から実存しなかったのではと諸説紛々ですが、面白いのは、日本はイザナギ、
イザナミの尊が相和して国を作ったのに対し、旧約聖書によれば天地創造は、
「在って、在り続ける者」という神さまが7日間かけてお一人で創られたそ
うです。神様には名前など必要ないのでしょうが、モーセがお伺いを立てた
ところ「在って、在り続ける者」とお答えになったとか、阿刀田氏の受け売
りですが(笑)。
事実云々はともかくとして、神武天皇から神話の世界は終わり、聖書では神
様がアダムとイブを作り、禁断の実を食べたことから神の園から追放され人
類の歴史が始まり、新約聖書の時代になったと考えるとわかりやすいのでは
ないでしょうか。古事記の「天地開闢」といい、旧約聖書の「天地創造」と
いい、難しいことは分かりませんが、その後の人間の歴史が、常に宗教がら
みの部族間、国家間の争いに終始しているのには、進歩していないと思いま
すね、人類は。紀元前13世紀頃、モーセに率いられてエジプトを脱出し、
イスラエルが建国されたのは1948年で、何と三千年という想像を絶する
歳月が流れたにしては、その後も争いが続いているのですから、熱しやすく
冷めやすいわが民族では、想像できないことです。その辺の経緯は、阿刀田
氏の「旧約聖書を知っていますか」に書かれていますが、肩の凝らないしゃ
れた表現がわかりやすく、その一つに「これは日光の一つ手前だな」があり、
日光の手前は今市ですから、「これは今一だな」と笑わせてくれる楽しい本
です。
 
先に紹介しました「天の岩戸」の後には、「八俣大蛇」「因幡の白兎」「海幸彦
と山幸彦」の話が続きます。私の年代では、「いなばの白うさぎ」「海さち
ひこ。山さちひこ]などは、子守唄代わりに聞かされていたと記憶していま
す。およそ1300年前に書かれた本ですが、今ある地名がたくさん出てき
ますから、何やらタイムトンネルに迷い込んだような気持ちになりますね。
由良弥生さんの「眠れないほど面白い『古事記』」(三笠書房 刊)は気軽
に楽しめます。
読んでみると、人間味あふれる神話から、なぜ、戦前に天皇の神格化という
プロパガンダ(組織的な主義、思想の宣伝活動)が生まれ、日本民族がのめ
り込んでいったのか、不思議な気がしてなりません。この経緯を司馬遼太郎
の「竜馬がゆく 風雲編」(文芸春秋刊」にわかりやすく書かれており、力
不足で足踏みしていますが、いつか紹介したいものです。脱線しましたが、
神々を敬う気持ちは強制されるものではなく、西行法師のいう「かたじけな
さに涙こぼれる」と素直に低頭できるのが理想ではないでしょうか。
その「因幡の白兎」ですが、平成23年4月から教科書に採用されています。
戦後の教育では、古事記の神話は事実でないことから全部、否定され、軍国
主義復活の基になると切り捨てられ、日陰の存在として無視されていました
が、これは歓迎すべきことではないでしょうか。
 
「因幡の白うさぎ」の主人公大黒様を祀った出雲大社は、平成25年5月に
60年ぶりに「平成の大遷宮」で本殿の修造が終わり「本殿遷座祭」が、
10月には伊勢神宮の社殿を作り替える20年に一度の大祭、「式年遷宮」
が執り行われました。伊勢神宮といい出雲大社といい、神話の世界が現在ま
で受け継がれ、日常生活の中に自然と溶け込んでいるのは、世界広しといえ
ども日本だけでしょう。
皇紀2674年の時空を経て実現したのが、平成26年10月に行われた高
円宮典子さまと出雲大社宮司、千家国麿氏のご成婚。典子さまは天照大神、
天孫族の末裔で、国麿氏は国を譲った大国主命を祀る出雲国造(祭祀を司る
職)の末裔、国粋主義者ではありませんが、悠久の歴史を感じないわけには
いきませんでした。
 
ところで、なぜ、社殿を作り替えるのでしょうか。古くなった社殿の屋根を
新しく作り直した方が簡単だと思うのですが、それはとんでもない話で、不
浄な人間が神様の上にのぼって仕事をするなど、絶対に許されないことだそ
うですが、真相は定かではありません。
 
次は、伊勢神宮の霊験あらたかな話です。
伊勢神宮には、皇室の主神である天照大神が内宮に祀られ、外宮には食物を
司る神、豊受(とようけ)大神が祀られています。参拝された方はお気づき
かと思いますが、神社には必ずあるしめ縄、狛犬、賽銭箱、おみくじなどは
ありません。
 
