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めぇでるコラム : 2025保護者: 2024年4月

2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第7章(2)端午の節句です 皐月

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第25号-
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第7章(2)端午の節句です 
 
★★なぜ、菖蒲湯なのでしょうか★★
 
菖蒲が邪気を払ういわれは、中国の古くからの言い伝えで、王様が殺した不忠の家来の魂が、毒蛇となって災いをもたらしたので、香りが強く、頭のところが赤く、青い葉の形が蛇に似ている菖蒲を酒に入れて飲んだところ、悪魔を降伏させる術を授かり、蛇を退治した話によるものです。
 
昔は節分の時に、玄関に柊や鰯の頭を飾りましたが、あれと同じです。鬼や悪魔は、香りの強いものを苦手としていました。そういえば、ヨーロッパのモンスターの代表ドラキュラの苦手とするものは、十字架と太陽とにんにくです。
 
また、菖蒲が侍の家で大切にされたのは、武芸、軍事などを尊ぶ「尚武(武芸、軍事などを尊ぶこと)」と同音だからでした。
 
 燕子花(かきつばた)は菖蒲(あやめ)と花がよく似ているため、「源氏物語」のなかで、―いずれがあやめか、かきつばた―と書かれて以来、酷似していることをいう雅言(がげん)となった。万葉集では加吉都播多(かきつばた)、安夜女具佐(あやめぐさ)とはっきり区別されている。
(花暦「花にかかわる十二の短編」P121 澤田ふじ子 著 徳間文庫 刊)
 
万葉仮名は、漢字本来の意味から離れて、仮名のように読みますから面白いですね。
雅言は、「洗練された言語、特に和歌などに用いられる古代、特に平安時代の言葉」(広辞苑)で、「いずれがあやめか、かきつばた」は、美人が大勢いて優劣がつけられないたとえだと、軽薄に思い込んでいたのですが、美人に限らず、選択に迷うことのたとえなんですね(笑)。かきつばたは、今は「杜若」と書きますが、難しくて読めません。
 
なお、あやめは、きれいな花を咲かせる花菖蒲のことで、葉は剣型で似ていますが、菖蒲湯として用いられることはありません。以前、「26日のクリスマスケーキ」を紹介しましたが、同じ意味で「6日の菖蒲」があります。
  
 菖蒲が6日に届いたのでは、節句に間に合わないので、そこから「時期に遅れて間に合わないこと」をいうそうです。
 (知らない日本語 教養が試される341語 P321 谷沢 永一 著 
  幻冬社 刊) 
    
 
 
★★粽(ちまき)のルーツは……?★★ 
 
物事には、何事も訳ありで、端午の節句に粽を作るのは、このような言い伝えがあるのです。(以下、抄訳です)
 
  屈原(くつげん)は、楚の時代に、人々に愛された清廉潔白な憂国の詩人で、淵に身を投げ、命を絶った人ですが、そのなきがらを守り屈原の故郷まで運んだのは鯉でした。
  その日が、紀元前278年5月5日。命日になると、楚の人々は、竹の筒に米を入れて川に投げ、屈原の霊に捧げ、無事に運んでくれた忠義な鯉に、感謝の気持ちを表したのです。
  ところが、屈原の死後、300年経った時のことです。ある人の所に他人に身をやつした屈原が現われ、投げ入れてくれる竹筒の米は、淵に棲む主である竜に全部食べられてしまうので、竜の恐れる「楝(おうち)の葉っぱ」で米を包み、五色の糸で結んでほしいと告げたのです。そこで、屈原をとむらい、鯉に感謝してつくった「楝の葉で包み、五色の糸でしばった米」が、粽の始まりです。                  
  
  楝は、栴檀(せんだん)の昔の言い方で、香りがあるので虫もつかず、竜も嫌いであったのです。粽は、古くは「茅(ちがや)」の葉で巻いたから「ちまき」といい、五色の糸は、鯉のぼりの吹流しにも出てきましたが、竜の恐れた色です。端午の節句に粽を作るのは、このような言い伝えがあるのです。
  (年中行事を「科学」する 永田久著 日本経済新聞社刊 P110-113)
  
笹の葉、ではなかったんですね。
 
そして、驚いたことに、毎年、6月の第1日曜日に長崎で行われている「竜船競渡(けいと)ドラゴンレース」は、淵に身を投げた屈原を、一刻も早く救うために、速く舟を漕ぐことを争うイベントなのです。
鯉のぼり、粽、競渡、いずれも、今からおよそ二千年前の中国の戦国時代にあった出来事が、現在まで伝えられているなどとは信じがたいのですが、本当の話です。
 
