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めぇでるコラム : 2016保護者: 2015年4月

さわやかお受験のススメ<保護者編>★★第7章(1) 端午の節句です  皐月

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
             -第24号-
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第7章(1) 端午の節句です    皐 月
 
物の本によると、皐月(さつき)のいわれは、この月は田植えをする時期で、
早苗(さなえ)を植える「早苗月」から「さつき」となったそうです。「五月
晴れ」と書いて「さつきばれ」と読みますが、こちらの方が親しみやすいです
ね。
 
★★端午の節句★★
5月といえば、端午の節句ですね。今は「子どもの日」の方が、なじみやすい
のではないでしょうか。男の子も女の子も、元気よく育つようにと、お祝いを
する日です。しかし、昔は、「端午の節句」といって、男の子のお祭りの日で
した。3月3日が「ひな祭り」で、女の子のお祭りでしたから。 床の間に、
さまざまな幟(のぼり)を背にした神武天皇を中心に、武者人形や兜(かぶと)
を飾った記憶があります。
 
枕草子にも、平安時代の5月5日の情景が描かれています。
 
   節は、五月にしく月はなし。
   菖蒲、蓬などのかほりあひたるも、いみじうをかし。
                    (枕草子 第四十六段)
 
端午の節句のルーツは、お武家さん、お侍の世界です。
お侍さんの家では、立派な侍になるように、鯉のぼりを立て、よろいやかぶと、
鍾馗(しょうき)や金太郎、桃太郎のような勇ましい人形を飾り、武運長久を
祈り、お家安泰を願ったのです。それが、いつの頃か定かではありませんが、
お侍さんではない家でも、まねるようになり、端午の節句に 欠かせない風物
詩となっているのです。その経緯は、伝説「コイのぼりのはじまり」に記され
ています。この日に、家の屋根や軒先に、菖蒲の葉や蓬をのせたり、菖蒲を入
れた風呂に入ったりしたものです。それで、この日を「菖蒲の節句」ともいい
ます。
 
今では、軒先に菖蒲の葉や蓬を見ることはできませんが、男の子のいる家では、
菖蒲湯をやっているのではないでしょうか。スーパーマーケットなどで、菖蒲
を売っていますから。
菖蒲湯に入って、菖蒲の根っこを額に当て、鉢巻きをしたものです。こうする
と、風邪を引かなくなるし、頭もよくなるといわれたのです。確かに、匂いが
強いですから、風邪薬の感じはありましたが、頭脳明晰になるとは、子ども心
にも信じていませんでした。どちらかといえば、けんかに強くなるイメージは
ありました。菖蒲の葉は、先が細長くとがっているので、刀のような感じがす
るからです。新聞紙で折ってもらったかぶとをかぶり、木で作った刀でちゃん
ばらごっこ。これが、私たちの遊びの定番でした。「ちゃんばら」は、「チャ
ンチャンバラバラ」の略で、歌舞伎の立ち回りや、映画の殺陣(たて)をまね
たごっこ遊びのことですが、今どき、こんな遊びをする子はいないでしょうね。
 
そして、私には楽しみでしたが、粽や柏餅を食べる日です。粽や柏餅は、おい
しかったのですが、蓬で作った草餅は、子どもにとっては匂いが強烈で、喜ん
でいただきますとはなりませんでしたが、何しろ蓬の葉には、悪魔を追い払う
力があるといわれ、私は男の子だけに、食べざるをえない雰囲気があり、否応
もなかったのです。
しかし、今の蓬の草餅は、おいしいですね。匂いといい、味といい、まるで違
ったものを食べている感じがします。
 
★★なぜ、鯉のぼりなのでしょう★★
鯉は硬骨魚で、鱗(うろこ)が36枚あるといわれ、別名、六六魚(りくりく
ぎょ)と呼ばれているそうですが、実際には31枚から38枚ほどで、泥沼の
川や池に棲み、2本の口ひげを備え、食用、観賞魚として珍重されるばかりか、
立身出世の象徴ともされています。
「なぜ、鯉のぼりなのか」、その理由は文部省唱歌に歌われています。鯨はい
くら体が大きくても、鮫はいかに強そうだからといっても、端午の節句の主役
になる資格はありません。
その答えは、3番の「百瀬の滝」を昇って竜になるにありそうです。
 
 鯉のぼり (文部省唱歌)
        作詞 不明
        作曲 広田 竜太郎
    一、いらかの波と 雲の波   重なる波の 中空を 
      橘かおる   朝風に   高く泳ぐや 鯉のぼり
      
    二、開ける広き  その口に  船をも呑まん 様(さま)見えて
      ゆたかに振う 尾鰭(おひれ)には  物に動ぜぬ  姿あり
                   
    三、百瀬の滝を  昇りなば  忽(たちま)ち竜に なりぬべき
      わが身に似よや 男子(おのこ)ごと  空に躍るや 鯉のぼり 
 
中国の黄河の中流にある竜門の滝には、下流からいろいろな魚が、群れをなし
てさかのぼってくるそうです。見たわけではありませんが、何しろ清流逆巻く
滝です。他の魚達は、ギブアップしても、鯉だけは滝を昇りきって、竜になる
言い伝えがあり、そこから出世する糸口となる関門を「登龍門」といい、「鯉
の滝昇り」として、立身出世のシンボルとなったのです。流れに水をさすよう
ですが、昇りきれない鯉もいたのではないでしょうか。納得できる言葉があり
ます。
 
 「点額」という言葉があり、これは『額にケガをする』という意味で、流れ
を昇らずにケガをした魚にたとえ『落伍者』『落第生』のことを表しています。
   (目からうろこ!日本語がとことんわかる本 日本社 講談社 刊P134)
 
また、「鯉の水離れ」といって、水揚げされた鯉は一度跳ねるだけで、あとは
じたばたせずに生きており、しかも「まな板の鯉」といって、まな板の上にの
せられても、きっちり覚悟を決め、悠々と横たわっている姿から、潔い、強い
魚として、お侍さんから尊ばれていたのです。
 
「五月の鯉の吹き流し」といって、鯉のぼりの中は空っぽで、何も入っていま
せん。さわやかな風を腹いっぱいに流し込んで泳ぐ、はらわたのないのびやか
な姿が「腹黒く」もなく「腹に一物」もない、さっぱりとした男らしい気性を
表しています。ですから、男の子の節句には、世の中で役に立つ、たくましく
て立派な人物になってほしいとの願いをこめて、鯉のぼりを立てたのです。
 
ところで、鯉のぼりの一番上に飾る「吹き流し」は、滝や雲をなぞらえたもの
で、風になびきながら泳ぐ鯉の姿を、美しく引き立てています。吹き流しは、
青、赤、黄、白、黒の五色で、木火土金水の五行を表わしています。五行とは、
簡単にいえば、古代中国で考えられていた、人間の生活に必要な材料を表した
ものですが、これにも訳があります。
 
 五行とは、木・火・土・金・水の5つの要素で、自然界、人間界のすべての
 現象をつかさどるものとする。木から火、火から土、土から金、金から水、
 水から木が生まれ、水は火に、火は金に、木は土に、土は水に勝つとする。
 そして、それぞれを表す色として木に青、火に赤、土に黄、金に白、水に黒
 があてられたが、後に最上の色とされる紫に変わり用いられるようになった。
 また、木には仁、火には礼、土には信、金には義、水には智という道徳観が
 あてられた。
    (日本の年中行事百科3 夏 民具で見る日本人のくらしQ/A P32
                      監修 岩井 宏實 河出書房新社 刊)
 
この五行には、病気を引き起こすもとと考えられていた「邪気」を払う力があ
ると信じられていました。しかも、鯉をとって食おうとする竜は、この五色が、
大嫌いだったそうです。ですから、竜は近づくことができず、鯉は五色の吹き
流しに守られ、五月の空を、さわやかな薫風にのり、悠々と泳いでいるのです。
最近は、黒に代わって緑や紫が使われていますが、黒と白では縁起が悪いから
ではなく、本来、黒でなくてはいけない理由があるわけです。そういえば、船
旅で別れを惜しむときに、五色のテープを使っていますが、もしかしたら、海
に棲むといわれていた竜から、身を守るためのセレモニーかもしれません。
 
しかし、最近は郊外に出ないと、悠々と泳ぐ鯉のぼりの姿を見かけなくなりま
した。端午の節句が、子どもの日と改められても、男の子の健やかな成長を願
う親心には、変わりはないと思うのですが。マンションや団地のベランダに小
さな鯉のぼりが泳いでいると、「やっているな!」とほほえましくなります。
 
プロ野球の好きな方へ、広島東洋カープは、なぜ「カープ(鯉)」なのでしょう
か。命名の由来は、何と城の名前です。原爆ドームのすぐそばにある広島城
(築城 毛利輝元)は、別名を「鯉城(りじょう)といい、そこから『広島カ
ープ』となったもので、城の名前をつけている球団は、他にありません。原爆
で倒壊した天守閣は、昭和33年に復元されましたが、中御門跡付近には原爆
でこげた石垣があり、風化されてなるものかと訴えているような気がしました。
 
今年の日本人の大リーガー、ファンである松井秀喜がいないのでほとんど見て
いませんが、ヤンキースのマー君こと、田中将大は開幕戦でノックアウト。新
聞に“Who is that guy!”と厳しくたたかれましたが2勝、NT紙に雪辱を果
たしました。マーリンズへ移籍したイチロー、忍者顔負けのスチールには脱帽。
広島に帰った黒田、前田の2枚看板で優勝争いかと思いましたが……。レッド
ソックスの上原、初セーブ。レンジャーズのダルビッシュ有、故障、マリナー
ズの岩隈、ブルーワーズの青木が頑張っていますね。ムネリン、川崎にも期待
しているのですが。
松井は、師匠の長嶋氏と共に国民栄誉賞を背番号にちなみ5月5日に東京ドー
ムで受賞しました。私がドームに行くと、必ずホームランをかっ飛ばしてくれ
感激したもので、星陵高校時代、甲子園での敬遠される姿を見て、その態度が
潔く、以来、応援していました。
松井は怪我さえしなければもっと活躍できたはずです。先日、ヤンキースのユ
ニホームを着て若手にアドバイスをしている映像を見ましたが、人柄が愛され
ていたことがわかります。次期監督候補、ジータの参謀になれるかどうか、楽
しみが増えました(笑)。
ところで、日本球界に復帰した選手が、満足に働けない姿を見るにつけ、本場
の野球のすさまじさを想像できます。日程と試合数を見ただけでも、エネルギ
ーを搾り取られる感じがしますから、技術の前に体力と精神力、これが秀でて
いなければ活躍する場はないですね。イチローの凄さがわかります。
大リーガーといえば、忘れてならないのは野茂英雄投手で、日本の野球界は、
快く渡米させなかったことを思い出します。とかく開拓者には、逆風が吹きが
ちですが、それを乗り越える実力も、精神力も、体力も備えた、すばらしい選
手でした。彼には国民栄誉賞をもらう資格が十分あるのでは。
それにしても、天は二物を与えるものですね。大谷君と結弦君! 若者の活躍
は、本当に楽しいですね。(感謝)
(次回は、「第7章(2) なぜ、しょうぶ湯なのでしょうか」などについて
お話しましょう)
 
 

さわやかお受験のススメ<保護者編>★★第6章(4)四月に読んであげたい本 

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
             -第23号-
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第6章(4)四月に読んであげたい本 
 
落語の「野ざらし」に、よく似た話です。「親切は、人のためならず」といっ
たものですが……。子どもでさえわかる悪いことをやっている大人の多い世の
中ですから、渡る世間は鬼ばかりで、地獄の沙汰も金次第では、こういうおじ
いさんは、いなくなるでしょう。
 
