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めぇでるコラム : 2021保護者: 2020年8月
さわやかお受験のススメ<保護者編>第 11章 お月見です長月(4)
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
「めぇでる教育研究所」発行
2021さわやかお受験のススメ<保護者編>
~紀元じぃの子育て春秋~
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第43号-
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
第11章 お月見です 長 月 4
私にとって夏の甲子園高校野球は、格別の思い入れがあり、決勝戦は、ビール
を飲みながら観戦するのが、楽しみの一つでした。今年は、憎きコロナウイル
スのために中止。甲子園を目指した球児たちの悔しさは、やはり、経験した者
でなければわからないでしょう。おそらく中高と6年間、ひたすら練習に取り
組んできたのですから。もう60数年前になりますが、ノックを受けてバケツ
で水をぶっかけられたことを思い出します(笑)。
【九月に読んであげたい本】
なぜ、お月さまに、うさぎが住むようになったか、そのいわれを伝える話があ
ります。主役は、あの良寛さんです。原作は、良寛さんの略歴や性格などの説
明がありますが、ここでは、月とうさぎということで省略しました。
◆良寛と月とうさぎ◆ 良寛 著
秋になると、お月さまの好きな良寛さまは、子ども達にこんな話をしました。
大むかし、猿ときつねとうさぎが、仲良く、助け合って住んでいると聞いた神
様は、本当かどうか知りたいと思いました。ある日、神様は、ぼろぼろの服を
着た老人に化け、三匹の住む林にやってきました。杖をつき、ひょろひょろと
歩いてきた老人は、長い間、何も食べていないので、食べ物を恵んでくれと言
うのです。
そこで、猿は木の実を少し見つけ、きつねは川魚を捕ってきましたが、うさぎ
だけは、何もとらずに戻って来ました。老人は、三匹は、心を一つにして暮ら
していると聞いたが、うさぎは、物を恵む心が薄いようだと言ったのです。
うさぎは、猿に芝を刈ってきてくれと頼み、きつねには、芝を燃してくれと、
悲しそうに言いました。
猿は芝を担い、きつねは、火をつけたのです。すると、うさぎは、「何もあげ
られないので、私の肉を食べてください」と、火の中へ飛び込み、死んでしま
ったのです。驚いたのは、神様です。かわいそうなことをしたと、泣き伏し、
猿も、きつねも、泣きました。立ち上がった老人は、「三匹は、感心なものだ。
中でもうさぎの心は、立派で、美しい」と言ったのです。
やがて、老人の姿は神様になり、杖でうさぎの体に触ると、もとの真っ白な体
になったのです。
しかし、うさぎは目をつむったままでした。
「お前を天の月の宮へ送ろう。お前は、これから、いつまでも、あの月とと
もに輝くのだ」と神様は
言ったのでした。
「それだから、まるいお月さまを、よく見てごらん。お月さまの中で、うさ
ぎが跳ねているのが、見えるだろう」と良寛さんは、子どもたちに話すのでし
た。
少年少女・類別/民話と伝説-二九 日本の心をうつ話
関 英雄 編著 偕成社 刊
この話は、良寛さんが作ったのではなく、原作は、龍樹(リュウジュ 2世紀
に生まれたインド仏教の僧)の主著の一つ「大智度論」(般若経の百巻に及ぶ
注訳書)にあるものだそうです。修行中のお坊さまが、空腹でふらふらになっ
ているのを見た鳩が、焼き鳥になるから食べてくれといって火に飛び込み、涙
ながらに食べる話です。鳩は、お釈迦さまの化身という教えであり、インド、
中国を経て、日本へ伝わったもので、「今昔物語」の巻の五にも出ています。
それを良寛さんが、子ども達に話してあげたのでしょう。月の中で、うさぎが
跳ねていたり、もちをついたりしているように見て楽しむのと、月の表面のま
だらなクレーターが、そのように見えるだけと片付けてしまうのとでは、どち
らが子どもの感性を育むのでしょうか。
ところで、「月にむら雲、花に風」といいますが、これは名月には雲がかかり、
せっかくの月が見えず、満開の花には風が吹き、花を散らしてしまうことから、
「良いことはとかく邪魔が入りやすく、思うようにはいかないものだ」という
たとえですが、しかし、雲一つない夜空に、こうこうと輝く月よりも、一片の
雲のかかった月の方が趣もあり、月を肴に一献、かたむけたくなります。
散る桜 残る桜も 散る桜
良寛さんの作品です。子ども達は、良寛さんの屈折する心を知っていたのでし
ょうかなどと、馬鹿なことを言っていますね、笑ってください。
うさぎといえば、童謡「うさぎとかめ」を思いださない方はいないのではないで
しょうか。夏目漱石の「吾輩は猫である」でも、くしゃみ先生の子どもが歌って
います。その二番の歌詞ですが、
二、なんと おっしゃる うさぎさん そんなら おまえと かけくらべ
むこうの 小山の ふもとまで どちらが さきに かけつくか
とあります。私が子どもの頃に見た挿絵は、小山の天辺にゴールの旗が立ち、
そこでかめさんが、両手をあげて、ガッツポーズをしていましたね。歌詞と違
っているのではと、子ども心にも思ったものですが、今は、どうなのでしょう
か。
ところで、かめさんに負けたうさぎさんは、どうなったかご存知ですか、実は、
続きがあるのです。
負けたうさぎさんは、うさぎ村から追放されるのですが「子うさぎをよこせ!」
と脅迫してきた狼を、知恵を働かせてやっつけ、名誉を回復し、うさぎ村へ帰
ることができたのです。「負けたうさぎ」で検索すると、「新潟県の民話 福
娘童話集」が出てきますが、これが傑作で、思わず1時間ばかり読んでしまい
ました(笑)。このイソップ物語、驚いたことに、明治時代の教科書に掲載さ
れた
ときの題名は、何と「油断大敵」とあるではないですか。(脱帽!)
次の話を読んでいると、外国の名作を思い出しませんか。
グリム作の「狼と七匹の子やぎ」です。子どもと鬼ばさのやり取りは、子やぎ
と狼のそれと、そっくりです。怒られそうですが、船戸与一氏風にいえば、思
わず「グスッ!」と、笑ってしまいます。
氏の「蝦夷地別件」(上中下3巻 新潮文庫)は、倭人と先住民アイヌとの戦
いを描いた作品ですが、アイヌの人々の憂いを秘めた目は、ここに原因がある
のだなと考えさせられたものです。アメリカの先住民インディアンと白人の戦
いは、日本にもあったわけで、映画「幌馬車」や「黄色いリボン」で、いつも
悪者にされていたインディアンは、白人が作った虚像でもあったのです。スペ
インの内戦を描いた「カディスの赤い星」などの著者、逢坂剛氏は、スペイン
内戦、ギターとフラメンコ、映画の西部劇に詳しい、大好きな作家ですが、シ
ベリア抑留の疑惑を追及した「牙をむく都会」(講談社 刊)に、これを実証
する話が載っています。
歴史とは、残念ながら、生きている間に真相を知り得ない事件が多いようです。
桓武王朝期、統一国家をめざし、坂上田村麻呂が蝦夷(えみし)征伐する経緯
を描いた澤田ふじ子さんの「陸奥甲冑記(みちのくかっちゅうき)」(中央文
庫 刊)といい、源頼朝が藤原一族の築いた陸奥の文化を抹殺する過程を描い
た梅原猛氏の「日本の深層」(集英社文庫 刊)といい、松前藩のアイヌ人を苛
酷なまでに搾取する「菜の花の沖」(司馬遼太郎 著 全6巻 文春文庫 刊)
といい、無知を叱責される思いで読んでいますが、「活字中毒症であればこそ」
と感謝しています。しかし、いくら国家成立の大義名分があっても、そこに住
む個人の命など、まるで虫けらのように切り捨ててしまう理不尽な行為が、な
ぜ許されるのか。運命を定める神がいるのなら、何を基準にしているのかと詰
問したい。(痛憤・激怒)
◆てんとうさまと金のくさり◆ おざわ としお 再話
むかし、あるところに、母さんと太郎、二郎、三郎の三人の子どもが住んでい
ました。
ある日、母さんは、「山へ仕事に行くから、だれが来ても戸を開けてはいけな
い」と言って出かけましたが、母さんは、鬼ばさに食われてしまいます。母さ
んに化けた鬼ばさは、家に来て、「戸を開けておくれ」と言うのですが、「母
さんはきれいな声なのに、がらがら声じゃないか」と開けません。鬼ばさは、
