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めぇでるコラム : 2019保護者: 2017年12月
さわやかお受験のススメ<保護者編>第2章(3)何といってもクリスマスと大晦日ですね
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
「めぇでる教育研究所」発行
2019さわやかお受験のススメ<保護者編>
~紀元じぃの子育て春秋~
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第8号-
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
第2章(3) 何といってもクリスマスと大晦日ですね
メリー・クリスマス!
ところで、「なぜ、サンタさんは、トナカイの引くそりに乗ってくるのかな?」
と尋ねられことはありませんか。前号で紹介しましたクラーク・ムーアが、自
分の子どものために書いた「サンタクロースが来た」の中で、「サンタは8頭
のトナカイの引くそりに乗り、世界中の子ども達にプレゼントを配る」と書か
れており、これを踏まえて、ロバート・L・メイという通販会社の社員が娘に
書いた詩が元となり、童話「ルドルフ赤鼻のトナカイ」が発表され、アニメ映
画となり、例の「真っ赤なお鼻のトナカイさんは♪……」の曲が生まれ、世界
中に広がったそうです。(Santaxus.comより)
作詞者の仕事が通販であることが、何やら訳ありで、面白いではありませんか
(笑)。
★★なぜ、大晦日というのですか★★
いよいよ日本のことです。12月31日を、なぜ、大晦日というのでしょうか。
これも訳ありなのです。
1年間の最後の日を大晦日(おおみそか)または、大晦(おおつごもり)とも呼び
ます。「晦日(みそか)」とは、毎月の末日のことです。一方、「晦(つごもり)」と
は、「月の隠れる日」すなわち、「月籠り(つきごもり)」が訛ったもので、どちら
も毎月の末日を指します。“1年の最後の特別な末日”を表すために、2つの
言葉のそれぞれに「大」をつけ、「大晦日」「大晦」といいます。
〔いろは事典 http://iroha-japan.net/iroha/A01_event/13_omisoka.html]
月の運行状況を思い出してください。太陽と月と地球が一直線になると、月は
地球から見えなくなりますが、この状態から月が始まることから「朔(さく)」
や「新月」といいます。三日ほどすると細い鎌形の月が見え、次第に大きくな
り満月、十五夜となり、そして次第に小さくなり、やがて見えなくなりますが、
この状態を「月隠り」といいます。月が地球を一回りするには一ヶ月かかりま
すから、月の始まる新月の状態「朔」を訓読みして「ついたち」、また月の始ま
る「月立ち」が転じて「ついたち」と呼ぶようになったのです。また、月末は月が
こもって晦(くら)いので「晦日(つごもり)」といいます。
太陰太陽暦では、1ヵ月を大の月は30日、小の月は29日と定めていたので、
今のように31日の月はありませんでした。そして、月末を三十日と書いて
「晦日」と呼び、12月31日は、その年最後の月末ということで、「大」を
つけて大晦日となったわけです。
5千円札の肖像に使われた樋口一葉の作品に「大つごもり」がありますが、一
葉の筆力を絶賛したのは文豪、森鴎外でした。では、一葉の結婚する相手はど
なたであったかご存知でしたか。何と、夏目漱石なのです。
「樋口一葉の父親が夏目漱石の父親と同僚だったために、二人の間で結婚話が
進んでいました。ところが一葉の父親が亡くなり、一葉自身も二十四才で亡く
なったため、この話は立ち消えとなったそうです。(中略)もし、夏目漱石と
樋口一葉が結婚していたら、どんなに文才のある子が生まれていたことでしょ
うか」
(「つい他人に自慢したくなる無敵の雑学」なるほど倶楽部 編
角川書店 刊 P182)
それを残念に思い、財布の中で逢う瀬を設けたのが大蔵省造幣局。漱石は千円
札ですが、お役人にしては、粋なはからいではなかったでしょうか、とは考え
すぎでしょうね(笑)。樋口一葉記念館は、「たけくらべ」の舞台となった台
東区竜泉町にあります。
(http://www.taitocity.net/taito/ichiyo)
★★一家総出の大掃除★★
これは、よく覚えています。大晦日は、新しい年へ続く大切な日で、お正月の
神様を、ご先祖様と一緒に迎えるために、まず、神棚と仏壇をきれいにし、家
の中や外も掃除したものです、しかも雑巾掛けです。私の役目は外の手の届く
所で、寒い時期ですから、手は真っ赤になり、ズキン、ズキンと痛み、ズルズ
ルと鼻水の出る、きつい仕事でした。現代風の建物と違って木造で、障子は紙
ですから、水をかけて洗うわけにはいかないのです。
そして、今、考えると大変だったと思うことがあります。当時の燃料は薪(ま
き)でした。煙は煙突から外に出るようになっていますが、燃えたときに出る
煤(すす)が、どこからともなく侵入して、部屋を、かすかに汚すのです。電
気掃除機などなく、はたきと雑巾で、こまめに掃除をしていたのですが、この
煤ばかりは、さすがの母もてこずっていました。それで「煤払い」といって、
竹竿の先にわらを縛りつけ、日頃は手の届かない所まで、煤やほこりを取った
のです。普段、手をつけない所まで徹底的に掃除をし、正月の三日間は何もし
ません。ほうきで畳を掃くと、「福を掃く、福が逃げる」といって嫌ったもの
で、大晦日は掃除納めでもあったのです。今は元日でも掃除をしていますが、
電気掃除機は掃くのではなく吸い集めますから、「福を集める」でいいのかも
しれません。
★★なぜ、大晦日にそばを食べるのですか★★
年越しそばは、「細くて長いそばを食べて縁起をかつぎ、長生きできるように
願ったもの」といわれています。また、そばは切れやすいことから、「一年分
の苦労や災いを切り捨てる願い」もこめられていました。「細く、長く、切り
捨てる」と縁起をかついでのことと思っていましたら、これも訳ありでした。
昔、金を使い細かいものを作っていた職人を金箔師といいますが、仕事場を掃
除する時に、そばのだんごで畳のへりや透き間を叩いて、飛び散った金箔を集
めたそうです。そこから、「そばは、金を集めて縁起がよい、そばで金を集め
る」という縁起となって、来年もお金がもうかることを願い、そばを食べるよ
うになり、江戸中期から始まった習わしといわれています。
そばの味を引立てる薬味に欠かせないのが葱(ねぎ)ですが、これにも面白い
いわれがあります。
葱(ねぎ)は、心を和らげる意味の「労(ね)ぐ」に通じて、それが祓い浄め
る神職「禰宜(ねぎ)」ともなって、今年の汚れを払いぬぐって心安らかに新
しい年を迎えようという、語呂合わせでもある。また、年越しそばを食べ残す
と、来年の小遣い銭にこと欠くともいわれている。
〔年中行事を「科学」する P251 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
年越しそばを食べ残す話は、お雛さまを長く飾っておくと、お嫁に行きそびれ
るのと同じ縁起かつぎです。しかし、現代っ子は、年越しそばを食べています
かね。ラーメンやスパゲッティの方が好まれているのではないでしょうか。そ
ばは、ビタミンBやたんぱく質、ルチン(ポリフェノールの一種)や植物繊維
を含む健康食品です。私の教室がある本八幡にも、とても美味しい蕎麦屋さん
があります、行列ができると困りますから紹介しませんが(笑)。年越しそばを
食べると、いつもは寝る時間ですが、この日だけは、起きていても怒られませ
ん。長く起きていれば起きているほど長生きできるということで、眠りたがる
子どもまで、無理に起こしたものです。
当時の遊びは、カルタ、すごろく、トランプで、「ババ抜き」や「7並べ」、
「神経衰弱」などをやっていました。相手がいる遊びですから、負けてはなる
ものかと真剣に戦っていました。現代っ子は、一人でゲームをする機会が多す
ぎませんか。ゲームの結果に一喜一憂する相手がいるからゲームが成り立ち、
自分が負けていても止めるわけにはいきません。ましてや、リセットボタンを
押して、再戦などもできません。「勝っても負けてもみんなで楽しむ」、これ
も大切ではないでしょうか。負けが続いて悔しがると、適当に手を抜いて勝た
せてくれた母を思い出します。(感謝)
★★除夜の鐘の意味★★
除夜とは、「古い年が押し退けられる夜」の意味で、大晦日の晩です。行く年、
来る年も、除夜の鐘が鳴らなくては決まりがつきませんが、これにもいろいろ
とわけありです。
「除夜の鐘は煩悩を解脱し、罪業の消滅を祈って百八回つくとされ、中国では
宋の時代から始まった。日本では鎌倉時代に禅寺で朝夕行われていたが、室町
時代からは大晦日だけつくようになった」
(年中行事を「科学」する P251 )
私の子どもの頃は、夕方の鐘が門限時間でした。なぜか、お寺の鐘というと、
「烏の鳴き声」「山に沈むお日様」「夕焼け」の3つが浮かんできます。童謡
「夕焼け小焼け」の世界です。
夕焼け小焼け
作詞 中村雨紅 作曲 草川 信
一 夕焼け小焼けで日が暮れて 山のお寺の鐘がなる
お手てつないでみなかえろ 烏といっしょにかえりましょう
二 子供がかえったあとからは まるい大きなお月さま
小鳥が夢を見るころは 空にはきらきら金の星
私の住んでいる川越市では、冬の間、午後4時になると、このメロディが流れ
てきます。天気がよければ、真っ赤に染まった西の空に雪を頂いた富士山が見
え、やがて薄墨を流したような夕闇が空を覆い、宵の明星が輝きを増してきま
す。いつ見ても飽きない日本の素晴らしい夕暮れです。「雪を頂く」は、富士
山全体を頭や顔に見立てた表現からきた言葉だそうです。
話を戻しまして、百八つの鐘のつき方ですが、きちんとした決まりがあるので
す。
「五十四声は弱く、五十四声は強く打つ百八回の鐘は、百八つの煩悩を洗い清
めるためである。百七つ目は最後の宣命といい、ゆく年の最後に鳴らして煩悩
が去ったことを宣言し、百八つ目は、最初の警策といい、来る年の最初につい
て、新たなる年を迎えるにあたって煩悩に惑わされぬよう、眠りを覚ますとい
われる」 (年中行事を「科学」する P251)
宣命とは、宣命体で書かれた天皇の命令のことであり、警策とは、禅寺で座禅
の時に、ピシッと肩を打ち据える、あの棒状の板のことですから、決意の程が
わかります。
ところで、平家一門の栄華と滅亡を描いた名作「平家物語」の序、「祇園精舎の
鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす」
と「鐘の声」になっていますが、「鐘の音」では響きが悪いですね。沙羅双樹の
花は、別名ナツツバキといい、夜明けに咲き夕方に散ることから、世の無常の
象徴として記されている白い花で、めったにお目にかかれません。この花で知
られているのが、京都市左京区にある妙心寺の塔頭(たっちゅう)山内にある
小寺院東林寺です。私が見たのは樹齢三百年といわれていた古木でしたが、今
花を咲かせているのは二世の若木だそうです。緑の苔の上に散り落ちた白い花
とのコントラストが鮮やかで、釈迦の教えである「今日すべきことを明日に伸ば
さず、確かにしていくことがよき一日を生きる道である」を、身をもって示して
いる雰囲気があり、一見の価値はあります。ホームページでも見ることができ
ますが、毎年6月の中旬から7月の初旬まで「沙羅双樹の花を愛でる会」として
公開されています。妙心寺は大きなお寺で、一度は訪ねておきたい京都の名刹
です。
★★百八つの煩悩(ぼんのう)って何ですか★★
人間には、百八つの悩みや欲張りの心があり、これを煩悩といいますが、私た
ち凡人は悩み多き日々を送るのも当然なのです。
「煩悩」とはなんだろう。サンスクリットではクレシャーと言って「心を怪我
しそこなうもの」を意味し、心をわずらわし、身を悩ます心の働きであり、悟
りという最高の目的の実現を妨げるすべての心の働きである。
(年中行事を「科学」する P251)
「お盆の始まり」(7月)で紹介しますが、「子煩悩」という言葉があります。
わが子を並はずれにかわいがることですが、子どもは迷いのもと、苦しみのも
とであって、「子は煩悩のもと」という意味から転化したものだそうです。子
煩悩にはまったお母さん方は、子どもの自立を妨げていることを忘れてはなり