◆むすめのしゃれこうべ◆   小沢 清子 著 
むかし、あるところに、村人から用事を頼まれては、わずかな礼金をもらい生
活をしている、じいさまがいました。
ある年のお釈迦さまの日に、酒を飲もうとしていたところへ、急ぎの使いを頼
まれ、ひょうたんに酒を入れて出かけました。野には、かすみがかかり、桜も
菜の花も、今が盛りと咲いています。「花見酒」としゃれたじいさまは、桜の
木の下に座ると、しゃれこうべがころがっていたのです。じいさまは、出会っ
たのも縁と思い、しゃれこうべに酒をたらして一緒に飲みました。
その帰りに同じ所へさしかかると、年の頃、十六、七の美しい娘がいたのです。
三年前に花に誘われ、ここまで来たが、胸が苦しくなり死んでしまい、今度、
三年忌の法事があるので、一緒に家まで行ってくれないかと頼まれます。花見
酒を飲んだしゃれこうべが娘だったのです。
行ってみれば、大きな屋敷で、尻込みするじいさまは、娘にせかされ屋敷に入
ったのですが、不思議なことに、じいさまの姿は見えないらしく、だれも気づ
きません。坊さまのお経が終わると、法事の膳が運ばれましたが、じいさまに
は、食べたこともない料理ばかり。
夢中になって食べていると、下女が誤って皿を割ったのです。主人は、客の前
で怒りだし、見ていた娘は、「三年前と変わらぬ、ととさまなんか見たくない」
と姿を消してしまいます。
とたんに、じいさまの姿は、人に見えるようになったので、事の次第を話し、
骨を持ち帰り、手厚く葬ったのです。じいさまは、娘の恩人として家に引き取
られ、幸せに暮らしたのでした。
春休みのおはなし 四月 花さかじい 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
                    日本民話の会・編 国土社 刊
 
三代目、桂三木助師匠の名人芸を思い出します。新宿の末広演芸場で聞いた時
のことですが、演じる師匠と聞く客が一体となって楽しんでいました。何とも
和やかな雰囲気で、気がねなく大声で笑ったものです。
最近、みんなで大笑いする機会が、少なくなっていないでしょうか。自己中の
人は、笑い顔を見せませんね。「笑う門には福きたる」ともいわれていますが。
新宿のバーで知り合った春風亭小柳枝師匠の話を聞くために末広に出かけます
が、若い人はあまりいませんね。人情話なんか、かったるくて聞く気がしない
のでしょうか。「人情」を辞書で引くと、「人として自然にそなわっている、
心の動き、特に愛情、情け、思いやり」(岩波 国語辞典)とあります。人の
情けは、楽しく生活を過ごすための潤滑油の役割を果たしていたのですが、
「プライバシーの重視」とか何とかで影が薄くなってしまいました。
落語は、笑いながら学べるエスプリの塊のようなもので、すぐれた話芸は心に
沁みこむものですが、その火を消すのも今、生きている私達なんですね。三木
助師匠の左甚五郎の逸話を語る長編落語(CD約45分)「ねずみ」や「三井の大黒」
は、いつ聞いても心が和み、励まされたものでしたが……。
 
ところで、文中に、「霞がかかり、桜も菜の花も、今を盛りと…」とあります
が、これを読むと文部省唱歌の「朧月夜」を思い出します。「早春賦」のとこ
ろでもお話ししましたように、中学生の頃まで、何の根拠もないのですが、こ
の歌も、お姉さん達の歌声でなければ承知できない、許せないと、なぜか、か
たくなに信じていたのです。大好きな歌でしたが、歌うことには抵抗がありま
したね。しかし、こういう風情を味わえる時代があったことは、確かなのです。
そこかしこに、自然は息吹いていました。
 
よく知られている与謝野蕪村の句に、
   菜の花や 月ハ東に 日ハ西に
があります。
春の日暮れを思い描ける好きな句の一つですが、司馬遼太郎の随筆の中に、こ
の句について語るところがあります。代表作の一つである「坂の上の雲」、先
進国に追いつくために、富国強兵と駆け足で上がってみた雲は、大きな犠牲を
払った太平洋戦争で、雲散霧消してしまいました。NHKでドラマ化されまし
たが、氏は映画化されることを望んでいなかったはずですが、どうしたことで
しょうか。学校で習った「日本史」は面白くありませんでしたが、幕末から明
治時代の歴史は、氏の著書で楽しく学べます。私たち親も含めてですが、若者
にかけているのは、歴史に対する認識ではないでしょうか。司馬遼太郎、永井
路子さん、澤田ふじ子さん、諸田玲子さんなどの歴史小説を読んでほしいです
ね。教科書ではわからなかったことが、たくさん書かれています。外国人と対
等な付き合いをするには、自国の文化を知らなければならないのですが……。
 
堤上に立てば、月は東の生駒山系にのぼり、日は西のかなたはるか一の谷の雲
間に沈む。両岸(淀川)の野は、菜の花の黄があるのみである。
       (「以下、無用なことながら」(489頁)文春文庫
                   司馬遼太郎 著 文芸春秋社 刊)
 
朧月夜には、黄色が似合いますね。
 
      朧月夜
       作詞 高野 辰之
       作曲 岡野 貞一
 
    一 菜の花畠に 入日薄れ
      見わたす山の端 霞ふかし
      春風そよふく 空を見れば
      夕月かかりて にほひ淡し
 
    二 里わの火影(ほかげ)も、森の色も
      田中の小路を たどる人も    
      蛙(かわず)のなくねも 鐘の音も
      さながら霞める 朧月夜
            里わ(里曲・さとみの誤読 人里の辺り) 
にほひ(“におい”の旧仮名遣い)
 
ところで、現在、文部省は文部科学省といわれていますから、文部省唱歌も文
部科学省唱歌といわなければならないのかなと検索したところ、以下のような
回答にヒットしました。
 
 文部省唱歌という呼称は法律や何かで規定されたものではありません。明治
時代に文部省が教科書用にした唱歌が自然発生的にそう呼ばれているので、文
部科学省とは直接に関係を持たないのです。ということで、回答としては「な
りません」か「できません」です。
(文部省唱歌jp.ask.com/)
 
次は、本当に皮肉な話ですが、信仰について考えさせられます。修行中の坊さ
まと、生きものを殺す仕事をしている猟師との心眼の話です。小泉八雲氏も
「常識」という題で書いています。まさに常識ですが、妙な宗教にはまる若者
も、その原因を指摘する声はいろいろ聞こえてきますけれど、一つは、良識に
欠けている隙をつかれるのではないでしょうか。
 
神を感じるのは心であり、理性ではない  パスカル〔パンセ〕
まことに神の本質を言い当てている。理性ではない、心に祀る神を、人間は悪
用、あるいは乱用している。神の御名において、神の御心のままに、などと自
分にとって都合のよいところだけをすくい取りして、人間の声を天声に変えて
しまう。
 (忘れかけていた人生の名言・名句 森村 誠一 著 P226
                 角川 春樹 事務所 刊)
 
良識は、健全な一般人が共通に持っている思慮分別のことではないでしょうか。
良識は、自己を鍛錬して身につけるものであり、共生するための掟と考えてい
ます。価値観の多様化で、当たり前のことが当たり前と考えられなくなってい
ないでしょうか。小さいときの情操教育は、思慮分別の基本を作るものと思い
ます。お手本はご両親で、作る場所は家庭であり、第三者にゆだねるものでは
ありません。
 
◆とうとい仏さまの正体◆   谷 真介 著 
むかし、京都の愛宕山に、名高いお坊さんがいました。お坊さんは修行中で、
小僧さんを一人置き、小さなお堂から、めったに出なかったそうです。このお
坊さんのところへ、里から一人の猟師が、食べ物を持って、よく訪ねるのでし
た。
ある年のこと、猟師が久しぶりに訪ねると、お坊さんは「近ごろ、夜になると
普賢菩薩様が、白い象に乗りお姿を現す」というのです。そこで猟師は、一夜
を山のお堂で過ごすことにしました。すると、真夜中のこと、東の山から月が
昇るような光が、お堂に差し込み、白い象に乗った菩薩様が現われたのです。
お坊さんは、一心にお経を唱えています。猟師は、おかしなことに気づきまし
た。お坊さまの目にはともかく、お経一つ読めない自分の目に、どうして菩薩
様のお姿が見えるのだろう……、このことです。猟師は、弓を矢につがえ、菩
薩の胸に向けて矢を放ちました。びっくりしたお坊さんは、大声で戒めました。
ところが、今まで明るく見えていた後光が消え、何ものかが谷底へ転げ落ちる
音がしたのです。猟師は、真の仏様なら矢が刺さるわけがないといいました。
夜の明けるのを待って、谷底を調べに行くと、大きな古狸が一匹、胸を射られ
て、仰向けに転がっていたのでした。
 
 日づけのある話 365日
  四月のむかしばなし 谷 真介 編・著 金の星社 刊 
 
世界的なベストセラーとなった「ダ・ヴィンチ・コード」(「最後の晩餐」の
斬新な解説には脱帽!)に、信仰について以下のような話があります。
 
「世界中すべての信仰は虚構に基づいているんだよ。信仰ということばの定義
は、真実だと想像しつつも立証できない物事を受け入れることだ。古代エジプ
トから現代の日曜学校にいたるどんな宗教も、象徴や寓話や誇張による神を描
いている。象徴は、表しにくい概念を表現するひとつの方法だ。それを丸呑み
しないかぎり、さほど問題を生じない。(中略)信仰を真に理解する者は、そ
の種の挿話が比喩にすぎないと承知しているはずだ」
(「ダ・ヴィンチ・コード」(下)P57-58 
ダン・ブラン 著 越前敏弥 訳 角川書店 刊)
 
「信者には神聖なことかもしれないが、信者でない者には、おかしな話になる
ものだよ」と明治生まれの親父はよくいっていましたね。しかし親父は、「天
皇陛下様は神聖にしておかすべからず」が口癖でしたから、説得力に欠けてい
ましたが、言わんとすることは理解でき、若い頃、宗教にはまることはありま
せんでした。
 
東日本大震災が起きたとき、小泉八雲の作品で江戸時代にあった津波の話を思
い出したのですが、資料がなく残念に思っていたところ、月刊誌で見つけまし
たので紹介しましょう。
大震災後、64年ぶりに小学校の教科書に復活しました。
 
高台の田んぼにいた庄屋(村落の長)五兵衛は、強い地の揺れを感じた。眼下
の村では、人々が祭りの準備に忙しかった。そこから、もう少し遠くに眼をや
ると―海がどんどん後退し干潟になってきている。これは―伝え聞いた「あれ」
ではないか。五兵衛は立ちすくんだ。すぐ避難させねば―しかし下りていって
説明する暇などない。彼は火打石を取り出し、とりいれたばかりの稲の束に火
をつけた。燃え上がった束で次々に火をつけてまわった。村人が炎と煙に気づ
き、何をしている、やっと収穫した稲に火をつけてまわるとは―と、いっせい
に駆け上がってきた。村の男女・子供までが燃え上がる稲むらの前の五兵衛を
取り囲み非難しようとした。その時、彼は人々の背後を指さした。眼にする限
りの海が白い巨大な壁になって村に襲いかかってきた―。
これは、戦前の小学校・国語教科書に載っていた「稲むらの火」の「あらすじ」
で、原作は小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の作品。安政年間、紀伊・和歌山
を襲った大地震・津波での実話を伝えたものです。
「稲むらの火」挿話の教訓 諏訪 澄 著   
WiLL 5月緊急特大号 P42  ワック株式会社 刊
 
