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めぇでるコラム : 2025保護者 2ページ目
2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第10章 終戦記念日、このことです 葉月(4)
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「めぇでる教育研究所」発行
2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第39号-
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第10章 終戦記念日、このことです 葉 月(4)
間もなく終戦記念日。終戦後80年近くになりましたので、保護者の方もなかなかイメージしにくいのではないでしょうか。それにもまして戦争そのものの話は小さな子ども達には難しい話ですから、今回の配信を機に、ウクライナ情勢も参考にして、戦争についてご両親はどう考えているかも話し合ってみましょう。
【八月に読んであげたい本】
昭和20年3月10日、東京大空襲。たった一晩で、10万人もの尊い命が失われました。
その東京大空襲を描いた「東京大空襲ものがたり」は、年長さんでも理解できるのではないでしょうか。当時の世相や風習もわかりやすく解説されています。
ダイジェストにするのはおこがましいと思い、本文を少し紹介することにします。
◆東京大空襲ものがたり◆ 早乙女 勝元 著
「電柱だけが知っている炎の夜のこと。
ゆかりと進一の家の近くに、真っ黒こげの電柱があります。
これは、咲子おばさんにとっては、たった一つだけの、大事な目印なのです。
東京大空襲の炎の夜に、おばさんは、赤ちゃんの螢子ちゃんと、ここではぐれてしまったのです。
二人は父さんから、その話を聞かされ……」
これが物語の始まりで、真っ黒こげの電柱の叫び声で終わります。
亡くなった人は、何も語ることができませんが、どれだけたくさんの、つらく悲しいできごとがあったことでしょうか。焼け残りの電柱は、今も東京下町の、あの町角に立っています。北風の吹く寒い日も、夏のカンカン照りの日も、電柱は亡くなった人たちに変わって、「炎の夜」のできごとを、私に、そしてみんなに語り続けているように思われます。
でも、その声は聞こえません。ですから、ゆかりと進一は、電柱にかわって、こう呼びかけるのです。
誰もが、平和を守るための努力を、
そのための、小さな勇気を、
そのための、小さな勇気を、
わすれてはいけない、と。
花房ゆかり 眞一
花房ゆかり 眞一
(東京大空襲ものがたり 早乙女勝元著 有原誠治絵 金の星社 刊)
今となっては、空襲の辛い体験をされた多くの方々は、すでに冥界へ旅立たれたのではないでしょうか。こういった現実があったことを、しっかりと子どもに伝えることも、親の仕事ではないかと思います。
◆長崎のピカ◆
昭和20年の8月6日に、広島に原子爆弾が落とされたの。
一発で広島中が燃え、何10万の人が死んだの。
3日後の8月9日、今度は長崎に落ちて、私の家族8人は一人ずつ順々に死んでいったの。
最初に死んだのは、おばあちゃん。外出中に被爆し、真っ黒になり、はらわたを出して死んだの。次の日に、父さんと母さん、兄ちゃんと死んでいったけれど、上の妹、ゆみ子は、ずうっと見ていたの。次の日の明け方、きれいな船に、父さんと母さんと、おばあちゃんと兄ちゃんが笑って、おいで、おいでしていると、かぼそい声で言うの。「船に乗ったらだめ!」と叫んだけれど、「みんなで迎えに来たよ」と言って亡くなったの。顔はボールのようにはれあがり、歯ぐきはまっ黒にただれ、紫色の斑点が身体中に出て、口も動かないの。でも、そう言って死んだの。気がついたら、弟も死んでいたの。
下の末っ子の妹、すず子は、防空壕で体を寄せ合っていたら、冷たくなっていくので、マッチをつけてみたら、もう死んでいたの。その身体を、一晩中だいて寝ていたの。冷たくて、皮がべろべろとはげるの。
次の日、お隣のおじさんがきて、一人ずつ焼いたの。
私は、12歳でした。
夏休みのはなし
「海ぼうず」 松谷みよ子/吉沢和夫監修 日本民話の会・編 国土社刊
12歳の無残な夏、平和な時代に生かされていることに、ただ感謝するだけです。
もう一冊、戦時下を舞台にした話を紹介しましょう。
◆ホタルになった兵隊さん◆ 堀田 貴美 著
前の戦争のとき、九州南端の知覧に陸軍の飛行場があり、戦争末期、そこは特攻基地でした。
特攻機は人間爆弾で、搭乗員は、二十歳前後の若者達だったのです。基地の近くに、おばさんと二人の娘が手伝う富屋食堂があり、隊員達に親しまれていました。その中に、出撃後に飛行機が故障して、帰ってきた宮川三郎軍曹がいました。再び、出撃しましたが、二度とも機械が故障し、引き返したのです。整備隊長に、いい飛行機をくださいと訴えました。仲間が戦死し生き残るのは辛かったのでしょう。同じ頃、やはり、一人生き残った滝本軍曹が配属され、宮川さんと知り合い、富屋に一緒に顔を見せるようになりました。
昭和20年6月5日の夕方、二人は、明日出撃するため、富屋へ別れにきたのです。
娘たちは、出撃の鉢巻きを贈り、話もつきません。帰りがけに宮川さんが娘達に、「明日の晩9時に、ホタルが2匹入ってくるから、中に入れてやってね」と言いました。
翌日は天気が悪く、富屋の人達は、案じていましたが、夜8時頃、滝本さんが現われ宮川さんは行ったという。2機並んで飛び立ったが、雨雲にさえぎられ、帰ろうと合図しました。宮川さんは、「お前は引き返せ」と、別れの合図をし、雨雲の中へ飛び去ったのです。娘達は、宮川さんの気持ちが、痛いように伝わってきました。
その時、一匹のホタルが天上にとまり、時計を見ると、9時でした。宮川さんが言った時刻と何秒も違いません。店にいた隊員もよってきて、滝本さん達は、ホタルを見ながら、宮川さんの思い出を話しました。ホタルは、話を聞いているようでした。
「宮川さん、やっぱり帰ってきたんじゃねえ。」
おばさんは、ぽつんと言いました。
日本むかしばなし 23
ジェット機とゆうれい 日本民話の会 金沢祐光 絵 ポプラ社刊
最後の、おばさんのつぶやきが、悲しく、何とも言えません。多くの人達の犠牲でつかんだ平和を、私達は、無駄遣い、浪費していないでしょうか。
戦争の話から離れ、盛夏、真夏に怪談話を一席。
むかし話にも怪談はありますが、現代っ子は、昆虫を殺しても、「電池、取り替えてよ、お母さん!」と言うそうですから、こんな話、恐がらないかもしれませんね。
◆あめかいゆうれい◆ 中本 勝則 著
ある夏の暑い晩のこと。
あめ屋のじいさんのところへ、青ざめた顔をした一人の女が、あめを買いにきたのです。
それからというもの、決まったように、夜遅く、あめを買いに来ます。七日目の晩のことでした。
「あめをください」と差し出した手に、銭はありません。いつもより、青ざた顔は、悲しそうに見えるのです。じいさんは、何もいわずに、あめをあげました。
「どこの人だろう」と後をつけると、不思議なことに、山寺の山門まで来ると姿を消したのです。
すると、寺の中から、赤子の泣き声が聞こえるのでした。驚いたじいさんは、和尚さんに訳を話すと、まだ新しい墓にじいさんを連れていったのです。
先日、赤子を身ごもったまま女の人が亡くなり、それがこの墓だというのです。掘り出してみると、棺桶の中で、玉のような男の子が、母の胸にしがみつき、見れば男の子は、あめをにぎっているではありませんか。じいさんが売ったあめでした。
昔、死んだ人には、一文銭を六枚、手に握らせ墓に埋めたそうです。死んだら渡る「三途の川」の渡し賃でした。しかし、母親の手の中には、六文銭はなかったのです。
和尚さんは、泣いている男の子を抱き上げて、「母さまは、わしが供えた銭で、毎晩、お前のために、あめを買いに行ったのだ」と言って、静かに念仏を唱えたのでした。
海ぼうず 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
日本民話の会・編 国土社刊
妖怪やお化けの話は、たくさんあります。幼児用に、怖くない話が多いですから、お子さんが興味を持ったときは読んであげましょう。無理なく、勧善懲悪を教えるように構成されているからです。
( 次回は、「お月見です」についてお話しましょう。)
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、制作したものです】
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第10章 終戦記念日、このことです 葉月(3)
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「めぇでる教育研究所」発行
2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第38号-
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第10章 終戦記念日、このことです 葉 月(3)
★★日本に富士山はいくつあるでしょうか★★
皆さんの住む街に「○○銀座」と命名されている所はありませんか。かなり、あるはずです。なぜ、全国、至る所に銀座があるのでしょうか。
銀座は、江戸幕府が銀貨の鋳造や発行をした役所のあった所で、明治を迎えて廃止されましたが、文明開化のもと洋風建築の商店街がつくられ、以来、東京随一の繁華街と発展し、「銀座」の名前は残ったのです。後発の新宿や池袋に押され気味でしたが、現在では1丁目から8丁目まで、大人の街として東京の観光スポットに欠かせない存在となっています。その繁栄にあやかろうと、各地の中心街の地名に用いられるようになり、そこから人のにぎわう場所を表す言葉ともなって、全国に300もの「○○銀座商店街」が生まれたのでした。
その栄光の第一号は、東京都品川区にある「戸越銀座商店街」だそうです。
文化遺産に登録された富士の名も、銀座と同じように全国に見られます。
いうまでもなく富士山は、山梨と静岡の両県にまたがる日本の最高峰、標高3776メートルの活火山です。宝永4年(1707年 徳川吉宗の時代)の噴火で宝永山ができて、以来、活動を中止していますが、いつ噴火しても不思議ではない、歴然とした火の山です。
ちなみに、日本には111の活火山があます。
一番多いのは北海道の31(北方領土に11)、二番目は何と東京都で、三原山から最南端の日光火山に至る伊豆、小笠原諸島に21、三番目は鹿児島で11、近畿、四国には活火山はありません。史上最悪の災害となった御岳山の噴火、霧島山系の硫黄山周辺、箱根大涌谷、桜島など、地震と同様、自然災害には穏便に願いたいものです。
富士山の話に戻りましょう。
古くから霊峰とあがめられ信仰登山が盛んで、頂上には浅間(せんげん)神社が祭られ、富士、不二、不二山、不尽山、富岳(ふがく)、芙蓉峰(ふようほう)、ふじやま、ふじのやま、富士の高根、といった名称で親しまれ、桜と共に日本のシンボルとして、世界の人々にも知られています。
富士山の山頂にある浅間神社には、古事記によれば、絶世の美女といわれている木花之佐久夜昆売命(コノハナノサクヤヒメミコ)が主神として祀られています。また、富士山麓には、日蓮宗を崇める寺院があり、神道と仏教が仲良く共存しています。一神教では想像できないことではないでしょうか。
さて、銀座が繁栄にあやかろうと普及したものなら、富士山は、その秀麗な姿を愛する私たちの心に、いわく言いがたいやすらぎを与えてくれることから、「おらが故郷の富士」と自賛する富士の名称が、全国に生まれたのではないでしょうか。
北は北海道から南は鹿児島まで、全国各地に富士の名山ありなのです。
おらが故郷の富士を紹介しておきましょう。
蝦夷富士(羊蹄山)標高 1,989m
北海道には、この他に富士に似た山が16山あります。
津軽富士(岩木山)標高 1,625m