ません。自立心が育まれなければ、自ら取り組む意欲、自発性が育たないから
です。「やるぞ!」といった気力がありませんから、「やった!」という達成
感もありませんし、「次に何をやろうかな?」という関心もありません。無気
力、無感動、無関心、全部「無」です。子どもの成長を支える原動力は意慾で
あり、達成感であり、好奇心です。自立を妨げる育児は、過保護であり過干渉
であることを肝に銘じておきたいものです。
煩悩の根源は一般に貪(とん)、瞋(しん)、痴(ち)とされ、これを三毒、
三惑などという。「貪」とは「むさぼり」であり貪欲である。「瞋」とは「目を
むいて怒ること、瞋恚」であり、また嫌悪、悪意でもある。「痴」とは「おろか、
真実をわきまえない痴愚」である。「痴」はサンスクリットではモーハmohaと
いうが、モーハという音が「ばか」となって慕何、莫詞、莫迦などと音訳され、
後には「馬鹿」と当て字で書かれるようになった。
(年中行事を「科学」する P252)
「貪」は貪欲、「痴」は音痴などでわかりますが、「瞋恚」は難しいですね。
「仏教の十悪」の一つで、自分の心に逆らうものを憎しみ怒ることです。この
三つから解脱できると悟りの境地に至るのでしょうが、やはり凡人には無理な
話です。「解脱」の「解(げ)」ですが、解熱剤を「かいねつざい」と読み笑
われたことがありましから、解脱などとてもできない相談ですね(笑)。
ところで、「馬鹿」の語源ですが、親父は「馬と鹿の区別がつかない者を馬鹿
者というのだ」と言っていましたが、実際は中国の秦の時代にあった話で、
「馬を鹿だ」と言った権力者に「鹿です」とへつらった者と、「馬です」と反
抗した者たちの様子を表した言葉で、へつらった者は、後に全員処刑されたと
いう怖い話だそうです。
では、百八つの悩み、煩悩の正体は何をいうのでしょうか。
人間には六根という六つの感覚器官-目・耳・鼻・舌・身・意-を持っていて、
それぞれ六境という六つの対象-色・声・香・味・触・法を理解する。そのと
き三不同-好・平・悪の受け取り方があり、その程度は染・淨の二つに分かれ
る。そのすべてが、過去・現在・未来の三世にわたって、人を煩わし、悩ます
のである。
6 × 3 × 2 × 3 =108
(六根) (三不同) (染淨) (三世)
合わせて百八つの煩悩という。(年中行事を「科学」する P252)
六つの対象の最後の「法」とは、仏教の説いた真理のこと。何だか難しくなっ
てきましたが、わたし流に解釈すると、こういうことではないでしょうか。
「好・平・悪の受け取り方」は、感度良好、普通、感度不良、「染淨」の「染
は物を色水に浸して色を付ける」意味ですから影響を受ける、「淨は水が静か
におさまって濁りがない」ですから影響を受けないことでしょう。
その他に、1年は12カ月で、1年には二十四節気、七十二候(時節、時期)
があるので、 12+24+72=108として、その時々に人を悩まし迷わ
せるものが合せて百八つの煩悩があるという説がある。
(年中行事を「科学」する P253)
これが分かりやすいですね。二十四節気とは、季節の変わり目を示す春分、夏
至、秋分、冬至などの節分を基準に1年を24等分して15日ごとに分けた季
節で、七十二候は、二十四節気を約5日ずつ3つに分け暑さ、寒さから見た時
節のことです。私たち凡人は、いついかなる時にも煩悩に悩まされる愚かな人
間ということでしょうか。二十四節気については、6月に詳しくお話しします。
語呂合わせのようなものもあります。四苦八苦(4×9=36 8×9=72)
合わせて108、素直に肯いてしまいますね(笑)。
こだわるついでに、梵鐘には上の方にいぼ状の突起がありますが、この数は、
何と108個だそうです。よく響くための音響効果の役を果たしているのかと
思いましたが、やはり、訳ありなんですね。驚きました。(脱帽)
「牛に引かれて善光寺参り」でおなじみの善光寺、一宗一派に拘らず、全ての
人に極楽浄土へ導く教えを説く、日本人的な心の持ち主であらせられる御本尊、
一光三尊阿弥陀如来様を祀る本堂の柱は、何と108本だそうです。ところで、
なぜ、「牛に引かれて善光寺参り」というのでしょうか。
昔、善光寺の近くに住みながら、信仰心など持ち合わせていなかったおばあさ
んが、ある日さらしておいた布を、隣の家の牛が角に引っ掛けて走り出したの
を見て、それを追っていくうちに、いつの間にか善光寺に駆け込み、それが縁
で深く信仰することになったという説話から、「自分の意思からではなく他人
の誘いで、思いがけない結果を得たり、よい方面へ導かれることのたとえ」と
して使われます。(学習研究社 四字熟語辞典より)
さらに驚いたことに、念仏を唱える時に使う数珠ですが、一つ一つは百八つの
煩悩を表し、正式には108個の珠から成り立っているそうです。しかし、皆
さんのお持ちの数珠は、108の半分か四分の一ではないでしょうか。材料は、
モクゲンジの実、サンゴ、水晶ですが、モクゲンジの実から出来ている数珠で、
念仏を20万遍唱えると天界に生まれ、百万遍唱えると極楽に往生するそうで
す。1日1回唱えても1年で365回、これは大変なことですね。
今はNHKの紅白歌合戦の後に、「行く年、くる年」で、全国の名鐘の声を聞
けるのも有難いことです。本来除夜の鐘は、鐘の声を聞きながら、今年1年に
犯した様々な罪を悔い改め、煩悩を取り除き、清らかな心で新年を迎えるため
のものでした。外に出ると、月は青白く輝き、あたりはひっそりと静まり、も
の凄く寒かったものでした。大気が汚染されていませんから、冷気を妨げるも
のがなく、音を遮る高層ビルなどありませんでしたから、除夜の鐘の声が遠く
からでもはっきりと聞こえ、子ども心にも何やら心に迫るものがあったと記憶
しています。今はどうでしょうか。車の音の絶えることもありませんから、静
かに、厳かにとはいかないでしょう。
「鐘の音がうるさい!」との苦情から、止めてしまったお寺があるとか……。
ところで、日本人は不思議な民族ですね。12月から1月にかけての行事をみ
ても、クリスマスを祝い、除夜の鐘で煩悩を除き、正月には神社へ初詣をしま
す。キリスト教、仏教、神道の行事、イベントが生活に入り込んでいる国です。
矛盾だらけの日本でも、私はこの国に生まれたことを感謝しています。この気
持を子ども達に伝えたいのです。力不足でさばききれないかもしれませんが、
こういった形式で進めたいと思います。お父さんもお母さんも童心に返り、行
事や昔話を、お子さんと一緒に楽しみ、受け継がれてきた日本の文化を伝えて
あげましょう。そこから家庭の文化は生まれます。大切な、大切な心の教育は、
ご家庭で作り上げた文化に礎があり、そこから生まれてくるものだと私は確信
しています。第三者にゆだねて身につくものではありません。
(次回は「12月に読んだあげたい本」についてお話ししましょう)
前回、配信の都合で間に合いませんでしたが、今年の漢字は「北」でした。正
確なことが伝わってこないので、迂闊なことは言えませんが、民族って何だろ
うと考えさせられてしまいますね。繰り返しますが、私は日本の国に生まれた
ことを心から感謝しています。
今回が今年最後の配信になります。ご愛読頂きまして有難うございました。来
年もよろしくお願い致します。よいお年をお迎えください。
めぇでる教育研究所 所長 藤本 紀元
メリー・クリスマス!
ところで、「なぜ、サンタさんは、トナカイの引くそりに乗ってくるのかな?」
と尋ねられことはありませんか。前号で紹介しましたクラーク・ムーアが、自
分の子どものために書いた「サンタクロースが来た」の中で、「サンタは8頭
のトナカイの引くそりに乗り、世界中の子ども達にプレゼントを配る」と書か
れており、これを踏まえて、ロバート・L・メイという通販会社の社員が娘に
書いた詩が元となり、童話「ルドルフ赤鼻のトナカイ」が発表され、アニメ映
画となり、例の「真っ赤なお鼻のトナカイさんは♪……」の曲が生まれ、世界
中に広がったそうです。(Santaxus.comより)
作詞者の仕事が通販であることが、何やら訳ありで、面白いではありませんか
(笑)。
★★なぜ、大晦日というのですか★★
いよいよ日本のことです。12月31日を、なぜ、大晦日というのでしょうか。
これも訳ありなのです。
1年間の最後の日を大晦日(おおみそか)または、大晦(おおつごもり)とも呼び
ます。「晦日(みそか)」とは、毎月の末日のことです。一方、「晦(つごもり)」と
は、「月の隠れる日」すなわち、「月籠り(つきごもり)」が訛ったもので、どちら
も毎月の末日を指します。“1年の最後の特別な末日”を表すために、2つの
言葉のそれぞれに「大」をつけ、「大晦日」「大晦」といいます。
〔いろは事典 http://iroha-japan.net/iroha/A01_event/13_omisoka.html]
月の運行状況を思い出してください。太陽と月と地球が一直線になると、月は
地球から見えなくなりますが、この状態から月が始まることから「朔(さく)」
や「新月」といいます。三日ほどすると細い鎌形の月が見え、次第に大きくな
り満月、十五夜となり、そして次第に小さくなり、やがて見えなくなりますが、
この状態を「月隠り」といいます。月が地球を一回りするには一ヶ月かかりま
すから、月の始まる新月の状態「朔」を訓読みして「ついたち」、また月の始ま
る「月立ち」が転じて「ついたち」と呼ぶようになったのです。また、月末は月が
こもって晦(くら)いので「晦日(つごもり)」といいます。
太陰太陽暦では、1ヵ月を大の月は30日、小の月は29日と定めていたので、
今のように31日の月はありませんでした。そして、月末を三十日と書いて
「晦日」と呼び、12月31日は、その年最後の月末ということで、「大」を
つけて大晦日となったわけです。
5千円札の肖像に使われた樋口一葉の作品に「大つごもり」がありますが、一
葉の筆力を絶賛したのは文豪、森鴎外でした。では、一葉の結婚する相手はど
なたであったかご存知でしたか。何と、夏目漱石なのです。
「樋口一葉の父親が夏目漱石の父親と同僚だったために、二人の間で結婚話が
進んでいました。ところが一葉の父親が亡くなり、一葉自身も二十四才で亡く
なったため、この話は立ち消えとなったそうです。(中略)もし、夏目漱石と
樋口一葉が結婚していたら、どんなに文才のある子が生まれていたことでしょ
うか」
(「つい他人に自慢したくなる無敵の雑学」なるほど倶楽部 編
角川書店 刊 P182)
それを残念に思い、財布の中で逢う瀬を設けたのが大蔵省造幣局。漱石は千円
札ですが、お役人にしては、粋なはからいではなかったでしょうか、とは考え
すぎでしょうね(笑)。樋口一葉記念館は、「たけくらべ」の舞台となった台
東区竜泉町にあります。
(http://www.taitocity.net/taito/ichiyo)
★★一家総出の大掃除★★
これは、よく覚えています。大晦日は、新しい年へ続く大切な日で、お正月の
神様を、ご先祖様と一緒に迎えるために、まず、神棚と仏壇をきれいにし、家
の中や外も掃除したものです、しかも雑巾掛けです。私の役目は外の手の届く
所で、寒い時期ですから、手は真っ赤になり、ズキン、ズキンと痛み、ズルズ
ルと鼻水の出る、きつい仕事でした。現代風の建物と違って木造で、障子は紙
ですから、水をかけて洗うわけにはいかないのです。
そして、今、考えると大変だったと思うことがあります。当時の燃料は薪(ま
き)でした。煙は煙突から外に出るようになっていますが、燃えたときに出る
煤(すす)が、どこからともなく侵入して、部屋を、かすかに汚すのです。電
気掃除機などなく、はたきと雑巾で、こまめに掃除をしていたのですが、この
煤ばかりは、さすがの母もてこずっていました。それで「煤払い」といって、
竹竿の先にわらを縛りつけ、日頃は手の届かない所まで、煤やほこりを取った
のです。普段、手をつけない所まで徹底的に掃除をし、正月の三日間は何もし
ません。ほうきで畳を掃くと、「福を掃く、福が逃げる」といって嫌ったもの
で、大晦日は掃除納めでもあったのです。今は元日でも掃除をしていますが、
電気掃除機は掃くのではなく吸い集めますから、「福を集める」でいいのかも
しれません。
★★なぜ、大晦日にそばを食べるのですか★★
年越しそばは、「細くて長いそばを食べて縁起をかつぎ、長生きできるように
願ったもの」といわれています。また、そばは切れやすいことから、「一年分
の苦労や災いを切り捨てる願い」もこめられていました。「細く、長く、切り
