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めぇでるコラム : 2019保護者: 2018年6月
さわやかお受験のススメ<保護者編>第9章(3)七夕祭りでしょう 文月
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「めぇでる教育研究所」発行
2019さわやかお受験のススメ<保護者編>
~紀元じぃの子育て春秋~
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第34号-
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第9章(3) 七夕祭りでしょう 文 月
★★お盆って何の日、ご冗談を★★
人間は死ぬと仏様になり、その仏様をお迎えする行事をお盆だと思っていまし
たが、少し違うようでした。「盆と正月が一緒に来たような忙しさ」といいますが、
これは1年を半期ずつに分けた前期の始まりが正月で、後期の始まりがお盆だ
から、こういう使い方をするのです。
正月に、日頃お世話になった人々のところへ感謝と新たな年を迎えるにあた
っての抱負を胸に、年始まわりするのと同じように、盆には健在な親、仲人、
師などの親方筋を訪問し、心のこもった贈り物をする、盆礼という習慣があ
った。(中略)盆は満月の日、7月15日である。それが仏教の説く盂蘭盆会
(うらぼんえ)と一致し、仏教国家として次第に民衆の間に浸透し、(中略)
盆は7月15日の中元に吸収され、「盆と正月」は「盆暮」と姿を変えたのであ
る。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社刊 P149)
日本に伝えられた盂蘭盆会は、推古天皇14年 (606)に初めて催され、聖武天
皇天平5年 (733)より、年中行事になったそうです。「盆と正月」が「盆暮」と言葉
を変えたのは、1年を半期ずつに分けた前期の終わりを盆、後期の終わりを暮
というようになったからです。それで盆は中元を、暮は歳末を意味するようになり、
盆にはお中元を、暮にはお歳暮を、お世話になっている人に感謝の気持ちを
こめて、贈り物をするようになったのです。
「お年玉」と同様、「お盆玉」があるんですね。昨年4月に亡くなられた渡部昇一
先生は山形の出身で、ある随筆に「発祥の地は山形、江戸時代からある」と読
んだ記憶があります。今年も孫にやろうと思っていますが、家内からは「甘いん
だから!」とからかわれています(笑)。
★★お盆の風物詩★★
お盆には、7月15日を中心に祖先の霊を迎えて送る行事、精霊祭(しょうりょう
まつり)があります。
13日に迎え火をたきますが、これは仏様が、おがら(あさの皮をはぎ取った茎
のこと)を折って、たいた煙に乗り、盆灯篭(ぼんどうろう)の明かりを頼りに家に
帰ってくるからだそうです。おがらの足をつけたきゅうりの馬となすの牛を内向き
に並べて飾るのは、仏様は、馬に乗り、荷物を牛に背負わせて帰ってくるとい
われているからです。迷子にならないように、きちんとお迎えをする意味でしょう。
私のように、そそっかしい仏様もいるはずですから。
仏様を祭る棚を盆棚(精霊棚)といって、そこに真菰(まこも)を敷き、ほおずき、
ききょう、おみなえし、はぎ、山ゆりなどの秋の花を飾ります。こうして久しぶりに
帰ってきた仏様は、真菰にお座りになり、それを家族みんなで慰めるということ
でしょう。お供えは、畑でとれたものや、仏様が生きていたときに好きだった食
べ物も供えます。私でしたら「越乃寒梅」(幻の銘酒といわれた新潟の酒)を1合
だけ、お願いしたいものです。
そして、懐かしい自分の家で過ごした仏様は、7月16日には、お帰りになります。
これが送り火で、きゅうりの馬となすの牛は、今度は外向きに並べて、送り出す
ことになりますが、これも間違いなく彼岸の方へ帰ってもらうためでしょう。
広島の灯篭流しのように、送り火を小さな船に乗せて、お供え物と一緒に、川
へ流すこともあります。また、地方によっては、美しく飾られた精霊船に、仏様に
供えたものを乗せて、灯火をつけ、経文や屋号を書いたのぼりを立てるところも
あります。
送り火で有名なのが、京都の「大文字焼き」で、8月16日に行われていますが、
これは8月15日を旧盆として祭る風習が、残っているからです。7月の京都は、
まだ梅雨明け前です。しとしと降る梅雨空に、大文字焼きは映りがよくありませ
ん。やはり、しっかりと暑い8月だからこそ、風情があります。何やら風鈴の涼し
げな音と、蚊取り線香の匂い漂ってくる、そんな感じがしませんか。
ところで、澤田ふじ子さんの「公事宿事件書留帳シリーズ」は22巻になりました
が、その3巻目に、なぜ、大文字焼きは、大、左大文字、妙、法、舟形、鳥居か
らなっているか、その理由について、わかりやすい話が載っていましたので紹
介しましょう。
大文字と左大文字は、大乗仏教と小乗仏教をかたどり、妙と法は法華経
信仰に基づくもの、船形は七福神が船に乗って表されることから七福神、
または異国から到来した雑信仰を意味し、鳥居は申すまでもなく神道を
かたどったと考えたらいかがでござろう。
足利将軍義政公の頃、わが国は応仁の乱によって多くの人命が失われ申
した。京は死の町となった中から復興をとげました。それぞれ違った信
仰を持つ人々が集い、合議の末、かような行事を興したのではないかと、
私は考えております。
(公事宿事件書留帳 三 拷問蔵 澤田ふじ子 著 幻冬舎 刊 P300)
平岩弓枝さんは江戸の「御宿かわせみ」(34巻 新シリーズ“7巻”)で、澤田さ
んは京都の公事宿「鯉宿」で、悪を懲らす時代小説(22巻)を書かれています
が、内容はいずれも、現代社会の悪行を暴いたものです。「罪を犯した厚顔無
恥な為政者は、さらし者にすべきだ」という澤田さんの憤りは、庶民の怒りであり、
読み始めると止まらなくなる事件書留帳です。茶道、立花、陶器、謡曲、日本
画、作庭など、京都文化に興味のある方必読の作品が、たくさん出版されてい
ます。蛇足ながら、11巻から始まった文芸評論家、縄田一男氏の解説が何とも
素晴らしく、毎回楽しみにしていたのですが、22巻でシリーズは終了。娘さん
の澤田瞳子さんが後を継ぐそうですが、残念ですね。しかし、「狐鷹の天(上
下) 徳間文庫 刊」を読み、十分に期待できそうでホッとしました。期待してい
ます!
本題に戻りまして、まだ、あります。盆踊りです。
これも、仏様を迎え、慰め、そして来年も間違いなく来てくださいと、送るために
捧げられたもので、中央のやぐらのまわりを輪になり、鉦(しょう)と太鼓と笛に合
わせて踊ったのです。今では、地域のコミュニケーションの場となり、夏に欠か
せないイベントの1つになっていますが、親子で「ドラえもん音頭」に合わせて
踊られてはいかがでしょうか。
余談になりますが、男子だけの立教小学校の入学試験に踊りを取り入れていま
す。照れ屋で、はにかみ屋で、小心で、用心深い男の子を躍らせるのは難しい
ことですが、お父さんが一緒に踊ってあげれば踊ります。盆踊りは絶好のチャ
ンス、受験を考えているお父さん、頑張ってください!
