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めぇでるコラム : 2016保護者: 2015年1月

2016さわやかお受験のススメ<保護者編>★★第3章(1)何といっても正月ですね 睦月

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
             -第10号-
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第3章(1)何といっても正月ですね 睦月
 
物の本によれば、睦月(むつき)のいわれには、正月は身分の上下、老若男女、
分け隔てなく行き来し、親族一同、仲よく「睦み合う」という説が有力だそうで、
その他にも「元つ月」、草木が萌えいずる「萌(もゆ)月」、春陽が発生する
「生む月」、稲の実を初めて水に浸す「実(み)月」なのだとする説もあるよう
です。
 
    お正月の歌
       もういくつ寝るとお正月   お正月には凧あげて
       こまを回して遊びましょう  早く来い来いお正月
 
正月になるとこの歌を思い出します。子どもの頃の思い出といえば、正月にま
さるものはなかったですね。恥ずかしい話ですが、お餅を食べられるのとお年
玉を貰えるからでした。今と違い餅は正月しか食べませんでしたし、小遣いと
なると現代っ子のように毎月貰えるものではなく、正月や祭りの時だけでした
から、本当に待ち遠しかったものです。クリスマスを待つ心境と同じではなか
ったでしょうか。
ところで、この歌の作曲者はどなただと思いますか。瀧廉太郎です。童謡や唱
歌には素晴らしいものがたくさんあります。お子さんと一緒に歌うべきだと思
いますね。幼児期の思い出は、こういった歌からも残っていくものではないで
しょうか。
 
さて、元日の朝ですが、いつもの朝と違い「特別な朝」という感じがしたもの
です。いつもと変わらない朝ですが、元日の朝だけは別です。なぜか、天気は
よくて、大雪とか氷雨といった経験はほとんどありません。もっとも瀬戸内海
と東京にしか住んだことがないからかもしれませんが、毎年、いかにも新しい
神さまがいらっしゃった朝という気持ちになったものです。元日は、その年の
神さまがやってきて、前の年の神さまと交代する日でした。ですから、神さま
を中心に生活が営まれていた時代には、「おめでとうございます」と言ってい
たのは、人間同士が「新年あけましておめでとうございます」と挨拶をするの
ではなく、新しい神さまを迎える言葉として使っていたそうです。ですから、
「あけおめ」などという言葉を聞くと「なんと不謹慎なことよ!」と腹が立ち
ますね(笑)。門松、しめ飾り、鏡餅、そしておせち料理も、みんな神さまをお
迎えするセレモニーに必要なものだったのです。中には何やら語呂合わせのようなものもありますが、「これはすごい!」思わ
ず膝を叩きたくなるのもあります。
 
★★正月の三点セット★★  
◇しめ飾り◇                     
門松もそうですが、今はあまり飾らなくなりました。マンションでは、玄関と
いっても建物の中ですから、何かおかしな感じがします。やはり、冷たい北風
が吹きよせる玄関でなければ、さまになりません。本来、しめ縄は、神前など
神聖なものと不浄なものとの境界線を示すために張る縄のことで、わらを左捻
りにして、三筋、五筋、七筋と順々にひねり垂らし、その間に四手を下げたも
のです。四手とは、横綱の化粧まわしの上にしめられた綱にさがっている、あ
れです。地方によっては、えびや橙(だいだい)を一緒に飾った豪華版もあり
ます。   
わらは、稲や麦の茎を干したものです。それで作ったしめ飾りで神様を迎える
のも、何やら意味あり気です。農耕民族の生活の基盤は米ですからわかるよう
な気がしませんか。
このわらで、いろいろな物を作っていたもので、子どもの頃は、わらじをはい
ていました。
時代劇を見ると、みんなはいているのは、わらじか下駄です。わらじの材料は、
このわらです。昔の人は、資源を無駄にしませんでした。逆かもしれません、
資源が貧しかったから大切に使ったのでしょう。
 
えびは「海老」とも書きますが、文字、そのものが「海のご隠居さん」です。
体が曲がっている姿から、お年寄りにたとえて、長寿を祈願したものです。こ
れが漢字の楽しいところでしょう、何となくイメージが浮かんできます。横文
字にもあるのでしょうか。“LOBSTER”と書かれていても、日本人であ
る私には、何のイメージもわきませんが、字の並びに何か意味があるのでしょ
うか。
 
橙は、一家の幸せが、「代々」続いて欲しいという語呂合わせです。神様を迎
えるしめ縄に、いろいろとお願いするのですから、頼まれる神様も大変です。
                           
◇門 松◇                     
門松の方が、まだ受け継がれているかもしれません。しかし、庶民派の門松は、
松だけです。銀行やデパート、大きな会社の入り口には、立派な門松が飾られ
ています。松竹梅、何やらのどがなりそうですが、お酒ではありません。松と
竹と梅のことですね。
これも当然、意味ありでしょう。          
                           
