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めぇでるコラム : 2017保護者: 2016年1月

さわやかお受験のススメ<保護者編>何といっても正月ですね【一月に読んであげたい本】

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2017さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第12号-
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第3章(3)何と言っても正月ですね 
【一月に読んであげたい本】
 
奄美大島に115年ぶりの雪。今朝、起きた時、寒暖計を見ると、何と2度し
かありません。寒いわけですね。風邪が流行っているようです。お子さんに手
洗いとうがいを励行するように心がけましょう。難しいですが、習慣になれば
黙ってもやるようになります。
 
正月に関するむかし話は、たくさんありますが、この話は欠かせないでしょう。
「子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥」の十二支のことで、こ
れを決めた事の次第を話にしたものですが、いたちが出てくるとは知りません
でした。
 
◆十二支のはじまり   小沢 重雄 著
「元旦の朝、新年のあいさつにきた順番に、その動物の年にして、人間世界を
守らせてやる。ただし、一番から十二番まで」と神様からのお触れが出て、動
物たちは大喜び。ところが、ねこは、その日を忘れてしまい、運良く、本当は
運悪くですが、会ったねずみに、二日目の朝だと嘘をつかれます。計られたと
も知らずに、ねこは神様のお住まいになる御殿の門を叩いたのですが、「十二
支は決まった。寝ぼけていないで、顔でも洗ってこい!」
と神様に怒られ、だまされたと気づいたのです。それからというもの、ねこは
寝ぼけないように、いつでも顔を洗うようになり、嘘を教えたねずみを追いか
けるようになったのでした。
 ところが、ねこの他にも十二支に入れなかった動物がいました。いたちです。
お触れがこなかったから、やり直してほしいと申し立てをします。手を焼いた
神様でしたが、名案を考え出します。
「一年に十二日だけ、おまえの日にしてあげよう。月の始めは縁起のいい日だ
から。ただし、『いたちの日』とすると、他の動物が騒ぎだすから、頭に「つ」
をつけることにしよう。数をいうときには、一つ、二つと、必ず『つ』をつけ
る大切な字だから」と提案をします。
「つ、いたちですか?」
「いや、いや、『つ、いたち』では、わかってしまうから、『ついたち』と続
けていうことにしよう」と説得され、月の初めを「ついたち」と呼ぶようにな
ったのです。
 一月のおはなし ねこの正月 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修 
                   日本民話の会 編 国土社 刊
 
12月にもお話しましたが、朔日(ついたち)は、月立(つきたち)の音便で、
こもっていた月が出はじめる意味からできた言葉ですが、これを読んだとき、
しばらく笑いが止まりませんでした。神様といたちのやりとりが、本当におか
しいのです。しかも、場所は図書館でしたから、困りはてた様子をご想像くだ
さい。
 
5、6歳の子どもにとって、一日から十日までと、十四日、二十日、二十四日
は、漢字の音読みと訓読みが、入り混じっていますから覚えるのも難しく、き
ちんといえる子はあまりいません。一日は、これで覚えられますね。二十日は、
「二十日ネズミは二十日間しか生きられないから二十日ネズミというんだよ」
と、得意そうに教えてくれた子がいましたが、真相は定かではありませんけれ
ど、これで覚えられるでしょう。(※実際には妊娠期間が20日だそうです 
<編集者注>)
 
ところで、かつて小学校1年生の子どもが、この読み方を歌にしたものがある
といって歌ってくれましたが、実にうまくできていて、これで簡単に覚えられ
ます。題名を思い出せなかったのですが、何でもありのYouTubeで見つ
けました。「日付の歌」でクリックすると、2曲続けて出てきます。
歌詞の紹介で「とおか」が「とうか」となっていましたが、よく間違える仮名
遣いで、1年生の時に習います。「遠くの、大きな、氷の上を、多くの、狼が、
十ずつ、通った」は全部「お」と子どもの頃に習ったと、“YAHOO!
JAPAN 知恵袋”に出ていました。やはり、間違えやすいんですね(笑)。
 
日付の歌
♪いちは「ついたち」には「ふつか」さんは「みっか」で よんは「よっか」
ごは「いつか」ろくは「むいか」ななは「なのか」はちは「ようか」きゅうは
「ここのか」じゅうは「とおか」にじゅうは「はつか」♪
 
“Days of the month in Japanese”
♪ついたち ふつか みっか よっか いつか
 むいか なのか ようか ここのか とおか
 じゅうよっか じゅうくにち はつかは私の誕生日♪(少し省略しています)
 
「日付の歌」は、スローテンポで二十日までの入門編。リズミカルに歌うのが、
“Days of the month in Japanese”で、子どもが歌ってくれたのはこれだと
思います。少し難しいかもしれませんが、お子さんに聞かせてみてはいかがで
しょうか。子ども達は、興味があれば、すぐに覚えてしまうからです。
 
正月といえば、欠かせないのは七福神でしょう。この話には、神様一人ひとり
の紹介はありませんが、七福神の話です。これと似た話で、大晦日に長者に宿
を断られた乞食が、貧乏人の家に泊めてもらい、そのお礼に若水をもらい若返
った話を聞いた長者が、乞食を無理やり泊まらせ若水を強要し、あまり欲張っ
たために猿になった話や、赤ん坊になってしまうのもあります。暮れから正月
の話ですが、七福神の登場ということで、一月の話にしました。
(注 若水…縁起を祝って、元日の朝早く汲む水。古くは立春の日に汲んだもの)
 
◆正月の神さん   渋谷 勲 著
ある年の大晦日に、貧乏なじいさまの家へ、七人の旅人が来て、笠を貸してほ
しいというので、家中、探したのですが六人分しかなく、大事にしまっていた
ご祝儀用の合羽を貸したのでした。
 それから一年たった大晦日の晩のことです。今年も年越しのご馳走の用意が
できずに、白湯を呑んでいると、急に騒がしくなり、あの七人の旅人が入って
きたではありませんか。実は、旅人は神様で、笠のお礼にきたのでした。打出
の小槌から、米や魚やら二人の欲しいものが何でも出て、寝る場所もなくなる
ほどです。もっと欲しいものはないかという神様に、「もう少し若ければ、子
どもを授かりたいものだ」とおばあさんはいいました。すると神様は、「明日
は、元旦だ。目が覚めたら、二人そろってあいさつをしなさい」といって帰っ
たのです。
元旦の朝、目を覚ました二人は、「おめでとう」とあいさつをすると、十七、
八のいい若者になり、それからというもの、何人もの子宝に恵まれて一生、安
穏に暮らしたのでした。
 一月のおはなし
      ねこの正月 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
        日本民話の会・編 国土社 刊
 
七福とは、「仁王経」(仁王護国般若波羅蜜経)の「七難即滅して七福即生す」
に由来するものといわれ、江戸時代を築いた徳川家康が、七福によって天下を
統一したとして、家康の相談役・天海僧正が、神仏の七徳を崇めるようにと七
福神信仰を勧めたため、江戸時代に流行したものです。
ちなみに、七徳とは、恵比寿の清廉、大黒の有徳、弁財天の愛敬、毘沙門天の
威光、福禄寿の人望、寿老人の長寿、布袋の大量(心が広いこと)をいいます。
 