故事、ことわざ、慣用句、私たちの祖先が残してくれた英知でもあるのですが、書物の中で、イライラしながら出番を待っているのではないでしょうか。簡単に手に入り、利用できる貴重な文化遺産でもあるのですが……。
 
栴檀はビャクダンの異称ですが、「栴檀は双葉より芳し」といって、発芽の頃から早くも香気があるように、大成する人物は、幼いときから人並みはずれて優れたところがあるたとえに用います。
 
同義語として、「実のなる木は、花から知れる」や「蛇は寸にして人を呑む」があり、対義語は「大器晩成」です。ちなみに英語では、「栴檀は双葉より芳し」は“Itearly pricks that will be a thorn”(茨になる木は早くから刺す)、「大器晩成」は“Who goes slowly goes far”がわかりやすいですね。
 
 
★★柏餅のルーツも中国でしょうか★★
 
今は、粽よりも柏餅が、メインです。これも中国から伝わってきたと思っていましたが、何と、日本生まれなのです。
 
  柏の木は新芽が出ない限り古い葉は落ちないので、家系が絶えないという縁起をかついで柏の葉で包んだ柏餅を食べる。
 柏餅は、楝(おうち)の葉の代わりに柏の葉を使ったことから生まれたもので、江戸時代中期頃に作られたといわれている。柏の葉の表を外にするのが味噌入り、裏を表にするのが餡入りという。
  (年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P113)
 
 
ところで、子どもの頃に歌った懐かしい歌に「背くらべ」があります。最後に、富士山の出てくるところがすごいですね。
 
    背くらべ
      作詞 海野 厚
      作曲 中山 晋平
(一) 柱のきずは おととしの   五月五日の背くらべ
    ちまき食べ食べ 兄さんが  計ってくれた 背のたけ
    きのう比べりゃ 何のこと  やっと羽織の 紐のたけ
 
(二) 柱に凭(もた)れりゃ すぐ見える  遠いお山も 背くらべ
    雲の上まで 顔だして        てんでに背伸び していても
    雪の帽子を ぬいでさえ       一はやっぱり 富士の山
 
粽のわからない子が、増えているのではないでしょうか。鉄筋コンクリート建てでは「柱」も見あたりませんし、きずが残るほど背比べをする兄弟、姉妹もいないでしょうね。この歌もあまり歌われていないような気もします。
 
しかし、その歳、その時でなければ歌わない、大切な歌があります。それは、成長をつづる「心の歌」です。
お父さん、お母さん、思い出してください。小学校時代に歌った歌に、思い出が残っているのではないでしょうか。
 
 
 
★★鍾馗さまって、わかりますか★★
 
ひな祭りには、おひな様を飾りましたが、男の節句は、鯉のぼりだけではありません。外には旗やのぼり、家には、かぶとや武者人形も飾りました。武者人形は、男らしい姿と気性にあやかりたいと願って飾られたものですが、昔の人気者は、大きな目をして黒いひげを生やした鍾馗(しょうき)でした。今は、どうでしょうか。金太郎、桃太郎は、よく見かけますが、最近、鍾馗は見られなくなったようです。
 
鍾馗は、中国の魔除けの神さまで、かの有名な玄宗皇帝(唐の時代)が、病気にかかり夢うつつの時に、皇帝と楊貴妃が大切にしていた宝物を盗み、逃げようとした悪い鬼を退治。目を覚ました皇帝は、熱も下がり、病気も治っていたので、夢で見た姿を口述しながら描かせたのが鍾馗だそうです。三国志の英雄、関雲は鍾馗のようだと想像しています。このような豪傑は、今風ではないのでしょうね。
 
ところで、マリアの教えを建学の精神とする男子だけの学校でサッカーの強い暁星小学校は、「鍛える教育」を実践していますが、その具体的な目標として、佐藤前校長は、桃太郎や金太郎など日本昔話のキャラクターである「気は優しくて力持ち」を掲げていました。
やはり、幼いこの時期にこそ昔話をたくさん読んであげ、正義感や弱い者いじめをしてはいけないことを、きちんと学習すべきではないでしょうか。
 
(次回は、「竜とドラゴン 他」についてお話しましょう)
 
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、制作したものです】
 
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第7章(1)端午の節句です 皐月

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第24号-
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第7章(1) 端午の節句です    皐 月
 
