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めぇでるコラム : 2025保護者: 2024年5月

2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第八章(3)何にもないのかな 水無月

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第30号-
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第八章 (3) 何にもないのかな   水 無 月
 
★★父の日、これもアメリカ生まれです★★
 
6月の第3日曜日は、父の日です。
母の日がアメリカ生まれですから、父の日も同じでしょう。母の日があって父の日がなくては、男女同権の国ですから、男の立つ瀬がありません。いかにもアメリカらしいですね。
 
 1910年に、アメリカのワシントン州でジョン・ブルース・ドット夫人が、妻を亡くして男手一つで育ててくれた父に感謝するパーティーを開いたのが始まりとされている。
 その後、1934年に父の日委員会が結成され、母の日にならって6月第3日曜日を「父の日」と定めたのである。日本では、母の日に遅れること4年後、昭和28年(1953年)から、一般的な行事として認められるようになった。          
 (年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P102)
 
 
父の日に贈られる花は、何でしょうか。まだ、子どもが小さかった頃にもらった記憶はありますが、花の名前は思い出せません。バラの花だそうです。たいそう気品のある花ですから、何か訳がありそうです。
 
カーネーションが、十字架にかけられたキリストを見送った、聖母マリアが落とした涙の後に咲いた花でしたから、おそらくバラもキリストと関係あるのではと考えていたら、予想どおりでした。十字架にかけられたキリストの血が落ちて、そこからバラが花を咲かせたそうです。さらに、こういった説もあります。
 
 父の日の花はバラである。バラは花の美しさと香りの気高さのため、古代から人々に愛されてきた。ローマ教皇はバラを手にし、信者はロザリオで祈りを唱える。ロザリオrosaryはラテン語rosa(バラ)、rosarium(バラ園)に由来し、尊敬と喜びのしるしであった。古代ローマでは、祭日の日には神殿も戦車もバラで飾られ、将軍は賞讃のしるしとしてバラの花束を手に持った。
 現代でも音楽会の終わりにはバラの花束を捧げて演奏を讃える風景が見られる。
 (年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P102)
 
聖なるバラです。
花言葉は「尊敬と愛の情熱」です。お父さん方は、承知してもらっているでしょうか。
承知のうえでしたら、頑張らざるをえないですね。父権は、かなり喪失したといわれていますが、やはり、お父さんは頼られる存在になりたいものです。
 
この花言葉、前回にも紹介しましたが、調べると面白いですね。インターネットで簡単に検索できますから、時間があるときに調べてみましょう。
    
ところで、小学校の入学試験に「話の記憶」といった問題がありますが、あるミッション系の学校で、「母の日にお母さんに贈る花の絵に○をつけましょう」といった出題がありました。5つの花の中から選ぶのですが、その中に、何とバラの花も入っていたではありませんか。さすがだと思いました。
事の起こりは、キリストに関係があるのですから。出題校は、暁星小学校です。
 
 
                                    
★★夏 至★★
 
二十四節気(にじゅうしせっき)の一つで、春分、秋分、冬至と、それぞれ楽しい行事がありますが、夏至には、何かあるのでしょうか。暑い盛りではありませんが、うっとうしい日が続く頃です。
 
一年中で、いちばん昼の長い日ですから、何だか疲れを感じがちです。これは、夏至のとき、お日さまは、もっとも北に寄っているからです。ですから、北極ではお日さまが沈みません、白夜です。
 
逆に、南極ではお日さまの姿を見ることはできません。土用の日のように、うなぎを食べて元気をつけることもないようですし、何だか夏至だけが、冷たくあしらわれているような気もしなくはありません。しかし、夏至だけ問題にするのは不公平です。雨水、清明、芒種などといわれても、何やらわかりませんが、これも夏至と仲間の二十四節気のことです。
 
 正しい季節を示すために作られた目印を二十四節気といった。太陰太陽暦では暦の上の月日と季節がくいちがいをおこすので、暦の月日とは別に、農事に必要な季節の標準を示す必要があったからである。1太陽年を24等分して、太陽が最も低く昼間の最も短い冬至から始めて、1年を24等分した分点を二十四節気とした。
  (年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P39)
 
二十四節気とは、正しい季節を示す目印と考えるとわかりやすいですね。日本は農耕民族です、今は疑わしいですが。昔は、太陰太陽暦を使っていましたから、今のグレゴリオ暦では、暦の上の月日と季節とが、食い違いを起こすので、暦の月日とは別に、農事に必要な季節の標準を示す必要があったのです。よく、テレビなどで、「今日は、啓蟄の日です。冬ごもりをしていた虫たちも、はい出る日といわれ……」
などとやっています、あれです。
今年の二十四節気は以下の通りです。       
 
★★二十四節気★★
 <春> 立 春  2月 4日   <夏> 立 夏  5月 6日
             雨 水  2月19日       小 満  5月21日  
     啓 蟄  3月 6日          芒 種  6月 6日  
     春 分  3月21日          夏 至  6月21日  
     清 明  4月 5日          小 暑  7月 7日  
     穀 雨  4月20日          大 暑  7月23日    
 
 <秋> 立 秋  8月 8日   <冬> 立 冬 11月 8日 
     処 暑  8月23日          小 雪 11月22日   
     白 露  9月 8日          大 雪 12月 7日   
     秋 分  9月23日          冬 至 12月22日   
     寒 露 10月 8日          小 寒  1月 6日   
     霜 降 10月24日       大 寒  1月20日   
 (「国立天文台発表」より)
 
立春 旧冬と新春の境目、まだ、寒さの厳しい頃です。
雨水(うすい) 雨水がぬるみ、草木が芽を出し始めます。
啓蟄(けいちつ) 冬眠している虫たちも、穴からはい出してきます。
春分 昼夜が等しく分かれ、昼間が長くなり、夜が短くなってきます。
清明(せいめい) 桜花爛漫、春の盛となり、天地万物に清新の気があふれる時期。
穀雨(こくう) 春雨は、田畑をうるおし、穀物の成長するときです。 
            
立夏 春は去り、爽快な夏の気配を感じる頃です。
小満(しょうまん) 日増しに暑くなり、草木が繁り天地に満ち始める時です。
芒種(ぼうしゅ) 芒(のぎ・稲や麦などについているとげ)のある穀物を植える時。
夏至 日の長きに至る、昼がもっとも長くなる日。梅雨のさかりで、田植えの時期。
小暑(しょうしょ) 日増しに暑さが加わり、この日から暑中見舞いを出し始めます。
大暑(たいしょ) 暑さがもっとも厳しくなる頃。
 