津軽の人々は、岩木山こそ日本一の美しい山で、本家を「駿河富士」と呼ばせたい思いがあるそうです。
南部富士(岩手山)標高 2,038m
静岡県から見た富士山に似ており、片側が削げているように見えることから南部片富士ともいわれています。
吾妻富士(吾妻山)標高 1,707m
浄土平のシンボル、別名吾妻小富士山、本家と同様、摺り鉢状の火口には水はたまっていません。初めて訪れたとき、山頂から見上げる一切経山は、霧がかかり、地獄のような姿を見せてくれました。
榛名富士(榛名山)標高 1,391m
榛名山中央にある火口丘で榛名湖の東にそびえ、湖畔に映る姿は美しく、頂上にある神社は縁結び、安産の神として信仰されています。
信濃富士(黒姫山)標高 2,053m
黒姫山は妙高、戸隠、飯綱、斑尾山と並ぶ信越五山の一つで、野尻湖へのびた裾野には世界中から集められたコスモスが咲く黒姫高原があります。
伊豆富士(大室山)標高 581m
お碗を伏せたようなやわらかな曲線の山で、山麓には35種3000本の桜を栽培した「さくらの里」があり10月から翌年5月まで咲いているそうです。
八丈富士(八丈島 西山)標高 854m
ひょうたん型に似た八丈島の北川にそびえる伊豆七島の最高峰、晴れていれば、ご本家を眺望できます。
近江富士(三上山)標高 432m
湖国のシンボル、俵藤太の「百足伝説退治」で知られています。
都富士(比叡山)標高 848m
天台宗総本山延暦寺のある山で、西側の宝が池公園から見ると「ふるさと富士」に見えます。
有馬富士(角山)標高 374m
北摂・三田(さんだ)八景の一つで、「有馬富士 ふもとの海は霧に似て波かと聞けば 小野の松風」と花山法皇が詠んだ花山院からの展望が絶景。
伯耆富士(大山)標高 1,711m
鳥取西部にある火山、中国地方の最高峰。中腹に大山寺があり伯耆(ほうき)富士、出雲富士ともいわれています。
安芸富士(広島 似島)標高 278m
広島市の沖に浮かぶ似島で、原爆投下後、1万人もの被爆者が運びこまれた島。安芸富士は8月6日を忘れません。
讃岐富士(飯野山)標高 421m
台形型の代表である屋島、奇峰型の代表五剣山と共に香川県の山の典型。
小富士(愛媛 興居島)標高 282m
霊峰富士を思い切って縮小すると、こうなるという見本のようなミニ富士で、興居島「ゴゴシマ」と読みます。
筑紫富士(浮岳)標高 805m
浮岳は、越前と肥前を分ける背振山地の西端にある山で、唐津焼きで有名な唐津側から見ると富士の形に見えます。
豊後富士(由布岳)標高 1,584m
日本を代表する温泉地湯布院町にあり、西峰で360度の展望を楽しめ、独立峰のため風が強く、冬は霧氷の名所として知られています。
薩摩富士(開聞岳)標高 922m
三方を海に囲まれた裾野がきれいな山で日本百名山の一つ。特攻隊員が目に止めた最後の内地の山。
インターネット等で検索すると、標高2000メートルから300メートルに満たないミニ富士まで、四季折々の富士の山を見ることができます。いずれも見慣れたコニーデ、円錐状の山で、あるものだなと感心してしまいます。
富士山の語源は、日本語説、アイヌ語説、南方語説などあり決め手はないそうですが、日本語説は、「『万葉集 巻3』の山辺赤人が詠んだ富士の歌に『不尽山』と書いてあるところから、永久に尽きることない、千古万古にそびえ立つ山という意味を込めて、あて字をしたものであろうと解釈する説」だそうです。
田子の浦うち出でて見れば真白にそ 不尽の高嶺に雪は降りける
万葉集巻3(318)
(「つい誰かに話したくなる雑学の本」P65 講談社文庫 刊 より要訳)
(次回は、「8月に読んであげたい本」についてお話しましょう)
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第10章 終戦記念日、このことです 葉月(2)
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「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第37号-
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第10章 終戦記念日、このことです 葉 月(2)
★★なぜ、鳩は平和のシンボルなのでしょうか★★
神社、仏閣、さらに大きな公園には、なぜか鳩がいます。
いないと何か物足りない気がする不思議な存在でしたが、最近では、糞害などで問題になり、駅などでは「餌を与えないで!」といった看板が目立ちます。
しかし、オリーブの枝をくわえた鳩は、依然として、平和のシンボルとなっています。
なぜ、鳩なのでしょうか。
事の起こりは、聖書物語でおなじみの「ノアの方舟」なのですから驚きです。
「人間の邪悪さにあきれた神エホバは、大洪水を起こしてすべてを一掃しようと考えました。しかし、正しい人、ノアだけは救おうと、神は彼に方舟をつくるように命じました。
ノアは人々に馬鹿にされながら巨大な方舟を作り、そこに家族と動物のつがいを乗せました。やがて神が予告したとおり大雨が降りはじめ、陸地はすべて海に沈みました。
数日後、水が引いたことを確かめるため、ノアはまずカラスを放ちました。
しかし、カラスはどこにも羽を休める場所を見つけることができないまま戻ってきました。
それから一週間後、ノアは鳩を放ちました。やがて鳩はオリーブの小枝をくわえて戻ってきました。そこでノアは洪水が引いたことを知りました」
この物語から、「鳩+オリーブの小枝=平和」という図式ができあがったのである。そして、「オリーブの小枝をくわえた鳩」が平和の象徴として世界中に広まったきっかけは、1949年にパリで開催された「国際平和擁護会議」に、パブロ・ピカソが鳩のポスターを描いたからだといわれている。
(「今さら誰にも聞けない555の疑問」 平川 陽一 編 株式会社 廣済堂出版 刊 P348)
歴史に「If」はありませんが、しかし、あえて「もしも」です、最初に栄誉ある偵察の任務を与えられたカラスが、オリーブの小枝をくわえて帰還していれば、カラスが平和の使者として、君臨していたことになります。
でも、悪食のカラスには、オリーブの小枝は似合いませんし、イベントなどで鳩のかわりに真っ黒なカラスが一斉に飛び立つのでは、黒い稲妻のようで、何やら不吉なムードに包まれそうです。
鳩は、一時、情報を伝える貴重な鳥として、脚光を浴びた時代がありました。
伝書鳩です。
足に情報を括り、さっそうと目的地へ向かった、貴重な鳥でもあったのですが、電信技術の進歩にはかなわず、いまでは引退し、伝書鳩レースとして、昔の面影を残すだけになりました。帰巣本能を利用したものといわれていますが、そのメカニズムは、解明されていないそうです。
しかし、まだ、主役として活躍している鳩もいます。手品で使われている、あの鳩です。マジシャンの使う白い小型の鳩は銀鳩と呼ばれ、観賞用としても人気があるそうです。
豆知識を一つ。
以前、五輪憲章にある開会式の項で「聖火への点火に続いて、平和を象徴する鳩が解き放たれる」と記載されていました。ところが、ソウル五輪で、聖火台で羽を休めていた鳩が焼け死んでから、その文言は削除されたそうです。
ところで、鳩の鳴き方ですが、実際に聞いてみると、「ズズーポッポー ズズーポッポー」と妙な鳴き方です。これを「ポッポ ポッポ」と表現したのは、童謡「鳩ポッポ」で、作詞は東くめ、作曲は瀧廉太郎、明治23年(1899)のことでした。それまでの童謡は、文語体で難しかったのですが、子どもが楽しく歌えるよう口語体にした童謡の第1号だそうです。現在、ほとんど歌われていません。
「えっ」と思うかもしれませんが、現在よく歌われている ♪ポッポッポ 鳩ポッポ♪は「鳩」という題名で、この歌とは全く違う曲です。「鳩ポッポ」は、音は悪いですがYouTubeで聞くことができます。
(大人の雑学 日本雑学研究会編 幻冬舎 刊P225より要約)
★★海水浴は治療の一種だった!★★
昔から、夏になれば、川や海で泳ぐものだと思っていましたら、これは、とんでもない間違いだそうです、ご存知でしたか。そういわれてみれば、時代劇で、子どもたちが泳ぐ姿を見たことがありません。「水練」といって武芸の一つでした。こういうことだそうです。
海水浴は、病気を治す方法の一つとして始まりました。はじめは海に入っても泳がずに、波打ちぎわで遊ぶだけでした。海水の塩分が体を刺激し、食欲が出て体重が増えるので、健康にいいといわれていたのです。1885年に神奈川県の大磯に、日本で最初の海水浴場が作られて、次第に泳いで遊ぶ海水浴となりました。
(心をそだてる 子ども歳時記12か月 監修 橋本裕之 講談社刊 P64)
★★なぜ、海の水は塩辛いのでしょう★★
それでは、海の水が塩辛いのにも理由があるのでしょうか。
有史以前の地球は、火山が爆発し続ける、灼熱地獄でした。やがて火山活動も沈静化し、豊富な水から植物が生え、動物が生息し、人間も地球の住民として存在するようになったのです。火山活動により、いろいろな物質や鉱物が、地上にばらまかれましたが、塩分もその一つで、地表からしみ込んだ塩分や岩石に含まれている塩分が雨に流され、河川の水に溶け込み、海に流れ着いたために塩辛くなったのです。
この海水ですが、ではどこから出てきたのでしょうか。
海水ができたのは、今から38億年前、地球上に生物(バクテリア)が生まれたころで、地球誕生から約7億年たっていました。
当時の海水は、塩酸を含む酸性で、岩石に含まれるカルシウムやナトリウムを溶かし、ナトリウムは海水中の塩素と一緒になって食塩になりました。
海水の成分はその頃から現在までほとんど変わっていません。
(「雑学特ダネ新聞 読売新聞大阪編集局 著 PHP研究所刊 P283)
最近の説では、溶岩は地球の内部にあるマグマがかたまったもので、その内部には10%ほどの水が含まれており、それが火山活動の時に地表や海に吹き出し、38億年かけてしみ出した結果、今の海になったそうです。
当時から成分は変わらないそうですから、驚かされますね。
人間は、生物の生態系や地形などを、地球に相談することなしに変えていますが、しっぺ返しを食うことはないでしょうか。
ところで、海水が太陽に温められ、蒸発して雲となり、それが雨となって地上に戻ってくる原理を知ったとき、「なぜ、雨は塩辛くないのかなぁ?」と母に尋ねたところ、塩水を入れた鍋を七輪(土製のこんろ)に乗せて沸騰させ、その蒸気を割り箸にあて、ついた水滴をなめさせてもらったことを覚えています。まったく辛くはないのですが、その割り箸で鍋の中の湯につけて口へ運ぶと辛いのです。塩分は海に残り、水だけが蒸発することがわかりました。
科学の話はここまで。
「海水が、どうして辛いのか」と、その経緯を語るおもしろい民話が残されています。図書館の紙芝居で見たのですが、廃館されてしまい、著者と出版社がわかりません。確か、青森から沖縄まで、広い範囲で残っている民話ではなかったかと思います。四国の場合は、阿波の鳴門となって、今も回り続けているとなっていたような記憶があるからです。
◆塩吹き臼◆
金持ちで欲張りの兄と、貧乏で正直な弟がいました。
ある年越しの晩、弟が兄のところへ米を借りにきますが、断られます。家に帰ろうと山道を歩いていると、白いひげを生やしたじいさんに会い、尋ねられます。
「この夜ふけに何をしているのだ」
「年神様に備える米がない」
といったところ、小さなきび饅頭をくれ、こういったのです。
「そこの森の神様のお堂の裏にいくがよい。そこに穴があり、住んでいる小人が饅頭を欲しがるから、石の引き臼となら交換してもよいといいなさい。必ず、欲しがるから」
そこで、弟は出かけていくと、小人はしきりに饅頭を欲しがり、二つとない宝物だが仕方がないといって、交換したのです。もと来た道へ引き返してみると、まだ、じいさんはいて、こういったのです。
「その引き臼を右に回せば欲しいものが限りなく出てきて、左に回すと止まるものだ」
家に帰って、むしろの上に臼を置き、
「お米よ、出ろ! お米よ、出ろ!」