 
物の本によると、皐月(さつき)のいわれは、この月は田植えをする時期で、早苗(さなえ)を植える「早苗月」から「さつき」となったそうです。「五月晴れ」と書いて「さつきばれ」と読みますが、こちらの方が親しみやすいですね。
 
 
 ★★端午の節句★★
 
5月といえば端午の節句、別名「菖蒲の節句」。端午の「端」は「はじめ」という意味で、最初の午(うま)の日のことですが、午の音読みが「ご」であることから、最初の午の日である5月5日を端午の節句として祝われるようになりました。また、男の子が初めて迎える端午の節句を初節句といい、健康で、たくましい男性に成長することを願う行事で、事の起こりは江戸時代だそうです。
 
昔は3月3日が「ひな祭り」で女の子の節句、5月5日を男の子の節句として祝ったものですが、今は男の子も女の子も元気よく育つようにと祝う「子どもの日」の方が、なじみやすいのではないでしょうか。
 
以前にも紹介しましたが、五節句を定めたのは江戸幕府で、端午の節句のルーツは、お武家さん、侍の世界です。侍の家では、立派な侍になるように、鯉のぼりを立て、鎧(よろい)や兜、鍾馗(しょうき)や金太郎、桃太郎のような勇ましい人形を飾って武運長久を祈り、お家安泰を願ったのです。
 
それがいつの頃か定かではありませんが、家を継ぐことになる男の子の誕生と成長を祝うための節句として、一般庶民の中にも定着したもので、戦いから身を守る兜や鎧を飾り、端午の節句に欠かせない風物詩となっているのです。
 
その経緯は、5月に読んであげたい本で紹介しますが、伝説「コイのぼりのはじまり」に記されています。この日に、家の屋根や軒先に、菖蒲の葉や蓬をのせたり、菖蒲を入れた風呂に入ったりしたものです。それで、この日を「菖蒲の節句」ともいいます。
 
今では、軒先に菖蒲の葉や蓬を見ることはできませんが、男の子のいる家では、菖蒲湯をやっているのではないでしょうか。スーパーマーケットなどで菖蒲を売っていますから。
菖蒲湯に入って、菖蒲の根っこを額に当て、鉢巻きをしたものです。こうすると、風邪を引かなくなるし、頭もよくなるといわれたのです。
 
ちなみに、枕草子にも平安時代の5月5日の情景が描かれています。
   節は、五月にしく月はなし。
   菖蒲、蓬などのかほりあひたるも、いみじうをかし。
       蓬(よもぎ)     (枕草子 第四十六段)
 
 
 
 ★★なぜ、鯉のぼりなのでしょう★★
 
鯉は硬骨魚で、鱗(うろこ)が36枚あるといわれ、別名、六六魚(りくりくぎょ)と呼ばれているそうですが、実際には31枚から38枚ほどで、川や池、沼に棲み、2本の口ひげを備え、食用、観賞魚として珍重されるばかりか、立身出世の象徴ともされています。
 
「なぜ、鯉のぼりなのか」、その理由は文部省唱歌に歌われています。鯨はいくら体が大きくても、鮫はいかに強そうだからといっても、端午の節句の主役になる資格はありません。
その答えは、3番の「百瀬(ももせ)の滝」を昇って竜になるにありそうです。
 
鯉のぼり (文部省唱歌)
        作詞 不明
        作曲 広田 竜太郎
    一、いらかの波と 雲の波   重なる波の 中空を 
      橘かおる   朝風に   高く泳ぐや 鯉のぼり
 
    二、開ける広き  その口に  船をも呑まん 様(さま)見えて
      ゆたかに振う 尾鰭(おひれ)には  物に動ぜぬ  姿あり
 
    三、百瀬の滝を  昇りなば  忽(たちま)ち竜に なりぬべき
      わが身に似よや 男子(おのこ)ごと  空に躍るや 鯉のぼり 
 
中国の黄河の中流にある竜門の滝には、下流からいろいろな魚が、群れをなしてさかのぼってくるそうです。見たわけではありませんが、何しろ清流逆巻く滝です。他の魚達は、ギブアップしても、鯉だけは滝を昇りきって、竜になるという言い伝えがあります。そこから出世する糸口となる関門を「登龍門」といい、「鯉の滝昇り」として、立身出世のシンボルとなったのです。流れに水をさすようですが、昇りきれない鯉もいたのではないでしょうか。納得できる言葉があります。
 