立秋 暦の上だけの秋、まだ、真夏の頃。この日から残暑見舞いとなります。
処暑(しょしょ) 暑さが止み、秋風が吹く頃。「処」は「とどまる」の意。  
白露(はくろ) 秋も本格的となり、野草に甘い露の宿る頃。
秋分 昼夜が等しく分かれ、春分とは逆に、昼が短く夜が長くなります。   
寒露(かんろ) 野草に冷たい露が宿る頃。                   
霜降(そうこう) 秋の気配も去り、朝霜のおりる頃。
 
立冬 冬の気配がうかがえる頃。
小雪(しょうせつ) 寒さもさほどでもなく、雪も少ない頃。
大雪(だいせつ) 北風が強くなり、寒さも厳しく、雪が降り始めます。
冬至 日の短きに至り、夜が長くなる日です。
小寒(しょうかん) 寒気が加わり、雪が積もる頃。
          この日を「寒の入り」とし、寒中見舞いを出し始めます。
大寒(だいかん) 冬将軍がもっとも威勢のよい時期ですが、寒さの中にも「春とおからず」の希望がふくらむ頃。
 
 
しかし、漢字って、いいですね。
「雨水」「処暑」など見ているだけで、何やら、日本を訪れる季節の兆しが、思い浮かびませんか。
 
今から2000年前の頃、中国の周王朝により華北の気象状況にあわせて作られたそうです。何と2000年前のことです、感動しませんか。感動しますが、何だか実感がありません。大暑といえば、実感としては、8月7日の立秋の頃ではないでしょうか。
 
日本でいうと、岩手県の季節と合っているそうです。東京でも、ピンとこないのですから、九州地方のみなさんは、どうでしょう。
 
この原因は、今は、グレゴリオ暦を使っているからです。二十四節気は、先程もいいましたように、むかし使われていた太陰太陽暦によって決められていますから、1ヵ月位の差が出るのです。
 
かつてある新聞に、気象協会では、新「二十四節気」を作ると出ていました。
その訳は、「寒いのに立春、暑いのに立秋―。中国伝来の二十四節気は、季節の移り変わりに彩を添える言葉だが、ちょっと違和感を感じませんか」(原文のまま)(中略)同協会は「現代の日本の季節感になじみ、親しみを感じる言葉を選びたい」のだそうです。
 
そして、「新二十四節気」という名称ではなく「季節のことば36選」として平成25年春に発表されました。
 
  季節のことば36選                  二十四節気
    1月 初詣 寒稽古 雪おろし           小寒 大寒
    2月 節分 バレンタイン 春一番         立春 雨水
    3月 ひな祭り なごり雪 朧月夜         啓蟄 春分
    4月 入学式 花吹雪 春眠            清明 穀雨
    5月 風薫る 鯉のぼり 卯の花          立夏 小満
    6月 あじさい 梅雨 蛍舞う           芒種 夏至
    7月 蝉しぐれ ひまわり 入道雲 夏休み     小暑 大暑
    8月 原爆忌(広島、長崎) 流れ星 朝顔     立秋 処暑
    9月 いわし雲 虫の音 お月見          白露 秋分
   10月 紅葉前線 秋祭り 冬支度          甘露 霜降
   11月 木枯らし1号 七五三 時雨             立冬 小雪
   12月 冬将軍 クリスマス 除夜の鐘         大雪 冬至
               (「一般財団法人 日本気象協会編」より)
 
参考までに、二十四節気も掲載しておきましたが、いかがでしょうか。
七夕が行われる7月7日、小暑といわれていますが、選ばれていませんでしたね。星の祭りである七夕も、幼稚園や保育園、小学校の夏のイベントになり、ご家庭で楽しむ年中行事ではなくなったようです。
 
ところで、「人のうわさも七十五日」といわれていますが、その語源が二十四節気と関わりがあるのですから、面白いですね。七十五日を四十五日、四十九日、七十九日というのは誤りです。
 
 「日本には二十四節気という季節の区切り方があります。365日を24等分するので、一節気はおよそ15日。昔から五節季経てばまったく違う季節になるといわれていましたから、15×5=75日となります。75日も経てばまったく新しい季節になるのだから、それまでのことは忘れようという意味なのでしょう」
     (「つい他人に自慢したくなる無敵の雑学」
           なるほど倶楽部 編 角川書店 刊 P18)
 
ちなみに英語では、“A wonder lasts but nine days”(「驚きも九日しか続かない」故事ことわざ辞典より)だそうですが、日本と違い、個人主義が定着している国では、噂の消えるのも短いということでしょうか。
 
(次回は「6月に読んであげたい本」についてお話しましょう)
 
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、制作したものです】
 
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第八章(2)何にもないのかな 水無月

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第29号-
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第八章 (2) 何にもないのかな   水 無 月
 
 
★★しみじみとうまいにぎり飯★★
 
日本人に生まれてよかったなと思うことはたくさんありますが、米の飯を食べられるのも、その一つです。米の飯ほどうまいものはありません。寿司や鰻重、すき焼きなどでは、魚や鰻、肉が主役になり、称賛を浴びがちですが、どっこい、縁の下の力持ちは、何といっても「ご飯」です。米が、まずけりゃ話になりません。トロだろうが、天然物だろうが、霜降りだろうが、米に袖にされたら、もういけません。やっぱり、米は偉い。
 
しかし、何と言ってもしみじみと米のうまさがわかるのは、「にぎり飯」ではないでしょうか。
 
炊きたてのご飯を、手につけた塩で握り、海苔をまいて食べる。中身は、梅干しやかつお節があれば、もう、それで十分。こんなに簡単で、安く出来上がり、満腹感を味わえる食べ物は、他にあるでしょうか。にぎり飯、というよりは、「おにぎり」の方がふさわしいかもしれませんが、このおにぎりには、忘れがたい思い出がしみ込んでいます。
 
何事も便利になった現代ですが、便利になりすぎると、失うものも出てきます。
 
このことを考えるべきではないでしょうか。
何事も工夫しなくなると、受け身になりがちです。コンビニやスーパーなどで売っているおにぎりを、子どもに食べさせるのも考えものです。
 