捨てる」と縁起をかついでのことと思っていましたら、これも訳ありでした。
昔、金を使い細かいものを作っていた職人を金箔師といいますが、仕事場を掃
除する時に、そばのだんごで畳のへりや透き間を叩いて、飛び散った金箔を集
めたそうです。そこから、「そばは、金を集めて縁起がよい、そばで金を集め
る」という縁起となって、来年もお金がもうかることを願い、そばを食べるよ
うになり、江戸中期から始まった習わしといわれています。
そばの味を引立てる薬味に欠かせないのが葱(ねぎ)ですが、これにも面白い
いわれがあります。
葱(ねぎ)は、心を和らげる意味の「労(ね)ぐ」に通じて、それが祓い浄め
る神職「禰宜(ねぎ)」ともなって、今年の汚れを払いぬぐって心安らかに新
しい年を迎えようという、語呂合わせでもある。また、年越しそばを食べ残す
と、来年の小遣い銭にこと欠くともいわれている。
〔年中行事を「科学」する P251 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
年越しそばを食べ残す話は、お雛さまを長く飾っておくと、お嫁に行きそびれ
るのと同じ縁起かつぎです。しかし、現代っ子は、年越しそばを食べています
かね。ラーメンやスパゲッティの方が好まれているのではないでしょうか。そ
ばは、ビタミンBやたんぱく質、ルチン(ポリフェノールの一種)や植物繊維
を含む健康食品です。私の教室がある本八幡にも、とても美味しい蕎麦屋さん
があります、行列ができると困りますから紹介しませんが(笑)。年越しそばを
食べると、いつもは寝る時間ですが、この日だけは、起きていても怒られませ
ん。長く起きていれば起きているほど長生きできるということで、眠りたがる
子どもまで、無理に起こしたものです。
当時の遊びは、カルタ、すごろく、トランプで、「ババ抜き」や「7並べ」、
「神経衰弱」などをやっていました。相手がいる遊びですから、負けてはなる
ものかと真剣に戦っていました。現代っ子は、一人でゲームをする機会が多す
ぎませんか。ゲームの結果に一喜一憂する相手がいるからゲームが成り立ち、
自分が負けていても止めるわけにはいきません。ましてや、リセットボタンを
押して、再戦などもできません。「勝っても負けてもみんなで楽しむ」、これ
も大切ではないでしょうか。負けが続いて悔しがると、適当に手を抜いて勝た
せてくれた母を思い出します。(感謝)
★★除夜の鐘の意味★★
除夜とは、「古い年が押し退けられる夜」の意味で、大晦日の晩です。行く年、
来る年も、除夜の鐘が鳴らなくては決まりがつきませんが、これにもいろいろ
とわけありです。
「除夜の鐘は煩悩を解脱し、罪業の消滅を祈って百八回つくとされ、中国では
宋の時代から始まった。日本では鎌倉時代に禅寺で朝夕行われていたが、室町
時代からは大晦日だけつくようになった」
(年中行事を「科学」する P251 )
私の子どもの頃は、夕方の鐘が門限時間でした。なぜか、お寺の鐘というと、
「烏の鳴き声」「山に沈むお日様」「夕焼け」の3つが浮かんできます。童謡
「夕焼け小焼け」の世界です。
夕焼け小焼け
作詞 中村雨紅 作曲 草川 信
一 夕焼け小焼けで日が暮れて 山のお寺の鐘がなる
お手てつないでみなかえろ 烏といっしょにかえりましょう
二 子供がかえったあとからは まるい大きなお月さま
小鳥が夢を見るころは 空にはきらきら金の星
私の住んでいる川越市では、冬の間、午後4時になると、このメロディが流れ
てきます。天気がよければ、真っ赤に染まった西の空に雪を頂いた富士山が見
え、やがて薄墨を流したような夕闇が空を覆い、宵の明星が輝きを増してきま
す。いつ見ても飽きない日本の素晴らしい夕暮れです。「雪を頂く」は、富士
山全体を頭や顔に見立てた表現からきた言葉だそうです。
話を戻しまして、百八つの鐘のつき方ですが、きちんとした決まりがあるので
す。
「五十四声は弱く、五十四声は強く打つ百八回の鐘は、百八つの煩悩を洗い清
めるためである。百七つ目は最後の宣命といい、ゆく年の最後に鳴らして煩悩
が去ったことを宣言し、百八つ目は、最初の警策といい、来る年の最初につい
て、新たなる年を迎えるにあたって煩悩に惑わされぬよう、眠りを覚ますとい
われる」 (年中行事を「科学」する P251)
宣命とは、宣命体で書かれた天皇の命令のことであり、警策とは、禅寺で座禅
の時に、ピシッと肩を打ち据える、あの棒状の板のことですから、決意の程が
わかります。
ところで、平家一門の栄華と滅亡を描いた名作「平家物語」の序、「祇園精舎の
鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす」
と「鐘の声」になっていますが、「鐘の音」では響きが悪いですね。沙羅双樹の
花は、別名ナツツバキといい、夜明けに咲き夕方に散ることから、世の無常の
象徴として記されている白い花で、めったにお目にかかれません。この花で知
られているのが、京都市左京区にある妙心寺の塔頭(たっちゅう)山内にある
小寺院東林寺です。私が見たのは樹齢三百年といわれていた古木でしたが、今
花を咲かせているのは二世の若木だそうです。緑の苔の上に散り落ちた白い花
とのコントラストが鮮やかで、釈迦の教えである「今日すべきことを明日に伸ば
さず、確かにしていくことがよき一日を生きる道である」を、身をもって示して
いる雰囲気があり、一見の価値はあります。ホームページでも見ることができ
ますが、毎年6月の中旬から7月の初旬まで「沙羅双樹の花を愛でる会」として
公開されています。妙心寺は大きなお寺で、一度は訪ねておきたい京都の名刹
です。
★★百八つの煩悩(ぼんのう)って何ですか★★
人間には、百八つの悩みや欲張りの心があり、これを煩悩といいますが、私た
ち凡人は悩み多き日々を送るのも当然なのです。
「煩悩」とはなんだろう。サンスクリットではクレシャーと言って「心を怪我
しそこなうもの」を意味し、心をわずらわし、身を悩ます心の働きであり、悟
りという最高の目的の実現を妨げるすべての心の働きである。
(年中行事を「科学」する P251)
「お盆の始まり」(7月)で紹介しますが、「子煩悩」という言葉があります。
わが子を並はずれにかわいがることですが、子どもは迷いのもと、苦しみのも
とであって、「子は煩悩のもと」という意味から転化したものだそうです。子
煩悩にはまったお母さん方は、子どもの自立を妨げていることを忘れてはなり
ません。自立心が育まれなければ、自ら取り組む意欲、自発性が育たないから
です。「やるぞ!」といった気力がありませんから、「やった!」という達成
感もありませんし、「次に何をやろうかな?」という関心もありません。無気
力、無感動、無関心、全部「無」です。子どもの成長を支える原動力は意慾で
あり、達成感であり、好奇心です。自立を妨げる育児は、過保護であり過干渉
であることを肝に銘じておきたいものです。
煩悩の根源は一般に貪(とん)、瞋(しん)、痴(ち)とされ、これを三毒、
三惑などという。「貪」とは「むさぼり」であり貪欲である。「瞋」とは「目を
むいて怒ること、瞋恚」であり、また嫌悪、悪意でもある。「痴」とは「おろか、
真実をわきまえない痴愚」である。「痴」はサンスクリットではモーハmohaと
いうが、モーハという音が「ばか」となって慕何、莫詞、莫迦などと音訳され、
後には「馬鹿」と当て字で書かれるようになった。
(年中行事を「科学」する P252)
「貪」は貪欲、「痴」は音痴などでわかりますが、「瞋恚」は難しいですね。
「仏教の十悪」の一つで、自分の心に逆らうものを憎しみ怒ることです。この
三つから解脱できると悟りの境地に至るのでしょうが、やはり凡人には無理な
話です。「解脱」の「解(げ)」ですが、解熱剤を「かいねつざい」と読み笑
われたことがありましから、解脱などとてもできない相談ですね(笑)。
ところで、「馬鹿」の語源ですが、親父は「馬と鹿の区別がつかない者を馬鹿
者というのだ」と言っていましたが、実際は中国の秦の時代にあった話で、
「馬を鹿だ」と言った権力者に「鹿です」とへつらった者と、「馬です」と反
抗した者たちの様子を表した言葉で、へつらった者は、後に全員処刑されたと
いう怖い話だそうです。
では、百八つの悩み、煩悩の正体は何をいうのでしょうか。
人間には六根という六つの感覚器官-目・耳・鼻・舌・身・意-を持っていて、
それぞれ六境という六つの対象-色・声・香・味・触・法を理解する。そのと
き三不同-好・平・悪の受け取り方があり、その程度は染・淨の二つに分かれ
る。そのすべてが、過去・現在・未来の三世にわたって、人を煩わし、悩ます
のである。
6 × 3 × 2 × 3 =108
(六根) (三不同) (染淨) (三世)
合わせて百八つの煩悩という。(年中行事を「科学」する P252)
六つの対象の最後の「法」とは、仏教の説いた真理のこと。何だか難しくなっ
てきましたが、わたし流に解釈すると、こういうことではないでしょうか。
「好・平・悪の受け取り方」は、感度良好、普通、感度不良、「染淨」の「染
は物を色水に浸して色を付ける」意味ですから影響を受ける、「淨は水が静か
におさまって濁りがない」ですから影響を受けないことでしょう。
その他に、1年は12カ月で、1年には二十四節気、七十二候(時節、時期)
があるので、 12+24+72=108として、その時々に人を悩まし迷わ
せるものが合せて百八つの煩悩があるという説がある。
(年中行事を「科学」する P253)
これが分かりやすいですね。二十四節気とは、季節の変わり目を示す春分、夏
至、秋分、冬至などの節分を基準に1年を24等分して15日ごとに分けた季
節で、七十二候は、二十四節気を約5日ずつ3つに分け暑さ、寒さから見た時
節のことです。私たち凡人は、いついかなる時にも煩悩に悩まされる愚かな人
間ということでしょうか。二十四節気については、6月に詳しくお話しします。
語呂合わせのようなものもあります。四苦八苦(4×9=36 8×9=72)
合わせて108、素直に肯いてしまいますね(笑)。
こだわるついでに、梵鐘には上の方にいぼ状の突起がありますが、この数は、
何と108個だそうです。よく響くための音響効果の役を果たしているのかと
思いましたが、やはり、訳ありなんですね。驚きました。(脱帽)
「牛に引かれて善光寺参り」でおなじみの善光寺、一宗一派に拘らず、全ての
人に極楽浄土へ導く教えを説く、日本人的な心の持ち主であらせられる御本尊、
一光三尊阿弥陀如来様を祀る本堂の柱は、何と108本だそうです。ところで、
なぜ、「牛に引かれて善光寺参り」というのでしょうか。
昔、善光寺の近くに住みながら、信仰心など持ち合わせていなかったおばあさ
んが、ある日さらしておいた布を、隣の家の牛が角に引っ掛けて走り出したの
を見て、それを追っていくうちに、いつの間にか善光寺に駆け込み、それが縁
で深く信仰することになったという説話から、「自分の意思からではなく他人
の誘いで、思いがけない結果を得たり、よい方面へ導かれることのたとえ」と
して使われます。(学習研究社 四字熟語辞典より)
さらに驚いたことに、念仏を唱える時に使う数珠ですが、一つ一つは百八つの
煩悩を表し、正式には108個の珠から成り立っているそうです。しかし、皆
さんのお持ちの数珠は、108の半分か四分の一ではないでしょうか。材料は、
モクゲンジの実、サンゴ、水晶ですが、モクゲンジの実から出来ている数珠で、
念仏を20万遍唱えると天界に生まれ、百万遍唱えると極楽に往生するそうで
す。1日1回唱えても1年で365回、これは大変なことですね。
今はNHKの紅白歌合戦の後に、「行く年、くる年」で、全国の名鐘の声を聞
けるのも有難いことです。本来除夜の鐘は、鐘の声を聞きながら、今年1年に
犯した様々な罪を悔い改め、煩悩を取り除き、清らかな心で新年を迎えるため
のものでした。外に出ると、月は青白く輝き、あたりはひっそりと静まり、も
の凄く寒かったものでした。大気が汚染されていませんから、冷気を妨げるも
のがなく、音を遮る高層ビルなどありませんでしたから、除夜の鐘の声が遠く
からでもはっきりと聞こえ、子ども心にも何やら心に迫るものがあったと記憶
しています。今はどうでしょうか。車の音の絶えることもありませんから、静
かに、厳かにとはいかないでしょう。
「鐘の音がうるさい!」との苦情から、止めてしまったお寺があるとか……。
ところで、日本人は不思議な民族ですね。12月から1月にかけての行事をみ