「やっとさー!」の掛け声も楽しい徳島の阿波踊りは、ものすごい迫力
で、夏の風物詩に欠かせません。東京の山の手、高円寺の阿波踊り、今では
すっかり定着して名物になっていますが、何だかおかしな気がしないでもありま
せん。しかし、下町の浅草では、ブラジル生まれのサンバ大会をやっています
から、おかしくないのでしょう。このサンバですが、みなさん上手です。「タンタン
ターン、タタンタターン♪」のリズムを完全にこなし、お見事の一言です。それも、
かなりの年配の方が、きちんとリズムをこなしています。しかも、実に楽しそうで
す。年配の方は、頭に手拍子、アクセントのある民謡でなければ、踊れないと思
っていましたが、認識を改めなくては怒られますね。本場のブラジルから応援
にきている女性軍団の踊り、リオのカーニバルのものすごさを想像させてくれま
す。
雷門から見つめる風神と雷神、仲見世を約300メートル行ったところにある宝
蔵門にどっしりと構えた仁王の目には、どのように映っているでしょうか。仁王の
お守りする御本尊は、宝蔵門の手前の浅草寺幼稚園の側にある「浅草寺縁
起」の絵で見ただけですが、小さな、小さな、何とも美しい観音様だからです。
この観音様は、信仰上の理由から普段、人には見せない秘仏ですが、長い間、
「実際に見た人はいないのではないか」といった話を小林秀雄と松本清張の対
談で読んだものと思っていました。ところが、今読んでいる梅原猛氏の影響を
受け、日本の神道と仏教の関係を調べようと、五木寛之氏の「百寺巡礼」(全10
巻 講談社 刊)を読み直していたところ、何と5巻目の「関東・信州編」の「41
番 浅草寺」に、この観音様の話が出ているではありませんか。明治に入り廃仏
毀釈の機運が高まった明治2年、役人が天皇の命令、勅命により厨子を強引
に開けさせたそうです。
すると、予想に反して、そこには確かにご本尊が祀られていたのでおそれい
った役人は、大切にせよと命じて、あわてて立ち去ったそうだ。これは松本
清張と樋口清之の共著「東京の旅」に書かれた一節だが、この話には続きが
ある。その時、手早い役人のひとりが、秘かに本尊をスケッチしてしまった
のである。このスケッチは昭和に入ってから遺族の手で寺に返され、今は浅
草寺が所蔵しているらしい。そのスケッチを見た人の話、というのが記され
ていた。焼けた跡がうかがえる高さ20センチほどの観音像で、両手が失われ
ていた。しかし、その意匠から、奈良時代頃の像であることは違いないという。
(百寺巡礼 第5巻 関東・信州編 P20 五木寛之 著 講談社 刊)
五木氏も「秘仏が実在した記事を読み、ホッとしたような、がっかりしたような、妙
な気持ちだった」と書かれていますが、両手足が失われていたと知り、おいたわ
しい気持ちに落ち込み、浅草寺幼稚園のすぐそばにある「浅草寺縁起」の絵で
見たお姿を思い浮かべ、世の中、知らずに済めば、それに越したことはないも
のがあることを体験してしまいました。10月の神無月に紹介しますが、自説の
誤りに気づき出雲大社に出かけ、大国主命(おおくにぬしのみこと)に詫びた
梅原猛氏の謙虚な姿勢には頭が下がりました。スケールは大違いで恥ずかし
いのですが、私も真似て「小林秀雄と松本清張」ではなく、「松本清張と樋口清
之」の間違いであったことをお詫びいたします。何しろ、10年近く、自慢げに嘘
を書いていたのですから。(反省)
ところで、浅草寺には2つの大きな提灯があり、浅草のシンボルとして親しまれ
ています。入口の雷門には、「雷門」と書かれた提灯があり、高さ3.9メートル、
直径3.3メートル、重さ約700キロもあるもので、1865年に火災で焼失したも
のを、1960年に松下電器創業者の故松下幸之助の寄贈で95年ぶりに再現さ
れたものです。現在の提灯は6代目で、約10年ごとに新調されているそうで
す。
宝蔵門には「小舟町」と書かれ提灯があり、約4メートル、重さ260キロで、今か
ら300年ほど前に、日本橋の小舟町魚問屋の信徒が、江戸っ子の心意気を示
そうと、日本一大きな提灯を寄進したことから始まり、浅草寺の伝統として受け
継がれています。
ちなみに、浅草寺は正式には金龍山浅草寺といい、都内最古の寺院で、年間
約3千万人の参詣者が訪れます。民間信仰の中心地としてにぎわい、最近は、
外国人の姿も多くなっているようです。
余談になりますが、浅草寺のおみくじ、裏側は英語で書いてありますね。これだ
け多くの外人観光客が訪ねてくるのですから、浅草寺だけではないでしょうが、
知りませんでした。引いたおみくじは、ラッキーにも大吉で、“BEST
FOUTUNE”と書いてありました。
少し脱線します。
観音様は、あのお顔といい、なまめかしいお姿といい、仏様に性別があると申し
上げるのも不謹慎なことですが、恥ずかしながら女性の仏様だと思っていたの
です。バカですね、笑ってください。先日、千葉県市川市にある国府台女子学
院に安置されている慈母観音様を拝見する機会に恵まれ、そのお姿が何とも
素晴らしく、後期高齢者の私は、はしなくも、しばらく見とれてしまいました
(笑)。
本学院の「慈母観音」は女子校に飾られるということで、ご尊顔も一見笑み
を浮かべた女性のようで、おからだも柔らかく表現されているが、芳崖の「悲
母観音」のお顔に顎鬚が描かれているように、観音様は基本的には男性(正確
には性別を超越した存在)である。本学院の慈母観音像も胸元のあらわな装束
をお召しだが、これもこの理由だからである。誤解無きように。(笑)
学院長 平田 史朗 (「国府台女子学院 広報 第157号」より)
筆者注 顎鬚(あごひげ)
芳崖 狩野芳崖のことで、幕末から明治期に活躍した日本画家で
近代日本画の父。
慈母観音の作者、横江嘉純は、重要文化財に指定されている芳崖の「悲母観
音」を手本にしたそうですが、片手に水瓶(みずがめ)を提げ童子を慈しむお姿
は、女子校にぴったりの雰囲気をかもし出していました。氏は、アガベの像(東
京駅前)、愛の像(青山学院大学間島記念館)、祈りの像(広島平和記念公園)
などの作品で著名な彫刻家です。女子校の、しかも中高の校舎の正面玄関か
ら入った右側にある図書室の前に安置されていますから、残念ながら、いつで
も、気軽に、ご尊顔を拝することはできません(笑)。ところが、新装なった学園
の講堂、寿光殿は、中高の校舎内にあり、説明会はここで行われていますから、
参加するとお会いできることになったのです。「彦星と織姫と同じではないです
か!」と不謹慎にもつぶやき、希望を抱き、今年も明日、ご対面してきます。(感
謝)
★★お神輿と山車の違い★★
浅草といえば「三社祭」、浅草寺の境内は、神輿(みこし)を担ぐ人で、ごった返
します。威勢よく担ぐ神輿は、上下左右に激しくゆれ、よくぞ怪我人が出ないも
のだと心配になるほど殺気だち、恐いほどです。
この神輿のいわれですが、時代劇でよく見かけるように、昔、身分の高い人は、
輿(こし)といわれた台に乗り出かけていました。神輿は、つまり、「神の輿」であ
って、神様の乗り物なのです。そして、お乗りになっている神様は、激しくゆさ
ぶられるのが大好きで、激しければ激しいほどご機嫌になるといわれ、そのた
めに、元気よく担ぐのだそうです。
山車は、祇園祭などでお馴染みですが、四月の桜の時に紹介しましたように、
神様は、冬になると山に帰り、春になると下りてくると信じられていました。
お祭りには、神様が必要ですから、来ていただくために、お迎えするための
乗り物が必要だったわけです。そのため、祭りには移動式の山が作られたの
です。これさえあれば、祭りに神さまを招くことができると考えられていました。
その後、形が変わり「山車(だし)」になっても、山の字が残ったのです。
(心を育てる 子ども歳時記 12か月 監修 橋本裕之 講談社 刊 P66)
ところで、神様にも悪い神様がいたそうです。
夏祭りの神様は悪い神様で、病気や飢饉などを起こさないように、神輿を激しく
揺さぶり、ご機嫌を取って、山に帰ってもらい、災いを未然に防ぐ、昔の人の知
恵だったのです。日本の三大祭といえば、東京の神田祭、大阪の天神祭、コン