お母さんやお父さんの手作りだからこそ、「おにぎり」であり美味いのです。
手作りだからこそ愛情が伝わるのではないでしょうか。
 
ちなみに、東日本では「おむすび」、西日本では「おにぎり」と呼ばれていたそうですが、コンビニのCMの影響もあり「おにぎり」優勢のように感じます。
 
さて、おにぎりの主役であるお米はいつから日本の主食になったのでしょうか。
 
 稲はもともと中国南部の山岳地帯で生まれたとされています。そこから北へ広がったものが、現在の日本で食べられているお米の短粒種“ジャポニカ米”です。“ジャポニカ米”は縄文時代後期に中国から北九州に伝わり、そこから長い年月をかけ、明治時代になりやっと北海道まで伝わりました。ということは、お米が日本全国で主食になったのは、今からおよそ140年前、明治時代からだったのです。5月は田植えの季節です。美味しいお米ができる秋が楽しみですね。
   (平成25年5月時の「聖徳大学附属小学校のホームページ」より)
 
ところで、小学校入学後のことで気になる給食・お弁当問題。
時代の流れで、お弁当持参だった学校も注文弁当や給食を導入する学校が増えてきました。
とは言え、弁当は、おふくろの味です。
おふくろの味は真心であり、世界に一つしかない専用のレストランで調理され、しかも好みに合う美味しいメニューしかありません。その弁当ですが、やはり、ご飯ですね(笑)。
手間はかかりますが、機会を見つけてはお弁当を食べさせてあげたいものです。
 
 
                            
★★衣替え★★
 
幼稚園児から学生さん、お父さん方のスーツまで、見事に様変わりする衣替えは、ご存知のごとく6月1日と10月1日です。
 
衣替えの起こりは、宮中の行事として始まったもので、平安朝では、旧暦の4月1日と10月1日に行われていましたが、室町時代から複雑になり、江戸時代のお武家さんの世界では、何と年4回も衣替えをしていたのです。
 
4月1日から5月4日までと9月1日から9月8日までは袷(あわせ-裏地のついた着物)、
5月5日から8月末日までは帷子(かたびら-裏地のない単衣仕立ての着物)、
9月9日から3月末日までは綿入れ(表布と裏布の間に綿を入れた着物)を着るように定められていました。
 
冷暖房の施設もなかった時代ですから、衣替えで対処するのが生活の知恵だったのでしょう。
現在のようになったのは明治以降で、学校や官公庁、銀行やデパートなど制服を着る業界では、この日を境に冬装束から夏装束に改めます。
 
かつては、夏服に変わると、梅雨の湿った陽気にうんざりする心に、さわやかな涼風を肌に送り10月には冬服に着替え、やってくる冬将軍に備えて気を引き締めたものですが、今は、通勤、通学も冷暖房完備の電車ですし、家に帰ればクーラー、ヒーターと至れり尽くせりですから、ファッションとしての要素が強くなっているのではないでしょうか。
 
ところで、この衣替えには、衣類を虫やかびから守る大切な仕事が待ち受けています。お子さまに、お手伝いをさせましょう。常にクローゼットで対応できるご家庭でも敢えて「防虫剤を入れて、収納する」という体験をさせてあげましょう。小さいときから、このような季節を肌で感じることができる仕事は貴重です。整理整頓を苦手とする大人が増えているようですが、その原因は、幼児期の体験の差にあるのではないでしょうか。
 
衣類だけではなく、部屋の模様替えも一緒にやって、気分転換をしてみるのもいいですね。子ども心にも、親の手伝いをするのはうれしいものです。そして、何よりの収穫は、特にお母さんがこういった家事を、笑顔でテキパキと片付けていく姿を見て、子ども達はたくさんのことを学んでいます。「子は親の背を見て育つ」は、まさに名言ではないでしょうか。
 
以前に紹介した、世界的なベストセラーにもなったドロシー・ロー・ノルトの「子どもが育つ魔法の言葉」を思い出してください。この本こそ、親になる前に私が出会いたかった数々の著書の一冊です。
 
この時期、不安定な気候が続くことがあります。そして梅雨。
そんな時、お母さんの笑顔こそ、うっとうしい季節を乗り越える清涼剤であることを、忘れないでほしいですね。お父さんの笑顔もですが(笑)。
 
  (次回は「父の日、その他」についてお話しましょう)
 
 
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第八章(1)何にもないのかな 水無月

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第28号-
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第八章 (1) 何にもないのかな   水 無 月
 
暦の上では、6月から夏です。夏の読み方は、「暑(あつ)」の転化したものといわれていますが、他にも「生(な)る」「暑(ねつ)」などの転化したものという説もあるそうです。
 
水無月(みなづき)のいわれは、たくさんあります。
旧暦6月は、梅雨も終わり、炎天下の酷暑の季節に入り、文字通り、水もかれつきるという説と、逆に、田植えも終わり、田に水を張る月「水張り月」「水月」からきた説、また、農家のもっとも重要なイベントでもあった田植えが終わったことから「皆仕月(みなしつき)」「皆月(みなつき)」からきた説、そして、雷が多い季節から「かみなり月」の「か」と「り」をとり、「みな月」という説もあるそうです。最後の「ゴロ合わせ」ではなく「語呂合わせ」がおかしいですね。
 
 
 ★★大切な田植えの時です★★
 
6月といったら、「何といっても……」というものがありません。
毎日、雨が降り、むし暑くて、うっとうしい梅雨です。
この梅雨のいわれですが、梅の実が熟する頃に降る雨から梅雨、湿っぽくて黴(かび)が生えやすい気候から黴雨、この他に梅雨を「つゆ」と読む場合もあります。しとしとと降る雨が、木々の梢や葉にまとわりつき、露となって落ちていく様子から“つゆ”とも呼ばれたのではないかと私流に思い込み、趣のある言葉で好きなのですが、諸説があって本当のことはわからないようです。
 
梅雨前線が、日本列島にどっしりと腰をすえ、うんざりする毎日になります。
しかし、この時期に、しっかりと雨が降らなくては、困るものがあります。
 
お米です。
 
田植えの季節です。
菖蒲(しょうぶ)や蓬(よもぎ)、柏の葉は、端午の節句の専売特許ではありません。昔の5月は、今の6月頃にあたります。今のように、機械で苗を植えるのと違い、田植えは、お百姓さんが、苗を1本1本、手で植えていました。
ですから、時間はかかり、田んぼが広ければ、人手もたくさん必要になります。
まさに、猫の手も借りたいほどの忙しさです。
「米」という字は、「八と十と八」からできています。お米は、種から芽を出した苗を田んぼに植えて収穫し精米するまでに、人の手を八十八回わずらわすといわれるほど、手がかかるのです。
 
さらに、天気にも左右されます。
ご存知のように、稲は水稲(すいとう)といって水田で栽培しますから、梅雨にたくさん雨が降らなければ、田植えはできません。ちなみに、水稲より大量の水を必要としない畑で栽培する稲、陸稲(おかぼ)もありますが、水稲に比べ品質は劣り収穫量も少ないため、日陰の存在に甘んじているようです。
 