ても、クリスマスを祝い、除夜の鐘で煩悩を除き、正月には神社へ初詣をしま
す。キリスト教、仏教、神道の行事、イベントが生活に入り込んでいる国です。
矛盾だらけの日本でも、私はこの国に生まれたことを感謝しています。この気
持を子ども達に伝えたいのです。力不足でさばききれないかもしれませんが、
こういった形式で進めたいと思います。お父さんもお母さんも童心に返り、行
事や昔話を、お子さんと一緒に楽しみ、受け継がれてきた日本の文化を伝えて
あげましょう。そこから家庭の文化は生まれます。大切な、大切な心の教育は、
ご家庭で作り上げた文化に礎があり、そこから生まれてくるものだと私は確信
しています。第三者にゆだねて身につくものではありません。
(次回は「12月に読んだあげたい本」についてお話ししましょう)
前回、配信の都合で間に合いませんでしたが、今年の漢字は「北」でした。正
確なことが伝わってこないので、迂闊なことは言えませんが、民族って何だろ
うと考えさせられてしまいますね。繰り返しますが、私は日本の国に生まれた
ことを心から感謝しています。
今回が今年最後の配信になります。ご愛読頂きまして有難うございました。来
年もよろしくお願い致します。よいお年をお迎えください。
めぇでる教育研究所 所長 藤本 紀元
さわやかお受験のススメ<保護者編>第2章(2)何といっても、クリスマスと大晦日ですね
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「めぇでる教育研究所」発行
2019さわやかお受験のススメ<保護者編>
~紀元じぃの子育て春秋~
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第7号-
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第2章 (2)何といってもクリスマスと大晦日ですね 師走
クリスマスが近づきました。
お子さんへのプレゼント、手に入りましたか。娘がサンタに頼んだのは、リカ
ちゃん人形の2代目ボーイ・フレンド「藤原まさと君」。手に入らず、イブの
夕方に東京のデパートで見つけ、冷や汗をかいた経験があるからです、40数
年前の話ですが(笑)。
★★なぜ、七面鳥の受難日なのですか★★
これも、わかりませんでした。七面鳥は高価ですから、庶民はチキンで済ます
のではないでしょうか。七面鳥、やはり訳ありでした。
オランダの清教徒が1620年に、メイフラワー号に乗ってアメリカのプリマ
ス港に着き、初めて食卓に乗せた肉が野性の七面鳥であった。清教徒は、キリ
スト教を布教するために苦労をしてアメリカを開拓したが、彼らの「生命の支
え」となってくれた七面鳥を神に捧げて感謝した。初心を忘れないようにする
ために、クリスマスには昔の苦労をしのんで七面鳥を食べるのである。もっと
も今日のアメリカでは七面鳥は感謝祭(11月の第4木曜日)に欠かせない料
理となり、クリスマスの食卓にはチキンが運ばれることが多い。
〔年中行事を「科学」する P247-248 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
日本でも、これに似た習慣がありました。「ありました」と、またしても過去
形になるのは、今では家で炊くこともないからです。「赤飯」、またの名を
「おこわ」ともいい、米に赤あずきを加えて蒸したもので、結婚式などのお祝
いの席でしか、お目にかかれません。この赤飯には、「初心を忘れるな」とい
う戒めがあったのです。米が大陸から日本に伝えられたときは、今のような白
米ではなく、赤米でした。あわやひえ、山芋が主食であったことを考えれば、
炊きたての赤米は、本当においしかったに違いありません。どの民族も、同じ
ような経験を積んで、歴史を刻んでいることがわかります。若い皆さん方には
信じがたい話でしょうが、戦後の食糧難の時代、銀シャリ(麦も芋も何も入って
いない白米だけのご飯のこと)は、夢にまで見た憧れの食べ物でした。
敬老の日に町会から赤飯の折り詰めを二箱頂きましたが、前期高齢者の仲間入
りをした家内は、「エッ……!」といささか憮然としていましたね(笑)。
★★なぜ、クリスマスにケーキを食べるのですか★★
ヴァレンタイン・デーのチョコレートは、何やらこじつけのような気配があり
ます。しかし、ケーキは、何か意味がありそうです。これも、訳ありでした。
クリスマスケーキは、はじめ薪(まき)の形をしていたため、ユール・ログ(yule
log)といわれていた。クリスマスの前夜、果物のなる木の丸太を暖炉に入れ、
前の年の燃え残りから火を移す。新たな火を暖炉にともされる儀式は聖なるも
ので、新しい命が生まれると考えられていた。クリスマスの新しい薪を燃やす
ことによって家は暖かくなり、家族全員集まって神を讃え、喜びを分かち合う
のである。クリスマス・ログは、公現祭(1月6日)間で12日間、絶やさず燃
やし続け、そのあとは灰を大切にとっておき、やけどや害虫予防に用いた。聖
なる薪を菓子にして喜びを分かち合うしきたりとしたのが、クリスマスケーキ
のそもそもの始まりだったのである。
〔年中行事を「科学」する P247 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
初代のケーキは、素朴な味がしたことでしょう。今のケーキは何代目かわかり
ませんが、相当、派手になっています。何といっても「デコレーション・ケー
キ」ですから。やはり、感謝の気持ちをこめて食べなくてはいけません。ちな
みに、デコレーション・ケーキは和製英語で、正しくはfancy cakeだそうです。
このケーキを顔にぶつけ合っておもしろがるギャグがありましたが、最低です。
食べ物がなくて餓死する人々が、世界中にどれほどいるか知らないわけはない
でしょう。こんなことは、絶対に止めてほしい。
ところで、食べ物を残さない習慣は、幼児期にきちんと身につけるべきです。
私が戦後の食料難を経験した昭和15年(1940)生まれのせいでしょうか。
飽食は、忍耐力を育てない気がしてなりません。そして、食事の際には、「い
ただきます」と手を合わせ、食べ物に感謝する気持ちを、しっかりと身につけ
ておきたいものです。「蓮如 われ深き淵より」や「親鸞」などの作品を通し
て、宗教の世界をやさしく説いてくれる五木寛之氏は、こうおっしゃっていま
す。
「私たちは、イワシやサンマを食べるとき、うまいと思う反面、人間は何と残
酷な生き物だろう、お許しくださいと無意識のうちに考える感覚がどこかに残
っている。しかし、ハンバーガーを食べているときは、そういった感覚はほと
んどない。ましてやカロリーメイトだったりすると、まったくありません。食
生活がバーチャル・リアリティ化しているのです。その結果、私たちはまだし
も、子供たちは、食生活の上でも、生命の重さとそれを消費して生きている自
分という存在の残酷さを実感するチャンスがなくなっています」
(「他力」 五木寛之 著 講談社 刊 P144)
注 バーチャル・リアリティ(virtual reality)
コンピュータの作り出す仮想空間を現実であるかのように知覚させる
こと。(広辞苑)
イワシやサンマにとって、人間は殺魚犯です。感謝の気持ちを忘れたときから、
人は傲慢になるようですね。
★★なぜ、サンタさんは、世界共通なのですか★★
白いひげを生やし、丸々と太った、明るく、笑顔のやさしい、とっても善良な
おじいさんで、プレゼントをいっぱい積んだトナカイの引くそりに乗り、雪の
上どころか、空まで飛んでみせ、なぜか、煙突から入ってくるサンタさんのイ
メージは、世界共通です。これも、訳ありでした。
サンタクロースは、1822年に、聖書学者、アメリカのクレメント・クラー
ク・ムーアー(1777ー1863)が作った、[ 'T was the Night before
Christmas](クリスマスイブのこと)の詩の中で生まれた。聖ニコラウスを原
像としたサンタクロースは、ムーアーの詩の中で、白い鬚を生やし、丸々と太
った明るい善良なおじいさんとして生まれたのである。(中略) 1863年に
アメリカの風刺画家、トーマス・ナスト (1842ー1902)による絵が評判
をよんで、白い鬚 、赤い帽子に赤い服、長靴をはき、大きな袋をかついだサ
ンタクロースというイメージが定着したのである。
〔年中行事を「科学」する P242・248 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
サンタさんのモデルである聖ニコラウスは、十二使徒の一人で、毎年、クリス
マス・プレゼントを配りにやってきますが、本来の意味は、キリスト自身が、
この世の光として、神様から人々に、プレゼントされたのです。それが、いつ
頃かわかりませんが、キリストからの贈り物となって、サンタさんが配達人と
なり、さらに、サンタさんに自分の欲しいものを頼めば、直接、枕元まで配達
してくれるようになったのです。親が、サンタさんの代理人とわかり、がっか
りするまで、長い子では、もの心ついてから小学校の高学年ぐらいまで、夢を
与え続けるのですから、これはすごいものです。
親が困るのは、サンタさんにお手紙を書きたいとせがまれることでしょう。私
は、知りませんでしたが、サンタさんの本部は、フィンランドにあります。
1961年に、フィンランドの郵政省は、正式にサンタさんの住所を、次のと
おりに決めたのです。「サンタのおじさん、日本語、わかりますか?」、心配
ありません。ただし、返信用の切手を同封しなければ、返事はもらえません。
これが、サンタさんの現住所です。
MR.SANTA CLAUS
Joulupukin Konttuuri Napapiirri,96930 Rovaniemi
「サンタの住所」で検索すると、手紙の書き方などの詳しい情報を得ることが
できます。検索してお確かめください。
★★なぜ、サンタさんは、煙突から来るのですか★★
こう聞かれて、困ったことはありませんか。これも、やはり訳ありでした。
北欧では、長い冬を前にして、心地よく暖かい日を送るために、煙突掃除が必
要欠くべからざるものであった。サンタクロースが煙突からやってくることに
よって子供たちに煙突掃除を手伝わせる大義名分が立ち、子供たちも喜んで手
伝いをするというわけである。
〔年中行事を「科学」する P243 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
北欧は、なにしろ北極の近くですし、冬ともなれば、お日さまは南の方へ行っ
てしまいますから、昼は短いし、夜は長いし、とにかく寒いし、冬は長いし、
何やら「……し、」ばかりで、元気が出なくなります。そんな長い冬を、暖か
く、快適に過ごすには、何といっても暖炉です。熱効率を妨げるのが、煙突に
へばりつく、煤(すす)です。そうです、煙突掃除は、冬の生活に備えて、
欠かせない仕事でした。
「サンタさんが、気持ち悪がって入れませんよ、こんなに汚れていては!」
子どもは、必死で、快く、真面目に、掃除を手伝います。それはそうでしょう、
自分の家だけサンタさんが来なかったら大変です。寒い地方に住む人々の、生
活の知恵でしょう。これは、嘘をついてだますのではなく、問題意識を持たせ
ることです。日本には、煙突のある家は少ないですから、あまり心配はありま
せんけれど。
問題意識、育児でも大事です。命令と指示と強制だけでは、子どもは動きませ
ん。子ども自身に意識的にやろうとする意欲をもたせる方が大切で、それには、
ご両親が良いお手本を見せることです。「率先垂範」、響きのいい言葉ですね。
四字熟語は、悠久の時の流れがしみ込んでいるような気がします。ちなみに英
語では、“example by leadership”だそうです。(四字熟語データバンクより)
ところで、サンタさんは、夜に来るのがいいですね。
「パパ、今晩は寝ないで、サンタさんの来るのを見るのだから!」
こういう頃の子どもは、本当に、かわいいものです。マンションでは、ベラン
ダから入ってくることになっているようですが、窓際で寝込んでしまった子を
見ましたけれど、あどけない寝顔が印象的でした。「施し」、あまり響きのい
い言葉ではありませんが、ボランティアと同じように、贈り物という好意は、
密かに行われるところに意義があるのですから、夜更けに、そっと来るのが、
いいですね。
★★クリスマス・カードのルーツ★★