主人公、五兵衛のモデルは、醤油醸造業(現・ヤマサ醤油)の家督を継いだ浜
口五陵。震災後故郷の紀州広村に千五百両の私財を投じ、高さ5メートル、長
さ600メートルの堤防を築き、村民の離散を防ぐ。感謝を込め「浜口大明神」
を祀ろうとすると、「神にも仏にもなるつもりはない」と叱りつけて辞退。4
メートルの津波が襲った1946年の昭和南海地震では堤防により、流失家屋
は2軒だけ。国指定史跡となった「広村堤防」は、大きく育った樹木に覆われ、
自然の中に溶け込んでいる。(インターネットで「広村堤防」を見ることがで
きます)
 
東京新聞“筆洗”に出ていたコラムの抄訳ですが、自然と共生するには「想定
外はない」ことを真摯に受け止め、「広村堤防」のように住んでいる人々の生
活を考え、大胆に計画、構築できないものでしょうか。
国民の安全と教育は行政の要であり、長期的な視野に立った計画でなければで
きません。
4年たった今現在、原発事故の収束はおろか、住む町に帰れない人々がいるこ
とを、私達は忘れようとしているのではないでしょうか。
「何かできることはないか」などと力んでみても、できないのが現実ですから、
せめて節電を心がけ、原発だけに依存しない生活を営み、次世代の人々にバト
ンタッチをしたいものです。
 
最後は、むかし話ではおなじみの動物の恩返しです。動物でさえ恩を返すのに、
人間は、あだで返す話をよく聞きます。「動物でさえ」などといったら、動物
たちから抗議文が来るかもしれません。「動物は」に訂正しておきましょう。
つばめは、春にやって来て子育てをし、秋に南の国へ帰ります。自分の生まれ
たところへ帰って子育てをする、この不思議な習性を、どなたが組み込んだの
でしょう。しかし、最近、見かけなくなりました。北海道では、大量のすずめ
が死んでいたと報じられたこともありましたが、何かのサインに違いないと、
疑問の眼を向けるべきではないでしょうか。
 
そういえば、都会では雀の姿も見かけなくなりましたが、どうやら池袋や新宿
に巣を構えていた雀は、川越市へ引越ししてきたのではないかと思えるふしが
あるからです。ここ、2、3年のことですが、10月頃になると日暮近くに雀
やムクドリの大群が、ねぐらを求めて東上線川越駅前の街路樹に群がってきま
す。およそ300羽もいるでしょうか、その騒々しいことすさまじいですね。
アルフレッド・ヒッチコックの名作「鳥」ではありませんが、あんな小さな雀や
ムクドリでも、あれだけ数がそろうと怖いですね。もっとも、糞害ですが(笑)。
これも、鳥たちからの何らかの警告ではないでしょうね。
ところが、川越駅前の街路樹は一本もなくなってしまいました。新しい駅前広
場に改築されるため、ものの見事に伐採されてしまったのです。今どこにいる
かわかりませんが、秋にやってくるだろう鳥たちは、「……!?」となるでし
ょうね。帰ってきた鳥たちは、電信柱や近くのビルの屋上に群がっていました
(平成25年9月)。しかし、昨年は10月現在、ほとんど姿を見せませんで
した。引っ越し先を見つけたのでしょうか。人間にとって快適な環境は、恩恵
を受けない生き物が、残念ながら、たくさんいるということです。
 
◆つばめの恩返し◆   高津 美保子 著
ある日のこと、一人暮らしのじいさんが、飯を食べて縁側で休んでいたところ、
一羽のつばめが、けがをして落ちてきました。薬をつけて包帯し、介抱したと
ころ元気になり、南の国へ帰っていったのです。
次の年、一羽のつばめがやってきて、庭にいたおじいさんの頭の上に、真っ黒
な大きな粒を一つ、落としていきました。ふんかと思ったらすいかの種です。
育ててみると、とても大きなすいかになりました。食べようと包丁を入れたと
ころ、種が飛び出したかと思うと、小さな大工どんや木びきどんとなり、十日
もすると立派な家を作り上げたのです。それだけではなく、どこからか米の俵
やみそ桶、しょうゆ樽などを、次々と担いできて、部屋をいっぱいにして、な
くなれば、また来ますからといって、どこへともなく姿を消してしまったので
す。それからと言うもの、おじいさんは、何不自由なく暮らしたのでした。
※木びきどん(木をのこぎりでひき木材にする人)  
 四月のおはなし  あたまにさくら 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
          日本民話の会・編 国土社 刊
 
こういった小さな命を大切にする昔話は、情操教育に欠かせないものではない
でしょうか。
幼い心に、こういった刺激を、たくさん与えてあげたいものです。
(次回は、「第7章(1) 端午の節句です 皐月」についてお話しましょう)
 

さわやかお受験のススメ<保護者編>★★第6章(3)入園、入学を迎えたお母さん方へ

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
             -第22号-
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第6章(3)入園、入学を迎えたお母さん方へ
 
4月は、これを抜きに考えられません。
環境が変わるのは、大変なことです。幼稚園や保育園は、ご両親にとっても、
第三者に教育を委ねる初めての場所です。子ども達は、親のもとを離れて初め
て生活する場所であり、ご両親に十分に保護されていた環境から巣立つわけで
す。
スタートが、肝心ではなかったでしょうか。
 
子ども達も、新しい環境になじもうと一所懸命に努力します。毎日、楽しいこ
とばかりが続くわけではなく、いやなこともあります。それでも、幼稚園へ行
こうとするのは、新しい環境には、家にはない魅力や新鮮な刺激があるからで
す。先生方も幼稚園は楽しい所だと、精いっぱいの努力をします。見ていると
涙ぐましいほどです。
 
しかし、変なお母さんがいるようですね。
「お母さん、ぼく、幼稚園へ、行きたくない!」
そのわけも聞かずに、瞬間湯沸器になって、幼稚園へ怒鳴りこむ「過保護・溺
愛・自己中心」の三つを備えたKYJT(空気読めない自己中)ママです。
「悪いのは友達、きちんと指導のできない先生!」
というそうです。
多くの場合、お母さんと子どもに原因があるのですが、恥ずかしげもなく、こ
ういう行動を起こすお母さんですから、お母さんも子どもも、そのことがわか
りません。かわいそうなのは、子どもです。いつまでたっても、お母さんから
逃れられませんから。
 
幼稚園は、お母さんのもとを離れても楽しいことがたくさんあることを実地体
験する場所です。自立心を培って、小学校の集団生活に適応できる力をつける
所ですから、お母さん方も子ども中心の育児から卒業し、客観的にわが子を見
る機会と考えましょう。
 
過剰な愛情を注いでもいいのは、3歳までです。
3歳を過ぎると自立が始まりますから、「手を出さない、口をはさまない育児」
に徹すべきです。極端にいえば、3歳を過ぎても子どものやっていることを見
て、手を貸したくなるようでは、もう十分に過保護ですし、口を出したくなる
ようでしたら過干渉です。
 
一人っ子では、この加減がわからなくなりがちですが、きょうだい二人の下の
子を見るとわかります。上の子にはないところを、持っていることが往々にし
てあるものです。最初の育児は、何事につけても慎重になりがちですが、二番
目の子は経験済みですから手を抜きます。その分、子ども自身が自力でやらね
ばなりませんから、それだけ試行錯誤を積み重ね、苦労しているわけでから、
たくましくなります。「一姫、二太郎」とは、「子を産み育てるには、最初は
女の子、二番目は男の子が育てやすくてよい」ということですが、それ以外に
もこういった意味があるのです。
 
男の子は、適度な試行錯誤を過ごせる環境でなければ、たくましく成長しませ
ん。進学教室でも、女の子はかなり積極的に自信を持って取り組んでいました
が、男の子は自信がないのか、なかなか手を出さない子がいたものでした。一
般に、女の子は成長が速いので、あまり手がかからないものですが、男の子は
少し遅いですから、男の子を育てているお母さん方、過保護にならないよう注
意しましょう。お母さん方は、とかく男の子に甘いところがあるからです。も
っともお父さん方は、女の子に甘くなりがちですから、お互いに客観的に子育
てを見直すことも大切ではないでしょうか。
 
ところで、平成4年度から施行された「幼稚園教育要領」によると、保育の方
針は、従来の「一斉保育から自由保育」となり、「一人ひとりの個性を伸ばし
ていく保育」に変わっています。これを誤解するお母さん方がいるようですね。
 
自由保育といっても、勝手気まま、何でもありの自由奔放な保育ではありませ
ん。みんなで一斉に、同じことを強制的にやるのは止めて、自発的に活動でき
るように導く保育という意味です。
 
例えば、知識や理解力を培うにも、自分自身で考え、工夫する機会や経験を、
たくさん持たせ、自分勝手な考え方ではなく、客観的なものの見方や考え方を、
身につけるように指導することです。もっと大胆にいえば、「他律」ではなく
「自律」の保育です。ですから、過保護や過干渉な育児をやっていては、自律
できない、わがままで、甘えん坊の弱虫な子になりがちです。
 
幼稚園へ行かせるのは、親の子離れ、子どもの親離れの実地訓練期間と考える
べきだと思います。子離れできない育児は、運転免許取得でいうと、まだ仮免
前の段階です。幼児期の過保護、過干渉の育児が、中学生の頃になると、幼児
期に体験していなかったことから生じるギャップに対応できず、家に引きこも
ったり、非行に走ったりするのではないかと思えてなりません。育児しながら
「育自」するお母さんになってください。
 
しばらくの間、慣れるまで、子ども達もくたくたに疲れて帰って来るでしょう。
しっかりと、やさしく抱きしめて、勇気を与えてあげましょう。また、送迎を
義務付けられている幼稚園の場合は、お母さん方も体調を崩さないように気を
つけてください。
 
小学校も同じです。
新学期が始まると、もう勉強を気にするお母さんが増えているようで、子ども
達が新しい環境に慣れるのに、どのくらい神経を使っているか、わからないお
母さん方がいると聞きます。特に、国立附属や私立の小学校へ通う子ども達は、
電車やバスを使い、1時間前後の時間をかけて通学するはずですから、慣れる
まで大変です。朝のラッシュ時に、ランドセルを背負い電車に乗り込む子ども
達を見ると、「頑張れ!」と声をかけたくなります。
何といっても、狭き門をくぐり抜けてきた幼き戦士ですから。新しい環境に慣
れるまで、勉強のことは忘れましょう。
今年受験予定の皆さん方は、東日本大震災以降、通学経路、所要時間も、学校
選択の大切なポイントにもなっていることもお忘れなく。
 
極端な話ですが、学校から帰ってくるなり、
「宿題はないの!」
「テストは、どうだったの?」
「予習しなくて、いいの!」
「4時から塾です。遊びに行ってはいけません!」
こんなことばかりいわれて、勉強好きな子になれるでしょうか。これでは、命
令、統制、禁止、管理の育児で、勉強もこの姿勢でされてはたまりませんね。
まだ、危険なことをしますから、監視の目は必要ですが、自分で考え、行動し、
やったことには責任を持たせる「自立させる育児」に切り替えるべきです。
 
勉強も同じです。
勉強は、本人がその気にならなければ、辛いものです。皆さん方も経験ありま
せんか、あったとすればなおさらのことでしょう。難しい話ではありますが、
「勉強は自分のためにすること」を、一学年でも早く自覚できる環境を作って
あげるべきではないでしょうか。
学校生活の様子を知る一つの目安として、先生からの連絡事項を、きちんと報
告できているかどうかがあります。できていれば、先生の話を聞いている証拠
ですから、とりあえず心配ありません。学習に取り組む姿勢も確実に身につい
ていきます。
 