 「点額」という言葉があり、これは『額にケガをする』という意味で、流れを昇らずにケガをした魚にたとえ『落伍者』『落第生』のことを表しています。    
 (目からうろこ!日本語がとことんわかる本 日本社 講談社 刊 P134)
 
また「鯉の一跳ね」といって、水揚げされた鯉は一度跳ねるだけで、あとはじたばたせずに生きており、しかも「まな板の鯉」といって、まな板の上にのせられても、きっちり覚悟を決め、悠々と横たわっている姿から、潔い、強い魚として、お侍さんから尊ばれていたのです。川に潜り鯉を捕まえる時は、両手で胸に抱くようにするとじっとしている話をリバーツーリスト野田知佑氏の随筆で読みましたが、この習性を狙ったものでしょうか。
 
そして「五月の鯉の吹き流し」といい、鯉のぼりの中は空っぽで、何も入っていません。さわやかな風を腹いっぱいに流し込んで泳ぐ、はらわたのないのびやかな姿が「腹黒く」もなく「腹に一物」もない、さっぱりとした男らしい気性を表しています。ですから、男の子の節句には、世の中で役に立つ、たくましくて立派な人物になってほしいとの願いをこめて、鯉のぼりを立てたのです。
 
ところで、鯉のぼりの一番上に飾る「吹き流し」は、滝や雲をなぞらえたもので、風になびきながら泳ぐ鯉の姿を、美しく引き立てています。吹き流しは、青、赤、黄、白、黒の五色で、木火土金水の五行を表わしています。五行とは、簡単にいえば、古代中国で考えられていた、人間の生活に必要な材料を表したものですが、これにも訳があります。
 
  五行とは、木・火・土・金・水の5つの要素で、自然界、人間界のすべての現象をつかさどるものとする。木から火、火から土、土から金、金から水、水から木が生まれ、水は火に、火は金に、木は土に、土は水に勝つとする。
  そして、それぞれを表す色として木に青、火に赤、土に黄、金に白、水に黒があてられたが、後に最上の色とされる紫に変わり用いられるようになった。
  また、木には仁、火には礼、土には信、金には義、水には智という道徳観があてられた。
  (日本の年中行事百科3 夏 民具で見る日本人のくらしQ/A P32
                                   監修 岩井 宏實 河出書房新社 刊)
 
この五行には、病気を引き起こすもとと考えられていた「邪気」を払う力があると信じられていました。しかも、鯉をとって食おうとする竜は、この五色が大嫌いだったそうです。ですから、竜は近づくことができず、鯉は五色の吹き流しに守られ、五月の空を、さわやかな薫風にのり、悠々と泳いでいるのです。
 
最近は、黒に代わって緑や紫が使われていますが、黒と白では縁起が悪いからではなく、本来、黒でなくてはいけない理由があるわけです。そういえば、船旅で別れを惜しむときに、五色のテープを使っていますが、もしかしたら、海に棲むといわれていた竜から、身を守るためのセレモニーかもしれません。
 
しかし、最近は郊外に出ないと、悠々と泳ぐ鯉のぼりの姿を見かけなくなりました。端午の節句が、子どもの日と改められても、男の子の健やかな成長を願う親心には、変わりはないと思うのですが。マンションや団地のベランダに小さな鯉のぼりが泳いでいると、「やっているな!」とほほえましくなります。
 
 
(次回は、「第7章(2)端午の節句です 『なぜ、しょうぶ湯なのでしょうか』などについてお話しましょう)
 
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第6章(4)四月に読んであげたい本 

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第23号-
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第6章(4)四月に読んであげたい本 
 
落語の「野ざらし」に、よく似た話です。「親切は、人のためならず」といったものですが……。子どもでさえわかる悪いことをやっている大人の多い世の中で、「地獄の沙汰も金次第」では、こういうおじいさんは、いなくなるでしょう。
 