しめ縄のない理由は不明。狛犬は江戸時代頃から神社に設置されるようにな
ったもので当時はなかったから。賽銭箱がないのは、神宮の祭儀を主宰する
のは天皇陛下であり、天皇以外のお供えは紙幣禁断といって許されていない
から。おみくじがないのは、お参りすることが吉日で、おみくじは国の重要
な問題を解決するために神さまにお伺いするもので、個人的には吉兆を占う
のは憚(はばか)られるという理由だからだそうです。
(伊勢神宮の豆知識 matome naver/jp/odai/2138915798271580401より)
 
どうしてもおみくじのほしい方は、「おかげ横丁」で買えます。
 
落語にも同じ話があり主人公は犬ですが、この話は猫です。猫というと、妖
怪変化の代名詞のようで恐ろしい話が多いのですが、子どもの読む昔話だけ
に、ほのぼののとした構成になっている珍しい話です。
 
◆ねこのよめさま◆   中本 勝則 著
むかし、心のやさしい若者がいましたが、貧乏で嫁のきてもありません。あ
る日、庄屋さまが猫を捨てようとしていたので訳を聞くと、ねずみも取らず
に飯ばかり食べる猫だからという。若者は猫を貰い、「たま」と名付け、わ
ずかな食べ物を半分あげかわいがりました。
ある時、若者が畑から帰るとたまが寝ていたので、「留守の間に、そばでも
引いてくれ」といってみました。次の日、帰ってくると、うすの取っ手にし
っぽを巻きつけ、うすを引いるのです。あんなことをいったので、そばを引
いてくれているのかと、そばだんごを作り、たまにも食べさせました。それ
から、うすを引くのは、たまの仕事になったのです。
ある晩のこと、「かわいがってもらいましたが、猫のままでは、恩返しがで
きません。お伊勢さまにお参りすれば、人間に変えていただけるそうですか
ら、お暇をください」といったのでした。若者は、それも一理あると考えて、
銭を首に結びつけて旅に出したのです。しかし、若者は心配でくわを持つ手
にも力が入らず、畑に出る日が少なくなったのでした。
それから一年たったある日のこと。若者が畑でぼんやりしていると、若い娘
の声が聞こえたではありませんか。何と伊勢参りに行ったたまが、かわいい
娘になって帰ってきたのでした。若者は大喜び、娘を嫁にして畑仕事に精を
出し、幸せに暮らしたのです。
十一月のお話   きつねのよめさま 松谷 みよ子/吉沢和夫・監修
 日本民話の会・編 国土社 刊 
 
池波正太郎の「鬼平犯科帳」には、浅草の回向院に建てられた猫塚の話があ
ります。両替屋に飼われていた猫が、小判を盗み出した現場を押さえられ、
殺されてしまいます。この猫は両替屋にやってくる魚屋さんから、いつも魚
をもらっていました。ところが、魚屋さんが風邪をひいて寝込んでしまい、
一人暮らしで薬どころか三度の食事まで事欠く始末だった時、心配した猫が、
お店から小判三両を盗み出し、魚屋さんへ持っていったことが後でわかった
のです。猫の恩返しをした心がわからずに殺されてしまったのを不憫に思い、
建てた猫塚だそうです。動物の恩返し、真剣に聞く子ども達の目は、いつも
輝いています。
 
ところで、この回向院には、義賊といわれた鼠小僧次郎吉の墓があり、墓石
の欠けらを持っていると、「賭け事に勝つ」「運がつく」ともいわれ、受験
生などには「するりと入れるご利益がある」といわれ、墓石を欠きとる人が
絶えなくなり、現在は墓前に真っ白な「欠き取り用の墓石」が置かれていま
す。インターネットで見ることができますが、次郎吉は今でも有名人なんで
すね(笑)。織田信長父子の供養塔がある京都市の大雲寺には、安土桃山時代
の大盗賊、石川五右衛門の墓があり、墓石を削って呑ませると盗癖が治ると
信じられ丸くなっているそうで、二人ともお役にたっているようです(笑)。
 