最後に、クリスマス・カードですが、これは、外国の人には、とても楽しみの
ようです。
日本の年賀状にあたるのでしょうか。しかし、「謹賀新年」とか「賀正」しか
書かれていない年賀状は、味気ないものです。「メリー・クリスマス」としか
書かれていないクリスマス・カードもあるのでしょうか。メールに変わってい
るかもしれません。
1843年に、イギリスのヘンリー・コールが、知人の画家ホーレスーに絵を
描かせ、クリスマスを祝して知人に送ったのが始まりという。そして、イギリ
スのヴィクトリア女王が3年後の1846年にクリスマス・カードを送ったこ
とをきっかけとして、この習慣が世界中に広まったといわれている。
〔年中行事を「科学」する P243 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
ところで、日本でクリスマスが始まったのは、何と永禄4年(1561)。
といってもピンとこないかもしれませんが、上杉謙信と武田信玄が川中島で戦
った年です。ポルトガルの宣教師ビレラが、大阪の堺から本国に送った手紙に、
「堺のキリシタンらは、大いなる喜びと満足とをもって、クリスマスを祝した
り」とあり、これがクリスマスに関するもっとも古い文献といわれています。
今のように、人々の間に広がるのは、大正時代まで待つことになります。
★★サンタさんは、お父さんの愛情です★★
子どもの夢を破るのは、いい年をした大人のやることではありません。これを
先生がやってしまった話を池波正太郎の随筆にあったと第5号で紹介しました
が、こういう話です。
「サンタクロースは、本当はいない。プレゼントは、君のお父さんとお母さん
が入れておいてくれるのだ」などと、余計なことをいって、(先生が)子どもの
夢をぶち壊してしまうのだそうな。「まったく怪しからん話です」と、友人は
憤慨した。(中略) 平常は会社の激務に追いまくられ、それを癒す深酒で、
帰宅が深夜におよぶ父親がクリスマスの夜には、サンタクロースのプレゼント
を決して忘れずに、会社の帰りに一人息子のプレゼントを買ってくる。これを
子どもの枕元の靴下へ入れてやるときの友人の姿を思いみれば、口が腐っても
「サンタクロースはいない」とはいえまい。この世、このとき、彼はサンタ翁
そのものであって、他の何者でもないのだ。なればこそ、「サンタクロースは
実在する……」のである。「ね、だから、やっぱりサンタクロースはいるのだ
よ。そうだろう」と、私がいうと、友人は泪ぐんだ。
(日曜日の万年筆 P287-288 池波正太郎 著 新潮社 刊)
全国のお父さん方は、この日は子どもの夢をかなえてあげるサンタさんです。
これこそ見返りを考えない親心ではないでしょうか。「無償のほほえみ」は、
お母さん方の専売特許ではありません。蛇足ですが、「泪」、いい字ですね。
★★なぜ、冬至に柚子(ゆず)湯に入り、かぼちゃを食べるのですか★★
「12月25日はローマの冬至祭にあたり、この日を境に短かった昼間が次第
に長くなる、不滅の太陽が生まれ変わる日」と紹介しましたが、日本では「物
事が悪いことから善い方へ向かっていく」と考えられ、冬至のことを「一陽来
復」という別名があります。神社では「一陽来復」のお札を配りますが、私が
子どもの頃には、早稲田大学の近くにある穴八幡神社のお守りには「金銀融通
のご利益がある」といわれ賑わっていましたが、今はどうでしょうか。
この日柚子湯に入ると風邪をひかない、かぼちゃを食べると中風(ちゅうぶう
半身不随、腕または足の麻痺する病気)にかからないともいわれています。柚子
湯は体が温まり、風邪や神経痛などに効くことや、柚子にはビタミンCとカル
シュームを多く含むため、食べても風邪の予防になり、かぼちゃはビタミンA
が多く含まれ、目や体の健康に役立つと科学的にも立証されている優れもので
す。また、語尾に「ん」のつくたべもの、にんじん、れんこん、ぎんなん、か
んてん、なんきん(かぼちゃのこと)、みかん、きんかん、ぽんかんなどには、
食物繊維やビタミンが多く含まれ、野菜不足になる冬の食材、果物として欠か
せません。これも昔から受け継がれてきた生活の知恵でしょう。子ども達には
ハロウィンでおなじみになったかぼちゃですが、食べる方はどうでしょうか。
「12月に読んであげたい本」は、構成の都合上、来春の始めになりますので、
クリスマスに関する話を紹介しておきましょう。
さすがに、日本の昔話には登場しませんが、外国には、ご存知の「マッチ売り
の少女」など、子どもたちの心を揺さぶる話がたくさんあります。王さまや大
金持ちが頼んでも鳴らなかった教会の鐘が、幼い兄弟の善意から鳴る話は、仏
さまの教えを学ぶ進学教室の子ども達にも大いに受け、毎年、紙芝居で紹介し
ていました。以前、お話ししましたが、紙芝居には素晴らしい作品がたくさん
あります。アニメーションと違い動きがない分、自力でイメージをふくらまさ
なければならないだけに、想像力を培う優れ物です。図書館で探して、やって
みましょう。きっと、お子さんの喜ぶ姿を見ることができるからです。
昨年の漢字は「金」でしたが、天気予報の分野では、「驚」だったそうです。
素直に肯けますね。今年は何になるでしょうか。世相も自然の変化も、かなり
過激ですから、私の予想は「激」です。当たらない方がいいのですが……。
近所の雑木林、落ち葉の絨毯に仔犬がもぐりこみ日向ぼっこ、子ども達は落ち
葉の布団に座り、ゲームを楽しんでいました。
(次回は、「大晦日(1)」についてお話しましょう)
クリスマスが近づきました。
お子さんへのプレゼント、手に入りましたか。娘がサンタに頼んだのは、リカ
ちゃん人形の2代目ボーイ・フレンド「藤原まさと君」。手に入らず、イブの
夕方に東京のデパートで見つけ、冷や汗をかいた経験があるからです、40数
年前の話ですが(笑)。
★★なぜ、七面鳥の受難日なのですか★★
これも、わかりませんでした。七面鳥は高価ですから、庶民はチキンで済ます
のではないでしょうか。七面鳥、やはり訳ありでした。
オランダの清教徒が1620年に、メイフラワー号に乗ってアメリカのプリマ
ス港に着き、初めて食卓に乗せた肉が野性の七面鳥であった。清教徒は、キリ
スト教を布教するために苦労をしてアメリカを開拓したが、彼らの「生命の支
え」となってくれた七面鳥を神に捧げて感謝した。初心を忘れないようにする
ために、クリスマスには昔の苦労をしのんで七面鳥を食べるのである。もっと
も今日のアメリカでは七面鳥は感謝祭(11月の第4木曜日)に欠かせない料
理となり、クリスマスの食卓にはチキンが運ばれることが多い。
〔年中行事を「科学」する P247-248 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
日本でも、これに似た習慣がありました。「ありました」と、またしても過去
形になるのは、今では家で炊くこともないからです。「赤飯」、またの名を
「おこわ」ともいい、米に赤あずきを加えて蒸したもので、結婚式などのお祝
いの席でしか、お目にかかれません。この赤飯には、「初心を忘れるな」とい
う戒めがあったのです。米が大陸から日本に伝えられたときは、今のような白
米ではなく、赤米でした。あわやひえ、山芋が主食であったことを考えれば、
炊きたての赤米は、本当においしかったに違いありません。どの民族も、同じ
ような経験を積んで、歴史を刻んでいることがわかります。若い皆さん方には
信じがたい話でしょうが、戦後の食糧難の時代、銀シャリ(麦も芋も何も入って
いない白米だけのご飯のこと)は、夢にまで見た憧れの食べ物でした。
敬老の日に町会から赤飯の折り詰めを二箱頂きましたが、前期高齢者の仲間入
りをした家内は、「エッ……!」といささか憮然としていましたね(笑)。
★★なぜ、クリスマスにケーキを食べるのですか★★
ヴァレンタイン・デーのチョコレートは、何やらこじつけのような気配があり
ます。しかし、ケーキは、何か意味がありそうです。これも、訳ありでした。
クリスマスケーキは、はじめ薪(まき)の形をしていたため、ユール・ログ(yule
log)といわれていた。クリスマスの前夜、果物のなる木の丸太を暖炉に入れ、
前の年の燃え残りから火を移す。新たな火を暖炉にともされる儀式は聖なるも
ので、新しい命が生まれると考えられていた。クリスマスの新しい薪を燃やす
ことによって家は暖かくなり、家族全員集まって神を讃え、喜びを分かち合う
のである。クリスマス・ログは、公現祭(1月6日)間で12日間、絶やさず燃
やし続け、そのあとは灰を大切にとっておき、やけどや害虫予防に用いた。聖
なる薪を菓子にして喜びを分かち合うしきたりとしたのが、クリスマスケーキ
のそもそもの始まりだったのである。
〔年中行事を「科学」する P247 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
初代のケーキは、素朴な味がしたことでしょう。今のケーキは何代目かわかり
ませんが、相当、派手になっています。何といっても「デコレーション・ケー
キ」ですから。やはり、感謝の気持ちをこめて食べなくてはいけません。ちな
みに、デコレーション・ケーキは和製英語で、正しくはfancy cakeだそうです。
このケーキを顔にぶつけ合っておもしろがるギャグがありましたが、最低です。
食べ物がなくて餓死する人々が、世界中にどれほどいるか知らないわけはない
でしょう。こんなことは、絶対に止めてほしい。
ところで、食べ物を残さない習慣は、幼児期にきちんと身につけるべきです。
私が戦後の食料難を経験した昭和15年(1940)生まれのせいでしょうか。
飽食は、忍耐力を育てない気がしてなりません。そして、食事の際には、「い
ただきます」と手を合わせ、食べ物に感謝する気持ちを、しっかりと身につけ
ておきたいものです。「蓮如 われ深き淵より」や「親鸞」などの作品を通し
て、宗教の世界をやさしく説いてくれる五木寛之氏は、こうおっしゃっていま
す。
「私たちは、イワシやサンマを食べるとき、うまいと思う反面、人間は何と残
酷な生き物だろう、お許しくださいと無意識のうちに考える感覚がどこかに残
っている。しかし、ハンバーガーを食べているときは、そういった感覚はほと
んどない。ましてやカロリーメイトだったりすると、まったくありません。食
生活がバーチャル・リアリティ化しているのです。その結果、私たちはまだし
も、子供たちは、食生活の上でも、生命の重さとそれを消費して生きている自
分という存在の残酷さを実感するチャンスがなくなっています」
(「他力」 五木寛之 著 講談社 刊 P144)
注 バーチャル・リアリティ(virtual reality)
コンピュータの作り出す仮想空間を現実であるかのように知覚させる
こと。(広辞苑)
イワシやサンマにとって、人間は殺魚犯です。感謝の気持ちを忘れたときから、
人は傲慢になるようですね。
★★なぜ、サンタさんは、世界共通なのですか★★
白いひげを生やし、丸々と太った、明るく、笑顔のやさしい、とっても善良な
おじいさんで、プレゼントをいっぱい積んだトナカイの引くそりに乗り、雪の
上どころか、空まで飛んでみせ、なぜか、煙突から入ってくるサンタさんのイ
メージは、世界共通です。これも、訳ありでした。
サンタクロースは、1822年に、聖書学者、アメリカのクレメント・クラー
ク・ムーアー(1777ー1863)が作った、[ 'T was the Night before
Christmas](クリスマスイブのこと)の詩の中で生まれた。聖ニコラウスを原
像としたサンタクロースは、ムーアーの詩の中で、白い鬚を生やし、丸々と太
った明るい善良なおじいさんとして生まれたのである。(中略) 1863年に
アメリカの風刺画家、トーマス・ナスト (1842ー1902)による絵が評判
をよんで、白い鬚 、赤い帽子に赤い服、長靴をはき、大きな袋をかついだサ
ンタクロースというイメージが定着したのである。
〔年中行事を「科学」する P242・248 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
サンタさんのモデルである聖ニコラウスは、十二使徒の一人で、毎年、クリス
マス・プレゼントを配りにやってきますが、本来の意味は、キリスト自身が、
この世の光として、神様から人々に、プレゼントされたのです。それが、いつ
頃かわかりませんが、キリストからの贈り物となって、サンタさんが配達人と