ところで、七福神の国籍(?)を調べてみると、恵比寿は日本の神道、大黒天
と毘沙門天はインドの仏教、弁財天はインドのヒンドゥー教、そして布袋、寿
老人、福禄寿は中国の道教から生まれた神様なのです。
異教の神様や仏様を、いくら「呉越同舟」(呉・越、共に中国は春秋十二国の
一つで、互いによく争ったことから、仲の悪いもの同士が一所にいること)の
四字熟語があるからといって、同じ船にお乗せして問題が起こらないのでしょ
うか。キリスト教など他の宗教では考えられないことです。「融通無碍(ゆう
ずうむげ)考え方や行動が、何事にもとらわれず自由であること」というので
しょうか、本当に、日本人らしいですね。泥沼に入ってしまったイスラム国問
題、何とかおさまってほしいものです。
 
昔は、帆掛け船に乗った七福神の絵を枕の下にしいて、いい夢を見たそうです
が、私もそのようにした記憶はありませんから、かなり前の話のようです。そ
の夢ですが、正月というと、これも忘れられませんね、初夢です。初夢は室町
時代には、除夜から元旦にかけて見る夢でした。それが江戸時代の中頃から、
除夜は起き明かす習慣となり、元旦の夜に見る夢となっていましたが、「すべ
ての事始めは二日」ということから、今では二日の夜に見る夢となったのです。
これも、一つ紹介しておかないといけないでしょう。
 
◆ゆめみこぞう   渋谷 薫 著
ある長者のところに、風呂たきをしている、灰坊と呼ばれる若者がいました。
ある正月の二日の晩、灰坊は、よい夢を見たのです。その夢を長者が買おうと
いいますが、灰坊は売りません。怒った長者は下男に命じ、灰坊を縛り上げて
木箱の中へ詰め、海に投げ込んでしまいました。
 二十一日間、波に揺られて着いたところは、鬼が島。鬼の親方に食べられる
前に、海に流されたわけを聞かれ、その話をすると、親方が、その夢をくれれ
ば食わないで、家に返してやるという。断ると、三つの宝物、刺すと死ぬ死に
針、死人を生き返せる生き針、千里を一飛びする千里車と交換しないかと灰坊
の前に置いたのですが、灰坊が「本物か?」と疑わしそうにいうと、試してみ
るがよいと腕を出したので、灰坊は、その腕に死に針を刺して殺し、生き針を
持って千里車に乗り、鬼が島を脱出したのです。
着いたところが、ある村の観音さまのお堂。休んでいると、お参りに来た人達
が、朝日長者の十七になる娘が死んだと話しているのです。それを聞いた灰坊
は、長者の家にかけつけ、「死んだ者を生き返す、日本一のお医者さま! 死
んだ者は、おらんかなー!」と大声で叫びます。直ぐに死んだ娘の座敷に案内
され、人払いをしてもらい、生き針を娘に刺してみると、生き返ったのです。
喜んだ長者は、婿になってほしいと頼み込み、灰坊は朝日長者の娘婿になった
のです。これこそ灰坊が、見た夢、そのものだったのです。
  一月のおはなし
     ねこの正月 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修 日本民話の会・編
                              国土社 刊
正月ですから、ご祝儀を一つ。
これも、むかし話の定番ですが、継母の子どもいじめです。「親になるにもラ
イセンスが必要」とおっしゃった方がいるそうですが、幼子への虐待は、親と
いえども許されることではありません。ましてや親の手にかかり殺される子は、
どんな気持ちでこの世を去ったのでしょう。殺人犯は、実の親なのですから……。
また、ごく普通の家庭でも、父親は女の子に、母親は男の子に甘くなりがちで
す。子どもは、小さい目で、しっかり見ていることを忘れないでほしいもので
す。
 
話に出てくる季節の変わる様子は、古い話で恐縮ですが、高校時代に観た映画、
マルシャークの「森は生きている」を思い出します。気まぐれな女王が、真冬
に4月の花であるマツユキソウをほしいといい、継母の言いつけで吹雪の森へ
行き、12月の妖精たちに出会う話となっています。これと同じような話が、
スロバキアの民謡に「マルーシカと12の月」があります。こういった話を聞
くたびに、人間の考えることは「同じなんだな」と、しみじみと嬉しくなりま
す。
 
◆六月のむすこ   松谷 みよ子 著 
 むかし、あるところに母親と二人の娘がいて、妹は実の子、姉はまま子でし
た。ある年の正月、妹はいちごを食べたいといいます。母親も取り合わなかっ
たのですが、わがままに育てられていますから押し切られ、姉は取ってこいと
かごを背負わされて、山へ向かいますが、いちごなどあるわけがありません。
途方にくれていると、白いひげのじいさまと会い、訳を聞いてくれ、あたたか
い感じのする家に案内されたのでした。いろりの前に姉を座らせ、この家に一
月から十二月まで、十二の月の兄弟と住んでいて、どの息子も自分の月を呼び
出せるといい、声をかけると、奥から一人の若者が出てきたのです。訳を話す
と、今は一月、私の出る番の六月まで、一月から五月までの五人の兄弟の助け
が必要だという。再び声をかけると、五人の若者が現れ、みんな外へ出たので
す。すると雪がとけ、あたたかな日がさし、土が姿を見せ、草や木の芽がもえ、
花が咲き、小鳥は歌い、いちごが実ったのです。かごいっぱいに摘んだのを見
たじいさまに、「雪が降らない内に帰りなさい」といわれ、走るように山を下
った後から雪が降りはじめ、ふもとに着くと山は、もとの銀世界でした。
 家に帰ると、二人でいちごを瞬く間に食べたばかりか、妹はもっと食べたい
と泣きわめき、母親は殿さまにあげればご褒美にありつけたと悔しがり、再び
山へ行けというのです。
姉は不思議なじいさまとの出会いを話し、二度は無理だというのですが、「い
うことを聞けんのか!」と怒り狂っていましたが、急に気が変わり、二人でじ
いさまに会ってくると出かける準備をはじめます。姉は必死に止めましたが、
大きなかごを背負い山へ出かけたきり、二度と戻って来ませんでした。
  日本むかしばなし 18
     まほうをとくむすめ 民話の研究会 編 櫓良 良春 絵
                      ポプラ社 刊
 
最近、継母という言葉は余り聞かないようになりましたが、幼児虐待の話はよ
く聞きます。
それも、育児に一所懸命なお母さんが虐待しがちだと聞くと、救いがありませ
ん。四六時中、お子さんと顔を合わせていますから、あまりのわからず屋にカ
ッとなる時もあるでしょう、わかります。しかし、そこが我慢のしどころです。
育児には、「耐えて、忍ばなければならない時期」があります。心の傷は間違
いなく子どもの心に残り、それを背負って生きていくものです。子育ては、
「育児」しながら「育自」することです。お母さん方は、自力で自身を成長さ
せなくて、誰がさせてくれますか。誰も、力を、機会を与えてくれません。そ
の教材が、お子さんと考えてはいかがでしょうか。お子さんは、ご両親で作る
環境でしか育ちません。ご両親が心を一つにして育児に専念するのは、幼児期
だけではないでしょうか。子どもは授かりものです。授からない人も、多くい
ることを考えてみましょう。
そして、ご自身を育ててくれたご両親、特にお母さん方は、同じ苦労をしてき
たことを思い起こすべきで、この気持ちを忘れないことが大切ではないでしょ
うか。
 
ところで、狭山市で起きた幼児虐待事件、あれは虐殺、殺人ではないか。3人
目の子供を妊娠しているそうです。子どもを授からない女性がいる世の中で、
あえてこの彼女に新しい命を授けるとは、神や仏は、何をしているのだ! も
うろくしたのか、コウノトリ!(激憤)
 