ひな祭りに欠かせないのは桃の花、神さまに捧げる榊(さかき)も訳ありで
しょう。少し恐ろしいですが、その言われを残した昔話があります。
      
◆鬼退治◆   おざわ としお 再話
むかし、ある村に元気のいい若者がいました。ある時、村に誰も来なくなり、
若者は峠に化け物でも出ていると思い、家に伝わるやすりを持って退治に出
かけたのです。山道の途中、たき火をしている老人に会いましたが、若者の
行く手をじゃまするので腹をたて、けとばしました。すると、「わしには娘
が三人いて、威勢のいい若者を婿にしたいと探していたのだ」と言うので若
者は承知し、老人の家に行ったのです。立派な家でしたが、若者が門を入る
と閉まり、かんぬきの掛かる音がするのです。鬼の家かもしれないと老人に
ついていくと、家の前に二頭の馬がつながれ、裏には人間のしゃれこうべが
積まれています。老人は、若者を座敷に招き、三人の娘がもてなしてくれま
した。夜になると、誰を嫁にするかと言うので末の娘を指名すると、「奥へ
行って休みなさい」と娘には赤い星の、若者には白い星の模様の布団を用意
したのです。若者は何かあると思い、娘が寝こむと自分の布団を娘にかけ、
娘の布団を自分にかけ眠ったふりをしました。真夜中に鬼となった老人は、
槍を持って現れ、白い星の模様の布団を刺すと、「料理は明日の朝だ」と戻
っていったのです。若者は逃げようとしましたが、戸にはかんぬきがかかり
出られません。そこで、やすりでこするとかんぬきは切れ、若者はつないで
あった馬に乗り逃げたのです。気づいた鬼は馬に乗り追いかけていきました。
倒れていた大木を若者の馬は跳び越えましたが、鬼の馬は大木に足をひっか
け、鬼もろとも下の滝に落ちたのです。倒れていた大木をみると榊でした。
無事に家へ帰った若者は、それから神さまを拝む時には、榊を使うようにな
ったのです。うりや、うんぷんだりょん。
日本の昔話 5 ねずみのもちつき おざわ としお 再話
 赤羽 末吉 画  福音館書店 刊 
 
最後に出てくる「うりや、うんぷんだりょん」は、「これで話は終わり、め
でたし、めでたし」という意味だそうです。いろいろなのがあって、「とっ
ぴんぱらりのぷぅ」といった奇妙なものがあったと記憶していますが、地方
によって違うようです。
 
次の話は笑えますね。一休さんをはじめ、和尚さんと小僧さんの話には傑作
がそろっています。いわゆる「とんち話」ですが、これも素晴らしい。「山
川草木悉皆(しっかい・ことごとく)神性」などと冗談ですが、「至る所に
神さまあり」ならではの話です。
 
◆かみがない◆   鶴見 正夫 著
むかし、あるお寺の小僧さんが、和尚さんのお供で出かけました。途中まで
行くと、小僧さんは小便をしたくなり、道端によって着物の前を広げました。
和尚さんは、「そこには道の神さまがおられるので駄目だ」といいます。小
僧さんはこらえました。少し行くと畠があったので飛び込み小便をしようと
すると、和尚さんは、「そこには、作物の神さまがおられるから駄目だ」と
いいます。少し行くと川があったので、川へむかってかけ出しました。する
と、「川には、水の神さまがおられるから駄目だ」といいます。どうにも我
慢できなくなった小僧さんは、下っ腹を抱えて土手に登りました。そこには
地蔵さまがありましたが、構ってはいられません。地蔵さまの前で小便をし
ようとすると、土手の下から和尚さんは、「駄目だ!」と怒鳴りましたが、
小僧さんはもう我慢ができません。すると、何を思ったのか道の方へ向きか
え、着物の前をひろげてシャーと小便を飛ばしました。小便は、土手の下の
和尚さんの、つんつるてんの頭にかかりました。「何をするんだ」と和尚さ
んは、びしょ濡れの頭で怒鳴りました。すると小僧さんは、すました顔でこ
ういったのです。「和尚さんの頭は、つんつるてん。そこには、髪がないか
らよろしいでしょう」
とんちでころり 鶴見 正夫・文 ヒサクニヒコ・絵 ポプラ社 刊 
 
人間の周りは、神さまだらけを実証した話ですが、落ちの語呂合わせには、
神さまも吹き出すことでしょう。小さい子には、「髪」と「神」の違いを説
明する必要がありますね。
 
睦月、如月、弥生と懐かしい陰暦の月の名称が出てきましたが、昔はどんな
ことをしていたかわかる話があります。「鬼の目玉」(2月)にもありまし
たが、全部の部屋を説明しませんでしたから、ここで全てを紹介しましょう。
 