そして、背を伸ばし、左手でノートを押さえ、きちんと筆記用具を持ち、筆順
に従った字を書いているか注意しましょう。知識を詰め込むより、姿勢を正し
て、きれいな字を書ける方が大切です。「形は心を作る」は、明治生まれの親父
の口癖でしたが、一理あると思います。
 
しかし、小学校生活も、楽しいことばかりではないでしょう。いじめもありま
すし、けんかもするでしょう。先生に怒られることもありますし、勉強もわか
らなくなることもあるかもしれません。
「何で、ぼくだけ、こうなんだろ!」 
と落ち込む時もあります。
しかし、翌日、子ども達が元気に学校へ行くのは、家に帰ればやさしいお母さ
ん方がいるからではありませんか。家庭でリフレッシュできるからこそ、明日
に希望をもてるのです。
低学年時代は、お母さん方が頼りですから、温かい雰囲気のある家庭を作って
あげましょう。大人はストレスを解消できるすべを心得ていますが、子ども達
にはないからです。
                             
小学校低学年時代は、勉強はできても利己主義より、勉強はほどほどであって
も、友達と仲良くできる子の方がいいと考えるのは、私が昭和15年生まれだ
からでしょうか。
もちろん、勉強も大切ですが、お子さんが、この時期に体験しなければならな
いことが、たくさんがあるはずです。桜の花ではありませんが、魅力がなけれ
ば、友も寄って来ません。今、大切に育てたいのは、相手を思いやる心、共に
生きる共生の心である徳育であり、いろいろなことを体験していくために必要
な体育であり、豊かな情操を養うための知育、そして挑戦する意欲だと思いま
す。「知育・徳育・体育」ではなく、今は、「徳育・体育・知育」と順番を入
れ替えるべきではないかと考えます。知育だけが優先される子育ては不自然で、
いつか壊れる不安が伴うのではないでしょうか。
幼児期は、三つの能力をバランスよく育てることが大切です。
 
かつて、聖心女子学院初等科の学校説明会で、本校の求める子ども像は、「心
身ともに強くて、心のやさしい子」だとおっしゃっていましたが、そのために
は、「心身ともに強く、心のやさしい親」であるべきだといいたかったのでは
ないでしょうか。昔からいうではありませんか「子は親の背を見て育つ」と、
これこそ育児の鉄則です。
 
そして、忘れてならないのは、お父さん、お母さんは、お子さんが何人いても、
お子さんにとっては、たった一人のお父さんであり、お母さんであることです。
私事でなんですが、嫁ぐ娘から、「お父さんは、生まれたときから私のお父さ
んでした」といわれ、少なからず狼狽したことを覚えています。子どもは、間
違いなく「お父さん、お母さん」として評価しています。
 
これからの毎日は、お子さんの記憶の中にきちんと刻み込まれていきます。
「三つ子の魂百まで」といいますが、私は小学校の低学年時代に、生きる姿勢
の基本的な枠組み、形が出来上がるのではないかと考えています。そのお手本
が、ご両親であることを肝に銘じておきましょう。2013(平成25)年度
中の全国、小学生、中学生の不登校児童生徒は、11万9617人(2014
年8月、文部科学省「学校基本調査」より)。無責任な言い方で恐縮ですが、
その原因は、ご両親の育児の姿勢にもあると思います。
 
仕事柄、「育児で、もっとも大切にしたことは何ですか」と尋ねられることも
ありますが、「両親からやってもらったことで、うれしかったことはどんどん
実行し、いやだったことはやらないようにしました」と答えています。自分が
いやだったことは、子どもだっていやなはずです。
種を明かせば、論語の「己の欲せざるところは、人に施すことなかれ」の受け
売りです(笑)。反対句は、「己の欲するところを人に施せ」(新約聖書・マ
タイによる福音)ですね。孔子の仁(思いやり)、キリストの愛、どちらでも
いいのですが、こういったことへの配慮でいいのではないでしょうか。
 
最近、ひょんなことから、理想的な親子関係を表しているではないかと思える
歌を見つけました。といっても、例によって「わたし流」の解釈ですが。
 
  映るとも 月も思わず 映すとも 水も思わぬ 猿沢の池
 
興福寺の五重塔にかかる月を映す猿沢の池、古都を表す一幅の絵として親しま
れていますが、この歌から教えられるのは、育児は結局のところ、「親はよい
手本をみせ、子は意識することなく見習う」にあるのではないでしょうか。剣
豪、塚原ト伝、柳生新陰流の開祖、石舟斎の作ともいわれているそうですが、
およそ「剣の道」とは縁のない私ですから、とんでもない思い込みで、その道
の方々から嘲笑されるかもしれません(笑)。
 
ところで、ぴかぴかの一年生と聞けば、頭に浮かぶのはランドセルでしょう。   
 
このランドセルを日本で最初に使った人は伊藤博文で、大正天皇が学習院に入
学されたときに献上したのです。その後、学習院御用達となり、それが全国に
普及しました。ランドセルは、オランダ語の「ランセル」がなまったもので、
ランセルとは、兵隊さんが背負っている「背嚢(はいのう)」のことです。つ
まり、軍国主義の時代に、軍人を尊敬してあこがれていた子ども達の心に合わ
せて、通学用かばんとして考案されたものなのです。
(頭にやさしい雑学読本 3 竹内 均 編 三笠書房 刊 P290)  
 
第5号で紹介しました落語「桃太郎」ですが、関西落語界の大御所、桂米朝師
匠の熱演をYouTubeで見ることができます。師匠は3月18日に亡くなられまし
た。(合掌)
(次回は、「4月に読んであげたい本」についてお話しましょう)
 
 

さわやかお受験のススメ<保護者編>★★第6章(2)桜について

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
             -第21号-
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第6章(2)桜について
 
東京の桜、今年も入学式まで何とか持ちそうで、ぴかぴかの一年生、大きく羽
ばたいてほしいものです。
 
日本を代表する花といえば、桜と梅、そして菊でしょうか。しかし、梅と菊は、
たえなる琴の音が流れ、何やら辺りをはばかり、ひっそりと観賞しなければな
らない風情が立ち込めています。梅は一輪、一輪が、きりっと咲き、「私は私、
人は人!」と独立自尊を固持する孤独な感じがしますし、大輪の菊は、「きち
んと見ないと承知しませんことよ!」と衣服を改め、居住まいを正して観賞せ
ざるを得ない雰囲気があります。しかし、桜とくれば下戸も上戸も無礼講とば
かりに、にぎやかに盛り上がるムードがあります。しかも、桜は、木、そのも
のが綿菓子のような花の塊で、「全員、集合して、楽しみなさい!」と博愛の
心を大らかに誇示しているような気がします。
 
しかし、本来、花見は、農耕と結びついた宗教的な儀式で、主役は人間ではあ
りませんでした。昔の人は、田の神さまは、秋の収穫が終わると山へお帰りに
なり、春と共に再び山から下りて来られると信じていました。ですから、田の
神さまを、桜の花咲く木の下にお迎えして、酒や料理でおもてなしをし、この
年の豊作を祈願する儀式であり、主賓は、神さまであったわけです。
 
「さ」は「田の神」を、「くら」は「神座(神のいる場所)」を意味し、田の
神がとどまる常緑樹や花の咲く木を指し、その代表として「さくら」の木をあ
てたもので、そめい吉野ではなく山桜でした」
(絵本百科 ぎょうじのゆらい 講談社 刊 P10)
 
平安時代の貴族には、花見は野山で神様を迎える儀式でしたが、武士の時代と
共に派手になり、例の秀吉の醍醐の花見のように、権力を示すための贅を尽く
した宴に変わり、やがて庶民にも浸透し、いつしか神さまは、主役の座から引
きずりおろされ、今では、はしなくも、夜桜のもとで酒盛りをし、カラオケを
楽しむ行事と成り下がりました。といっても、昔もあまり変わらないようです。
かの兼好法師も徒然草で、「花はさかりに、月はくまなくをのみ見るものかは」
(百三十七段)と自然の観賞の仕方から人生観を語っていますが、その厳粛な
雰囲気の中で、宴会を開き、大騒ぎをしていたことを紹介しています。もっと
も、そういった人々の教養のなさをこき下ろしていますが、古来、何やら人々
をその気にさせる花なのですね。
 
酔って人に迷惑をかける人たちは、無礼講をはきちがえた無礼者ですが、日本
人が桜や桃、梅を愛したのは、いずれの木にも宿る生命力を、分けていただこ
うと考えたに違いありません。一種の自然信仰であり、外国で行われている森
林浴と同じではないでしょうか。
ドンちゃん騒ぎは、桜にとっては迷惑な話だけで、ご利益などあるはずが、い
や、期待していないでしょうね。
あのライトアップですが、桜にとっては迷惑な話で、夜になってもゆっくりと
休めないと思いませんか。お日様が沈み、「さぁ、寝ようかな!」と思ったとた
ん、いきなり明るくなるのですから。「桜の樹権」などという言葉はないでしょ
うが、そっとしてあげられないものでしょうか。JR高尾駅から徒歩10分ほ
どのところにある多摩森林科学園で、「本日、休林日」の看板を見たことがあり
ましたが、そこで働く人々の自然を愛する心意気を感じ、うれしくなったもの
です。
 
ところで、桜の木は、にぎやかに盛り上がるだけではなく、人生を静かに、深
く、考察の場に導く花でもあります。いきなり雰囲気は変わりますが、黒船が
来る前に、幕府に上申した「海防八策」は、明治維新の路線そのものであった
にもかかわらず、評価されずに暗殺された幕末の洋学者、佐久間象山は、
 
  折りにあはば 散るもめでたし 山桜 めずるは花の 盛りのみかは
 
と辞世の句を詠っています。これを真に受け、若い頃は、「人生、幸せな時ば
かりがあるわけないよ。闇夜もあるけど、日は、また、昇る!」などといきが
っていたものでしたが、何やら勘違いしていたようです。「人生は、プロセス
が大切なのです。一日、一日が人生ですよ」とおっしゃっているのでしょうね、
などと何も気取ることはないのですが。
 
子育て奮戦中のお母さん方ですから、よくおわかりかと思いますが、育児もプ
ロセスが大切ですね。月齢に応じて、一歩一歩、確かな歩みを見守りながら、
大らかな気持ちで育てるべきです。そして、育児しながら「育自」【誤植では
ありません】するお母さんであってほしいと願っています。
 
  願はくば 花のもとにて 春死なむ その如月の 望月の頃
 
西行法師の歌ですが、古来「花」といえば、奈良時代は「梅」のことでしたが、
平安時代から「桜」になったようです。俗界から逃れ、出家された中世の隠遁
者が、かくも桜の花に心を寄せているのですから、古くから人々に愛されてい
たことがわかります。
(お断り 「花の下」と書き「花のした」とも読まれていますが、
「花のもと」の方が響きがいいので、ひらがなにしました)
 
古今和歌集から一首、好きなのです。
 
  ひさかたの 光のどけき 春の日に しず心なく 花の散るらむ
     紀 友則 
 
この和歌を口ずさむたびに、宮城道雄の秀作「春の海」の調べを思い浮かべ、
桜の花の散る、日本ならではの詩情豊かな情景が浮かんできます。昭和7年に
共演されたフランスのルネ・シュメーのヴァイオリンと箏(琴)の二重奏です
が、世界に誇ってよい素晴らしい演奏だと思います。音はよくありませんが、
パソコンで検索すると聴けます。宮城道雄は、広島県福山市鞆ノ浦の出身だそ
うで、学生の頃に訪ねたことのある仙酔島から眺めた春の海が、印象に残って
いました。
♪ターンタ タタタタタンー ターンタ タタタタタンー♪
曲想は、瀬戸内海の春の海なのですね。その時は知らなかったのですが、最近、
厳島に出かけたとき、バスガイドさんから教えてもらい、「さもありなん!」
と納得しました。バスガイドさんの中には、本当に物知りの方がいますね。
 