心を静めまして、「七草」に関する話が「御伽草紙」にあります。若いときは、
とかく親のことなど考えないものです。だから「今の若い者は」などと口幅っ
たいことは言いません。しかし、「親孝行、したいときには親はなし」……実
感しています。
 
この「御伽草紙」には、「鉢かつぎ」「酒呑童子」「浦島太郎」「ものぐさ太
郎」など子どもの頃に聞いた懐かしい話が入っています。中でも傑作なのは
「猫の草紙」で、昔は猫も首輪をされていたそうです。ところが、「首輪をし
てはならぬ」とのお触れが出て、それまで自由に走り回っていたねずみは、猫
に捕まり食い殺される恐怖の世界に一変するのです。
「十二支の始まり」と同様、猫とねずみの因果関係を納得させられる話です。
原文を読むのは少し面倒ですが、図書館の子どもの部屋には、小学生から中学
生向きに書き直されたものがあり気軽に読めます。現代人が忘れかけているも
のがたくさんありますが、ロマンも、その一つではないでしょうか。
 
◆七草草紙 北畠 八穂 著
正月七日に七草がゆを食べる習慣になったのは、唐国(中国)の楚の国のそば
に住んでいた、大しゅうという人が始めたものだそうです。大しゅうの両親は
百歳をこえ、腰は曲がり、目も耳も悪くなるばかり。そこで、両親を若くした
いと、天地の神仏に二十一日間、祈ったのでした。すると、二十一日目の夕方、
帝釈天王が現れ、若返りの秘訣を授けてくれたのです。それは須弥山(しゅみ
せん 仏教でいう世界の中心にそびえ立つ高山のこと)に棲む白鵞鳥が八千年
も生きるのは、春に七色の草を集めて食べるからで、その白鵞鳥の命を両親の
命にしてあげようと、摘んでくる七草の種類、たたく順序、時間など秘薬にす
る方法を授けたのです。大しゅうは、七草を集め、六日の夕方からたたきだし、
七日の朝に飲ませると、両親は若さを取り戻したのでした。この話が帝にも届
き、褒美として広い土地をあたえ、殿さまにしたのです。それから正月七日に
七草を帝へ差しあげることになったそうです。このように親に心を尽くす人に
は、天の幸いが授かるのです。 
  御伽草子  古典文学全集 13 ポプラ社 刊
 
元旦に井戸から水を汲み年神様に供えた「若水」、これを飲むと1年中の邪気
を払うといわれたしきたりも姿を消したようですね。飲料水を井戸から汲むこ
ともなくなったのではないでしょうか。
 
来週は節分ですね。お父さん、大きな声を出して、元気いっぱいに豆まきをし
ましょう。最近、やらない家庭が増えているようですが、お子さんには、楽し
い思い出になります。幼稚園や保育園で、節分の話を聞いているはずです。小
さな夢を育ててあげましょう。
(次回は、「第4章 豆まき、節分でしょう」についてお話しましょう)
 

さわやかお受験のススメ<保護者編>何といっても正月ですね 睦月

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2017さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第11号-
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第3章(2)何といってもお正月ですね  睦月
 
降りましたね。川越は初雪で15cm程積りました。「今年の天気予報は当た
らないから」とプランターを入れ忘れ、ビオラやパンジーなどが雪に埋もれて
しまいました。花は動けないだけに、きちんと面倒を見てあげなければ、花を
愛でる資格なしですね。(反省)
 
今年で31回を迎えた「東京私立小学校児童作品展」は、1月27日(水)か
ら2月1日(月)まで、銀座の松屋で開催されます。毎年、意欲的な作品が展
示され興味が尽きませんが、昨年の学習院初等科の「12の月の物語」は、全
校生800余名が参加した力作で、見ごたえがありました。拙著の歳時記と同
じ各月の特長、1月「雪だるま」・2月「鬼」・3月「お雛さま」・4月「桜」
・5月「鯉のぼり」・6月「雨傘」・7月「星座」・8月「花火」・9月「う
さぎ」・10月「ハロウイーン」・11月「酉の市」・12月「サンタクロー
ス」をテーマに、現代っ子の感性が伺えた楽しい集合作品で、30分ばかり見
とれてしまいました(笑)。学習院初等科のホームページを開き「初等科のニ
ュース」の「最近の記事」をクリックすると作品の一部を見ることができます。
 
◇お節料理◇
お雑煮を食べながらいただくのがお節料理です。木製できれいな絵や模様で飾
られ、二重から五重に積み重ね最上段にふたのある重箱にいろいろな料理を詰
めます。お節料理は、元旦の朝に神様と一緒にお祝いをして、家族が健康で良
いことがたくさんあるように、お祈りをするための食事ですから、縁起ものし
か選ばれません。
 
「三つ肴」または「祝い肴」といって、この三種でお節料理を代表するものが
ある。三は完全を意味し、全体を一つにまとめる働きをしている。三つ肴とは、
関東では黒豆、数の子、五万米(ごまめ)をいい、関西では、黒豆、数の子、敲
き牛蒡(たたきごぼう)をいう。
(年中行事を『科学』する 永田 久 著 日本経済社 刊 P9)
 
黒は魔除けの色といわれ悪魔が嫌う色、豆は「まめに生きる」、真面目に健康
に生きる願いが、数の子は、鰊(にしん)の卵巣で、数万の卵があることから
「数多い子」、子孫繁栄の意味で縁起がよいといわれ、「春告魚」とも書き
「春よ、早く来い!」と願い、ごまめは「五万米」とも書くことで豊作を、牛
蒡(ごぼう)は、お米がたくさん取れた時に飛んでくるといわれる黒い瑞鳥を
表したものです。
この三つは、必ず食べたそうで、私は、きんとん、だて巻き、かまぼこ、海老
や鯛、八つ頭(里芋の一種)こんにゃくなどを食べていました。きんとんは
「金団」と書いて「金の塊」のこと、だて巻の「伊達」は「粋で美しい様」、
かまぼこの赤は黒と同様に「魔よけ」、白は「清浄」を表し、八つ頭は「人の
頭に立つ人になってほしいことを願っている」といったように、お節料理は縁
起を担いだ食べ物からできています。
 
正式なお節料理は、四段重ねです。上から一の重、二の重といい、一の重には
三つの肴、黒豆、数の子、ごまめ、二の重は「口取り」といい金団、ゆず玉、
だて巻などオードブルが、三の重は海老や鮑、鯛などの「海の幸」を、四の重
は「与の重」といい、八つ頭、はす、くわい、里芋などの「山の幸」を入れ、
詰める品数は奇数がよいとされ、ここまでこだわります。  
料理の中心は煮物ですが、素材をそのまま煮炊きできませんから、下ごしらに
手間がかかり、味付けで素材の持ち味が決まる料理ですから、暮の台所はまさ
に戦場で、今のようにお節を買って済ませる時代ではなく、全部自前でこしら
えていましたから大変な騒ぎであったことを覚えています。お節料理は、三が
日の間、お母さん方から料理する手間を開放してあげる配慮があったと聞きま
したが、その通りではなかったでしょうか。
 
