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めぇでるコラム : 2025保護者: 2024年7月

2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第10章 終戦記念日、このことです 葉月(1)

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第36号-
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 第10章  終戦記念日、このことです   葉 月(1)
 
 
物の本によれば、葉月のいわれは、季節は秋になり、木の葉が落ちる「葉落月」の略されたものが親しみやすいですね。この他に、稲穂の「発月」、雁が渡ってくるので「初来月(はっきづき)」、南から台風の風が吹きはじめるので「南風月(はえつき)」などの説があるそうです。
 
 
★★終戦記念日★★
 
8月といえば、終戦記念日です。8月15日、戦争体験が無くても忘れてはならない日です。これは、季節の行事と違いますから、おかしな話と思うかもしれません。しかし、私たち日本人は、この日を忘れてはならないのです。とにかく、大勢の人が亡くなりました。戦場で230万人、原爆、空襲で70万人、およそ300万人の命が奪われたといわれています。この中には、戦場となったアジアをはじめ、他国の人々は含まれていませんから、犠牲者はさらに増すはずです。この事実だけでも、戦争は絶対に許せません。
 
最近、「なぜ、日本は世界を相手に戦争をしなければならなかったのか」、その真相を明らかにする書物も多く出版され、知らなかった経緯を知る機会も増えてきました。その最たるものは、「あの戦争は、日本の自衛戦争であった」といった、日本と戦った連合国最高司令官、ダグラス・マッカーサー元帥の言葉でしょう。
 
その他、真珠湾攻撃の前に日本の暗号が解読されていた、など当時の書類が公開されてきました。原爆についてのことなど、今までの通説とは異なる事実が出てくるのではないでしょうか。
 
それらの内容はともかくとして、戦争は、人間の引き起こす最も愚劣な罪悪です。そして、戦時中は、全国民が真剣に戦争をしていたのも事実です。国家権力は絶対で、国民は逆らえません。これが恐い。たとえば、赤紙1枚で、たった1つの生命を交換させられたのです。その赤紙は、わずか1銭5厘(当時の葉書の値段)、1銭5厘です……。今ではドラマでしか見ることができない、という世の中でよかったです。
 ※赤紙 兵を集める召集令状のこと、淡赤色の紙を用いたもので、俗に赤紙という。(広辞苑)
 
浅はかにも、人間は万物の霊長などと表現されますが、その人間だけではないでしょうか、殺し合うのは。
それも、憎しみをこめて、徹底的に……。
 
他の動物も同じ仲間同士、争いますが、負けのサインを出すと、攻撃しないものです。満腹のライオンは、しま馬がそばを通っても襲いません。本当に、人間って、不思議な動物です。極限状態になると、何をしでかすかわからないのですから。
そして、ウクライナやイスラエルのように宗教と民族の問題がからむと、必ず、泥沼に落ち込みます。
  
ニューヨークにある世界でも有数なブロンクス動物園には、鉄格子をはめ込んだ檻、「鏡の間」があり、その前に立つと、人間の上半身が鏡に映り、その鏡の上には、こう書かれてあるそうです。                                               
THE MOST DANGEROUS ANIMAL IN THE WORLD
(世界で最も危険な動物)
 
そして、世界ではともかく、日本では戦争も原爆も、何やら遠い昔の出来事として、風化されているのではないでしょうか。しかし、忘れてはならないことです。事実は事実として、きちんと語りつがれなければ、戦争のために亡くなった人たちは浮ばれませんし、申し訳ないではありませんか。これこそ、「現代の民話ではないだろうか」と、今月に紹介する本の解説者、米屋陽一氏はおっしゃっています。また、山崎豊子さんの「不毛地帯」のように、外地で苦労された人々の話も読んでおきたいものです。
 
戦争は、ゲームと違います。リセット、やり直しはできません。ゲーム・オーバーで、本当に「ゲーム・セット」ですから、子どもに戦争の悲惨なこと、二度と繰り返してはならないことを、しっかりと伝えておきたいのです。人間は、お互いに、労わりあう心がなければ生きていけません。「共生」「ともいき」ということを、責任をもって教えるのは、ご両親の大切な仕事です。
 