なり、さらに、サンタさんに自分の欲しいものを頼めば、直接、枕元まで配達
してくれるようになったのです。親が、サンタさんの代理人とわかり、がっか
りするまで、長い子では、もの心ついてから小学校の高学年ぐらいまで、夢を
与え続けるのですから、これはすごいものです。
親が困るのは、サンタさんにお手紙を書きたいとせがまれることでしょう。私
は、知りませんでしたが、サンタさんの本部は、フィンランドにあります。
1961年に、フィンランドの郵政省は、正式にサンタさんの住所を、次のと
おりに決めたのです。「サンタのおじさん、日本語、わかりますか?」、心配
ありません。ただし、返信用の切手を同封しなければ、返事はもらえません。
これが、サンタさんの現住所です。
MR.SANTA CLAUS
Joulupukin Konttuuri Napapiirri,96930 Rovaniemi
「サンタの住所」で検索すると、手紙の書き方などの詳しい情報を得ることが
できます。検索してお確かめください。
★★なぜ、サンタさんは、煙突から来るのですか★★
こう聞かれて、困ったことはありませんか。これも、やはり訳ありでした。
北欧では、長い冬を前にして、心地よく暖かい日を送るために、煙突掃除が必
要欠くべからざるものであった。サンタクロースが煙突からやってくることに
よって子供たちに煙突掃除を手伝わせる大義名分が立ち、子供たちも喜んで手
伝いをするというわけである。
〔年中行事を「科学」する P243 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
北欧は、なにしろ北極の近くですし、冬ともなれば、お日さまは南の方へ行っ
てしまいますから、昼は短いし、夜は長いし、とにかく寒いし、冬は長いし、
何やら「……し、」ばかりで、元気が出なくなります。そんな長い冬を、暖か
く、快適に過ごすには、何といっても暖炉です。熱効率を妨げるのが、煙突に
へばりつく、煤(すす)です。そうです、煙突掃除は、冬の生活に備えて、
欠かせない仕事でした。
「サンタさんが、気持ち悪がって入れませんよ、こんなに汚れていては!」
子どもは、必死で、快く、真面目に、掃除を手伝います。それはそうでしょう、
自分の家だけサンタさんが来なかったら大変です。寒い地方に住む人々の、生
活の知恵でしょう。これは、嘘をついてだますのではなく、問題意識を持たせ
ることです。日本には、煙突のある家は少ないですから、あまり心配はありま
せんけれど。
問題意識、育児でも大事です。命令と指示と強制だけでは、子どもは動きませ
ん。子ども自身に意識的にやろうとする意欲をもたせる方が大切で、それには、
ご両親が良いお手本を見せることです。「率先垂範」、響きのいい言葉ですね。
四字熟語は、悠久の時の流れがしみ込んでいるような気がします。ちなみに英
語では、“example by leadership”だそうです。(四字熟語データバンクより)
ところで、サンタさんは、夜に来るのがいいですね。
「パパ、今晩は寝ないで、サンタさんの来るのを見るのだから!」
こういう頃の子どもは、本当に、かわいいものです。マンションでは、ベラン
ダから入ってくることになっているようですが、窓際で寝込んでしまった子を
見ましたけれど、あどけない寝顔が印象的でした。「施し」、あまり響きのい
い言葉ではありませんが、ボランティアと同じように、贈り物という好意は、
密かに行われるところに意義があるのですから、夜更けに、そっと来るのが、
いいですね。
★★クリスマス・カードのルーツ★★
最後に、クリスマス・カードですが、これは、外国の人には、とても楽しみの
ようです。
日本の年賀状にあたるのでしょうか。しかし、「謹賀新年」とか「賀正」しか
書かれていない年賀状は、味気ないものです。「メリー・クリスマス」としか
書かれていないクリスマス・カードもあるのでしょうか。メールに変わってい
るかもしれません。
1843年に、イギリスのヘンリー・コールが、知人の画家ホーレスーに絵を
描かせ、クリスマスを祝して知人に送ったのが始まりという。そして、イギリ
スのヴィクトリア女王が3年後の1846年にクリスマス・カードを送ったこ
とをきっかけとして、この習慣が世界中に広まったといわれている。
〔年中行事を「科学」する P243 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
ところで、日本でクリスマスが始まったのは、何と永禄4年(1561)。
といってもピンとこないかもしれませんが、上杉謙信と武田信玄が川中島で戦
った年です。ポルトガルの宣教師ビレラが、大阪の堺から本国に送った手紙に、
「堺のキリシタンらは、大いなる喜びと満足とをもって、クリスマスを祝した
り」とあり、これがクリスマスに関するもっとも古い文献といわれています。
今のように、人々の間に広がるのは、大正時代まで待つことになります。
★★サンタさんは、お父さんの愛情です★★
子どもの夢を破るのは、いい年をした大人のやることではありません。これを
先生がやってしまった話を池波正太郎の随筆にあったと第5号で紹介しました
が、こういう話です。
「サンタクロースは、本当はいない。プレゼントは、君のお父さんとお母さん
が入れておいてくれるのだ」などと、余計なことをいって、(先生が)子どもの
夢をぶち壊してしまうのだそうな。「まったく怪しからん話です」と、友人は
憤慨した。(中略) 平常は会社の激務に追いまくられ、それを癒す深酒で、
帰宅が深夜におよぶ父親がクリスマスの夜には、サンタクロースのプレゼント
を決して忘れずに、会社の帰りに一人息子のプレゼントを買ってくる。これを
子どもの枕元の靴下へ入れてやるときの友人の姿を思いみれば、口が腐っても
「サンタクロースはいない」とはいえまい。この世、このとき、彼はサンタ翁
そのものであって、他の何者でもないのだ。なればこそ、「サンタクロースは
実在する……」のである。「ね、だから、やっぱりサンタクロースはいるのだ
よ。そうだろう」と、私がいうと、友人は泪ぐんだ。
(日曜日の万年筆 P287-288 池波正太郎 著 新潮社 刊)
全国のお父さん方は、この日は子どもの夢をかなえてあげるサンタさんです。
これこそ見返りを考えない親心ではないでしょうか。「無償のほほえみ」は、
お母さん方の専売特許ではありません。蛇足ですが、「泪」、いい字ですね。
★★なぜ、冬至に柚子(ゆず)湯に入り、かぼちゃを食べるのですか★★
「12月25日はローマの冬至祭にあたり、この日を境に短かった昼間が次第
に長くなる、不滅の太陽が生まれ変わる日」と紹介しましたが、日本では「物
事が悪いことから善い方へ向かっていく」と考えられ、冬至のことを「一陽来
復」という別名があります。神社では「一陽来復」のお札を配りますが、私が
子どもの頃には、早稲田大学の近くにある穴八幡神社のお守りには「金銀融通
のご利益がある」といわれ賑わっていましたが、今はどうでしょうか。
この日柚子湯に入ると風邪をひかない、かぼちゃを食べると中風(ちゅうぶう
半身不随、腕または足の麻痺する病気)にかからないともいわれています。柚子
湯は体が温まり、風邪や神経痛などに効くことや、柚子にはビタミンCとカル
シュームを多く含むため、食べても風邪の予防になり、かぼちゃはビタミンA
が多く含まれ、目や体の健康に役立つと科学的にも立証されている優れもので
す。また、語尾に「ん」のつくたべもの、にんじん、れんこん、ぎんなん、か
んてん、なんきん(かぼちゃのこと)、みかん、きんかん、ぽんかんなどには、
食物繊維やビタミンが多く含まれ、野菜不足になる冬の食材、果物として欠か
せません。これも昔から受け継がれてきた生活の知恵でしょう。子ども達には
ハロウィンでおなじみになったかぼちゃですが、食べる方はどうでしょうか。
「12月に読んであげたい本」は、構成の都合上、来春の始めになりますので、
クリスマスに関する話を紹介しておきましょう。
さすがに、日本の昔話には登場しませんが、外国には、ご存知の「マッチ売り
の少女」など、子どもたちの心を揺さぶる話がたくさんあります。王さまや大
金持ちが頼んでも鳴らなかった教会の鐘が、幼い兄弟の善意から鳴る話は、仏
さまの教えを学ぶ進学教室の子ども達にも大いに受け、毎年、紙芝居で紹介し
ていました。以前、お話ししましたが、紙芝居には素晴らしい作品がたくさん
あります。アニメーションと違い動きがない分、自力でイメージをふくらまさ
なければならないだけに、想像力を培う優れ物です。図書館で探して、やって
みましょう。きっと、お子さんの喜ぶ姿を見ることができるからです。
昨年の漢字は「金」でしたが、天気予報の分野では、「驚」だったそうです。
素直に肯けますね。今年は何になるでしょうか。世相も自然の変化も、かなり
過激ですから、私の予想は「激」です。当たらない方がいいのですが……。
近所の雑木林、落ち葉の絨毯に仔犬がもぐりこみ日向ぼっこ、子ども達は落ち
葉の布団に座り、ゲームを楽しんでいました。
(次回は、「大晦日(1)」についてお話しましょう)
さわやかお受験のススメ<保護者編>何といっても、クリスマスと大晦日ですね
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
「めぇでる教育研究所」発行
2019さわやかお受験のススメ<保護者編>
~紀元じぃの子育て春秋~
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第6号-
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
第2章 (1) 何といっても、クリスマスと大晦日ですね 師 走
暦の上では、12月から冬です。
物の本によると、冬という読み方は、「冷(ひ)ゆ」からといわれていますが、
他にも、冬が威力を「振るう」、寒さに「震(ふる)う」、動物の出産の時期
である「殖(ふ)ゆ」の意との説もあるようです。
師走(しわす)のいわれは、文字通り、1年の終わりである12月は、何かと
あわただしい日が続き、普段、どっしりと構えている師匠といえども趨走(す
うそう ちょこちょこ走る意)するので、師趨となり、これが「師走」となっ
たという説が有力だそうです。
季節の読み方と陰暦のいわれについては、
「子どもに伝えたい年中行事・記念日 萌文書林 編集部 編 萌文書林 刊」
を参考にさせていただきました。
12月といったら、何といっても大晦日です。「ちょっと待った!」と、さえ
ぎる声が聞こえそうです。
クリスマスですね、わかっています。子ども達が、最も楽しみにしている日で
すから。しかし、クリスマスはキリスト教の祭りで、12月だけ、にわか信者
になってお祝いするのも、おかしな話ではありませんか。バレンタイン・デー
や最近のハロウィンほどではないでしょうが、何やら商業主義の笛に踊らされ
ているような気がします。そう考えるのも、私にはクリスマスの思い出が、ほ
とんどないからかもしれません。戦争中、キリスト教は敵性宗教ですから、信
者は非国民扱いでした。「え、ウッソー! 信仰は、個人の自由でしょ!」と
は軽薄な言い方で嫌いですが、こんな声が聞こえてきそうです。若いお母さん
方には、信じられないでしょう。為政者が、その気になれば、宗教まで法律で
規制できるのですから、恐いことです。
一時、クリスマス・イブは、大人がどんちゃん騒ぎをする日でしたが、今は、
健全なホーム・パーティーになっているようです。質素に祝うのが、本来の在
り方です。しかし、毎年思うのは、あのデコレーション・ケーキです。翌日に
なると、ぐっと値が下がります。翌日がクリスマスですから、25日に豪勢に
とは、やはり、駄目なのでしょう。子どもの夢ですから、財布のひももゆるみ
ます。
ところで、「26日のクリスマスケーキ」という言葉を聞いたことはあります
か。結婚適齢期があった頃の話ですが、26歳になると「誰も手を出さない」
という意味で使っていたそうです。封建時代の婦道(女性の守るべき道)の名
残で、今どき、こんなことをいったら、袋叩きにあいますね。
それはさておき、北は北海道から南は沖縄まで、全国的に展開され、いや、世
界的な規模でのお祝いですが、キリスト生誕のことは、遠慮しておきましょう、
日本は、仏教と神道の国ですから。何やら、殊勝な態度のようですが、キリス
ト教について、よく知らないだけの話です。
しかし、なぜ、なぜ、どうしてと思う素朴な疑問は、数々あります。