きれいな声のでる草を食べ、「開けておくれ」と言うと、太郎は、少し開けて
手を見ると毛むくじゃらなので、「母さんの手は、すべすべしてきれいだ」と、
閉めてしまいます。鬼ばさは、山芋を塗ってすべすべにし、いい声で「開けて
おくれ」と言うので、見ると、すべすべした手なので戸を開けたのです。鬼ば
さの化けた母さんは、三郎を抱き上げ、寝間へ入り寝てしまいました。
夜中に、太郎と二郎は、かじるような音で目を覚ますのです。
「何を食べているの?」と聞くと、母さんは、三郎の指を投げたのです。
「あいつは鬼ばさだ、三郎は食われた」と、二人は逃げ出しました。
夜が明ける頃、川に出ましたが渡れないので、木に登り隠れました。追いかけ
てきた鬼ばさは、川面に二人が写っているのを見つけ、「どうやって登ったの」
と聞くので、「木に油をつけて登ったのだ」と言うと、鬼ばさは、その通りに
しますが登れません。見ていた二郎が、「木に、なた目をつければ登れるのに」
と言ってしまうのです。鬼ばさは、なた目をつけて登ってきて、天辺まで追い
詰められた太郎は、「お天道さま金の鎖を下ろしてください」と叫びました。
すると、金の鎖が下がってきて、それにぶら下がり、天に登ったのです。
鬼ばさも、「鎖をよこせ!」と叫ぶと、腐った縄が下がってきて、それにぶら
さがりましたが、天に届く前に切れ、畑に落ちて死んでしまいました。鬼ばさ
の血で、そばの茎が真っ赤に染まったので、今でも、そばの茎は赤いのです。
天に登った太郎と二郎は、お星さまになったのでした。
日本の昔話 3 ももたろう おざわとしお 再話 赤羽末吉 画
福音館書店 刊
兄弟が七人で、全員、空に登れて、お月さまのそばで、七つの兄弟星になり、
鬼は、すすきの原に落ちて死んだために、今でも、すすきの根が赤いという話
もあります。2月に紹介しました「まめをいるわけ」と「ヘンゼルとグレーテ
ル」の話といい、あまりにも似ているので、びっくりさせられます。グリムの
「狼と七匹の子やぎ」を読んでみましょう。思わず、「グスッ!」と、笑いた
くなるはずです。
もう一つ紹介しておきましょう、これも世界中の子どもたちに親しまれている
話とそっくりです。
◆ぬかふくとこめふく◆
むかし、あるところに、母親と二人の娘が住んでいました。妹のこめふくは実
の子で、姉のぬかふくは、ままっ子でした。
ある日、こめふくには小さい袋を、ぬかふくには穴の空いた大きな袋を渡し、
「栗をとってこい」と言われ出かけました。ぬかふくは、いくら拾っても穴か
ら落ち、それをこめふくが拾いますから、間もなくいっぱいになり、帰ってし
まったのです。しばらくすると、大きな栗が落ち、拾おうとすると亡くなった
母親が現れ、穴を縫い、何でも出してくれる宝の小袋を授けました。その小袋
に「栗よ、出ろ!」というとたくさん出たので、袋に入れて家に帰ったのです
が、今頃まで何をしていたと怒られ、つらい仕事ばかりさせられる毎日が続き
ます。
祭りの日、母親と妹が見にいった芝居を見たいと思っていると、尼さんが来て、
「芝居がもう一幕で終わるところで帰ってきなさい」と言うのです。ぬかふく
は、宝の小袋に頼んで、着物や帯、かんざしを出し、出かけました。ぬかふく
が、きれいなので、人々は見とれました。こめふくが見つけて、「ぬかふくで
はないか」と言いますが、母親は信じません。ぬかふくは、もう一幕で終わる
ことに気づき、あわてて帰ったために、片方の足袋が脱げ、そのまま家へ帰っ
たのです。尼さまが、仕事を片付けてくれたので、汚い着物に着替え、仕事を
していました。帰ってきた母親は、まったく気づきません。
ところで、足袋を拾ったのは、村の大旦那の息子で、嫁にほしいと、作男たち
が足袋を持って探しにきたのです。こめふくにはかせましたが合いません。ぬ
かふくにはかせてみると、ぴったり合うのですが、母親は、「この子は、お祭
りには行っていない」と言いはります。
そこで、お盆の上に皿、皿の上に塩を盛り、塩の上に松葉をさして、歌の詠み
比べをして決めることになりました。見事な歌を詠んだぬかふくが嫁に決まり、
小袋から嫁入り衣装を出して着飾り、かごに乗って若旦那のところへ嫁いだの
でした。
おばばの夜語り(平凡社6 名作文庫) 新潟の昔話
水沢 謙一/水野庄三・絵 平凡社 刊
シャルル・ペロー作の「シンデレラ」ですね。
魔法使いのお婆さんが尼さまに、ガラスの靴の代わりに足袋が、午前零時の刻
限の代わりに、芝居の最後の一幕前に帰る約束、傑作ではありませんか。最後
の決着の方法が「歌の詠み比べ」であるのも、日本人らしいですね。
こめふくの詠んだ歌は、
よんべな こいた ねこのくそ 水けだった 毛だった
今朝 こいた ねこのくそ 息 ほやほや
何やらに臭ってきそうな歌に対し、ぬかふくは、
ぼんさらや さらさら山に 雪ふりて
雪を根として そだつ松かな
ときれいに決め、作者の意図に拍手を送りたくなります。ぬかふくに、宝の小
袋を渡すのが、生みの親であるところも泣かせます。日本のむかし話、すばら
しいではありませんか。
ちなみに、シンデレラ型の類似話は、ヨーロッパだけでも五百を越えるそうで
す。口伝え話をシャルル・ペローが「過ぎた昔の物語ならびに小話」の中に、
「サンドリヨン、または小さなガラスのくつ」として再話したもので、グリム
兄弟の作品にも「灰かぶり」があります。「シンデレラ」が有名になったのは、
どうやら、ディズニーのアニメが世界的にヒットしたためだと言われているそ
うです。
「シンデレラの本名はエラ(ELLA)」という記事を見た記憶があるのです
が、その真偽は定かではありません。
注 再話 昔話・伝説などを、言い伝えられたままではなく、現代的な表
現の話に作り上げたもの。
蛇足ながら、宮尾登美子さんの作品に、失明という運命と戦いながら、新潟の
酒造家を舞台に生きる女性、烈を描いた「蔵」がありますが、烈が子ども時代
に好きだった昔話に、「こめふくとぬかふく」が出てきます。
「あるどこね、ぬかぶくとこめぶくというふたりの女の子があったてんがな。
ほうしてぬかぶくは、せんの妻(かさ)の子で……」
(「蔵」 上 P149 宮尾登美子 著 毎日新聞社 刊)
こういった感じですが、新潟弁がいいですね。宮尾さんの作品にしては、珍し
く実在のモデルがいません。宮尾さんは酒を一滴も飲めないそうですが、酒造
りを指南した方は、何と幻の銘酒「越乃寒梅」を醸造された石本龍一氏。舞台
は新潟でしたから、もしかしたらと思いながら読んでいましたが、あとがきの
ところに紹介があり、嬉しくなりました(笑)。
この作品も、宮尾さんでなければ書けない秀作で、ひたすら激しく生きる女性
達の姿に接するたびに、「何をやっているの、あなたは!」と主人公に叱責さ
れているようで、「頑張らなくては」と元気を貰っています。(感謝)
ところで、「おしん」といえば橋田壽賀子さんの名が浮かびますが、坪内逍遥
にも「おしん物語」があります。
“おしんという少女は、ある町の商家のむすめで、十歳の時、実の母に死に別
れた。運わるくも、後の母は、善くない人であった。おこまという連れ子と二
人で、おしんを憎み、父が留守になると、いろいろと無理を言って、いじめる。
裁ち縫いから、拭き掃除、流し元の仕事、走り使いまで、おしんに言いつけ、
髪も結ってやらず、粗末な着物を着せて、下女も同じように遂(お)い使う。
おこまは、それに引きかえて、常普段、絹物ぐるみで、我儘勝手に遊び暮らし
ている。それでも、心だてのよいおしんは、少しも怨まず、すなおに、言う事
を聞いて、仕えていた“
と、冒頭の数行から見れば、おわかりのように、これは私たちがよく知って
いるシンデレラのお話にほかならない。シンデレラがおしんだって「坪内先生
もシャレているね」と、ほほえましい。坪内逍遥の苦心はさらに細部に行きわ
たり、おしんを助けてくれる魔法使いは弁天様、ガラスの靴は扇に変わり、閉
じた扇の絵柄を正確に当てることがおしんの確認方法となっている。
明治三十三年発行 国語読本 高等小学校用・巻1より
(「物語風土記」 阿刀田 高 著 P353~354 集英社 刊)
同種の話は、東日本を中心に数十話を超えて分布しているそうですが、逍遥版
シンデレラが教科書にあるのがいいですね。代表作「小説神髄」「当世書生気
質」、「シェークスピアー戯曲の翻訳」などで知られていますが、こういった
しゃれた作品があるとは、全く知りませんでした。早稲田大学校内の記念演劇