たびたび申し上げていますが、幼児期に必要なのは、知識を詰め込むのではなく、情操豊かな子に育つ環境を作ることです。
 
そこから、自分自身で考え、行動する力が身につくからです。
 
価値観が多様化し、「何でもありの人生観」をもつのも自由ですが、「共に生きる」意識がぜい弱では、やはり、偏った考えしか身につきません。「共生の反対は自己中心」ではないでしょうか。自己中は、恥じることを知らない人のことです。
 
 (次回は、「なぜ、鳩は平和のシンボルなのでしょうか」などについてお話ししましょう)
 
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、制作したものです】
 
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第9章(4)七夕祭りでしょう 文月

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第35号-
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第9章 (4) 七夕祭りでしょう   文 月
 
 
【七月に読んであげたい本】  
 
七夕とお盆です。どちらも、その縁起話があるので、紹介しましょう。
 
 ◆天女のよめさま◆   常光 徹 著
 
 むかし、ある村の若い猟師が、沼のほとりで昼寝から目を覚すと天女が三人、泳いでいました。若者は、木にかけてあったとび衣(羽衣)を一枚隠したのです。水浴びが終わると、天女はとび衣を着て、天へ舞い上がって行きましたが、隠された天女は天上に帰れません。若者は、泣いていても仕方がないと慰め、家に連れて帰ったのです。
 やがて、天女は若者の嫁になり、三人の子どもが生まれました。ある時、上の子が、むずかる下の子をあやす歌を聞き、その歌詞をヒントにとび衣を見つけ、子どもを連れて、天上へ帰ったのです。家に帰った若者は、「会いたければ、一番鶏が鳴く前に、わらじ百足分を肥やしにし、夕顔の種を植えてください」との置き手紙を読み、わらじを作ったのですが、あと一足で夜が明けたので、わらじを埋め、夕顔の種を植え、眠ってしまいました。目覚めた若者が見たのは、空に伸びた、夕顔のつるでした。これで、嫁や子どもに会えると、犬を抱えて登ったのですが、もう少しの所で、つるは止まっていました。若者は、犬を天上に放り上げ、しっぽにつかまり、天の庭に跳ね上り、家族と再会できたのです。
 ところが、天上のじいさまは、若者を快く思わず、「四町歩の畑を一日で耕せ!」などと難癖をつけるのです。その度に、嫁さまの助けで解決しますが、最後は、うまくいきませんでした。うりの収穫が終わると、じいさまは、縦に切れ(本当は横に切る)というので切ると、積んであるうりが、音をたてて裂け、水があふれ出して大水となり、若者をのみこみ、流れていくのです。嫁さまは、毎月、七日に会いましょうと呼びましたが、若者は、七月七日と聞いてしまい、それ以来、年に一度、七月七日に、二人は会うことになったのです。
 うりからあふれ出た大水が、夏の夜空に見える天の川になったのでした。 
   七月のおはなし 「かっぱのおくりもの」
     松谷 みよ子/吉沢 和夫監修 日本民話の会・編 国土社 刊
  
同じような話に、鈴木三重吉の「星の女」があります。馬車や蜘蛛(くも)の王様が出てくるので、「羽衣伝説」は日本の他にあるのかなと、不思議に思ったことを思い出します。
鈴木三重吉には、立ち往生したソリで過ごす少年の素晴らしい知恵を描いた「少年駅伝夫」、肉屋と野良犬の心温まる生活を描いた「やどなし犬」など、子どもたちに読んでもらいたい作品が残されています。
 
この話から、「ジャックと豆の木」を思い出しませんか。何回もいいますが、人間、どこに住んでいても考えることは同じなのです。そう思うと、何やらうれしくなります。本当は、心のやさしい生きものなのです、人間は。
 