チキチンコンチキチンのお囃子でおなじみの京都の祇園祭ですが、祇園祭の
主役である牛頭(ごず)大王は、地獄にいるという牛頭人身の獄卒で、有名な
悪い神様だそうです。
★★なぜ、土用の丑の日に、うなぎを食べるのですか★★
「土用」というのは、何も夏だけではありません。「節分」と一緒で年に4回ありま
す。前にもお話ししましたが、立春、立夏、立秋、立冬は、それぞれの季節の始
まりです。そして、それぞれの前の18日間を「土用」といい、その最初の日を
「土用の入り」といいます。土用は、四季、それぞれにあるのですが、なぜか夏
の土用だけが有名です。しかし、なぜ「丑の日」というのでしょうか。それは、そ
れぞれの日にちには、正月で取り上げた「十二支」の動物の名前がついている
からです。それで、夏の土用の内にやってくる丑の日のことを「土用の丑の日」
といいます。
ご存知のように、この日は夏ばてしないように、良質のたんぱく質、脂肪、ビタミ
ン、カルシュウム、鉄、亜鉛、DHA、ミネラル類などを含む、栄養のバランスの
すぐれたうなぎを食べる習慣がありますが、何とその歴史は古く、何しろ「万葉
集」の大伴家持の歌に、「夏バテに効果がある」と詠われています。読んでいる
と、思わず食べたくなる池波正太郎の食べ物に関するエッセーに、こういった
話があります。
かの万葉集に、
…石麻呂にわれ物申す夏痩せによしといふものぞ鰻(むなぎ)捕り食(め)せ…
という一首がある。大伴家持の歌だ。そのころから、すでに、うなぎの豊かな
滋養が知られていたことになる。この歌でうなぎのことをムナギといっているのは、
うなぎの胸のあたりの淡黄色からついた名で、それが転じてうなぎとよばれるよう
になったのだそうな。
奈良時代から、この日は、うなぎにとって、まさに受難の日であったわけです。
しかし、なぜ「土用の丑の日」に、うなぎなのでしょうか。丑の日ですから、ステ
ーキとか焼肉という感じがしますが、江戸時代ですから、まだ、牛肉は無理でし
ょう。事の起こりは、江戸時代の学者、平賀源内が、うなぎ屋の宣伝をしたのが
始まりといわれ、そのコピーは、「土用の丑の日はうなぎの日」だったそうです。
源内は、起電気であるエレキテルを完成させたことで知られていますが、その
他、本草学者(薬用に重点をおいて、植物や自然物を研究した中国古来の学
問)、劇作家、発明家、科学者、陶芸家、画家、工学者として一流でしたから驚
きです。非常に多才な方で、まさに江戸のレオナルド・ダ・ヴィンチ的な存在で
あったわけです。源内のパトロンが、時の老中、田沼意次です。
私事で何ですが、池波正太郎の愛読者の一人で、「鬼平犯科帳」「剣客商売」
「仕掛人梅安」 など、何回読み返しても飽きません。この「剣客商売」の主人公、
秋山小兵衛の息、大治郎のお嫁さんが、田沼意次の実の娘、佐々木三冬です。
正妻の子でなかったために、佐々木家の養女となって登場しますが、女剣士、
妻、母親と変貌していく中で、物語に欠くことのできない重要な役目を果たして
います。意次は世評とは逆に、まつりごとに忙殺される政治家として描かれてい
ます。秋山小兵衛は、藤田まことの当たり役で、明治座で見たことがあり、歌が
うまいのにはびっくりしましたが、冥界に旅立ち、二度と見ることができなくなりま
した。
NHK大河ドラマ「真田丸」好評でしたが、氏にも「真田太平記」(新潮文庫12巻)
があり、言うまでもありませんが、傑作です。
ところで、江戸時代は4本足の獣を食べなかったのですが、「うさぎは、ぴょん、
ぴょん飛ぶから、あれは鳥だ!」といって食べていたのです。ですから、うさぎ
は1羽、2羽と数え、それが今も残っているのですが、子どもたちには、よく理解
できない数え方になっています。哺乳類を食べることを禁じていた仏教の影響
でしょうが、とんだところで、子どもたちを悩ませているようです。
この数詞ですが、日本語は難しいですね。1本、2本、3本、1匹、2匹、3匹とふ
えるに従い読み方が違い、4本、4匹以下が、また違いますし、花にしても、1本、
1輪、1束、1鉢、1株などと分けて使っていますから、外国の方には、魔法のよ
うに思えるようです。それだけ、物に関する感性が、繊細だということですね。
7月は、紀貫之の三十一文字で始まりましたから、最後は、俵万智さんの作品
から一首。
「この味がいいね」と君がいったから七月六日はサラダ記念日
7月6日は七夕の前日、この日だからいいのですね。バレンタインデーやクリス
マスイブでは、サラダ記念日は訴える力に欠けます。「わたくし流」ですから正し
い解釈かどうかわかりません。五七五七七に、こだわってみました。
この味が いいねと君が いったから
七月六日は サラダ記念日
ところで、長い間、同じような感覚として、歌人で国文学の巨匠、土岐善麿
(1885ー1980)作の「あなたは勝つものと……」を紹介していたのですが、とんで
もない誤解をしていたことを思い知らされました。「終戦の日を迎えて」と題した
コラムに、終戦後に詠んだ歌との解説があったのです。
あなたは勝つものとおもってゐましたかと老いたる妻のさびしげにいふ
「短歌研究 昭和21年3月号に掲載された「会話」という連作の冒頭の歌で、
次に、
「子らみたり召されて征(ゆ)きしたたかひ敗れよとしおもいのべるべかりしか」
という歌が続いていることはあまり知られていない。戦争に負けることは、味方の
犠牲が大きいということだから、戦争に行っている3人の子どもが死ぬことにつな
がる。親として子の死につながる敗戦を願うわけにはいかない、というわけである。
(コラム[紙つぶて] 筒井清忠 帝京大教授 東京新聞夕刊
平成25年8月15日)
「老いたる妻のさびしげにいふ」理由が、敗戦だけではないことがわかり、「万智
さん以上に新鮮な感覚ですね、などとほざいては、どやされかねません。読み
流してください」などと、したり顔で紹介していたことが恥ずかしくなりました。(懺
悔)
今年の土用の丑の日は7月20日(金)と8月1日(水)ですが、我が家の食卓に
も、久しぶりに姿を見せるのではないかと期待していますが、……高そうですね
(笑)。
蛇足ですが、天然うなぎの旬は、産卵前の秋から冬にかけての時期で、「秋の
下りうなぎ」といわれているそうです。そういえば、下り鰹(戻り鰹)も脂がのり美味
しいですね。
(次回は「7月に読んであげたい本」についてお話しましょう)
さわやかお受験のススメ<保護者編>第9章(2)七夕祭りでしょう 文月
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「めぇでる教育研究所」発行
2019さわやかお受験のススメ<保護者編>
~紀元じぃの子育て春秋~
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第33号-
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第9章(2) 七夕祭りでしょう 文 月
★★なぜ、仙台の七夕は、8月なのですか★★
津波のもたらした痕跡が一掃されない被災地の皆様方には、七夕どころではな
いでしょうが、子ども達には、待ちかねている夏祭りではないでしょうか。昔
のように祭りを楽しむ日が一日でも早く戻ることを祈ってやみません。ゼウス
がパンドラに持たせた、あらゆる災いが詰まった箱(壺)を開けてしまい、中
から様々な災いが飛び出し世界中に散っていき、急いでふたをしたので希望だ
けが箱に残り、それから人間は酷いことにあっても希望を持つようになったと
いうギリシャの昔話「パンドラの箱」ではありませんが、希望の杖が、次第に
弱くなっているような気がします。追い打ちをかけるように発生した熊本地震、
人間は自然を征服できるわけがなく、共存共栄に徹しなければ、といっても何
ら具体的な考えは思い浮かばないのですが……。
それはともかくとして、仙台の七夕は、8月に行われています。竿燈とねぶた
を合わせて、東北の三大夏祭りですから、華やかです。何しろ街中が、七夕の
飾りで埋まっている感じがします。しかし、素朴な疑問ですが、何だかおかし