そして、夏に日照りが悪いと、稲はきちんと育ちません。
しかし、日が照りすぎても、田んぼの水が干上がって、稲は駄目になります。
また、稲は順調に育っても、収穫前に台風がきて、たわわに実った稲穂が強風になぎ倒され、豪雨で水に浸かってしまっては使いものになりません。自然とのかかわりは、宿命的な因果関係のごとく厳しいですから、神頼みにならざるを得ないのです。
 
そこで、昔の人は知恵を絞り、田植えが無事に済み、たっぷりとお水をいただき、夏にはしっかりとお日さまに顔を出してもらい、稲が立派に育って、秋には、おいしいお米がたくさんとれるようにと、神様にお祈りをしたわけです。
米作りは、やり直しのきかない真剣勝負、人生そのものといえるのではないでしょうか。
 
そのお祈りをするのは女性の役目で、早乙女(さおとめ)と呼ばれ、田植えをする間、悪いことが起きないように、屋根を菖蒲の葉で作った小屋に集まり、肉食を断つなどして身を清め、精進潔斎をし、一晩中、お祈りをしました。ですから、昔の5月5日は、夏負けをしないように、匂いの強い草で、魔物を追い出す日であり、田植えの準備の日でもあったのです。
 
ところで、浄瑠璃といえば近松門左衛門、そのすぐれた伝統芸能を観賞する機会はほとんどありませんが、残された名作を本で読むことはできます。代表作の一つ、どうしようもない放蕩無頼で、典型的な自己中の不良青年、与兵衛を描いた「女殺油地獄」の中に、「五月五日の一夜を女の家と言うぞかし」とあり、男の祭りではなく、無事に田植えを行えるよう祈願する女性の祭りであることがわかります。
 
その田植えですが、本当に、大変な仕事です。
泥んこの田んぼに足をつけたまま、幅1メートルほどの範囲を、10センチ間隔ほどに苗を植えていくのです、腰をかがめて。これを30分程続けると、完全に腰にきます。伸ばすと、ボリッと音がするほど、筋肉は、まいってしまいます。
 
毎年、天皇陛下が苗を植える「お田植え」、お姿をテレビで拝見しています。
収穫された米は、宮中祭祀に使われたり、伊勢神宮に奉納されるそうです。
「豊葦原(とよあしはら)の瑞穂(みずほ)の実る国(神意によって稲が豊かに実り、栄える国)」、これは日本国の美称として使われる言葉ですが、皇室の儀式とはいえ、無理をなさらないでほしいですね。
 
最近、小学生が体験授業として、田植えをやる学校が増えているようですが、米を作ることが大変な作業であることを実感できれば、「いただきます」の本当の意味、「ありがたくいただきます」と感謝の気持ちを表していることも理解できるのではないでしょうか。
 
さて、夏になると、稲のまわりに雑草が生えますが、これを取り除くのも一苦労です。また、腰をまげて、手で雑草を取ります。これが、かんかん照りの太陽のもとでの作業ですから、田んぼの水は、それこそ生ぬるく、草いきれで、むっとする匂いには、泣かされます。人の血を吸う蛭(ひる)もいて、環境のよい仕事場ではありません。日本の夏は高温多湿であるだけに、少しでも手を抜くと雑草が生え、稲の成長を妨げますから手入れが大変で、まるでわが子を育てるのと同じだとお百姓さんに聞いたことがあります。
 
子育ても手を抜いた分、親が考えもしなかった色に染まってしまうものです。
「手を抜く」といっても育児を放棄するのではなく、ちょっとした思い違いから、親子の絆にひびの入ることもあるものです。「おかしいな?」と感じた時は、親から子どもに話しかけるべきではないでしょうか。そういう時は、子ども自身も迷っているはずだからです。
 
話を元に戻しましょう。
そして最後の収穫。これも1株、1株、鎌(かま)で刈っていきます。繰り返しますが、お百姓さんの腰が曲がるわけです。刈った稲を、今度は、天日で乾かします。それを脱穀機で稲穂を取り、もみ殻にして、これを精米機にかけ、やっとお米になるのです。
 
農業の機械化というのでしょうか、田植えから脱穀まで、全部、機械でできるそうですから、これは、すごい省力化です。しかも、無人のトラクターというのも実用になっています。そういえば、最近、腰の曲がったお百姓さんを、あまり、見かけません。
 
 
 
 ★★てるてる坊主★★
 
この月は、しっかりと雨が降ってくれなくては困りますが、雨が降ってほしくない時もあります。
子どもの頃、遠足や運動会の前日に、てるてる坊主を作ったものでした。今でも、この風習は残っているようです。天気にしてくれた時には、目、鼻、口をつけてあげた記憶があります。
 
   てるてる坊主
     作詞 浅原 鏡村  作曲 中山 晋平
 
  (1)てるてる坊主 てる坊主 明日天気にしておくれ
     いつかの夢の空のように はれたら金の鈴あげよ
 
  (2)てるてる坊主 てる坊主 明日天気にしておくれ
     私の願いを聞いたなら  甘いお酒をたんと飲ましょ
 
  (3)てるてる坊主 てる坊主 明日天気にしておくれ
     それでも曇って泣いたなら そなたの首をチョンと切るぞ
             (注 浅原鏡村は、小説家浅原六郎の別名)
 
幼子の「どうしても晴れてほしいなぁ!」という気持ちが伝わってきます。
「しかし、しかしです」と何も興奮することはありませんが、「てるてる坊主は、坊主ではなく娘さんです!」と聞けば、「ナヌ!?」となりませんか。発祥の地は、またしても中国でした。
 
 てるてる坊主の起源は、中国で掃晴娘(そうせいじょ)とよばれる、ほうきを持った女性の紙人形をつるす風習からきている。娘がほうきで晴れ気を掃きよせ、晴天や幸運を招き寄せようとするまじないで、平安時代に日本へ入ってからは、なぜか坊主に代わってしまった。
  (日本の年中行事百科2 夏 民具で見る日本人のくらしQ&A P14
                  監修 岩井 宏實 河出書房新社 刊)
 
お坊さんの頭は、つるつるで、何やら光り輝いていますし、明日の天気は神頼み、いや、この場合は仏頼みで、晴れのイメージにつながったのでしょうか。
 
ところで、今はどうかわかりませんが、一時期、小学校の音楽の教科書の中にはなく、ラジオなどで流す場合は3番をカットするケースがあったようです。
その理由は、歌詞の3番に、
「それでも曇って泣いたなら そなたの首をチョンと切るぞ」
とありますが、それは自分の願いを聞き届けさせようとする「脅迫信仰」であって、童謡らしくない残酷な表現だからだそうです。
 