さらに、もう一首。
 
    春の海 ひねもすのたり のたりかな  与謝 蕪村
 
俳句が出たところで脱線します。
学生時代に読んだ雑誌の対談に出ていたと記憶しますが、五木寛之氏は、こう
おっしゃっていました。「短歌はリズム、和歌はメロディー、物語はハーモニ
ー」と。横文字を漢字に置き換えると「律動・旋律・調和」となり、もう50
数年前になりますが、今でも納得できます。「さらばモスクワ愚連隊」を読ん
だ時、自称、文学青年であった私は、潔く、作家の道を断念しました、冗談で
すが(笑)。
 
ムードを変えまして、桜の散りぎわが潔いことから武士道の象徴となり、「花
に嵐のたとえもあるぞ、さよならだけが人生だ」といったように人生観にたと
えられるなど、何かにつけて桜は姿を表しています。原典は中国の詩人、于武
稜(ウ ブリョウ)の作「勧酒」です。
 
    勧君金屈巵(きみにすすむきんくつし)
    満酌不須辞(まんしゃくじするべからず)
    花発多風雨(はなひらいてふううおおく)
    人生足別離(じんせいべつりにみつ)
 
これを井伏鱒二が抄訳したもので、僭越ながら翻訳の方が、説得力があります
ね。
(注 抄訳 原文のところどころを抜き書きして翻訳したもの、また、その訳
文)
 
    コノサカヅキヲ受ケテクレ
    ドウゾナミナミツガシテオクレ
    ハナニアラシノタトヘモアルゾ
    「サヨナラ」ダケガ人生ダ
 
「黒い雨」は被爆者の書いた日記が種本になっていることが明らかになり、前
都知事、猪瀬直樹氏も「盗作ではないか」と指摘しましたが、この「勧酒」は
井伏鱒二の抄訳に間違いないようです。(「阿佐ヶ谷会」文学アルバム 幻戯
書房 刊より)
この抄訳を読むたびに思い出すのは、親鸞聖人の「明日ありと思う心の仇桜 
夜半(よわ)に嵐の吹かぬものかは」です。12月に沙羅双樹のところで、お
釈迦さまの教えである「今日すべきことを明日に伸ばさず、確かにしていくこ
とが、よき一日を生きる道である」と紹介しましたが、怠け者の私には耳が痛
く、「明日やればいいか……」と過ごしがちです、わかっているのですが(笑)。
 
ところで、桜は、日本の灌漑治水に大いに貢献した木でもあるのです。かつて
日本は農耕民族でしたから、水との関わりは、大変に深いものでした。その水
を運ぶ川は、普段は静かですが、豪雨などで水かさが増すと氾濫し、田畑を水
浸しにして、丹精こめて作った作物を駄目にしてしまいます。そこで昔の人々
は、知恵を働かせ、堤防を作るときに、桜の木を植えたのです。桜は根を張り、
しっかりと土を抱きます。春になると花を咲かせます。
そこへ人々が花見に出かけてきます。大勢の人が歩くと土手の地盤が固まり、
桜の根もしっかりと張り、強い堤防ができます。人望のある人のもとには、自
然と人々が集まるものでしょう。人間もかくありたいものです。
 
桜ではありませんが、武蔵野市にある成蹊学園の校名の由来は、「桃李不言下
自成蹊」(桃李いわざれども下おのずから蹊を成す)で校章も桃をかたどった
もの、優れた人のところには自ずと人が集まるということですね。明治維新の
立役者の一人である岩崎弥太郎の弟、弥之助の長男であった小弥太が、創立者
中村春治に協力して創った三菱系の学校です。そういえば、国立市には、大隈
重信が創った早稲田大学の附属小学校と西武が創った国立学園小学校がありま
す。明治維新に活躍した岩崎弥太郎と大隈重信、現代の代表的な企業三菱と西
武、おもしろい組み合わせになっています。
 
ところで、桜の名所は、お侍さんの勤め先である城と寺社、そして河川に多い
ですね。面白いことに、私たち日本人は、なぜか、桜の下に陣取り、宴会を開
きがちですが、まったく縁のない所もあります。校庭です。桜について見過ご
せない話がありましたので、紹介しましょう。
 
 日本人が桜を愛したのは桜の生命力を享受するという自然信仰からであった
が、これが明治時代から少しおかしなことになった。それは、国学者平田学派
が、明治政府の文教政策の中枢にいすわるとともに、本居宣長の「敷島の大和
心を人問はば、朝日に匂ふ山桜花」という桜を詠んだ歌がもてはやされ、桜こ
そ日本精神の象徴であるといったとらえ方が生まれてきたからである。
 さらに、桜は日本精神の象徴から発展して、ぱっと散るその散りぎわが美し
いという美学が結びつけられ、いさぎよく散る軍人精神の象徴にされた。つま
り、死の美学に結びつけられたわけだ。このため陸軍を中心にさかんに兵舎に
桜を植えたのである。やがて軍国主義は学校にも及ぶようになり、校庭にも桜
が植えられるようになった。
 関東では桜の開花と入学式が重なるので、桜が新学期の象徴となっている。
もともとは、生命力の象徴だったのだから、現代の我々はそうした気持ちで校
庭の桜を眺めればいいのだが、一方で、学校の桜が軍国主義の死の美学から広
まった歴史の皮肉な一コマも知っておいて損はないだろう。
(樋口清之の雑学おもしろ歳時記 樋口清之 監修 三笠書房 刊 P48)
 
「大和心」とか「大和魂」は、右翼的な国粋主義から生まれた言葉だと思って
いましたが、明治以降の国家権力に利用されただけで、「学校の桜が軍国主義
の死の美学から広まった」云々は、為政者の巧妙な施政が実行された結果であ
ることに寒気を覚えますね。学生時代、酒場で「同期の桜」(軍歌)を歌って
いたところ、「お前たち若者の歌う歌ではない!」と年配者に叱責されたこと
がありました。(反省)
 
最後に、もう一首、皆さんよくご存知の名作がありますね。
 
  いにしえの奈良の都の八重桜 けふ九重に匂いぬるかな 伊勢 大輔
 
「大和心」は、こういうものではないでしょうか。とにかく桜は、日本人にと
って、何はともあれ、春に咲かなければ落ち着きませんし、承知できない花で
あることは確かです。
 
名優、渥美清のはまり役、「寅さんこと、車 寅次郎」の妹の名は、「さくら」
でなくてはおさまらないだろうなと思っているのは、私だけでしょうか。山田
洋次監督の笑顔が浮かんできそうです。面白い話を紹介しましょう。佐藤利明
氏の随筆「寅さんのことば 風の吹くまま 気の向くまま」(東京新聞 夕刊
 平成25年4月)に、東大寺正倉院に保管されている、現存する古代の戸籍
部「下総国葛飾郡大嶋郷戸籍」(西暦721年)には、嶋俣里(しままたり)、
これは葛飾柴又のことで、その戸籍の中に、孔王部 刀良(あなほべ とら)
と佐久良賣(さくらめ)という名前まで記載されており、昭和の寅さんは家出
をしましたが、奈良時代の刀良さんは村長になったそうです。映画を見て、ひ
たすら笑っていましたが、元をただせば、「とら」も「さくら」も昔からある
由緒ある名前なんですね。
 
外国にもある桜の名所、ワシントンのポトマック湖畔の桜は、大正元年に、時
の東京市長であった尾崎行雄が、日米親善のために寄贈した染井吉野のほか
10種、3千本の苗木が成長したものです。そして、またしても驚きですが、
私も、てっきりそうだと信じていましたが、事実は違うのです。有名な話です
から、皆さんも誤解していたのではないでしょうか。こういうことだそうです。
 
 このワシントンの地名は、初代大統領ジョージ・ワシントンからきている。
この人物が少年のときに、桜の木を切った過失をわびた正直さが立志伝の挿話
として有名だが、ポトマックの桜がその桜だと思い込んでいる人がかなりいる
そうだ。
      (新々ちょっといい話 戸板康二 著 文藝春秋 刊)
 
ところで、日本最古の桜は、どこにあるかご存知でしょうか。何と推定樹齢千
八百年から二千年にもなる古木で、しかも、今、なお、可憐な薄紅色の花を咲
かせているとなると、ちびまる子ちゃんではありませんが、目が点になります
ね。その桜とは、山梨県の北杜市、甲斐駒ヶ岳のふもとに建つ日蓮宗の古寺、
実相寺の境内に根を張る「山高神代桜(やまだかじんだいざくら)」だそうで、
日本武尊(ヤマト タケルノミコト)が自ら植えたと伝えられています。神話
の時代から花を咲かせ続けている姥桜(罰が当たるかな!)、インターネット
で見ましたが、「どうも、これは、いや、はや……」と椎名誠氏風ですが、襟
を正さずにいられませんでした。白一色の駒ヶ岳(標高2967m)もすばら
しく、いつか訪ねてみたいと思っています。なお、日本の三大桜は、福島県三
春町の三春滝桜(樹齢千年)、岐阜県根尾村の薄墨桜(樹齢千五百年)と山高
神代桜で、黄門様の印籠と比べるのもなんですが、ただ、ひたすら、畏れ入る
だけですね。
 
最後に、この歌に登場してもらわなければ収まらないでしょう、「さくら さ
くら」です。
歌詞は二通りあり、(一)が元のもので、(二)は昭和16年に改められたも
のですが、現在、音楽の教科書等には(二)を掲載しているものもあり、また
(二)を一番とし、元の歌詞を二番と扱っているのもあるそうです。日本古謡
と表記される場合が多いのですが、実際は幕末、江戸で子ども用の筝の手ほど
きとして作られたもので、作者は不明です。
 
      さくら さくら
 
(一)さくら さくら  
やよいの空は  見わたす限り
かすみか雲か  匂いぞ出(い)ずる
いざや いざや 見にゆかん
 
(二)さくら さくら
野山も里も   見わたす限り
かすみか雲か  朝日ににおう
さくら さくら 花盛り
                 (フリー百科事典 Wikipediaより)
 
日本のどこにでもある春の景色を淡々と詠んだ歌詞も素晴らしいですが、宮城
道雄の「さくら変奏曲」は、春の情緒を醸し出す名演奏で、いつ聴いても安ら
ぎを与えてくれます。
JR駒込駅の発車メロディーは、この「さくら さくら」ですが、発想のもと
は駅から徒歩7分ほどのところにある六義園の見事なしだれ桜でしょう。見ご
ろは3月下旬から4月上旬で、一見の価値はあります。六義園は小石川後楽園
と共に江戸時代の二大庭園で、和歌の趣味を基調とした回遊式築山泉水庭園、
見事なつつじやさつきを楽しめる庭としても親しまれています。
 
世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし
                     在原業平 (古今和歌集)
 
桜の〆は、やはり、これでしょうね。何かと心を騒がせる桜ですが、皆さん方
もいろいろな思い出があるのではないでしょうか。四季折々の息吹を味わえる
のは、本当に素晴らしいことです。日本に生まれ、この時代に生かされている
ことに、感謝せざるをえません。
自然に勝るものはないことを、しっかりと子ども達に伝えるのも、親の使命で
はないかと考えますが、いかがでしょうか。
(次回は、「入園、入学を迎えたお母さん方へ」についてお話しましょう)
 

さわやかお受験のススメ<保護者編>★★第6章(1) 花祭りでしょうね 卯月

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
             -第20号-
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第6章(1) 花祭りでしょうね   卯 月
 
東京では、立春から春分の日の内に最初に吹く強い南風、春一番が吹かずに桜
の開花宣言。3年ぶりだそうですが、川越の桜は、まだその気になっていませ
ん、寒そうです(笑)。
 
