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めぇでるコラム : 2020保護者: 2019年10月
さわやかお受験のススメ<保護者編>第13章 七五三でしょうな(3)
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「めぇでる教育研究所」発行
2020さわやかお受験のススメ<保護者編>
~紀元じぃの子育て春秋~
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-最終回-
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第13章 七五三でしょうな(3)
【11月に読んであげたい本 2 終わりにあたり】
金田正一氏が冥界入り。通算400勝は王氏のホームラン868本の世界記録
とともに、2度と達成できない大記録。初対面の新人長嶋氏は連続4三振、こ
の試合、後楽園で見ていました。まだスピードガンがなかったので推定ですが、
160キロは出ていたのでは。速球とカーブだけ、しかもキャッチャーはノー
サインで捕球。土曜日に完投して勝利、翌日のダブルヘッターで、リリーフで
勝ち星を。今では信じられない怪物でした。巨人に入り、その練習量の多いこ
と健康管理、野球に取り組む姿勢は、王氏のお手本となったことは、当時の野
球フアンにはよく知られていたことでした。(合掌)
本題に入りまして、学生時代に映画で見た記憶があります。迫真の姥捨ての世
界を描いた深沢七郎の「楢山節考」を、木下惠介がメガホンを取ったもので、捨
てられるおばあさん、おりん役を田中絹代、背負っていく息子は高橋貞二とい
っても50年ほど前の話ですから、若い皆さん方には、何のことやらわからな
いかもしれませんが、歌舞伎を見ているような導入部が印象に残った、怖い映
画でした。映画は恐かったのですが、ここでは、殿様を諌める話になっていま
す。
◆うばすて山◆ 吉村 輝夫 著
むかし、ある所に、年を取ったおっかあと息子が暮らしていました。その頃、
年寄は60歳になると山へ捨て、守らないと殺される掟があったのです。おっ
かあが60歳になったとき、山の奥までおぶって行ったのですが、捨てること
は出来ず、山を下り、家の裏に穴を掘って、隠したのです。
ある時、殿様が村の者に、「灰で縄を作ってこい」といってきました。灰は燃え
かすですから、縄などなえません。みんなが困っているのでおっかあに相談す
ると、「わらで縄をきつく縛って、塩水につけてから燃やしてごらん」というの
で、やってみると出来たのです。
すると今度は、「きれいに磨いた丸い棒を出して、どっちが根っこか調べてこい」
というのです。太さも堅さも同じですからわかりません。また、おっかあに相
談すると、「水に入れて、先の沈んだ方が根っこだ」と教わり解決します。
今度は、「玉に糸を通してこい」という。見ると、玉に糸の通る穴があいていま
すが、曲がっているので、糸など通るわけがありません。そこで、おっかあに
聞くと、「小さな蟻を捕まえて糸の先に縛り、穴の口に蜜を塗り、塗っていない
方の穴へ蟻を入れると、蟻は蜜の匂いに誘われ穴の中を進むはずだから、糸を
通せる」というのでした。やってみると、糸は通ったのです。
喜んだ殿様は、「こういった知恵は、どうして生まれたのか」と尋ねます。そこ
で、「60を過ぎたおっかあに教えてもらい、年寄は、何でもよく知っているも
のです」と、震えながら告白したのです。決まりを破っていますから死刑です。
しかし、殿様は感心し、掟を改めたのでした。息子は褒美をもらって家に帰り、
穴蔵からおっかあを出し、仲良く暮らしたのです。
寺村 輝夫のむかし話
日本むかしばなし 4 寺村 輝夫・文/ヒサ クニヒコ・絵
あかね書房 刊
これと、そっくりな話が、チベットにあります。「賢い大臣」です。中国の唐の
時代の話で、皇帝の1人娘をめぐり、7つの国の王子さまが結婚を争うのです
が、その知恵比べとして皇帝から出された問題が、この話に出てくる殿様の難
題と同じでした。灰で縄をなう代わりに、五百頭の親馬と子馬を放ち、それぞ
