月別 アーカイブ

HOME > めぇでるコラム > アーカイブ > 2016保護者: 2015年2月

めぇでるコラム : 2016保護者: 2015年2月

さわやかお受験のススメ<保護者編>★★第4章 節分と建国記念の日でしょう 如月(1) 

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
         「めぇでる教育研究所」発行
     2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
             -第13号-
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
 
第4章 節分と建国記念の日でしょう  如 月(1)   
 
物の本によると、如月(きさらぎ)のいわれは、二月は、まだ寒さが残り、衣
を更に重ね着する「衣更着」からとする説が一般的で、よく知られています。
また、草木の芽が張り出す月「草木張月」が転化したものや、旧暦二月には、
つばめがやって来るので「来更来」とする説もあるそうです。
 
★★二月といったら、節分、豆まきでしょう★★
父が煎った豆の入っている一升舛を持ち、玄関から始めて、すべての部屋の窓
を開け、
「鬼は外!福は内!」とやるのですから豪勢でした。ここまでは、文句なく楽
しいのです。終わって、豆の配分になります。自分の年に1つだけ上乗せした
数だけもらえました。父は40数個あっても、私は10本の指に満たない数で
す。これが不満でした。現代っ子に、この気持ちは理解できないでしょう。煎
り豆など食べていますかね。もっとおいしいお菓子がたくさん出回っています
から見向きもしないでしょうが、大豆は畑の肉ともいわれています。蛋白質は、
動物性より植物性の方が体にいいようですね。
 
しかし、不満を解消する道は残されていました。部屋にまかれた豆を拾って食
べるのは、黙認されていたからです。「汚い!」と思うかもしれませんが、そ
んなことはありません。
昔のお母さん方は、まめに掃除をしていました。廊下などは磨かれたように光
り、たたみも、いぐさの茎に、つやがある程でした。電気掃除機のない時代で
す。ほうきとはたきと雑巾だけで、きれいに掃除をするのですから、すごいも
のでした。夕飯が終わると、皿を持って部屋を回ります。豆を集め、それを食
べるのが楽しみでした。
 
そして、こたつに入って父や母から話を聞くのですが、これも楽しみでした。
テレビはありませんから、頭の中に自前の映像を作りだすのです。真剣に聞い
ていました。今の子どもと比べると、情報量は圧倒的に少なかったはずです。
しかし、自前で映像を作り上げる力、イメージ化は、培われていたような気が
します。鬼といえば、パンチパーマの頭に二本の角が生え、真っ赤な顔に牙が
生え、虎の皮で作ったパンツをはき、金棒を持った、本当に恐い存在でした。
地獄も閻魔さまも信じていましたから、恐ろしかったのです。   
 
しかも電球は、今の蛍光灯のように部屋中を明るくしない、60ワットの少々
暗めの明るさなのです。何だかおかしな表現ですが、電球は、かぶせてある電
気傘の具合で、真下からその近辺だけ照らし、部屋の隅は、ほの暗いのです。
怪談など聞いたときは、夜中に便所へ行けない雰囲気でした。昔の便所は水洗
式ではなく汲み取り式でしたから、快適な生活環境を維持するために、敷地内
のもっとも不便な所にあったものです。母を起こし、ついて来てもらったこと
を覚えています。          
 
ところで、思い出はとかく誇張されやすいものですが、節分の夜に食べた脂が
のった鰯、おいしかったですね。ある女子大学で、魚介類に関して上中下の評
価をしたところ、上は鯛、下は鰯だったそうです。鰯、字からして頼りなさそ
うですが、新鮮な握り鮨は絶品でこたえられません。しかし、柊と一緒に飾っ
てあった鰯の頭、あの臭いには往生しました。
あとで説明しますが、豆も鰯の頭も柊もそれなりに存在理由があったのです。
 
「鰯」は日本人が初めてつくった漢語である。中国の辞典には載っていない。
日本人は鰯が好きで中国人は食べないのかもしれない。イワシは弱い魚だとい
うので、8世紀に早くも日本人が造語した一例である。
(国民の歴史 西尾幹二 著 P107 産経新聞社 刊)
 
本書は、日本の歴史を1万年前の縄文時代から現代までたどった大長編(773
ページ)の労作で、神話を日本の歴史でどのように考えればいいかを模索して
いる私には、示唆に満ちた話があり参考になりました。その中に、いかにして
わが祖先が漢籍を読み下し、漢字をカタカナや平仮名にしたか、その経緯が書
かれており、当時は「阿治(あじ)」「佐米(こめ)」「乃利(のり)」と万
葉仮名のように音読みにしていたのが、この「鰯」だけは初めて訓読みで表さ
れていることから、造語の第一号になったそうです。わが祖先の繊細な感性が
うかがえる話ではないでしょうか。
 
★★節分って……?★★    
文字通り「節」を「分ける」ことです。「節」とは、季節、四季のことですか
ら、季節の移り変わるときという意味です。昔は、月が地球を一周する時間を
もとに作った暦、太陰暦を使っていました。今は、地球が太陽の周りを一回り
する時間を一年とする暦、太陽暦です。その陰暦で季節の区分、その変わり目
を示す日を「節季」といい、立春から大寒まで二十四あったので二十四節気と
いったのです。(詳しくは六月に紹介します)。その中で、立春、立夏、立秋、
立冬は、それぞれ季節の移り変わるときを表した言葉で、季節がジワッと伝わ
ってくるような気がしますが、実感はありません。子どもの頃、立春と聞けば、
「春だ!」と、何やらほのぼのとした気持ちになったものですが、立夏、立秋、
立冬となると、何ら思い出がありません。あとで紹介しますが、立夏は五月六
日頃、立秋は八月八日頃、立冬は十一月七日頃ですから、一ヵ月程早く、実感
がわかなかったのも当然なのです。現代っ子はどうでしょうか。季節感が希薄
になりましたから、季節の息吹を肌で感じることも少ないでしょうが、こうい
った変化に気づかずに過ごすのは、本当は、恐ろしいことではないでしょうか。
 
話を戻して、この立春、立夏、立秋、立冬の前の日を節分といいます。言って
みれば、明日から季節が変わりますから、その前夜祭のことです。しかし、立
春の前の日の節分だけが、なぜか有名になりました。
 
私の勝手な想像ですが、昔の冬は本当に寒く、夜は暗かったのです。今は電気
という便利なものがあり、夜になっても明るく、ガスや電気ストーブ、ファン
ヒーター、床下暖房、エアコンと暖房機器で寒さを防ぎ、寒い外へ出かけると
きには防寒具も完備していますが、昔はこんなものはありませんでした。電気
も石油もありませんし、建物は木造です。勿論、断熱材もありませんし、ガラ
スもなくて紙を貼った障子です。夜は真っ暗で、月明かりが無ければ、それこ
そ鼻を摘まれてもわからない、漆黒の闇です。自然と仲良く共存していました
から、地球の温暖化とはまったく縁がなく、冬は本当に寒かったに違いありま
せん。
春を待つ気持ちは、現代人の想像を越えた強烈な願いであったと思います。
 
そこで立春を迎える前の日に、鬼は悪魔と信じられていましたから、その鬼に
春を取られては一大事と、鬼の嫌いな豆や鰯の頭を刺した柊を玄関に飾ったの
でした。昔の人の春を待つ、必死な気持ちが伝わってきませんか。
 
