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めぇでるコラム : 2016保護者 5ページ目
2016さわやかお受験のススメ<保護者編>★★第2章(3) 何といってもクリスマスと大晦日ですね
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「めぇでる教育研究所」発行
2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
~紀元じぃの子育て春秋~
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第8号-
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
第2章(3) 何といってもクリスマスと大晦日ですね
★★なぜ、大晦日というのですか★★
いよいよ日本のことです。12月31日を、なぜ、大晦日というのでしょうか。
これも訳ありなのです。
1年間の最後の日を大晦日(おおみそか)または、大晦(おおつごもり)とも
呼びます。「晦日(みそか)」とは、毎月の末日のことです。一方、「晦(つ
ごもり)」とは、「月の隠れる日」すなわち、「月籠り(つきごもり)」が訛
ったもので、どちらも毎月の末日を指します。“1年の最後の特別な末日”を
表すために、2つの言葉のそれぞれに「大」をつけ、「大晦日」「大晦」とい
います。
〔いろは事典 http://iroha-japan.net/iroha/A01_event/13_omisoka.html〕
月の運行状況を思い出してください。太陽と月と地球が一直線になると、月は
地球から見えなくなりますが、この状態から月が始まることから「朔(さく)」
や「新月」といいます。三日ほどすると細い鎌形の月が見え、次第に大きくな
り満月、十五夜となります。そして、次第に小さくなり、やがて見えなくなり
ますが、この状態を「月隠り」といいます。ご存知のように、月が地球を一回
りするには、一ヶ月かかります。ですから、月の始まる新月の状態「朔」を訓
読みして「ついたち」と呼び、また月の始まる「月立ち」が転じて「ついたち」
と呼ぶようになったのです。また、月末は月がこもって晦(くら)いので「晦
日(つごもり)」といいます。
太陰太陽暦では、1ヵ月を大の月は30日、小の月は29日と定めていたので、
今のように31日の月はありませんでした。そして、月末を三十日と書いて
「晦日」と呼び、12月31日は、その年最後の月末ということで、「大」を
つけて大晦日となったわけです。そういえば、紙幣の肖像に使われた樋口一葉
の作品に「大つごもり」がありますね。樋口一葉記念館は、台東区竜泉3ー
18ー4にあります。「たけくらべ」の舞台となった竜泉寺町です。興味のあ
る方に、ホームページを紹介しておきましょう。
( http://www.taitocity.net/taito/ichiyo )
ところで、一葉が結婚する相手はどなたであったかご存じでしたか。何と、夏
目漱石なのです。
「樋口一葉の父親が夏目漱石の父親と同僚だったために、二人の間で結婚話が
進んでいました。ところが一葉の父親が亡くなり、一葉自身も二十四才で亡く
なったため、この話は立ち消えとなったそうです。(中略)もし、夏目漱石と
樋口一葉が結婚していたら、どんなに文才のある子が生まれていたことでしょ
うか」
(「つい他人に自慢したくなる無敵の雑学」
なるほど倶楽部 編 角川書店 刊 P182)
★★一家総出の大掃除★★
これは、私の記憶にも、しっかりと残っています。大晦日は、新しい年へ続く
大切な日ですから、お正月の神様を、ご先祖様と一緒に迎えるために、まず、
神棚と仏壇をきれいにしました。家の中や外も、掃除したものです、しかも雑
巾掛けです。私の役目は、外の手の届くところでした。冬の寒い時期です、手
なんか真っ赤になって、ズキン、ズキンと痛くなりますし、ズルズルと鼻水の
出る、きつい仕事でした。現代風の建物と違って木造です。障子は紙ですから、
水をかけて洗うわけにはいかないのです。
そして、今、考えると大変だったと思うことがあります。 昔は、煮炊きは薪
(まき)でした。煙は煙突から外に出るようになっていますが、燃えたときに
出る煤(すす)が、どこからともなく侵入して、部屋を、かすかに汚すのです。
昔は、電気掃除機などありませんでしたから、はたきと雑巾で、本当にこまめ
に掃除をしているのですが、この煤ばかりは、さすがの母もてこずっていまし
た。それで「煤払い」といって、竹竿の先にわらを縛りつけ、それで、日頃は
手の届かないところまで、煤やほこりを取ったのです。とにかく普段、手をつ
けない所まで徹底的に掃除をし、正月の三日間は何もしません。ほうきで畳を
掃くと、「福を掃く、福が逃げる」といって、嫌ったものです。ですから、大
晦日は掃除納めでもあったのです。今は、元日でも掃除をしています。しかし、
電気掃除機は掃くのではなく吸い集めますから、「福を集める」でいいのかも
しれません。もっとも、こんなことを気にするのは、年寄りだけでしょうね。
★★なぜ、大晦日にそばを食べるのですか★★
大晦日に食べるから、「年越しそば」です。私はそば好きですから、年中、食
べていますが、大晦日のそばは、特別な趣があります。「細く、長く、来年も
幸せを、そばからかき入れる」といわれています。昔は引っ越ししたときに、
ご近所に「末長く、よろしく頼みます」と気持ちをこめて、そばを配ったもの
でした。また、そばは切れやすいことから、「一年分の苦労や災いを切り捨て
る願い」もこめられていました。「細く、長く、切り捨てる」と縁起をかつい
でのことと思っていましたら、これも訳ありでした。昔、金を使い細かいもの
を作っていた職人さんを金箔師といいますが、仕事場を掃除する時に、そばの
だんごで、畳のへりや透き間を叩いて、飛び散った金箔を集めたそうです。そ
こから、「そばは、金を集めて縁起がよい、そばで金を集める」という縁起と
なって、来年もお金がもうかることを願い、そばを食べるようになり、江戸中
期から始まった習わしといわれています。
そばの味を引立てる薬味に欠かせないのが葱(ねぎ)ですが、これにも面白い
いわれがあります。
葱(ねぎ)は、心を和らげる意味の「労(ね)ぐ」に通じて、それが祓い浄め
る神職「禰宜(ねぎ)」ともなって、今年の汚れを払いぬぐって心安らかに新
しい年を迎えようという、語呂合わせでもある。また、年越しそばを食べ残す
と、来年の小遣い銭にこと欠くともいわれている。
〔年中行事を「科学」する P251 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
年越しそばを食べ残す話は、お雛さまを長く飾っておくと、お嫁に行きそびれ
るのと同じ縁起かつぎです。しかし、現代っ子は、年越しそばを食べています
かね。ラーメンやスパゲッティの方が好まれているのではないでしょうか。大
晦日にラーメン、何となくそぐわないし、寂しい気持ちになりますね。行列が
できるようになると困りますから紹介しませんが、私の教室のある本八幡には、
とてもおいしい、小さな蕎麦屋さんがあります(笑)。 年越しそばを食べる
と、いつもは寝る時間ですが、この日だけは、起きていても怒られません。こ
れは、長く起きていれば起きているほど長生きできるということで、眠りたが
る子どもまで、無理に起こしたものです。
当時の遊びは、カルタ、すごろく、トランプでしたね。「ババ抜き」や「7並
べ」、「神経衰弱」などをやっていたと思います。相手がいる遊びですから、
負けてはなるものかと真剣に戦っていました。
現代っ子は、一人でゲームをする機会が多すぎませんか。ゲームの結果に一喜
一憂する相手がいるからゲームが成り立ち、自分が負けていても止めるわけに
はいきません。ましてや、リセットボタンを押して、再戦などもできません。
「勝っても負けてもみんなで楽しむ」、これも大切ではないでしょうか。負け
が続いて悔しがると、適当に手を抜いて勝たせてくれた母を思い出します。
(感謝)
また、これは、よく覚えていますが、大晦日の11時50分ごろから風呂に入
り、除夜の鐘が鳴り終わると、12時を過ぎたことになりますから、「2年間、
風呂に入っていた!」などと喜んでいたものです。何といっても子どもですか
ら、普段は、12時過ぎまで起きていることはありません。起きていられたこ
とが、子ども同士の自慢の種になるのです。若い衆、ほとんどお百姓さんでし
たが、「夜明し」といって、お酒や肴を持ち寄り、一晩中、語り合うのを楽し
みにしていたようです。残念ながら、私がその年齢になった時は、そういう習
慣は無くなっていました。
★★除夜の鐘の意味★★
除夜とは、「古い年が押し退けられる夜」の意味で、大晦日の晩です。行く年、
来る年も、除夜の鐘が鳴らなくては決まりがつきませんが、これにもいろいろ
とわけありです。
「除夜の鐘は煩悩を解脱し、罪業の消滅を祈って百八回つくとされ、中国では
宋の時代から始まった。日本では鎌倉時代に禅寺で朝夕行われていたが、室町
時代からは大晦日だけつくようになった」
(年中行事を「科学」する P251 )
私の子どもの頃は、夕方の鐘が、門限時間でした。なぜか、お寺の鐘というと、
「烏の鳴き声」「山に沈むお日様」「夕焼け」の3つが浮かんできます。童謡
「夕焼け小焼け」の世界です。
夕焼け小焼け
作詞 中村雨紅 作曲 草川 信
一 夕焼け小焼けで日が暮れて 山のお寺の鐘がなる
お手てつないでみなかえろ 烏といっしょにかえりましょう
二 子供がかえったあとからは まるい大きなお月さま
小鳥が夢を見るころは 空にはきらきら金の星
私の住んでいる川越では、冬の間、午後4時になると、このメロディが流れて
きます。天気がよければ、真っ赤に染まった西の空に雪をいただいた富士山が
見え、やがて薄墨を流したような夕闇が空を覆い、宵の明星が輝きを増してき
ます。いつ見ても飽きない日本の素晴らしい夕暮れです。
話を戻しまして、百八つの鐘のつき方ですが、きちんとした決まりがあるので
す。
「五十四声は弱く、五十四声は強く打つ百八回の鐘は、百八つの煩悩を洗い清
めるためである。百七つ目は最後の宣命といい、ゆく年の最後に鳴らして煩悩
が去ったことを宣言し、百八つ目は、最初の警策といい、来る年の最初につい
て、新たなる年を迎えるにあたって煩悩に惑わされぬよう、眠りを覚ますとい
われる」 (年中行事を「科学」する P251)
宣命とは、宣命体で書かれた天皇の命令のことであり、警策とは、禅寺で座禅
の時に、ピシッと肩を打ち据える、あの棒状の板のことですから、決意の程が
わかります。
ところで、鐘の音の数え方、「声」なんですね、知りませんでした。平家一門の
栄華と滅亡を描いた名作「平家物語」、日本人なら学生時代に一度は目にする有
名な序、「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者
必衰の理をあらわす」と「鐘の声」になっています。沙羅双樹の花は、別名ナ
ツツバキといい、夜明けに咲き夕方に散ることから、世の無常の象徴として記
されている白い花で、めったにお目にかかれませんが、この花で知られている
のが、京都市左京区にある妙心寺の塔頭(たっちゅう)山内にある小寺院東林
寺です。私が見たのは樹齢三百年といわれていた古木でしたが、今花を咲かせ
ているのは、二世の若木だそうです。緑の苔の上に散り落ちた白い花とのコン