といいながら右に回すと、米が出てくるではありませんか。
そこで、餅や塩鮭などを出し、よい年越しをしたのです。
翌日には、屋敷や土蔵、お祝いの料理やら酒を出し、親戚や知り合いを招き、盛大な祝い事をしたのでした。驚いた兄は、これには何か訳在りと探りを入れ、石臼の秘密を見つけ、盗み出したのです。兄は、遠くで長者になろうと船で逃げ出します。途中で腹が減り、臼と一緒に盗んできた菓子や餅を食べたのですが、甘いものばかりなので、塩気が欲しくなりました。そこで、「塩、出ろ!」といって臼を右に回すと、塩があふれ出てきました。これで十分だと思い、止めようとしましたが、その方法がわかりません。臼は、勝手に回り続け、塩でいっぱいになってしまった船は、兄を乗せたまま、海の底へ沈んでいったのでした。臼は、今も続けて塩を出しているので、海の水は辛いのです。
こういった話であったと思います。
金持ちだが欲張りの兄、貧乏だが正直な弟も、むかし話の約束事ですね。
よく似ている話が、グリム作の「うまい粥」です。
塩の代わりに出すものはお粥で、止め方がわからず困り果てて、持ち主に返す結末が異なっています。
(次回は、「日本に富士山はいくつぐらいあるでしょうか」 などについてお話しましょう)
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、制作したものです】
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第10章 終戦記念日、このことです 葉月(1)
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「めぇでる教育研究所」発行
2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第36号-
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第10章 終戦記念日、このことです 葉 月(1)
物の本によれば、葉月のいわれは、季節は秋になり、木の葉が落ちる「葉落月」の略されたものが親しみやすいですね。この他に、稲穂の「発月」、雁が渡ってくるので「初来月(はっきづき)」、南から台風の風が吹きはじめるので「南風月(はえつき)」などの説があるそうです。
★★終戦記念日★★
8月といえば、終戦記念日です。8月15日、戦争体験が無くても忘れてはならない日です。これは、季節の行事と違いますから、おかしな話と思うかもしれません。しかし、私たち日本人は、この日を忘れてはならないのです。とにかく、大勢の人が亡くなりました。戦場で230万人、原爆、空襲で70万人、およそ300万人の命が奪われたといわれています。この中には、戦場となったアジアをはじめ、他国の人々は含まれていませんから、犠牲者はさらに増すはずです。この事実だけでも、戦争は絶対に許せません。
最近、「なぜ、日本は世界を相手に戦争をしなければならなかったのか」、その真相を明らかにする書物も多く出版され、知らなかった経緯を知る機会も増えてきました。その最たるものは、「あの戦争は、日本の自衛戦争であった」といった、日本と戦った連合国最高司令官、ダグラス・マッカーサー元帥の言葉でしょう。
その他、真珠湾攻撃の前に日本の暗号が解読されていた、など当時の書類が公開されてきました。原爆についてのことなど、今までの通説とは異なる事実が出てくるのではないでしょうか。
それらの内容はともかくとして、戦争は、人間の引き起こす最も愚劣な罪悪です。そして、戦時中は、全国民が真剣に戦争をしていたのも事実です。国家権力は絶対で、国民は逆らえません。これが恐い。たとえば、赤紙1枚で、たった1つの生命を交換させられたのです。その赤紙は、わずか1銭5厘(当時の葉書の値段)、1銭5厘です……。今ではドラマでしか見ることができない、という世の中でよかったです。
※赤紙 兵を集める召集令状のこと、淡赤色の紙を用いたもので、俗に赤紙という。(広辞苑)
浅はかにも、人間は万物の霊長などと表現されますが、その人間だけではないでしょうか、殺し合うのは。
それも、憎しみをこめて、徹底的に……。
他の動物も同じ仲間同士、争いますが、負けのサインを出すと、攻撃しないものです。満腹のライオンは、しま馬がそばを通っても襲いません。本当に、人間って、不思議な動物です。極限状態になると、何をしでかすかわからないのですから。
そして、ウクライナやイスラエルのように宗教と民族の問題がからむと、必ず、泥沼に落ち込みます。
ニューヨークにある世界でも有数なブロンクス動物園には、鉄格子をはめ込んだ檻、「鏡の間」があり、その前に立つと、人間の上半身が鏡に映り、その鏡の上には、こう書かれてあるそうです。
THE MOST DANGEROUS ANIMAL IN THE WORLD
(世界で最も危険な動物)
そして、世界ではともかく、日本では戦争も原爆も、何やら遠い昔の出来事として、風化されているのではないでしょうか。しかし、忘れてはならないことです。事実は事実として、きちんと語りつがれなければ、戦争のために亡くなった人たちは浮ばれませんし、申し訳ないではありませんか。これこそ、「現代の民話ではないだろうか」と、今月に紹介する本の解説者、米屋陽一氏はおっしゃっています。また、山崎豊子さんの「不毛地帯」のように、外地で苦労された人々の話も読んでおきたいものです。
戦争は、ゲームと違います。リセット、やり直しはできません。ゲーム・オーバーで、本当に「ゲーム・セット」ですから、子どもに戦争の悲惨なこと、二度と繰り返してはならないことを、しっかりと伝えておきたいのです。人間は、お互いに、労わりあう心がなければ生きていけません。「共生」「ともいき」ということを、責任をもって教えるのは、ご両親の大切な仕事です。
たびたび申し上げていますが、幼児期に必要なのは、知識を詰め込むのではなく、情操豊かな子に育つ環境を作ることです。
そこから、自分自身で考え、行動する力が身につくからです。
価値観が多様化し、「何でもありの人生観」をもつのも自由ですが、「共に生きる」意識がぜい弱では、やはり、偏った考えしか身につきません。「共生の反対は自己中心」ではないでしょうか。自己中は、恥じることを知らない人のことです。
(次回は、「なぜ、鳩は平和のシンボルなのでしょうか」などについてお話ししましょう)
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第9章(4)七夕祭りでしょう 文月
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「めぇでる教育研究所」発行
2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第35号-
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第9章 (4) 七夕祭りでしょう 文 月
【七月に読んであげたい本】
七夕とお盆です。どちらも、その縁起話があるので、紹介しましょう。
◆天女のよめさま◆ 常光 徹 著
むかし、ある村の若い猟師が、沼のほとりで昼寝から目を覚すと天女が三人、泳いでいました。若者は、木にかけてあったとび衣(羽衣)を一枚隠したのです。水浴びが終わると、天女はとび衣を着て、天へ舞い上がって行きましたが、隠された天女は天上に帰れません。若者は、泣いていても仕方がないと慰め、家に連れて帰ったのです。
やがて、天女は若者の嫁になり、三人の子どもが生まれました。ある時、上の子が、むずかる下の子をあやす歌を聞き、その歌詞をヒントにとび衣を見つけ、子どもを連れて、天上へ帰ったのです。家に帰った若者は、「会いたければ、一番鶏が鳴く前に、わらじ百足分を肥やしにし、夕顔の種を植えてください」との置き手紙を読み、わらじを作ったのですが、あと一足で夜が明けたので、わらじを埋め、夕顔の種を植え、眠ってしまいました。目覚めた若者が見たのは、空に伸びた、夕顔のつるでした。これで、嫁や子どもに会えると、犬を抱えて登ったのですが、もう少しの所で、つるは止まっていました。若者は、犬を天上に放り上げ、しっぽにつかまり、天の庭に跳ね上り、家族と再会できたのです。
ところが、天上のじいさまは、若者を快く思わず、「四町歩の畑を一日で耕せ!」などと難癖をつけるのです。その度に、嫁さまの助けで解決しますが、最後は、うまくいきませんでした。うりの収穫が終わると、じいさまは、縦に切れ(本当は横に切る)というので切ると、積んであるうりが、音をたてて裂け、水があふれ出して大水となり、若者をのみこみ、流れていくのです。嫁さまは、毎月、七日に会いましょうと呼びましたが、若者は、七月七日と聞いてしまい、それ以来、年に一度、七月七日に、二人は会うことになったのです。
うりからあふれ出た大水が、夏の夜空に見える天の川になったのでした。
七月のおはなし 「かっぱのおくりもの」
松谷 みよ子/吉沢 和夫監修 日本民話の会・編 国土社 刊
同じような話に、鈴木三重吉の「星の女」があります。馬車や蜘蛛(くも)の王様が出てくるので、「羽衣伝説」は日本の他にあるのかなと、不思議に思ったことを思い出します。
鈴木三重吉には、立ち往生したソリで過ごす少年の素晴らしい知恵を描いた「少年駅伝夫」、肉屋と野良犬の心温まる生活を描いた「やどなし犬」など、子どもたちに読んでもらいたい作品が残されています。
この話から、「ジャックと豆の木」を思い出しませんか。何回もいいますが、人間、どこに住んでいても考えることは同じなのです。そう思うと、何やらうれしくなります。本当は、心のやさしい生きものなのです、人間は。
ところで、「ジャックと豆の木」に出てくるのは「鬼」でしょうか、それとも「大男」でしょうか。
◆お盆のはじまり◆
七月十五日は、祖先や亡くなった人たちの霊をなぐさめるお盆の日です。お盆の縁起を伝える話が残されています。
お釈迦さまに、目蓮上人という神通力にたけたお弟子がいて、修行中に息を引きとり、あの世へ旅立ちました。死んだお母さんに会いたいと思い、三途の川を渡り、閻魔大王のいる関所に着き、母に会わせてくれるよう、願い出たのです。大王は、上人を、湯が煮えたぎる大きな釜の所へ連れていきました。釜の中では、釜茹の刑を受ける人達がうめき、叫び声を上げていたのです。上人が、母の名前を呼んでいると、釜の中から一匹のカメがはい上がり、「私がお前の母だ」というのです。その訳を尋ねると、お前が可愛くて、賢いことを自慢し、お前さえ長生きすればよいと罪深いことばかり考えていたからだというのです。上人は、お母さんを助ける方法はないかと尋ねると、毎日、石に一字ずつお経を書き、それからお経を読んでと言いかけたとき、番人の鬼がきて、カメを湯の中へ投げ込んでしまい、二度と姿を見せません。そこで上人は、大王にお礼を言うと、不思議なことに、再びこの世に戻ってきたのです。
次の日、上人は神通力で、八千人もの羅漢(悟りに達した仏教の修行者)を集め、一つ一つの石に、一字ずつお経を書き、お母さんのために、盛大な供養を行ったのです。すると、紫雲たなびく天上遥かから、「お前のおかげで極楽浄土へ行けるようになったよ」というお母さんの声が聞こえてきたのでした。
上人は、その後、毎年、七月十五日になると、お灯明をあげ、祭壇に新鮮な野菜を備え、お母さんや祖先の供養をしたそうです。
これが、お盆の始まりだそうです。
日づけのあるお話 365日 七月のむかし話
谷真介編・著 金の星社 刊
この話を聞くたびに、「子煩悩」という言葉を思い出します。この言葉から、子どもをかわいがる親のイメージを持ちがちですが、本当はそうではありません。煩悩とは、「心身にまといつき心をかき乱す、一切の妄念・欲望」(岩波国語辞典)のことです。「子煩悩」は、「子は煩悩のもと」と考えるべきなのです。すると、目蓮上人のお母さんが、なぜ地獄へ落ちたかわかります。