松は常緑樹ですから、葉は一年中、青色で冬の寒さをものともしません。    
竹は真っすぐ伸びていきますから、横道にそれない芯の強さがあります。雪の
日など、他の木は雪の重みで折れがちですが、竹はしなります。しなって頑張
りますから、雪の方が我慢できずに滑り落ちます。二枚腰のお相撲さんの、見
事なうっちゃりのようです。
まだあります、「かぐや姫」の生れ故郷は竹の中、空っぽです。「竹を割った
ような性格」、曲がったことが嫌い、生一本のシンボルです。      
最後は梅です。北風が吹き荒れ、他の木々は葉っぱを落としいかにも寒そうで
すが、梅は頑張って小さな花をリンと咲かせ、「春近し」を告げています。春
告鳥と書いて「うぐいす」ですから、春告花で「うめ」はどうでしょうか。木
偏に春と書いて「うめ」と読みたいですが、椿で先輩がいるからだめですね。    
この椿ですが侍の家では嫌われていたようです。何しろ散りぎわがよくありま
せん。花が枯れ切って散るのではなく、大きな花がポトリと落ちますから、首
が落ちるように見えるらしいのです。お侍さんの首が落ちるのは、切腹のとき
ですから縁起が悪いので、正月には向かないのでしょうか。しかし、茶室で見
た一輪挿しの椿は、和敬静寂の雰囲気を見事にかもし出していましたが、これ
は素晴らしかったですね。        
 
「和敬静寂」は千利休の言葉で、和して敬すると誰の心も清々しくなります。
そしてそこには、心の寂けさが生まれます。寂とは淋しいものではなく、あた
たかな静けさなのです。そうした心境になれば、煩悩が静められ、知恵が生ま
れてくるのです。そこで「和敬静寂」が禅のこころといわれ、茶のこころとい
われるようになりました。
(「命のことば」 瀬戸内寂聴さんの著から
 利休の茶室日記 gooブログより)
 
ところで、利休の命名は、「名利共に休す、名誉も利益も求めない」という禅
語からとったものと言われていますが、墓所はどこにあるかといえば、何と織
田信長の菩提寺である大徳寺の隣にある聚光院なのです。大徳寺の山門を寄付
したのは利休で、そのお礼に寺側が利休の木像を掲げたことが秀吉の逆鱗に触
れ切腹を命じられました。年は利休が上ですが、茶道では信長の弟子で、隣同
士で眠っていることは、あまり知られていないのではないでしょうか。
 
それはともかくとして、松竹梅、語呂もいいですね。この縁起ものの三つを玄
関に飾り、神様を迎えたのです。年神様がいらっしゃってくださるときに、確
実に、我が家に来ていただくための道標、表札の役をしていたのではないでし
ょうか。お盆のときも同じことをしています。きゅうりの馬となすで作った牛
ですね。正月は神様を、盆には仏様を迎えるための行事ですが、季節折々の花
や農作物を供えるところからも、農耕民族であることがわかります。
何かにつけて、事の起こりは中国ではないかと考えますが、松竹梅も、厳しい
冬を堪えて生きるみやびやかな木、「厳冬の三友」といわれ、それが日本に伝
わり、「長寿・節操・清廉」などの解釈を加え、めでたいもののシンボルとな
ったのです。いや、それだけでは終わりません。後程、紹介しますが、あっと
驚く秘密が隠されているではありませんか。
 
◇鏡 餅◇
鏡餅は、その年の神様からいただいた、新しい魂を表したものです。丸い形は、
角を立てないように、みんなで仲良く暮らそうという意味が込められています。
お飾りは、橙と海老、ゆずり葉、昆布、勝栗、干柿、扇など、地方によって多
種多彩ですが、橙、ゆずり葉、昆布などが一般的でしょう。それに裏白も使わ
れています。ところで、なぜ、裏白なのでしょうか。お飾りにも、それぞれ意味ありなので
す。橙は長寿、裏白は葉の裏側が白いしだ類(わらび、ぜんまいの仲間)で、
うしろ暗いところがなく、清らかで汚れのない心を表し、ゆずり葉は新しい葉
が出てから古い葉が落ちることから「譲り葉」、家督を子孫に譲るのを祝う意
味があるのです。 
 
★★松竹梅に隠された秘密★★
何やら週刊誌の見出し風ですが、文句なしにすごい秘密が隠されているのです。
初めて読んだときの驚きといったらありませんでした。少し長くなりますが、
紹介しましょう。
 
陰陽の立場から松竹梅をみると、松は陽、竹も陽、そして梅は陰である。松竹
梅は陰と陽が相まって完全な世界を構成するという哲理にもかなっているわけ
である。さらに、植物学の上から考えると、松竹梅が植物界を代表しているこ
とが知られている。植物を分類すると、顕花植物と隠花植物に分けられ、顕花
植物は裸子植物と被子植物から成り立っている。さらに被子植物は、単子葉類
と双子葉類に分類される。ところで、松は種子を裸にしているので裸子植物で
あり、竹は種子が実の中にあって、しかも子葉が一枚しかないので、被子植物
の単子葉類、梅も被子植物であるが子葉を二枚持っているので双子葉類という
わけで、松竹梅が顕花植物の典型的な代表例となっている。このすばらしい事
実を古代人が知っていたのであろうか。松竹梅の意義の深さに、めでたいとい
うことよりも、頭の下がる思いがする。
ついでに隠花植物について述べると、その代表として、正月飾りとしてすでに
述べた裏白をその代表にあげることができる。こうして松竹梅と裏白とで植物
界をおおうことによって、正月をより意義のあるものにすることができるとい
うわけである。
 