★★なぜ、節分に豆をまくのですか★★
いろいろな説がありますが、紙芝居で見たこの話が印象に残っています。 
 
むかし、源義経が牛若丸時代に天狗を相手に腕を磨いたといわれた鞍馬山の奥
深くに、人々を苦しめる悪い鬼が住んでいたのです。ある時のこと、困ってい
る人々を救ってあげようと、戦いの神さま、毘沙門天(びしゃもんてん)が現
われ、七人の賢い人、七賢人を呼び、三石三斗の大豆で、鬼の目を打てと命令
されました。鬼は、悪魔と思われていましたから、その悪魔の目を打つことか
ら「魔目」、すなわち「豆」となったそうです。
 
また、「魔」を「やっつける、滅ぼす」ことから、「魔滅(まめ)」に通じる
からだという話もあります。「魔」という字は、鬼が麻の布を被り隠れていま
すね。漢字はよく工夫されていて、成り立ちや字義を調べると面白いことが
わかり、楽しいものです。
 
★★なぜ、豆を煎るのですか★★  
これにも地方によって、いろいろな説がありますが、これから紹介する話と同
じような民話が、大分県の由布岳北麓にある塚原地方にもあり、石段ではなく
塚を作る約束で、面白いことに、その塚が60個あまり残っているそうです。
           (注 塚…一里塚など土を高く持って距離を表す標識)
 
むかし佐渡島に、人民に害を与える鬼が住んでいた。神様が鬼退治にやってき
て鬼と賭けをした。「今夜のうちに金山に百段の石段を作ることができれば鬼
の勝ちにしよう」。鬼は夜更けのうちに九十九段まで石段を築いてしまったの
で、神様は一計を案じて鶏の鳴き真似をすると、鶏は一斉に「東天紅」と声をは
りあげた。鬼は朝になったと思い神様に降参したが、百段にもう一歩のところ
で負けたことを悔しがって「豆の芽の出る頃にまた来るぞ」といって退散した。
神様は豆の芽が出ないように人民に豆をいることを命じた。
[年中行事を『科学』する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P35]
 
この話は、幼児教室に通って来る子ども達に受けると思い探したのですが、原
作は見つかりませんでした。わたし流にアレンジして、毎年このように話して
いました。
 
むかし、金がたくさん取れた佐渡島に、鬼が住んでいました。そこへ、神さま
が鬼退治にきたのです。これがおもしろい神さまで、「今夜の内に、金山に百
段の石段を作れば、おまえの勝ちにしよう」と、鬼と賭けをしたのです。負け
ると佐渡島は鬼の支配下になるではありませんか。いくら神さまでもやり過ぎ
で、誰もが心配します。その心配が、的中するのです。鬼は、夜更けの内に、
何と九十九段まで作り上げました。これでは、誰が見ても鬼の勝ちです。絶体
絶命のピンチ、困りはてた神さまは、「弱ったな、何か方法はないものかな…?」
と何とも情けないことになりましたが、そこは全知全能の神さまです。しばら
く考えていましたが、何と鶏の鳴き声をまねたのです。すると、鶏たちが、一
斉に、「トーテンコー! トーテンコー!」と鳴きはじめました。「トーテン
コー」は、「東天紅」と書き、東の空が紅くなってきたので、「夜が明けるぞ!」
と、鶏たちがみんなに報せているのです。時計のなかった時代ですから、鶏さ
んの鳴声は、目覚まし時計でした。朝になったと勘違いした鬼は、神さまに負
けたと思ったのです。しかし、鬼は、あと一段で負けたのを悔しがり、「残念
じゃが、お日さまには勝てん。豆に芽が出る頃に、また来るぞ!」と捨てぜり
ふを吐いて、逃げたのでした。そこで、神さまは豆の芽が出ないように、人々
に豆を煎るように命令されました。煎った豆から芽は出ません。芽が出なけれ
ば、鬼も来ません。ですから、節分には、煎った豆をまくようになったのです。
 
すると、「どうして、オニは、ニワトリの鳴声を恐がるのですか?」といった
質問があったのです。
「別に、オニはニワトリを恐がっているのではなく、ニワトリが鳴く頃になる
と、お日さまが昇って来るんだよ。オニは、真っ暗な闇の世界に住んでいるか
ら、お日さまが恐いんだなぁ。だから逃げたんだよ」
「それなら、ドラキュラと一緒だ!」
何やらしたり顔でうなずき、納得していました。これは説得できましたが、次
がいけませんでした。
 
「何で、『トーテンコー』なんて、おかしな鳴き方をするのですか?」「トー
テンコー」と鳴かないと、この話は成り立ちませんから困りました。「お日さ
まは東から昇るので、『東天』は『夜明けの東の空という意味だ』といっても
うなずきませんし、『紅』は赤い色で、みんながお日さまを描くとき赤く塗る
でしょう。東の空が赤く染まってくる様子を見たニワトリは、『朝が来た!』
とみんなに報せているのですよ」と説明しても、「なぜ、夜明けにニワトリが
鳴くのですか?」と変な顔をします。
「日本のニワトリは『コケ・コッコー』と鳴きますが、中国のニワトリは『ト
ーテンコー』と鳴き、アメリカのニワトリは、『コッカ・ア・ドゥードル・ド
ゥー!』と鳴くそうだよ」
といっても、アンビリーバブルとばかりに首を傾げるだけでした。話がこじれ
たのは、ニワトリが、夜明けに鳴くのを知らないからでした。
 
「なぜ、ニワトリは、朝になると鳴くのか」、このことです。やはり、子ども
の疑問を追求する目は鋭く、妥協しません。これを説明しなければ、子ども達
は、納得できないわけです。「ニワトリは、鳥目といわれ、暗いところではま
ったく物が見えません。だから、夜になると、イタチなどに襲われる不安があ
るので、夜明けになると、ほっとして、一斉に鳴き出すのだよ」と苦し紛れに
こじつけて話したところ、「なるほど!」とうなずきはじめました。
 
子どもがわかるように話をするのは、本当に難しいですね。実際にやってみる
と、ほとほと困るときがあります。お母さん方は勿論のこと、幼稚園や保育園、
幼児教室の先生方は、何の苦もなくやっているように見えますが、大変だなと
思い、敬意を払うのは、こういう時です。我が子でさえ、「……?」といった
表情が続くと、面倒になって止めたくなりましたから(笑)。
 
★★なぜ、玄関に鰯の頭を刺した柊を飾ったのですか★★
豆まきをしない家がふえているようですから、柊や鰯の頭となると、「…!?」
変な目で見られるかもしれませんね。これもしめ縄と同じで、鬼や悪魔が入ら
ないようにした「おまじない」です。
 
鰯は、冬にたくさん獲れる魚です。昔、女と子どもを食べるカグハナという鬼
は、鰯を焼く煙がきらいで、他の鬼達も生の鰯の頭はくさいですから、いやが
ったそうです。「柊」は、字そのものが寒そうで、冬そのものといった感じが
します。葉にとげがあり、触ると痛くて、ずきずきと痛みます。ズキズキと痛
むことを「うずく」といいますが、この「うずく」ことを別の言い方で「ひい
らぐ」といい、それで「柊」と呼ばれるようになったのです。
 