作詞者のイメージとしては、残酷に処刑するのではなく、「晴れなかったら承知しないからね!」と、どうしても晴れてほしい切実な願い、その気持ちを表現したかったのではないでしょうか。
 
映画やテレビ、漫画、ゲームなどでは、もっと残酷な場面を映像で見せつけているではありませんか。詩は、イメージです。こんなことまで規制されるのは、情操教育を考えると、首を傾げたくなります。残酷な犯罪は、きちんとイメージできないから起きるのではないでしょうか。
 
ですから、「イメージ化できる」ことは、非常に大切な感性です。感性こそ、子どもの時から様々な経験を積み重ね、磨いていくものです。
 
以前にもお話しましたが、イメージ化を培う力は、読書と何事にも自力で挑戦する生活体験です。
 
文字を読み取り、その世界を作り上げる作業は、人格を築き上げる大切な学習です。若者の活字離れが指摘され久しくなりますが、思考力や思想を構築する力が劣るわけです。お子さんに本を読む習慣を身にけさせるには、本の読み聞かせと、ご両親の読書をする姿をしっかりと見せておくことです。
 
そして、何事も自力で挑戦する意欲を育てましょう。失敗を恐れる子にしてはいけません。「為せば成る」ではありませんが、試行錯誤を積み重ねることから、工夫する力も忍耐力も育まれます。
 
「そんなこともできないのは、駄目な子なの!」
などという保護者がいると聞きますが、「できるように頑張る子に育てるのが親の仕事」です。
 
幼児教育に携わってきて感じるのは、多くの場合、お母さんがあまりにも不用意に、子どもに劣等感を植え付ける言葉を投げがちです。同じ言葉をご主人に言われれば、柳眉を逆立て、猛烈に反撃するでしょうに。
 
ご両親のさじ加減で、お子さんの潜在能力は開発されることを肝に銘じてほしいものです。
 
蛇足になりますが、「為せば成る」は、本当はもっと長い文章で、その頭文字の5個をとったものです。
 
江戸時代の後期、米沢藩主の上杉鷹山が、家臣に教訓として「為せば成る。為さねばならぬ何事も。成らぬは人の為さぬなりけり」と詠み与えたものですが、それより以前に、武田信玄が「為せば成る、為さねばならぬ。成る業を成らぬと捨つる人の儚(はかな)さ」と、よく似た歌を詠んでおり、鷹山の言葉は、これを変えたものだといわれているそうです。(「故事ことわざ辞典」より)
 
ところで、これは最近、知ったことですが、4番まであった「てるてる坊主」を、何と作曲者が1番を削除し、今の形にしたとか。その1番の歌とは、
 
 (1)てるてる坊主 てる坊主
    あした天気にしておくれ
    もしも曇って 泣いてたら
    空をながめて みんなで泣こう
    (www.tenki.jp/suppl/usagida/2015/05/14/3771.htmlより)
 
作詞家ではありません、作曲家の中山晋平です。
何ともやさしくて、いいと思いませんか。詳しいことをお知りになりたい方、「てるてる坊主」で検索すると、いろんな情報にヒットできます。
 
  (次回は、「しみじみとうまいにぎり飯」他についてお話しましょう)
 
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第7章(4)端午の節句です 皐月

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第27号-
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第7章 端午の節句です(4) 
 
 
★★五月に読んであげたい本★★  
 
「桃太郎」や「金太郎」は、おなじみのむかし話ですからさて置き、こわい話を紹介しましょう。
 
 
◆めしを食わぬよめ◆   松谷 みよ子 著
 
むかし、ある村に、たいそうけちな男がいました。嫁に食わせる飯がもったいないから、飯を食わぬ嫁を探してくれというのです。
ある日のこと、十六、七の姉さまが訪ねてきて、ご飯を食べずに働くから嫁にしてくれという。暮らしてみると、ご飯を食べず、しかも働き者です。ところが、毎日、米もみそも減っています。不思議に思った男は、次の日、仕事に出かけたふりをして、戸のふし穴からのぞいてみたところ、髪をほどいた頭の中に、大きな口があり、飯にみそをつけ、にぎっては放りこみ、大がまの飯を全部、食べてしまったのです。
男は、夕方になると、知らぬふりをして家に帰り、別れ話をすると、にわかに髪をふりみだし、頭の口をパックリとあけて、恐ろしい山姥(やまんば)になったのです。逃げ出そうとする男をつまみあげ、ふろ桶の中へ放りこみ、桶に帯をかけて背負うと、山へむかって走りだしました。男は、何とか助かろうと、桶から顔を出してみると、頭の上に木の枝があったのでとびつき、木からすべりおり、山をかけおり、ふもとまで来たのですが、気づいた山姥が、追いかけてきます。男は、そばの草むらに逃げ込みました。そこには、菖蒲がたくさん生えていたのです。
「魔除けの菖蒲にはかなわない」と、山姥は悔しそうにいい、山へ帰って行ったのです。
菖蒲が魔除けの草として、五月の節句に飾られるようになったのは、この時からだといわれています。
   五月のはなし  ももたろう 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
                    日本民話の会 編 国土社 刊
 
話によっては、蓬(よもぎ)も生えている草むらになっているものや、風呂桶ではなく背負いかごのもあります。面白いことに、「この日が、実は、5月5日であった」という話も残っています。
 
子どもは、こわい話を聞きたがりますが、本当は、こわがりなのです。話だけでは、頭に大口がある姿を想像できませんから聞いていますが、本の場合は絵がありますから、こわがります。
 
ある時、絵本を見せながら読んだところ、こわそうな顔をして聞いていました。
喜怒哀楽の情緒も分化されてくる時期ですから、こわいものには、本当にこわがり始めます。
この話でも、頭の口で食べるところでは、
「これからこわーくなるから、こわい人は……、耳を、ふさいで、いいのだよー」     
といかにもこわそうにいうと、耳をふさいで下を向くのは、男の子が多いですね。食い入るように話を聞いているのは、案外、女の子なのです。肝が座っているのですね、小さい頃から。
 
あまり恐怖感を与えるのも考えものですが、こういった刺激を与え、情緒を育んでいくことも、昔話の大切な役目ではないでしょうか。恐怖感も、きちんと結末で拭ってくれる配慮がしてあるからです。
 
 
 