トラストが鮮やかで、釈迦の教えである「今日すべきことを明日に伸ばさず、
確かにしていくことがよき一日を生きる道である」を、身をもって示している
雰囲気があり、一見の価値はあります。ホームページでも沙羅双樹を見ること
ができますが、毎年6月の中旬から7月の初旬まで「沙羅双樹の花を愛でる会」
として公開されています。妙心寺は大きなお寺で、一度は訪ねておきたい京都
の名刹です。
★★百八つの煩悩(ぼんのう)って何ですか★★
人間には、百八つの悩みや欲張りの心があり、これを煩悩と言うのですが、私
たち凡人は悩み多き日々を送るのも当然なのです。
「煩悩」とはなんだろう。サンスクリットではクレシャーと言って「心を怪我
しそこなうもの」を意味し、心をわずらわし、身を悩ます心の働きであり、悟
り党最高の目的の実現を妨げるすべての心の働きである。
(年中行事を「科学」する P251)
「お盆の始まり」(7月)で紹介しますが、「子煩悩」という言葉があります。
わが子を並はずれにかわいがることですが、子どもは迷いのもと、苦しみのも
とであって、「子は煩悩のもと」という意味から転化したものだそうです。子
煩悩にはまったお母さん方は、子どもの自立を妨げていることを忘れてはなり
ません。自立心が育まれなければ、自ら取り組む意欲、自発性が育たないから
です。「やるぞ!」といった気力がありませんから、「やった!」という達成
感もありませんし、「次に何をやろうかな?」という関心もありません。無気
力、無感動、無関心、全部「無」です。子どもの成長を支える原動力は意慾で
あり、達成感であり、好奇心です。自立を妨げる育児は、過保護であり過干渉
であることを肝に銘じておきたいものです。
煩悩の根源は一般に貪(とん)、瞋(しん)、痴(ち)とされ、これを三毒、
三惑などという。「貪」とは「むさぼり」であり貪欲である。「瞋」とは「目
をむいて怒ること、瞋恚」であり、また嫌悪、悪意でもある。「痴」とは「お
ろか、真実をわきまえない痴愚」である。「痴」はサンスクリットではモーハ
mohaというが、モーハという音が「ばか」となって慕何、莫詞、莫迦などと音
訳され、後には「馬鹿」と当て字で書かれるようになった。
(年中行事を「科学」する P252)
「貪」は貪欲、「痴」は音痴などでわかりますが、「瞋恚」は難しいですね。
仏教で言う十悪の一つで、自分の心に逆らうものを憎しみ怒ることです。この
三つから解脱できると悟りの境地に至るのでしょうが、やはり凡人には無理な
話です。この「解脱」の「解(げ)」ですが、解熱剤を「かいねつざい」と読
み笑われたことがありましから、解脱などとても出来ない相談ですね(笑)。
参考までに仏教の十悪を紹介しておきましょう。
・身の三悪(正行・しょうぎょう 悟りを得るための正しい行い)
殺生(せっしょう)無意味に他人や衆生(生きとしいける一切のもの)の命を
奪うこと。
偸盗(ちゅうとう)盗みのこと。
邪淫(じゃいん)淫らな異性交流のこと。
・口の四悪(正語 悟りを得るための言葉の災いの戒め)
妄語(もうご 嘘をつくこと)
綺語(きご 奇麗事をいって誤魔化すこと)
両舌(りょうぜつ 二枚舌を使うこと)
悪口(あっく 他人の悪口をいうこと)
・意の三悪(正思 悟りを得るために邪淫になる欲望)
貪欲(とんよく 欲深いこと)
瞋恚(しんい すぐ怒ること)
愚痴(ぐち 恨んだり妬んだりすること)
(「通信用語等の基礎知識」より)
口の四悪、意の三悪の( )内の文言は、わたし流の勝手な解釈です、読み流
してください。
では、百八つの悩み、煩悩の正体は何をいうのでしょうか。
人間には六根という六つの感覚器官-目・耳・鼻・舌・身・意-を持っていて、
それぞれ六境という六つの対象-色・声・香・味・触・法を理解する。そのと
き三不同-好・平・悪の受け取り方があり、その程度は染・淨の二つに分かれ
る。そのすべてが、過去・現在・未来の三世にわたって、人を煩わし、悩ます
のである。
6 × 3 × 2 × 3 =108
(六根) (三不同) (染淨) (三世) 合わせて百八つの煩悩という。
(年中行事を「科学」する P252)
六つの対象の最後の「法」とは、仏教の説いた真理のこと。何だか難しくなっ
てきましたが、わたし流に解釈すると、こういうことではないでしょうか。
「好・平・悪の受け取り方」は、感度良好、普通、感度不良、「染淨」の「染
は物を色水に浸して色を付ける」意味ですから影響を受ける、「淨は水が静か
におさまって濁りがない」ですから影響を受けないことでしょう。まだ、あり
ます。
人間の六根には、三不同という好・平・悪の受け取り方の他に、三受という楽・
捨・苦の感じ方があり、そのすべてが過去・現在・未来の三世にわたるので、
6 × (3 + 3) × 3 =108
(六根) (三不同) (三受) (三世) という解釈もある。
(年中行事を「科学」する P253)
またしても、わたし流ですが、三受という楽・捨・苦の感じ方は、楽しむ、感
知せず、苦しむということでしょう。まだ、あります。
その他に、1年は12カ月で、1年には二十四節気、七十二候(時節、時期)
があるので、 12+24+72=108として、その時々に人を悩まし迷わ
せるものが合せて百八つの煩悩があるという説がある。
(年中行事を「科学」する P253)
これが分かりやすいですね。二十四節気とは、季節の変わり目を示す春分、夏
至、秋分、冬至などの節分を基準に1年を24等分して15日ごとに分けた季
節で、七十二候は、二十四節気を約5日ずつ3つに分け暑さ、寒さから見た時
節のことです。私たち凡人は、いついかなる時にも煩悩に悩まされる愚かな人
間ということでしょうか。二十四節気については、6月に詳しくお話しします。
ところで驚いたことに、「牛に引かれて善光寺参り」でおなじみの善光寺、一
宗一派に拘らずに、全ての人に極楽浄土へ導く教えを説く、日本人的な心の持
ち主であらせられる御本尊、一光三尊阿弥陀如来様を祀る本堂の柱は、何と
108本だそうです。ところで、なぜ、「牛に引かれて善光寺参り」というの
でしょうか。
昔、善光寺の近くに住みながら、信仰心など持ち合わせていなかったおばあさ
んが、ある日さらしておいた布を、隣の家の牛が角に引っ掛けて走り出したの
を見て、それを追っていくうちに、いつの間にか善光寺に駆け込み、それが縁
で深く信仰することになったという説話から、「自分の意思からではなく他人
の誘いで、思いがけない結果を得たり、よい方面へ導かれることのたとえ」と
して使われます。 (学習研究社 四字熟語辞典より)
さらに驚いたことに、念仏を唱える時に使う数珠ですが、一つ一つは百八つの
煩悩を表し、正式には108個の珠から成り立っているそうです。しかし、皆
さんのお持ちの数珠は、108の半分か四分の一ではないでしょうか。材料は、
モクゲンジの実、サンゴ、水晶ですが、モクゲンジの実から出来ている数珠で、
念仏を20万遍唱えると天界に生まれ、百万遍唱えると極楽に往生するそうで
す。1日1回唱えても1年で365回、これは大変なことですね。
先程お話ししました「六根」ですが、六根から起こる欲望を断ち切り清浄にな
ることを「六根清浄(しょうじょう)」と言いますが私にも体験があります。
と言っても禅寺で修行をし、煩悩から解脱したのではありません。昔、親父と
富士山へ登った時、「六根清浄、六根清浄!」と唱えながら頂上を目指したも
のでした。欲望を断ち切り、清らかな気持ちになって登ることでしょう。何し
ろ日本のシンボルでもある「霊峰富士」ですから。しかし、のどは乾き、お腹
はすき、足は棒のようになり、くたびれ果てて苦しかったのですが、頂上へ着
いた時の爽快さ、あれが六根清浄の心境でしょうか。
今はNHKの紅白歌合戦の後に、「行く年、くる年」といった番組があり、茶
の間で全国の名鐘の声を聞けるのも有難いことです。本来除夜の鐘は、鐘の声
を聞きながら、今年1年に犯した様々な罪を悔い改め、煩悩を取り除き、清ら
かな心で新年を迎えるためのものでした。外に出ると、月は青白く輝き、あた
りはひっそりと静まり、もの凄く寒かったものでした。大気が汚染されていま
せんから、冷気を妨げるものがなかったのでしょう。そして、音を遮る高層ビ
ルなどありませんでしたから、除夜の鐘の声が遠くからでもはっきりと聞こえ、
子ども心にも何やら心に迫るものがあったと記憶しています。今はどうでしょ
うか。車の音の絶えることもありませんから、静かに、厳かにとはいかないで
しょう。
ところで、日本人は不思議な民族なんですね。12月から1月にかけての行事
をみても、クリスマスを祝い、除夜の鐘で煩悩を除き、正月には神社へ初詣を
します。キリスト教、仏教、神道の行事、イヴェントが生活に入り込んでいる
国です。矛盾だらけの日本でも、私はこの国に生まれたことを感謝しています。
この感謝の気持を子ども達に何とか伝えたいのです。力不足でさばききれない
かもしれませんが、こういった形式で進めたいと思います。お父さんもお母さ
んも童心に帰り、行事を昔話を、お子さんと一緒に楽しんでください。そして、
受け継がれてきた日本の文化を伝えてあげましょう。そこから家庭の文化は生
まれます。大切な、大切な心の教育は、ご家庭で作り上げた文化に礎があり、
そこから生まれてくるものだと私は確信しています。第三者にゆだねて身につ
くものではありません。
(次回は「12月に読んだあげたい本」についてお話ししましょう)
今回が今年最後の配信になります。来年もよろしくお願いします。
よいお年をお迎えください。
めぇでる教育研究所
所長 藤本 紀元
2016さわやかお受験のススメ<保護者編>★★第2章 (2)何といってもクリスマスと大晦日ですね 師走
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「めぇでる教育研究所」発行
2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
~紀元じぃの子育て春秋~
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第7号-
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第2章 (2)何といってもクリスマスと大晦日ですね 師走
クリスマスが近づきました。お子さんと楽しくお過ごしください。
★★なぜ、七面鳥の受難日なのですか★★
これも、わかりませんでした。七面鳥は高価ですから、庶民は、チキンで済ま
すのではないでしょうか。私は、焼き豚、それもタンの塩焼き、タン塩が好き
ですが、関係ないですね。七面鳥、やはり訳ありでした。
オランダの清教徒が1620年に、メイフラワー号に乗ってアメリカのプリマ
ス港に着き、初めて食卓に乗せた肉が野性の七面鳥であった。清教徒は、キリ
スト教を布教するために苦労をしてアメリカを開拓したが、彼らの「生命の支
え」となってくれた七面鳥を神に捧げて感謝した。初心を忘れないようにする
ために、クリスマスには昔の苦労をしのんで七面鳥を食べるのである。もっと
も今日のアメリカでは七面鳥は感謝祭(11月の第4木曜日)に欠かせない料
理となり、クリスマスの食卓にはチキンが運ばれることが多い。
〔年中行事を「科学」する P247-248 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
日本でも、これに似た習慣がありました。「ありました」と、またしても過去