ところで、「ジャックと豆の木」に出てくるのは「鬼」でしょうか、それとも「大男」でしょうか。
 
 ◆お盆のはじまり◆
 
七月十五日は、祖先や亡くなった人たちの霊をなぐさめるお盆の日です。お盆の縁起を伝える話が残されています。
 
 お釈迦さまに、目蓮上人という神通力にたけたお弟子がいて、修行中に息を引きとり、あの世へ旅立ちました。死んだお母さんに会いたいと思い、三途の川を渡り、閻魔大王のいる関所に着き、母に会わせてくれるよう、願い出たのです。大王は、上人を、湯が煮えたぎる大きな釜の所へ連れていきました。釜の中では、釜茹の刑を受ける人達がうめき、叫び声を上げていたのです。上人が、母の名前を呼んでいると、釜の中から一匹のカメがはい上がり、「私がお前の母だ」というのです。その訳を尋ねると、お前が可愛くて、賢いことを自慢し、お前さえ長生きすればよいと罪深いことばかり考えていたからだというのです。上人は、お母さんを助ける方法はないかと尋ねると、毎日、石に一字ずつお経を書き、それからお経を読んでと言いかけたとき、番人の鬼がきて、カメを湯の中へ投げ込んでしまい、二度と姿を見せません。そこで上人は、大王にお礼を言うと、不思議なことに、再びこの世に戻ってきたのです。               
 次の日、上人は神通力で、八千人もの羅漢(悟りに達した仏教の修行者)を集め、一つ一つの石に、一字ずつお経を書き、お母さんのために、盛大な供養を行ったのです。すると、紫雲たなびく天上遥かから、「お前のおかげで極楽浄土へ行けるようになったよ」というお母さんの声が聞こえてきたのでした。
上人は、その後、毎年、七月十五日になると、お灯明をあげ、祭壇に新鮮な野菜を備え、お母さんや祖先の供養をしたそうです。
 これが、お盆の始まりだそうです。
  日づけのあるお話 365日 七月のむかし話 
                   谷真介編・著 金の星社 刊
 
この話を聞くたびに、「子煩悩」という言葉を思い出します。この言葉から、子どもをかわいがる親のイメージを持ちがちですが、本当はそうではありません。煩悩とは、「心身にまといつき心をかき乱す、一切の妄念・欲望」(岩波国語辞典)のことです。「子煩悩」は、「子は煩悩のもと」と考えるべきなのです。すると、目蓮上人のお母さんが、なぜ地獄へ落ちたかわかります。
 
「お前のことが可愛くて、可愛くてね。お前が賢いことを人に自慢ばかりしていたのじゃ。他の人は早く死んで、おまえだけ長生きしてくれればいいと、罪深いことばかり考えていたからだよ」
 
少子化時代に過保護な育児をしていると、「子煩悩地獄」に落ちます。被害者は、お子さん自身であることに、気づいてほしいものです。
 
また、「子ゆえの闇」という言葉があります。
    
「人の親の心は闇にあらねども 子を思ふ道にまどひぬるかな」 藤原 兼輔 
 
親の心は普段は正しいが、子どものことを思うときだけは、迷いが生じてしまう、という意味の歌である。ここから「子ゆえの闇」という言い方が生まれた。
どんなに理性的な人でも、ことわが子が置かれた環境や将来の話になると思慮分別をなくしてしまう……子を持つ親なら、そういう気持ちはよく理解できるはずである。早い話が親ばかだが……。
 (知らない日本語 教養が試される341語  谷沢永一 著 幻冬社刊 P57)
 
「早い話が親ばかだが……。」わかっていますが、つける薬はないということですね。
 
 
 