◆見るなの座敷◆   浜田 廣介 著
むかし、ある村の若者が、庭の梅の木の小枝に足をはさまれていたウグイス
を助けたことがありました。秋に若者はキノコ取りに行って迷子となり、あ
る家の所へ出たので声をかけると、娘が出てきたのです。道を尋ねると方向
違いだとわかり、途方に暮れていると、「今晩、ここに泊り、明日、いらっ
しゃれば」と言うのです。喜んだ若者を庭の縁側に招き、「母を呼んでくる
ので待っていてほしい。しかし、座敷の中を見ないでください」
と言って出かけたのです。時間が経ち手持ちぶさたになった若者は、透き間
から座敷の中をのぞいてしまいました。そこは一月の座敷で、床の間に松竹
梅の鉢植えと鏡もちが供えられ、子どもが晴れ着をきてすご六遊びをしてい
るのです。不思議に思った若者は、次の座敷をのぞきました。そこは二月の
座敷で、稲荷様の初午祭りの様子でした。隣は、三月の座敷でひな祭り、次
は四月の座敷で花祭り、次は五月の座敷で端午の節句、次は六月の座敷で山
開きの日の様子が、次は七月の座敷で七夕祭り、次は八月の座敷でお月見の
様子が、次は九月の座敷で豆が実りアワも穂を下げて揺れています。次は十
月の座敷、刈り入れ時でお百姓さんの働いている様子が見えるのです。次は
十一月の座敷で、枯れ木が目立ち山には雪がかかり寂しい眺めです。最後は
十二月の座敷で、人々は正月を迎える支度をしています。一年続きの座敷を
見た若者は、元へ戻ろうとしたとき娘が現れたのです。「私は、助けていた
だいたウグイスです。お礼をしようと思っていましたのに、どうして、のぞ
きなさったの、見るなの座敷を。ホー、ホケキョ!」と鳴くと、娘も家も庭
もなくなり、若者一人が、ぼんやりと林のやぶの中に立っていたのでした。
世界民話の旅 9  日本の民話  浜田 廣介 著 さ・え・ら書房 刊 
 
日常生活を快適に過ごすために、やってはいけないことを定め、それを破る
と破局を招く話は、「古事記」に豊玉姫の出産をのぞいたことから離別する
神話があるほどで、「他言してもらっては困るのだが」といった約束と同様、
守られないようです。「千夜一夜物語」にも同じような話「アジプと40人
の美女」があり、部屋は40で「のぞいてはいけません」の約束を破りとん
でもない結果になるのですが、好色な話なので割愛します。アラブの世界で
は40という数は「たくさんある」という意味で使われるそうです。中国で
は「白髪三千丈」、日本では「八百万」となりますが、ちっちゃな島国にし
ては何とも大げさな表現で、笑ってしまいますね。しかし「日出ずる処の天
子、日没する処の天子に致す、恙(つつが)なきや」、隋の煬帝に送った聖
徳太子の国書ですが、「その意気やよし」で、私は好きですね。
 
「世界民話の旅 9」には「見るなの座敷」の他に28の作品があり、「泣
いた赤オニ」の作者、浜田廣介の手になる再話集です。「本のはじめ」にも
紹介されていますが、神話や民話は、私達祖先の精神的な文化遺産です。若
いお父さん、お母さん方、小さい時の情操教育は大切です。そのエッセンス
が、こういった昔話ではないでしょうか。子どもは親が解説しなくても、分
化されはじめたさまざまな情緒を育みながら、自分なりに解釈し、自分のも
のにしていきます。そこから幼いなりに自我が芽生え、自立心が育まれてい
くのだと思います。わが子を溺愛する過保護な育児や、四六時中目を光らせ
管理する過干渉な環境からは、情操豊かな子など育つわけがないのです。自
立心を育て、積極的に取り組む意欲を育てることです。そのためにも、お子
さんをじっくり育てるゆとりを持ちましょう。二人の子どもを育てた実感と
して難しいことですが、子どもへの保護、干渉は、ほどほどに済ませるべき
だと思います。しっかりと干渉していいのは、躾です。「他人に迷惑をかけ
ない」は共生の掟で、教えるのは親です。
 
携帯電話やスマートホンの使い方を見るにつけ、躾が出来ていないと痛感す
るのは年寄りのせいだとは思いますが、なぜ、混んでいる道路などで、歩き
ながら見なければならないのかな。そんなに急いで処理しなければならない
ほど切迫した事情があるとは思えないが、他人に不快感を与えているのかわ
からないのかな。スマホを見ながら自転車に乗っている若者を見かけるが、
あれは病気ではないかな。世の中、そんなに安全なところなどあるわけがな
く、周りの者が気を遣っていることに気づかないのかな。こういう愚痴を言
うところが後期高齢者になった証拠と、家内や子ども達は笑っています (苦
笑) 。
 
何でも自分が中心にしか物事を考えられなくなり、「思いやる気持ち」が薄
れていくそのもとは、幼児期の育児に問題があるのではないだろうか。「褒
める時にはやさしく褒め、叱るべき時には厳しく叱る」、これは親の真心で
あり、子どもにとっては、最高の有難い手本であると考えますが、若い皆さ
ん方は、どうお考えでしょうか。  
 
最後に、恥ずかしながら私も誤解をしていた一人ですが、「三猿」の彫刻、
猿を通して人間の一生を8面で表したもので、2番目「幼年期」の猿のこと
ですが、こういった意味があったんですね。
 
 日光東照宮の彫刻で知られている「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿
の意味を、目の前に不正な問題があっても見ないふりをして、声をあげず、
耳をふさぐみみっちい処世術と勘違いしていたが、本当は、幼年期に悪いこ
とを見たり、言ったり、聞いたりしないで、素直なままに育ちなさいという
教育論であると知った。
 (平成23年11月2日 東京新聞朝刊 “筆洗”)
 