形になるのは、今では家で炊くこともないからです。「赤飯」、またの名を
「おこわ」ともいい、米に赤あずきを加えて蒸したもので、結婚式などのお祝
いの席でしか、お目にかかれません。この赤飯には、「初心を忘れるな」とい
う戒めがあったのです。米が大陸から日本に伝えられたときは、今のような白
米ではなく、赤米でした。あわやひえ、山芋が主食であったことを考えれば、
炊きたての白米は、本当においしかったに違いありません。どの民族も、同じ
ような経験を積んで、歴史を刻んでいることがわかります。若い皆さん方には
信じがたい話でしょうが、戦後の食糧難の時代、銀シャリ(麦も芋も何も入っ
ていない白米だけのご飯のこと)は、夢にまで見た憧れの食べ物でした。
★★なぜ、クリスマスにケーキを食べるのですか★★
ヴァレンタイン・デーのチョコレートは、何やらこじつけのような気配があり
ます。しかし、ケーキは、何か意味がありそうです。これも、訳ありでした。
クリスマスケーキは、はじめ薪(まき)の形をしていたため、ユール・ログ
(yule log)といわれていた。クリスマスの前夜、果物のなる木の丸太を暖炉に
入れ、前の年の燃え残りから火を移す。新たな火を暖炉にともされる儀式は聖
なるもので、新しい命が生まれると考えられていた。クリスマスの新しい薪を
燃やすことによって家は暖かくなり、家族全員集まって神を讃え、喜びを分か
ち合うのである。クリスマス・ログは、公現祭(1月6日)間で12日間、絶
やさず燃やし続け、そのあとは灰を大切にとっておき、やけどや害虫予防に用
いた。聖なる薪を菓子にして喜びを分かち合うしきたりとしたのが、クリスマ
スケーキのそもそもの始まりだったのである。
〔年中行事を「科学」する P247 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
初代のケーキは、素朴な味がしたことでしょう。今のケーキは何代目かわかり
ませんが、相当、派手になっています。何といっても「デコレーション・ケー
キ」ですから。やはり、感謝の気持ちをこめて食べなくてはいけません。ちな
みに、デコレーション・ケーキは和製英語で、正しくはfancy cakeだそうです。
このケーキを顔にぶつけ合っておもしろがるギャグがありましたが、最低です。
食べ物がなくて餓死する人々が、世界中にどれほどいるか知らないわけはない
でしょう。こんなことは、絶対に止めてほしい。
ところで、食べ物を残さない習慣は、幼児期にきちんと身につけるべきです。
私が戦後の食料難を経験した昭和15年(1940)生まれのせいでしょうか。
飽食は、忍耐力を育てない気がしてなりません。そして、食事の際には、「い
ただきます」と手を合わせ、食べ物に感謝する気持ちを、しっかりと身につけ
ておきたいものです。「蓮如 われ深き淵より」や「親鸞」などの作品を通し
て、宗教の世界をやさしく説いてくれる五木寛之氏は、こうおっしゃっていま
す。
私たちは、イワシやサンマを食べるとき、うまいと思う反面、人間は何と残酷
な生き物だろう、お許しくださいと無意識のうちに考える感覚がどこかに残っ
ている。しかし、ハンバーガーを食べているときは、そういった感覚はほとん
どない。ましてやカロリーメイトだったりすると、まったくありません。食生
活がバーチャル・リアリティ化しているのです。その結果、私たちはまだしも、
子供たちは、食生活の上でも、生命の重さとそれを消費して生きている自分と
いう存在の残酷さを実感するチャンスがなくなっています」
(「他 力」 五木寛之 著 講談社 刊 P144)
バーチャル・リアリティ(virtual reality)
コンピュータの作り出す仮想空間を現実であるかのように知覚させること。
(広辞苑)
イワシやサンマにとって、人間は殺魚犯です。感謝の気持ちを忘れたときから、
人は傲慢になるようです。
★★なぜ、サンタさんは、世界共通なのですか★★
白いひげを生やし、丸々と太った、明るく、笑顔のやさしい、とっても善良な
おじいさんで、プレゼントをいっぱい積んだトナカイの引くそりに乗り、雪の
上どころか、空まで飛んでみせ、なぜか、煙突から入ってくるサンタさんのイ
メージは、世界共通です。これも、訳ありでした。
サンタクロースは、1822年に、聖書学者、アメリカのクレメント・クラー
ク・ムーアー(1777ー1863)が作った、
['T was the Night before Christmas](クリスマスイブのこと)
の詩の中で生まれた。聖ニコラウスを原像としたサンタクロースは、ムーアー
の詩の中で、白い鬚を生やし、丸々と太った明るい善良なおじいさんとして生
まれたのである。(中略) 1863年にアメリカの風刺画家、トーマス・ナス
ト (1842ー1902)による絵が評判をよんで、白い鬚 、赤い帽子に赤い
服、長靴をはき、大きな袋をかついだサンタクロースというイメージが定着し
たのである。
〔年中行事を「科学」する P242・248
永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
サンタさんのモデルである聖ニコラウスは、十二使徒の一人で、毎年、クリス
マス・プレゼントを配りにやってきますが、本来の意味は、キリスト自身が、
この世の光として、神様から人々に、プレゼントされたのです。それが、いつ
頃かわかりませんが、キリストからの贈り物となって、サンタさんが配達人と
なり、さらに、サンタさんに自分の欲しいものを頼めば、直接、枕元まで配達
してくれるようになったのです。親が、サンタさんの代理人とわかり、がっか
りするまで、長い子では、もの心ついてから小学校の高学年ぐらいまで、夢を
与え続けるのですから、これはすごいものです。
親が困るのは、サンタさんにお手紙を書きたいとせがまれることでしょう。私
は、知りませんでしたが、サンタさんの本部は、フィンランドにあります。
1961年に、フィンランドの郵政省は、正式にサンタさんの住所を、次のと
おりに決めたのです。「サンタのおじさん、日本語、わかりますか?」、心配
ありません。ただし、返信用の切手を同封しなければ、返事はもらえません。
これが、サンタさんの現住所です。
MR.SANTA CLAUS
Santa Claus Arctic Circle 96930 Rovaniemi Finland (Yahoo! 知恵袋より)
手紙を出される場合は、パソコンで検索してお確かめてください。お子さんの
夢を破ることのないようにお願いします。
★★なぜ、サンタさんは、煙突から来るのですか★★
こう聞かれて、困ったことはありませんか。これも、やはり訳ありでした。
北欧では、長い冬を前にして、心地よく暖かい日を送るために、煙突掃除が必
要欠くべからざるものであった。サンタクロースが煙突からやってくることに
よって子供たちに煙突掃除を手伝わせる大義名分が立ち、子供たちも喜んで手
伝いをするというわけである。
〔年中行事を「科学」する P243 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
北欧は、なにしろ北極の近くですし、冬ともなれば、お日さまは南の方へ行っ
てしまいますから、昼は短いし、夜は長いし、とにかく寒いし、冬は長いし、
何やら「……し、」ばかりで、元気が出なくなります。そんな長い冬を、暖か
く、快適に過ごすには、何といっても暖炉です。熱効率を妨げるのが、煙突に
へばりつく、煤(すす)です。そうです、煙突掃除は、冬の生活に備えて、欠
かせない仕事でした。
「サンタさんが、気持ち悪がって入れませんよ、こんなに汚れていては」
子どもは、必死で、快く、真面目に、掃除を手伝います。それはそうでしょう、
自分の家だけサンタさんが来なかったら大変です。寒い地方に住む人々の、生
活の知恵でしょう。これは、嘘をついてだますのではなく、問題意識を持たす
ことです。日本には、煙突のある家は少ないですから、あまり心配はありませ
んけれど。
問題意識、育児でも大事です。命令と指示と強制だけでは、子どもは動きませ
ん。子ども自身に意識的にやろうとする意欲をもたせる方が大切です。それに
は、ご両親が、よいお手本を見せることです。「率先垂範」、いい言葉ですね。
四字熟語は、悠久の時の流れがしみ込んでいるような気がします。
ところで、サンタさんは、夜に来るのがいいですね。
「パパ、今晩は寝ないで、サンタさんの来るのを見るのだから!」
こういう頃の子どもは、本当に、かわいいものです。マンションでは、ベラン
ダから入ってくることになっているようですが、窓際で寝込んでしまった子を
見ましたけれど、あどけない寝顔が印象的でした。「施し」、あまり響きのい
い言葉ではありませんが、ボランティアと同じように、贈り物という好意は、
密かに行われるところに意義があるのですから、夜更けに、そっと来るのが、
いいですね。
★★クリスマス・カードのルーツ★★
最後に、クリスマス・カードですが、これは、外国の人には、とても楽しみの
ようです。
日本の年賀状にあたるのでしょうか。しかし、「謹賀新年」とか「賀正」しか
書かれていない年賀状は、味気ないものです。「メリー・クリスマス」としか
書かれていないクリスマス・カードもあるのでしょうか。メールに変わってい
るかもしれません。
1843年に、イギリスのヘンリー・コールが、知人の画家ホーレスーに絵を
描かせ、クリスマスを祝して知人に送ったのが始まりという。そして、イギリ
スのヴィクトリア女王が3年後の1846年にクリスマス・カードを送ったこ
とをきっかけとして、この習慣が世界中に広まったといわれている。
〔年中行事を「科学」する P243 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
ところで、日本でクリスマスが始まったのは、何と永禄5年だそうです。とい
ってもピンとこないかもしれませんが、上杉謙信と武田信玄が川中島で戦った
年といえば、時代背景が浮んでくると思います。ポルトガルの宣教師ビレラが、
大阪の堺から本国に送った手紙に、「堺のキリシタンらは、大いなる喜びと満
足とをもって、クリスマスを祝したり」とあり、これがクリスマスに関するも
っとも古い文献といわれています。今のように、人々の間に広がるのは、大正
時代まで待つことになります。
★★サンタさんは、お父さんの愛情です★★
子どもの夢を破るのは、いい年をした大人のやることではありません。これを
先生がやってしまった話を池波正太郎の随筆にあったと12月5日の第5号で
紹介しましたが、こういう話です。
「サンタクロースは、本当はいない。プレゼントは、君のお父さんとお母さん
が入れておいてくれるのだ」などと、余計なことを言って、(先生が)子どもの
夢をぶち壊してしまうのだそうな。「まったく怪しからん話です」と、友人は
憤慨した。(中略) 平常は会社の激務に追いまくられ、それを癒す深酒で、帰
宅が深夜におよぶ父親がクリスマスの夜には、サンタクロースのプレゼントを
決して忘れずに、会社の帰りに一人息子のプレゼントを買ってくる。これを子
どもの枕元の靴下へ入れてやるときの友人の姿を思いみれば、口が腐っても
「サンタクロースはいない」とはいえまい。この世、このとき、彼はサンタ翁
そのものであって、他の何者でもないのだ。なればこそ、「サンタクロースは
実在する……」のである。「ね、だから、やっぱりサンタクロースはいるのだ
よ。そうだろう」と、私がいうと、友人は泪ぐんだ。
(日曜日の万年筆 P287-288 池波正太郎 著 新潮社 刊)