◆むすめのしゃれこうべ◆   小沢 清子 著 
 
むかし、あるところに、村人から用事を頼まれては、わずかな礼金をもらい生活をしている、じいさまがいました。
ある年のお釈迦さまの日に、酒を飲もうとしていたところへ、急ぎの使いを頼まれ、ひょうたんに酒を入れて出かけました。野には、かすみがかかり、桜も菜の花も、今が盛りと咲いています。「花見酒」としゃれたじいさまは、桜の木の下に座ると、しゃれこうべがころがっていたのです。じいさまは、出会ったのも縁と思い、しゃれこうべに酒をたらして一緒に飲みました。
その帰りに同じ所へさしかかると、年の頃、十六、七の美しい娘がいたのです。
三年前に花に誘われ、ここまで来たが、胸が苦しくなり死んでしまい、今度、三年忌の法事があるので、一緒に家まで行ってくれないかと頼まれます。花見酒を飲んだしゃれこうべが娘だったのです。
行ってみれば、大きな屋敷で、尻込みするじいさまは、娘にせかされ屋敷に入ったのですが、不思議なことに、じいさまの姿は見えないらしく、だれも気づきません。坊さまのお経が終わると、法事の膳が運ばれましたが、じいさまには、食べたこともない料理ばかり。
夢中になって食べていると、下女が誤って皿を割ったのです。主人は、客の前で怒りだし、見ていた娘は、「三年前と変わらぬ、ととさまなんか見たくない」と姿を消してしまいます。
とたんに、じいさまの姿は、人に見えるようになったので、事の次第を話し、骨を持ち帰り、手厚く葬ったのです。じいさまは、娘の恩人として家に引き取られ、幸せに暮らしたのでした。
 
 春休みのおはなし 四月 花さかじい 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
                    日本民話の会・編 国土社 刊
 
 
 
次は、本当に皮肉な話ですが、信仰について考えさせられます。修行中の坊さまと、生きものを殺す仕事をしている猟師との心眼の話です。
 
◆とうとい仏さまの正体◆   谷 真介 著 
 
むかし、京都の愛宕山に、名高いお坊さんがいました。お坊さんは修行中で、小僧さんを一人置き、小さなお堂から、めったに出なかったそうです。このお坊さんのところへ、里から一人の猟師が、食べ物を持って、よく訪ねるのでした。
ある年のこと、猟師が久しぶりに訪ねると、お坊さんは「近ごろ、夜になると普賢菩薩様が、白い象に乗りお姿を現す」というのです。そこで猟師は、一夜を山のお堂で過ごすことにしました。すると、真夜中のこと、東の山から月が昇るような光が、お堂に差し込み、白い象に乗った菩薩様が現われたのです。
お坊さんは、一心にお経を唱えています。猟師は、おかしなことに気づきました。お坊さまの目にはともかく、お経一つ読めない自分の目に、どうして菩薩様のお姿が見えるのだろう……、このことです。猟師は、弓に矢をつがえ、菩薩の胸に向けて矢を放ちました。びっくりしたお坊さんは、大声で戒めました。
ところが、今まで明るく見えていた後光が消え、何ものかが谷底へ転げ落ちる音がしたのです。猟師は、真の仏様なら矢が刺さるわけがないといいました。
夜の明けるのを待って、谷底を調べに行くと、大きな古狸が一匹、胸を射られて、仰向けに転がっていたのでした。
   日づけのある話 365日
 四月のむかしばなし 谷 真介 編・著 金の星社 刊 
 
 
世界的なベストセラーとなった「ダ・ヴィンチ・コード」に、信仰について以下のような話があります。
 
「世界中すべての信仰は虚構に基づいているんだよ。信仰ということばの定義は、真実だと想像しつつも立証できない物事を受け入れることだ。古代エジプトから現代の日曜学校にいたるどんな宗教も、象徴や寓話や誇張による神を描いている。象徴は、表しにくい概念を表現するひとつの方法だ。それを丸呑みしないかぎり、さほど問題を生じない。(中略)信仰を真に理解する者は、その種の挿話が比喩にすぎないと承知しているはずだ」
     (「ダ・ヴィンチ・コード」(下)P57-58 
 ダン・ブラン 著 越前敏弥 訳 角川書店 刊)
 
ところで、東日本大震災が起きたとき、小泉八雲の作品で江戸時代にあった津波の話を思い出したのですが、資料がなく残念に思っていたところ、月刊誌で見つけましたので紹介しましょう。
 