れ親子に分ける課題になっています。チベットの人は、馬の扱いになれている
からでしょう。その親子の分け方ですが、チベットの賢い大臣は、親馬におい
しい牧草をたっぷりと与え、それから子馬を放します。すると親馬は、子馬に
むかっていななきます。その声を聞いて、子馬は母馬のところへ、一頭も間違
わずに行くのです。後の二題は同じで、見事に解決し、お姫様はチベットへ嫁
ぐ話です。
何度も言いますけれど、こういう話に出会うと嬉しくなります。遠くチベット
から陸を旅し、海を渡り、何百年も時を費やし、日本に伝わってくるのですか
ら、これは大変なことです。このように、昔話が長く語り継がれるのは、時代
が変わっても、共感する心に変わりがないからでしょう。
この話の馬の親子の様子が目に浮かぶ童謡、「おうま」があります。
(1)おうまのおやこは なかよしこよし いつでもいっしょにポックポック
リあるく
(2)おうまのかあさん やさしいかあさん こうまをみながらポックリポッ
クリあるく
最近、知ったのですが、この歌の作曲者、松島彝(つね)は、国府台女子学院
の校歌の作曲者で、暁星学園、東洋英和女学院は、北原白秋、山田耕筰の大御
所コンビ、日出学園は、西条八十、山田耕筰、聖徳大学附属小学校は、サトウ
ハチローの作詞と、私学の校歌も、有名人の手がけたものがあり、うかつにも
見逃していました(苦笑)。
ところで、年寄が増える高齢化社会です。
老後こそ人様に迷惑をかけないで生きたいものです。核家族化が進み、老後の
世話を誰が見てくれるのかと、老人受難の時代と嘆いても、若者からみれば、
これだけ多くなった年寄りの面倒をみるのですから、若者受難の時代だと言わ
ざるを得ないでしょう。頼りは親子の絆ですが、これは小さい時に決まるよう
な気がします。過剰な愛情からは、強い絆は生まれないのではないでしょうか。
アルツハイマーになったら、頼りは連れ合いです。何だか寂しい話ですが、現
代版「姥捨て山」、あちこちで聞かれます。年を取ってからの生き方にこそ、充
実感を持ちたいものだと思います。体の健康も大事ですが、心の健康も大切で
す。生きがいは、自分で作るものです。歳月で培われた知恵があるではないで
すかなどと、いきがることもありませんが(笑)。子どもの成長だけを生きがい
にするのは、子どもにとっても迷惑な話です。ましてや、「老後の面倒を子ども
に」と願うのは、年寄りのエゴではないかと考えます。「幼子に自立心を養え」
などと偉そうなことを言ってきましたが、年寄りこそ健康である限り、自立心
を強く持つべきではないでしょうか。ただし、若い皆様方には、「孝行のしたい
時分に親はなし」とならないようにお願いしておきましょう。
それはさておき、秋も深まってきました。紅葉狩りも、日本の風物詩に欠かせ
ない絶景の一つでしょう。♪秋の夕日に照る山もみじ♪ 童謡「もみじ」の世
界ですが、もみじという木があるわけではなく、カエデ科の木、ナラ、クヌギ
など赤や黄色に色づく落葉樹をもみじといい、「紅葉狩り」は「梨狩り」「きの
こ狩り」「潮干狩り」などと違い、木の枝や葉を取るのではなく、色づいた木の
葉を見て楽しむものです。枝を折る不心得者もいますが、やめてほしいですね。
♪ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 見つけた♪
私の住む川越市の郊外には、こういった秋の気配を楽しめる自然が残っていま
す。一幅の絵になるような、郊外でよく見かける素朴な晩秋の景色です。柿が
たわわに実り、桜の落ち葉からは、ほのかな香りが漂う、そんな雑木林を散歩
できる幸せを、月並みな表現で恥ずかしい限りですが、噛みしめています。毎
年、近くを流れる不老川に鴨の親子がやってきましたが、ここ数年、姿を見せ
ません。今年はどうでしょうか。どういう仕組みになっているのか不思議です
ね。ある年の春のことでしたが、鴨の親子に石を投げている子どもたちがいて
叱りつけましたが、何と女の子でした。愕然としましたね。家庭での教育をし
っかりとやらねばいけないと思うのは、年寄りの愚痴であればいいのですが。
ところで、雑木林を散歩していたときのことですが、ポトンと何か落ちてくる
音がしたので探してみると、かなり大きな丸いどんぐりでした。風が吹くたび