全国のお父さん方は、この日は子どもの夢をかなえてあげるサンタさんです。
これこそ見返りを考えない親心ではないでしょうか。「無償のほほえみ」は、
お母さん方の専売特許ではありません。余計なことですが、「泪」、いい字で
すね。
★★なぜ、冬至に柚子(ゆず)湯に入り、かぼちゃを食べるのですか★★
「12月25日はローマの冬至祭にあたり、この日を境に短かった昼間が次第
に長くなる、不滅の太陽が生まれ変わる日」と紹介しましたが、日本では「物
事が悪いことから善い方へ向かっていく」と考えられ、冬至のことを「一陽来
復」と言う別名があります。神社では「一陽来復」のお札を配りますが、私が
子どもの頃には、早稲田大学の近くにある穴八幡神社のお守りには「金銀融通
のご利益がある」と言われ賑わっていましたが、今はどうでしょうか。
この日柚子湯に入ると風邪をひかない、かぼちゃを食べると中風(ちゅうぶう
半身不随、腕または足の麻痺する病気)にかからないとも言われています。柚子
湯は体が温まり、風邪や神経痛などに効くことや、柚子にはビタミンCとカルシ
ュームを多く含むため、食べても風邪の予防になり、かぼちゃはビタミンAが
多く含まれ、目や体の健康に役立つと科学的にも立証されている優れものです。
また、語尾に「ん」のつくたべもの、にんじん、れんこん、ぎんなん、かんて
ん、なんきん(かぼちゃのこと)、みかん、きんかん、ぽんかんなどには、食
物繊維やビタミンが多く含まれ、野菜不足になる冬の食材、果物として欠かせ
ません。これも昔から受け継がれてきた生活の知恵でしょう。子ども達にはハ
ロウイーンでおなじみになったかぼちゃですが、食べる方はどうでしょうか。
(次回は、「大晦日1」についてお話しましょう)
2016さわやかお受験のススメ<保護者編>★★第2章(1)何といっても、クリスマスと大晦日ですね 師走
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「めぇでる教育研究所」発行
2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
~紀元じぃの子育て春秋~
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第6号-
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第2章 (1) 何といっても、クリスマスと大晦日ですね 師 走
暦の上では、12月から冬です。
物の本によると、冬という読み方は、「冷(ひ)ゆ」からといわれていますが、
他にも、冬が威力を「振るう」、寒さに「震(ふる)う」、動物の出産の時期
である「殖(ふ)ゆ」の意との説もあるようです。
師走(しわす)のいわれは、これまた文字通り、1年の終わりである12月は、
何かとあわただしい日が続き、普段、どっしりと構えている師匠といえども趨
走(すうそう ちょこちょこ走る意)するので、師趨となり、これが「師走」
となったという説が有力だそうです。
季節の読み方と陰暦のいわれについては、
「子どもに伝えたい年中行事・記念日 萌文書林 編集部 編 萌文書林 刊」
を参考にさせていただきました。
12月といったら、何といっても大晦日です。「ちょっと待った!」と、さえ
ぎる声が聞こえそうです。
クリスマスですね、わかっています。子ども達が、最も楽しみにしている日で
すから。しかし、クリスマスは、キリスト教のお祭りで、12月だけ、にわか
信者になってお祝いするのも、おかしな話ではありませんか。バレンタイン・
デーほどではないでしょうが、何やら、商業主義の笛に踊らされているような
気がします。そう考えるのも、私にはクリスマスの思い出が、ほとんどないか
らかもしれません。戦争中、キリスト教は敵性宗教ですから、信者は、非国民
扱いでした。「え、ウッソー! 信仰は、個人の自由でしょ!」とは軽薄な言
い方で嫌いですが、こんな声が聞こえてきそうです。若いお母さん方には、信
じられないでしょう。為政者が、その気になれば、宗教まで法律で規制できる
のですから、恐いことです。
一時、クリスマス・イブは、どんちゃん騒ぎをする日でしたが、今は、健全な
ホーム・パーティーになっているようです。質素に祝うのが、本来の在り方で
す。しかし、毎年思うのは、あのデコレーション・ケーキです。翌日になると、
ぐっと値が下がります。翌日がクリスマスですから、25日に豪勢にとは、や
はり、駄目なのでしょう。子どもの夢ですから、財布のひももゆるみます。
ところで、「26日のクリスマスケーキ」という言葉を聞いたことはあります
か。結婚適齢期があった頃の話ですが、26歳になると「誰も手を出さない」
という意味で使っていたそうです。封建時代の婦道(女性の守るべき道)の名
残で、今どき、こんなことをいったら、袋叩きにあいますね。
それはさておき、北は北海道から南は沖縄まで、全国的に展開され、いや、世
界的な規模でのお祝いですが、キリスト生誕のことは、ここでは、遠慮してお
きましょう、日本は、仏教と神道の国ですから。何やら、殊勝な態度のようで
すが、キリスト教について、よく知らないだけの話です。
しかし、なぜ、なぜ、どうしてと思う素朴な疑問は、数々あります。
★★12月25日は、キリストの誕生日ではない!?★★
「ナヌ……!?」
この歳時記には、筆者の不勉強から「……!?」が再三、姿を見せますが、第
1号は、キリストの誕生日です。読んだときはびっくりしました。例の、とい
っては不敬に当たると思いますが、馬小屋でお生まれになったあのお話は、ど
うなるのでしょうか。いろいろと探って(これも不敬でしょうね)いく内に、
何と小さなお子さん用の歳時記に、実にわかりやすく、説明されているではあ
りませんか。
クリスマスは、イエス・キリストの生誕を祝うお祭りですが、聖書の中では、
キリストの誕生日は特定されていません。4世紀頃、キリスト教が広まるにつ
れて、統一された聖誕祭が必要となりました。その頃、力を持っていたミトラ
教のお祭りに対抗するために、12月25日に決められたといわれています。
(えほん百科 ぎょうじのゆらい 講談社 刊)
ミトラ教とは、ユーラシア大陸(ヨーロッパとアジアの総称 亜欧州)で信仰さ
れていた太陽の神さまミトラスのことで、12月25日は、ローマの冬至祭に
あたり、この日を境に短かった昼間が次第に長くなる、不滅の太陽の生まれ変
わる日と考えられていました。4世紀になり、この慣わしを取り入れ、「キリ
ストこそ、私達の太陽」とあがめ、キリストの誕生日として祝うようになった
のです。信者の皆様方には不敬になるのをお詫びしながら申し上げますが、
「イエス・キリストが、この世に生まれたことをお祝いする日」であり、「キ
リストが、神からこの世に送られてきたことを感謝する日」なのですね。「き
よし、この夜」は、やはり、心静かに感謝の心を込めて過ごす日なのです。
★★なぜ、クリスマスには「赤、緑、白」の三色になるのですか★★
このことです。どうしてクリスマスになると、「赤、緑、白」の三色になるの
でしょうか。12月になると、ジングルベルのメロデイーが流れ、この三色が
街にあふれます。デパートへ行って、この色にお目にかからない売場は、ほと
んどありません。私は、子ども達に、「赤はサンタさんの着ている服の色、緑
はクリスマス・ツリーの樅の木、白は雪です」といい加減な説明をしていまし
た。ハワイで見たサンタさんは裸足でしたし、常夏の国ですから「白は雪」と
はいえません。これも、当然のごとく訳ありでした。
クリスマスの色は、赤と緑と白である。キリストが人類のために十字架に流し
た血の色は赤である。キリストの純潔を表す色は白、そしてキリストの永遠の
命を象徴する色が緑である。
〔年中行事を「科学」する P245 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
★★なぜ、クリスマス・ツリーは、樅の木ですか★★
日本式では、松の木でしょう。常緑樹は、いつも、みずみずしい姿ですから縁
起物には欠かせません。門松も、その一つです。では、なぜ樅の木になったの
でしょうか、これも訳ありでした。
クリスマス・ツリーは不滅のシンボルとして永遠の生命を表す常緑の木である。
12月24日は「アダムとイブ」の日といわれている。アダムは楽園を追われ
たとき、生命の木から実を一つとってきた。その実から木が育ち、キリストの
十字架が作られたという。クリスマス・ツリーはアダムの持ってきた「善意を
知る木」であり、キリストを表す不滅の生命の木である。
〔年中行事を「科学」する P244 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
クリスマス・ツリーは、アダムが楽園から持ってきた実から生まれたとは、こ
れまた驚きです。せいぜい、真冬にもかれることなく青々と緑を茂らせ、花を
咲かせる常緑樹であることから、「厳冬に耐える生命力にあやかりたい」など
と考えるのは、やはり、不謹慎なわけですね。では、いつごろからクリスマス・
ツリーは、飾られるようになったのでしょうか。
プロテスタントでは、クリスマス・ツリーは、マルティン・ルーテル
(1483-1546)が、初めて採用したのです。1529年のクリスマス
の前夜、ルーテルが凍りついた雪の道を歩きながら、澄み切った夜空を見上げ
ると、無数の星が、美しく輝いていた。この星の輝きを、キリストの愛と感じ
たルーテルは、樅の木を一本切り取り、木の枝にたくさんのろうそくを灯し、
感激した夜の情景を家の中に再現したのである。ギリシャ正教ではケルラリウ
スによって、1054年にクリスマス飾りとして採用された。
〔年中行事を「科学」する P244・245 永田 久 著
日本経済新聞社 刊〕
都会の空では望めませんが、清里の高原で見た星空は、本当に、星が降ってき
そうな感じでした。陳腐な表現で申し訳ないのですが、神秘的でしたね。「神
秘的…」、この言葉も、影が薄くなってきたようです。
当時のクリスマス・ツリーは、どのようなものだったのでしょうか。
樅の木は、はじめは、ろうそくと林檎(りんご)で飾られていた。人々は、キ
リストの光を表すろうそくと、豊穣を示す林檎によって、明日の命、永遠の命
を讃え、祈った。さらに樅の木は天使が飾りつけをする意味を象徴して、一本
の銀の糸を「天使の髪」といって、飾りつけの最後に何気なく木にかけておく
習わしがある。
〔年中行事を「科学」する P245 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
本来の飾りは、ろうそくと林檎だけで、質素なものでした。何やら、今の樅の
木は、華やかです。
靴までぶらさげ、物欲の権化のようになってはいますが、子どもの夢ですから
仕方がないでしょう。
ところで、樅の木のてっぺんに飾ってある星は、キリストが生まれたときに輝
いた星といわれ、「ベツレヘムの星」と呼ばれていますが、それがどの星に当
たるかは、定かではないそうです。
★★なぜ、クリスマス・リースは、柊なのですか★★
クリスマスといえば、樅の木が主役だと思っていましたが、玄関やプレゼント
の飾りつけにするクリスマス・リースも外せません。しかし、あれは柊(ひい
らぎ)の葉です。柊は、日本では鬼から身を守る魔除けの一つです。やはり、
これも訳ありでした。
クリスマスシーズンに赤い実をつけ、緑の葉を持つ柊(holly)は、古く