「三猿」でクリックすると、新厩舎(神様に仕える神馬、白馬をつなぐ厩舎)
の長押(なげし・柱と柱をつなぐ水平の板)8面に16匹の猿と教訓を読む
ことができます。
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」とも言いますが、英語では
“Ask much,know much”だそうで、子どもにもしっかりと教えたい教訓の一
つではないでしょうか。
 
台風一過、近くの小さな不老川の川辺には、彼岸花が一斉に咲きました。白
い彼岸花があるのを知りませんでしたね。別名を見ると、悪役的な存在で、
ひっそりと咲く孤独な花とみていましたが、埼玉県日高市のひだか巾着田、
一面真っ赤で圧倒されました。
(次回は、「第13章 七五三でしょうな」についてお話しましょう)
 

さわやかお受験のススメ<保護者編>★★第12章 神無月、風流です(2)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
             -第45号-
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第12章  神無月、風流です(2) 
 
まことに僭越な話でありますが、神さまは、普段、どうやらお眠りになってい
らっしゃるのではないかと思える節があるのです。
神前で何かが始まるとき、必ず、例の大太鼓をドン、ドンと打ち鳴らし、そこ
で神主さんも、「ウ……………!」と、これまた大音声を発します。仏さまも、
鐘や木魚の音がお好きのようです。日本の神さまだけではありません。教会で
も、ミサの始まる前にパイプオルガンをガンガン鳴らし、いや、荘厳に演奏し
ます。そして、讃美歌を歌います。いずれも、神さまにお目覚めいただく儀式
ではないかと思えてなりません。
 
ところで、出雲の人々は、逆に「神在月(かみありづき)」ですから大変です。
何しろ、八百万の神さまです。この間は、音曲、歌舞のたぐいは、一切禁止。
神さまの会議が無事終了するまで、ひたすら静かにひっそりと暮らします。神
さまの中には、酔っ払って人様に迷惑をかけるお方もいるかも知れません。何
しろ日本の神さまは、お酒の上での問題には、実に、ご寛容です。その証拠に、
神事にはお酒は欠かせませんし、神棚にはお神酒を差し上げます。
ですから、民話や昔話には、本当に傑作な神さまがいらっしゃいます。どう考
えても神棚から見下ろしている感じがしません。どこから、こういった発想が
出てくるのかと、しみじみ考えさせられる話が、たくさん残っています。夢が
あるのです。そうです、夢があるんですね。夢や希望をもたせること、それも
神さまの大切なお仕事です。
 
それにしても、わからないことがありました、子ども心にも。
私の家の中には、仏壇と神棚がありました。仏壇にはご先祖の位牌が、神棚に
は天照大神のお札が鎮座ましまして、庭には、氏神さまを祭った小さな祠があ
り、父が、毎朝、この三つに、お水をあげて、お参りするのです。それが終わ
らないと食事は始まりません。
仏さまと神さまが同居しているのです、不思議でした。まだ、本地垂迹説など
知りませんでしたから。
 
でも、不思議でも何でもないのでしょうね。
生まれた時には、神社へお参りして神さまに報告し、結婚式では、キリストに
永遠に愛し
合うことを誓い、死して後は、阿弥陀さまのもとでやすらぎを願うことに、何
ら不都合を感じないのが、日本人の信仰心ですから。
キリスト教やイスラム教のように、唯一つの神を信仰する一神教は、やたらに
もめたりしていますが、いろいろな教えや真情などの、よいところを少しずつ
いただきながら、自前の信仰心を作り出し、お互いに仲良くやっていきましょ
うというのですから、合理的なのかもしれませんね。
世界の四大聖人の教え、キリスト教の愛、イスラム教の施し、仏教の慈悲、儒
教の仁(相手を思いやる心)を理解しているのも、もしかすると、日本人だけ
ではないでしょうか。
資源の乏しいわが民族が、経済大国に発展したのと同じで、独特の知恵だと思
います。日本は文化の吹き溜まりといわれていますが、選択の自由はあるわけ
で、ただ、ひたすら迎合しているわけではありません。
 
しかし、これだけはいえると思います。
木がうっそうと茂る伊勢神宮の参道を、玉砂利を踏みしめながら歩くときや、
出雲大社の古色蒼然とした社を参拝するときの、何とも表現のしようのない気
持ち、荘厳とか厳粛などの言葉では表せない心情、これは、一体、何なのでし
ょうか。その気持ちを見事に表現したものがあります。「樅の木は残った」
「長い坂」「さぶ」「柳橋物語」(何回読んでも同じところで涙が出る困った作
品)などの作者、山本周五郎の作品にあるのですが、これを見つけたときは、
さすがと感激しました。
 