探してみるものですね。この話を見つけたときは、本当にうれしくなりました。
鯉のぼりの制作者は、意外にも、お侍さんだったのです。
 
◆コイのぼりのはじまり◆(伝説 墨田区) 
 
江戸時代のことです。
端午の節句が近づいたある日、江戸の町を一人の侍が歩いていました。武家屋敷の庭には、祝いの旗や、のぼりが立てられ、道では、侍の子が、紙のかぶとをかぶり、しょうぶで作った刀を振り回していますが、町人の住む町の子ども達は、かぶとも、しょうぶの刀も差していないことに気づいたのです。
染め物屋の家からは、のぼりを立ててくれとせがむ子どもの声が聞こえました。
「あれは、お侍さんが立てるものだからできない」と話しますが、納得しないで、泣きじゃくっているではありませんか。
そこへ、お侍が入って来て、大きな紙4枚と太い筆を借り、1枚の紙に大きなコイを描き、別の紙には、反対向きのコイを描きあげました。2枚の絵を合わせると、1匹のコイになるのです。もう1匹描くから、節句の前日までに、黒と赤に染め上げてほしいといって店を出たのです。
約束の日に染め上げ、日に干していると、やってきた侍は、はさみと針を借り、向きの違うコイ同士を、袋縫いに縫い合わせると、黒と赤の2匹のコイになったのです。長いさおの先につけて、家の前に立てさせました。五月晴れの空を、風に吹かれる真ゴイと緋ゴイ。周りには、町人や武士の子ども達も集まり嬉しそうです。
お侍さんの名は赤荻柳和、武士というよりは俳句を作ることで知られた、心のやさしい人だったそうです。こうして、次の年の5月5日から、江戸の町にはコイのぼりが、武士の家にも町人の家にも、立てられるようなったのです。
これが、コイのぼりの始まりだそうです。
 
 県別ふるさとの民話18 東京都の民話 日本児童文学者協会編 偕成社刊 
 
 
 
 
       夏もちかづく  八十八夜
       野にも山にも  若葉がしげる
       あれに見えるは 茶摘みじゃないか
       あかねだすきに すげの笠
 
小学校唱歌「茶つみ」の歌です。最近ではあまり聞かれなくなりましたが、女の子が「せっせっせーのよいよいよい」といってから、この歌をうたいながら遊ぶ、手遊びがありました。
 
「八十八夜」「若葉」「茶摘み」「すげの笠」といいますと、かつては夏の近いことを実感したものです。しかし、今はどうでしょうか。こういった風物詩も、「テレビで拝見」で終わっているようです。もっともテレビさえ見ていないご家庭も増えているように感じます。
 
季節を感じる余裕がなくなってしまったのでしょうか、もったいないと思います。
自然が、四季折々の変化を告げてくれるのは、本当に有り難いことだからです。
 
この歌にある「八十八夜」は、暦の上で、立春の日(2月4日頃)から数えて八十八日目、5月2日頃のことで、茶摘みが始まる季節です。
新しい芽を摘んで作った新茶売りの話があります。
                   
◆お茶屋とふるい屋と古鉄屋(ふるがねや)◆(山梨県の話)
 
ある日、一人のお茶売りが、「新茶ぁ、おいしい新茶だよ!」と、売り歩いていく後から、「ふるいー、ふるいー」といってふるい屋が歩いていきます。
「ふるい」とは、粉や砂など細かなものを、網目を通して落としたり、選り分けする道具です。「新茶、ふるい」と売り声が並ぶと、新茶なのか古いのかわからず、誰も出てきません。
お茶屋さんは、新茶が売れないと怒りましたが、ふるい屋さんも、
「ここは天下の往来、文句があるなら、お前さんこそ、どこかへ行ってくれ」
とけんかを始めました。
そこへ、古鉄(ふるかね)屋さんが、通りかかり仲裁に入ったのです。古鉄屋さんは、いらなくなった金物を買い取る商売です。二人から訳を聞くと、これから三人で売り歩こうといい、順番は、
「お茶屋さん、ふるい屋さん、私だ」という。
言われて三人が売り声をあげると、
「新茶ぁ、ふるいー、古鉄ぇ(ふるかねぇ)!」
となり、今度はいい商いができたのでした。
    
  日づけのあるお話365日 
         五月のむかしの話  谷 真介 編・著 金の星社 刊
 
この話に出てくる「ふるい屋」「古鉄(ふるがね)屋」も、説明がないとわからない仕事ですね。かつて、こういった行商屋さんが、金魚、風鈴、豆腐、納豆、アイスキャンディーなどを売りに来たものです。その他に、鍋やかまなどにできた穴を修理する「いかけ屋」さん。道の片隅にござを敷き、その上に道具を並べ、小さなふいご(携帯用送風機)で火をおこし、焼けた鉄の棒で金属同士をくっつけてしまう「半田付け(はんだづけ)」をしていました。
 
落語にも「売り声」という噺があり、お茶屋さんに代わり「魚屋」さんで、いわしを売っていたと記憶しています。「いわし、ふるいー、ふるかねえ!」
 
 
 
どうしても紹介しておきたい話があるのですが、季節感が希薄なのです。棚ぼた式に出世する話、こういったうまい話は、あるところにはあるものです。観音さまのご利益なのですが、運命は、本当に、どなたが決めるのでしょう。この話は、「今昔物語」の巻16の第28話に出ている他、古本説話集、宇治拾遺物語、雑談集にも、「長谷寺観音の霊験譚」として残されています。思いがけない交換から利益を得ることを主題にした致富譚(ちふたん)の一つで、原作を読むのは、少々しんどいですが、子ども向けに翻訳された本は、おもしろく読めます。芥川龍之介の愛読書であることもわかります。
 