くありませんか。七夕は、五節句の一つ「七夕」(しちせき)ですから、七月七
日と、七が二つ重なるところに意味があるのではなかったでしょうか。
七夕を「たなばた」と読むのはなぜだろう。「たな」は棚で、「はた」は機
である。7月7日の夜、
遠来のまれびと・神を迎えるために水上に棚作りして、聖なる乙女が機を
織る行事があり、
その乙女を棚機女(たなばたつめ)、または乙棚機(おとたなばた)といっ
た。「七月七日の夕
べの行事」であったために「たなばた」に「七夕」の字を当てたのである。
萬葉集には七夕は
織女と書かれているが、新古今和歌集では七夕となっている。「七夕」の字
は平安時代に当
てられたものであることがわかる。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞
社 刊 P121-122)
先生のご指摘では、仙台の七夕は「八夕」になります、何と読むのでしょうか。
冗談はさておき、これも訳ありなのです。
年中行事は、日本で最後に使われた太陰太陽暦である天保暦で行われています。
現在、使われている暦は、明治6年から採用された太陽暦、グレゴリオ暦です。
この天保暦とグレゴリオ暦との日付の差が、最小21日から最大50日あって、
平均すると35日、グレゴリオ暦の方が進んでいます。
ですから、天保暦による旧7月7日は、現在の8月12日前後になるわけです。
そうすると、七夕は真夏の行事になります。ところが、天保暦によると、暦の
上では7月から秋、立秋です。七夕が過ぎると、秋風の吹く処暑です。
太陰太陽暦では、暦の上の月日と季節感と食い違いを起こすので、暦の月日と
は別に、農作業に必要な季節の標準を示したのが、二十四節気だったことを思
い出してください。仙台の七夕は、旧七夕に近い8月7日に行われ、盛夏の行
事になっていますが、天保暦に従った「ひと月遅れの七夕」で、旧七夕という
ことではありません。
たとえば8月12日に旧七夕だとして、8月12日に七夕の行事を行うの
は、どうもしっくり
来ない。七夕は七月七日という「七」に意味があるのであって、8月7日な
らば一ヶ月延ば
して行うという感覚が働いて、何となく旧暦という言葉のなかに埋め込ん
でしまえばわから
ぬながら納得しようというものであろう。(中略)平均35日進んでいる現
行暦を30日戻すこ
とになるから、季節感としての行事は5日進んでいると考えればよいわけ
である。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社
刊 P134)
しかし、正月と盆の帰省ラッシュ、故郷にあるご先祖のお墓参り、何となく旧
盆という感覚がありませんか。東北の三大祭りとして親しまれている行事です
から、それで不都合はないのでしょう。
子ども達も、夏休みです。お父さんも、お母さんも休みをとって、お子さんと
一緒にリフレッシュする、もう夏の風物詩になっています。
ところで、この七夕のときに、雲一つない空を見上げて、天の川に感激した記
憶が、ほとんどありません。日本列島は、梅雨の真最中です。天保暦を使って
いた時代の人々は、大気汚染もなく、電気もありませんから、それこそ夜は、
漆黒の闇です。澄み切った夜空に浮かぶ天の川をはさんだ2つの星を、見てい
たのでしょう。プラネタリウムで、完璧に再現された人工の天の川を見るのと、
どちらに夢があるでしょうか。
どなたの言葉かわかりませんが、「その国の発電量は文化のバロメーター」であ
るとか。しかし、明るくなって失ったものもたくさんあり、七夕にロマンを感
じなくなったのもその一つで、犠牲者は彦星と織姫ですが、実害は何もありま
せんから、話題にもならないようですね。
★★そうめんと冷麦はどこが違うの★★
夏の風物詩の流しそうめん、何と、そうめんの1本1本が、機をおる織糸で、
流れる様子は天の川を表しているそうです。江戸時代の「日本歳時記」には、
七夕に索麺(そうめん)を食べる習慣があり、その由来は、中国の伝説による
と記されています。何事も、訳ありなのですね。年越しそばのところで触れま
したが、そばと薬味のねぎは、因果関係がありました。淡泊な口触りのそうめ
んには、生姜(しょうが)や茗荷(みょうが)の芳香が涼を誘い、食欲がます
ような気がします。
平成26年の暮れに亡くなられた宮尾登美子さんは、「そうめん大好き人間」で
した。
そうめんは姿かたちも、のどごしのよさも、いまだに昔ながらのものだ
が、食べ方や製法
についてはかなりいまふうになって来ているらしい。ただ私はガンコな保
守派で、つけめ
んなんてとんでもない、茹でた三年そうめんを、昆布とカツブシのダシ汁
のなかに泳がせ、
上にちょっぴり柚子をすりおろすだけの食べかた。これを毎年五月から九
月まで皆勤賞
をもらえるほど、もう五十年以上毎昼食食べつづけている。
(生きてゆく力 宮尾登美子 著 新潮文
庫 P133)
但し、ご主人は、おろし生姜のみで、柚子は邪道といって、ゆずらないそうで
す(笑)。かくいう私は、つけめん派で、茗荷と生姜の二本立て、ぬる燗の日本
酒と相性がよく、夏だけではなく、常に欠かせない酒の肴の一つです。
この後に、「満州の難民収容所の前後だが、餓死一歩手前で、毎晩の夢に必ずそ
うめんを見たものだ」と続くのですが、こういった過酷な戦争の体験が、宮尾
さんの作家魂を支えていたのではないかと勝手に思い込みながら、平和な時代
に生きていることを感謝しています。自叙伝的小説の主人公、綾子に5度目の
再会ができると期待していましたが、実現しませんでした。彼岸の地でも「な
めたらいかんぜよ!」と、だし汁にそうめんを泳がせて食べているでしょうか
(笑)。「鬼龍院花子の生涯」の夏目雅子さんの喪服姿が浮かんできます。
全くの余談になりますが、昨年の暮から、「そうめんより太くうどんより細い半
田オカベの麺」に変更、これが滅法うまくて、はまり込んでいます(笑)。
この茗荷には、おもしろい話が残っています。
茗荷という名前の漢字をよく見てください。この名前については次のよう
な逸話があり
ます。釈迦の弟子の周梨般特(スリバンドク)は熱心に修行をする好まし
い人物でした
が、物忘れがひどく自分の名前すらすぐに忘れてしまったそうです。そこ
で釈迦が首
から名札を下げさせました。彼の死後、墓から見慣れぬ草が生えてきまし
た。生前自
分の名を荷物のように下げていたことにちなんで、村人がこの草を「茗荷」
と名づけた
という説があります。この話から、茗荷を食べると物忘れがひどくなると
いう俗説が生ま
れました。
(http://www2.odn.ne.jp/shokuzai/Myouga.htm より)
「名前を荷う」から「茗荷」とは、しゃれた名前を付けになったものですね。
物忘れが激しくなることはありません、俗説です。この俗説を利用して、泊ま
っている金持ちから預かったお金を忘れさせようと、茗荷をたくさん食べさせ
るのですが、その効果がまったくなく、逆に宿泊料を貰うのを忘れてしまった
という、落語のような昔話があります。そういえば、東京メトロ丸ノ内線に「茗
荷谷駅」がありますが、江戸時代には、たくさんの茗荷畑があったそうです。
ところで、そうめんといえば冷麦を連想しますが、どこが違うのでしょうか。
太さの違いと思っていましたら、そんな単純なことではありませんでした。困
ったときの広辞苑によると、
「冷麦は、細打ちにしたうどんを茹でて冷水でひやし、汁を付けて食べるもの」
「素麺は、小麦粉に食塩水を加えてこね、これに植物油を塗り細く引き伸ばし、
日光にさらして乾した食品。茹でまたは煮込んで食する」
と製法の違いがありますが、うどんの仲間なのですね。うどんの乾麺には、そ
うめんと同じように植物油が塗られています。
でも、太さにこだわりますが、「なぜ、素麺は細いのかを正したい!」などと意
気込むほどのことではないでしょうが、JAS(日本農林規格)には、きちん
と、その違いがでているのには驚きました。
「切り口の直径が1・3ミリメートルより太いものが冷麦、それ未満の物が素
麺」となっています。切り口は、そうめんは丸く、冷麦は角っぽく見えます。
もう一つの疑問、冷麦には、なぜ、色のついた麺が入っているのでしょうか。