また、柊のことを別名「鬼の目突き」といって、そのとげが鬼の目を刺すと信
じられ、玄関に飾ったのですが、その行事は今でも残っているそうです。葉の
とげで、鬼の目を突く恐ろしい木のようですが、花を見ると印象が変わります。
とげのある葉の付け根に、匂いのよいかわいい白い小花が咲くからです。
 
話は変わりますが、いわしは「鰯」と書くように、魚は魚偏から出来ています。
しかし、何と木偏の魚がいて、その名を「柊」といい、命名の由来は、鰭(ひ
れ)のところに柊と同じように鋭いとげがあるからだそうです。これが網にひ
っかかるので漁師さんから嫌われていますが、味の程は好評で、塩焼き、干物、
刺身でもいけるとか。ただし、骨が硬く、身も少ないため、市場に姿を現さな
いそうです。宮尾登美子さんの随筆に、「にぎろ」という魚の話が出ています。
大森望氏の解説によると、「にぎろは、ススキ目ヒイラギ科の魚で、全国的に
はヒイラギとよばれているらしく、うちは煮付けで食べていました」とあり、
本文に頁をもどすとこう書かれていました。
 
  ニギロという小魚がよく釣れた。お隣の愛媛県では畑の肥料にするという
が、土佐では、一日干(ひいといぼ)しにして軽く炙ってよし、二杯酢にしてよ
し、ごく親しまれている魚だ。宮家の筆頭伏見宮家の長女として生まれ、大正
天皇妃の候補にもなった山内豊景(土佐山内家十七代当主)侯爵夫人禎子(さ
ちこ)さんは、ニギロの刺身が大好きで、あの小さい、小さい魚を女中さんが
苦労して身を削いでは食卓に載せていたそうである。
    (「生き行く力」 宮尾登美子 著 P215 新潮社 刊) 
 
子どもの頃、瀬戸内海を挟んだ兵庫県は赤穂に住んでいましたから食べたかも
しれません。
 
読むたびに作家魂とは、かくも凄まじきものかを叩きこんでくれた宮尾さんは、
2014年12月30日に、老衰のため逝去されました。(合掌)
 
もっと凄い魚がいます。
何と「猫またぎ」と呼ばれ、漁師に嫌われるどころか、小骨が多いため、猫も
またいで見向きもしないほど無視されていたのが、うなぎに似たあの鱧(はも)
なのです。ところが京都では、骨を食べやすく「骨切り」(高等技術だそうで
す)をし、硬い皮を食べやすく「湯引き」、熱湯にくぐらせ、氷で冷やし、梅
肉やからし酢味噌などで食べ、夏の味覚として珍重されており、祇園祭りに食
べる習慣があるのですから驚きです。
また、日本酒の肴に珍味な海鼠(なまこ)と、その腸である海鼠腸(このわた)
がありますが、最初に食べた人の勇気をたたえると共に、いつも感謝していた
だいています(笑)。
料理も包丁人(料理人)の度胸と工夫、腕次第なんですね。
 
ところで、鬼の嫌いなものは、鰯の臭いと柊とお日さまです。ドラキュラの嫌
いなものは、十字架とお日さまとにんにくです。お日さまと臭いの共通点はあ
りますが、宗教の出ないところが日本的なのでしょう。日本では、神さまと仏
さまが同居していますから、遠慮しているのかもしれません。
 
★★鬼のルーツは…?★★
陰陽(おんよう)五行説、聞きなれない言葉ですが、中国の易学のことです。
宇宙の万物を作り支配する二つの相反する性質をもつ気、陰と陽のことで、積
極的なものを陽、消極的なものを陰としたものだそうです。例えば、日、男、
春、奇数などは陽、月、女、秋、偶数などは陰と考えられ、奇数が縁起のいい
数というのも、起源は陰陽五行説なのです。
 
節分の夜、新しい春を迎えるために、家の隅々から鬼を追い出すが、鬼とはも
ともと冬の寒気であり、疫病であった。すなわち「人に災いをもたらす。目に
見えない隠れたもの」が鬼であり「隠(おに)」と呼ばれていたのである。
 (「年中行事を科学する」 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P51)
 
「鬼」は目に見えないもの「「隠(おぬ)」が転じたもので、陰陽五行説の考
えから、今の鬼が定着しました。
 
ところで、なぜ鬼は、二本の角が生え、鋭い牙を持ち、虎の皮のパンツをはい
ているのでしょうか。陰陽五行説によると、北東方面を「鬼門」と呼び、忌み
嫌われる方角を表す言葉で、恐ろしい鬼は、北東の方角にいると考えられてい
ました。正月に紹介しました十二支では、北東は「丑寅」の方角にあたります。
「丑寅」は牛と虎のことですから、鬼は牛と虎のイメージを持たされ、絵本な
どで見る鬼は、牛のような角と虎のような鋭い牙を持たされ、虎の皮のパンツ
をはいている姿になったわけです。
鬼門は忌み嫌われる方角ですから、京都の北東にあたる比叡山延暦寺は、当時
の都であった平安京を守るための「鬼門ふさぎ」として建てられたのでした。
ちなみに、江戸城から鬼門にあたる上野には、徳川家の菩提寺である寛永寺が
あり、山号を東叡山といい、天下国家の平安を祈り務めるために建立されたも
のです。毎度のことですが、何事も訳ありなんですね。NHKの大河ドラマの
放映以来、訪れる人が増えているそうですが、天璋院篤姫の墓所は寛永寺にあ
ります。
 
この鬼を寄せ付けないために豆や鰯、柊を用いたのは、「追儺(ついな)」と
いう7世紀頃に中国から伝わったといわれている鬼を祓う宮中行事が、近世に
なって民間化されたらしく、疫病神や貧乏神のたぐいを祓うのが目的になった。
そのような意味なら現代にも鬼は存在している。鳥インフルエンザとか世界的
な不況など立派な鬼である。
(2009年2月2日 東京新聞夕刊・文化欄「鬼は外」 司 修 著)
 
鬼と同様、目に見えないだけに、現代人には恐ろしい存在に違いありません。
今年もインフルエンザの猛威にさらされていますが、何とか穏便に願いたいも
のです。被害者は、弱い子ども達であり高齢者だからです。鳥インフルエンザ
は、渡り鳥に予防接種するわけにいきませんから困ったものですが、今のとこ
ろ何とかおさまっているようです。今年も寒波の襲来で世界的に冷え切ってい
ますが、豪雪地帯の雪害は、高齢者が多いだけに被害は深刻です。先日関東地
方にも雪が降りましたが、震災の復興からほど遠い東北地方の皆さん方に、雪
害による被害が広がらないように願ってやみません。
 
ところで、食べられた方も多いかと思いますが、節分に巻き寿司を食べる習慣
は、「福を巻き込む」「縁を切らない」などの意味があり、恵方に向かい、黙
って丸かじりするもので、主に関西で行われていましたが、最近ではバレンタ
インデーのチョコレートのように、全国で行われているようです。恵方とは、
「陰陽道に基づいて決められた縁起のよい方向」で、2015年の恵方は西南
西でした。七福神にあやかろうと、穴子、かんぴょう、きゅうり、椎茸、玉子、
おぼろ、高野豆腐など7種類の具を巻き、包丁で切らず、福を丸ごとかじって
食べるのが定法で、江戸時代に行われていた大阪の伝統習俗を復活させたもの
です。
 