から、ローマ人によって魔除けとして、また長寿の木として、サトゥルナリア、
冬至祭にも用いられていたが、キリスト教がこの習慣を引き継ぎ、棘(とげ)
はキリストの受難、赤い実はキリストの血という解釈を与え、クリスマスの
愛の木としたのである。英語で(holly)がholy(神聖な)に通じる縁起もあ
るのだろう。
〔年中行事を「科学」する P245 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
サトゥルナリアは、12月17日から25日まで祝われた古代ローマのお祭り
で、農耕神サトゥルナリアを祀り、闇を追い払う冬至祭のことです。ただし、
リースに使う柊は「ひいらぎもち(Chinese holly)」と呼ばれ、赤い実をつ
け、葉っぱもトゲの形も異なり、節分に使う柊とは同じではありません。
そういえば、クリスマスのテーマソングのような
[Silent Night, Holy Night]、この 翻訳ですが、「きよし、この夜」と、
決めています、これも名訳です。「静かで、神聖な夜」だと、ぶち壊しでしょ
う。日本の英語教育って、こんなことをやっていたのではないでしょうか。だ
から、実用的な英語力が身につかなかったのではと、偉そうなことはいえませ
んが。「……いた」と過去形にこだわったのは、2002年度の指導要領改定
で、公立の小学校でも英語の授業が始まったからです。「読む英語
“reading”から、話す英語“speaking”へ」、期待したいものです。
ところで、古い話で申し訳ないのですが、ウィリアム・ホールデンとジェニフ
ァー・ジョーンズが共演した映画
“Love is a many splendid thing”
を「慕情」と訳した方がいましたが、これなども、うならされませんか。また、
名女優、キャサリン・ヘップパーンの演じた
“Summer time in Venice”
は「旅情」です。わずか二文字の漢字に刺激を受け、映画館へ足を運んだもの
でした。最近の映画は、題名が横文字のままのものが多くなっているようです
が、映画を見てから「なるほど!」と納得させられるようなタイトルが少なく
なっているようで、残念な気がします。至る所で、横文字が大きな顔をしてい
ますが、日本語、捨てたものではありません。もっと大切に使ってあげないと
可愛そうですよ、何しろ、母国語ですから。
漢字仮名交じり文は、私達の祖先が英知を結集して、中国から伝わってきた漢
字から、カナ、ひらがなを作り、完成させた素晴らしい表記法であり大変な文
化財です。あまり知られていないようですが、アジア・アフリカ諸国では、数
学や物理、化学など自然科学を学ぶには、英語やフランス語を学び、習得しな
ければ出来ません。日本の高校生は微分、積分を日本語で学んでいますが、そ
れを可能にしたのは日本の漢字文化なのです。母国語で自然科学を学び研究出
来るのは、世界でも奇跡に近いことでもあるのです。今週ノーベル賞の授賞式
が行われましたが、3人の受賞者が生まれたのも、勿論、ご本人の努力のたま
ものですが、自然科学を母国語で学べる素晴らしい教育環境であることも、子
ども達にきちんと教えるべきではないでしょうか。
(「日本の科学教育は大丈夫か」 内科医 西岡昌紀 著 WILL
12月号より 抄訳)
(次回は、クリスマスの2 についてお話しましょう)
2016さわやかお受験のススメ<保護者編>★★季節の行事、これも欠かせません
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「めぇでる教育研究所」発行
2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
~紀元じぃの子育て春秋~
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第5号-
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第1章 (3) 情操教育、難しく考えることはありません
季節の行事、これも欠かせません
季節折々の行事を祝うことも大切です。
最近、旗日、祝祭日のことですが、この日に日の丸の旗を掲げる家は、ほとん
ど見かけなくなりました。祝祭日を家庭で祝うことも、少なくなっているので
しょう。元日にお雑煮を食べない家庭があるそうですから、当然かも知れませ
ん。しかし、七五三や成人式は、華やかに行われていますし、ひな祭りと端午
の節句、これは両家のおじいちゃん、おばあちゃんの気張りどころでしょう。
国産ではありませんが、クリスマスもきちんと祝っています。
お父さん、お母さんに聞いてみましょう。
「なぜ、門松は、松竹梅で飾るのでしょうか」
「なぜ、鬼は、柊(ひいらぎ)、いわしの頭、豆を嫌うのでしょうか」
「なぜ、菱餅は、白、桃色、緑の三色なのでしょうか」
「なぜ、お釈迦さまに甘茶をかけるのでしょうか」
「なぜ、端午の節句に、鯉のぼりを飾るのでしょうか」
これくらいにしておきましょう。
私は、こういった四季折々の行事を、家族で祝い、その意味を両親から話して
もらった記憶があります。その中でも、本当に感心したのは、正月の門松でし
た。いつ頃から飾るようになったのか定かではありませんが、これには、きち
んとした科学的な根拠があるのです。その訳は、1月に詳しく説明しますが、
ここでは、私が父から聞いた話を紹介しておきましょう。父の話は、アカデミ
ックなものではありませんが、こういうことでした。突然、大阪弁になって恐
縮ですが、父は関西の出身でしたから、この言葉の方が、私には実感があるの
です。
松は、一年中、葉が青くて、冬にも色が変わらん。元気で健康な証拠や。
竹は、真っすぐに伸び、雪が積もっても折れん我慢強さがある。しかもや、
中は空っぽやから腹に一物もなく、きれいや。『竹を割ったような性格』って
いうやろ、正直や。男は、これでなきゃあかんのや。
梅は、他の木がつぼみさえ持たん寒い冬に、リンと咲く強さやな。それに、
咲く姿は清らかや。
みんな、それぞれ、それなりの理由がある。みんな縁起もんや。そやから、
これらを飾って、新しい年神様を迎えて、健康で、辛抱強く、正直に生きて、
家内繁盛を願ったのや」
こういった話を、元日の朝祝いの時に、必ず聞かされていました。
季節折々の行事は、自然への感謝の気持ちと家族の幸せを願って、家族みんな
で祝ったものでした。その行事の意味を子どもに教え、楽しく祝い、一つの思
い出として心に残してあげ、自分が親になった時に、その楽しい思い出を子ど
もに伝える、そういった目的があるのだと教わった記憶があります。何しろ、
情報量の少なかった時代でしたから、これも親の大切な役目でもあったわけで
す。
しかし、最近は、「鬼は外、福は内!」の声など、聞こえなくなりました。そ
んなことは迷信だといって、だんだん、影をひそめていくようです。「月にう
さぎが住んでいる」と信じている子はいないでしょうが、「サンタクロースは
いる」と信じている子はたくさんいます。事実、サンタさんから送られてきた
手紙を、目を輝かせ、得意そうに見せてくれた子もいました。「迷信と切り捨
てる」のと、「迷信でも子どもの夢を一緒に楽しんであげる」とでは、どちら
が子どもにとって幸せでしょうか。「サンタクロースなんて迷信で、プレゼン
トはお父さんが買ってくるんだよ」といった先生を許せないと、涙ながらに語
る友人の話を、池波正太郎の随筆で読んだ記憶があります。この先生には、ク
リスマスの思い出は、何もなかったのでしょう。あれば、こんな残酷なことは
いえません。でも、これは許せない。
豆をまき、菖蒲(しょうぶ)湯に入って菖蒲で鉢巻したり、短冊につたない字で
願い事を書いたり、お月見に薄(すすき)を飾ってお団子を食べ、素朴に祝って
いたのでしょう。「素朴」、いい言葉ではありませんか。最近、あまり聞かれ
ない言葉の一つになりましたけど……。時の流れとはいえ、一抹の寂しさを感
じます。
しかし、その時に、父や母から話を聞くことが本当に楽しみでした。今のよう
にテレビもなく、むかし話の本などあまりなかった戦後の貧しい時代でしたか
ら、ほとんど、両親の記憶によるものでした。親によって語り継がれる、むか
し話の原点が、まだ、残っていました。特に、鬼の話や地獄の話は恐かったも
のです。悪いことをすると地獄に落ち、針の山に追われ、血の池に放りこまれ
る話などは、心から信じていました。これも、私にとっては 「情操教育」で
あったと思います。こういった家族全員で祝うことがなくなったのも、家族の
きずなが薄くなった原因の一つであることは、間違いないでしょう。季節折々
の行事も、心を培う「情操教育」に欠かせない、大切なものだと思います。
そこで、月々の行事を取り上げ、その行事に関係のあるむかし話を紹介しよう
と試みたのですが、素人の悲しさですね、日本中の行事といえば気が遠くなる
ほどありますし、むかし話となると、とてもではありませんが手に負えない、
ものすごい数です。
行事は、全国的に行われているものから選びましたが、その基本的な資料とし
て使わせて頂いた
のは。永田 久先生の「年中行事を『科学』する」(日本経済社 刊)でした。
表現に専門用語が使われ難しいものですから、わたし流に解釈させていただき
ましたが、詳しくは、最後の「おわりに」のところで説明いたしますので、ご
本家の方をお読みいただければ幸いです。
むかし話は、教室でうけた話を中心に、私の独断と偏見で選んでみました。児
童文学を修めたわけでもなく、系統立てて民話などを研究したこともありませ
んから、間違った解釈をしているところも多々あると思います。専門家の諸先
生方に一笑されるかもしれませんが、それは覚悟の上です。何やら強気のよう
ですが、目に触れる心配などありえませんから、突っ張っているだけです(笑)。
紹介した話は、本当に氷山の一角で、しかもダイジェスト版になっています。
紹介した話は、本当に氷山の一角で、しかもダイジェスト版になっています。
面白いと思われましたら、本物を読んであげてください。それも、このメール
マガジンの狙いの一つです。紹介する本は、ほとんどが川越市の県立図書館で
読んだものです。何とも悲しい話ですが閉館されてしまい、勉強させてくれた
本を再読できません。しかし、お住まいになっている図書館の子ども部屋には
あると思いますので、作者と出版社名を明記しましたから、参考になさってく
ださい。
お父さん、お母さん、頑張ってください。情操教育は、心の教育です。心の教
育は、幼児期に基本的なことを学習しておくべきです。今は、学習ではなく、
勉強が、幼児の心をむしばんではいないでしょうか。文字の成り立ちからもわ
かるように、学習は「習い学ぶこと」で、勉強は「強いて勉めること」です。
幼児を取り巻く環境は、何やら落ち着きません。親が勉強せず、子どもだけに
勉強を強いる傾向にあると思えてならないのです。情緒が不安定で、情操の乏
しい子が増えているといわれていますが、知識を詰め込むことにこだわり、心
を育てる育児が、おろそかになっていないでしょうか。
キリスト、お釈迦さま、マホメッドと共に、世界の四大聖人である孔子さまも、
「論語物語」の「うぐいすの声」でいっています。うぐいすのひな鳥が、親鳥
の美しく鳴く声を聞きながら、繰り返し練習をして、やがて、一人前に鳴ける
ようになる話です。その心は、「親鳥のようになりたい……」、このことです。
ある年の7月、上高地へ出かけた時、大正池で、実際に聞くことができ感激し
ました!