に、ポトン、ポトンと落ちて来るのでびっくりしましたね。その時に思い出し
たのは、「どんぐりころころ」の歌でした。私は、「どんぐりころころ どんぐ
り子」だと思っていたのですが、進学教室の歌姫こと、まいちゃんが、「先生違
うよ。♪どんぐりころころ どんぶりこ♪ですよ」と言って歌ってくれたこと
でした。向田邦子さんもある随筆で、野口雨情の「赤い靴」の歌詞、「異人さん
に連れられて」を「いい爺さんに連れられて」、土井晩翠の「荒城の月」の「め
ぐる盃」を「ねむるさかづき」と覚えていたと読んだことがありますが、誤っ
て覚えてしまうことは結構あるようですね(笑)。
枯葉といえば、私たちの世代では、イブ・モンタン、ジュリエット・グレコの
歌ったシャンソン「枯葉」と、マイルス・デイビスの名演奏を忘れることはで
きません。シャンソンもモダンジャズも、どこかへ消えてしまったようでさみ
しい限りですが、夜中、ひそかにレコード盤へ針を下ろし聴いているファンも
いるのではないでしょうか。私もその一人です。モンタン、グレコの心にしみ
る歌声、デイビスのミュートをきかせたトランペットの音色と小粋なソロ(即興
演奏)も、静かな秋の夜が似合います。月を肴に人肌のかん酒で過ごすひと時、
晩秋は、人生をゆっくりと考えさせる自然の恵みかもしれません。
やはり、日本の四季は、素晴らしいですね。(感謝)
【最終回にあたり】
思い返せば、幼児教育ほど難しく、奥の深いものはないと痛感させられること
ばかりでした。むずかる子どもたちを、巧みにあやしてしまうお母さん方や保
育園、幼稚園、幼児教室の先生方を見るにつけ、「これはかなわない」と何度も
弱気になったものでしたが、その度に心の支えとなったのは、この言葉でした。
心に火を点ける
凡庸な教師はただしゃべる。
少しましな教師は理解させようと説明する。
優れた教師は自らやってみせる。
本当に優れた教師は生徒の心に火を点ける。
ウィリアム・アーサー・ワード (19世紀のイギリスの教育学者)
おこがましくも、教師の代わりに「親」を、生徒の代わりに「子ども」と置き
換えると、「本当に優れた親は子どもの心に火を点ける」となりますが、親を4
0数年やって、「まさにその通りだな」とうなずかざるを得ません。私の好きな
響きのいい言葉に置き換えると、「わが子の心に火をともす」となりますが、こ
れこそ育児の究極の目的、ご両親の仕事ではないでしょうか。
本メールマガジンの情報の基礎となっている「年中行事を『科学』する」(産経
新聞社 刊)の「まえがき」で永田久先生は、「年中行事は民族を象徴する。年
中行事を知ることは民族の歩みを知ることである」と述べています。将来に目
を向けることも大切ですが、私たちの祖先が、どのように歩んできたかを、日
常生活を通して知ることも、意義があると思います。なぜなら、年中行事やむ
かし話には、幼い子どもたちが、楽しく生きるために心の糧となるヒントが、
たくさん詰まっているからです。
思惑通りになったかどうかわかりませんが、お子さんの小さな心に、ささやか
な灯火を点火できればと願い挑戦してみました。若い皆様の育児の参考になれ
ば幸いです。最後まで拙文をお読みいただきまして有難うございました。
お子さんの健やかな成長を、心からお祈りすると共に、素敵なお父さん、お母
さんになっていただきたく、一遍の詩を紹介しましょう。ここ数年、雙葉小学
校の説明会で配布されているものです。「この詩のプリントと入学試験は関係あ
りません」と校長先生はおっしゃっていましたが、私には、とても難しいこと
でしたが……(苦笑)。
★親の祈り★
神さま
もっと よい私にしてください。
子どものいうことを よく聞いてやり
心の疑問に 親切に答え
子どもを よく理解する私にしてください。
理由なく 子どもの心を傷つけることのないように
お助けください。
子どもの失敗を 笑ったり 怒ったりせず
子どもの小さい間違いには目を閉じて
よいところを心から褒めてやり
伸ばしてやることができますように。
大人の判断や習慣で
子どもを しばることのないように
子どもが自分で判断し
自分で正しく行動していけるよう
導く智恵をお与えください。
感情的に叱るのではなく
正しく注意してやれますように。