 「長者の万燈より貧者の一燈という、これは寄進の要求だろう、四万六千日
とか彼岸とかの類は参詣の約束だ、……我われの神社にはこういう要求や約束
はない、西行の作だと伝えられる歌に、なにごとのおはしますかは知らねども
かたじけなさに涙こぼるるとある、なんの約束もなくして無念無想に低頭でき
る神社の存在、……宗教としてこれほど純粋なものが他にあるかね」 
[山本周五郎小説全集 37「新潮記」(193頁)
山本周五郎 著 新潮社 刊]
 
またしても西行ですが、宗教として云々は、ともかくとして、
「なにごとの おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」
これではないでしょうか。
私の勝手な思い込みかも知れませんが……。
 
松江の中学の英語の教師であったラフカディオ・ハーン、小泉八雲は、西洋人
として初めて出雲大社の昇殿参拝を許されたのですが、その感動をこう述べて
います。
 
 仏教には百巻に及ぶ教理と、深遠な哲学と、海のような広大な文学がある。
神道には哲学はない。体系的な倫理も、抽象的な教理もない。しかし、まさし
く「ない」ことによって、西洋の宗教思想の侵略に対抗できた、東洋のいかな
る信仰もなし得なかったことである。
(神々の国の首都 小泉八雲 著 平川 裕弘 編
 講談社学術文庫 刊)
 
寺院に仏像はありますが、神社にはありません。
ご神体は、なぜか、1枚の鏡です。にもかかわらず、神社には、「かたじけな
さ」に頭を下げざるを得ないものが、確かにあります。「己の姿を映し、襟を
正す」、これが日本人の信仰の源ではないでしょうか。
 
「無念無想に低頭できる」とありますが、正式な作法は、「二拝二拍手一拝」
で、二度おじぎをし、ポンポンと二度手を打ち、最後にもう一度おじぎをしま
す。
出雲大社では4度打ち、伊勢神宮では、何と八開手(やひらで)といって八度
打ちますが、参拝した時に伺ったところ、これは神職の方がなさることで、一
般の方は「二拝二拍手一拝」でいいそうです。これは、神さまとご対面させて
いただくための儀式でしょうが、柏手を打つのは、日本だけだといわれていま
す。また、無宗教などと平気で言う方がいますが、これは外人と話すときには
要注意です。無宗教とは、「私は平気で人を殺せます」というのと同じだそう
です。
 
ところで、バブル経済全盛の頃、いわゆる名門小学校への受験を扱った「お受
験ブーム」が起こり、NHKの「お入学」やTBSの「お受験」が、全国ネッ
トで放映されましたから、ご記憶の方もいらっしゃるかと思います。当時ほど
ではありませんが、幼児にとっては今でも非常に厳しい状況にあり、もっとも
難関と言われ受験者の多い慶應義塾幼稚舎、狭き門を広げようと、平成25年
に横浜に初等部を開設しましたが、相変わらず狭き門となっています。狭き門
となると話題になるのが、いろいろな噂、怪情報です。特に幼稚園と小学校の
受験は、幼い子どもの能力を見るわけですから、噂の絶えることもないようで
す。
この時期、雙葉小学校、白百合学園小学校、東洋英和女学院小学部、聖心女子
学院初等科などのミッション系の小学校には、信者でなければ入学できないと
いった噂が、まことしやかに広まったことがありましたが、これが本当であれ
ば、ほとんどの日本の子女は、ミッション系の小学校への受験資格はないこと
になります。なぜなら、日本人であればほとんどの方は、仏教の宗派に属して
いるはずだからです。普段は、関係ないような付き合いをしていますが、春と
秋のお彼岸には、お墓参りに出かけるのではないでしょうか。学校側も信者で
なくて結構、お坊さんや神主さんのお子さんも在籍しているといっています。
噂が本当であれば、「日本では、ミッション系の学校は、経営が成り立たない
ではないですか」と否定したものですが、とかく噂とは、根も葉もないもので、
耳を貸さないのが賢いお母さん方のあるべき姿です。
 
しかし、価値観が多様化した現在、何でもありの風潮に疑問を感じ、「小さい
時から絶対的な価値観に基づく教育を行う学校に通わせたい」と考える親御さ
んの増えていることも確かではないでしょうか。私が担当する模擬面接で、宗
教系の学校を受ける志望理由の第一に、これをあげるお父さん方が多くなりま
した。
 
ところで、聖心女子学院は、4-4-4制を導入し中学受験を廃止しましたが、
それより前に埼玉県にある開智小学校は4-4-4制を取り入れています。従来
の小学校にあたるのが1年生から4年生まで、中学校は5年生から中学2年生、
高校は中学3年生から高校3年生で編成されています。青山学院では英語の授
業だけ4-4-4制を導入していますが、今年の説明会でも、その効果について
お話がありました。今後、注目されるシステムではないでしょうか。
 