物の本によると、卯月(うづき)のいわれは、旧暦の4月は今の5月頃にあた
り、「卯の花」が咲く時期で「卯の花月」の略だそうで、わかりやすいですね。
何事も訳ありですが、逆に異説ありで、「卯の花」が咲くから「卯月」ではな
く、「卯月」に咲くから「卯の花」であるともいわれているそうです。
 
★★花祭り★★
4月といえば、私たちの年代では、花祭りですね。
しかし、今はどうでしょうか。
仏教系の幼稚園や学校以外では、見られないのではありませんか。
キリスト、釈迦、マホメット、孔子の四人は、「世界の四大聖人」といわれて
いますが、花祭りは、そのお釈迦さまが生まれた日で、正式には「潅仏会(か
んぶつえ)」といいます。
 
お釈迦さまは、今から2500年程前の4月8日にインドで生まれました。お
父さまは王様でシュッドーダナさま、お母さまはお妃でマーヤさま。ある夜の
こと、お母さまは何でも白い象がお母さまのお腹に入った、不思議な夢を見ら
れたのです。国一番の物知り博士によると、これは赤ちゃんを授かった夢だそ
うで、お父さまもお母さまも大変、お喜びになり、お里に帰って赤ちゃんを生
むことになりました。その途中、お母さまがルンビニー園という花園で休まれ
た時のことです。百花繚乱、咲き乱れる花をご覧になっている時に、急にお腹
が痛くなり、そばにあった菩提樹の木に倒れかかり、お母さんは元気な男の子
をお産みになりました。何と、赤ちゃんは、前と後、右と左に七歩ずつ歩いて
とまり、その小さなかわいい右手で空を指差し、例の有名なことばを発せられ
たのです。     
 
「天上天下 唯我独尊」
(世の中の人々は、この世に一人しかいない、かけがえのない宝物です)
 
小鳥たちはさえずり、どこからともなく美しい音色の調べが流れ、空からは甘
い香の雨が降り注ぎ、赤ちゃんの誕生をお祝いしたのです。赤ちゃんは、その
雨で体を洗ったのでした。雨が止むと、空には美しい虹がかかり、菩提樹の木
が、何と一斉に白い花を咲かせたといいますから、ただごとではありません。
この赤ちゃんが、お釈迦さまです。大きくなって、世の中の人々が幸せになる
ように長い間修行を重ね、悟りを開き、「人生の苦悩は、自我に執着する迷妄
から生じるのであり、無我の境地に立ち、安心立命せよ。そのために欲望を抑
え、心の平静を保ち、生けるものに対して慈悲を及ぼせ」と説いたのが、ご存
知の仏教です。
 
花祭りは、お釈迦さまの誕生日をお祝いするお祭りですが、今ではキリストの
誕生日であるクリスマスの方が盛大ではないでしょうか。同じアジア民族とし
て、ちょっと寂しい気がします。そうはいっても、仏壇のある家は、少ないの
ではないでしょうか。ご先祖様がいたから、今の自分があるのです。感謝の心、
忘れていませんか。
ちなみに、灌仏会と悟りを開いたことを祝う「成道会(じょうどうえ)12月
8日」、入滅の日とされる「涅槃会(ねはんえ)2月15日」を合わせて「三
大法会(ほうえ)」といいます。
 
ところで、法隆寺、五重塔の最下部の内陣には、奈良時代の初めに造られた、
仏典中の有名な場面がパノラマのように東西南北の4面に表現されていますが、
北面には、お釈迦さまの入滅を嘆く素晴らしい塑像があり、「聖徳太子の死に
対する号泣の声ではないか」と考えた哲学者、梅原猛氏は、「隠された十字架
 法隆寺論」で、その独自の解釈を披露しています。それはさておき、号泣す
る塑像は、まるで生きているようで、息をのむほど圧倒されますが、その写真
を氏の著書「塔(上)」(集英社文庫 刊)のP220-221で見ることが
できます。
 
さて、このお釈迦さまの言葉について、作家の五木寛之氏は、次のようにおっ
しゃっています。
 
この言葉には、いろんな解釈があります。世間にはそれを、世の中で自分だけ
尊く、偉いんだ、と解釈する人も少なくありません。しかし、私はこれを自分
流に、次のように解釈しています。
「自分の価値は他人との比較によって決まるものではない」と。
この世の中で、自分の価値を決めるのは、あくまでも自分であって、他人に決
めてもらったり、他人との比較で決まるものではありません。自分は「生老病
死」を背負った世界でただ一人の人間だという自覚が必要です。
  (「他 力」 五木寛之 著 講談社 刊 P71)
 
誰しも「ただ一人の存在」であり、誰しも「不透明な存在である自分」を励ま
しながら生きているからこそ、人を殺めることは、絶対に許されません。相手
は「誰でもよかった」その「誰」が自分自身であったならば、その恐ろしさに
思いいたらないのでしょうか。人を思いやる心を失うと、他人をねたましく思
い、不満を内に抱え込み、人間は限りなくばか者になるだけです。社会は、基
本的には自己責任で成り立っていることを、何としても、親は子どもに教え、
成人させたいものです。「自分でまいた種は自分で刈り取れ」、これも明治生
まれの親父の口癖でした。
 
★★お釈迦さまは、なぜ、甘茶が好きなのですか★★ 
花祭りには、桜の花などを飾った小さなお堂を作りますが、これを花御堂とい
います。そのお堂の真ん中に、甘茶の入ったタライを置き、お生まれになった
ばかりのお釈迦さまを表した仏さまを、お祀りします。右手は空を指し、左手
は地面を指している、あのお姿です。そして、お釈迦さまの体に柄杓(ひしゃ
く)で甘茶をかけ、無事、お生まれになられたことをお祝いしたのです。
 
なぜ、甘茶をかけるのでしょうか。
言い伝えによると、お生まれになった時に、空から甘い蜜のような雨が降って
きたからとか、龍香油を注いで産湯を使わせたなど、いろいろあるようです。
甘茶は、五香水、五色水とも呼ばれ、五種類の香水をもちいるそうです。
 
これが、そもそもの発端ですが、人間、欲深なもので、次第に、自分の都合に
合わせて願望祈願成就的なお祭りになってしまったのです。無病息災、家内安
全、商売繁盛、入学祈願、交通安全などなど、本当に厚かましく、いろいろな
お願い事をするのですから、お釈迦さまは、苦笑していらっしゃるでしょう。
「私の誕生日ではありませんか、祝ってもらうのは、私です」 
そうおっしゃらずに、せっせと願い事を聞いておられるところが、偉いです。
しかし、お祭りに参加するのは、ほとんどが子どもで、その願いも純真ですか
ら、お釈迦さまも真剣に聞かざるをえないでしょう。
 
余談になりますが、子どもの頃、硯に紅茶を入れて墨をすると、字がうまくな
るといわれ、何回も挑戦しましたが、私には効き目がありませんでした(笑)。
 
★★仏教童話★★
お釈迦さまといえば、何やら難しい経典などを思い浮かべがちですが、とても
いいお話がたくさん残されています。わが国でも、花岡大学先生が仏教童話と
して再現されています。
先生は「情操」について、次のようにお話されています。
 
「情操」とは何かといえば、それは「高尚な心の働きによって生ずる複雑な感
情のことだ」といわれているが、「高尚な心」とは「下品な心」の反対であり、
それゆえに分かりやすくいえば、それは「やさしい心」「温かい心」「思いや
りの心」「美しい心」ということであり、その「最も」やさしいもの、あたた
かきもの、美しきものは、「宗教」と次元を同じくするものだと私は考える。
(中略)
 優れた本とは、第一に子どもに感動を与えるものであり、(中略)第二に、作
品の根底に「宗教性」を踏まえることが必要だが、それがむきむきに出てくる
と説教となって文学性を消滅する。
(ほとけさまといっしょに 仏教児童文学目録 P2
  小松 康裕 法楽寺くすの木文庫 編集
              朱鷺書房 刊)
 
先生の作品は、宗教がむきむきに出てきませんから、抹香臭くなくて分かりや
すく、清らかに生きる人々の話からは、勇気と感動さえ与えてくれます。子ど
もの頃、似たような話をお年寄りから聞いていました。「正直に生きないと地
獄に落ちるのだよ!」と諭されていました。多くの作品の中から、一編だけ紹
介しておきましょう。
 
 金色の鹿
濁流に飲まれ、溺れ死にそうになっている狩人を、森の王さまである金色の鹿
が、身をていして助けます。
その時、金色の鹿は、「私がこの山にいることを、誰にも話さないで下さい」
と狩人と約束をします。
その国のお妃さまが、ある晩のこと、金色の鹿の夢を見、王さまに探し出して
欲しいとお願いします。
そこで、王さまは狩人たちに「見かけた者はいないか、案内すればほうびを使
わすぞ」と呼びかけたところ、現れたのが、命を助けてもらい、絶対に他言し
ないと約束したはずの、あの狩人でした。
王さまは、狩人の案内で家来を連れて山に入り、金色の鹿を見つけ出します。
「王さま、あれが金色の鹿です」
と指を指すと、狩人の手首がぽろりと落ちてしまったのです。
驚いた狩人は、約束を破って申し訳ないと泣いて謝ります。
わけを聞いた王さまは、かんかんに怒り、狩人を射殺そうとしました。
すると、金色の鹿がこういったのです。
「その男は罰を受けていますから助けてやってください。どうしても許せない
なら、私を殺してください」
それを聞いた王さまは、胸を打たれました。
今まで王さまは狩が好きで、生き物を追いかけまわして喜んでいたからです。
鹿の気高い心を前にして、恥ずかしくて顔をあげられませんでした。
鹿は、仏さまが姿を変え、私をまともな心に引き戻すために現れたのかもしれ
ない。
王さまは、弓と矢を地面に投げつけ、金色の鹿に、
「生き物の命をとる狩を止めることができました。あなた様も森へ帰って、い
つまでも幸せに暮らしてください」
といったのです。
狩人も心から後悔すると、地面に落ちていた手先は、男の腕に戻ってきたので
した。
(仏教童話 かもしかのこえ 花岡 大学 著 善本社 刊)
 
仏教童話「かもしかのこえ」他3巻には、この他に、欲の汚さをといた「仏さ
まの連れてきた少年」、乱暴者をいさめる「なきだした王さま」(いさめ方は、
観音様と孫悟空の話とそっくり)、売り飛ばそうと捕まえるとただの鳥になっ
てしまう「金色の鳥」、本人とまったく同じ人が現れ、どうやっても自分が本
物であることを証明できずに泣きを見るけちな男を描いた「えらい目にあった
けちん坊」など、「みんなも一緒に考えましょう」と話しかける形式で構成さ
れています。
 
また、花岡大学仏教童話には、幼子を取りっこし、本当の母親が引っ張って痛
がるわが子の手を離す「母親裁き」(「大岡政談」にもある話)など、たくさ
んの童話が収められています。
いずれも、お釈迦さまの清らかに生きる姿勢を表した童話で、仏教を説くので
はなく、幼子に、清らかな心とは何かを、やさしく話しかける作品になってい
ます。淑徳幼稚園は仏教系だけにお釈迦さまの教えに違和感はないとはいえ、
進学教室でこういった話をするたびに、この時期だからこそ、純真な子ども達
の心に、素直にしみこむものだと実感したものでした。
 
図書館で見かけることがありましたら、ぜひ、お子さんに読んであげてくださ
い。
仏教童話 かもしかのこえ 他全3巻  花岡大学 著 善本社 刊
花岡大学仏教童話 消えない燈 金の羽 花岡大学 著 ちくま文庫 刊
(次回は、「さくら」ついてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>★★第5章(4) 雛祭りとお彼岸ですね