最後に、豆まきの口上は「福は内、鬼は外」が定番ですが、そう言わない所も
あります。台東区にある「恐れ入谷の鬼子母神」(「おそれいりました」を冗
談めかし、しゃれて言う言葉)でおなじみの仏立山真源寺では、「福は内、悪
魔は外」と言いますが、これは人間の子どもを食べてしまう鬼神、鬼子母神を、
お釈迦さまが鬼神の子を隠し、子ども失う悲しみを諭されて仏教に帰依し、子
どもの守り神になった由来によるもので、成田山新勝寺では「福は内」だけで
すが、お祀りするご本尊は不動明王ですから、鬼も改心するとされているから
だそうです。また、群馬県藤岡市鬼石地域では、地名の通り鬼は守り神ですか
ら、「福は内、鬼は内」と言い、全国から追い出された鬼を歓迎する「鬼恋節
分」を開催しているそうですが、皆さんの住む町はいかがでしょうか。
(生活情報サイトAll About より)
 
(次回は、「建国記念の日と2月に読んであげたい本1」についてお話しまし
ょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>★★第3章(3)何といってもお正月ですね 【一月に読んであげたい本】

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
 
         「めぇでる教育研究所」発行
     2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
             -第12号-
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
 
第3章(4)何と言っても正月ですね 
【一月に読んであげたい本】
 
正月に関するむかし話は、たくさんありますが、この話は欠かせないでしょう。
「子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥」の十二支のことで、こ
れを決めた事の次第を話にしたものですが、いたちが出てくるとは知りません
でした。
 
◆十二支のはじまり   小沢 重雄 著
「元旦の朝、新年のあいさつにきた順番に、その動物の年にして、人間世界を
守らせてやる。ただし、一番から十二番まで」と神様からのお触れが出て、動
物たちは大喜び。ところが、ねこは、その日を忘れてしまい、運良く(本当は
運悪くですが)会ったねずみに、二日目の朝だと嘘をつかれます。計られたと
も知らずに、ねこは神様のお住まいになる御殿の門を叩いたのですが、「十二
支は決まった。寝ぼけていないで、顔でも洗ってこい!」
と神様に怒られ、だまされたと気づいたのです。それからというもの、ねこは
寝ぼけないように、いつでも顔を洗うようになり、嘘を教えたねずみを追いか
けるようになったのでした。
ところが、ねこの他にも十二支に入れなかった動物がいました。いたちです。
お触れがこなかったから、やり直してほしいと申し立てをします。手を焼いた
神様でしたが、名案を考え出します。
「一年に十二日だけ、おまえの日にしてあげよう。月の始めは縁起のいい日だ
から。ただし、『いたちの日』とすると、他の動物が騒ぎだすから、頭に「つ」
をつけることにしよう。数をいうときには、一つ、二つと、必ず『つ』をつけ
る大切な字だから」と提案をします。
「つ、いたちですか?」
「いや、いや、『つ、いたち』では、わかってしまうから、『ついたち』と続
けていうことにしよう」と説得され、月の初めを「ついたち」と呼ぶようにな
ったのです。
一月のおはなし ねこの正月 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修 
 日本民話の会 編 国土社 刊
 
12月にもお話しましたが、朔日(ついたち)は、月立(つきたち)の音便で、
こもっていた月が出はじめる意味からできた言葉ですが、これを読んだとき、
しばらく笑いが止まりませんでした。神様といたちのやりとりが、本当におか
しいのです。しかも、場所は図書館でしたから、困りはてた様子をご想像くだ
さい。
 
5、6歳の子どもにとって、一日から十日までと、十四日、二十日、二十四日
は、漢字の音読みと訓読みが、入り混じっていますから覚えるのも難しく、き
ちんといえる子はあまりいません。一日は、これで覚えられますね。二十日は、
「二十日ネズミは二十日間しか生きられないから二十日ネズミというんだよ」
と、得意そうに教えてくれた子がいましたが、真相は定かではありませんけれ
ど、これで覚えられるでしょう。(※実際には妊娠期間が20日だそうです
 <編集者注>)
 
ところで、かつて小学校一年生の子どもが、この読み方を歌にしたものがある
といって歌ってくれましたが、実にうまく出来ていて、これで簡単に覚えられ
ます。残念なことに題名を思い出せませんので、すみませんが探してあげてく
ださい。
 
大人でもよく間違える「十日」ですが、「とおか」、「とうか」どっちでしょ
うか。
氷、王さま、通りは、「お」「う」のどちらでしょうか、小学校一年生のとき
に習います。
 
正月といえば、欠かせないのは七福神でしょう。この話には、神様、一人ひと
りの紹介はありませんが、七福神の話です。これとよく似た話で、大晦日に長
者に宿を断られた乞食が、貧乏人の家に泊めてもらい、そのお礼に若水をもら
い若返った話を聞いた長者が、乞食を無理やり泊まらせ若水を強要し、あまり
欲張ったために猿になった話や、赤ん坊になってしまうのもあります。暮れか
ら正月の話ですが、七福神の登場ということで、一月の話にしました。
 
◆正月の神さん   渋谷 勲 著
ある年の大晦日に、貧乏なじいさまの家へ、七人の旅人が来て、笠を貸してほ
しいというので、家中、探したのですが六人分しかなく、大事にしまっていた
ご祝儀用の合羽を貸したのでした。
 それから一年たった大晦日の晩のことです。今年も年越しのご馳走の用意が
できずに、白湯を呑んでいると、急に騒がしくなり、あの七人の旅人が入って
きたではありませんか。実は、旅人は神様で、笠のお礼にきたのでした。打出
の小槌から、米や魚やら、二人の欲しいものが何でも出て、寝る場所もなくな
るほどです。もっと欲しいものはないかという神様に、「もう少し若ければ、
子どもを授かりたいものだ」とおばあさんはいいました。
すると神様は、「明日は、元旦だ。目が覚めたら、二人そろってあいさつをし
なさい」といって帰ったのです。        
元旦の朝、目を覚ました二人は、「おめでとう」とあいさつをすると、十七、
八のいい若者になり、それからというもの、何人もの子宝に恵まれて一生、安
穏に暮らしたのでした。
  一月のおはなし
    ねこの正月 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修 日本民話の会・編
          国土社 刊
 
七福とは、「仁王経」(仁王護国般若波羅蜜経)の「七難即滅して七福即生す」
に由来するものといわれ、江戸時代を築いた徳川家康が、七福によって天下を
統一したとして、家康の相談役・天海僧正が、神仏の七徳を崇めるようにと七
福神信仰を勧めたため、江戸時代に流行したものです。     
ちなみに、七徳とは、恵比寿の清廉、大黒の有徳、弁財天の愛敬、毘沙門天の
威光、福禄寿の人望、寿老人の長寿、布袋の大量(心が広いこと)をいいます。
 