「お前のことが可愛くて、可愛くてね。お前が賢いことを人に自慢ばかりしていたのじゃ。他の人は早く死んで、おまえだけ長生きしてくれればいいと、罪深いことばかり考えていたからだよ」
少子化時代に過保護な育児をしていると、「子煩悩地獄」に落ちます。被害者は、お子さん自身であることに、気づいてほしいものです。
また、「子ゆえの闇」という言葉があります。
「人の親の心は闇にあらねども 子を思ふ道にまどひぬるかな」 藤原 兼輔
親の心は普段は正しいが、子どものことを思うときだけは、迷いが生じてしまう、という意味の歌である。ここから「子ゆえの闇」という言い方が生まれた。
どんなに理性的な人でも、ことわが子が置かれた環境や将来の話になると思慮分別をなくしてしまう……子を持つ親なら、そういう気持ちはよく理解できるはずである。早い話が親ばかだが……。
(知らない日本語 教養が試される341語 谷沢永一 著 幻冬社刊 P57)
「早い話が親ばかだが……。」わかっていますが、つける薬はないということですね。
次に紹介する話は、「ナヌ?」となるはずです。そうです、芥川龍之介の世界です。こういった作品に出会うと、「やってくれるではないですか」とうれしくなりますね。
◆にんじんのしっぽ◆ 水谷章三 著
むかし、けちなばあさんが、じいさんと隣同士に住んでいました。じいさんが風邪を引き、薬にんじんを分けてくれと頼むと、一本あげるのを惜しみ、細いにんじんを半分に折り、曲がったしっぽのところを、あげたのです。じいさんの風邪は治りました。その後しばらくして、ばあさんは死にましたが、行き先は地獄です。
釜に投げこまれ、首だけ出して苦しみ、もがいていた時、天の神さまが、雲に乗り通りかかったので、助けてくれと大騒ぎをしたのです。その声が神さまの耳に届き、何か方法はないかと、使いの者を閻魔大王のもとへ走らせたのでした。困ったのは、大王です。ばあさんは、何も善いことをしていないからです。閻魔台帳を見ていると、やっと見つかったのは、隣のじいさんに、薬にんじんをあげたことでした。大王は鬼に言いつけ、薬にんじんのしっぽを、使いの者に渡しました。
神さまは、「お前が人助けをした、にんじんのしっぽだ。これにつかまって上がれ」と釜の上に降ろしたのです。それにつかまったばあさんを、神さまが引き上げはじめました。釜から二本の足が出ると、右足に一人、左足に一人、亡者が飛びついたのです。すると、四本の足に一人ずつ飛びつき、八本の足となり、十六人、三十二人と亡者が飛びつきます。ばあさんは、かなり上まで来たと思い下を見ると、足の下に亡者がつながっているではありませんか。にんじんが切れてしまうと、ばあさんが足をこねまわしたからたまりません。取りついていた亡者どもは、地獄の釜に落ちてしまいました。ばあさん一人になり、天国に上れると思ったのですが、あと一息のところで、しっぽは切れ、ばあさんも地獄に戻ってしまったのです。そして、「人のこと、降り落とさねばよかったってか、どうかな」と、つぶやいたのでした。
九月のはなし きのこばけもの 松谷みよ子/吉沢和生・監修
日本民話の会・編 国土社 刊
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」と違うのは、ばあさんの最後の一言でしょう。お釈迦さまが、カン陀多(カンダタ)の無慈悲な心を哀れんだのに対して、このばあさんの一声は、「人のこと、降り落とさねばよかったのではないのかだって、どうかな。そんなことはわからないよ」と、ばあさん本人に言わせているところがいいですね。後悔しないで開き直っています。昔話は、その時代に生きた庶民の息吹を感じることができます。この話も意味深長ではないでしょうか。
人生を達観している気がします。。
最後に、うなぎに関した面白い話があるのですが、インターネットで検索しても見つかりません。寺村輝夫氏の「とんち話・むかし話シリーズ」の「わらいばなし編」(あかね書房 刊)ではないかと思います。題もうろ覚えで間違っているかもしれませんが、こういった話です。
◆においの値段◆
うなぎ屋さんの店の前に、舌を出すのもいやな、けちべえさんが住んでいました。昼時になると、けちべえさんは、お茶碗にご飯をいっぱいつめ、家の窓をあけ、うなぎの焼ける匂いをかぎながら、美味そうにご飯を食べるのでした。
うなぎ屋さんはこれがしゃくで、何とかお金を取れないものかと考えていたのです。
うなぎ屋さんはこれがしゃくで、何とかお金を取れないものかと考えていたのです。
ある日のこと、請求書を持って、けちべえさんの家に行ったのでした。
「けちべえさん、あなたは、毎日、お昼になると、うなぎの匂いをかいで、ご飯を食べていますが、うなぎはただではありません。匂い代を払ってくれませんか」
「ああ、いいですよ。毎日、ご馳走になっていますから」
といって、けちべえさんは、奥にいって、何と財布を持って出てきたではありませんか。
「いくらですかな?」
驚いたのはうなぎ屋さんです。 けちべえさんが、お金を払ってくれるなど、信じられなかったからです。
「1月分ですから、ちょうど○○です」
「おや、安いものですな。じゃ、払いますよ」
といって、お金を床に投げ出したのでした。チャリン、チャリンと音を立てたのを聞いたけちべえさんは、
「私は、匂いだけをかぎましたから、お前さんにもお金の音だけで払ってあげましょう」
といって、お金を拾い、さっさと奥に入ってしまったのでした。
落語にも同じ話があったと記憶しています。これは、とんち話ですから、子ども達の方が知っているかもしれません。
(次回は「終戦記念日、このことです」についてお話しましょう)
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第9章(3)七夕祭りでしょう 文月
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「めぇでる教育研究所」発行
2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第34号-
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第9章(3) 七夕祭りでしょう 文 月
★★お盆って何の日、ご冗談を★★
人間は死ぬと仏様になり、その仏様をお迎えする行事をお盆だと思っていましたが、少し違うようでした。「盆と正月が一緒に来たような忙しさ」といいますが、これは1年を半期ずつに分けた前期の始まりが正月で、後期の始まりがお盆だから、こういう使い方をするのです。
正月に、日頃お世話になった人々のところへ感謝と新たな年を迎えるにあたっての抱負を胸に、年始まわりするのと同じように、盆には健在な親、仲人、師などの親方筋を訪問し、心のこもった贈り物をする、盆礼という習慣があった。(中略)盆は満月の日、7月15日である。それが仏教の説く盂蘭盆会(うらぼんえ)と一致し、仏教国家として次第に民衆の間に浸透し、(中略)盆は7月15日の中元に吸収され、「盆と正月」は「盆暮」と姿を変えたのである。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P149)
日本に伝えられた盂蘭盆会は、推古天皇14年(606年)に初めて催され、聖武天皇天平5年 (733年)より、年中行事になったそうです。「盆と正月」が「盆暮」と言葉を変えたのは、1年を半期ずつに分けた前期の終わりを盆、後期の終わりを暮というようになったからです。それで盆は中元を、暮は歳末を意味するようになり、盆にはお中元を、暮にはお歳暮を、お世話になっている人に感謝の気持ちをこめて、贈り物をするようになったのです。
また、お正月に「お年玉」があるのと同様、お盆にも「お盆玉」があるのをご存じでしたか。江戸時代、山形県の風習がはじまりとか。
文具メーカーから盆玉のポチ袋が発売されたり、日本郵便からも「お盆玉袋」が発売されたりもしていたようです。
★★お盆の風物詩★★
お盆には、7月15日を中心に祖先の霊を迎えて送る行事、精霊祭(しょうりょうまつり)があります。
13日に迎え火をたきますが、これは仏様が、おがら(あさの皮をはぎ取った茎のこと)を折って、たいた煙に乗り、盆灯篭(ぼんどうろう)の明かりを頼りに家に帰ってくるからだそうです。おがらの足をつけたきゅうりの馬となすの牛を内向きに並べて飾るのは、仏様は、馬に乗り、荷物を牛に背負わせて帰ってくるといわれているからです。迷子にならないように、きちんとお迎えをする意味でしょう。私のように、そそっかしい仏様もいるはずですから。
仏様を祭る棚を盆棚(精霊棚)といって、そこに真菰(まこも)を敷き、ほおずき、ききょう、おみなえし、はぎ、山ゆりなどの秋の花を飾ります。こうして久しぶりに帰ってきた仏様は、真菰にお座りになり、それを家族みんなで慰めるということでしょう。お供えは、畑でとれたものや、仏様が生きていたときに好きだった食べ物も供えます。私でしたら「越乃寒梅」(幻の銘酒といわれていた新潟の酒)を1合だけ、お願いしたいものです。
そして、懐かしい自分の家で過ごした仏様は、7月16日には、お帰りになります。これが送り火で、きゅうりの馬となすの牛は、今度は外向きに並べて、送り出すことになりますが、これも間違いなく彼岸の方へ帰ってもらうためでしょう。
広島の灯篭流しのように、送り火を小さな船に乗せて、お供え物と一緒に、川へ流すこともあります。また、地方によっては、美しく飾られた精霊船に、仏様に供えたものを乗せて、灯火をつけ、経文や屋号を書いたのぼりを立てるところもあります。
送り火で有名なのが、京都の「大文字焼き」で、8月16日に行われていますが、これは8月15日を旧盆として祭る風習が、残っているからです。7月の京都は、まだ梅雨明け前です。しとしと降る梅雨空に、大文字焼きは映りがよくありません。やはり、しっかりと暑い8月だからこそ、風情があります。何やら風鈴の涼しげな音と、蚊取り線香の匂い漂ってくる、そんな感じがしませんか。
まだ、あります。盆踊りです。
これも、仏様を迎え、慰め、そして来年も間違いなく来てくださいと、送るために捧げられたもので、中央のやぐらのまわりを輪になり、鉦(しょう)と太鼓と笛に合わせて踊ったのです。今では、地域のコミュニケーションの場となり、夏に欠かせないイベントの1つになっていますね。親子で「ドラえもん音頭」に合わせて踊られてはいかがでしょうか。
「やっとさー!」の掛け声も楽しい徳島の阿波踊りは、ものすごい迫力で、夏の風物詩に欠かせません。東京の山の手、高円寺の阿波踊り、今ではすっかり定着して名物になっていますが、何だかおかしな気がしないでもありません。
しかし、下町の浅草では、ブラジル生まれのサンバ大会をやっていますから、おかしくないのでしょう。本場のブラジルから応援にきている女性軍団の踊り、リオのカーニバルのものすごさを想像させてくれます。
★★お神輿と山車の違い★★
浅草といえば「三社祭」、浅草寺の境内は、神輿(みこし)を担ぐ人で、ごった返します。威勢よく担ぐ神輿は、上下左右に激しくゆれ、よくぞ怪我人が出ないものだと心配になるほど殺気だち、恐いほどです。
この神輿のいわれですが、時代劇でよく見かけるように、昔、身分の高い人は、輿(こし)といわれた台に乗り出かけていました。神輿は、つまり、「神の輿」であって、神様の乗り物なのです。そして、お乗りになっている神様は、激しくゆさぶられるのが大好きで、激しければ激しいほどご機嫌になるといわれ、そのために、元気よく担ぐのだそうです。
山車は、祇園祭などでお馴染みですが、四月の桜の時に紹介しましたように、神様は、冬になると山に帰り、春になると下りてくると信じられていました。
お祭りには、神様が必要ですから、来ていただくために、お迎えするための乗り物が必要だったわけです。そのため、祭りには移動式の山が作られたのです。これさえあれば、祭りに神さまを招くことができると考えられていました。その後、形が変わり「山車(だし)」になっても、山の字が残ったのです。
(心を育てる 子ども歳時記12か月 監修 橋本裕之 講談社 刊 P66)