道理にかなった希望は、できるかぎりかなえてやり
彼らのためにならないことは
やめさせることができますように。
どうぞ 意地悪な気持ちを取り去ってください。
不平を言わないように助けてください。
こちらが間違ったときには
きちんとあやまる勇気を与えてください。
いつも穏やかな広い心を お与えください。
子どもといっしょに成長させてください。
子どもが心から私を尊敬し慕うことができるよう
子どもの愛と信頼にふさわしいものとしてください。
子どもも私も 神さまによって生かされ
愛されることを知り
他の人々の祝福となることができますように。
令和年10月吉日
めぇでる教育研究所 所長 藤本 紀元
お断り
本文中に紹介しました作家名を、現役の男性には氏、亡くなられた方は敬称を
略しました。女性には、清少納言を除き全てさんをつけましたが、呼び捨てす
る勇気がなかったからです(笑)。
さわやかお受験のススメ<保護者編>第13章 七五三でしょうな 霜月(2)
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「めぇでる教育研究所」発行
2020さわやかお受験のススメ<保護者編>
~紀元じぃの子育て春秋~
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第48号-
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第13章 七五三ですね 霜月(2)
9月13日(金)の十五夜の満月をご覧になった方、10月11日(金)の十
三夜も見ておきたいものです。「両方見ないと縁起が悪い」と言われていたそう
ですが、これは江戸時代の遊里、吉原の客寄せのキャッチフレーズで、「両日と
もいらっしゃい!」が狙いだったとか。考えたものですね(笑)。
「箱根、仙石原のすすきが見頃」とネットに出ていましたが、お子さんに、満
月とすすき、日本の秋の風物詩を肌で感じさせたいものです。
★★むかし話と伝説の違い★★
孫引きで気が引けるのですが、「昔話と伝説」について、わかりやすい解説があ
りますので、紹介しましょう。
昔話と伝説には区分がある。
「昔、昔、あるところにお爺さんとお婆さんがいました」と始まるのは昔話の
ほうである。いつ、どこで、だれが……を特定していない。いつでも、どこで
も、だれでもかまわない。
そこへ行くと伝説のほうは、
「伊吹山と浅井岳は古くから高さを競い合っていたが、あるとき浅井岳が一
夜にして背を高くした。伊吹山の神タダミヒコはおおいに怒って浅井岳の神ア
サイヒメの首を斬った。首は琵琶湖に落ちて島となり、これが竹生島である」
といったぐあいに、まことしやかである。いつ、どこで、だれが、といった事
情がそれなりにはっきりとしている。とりわけ土地との結びつきが深い。どこ
で起きたことなのか具体的に記されている。
柳田國男 (1875-1962)の言葉を借りれば、
「伝説と昔話とはどう違うか。それに答えるならば、昔話は動物のごとく、伝
説は植物のようなものであります。昔話は方々をとび歩くから、どこに行って
も同じ姿を見かけることができますが、伝説はある一つの土地に根を生やして
いて、そうして常に成長してゆくのであります。雀や頬白(ほおじろ)はみな
同じ顔をしていますが、梅や椿は一本一本に枝ぶりが変わっているので見覚え
があります」(「日本の伝説」はしがき)
とあって、このたとえ話はわかりやすい。
伝説は土地との関わりにおいていろいろな枝葉をつけ、人々の願望を反映し
て成長していく。昔話はどこにでも移っていく。同じような話があちこちにあ
る。多少姿がちがっても「同じものだな」と見当がつく
(集英社文庫 「ものがたり風土記」P23 阿刀田 高 著 集英社 刊)
「さすが、柳田國男先生」などとおこがましい限りですが、「昔話は動物のごと
く、伝説は植物のようなものであります」の一言ですね。桜の名所を訪ねるの
も訳ありなのです。雀やほおじろ、どこにでも顔を出しているので、素直に納
得しています。
【十一月に読んであげたい本 (1)】
七五三は、親が子どもの健やかな成長を祈る日です。しかし、かけ過ぎる愛情
は、子どもの成長を妨げがちです。七五三は、親の子どもに対する愛情チェッ