子どもの頃、母から冷麦とそうめんを区別するために、冷や麦には色のついた
麺が入っているのだと聞いたような気がするのですが、実際は、食感だけでは
なく、見た目にも涼しさ、さわやかさを感じて食べて頂くために、数本ずつ色
麺を入れているそうです。数本しか入っていませんから、兄と取りっこをした
ものでした(笑)。
★★七夕は、お盆の始まりの日です★★
七夕というと、何やら願い事をし、豪華な飾りものを楽しむ観光イベントとい
う感じになっているようですが、本来は、7月は、正月と同じで、ご先祖様が
帰ってくるお盆の月なのです。
7月7日を「七日盆」といって、お盆の始まりの日です。
七夕は盆の行事の一環として、先祖の霊を祭る前の禊(みそぎ)の行事であ
った。人里離
れた水辺の機屋に神の嫁となる乙女が神を祭って一夜を過ごし、翌日に七
夕送りをして、
穢れを神に託して持ち去ってもらうための祓えの行事であった。盆に先立
つ、物忌みの
ための祓えであった。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社
刊 P122)
それと同時に、七夕は、畑作物の収穫祭のイベントでもあったのです。何とい
っても日本は、自然まかせの農耕民族で、いたる所に神様がいます。収穫祭は、
神様への感謝のお祭りでした。まだ、麦を中心としてあわ、ひえ、芋、豆が主
食の時代ですから、麦の実りを祝って、きゅうり、なす、みょうがなどの成熟
を神様に感謝したのです。この時に人々は、神様の乗り物として、きゅうりで
作った馬、なすで作った牛をお供えしました。それがお盆の行事の盆飾りとし
て、ご先祖様の乗るきゅうりの馬と、なすの牛に引き継がれているのです。
これは、私にも飾った記憶があります。こういった収穫祭とお盆を迎える「は
らえ」の信仰が、中国の星の伝説や「乞巧奠」の風習と混ざり合って、今の七
夕の行事ができたのです。しかし、先程もいいましたが、お盆は、8月の民族
大移動の15日前後、というイメージが強いのではないでしょうか。
今回、「みそぎ(禊)」と「はらえ(祓え)」が出てきましたが、「みそぎ」とは、
「身滌(禊)」の略されたものといわれ、身に罪や穢(けが)れがあるときや、
神様にお祈りするときに、川や海で身を洗い清め取り除くことで、「はらえ」は、
神様に祈って罪や穢れ、災いなどを除き去ることで、神社で行われ「おはらい」
です。本質的には同じことで、「みそぎはらえ」ともいわれているようです。
ところで、「お払い箱にする」という言葉がありますが、そのいわれはこれで、
伊勢神宮が全国の信者に配っていた厄除けのお札を入れた箱を「御祓箱」と
いって、毎年、お札を新しく替えることから、「祓い」と「払い」をかけ、古
いものを捨てることを「お払い箱にする」といったそうです。何事も訳あり
なのですね。
最近、梅原猛氏の本を読みあさっていますが、この「みそぎはらえ」は、も
っと血なまぐさい政治上の儀式でもあったようで、何とか10月の神無月ま
でに結論を出したいと思っています。哲学者の解き明かす歴史上の事件は、
何とも凄まじく、のめりこむ一方で、藤原鎌足の子、藤原不比等は天智天皇
のご落胤であるとか、「竹取物語」でかぐや姫に求婚する倉持皇子のモデルで
あるとか、不比等が何やら大きなカギを握っているよう思われ、スライド式
の本棚の裏側に、眠りこけていた「古事記」と「日本書紀」を引っ張り出し、読
むはめになってしまいました(笑)。
「記紀」は読むのに根気がいりますが、「天皇家の“ふるさと”日向をゆく」(梅
原 猛 著 新潮社 刊)と「楽しい古事記」(阿刀田 高 著 角川文庫
刊)は、古事記に出てくる現地を探るルポルタージュで楽しく読ませてくれ
る優れものです。
(次回は「お盆って何の日ですか、ご冗談を」などについてお話しましょう)
さわやかお受験のススメ<保護者編>第9章(1)七夕祭りでしょう 文月
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「めぇでる教育研究所」発行
2019さわやかお受験のススメ<保護者編>
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「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第32号-
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第9章(1) 七夕祭りでしょう 文 月
物の本によると、文月(ふみづき)のいわれは、七夕の短冊に、字がうまくなる
ようにと書いてお願いをすることから文月になった、といわれているようですが、
七夕は、日本で始まったものではなく、中国から伝わってきた行事ですから、
これはおかしいとして、稲の「穂含月(ほふみづき)」「含月」からとする説もある
そうです。
★★何といっても七夕祭り★★
7月といえば、何といっても七夕祭りでしょう。
たなばたさま
作詞 林 柳波 作曲 下総 皖一
一、 笹の葉さらさら 二、 五色の短冊
軒端にゆれる 私が書いた
お星さまきらきら お星さまきらきら
金銀砂子 空から見てる
何とものどかで、暑さも吹き飛び、夜空が浮かんできますね。
しかし、今はどうでしょうか。都会では、天の川も、逢瀬を楽しむ彦星も織姫星
も、よく見えません。
明かりのせいでしょう。プラネタリウムで見ると、あまりに鮮やかすぎて、イメー
ジが壊れそうですね。七夕は、古来、多くの人々に夢を与え続けた祭りの一つ
です。万葉集の中にも、星祭りとして七夕を詠んだ歌が残されています。かの、
紀貫之も一首、『新古今和歌集』に詠んでいます。
七夕は 今や別るる 天の川 川霧立ちて 千鳥鳴くなり
「川霧立ちて 千鳥鳴くなり」、千鳥が鳴くのを、別れを惜しむ織姫の忍び泣き
と詠ったものでしょう。しかし、紀貫之が生きていた時代の田園風景を再現す
るのは無理でしょうが、残された和歌の世界で味わえるのは、やはり素晴らし
いことで、大切な文化遺産です。
「幾星霜」とはいささかオーバーですが、年月を刻んで受け継がれてきた文化
は、遺伝子として心の中に組み込まれているようで、日本人には和歌や俳句
を作ることもその一つではないでしょうか。小学生になると、特に教えなくても、
「五七五」の俳句を作るのですから。
さて、その七夕ですが、ご家庭で、短冊に願いごとを書いて、笹に飾り、お祝
いをしているでしょうか。30号で紹介しました「季節のことば36選」でも、七夕
祭りは選ばれていませんでしたが、幼稚園や保育園、小学校での夏のイベン
トになってしまったようです。それはさておき、七夕祭りの事の起こりは、中国
の星の伝説でおなじみの「織姫と彦星」の話です。
★★七夕のルーツ★★
中国の歳時記に、こういう話が残されているそうです。
天の川の東に織女が住んでいた。天帝の子である。いつも機織りをして、
鮮やかな天衣を織りなした。天帝が独身であるのをかわいそうに思って、
天の川の西に住んでいる彦星と結婚することを許した。しかし結婚した後
は、機織りをしないので、天帝は怒って二人を別れさせ、天の川の西と東
に帰らせた。ただ7月7日の夜だけ、川を渡って逢うことを許したのであ
る。日本で最もよく知られた七夕の星の物語である。おりひめとひこぼし
が愛し合っていながら一年に一度しか会えないという物語が日本人の共感
を呼んで、万葉集の時代から「星祭」として、七夕にさまざまな思いを馳せ
たのである。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊
P134-124)
天衣は、“あまごろも”、羽衣(はごろも)のことで、日本でもおなじみの天女の
証(あかし)です。
「天衣無縫」という四字熟語がありますが、これは、「物事に技巧などの形跡が
なく自然なさまをいい、天人・天女の衣には縫い目がまったくないことから、文
章や詩歌がわざとらしくなく、自然に作られていて巧みなこと。また、人柄に飾
り気がなく、純真で無邪気なさまをいう」(goo辞書より)意味に用いられていま