◆わらしべ長者◆   阿部 律子 著
 
むかし、あるところに、お父にもお母にも死なれ、独りぼっちの貧乏な若者がいました。
ある日、村の観音さまに祈っているうちに寝てしまったのですが、夢の中に観音さまが現われ、
「ここから東に行き、初めに手につかんだものを大切にすべし」
と、お告げがあったのです。
急いで戻ろうとしたとき、石につまずき転びましたが、起き上がると、片手にわらしべを握っていたのです。観音さまのお告げは、このことかもしれないとわらしべを懐にしまい、東の方に歩いて行くと、1匹のあぶが飛んできたので捕まえ、わらしべの先にくくりつけました。すると、牛車に乗っていた男の子が欲しいというのであげると、ただでもらってはと、みかんを3つくれたのです。
しばらくいくと、男が道端に倒れていて、水がほしいという。みかんを差し出すと、お礼に反物をくれたのでした。これも観音さまのお陰かもしれないと、なおも東へ向かって行くと都に出たのです。
すると、倒れた馬を囲んで、人々が騒いでいました。馬の持ち主が、若者に、急用があるので、馬をやるから好きなようにしてくれというので、ただでもらうわけにはと、反物をあげたのです。
若者は、馬を引きながら、さらに東の方へ行くと、大きな家から、旅支度をした主人が出てきて馬をくれ、もし、3年たってもわしがもどらなかったら、この家も畑も、お前にやると言い、返事も聞かずに行ってしまったのです。若者は、田畑を耕しながら、主人の帰りを待ったのですが、帰ってきませんでしたので、若者は、その屋敷に住み、やがて、わらしべ長者と呼ばれる大金持ちになったのです。
(わらしべ  米や麦など稲科植物の茎を乾燥させたもの。引用者注)
 
  日本むかしばなし 12
    ふしぎなゆめ 民話の研究会 編 田木 宗太 絵 ポプラ社 刊
     
このように、安物が高価な物と交換されていく話は、ヨーロッパにはあまり見られず、なぜか、インド、ベトナム、朝鮮、日本といったように東南アジアに分布しているようです。そういえば、インドの原始仏典「ジャータカ」には、ねずみ1匹から交換が始まり、豪商の婿さまに納まる出世物語が収められています。
「ジャータカ物語」や「パンチャタントラ物語」(世界で最も古い子ども向けの物語集)もお勧めしたいのですが、最近、図書館でも見かけなくなりました。
パソコンで検索すると、かなり出版されているようです。あらすじを紹介しているものもあり、内容を把握できますから、のぞいてみましょう。
 
   (次回は、「何もないのかな 水無月」についてお話しましょう)

 
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第7章(3)端午の節句です 皐月

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第26号-
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第7章(3)端午の節句です 
 
 
★★竜とドラゴンは、どこが違うのかな★★ 
         
「先生、竜って、どこにいるのかな?」
映画「ジュラシックパーク」を見た子どもが、こう質問したものです。絶滅したはずの恐竜が動き回っているのですから、不思議に思ったのでしょう。
ゴジラの時も、同じような質問を受けました。人間の脳は、動くものを見ることで刺激を受け、新しい思考が始まるようです。空想の怪獣が動くことで、新しい疑問を感じるのでしょう。
 
竜といえば、芥川龍之介の小説「龍」や、上野の不忍池に、夜な夜な水を飲みに現れたという名工、左甚五郎の彫った「龍」などから、名前には親近感がありますが、存在感はありません。困ったとき、頼りになるのは広辞苑、心強い味方です。
 
それによると、「竜は、インド神話で蛇を神格化した人面蛇身の半神、中国では神霊視される鱗虫(蛇などうろこのある虫)の長」であり、その姿は、多国籍軍のような寄せ集めとはいいませんが、ものすごく複雑なのです。
 
「頭はラクダ、角は鹿、眼は兎、耳は牛、うなじ(首筋)は蛇、うろこは鯉、爪は鷹、手のひらは虎に、それぞれ似ている」
 
といわれているようです。これだけ集まれば、さて、どのような性格になるのでしょうか、想像もつきません。棲息地は人里離れた、何やら訳ありの深い淵。
しかも、水の中で、おとなしくしているだけではありません。空さえ飛んでみせ、天にも昇ります。昇天の際には、雲を起こし、雨を呼び、強風を吹かせて、稲妻を光らせ、雷まで響かせる、いかにも不思議な存在です。
 
そのせいでしょうか、竜を使った四字熟語には、威勢のよい、縁起のよいものがたくさんあります。
新明解「四字熟語辞典」によると、「竜章鳳姿」は、威厳に満ちた立派な容姿、「竜躍雲津」は、竜が空高く舞い上がり、銀河まで昇っていくように出世すること、「龍虎相搏(そうはく)」「龍虎あいうつ」でおなじみの強いもの同士が戦う
こと、「竜象之力」は、水中の竜や陸上の象のように、他に突出した力のことを表します。
もっとも、「竜頭蛇尾」と、初めは勢いもよいのですが、終わりの方ではふるわなくなる竜もいるようです。
 
幕末の志士といえば、忘れられないのが坂本龍馬ですが、その龍馬にふさわしい故事があります。「竜馬(りゅうめ)の躓(つまず)き」、竜馬は足の速い駿馬のことですが、駿馬でも何かのはずみで躓くことがあるという意味で、類似語は「猿も木から落ちる」です。ちなみに英語では、“A horse may stumblethough he has four legs”「4本足の馬も時には転ぶ」だそうです。(「故
事ことわざ辞典」より)
 
また、「逆鱗(げきりん)」ということばがありますが、この「鱗(うろこ)」は、竜のあごの下に逆さまに生えるもので、これに触れると竜は怒り狂うといわれ、中国の古典「韓非子」に、天子(国を治める者)を竜にたとえ、天子から激しい怒りをかうことを「逆鱗に触れる」と記されています。
 
しかし、東洋では、姿形からして何やら憎みきれない善玉的存在です。日本では、「竜神様」といい立派な神さまですし、「辰」として干支にも入っています。「独眼竜」といえば、おなじみの武将、伊達政宗です。
 
ところが、西洋になると、一変して悪玉となるから面白いですね。
 
ドラゴンで表す西洋の竜は、悪の化身です。聖書の「黙示録」に、「年を経た蛇」として登場します。そういえば、禁断の木の実を食べさせようと誘ったのは、蛇でした。このドラゴンを退治するために、英雄が登場します。これでは完全な悪役に徹することになるのですが、竜が「宝の守護者」としての伝説があるのですから、やはり、摩訶不思議な伝説上の産物なんですね。
 
楽しい童話があります。竜に会いたいと願っていた子どもが、会えたばかりか竜を感激させ、その背中にのって空を飛ぶ、浜田広介の「竜の目に涙」です。
以前にも紹介しました「泣いた赤鬼」とともに子どもに読んであげたい本です。         
 
 
 
★★五月五日は、母の日ですって…!?★★
 
「エッ、ウッソー!」と、いいたくなるでしょうが、嘘ではありません、本当の話です。
 
昭和23年(1948)7月20日発布の法律第一七八号、国民の祝日に関する法律(祝日法)には、「子どもの人格を重んじ、子どもの幸福をはかるとともに、母に感謝する日」と定められている。
 (年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P100)
 