★★酉の市★★
「酉の市、11月ではありませんか?」と言われそうですが、何でもありの歳時
記です。
酉の市は、何と日本誕生と深い関係があるのです。日本誕生となると、どうし
ても神話の世界に入っていかなければなりません。戦後、神話のすべては作り
事と否定され、神代に関する「おとぎ話」さえ、子ども達の周りから消えてし
まいました。ここで紹介する神話は、古事記(講談社学術文庫 刊)から要約し
たもので、神話の真偽はともかくとして、「おとぎ話」としてお読みください。
勿論、私たちの年代、1940年生まれのものには、懐かしい話ばかりです。
僭越な話ですが、神さま方のお名前は読みやすくするためにカタカナで表記し
ました。
 
◆イザナギノミコトとイザナミノミコト◆
イザナギノミコトとイザナミノミコトは、神様から授かった天沼矛(アマノヌ
ボコ)を、雲の上の天の浮き橋からさし降ろし、海の水をかきまぜ引き上げま
した。すると、矛先から落ちた海水が固まってオノゴロジマができ、島に下り
た二人が結婚し、大小八つの島、大八洲国(おおやしまのくに)を生み、日本
列島が出来たのです。そして、岩や土、砂、風、海、川、水、山、船、穀物の
神さまを生みますが、最後に火の神さまを生んだのが原因で、イザナミノミコ
トは亡くなります。
 
◆黄泉(よみ)の国の話◆
イザナギは黄泉の国を訪ね、国造りは終わっていないので現生に戻ってくれと
イザナミに頼みます。ところが、イザナミの体にうじがわき、8匹の鬼が生ま
れるのを見て逃げ出したのです。姿を見られたイザナミは、恥をかかせたと怒
り、黄泉の国の醜女(しこめ)に後を追わせます。最後に、イザナミ自身が追
いかけてきて、黄泉の国とこの世を結ぶ岩をはさみ、夫婦別離の宣言をします。
イザナミは「いとしいわが君が、こんなことをするなら、あなたの国の人々を
一日千人絞め殺しましょう」といい、「あなたがそうするなら、私は一日に千
五百の産屋を建てよう」とイザナギはいい、この時から地上では一日千人の人
が死に、千五百人が生まれることになったのでした。
 
醜女をやっつけるために桃を3個投げたと書かれていますが、桃太郎で紹介し
たように、桃は神話の世界でも、何やら神秘的な果物なんですね。また、ギリ
シャ神話にもそっくりな話があります。黄泉の国から脱失する際に、「振り向
かないで!」という約束を破り、振り向いたためにご破算になる結末も同じで
す。
 
◆アマテラスオオミカミ◆
黄泉の国から逃げてきたイザナミは、身を清めるために体を洗い、いろいろな
神様を生んだのちに、左目を洗うと高天原(たかまがはら)を治めるアマテラ
スオオミカミが、右目を洗うと夜の国を治めるツクヨミノミコト、鼻を洗うと
海原を治めるスサノウノミコトが生まれたのです。アマテラスオオミカミ、ツ
クヨミノミコト、スサノウノミコトは、禊(みそぎ)から誕生しました。
 
◆天の岩戸の伝説◆
スサノウは、海原を治める仕事をせず、母のイザナミのいる黄泉の国へ行きた
いと、泣きわめいては乱暴を働くので、イザナミはひどく怒り追放します。ア
マテラスオオミカミに話してから、根の国へ行くことになったのですが、スサ
ノウはここでも乱暴なふるまいをし、皮をはいだ馬の死骸を機織り小屋へ投げ
込み、機織り娘にけがをさせ死んでしまいます。怒ったアマテラスは、天の岩
屋に閉じこもり、この世は真っ暗闇になり、悪い神さまが悪事を働き、病気も
広がりました。相談をした八百万の神さまは、岩戸の前でお祭り騒ぎを始めた
のです。「私が姿を隠し世の中が暗くなっているのに、何を楽しそうに騒いで
いるのだろう」と岩戸を少し開けた時、力持ちの神さまタジカラオが、岩戸を
ひきはがし、再び世界は明るくなったのでした。投げ飛ばされた岩は、信濃の
戸隠山となったということです。
この天の岩戸の前で舞われた時、弦という楽器を演奏した神さまがおられ、岩
戸が開いた時に、その弦の先に鷲(おおとり)が止まったのです。
 