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
             -第19号-
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第5章(4) 雛祭りとお彼岸ですね
【三月に読んであげたい本】
 
雛祭りですから、楽しい話がありそうですが、あまり縁がありません。やはり、
私が男だからでしょうか。その中でも、この話は珍しいと思います。
 
◆たまごから生まれた女の子◆(長崎県の話)
むかし、ある所に、金持ちの夫婦がいましたが、子どもに恵まれません。奥さ
んは、子どもを授かるように神さまに願をかけていました。ある日のこと、家
の前に手まりほどのたまごが五十個、置かれていました。神さまのお恵みと喜
び、たまごをかえそうという奥さんに、主人は反対するので、いきさつを紙に
書き、川へ流したのです。それを貧しい漁師の夫婦が拾い、書付を読み、たま
ごをかえすことになりました。
やがて、たまごから赤ちゃんが生まれ、夫婦は五十人もの子持ちとなったので
す。そして十年たち、五十人の子どもは元気に育ちますが、働きすぎたお父さ
んは病気でなくなります。そこで、子ども達はお母さんから川上から流れてき
た話を聞き、もう一人の母さんを訪ね、会うことができたのです。五十人の娘
に囲まれ幸せでしたが、育ててくれた川下のお母さんの恩を忘れられず、娘達
は、川下と川上の二人のお母さんが亡くなるまで、親孝行をしたのでした。
この話は、村々へと伝えられ、女の子が生まれた家では、この娘達にあやかろ
うと、たくさんの人形を飾り、よもぎとお米を供え、祝うようになったのです。
三月三日のひな祭りの始まりを伝える話となっています。 
日づけのあるお話 365日
3月のむかし話 谷 真介 編著 金の星社 刊
 
たまごから五十人の娘が生まれるのも不可思議な話ですが、「つぶの長者」の
ように、たにしに変身した若者が登場するおとぎ話の世界ですから、理屈は抜
きです。やはり、親孝行です。しかし、近頃、この言葉に肩身の狭い思いをさ
せているようです。「親孝行、したい時には親はなし」、胸にしっかりと刻ん
でおきましょう。
 
ところで、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を再読して気づいたのですが、こんな
話がさり気なく語られていました。
 
 その日は3月4日。
 雛の節句である。
 土佐藩では、節句は3日に行わずに4日に祝う習慣があった。
 
五節句を定めたのは徳川幕府ですが、それに従わない藩も在ったわけです。何
気ない描写ですが、いごっそう(頑固で気骨ある様子)の人物が多い土佐藩で
あることに意義があり、細やかな配慮がうかがえます。愛読書は何回読んでも、
その度に新しい事実と出会うもので、これこそ読書の醍醐味ではないでしょう
か。
 
◆ももの花酒◆   常光 徹 著
むかし、長者の家に、器量がよく、気だてのやさしい、一人娘がいました。あ
る晩のこと、訪ねてきた若者と仲良くなり、親も喜んでいたのですが、不思議
なことに、若者は、日が暮れると姿を現し、明け方になると音も立てずに帰っ
てしまい、どこに住んでいるのかわかりません。変だと思い始めた頃、娘の顔
が青白くなり、やせほそってきました。心配したお母さんは、糸を通した針を
娘に渡し、若者が寝ている間に、この糸を着物につけておくようにいったので
す。その夜のことでした。寝ていた若者の着物のすそに針をさすと、若者は大
声をあげてとび起き、何やら叫びながら暗やみの中を走り去っていったのです。
翌日、お母さんが、若者に付けた糸をたどって行くと、山奥の大蛇が棲むとい
われている淵に、吸い込まれるように入っているではありませんか。すると、
淵の底から、うなり声がするのです。お母さんが聞き耳を立てると、娘は蛇の
子をみごもっているというのです。
驚いたお母さんでしたが、この災難から逃れる方法を、大蛇の親子の話から聞
き出し、見事に解決します。その方法とは、不気味な話ですが、三月の節句に、
ももの花酒を飲むいわれが語られています。
おはなし12ケ月 三月のおはなし
「かえるとぼたもち」 松谷みよ子/吉沢和夫 監修
 日本民話の会・編 国土社 刊 
 
ももの花酒に代わり白酒を飲み始めたのは江戸時代頃だからだそうですから、
この話はそれ以前から伝えられてきた話であることが分かります。
 
このシリーズでもお世話になりっぱなしでした松谷みよ子さんが、2月28日、
老衰のため亡くなりました。享年89歳。「龍の子太郎」「ちいさいモモちゃ
ん」「いないいないばあ」(赤ちゃんの絵本)など忘れることができません。有
難うございました。(合掌)
 
恐い話ですが、この種の話は、よく聞きます。日照りが続き、農作物が駄目に
なってしまうことを心配したお百姓さんが、「雨を降らせてくれたら、娘を嫁
にやってもいい」とつぶやいたのを、やはり蛇が聞いてしまい、雨を降らせ、
娘を嫁にもらう話も、主人公は、蛇。
その蛇を退治する方法は、針とひょうたん。妖怪蛇、蛇のたたり、蛇の執念な
ど、蛇ほど悪者扱いされるのも珍しいですね。聖書でも禁断の木の実を食べる
ようにそそのかし、その罰として神様から地をはって生きるように定められた
のも蛇でした。しかし、蛇は水の神さまのお使いだそうで、干支(えと)にも堂
々と選ばれていますが、見た感じからも親しめませんね。
 
古事記にも似たような話があります。男の着物に針をさすのは同じですが、男
の正体が神様であるところが古事記らしく、糸がわずか三輪しか残っていなか
ったことから、神様が宿るといわれた奈良の三輪山の命名の由来となっている
そうです。
 
民話といえば柳田国男、柳田国男といえば「遠野物語」を忘れることはできま
せん。「遠野物語」にも面白い話があります。原作は文語体ですから読みづら
いですが、口語体で書かれた小学生上級用のものは、楽しく読むことができま
す。
 
◆ふえふき三太とオイヌ◆
むかし、遠野盆地の東にオイヌ(狼)の群れの棲む笛吹峠があり、その近くに
住んでいた笛の上手な三太わらしの話が伝わっています。
三太は、父(とう)ちゃも亡くなり、後から来たまま母(かぁ)ちゃと暮らし
ていましたが、母ちゃは、三太につらくあたり、笛吹牧場の二才駒の守り役を
させて、オイヌに食われればいいと考えました。
牧場に住むことになったある日、のどにとげを引っかけたオイヌの子を助けた
ことから、オイヌ達が三太の周りに寄って来るようになったのです。三太は淋
しくなると、父ちゃ譲りの横笛を吹き、心をまぎらせていましたが、オイヌ達
が、その音色を聞くようになり、二才駒の守り役をしてくれるのでした。様子
を見に来た母ちゃは、三太も二才駒も、オイヌ達と遊んでいるのにびっくり。
腹を立てた母ちゃは、三太を焼き殺そうと、牧場に火をつけたのですが、オイ
ヌ達は、火をくぐり、三太と二才駒を、気仙沼の竜神洞に通じるといわれる風
穴の方へ導くのでした。炎に包まれ、逃げ回っていた母ちゃを見た三太は母ち
ゃも助けようとしました。オイヌ達も一緒になって、風穴へ誘い込み、底へと
進んでいったのです。そして、三太達は、二度と風穴から出て来なかったので
すが、時折、風にのって、笛の音が聞こえてくるという。そこで里の人達は、
この峠を笛吹峠と呼ぶようになったのです。
この話には続きがあり、桃の節句に、気仙沼の竜神洞には、不思議な神楽人達
が集まって、竜神神楽を奏でる伝えがあり、火事があった後には、笛の上手な
若者が加わり、母ちゃと十頭の二才駒とオイヌ達の群れが、神楽人達を守るよ
うに控えていたそうです。
「遠野物語」の国へ 平野 直 著  つぼの ひでお 絵  講談社 刊
 
柳田国男が民俗学の研究に生涯をかけたきっかけは、少年の日に、川べりの地
蔵堂に奉納されていた、母親が赤ん坊を殺す様子を描いた絵馬を見た時の印象
と、その絵馬が何のために掲げられているかに疑問を持ったときに始まると、
本書の読書ガイドに黒沢浩教諭は指摘しています。以下、原文を紹介しておき
ましょう。
 
「国男には、ふと目にした絵馬から、かつて、恵まれない暮らしに苦しんでい
た人々に思いがおよぶ誠実な心があったのです。国男が伝説や世間話に興味や
関心を持ち、それを記録して発表したのは、名もない人々の間に、語り伝えら
れてきた話の中に、人々のさまざまな願いがこめられていることを、広く知ら
せたかったからではないでしょうか。」
 
「遠野物語」は広く知れ渡っている著作ですが、案外、読まれていない方が多
いのではないかと思います。原作を読むのはしんどいですが、小、中学生用に
書かれたものがあり、これで十分に原作の雰囲気を味わえます。民話は、祖先
が残してくれた貴重な文化遺産であることも忘れたくないものです。
 
笛の出てくる話で忘れられないのは、ロバート・ブラウニングの「ハメルンの
笛吹き」でしょう。笛吹き男は、その音色でネズミを退治したにもかかわらず、
正当な報酬をもらえなかったために、足をけがしていた一人を除き、町中の子
ども達を笛の音色で誘い出し、姿を消してしまった恐ろしい話です。ドイツの
ハメルンで実際にあった事件で、その原因は何であったかわかっていないそう
です。
 
ところで、狼は犬の祖先になるわけですが、アメリカの民話に、その経緯を描
いた「草原のオオカミと高原のオオカミ」があります。
 
食べ物のなくなった森に棲む二匹のオオカミが、インディアン部落を訪ね、親
切なおじさんから食料を分けてもらいます。食料のありかを知った一匹のオオ
カミは、それを全部盗もうといい、もう一匹のオオカミは止めますが、聞く耳
をもちません。オオカミは仲間を誘いに森に帰ります。インディアンに知らせ
れば友を失うことになり、悩んだ末に、おじさんに事の次第を話します。仲間
と襲撃してきたオオカミを、インディアンは「この恩知らずめ!」と撃退しま
す。「お前は、正しい心を持っているから、我々と一緒に暮らそう」というこ
とになり、食べ物の心配がなくなった草原のオオカミは、次第に牙も取れ、犬
となったということです。
 
その狼を主人公にした話で、忘れられない名作があります。椋 鳩十の「丘の
野犬」です。
野生の狼が人間と親しくなり、家で飼われるようになったのですが、鶏が盗ま
れる事件が起き、村の人々はアカ(狼の名前)ではないかと疑い、毒の入った肉
を食べさせ殺そうとします。利口なアカは、それを見抜き食べようとしません。
アカを捕まえに来た役人は、主人が与えれば食べるだろうと考え、実行を迫り
ます。「食べないでおくれ」と祈りながら毒の入った肉を与えます。一口食べ
たアカは、苦しそうに叫び、一目散に森の中へ駆け込んでしまったのでした。
アカと知り合った森の丘で、意気消沈し、しょんぼりと過ごしていたある日の
こと、そのアカが、突然、姿を現したのです。「アカ!」と叫ぶ主人公を、じ
っと見つめていたアカは、そのまま森の中へ姿を消し、二度と現れませんでし
た。しばらくたって、鶏を盗んだのは、町のならず者だったことがわかったの
ですが……。
 