次に紹介する話は、「ナヌ?」となるはずです。そうです、芥川龍之介の世界です。こういった作品に出会うと、「やってくれるではないですか」とうれしくなりますね。
 
 
 ◆にんじんのしっぽ◆   水谷章三 著
 
 むかし、けちなばあさんが、じいさんと隣同士に住んでいました。じいさんが風邪を引き、薬にんじんを分けてくれと頼むと、一本あげるのを惜しみ、細いにんじんを半分に折り、曲がったしっぽのところを、あげたのです。じいさんの風邪は治りました。その後しばらくして、ばあさんは死にましたが、行き先は地獄です。
 釜に投げこまれ、首だけ出して苦しみ、もがいていた時、天の神さまが、雲に乗り通りかかったので、助けてくれと大騒ぎをしたのです。その声が神さまの耳に届き、何か方法はないかと、使いの者を閻魔大王のもとへ走らせたのでした。困ったのは、大王です。ばあさんは、何も善いことをしていないからです。閻魔台帳を見ていると、やっと見つかったのは、隣のじいさんに、薬にんじんをあげたことでした。大王は鬼に言いつけ、薬にんじんのしっぽを、使いの者に渡しました。
 神さまは、「お前が人助けをした、にんじんのしっぽだ。これにつかまって上がれ」と釜の上に降ろしたのです。それにつかまったばあさんを、神さまが引き上げはじめました。釜から二本の足が出ると、右足に一人、左足に一人、亡者が飛びついたのです。すると、四本の足に一人ずつ飛びつき、八本の足となり、十六人、三十二人と亡者が飛びつきます。ばあさんは、かなり上まで来たと思い下を見ると、足の下に亡者がつながっているではありませんか。にんじんが切れてしまうと、ばあさんが足をこねまわしたからたまりません。取りついていた亡者どもは、地獄の釜に落ちてしまいました。ばあさん一人になり、天国に上れると思ったのですが、あと一息のところで、しっぽは切れ、ばあさんも地獄に戻ってしまったのです。そして、「人のこと、降り落とさねばよかったってか、どうかな」と、つぶやいたのでした。                    
 九月のはなし   きのこばけもの 松谷みよ子/吉沢和生・監修
                    日本民話の会・編 国土社 刊     
 
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」と違うのは、ばあさんの最後の一言でしょう。お釈迦さまが、カン陀多(カンダタ)の無慈悲な心を哀れんだのに対して、このばあさんの一声は、「人のこと、降り落とさねばよかったのではないのかだって、どうかな。そんなことはわからないよ」と、ばあさん本人に言わせているところがいいですね。後悔しないで開き直っています。昔話は、その時代に生きた庶民の息吹を感じることができます。この話も意味深長ではないでしょうか。
人生を達観している気がします。。
 
 
最後に、うなぎに関した面白い話があるのですが、インターネットで検索しても見つかりません。寺村輝夫氏の「とんち話・むかし話シリーズ」の「わらいばなし編」(あかね書房 刊)ではないかと思います。題もうろ覚えで間違っているかもしれませんが、こういった話です。
 
 
 ◆においの値段◆
 
 うなぎ屋さんの店の前に、舌を出すのもいやな、けちべえさんが住んでいました。昼時になると、けちべえさんは、お茶碗にご飯をいっぱいつめ、家の窓をあけ、うなぎの焼ける匂いをかぎながら、美味そうにご飯を食べるのでした。
うなぎ屋さんはこれがしゃくで、何とかお金を取れないものかと考えていたのです。
 ある日のこと、請求書を持って、けちべえさんの家に行ったのでした。
 「けちべえさん、あなたは、毎日、お昼になると、うなぎの匂いをかいで、ご飯を食べていますが、うなぎはただではありません。匂い代を払ってくれませんか」
 「ああ、いいですよ。毎日、ご馳走になっていますから」
といって、けちべえさんは、奥にいって、何と財布を持って出てきたではありませんか。
 「いくらですかな?」
 驚いたのはうなぎ屋さんです。 けちべえさんが、お金を払ってくれるなど、信じられなかったからです。
 「1月分ですから、ちょうど○○です」  
 「おや、安いものですな。じゃ、払いますよ」
といって、お金を床に投げ出したのでした。チャリン、チャリンと音を立てたのを聞いたけちべえさんは、
 「私は、匂いだけをかぎましたから、お前さんにもお金の音だけで払ってあげましょう」
といって、お金を拾い、さっさと奥に入ってしまったのでした。
 
 
落語にも同じ話があったと記憶しています。これは、とんち話ですから、子ども達の方が知っているかもしれません。
 
  (次回は「終戦記念日、このことです」についてお話しましょう)
 
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