ところで、祝いの膳に欠かせない尾頭付きの鯛ですが、徒然草では鯉が「やん
ごとなき魚なり」と紹介されています。世界の四大聖人の一人、孔子の子息の
名前は「鯉」といいますが、王様からお祝いに鯉を頂いたことから命名された
そうで、当時、中国での魚の王様は鯉でした。ところが、江戸時代になると鯛
が祝い膳のトップに躍進し、今に至ってもその座を他の魚に許していません。
「めでたい」の語呂だけではなく、姿、形がよく、色鮮やかで、生でも焼いて
も汁にしてもうまい、これでしょうね。しかし、親父は「鯛はいつでも食べら
れるから旬がなく、その分、損しとるのや」と言っていましたが、今では鰹や
秋刀魚も、いつでも食卓に上がります。食生活は豊かになりましたが、そのた
めに失ったものもたくさんあります。季節感が希薄になったのも、その一つで
しょう。魚に限らず旬のものは、その時にしっかりと食べ、季節感を味わいま
しょう。
 
◇屠 蘇◇
読み方からしてやっかいですが、「とそ」といって、山椒、肉桂(にっけい)、
桔梗(ききょう)、ぼうふうなどの薬草を、砕いて調合した屠蘇散をひたした
味醂のことで、これが正月のセレモニーの主役でした。これを杯に注いで、
「おめでとうございます」と父がいわないことには、新年の朝祝いは始まりま
せん。これは、不老長寿の効き目があるといわれ、正月の祝い酒でした。山椒
はうなぎを食べるときに使うものですし、肉桂はにっきのことで刺激が強く、
桔梗は根を干したものはせき止めの薬で、ぼうふうはセリの仲間です。聞いた
だけで、飲むのを遠慮したくなりませんか。親父からちょっとなめさせてもら
いましたが、大人は、なぜ、こんなまずいものを飲みたがるのか不思議な気が
しました。 
 
しかし、何事も訳ありです。
屠蘇は、「鬼気を屠絶し、人魂を蘇生させる」という意味があり、「その年の
邪気を払い、寿命をのばす働きがある」と信じられ、正月には欠かせない祝い
酒でもあったのです。屠蘇で乾杯して大人はお酒です。子どもはお節料理を食
べながら、お雑煮をいただきますが、両親とも着物です。母は着物の上に、袖
付きの前掛けというのでしょうか、割烹着をつけていました。親父は立派に見
え、母はきれいだと思ったものです。そして、なぜか子どもたちも新しい服を
着せられていました。新しい年神様を、誠心誠意でお迎えした雰囲気がありま
したね。
 
当時は、4本足の座卓、ちゃぶ台で、正座をして食事をしていました。姿勢が
崩れると父が、恐い顔してにらみますから、おかしないい方ですが、真剣に、
真面目に食べていました。ですから、姿勢もよくなり、マナーも身についたも
のです。現代っ子は、姿勢の悪い子もいますし、妙なはしの持ち方の子もいま
す。ご飯をぼろぼろとこぼしても平気な子もいます。食事中は、テレビを消し
ましょう。4、5歳の子には、「食べながら見る」といった二つの作業をこな
すのは難しいものです。私の子ども時代と最も違ったのは食事ではないでしょ
うか。テレビはありませんから、食事は人が中心で、一家団欒の一時であり、
家族の会話があったような気がします。しかし、椅子とテーブルになって、子
どもたちの足が長くなり、スタイルもよくなりましたが、子どもに教えるべき
生活習慣やしつけの面で失ったものも、数々あります……。昔から守られてき
たよき習慣、礼儀作法などが姿を消してしまったのも、私達親が選択したので
あり、子ども達の責任ではありません。「現代っ子は……」という前に、反省
すべきは、そういう環境を作ってきた私達、大人達であることを、肝に銘じて
おきたいものです。
 
そして、年の順にお年玉を貰いますが、これが楽しみでした。でも、わずかで
したね。
現代っ子は、銀行に預けるほど貰えるようですが、これは不労所得です。汗水
を流さずに、お金をたくさんもらうのは、決してよいことではありません。子
ども時代にこそ、「分相応の精神」をしっかりと理解させるべきではないでし
ょうか。
 
★★初詣★★
朝祝いが済むと、近所の氏神さまへお参りをします。全国的に有名な神社、仏
閣に参拝しているようですが、生まれた土地の神さま、産土(うぶすな)神社
へ、神さまに失礼にならない服装に着替え、出かけるべきではないでしょうか。
そして、お子さんにも神前で、静かに頭を下げ、新年の希望や誓いなどをさせ
ましょう。目に見えない大いなる存在に畏怖を抱くのは、決して悪いことでは
ありません。親が、きちんと礼拝をする姿を見せれば、それで十分なのです。
 
我々日本人は畏怖することを忘れ、目に見えないものを敬うことを忘れ始めた
ような気がしてなりません。(「平成お徒歩日記」 宮部 みゆき 著
 新潮社 刊 P193)
 
神戸で起きた小学生殺人事件の容疑者が逮捕されたときの作者の言葉ですが、
忘れられない一言となっています。今でも「透明な存在である自分」なのか聞
いてみたい。昨年発売された「絶歌」、元少年A(33歳)は、100万部売れ
ると豪語したとか。それにしても、いつまで元少年Aで過ごすのか。(憤怒)
 
帰りには、不幸をもたらす悪魔を払う「破魔矢」や、七転び八起きを願う「だ
るま」などの縁起物を買い、そのいわれを話してあげ部屋に飾っておきましょ
う。子どもなりに夢を育てるものです。
 
また、「初日の出」を拝む習慣がありますが、普段でも海上から昇る朝日や夕
焼けの山間に沈む夕日には、何ともいえぬ感動を覚えるものです。ましてや、
その年の初日の出となると感慨もひとしおでしょう。では、「日本でいちばん
最初に初日の出を拝めるのはどこか」ですが、国土全体では日本の最東端にあ
たる南鳥島、島を除けば富士山頂で、平地では犬吠崎です。しかし、南鳥島は
一般の人は立ち入り禁止で、そこにいる防衛庁と気象庁の職員しか拝めません
し、富士山頂は氷点下何十度という所ですから、誰でもは無理ということで、
正解は小笠原諸島の乳房山で、何と1月1日が海開きに当たり海水浴も楽しめ
るそうです。
 
ところで、ジャズのスタンダード・ナンバーに
「The world is waiting for the sunrise」(世界は日の出を待っている)
があります。アメリカ人に「太陽遥拝」の信仰があるのではなく、第一次世界
大戦後の不況から脱出したい願いをこめて作られた曲です。ジャズの演奏スタ
イルは時代と共に変わりましたが、大雑把に分けるとデキシーランド、スイン
グ、モダンの3つがあり、デキシーランドには、ニューオーリンズ派とシカゴ
派があります。ニューオーリンズ派の名クラリネット奏者、ジョージ・ルイス
の率いるバンドが、オハイオ州立大学で行ったコンサートの中に、この曲の名
演奏が入っています。バンジョーの名手、ローレンス・マレロが、正確無比な
ビートで最高にスイングするソロを聴かせてくれます。沈んだ夕日が昇ってく
るのではと思うほどアグレッシブな演奏で、モノラルで音はよくありませんが、
いつ聴いても感動を新たにさせてくれる、ご機嫌な演奏です。私の正月は、こ
れを聴くことから始まります。
ジョージ・ルイスの素晴らしい音色を絶賛したのは、前衛ジャズの大御所、サ
ックス奏者のジョン・コルトレーンでした。ルイスの作曲した
“Burgundy Street Blues”(バーガンディ・ストリート・ブルース)
ではなかったでしょうか。音楽に新しい古いはないと思います、自前の感性に
訴えるものがあれば、いいのですから。私はドラムを少しやっていますが、学
生時代、ある黒人のドラム奏者に、「なぜ、そんなにスイングできるのですか」
とあほみたいな質問をしたところ、「なぜ、あなた方は、フォークソング
(民謡)をあんなにうまく歌え、踊れるのか」と言われ、ジャズのリズム(4
ビート 若い皆さんが乗れるリズムは8ビート)に抱いていた劣等感を拭い去
ることができたような気がしました。それぞれの民族は、長い時空を経て培わ
れたリズム感があるということです。それから、下手の横好きですが、私流の
リズムを刻むことを覚えました。
ジョージ・ルイス(George Lewis)の演奏はYouTubeで視聴できます。
“Burgundy Street Blues”は、黒人独特の哀愁を奏でた名演で、いつ聴いて
も涙ぐんでしまいますね(笑)。
 