高台の田んぼにいた庄屋(村落の長)五兵衛は、強い地の揺れを感じた。眼下の村では、人々が祭りの準備に忙しかった。そこから、もう少し遠くに眼をやると―海がどんどん後退し干潟になってきている。これは―伝え聞いた「あれ」ではないか。五兵衛は立ちすくんだ。すぐ避難させねば―しかし下りていって説明する暇などない。彼は火打石を取り出し、とりいれたばかりの稲の束に火をつけた。燃え上がった束で次々に火をつけてまわった。村人が炎と煙に気づき、何をしている、やっと収穫した稲に火をつけてまわるとは―と、いっせいに駆け上がってきた。村の男女・子供までが燃え上がる稲むらの前の五兵衛を取り囲み非難しようとした。その時、彼は人々の背後を指さした。眼にする限りの海が白い巨大な壁になって村に襲いかかってきた―。
   「稲むらの火」挿話の教訓 諏訪 澄 著   
   WiLL 5月緊急特大号 P42  ワック株式会社 刊
 
主人公、五兵衛のモデルは、醤油醸造業(現・ヤマサ醤油)の家督を継いだ浜口五陵。震災後故郷の紀州広村に千五百両の私財を投じ、高さ5メートル、長さ600メートルの堤防を築き、村民の離散を防いだそうです。感謝を込め、「浜口大明神」を祀ろうとすると、「神にも仏にもなるつもりはない」と叱りつけて辞退。4メートルの津波が襲った1946年の昭和南海地震では堤防により、流失家屋は2軒だけでした。国指定史跡となった「広村堤防」は、今は大きく育った樹木に覆われ、自然の中に溶け込んでいます。(インターネットで「広村堤防」を見ることができます)
 
最後は、昔話ではおなじみの動物の恩返しです。動物でさえ恩を返すのに、人間は、あだで返す話をよく聞きます。「動物でさえ」などといったら、動物たちから抗議文が来るかもしれません。「動物は」に訂正しておきましょう。
 
◆つばめの恩返し◆   高津 美保子 著
 
ある日のこと、一人暮らしのじいさんが、飯を食べて縁側で休んでいたところ、一羽のつばめが、けがをして落ちてきました。薬をつけて包帯し、介抱したところ元気になり、南の国へ帰っていったのです。
次の年、一羽のつばめがやってきて、庭にいたおじいさんの頭の上に、真っ黒な大きな粒を一つ、落としていきました。ふんかと思ったらすいかの種です。
育ててみると、とても大きなすいかになりました。食べようと包丁を入れたところ、種が飛び出したかと思うと、小さな大工どんや木びきどんとなり、十日もすると立派な家を作り上げたのです。それだけではなく、どこからか米の俵や味噌桶、醤油樽などを、次々と担いできて、部屋をいっぱいにし、「なくなれば、また来ます」と、どこへともなく姿を消してしまったのです。それからと言うもの、おじいさんは、何不自由なく暮らしたのでした。
 ※木びきどん(木をのこぎりでひき木材にする人)
 四月のおはなし  あたまにさくら 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
                   日本民話の会・編 国土社 刊
 
小さな命を大切にする昔話は、情操教育に欠かせないもので、幼い心に、こういった刺激を、たくさん与えてあげたいものです。
 
良識は、健全な一般人が共通に持っている思慮分別のことではないでしょうか。
良識は、自己を鍛錬して身につけるものであり、共生するための掟と考えています。価値観の多様化で、当たり前のことが当たり前と考えられなくなっていないでしょうか。小さいときの情操教育は、思慮分別の基本を作るものだと思います。お手本は保護者、作る場所は家庭であり、第三者にゆだねるものではありませんね。
 
 
(次回は、「第7章(1) 端午の節句です 皐月」についてお話しましょう)
 
 
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第6章(3)入園、入学を迎えた保護者の方へ

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   2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第22号-
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第6章(3)入園、入学を迎えた保護者の方へ
 
 
4月は、これを抜きに考えられません。
環境が変わるのは、大変なことです。幼稚園や保育園は、ご両親にとっても、第三者に教育を委ねる初めての場所です。子どもたちは、親のもとを離れて初めて生活する場所であり、ご両親に十分に保護されていた環境から巣立つわけです。
スタートが、肝心ではなかったでしょうか。
 
子どもたちも、新しい環境になじもうと一所懸命に努力します。毎日、楽しいことばかりが続くわけではなく、いやなこともあります。それでも、幼稚園へ行こうとするのは、新しい環境には、家にはない魅力や新鮮な刺激があるからです。先生方も幼稚園は楽しい所だと、精一杯、努力をします。見ていると涙ぐましいほどです。
 