幼児期は、「強いて勉めるときではなく、習い学ぶとき」です。心の教育は、
お子さんの人生観の基礎を培う大切な学習です。お手本は、ご両親です。ご両
親が、うぐいすの親のようにならなければ、迷うのはお子さん自身です。心の
教育こそ、ご両親が力を合わせて、育み、培うものです。
ご両親が受けてきた教育を、そのままお子さんにも受けさせたいとお考えでし
ょうか。もし、不安を感じているようでしたら、教育についての考え方を、改
めるべきではないかと、赤面しながら、あえて言い切っておきましょう。私は、
「教育とは自己学習のできる人間を育てること」であり、ご両親が作る環境から
培われていくものだと考えています。ちょっと背伸びをしすぎました、読み飛
ばしてください。
★★古典落語「桃太郎」の作者の意図★★
本書の解説によると、江戸時代の落語家、乾坤坊 良斉(けんこんぼう りょ
うさい)が書いたといわれる古典落語の傑作の一つだそうです。高校生の頃だ
と思いますが、大人をからかうおもしろさに腹を抱えたものでした。今、読み
返してみると作者の意図が明確で、「うん、そうだ、そうだ。その通りだ!」
などと、うなずきながら納得させられてしまいます。また、「桃太郎」は、
「かちかち山」「花さか爺さん」「さるかに合戦」「舌きり雀」と共に、日本
の五大お伽話と言われています。私の年代では、信じられないのですが、この
五つの話を知らない子がいます。「フランダースの犬」や「アルプスの少女ハ
イジ」の方が、人気があるようですね。
◆桃太郎◆ 乾坤坊 良斉(けんこんぼう りょうさい)
昔の子どもは、親の言うことを聞き、子守歌の代わりにむかし話をすると寝た
ものですが、今の子は、そうはいきません。
お父さんが、
「むかし、むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがいて、おじいさ
んは山へ芝を刈りに、おばあさんは川へ洗濯にいきました」
と話をすると、子どもは眠るどころか、
「むかしっていつの時代、ある所ってどこ。おじいさんとおばあさんの名前は
何というの。
山と川の名前は」
と聞き返してきます。
お父さんが答えるのに困っていると、話を聞くはずの子どもが、作者の意図を
解説し始めるのです。
時代、場所、名前の無いこと、おじいさんが山へ芝刈りに、おばあさんが川へ
洗濯にいくわけから始まり、鬼が島は、これから生きていく社会のことで、そ
こでの厳しい修業を鬼退治にたとえていること、きび団子は、粗食にたえろと
いう教えであり、家来の猿、犬、きじは、“知仁勇”を表し、世間で信用を得
るための大事な心構えであって、社会人となり、信用と
いう大切な宝物を持って、出世して帰ってくれば、親も喜び、幸せになる、こ
れが作者の狙いだというのです。
「どう、わかったかい、おとっつぁん……、」
といって、子どもがお父さんを見ると、寝てしまっていたというお話です。
こども古典落語1 あっぱれ! わんぱく編
小島 貞二 文 宮本 忠夫 画 アリス館 刊
説得力があります。歳月を経て伝えられてきた話は、研ぎ澄まされており、実
に無駄がありません。しかも、落語であるところが愉快ではありませんか。笑
いながら、人生修業をしているのですから。
そして落語は、最後の締めである「落ち」が、笑いのポイントになるのですが、
これがまた、こたえられません。本当は、ネタを話したくてうずうずしていま
すが、推理小説の犯人を明かすのと同じで、罪深いことですから、皆さんの楽
しみにしておきましょう。ぜひ、お読みになってください。
古今亭志ん生師匠をはじめ、咄家のすばらしい名人芸がCDに収録されていま
す。図書館の視聴覚室にあるはずですから、疲れたときに聞いてみませんか。落語
は、声を出して笑うことが、いかに大切であるかを教えてくれるからです。あ
るミッション系の小学校の面接試験で、「最近、大笑いしたことがありますか」
と尋ねられたことがありましたが、この質問の意図を、どのようにお考えでし
ょうか。 (次回は12月の年中行事についてお話しましょう)
2016さわやかお受験のススメ<保護者編>★★情操教育、難しく考える必要はありません 話の読み聞かせ (2)
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「めぇでる教育研究所」発行
2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
~紀元じぃの子育て春秋~
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第4号-
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第1章 (2)情操教育、難しく考えることはありません
話の読み聞かせ (2)
「竜宮城って、おもしろいところだな。絵に描いてみるかな」
となると絵画の領域です。幼児期の絵は、写生ではなく、イメージ、想像して
描いたものです。ファンタジーの世界ですから夢もふくらみます。絵を描こう
とする動機は純粋です。幼児には、この「……かな?」がついた時こそ、好奇
心の芽を育む絶好のチャンスなのです。「小学校の入学試験に、絵を描かせる
学校があるから、絵画教室に行きましょう」と考えて始めるのは、子どもの希
望ではありませんから、絵を描くことが好きになるとは思えません。
最近、絵を描くことをいやがる子どもが増えていると聞きますが、想像力が培
われてくる前に、大人の求める望ましい上手な絵を期待するからではないでし
ょうか。感性が磨かれなければ、絵は描けません。
(環境+五感が受けた刺激)×(想像力×好奇心÷そしゃく力)=描かれた絵
妙な式ですが、冗談、冗談です。
専門家の先生に叱りとばされますから、深く詮索なさらずに読み流してくださ
い。感性は、子ども自身が与えられた環境の中で、自らの力で培ってきた「自
前の性能」ではないだろうかと言いたいのです。親が、注文を付け始めると、
おもしろくない絵になりがちだからです。
お子さんの絵について、振り返ってみましょう。
2歳頃から、点や線の殴り書きが始まったのではないでしょうか。
3歳頃から、直線や曲線を使って○や□らしきものが表われ、それこそ、ある
日突然、頭から手足がニョキニョキ出ている頭足人間を描いたと思います。
やがて、頭と体が分かれ、一応、人間らしくなりますが、手は電信柱のように、
横に真っすぐのびたままで、年長さんになって、やっと手も下におり、人間と
認められる絵になったのではないでしょうか。
ここまで表現できるようになるには、これだけの段階を踏んでいるのです。絵
は、言葉や身体表現と比べ、差のつきやすい能力といえます。うまい絵を求め
るより、何を描きたがっているのか、その内容に注目し、楽しく描ける雰囲気
を作ってあげることが大切です。
「絵は心の窓」ともいわれ、心の屈折が表れるそうです。冷静にお聞きくださ
い。もしかしたら、遺伝もあるかも知れません。ご両親、特に、お母さんは子
どもの頃、どういった絵を描いていたか、ご自身のお母さんに聞いておきまし
ょう。
話の読み聞かせの効果は、まだ、あります。
むかし話をはじめ、子どもの読む本は、勧善懲悪から成り立っています。正義
は、必ず勝ちます。倫理、道徳、善悪について、襟を正して説教をしなくても、
きちんと学習しています。言ってみれば、お子さん用の「修身、道徳講座」で
す。情操教育の基礎、基本を学習しています。
このことです……。
3歳を過ぎる頃から自立が始まります。自立が始まると、いろいろな経験を重
ねながら、さまざまな感情も一緒に培われます。これが情緒です。この情緒の
分化が、5歳頃から始まります。
赤ちゃん時代は、「ママ!」の一言で全ての要求を表し、ついこの間までは、
何でも泣くだけで表現していたことを考えれば、言葉で表せるのは、格段の進
歩ではないでしょうか。
今まではおもちゃ箱の中に、乱雑に入れられていたおもちゃが、「自動車はこ
こ」、「縫いぐるみはこっち」、「ままごと道具はあっち」と、きちんと整理
されて行く状態になるのです。まだ、整然とはいきませんが。
つまり、未分化だった情緒が分化されて、大人に見られるような、「喜び、怒
り、楽しみ、悲しみ、望み、不安」といった情緒が表れ、いろいろな話を聞く
ことから、喜怒哀楽など心の動きを誘い起こされ、幼いなりに自我を作ってい
るのです。
ずる賢い人には、怒りを覚え、悲しい話になると涙ぐみ、正直な人が報われる
と笑顔を見せ、恐い話になると表情も変わってきます。話をきちんと理解して
いる証拠です。正しいこと悪いことの分別を、感情を移入しながらシミュレー
ション学習をし、幼いながらも、正義に対する憧れや悪に対する嫌悪感を養っ
ているのです。それが自我であり、個性を培っていく基本的な学習になってい
るのです。
「三つ子の魂百まで」の意味は、ここにある事も忘れてはならないでしょう。
まだ、あります。これが最も大切だと思います。お母さんが感情こめて読んで
あげると、子どもは真剣に、心をこめて聞くものです。そこから、人の話を静
かに、行儀よく聞く姿勢が身につきます。これは、これから始まる小学校の勉
強に、スムーズに取り組むために身につけておきたい、大切な心構えであり、
学習態度です。話が聞けないようでは、いくら漢字が読め、足し算や引き算が
でき、九九をそらんじていても、駄目です。小学校の先生に聞いてみると、み
なさん、そうおっしゃいます。それほど、話を聞く姿勢を身につけることは大
切なのです。話を聞く姿勢ができていないと、勉強についていけず、落ちこぼ
れることにもなりかねません。
あまり本を読んであげずに、
「人の話は、キチンと聞かなくては駄目だと、お母さんはいつも言っているで
しょう!」
と、恐い顔して、厳しく、何十回と言っても無駄でしょうね。言葉だけで説得
できません、態度で示すに限ります。本を読んであげることで、お母さん自身
が、よいお手本を見せています。
それが、話を聞く姿勢を身につける訓練になっているのです。
ひたすら自己中心に行動する子や、落ち着きがなくじっとしていられない子に
なる原因の一つとして、話を聞きたがる大切な時期に、読み聞かせを怠ったこ
とも考えられるのではないでしょうか。モンテッソーリの「敏感期」で、その時
期に著しく成長し、それを過ぎると鈍感になる成長過程のことです。真偽の程
は定かではないようですが、言葉の敏感期に人間の言葉に触れなかったため、
言葉を話せないまま成長したインドの狼少年は、敏感期を実証した話ではない
でしょうか。
マリア・モンテッソーリ
イタリアのローマで医師として精神病院で働き、知的障害児へ感覚教育
を実施し、知的水準を上げる効果をみせ、1907年に設立した貧困層の健常
児を対象にした保護施設「子どもの家」において、独特の教育法を完成させた。
以後、モンテッソ―リ教育を実施する施設は「子どもの家」と呼ばれるように
なった。
(ウィキペディア フリー百科事典より)
それはともかくとして、話の読み聞かせは、予想もつかない力も育みます。
話がおもしろければ、そしてそれが長編ともなれば没我の世界の中で、一つの
ことに集中できる持久力や耐久力さえ身につきます。気力や体力は、運動だけ
で培われるものではありません。こういった精神力を鍛えることで、物事に取
り組む意欲や頑張る力も育まれます。
さらに、すごいと思うのは、
「言語能力を高めるためのお勉強ですよ!」
といった意識は、読んでいるお母さんも、聞いているお子さんにも、全くない
はずです。無意識の内に、自主的に、積極的に、しかも楽しく学習しています。
これこそ、「教えない教育」の最も効果的な方法ではないでしょうか。「教え
ない教育」とは、誤解を恐れずにいえば、本人は、勉強だと思っていないにも
かかわらず、ものすごい勉強をしていることです。何かを学ぼうとする気持ち、
学習意欲が身につきます。
しつこいですけれど、まだ、あります。
お母さんの表情豊かな、やさしい語りかけが、何よりのスキンシップなのです。
ですから、本をたくさん読んであげるお母さんは、子どもに慕われます。それ
は、お母さんとお子さんが、同じ土俵に上がり、同じ気持ちで、物語の世界を
楽しんでいるからです。お母さんは、こんな荒唐無稽な話などありえないと思
っても、また少し抵抗を感じる言葉でも、一切、無視し、お子さんのレベルに
合わせて読んであげているはずです。視線は同じ高さですから、心は通います。
視線の高さが違ってくると、命令と忍従の関係になりがちです。
しかし、一つだけいっておきたいことがあります。
いくら話の読み聞かせは素晴らしいといっても、お子さんが興味を示さない本
では、あまり効果はありません。「少年少女 世界名作全集 全十巻」などを
買い揃えるのはどうでしょうか。
「本当は、『かちかち山』の話、読んでもらいたいのだけど……」、こういっ
たことは、小さい時から、とかくありがちです。気を遣ってください、親の考
えを押し付けるのは、決していいことではありません。私たち親は、とかく子
どものためによかれと思ってやることが、案外、子どもには迷惑な話となって
いる場合があるものです。「あなたのためなのに……!」という前に、親のエ
ゴが優先していないか考えましょう。
(お断わり 同名の「少年少女 世界名作全集 全十巻」があったとしても、