博物館前に胸像が立っていますが、とても想像・・・、いや、さすがですね。
鬼と並んで「やまんば」は、むかし話に欠かせません。
山姥(やまうば)のことで、地方によって、さまざまな呼び名があります。共
通しているのは、山に住み、その容姿は、髪の毛を長く伸ばし、ぼさぼさで、
口は耳までさけており、背は高くて、力持ちということでしょう。恐いのです
が、親しみの持てる話が多く、これもその一つです。そして、面白いことに、
兄の「だだ八」、弟の「ねぎそべ」、おばあさんの「あかざばんば」という妙
な名前を、たちどころに覚えてしまう子がいます。興味を持ったことは、即座
に記憶してしまうようですね。
◆ちょうふく山のやまんば◆ 今村 素子 著
むかし、ちょうふく山のふもとに小さな村がありました。ある年の十五夜の晩、
お月見の最中に、突然、激しい雨風となり、
「やまんばが、わらしこを持った。もちをついて持ってこい。こなければ、人
も馬も殺すぞ!」
と叫びながら、何者かが屋根を飛び回るのでした。声が聞こえなくなると、も
との月夜となったのです。夜が明け、もちをつきましたが、届ける人がいませ
ん。そこで庄屋さんが、普段から威張っている、だだ八とねぎそべ兄弟に役を
いいつけ、道案内に、あかざばんばを付けてもらい、届けることにしました。
三人とも、やまんばに殺されると思いながら、山を登って行ったのですが、途
中で、血なまぐさい風が吹き、兄弟はおびえてしまい、再び強風が吹くと、も
ちを放り出し、逃げてしまったのでした。ばんばは、もちを届けなければ、人
も馬も食われる。寿命も近いのだから、村人のために役立とうと、登っていき
ます。
やまんばの家に着くと、
「もちを食いたくなり、ガラを使いにやったが、村人達が迷惑をしたのではと
心配していた。やまんばは、恐ろしいものではない」
と言うのです。ガラは、四、五才になる子どもで、放り出したもちを取ってこ
いというと、アッという間にかついできますし、すまし汁を作るから、くまを
捕ってこいというと、捕まえてきます。村で暴れたガラだと、ばんばも納得し
たのです。夕方になり、帰るというと、手伝いする者がいないので、二十一日
だけ助けてほしいと頼まれ、暮したのでした。帰る日が来ると、いくら使って
も、もとの一ぴきにもどる不思議な錦をくれたのです。
家に着くと、何と、ばんばの葬式をしていたのですが、元気な姿をみてお祝い
となりました。貰った錦を分けてあげましたが、次の日には、もとの一ぴきに
戻っていたのです。
その後、村には悪い病気も流行らず、楽しく暮らしたのでした。
日本むかしばなし 7 おにとやまんば 民話の研究会 編
松本 修一絵 ポプラ社 刊
「さばうりとやまんば」「山んばの桐のはこ」「もちのすきなやまんば」など
も読んであげたい本です。
この本の挿絵では、やまんばは優しい顔をしたお母さんだったと記憶していま
す。なぜ、やまんばは、恐ろしい容貌になってしまったのか、その経緯を述べ
た話が、澤田ふじ子さんの作品にありました。引用文を読むと遠慮したくなり
ますが、全編、肩の凝らない傑作な事件簿です。
公家達は、己の腕を顕示するのを欲せず、武士とは逆に、秘匿するのを心得
としていた。それが日本人だけではなく、東洋の文化の精髄というべきだろう。
今でもこの気風は、京都市民の中に脈々と受け継がれている。
その精神を一言でいえば、すべてにおいて世間から目立つことをはばかるの
がそれで、知者は山に隠れて〈仙人〉となり、意識的女性は〈山姥〉となるの
だ。山姥は山に住み、怪力を発揮するという伝説的な女。鬼女とも考えられて
いるが、図様として描かれている山姥が、童子(金太郎)を伴っているのは、
知恵の伝承や再生を願う意味が、そこに込められているからである。
近世から近代に及ぶ民俗学的考察の誤りが、山姥を醜悪で凄惨な女性として
決め付けてしまった。長澤蘆雪の代表作、厳島神社に蔵されている〈山姥図〉
(重文)は、美術史研究の中で、今もこうとしか捉えていないのだ。
(祇園社神灯事件簿 四 お火役凶状 P278-279 澤田ふじ子著
中央文庫 刊)
(引用者注 長澤芦雪 江戸時代の絵師、丸山応挙の高弟)
パソコンで検索して見ましたが怖い絵で、なぜか、西洋の魔女に似ていて、子
ども達が読む絵本から描いていた山姥のイメージと異なり、意外に思いました。
澤田さんの人気シリーズの一つである「足引き閻魔帳 第4巻 山姥」の表紙が、
長澤芦雪の〈山姥図〉です。アップになっていましたが、すさまじい形相で、
子ども達には見せられません。
浜松で41.1度。39度近い酷暑を体験したことがありますが、高齢者には
ひたすらきついだけ。それより2度高いのですから、吸う空気を熱く感じたの
では。喘息の発作が出て、真夏に治療を受けたのは、初めて。ここ数日、変な
咳が出てコロナではないかと体温計とにらめっこの毎日。「37度ぐらいで電
話するな!」とかかりつけの医者に笑われました。みんなイライラしています
ね(笑)。
(次回は、「日本の神様でしょう 神無月」についてお話しましょう)
さわやかお受験のススメ<保護者編>第 11章 お月見です長月(3)
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「めぇでる教育研究所」発行
2021さわやかお受験のススメ<保護者編>
~紀元じぃの子育て春秋~
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第42号-
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第11章 お月見です 長 月(3)
★★菊花の約★★
突然、文学の世界に入りますが、“エニシング・ゴーズ”、何でもありの歳時
記です。
上田秋成(1743-1809)の著作「雨月物語」に、“菊花の約(ちぎり)”があり
ます。約束した帰国する日を守るために、自ら命を絶ち、霊魂となって百里の
道を帰ってきた話ですが、その約束の日が、9月9日の重陽の節句でした。義
兄弟の盟をした比左門と赤穴が、再会を約束する場面は、
『重陽の佳節をもて帰り来る日とすべし』
「菊の花を飾り、お酒の用意をして待っていますから、この日を忘れないでく
ださい」とあります。
義兄弟の男の約束ですから、菊が似合います。桜や桃の花では、いささか華や
かすぎて霊魂になって帰れない雰囲気があります。この「菊花の約」の序が好
きでした。
『青々たる春の柳、家園に種ゆることなかれ。交わりは軽薄の人と結ぶこと
なかれ。
楊柳茂りやすくとも、秋の初風の吹くに耐へめや。軽薄な人は交わりやすく
して亦速なり。
楊柳いくたび春に染むれども、軽薄の人は絶えて訪ふ日なし』
(「雨月物語」巻之一 菊花の約 上田秋成集
日本古典文学大系 56 岩波書店 刊)
「柳は庭に植えるな、軽薄な人とはつきあうな、といったむかしの人がいま
した。柳という木は、春の若葉こそ青々しく美しいものですが、秋風がふく
とたちまち葉を落としてしまい、紅葉を楽しむひまもありません。
軽薄な人間も、気やすく近づいてきて、はじめのうちはまるで親友のよう
ですが、はなれていくのもはやく、いざというときのたよりにはなりません。
柳の木は、春がめぐってくると、また若葉の美しさを見せてくれますが、
軽薄な人は二度と戻ってこないでしょう。そんな人とはつきあいたくないも
のです。」
[少年少女古典文学館 20 雨月物語(9頁)
佐藤 さとる 著 株式会社 講談社 刊]
柳1本で、これだけのことを学べます。
古典は、その民族の歴史であり、歳月とともに培われ、伝えられてきた教養で
あり文化です。お子さんが世に出る頃は、学歴ではなく品格を備えた知性や教
養が重視されていると思います。そのためにも、「古典に親しみましょう」な
ど、小賢(こざか)しいことを言うのではありません。ご両親は、ご自身の教
育観を持つことが大切で、それを礎に子ども達は育っていくからです。
「模倣犯」で活躍したフリーライターの前畑滋子が、再び登場する宮部みゆき
さんの「楽園」には、両親に殺されてしまう茜(あかね)という少女がでてき
ますが、小説の世界だけの話ではないと考えさせられました。
「わたしがちゃんとできないのは親が愛してくれないから。先生が不親切だ
から。環境が良くないから。みんな言い訳ですよ。(中略)何でもかんでも自