平成19年の暮れ、体力の限界を感じバンドを解散しました。何と47年間も
やっていた、とてつもない道楽でしたが、演奏の醍醐味を忘れることができず、
また23年から始めてしまい、24年11月の「新宿ジャズ祭り」で、普段は
プロしか演奏しないライブハウス、ピットインでトリを取ってしまいました (笑) 。
 再びトリを目指して頑張る予定でしたが、25年9月にバンドリーダーの丸山
が亡くなり実現しませんでした。彼とは53年来の付き合いで、彼がいたからジ
ャズの醍醐味を味わえたと感謝しています。26年5月に、演奏会の度に香港か
ら駆けつけてくれたバンジョーの名手、菅原さんが、ご自分のバンドを率いて
「春の新宿ジャズ祭り」に来日した折、ドラムの方が参加できず、ピンチヒッタ
ーでお手伝いさせてもらいました。かなりのテクニシャンである外人の方が3名
いて、緊張している私に、「ジャズは自分で楽しむものだよ!」とまたしても教
えられ、楽しいひと時を過ごせました。しかも、これは偶然だったのですが、会
場も、時間も、丸山と最後の演奏となった時と全く同じで、追悼演奏ができたと
感無量でした。冥界入りして2年、あちこち痛みの出てきた私ですが、夢に出て
くる彼は、全く年をとっていないので、うらやましくなりますね(笑)。
 
★★正月の遊び★★
たこ上げ、羽根つき、カルタにすご六、福笑いが、正月の遊びの定番でした。今
の子どもは、やらないでしょう。テレビゲームやDSのようなポータブルゲーム
等、一人で遊べるゲームに人気があります。これが問題ではないでしょうか。小
学校時代に友達と遊ぶことの楽しさを覚えないと、社会性は育ちません。社会性
が育たないと、共に生きる共生の心も育まれません。人は一人では生きられない
ことを、もっと教える必要があります。個性を育てるのとわがままを助長するの
は、紙一重の差です。我慢をすることのできない子が増えています。「訓練され
ていない個性は野性である」と国府台女子学院の平田学院長はおっしゃっていま
すが、勘違いすると後で困るのは、お子さん自身であることを真剣に考えましょ
う。
 
ところで、昔の遊びの中にもいいものもあります。例えば、すご六です。サイコ
ロを振り、出た目だけ動かなければなりません。しかも前後左右に進んだり戻っ
たりしますから、混乱しがちです。5、6歳の子にとって、出た数だけ上下、左
右に移動するのは難しいものです。いわゆる「位置の確認」で、こういう遊びで
覚えるのが効果的なのですが……。
 
このサイコロですが、2つ使うと最高12までの足し算ができます。二人で1個
ずつ振り、数の大きさで勝ち負けを競えば、引き算になります。数字を使いませ
んが、出た目を数えるだけで、簡単に答えが出ます。その上をいく優れ物が、ト
ランプです。ゲームは勝敗が伴いますから、真剣に遊びます。カードにはマーク
と数字がありますから、算数の学習、数感の学習になっています。
 
トランプの絵札は、11はJ、12はQ、13はKとアルファベットで表されて
います。
Kはキングで王様、Qはクイーンで女王様ですが、Jは何を表しているかご存じ
ですか。
Jは「ジャック」という人名の頭文字からとったもので、イギリスでは、ごくあ
りふれた名前の代名詞として使われ、日本でいえば「太郎」にあたり、よく耳に
する名前を付けることで、名もない一兵士を象徴させているのです。4つのマー
クは、ハートは僧侶、スペードは軍人、ダイヤは商人、クラブは農民と身分階級
を表していますが、何事も訳ありなのですね。ところで、中学生になり英語を習
ったときの教材は「JACK AND BETTY」でしたが、べティは「花子」
にあたるのでしょうか(笑)。
 
★★春の七草★★   
言葉だけが、一人歩きしているようです。
七草は、せり、なずな、御形(ごぎょう 母子草)、はこべら(はこべ)、仏の
座(たびら子の別称)、すずな(かぶ あおな)、すずしろ(大根 鏡草)のこ
とです。昔は、春を告げる七草を親子で摘み、お節料理やお餅を食べすぎて、お
腹の調子が少し悪くなった時に、消化のよいお粥に七草を入れて食べ、春を実感
していたのでしょう。ちなみに、セリは解毒・食欲増進・神経痛・リュウマチに、
なずなは高血圧・貧血・食欲増進に、御形は咳止め・痰切り・利尿作用に、はこ
べらは歯槽膿漏・催乳・健胃整腸に、仏の座は体質改善に、すずな、すずしろは
骨粗鬆症・腸内環境改善に良いという説があるそうです。
(三島函南農業協同組合「七草がゆセット」のしおり より)
 
この七草に関して、覚えやすい歌があります。
  せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、
すずな、すずしろ、これぞ七草      左大臣 四辻 善成(平安時代)
 
最後に、おもしろい話を紹介しましょう。間違って使われる言葉に「千六本」が
ありますが、永田先生でなくても笑えますね。
 
大根は、野菜の王様で消化によく、食べあたりしない。大根役者とは、当たらな
い役者のことである。「千六本」というのは、大根を細長く刻んだものであるが、
大根を中国では「繊蘿蔔」といい、これを唐宋音でローポと発音した。細長く刻
んだ大根=繊蘿蔔(センローポ)が日本でセンロッポンと訛って千六本と書いた。
千という字によって「たくさんの」という意味を感じて細かく切り刻んでしまう人
もいれば、「人参を千六本に切って」などと料理教室で教える先生もいる。六本と
いうのをどう解釈しているのかと考えると、ふきだしたくなる。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P35)
 
(次回は、「1月に読んであげたい本」についてお話ししましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>何といっても正月ですね 睦月

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2017さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第10号-
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第3章(1)何といっても正月ですね 睦月
 
物の本によれば、睦月(むつき)のいわれには、正月は身分の上下、老若男女、
分け隔てなく行き来し、親族一同、仲よく「睦み合う」という説が有力だそうで、
その他にも「元つ月」、草木が萌えいずる「萌(もゆ)月」、春陽が発生する
「生む月」、稲の実を初めて水に浸す「実(み)月」なのだとする説もあるよ
うです。
 
 お正月の歌
  ♪もういくつ寝るとお正月   お正月には凧あげて
   こまを回して遊びましょう  早く来い来いお正月♪
 
正月になるとこの歌を思い出します。子どもの頃の思い出といえば、正月にま
さるものはなかったですね。恥ずかしい話ですが、お餅を食べられるのとお年
玉を貰えるからでした。今と違い餅は正月しか食べませんでしたし、小遣いと
なると現代っ子のように毎月貰えるものではなく、正月や祭りの時だけでした
から、本当に待ち遠しかったものです。子ども達がクリスマスを待つ心境と同
じではなかったでしょうか。
ところで、この歌の作曲者はどなただと思いますか。瀧廉太郎です。童謡や唱
歌には素晴らしいものがたくさんあります。お子さんと一緒に歌うべきだと思
いますね。幼児期の思い出は、こういった歌からも残っていくものではないで
しょうか。
 