その本とは一切関係ありません)
また、ご両親が子どもの頃に読み、印象に残った本を読んであげることがある
でしょうが、
「どう、面白かった?」
といった言葉がけはやめましょう。親のイメージを押し付けることになりがち
だからです。
「ケンちゃん、どうだったかしら?」
と軽い気持ちで聞き、反応が今一の場合は、引き下がる思いやりも必要です。
読んでほしいとリクエストがあり、数回読んであげて、しっかりとしたイメー
ジが出来上がってから、感想を聞くようにしましょう。
ところで、本の選び方ですが、一緒に図書館へ行き、最初はお母さんが選んで
あげ、後はお子さんに任せてみましょう。お子さんが選んだ本は、たとえ、年
齢にふさわしくない幼い内容であっても、いやな顔をせずに読んであげてくだ
さい。そして、自分で選んだことをほめてあげましょう。お子さん自身が興味
を持たなければ、本の好きな子にならないからです。読書の芽は、ご両親の優
しい心遣いから培われるものではないでしょうか。
また、「読書の時間です」などと、スケジュールをキッチリと組むのもどうで
しょうか。お子さん自身に読んでほしいという意欲がないときは、あまり効果
的とは言えません。お子さん自身が望んだときが、最高の教場となるからです。
習慣にしてよいのは、寝る前に読んであげることではないかと思います。今年
6月に再開された横浜雙葉小学校の説明会でも、学園長は「お子さまと添い寝
をしながら本を読んであげる機会が少なくなっているのでは」と懸念されてい
ましたが、皆さん方はどうでしょうか。
最後に、図書館には紙芝居がたくさんありますが、利用してみましょう。紙芝
居は、絵と言葉の表現に無駄がありませんから解りやすく、また、親子で向き
合っていますから、お子さんの表情がよく見え、どういったことに興味をもっ
ているかがわかるからです。
ところで、図書館で騒いでいる子や遊んでいる子もいますが、公衆道徳を教え
るのは、ご両親の大切な仕事です。手を抜いていると、あとで困るのは、お子
さん自身です。
また、借りた本は大切に扱う習慣をつけましょう。落書をされた本やジュース
などをこぼしたあとさえ残っているものも見かけます。「みんなで使うものは
丁寧に扱う」、これも守らなければいけない規則です。たった1冊の本から、
育児の姿勢が至るところに顔を出しています。
そして、返却期日は、必ず、守りましょう。こういった約束事は、幼児期にき
ちんと身につけてあげれば、お子さんの人格形成の礎にもなるからです。繰り
返しますが、「三つ子の魂百まで」は、「良い習慣は幼児期に身につく」こと
を伝える、育児の鉄則ではないでしょうか。
このように、幼児期は、文字を教えこむより、心をこめて本を読んであげ、心
の通った会話ができる環境を作ってあげることが大切です。「文字よりも言葉」
です。これが私の考えているご家庭でできる「情操教育」の基礎、基本ですが、
納得していただけたでしょうか。
(次回は、季節の行事についてお話しましょう)
2016さわやかお受験のススメ<保護者編>★★情操教育、難しく考える必要はありません 本を読んであげてください 〔1〕
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「めぇでる教育研究所」発行
2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
~紀元じぃの子育て春秋~
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第3号-
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第1章 (1) 情操教育、難しく考える必要はありません
本を読んであげてください 〔1〕
本を読んであげる、話の読み聞かせは、とても大切です。
安易に、テレビやDVDなどに、子守をさせてはいけないと思います。確かに、
このような教具は、映像と語りだけではなく、臨場感を盛り上げる音楽や効果
音を駆使して、瞬く間に、たくさんの情報を与えてくれます。これ程、便利な
ものはありませんが、送信する側と受信する者は一方通行ですから、疑問を感
じても質問できないといった不便な点もあります。わからないままに、話はど
んどん進みますから、疑問を残したままになり、消化不良を起こしがちではな
いでしょうか。しかも、伝える側に感情はありません、このことです……。
幼児には、お父さんやお母さんの生の声が何よりです。5歳頃になると、絵が
主役だった絵本から、字の多くなったものに変わり、話も筋道を立てて進む物
語になっていると思います。
ところで、本を読んでもらっている時の子どもの頭は、どうなっているのでし
ょうか。絵を見ながら読んでもらっていますから、お母さんの読んでくれる言
葉を、絵に置き換えるといいますか、映像化する作業がリアルタイムで行われ、
絵本や図鑑、テレビや実際に見た映像が、浮かんでいるのではないかと思いま
す。
聞いたことのない言葉が出てくると、声がかかります。
「お母さん、オニタイジって、どういうこと?」
そこで、お母さんは、お子さんのわかる言葉に置き換えて説明をします。お子
さんは、その意味を確かめ、納得し、新しい言葉を覚え、少しずつですが、確
実に語彙が増えていきます。
そして一人になると、まだ、字を読めないはずですが、何やらブツブツいいな
がら、絵本を見ています。あれは、本当に不思議ですね。おそらく、読んでも
らった本がおもしろかったので、お母さんの言葉を思い出しながら、確かめて
いるのだと思います。絵を見ながら、その状況を記憶した言葉をもとに、映像
を描き、イメージ化しているのではないでしょうか。つまり、「言葉で考え、
想像」しているのです。これは、すごいことだと思います。
それが証拠に子どもは、同じ本を、それこそ何回も何回も、飽きもせずに読ん
でくれとせがみます。それも、読んであげている途中に、
「お母さん、ありがとう、そこまででいいです」
といったことが、しばしば起こりがちです。
読んでもらったところを忘れてしまったのか、思い出せないのかわかりません
が、話が先に進まなくなってしまったのでしょう。イメージ化の中断です。読
んでもらい話がつながったので、そこまででいいのでしょう、後は覚えていま
すから。あれは、話を一所懸命に覚えようとしているのに違いありません。覚
えようとする力、「記憶力」がつきます。
さらに、繰り返し読んでもらうことで、頭に描かれた映像は、より鮮明に具体
的になってきます。そこから、独自の「想像力や空想力」が培われてきます。
ところで、昔話を何か思い出してください。
子どもの読む話は、「起承結」で成り立っています。「起承転結」と、「転」
はなく、話は複雑になっていないはずです。「起承転結」は、漢詩を組み立て
る形式の一つで、転じて、「ものごとの順序・作法を表す言葉」ですが、わか
りやすい例えがありますので紹介しましょう。江戸時代後期の儒学者・詩人・
歴史家であった頼山陽が作った「京都西陣帯屋の娘」です。
京都西陣帯屋の娘 (起)
姉は十八、妹は十六 (承)
諸国の大名は刀で殺す (転)
姉妹二人は目もとで殺す (結)
「ショコクノダイミョウって、なあに?」
余計なものが入ってくると、イメージ化する作業が複雑になります。帯屋の娘
の話は、帯屋の娘で終わらないと、子どもは安心できません。ですから、鬼退
治をした桃太郎が、ついでに海賊をやっつけることもなく、すんなりと終わっ
て、「めでたし、めでたし」が昔話に欠かせない決まりです。
さらに、物語は、「序破急(初め・中・終わり」と快適なテンポで進みます。
浦島太郎が、竜宮城で過ごした時間が何十年であっても、何らさしつかえあり
ません。話は、快く聞けるように仕組まれています。しかも物語は、単純で、
明快に展開しますから、話の世界へ引き込まれていきます。そこから、話を理
解する力、「理解力」が培われてきます。
そして、何とも素晴らしいのは、自然と話に引き込んでいく、あの約束事でし
ょう。イントロダクション、導入部などの言葉が、白々しくなるほど決まって
います。「むかし、むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが、住ん
でいました」で始まりますが、これが、実に重大な役目を果たしているではあ
りませんか!などと興奮することもありませんが(笑)。
「むかし、むかし」は「いつ」と時間の設定ですが、いつのことだかわかりま
せん。
「あるところ」は「場所」ですが、どこだかわかりません。
「おじいさんとおばあさん」は「だれ」と大切な登場人物ですが、名前もあり
ません。みんなあいまいで、そのあいまいなままに「何を、なぜ、どのように」
と話は展開していきます。
これも、考えてみると大変なことです。
時代はいつでも、場所はどこでも、名前がなくても、何ら不都合はありません。
奈良時代だろうが平成時代であろうが、北海道だろうが、はたまた沖縄であろ
うが、みんな「むかし、むかし、あるところ……」で済ませてしまいます。時
代考証も、場所の設定も、人物の履歴も、何も必要ありません。ですから、子
ども達は、何ら抵抗なく、心安らかに、期待に胸を躍らせながら、話の世界へ
入っていけるのです。しかも、没我の世界です。
これを、几帳面に、
「江戸時代の元禄十二年、大晦日を迎える二日前の朝、上総の国、蒲郷郡、大
字蒲郷、字大和村の一本杉の側に、山之上太郎左エ門という名の爺さまとお熊
という名の婆さまが住んでいました」では、聞いてみようかなとはならないで
しょう。
「お母さん、もう眠いから……」、こうなるのに違いありません。読むお母さ
ん方も疲れてしまいますね。
こういった昔話の構成や作者の意図について、「なるほど!」と納得し、肯か
ざるを得ない古典落語に、「桃太郎」があります。確か、古今亭今輔師匠が得
意とした噺ではなかったかと思います。お薦めの話、第一号として、この章の
最後に紹介しておきましょう。
ところで、昔話は、
いつ(when)
どこで(where)
だれが(who)
何を(what)
なぜ(why)
どのように(how)
と文章を書くときの基本である[5W+1H]から成り立っていますが、新聞
記事やテレビのニュースなどを瞬時に理解できるのは、この原則に従っている
からです。ということは、昔話を聞きながら、[5W+1H]を小さい時から
学んでいることになります。これは、すごい知恵ではないでしょうか。
勿論、子ども達は、「いつ・どこで・だれが」などと意識して聞いているわけ
ではないでしょうが、話は理路整然とセオリーどおりに進んでいきますから、
話を覚え、絵本を見ながら言葉で表現することで、物事を筋道立てて考える訓
練にもなっているのです。物事を組み立てる、考える力、「構成力や思考力」
が自ずと身につきます。
そして、子どもは話を覚えると話したがります。
それには、自分自身が、話をよく理解していなければ出来ませんから、そのた
めの訓練が自発的に始まります。話の流れをきちんと記憶し、組み立て、味わ
い、自分の言葉で話す訓練です。それが「表現力」につながります。
こんなに大切な能力開発を自ら積極的に挑戦しているにもかかわらず、
「パパ、『ももたろう』の話、知っている?」
「ああ、知っているよ。猿と犬と雉の家来を連れて、鬼退治に行く話だろう」
と無造作に応じてしまうと、折角、積んできたトレーニングの成果を試すこと
も出来ません。
「今までの努力は、何だったのだ!」
とは思わないでしょうが、悔しい思いをさせているのではないでしょうか。
子どもは覚えた話を、話したいのです、聞いてもらいたいのです。
「うん、パパも子どもの頃は、よく知っていたけど、どういう話だったかな?」
と、やさしく受けてあげましょう。
お子さんは、一所懸命に話すはずです。
そして話し終えたときに一言、「よく覚えたな、えらいぞ!」と、褒めてあげ
ましょう。褒められて不愉快になるはずはありませんから、さらに、話を覚え
ようとします。そこから、「物事に取り組む意欲」が芽生えます。
意欲は、新しい能力を開発する起爆剤です。
しかも、「覚えなさい!」と言われて覚えたものではなく、「話してみなさい!」
と言われて訓練したものでもありません。強制されずに、自発的に、楽しみな
がら積極的に挑戦し、能力を開発しているのですから、その効果は一石二鳥ど
ころではなく、計り知れないものがあります。
このように話の読み聞かせは、
「語彙を増やす」だけではなく、
「イメージをふくらませる空想力や想像力」
「話を聞く力」
「構成力や思考力」
「言葉での表現力」
「物事に取り組む意欲」
といった能力などの開発に、とてつもない大きな影響を与えているのです。し
かも、これだけではありません。
(次回は、「本を読んであげてください 2」についてお話しましょう)
2016さわやかお受験のススメ<保護者編>★★ことの始まりは、ある幼稚園の進学教室からでした
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「めぇでる教育研究所」発行
2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
~紀元じぃの子育て春秋~
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第2号-