分が自分がと主張するくせに、悪いことやまずいことだけ他人のせいにする
なんて、正しい日本人の考えではありません。輸入者の思想です。昔から日
本人は、まず我が襟を正すという生き方をしてきたのです」
((楽 園) 下巻 宮部 みゆき 著 文春文庫 刊 P296-298)
華道の先生に言わせるところがいいですね。
「襟を正して生きる」ではないでしょうか。汚れている襟に気が付かない親が
多くなりました。気持ちはわからなくありませんが、わが子だけかわいいでは、
後々困ったことになるのは子どもたち自身です。「KYJM(空気読めない自
己中ママ)、何でも人のせいにして責任を取らないママ」のことだそうですが、
そういった母親に育てられるとどうなるか、その答えは、いろいろな形で表れ
ているのではと思います。「自己を主張できるが、責任を取らない子」は、幼
児期の育児が過保護であったのではないでしょうか。何でも母親が尻拭いをし
ていては、困難にぶつかった時にどうすればいいかわかりませんから、逃げ出
すことになります。信頼関係など生まれるわけがないのです。同級生とさえう
まく関われない若者が増えているようですが、ポケットに手を突っ込んで、ボ
ーッとしていて友達なんかできないでしょう。
友とは、己れの存在を認めてくれ、共有できる価値観を持ち、共に生きる共生
の素晴らしことを教えてくれる、有り難い存在です。本当に、「在り難い」の
です。己れを認めてくれる教養を身につけ、品格を磨くべきで、自己中では友
はできません。どのような襟を持つか、それが育児の姿勢ではないでしょうか。
大阪で起きたとんでもない育児放棄事件(2010年8月)、襟を正すべき母親が、
襟を正さないとどうなるか、どんな母親であったかは知りませんが、新聞で見
た桜子ちゃんと楓ちゃんの笑顔が、哀れで、悲しくて、情けない。何も食べ物
がない冷蔵庫を開ける桜子ちゃん、その刹那を思うと……、最後につぶやいた
言葉は、「ママ?」ではなかったか。(合掌)
(2012年3月 無期懲役の判決が出ました)
放映された宮部さんの「ペテロの葬列」は、ご存知のように「誰か」「名も無
き毒」(トラブルメーカー、原田いずみには仰天!)に続く杉村三郎シリーズ
の第3作です。キリストの弟子であることを三度否認したペテロですが、杉村
氏は二作とも「理解されない人」になり、三作目でも理解されない人として、
とんでもない結末を迎え、唖然とさせられました。宮部さんの作品には、いつ
もドギマギさせられながら読んでいますが、クリスマスの未明、一人の中学生
の転落死、殺人か自殺か。学校内裁判の始まり、「ソロモンの偽証」、文庫本
で6巻、読ませてくれました。映画化されましたから見た方も大勢いるのでは
ないでしょうか。6巻の最後、20年後の偽証、「負の方程式」、何だと思い
ました(笑)。
閑話休題。
「雨月物語」は、9つの話から成り立ち、前の話が後の話のテーマになってい
ます。一時、ホラーブームなどで、奇怪な映画が、若者たちに受けていたよう
ですが、この「雨月物語」こそ、知的怪異小説ですね。しかも、現実に起きそ
うなことだけに、そら恐ろしい気持ちになります。200年前の江戸時代の人
々の恐怖感は、大変なものだったと想像できます。
「浅茅が宿」は、死んだ妻に再会し、翌日、それが幽霊だった話。
「吉備津の釜」は、真心を裏切られた魂が、悪鬼となって復讐する話。
「蛇性の婬」は、中国の「白蛇伝」と同じで、高校生の頃、東映のアニメでみ
た記憶がありますが、2匹の蛇が、これでもかと追いかける恐い話です。熊猫
のようなパンダにお目にかかったのは、この映画ではなかったかと思います。
現代人が、とかく忘れがちな人間の情愛が、科学的な冷静な目で否定しがちな
不可思議な現象、とはいっても何もわかりませんが、怪異の世界でしっかりと
生きていることが、何とも新鮮な感じがします。「物足りて、心を失う」です
か……、科学って、何なのでしょうね。
ところで、秋成のもう一つの代表作「春雨物語」には、紹介したい話がありま
す。それは、「捨石丸」で、読まれた方なら直ぐに、菊地寛の「恩讐の彼方」
と同じ題材だとわかります。耶馬蹊(大分県北西部にある渓谷)の岸壁を掘り
抜く話は、実話に基づくもので、その岩穴の道は「青の洞門」と呼ばれ、今も
残っています。また、昔話にも「捨て石丸物語」として語り伝えられています。
耶馬蹊の命名者は、第1章で「京都五条の帯屋の娘」で紹介しました江戸時代
の儒学者、頼山陽といわれています。
★★江戸時代の時の数え方★★
何かないものかと探していましたら、やはり、ありました。
江戸時代の「時の数え方」です。当時は、午前零時、午後零時(正午)を「九
つ」といい、「2時間を一時(いっとき)」とし、そこから2時間ずつ、ずら
して八つ、七つ、六つ、五つ、四つという数え方をしていました。面白いこと
に、「九つ」から始まって、「八つ」 「七つ」と減っていくのですから、現
代人の感覚だと戸惑います。しかし、これにはきちんとした理由があるのです。
掛け算の九九のお出ましです。
まず、鐘を9つ打つ時刻、午前零時、午後12時を「九つ」どきとして、次に
9の2倍の18を打つのですが、真夜中に18も鐘を打たれては、おちおち寝
ていられません。18では多すぎるので、十の位を除いて、2時間後の午前2
時に8つ打ち「八つ」として、以下、
9×3=27で、十の位を除いて午前4時に7つ打ち「七つ」、
9×4=36で、十の位を除いて午前6時に6つ打ち「六つ」、
9×5=45で、十の位を除いて午前8時に5つ打ち「五つ」、
9×6=54で、十の位を除いて午前10時に4つ打ち「四つ」、
元に戻って、午前12時が「九つ」、午後2時が「八つ」、午後4時が「七つ」、
午後6時が「六つ」、午後8時が「五つ」、午後10時が「四つ」、そして午前零時
が「九つ」と、こういう仕掛けなのです。
素朴な疑問ですが、なぜ10から始めなかったのでしょうか。
その理由は、陰陽思想では十を完全な数として数の頂点と考え、十は最上のた
め満ち足りると次はなくなってしまう、満月が欠けていくのと同じで、九を陽
(奇数)の最上、八を陰(偶数)の最上の数と考え神聖視していたことによるもの
です。
余談になりますが、聖徳太子の「十七条の憲法」は陰と陽の最上の数を足した
もので、陰陽思想の影響を受けてできたと言われているそうです。
また、時刻の決め方も世界標準時間などない頃ですから、こういったことで決
めていました。
江戸の時刻は、太陽の上るのを明(あけ)六ツとして、日没を暮六ツとして、
その間を六等分して昼の一刻を決める。夜は日の入りから翌朝の日の出まで
をやはり六等分して夜の一刻は決められた。従って、夏は日が長いので、昼
の一刻が夜の一刻より実際には長くなった。
(御宿かわせみ 16 八丁堀の湯屋 P250 平岩弓枝 著 文春文庫刊)
ところで、東京地方の民謡に、この時を表した「お江戸日本橋」があります。
「七つ」を現代の時刻7時と考えると、おかしな歌になってしまいます。東海
道五十三次を歌った長い歌で、全部残っている資料もあるそうで、興味のある
方、パソコンでご覧ください。
お江戸日本橋 七つ立ち
初のぼり
行列そろえて アレワイサノサ
コチャ 高輪`
夜明けて 提灯(ちょうちん)消す
コチャェ コチャェ
大名の参勤交代の行列を表した歌で、七つ(午前4時)に日本橋を出発し、「下
に~、下に~」の掛け声でゆっくりと進み、高輪で明け六つ(午前6時)を迎え
て提灯の火を消す、のんびりとした行列であることがわかります。正月恒例の
箱根駅伝、スタートの有楽町から高輪まであっという間ですから。歌詞に「初
のぼり」とありますが、江戸時代は京都へ行くのを上りといい今とは逆になっ
ています。当時の都は京都で、明治に東京へ遷都されて東京が都となり、東京
へ行くのが上りになりました。
日本橋は現在のコンクリートの橋を架けてから、平成23年10月で百年にな
りましたが、橋の上を高速道路が走り、窮屈で無残な姿になっています。あの
関東大震災や東京大空襲にも耐えた橋であり、親柱には「東京市の守護神・獅
子像」と「15代将軍徳川慶喜の揮毫(きごう)した銘板」が設置されている
由緒ある橋で、もっと優しく保存してあげるべきではないでしょうか。
ところで、小江戸と呼ばれる川越には、江戸時代の風情を今に残す蔵造りの家
並みを見下ろすように、「時の鐘」がそびえたっています。鐘楼の高さは15.