ところで、神様にも悪い神様がいたそうです。
夏祭りの神様は悪い神様で、病気や飢饉などを起こさないように、神輿を激しく揺さぶり、ご機嫌を取って、山に帰ってもらい、災いを未然に防ぐ、昔の人の知恵だったのです。日本の三大祭といえば、東京の神田祭、大阪の天神祭、コンチキチンコンチキチンのお囃子でおなじみの京都の祇園祭ですが、祇園祭の主役である牛頭(ごず)大王は、地獄にいるという牛頭人身の獄卒で、有名な悪い神様だそうです。
★★なぜ、土用の丑の日に、うなぎを食べるのですか★★
「土用」というのは、何も夏だけではありません。
「節分」と一緒で年に4回あります。前にもお話したと思いますが、立春、立夏、立秋、立冬はそれぞれの季節の始まりです。そして、それぞれの前の18日間を「土用」といい、その最初の日を「土用の入り」といいます。土用は、四季、それぞれにあるのですが、なぜか夏の土用だけが有名です。しかし、なぜ「丑の日」というのでしょうか。それは、それぞれの日にちには、正月で取り上げた「十二支」の動物の名前がついているからです。それで、夏の土用の内にやってくる丑の日のことを「土用の丑の日」といいます。
ご存知のように、この日は夏ばてしないように、良質のたんぱく質、脂肪、ビタミン、カルシュウム、鉄、亜鉛、DHA、ミネラル類などを含む、栄養のバランスのすぐれたうなぎを食べる習慣がありますが、何とその歴史は古く、何しろ「万葉集」の大伴家持の歌に、「夏バテに効果がある」と詠われています。
奈良時代から、この日は、うなぎにとって、まさに受難の日であったわけです。
しかし、なぜ「土用の丑の日」に、うなぎなのでしょうか。丑の日ですから、ステーキとか焼肉という感じがしますが、江戸時代ですから、まだ、牛肉は無理でしょう。
事の起こりは、江戸時代の学者、平賀源内が、うなぎ屋の宣伝をしたのが始まりといわれ、そのコピーは、「土用の丑の日はうなぎの日」だったそうです。
源内は、起電気であるエレキテルを完成させたことで知られていますが、その他、本草学者(薬用に重点をおいて、植物や自然物を研究した中国古来の学問)、劇作家、発明家、科学者、陶芸家、画家、工学者として一流でしたから驚きです。非常に多才な方で、まさに江戸のレオナルド・ダ・ヴィンチ的な存在であったわけです。
ところで、江戸時代は4本足の獣を食べなかったのですが、「うさぎは、ぴょん、ぴょん飛ぶから、あれは鳥だ!」といって食べていたのです。ですから、うさぎは1羽、2羽と数え、それが今も残っているのですが、子どもたちには、よく理解できない数え方になっています。哺乳類を食べることを禁じていた仏教の影響でしょうが、とんだところで、子どもたちを悩ませているようです。
この数詞ですが、日本語は難しいですね。1本、2本、3本、1匹、2匹、3匹とふえるに従い読み方が違い、4本、4匹以下が、また違いますし、花にしても、1本、1輪、1束、1鉢、1株などと分けて使っていますから、外国の方には、魔法のように思えるようです。それだけ、物に関する感性が、繊細だということですね。
最後に蛇足ですが、天然うなぎの旬は、産卵前の秋から冬にかけての時期で、「秋の下りうなぎ」といわれているそうです。そういえば、下り鰹(戻り鰹)も脂がのり美味しいですね。
(次回は「7月に読んであげたい本」についてお話しましょう)
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第9章(2)七夕祭りでしょう 文月
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「めぇでる教育研究所」発行
2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第33号-
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第9章(2) 七夕祭りでしょう 文 月
★★なぜ、仙台の七夕は、8月なのですか★★
七夕といえば、子ども達には待ちかねているのは夏祭りではないでしょうか。
以前のように祭りを存分に楽しめる日が一日でも早く戻ることを祈ってやみません。
それはともかくとして、仙台の七夕は、8月に行われています。竿燈とねぶたを合わせて、東北の三大夏祭りですから、華やかです。何しろ街中が、七夕の飾りで埋まっている感じがします。しかし、素朴な疑問ですが、何だかおかしくありませんか。七夕は、五節句の一つ「七夕」(しちせき)ですから、七月七日と、七が二つ重なるところに意味があるのではなかったでしょうか。
七夕を「たなばた」と読むのはなぜだろう。「たな」は棚で、「はた」は機である。7月7日の夜、遠来のまれびと・神を迎えるために水上に棚作りして、聖なる乙女が機を織る行事があり、その乙女を棚機女(たなばたつめ)、または乙棚機(おとたなばた)といった。「七月七日の夕べの行事」であったために「たなばた」に「七夕」の字を当てたのである。萬葉集には七夕は織女と書かれているが、新古今和歌集では七夕となっている。
「七夕」の字は平安時代に当てられたものであることがわかる。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P121-122)
永田先生のご指摘では、仙台の七夕は「八夕」になります、何と読むのでしょうか。冗談はさておき、これも訳ありなのです。
年中行事は、日本で最後に使われた太陰太陽暦である天保暦で行われています。
現在、使われている暦は、明治6年から採用された太陽暦、グレゴリオ暦です。
この天保暦とグレゴリオ暦との日付の差が、最小21日から最大50日あって、平均すると35日、グレゴリオ暦の方が進んでいます。
ですから、天保暦による旧7月7日は、現在の8月12日前後になるわけです。
そうすると、七夕は真夏の行事になります。ところが、天保暦によると、暦の上では7月から秋、立秋です。七夕が過ぎると、秋風の吹く処暑です。
太陰太陽暦では、暦の上の月日と季節感と食い違いを起こすので、暦の月日とは別に、農作業に必要な季節の標準を示したのが、二十四節気だったことを思い出してください。仙台の七夕は、旧七夕に近い8月7日に行われ、盛夏の行事になっていますが、天保暦に従った「ひと月遅れの七夕」で、旧七夕ということではありません。
たとえば8月12日に旧七夕だとして、8月12日に七夕の行事を行うのは、どうもしっくり来ない。七夕は七月七日という「七」に意味があるのであって、8月7日ならば一ヶ月延ばして行うという感覚が働いて、何となく旧暦という言葉のなかに埋め込んでしまえばわからぬながら納得しようというものであろう。(中略)平均35日進んでいる現行暦を30日戻すことになるから、季節感としての行事は5日進んでいると考えればよいわけである。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P134)
しかし、正月と盆の帰省ラッシュ、故郷にあるご先祖のお墓参り、何となく旧盆という感覚がありませんか。東北の三大祭りとして親しまれている行事ですから、それで不都合はないのでしょう。
子ども達も、夏休みです。大人も休みをとって、お子さんと一緒にリフレッシュする、もう夏の風物詩になっています。
ところで、この七夕のときに、雲一つない空を見上げて、天の川に感激した記憶が、ほとんどありません。日本列島は、梅雨の真最中です。天保暦を使っていた時代の人々は、大気汚染もなく、電気もありませんから、それこそ夜は、漆黒の闇です。澄み切った夜空に浮かぶ天の川をはさんだ2つの星を、見ていたのでしょう。
現代では、プラネタリウムで、完璧に再現された人工の天の川を見ることができますが、どちらに夢があるかは聞かずもがな、ですね。
★★そうめんと冷麦はどこが違うの★★
夏の風物詩の流しそうめん、何と、そうめんの1本1本が、機をおる織糸で、流れる様子は天の川を表しているそうです。江戸時代の「日本歳時記」には、七夕に索麺(そうめん)を食べる習慣があり、その由来は、中国の伝説によると記されています。何事も、訳ありなのですね。年越しそばのところで触れましたが、そばと薬味のねぎは、因果関係がありました。淡泊な口触りのそうめんには、生姜(しょうが)や茗荷(みょうが)の芳香が涼を誘い、食欲がますような気がします。
この茗荷には、おもしろい話が残っています。
お釈迦様の弟子に周梨般特(しゅりはんどく)という掃除をしながら悟りを開いたお坊さんがいました。聡明でしたが、物覚えが悪くて、朝聞いたことも夜になると忘れてしまう有様でした。その上、自分の名前も覚えられず、名前を背中に荷(にな)い、人に名前を聞かれると背中を指差し教えるほどでした。
彼の死後、墓から名前のわからない草が生えてきました。周梨槃特のお墓から生えてきたので、いつとはなしにその草を「茗荷」(名を荷う)と呼ぶようになりました。
茗荷を食べると、物忘れがひどく馬鹿になると言われるのも周梨槃特の逸話からきたものです。
(https://yakushiji.or.jp/column/20211018/ から要約)
「名前を荷う」から「茗荷」とは、しゃれた名前を付けたものですね。物忘れが激しくなることはありません、俗説です。この俗説を利用して、泊まっている金持ちから預かったお金を忘れさせようと、茗荷をたくさん食べさせるのですが、その効果がまったくなく、逆に宿泊料を貰うのを忘れてしまったという、落語のような昔話があります。
そういえば、東京メトロ丸ノ内線に「茗荷谷駅」がありますが、江戸時代には、たくさんの茗荷畑があったそうです。
ところで、そうめんといえば冷麦を連想しますが、どこが違うのでしょうか。
太さの違いと思っていましたら、そんな単純なことではありませんでした。困ったときの広辞苑によると、「冷麦は、細打ちにしたうどんを茹でて冷水でひやし、汁を付けて食べるもの」「素麺は、小麦粉に食塩水を加えてこね、これに植物油を塗り細く引き伸ばし、日光にさらして乾した食品。茹でまたは煮込んで食する」と製法の違いがありますが、うどんの仲間なのですね。うどんの乾麺には、そうめんと同じように植物油が塗られています。
でも、太さにこだわりますが、「なぜ、素麺は細いのかを正したい!」などと意気込むほどのことではないでしょうが、JAS(日本農林規格)には、きちんと、その違いがでているのには驚きました。
「切り口の直径が1.3ミリメートルより太いものが冷麦、それ未満の物が素麺」となっています。切り口は、そうめんは丸く、冷麦は角っぽく見えます。ちなみに1.7ミリメートル以上はうどんだそうです。
もう一つの疑問、冷麦には、なぜ、色のついた麺が入っているのでしょうか。
実は、食感だけではなく、見た目にも涼しさ、さわやかさを感じて食べて頂くために、数本ずつ色麺を入れているそうです。
★★七夕は、お盆の始まりの日です★★
七夕というと、何やら願い事をし、豪華な飾りものを楽しむ観光イベントという感じになっているようですが、本来は、7月は、正月と同じで、ご先祖様が帰ってくるお盆の月なのです。
7月7日を「七日盆」といって、お盆の始まりの日です。
七夕は盆の行事の一環として、先祖の霊を祭る前の禊(みそぎ)の行事であった。人里離れた水辺の機屋に神の嫁となる乙女が神を祭って一夜を過ごし、翌日に七夕送りをして、穢れを神に託して持ち去ってもらうための祓えの行事であった。盆に先立つ、物忌みのための祓えであった。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P122)
それと同時に、七夕は、畑作物の収穫祭のイベントでもあったのです。何といっても日本は、自然まかせの農耕民族で、いたる所に神さまがいます。収穫祭は、神さまへの感謝のお祭りでした。
まだ、麦を中心としてあわ、ひえ、芋、豆が主食の時代ですから、麦の実りを祝って、きゅうり、なす、みょうがなどの成熟を神さまに感謝したのです。この時に人々は、神さまの乗り物として、きゅうりで作った馬、なすで作った牛をお供えしました。それがお盆の行事の盆飾りとして、ご先祖さまの乗るきゅうりの馬と、なすの牛に引き継がれているのです。