神さま達は、世の中を明るくする瑞兆、よいしるしを現した鳥だとお喜びにな
り、以来、この神さまは、鷲の一字を入れ、鷲大明神、天日鷲命(アマノヒワ
シノミコト)と称されるようになったのです。このアマノヒワシノミコトが、
諸国の土地を開き、開運、殖産、商売繁盛に御神徳の高い神さまとして、当地、
浅草にお祀りされたのでした。
後に、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が、東夷征伐の際に社に立ち寄られ
戦勝を祈願し、志を遂げての帰途、社前の松に武具の「熊手」をかけ勝ち戦を
祝い、お礼参りをされました。その日が11月酉の日であったので、この日を
鷲神社例祭日と定めたのが酉の祭り、「酉の市」です。この故事により日本武
尊が併せて祀られ、ご神祭の一柱となりました。
(「鷲神社 後由緒」より)
また、こういう説もあります。
 
鷲神社は、もともとは、大阪府堺市の大鳥神社が本社で、大鳥の起源は、日本
武尊の魂が白鳥になって、陵(みささぎ 貴人の墓)から飛び立ったという伝
説によるものと言われています。
[子どもに伝えたい年中行事・記念日 P98 萌文書林 編集部編 刊]
 
酉の市は、「お酉さま」の名前で親しまれており、境内では福をかき集める縁
起物の熊手が、威勢のいい掛け声と共に売られ、冬の到来を告げる風物詩とも
なっています。何事も訳ありですが、酉の市の由緒が、神代の時代までさかの
ぼるとは驚きです。 日本武尊の武具であった熊手が、開運、商売繁盛のお守
りになったとは知りませんでした。
 
熊手は、時代と共に形も飾り物も変わり、江戸中期より天保初年頃までは、柄
の長い実用品の熊手に、おかめの面と四手(しめ縄についている細く切った紙)
をつけたものだそうです。その後に、いろいろな縁起物をつけ、今のようなお
かめや宝船、千両箱、大判小判などの紙を張り付け種類も多くなり、その年の
流行を入れた熊手も話題を集めています。
江戸時代の頃は、商人や庶民の信仰の対象となっただけではなく、お武家さん
にも空高く舞い上がる鷲を出世のシンボルとしてあがめられ、大いに賑わった
そうです。
 
ところで、三の酉まである年は、俗に「火事が多い」と言われていますが、そ
れはどうやら鶏の赤い鶏冠(とさか)から連想されたものと聞いた記憶がある
のですが、定かではありません。
 
★ハロウィーン★
最後に、外国のお祭りを紹介しましょう、10月31日に行われるハロウィー
ンです。
キリスト教の祝日である「万聖節(ばんせいせつ)」の前夜祭で、秋の収穫を
祝い、悪霊を追い出す祭り。
当夜には、日本のお盆と同じで親族の霊が各家に帰ってきますが、一緒に悪霊
もやってきて悪さをするために、町中でたき火をして追い払ったのでした。紀
元前からケルト人が行う宗教行事が、ハロウィーンの始まりといわれているそ
うです。
アメリカでは、悪霊を追い払うためにカボチャをくり抜いた提灯(ちょうちん)、
ジャコランタンを飾り、魔女やお化けなどに仮装した子ども達が、「お菓子を
くれないと悪戯をするぞ!」と近所の家を回る楽しいお祭りになっていますが、
日本ではどうでしょうか。仮装行列などは、若者や大人が楽しんでいるようで
すね、我が家ではやった記憶がありません(笑)。
※ジャコランタンの由来
 「昔アイルランドに、ジャックという名のケチなずるい男がいた。あまりに
も狡猾であったため、ジャックは死んでも天国に入れてもらえず、仕方なく地
獄へ向かったが、悪魔に追われて追い返されてしまった。ジャックは悪魔がく
れた炭火を、くりぬいたカブに入れ、夜道を照らして歩いた。今でもジャック
はそのランタンをもって、あの世とこの世の間をさまよい歩いている」という
言い伝えが、ジャコランタンの始まりだそうです。今ではカブの代わりにカボ
チャを使うようになり、ジャコランタンはハロウィーンのシンボルになりまし
た。  (『和のこころ』 日本の年中行事 :So-net ブログより) 
 
当初はカブだったんですね。
トルストイの作品に出てくるような「大きなカブ」でなければ、提灯は無理で
すね(笑)。
 
台風18号は、鬼怒川の堤防を決壊させたばかりか、北上した雨雲は東北地方
にも被害をもたらしました。「日本の神さま、しっかり守ってください!」と
言いたくなりましたが……、速やかな復旧を祈ってやみません。私が教室へ出
かける時、総武線の浅草橋駅、市川駅間に荒川と江戸川が流れる、いわゆる海
抜ゼロメートル地帯を通りますが、頑丈な護岸が目に入り、万が一の災害に備
える防災対策は、決して手を抜けないもので、スーパー堤防は、絶対に必要だ
と改めて思いました。
昨日は、阿蘇山が噴火、日本列島、何かと落ち着きませんね。
(次回は、10月に読んであげたい本についてお話ししましょう)

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