9メートル、トタン屋根三層作りの木造で、階段はありますが上れません。毎
日6時、正午、15時、18時の4回、時を告げ、平成4年(1996)に環境
庁主催の「残したい日本の風景百選」にも選ばれています。
時の鐘は、今から400年前に創建されたといわれ、現在建っているのは4代
目。明治26年に起きた川越大火災後に再建されたもので、耐震診断の結果、
「倒壊の恐れあり」と判明。明治27年の再建当時の姿に戻す復元工事も実施
され、平成29年1月、工事は無事終了。塔の下で売っている名物の焼き団子、
何とも香ばしい匂いに、素通りできません(笑)。
最近、きかれなくなった落語に、「時そば」と題した噺があります。
ちょうど九つどきに、屋台のそば屋で勘定を払う男が、細かい銭で済まないが
と、数えながらおやじさんに渡します。
「ひい、ふう、みい、よう、いつ、むう、なな、やあ」
ここまできたとき男が、いきなり、時間を聞きます。
「何どきだい?」
「へぇ、ここのつで…!」
とおやじがいうと、九文目を払わないで、
「とお、じゅういち、じゅうに、じゅうさん、じゅうし、じゅうご、じゅうろ
く、ごちそうさん!」
と、九をうまくとばして、お客さんが一文、見事にごまかします。
これをまねた男が、今度は時を間違えて、多く払うはめになる話です。この噺
は、関西では「時うどん」になりますが、薄く透き通った関西風の味も、こた
えられません。やはり、この時の数え方も、訳ありでした。
「ひい、ふ、みい」は、漢字の訓読みですが、これを覚えておくと、日付の読み
方に役に立ちます。
一日を除き、「ふつか、みっか、よっか、いつか、むいか、なのか、ようか、こ
このか、とおか」となっています。十一日、十二日、十三日と音読みになり、
十四日は「じゅうよっか」と音訓読みになり、二十日は「はつか」となり、幼児
には、難しい読み方になっています。「ついたち」は、一月に紹介しました「十
二支の話」を思い出してください。毎日、カレンダーを見ながら、「今日は、9
月4日、金曜日」とやっていると、無理なく覚えらます。以前、「日づけの歌」
を紹介しましたが、お役に立ちましたか。お読みにならなかった方、YouTube
で見ることができます.
★★防災の日★★
9月1日は防災の日です。
ご存知のように、大正12年(1923)に、関東大震災が起きた日です。
「災害は、忘れた頃にやってくる」と言いますが、8年前に東日本大震災が起
きました。当時、防災非常袋などに、飲料水や非常食、着替え、乾電池などを
用意し、万が一に備えていた方は、少なかったのではないでしょうか。用意し
た飲料水などの消費期限(Use by date)をチェックし、想定外の災難に遭わ
ないように心がけましょう。幼稚園や小学校でも避難訓練をやっていますが、
小さい子ども達は、自分で身を守るすべを知らないものです。幼稚園、小学校
にいる場合は、万全の態勢で臨んでいますから心配ありませんが、一人で外に
いる場合どうしたらよいか、しっかりと教えておきたいものです。
東日本大震災が起きるまでの学校選びは、「子どもの足で通える学校」でした
が、「子どもが安心して通える学校」となりつつあるようです。私立小学校が
1校しかなかった埼玉県は5校に増え、神奈川県では、慶應義塾横浜初等部、
日本大学藤沢小学校が開校し30校に、茨城県では、つくばみらい市に開智小
学校が開校し7校になりました。千葉県の7校の内3校は、新装改築し教育環
境の充実をはかっています。ちなみに東京は53校ですが、平成31年4月に
東京農業大学稲花(とうか)小学校(世田谷)が開校しましたから54校にな
りました。
就学児童が減っている中で開校する学校側の狙いは、「安心して通える地元の
学校」ではないでしょうか。「教育は国家百年の計」ともいわれていますが、
地方の教育が充実するのは、長い目で見れば、わが国の教育のためにも歓迎す
べきことだからです。
最後になりましたが、今年の二百十日(立春から数えて210日目)は8月3
1日。この時季に、稲は花開き実を結びますが、台風が日本列島を襲い、農作
物が被害を受けるため、お百姓さんには厄日といわれ、奈良県大和神社の「風
鎮祭」、富山県の「おわら風の盆」など、各地で台風に暴れられないように、
風雨を鎮めるお祭りが行われています。
なお、二百十日は9月1日ですが、閏年(うるうどし)だけ8月31日になる
そうです。
今年の暑さのためか、かまびすしい蝉の声が、聞こえません。酷暑が続いてい
ますが、「いい加減にせんかい!」と言いたくなりますね。
(次回は、「9月に読んであげたい本」についてお話しましょう)
さわやかお受験のススメ<保護者編>第 11章 お月見です長月(2)
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「めぇでる教育研究所」発行
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第11章 お月見です 長 月(2)
★★秋の七草★★
春の七草は、色彩的には黄色が多く、それに食べられるものばかりでした。
正月の7日に食べる七草粥には、春の七草が入っています。今年1年間、息災
で病気にならないようにと、払いの意味で食べたものですが、正月にご馳走を
食べすぎて、弱った内蔵をいたわる意味で食べたのでしょう。これも昔の人の
生活の知恵です。
秋の七草は、どうでしょうか。
萩(はぎ) 薄(すすき) 葛(くず) 撫子(なでしこ) 女郎花(おみなえし)
藤袴(ふじばかま) 桔梗(ききょう)をいいます。見るとわかりますが、紫色が
多くて観賞用です。葛は、根は解熱剤として使われていますし、粉にした葛粉
は食べられますが、春の七草とは、大変な違いです。
事の起こりは万葉集で、山上憶良が秋の七種の草花を詠んだことから、秋の七
草といわれるようになったのです。
秋の野に 咲きたる花を 指(おゆび)折り かき数ふれば 七草の花
芽子(はぎ)の花 尾花 葛花(くずばな) 瞿麦(なでしこ)の花
女郎花(おみなえし)また藤袴 朝貌(あさがお)が花
(万葉集八巻 山上憶良)
朝貌の花は、現在では桔梗のことです。
芽子といい瞿麦といい朝貌といい、昔の字は、秋の七草にしてはゴツゴツした
感じを受けませんか。何だか花の名前の感じがしません。今の方が、親しめま
す。いや、もっと現実的な秋の七草があります。
昭和10年、菊池寛、高浜虚子などの文人や学者の推薦によって新聞社が選ん
だ「新秋の七草」があります。菊、葉鶏頭(はげいとう)、秋桜(コスモス)、
彼岸花、赤飯(あかまんま)、白粉花(おしろいばな)、秋海棠(しゅうかいど
う)の七草です。山上憶良と比べると、色彩豊かで華やかで、人手がかかって
いる感じがします。
平成にふさわしい「秋の七草」は、インターネットの投票によると、春の七草
でご紹介した左大臣四辻善成(平安時代)の真似をするとこうなります。
ハギ キキョウ コスモス ススキ ヒガンバナ
リンドウ ナデシコ 秋の七草
しかし、本来の七草は、人の手にかかることをこばむ野草という感じが伝わっ
てきますが、いかがでしょうか。
話は変わりますが、秋桜(コスモス)、漢字で書くと日本産まれのようですが、
何とメキシコ産です。
コスモスは、一見、葉もきゃしゃで弱々しく、花もたおやかですから、責任を
もって、きちんと保護してあげなくてはと思いがちですが、茎は太く、本当は、
強いのです。台風でなぎ倒されても、いつのまにか窮屈な姿勢ながらも、花を
咲かせます。さすが、メキシコ産と納得しているのは、私だけでしょうか。
「秋桜」と書いて「コスモス」と、今までになかった読み方が広まったのは、
山口百恵さんのヒット曲「秋桜(コスモス)」(1977年 昭和52年)か
らだそうで、作詞、作曲者のさだ まさし氏は、「小春日和」と名づけていた
とか。嫁ぐ娘が母を思う曲で、
♪突然涙こぼし元気でと 何度も何度も繰り返す母
ありがとうの言葉をかみしめながら 生きてみます私なりに
こんな小春日和の穏やかな日は もう少しあなたの子供で いさせて
ください♪
泣かされましたね、男のくせに。(赤面)
もう一つのヒット曲「プレイバックPart2」にはびっくり。あんなリズムで歌
える歌手は、当時、いませんでしたから。「馬鹿にしないでよ そっちのせい
よ! Play back Play back!」と蓮っ葉なセリフが、かわいかったですね
(笑)。旧伸芽会にお世話になっていた時、教室のあったマンションに三浦夫
妻が住んでおり、長男の小学校受験で、私がお世話をする可能性もあったので
すが、引っ越しをされ実現しませんでした。(残念!)