クの節目ではないかと思います。子を思う親の素朴な愛情を描いた昔話は、心
があたたまります。
蛇というと、嫌われものの代名詞のようで、昔話でも悪役が多いのですが、こ
の話は違います。もともと蛇は、水の霊、水の神さまのお使いと信じられてい
ました。この話は、自然の恐ろしさと、お母さんの子を思う姿を伝えた話です
が、嫌われがちな蛇だからこそ、説得力があります。親子の愛情、特に母親の
見返りを求めない無償のほほ笑み的な子を思う心は、理屈を越えた素晴らしい
ものです。
しかし、今では、この親子の絆が壊れかけているような気がしてなりません。
ほとんどの場合、親に責任ありと考えます。「あなたのために、お母さんは…
…!」という言葉は、子どもにとって釈然としないものがあるのではないでし
ょうか。育児は、皆さんのご両親がそうであったように無償です。エゴ丸出し
のうとましい母性愛は、子ども達にも迷惑で、やがて嫌われるものではないで
しょうか。気持ちはわかるのですが……。
愛には、報われることを目標とするエロス的愛と、与えるだけで全くお返し
を期待しないアガペー的愛があることは言われているが、親でありながら、エ
ロス的愛しか持たぬものがけっこう多いのである。
(完本 戒老録 自らの救いのために P86 曽野綾子 著 祥伝社 刊)
「アガペーとエロス」、学生時代にキリスト教倫理学で習った記憶がありますが、
この年になってお目にかかるとは思いませんでした(笑)。
曽野さんは聖心女子大学出身の才媛で、キリスト教倫理に基づく数々の小説や
歯に衣を着せぬ評論で知られていますが、アフリカなどでのボランティア活動
を知れば、さもありなんと納得せざるを得ません。近著の「人間にとって成熟
とは何か」(幻冬舎 刊)は、50代に出会いたかった本の一冊で、悔しい限り
です。(残念)
現在、聖心女子学院には昭和46年に廃止したため幼稚園はありませんが、入
園した曽野さんは何かの随筆に、「私の時は、名前と年を聞かれただけでした」
と書かれていました。今、幼稚園があれば、とてもじゃありませんが、「名前と
年」だけでは済まないでしょう。学院は4・4・4制に移行し、中学受験はなく
なりました。
◆へびのよめさま◆ 丸山 邦子 著
むかし、あるところに、一人のお百姓さんが住んでいました。
ある時、子どもたちがいじめていた蛇を助けてあげると、その晩、美しい女
性が、一晩泊めてほしいと訪ねてきました。次の日、お百姓さんが仕事を終え
て帰ってくると、その美しい女性が食事の支度をしていたのです。そうこうし
ている内に夫婦になり、子どもができ、お産の時は見てはいけないと言われま
したが、心配のあまりのぞいたのです。すると、部屋の中には大きな蛇がいて、
とぐろの上に赤ん坊を乗せ、なめていたのです。
やがて、赤ん坊を抱いて出て来て、
「私は、助けてもらった蛇で恩返しに嫁になりましたが、姿を見られては、と
どまることは出来ません」と言い、赤ん坊が泣いたら、しゃぶらせてほしいと
美しい玉を渡すと、沼に姿を消したのです。赤ん坊は、玉をしゃぶり、健やか
に育ちました。
ところが、話を聞いた殿様は玉が欲しくなり、家来に言いつけて、取り上げ
てしまったのです。腹を空かせた赤ん坊は、泣きやみません。途方に暮れたお
百姓さんは、沼の淵で、ことの次第を話しました。すると、大きな蛇が、口に
玉をくわえて現れたのです。一つの目から血が流れ、もう一つの目は、ふさが
っていました。美しい玉は、蛇の片目だったのです。取られたのなら仕方ない
と、もう片方の目玉をくれたのでした。
しかし、この玉も殿様に奪われてしまうのです。
お百姓さんが、このことを告げると、蛇は怒り、
「子どもを連れて山へ逃げてください!」
と言ったので、お百姓さんは、子どもを背負って駆け出しました。頂上に着い
たとき、沼の水が盛り上がり、城に向かって流れ出したのです。恐ろしい力で
向かってくる水の力に、城は、ひとたまりもありません。みんな流されたその
後は、湖になってしまったのでした。
九月のはなし きのこのばけもの 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
日本民話の会・編 国土社 刊