すが、語源は「天衣」なんですね。ちなみに英語では、“To be natural and
flawless”「自然で完璧」(「故事ことわざ辞典」より)だそうで、類似語は、今で
もよく使われている「天真爛漫」です。
ところで、七夕の2つの星、彦星と織姫星は、どんな星でしょうか。
彦星、牽牛星は、鷲座の1等星アルタイルのことで、地球から16光年の彼方
にあり、太陽の8倍の明るさがあります。1光年は、9兆4605億キロで、その16
倍です。本当にはるか、はるか、かなたです。アルタイル星の両側にある2つ
の星を牛に見立てて「牽牛」と名付けたのです。
面白いことに、あの清少納言も「枕草子」に書いています。
星はすばる。ひこぼし。ゆふづつ。よばいぼし、すこしおかし。
おだになからましかば、まいて
(第二百三十九段 角川文庫 下巻 角川書店 刊)
すばるは、牡牛座にある星団プレアデスの和名、ひこぼしは、牽牛です。ゆふ
づつは、日没後、すぐに西の空に輝く、宵の明星、金星で、よばいぼしは、流
れ星のことです。 「尾がなければよいのですが」ということでしょうが、尾は流
れ星が大気圏に突入して、燃えつきる現象です。さすがの才媛も、まだ、ご存
知なかったことでしょうね。
織姫、織女星は、琴座の1等星ヴェガのことで、地球から26光年離れ、明るさ
も太陽の48倍もある北天第一の星ですが、もう想像外の明るさと距離です。ヴ
ェガと天の川をはさんだアルタイル星が、天の川の中にある白鳥座のデネブ
星とで作るのが、夏の大三角形です。小学校時代に、理科で習ったのでしょう
けれども、記憶のかけらもありません。
この2つの星が、7月7日に際立って、美しく輝きます。それを見た昔の人が、
天の川にさえぎられているために、1年に1回しか会えない、恋人の話に仕立
てたのでしょう。作者は、何ともロマンチストではありませんか。中国生まれの
伝説らしく、スケールが大きいですね。
ところで、天の川は、中国や日本の専売特許ではありません。昔から世界中の
人々の注目を集めていました。
エジプトでは天のナイル川、インドでは天のガンジス川、中国では銀色の
川で銀河と呼びます。ところが、ヨーロッパでは川ではなく道にたとえら
れ「乳の道(ミルキーウェイ)」と呼ばれています。 これはギリシャ神
話で、力持ちのヘラクルスが赤ちゃんのとき、お母さんのおっぱいを力強
く吸ったため、こぼれてできたといわれているからです。
(心を育てる 子ども歳時記 12か月 監修 橋本裕之 講談社 刊
P65)
★★なぜ、短冊にお願いごとを書くのでしょう★★
こういうことらしいのです。
中国には「乞巧奠」(きこうでん)といって、星祭りの他に、七夕には、大変、重
要な行事があり、こう書いてあるそうです。
「7月7日は牽牛と織女が相会する夜だ。夫人たちは7本の針に5色の糸
を通し、庭にむしろをしいて机を出し、酒、肴、果物、菓子を並べて織物
が上手になることを祈った」
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊
P132)
これが、そもそもの始まりらしいのです。
牽牛は、牛飼いで畑仕事をし、織女は、機織りです。そこで、男の人は畑仕事
が、女の人は機織りや縫い物が上手にできますようにと、お祈りをするようにな
ったのでしょう。それが、時とともに、織物の切れ端を短冊のように切って、笹
の葉につけ、歌にあるように「軒端」に出すようになり、それが、今のように布か
ら紙に変わり、笹竹は長い竹となり、お願いごとも、裁縫や字が上手になること
よりも、ピアノが上手く弾けるようにとか何とか、何やら、椎名 誠氏風の表現で
恐縮ですが、願望成就希望達成型に変身したようです。
しかし、無理もない話です。
お母さん方、針を持って縫えますか。いや、その前に、裁縫箱を持っています
か。裁縫が上手になりたいと思っているお母さん方、いらっしゃるでしょうか。
何ですか、「……ますか、……ますか、……でしょうか」で、頼りのない話で
す。
「良妻賢母」が「料裁健母」と置き換えられた時代がありました。今は、「料裁健
夫」でなければ、お嫁さんにきてもらえないのでしょうか。独身男性が、増える
わけです。いや、嫁にきてもらうなどと消極的な考えでは、女性に敬遠される
のではないでしょうか。嫁さんは、自分で探すものです。
ところで、なぜ、笹竹なのでしょうか。
笹竹は、日本独自の祭り方で、竹は1日に1メートル伸びるといわれるほ
ど成長が早く、人々は、その秘められたすばらしいエネルギーに願いを托
し、天に届くようにと気持ちをこめたのです。
(絵本百科 ぎょうじのゆらい 講談社 刊 P21)
祈るだけではなく、強烈なエネルギーまで取り込んでいるんですね、恐れ入り
ました。
余談になりますが、12月に紹介しました妙心寺の沙羅双樹の花、「沙羅の花
を愛でる会」が6月15日から始まりました。抹茶と精進料理が賞味できるそうで、
普段は非公開ですから、地元の人が羨ましいですね(笑)。会は30日までで
すが、You Tubeでも少し楽しめます。
(次回は「なぜ、仙台の七夕は、8月なのですか他」についてお話ししまし
ょう)
さわやかお受験のススメ<保護者編>第8章(4)何にもないのかな【六月に読んであげたい本】
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-第31号-
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第八章 (4) 何にもないのかな
【六月に読んであげたい本】
梅雨というと、三題噺(お客さんから3つの題を出させ即座に一席の落語とする
もの)ではありませんが、「あじさい、かたつむり、かえる」です。しかし、最近、
かたつむりやかえるはどこに行きましたかね、見かけなくなりました。洋食が苦
手な私ですが、後学のため食べましたエスカルゴ、美味しかったですが、「梅
雨が来たから食べるか」とはなりませんで、わずか1回だけでした(笑)。
かえると雨、これにも、おかしな因果関係があるようです。おもしろい話があり
ます。これから紹介する「かえるの親子」、人間の親子関係にもいえそうです。
過保護な母親に育てられたわがままな子が、少子化に加え核家族化も進む
中で増えているようです。一人っ子では、何が過保護なのかわからないのかも
知れません。しかし、やがて子どもは、一人で生きていかなければならない、
“頼れるのは自分だけ”の生活が待っていることを、親は忘れてはならないでし
ょう。
自己中で、他人との関わりがうまくできない若者が増えています。
最近の脳科学者の話では、自己抑制力の臨界期は3歳まで、協調性や社会
性の臨界期は12歳までといわれているようです。臨界期とは、その時期を過
ぎると、ある行動の学習が身につかなくなる限界の時期をいい、モンテッソーリ
のもっとも盛んに活動し成長する時期、「敏感期」と同じであると考えればわか
りやすいと思います。言葉の敏感期を過ぎると、真偽は定かではないそうです
が、インドの狼少女のように、人は言葉を話せなくなります。
誤解を恐れずにいえば、3歳は自立の始まる時期、幼稚園は自律心を養い、
社会性や協調性といった集団生活への適応力の基礎を築く時期、6年間の
小学校生活は、それらをきちんと身につける大切な時期です。
幼児期から小学校時代に、人としての配線図は、組み立ててしまわれるわけ
ですね。「三つ子の魂、百まで」「鉄は熱い内に打て」、先人の教えには、無駄
がありません。「鉄は熱い内に打て」は、英語の“Strike while the irons hot”を
訳したことわざだそうです。(「故事ことわざ辞典」より)
※マリア・モンテッソーリ
イタリア、ローマの精神病院で働いていた女医。知的障害児へ感覚教育を実
施し、
知的水準を上げる効果を見せ、1907年に貧困層の健常児を対象にした保
育施設
「子どもの家」で独特の教育法を完成させた。モンテッソーリ教育の行われる
施設を
「子どもの家」と呼ぶようになった。 (ウィキペディア フリー百科事典より)
◆あまがえる不孝◆ 八百板 洋子 著