★★重陽って、五節句の一つではないのですか★★
9月といえば重陽の節句、とならないのが不思議です。
3月の「ひな祭りですね」を思い出してください。9月9日を重陽といい、陰
暦9月9日の節句で、「9」は陰陽道では、陽の数とされており、この2つの
数を重ねた日で、菊の節句ともいわれていると紹介しました。陰陽道では、こ
のように奇数を尊び、「9」を最高の数と考え、天の数、天子様の数として、
神聖視されていました。それでしたら、大変な日ではありませんか。
しかし、何かお祝いをした記憶がないのです。
この日は菊の節句である。平安時代に菊は「翁草」「千代見草」「齢草(よ
わいぐさ)」などといわれ、重陽の節句に寒菊の酒宴が催された。「菊酒」
といって、酒に菊の花をひたして飲むと、長生きできるといわれ、また「菊
の着せ綿」といって、前の晩に菊にかぶせて露にしめらせた綿で身体を拭く
と長寿を保つといわれた。
(年中行事を「科学」する 永田久 著 日本経済新聞社 刊 P180-181)
このように菊は、古くから薬用植物として珍重されていましたが、菊の芯を集
めて作る枕を菊枕や幽人枕(ゆうじんちん)ともいって、香りが高く、頭痛を
治し、邪気を払うといわれ珍重されていたそうです。
そういえば、「菊政宗」という日本酒がありますが、命名のいわれは、これで
しょう。菊正宗の純米酒は「上善如水(じょうぜん水のごとし)」で絶品です。
適量をたしなめば、酒も良薬の一種に違いないのですが、適量をたしなむのは
至難の業で、意志の強い持ち主でなければ難しいですね。苦労しています(笑)。
脱線しますが、千利休は「酒盃の銘」で、「一盃は、人、酒を呑む。二盃は、
酒、酒を呑む。三盃は、酒、人を呑む」といっていますが、けだし、名言です
ね。酒が人を呑むと虎に変身しますが、なぜ、酔っぱらいを虎というのか、親
父の話では、酒のことを「ささ」といい、笹の生えているところに虎がいるか
らだといっていましたが、酔っぱらいを収容する所を「トラ箱」というのもう
なずけますね。
蛇足ですが、「上善如水」は5月に紹介しましたが、老子道徳8章にある「水
は万物を潤し、利を与え、自分を主張することなく、器に添って形を変え、争
わず、流れに逆らわない。老子の無為自然の生き方」をいうもので、新潟の白
龍酒造にも「上善如水」があり、何だか名酒を賛美するための言葉のようです
が、とんでもない誤りで、酒飲みがカッコつけて飲むための言い訳にすぎませ
ん(笑)。
「菊」は漢名(中国での名称)の「菊」を音読みしたもので、「菊」の漢字
は「散らばった米を一ヶ所に集める」の意味があり、菊の花弁を米に見立て
たもの。また、漢名の「菊」は、「究極、最終」を意味し、1年の一番終わ
りに咲くことから名づけられた。
(www.hana300.com/kiku00.htmlより)
日本の国花は、桜と菊です。
桜に始まり菊で終わる、自然に恵まれた日本を象徴する花であり、国花にふさ
わしい花であることも肯けます。
菊は、その姿が、端整で、美しく、香りにも、何ともいえない気品があります。
古くから菊は、竹、梅、蘭と合わせて四君子(しくんし)といわれ、水墨画の
画材によく使われていました。
菊の品評会などで見る菊は、華やかなムードに包まれ 十分に手間暇のかかっ
ている感じが、匂い出ています。菊人形も、ここまでやるかと、文句のつけよ
うのない作品もあり、うならされます。
いずれも、秋の風物詩として欠かせません。
しかし、人里離れた山あいに、ひっそりと咲く、小さな野菊、あれも、いいで
すね。
香もふくいくとして、観賞用の人工菊に、絶対に負けません。寒さに強く、晩
秋から初冬にかけて、けなげにも咲き続けています。花は、ひっそりと咲いて
いるからこそ、もののあわれを誘います。
女性も、ひっそりと、ひかえめがいいのですが、今風ではありません。これを
いうのには、勇気がいります。「ますらお不在」といわれそうだからです。
「ますらお」は「丈夫・益荒男」と書き、強くて、堂々とした、立派な男子の
ことです。
ところで、皇室の菊の御紋章、あれは十六葉八重表菊で、後鳥羽上皇が、特に
菊を好まれたために定められたものです。
そして、欲しい人には最高の価値がある勲章、舌をかみそうですが、大勲位菊
花大綬章は、朝日と菊の花を表しています。
この勲章を、断る方がいます。確固たる理由があるのでしょう。そういった話
を聞くたびに、なぜか、さわやかな気持ちになります。もっとも、私自身、勲
章をもらえる条件が何もなく、ひがんでいるにすぎないのですが(笑)。
リーズナブルな刺身についているプラスチック製の菊、あれは単なる飾り物で
すが、上等な刺身には、食用の生菊が、さん然と輝いています。これは高価な
ものですから、必ず、頂きましょう。菊の花をむしって、小皿の醤油に散らし、
刺身と一緒に食べます。
菊は、わさび、生姜、レモン、酢橘(すだち)、蓼(たで)と同様、食中毒や
食材の腐食を防ぐ自然の優れものです。これらの菊は、観賞用とは異なり食用
として栽培されたもので、さっと湯がいて三杯酢で食べても、おひたしにして
も、なかなかおつなものです。
ところで、刺身をのせている「刺身のつま」というのでしょうか、面白い存在で
すね。
ほとんどが大根か海藻(おごのり)ですが、あれがついていないと、何か物足
りない感じがします。しかし、ほとんどの方は、決して、好んで、食べません。
明治生まれの親父は、それこそ一本も残さず食べていましたから、私も残せま
せん。主役の鮪や鯛の刺身を引き立たせる脇役を立派に果たしているのですが、
刺身のなくなった後の姿は、何とも哀れです。「人間、引き際が大切だと教え
ているのではないでしょうか」などと、「よいしょ」することもありませんが、
何かかばってあげたくなりませんか(笑)。
話を戻して、五十円硬貨の表のデザインは、何と菊です。さらに、兵庫県の県
花は、野路菊(のじぎく)です。ご存知のことと思いますが、菊は献花に用いま
すから、病気の見舞いには、タブーの花となっています。
日本の三大怪談話は、「四谷怪談」「番町皿屋敷」「牡丹燈籠」ですが、「1
枚、2枚……」と夜な夜な皿を数える幽霊の名は「お菊」だからいいのであっ
て、「おなべ」「おくま」「おとら」ではさまにならないという話を阿刀田高
氏の本で読んだのですが、「アッハッハ!」と笑っただけで、出典を控えません
でした、済みません。こういった幽霊なら、寝苦しい丑三つ時(午前2時ごろ)
に出てほしいですね。丑三つ時は、幽霊の出動時間です(笑)。
最後に、ことわざを一つ。
「春蘭秋菊 ともに 廃すべからず」(両者ともに優れており捨てがたい)
蘭と菊は、四君子の二つです。
島根県にも清水寺があることを、五木寛之氏の「百寺巡礼 第8巻」(講談社
刊)を読んで知り、素晴らしい三重塔を見ようとパソコンで検索していた時に、
島根県江津市のホームページで、この解説を読んだのですが、わかりやすいの
で紹介しましょう。
中国では、「梅」「蘭」「竹」「菊」の4種の草木は「四君子」と呼ばれ、
古来より人々に愛されています。「君子」とは人徳・学識・礼儀に優れた人
のことですが、「梅蘭竹菊」は気品の高い美しさを備え、梅は高潔、蘭は清
逸、竹は節操、菊は淡泊と「君子」に似た特徴をもっていることから、草木
の中の「四君子」に例えられています。
筆者注 清逸(せいいつ) 清く浮世離れしていること
(島根県江津市のホームページ http://www.city.gotsu.lg.jp/6490.html)
5月にも紹介しました「六日の菖蒲」、それに加えて「六日の菖蒲、十日の菊」
があります。菖蒲は5月5日の端午の節句に、菊は9月9日の重陽の節句に用
いるもので、6日と10日では間に合わないことから、「時期に遅れて役に立
たないこと」のたとえです。類義語としては「後の祭り」「夏炉冬扇」、ちな
みに英語では“a day after fair”だそうです。
(kotowaza-all guide com 故事ことわざ辞典より)
暑いですね。川越は、今日(11日)は36度を超えそうです。ベランダで洗
濯物を干す家内は重装備。朝6時頃散歩をしましたが、空気そのものが暑かっ
たですね。今年は、里帰りをする方が少ないようで、車庫の車も出番がなく、
暑そうでした。