さて、元日の朝ですが、いつもの朝と違い「特別な朝」という感じがしたもの
です。いつもと変わらない朝ですが、元日の朝だけは別です。なぜか、天気は
よく、大雪とか氷雨といった経験はほとんどありません。瀬戸内海に面した赤
穂と東京にしか住んだことがないからかもしれませんが、毎年、いかにも新し
い神さまがいらっしゃった朝という気持ちになったものです。元日は、その年
の神さま、年神さまがやってきて、前の年の神さまと交代する日でした。です
から、神さまを中心に生活が営まれていた時代には、「おめでとうございます」
と言っていたのは、人と人が挨拶をするのではなく、新しい神さまを迎える言
葉として使っていたそうです。ですから、「あけおめ」などという言葉を聞く
と「なんと不謹慎なことよ!」と腹が立ちますね(笑)。門松、しめ飾り、鏡餅、
そしておせち料理も、みんな神さまをお迎えするセレモニーに必要なものだっ
たのです。中には何やら語呂合わせのようなものもありますが、「これはすご
い!」と思わず膝を叩きたくなるのもあります。
 
★★正月の三点セット★★
◇しめ飾り◇
本来、しめ縄は、神前など神聖なものと不浄なものとの境界線を示すために張
る縄のことで、わらを左捻りにして、三筋、五筋、七筋と順々にひねり垂らし、
その間に四手を下げたものです。四手とは、横綱の化粧まわしの上にしめられ
た綱にさがっている、あれです。
稲や麦の茎を干したわらで作ったしめ飾りで神さまを迎えるのも、農耕民族の
生活の基盤は米ですから、わかるような気がしませんか。
地方によっては、えびや橙(だいだい)を一緒に飾った豪華版もあります。え
びは「海老」とも書きますが、文字、そのものが「海のご隠居さん」で、体が
曲がっている姿からお年寄りにたとえ、長寿を祈願したものです。これが漢字
の楽しいところで、何となくイメージが浮かんできます。“LOBSTER”
と書かれていても、何のイメージもわきませんが、字の並びに何か意味がある
のでしょうか。橙は、一家の幸せが、「代々」続いて欲しいという語呂合わせ
です。神さまを迎えるしめ縄に、いろいろとお願いするのですから、頼まれる
神さまも大変です。
 
◇門 松◇
門松の方が、まだ受け継がれているかもしれません。しかし、庶民派の門松は
松だけです。銀行やデパート、大きな会社の入り口には、立派な門松が飾られ
ています。松竹梅、何やらのどが鳴りそうですが、これも当然、意味ありでし
ょう。
 
松は常緑樹ですから、葉は一年中、緑色で冬の寒さをものともしません。
竹は真っすぐ伸びていきますから、横道にそれない芯の強さがあり、雪の日な
ど他の木は雪の重みで折れがちですが、竹はしなって頑張り、雪の方が我慢で
きずに滑り落ちます。
かぐや姫の生れ故郷は竹の中、空っぽで「腹に一物もなく」、唐竹を割ると一
直線に割れることから曲がったことが嫌い、生一本のシンボルです。ちなみに
「生一本」とは、単一の酒造で造られた混ざり物のない純米酒のことです(笑)。
梅は北風が吹き荒れ、他の木々は葉を落とし寒そうですが、梅は頑張って小さ
な花をリンと咲かせ、「春近し」を告げています。春告鳥と書いて「うぐいす」
ですから、春告花で「うめ」はどうでしょうか。木偏に春と書いて「うめ」と
読みたいですが、「椿」がありますからだめですね。
    
この椿が映えるのは、茶室ではないでしょうか。一輪挿しの椿は、和敬静寂の
雰囲気を見事にかもし出していました。
 
「和敬静寂」は千利休の言葉で、和して敬すると誰の心も清々しくなります。
そしてそこには、心の寂けさが生まれます。寂とは淋しいものではなく、あた
たかな静けさなのです。そうした心境になれば、煩悩が静められ、知恵が生ま
れてくるのです。そこで「和敬静寂」が禅のこころといわれ、茶のこころとい
われるようになりました。
(「命のことば」 瀬戸内寂聴さんの著から 利休の茶室日記 gooブログより)
 
利休の命名は、「名利共に休す、名誉も利益も求めない」という禅語からとっ
たものといわれていますが、墓所は織田信長の菩提寺である大徳寺の隣にある
聚光院です。大徳寺の山門を寄付したのは利休で、そのお礼に寺側が利休の木
像を掲げたことが秀吉の逆鱗に触れ切腹を命じられました。年は利休が上です
が、茶道では信長の弟子で、隣同士で眠っていることは、あまり知られていな
いのではないでしょうか。
 
それはともかくとして、松竹梅、語呂もいいですね。この縁起物の三つを玄関
に飾り、年神さまが、確実に我が家に来ていただくための道標、表札の役をし
ていたのではないでしょうか。昔は盆にはきゅうりの馬となすで作った牛を飾
りましたが、正月は神さまを、盆には仏さまを迎えるための飾り物で、季節折
々の花や農作物を供えるところからも、農耕民族であることがわかります。
何かにつけて、事の起こりは中国ではと考えますが、松竹梅も、厳しい冬を堪
えて生きるみやびやかな木、「厳冬の三友」といわれ、それが日本に伝わり、
「長寿・節操・清廉」などの解釈を加え、めでたいもののシンボルとなったの
です。いや、それだけではありません。後程、紹介しますが、あっと驚く秘密
が隠されているではありませんか。
 
◇鏡 餅◇
鏡餅は、年神さまからいただいた新しい魂を表したものです。丸い形は、角を
立てないように、みんなで仲良く暮らそうという意味が込められています。お
飾りは、地方によって勝栗、干柿、扇など多種多彩ですが、橙、ゆずり葉、昆
布、裏白などが一般的でしょう。橙は長寿、ゆずり葉は新しい葉が出てから古
い葉が落ちることから「譲り葉」、家督を子孫に譲ること、昆布は「喜ぶ」の
語呂合わせと子生(こぶ)、子どもが生まれることを願い、裏白は葉の裏側が
白いしだ類(わらび、ぜんまいの仲間)で、うしろ暗いところがなく、清らか
で汚れのない心を表しています。
 
★★松竹梅に隠された秘密★★
何やら週刊誌の見出し風ですが、文句なしにすごい秘密が隠されているのです。
初めて読んだときの驚きといったらありませんでした。少し長くなりますが、
紹介しましょう。
 
陰陽の立場から松竹梅をみると、松は陽、竹も陽、そして梅は陰である。松竹梅
は陰と陽が相まって完全な世界を構成するという哲理にもかなっているわけであ
る。さらに、植物学の上から考えると、松竹梅が植物界を代表していることが知
られている。植物を分類すると、顕花植物と隠花植物に分けられ、顕花植物は裸
子植物と被子植物から成り立っている。さらに被子植物は、単子葉類と双子葉類
に分類される。ところで、松は種子を裸にしているので裸子植物であり、竹は種
子が実の中にあって、しかも子葉が一枚しかないので、被子植物の単子葉類、梅
も被子植物であるが子葉を二枚持っているので双子葉類というわけで、松竹梅が
顕花植物の典型的な代表例となっている。このすばらしい事実を古代人が知って
いたのであろうか。松竹梅の意義の深さに、めでたいということよりも、頭の下
がる思いがする。
ついでに隠花植物について述べると、その代表として、正月飾りとしてすでに述
べた裏白をその代表にあげることができる。こうして松竹梅と裏白とで植物界を
おおうことによって、正月をより意義のあるものにすることができるというわけ
である。
 