日常生活を快適に過ごすために、やってはいけないことを定め、それを破ると
破局を招く発想は、先に紹介しました「古事記」の上巻に、豊玉姫(トヨタマ
ヒメ)の出産をのぞいたことで離別する神話があります。姫の正体はふかでし
たが、その他にも、機を織る仕事場をのぞいてしまった「鶴の恩返し」や、魚や
貝が恩返しをする話などでよく知られています。「見ないでください」といわれ
ると見たくなるのは、「怖いもの見たさ」と同様、人間の悪しき性(さが)のよ
うですね。
これとよく似た話があります。
両目を失った蛇から、「私は盲目となってしまい、わが子の姿を見ることができ
なくなりました。三井寺の鐘を毎日ついて、子どもの無事を知らせてください。
年の暮れには、1年過ぎたことがわかるように、多くの鐘を撞いてください。
お返しに人々に幸運を授けましょう」という滋賀県の伝説「三井寺の晩鐘」で
す。以来、三井寺では、除夜の鐘に際し、多くの燈明を献じ、目玉餅を供え、
108に限らず、できるだけ多くの人に、できるだけ多く鐘を撞いてもらう特
別の儀式が行われています。(www.shiga-miidera.or.jpより)
余談になりますが、晩鐘というとジャン=フランソワ・ミレーの馬鈴薯畑で働
く農夫が、教会から流れる夕方のアンジェラスの鐘に合わせて祈りを捧げる名
画「晩鐘」があり、小学校6年生の頃、図工の先生が画集を持ってきては絵の
解説をしてくれたことを思い出します。「落ち穂拾い」「羊飼いの少女」と共に
忘れられない作品となりましたが、先生から「馬鈴薯はジャガ芋」、「アンジェ
ラスはラテン語でエンジェル」と教わり、言葉の響きが新鮮で今でも覚えてい
ます。おそらく、自分で解説書を読んだだけでは、このような印象を受けなか
ったのではないかと思います。そういったことからも音読は、非常に大切では
ないかと考え、小学生の子ども達に薦めています。井沢元彦氏の「言霊(こと
だま)の国・解体新書」(小学館文庫 刊)ではありませんが、言葉にも生命が
あるような気がしますね。万葉集をはじめ古今集などの歌集が今でも読まれて
いるのも、言霊が脈々と生き続けいる証(あかし)ではないでしょうか。
ところで、最近、落語を聞く機会がほとんどなくなりましたが、「寿限無(じゅ
げむ)」という噺があります。子どもがけんかをして、寿限無にぶたれた子が、
こぶを寿限無の親に見せるのですが、名前があまりにも長いために、文句をい
っているうちに、こぶがへこんでしまった噺です。名前の長さは、この話に出
てくる名前の五倍ほどあり、それをきちんと覚えている噺家さんは、すごい記
憶力だなと、子ども心にも感心させられたものです。
YouTubeで若き日の故立川談志師匠の「寿限無」を聞くことができます。
気持ちはわかるのですが、親の愛情が行き過ぎると、妙な具合になる話です。
名前は、一生の付き合いですから、あまりこったものでは、本人が大変です。
そういえば、「悪魔」という名前を、役所で受け付けなかった話がありましたね。
◆長い名まえ◆ 浜田 廣介 著
むかし、ある村外れに、「やぶん中」と呼ばれる家がありましたが、どうしたわ
けか、子どもが無事に育たず、3、4歳になると、あの世に行ってしまうので
す。ある年に、男の子が生まれ、心配したおじいさんは、長生きできるように、
長い名前をつけることにし、和尚さんにお願いしたのです。
つけた名前は、「一丁ぎりの丁ぎりの、丁丁ぎりの丁ぎりの、あの山こえて谷こ
えて、ちゃんばちゃく助、なんみょう長助」でした。これで、長生きできると、
おじいさんは安心して帰るのです。
ある日のこと、長助は川へ菖蒲をとりにいき、丸太の橋を渡ったときに、足を
滑らせ落ちてしまったのでした。友達は、おじいさんに知らせました。
「やぶん中のおじちゃん、大変だぁ。おじいちゃんちの、一丁ぎりの丁ぎりの、
丁丁ぎりの丁ぎりの、あの山こえて谷こえて、ちゃんばちゃく助、なんみょう
長助ちゃんが、落っこちたぁ、落っこちちゃったぁ、川ん中へ!」
声を聞いて、出てきたおじいちゃんは、
「おおい、子どもしゅう。一丁ぎりの丁ぎりの、丁丁ぎりの丁ぎりの、あの山こ
えて谷こえて、ちゃんばちゃく助、なんみょう長助が、どうしたって。どうし
たぁ?」
「川ん中へ落っこちたぁ!」