(次回は、「菊花の約」などについてお話しましょう)
さわやかお受験のススメ<保護者編>第 11章 お月見です長月(1)
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「めぇでる教育研究所」発行
2021さわやかお受験のススメ<保護者編>
~紀元じぃの子育て春秋~
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第40号-
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第11章 お月見です 長 月(1)
暦の上では、今月から秋です。
秋の読み方は、「黄熱(あかり 稲が成熟する)からとの説が一般的ですが、
秋空が「あきらか(清明)」である、収穫が「飽き満る」、草木の葉が「紅
(あか)く」なるなどの説もあるようです。
長月(ながつき)のいわれは、秋も深まり、次第に夜が長くなっていくから
「夜長月」の略が、わかりやすいですね。
これにもいろいろな説があり、「稲刈月(いねかりづき)」の「い」と「り」
を略して「ねかづき」が「ながつき」となったものや、「稲熟月(いねあか
りつき)」が略されたという説もあるそうです。
★★お月見ですね★★
9月といったら、お月見ですね。
天保暦でいうと、8月15日にあたり、今のグレゴリオ暦では、9月の15日
から20日頃が見頃です。
秋の澄んだ夜空に、こうこうと輝く満月を観賞する習慣は、古くから中国にあ
り、それが平安時代に貴族の間に伝わり、やがて、武士や庶民にも広まったも
のです。昔は、「中秋の名月」といい、月を眺めながら、和歌を詠み、お酒を
酌み交わし、秋の夜を過ごしました。何やら風流な趣が伝わってきそうですが、
お百姓さんは、それどころではありません。何しろ日本は、農耕民族でしたか
ら、とにかく自然が頼みの綱です。
お月さまは、お百姓さんにとって、お日さまと同様、大変な存在でもあったの
です。
ご存知のように月は、およそ1ヵ月の間に丸くなり、また、だんだんと欠けて
いきます。新月から1週間程で半月になり、15日程で満月に、1週間後には
半月となり、再び新月に、これの繰り返しです。そこで昔の人は、満ち欠けす
る月の形から、1ヵ月のおよその日にちを知ることができ、それをもとに農作
業の時期、段取りを行っていました。
また、月の明かりで、夜遅くまで農作業ができたのです。言ってみれば、お月
さんは暦であり、時計であり、夜間の照明器具でもあったわけですから、感謝
の心は、現代では考えられないほど、深かったに違いありません。
さらに、旧暦の8月といえば、稲にとっては、夏の暑いお日さまを、さんさん
と受け、しっかりと実をつける時です。しかし、台風が来ると、折角、丹精を
込めて育ててきた稲は、強風と豪雨でメチャメチャになってしまいます。私の
小学校時代(昭和20年代)の日本の景気は、米の収穫量で決まりですから、
何とか穏便にと思うのは、当然でしょう。
台風一過の秋晴れのもとで、すっかり水を被ってしまった田んぼを、ぼう然と
眺めていたお百姓さんの姿を、何回も見ましたが、子ども心にも悔しい思いを
したものでした。ですから、お月さまに、すすきや秋の花とおだんごや果物、
芋などを供えて、自然が荒れないようにお祈りを捧げたのです。
なお、十五夜を見た場合には、旧暦の9月13日(現在の10月17日頃)の
十三夜も見なければならないといわれています。1回しか見ないお月見を「片
見月」といい、不吉なことが起こると嫌われていたからだそうです。十三夜は、
栗や豆を備えることから「栗名月」「豆名月」ともいい、十五夜が中国から伝
来したものに対し、十三夜は日本のオリジナルな風習です。
また、「十三夜に曇りなし」ともいわれ、晴れの夜が多く、秋の澄んだ夜空に、
こうこうと輝く月を見ることができます。丁度、10月の下旬にあたり、秋た
けなわの頃だからです。お子さんと一緒に「片見月」とならないように、確か
めてみましょう。こういった話をするだけでも、お子さんには、楽しい思い出
となるものです。
ご覧になったかと思いますが、2015年は、7月に2回、2日と31日に満
月が現われました。これをブルームーンと呼び、2、3年に1度の割合で起こ
り、2018年1月と3月にもみられた天体現象です。ブルームーンの名称の
由来は、英語の慣用句に“once in a blue moon”(珍しいことやまれなことの
たとえ)があり、まれな現象を「ブルームーン」ということだからだそうです。
次回の年間2回のブルームーンは2027年、年1回は今年10月2日と31
日だそうです。
「月光」といえば、ベートーベンの「ムーンライト・ソナタ 月光」を思い浮
かべる方が多いのではないでしょうか。私はグレン・ミラーの作曲した「ムー
ンライト・セレナード」で、ミラーの生涯を描いた「グレン・ミラー物語」を
1週間、毎日、映画館に通って観たものでした。「真珠の首飾り」「茶色の小
瓶」「イン・ザ・ムード」などの演奏も楽しみでしたが、全盛時代のジャズの
王様、ルイ・アームストロングの率いる、ほれぼれするようなメンバーの熱演
を観ることができたからです。曲は「ベージン・ストリート・ブルース」で、
ドラムのジーン・クルーパーとコージー・コールのドラム合戦は、何回観ても
飽きませんでした。入口のお姉さんと顔見知りになり、「私も長い間この仕事
をやっているけど、学生さんのような人は初めて!」とあきれ顔でいわれまし
た(笑)。
この頃から、ドラムに憧れていたのです、高校1年生の時でした。
★★なぜ、すすきを飾るのでしょうか★★
すすきは、姿、形から見ても稲科の仲間だとわかります。
あの白い花穂が、いいですね。別名「尾花」といいますが、本当に漢字は説得
力があります。これは、子どもの頃に、お百姓さんから聞いた話ですが、今で
もよく覚えています。なぜ、お月さまにすすきを飾るのか、その理由ですが、
すすきの尾花は、細くて長く、まるでほうきのようですから、秋風に揺れなが
ら、その穂で、しっかりと神さまを捕まえ、豊作をお願いしたいからだといっ
ていました。今は、郊外に出かけないと見られなくなりましたが、子どもの頃
には、そうですね、見上げるほどの高さですから、2メートルぐらいになるの
もあり、これなら神さまを絶対に逃さないと思ったものです。
★★なぜ、お供え物に芋があったのでしょうか★★
米で作ったおだんごや果物、それに採れたての野菜などを供えたものです。
母からよく聞いた話ですが、お日さまには天照大神(あまてらすおおみかみ)
が、お月さまには月読命(つきよみのみこと)という神さまがお住みになり、
お日さまを浴びていろいろな物が育つように、お月さまの光にも不思議なエネ
ルギーがあって、その光を浴びた物を食べると、健康で長生きするからだとい
っていました。
「かぐや姫」のラストシーンで、月の光で侍が、ばたばた倒れますが、あれを
思い出し納得していました。数々の怪獣を一撃で倒すウルトラマンのスペシウ
ム光線ではありませんが、月光の威力に感嘆したものです。あの場面には、い
つも魅せられていました、UFOの世界です。こういった空想は、時代を超越
し、夢があります。科学が、1つ1つ、その根拠を壊していますけれど、サン
タのプレゼントと共に、幼児期の楽しい夢であり、一緒に楽しんであげるもの
ではないでしょうか。
このウルトラマンに目下、孫がはまっていて、「それはバルタン星人だろう」
と言ったら、「おじいちゃん、何で怪獣の名前を知っているの?」と尊敬され
てしまいました。もう40年前になりますが、長男が夢中になって遊んでいた
もので、いまだ人気が衰えないようですね。女の子には、リカちゃん人形が人
気の的で、サンタの代わりに買いに出かけたものでしたが、新作、マサト君が
出た年は手に入れるのに苦労したことを思い出しました(笑)。
ところで、子どもの頃ですから、「夜露」がよくわかりませんでした。供えて
ある果物や芋が、夜露に濡れて、月の明かりで光っているのです。神秘的でし
た。ですから、夜露に光る果物を食べると、何やら力がつくような気がしまし
たし、おいしいと思いました。感動して、母の話を信じていたものです。
「神秘的……」、響きのいい言葉ではありませんか。「迷信だ」といって信じ