むかし、かえるの親子がいました。母さんがえるは、子どもをかわいがっ
たのですが、子がえるは、親のいうことを聞きません。母さんがえるが、右に
行こうというと左に行くし、山に登ろうというと川にもぐり、暑い日というと寒い
日と逆らうのです。
ある日のこと、母さんがえるは、重い病気にかかりました。助からないとあ
きらめた母さんがえるは、墓だけは、日のよく当たる、山の上に作ってほしい
と思ったのですが、何事にも逆らう子がえるのことです。山に埋めてほしいと
いえば、川のそばに埋めるに違いありません。
考えた母がえるは、
「私が死んだら、川のそばに埋めるのだよ」
といって、息をひきとったのでした。母さんがいなくなると、子がえるは、逆
らってばかりいたこ
とを後悔し、反省して、川のそばにお墓を作ったのです。
雨が降れば川の水も増え、お墓は流されそうになります。心配な子がえる
は、雨が降るたびに、お墓が流れないようにと、今でも鳴いているのだそう
です。
六月の話 あまがえる不孝 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
日本民話の会・編 国土社 刊
親不孝な動物話の典型ですが、中国や朝鮮にも同じ話があることから、大陸
から半島を経て伝わったものと考えられます。「日本は文化の吹き溜まり」とも
言われていますが、自国流にアレンジし、生活の中に取り込んでしまう知恵を、
我がご先祖は、身につけていたようです。
青蛙 おのれもペンキ ぬりたてか 芥川龍之介
こういった情景に出会うのは、もう、無理かもしれませんね。
霧雨が似合うあじさい、咲いているうちに色が変わることから「あじさいの七変
化」といわれ、花言葉では「移り気」「浮気」などと芳しくありません。一方で「辛
抱強い愛情」「あなたは美しいが冷淡だ」などといったものもありますが、後の
方が似合う気配が漂っているような気がします。
漢字では「紫陽花」と書きますが、これは唐の詩人・白居易が、別の花(この花
の名前はわかりません)に名づけたものを、平安時代の学者、源順がこの漢字
を当てはめたことから、誤って広まったといわれているそうです。
(ウィキペディア フリー百科事典より)
ところで、今、かえるの合唱を、聞く機会はあるでしょうか。とにかく、ものすご
い鳴声でした。
しかし、この鳴声が、何やら豊作の雄叫びのように聞こえ、子ども心にも、安心
したものです。雨がしっかり降って、田植えが終わらないことには、かえるの合
唱は聞こえませんから。
その田植えについてですが、おかしな話があります。
◆田うえねこ◆ 水谷 章三 著
むかし、ある家に、年を取り寝てばかりいる猫がいました。
田植えの時期になり、おかみさんは、
「お前さんはいいね。猫の手も借りたい忙しいときに、寝ていられるのだか
ら」というと、猫は大きなあくびをして起き上がり、どこかへ行ってしまったの
です。
その日は、田植えのおしまいの日で、大勢の人が手伝いに来ていました。
おかみさんもわき目もふらずに田植えをしていましたが、見知らぬ娘さんが
いて、仕事ぶりが、手際よく鮮やかなのです。それに負けてなるものかと若
い衆も張り切ったので、夕方にならぬ内に終わったのでした。
娘さんにお礼をいおうとしましたが、見当たりません。探していたところ、そ
の娘さんが背中を見せて、歩き去っていくではありませんか。追いかけてい
くと、おかみさんの家のところで姿を消し、探したのですが、見つかりません。
ところが、今朝、拭いたはずの縁側に、猫の足跡のような泥の跡がついてい
たのです。足跡をたどっていくと、家の隅っこの所で、猫が泥だらけの足を
なめていました。
「お前のことを、うらやましいといったものだから、娘になって田植えを手伝
ってくれたのだろうか。猫は、年をとると化けるというけれど」
と、おかみさんは、猫の顔をのぞきこみました。すると、猫は足をなめるのを
止めて、前足でおかみさんのひざをグイと押さえて立ち上がり、背伸びをし、
そのままどこかへ行ってしまい、二度と姿を見せることはありませんでした。
六月の話 田うえねこ 松谷みよ子/吉沢和夫 監修
日本民話の会・編 国土社 刊
「猫の手も借りたい」忙しいときに、猫が手を貸すのがおかしいですね。この話
も全国に、いろいろな形で語り継がれています。お地蔵さまが、見知らぬ若者
に姿をかえて手伝う「田植え地蔵」などは、よく知られているようです。猫の足
が泥だらけだったように、お地蔵さまの足が汚れていたのでわかる仕掛けは、
同じです。
今度は、恐い話です。
◆かにの恩返し◆ 根岸 真理子 著
むかし、ある村に、庄屋どんと娘が住んでいました。娘は、かにが子を生む
頃になると、庭の小川で米をとぎ、その汁を流してあげたのです。かには、
嬉しそうに飲んでいました。
ある年のこと、日照りが続き、田植えができません。
庄屋どんは、雨さえ降らせてくれたら、娘を嫁にやろうというと、それを蛇が
聞いていたのです。
やがて、雨が降り出し、田植えができると、村の人たちは喜びました。
その時、庄屋どんの足元で、
「約束を破れば、大雨を降らせ田畑を流すぞ」
といい残し、蛇は姿を消したのでした。しかし、嫁にやるわけにはいかず、
庄屋どんは庭に頑丈なお堂を建て、娘を入れることにしたのです。
嫁入りの日が来ました。
娘は、白い着物を着て、お堂に入り、中から鍵をかけました。そこへ、若侍
が現われ、お堂に戸口がないのを知り、怒り、姿を大蛇に変え、お堂を七巻
きに巻きしめたのです。すると嵐になり、蛇は、雨風の力を借りて、お堂を根
こそぎつぶそうと、揺さ振り始めました。
その時、娘の耳に、タプタプと寄せる水音に交じって、サワサワ、サワサワと
小さな音が聞こえてきたのです。音は、次第に数を増して、お堂のまわりを
取り囲みました。すると、ドォン、ダァンと何やらのたうつ音がして、サワサワ、
ドォン、ダァン、と、二つの音は、低く響き続けました。
やがて音が止み、ひび割れたお堂の透き間から、朝日が射し込んできたの
です。
庄屋どんに、手を引かれて外に出た娘は、老いた松の木のような大蛇が、
お堂の周りを取り巻
き、転がっているのを見たのです。そして、めくれ上がったうろこの下には、
娘にお米のとぎ汁を
もらっていたかに達が、一匹、一匹、はさみつき、そのまま死んでいたので
した。
六月の話 かにの恩返し 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
日本民話の会・編 国土社 刊
この他に、蛇をやっつけるのにひょうたんと針を使ったものや、蛇に変わって、
猿やかっぱの場合
もあります。これもお馴染みの民話でしょう。
かにの恩返し説話は、古くから語りつがれ「日本霊異記」や「今昔物語」に記
録されています。学生時代に、京都の山城の町にある蟹満寺というお寺を訪
ねた時、この話とそっくりの「蟹満寺縁起」が残されていました。
それにしても、悪役の蛇は、哀れです。
もとはといえば、約束を破った庄屋どんが、その責めを受けるべきです。
事実、進学教室でこの話をした時に、「悪いのは庄屋さん!」と、不満そうにい
った女の子達が何人もいました。子ども達は、「事の善し悪し」を考え、自分な
りに判断し、それを言葉で表現できる年齢に差し掛かっています。こういったこ
とからも、「話の読み聞かせ」は、ご両親の大切な仕事であることがわかります
ね。
また、「安珍清姫」の話も、大きくなったら妻にしようと戯れにいったことを信じ
た清姫が、だまされたことを知り、道成寺に逃れ、釣り鐘に隠れた安珍を、蛇
に変身した清姫が七巻にして殺しますが、これも悪いのは、戯言(ざれごと)を
いった安珍です。
「か弱き女性をだますと、あとが恐いよ!」
と、その執念深さを、蛇が演じているだけに、一層、説得力がありますね(笑)。
仏教には殺生、妄語、偸盗、邪淫、飲酒を戒めた五戒がありますが、庄屋は、
動物の妻にするのは邪淫戒になり、嘘をついたので妄語戒と二つの戒めを破
り、安珍は嘘をついたので妄語戒を犯したにことになりますから、それぞれ厳
罰を受けるのですが、庄屋は助かるのは、子どもが聞く昔話だからでしょうが、
子どもたちはしっかりと怒っていますね。(偉い!)