先程の引用に「みそぎ(禊)」と「はらえ(祓え)」が出てきましたが、「みそぎ」とは、「身滌(禊)」の略されたものといわれ、身に罪や穢(けが)れがあるときや、神さまにお祈りするときに、川や海で身を洗い清め取り除くことで、「はらえ」は、神さまに祈って罪や穢れ、災いなどを除き去ることで、神社で行われ「おはらい」です。本質的には同じことで、「みそぎはらえ」ともいわれているようです。
ところで、「お払い箱にする」という言葉がありますが、そのいわれはこれで、伊勢神宮が全国の信者に配っていた厄除けのお札を入れた箱を「御祓箱」といって、毎年、お札を新しく替えることから、「祓い」と「払い」をかけ、古いものを捨てることを「お払い箱にする」といったそうです。何事も訳ありなのですね。
(次回は「お盆って何の日ですか、ご冗談を」などについてお話しましょう)
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第9章(1)七夕祭りでしょう 文月
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第32号-
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第9章(1) 七夕祭りでしょう 文 月
物の本によると、文月(ふみづき)のいわれは、七夕の短冊に、字がうまくなるようにと書いてお願いをすることから文月になった、といわれているようですが、七夕は、日本で始まったものではなく、中国から伝わってきた行事ですから、これはおかしいとして、稲の「穂含月(ほふみづき)」「含月」からとする説もあるそうです。
★★何といっても七夕祭り★★
7月といえば、何といっても七夕祭りでしょう。
たなばたさま
作詞 林 柳波 作曲 下総 皖一
一、笹の葉さらさら 二、五色の短冊
軒端にゆれる 私が書いた
お星さまきらきら お星さまきらきら
金銀砂子 空から見てる
何とものどかで、暑さも吹き飛び、夜空が浮かんできますね。
しかし、今はどうでしょうか。都会では、天の川も、逢瀬を楽しむ彦星も織姫星も、よく見えません。
明かりのせいでしょう。プラネタリウムで見ると、あまりに鮮やかすぎて、イメージが壊れそうですね。七夕は、古来、多くの人々に夢を与え続けた祭りの一つです。万葉集の中にも、星祭りとして七夕を詠んだ歌が残されています。
かの、紀貫之も一首、『新古今和歌集』に詠んでいます。
七夕は 今や別るる 天の川 川霧立ちて 千鳥鳴くなり
「川霧立ちて 千鳥鳴くなり」、千鳥が鳴くのを、別れを惜しむ織姫の忍び泣きと詠ったものでしょう。しかし、紀貫之が生きていた時代の田園風景を再現するのは無理でしょうが、残された和歌の世界で味わえるのは、やはり素晴らしいことで、大切な文化遺産です。
「幾星霜」とはいささか大げさですが、年月を刻んで受け継がれてきた文化は、遺伝子として心の中に組み込まれているようで、日本人には和歌や俳句を作ることもその一つではないでしょうか。
小学生になると、特に教えなくても、「五七五」の俳句を作るのですから。
さて、その七夕ですが、ご家庭で、短冊に願いごとを書いて、笹に飾り、お祝いをしているでしょうか。
30号で紹介しました「季節のことば36選」でも、七夕祭りは選ばれていませんでしたし、幼稚園や保育園、小学校での夏のイベントになってしまったようです。それはさておき、七夕祭りの事の起こりは、中国の星の伝説でおなじみの「織姫と彦星」の話です。
★★七夕のルーツ★★
中国の歳時記に、こういう話が残されているそうです。
天の川の東に織女が住んでいた。天帝の子である。いつも機織りをして、鮮やかな天衣を織りなした。天帝が独身であるのをかわいそうに思って、天の川の西に住んでいる彦星と結婚することを許した。しかし結婚した後は、機織りをしないので、天帝は怒って二人を別れさせ、天の川の西と東に帰らせた。ただ7月7日の夜だけ、川を渡って逢うことを許したのである。日本で最もよく知られた七夕の星の物語である。おりひめとひこぼしが愛し合っていながら一年に一度しか会えないという物語が日本人の共感を呼んで、万葉集の時代から「星祭」として、七夕にさまざまな思いを馳せたのである。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P134-124)
天衣は、“あまごろも”、羽衣(はごろも)のことで、日本でもおなじみの天女の証(あかし)です。
「天衣無縫」という四字熟語がありますが、これは、「物事に技巧などの形跡がなく自然なさまをいい、天人・天女の衣には縫い目がまったくないことから、文章や詩歌がわざとらしくなく、自然に作られていて巧みなこと。また、人柄に飾り気がなく、純真で無邪気なさまをいう」(goo辞書より)意味に用いられていますが、語源は「天衣」なんですね。ちなみに英語では、“To be natural and flawless”「自然で完璧」(「故事ことわざ辞典」より)だそうで、類似語は、今でもよく使われている「天真爛漫」です。
ところで、七夕の2つの星、彦星と織姫星は、どんな星でしょうか。
彦星、牽牛星は、鷲座の1等星アルタイルのことで、地球から17光年の彼方にあり、太陽の約10倍の明るさがあります。1光年は、9兆4605億キロで、その17倍です。本当にはるか、はるか、かなたです。アルタイル星の両側にある2つの星を牛に見立てて「牽牛」と名付けたのです。
面白いことに、あの清少納言も「枕草子」に書いています。
星はすばる。ひこぼし。ゆふづつ。よばいぼし、すこしおかし。
おだになからましかば、まいて」
(第二百三十九段 角川文庫 下巻 角川書店 刊)
「すばる」は、牡牛座にある星団プレアデスの和名、「ひこぼし」は、牽牛です。「ゆふづつ」は、日没後、すぐに西の空に輝く、宵の明星、金星で、「よばいぼし」は、流れ星のことです。「尾がなければよいのですが」ということでしょうが、尾は流れ星が大気圏に突入して、燃えつきる現象です。さすがの才媛も、まだ、ご存知なかったことでしょうね。
織姫、織女星は、琴座の1等星ベガのことで、地球から25光年離れ、明るさも太陽の40倍以上もある北天第一の星ですが、もう想像外の明るさと距離です。ベガと天の川をはさんだアルタイル星が、天の川の中にある白鳥座のデネブ星とで作るのが、夏の大三角形です。小学校時代に、理科で習ったと思いますが、覚えていますでしょうか。
この2つの星が、7月7日に際立って、美しく輝きます。それを見た昔の人が、天の川にさえぎられているために、1年に1回しか会えない、恋人の話に仕立てたのでしょう。作者は、何ともロマンチストではありませんか。中国生まれの伝説らしく、スケールが大きいですね。
ところで、天の川は、中国や日本の専売特許ではありません。昔から世界中の人々の注目を集めていました。
エジプトでは天のナイル川、インドでは天のガンジス川、中国では銀色の川で銀河と呼びます。ところが、ヨーロッパでは川ではなく道にたとえられ「乳の道(ミルキーウェイ)」と呼ばれています。これはギリシャ神話で、力持ちのヘラクルスが赤ちゃんのとき、お母さんのおっぱいを力強く吸ったため、こぼれてできたといわれているからです。
(心を育てる子ども歳時記12か月 監修 橋本裕之 講談社 刊 P65)
★★なぜ、短冊にお願いごとを書くのでしょう★★
こういうことらしいのです。
中国には「乞巧奠」(きこうでん)といって、星祭りの他に、七夕には、大変、重要な行事があり、こう書いてあるそうです。
「7月7日は牽牛と織女が相会する夜だ。夫人たちは7本の針に5色の糸を通し、庭にむしろをしいて机を出し、酒、肴、果物、菓子を並べて織物が上手になることを祈った」
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P132)
これが、そもそもの始まりらしいのです。
牽牛は、牛飼いで畑仕事をし、織女は、機織りです。そこで、男の人は畑仕事が、女の人は機織りや縫い物が上手にできますようにと、お祈りをするようになったのでしょう。それが、時とともに、織物の切れ端を短冊のように切って、笹の葉につけ、歌にあるように「軒端」に出すようになり、それが、今のように布から紙に変わり、笹竹は長い竹となり、お願いごとも、裁縫や字が上手になることよりも、ピアノが上手く弾けるようになど、願望成就希望達成型に変身したようです。
ところで、なぜ、笹竹なのでしょうか。
笹竹は、日本独自の祭り方で、竹は1日に1メートル伸びるといわれるほど成長が早く、人々は、その秘められたすばらしいエネルギーに願いを托し、天に届くようにと気持ちをこめたのです。
(絵本百科 ぎょうじのゆらい 講談社 刊 P21)
祈るだけではなく、強烈なエネルギーまで取り込んでいるんですね、恐れ入りました。
梅雨に入ります。気温、湿度ともに高くなりますので、体調にはくれぐれも気をつけてください。
(次回は「なぜ、仙台の七夕は、8月なのですか」他についてお話ししましょう)
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第八章(4)何にもないのかな【六月に読んであげたい本】
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第八章 (4) 何にもないのかな
【六月に読んであげたい本】
梅雨というと、三題噺(お客さんから3つの題を出させ即座に一席の落語とするもの)ではありませんが、「あじさい、かたつむり、かえる」です。しかし、最近、かたつむりやかえるはどこに行きましたかね、あまり見かけなくなりました。
かえると雨、これにも、おかしな因果関係があるようです。おもしろい話があります。これから紹介するお話の中の「かえるの親子」、人間の親子関係にもいえそうです。
過保護な保護者に育てられたわがままな子が、少子化に加え核家族化も進む中、増えているようです。一人っ子では、何が過保護なのかわからないのかもしれません。しかし、やがて子どもは、一人で生きていかなければならない、“頼れるのは自分だけ”の生活が待っていることを、親は忘れてはならないでしょう。
自己中心的で、他人との関わりがうまくできない若者が増えているようです。
最近の脳科学者の話では、自己抑制力の臨界期は3歳まで、協調性や社会性の臨界期は12歳までといわれているようです。臨界期とは、その時期を過ぎると、ある行動の学習が身につかなくなる限界の時期をいい、モンテッソーリのもっとも盛んに活動し成長する時期、「敏感期」と同じであると考えればわかりやすいと思います。言葉の敏感期を過ぎると、真偽は定かではないそうですが、インドの狼少女のように、人は言葉を話せなくなります。
誤解を恐れずにいえば、3歳は自立の始まる時期、幼稚園は自律心を養い、社会性や協調性といった集団生活への適応力の基礎を築く時期、6年間の小学校生活は、それらをきちんと身につける大切な時期です。
幼児期から小学校時代に、人としての配線図は、組み立ててしまわれるわけですね。「三つ子の魂、百まで」「鉄は熱い内に打て」、先人の教えには、無駄がありません。「鉄は熱い内に打て」は、英語の“Strike while the irons hot”を訳したことわざだそうです。(「故事ことわざ辞典」より)
※マリア・モンテッソーリ
イタリア、ローマの精神病院で働いていた女医。知的障害児へ感覚教育を実施し、知的水準を上げる効果を見せ、1907年に貧困層の健常児を対象にした保育施設「子どもの家」で独特の教育法を完成させた。モンテッソーリ教育の行われる施設を「子どもの家」と呼ぶようになった。(ウィキペディア フリー百科事典より)
◆あまがえる不孝◆ 八百板 洋子 著
むかし、かえるの親子がいました。母さんがえるは、子どもをかわいがったのですが、子がえるは、親のいうことを聞きません。母さんがえるが、右に行こうというと左に行くし、山に登ろうというと川にもぐり、暑い日というと寒い日と逆らうのです。