しかし、このようなお父さん、お母さんがいるようですね。
「お母さん、ぼく、幼稚園へ、行きたくない!」
そのわけも聞かずに、瞬間湯沸かし器になって、幼稚園へ怒鳴りこむ「過保護・溺愛・自己中心」の三つを備えた!ママ、パパです。
「悪いのは友だち、きちんと指導のできない先生!」
というそうです。多くの場合、保護者と子どもに原因があるのですが、恥ずかしげもなく、こういう行動を起こす保護者ですから、保護者も子どももそのことがわかりません。かわいそうなのは、子どもです。いつまでたっても、保護者から逃れられませんから。
 
幼稚園は、お父さん、お母さんのもとを離れても楽しいことがたくさんあることを実地体験する場所です。自立心を培って、小学校の集団生活に適応できる力をつける所ですから、お父さん、お母さん方も子ども中心の育児から卒業し、客観的にわが子を見る機会と考えましょう。
 
過剰な愛情を注いでもいいのは、3歳までです。
 
3歳を過ぎると自立が始まりますから、「手を出さない、口をはさまない育児」に徹すべきです。極端にいえば、3歳を過ぎても子どものやっていることを見て、手を貸したくなるようでは、もう十分に過保護ですし、口を出したくなるようでは過干渉です。
 
一人っ子では、この加減がわからなくなりがちですが、きょうだい二人の下の子を見るとわかります。上の子にないところを持っていることが、往々にしてあるものです。最初の育児は、何事につけても慎重になりがちですが、二番目の子は経験済みですから手を抜きます。
 
その分、子ども自身が自力でやらねばなりませんから、それだけ試行錯誤を積み重ね、苦労しているのでたくましくなります。「一姫、二太郎」とは、「子を産み育てるには、最初は女の子、二番目は男の子が育てやすくてよい」ということですが、それ以外にもこういった意味があるのです。
 
男の子は、適度な試行錯誤を過ごせる環境でなければ、たくましく成長しません。教室でも、女の子はかなり積極的に自信を持って取り組む子をよく見ましたが、男の子は自信がないのか、なかなか手を出さない子がいたものでした。
 
一般に、女の子は成長が早いので、あまり手がかからないものですが、男の子は少し遅いですから、男の子を育てているお母さん方、過保護にならないよう注意しましょう。お母さん方は、とかく男の子に甘いところがあるからです。
 
もっともお父さん方は、女の子に甘くなりがちですから、お互いに客観的に子育てを見直すことも大切ではないでしょうか。
 
ところで、平成4年度から施行された「幼稚園教育要領」によると、保育の方針は、従来の「一斉保育から自由保育」となり、「一人ひとりの個性を伸ばしていく保育」に変わりました。これを誤解するお母さん方がいるようですね。
(本要領は平成20年、29年にも改定されています。)
 
自由保育といっても、勝手気まま、何でもありの自由奔放な保育ではありません。みんなで一斉に、同じことをするのはやめて、自発的に活動できるように導く保育です。
 
例えば、知識や理解力を培うにも、自分自身で考え、工夫する機会や経験を、たくさん持たせ、自分勝手な考え方ではなく、客観的なものの見方や考え方を、身につけるように指導することです。もっと大胆にいえば、「他律」ではなく「自律」の保育です。ですから、過保護や過干渉な育児をやっていては、自律できない、わがままで、甘えん坊の弱虫な子になりがちです。
 
幼稚園へ行かせるのは、親の子離れ、子どもの親離れの実地訓練期間と考えるべきだと思います。子離れできない育児は、運転免許取得でいうと、まだ仮免前の段階です。幼児期の過保護、過干渉の育児が、中学生の頃になると、幼児期に体験していなかったことから生じるギャップに対応できず、家に引きこもったり、非行に走ったりするのではないかと思えてなりません。育児しながら「育自」する保護者になってください。
 
しばらくの間、慣れるまで、子どもたちもクタクタに疲れて帰って来るでしょう。しっかりと、やさしく抱きしめて、勇気を与えてあげましょう。また、送迎を義務付けられている幼稚園の場合は、保護者の方も体調を崩さないように気をつけてください。
 
小学校も同じです。
新学期が始まると、もう勉強を気にするお母さんが増えているようで、子どもたちが新しい環境に慣れるのに、どのくらい神経を使っているか、わからないお母さん方がいると聞きます。特に、国立附属や私立の小学校へ通う子どもたちは、電車やバスを使い、1時間前後の時間をかけて通学することもあるはずですから、慣れるまで大変です。朝のラッシュ時に、ランドセルを背負い電車に乗り込む子どもたちを見ると、「頑張れ!」と声をかけたくなります。
 