もう一つ紹介しましょう。
きつねが人を化かす話も、むかし話にはたくさんありますが、新美南吉の「ご
んぎつね」の悲しい結末と違い、ほのぼのとなる話があります。
◆きつねのかんちがい◆
むかし、あるところに、惣五郎という若者がいました。
ある年の田植どきのことです。惣五郎さんは三反御作(広さ三十アール)も
あるたんぼを、一日で田植えをし、家へ帰る途中、畑の中にある井戸水を
飲もうと、つるべ(水を汲み上げる桶)を上げると、その中に、溺れ死んだ子
ぎつねが、入っていたのでした。惣五郎さんは、かわいそうに思い、畑の隅
に穴を掘って埋めてあげました。
ところが、夜中に大勢の人が声を合わせて、
「お田を引いたで惣五郎! 三反御作みんな引いただ!」
と、怒ったような声で歌い、二、三回繰り返すと静かになったのです。惣五
郎さんは、不思議に思ったのですが、そのまま眠ってしまいました。
翌朝、たんぼへ行くと、田植えをしたばかりの‘三反御作’の苗が全部、引き
抜かれていたのです。きつねの仕業かなと思った惣五郎さんは、子ぎつね
を埋めた所へ行ってみると、穴は、掘り返されていました。きつねは、勘違
いをしたなと思った惣五郎さんは、きつねの棲んでいそうな竹薮や、林の中
を歩きながら、
「死んでいた子ぎつねを拾い、お墓を作ったんだ。誤解しないでくれ!」
と、大声で叫んだのです。
すると夜中に、
「お田引いて すまなんだ! 三反御作 また植えたあ!」
と、二度ほど繰り返し歌い、静かになったのです。
あくる朝、戸をあけると大きな鏡餅が一枚置いてあり、三反御作の苗も、植
え直してありました。
惣五郎さんは、きつねに気持ちが通じたことがわかり、とても嬉しかったの
でした。
新訂・子どもに聞かせる 日本の民話 大川 悦生 著
実業之日本社 刊
坪田譲治の、子どものために命をなくした「きつねとぶどう」や、新美南吉の、
人間と子ぎつねの心あたたまるやりとりを描いた「手袋を買いに」なども、ぜひ
読んであげたい童話です。
また、小川未明の、信仰とは何かを考えさせられる「頭を下げなかった少年」
(最後の一言が鮮やかです)や、献身的な子育ての後に子猫の幸せのために
姿を消す親猫を描いた「どこかに生きながら」も、見た目の美しさより、実用を
重んじて作った茶わんを褒める「殿様と茶わん」、神様からの授かりものといっ
て可愛がっていた娘を売り飛ばし、報復を受ける老夫婦を描いた「赤いろうそ
くと人魚」などの童話は、大人が読むべきで、キザな言葉で照れますが、心が
洗われます。
お母さん方にお勧めしたいのは、「小川未明童話集 赤いろうそくと人魚 新
潮文庫」です。
ちなみに、日本語の表現の多彩さを少々。
春雨、五月雨(さみだれ)、夕立、俄雨(にわかあめ)、驟雨(しゅうう 夕立の漢
語的表現)、秋雨、時雨(しぐれ 秋から冬にかけて降る通り雨)氷雨、雨雪
(みぞれのこと)、四季折々の雨、やはり、日本人の感性は繊細ですね。
雨で忘れられない童謡があります。当時(昭和20年代)、私達は蛇の目の傘
をさしていました。中心部と周辺を黒、紺、赤色に塗り、中を白くして蛇の目の
形を表した傘で、竹骨に紙を貼り、油をひいた粗末なものでした。
あめふり
北原白秋 作詞 中山晋平 作曲
あめあめ ふれふれ かあさんが
じゃのめで おむかい うれしいな
ピッチ ピッチ チャップ チャップ ランランラン
かけましょ かばんを かあさんの
あとから ゆこゆこ かねがなる
ピッチ ピッチ チャップ チャップ ランランラン
あらあら あのこは ずぶぬれだ
やなぎの ねかたで ないている
ピッチ ピッチ チャップ チャップ ランランラン
かあさん ぼくのを かしましょか
きみきみ このかさ さしたまえ
ピッチ ピッチ チャップ チャップ ランランラン
ぼくなら いいんだ かあさんの
おおきな じゃのめに はいってく
ピッチ ピッチ チャップ チャップ ランランラン
2行目の「おむかい」は、原詩は歴史的仮名遣いの「オムカヒ」になっており、
「おむかい」と読みます。昔の日本語は、書き方と読み方が違うからですが、東
京方面の古い方言で、「おむかえ」がなまって「おむかい」になったそうです。
発表された大正14年頃、白秋は小田原に住んでいたので、この言葉を使っ
たのですが、「改訂版 しょうがくせいおんがく」(昭和33年発行)から「おむか
え」に変えて掲載。このときから「おむかえ」と歌い始めたそうです。(「Yahoo!
知恵袋」より要約)
繰り返しますが、童謡は情操の発達と深いかかわりを持つ、思い出のしみこむ
「成長の記録」ではないでしょうか。お子さんが一緒に歌える童謡、あります
か。
全く手入れをしない我が家の紫陽花は、けなげにも花を咲かせ、きちんと季節
を伝えてくれています。紫陽花には雨が似合いますが、梅雨入りしませんね。
昨年は6月7日に梅雨入りしましたが、さて、今年はどうなるでしょうか。メルマ
ガが配信される頃になるのでは……。
(次回は「七夕祭りでしょう」についてお話しましょう)
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