ところで、七福神の国籍(?)を調べてみると、恵比寿は日本の神道、大黒天
と毘沙門天はインドの仏教、弁財天はインドのヒンドゥー教、そして布袋、寿
老人、福禄寿は中国の道教から生まれた神様なのです。
異教の神様や仏様を、いくら「呉越同舟」(呉・越、共に中国は春秋十二国の
一つで、互いによく争ったことから、仲の悪いもの同士が一所にいること)の
四字熟語があるからといって、同じ船にお乗せして問題が起こらないのでしょ
うか。キリスト教など他の宗教では考えられないことです。「融通無碍(ゆう
ずうむげ)考え方や行動が、何事にもとらわれず自由であること」というので
しょうか、本当に、日本人らしいですね。イスラム国で起きてしまった事件、
何とか無事におさまってほしいものです。
 
昔は、帆掛け船に乗った七福神の絵を枕の下にしいて、いい夢を見たそうです
が、私もそのようにした記憶はありませんから、かなり前の話のようです。そ
の夢ですが、正月というと、これも忘れられませんね、初夢です。初夢は室町
時代には、除夜から元旦にかけて見る夢でした。それが江戸時代の中頃から、
除夜は起き明かす習慣となり、元旦の夜に見る夢となっていましたが、「すべ
ての事始めは二日」ということから、今では二日の夜に見る夢となったのです。
これも、一つ紹介しておかないといけないでしょう。
 
◆ゆめみこぞう   渋谷 薫 著
 ある長者のところに、風呂たきをしている、灰坊と呼ばれる若者がいました。
ある正月の二日の晩、灰坊は、よい夢を見たのです。その夢を長者が買おうと
いいますが、灰坊は売りません。怒った長者は下男に命じ、灰坊を縛り上げて
木箱の中へ詰め、海に投げ込んでしまいました。
 二十一日間、波に揺られて着いたところは、鬼が島。鬼の親方に食べられる
前に、海に流されたわけを聞かれ、その話をすると、親方が、その夢をくれれ
ば食わないで、家に返してやるという。断ると、三つの宝物、刺すと死ぬ死に
針、死人を生き返せる生き針、千里を一飛びする千里車と交換しないかと灰坊
の前に置いたのですが、灰坊が「本物か?」と疑わしそうにいうと、試してみ
るがよいと腕を出したので、灰坊は、その腕に死に針を刺して殺し、生き針を
持って千里車に乗り、鬼が島を脱出したのです。
 着いたところが、ある村の観音さまのお堂。休んでいると、お参りに来た人
達が、朝日長者の十七になる娘が死んだと話しているのです。それを聞いた灰
坊は、長者の家にかけつけ、「死んだ者を生き返す、日本一のお医者さま! 
死んだ者は、おらんかなー!」と大声で叫びます。直ぐに死んだ娘の座敷に案
内され、人払いをしてもらい、生き針を娘に刺してみると、生き返ったのです。
喜んだ長者は、婿になってほしいと頼み込み、灰坊は朝日長者の娘婿になった
のです。これこそ灰坊が、見た夢、そのものだったのです。
 一月のおはなし
   ねこの正月 松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修 日本民話の会・編
         国土社 刊
 
正月ですから、ご祝儀を一つ。
これも、むかし話の定番ですが、継母の子どもいじめです。「親になるにもラ
イセンスが必要」とおっしゃった方がいるそうですが、幼子への虐待は、親と
いえども許されることではありません。ましてや親の手にかかり殺される子は、
どんな気持ちでこの世を去ったのでしょう。殺人犯は、実の親なのですから……。
また、ごく普通の家庭でも、父親は女の子に、母親は男の子に甘くなりがちで
す。子どもは、小さい目で、しっかり見ていることを忘れないでほしいもので
す。
 
話に出てくる季節の変わる様子は、古い話で恐縮ですが、高校時代に観た映画、
マルシャークの「森は生きている」を思い出します。気まぐれな女王が、真冬
に4月の花であるマツユキソウをほしいといい、継母の言いつけで吹雪の森へ
行き、12月の妖精たちに出会う話となっています。これと同じような話が、
スロバキアの民謡に「マルーシカと12の月」があります。こういった話を聞
くたびに、人間の考えることは「同じなんだな」と、しみじみと嬉しくなりま
す。
 
◆六月のむすこ   松谷 みよ子 著 
 むかし、あるところに母親と二人の娘がいて、妹は実の子、姉はまま子でし
た。ある年の正月、妹はいちごを食べたいといいます。母親も取り合わなかっ
たのですが、わがままに育てられていますから押し切られ、姉は取ってこいと
かごを背負わされて、山へ向かいますが、いちごなどあるわけがありません。
途方にくれていると、白いひげのじいさまと会い、訳を聞いてくれ、あたたか
い感じのする家に案内されたのでした。いろりの前に姉を座らせ、この家に一
月から十二月まで、十二の月の兄弟と住んでいて、どの息子も自分の月を呼び
出せるといい、声をかけると、奥から一人の若者が出てきたのです。訳を話す
と、今は一月、私の出る番の六月まで、一月から五月までの五人の兄弟の助け
が必要だという。再び声をかけると、五人の若者が現れ、みんな外へ出たので
す。すると雪がとけ、あたたかな日がさし、土が姿を見せ、草や木の芽がもえ、
花が咲き、小鳥は歌い、いちごが実ったのです。かごいっぱいに摘んだのを見
たじいさまに、「雪が降らない内に帰りなさい」といわれ、走るように山を下
った後から雪が降りはじめ、ふもとに着くと山は、もとの銀世界でした。
 家に帰ると、二人でいちごを瞬く間に食べたばかりか、妹はもっと食べたい
と泣きわめき、母親は殿さまにあげればご褒美にありつけたと悔しがり、再び
山へ行けというのです。
姉は不思議なじいさまとの出会いを話し、二度は無理だというのですが、「い
うことを聞けんのか!」と怒り狂っていましたが、急に気が変わり、二人でじ
いさまに会ってくると出かける準備をはじめます。姉は必死に止めましたが、
大きなかごを背負い山へ出かけたきり、二度と戻って来ませんでした。
  日本むかしばなし 18
     まほうをとくむすめ 民話の研究会 編 櫓良 良春 絵
               ポプラ社 刊
 
最近、継母という言葉は余り聞かないようになりましたが、幼児虐待の話はよ
く聞きます。
それも、育児に一所懸命なお母さんが虐待しがちだと聞くと、救いがありませ
ん。四六時中、お子さんと顔を合わせていますから、あまりのわからず屋にカ
ッとなる時もあるでしょう、わかります。しかし、そこが我慢のしどころです。
育児には、「耐えて、忍ばなければならない時期」があります。心の傷は間違
いなく子どもの心に残り、それを背負って生きていくものです。子育ては、
「育児」しながら「育自」することです。お母さん方は、自力で自身を成長さ
せなくて、誰がさせてくれますか。誰も、力を、機会を与えてくれません。そ
の教材が、お子さんと考えてはいかがでしょうか。お子さんは、ご両親で作る
環境でしか育ちません。ご両親が心を一つにして育児に専念するのは、幼児期
だけではないでしょうか。子どもは授かりものです。授からない人も、多くい
ることを考えてみましょう。
そして、ご自身を育ててくれたご両親、特にお母さん方は、同じ苦労をしてき
たことを思い起こすべきで、この気持ちを忘れないことが大切ではないでしょ
うか。
 