ある日のこと、母さんがえるは、重い病気にかかりました。助からないとあきらめた母さんがえるは、墓だけは、日のよく当たる、山の上に作ってほしいと思ったのですが、何事にも逆らう子がえるのことです。山に埋めてほしいといえば、川のそばに埋めるに違いありません。
考えた母がえるは、
「私が死んだら、川のそばに埋めるのだよ」
といって、息をひきとったのでした。母さんがいなくなると、子がえるは、逆らってばかりいたことを後悔し、反省して、川のそばにお墓を作ったのです。
雨が降れば川の水も増え、お墓は流されそうになります。心配な子がえるは、雨が降るたびに、お墓が流れないようにと、今でも鳴いているのだそうです。
六月の話 あまがえる不孝 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
日本民話の会・編 国土社 刊
親不孝な動物話の典型ですが、中国や朝鮮にも同じ話があることから、大陸から半島を経て伝わったものと考えられます。「日本は文化の吹き溜まり」とも言われていますが、自国流にアレンジし、生活の中に取り込んでしまう知恵を、我がご先祖は、身につけていたようです。
青蛙 おのれもペンキ ぬりたてか 芥川龍之介
こういった情景に出会うのは、もう、無理かもしれませんね。
霧雨が似合うあじさい、咲いているうちに色が変わることから「あじさいの七変化」といわれ、花言葉では「移り気」「浮気」などと芳しくありません。一方で「辛抱強い愛情」「あなたは美しいが冷淡だ」などといったものもありますが、後の方が似合う気配が漂っているような気がします。
漢字では「紫陽花」と書きますが、これは唐の詩人白居易が、別の花(この花の名前はわかりません)に名づけたものを、平安時代の学者、源順がこの漢字を当てはめたことから、誤って広まったといわれているそうです。
(ニッポン放送 https://news.1242.com/article/291621 より)
ところで、今、かえるの合唱を、聞く機会はあるでしょうか。とにかく、ものすごい鳴声です。しかし、この鳴声が、何やら豊作の雄叫びのように聞こえるものです。雨がしっかり降って、田植えが終わらないことには、かえるの合唱は聞こえませんから。ぜひ、かえるの合唱を聞かせてあげてください。
その田植えについてですが、おかしな話があります。
◆田うえねこ◆ 水谷 章三 著
むかし、ある家に、年を取り寝てばかりいる猫がいました。
田植えの時期になり、おかみさんは、
「お前さんはいいね。猫の手も借りたい忙しいときに、寝ていられるのだから」というと、猫は大きなあくびをして起き上がり、どこかへ行ってしまったのです。
その日は、田植えのおしまいの日で、大勢の人が手伝いに来ていました。
おかみさんもわき目もふらずに田植えをしていましたが、見知らぬ娘さんがいて、仕事ぶりが、手際よく鮮やかなのです。それに負けてなるものかと若い衆も張り切ったので、夕方にならぬ内に終わったのでした。
娘さんにお礼をいおうとしましたが、見当たりません。探していたところ、その娘さんが背中を見せて、歩き去っていくではありませんか。追いかけていくと、おかみさんの家のところで姿を消し、探したのですが、見つかりません。ところが、今朝、拭いたはずの縁側に、猫の足跡のような泥の跡がついていたのです。足跡をたどっていくと、家の隅っこの所で、猫が泥だらけの足をなめていました。
「お前のことを、うらやましいといったものだから、娘になって田植えを手伝ってくれたのだろうか。猫は、年をとると化けるというけれど」と、おかみさんは、猫の顔をのぞきこみました。すると、猫は足をなめるのを止めて、前足でおかみさんのひざをグイと押さえて立ち上がり、背伸びをし、そのままどこかへ行ってしまい、二度と姿を見せることはありませんでした。
六月の話 田うえねこ 松谷みよ子/吉沢和夫 監修
日本民話の会・編 国土社 刊
「猫の手も借りたい」忙しいときに、猫が手を貸すのがおかしいですね。この話も全国に、いろいろな形で語り継がれています。お地蔵さまが、見知らぬ若者に姿をかえて手伝う「田植え地蔵」などは、よく知られているようです。猫の足が泥だらけだったように、お地蔵さまの足が汚れていたのでわかる仕掛けは、同じです。
今度は、恐い話です。
◆かにの恩返し◆ 根岸 真理子 著
むかし、ある村に、庄屋どんと娘が住んでいました。娘は、かにが子を生む頃になると、庭の小川で米をとぎ、その汁を流してあげたのです。かには、嬉しそうに飲んでいました。
ある年のこと、日照りが続き、田植えができません。
庄屋どんは、雨さえ降らせてくれたら、娘を嫁にやろうというと、それを蛇が聞いていたのです。
庄屋どんは、雨さえ降らせてくれたら、娘を嫁にやろうというと、それを蛇が聞いていたのです。
やがて、雨が降り出し、田植えができると、村の人たちは喜びました。
その時、庄屋どんの足元で、
「約束を破れば、大雨を降らせ田畑を流すぞ」
といい残し、蛇は姿を消したのでした。しかし、嫁にやるわけにはいかず、庄屋どんは庭に頑丈なお堂を建て、娘を入れることにしたのです。
嫁入りの日が来ました。
娘は、白い着物を着て、お堂に入り、中から鍵をかけました。そこへ、若侍が現われ、お堂に戸口がないのを知り、怒り、姿を大蛇に変え、お堂を七巻きに巻きしめたのです。すると嵐になり、蛇は、雨風の力を借りて、お堂を根こそぎつぶそうと、揺さ振り始めました。
その時、娘の耳に、タプタプと寄せる水音に交じって、サワサワ、サワサワと小さな音が聞こえてきたのです。音は、次第に数を増して、お堂のまわりを取り囲みました。すると、ドォン、ダァンと何やらのたうつ音がして、サワサワ、ドォン、ダァン、と、二つの音は、低く響き続けました。
やがて音が止み、ひび割れたお堂の透き間から、朝日が射し込んできたのです。
庄屋どんに、手を引かれて外に出た娘は、老いた松の木のような大蛇が、お堂の周りを取り巻き、転がっているのを見たのです。そして、めくれ上がったうろこの下には、娘にお米のとぎ汁をもらっていたかに達が、一匹、一匹、はさみつき、そのまま死んでいたのでした。
六月の話 かにの恩返し 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
日本民話の会・編 国土社 刊
この他に、蛇をやっつけるのにひょうたんと針を使ったものや、蛇に変わって、猿やかっぱの場合もあります。これもお馴染みの民話でしょう。
かにの恩返し説話は、古くから語りつがれ「日本霊異記」や「今昔物語」に記録されています。京都の山城の町にある蟹満寺というお寺にもこの話とそっくりの「蟹満寺縁起」が残されています。
それにしても、悪役の蛇は、哀れです。
もとはといえば、約束を破った庄屋どんが、その責めを受けるべきです。
子ども達にこの話をした時に、「悪いのは庄屋さん!」と、不満そうにいった女の子達が何人もいました。子ども達は、「事の善し悪し」を考え、自分なりに判断し、それを言葉で表現できる年齢に差し掛かっています。こういったことからも、「話の読み聞かせ」は、ご両親の大切な仕事であることがわかりますね。
また、「安珍清姫」の話も、大きくなったら妻にしようと戯れにいったことを信じた清姫が、だまされたことを知り、道成寺に逃れ、釣り鐘に隠れた安珍を、蛇に変身した清姫が七巻にして殺しますが、これも悪いのは、戯言(ざれごと)をいった安珍です。
「か弱き女性をだますと、あとが恐いよ!」
と、その執念深さを、蛇が演じているだけに、一層、説得力がありますね。
仏教には殺生、妄語、偸盗、邪淫、飲酒を戒めた五戒がありますが、庄屋は、動物の妻にするのは邪淫戒になり、嘘をついたので妄語戒と二つの戒めを破り、安珍は嘘をついたので妄語戒を犯したにことになりますから、それぞれ厳罰を受けるのですが、庄屋は助かるのは、子どもが聞く昔話だからでしょうが、子どもたちはしっかりと怒っていますね。(偉い!)
もう一つ紹介しましょう。
きつねが人を化かす話も、むかし話にはたくさんありますが、新美南吉の「ごんぎつね」の悲しい結末と違い、ほのぼのとなる話があります。
◆きつねのかんちがい◆
むかし、あるところに、惣五郎という若者がいました。
ある年の田植どきのことです。惣五郎さんは三反御作(広さ30アール)もあるたんぼを、一日で田植えをし、家へ帰る途中、畑の中にある井戸水を飲もうと、つるべ(水を汲み上げる桶)を上げると、その中に、溺れ死んだ子ぎつねが、入っていたのでした。惣五郎さんは、かわいそうに思い、畑の隅に穴を掘って埋めてあげました。
ところが、夜中に大勢の人が声を合わせて、
「お田を引いたで惣五郎! 三反御作みんな引いただ!」
と、怒ったような声で歌い、二、三回繰り返すと静かになったのです。惣五郎さんは、不思議に思ったのですが、そのまま眠ってしまいました。
翌朝、たんぼへ行くと、田植えをしたばかりの‘三反御作’の苗が全部、引き抜かれていたのです。きつねの仕業かなと思った惣五郎さんは、子ぎつねを埋めた所へ行ってみると、穴は、掘り返されていました。きつねは、勘違いをしたなと思った惣五郎さんは、きつねの棲んでいそうな竹薮や、林の中を歩きながら、
「死んでいた子ぎつねを拾い、お墓を作ったんだ。誤解しないでくれ!」
と、大声で叫んだのです。
すると夜中に、
「お田引いて すまなんだ! 三反御作 また植えたあ!」
と、二度ほど繰り返し歌い、静かになったのです。
あくる朝、戸をあけると大きな鏡餅が一枚置いてあり、三反御作の苗も、植え直してありました。
惣五郎さんは、きつねに気持ちが通じたことがわかり、とても嬉しかったのでした。
新訂・子どもに聞かせる 日本の民話 大川 悦生 著
実業之日本社 刊
坪田譲治の、子どものために命をなくした「きつねとぶどう」や、新美南吉の人間と子ぎつねの心あたたまるやりとりを描いた「手袋を買いに」なども、ぜひ読んであげたい童話です。
また、小川未明の、信仰とは何かを考えさせられる「頭を下げなかった少年」(最後の一言が鮮やかです)や、献身的な子育ての後に子猫の幸せのために姿を消す親猫を描いた「どこかに生きながら」も、見た目の美しさより、実用を重んじて作った茶わんを褒める「殿様と茶わん」、神様からの授かりものといって可愛がっていた娘を売り飛ばし、報復を受ける老夫婦を描いた「赤いろうそくと人魚」などの童話は、大人が読むべきで、心が洗われます。
お母さん方にお勧めしたいのは、「小川未明童話集 赤いろうそくと人魚 新潮文庫」です。
ここで日本語の表現の多彩さを少々。
春雨、五月雨(さみだれ)、夕立、俄雨(にわかあめ)、驟雨(しゅうう 夕立の漢語的表現)、秋雨、時雨(しぐれ 秋から冬にかけて降る通り雨)氷雨、雨雪(みぞれのこと)、四季折々の雨、やはり、日本人の感性は繊細ですね。
雨で忘れられない童謡があります。昔は、蛇の目の傘をさしていました。中心部と周辺を黒、紺、赤色に塗り、中を白くして蛇の目の形を表した傘で、竹骨に紙を貼り、油をひいた粗末なものでした。
あめふり
北原白秋 作詞 中山晋平 作曲
あめあめ ふれふれ かあさんが
じゃのめで おむかい うれしいな
ピッチ ピッチ チャップ チャップ ランランラン
かけましょ かばんを かあさんの
あとから ゆこゆこ かねがなる
ピッチ ピッチ チャップ チャップ ランランラン
あらあら あのこは ずぶぬれだ
やなぎの ねかたで ないている
ピッチ ピッチ チャップ チャップ ランランラン
かあさん ぼくのを かしましょか
きみきみ このかさ さしたまえ
ピッチ ピッチ チャップ チャップ ランランラン
ぼくなら いいんだ かあさんの
おおきな じゃのめに はいってく
ピッチ ピッチ チャップ チャップ ランランラン
(引用者注 ねかた「根方」 木の根もと)
2行目の「おむかい」は、原詩は歴史的仮名遣いの「オムカヒ」になっており、「おむかい」と読みます。昔の日本語は、書き方と読み方が違うからですが、東京方面の古い方言で、「おむかえ」がなまって「おむかい」になったそうです。発表された大正14年頃、白秋は小田原に住んでいたので、この言葉を使ったのですが、「改訂版 しょうがくせいおんがく」(昭和33年発行)から「おむかえ」に変えて掲載。このときから「おむかえ」と歌い始めたそうです。