■植 物 界■
◆花が咲き実を結び種を作る(顕花植物)
       種が裸のもの  (裸子植物)………………………………… 松 
       種が実の中のもの(被子植物) 葉が一枚(単子葉類)…… 竹 
                      葉が二枚(双子葉類)…… 梅   
◆花は咲かせず胞子で増える(隠花植物)………………………………………… 裏白 
 (年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P28-29)
 
いかがでしょうか。先生の書かれた図を参考に、わたし流に書き加えると以下
のようになります。植物には、梅、桜のように種を作るものと、コケやシダの
ように花を咲かせないで胞子でふえるものがあります。種には、竹や梅のよう
に種が実の中に包まれているものと、松、銀杏(いちょう)、蘇鉄(そてつ)のよ
うに種が裸のままのものがあります。種が実の中にあるものをまくと、芽を出
した時に最初に出る葉が、一枚のものと二枚のものとあります。
松竹梅というと、寿司屋などでは、上中並と同じように値段を表すのに使って
いますが、実は、こういう素晴らしい意味があるのです。本当に不思議ですね。
「なるほど!」と納得するばかりではなく、感動しませんか。昔から受け継が
れているものには、それなりの意味があるわけです。また、こういったことを
科学的に実証する先生がいらっしゃったのも、頼もしい限りではありませんか。
 
★★正月の食べ物★★
正月の食べ物といえば、雑煮とお節料理でした。しかし、現代っ子は、雑煮や
お節料理を食べているでしょうか。私の子どもの頃は、餅は正月しか食べられ
ませんでしたから、楽しみであり、しかもご馳走でした。今は、一年中、売っ
ていますし、いつでも食べられますから、魅力の点で引きつける力がないので
しょう。餅も季節感を奪われてしまった被害者です。非常食としても優れもの
ですけれど。
 
◇雑 煮◇
雑煮は、大晦日の夜に、神さまをお迎えするためにお供えをした食べ物を、神
さまと一緒に食べ、神さまの力を授かる食べ物です。雑煮は、必ず、青い葉っ
ぱを入れるのが決まりで、「葉っぱを入れる」「菜を入れる」から「名をあげ
る」「成功して名前が知られるようになる」に通じるので、青い葉っぱを入れ
るのだそうです。
 
餅は本来、丸いものですが、東日本では四角に切った切り餅を、関西では丸い
餅を使っています。雑煮の作り方ですが、東京では、餅を焼いてから椀に入れ、
具や汁を入れますが、大阪では、ゆでてから椀に入れます。私は父が関西の出
身でしたから、ゆでるのに慣れていますが、焼いてから食べるのも香ばしくて
おいしいものです。
 
織田信長に面白い逸話が残されています。ある年の元日の朝、信長の雑煮の膳
に、箸が片方しか添えられていなかったのです。あの短気な信長のことですか
ら、平穏に収まるわけがありません。しかし、怒り心頭に発した信長を、木下
藤吉郎(後の太閤秀吉)が、「今年から諸国をかたはし取りにされる吉兆でござ
います」と言い換え、ご機嫌が直ったそうです。「曽呂利新左衛門のとんち話」
の中に、病気見舞いに送られてきた松竹梅の盆栽が枯れたのを見て落胆した秀
吉を、新左衛門の機知で吉報に変えてしまう話があります。世の中、めぐり合
わせですね。
とんち話には傑作な話がたくさんありますが、おすすめは、寺村輝夫のとんち
話シリーズ「一休さん」・「吉四六(きっちょうむ)さん」・「彦一さん」
(あかね書房 刊)で、大人でもしっかりと笑えます(笑)。
(次回は、「正月の食べ物」他についてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>12月に読んであげたい本

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2017さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第9号-
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第2章(4)12月に読んであげたい本
 
明けましておめでとうございます。
今年もご愛読の程よろしくお願い致します。
 
初詣、お出かけになりましたか。
大きな門松をご覧になったと思いますが、文句なしに、すごい秘密が隠されて
います。植物界の代表が勢ぞろいし正月を迎えているのです。花が咲き種を作
る顕花植物から松、竹、梅が、花は咲かせず胞子で増える隠花植物からは裏白
(鏡餅の下に敷くもの)が選ばれていますが、昔から受け継がれているものに
は、それなりの意味があります。詳しくは、1月編「文句なしに正月です」で
紹介します。
 
【十二月に読んであげたい本】
神さまの交代する月ですから、神さまの話が多いですね。あまりにも、たくさ
んあるので困りますが、これなどちょっと恐くて、面白いです。
 
◆おぶさりてえのおばけ◆
むかし、あるところに、正直で働き者の、じいと、ばあがいました。
二人は懸命に働きましたが、暮らしは楽になりません。
ある年越しの晩のことです。
寝ようとしたとき、裏山から重っ苦しく、「おぶさりてえ!」と叫ぶ声が聞こ
えたので、ばあが、「様子を見てきてくれ」というと、じいは、嫌だと布団に
もぐりこんでしまうのです。
声は、夜中になっても止めようとしません。
「『おぶさりてえ!』といっているから、おぶってやったらどうか」と、ばあ
がいうものだから、帯を持って出かけました。
山道を登って行くと、あの声がぴたりと止み、突然、そばの杉の木の天辺から、
「おぶさりてえっ!」
と、大声がしたので、じいは、頭をかかえて座りこんだのです。
すると、背中に、ずしんとおぶさってきたものがあり、おぶわれたきり、もう
何もいいません。
何とか庭までたどり着き、降ろそうとしますが、離れません。
台所でも、座敷でも、降りないので、「降ろしてくれ」と、ばあに声をかけま
した。
ばあが見ると、背中にのっているのは大きな石なので、あきれて背中に手をか
けると、自分から落ちたのです。
「この石は、おらたちの家に来たかったのだろう。家宝にしよう」と、二人で
床の間に運び、安心して寝てしまいました。       
次の朝、その石はたくさんの大判小判に変わり、お金持ちになって、いい年越
しをしたのでした。
 世界のメルヘン 22 日本のむかしばなし         
  つるのよめさま  松谷みよ子・水谷章三 講談社 刊        
 
これも、おかしな話です。普通は、福の神は歓迎されるはずですが、何と逆に
なるのです。
福の神にとっては初体験、その顔を思い浮べると、吹き出したくなります。
      
◆びんぼう神とふくの神◆   望月 新三郎 著
とんとむかし、あるところに、働き者のおやじとかかがいました。
朝早くから夜遅くまで働いたので、暮らしは次第によくなってきたのです。
ある年越しの晩、二人で正月の支度をしていると、泣き声がしたので、おやじ
が押し入れを開けると、ぼろを着た、やせたじじいが転げ出てきたのでした。
これが貧乏神で、「お前たちは働き者だから、福の神が来るので出ていかなけ
ればならない。それが悲しくて泣いているのだ」というのです。
「長年、おらの家に住んだ仲だから、福の神が来たら、追っ払ってしまえ」と
励まされたのです。
「貧乏神、早く出ていけ!」と福の神がやって来ました。
「しっかりと追い出せ!」と、二人の励ます声に、元気になった貧乏神、勢い
よく組みつきましたが、福の神は、びくともせず、貧乏神は押されるばかりで
す。
すると二人は、貧乏神の後から押しはじめました。
これには福の神もたまらず、引っ繰り返され、「福の神を追い出す家など初め
てだ!」と逃げ出しました。
戸口の前に打出の小槌が落ちていたので、貧乏神が拾い、「米、出ろ! 金、
出ろ!」とふると、米や小判が、たくさん出てきたのです。
それからというもの貧乏神は、福の神のようになり、いつまでも、この家で暮
らしたのでした。
 日本むかしばなし 2
  子どものすきな神さま 民話の研究会 編 巽 弘一 絵
                            ポプラ社 刊
 