最後に、「七草」に関する話が「御伽草紙」にあります。若いときは、とかく
親のことなど考えないものです。だから「今の若い者は」などと口幅ったいこ
とは言いません。しかし、「親孝行、したいときには親はなし」……実感して
います。
 
この「御伽草紙」には、「鉢かつぎ」「酒呑童子」「浦島太郎」「ものぐさ太
郎」など子どもの頃に聞いた懐かしい話が入っています。中でも傑作なのは
「猫の草紙」で、昔は猫も首輪をされていたそうです。ところが、「首輪をし
てはならぬ」とのお触れが出て、それまで自由に走り回っていたねずみは、猫
に捕まり食い殺される恐怖の世界に一変するのです。
「十二支の始まり」と同様、猫とねずみの因果関係を納得させられる話です。
原文を読むのは少し面倒ですが、図書館の子どもの部屋には、小学生から中学
生向きに書き直されたものがあり気軽に読めます。現代人が忘れかけているも
のがたくさんありますが、ロマンも、その一つではないでしょうか。
 
      ◆七草草紙 北畠 八穂 著
正月七日に七草がゆを食べる習慣になったのは、唐国(中国)の楚の国のそば
に住んでいた、大しゅうという人が始めたものだそうです。大しゅうの両親は
百歳をこえ、腰は曲がり、目も耳も悪くなるばかり。そこで、両親を若くした
いと、天地の神仏に二十一日間、祈ったのでした。すると、二十一日目の夕方、
帝釈天王が現れ、若返りの秘訣を授けてくれたのです。それは須弥山(しゅみ
せん 仏教でいう世界の中心にそびえ立つ高山のこと)に棲む白鵞鳥が八千年
も生きるのは、春に七色の草を集めて食べるからで、その白鵞鳥の命を両親の
命にしてあげようと、摘んでくる七草の種類、たたく順序、時間など秘薬にす
る方法を授けたのです。大しゅうは、七草を集め、六日の夕方からたたきだし、
七日の朝に飲ませると、両親は若さを取り戻したのでした。この話が帝にも届
き、褒美として広い土地をあたえ、殿さまにしたのです。それから正月七日に
七草を帝へ差しあげることになったそうです。このように親に心を尽くす人に
は、天の幸いが授かるのです。 
    御伽草子  古典文学全集 13 ポプラ社 刊
(次回は、「第4章 豆まき、節分でしょう」についてお話しましょう)
 
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
 
        このメルマガの  
       無断転載を禁じます 
 
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
 
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
 
メールマガジン「2016さわやかお受験のススメ<保護者編>」
(まぐまぐID:0001646453)
(melmaID:198582)
登録/解除はこちらから
https://www.medel.jp/mail_magazine/
めぇでる教育研究所ホームページ
https://www.medel.jp/
 
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
≪melmaご利用の方≫
このメールマガジンは、「melma!」http://melma.com/ を利用して発行していま
す。
解除は http://melma.com/backnumber_198582/ からもできます。
≪まぐまぐご利用の方≫
このメールマガジンは、『まぐまぐ』 http://www.mag2.com/ を利用して発行しています。
解除は http://www.mag2.com/m/0001646453.html からもできます。
 

さわやかお受験のススメ<保護者編>★★第3章(3)何といってもお正月ですね  睦月

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
         「めぇでる教育研究所」発行
     2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
             -第11号-
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
 
第3章(3)何といってもお正月ですね  睦月
 
◇お節料理◇
お雑煮を食べながらいただく料理がお節料理です。私の子どもの時でもそうで
したが、一年に一度か二度、滅多なことではお目にかかれない重箱というもの
があり、そこにいろいろな料理を詰めます。木からできている箱で、普通は漆
で塗られ、外側はきれいな絵や模様で飾られ、二重、三重、五重と積み重ねら
れるものです。今のお節料理には中華風や洋風などもあり、食べ物が豊富です
から精進料理風は受けないのでしょう。お節料理は、元旦の朝に神様と一緒に
お祝いをして、家族が健康で良いことがたくさんあるように、お祈りをするた
めの食事ですから、縁起ものしか選ばれません。
 
「三つ肴」または「祝い肴」といって、この三種でお節料理を代表するものが
ある。三は完全を意味し、全体を一つにまとめる働きをしている。三つ肴とは、
関東では黒豆、数の子、五万米(ごまめ)をいい、関西では、黒豆、数の子、敲
き牛蒡(たたきごぼう)をいう。
(年中行事を『科学』する 永田 久 著 日本経済社 刊 P9)
 
黒は、魔除けの色といわれ悪魔が嫌う色です。   
豆は、「まめに生きる」といって、真面目に健康に生きる願いが込められてい
ます。
数の子は、鰊(にしん)の卵巣で、数万の卵があることから「数多い子」、子
孫繁栄の意味で縁起がよいといわれ、また「春告魚」とも書き「春よ、早く来
い!」と願っています。
ごまめは「五万米」とも書くことで豊作を願っています。
牛蒡(ごぼう)は、お米がたくさん取れた時に飛んでくるといわれる黒い瑞鳥
を表したものです。
この三つは、必ず食べたそうですが、子どもは、きんとん、だて巻き、かまぼ
こ、海老や鯛、八つ頭(里芋の一種)こんにゃくなどを食べていました。
きんとんは「金団」と書いて「金の塊」のこと、だて巻の「伊達」は「粋で美
しい様」、かまぼこの赤は黒と同様に「魔よけ」、白は「清浄」を表し、八つ
頭は「人の頭に立つ人になってほしいことを願っている」といったように、お
節料理は縁起を担いだ食べ物からできています。               
 
さて、今はどうでしょうか。
ウインナー、ハンバーグ、餃子、鶏の唐揚げ、ポテトフライ、こういうものを
朝祝いに食べ、初詣に神社へ行って神様にお願いする、何だかおかしくないで
しょうか。神様は和食派ですから、ちぐはぐな感じがしますね。
 
正式なお節料理は、四段重ねです。上から一の重、二の重といい、一の重には、
先程の三つの肴、黒豆、数の子、ごまめ、二の重は「口取り」といい今風の言
葉で表せばオードブルで、金団、ゆず玉、だて巻などが、三の重は、海老や鮑、
鯛などの「海の幸」を、四の重は「与の重」といい、八つ頭、はす、くわい、
里芋などの「山の幸」を入れます。そして、詰める品数は奇数がよいとされ、
ここまでこだわります。  
 
祝いの膳に欠かせない尾頭付きの鯛ですが、徒然草では鯉が「やんごとなき魚
なり」と紹介されています。世界の四大聖人の一人、孔子の子息の名前は「鯉」
といいますが、王様からお祝いに、鯉をいただいたことから命名されたそうで、
当時、中国での魚の王様は鯉だったのです。ところが、江戸時代になると鯛が
鯉にとって代わり、祝い膳のトップに躍進し、今に至ってもその座を他の魚に
許していません。姿、形がよく、色鮮やかで、生でも焼いても汁にしてもうま
い、これでしょうね。しかし、親父は「鯛はいつでも食べられるから旬がなく、
その分、損しとるのや」と言っていましたが、今では鰹や秋刀魚も、いつでも
食卓に上がります。食生活は豊かになりましたが、そのために失ったものもた
くさんあります。 季節感が希薄になったのも、その一つでしょう。魚に限ら
ず旬のものは、その時にしっかりと食べ、季節感を味わいましょう。
 