★★12月25日は、キリストの誕生日ではない!?★★
「ナヌ……!?」
この歳時記には、筆者の不勉強から「……!?」が再三、姿を見せますが、第
1号は、キリストの誕生日です。読んだときはびっくりしました。例の、とい
っては不敬に当たると思いますが、馬小屋でお生まれになったあのお話は、ど
うなるのでしょうか。いろいろと探っていく内に、何と小さなお子さん用の歳
時記に、実にわかりやすく、説明されているではありませんか。
クリスマスは、イエス・キリストの生誕を祝うお祭りですが、聖書の中で
は、キリストの誕生日は特定されていません。4世紀頃、キリスト教が広
まるにつれて、統一された聖誕祭が必要となりました。その頃、力を持っ
ていたミトラ教のお祭りに対抗するために、12月25日に決められたと
いわれています。
(えほん百科 ぎょうじのゆらい 講談社 刊)
ミトラ教とは、ユーラシア大陸(ヨーロッパとアジアの総称 亜欧州)で信仰さ
れていた太陽の神、ミトラスのことで、12月25日はローマの冬至祭にあた
り、この日を境に短かった昼間が次第に長くなる、不滅の太陽の生まれ変わる
日と考えられていました。4世紀になり、この慣わしを取り入れ、「キリスト
こそ、私達の太陽」とあがめ、キリストの誕生日として祝うようになったので
す。信者の皆様方には不敬になるのをお詫びしながら申し上げますが、
「イエス・キリストが、この世に生まれたことをお祝いする日」であり、
「キリストが、神からこの世に送られてきたことを感謝する日」なのですね。
「きよし、この夜」は、やはり、心静かに感謝の心を込めて過ごす日なのです。
ところで、我が国にも馬小屋の前で生まれた方がいらっしゃいます。厩戸皇子
(うまやどのみこ)こと、聖徳太子です。厩戸の名前の由来は、お母さまが宮
中を見回っていた時に産気を催し、馬小屋の前で出産したからだそうですが、
当時(574年 敏達3年)、キリスト教の一派であった景教が、既に中国に来て
いたため、日本にもその話が伝わり、キリスト降誕説話と同じ伝説が生まれた
のでした。この話は黒岩重吾の歴史小説を読み覚えているのですが、本が見つ
かりません。(陳謝)
★★なぜ、クリスマスには「赤、緑、白」の三色になるのですか★★
このことです。どうしてクリスマスになると、「赤、緑、白」の三色になるの
でしょうか。12月になると、ジングルベルのメロデイーが流れ、この三色が
街にあふれます。デパートでこの色にお目にかからない売場は、ほとんどあり
ません。私は子ども達に、「赤はサンタさんの着ている服の色、緑はクリスマ
ス・ツリーの樅の木、白は雪です」といい加減な説明をしていました。ハワイ
で見たサンタさんは裸足でしたし、常夏の国ですから「白は雪」とはいえませ
ん。これも、当然のごとく訳ありでした。
クリスマスの色は、赤と緑と白である。キリストが人類のために十字架に
流した血の色は赤である。キリストの純潔を表す色は白、そしてキリスト
の永遠の命を象徴する色が緑である。
〔年中行事を「科学」する P245 永田久 著 日本経済新聞社 刊〕
★★なぜ、クリスマス・ツリーは、樅の木ですか★★
日本では、松の木でしょう。常緑樹は、いつも、みずみずしい姿ですから縁起
物には欠かせません。門松もその一つです。では、なぜ樅の木になったのでし
ょうか、これも訳ありでした。
クリスマス・ツリーは不滅のシンボルとして永遠の生命を表す常緑の木で
ある。12月24日は「アダムとイブ」の日といわれている。アダムは楽
園を追われたとき、生命の木から実を一つとってきた。その実から木が育
ち、キリストの十字架が作られたという。クリスマス・ツリーはアダムの
持ってきた「善意を知る木」であり、キリストを表す不滅の生命の木であ
る。
〔年中行事を「科学」する P244 永田久 著 日本経済新聞社 刊〕
クリスマス・ツリーは、アダムが楽園から持ってきた実から生まれたとは、こ
れまた驚きです。真冬にも枯れることなく青々と緑を茂らせ、花を咲かせる常
緑樹であることから、「厳冬に耐える生命力にあやかりたい」などと考えるの
は、やはり、不謹慎なわけですね。では、いつ頃からクリスマス・ツリーは、
飾られるようになったのでしょうか。
プロテスタントでは、クリスマス・ツリーは、マルティン・ルーテル
(1483~1546)が、初めて採用したのです。1529年のクリ
スマスの前夜、ルーテルが凍りついた雪の道を歩きながら、澄み切っ
た夜空を見上げると、無数の星が、美しく輝いていた。この星の輝き
を、キリストの愛と感じたルーテルは、樅の木を一本切り取り、木の
枝にたくさんのろうそくを灯し、感激した夜の情景を家の中に再現し
たのである。ギリシャ正教ではケルラリウスによって、1054年に
クリスマス飾りとして採用された。
〔年中行事を「科学」する P244~245 永田久 著 日本経済新聞社 刊〕
都会の空では無理ですが、清里の高原で見た星空は、まさに、星が降ってきそ
うな感じでした。陳腐な表現で申し訳ないのですが、神秘的でしたね。「神秘
的…」、この言葉も、影が薄くなってきたようです。
当時のクリスマス・ツリーは、どのようなものだったのでしょうか。
樅の木は、はじめは、ろうそくと林檎(りんご)で飾られていた。人々
は、キリストの光を表すろうそくと、豊穣を示す林檎によって、明日
の命、永遠の命を讃え、祈った。さらに樅の木は天使が飾りつけをす
る意味を象徴して、一本の銀の糸を「天使の髪」といって、飾りつけ
の最後に何気なく木にかけておく習わしがある。 (ふり仮名は筆者)
〔年中行事を「科学」する P245 永田久 著 日本経済新聞社 刊〕
本来の飾りは、ろうそくとりんごだけで、質素なものでした。今の樅の木は、
華やかです。靴までぶらさげ、物欲の権化のようになってはいますが、子ども
の夢ですから仕方がないでしょう。
ところで、樅の木の天辺に飾ってある星は、キリストが生まれたときに輝いた
星といわれ、「ベツレヘムの星」と呼ばれていますが、それがどの星に当たる
かは、定かではないそうです。
★★なぜ、クリスマス・リースは、柊なのですか★★
クリスマスといえば、樅の木が主役だと思っていましたが、玄関やプレゼント
の飾りつけにするクリスマス・リースも外せません。しかし、あれは柊(ひい
らぎ)の葉です。柊は、日本では鬼から身を守る魔除けの一つですが、これも
訳ありでした。
クリスマスシーズンに赤い実をつけ、緑の葉を持つ柊(holly)は、古
くから、ローマ人によって魔除けとして、また長寿の木として、サトゥル
ナリア、冬至祭にも用いられていたが、キリスト教がこの習慣を引き継ぎ、
棘(とげ)はキリストの受難、赤い実はキリストの血という解釈を与え、
クリスマスの愛の木としたのである。英語で(holly)がholy(神聖な)に
通じる縁起もあるのだろう。
〔年中行事を「科学」する P245 永田久 著 日本経済新聞社 刊〕
サトゥルナリアは、12月17日から25日まで祝われた古代ローマの祭りで、
農耕神サトゥルナリア
を祀り、闇を追い払う冬至祭のことです。ただし、リースに使う柊は「ひいら
ぎもち(Chinese holly)」と呼ばれ、赤い実をつけ、葉っぱもトゲの形も異な
り、節分に使う柊とは同じではありません。
ところで、クリスマスのテーマソングのような[Silent Night, Holy Night]、
日本では「きよし、この夜」ですが、いいですね。「静かで、神聖な夜」では、
ぶち壊しでしょう。日本の英語教育って、こんなことをやっていたのではない
でしょうか。だから、実用的な英語力が身につかなかったのではと、偉そうな
ことはいえませんが。「……いた」と過去形にこだわったのは、2002年度の指
導要領改定で、公立の小学校でも英語の授業が始まり、2018年から「読む
英語 “reading”から、話す英語“speaking”」と実践的な英語教育を目指す
ことになり、その効果に期待したいものですが、これも本人の努力次第です。
5月に亡くなられた上智大学名誉教授、英語文法史の大家、渡部昇一氏は、
「留学、結構だが、卒論はきちんとした英語で書かなければならないから大変
だよ」とおっしゃっていましたが、“writing”の難しいことは、皆さ
んも英作文で苦労されたのではないでしょうか。卒論は英作文と違い論文です
から、日本語を駆使できなければ書けません。このことを承知していないと困
ったことになるのでは。留学に憧れる若者の気持ちはわかりますが、生半可な
気持ちではだめだと思いますね。
古い話になりますが、ウィリアム・ホールデンとジェニファー・ジョーンズが
共演した映画 “Love is a many splendid thing” を「慕情」と訳した方がい
ましたが、これなども、うならされませんか。また、名女優、キャサリン・ヘ
ップパーンの演じた“Summer time in Venice”は「旅情」です。わずか二文字
の漢字に刺激を受け、映画館へ足を運んだものでした。
最近の映画は、題名が横文字のままのものが多くなっているようですが、映画
を見てから「なるほど!」と納得させられるようなタイトルが少なくなってい
るようで、残念な気がします。至る所で、横文字が大きな顔をしていますが、
日本語、捨てたものではありません。もっと大切に使うべきだと思いますね。
外国語を深く読み切る力が衰えているのではないでしょうか。
司馬遼太郎の「胡蝶の夢」(新潮文庫 刊 全4巻)などの作品は、幕末から
明治にかけ、オランダ語や英語を苦心惨憺して翻訳した人々の世界を活写した
もので、その大変な努力に、ただ、ただ、頭が下がるだけですが、私たちは、
今、その恩恵を受けていることに感謝しなければいけないのではと思いますね。
“reading”が果たした役目、これも日本の文化を支えてきた原動力の一つであ
ることは間違いないでしょう。
漢字仮名交じり文は、私達の祖先が英知を結集して、中国から伝わってき
た漢字から、カナ、ひらがなを作り、完成させた素晴らしい表記法であり
大変な文化財です。あまり知られていないようですが、アジア・アフリカ
諸国では、数学や物理、化学など自然科学を学ぶには、英語やフランス語
を習得しなければ出来ません。日本の高校生は微分、積分を日本語で学ん
でいますが、それを可能にしたのは日本の漢字文化なのです。母国語で自
然科学を学び研究出来るのは、世界でも奇跡に近いことでもあるのです。
日本から数々のノーベル賞の授賞者がうまれるのも、勿論、ご本人の努力
のたまものですが、自然科学を母国語で学べる素晴らしい教育環境である
ことも、子ども達にきちんと教えるべきではないでしょうか。
(「日本の科学教育は大丈夫か」 内科医 西岡昌紀 著 WILL 2014年
12月号より 要約)
4年連続受賞はなりませんでしたが、子ども達に、日本語で勉強するのが当た
り前だと思っている数学や物理、化学などの自然科学を、母国語で学べない国
もあることを話し、日本語の素晴らしさを教えてはいかがでしょうか。
(次回は、クリスマスの(2)についてお話しましょう)
暦の上では、12月から冬です。
物の本によると、冬という読み方は、「冷(ひ)ゆ」からといわれていますが、
他にも、冬が威力を「振るう」、寒さに「震(ふる)う」、動物の出産の時期
である「殖(ふ)ゆ」の意との説もあるようです。
師走(しわす)のいわれは、文字通り、1年の終わりである12月は、何かと
あわただしい日が続き、普段、どっしりと構えている師匠といえども趨走(す
うそう ちょこちょこ走る意)するので、師趨となり、これが「師走」となっ
たという説が有力だそうです。
季節の読み方と陰暦のいわれについては、
「子どもに伝えたい年中行事・記念日 萌文書林 編集部 編 萌文書林 刊」
を参考にさせていただきました。
12月といったら、何といっても大晦日です。「ちょっと待った!」と、さえ
ぎる声が聞こえそうです。
クリスマスですね、わかっています。子ども達が、最も楽しみにしている日で
すから。しかし、クリスマスはキリスト教の祭りで、12月だけ、にわか信者
になってお祝いするのも、おかしな話ではありませんか。バレンタイン・デー
や最近のハロウィンほどではないでしょうが、何やら商業主義の笛に踊らされ
ているような気がします。そう考えるのも、私にはクリスマスの思い出が、ほ
とんどないからかもしれません。戦争中、キリスト教は敵性宗教ですから、信
者は非国民扱いでした。「え、ウッソー! 信仰は、個人の自由でしょ!」と