何といっても、狭き門をくぐり抜けてきた幼き戦士ですから。新しい環境に慣れるまで、勉強のことは忘れましょう。
 
今年受験予定の皆さん方は、東日本大震災以降、通学経路、所要時間も、学校選択の大切なポイントにもなっていることもお忘れなく。
 
極端な話ですが、学校から帰ってくるなり、
「宿題はないの!」
「テストは、どうだったの?」
「予習しなくて、いいの!」
「4時から塾です。遊びに行ってはいけません!」
こんなことばかりいわれて、勉強好きな子になれるでしょうか。
 
これでは、命令、統制、禁止、管理の育児で、勉強もこの姿勢でされてはたまりませんね。まだ、危険なことをしますから、監視の目は必要ですが、自分で考え、行動し、やったことには責任を持たせる「自立させる育児」に切り替えるべきです。
 
勉強も同じです。
 
勉強は、本人がその気にならなければ、辛いものです。皆さん方も経験ありませんか。あったとすればなおさらのことでしょう。難しい話ではありますが、「勉強は自分のためにすること」を、一学年でも早く自覚できる環境を作ってあげるべきではないでしょうか。
 
学校生活の様子を知る一つの目安として、先生からの連絡事項を、きちんと報告できているかどうかがあります。できていれば、先生の話を聞いている証拠ですから、とりあえず心配ありません。学習に取り組む姿勢も確実に身についていきます。
 
そして、背を伸ばし、左手でノートを押さえ、きちんと筆記用具を持ち、筆順に従った字を書いているか注意しましょう。知識を詰め込むより、姿勢を正して、きれいな字を書ける方が大切です。「形は心を作り、心は形を整える」とも言われますが、一理あると思います。
 
しかし、小学校生活も、楽しいことばかりではないでしょう。いじめもありますし、けんかもするでしょう。先生に叱られることもありますし、勉強もわからなくなることもあるかもしれません。
「何で、ぼくだけ、こうなんだろ!」
と落ち込む時もあります。
 
そのようなことがあっても、翌日、子どもたちが元気に学校へ行くのは、家に帰ればやさしいお母さんやお父さん方がいるからではありませんか。家庭でリフレッシュできるからこそ、明日に希望をもてるのです。
 
低学年時代は、主にお母さん方が頼りなことが多いでしょうから、温かい雰囲気のある家庭を作ってあげましょう。大人はストレスを解消できるすべを心得ていますが、子どもたちにはないからです。
 
そして、小学校低学年時代、大切に育てたいのは、相手を思いやる心、共に生きる共生の心である徳育であり、いろいろなことを体験していくために必要な体育であり、豊かな情操を養うための知育、そして挑戦する意欲だと思います。
 
「知育・徳育・体育」ではなく、今は、「徳育・体育・知育」と順番を入れ替えるべきではないかと考えます。知育だけが優先される子育ては不自然で、いつか壊れる不安が伴うのではないでしょうか。
幼児期は、三つの能力をバランスよく育てることが大切です。
 
かつて、聖心女子学院初等科の学校説明会で、本校の求める子ども像は、「心身ともに強くて、心のやさしい子」、暁星小学校では、たくましい子どもとは「気はやさしくて力持ち」とおっしゃっていましたが、そのためには、「心身ともに強く、心のやさしい親」であるべきだということではないでしょうか。
 
「親の背を見て子は育つ」、これこそ育児の鉄則ですね。
 
小学校の低学年までに、生きる姿勢の基本的な枠組み、形が出来上がるのではないかと考えています。そのお手本が、ご両親であることを肝に銘じておきましょう。
 
そして、忘れてならないのは、お父さん、お母さんは、お子さんが何人いても、お子さんにとっては、たった一人のお父さんであり、お母さんであることです。
 
仕事柄、「育児で、もっとも大切にしたことは何ですか」と尋ねられることもありますが、「両親からやってもらったことで、うれしかったことはどんどん実行し、いやだったことはやらないようにしました」と答えています。自分がいやだったことは、子どもだっていやなはずです。
 
論語にも「己の欲せざるところは、人に施すことなかれ」という言葉があります。反対句は、「己の欲するところを人に施せ」(新約聖書・マタイによる福音)ですね。孔子の仁(思いやり)、キリストの愛、どちらでもいいのですが、こういったことへの配慮でいいのではないでしょうか。
 
   (次回は、「4月に読んであげたい本」についてお話しましょう)
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、制作したものです】
 
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