さて、お節料理の中心は煮物です。煮物は、素材をそのまま煮炊きできません
から、その下ごしらえから味付けまで、手間がかかりますし、それに味付けが
一番難しいといわれています。味付けで素材の持ち味が決まるからです。です
から、暮の台所はまさに戦場で、今のようにお節を買って済ませる時代ではな
く、全部自前でこしらえていましたから大変な騒ぎであったことを覚えていま
す。お節料理は、三が日の間、お母さん方から料理する手間を開放してあげる
配慮があったと聞きましたが、その通りではなかったでしょうか。
 
◇屠 蘇◇
読み方からしてやっかいですが、「とそ」といって、山椒、肉桂(にっけい)、
桔梗(ききょう)、ぼうふうなどの薬草を、砕いて調合した屠蘇散をひたした
味醂のことで、これが正月のセレモニーの主役でした。これを杯に注いで、
「おめでとうございます」と父がいわないことには、新年の朝祝いは始まりま
せん。これは、不老長寿の効き目があるといわれ、正月の祝い酒でした。しか
し、どうして、こんなものがおいしいのだろうかと思いましたね。山椒はうな
ぎを食べるときに使うものですし、肉桂はにっきのことで刺激が強く、桔梗は
根を干したものはせき止めの薬ですし、ぼうふうはセリの仲間です。聞いただ
けで、飲むのを遠慮したくなりませんか。親父からちょっとなめさせてもらい
ましたが、大人は、なぜ、こんなまずいものを飲みたがるのか不思議な気がし
ました。 
 
しかし、何事も訳ありです。
屠蘇は、「鬼気を屠絶し、人魂を蘇生させる」という意味があり、「その年の
邪気を払い、寿命をのばす働きがある」と信じられていました。ですから、邪
気を払い不老長寿を願う、正月には欠かせない祝い酒でもあったのです。今は
朝祝いに屠蘇を飲まないのではないでしょうか。屠蘇で乾杯して大人はお酒で
す。子どもはお節料理を食べながら、お雑煮をいただきますが、両親とも着物
です。母は着物の上に、袖付きの前掛けというのでしょうか、割烹着をつけて
いました。親父は立派に見え、母はきれいだと思ったものです。そして、なぜ
か子どもたちも新しい服を着せられていました。新しい年神様を、誠心誠意で
お迎えした雰囲気がありましたね。
 
また、これも忘れられませんが、テーブルと椅子の時代ではなく、足の低い食
卓、ちゃぶ台で食事をしていました。もちろん、正座をしてご飯を食べます、
正座です。姿勢が崩れると父が、恐い顔してにらみますから、おかしないい方
ですが、真剣に、真面目に食べていました。ですから、姿勢も自ずと良くなり、
食事のマナーも身についたものです。      現代っ子は、姿勢の悪い子もいますし、妙なはしの持ち方をして
いる子もいます。ご飯をぼろぼろとこぼしても平気な子もいます、親も注意を
しないようです。食事中は、テレビを消しましょう。4、5歳の子には、「食
べながら見る」といった二つの作業をこなすことはできません。私の子ども時
代と最も違ったのは食事ではないでしょうか。テレビはありませんから、食事
は人が中心で、一家団欒の一時であり、家族の会話があったような気がします。
しかし、椅子とテーブルになって、子どもたちの足が長くなり、スタイルもよ
くなりましたが、子どもに教えるべき生活習慣やしつけの面で失ったものも、
数々あります……。
 
そして、年の順にお年玉をもらうのですが、これが楽しみでした。でも、わず
かでしたね。
現代っ子は、銀行に預けるほどもらえるようですが、これは不労所得です。汗
水を流さずに、お金をたくさんもらうのは、決してよいことではありません。
子ども時代にこそ、「分相応の精神」をしっかりと理解させるべきではないで
しょうか。
 
★★初詣★★
朝祝いが済むと、近所の氏神さまへお参りをします。ところが、最近はどうで
しょうか。
「行く年、来る年」などを見ていると、全国の有名な神社、仏閣は、大勢の参
拝者でにぎわっています。お賽銭を後ろの方から投げ込んでいる人さえいます
が、参拝者が多いためでしょうけれど、これは投げ銭ですから神様に失礼で、
ご利益は期待できません。やはり、その年の神様と朝祝いを済ませ、神様に失
礼にならない服装に着替え、出かけるべきではないでしょうか。そして、お子
さんにも神前で、静かに頭を下げ、新年の希望や誓いなどをさせましょう。目
に見えない大いなる存在に畏怖を抱くのは、決して悪いことではありません。
親が、きちんと礼拝をする姿を見せれば、それで十分なのです。
 
「我々日本人は畏怖することを忘れ、目に見えないものを敬うことを忘れ始め
たような気がしてなりません。
(「平成お徒歩日記」 宮部 みゆき 著 新潮社 刊 P193)
 
神戸で起きた小学生殺人事件の容疑者が逮捕されたときの作者の言葉ですが、
今でも忘れられない一言となっています。傑作だった「模倣犯」で活躍した前
畑滋子が再登場する「楽園」、超能力に興味のある方には見逃せません。「孤
宿の人」の主人公‘ほう’には泣かされました、年甲斐もなく(笑)。目下
「ソロモンの偽証」に取り組んでいます。
    
帰りには、不幸をもたらす悪魔を払う「破魔矢」や、七転び八起きを願う「だ
るま」などの縁起物を買い、そのいわれを話してあげ部屋に飾っておきましょ
う。子どもなりに夢を育てるものです。
 
また、「初日の出」を拝む習慣がありますが、普段でも海上から昇る朝日や夕
焼けの山間に沈む夕日には、何ともいえぬ感動を覚えるものです。ましてや、
その年の初日の出となると感慨もひとしおでしょう。では、「日本でいちばん
最初に初日の出を拝めるのはどこか」ですが、単純に考えると東へ行けば行く
ほど早くなるように思われますが、高い所へ登れば登るほど見通せますから、
国土全体では日本の最東端にあたる南鳥島、島を除けば富士山頂で、平地では
犬吠崎です。しかし、南鳥島は一般の人は立ち入り禁止で、そこにいる防衛庁
と気象庁の職員しか拝めませんし、富士山頂は氷点下何十度という所ですから、
一般の人は無理ということで、正解は小笠原諸島の乳房山で、何と1月1日が
海開きに当たり海水浴も楽しめるそうです。
 