は軽薄な言い方で嫌いですが、こんな声が聞こえてきそうです。若いお母さん
方には、信じられないでしょう。為政者が、その気になれば、宗教まで法律で
規制できるのですから、恐いことです。
一時、クリスマス・イブは、大人がどんちゃん騒ぎをする日でしたが、今は、
健全なホーム・パーティーになっているようです。質素に祝うのが、本来の在
り方です。しかし、毎年思うのは、あのデコレーション・ケーキです。翌日に
なると、ぐっと値が下がります。翌日がクリスマスですから、25日に豪勢に
とは、やはり、駄目なのでしょう。子どもの夢ですから、財布のひももゆるみ
ます。
ところで、「26日のクリスマスケーキ」という言葉を聞いたことはあります
か。結婚適齢期があった頃の話ですが、26歳になると「誰も手を出さない」
という意味で使っていたそうです。封建時代の婦道(女性の守るべき道)の名
残で、今どき、こんなことをいったら、袋叩きにあいますね。
それはさておき、北は北海道から南は沖縄まで、全国的に展開され、いや、世
界的な規模でのお祝いですが、キリスト生誕のことは、遠慮しておきましょう、
日本は、仏教と神道の国ですから。何やら、殊勝な態度のようですが、キリス
ト教について、よく知らないだけの話です。
しかし、なぜ、なぜ、どうしてと思う素朴な疑問は、数々あります。
★★12月25日は、キリストの誕生日ではない!?★★
「ナヌ……!?」
この歳時記には、筆者の不勉強から「……!?」が再三、姿を見せますが、第
1号は、キリストの誕生日です。読んだときはびっくりしました。例の、とい
っては不敬に当たると思いますが、馬小屋でお生まれになったあのお話は、ど
うなるのでしょうか。いろいろと探っていく内に、何と小さなお子さん用の歳
時記に、実にわかりやすく、説明されているではありませんか。
クリスマスは、イエス・キリストの生誕を祝うお祭りですが、聖書の中で
は、キリストの誕生日は特定されていません。4世紀頃、キリスト教が広
まるにつれて、統一された聖誕祭が必要となりました。その頃、力を持っ
ていたミトラ教のお祭りに対抗するために、12月25日に決められたと
いわれています。
(えほん百科 ぎょうじのゆらい 講談社 刊)
ミトラ教とは、ユーラシア大陸(ヨーロッパとアジアの総称 亜欧州)で信仰さ
れていた太陽の神、ミトラスのことで、12月25日はローマの冬至祭にあた
り、この日を境に短かった昼間が次第に長くなる、不滅の太陽の生まれ変わる
日と考えられていました。4世紀になり、この慣わしを取り入れ、「キリスト
こそ、私達の太陽」とあがめ、キリストの誕生日として祝うようになったので
す。信者の皆様方には不敬になるのをお詫びしながら申し上げますが、
「イエス・キリストが、この世に生まれたことをお祝いする日」であり、
「キリストが、神からこの世に送られてきたことを感謝する日」なのですね。
「きよし、この夜」は、やはり、心静かに感謝の心を込めて過ごす日なのです。
ところで、我が国にも馬小屋の前で生まれた方がいらっしゃいます。厩戸皇子
(うまやどのみこ)こと、聖徳太子です。厩戸の名前の由来は、お母さまが宮
中を見回っていた時に産気を催し、馬小屋の前で出産したからだそうですが、
当時(574年 敏達3年)、キリスト教の一派であった景教が、既に中国に来て
いたため、日本にもその話が伝わり、キリスト降誕説話と同じ伝説が生まれた
のでした。この話は黒岩重吾の歴史小説を読み覚えているのですが、本が見つ
かりません。(陳謝)
★★なぜ、クリスマスには「赤、緑、白」の三色になるのですか★★
このことです。どうしてクリスマスになると、「赤、緑、白」の三色になるの
でしょうか。12月になると、ジングルベルのメロデイーが流れ、この三色が
街にあふれます。デパートでこの色にお目にかからない売場は、ほとんどあり
ません。私は子ども達に、「赤はサンタさんの着ている服の色、緑はクリスマ
ス・ツリーの樅の木、白は雪です」といい加減な説明をしていました。ハワイ
で見たサンタさんは裸足でしたし、常夏の国ですから「白は雪」とはいえませ
ん。これも、当然のごとく訳ありでした。
クリスマスの色は、赤と緑と白である。キリストが人類のために十字架に
流した血の色は赤である。キリストの純潔を表す色は白、そしてキリスト
の永遠の命を象徴する色が緑である。
〔年中行事を「科学」する P245 永田久 著 日本経済新聞社 刊〕
★★なぜ、クリスマス・ツリーは、樅の木ですか★★
日本では、松の木でしょう。常緑樹は、いつも、みずみずしい姿ですから縁起
物には欠かせません。門松もその一つです。では、なぜ樅の木になったのでし
ょうか、これも訳ありでした。
クリスマス・ツリーは不滅のシンボルとして永遠の生命を表す常緑の木で
ある。12月24日は「アダムとイブ」の日といわれている。アダムは楽
園を追われたとき、生命の木から実を一つとってきた。その実から木が育
ち、キリストの十字架が作られたという。クリスマス・ツリーはアダムの
持ってきた「善意を知る木」であり、キリストを表す不滅の生命の木であ
る。
〔年中行事を「科学」する P244 永田久 著 日本経済新聞社 刊〕
クリスマス・ツリーは、アダムが楽園から持ってきた実から生まれたとは、こ
れまた驚きです。真冬にも枯れることなく青々と緑を茂らせ、花を咲かせる常
緑樹であることから、「厳冬に耐える生命力にあやかりたい」などと考えるの
は、やはり、不謹慎なわけですね。では、いつ頃からクリスマス・ツリーは、
飾られるようになったのでしょうか。
プロテスタントでは、クリスマス・ツリーは、マルティン・ルーテル
(1483~1546)が、初めて採用したのです。1529年のクリ
スマスの前夜、ルーテルが凍りついた雪の道を歩きながら、澄み切っ
た夜空を見上げると、無数の星が、美しく輝いていた。この星の輝き
を、キリストの愛と感じたルーテルは、樅の木を一本切り取り、木の
枝にたくさんのろうそくを灯し、感激した夜の情景を家の中に再現し
たのである。ギリシャ正教ではケルラリウスによって、1054年に
クリスマス飾りとして採用された。
〔年中行事を「科学」する P244~245 永田久 著 日本経済新聞社 刊〕
都会の空では無理ですが、清里の高原で見た星空は、まさに、星が降ってきそ
うな感じでした。陳腐な表現で申し訳ないのですが、神秘的でしたね。「神秘
的…」、この言葉も、影が薄くなってきたようです。
当時のクリスマス・ツリーは、どのようなものだったのでしょうか。
樅の木は、はじめは、ろうそくと林檎(りんご)で飾られていた。人々
は、キリストの光を表すろうそくと、豊穣を示す林檎によって、明日
の命、永遠の命を讃え、祈った。さらに樅の木は天使が飾りつけをす
る意味を象徴して、一本の銀の糸を「天使の髪」といって、飾りつけ
の最後に何気なく木にかけておく習わしがある。 (ふり仮名は筆者)
〔年中行事を「科学」する P245 永田久 著 日本経済新聞社 刊〕
本来の飾りは、ろうそくとりんごだけで、質素なものでした。今の樅の木は、
華やかです。靴までぶらさげ、物欲の権化のようになってはいますが、子ども
の夢ですから仕方がないでしょう。
ところで、樅の木の天辺に飾ってある星は、キリストが生まれたときに輝いた
星といわれ、「ベツレヘムの星」と呼ばれていますが、それがどの星に当たる
かは、定かではないそうです。
★★なぜ、クリスマス・リースは、柊なのですか★★
クリスマスといえば、樅の木が主役だと思っていましたが、玄関やプレゼント
の飾りつけにするクリスマス・リースも外せません。しかし、あれは柊(ひい
らぎ)の葉です。柊は、日本では鬼から身を守る魔除けの一つですが、これも
訳ありでした。
クリスマスシーズンに赤い実をつけ、緑の葉を持つ柊(holly)は、古
くから、ローマ人によって魔除けとして、また長寿の木として、サトゥル
ナリア、冬至祭にも用いられていたが、キリスト教がこの習慣を引き継ぎ、
棘(とげ)はキリストの受難、赤い実はキリストの血という解釈を与え、
クリスマスの愛の木としたのである。英語で(holly)がholy(神聖な)に
通じる縁起もあるのだろう。
〔年中行事を「科学」する P245 永田久 著 日本経済新聞社 刊〕
サトゥルナリアは、12月17日から25日まで祝われた古代ローマの祭りで、
農耕神サトゥルナリア
を祀り、闇を追い払う冬至祭のことです。ただし、リースに使う柊は「ひいら
ぎもち(Chinese holly)」と呼ばれ、赤い実をつけ、葉っぱもトゲの形も異な
り、節分に使う柊とは同じではありません。
ところで、クリスマスのテーマソングのような[Silent Night, Holy Night]、
日本では「きよし、この夜」ですが、いいですね。「静かで、神聖な夜」では、
ぶち壊しでしょう。日本の英語教育って、こんなことをやっていたのではない
でしょうか。だから、実用的な英語力が身につかなかったのではと、偉そうな
ことはいえませんが。「……いた」と過去形にこだわったのは、2002年度の指
導要領改定で、公立の小学校でも英語の授業が始まり、2018年から「読む
英語 “reading”から、話す英語“speaking”」と実践的な英語教育を目指す
ことになり、その効果に期待したいものですが、これも本人の努力次第です。
5月に亡くなられた上智大学名誉教授、英語文法史の大家、渡部昇一氏は、
「留学、結構だが、卒論はきちんとした英語で書かなければならないから大変
だよ」とおっしゃっていましたが、“writing”の難しいことは、皆さ
んも英作文で苦労されたのではないでしょうか。卒論は英作文と違い論文です
から、日本語を駆使できなければ書けません。このことを承知していないと困
ったことになるのでは。留学に憧れる若者の気持ちはわかりますが、生半可な
気持ちではだめだと思いますね。
古い話になりますが、ウィリアム・ホールデンとジェニファー・ジョーンズが
共演した映画 “Love is a many splendid thing” を「慕情」と訳した方がい
ましたが、これなども、うならされませんか。また、名女優、キャサリン・ヘ
ップパーンの演じた“Summer time in Venice”は「旅情」です。わずか二文字
の漢字に刺激を受け、映画館へ足を運んだものでした。
最近の映画は、題名が横文字のままのものが多くなっているようですが、映画
を見てから「なるほど!」と納得させられるようなタイトルが少なくなってい
るようで、残念な気がします。至る所で、横文字が大きな顔をしていますが、
日本語、捨てたものではありません。もっと大切に使うべきだと思いますね。
外国語を深く読み切る力が衰えているのではないでしょうか。
司馬遼太郎の「胡蝶の夢」(新潮文庫 刊 全4巻)などの作品は、幕末から
明治にかけ、オランダ語や英語を苦心惨憺して翻訳した人々の世界を活写した
もので、その大変な努力に、ただ、ただ、頭が下がるだけですが、私たちは、
今、その恩恵を受けていることに感謝しなければいけないのではと思いますね。
“reading”が果たした役目、これも日本の文化を支えてきた原動力の一つであ
ることは間違いないでしょう。
漢字仮名交じり文は、私達の祖先が英知を結集して、中国から伝わってき
た漢字から、カナ、ひらがなを作り、完成させた素晴らしい表記法であり
大変な文化財です。あまり知られていないようですが、アジア・アフリカ
諸国では、数学や物理、化学など自然科学を学ぶには、英語やフランス語
を習得しなければ出来ません。日本の高校生は微分、積分を日本語で学ん
でいますが、それを可能にしたのは日本の漢字文化なのです。母国語で自
然科学を学び研究出来るのは、世界でも奇跡に近いことでもあるのです。
日本から数々のノーベル賞の授賞者がうまれるのも、勿論、ご本人の努力
のたまものですが、自然科学を母国語で学べる素晴らしい教育環境である
ことも、子ども達にきちんと教えるべきではないでしょうか。
(「日本の科学教育は大丈夫か」 内科医 西岡昌紀 著 WILL 2014年
12月号より 要約)
4年連続受賞はなりませんでしたが、子ども達に、日本語で勉強するのが当た
り前だと思っている数学や物理、化学などの自然科学を、母国語で学べない国
もあることを話し、日本語の素晴らしさを教えてはいかがでしょうか。
(次回は、クリスマスの(2)についてお話しましょう)
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