12月といえば、私には忘れられない歴史的な事件、といってもかなり脚色さ
れた話になっていますが、四十七名の赤穂浪士が、主君、浅野内匠頭(たくみ
のかみ)の仇を討った「忠臣蔵」があります。
8月に出てきますが、広島に原子爆弾が落とされた時、岡山と兵庫の県境にあ
る赤穂市に住んでいたせいもあるかもしれません。戦前は、小さな子どもでも
知っていた話ですが、今はどうでしょうか。こんな話が残されています。
 
◆キツネも喜んだ討ち入り◆
京都の紫野の南に、狐の霊を祭る小さな社があり、「忠臣蔵」で知られる兵庫
県の赤穂の殿様、浅野内匠頭(たくみのかみ)が建てたもので、浅野神社ともい
われています。殿様の恨みを果たそうと、家老、大石内蔵助(くらのすけ)以
下、四十七名の浪士が、江戸の本所松坂町にあった吉良上野介(こうずけのす
け)の屋敷に討ち入り、仇をとったのは、1720年(元禄15年)の12月
14日の夜でした。
同じ日の深夜、浅野神社の境内に数百人の人々が集まり、にぎやかな踊りが始
まったのです。
「こんな夜更けに何事か!」と近くに住む人々は驚いて神社まで行って見ると、
数え切れないほどのキツネ達が、社を取り巻き、後ろ足で立ち上がりながら、
前足を手のように打ち振り、踊り狂っていたのです。
家を飛び出してきた人々は、びっくりしてしまいました。 浪士が討ち入りを
果たした事件が京に伝えられたのは、三日後のことです。それなのに、同じ日
の夜に、何百キロも離れた京のキツネ達は、霊力でそれを知って喜び、踊って
いたのです。
「キツネというのは、本当に魔物じゃ。不思議なことじゃのう……」
キツネ達の踊りを見た人々は、後にそういって、キツネの霊力に感心したとい
う話です。
 (「雪窓夜話抄 上野 忠親 著」
     必ずその日のお話がある  365のむかし話  
                   谷 真介 編・著 講談社 刊)
 
当日、雪が降っていたかどうかわかりませんが、14日ですから満月であった
ことは確かです。井沢元彦氏の「逆説の日本史 全17巻」の受け売りですが、
本能寺の変が起きた天正10(1582)年6月2日は月の姿はない闇夜で、
そのために隠密に行動でき成功したとあります。月の運行の様子から遠い昔の
事件の夜空を想像できるとは知りませんでした。(笑)  
 
最後は、どうしても、この話に出てもらわなければ、おさまりがつきません。
おじいさんが、笠を売りに行ったものの、まったく売れなくて、お地蔵様にか
ぶせてあげる話が多いのですが、私は、この話が好きです。おじいさんの見返
りを求めない無償の奉仕に、お地蔵様が応えてあげるのがいいですね。こうい
うことって、ありそうでないのが現実ですが、あってほしいと願う、庶民の素
朴な望みです。
育児も同じです。「あなたのために、お母さんはこんなにしてあげたのに…」。
育児は、有償の奉仕ではありません。見返りを期待しはじめると、親子の絆は、
切れがちではないでしょうか。「無償のほほ笑み」は、親の宿命です。みなさ
んのご両親が、そうであったように、巡り合わせです。「子を持って知る親の
恩」と言うではありませんか……。
 
◆かさ地蔵◆   浜田 廣介 著
むかしのことです。
ある所に、じいと、ばあが住んでいました。
もうすぐお正月、貧乏でも年越しの晩に魚っ気がなくてはと、じいは、さけの
頭を買いに出かけたのです。
雪が降り、風も吹き始め、道端の六つのお地蔵さんの頭は、雪をかぶって寒そ
うに立っています。
石のお地蔵様でも、かわいそうだと、手でかき落としますが、すぐに積もって
しまいます。
そこで、じいは、町まで急ぎ、さけを買うのは止めてすげ笠を買ったのですが、
お金が足りず、五つしか買えません。
じいは、頭に一つずつ笠をかぶせ、足りない分は、自分の古い笠をかぶせてあ
げたのです。
帰ったじいは、さけを買わない訳を話すと、よいことをしたと、ばあも喜びま
す。
夜が明けると、大晦日。
二人は、麦飯を分け、菜づけに熱いお湯をかけて、塩気をすすって食べ、無病
息災で年を越せることを感謝し、火箱を抱いて寝床に入ったのです。
すると、どこからともなく、唱える声が近づき、ドシン、ドシンと重い響きが、
枕元まで響いてきました。
二人は恐くなり、布団をかぶって震えていました。
地響きと声は、庭先に入ってきたのです。
何やら話し声がしたかと思うと、かけ声と共に「ドシン!」と大きな音がして、
後は何の音もしません。
眠気も拭き飛んだ二人は、寝床でじっとしていました。            
やがて、夜明けを知らせる三番鶏が鳴いたので、じいは戸を開けてみると、大
きな袋が置いてあり、中には金貨と銀貨が、ぎっしりとつまっていたのです。
六人のお地蔵様が、笠のお礼に袋をかつぎ、大地を踏みながら運んできたので
した。
 世界民話の旅 9
  日本民話  浜田 廣介 著 さ・え・ら書房 刊     
 
お地蔵さまは、お釈迦さまが入滅後、弥勒菩薩さまが生まれるまでの間、人々
を救済する菩薩さまで、正しくは地蔵菩薩さまといい、仏さまの仲間なのです。
あのやさしいお顔から民間信仰に結びつき、村や子どもなど弱いものを守って
くれると信じられ、村の入口や街道筋などに、たくさん立てられるようになっ
たのでした。
この話に出てくる「六地蔵」とは、
地獄道(地獄で苦しむこと)、
餓鬼道(常に飢餓に苦しむこと)、
畜生道(けだものの姿に生まれて苦しむこと)、
修羅道(争いの絶えない世界で苦しむこと)、
人道(人の踏み行う道を外れて苦しむこと)、
天道(超自然宇宙の道理から外れて苦しむこと)
という六道に迷う人々を救済する願いがこめられているのです。
 
学生時代、京都の浄瑠璃寺へ歩いて行った時、途中の山道でたくさんの石仏と
出会い、感動したことがありました。今は、バスで山門までいけますから、見
過ごすかもしれません。浄瑠璃寺は、薬師仏とそれを祀る何とも素朴ですばら
しい三重塔、横一列に並んでいるどっしりと存在感のある阿弥陀仏九体とその
本堂、宝池を中心とした庭園が、平安時代のまま揃っている唯一の寺で、奈良
にある女人高野と呼ばれていた室生寺と同様、一人で訪ねたい寺です。名刹を
散策するには、晩秋から初冬がいいですね。
 
(次回は、「何といっても正月ですね」についてお話します)
 

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