「そいつは、たいへん」
おじいさんは飛び出していき、近所の人も駆けつけ、間一髪のところで助かっ
たのでした。
世界民話の旅 9
日本の民話 浜田 廣介 著 さ・え・ら書房 刊
「長い名前で助かった」と思いたいのが人情ですね。原作では、井戸に落ちて
死んでしまうことになっているそうです。再話で命を救ったのは、作者、浜田
廣介の愛情ではないでしょうか。
私事でなんですが、名前を「紀元」(きげん)といいます。誕生日は昭和15年
2月11日で、今でいう「建国記念の日」でした。二月にお話しましたが、当時
は「紀元節」といい、日本の誕生した日を、日本書紀に記されている神武天皇が
即位されたといわれる年(西暦紀元前660年)を皇紀元年として、明治5年(1
872)に定めた祝日だったのです。しかも、昭和15年(1940)は、皇
紀二千六百年にあたり、時あたかも太平洋戦争の前の年でもあり、戦意高揚の
ためか、皇室礼賛のためかわかりませんが、「紀元二千六百年、ああ一億の胸が
なる!」と歌を歌い、提灯行列をし、全国的にお祝いをしたそうです。「紀元二
千六百年の二月十一日生まれで名前は紀元」ですから、畏れ多い名前であった
わけで、戦争に勝っていたら、名前負けをした非国民といわれたかもしれませ
ん。しかし、命名されても、名前負けをしない立派なものもあります。世界自
然遺産に登録され、椋鳩十の「片耳の大鹿」の舞台である屋久島にある杉の巨
木、推定樹齢3千年の「紀元杉」です。いつの日か訪ね、同名のよしみとしてご
対面したいものです。ちなみに縄文杉の推定樹齢は7千2百年で、世界最古の
植物といわれていますが、あくまでも推定で、本当のことはわからないようで
す。
ところで、世界の名機と言われたゼロ式艦上戦闘機「ゼロ戦」は紀元2600
年に開発され、年号の末尾のゼロを使い命名したそうで、宮崎駿監督最後の作
品「風立ちぬ」が上映されましたから、若い皆さん方にもおなじみになったの
ではないでしょうか。
ゼロ戦と聞くと特別攻撃隊、「特攻」のことを思い出します。私は国のために命
を捧げた純真な心には畏敬の念を抱いています。しかし、あまりにも人命を無
視した唾棄すべき史上最低の作戦であるため、涙なくして読めませんから読み
たくないのですが、250万部も売れていると聞き、百田尚樹氏の「永遠のゼロ」
を読み、これは若い人達に読んでもらいたいと思いました。小説にも絶対に謝
らない日本の為政者、職業軍人の幹部、高級官僚、マスコミに怒りをぶちまけ
ていますが、読み終わり感じたことは、「少しも変わっていないな」ということ
でした。先の大戦で300万人(戦場で230万人、原爆や空爆で70万人)の
命を失ったにもかかわらず、何もやってこなかった自分を棚に上げて何ですが、
むなしくなりましたね。(合掌)
最後に、今は秋祭りの最中ではないでしょうか。
ここ川越市でも、19(土)、20日(日)は、「川越まつり」でにぎわいます。大
江戸天下祭りを今に伝える歴史ある祭りで、十数台の山車(だし)が、蔵造り
の街に姿を表し、にぎやかなお囃子と愉快な踊りが見所です。出会った山車同
士が、互いに向き合い、独自の囃子と踊りを競う「曳(ひ)っかわせ」は、祭
りの醍醐味で、一見の価値があります。パソコンで「川越まつり」を検索する
と、その様子を見ることができます。ユネスコ無形文化遺産に登録され、今年
も一層の盛り上がりを見せるのではないでしょうか。
ところで、昨年のノーベル賞、本庶教授が医学生理学賞の受賞者に選ばれまし
たが、今年はどうでしょうか。メルマガが配信された頃にはわかるようです。
以前、お話しましたが、母国語、日本語で自然科学など殆どの分野を学べるの
は、奇跡に近いことです。それを支えているのが、漢字仮名交り文です。日本
語をしっかりと学ぶことが、いかに大切であるか、きちんと子ども達に教えた
いものです。他のアジアの国の人々は、英語などで書かれた本を読むことにな
り、外国語をマスターしなければ、専門書は読めないことになっているようで
す。
(次回は、「11月に読んであげたい本(2)と最終回にあたり」についてお
話ししましょう)
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