(「Yahoo!知恵袋」より要約)
繰り返しますが、童謡は情操の発達と深いかかわりを持つ、思い出のしみこむ「成長の記録」ではないでしょうか。お子さんが一緒に歌える童謡、ありますか。
(次回は「七夕祭りでしょう」についてお話しましょう)
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、制作したものです】
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第八章(3)何にもないのかな 水無月
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「めぇでる教育研究所」発行
2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第30号-
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第八章 (3) 何にもないのかな 水 無 月
★★父の日、これもアメリカ生まれです★★
6月の第3日曜日は、父の日です。
母の日がアメリカ生まれですから、父の日も同じでしょう。母の日があって父の日がなくては、男女同権の国ですから、男の立つ瀬がありません。いかにもアメリカらしいですね。
1910年に、アメリカのワシントン州でジョン・ブルース・ドット夫人が、妻を亡くして男手一つで育ててくれた父に感謝するパーティーを開いたのが始まりとされている。
その後、1934年に父の日委員会が結成され、母の日にならって6月第3日曜日を「父の日」と定めたのである。日本では、母の日に遅れること4年後、昭和28年(1953年)から、一般的な行事として認められるようになった。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P102)
父の日に贈られる花は、何でしょうか。まだ、子どもが小さかった頃にもらった記憶はありますが、花の名前は思い出せません。バラの花だそうです。たいそう気品のある花ですから、何か訳がありそうです。
カーネーションが、十字架にかけられたキリストを見送った、聖母マリアが落とした涙の後に咲いた花でしたから、おそらくバラもキリストと関係あるのではと考えていたら、予想どおりでした。十字架にかけられたキリストの血が落ちて、そこからバラが花を咲かせたそうです。さらに、こういった説もあります。
父の日の花はバラである。バラは花の美しさと香りの気高さのため、古代から人々に愛されてきた。ローマ教皇はバラを手にし、信者はロザリオで祈りを唱える。ロザリオrosaryはラテン語rosa(バラ)、rosarium(バラ園)に由来し、尊敬と喜びのしるしであった。古代ローマでは、祭日の日には神殿も戦車もバラで飾られ、将軍は賞讃のしるしとしてバラの花束を手に持った。
現代でも音楽会の終わりにはバラの花束を捧げて演奏を讃える風景が見られる。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P102)
聖なるバラです。
花言葉は「尊敬と愛の情熱」です。お父さん方は、承知してもらっているでしょうか。
承知のうえでしたら、頑張らざるをえないですね。父権は、かなり喪失したといわれていますが、やはり、お父さんは頼られる存在になりたいものです。
この花言葉、前回にも紹介しましたが、調べると面白いですね。インターネットで簡単に検索できますから、時間があるときに調べてみましょう。
ところで、小学校の入学試験に「話の記憶」といった問題がありますが、あるミッション系の学校で、「母の日にお母さんに贈る花の絵に○をつけましょう」といった出題がありました。5つの花の中から選ぶのですが、その中に、何とバラの花も入っていたではありませんか。さすがだと思いました。
事の起こりは、キリストに関係があるのですから。出題校は、暁星小学校です。
★★夏 至★★
二十四節気(にじゅうしせっき)の一つで、春分、秋分、冬至と、それぞれ楽しい行事がありますが、夏至には、何かあるのでしょうか。暑い盛りではありませんが、うっとうしい日が続く頃です。
一年中で、いちばん昼の長い日ですから、何だか疲れを感じがちです。これは、夏至のとき、お日さまは、もっとも北に寄っているからです。ですから、北極ではお日さまが沈みません、白夜です。
逆に、南極ではお日さまの姿を見ることはできません。土用の日のように、うなぎを食べて元気をつけることもないようですし、何だか夏至だけが、冷たくあしらわれているような気もしなくはありません。しかし、夏至だけ問題にするのは不公平です。雨水、清明、芒種などといわれても、何やらわかりませんが、これも夏至と仲間の二十四節気のことです。
正しい季節を示すために作られた目印を二十四節気といった。太陰太陽暦では暦の上の月日と季節がくいちがいをおこすので、暦の月日とは別に、農事に必要な季節の標準を示す必要があったからである。1太陽年を24等分して、太陽が最も低く昼間の最も短い冬至から始めて、1年を24等分した分点を二十四節気とした。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P39)
二十四節気とは、正しい季節を示す目印と考えるとわかりやすいですね。日本は農耕民族です、今は疑わしいですが。昔は、太陰太陽暦を使っていましたから、今のグレゴリオ暦では、暦の上の月日と季節とが、食い違いを起こすので、暦の月日とは別に、農事に必要な季節の標準を示す必要があったのです。よく、テレビなどで、「今日は、啓蟄の日です。冬ごもりをしていた虫たちも、はい出る日といわれ……」
などとやっています、あれです。
今年の二十四節気は以下の通りです。
★★二十四節気★★
<春> 立 春 2月 4日 <夏> 立 夏 5月 6日
雨 水 2月19日 小 満 5月21日
啓 蟄 3月 6日 芒 種 6月 6日
春 分 3月21日 夏 至 6月21日
清 明 4月 5日 小 暑 7月 7日
穀 雨 4月20日 大 暑 7月23日
<秋> 立 秋 8月 8日 <冬> 立 冬 11月 8日
処 暑 8月23日 小 雪 11月22日
白 露 9月 8日 大 雪 12月 7日
秋 分 9月23日 冬 至 12月22日
寒 露 10月 8日 小 寒 1月 6日
霜 降 10月24日 大 寒 1月20日
(「国立天文台発表」より)
立春 旧冬と新春の境目、まだ、寒さの厳しい頃です。
雨水(うすい) 雨水がぬるみ、草木が芽を出し始めます。
啓蟄(けいちつ) 冬眠している虫たちも、穴からはい出してきます。
春分 昼夜が等しく分かれ、昼間が長くなり、夜が短くなってきます。
清明(せいめい) 桜花爛漫、春の盛となり、天地万物に清新の気があふれる時期。
穀雨(こくう) 春雨は、田畑をうるおし、穀物の成長するときです。
立夏 春は去り、爽快な夏の気配を感じる頃です。
小満(しょうまん) 日増しに暑くなり、草木が繁り天地に満ち始める時です。
芒種(ぼうしゅ) 芒(のぎ・稲や麦などについているとげ)のある穀物を植える時。
夏至 日の長きに至る、昼がもっとも長くなる日。梅雨のさかりで、田植えの時期。
小暑(しょうしょ) 日増しに暑さが加わり、この日から暑中見舞いを出し始めます。
大暑(たいしょ) 暑さがもっとも厳しくなる頃。
立秋 暦の上だけの秋、まだ、真夏の頃。この日から残暑見舞いとなります。
処暑(しょしょ) 暑さが止み、秋風が吹く頃。「処」は「とどまる」の意。
白露(はくろ) 秋も本格的となり、野草に甘い露の宿る頃。
秋分 昼夜が等しく分かれ、春分とは逆に、昼が短く夜が長くなります。
寒露(かんろ) 野草に冷たい露が宿る頃。
霜降(そうこう) 秋の気配も去り、朝霜のおりる頃。
立冬 冬の気配がうかがえる頃。
小雪(しょうせつ) 寒さもさほどでもなく、雪も少ない頃。
大雪(だいせつ) 北風が強くなり、寒さも厳しく、雪が降り始めます。
冬至 日の短きに至り、夜が長くなる日です。
小寒(しょうかん) 寒気が加わり、雪が積もる頃。
この日を「寒の入り」とし、寒中見舞いを出し始めます。
大寒(だいかん) 冬将軍がもっとも威勢のよい時期ですが、寒さの中にも「春とおからず」の希望がふくらむ頃。
しかし、漢字って、いいですね。
「雨水」「処暑」など見ているだけで、何やら、日本を訪れる季節の兆しが、思い浮かびませんか。
今から2000年前の頃、中国の周王朝により華北の気象状況にあわせて作られたそうです。何と2000年前のことです、感動しませんか。感動しますが、何だか実感がありません。大暑といえば、実感としては、8月7日の立秋の頃ではないでしょうか。
日本でいうと、岩手県の季節と合っているそうです。東京でも、ピンとこないのですから、九州地方のみなさんは、どうでしょう。
この原因は、今は、グレゴリオ暦を使っているからです。二十四節気は、先程もいいましたように、むかし使われていた太陰太陽暦によって決められていますから、1ヵ月位の差が出るのです。
かつてある新聞に、気象協会では、新「二十四節気」を作ると出ていました。
その訳は、「寒いのに立春、暑いのに立秋―。中国伝来の二十四節気は、季節の移り変わりに彩を添える言葉だが、ちょっと違和感を感じませんか」(原文のまま)(中略)同協会は「現代の日本の季節感になじみ、親しみを感じる言葉を選びたい」のだそうです。
そして、「新二十四節気」という名称ではなく「季節のことば36選」として平成25年春に発表されました。
季節のことば36選 二十四節気
1月 初詣 寒稽古 雪おろし 小寒 大寒
2月 節分 バレンタイン 春一番 立春 雨水
3月 ひな祭り なごり雪 朧月夜 啓蟄 春分
4月 入学式 花吹雪 春眠 清明 穀雨
5月 風薫る 鯉のぼり 卯の花 立夏 小満
6月 あじさい 梅雨 蛍舞う 芒種 夏至
7月 蝉しぐれ ひまわり 入道雲 夏休み 小暑 大暑
8月 原爆忌(広島、長崎) 流れ星 朝顔 立秋 処暑
9月 いわし雲 虫の音 お月見 白露 秋分
10月 紅葉前線 秋祭り 冬支度 甘露 霜降
11月 木枯らし1号 七五三 時雨 立冬 小雪
12月 冬将軍 クリスマス 除夜の鐘 大雪 冬至
(「一般財団法人 日本気象協会編」より)
参考までに、二十四節気も掲載しておきましたが、いかがでしょうか。
七夕が行われる7月7日、小暑といわれていますが、選ばれていませんでしたね。星の祭りである七夕も、幼稚園や保育園、小学校の夏のイベントになり、ご家庭で楽しむ年中行事ではなくなったようです。
ところで、「人のうわさも七十五日」といわれていますが、その語源が二十四節気と関わりがあるのですから、面白いですね。七十五日を四十五日、四十九日、七十九日というのは誤りです。
「日本には二十四節気という季節の区切り方があります。365日を24等分するので、一節気はおよそ15日。昔から五節季経てばまったく違う季節になるといわれていましたから、15×5=75日となります。75日も経てばまったく新しい季節になるのだから、それまでのことは忘れようという意味なのでしょう」
(「つい他人に自慢したくなる無敵の雑学」
なるほど倶楽部 編 角川書店 刊 P18)
ちなみに英語では、“A wonder lasts but nine days”(「驚きも九日しか続かない」故事ことわざ辞典より)だそうですが、日本と違い、個人主義が定着している国では、噂の消えるのも短いということでしょうか。
(次回は「6月に読んであげたい本」についてお話しましょう)
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、制作したものです】
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