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-ことの始まりは、ある幼稚園の進学教室からでした-
私は、長い間、幼児教育のパイオニアである教育研究所でお世話になっていま
した。「情操を育むために、年中行事と昔話が大切な役目を果たしているので
はないか」と模索していたのは、幼児教育の本質が少しわかりかけてきた、
50歳になった頃ではなかったでしょうか。平成元年に、「年中行事を『科学』
する」という素晴らしい本にめぐり合い、進むべき道が見えてきました。
そして、この考えに「間違いはない」と自信らしいものが出てきたのは、ある
経験からでした。当時私は、約10年間にわたり、板橋にある淑徳幼稚園の課
外保育であった進学教室を担当していたのですが、後半の5年間は、一人で年
中組と年長組を指導することになりました。この間の子ども達のやり取りとお
母さん方の反応から、年中行事と昔話を組み合わせた「情操教育歳時記」とい
った何とも大仰なタイトルですが、気軽に読んでいただける本を作ってみよう
と思い始めていたのです。育児の専門家ではない「わたし流の育児書」という
わけです。
私どもの研究所の教室へやってくる子ども達は、全員、「受験のために勉強に
きている」といった意識が、しっかりと培われており、授業もやりやすかった
のです。「幼児教室は、こういうものだ」と思っていた私には、この幼稚園の
進学教室は、まさに青天の霹靂で、勝手が違い、思わぬ苦労をしました。
その日の保育が終わった後に、同じ教室でやるのですから、子ども達にとって
は、「自分たちの土俵に変な先生が入ってきた、エイリアン!」といった感じ
だったのでしょう、いつものように授業を始めることが出来なかったのです。
そのために、まず、授業に集中できる雰囲気を作ることからはじめました。い
ろいろと試行錯誤をしながら出来上がったのは、授業の前に、その月の行事、
11月でしたら七五三をテーマに、昔からの言い伝えを子ども達にわかるよう
に話し、その月に関係ある昔話をするといった方法でした。
回を重ねる内にわかったのは、子ども達は、「フランダースの犬」や「アルプ
スの少女ハイジ」を知っていても、「一寸法師」や「花さか爺さん」などの昔
話を、あまり知らないことでした。しかし、話をしてみると、熱心に聞いてく
れるのです。それならばと、徹底的に昔話をすることにしたのですが、年長組
は週2回で月8回、1年間で、ざっと96の話をすることになり、少々心配に
なりました。「絵本を見ながら読んであげればいいか!」と気軽に考えていた
私は、子ども達から思わぬしっぺ返しを食い、悪戦苦闘が始まったのです。
それは、本を見ながら話す時と見ないで話す時では、子どもの興味を示す様子
が、微妙に違うことでした。話を覚えている場合は、子ども達の目を見ながら
話をしますから、目をそらす子はいません。「目をそらさない」ことは、話を
しっかりと聞く基本的な姿勢です。本文でも紹介しますが、「大勢の子ども達
に、話を読み聞かせる重要なポイントは、話を記憶することだ」と教えてくれ
たのは、この教室の子ども達でした。
毎週2つの話を記憶するのは大変でしたが、子ども達は私の話を楽しみに待っ
てくれ、授業にもスムーズに入れるようになりました。見つけた時には私も驚
きましたが、「シンデレラ物語」とそっくりな話である「ぬかふくとこめふく」
を話した時の、子ども達の驚いた顔を忘れることができません。
ある時、昔話ではなかったのですが、椋 鳩十の動物の話をしてみました。す
ると、次の時間にもとリクエストがあり、動物達の話に興味があることもわか
りました。そこで、長編でもある「丘の野犬」をアレンジして話したところ、
何と熱心に聞いてくれ、涙さえ浮かべる子も出てきたのです。この時ばかりは、
今、思い出しても、ぞくぞくするほど感激したものです。
進学教室の役目は、併設する淑徳小学校での勉強に、スムーズに対応できる力
を身につけることでした。小学校へは、受験勉強をし、力をつけてきた大勢の
子ども達が入学してきます。そういった子ども達に共通しているのは、「話を
聞く姿勢」が身についていることで、小学校の受験でもっとも大切なのは、こ
の「話を聞く力」なのです。ペーパーテストを例にとっても、プリントの上に
ダミーを含めて、答はすべて出ていますが、「設問」はどこにも書かれていま
せんから、話を聞き逃すと、解答できないわけです。
昔話や年中行事のいわれなどを聞きながら、子ども達は意識することなく、
「話を聞く姿勢」を身につけてきたのです。こうなるとしめたもので、授業は
私の仕事でしたから、後は楽なものでした。集中さえできれば、問題を解く力
もつき、面白くなりますから、取り組む意欲も違ってきます。難易度の高い問
題にも挑戦し始め、毎月1回行われていた2000名近くの子どもが参加する
公開模擬テストで、10番以内に入る子も出てきたのです。
さらに、思わぬ収穫になったのは、お母さん方の反応でした。授業終了の5分
ほど前に、お母さん方に集まっていただき、今日取り組んだ問題を解説しなが
ら、家庭学習の要点を説明し、今月の行事とその日に話した昔話を紹介してい
ました。
すると、「先生、ママが菱餅を買ってきて、何で三色なのか、先生と同じ話を
してくれたんだよ」と、女の子がいない家庭にもかかわらず、「おひな様を飾
るわけや、菱餅の色」について、子どもに話をするお母さんも出てきたのです。
話してくれる子ども達の顔は、みんなうれしそうでした。四季折々の行事の意
味を説明してきたことが、話で終わらずに、各ご家庭で祝ってくれるようにな
ったのです。このことです……。
ここからは「わたし流の解釈」ですから、軽い気持ちで読み流してください。
話を聞こうとしなかった子ども達が、なぜ、楽しみに授業を待ってくれるよう
になったのか、それは子ども達の心の中に、幼いながらも、何らかの刺激を求
める小さな芽が、しっかりと培われてきていたからだと考えました。本文で詳
しくお話しますが、その小さな芽は、分化され始めた「情緒」だったのです。
「情緒とは、喜怒哀楽の感情の表れたもの」と考えていただければ、わかりや
すいと思います。きっかけを与えたのが、昔話であり年中行事であったわけで
す。育まれてきた小さな芽である情緒に刺激を与えてあげれば、素直に反応を
することもわかりました。そうでなければ、あれほど真剣に話を聞くはずがな
いからです。
私の話でさえ一所懸命に聞くのですから、ご両親の話であれば、もっと歓迎す
るはずです。「パパが、先生が話してくれた『おぶさりてえのおばけ』の本を
買ってきてくれたんだよ!」と嬉しそうに話してくれる子ども達も増えてきま
した。話を聞く姿勢は、幼児教室や塾で身につくものではなく、ご両親の「話
の読み聞かせ」や「対話」から育まれるものです。
こういった体験を何とか記録に残し、皆様方に読んでいただきたいと考え、出
来上がったのが、このメールマガジンです。話を聞く姿勢さえ身につけば、小
学校の受験は、決して難しくありません。また、年中行事を、ご家庭で楽しむ
ことにより、楽しい思い出がたくさん残り、それが豊かな情操を育む礎になっ
ていることも否めない事実です。
小学校の入試に季節の行事が出題されるのは、なぜでしょうか。知識として知
っているかを判断しているのではありません。四季折々の行事を楽しむ、ご家
庭の文化があるかどうかを見ているのではないでしょうか。家庭の文化は、ご
両親の育児の姿勢であり、それが受験する小学校の建学の精神や教育方針と限
りなく近ければ、それが志望理由になるわけです。
この1年間、お子さんは、受験勉強に励むわけですが、ご両親にも勉強をして
いただき、ご家庭の文化を築き上げてほしいと思います。話を聞く姿勢が身に
つくのも、豊かな情操が育まれるのも、ご両親の育児の姿勢次第です。小学校
の受験で必要な能力の基礎、基本は、「ご家庭で培われる」ことを学習してい
ただき、お子さんと三人四脚で、ゴールを目指して頑張ってほしいと願ってい
ます。
次回は「話の読み聞かせ」についてお話しましょう。
2016さわやかお受験のススメ<保護者編>★★創刊号
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「めぇでる教育研究所」発行
2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
~紀元じぃの子育て春秋~
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-創刊号-
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情報教育歳時記 日本の年中行事と昔話
「人生は、出会いと別れの綾なすもの」ともいわれていますが、素晴らしい出
会いを、手軽に実現してくれるのが読書ではないでしょうか。永田久先生の書
かれた「年中行事を『科学』する」(日本経済新聞社 刊)は、私にとって貴
重な出会いの一冊で、初めてお目にかかったのは平成元年でした。年中行事を
系統立てて紹介する本はないかと探していた眼の中に、こんな活字が跳び込ん
できた時には驚きました。
今まで何となく季節折々の行事として、祭りとして、生活とあまり関係のない
イベントとして、行事を見る習慣がついている若いお父さん、お母さん方に、
行事の由来やそれに関係のあるむかし話を紹介し、興味を持っていただき、育
児に取り入れることができれば、幼児期の心をはぐくむ教育に、よい影響を与
えるのではないかと考えていたのですが、この本が解答を示してくれました。
門松も、菱餅も、クリスマスケーキも、年越しそばも、そのもとを尋ねてみる
と、いずれも自然と共生するための、貴重な教えになっているではありません
か。その心は、「感謝」です。
「有難い」と素直に頭を下げることが少なくなっているように思えてなりませ
ん。感謝を忘れると大人は傲慢になり、子どもはわがままになりがちです。自
己中心的な考えしかできない大人や、自分のことしか考えない子ども達が多く
なったのも、共に生きるためのルールを守らないからであり、いじめは、その
最たるものではないでしょうか。
文部科学省の調査(2014年10月16日公表)によれば、小学校でのいじ
めは11万8805件、2年連続で過去最多を更新したと報告しています。い
ろいろと原因のあることは承知しています。ただ幼児教育に携わってきた一人
として思うことは、「やってはいけないことがある」という誰でも守らなくては
ならないルールや、「弱い者を労わる思いやる気持ち」などは、自立が始まる
3歳頃から自律心を養う6歳頃にかけ、きちんと学習すべきことですが、これ
がおろそかにされているような気がしてなりません。
なぜ、子どもの頃に、むかし話を読み聞かせる必要があるのでしょうか。その
答えは、「桃太郎」一冊を読むだけでもよくわかります。幼い子ども達の情操
を培いながら、勧善懲悪をきちんと学べる大切なエッセンスが、楽しく生きる
ための心の糧となるヒントが、巧みに取り込まれ、心に染みる言葉で、やさし
く語りかけているからです。心をはぐくむばかりか、話を聞く姿勢も身につき
ます。小学校の受験でもっとも大切なのは、話を聞く力があるかどうかにかか
っています。そのことも本メールマガジンの重要な目的の一つですが、その理
由は本文で詳しくお話しいたします。
ところで、「桃太郎」「花さか爺さん」「かちかち山」「さるかに合戦」「舌
きりすずめ」は、日本の五大おとぎ話といわれていますが、お子さんに読んで
あげているでしょうか。年中行事を祝うのも、むかし話を楽しむのも、家族と
いうもっとも小さな集まりでのイベントであり、幼児期には絶対に欠かせない
団欒のひと時です。こういったことを、ご両親が率先して楽しまれている家庭
は、素晴らしいと思います。それが家庭の文化だからです。家庭の文化は、ご
両親の育児の姿勢が表れたもので、そこから情操豊かな子ども達が育っていく
のです。
価値観が多様化し、anything goes、何でもありの世の中から、
家庭の文化を築くことがないがしろにされているために、家庭教育の低下が始
まったのではないでしょうか。こういった傾向に歯止めをかけるには、子ども
達が小さい頃から、家庭の文化を築き上げることが大切だと思います。「三つ
子の魂百まで」は、幼児期に体験したことを土台に人格が形成されることを教
える先人の知恵なのです。
知識を詰め込むことに熱心な親より、豊かな情操を培うことに心を注ぐやさし
いご両親こそ、子ども達にとっては、そうあってほしい親の姿です。子どもと
一緒に年中行事を楽しみ、話を読み聞かせるご両親のもとから、「元気で、明
るく、素直な子」が育ちます。皆さん方のお子さんが受験する国立、私立小学
校の求める子どもは、「元気で、明るく、素直な子」で、知識を詰め込まれた
偏った指導を受けた子どもではありません。
本メールマガジンは、小学校を受験される子ども達の情操面を育み、合格の決
め手となる話を聞く姿勢を身につける一助になればと願い、発信するものです。
めぇでる教育研究所 所長 藤本紀元
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