つまり、子どもの日は「法律的には母に感謝する日」でもあるのです。
 
「それでは、どうして、五月の第二日曜日が母の日で、カーネーションを贈るようになったのですか?」当然の疑問です。以下のような経緯があったのです。
 
 アメリカのウエストヴァージニアの教会に、ミス・ジャービスという女教師がいて、日曜学校の説教のとき、モーセの十戒の一つ「汝の父母を敬え」の章の解説に「母の恩の深いことを人に悟らせる方法を考えよ」と教えていた。
 彼女が亡くなり、その追悼式が命日に行われたとき、一人娘のアンナ・ジャービスは、母が好きだったという白いカーネーションを母に捧げることで母の教えを伝えていこうと思い、信者たちに白いカーネーションを配った。信者たちはそれを胸に飾り、教えの通り母への感謝を示したのである。
 この話を聞いたデパート経営者ジョン・ワナメーカーが、1908年5月の第二日曜日に母を讃える記念会を催して、アンナの話を人々に伝えた。これがレディー・ファーストの国アメリカで大反響を呼び、1914年に、議会の決議を経て、ウィルソン大統領により国民の祝日として、5月の第二日曜日を「母の日」と決めたのである。
 (年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P100-101)
 
カーネーションの花言葉は「母の愛情」です。これも当然ながら意味があります。
 
 カーネーションは、十字架にかけられたキリストを見送った聖母マリアが落とした涙のあとに生じた可憐な花ともいわれ、母性愛の象徴となった。そしてそれはキリストの復活につながり、復活したキリストと共に生まれた花として、愛と喜びのシンボルとなった。白いカーネーションは生前のキリストとマリアの涙、赤いカーネーションは復活したキリストである。
 (年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P102)
 
バレンタインデーのチョコレートはチョコレート屋さん、母の日のカーネーションは花屋さん、クリスマスのデコレーション・ケーキはお菓子屋さんの企みという感じがしますが、発案者のアンナさんは、こういった商業化、コマーシャリズムには反対で、心を痛めていたそうです。
 
 
★★花言葉★★
 
花言葉に関しては、お母さんの方が詳しいのではないでしょうか。母の日のカーネーションにちなみ、年中行事に関係のある花を選んでみました。
 
冬(12月-2月)
[そば]懐かしい思い出 ◆(そばののど越しと香りがわかります)
[松]不老長寿 同情 慈悲
[竹]節度 節操のある
[梅]高潔 上品 忍耐 忠実 独立 厳しい美しさ あでやかさ 気品
[裏白]無限に   ◆(縁起物の門松と鏡餅だけに納得できます)
[ゆず]温情 太平 ◆(鏡餅の存在を暗示しています)
[福寿草]幸福 幸せを招く 永久の幸福 回想 思い出 悲しき思い出
[椿]幸福 謙遜(赤)気取らない美しさ 控えめな愛
        (白)申し分ない愛らしさ 理想的な愛情 冷ややかな美し
           さ
 
[せり]清廉潔白  ◆(せりのおひたしは、まさにこの味です)
[ナズナ]すべてを捧げます
[御形(母子草)]いつも思う 優しい人 永遠の思い
「はこべら」 ランデブー 愛らしさ
[仏の座]調和 輝く心
[すずな]助け
[すずしろ]潔白  ◆(以上は春の七草です)
 
[大豆]親睦 ◆(鬼と親睦を図るわけではありません)
[ひいらぎ]機知 先見 用心
 
春(3月-5月)
[桃]天下無敵 チャーミング(花、しだれ桃)私はあなたのとりこ(実)愛
   嬌
[橘]純潔 ◆(お雛様は天下無敵と純潔に守られています)
 
[よもぎ]幸福 平和
[菜の花]快活な愛 小さな幸せ
[桜]純潔 精神美 淡白 ◆(かつて日本民族の矜持、プライドでした!)
[しょうぶ]やさしい心 忍耐 あなたを信じる
[柏]勇敢 独立 自由
[栴檀]意見の相違
[タンポポ]前途洋々 威厳  ◆(全く逆の花言葉もあります)
[チューリップ] 博愛 名声(黄) 実らぬ恋(紫) 不滅の愛(白)
         長く待ちました(斑入り) 美しい目
 
夏(6月-8月)
[あじさい]移り気 高慢 辛抱強い愛情 元気な女 無情
[朝顔]愛情 愛情の絆 平静 結束 短い愛
[ひまわり]私の目はあなただけを見つめる 憧れ 崇拝 熱愛 光輝 愛慕
[笹]ささやかな幸せ  ◆(「ささやか」、響きのいい言葉ですね)
[なす]よい語らい 優美 希望
[きゅうり]しゃれ  ◆(……!)
[ほおずき]いつわり ぎまん ◆(漢字で書くと[鬼灯/酸漿]です)
 
秋(9月-11月)
[萩]思い 思案 柔軟な精神 
[すすき(尾花)]活力 心が通じる 永久 忍耐
[葛]治療
[女郎花]親切 美人 はかない恋 永久 忍耐
[撫子]永遠の愛情 純愛
[藤袴]ためらい 思いやり
[桔梗]変わらぬ恋 従順  ◆(秋の七草)
 
[秋桜(コスモス)]乙女の真心 乙女の愛情(ピンク) 少女の純愛(赤)
          調和(白) 美麗 純潔 誠実
[菊]ろうたけた愛 わずかな愛(黄) 真実 誠実(白)
   私を信頼してください(濃色)
[葉鶏頭]情愛 見栄坊  ◆(ケイトウというあだ名の友人がいましたが、
     納得!)
[彼岸花]悲しい思い出 情熱 独立 再会 あきらめ
[しゅうかいどう]片思い
[赤飯]節操 粋 健康 あなたのために役立ちたい 
[白粉花]あなたを思う 内気、臆病 ◆(新 秋の七草)
 
[榊]不明(やはり、神さまに似合うのはこれでしょう 花言葉 北斗 多一
   郎) ◆([不明]なのではなく、[不明]が花言葉です)
[栗]真心 豪華 満足
「さつま芋」乙女の純真  ◆(可憐な花です)
 
花言葉はたくさんあり選択に迷いましたが、ここでは花言葉のいわれを紹介するのではありませんから、年中行事に関係のあるものから選んでみました。掲載した花言葉は、すべて「Yahoo! Japan」から検索したものです。「和紙つれづれ花言葉」は、出典を明らかにした親切な作品になっていましたが、検索したところヒットしませんでしたので、今回は「花言葉由来 hananokotoba.com/」
にもお世話になりました。
 
 (次回は、「五月に読んであげたい本」についてお話しましょう)
 

 
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