ない大人は結構ですが、そういって子どもの夢を簡単に壊すようでは、空想力
や想像力も育たないのではないかと思いますね。
【注】 古事記には天照大御神、日本書紀には天照大神と明記されています。
今では、お月見に、だんごやすすきなどをお供えする家庭も少ないでしょうが、
芋を飾る話はさらに聞かないのではありませんか。ところが、私の子どもの頃
は、芋は、欠かせなかったようでした。
しかし、どうしてお月さまに芋を供えたのか、このことです。おだんごや果物
は、納得できましたが、芋はわかりませんでした。お月さまと芋は、どう考え
ても結びつきません。
これも、じいさまから聞いた話ですが、米が主食になる前は、里芋や山芋が主
食でした。今は、さつま芋掘りは、秋の観光イベントに欠かせないものですが、
その収穫が、ちょうど十五夜の頃でしたから、感謝の気持ちを表しお供えをし
たそうです。お月見は、芋などの畑作の収穫祭でもあったわけですね。それで、
中秋の名月を「芋名月」ともいったのです。
川越は、さつま芋の名産地で、秋には小さな子ども達が、芋掘りにやってきま
す。
盛り付けの鮮やかな和食「芋ご膳」からソフト・クリームまで、美味しいもの
がたくさんありますが、戦後の食糧難の時代に、朝、昼、晩と三食、さつま芋
を食べた世代ですから、見ただけで胸焼けがし、どうしても手が出ません。な
どと言いながら、さつま芋から作った地ビールだけは、飲んでいます(笑)。
妙にこだわりますが、ソフト・クリームは、正しくはsoft ice cream です。
ところで、「栗よりうまい十三里」ともいいますが、この語源、川越に住んで
40数年になるというのに知りませんでした。酒の話が楽しいドイツ文学者、
高橋義孝教授の随筆に、「目からうろこ」の話がありました。正確には「目か
らうろこが落ちる」で、英語では“The scales fall from one’s eyes”だそ
うです。(「故事ことわざ辞典」より)
くりよりうまい十三里、すなわちさつまいもの集散地は埼玉県の川越で、川
越は江戸から十三里へだたっているから、九里と四里とを合わせて十三里、川
越ということになり、その川越の名産物さつまいもは栗よりもうまいというこ
となのである。
(「叱言たわごと独り言」高橋義孝 著 新潮文庫 刊)
叱言、「こごと」と読みます。辞書では「小言」となりますが、文学の世界で
は、正式な表現でなくても、その文学者独自の考え方、表現が許されるからで
す。小言は軽く聞き流せますが、叱言はかなり怖いですね(笑)。
★★なぜ、お月さまにうさぎが…?★★
今の小学生は、笑ってばかにしますが、私の子どもの頃は、宇宙船アポロなど
は、想像外のことでしたから、月にうさぎが住んでいると信じていました、あ
る時期までは。うさぎが跳ねているように、また、杵(きね)を持ち、餅をつ
いているようにも見えました。
うさぎ うさぎ なに見て跳ねる
十五夜お月さん見て 跳ねる
文部省唱歌です、牧歌的で、いいではありませんか。
ところで、私の子どもの頃のおじいさんたちは、本当に話がうまかったのです。
いま聞くと、吹き出したくなるものばかりでしょうが、夢がありました。これ
もその一つなのですが、お月さまにうさぎが住んでいる証拠は、
「満月の晩に見てみ、うさぎが餅をついているように見えるのは、あれは、う
さぎの国の旗、国旗だ。お月さんはうさぎの国だと、宣告しているのだよ」
といったものでした。戦後のことでしたが、戦争は、命を的にした領土の争奪
戦ですから説得力もありました。それで、私が、
「じゃ、おじいちゃん、地球を月のうさぎが見たら、どんな旗に見えるのかな
?」「そりゃ、人間に決まっとるがな」
理屈でなくて、何だかおかしな話でしたが、本当のような気がするのです。う
さぎが住んでいるから「うさぎの旗」、人間が住んでいるから「人間の旗」な
のだそうです。おじいちゃんの頭に浮かぶ人間は、絶対に日本人です。そして、
日の丸の旗を持っているに違いありません。もしかしなくても、旗を持ってい
るのは兵隊さんです。おじいちゃんにとって日本は、神州不滅の国でしたから。
こういったお年寄りとの楽しい会話が、懐かしく思い出されます。昔のお年寄
りは、一家の生活の一部を、きちんと担っていたのではないでしょうか、それ
も、尊敬されて、です……。
うさぎの住んでいる満月を見ながら、すすきやおだんごを飾り、自然に感謝す
る心は、小さい時に、きちんと育んでおきたいものだと思います。これも情操
教育に欠かせない、大切な行事ではないでしょうか。
満月を、星を、しみじみと眺めたことはありますか。お子さんと一緒に、夜空
を探索してみましょう。
澄んだ秋の空には、お子さんと共有できるロマンがあふれています。星座にま
つわる伝説を知る機会になるかもしれません。3つの星が並ぶオリオン座と宵
の明星、金星しか識別できませんから、偉そうなことはいえませんが(笑)。
ところで、外国の人々も、うさぎだと見ているのでしょうか。天の川と同じく、
いろいろな見方があるもので、想像のつかないものもあり、見る位置により、
こんなに違うものかと驚かされました。
中国では、うさぎが薬草を作っているとも、ひきがえるやかにがすんでいる
ともいわれています。ヨーロッパや北アメリカでは、女の人の横顔やロバ、
インドや南アメリカではワニ、中東ではライオン、アフリカではうさぎがひ
っかいた傷に見えるそうです。
(心を育てる 子ども歳時記12ヵ月 監修 橋本裕之 講談社 刊 P83)
やはり、世界中の人々も、こうこうと輝く満月に、いろいろな思いを抱いてい
たのですね。
海外へ出かけたとき、お月さまがどのように見えるか、お子さんと一緒に眺め
てみるのも、いい思い出になるかも知れません。満天の星の主役は、北斗七星
や南十字星、オリオン座などのようですが、お月さまも加えてみてはいかがで
しょうか。手軽に出かけられませんが、南極では、逆さまに見えるそうです。
長男が小学生の頃、「お父さん、どうしてうさぎさんは、いつも同じ格好をし
ているのかな」とかなり大人を困らせる質問をしたものです。話をよく聞いて
みると、常に表だけ見えて、裏側はどうなっているかなんですね。言われてみ
ればその通りで、大人は不思議に思いませんが、そこが探求心の旺盛な子ども
のことですから、困り果てました。友人に星座に詳しいロマンチストがいるの
を思い出し、聞いたところ、「月の自転周期と月が地球の周り回る公転周期が
一致しているから、常に表しか見えない」といわれ、子どもにどう説明したか
思い出せませんが、多分、いい加減な話で煙に巻いたのではないかと思います
(笑)。
皆さんは、どう説明しますか。
最後に、お月さまといえば、文部省唱歌の「月」(詩曲 作者不詳)を、懐かし
く思い出します。
1. 出た 出た 月が まるい まるい まんまるい 盆のような月が
2. 隠れた雲に 黒い 黒い 真っ黒い 墨のような 雲に
3. また出た 月が まるい まるい まんまるい 盆のような月が
といっても、しみじみと眺めた、詩情豊かなといった高尚なものではなく、つ
まらない遊びなのですが、なぜか、思い出すのです。この歌詞を、逆さまから
歌うだけの、ばかげた話ですが、これがおかしくって……。
1.たで たで がきつ いるま いるま いるまんま なうよのんぼ
がきつ
2.たれくか にもく いろく いろく いろっくま なうよのみす にもく
みんなで、なぜだか、ゲラゲラ笑いながら、品悪く歌って、面白がっていたの
です。
「いーるま いーるま いるまんま」とか「いーろく いーろく いろっくま」
と声を張り上げて。
今、歌ってみても、笑っちゃいますね、ばかばかしくて(大笑い)。何しろ、戦
後の何もない時代でしたから、こんなことでも楽しかったんですね。この歌を
聞くと、いつもお腹をすかしていた、あの頃を思い出します。
遅かった梅雨も明け、これからが夏本番。8月に入り梅雨明けは、関東甲信越
地方では13年ぶり。川越も3年前の8月1日に38度を超えましたが、体温
より高いですから、後期高齢者には、きつかったですね。 猛暑もほどほどに
願いたいものです。
(次回は、「秋の七草」などについてお話しましょう)
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