ところで、ジャズのスタンダード・ナンバーに
「The world is waiting for the sunrise」
(世界は日の出を待っている)があります。といっても、アメリカ人に「太陽
遥拝」の信仰があるかといったことではなく、第一次世界大戦後の不況から脱
出したい願いをこめて作られた曲です。ジャズの演奏スタイルは、時代と共に
変わりましたが、大雑把に分けるとデキシーランド、スイング、モダンの3つ
があり、デキシーランドには、ニューオーリンズ派とシカゴ派があります。ニ
ューオーリンズ派の名クラリネット奏者、ジョージ・ルイスの率いるバンドが、
オハイオ州立大学で行ったコンサートの中に、この曲の名演奏が入っています。
バンジョーの名手、ローレンス・マレロが、正確無比なビートで、最高にスイ
ングするソロを聴かせてくれます。沈んだ夕日が昇ってくるのではと思うほど
アグレッシブ、攻撃的な演奏で、音はよくありませんが、いつ聴いても感動を
新たにさせてくれる、ご機嫌な演奏です。私の正月は、これを聞くことから始
まります。
話は変わりますが、ジョージ・ルイスのすばらしい音色を絶賛したのが、前衛
ジャズの大御所、サックス奏者のジョン・コルトレインでした。音楽に新しい
古いはないと思います、自前の感性に訴えるものがあれば、いいのですから。
私はドラムを少しやっていますが、学生時代、ある黒人ドラム奏者に、「なぜ、
そんなにスイング出来るのですか」とあほみたいな質問をしたところ、「なぜ、
あなた方は、フォークソング(民謡)をあんなにうまく歌え、踊れるのか」と
言われ、ジャズのリズム(4ビート 若い皆さんが乗れるリズムは8ビート)
に抱いていた劣等感を拭い去ることが出来たような気がしました。それぞれの
民族は、長い時空を経て培われたリズム感があるということです。それから、
下手の横好きですが、私流のリズムを刻むことを覚えました。
 
平成19年の暮れ、体力の限界を感じバンドを解散しました。何と47年間も
やっていた、とてつもない道楽でしたが、演奏の醍醐味を忘れることが出来ず、
また23年から始めてしまい、24年11月の「新宿ジャズ祭り」で、普段は
プロしか演奏しないライブハウス、ピットインでトリを取ってしまいました 
(笑) 。 再びトリを目指して頑張る予定でしたが、25年9月にバンドリーダ
ーの丸山が亡くなり実現しませんでした。彼とは53年来の付き合いで、彼が
いたからジャズの醍醐味を味わうことが出来たと感謝しています。昨年は5月
に、演奏会の度に香港から駆けつけてくれたバンジョーの名手、菅原さんが、
ご自分のバンドを率いて「春の新宿ジャズ祭り」に来日した折、ドラムの方が
参加出来ず、ピンチヒッターでお手伝いさせてもらいました。かなりのテクニ
シャンのある外人の方が3名いて、緊張している私に、「ジャズは自分で楽し
むものだよ!」とまたしても教えられ、楽しいひと時を過ごせました。しかも、
これは偶然だったのですが、会場も、時間も、丸山と最後の演奏となった時と
全く同じで、追悼演奏が出来たと感無量でした。(涙)
 
★★正月の遊び★★
たこ上げ、羽根つき、カルタにすご六、福笑いが、正月の遊びの定番でした。
今の子どもは、やらないでしょう。テレビゲームやDSのようなポータブルゲ
ーム等、一人で遊べるゲームに人気があります。これが問題ではないでしょう
か。小学校時代に友達と遊ぶことの楽しさを覚えないと、社会性は育ちません。
社会性が育たないと、共に生きる共生の心も育まれません。人は一人では生き
られないことを、もっと教える必要があります。個性を育てるのとわがままを
助長するのは、紙一重の差です。我慢をすることのできない子が増えています。
「訓練されていない個性は野性である」と国府台女子学院の平田学院長はおっ
しゃっていますが、勘違いすると後で困るのは、お子さん自身であることを真
剣に考えましょう。
 
ところで、昔の遊びの中にもいいものもあります。例えば、すご六です。サイ
コロを振り、出た目だけ動かなければなりません。しかも前後左右に進んだり
戻ったりしますから、混乱しがちです。5、6歳の子にとって、出た数だけ上
下、左右に移動するのは難しいものです。いわゆる「位置の確認」で、こうい
う遊びで覚えるのが効果的なのですが……。
 
このサイコロですが、2つ使うと最高12までの足し算ができます。二人で1
個ずつ振り、数の大きさで勝ち負けを競えば、引き算になります。数字を使い
ませんが、出た目を数えるだけで、簡単に答えが出ます。その上をいく優れ物
が、トランプです。ゲームは勝敗が伴いますから、真剣に遊びます。カードに
はマークと数字がありますから、算数の学習、数感の学習になっています。
 
トランプの絵札は、11はJ、12はQ、13はKとアルファベットで表され
ています。
Kはキングで王様、Qはクイーンで女王様ですが、Jは何を表しているかご存
じですか。
Jは「ジャック」という人名の頭文字からとったもので、イギリスでは、ごく
ありふれた名前の代名詞として使われ、日本でいえば「太郎」にあたり、よく
耳にする名前を付けることで、名もない一兵士を象徴させているのです。4つ
のマークは、ハートは僧侶、スペードは軍人、ダイヤは商人、クラブは農民と
身分階級を表していますが、何事も訳ありなのですね。ところで、中学生にな
り英語を習ったときの教材は「JACK AND BETTY」でしたが、べ
ティは「花子」にあたるのでしょうか(笑)。
 
★★春の七草★★
言葉だけが、一人歩きしているようです。
七草は、せり、なずな、御形(ごぎょう 母子草)、はこべら(はこべ)、仏
の座(たびら子の別称)、すずな(かぶ あおな)、すずしろ(大根 鏡草)
のことです。昔は、春を告げる七草を親子で摘み、お節料理やお餅を食べすぎ
て、お腹の調子が少し悪くなった時に、消化のよいお粥に七草を入れて食べ、
春を実感していたのでしょう。ちなみに、セリは解毒・食欲増進・神経痛・リ
ュウマチに、なずなは高血圧・貧血・食欲増進に、御形は咳止め・痰切り・利
尿作用に、はこべらは歯槽膿漏・催乳・健胃整腸に、仏の座は体質改善に、す
ずな、すずしろは骨粗鬆症・腸内環境改善に良いという説があるそうです。
(三島函南農業協同組合「七草がゆセット」のしおり より)
 
この七草に関して、覚えやすい歌があります。
  せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、
すずな、すずしろ、これぞ七草      左大臣 四辻 善成(平安時代)
 
最後に、おもしろい話を紹介しましょう。間違って使われる言葉に「千六本」が
ありますが、永田先生でなくても笑えますね。
 
大根は、野菜の王様で消化によく、食べあたりしない。大根役者とは、当たらな
い役者のことである。「千六本」というのは、大根を細長く刻んだものであるが、
大根を中国では「繊蘿蔔」といい、これを唐宋音でローポと発音した。細長く刻
んだ大根=繊蘿蔔(センローポ)が日本でセンロッポンと訛って千六本と書いた。
千という字によって「たくさんの」という意味を感じて細かく切り刻んでしまう人
もいれば、「人参を千六本に切って」などと料理教室で教える先生もいる。六本と
いうのをどう解釈しているのかと考えると、ふきだしたくなる。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P35)
(次回は、「1月に読んであげたい本」についてお話ししましょう)
 

1

« 2016保護者: 2015年1月 | メインページ | アーカイブ | 2016保護者: 2015年3月 »

このページのトップへ

テスト案内 資料請求