当時、私は子ども達に聞かせたい話をテープに吹き込み、希望者に配布してい
ました。
椋 鳩十作品集も10巻作りましたが、「丘の野犬」は45分ほどになるので、
進学教室の園児達に聞かせるのは無理ですから、適当にアレンジをし、話して
みました。授業に参加していた園児は30名。15分ほどにもなりましたが、
みんな真剣に聞いてくれ、最後に犯人は「人間」であることがわかった時、
「何だ、何だ!」といった雰囲気になり、涙ぐむ女の子もいました。子どもは
興味があれば、それこそ一心不乱に集中できます。大勢の子ども達の前で話を
するには、物語を記憶し、子ども達の目を見ながら話してあげることが大切で
す。このことを教えてくれたのは、かわいい、きらきらと瞳の輝く、幼い園児
達でした。(涙)
 
★途中からお読み頂いている皆様方へ★
「進学教室」は小学校の受験を目指す教室ではなく、淑徳幼稚園の課外保育の
一つで、併設の小学校へ進み、「自ら進んで学ぶ意欲を身に付ける」を目的に
設置された教室です。本メールマガジンは、その時の経験をもとに書き続けて
いるもので、詳しくは第2号「ことの始まりは、ある幼稚園の進学教室からで
した」に紹介してありますのでお読み頂ければ幸いです。なお、第2号は「2
016さわやかお受験のススメ 保護者編 日本の年中行事と昔話(第2号)」
で検索すると読むことができます。 藤本
(次回は、「花祭りでしょうね 卯月」についてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>★★第5章 雛祭りですね(3)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
             -第18号-
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第5章 雛祭りですね(3)
 
★★早春賦、いいですね★★
この頃になると思い出すのが「早春賦」です。賦は「詩、歌」のことですが、
なぜか私は、この歌を含めて「春のうららの隅田川」の「花」、「菜の花畑に
入日薄れ」の「朧月夜」、「兎追いしかの山」の「ふるさと」などは、お姉さ
ん達の歌でなくては承知できないと、かたくなに思いこんでいました。小学校
で習った唱歌、どのくらい歌えますか。
                              
 早春賦                    
作詞 吉丸 一昌  作曲 中田 章     
      
 一 春は名のみの 風の寒さや
   谷の鴬 歌は思えど
   時にあらずと 声もたてず
   時にあらずと 声もたてず
 
 二 氷解け去り 葦は角ぐむ
   さては時ぞと 思うあやにく
   今日もきのうも 雪の空
   今日もきのうも 雪の空
 
 三 春と聞かねば 知らでありしを
   聞けば急かるる 胸の思を 
   いかにせよと この頃か
   いかにせよと この頃か
 
格調高い文語体の詩を、現代風に訳した歌詞をブログで見つけました。少し長
くなりますが、紹介しましょう。早春にふさわしい、しゃれた、さわやかな口
調がいいですね。
 
作詞された吉丸さんが立春を過ぎた安曇野の地を歩きながら、遅い春を
待ちわびる思いを詩にしたといいますから、そういう意味では、ちょう
ど今ぐらいの時期を歌ったものだといえます。〔中略〕文語体で書かれた
歌詞を現代風に訳すとこんな感じでしょうか。
題して〔春の誘い〕「いざない」と読んでいただければ……。
 
  一 春というには名前ばかりの風の寒さだね
    谷のウグイスもさえずろうとしているけれど
    まださえずるときではないと声も立てないんだから
    まださえずるときではないと声も立てないんだから
 
  二 氷はとけて消えたし 葦は芽をふくらませる
    さあ春は今だと思ったけれど あいにく
    今日も昨日も雪模様の空なんだ
    今日も昨日も雪模様の空なんだ
  
  三 暦の上で春と聞かなければ知らなかったのに
    聞いてしまうと急がされる気になってしまう この胸の思いを
    どうしろというのかな この頃の季節の進みのじれったさは 
    どうしろというのかな この頃の季節の進みのじれったさは   
  (http://xmas-count-down.com/c01/c4/index.htm) 
 
ウェブで検索した「hideのお茶飲み話」を読んでいると、エロル・ガーナー
の作曲した「ミスティ(Misty)」をイントロに使った、この詩の解説に出
会いました。エロル・ガーナーは、左手のタッチがなんとも強烈で、独特のフィ
ーリングを持つ素晴らしいジャズピアニストです。ジャズのスタンダードナンバ
ーでもある「ミスティ」は、情けない表現で恥ずかしいのですが、本当に美しい
メロディーで、一度聴けば忘れられない名曲です。こういったブログに出会うと、
本当にうれしくなりますね。バックに流れていた、一世を風靡したモダンジャズ
の巨匠、マイルス・デイビスのミュートをかけたトランペットの演奏もご機嫌で
した。
 
★★彼岸と春分の日★★
「暑さ寒さも彼岸まで」、お彼岸は、秋分や春分の日を中心に前後3日間をいい
ます。春分の日を迎えると寒さもこれまで、秋分の日には暑さもこれまで、とい
う気持ちになったものです。お墓参りや、お坊さんに経をあげてもらうなどして、
祖先の霊を供養しますが、これは今も続いています。いいことではありませんか、
お彼岸は春秋の2回です。2回ぐらいお墓参りしないと罰が当たります。ご先祖
様がいたからこそ、「わが人生あり」なのですから。
 
彼岸とは文字通り「向こう岸」ということで、これに対して「こちら側」は此岸
(しがん)という。向こう岸、それは阿弥陀様の住む極楽浄土で、祖先の霊が安
んじているところであり、こちら岸は生老病死の四苦が在る娑婆の世界、すなわ
ち生きている現世をいう。
人は極楽往生をしたいと願い-生死(しょうじ)の此岸を離れて涅槃(ねはん)
の彼岸に至る-によって、彼岸という習俗が生まれてくる。
 (年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P90)
 
日本には、正月に初日の出を拝むように、太陽信仰があります。親父は、やって
いました。
朝は東に向かって、夕方も東に向かって柏手打ち、深々とおじぎをするのです。
しかし、親父は東方遥拝といって、確か東の方には、天皇陛下様がおられる皇居
があるからと話してくれましたから、太陽信仰とは違うかもしれません。この後
姿も、明治生まれの黙って生きざまを示す、親父の大きな背中であったわけです。
 
その太陽信仰ですが、春分の日や秋分の日には、太陽が真東から出て真西に沈み
ます。極楽は西にあるという西方浄土を説くには、ぴったりなのです。
    
水の川と火の川を貪(むさぼ)りと怒りにたとえ、この二つの河にはさまれた太
陽の沈む一筋の白い道-二河白道(にがびゃくどう)を、お釈迦さまと阿弥陀さ
まの招きを信じひたすら念仏を唱えながら、死者の魂はやがて西方浄土に達する
のである。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P91)
 
というわけで、彼岸にある西方浄土へ行き着きたい願いと思いから、仏事の彼岸
会(ひがんえ)の行事が生まれました。彼岸会が、人々の心をつかんだのは、念
仏さえ唱えていれば、先祖の霊を慰め、自分も彼岸に到達できるという教えです
から、手続きが簡単で、わかりやすいためでした。偉いお坊さんに、高いお布施
を払わなくても、いいのですから。
五木寛之氏の「連如」や「親鸞」(3部作完成しました)に、この経緯(いきさつ)
がわかりやすく書かれています。
 
こんなことをいうと、お寺さんからお叱りを受けそうですが、戒名って高いそう
ですね。
あれは彼岸に行くためのパスポートで、三途の川の渡り賃は、古来、一律六文、
しかも、印刷された偽物です。だからといって、渡し守の管轄は閻魔様でしょう
が、「偽札は困る」などと、文句のきている話は聞いたこともありません。
 
しかし、信仰に関して私たちは、合理的というか、ご都合主義というか、不思議
で、おかしな民族ですね。東から昇る太陽は日輪といって、あれは天照大神で神
さまです。西には西方浄土の極楽があると信じて夕日を拝む阿弥陀さまは仏さま
です。海原のはるか彼方に「常世の国」が、川上の彼方には「神の国」があると
信じられていました。これでは、仏さまと神さまが共生していることになります。
「困ったときの神頼み」、本気に信じていないのでしょうね。こういう国って、
日本以外にあるのかなと思っていたら、何と、あるのです。
 
平岩弓枝さんの「風よ ヴェトナム」の解説を書かれている井川一久氏によると
こうなのです。
 
「ヴェトナムは、東南アジア唯一の大乗仏教と神道(タンダオ)の国で、北部と中
部の村々には必ずお寺とお宮がある。人々は箸だけで米飯を食い、豆腐と漬物と
緑茶を好み、陶磁器と漆器を愛し、一弦琴や三弦琴(三味線)を楽しみ、旧正月
(テツト)にはお年玉をばら撒く」
 
さらに、NHKの「世界遺産 ヒマラヤの古都カトマンズ」では、何とヒンズー
教と仏教が同居している様子を紹介していたではありませんか。この歳時記は、
筆者の不勉強から不用意な結論が出がちですが、笑って読み流してください。
 
★★おはぎ★★
お彼岸といえば、「おはぎ」です。またの名を「ぼた餅」ともいいます。今のよ
うにお金さえ出せば、食べたいお菓子を食べられる時代と違い、祝い物として、
その時しか食べられませんでしたから、美味しかったのです。もち米にうるち米
を混ぜて炊いて、軽くついてまるめたものを、あんこや黄な粉で包んだものです。
どうしてお彼岸に「ぼた餅」を食べるのでしょうか。
 
「ぼた餅」は、日本古来の太陽信仰によって「かいもち」といって、春には豊穣
を祈り、秋には収穫を感謝して、太陽が真東から出て真西に沈む春分・秋分の日
に神に捧げたものであった。それが、彼岸の中日が春分、秋分であるという仏教
の影響を受けて、彼岸に食べるものとなり、サンスクリット語のbhuktaやパーリ
語のbhutta(飯の意)が、「ぼた」となり、mridu,mude(やわらかい)が「もち」と
なって「ぼたもち」の名が定着したのである。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P97)
 
何とぼた餅は、日本語ではないのですね。            
「牡丹餅と書くのではありませんか」と言われそうですが、これは後の話だそう
です。語源は、サンスクリット語やパーリ語とは知りませんでした。
 
ところで、「ぼた餅とおはぎ」の呼び名の由来ですが、春の彼岸は牡丹の咲く季
節なので「ぼた餅」、秋の彼岸は萩の咲く季節なので「おはぎ」と称されるよう
になったという説もあり、まだ他にも諸説あるようです。私の勝手な解釈ですが、
「ぼた餅」と聞くと胸焼けがしそうですが、「おはぎ」となると、何個でも食べ
られそうな気がします。
 
★★春分の日の昼夜の長さは、同じではありません!★★
「……?」、こうなるのは、私だけでしょうか。これも知りませんでした。春分
の日も、秋分の日も、昼と夜の長さが同じだと、昔、学校で習いました。ところ
が、違うのです。
 
秋分、春分の日には昼夜が同じではなく、実は昼は夜より約16分48秒長いのであ
る。ちなみに昼夜の長さが同じになる日は、北緯35度の地域では3月17日と9月27
日である。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P97)
 
その理由は、日の出、日の入りは、共に太陽の上縁が地平線に達したときをいう
ので、太陽は地平線より下にいることになるのですが、ここに問題があるのです。
何やら難しい解説がなされているのですが、結論だけにしておきます。大気は、
光を屈折するので、太陽は沈んでいても、本当は、真の位置よりも浮き上がって
見えるのです。早い話が、太陽が地平線に接しているように見えても、実際は、
下に沈んでいるので、その差を計算すると、昼と夜は、同じではなくなるのだそ
うです。16分48秒、48秒まで計算できるんですね。ちょっと、疲れる話で
したが、小学生のお子さんのいらっしゃる方は、理科の教科書をのぞいてみまし
ょう。もっとも、とっくの昔に改定されているかもしれませんが(笑)。
(次回は、「3月に読んであげたい本」についてお話しましょう)
 

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