 ■植 物 界■ 
◆花が咲き実を結び種を作る(顕花植物)
     種が裸のもの  (裸子植物)………………………………… 松 
     種が実の中のもの(被子植物) 葉が一枚(単子葉類)…… 竹 
                    が二枚(双子葉類)……  梅
◆花は咲かせず胞子で増える(隠花植物)………………………  裏白 
 
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P28-29)
 
いかがでしょうか。先生の書かれた図を参考に、わたし流に書き加えると以下
のようになります。植物には、梅、桜のように種を作るものと、コケやシダの
ように花を咲かせないで胞子でふえるものがあります。種には、竹や梅のよう
に種が実の中に包まれているものと、松、銀杏(いちょう)、蘇鉄(そてつ)のよ
うに種が裸のままのものがあります。種が実の中にあるものをまくと、芽を出
した時に最初に出る葉が、一枚のものと二枚のものとあります。
松竹梅というと、お寿司屋さんなどでは、上中並と同じように値段を表すのに
使っていますが、実は、こういう素晴らしい意味があるのです。本当に不思議
です。「なるほど!」と納得するばかりではなく、感動しませんか。昔から受
け継がれているものには、それなりの意味があるわけです。また、こういった
ことを科学的に実証する先生がいらっしゃったのも、頼もしい限りではありま
せんか。
 
★★正月の食べ物★★
正月の食べ物というと、雑煮とお節料理でした。しかし、現代っ子は、雑煮や
お節料理を食べているでしょうか。先にもお話ししましたが私の子どもの頃は、
餅は正月しか食べられませんでしたから、楽しみであり、しかもご馳走でした。
今は、一年中、売っていますし、いつでも食べられますから、魅力の点で引き
つける力がないのでしょう。餅も季節感を奪われてしまった被害者です。非常
食としても優れものですけれど。
 
◇雑 煮◇
雑煮は、大晦日の夜に、神様をお迎えするためにお供えをした食べ物を、神様
と一緒に食べ、神様の力を授かる食べ物です。雑煮は、いろいろな具を入れ、
一緒に煮込んだものですが、必ず、青い葉っぱを入れるのが作法、決まりです。
この青い葉っぱが、子どもに嫌われるのではないでしょうか。しかし、これに
もきちんとした意味があるのです。「葉っぱを入れる」「菜を入れる」から
「名をあげる」「成功して名前が知られるようになる」に通じますから、青い
葉っぱを入れるのだそうです。
 
餅は本来、丸いものですが、東日本では四角に切った切り餅を、関西では丸い
餅を使っています。さらに、雑煮の作り方ですが、東京では、餅を焼いてから
椀に入れ、具や汁を入れますが、大阪では、ゆでてから椀に入れます。私は父
が関西の出身でしたから、ゆでるのに慣れていますが、焼いてから食べるのも
香ばしくておいしいものです。
 
雑煮については、織田信長に面白い逸話が残されています。ある年の元日の朝、
信長の雑煮の膳に、箸が片方しか添えられていなかったのです。あの短気な信
長のことですから、平穏に収まるわけがありません。しかし、怒り心頭に発し
た信長を、木下藤吉郎(後の太閤秀吉)が、「今年から諸国をかたはし取りにさ
れる吉兆でございます」と言い換え、ご機嫌が直ったそうです。そう言えば、
曽呂利新左衛門のとんち話(傑作な話がたくさんありますから、読んであげた
い本の一つです)の中に、病気見舞いに送られてきた松竹梅の盆栽が枯れたの
を見て落胆した秀吉を、新左衛門の機知で吉報に変えてしまう話があります。
世の中、めぐり合わせですね。
 
(次回は、「正月の食べ物」他についてお話しましょう)
 

2016さわやかお受験のススメ<保護者編>★★第2章(4)12月に読んであげたい本

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
             -第9号-
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第2章(4)12月に読んであげたい本
 
明けましておめでとうございます。
今年もご愛読の程よろしくお願い致します。
 
【十二月に読んであげたい本】
神さまの交代する月ですから、神さまの話が多いですね。あまりにも、たくさ
んあるので困りますが、これなどちょっと恐くて、面白いです。
      
◆おぶさりてえのおばけ◆
むかし、あるところに、正直で働き者の、じいと、ばあがいました。
二人は懸命に働きましたが、暮らしは楽になりません。
ある年越しの晩のことです。
寝ようとしたとき、裏山から重っ苦しく、「おぶさりてえ!」と叫ぶ声が聞こ
えたので、ばあが、「様子を見てきてくれ」というと、じいは、嫌だと布団に
もぐりこんでしまうのです。
声は、夜中になっても止めようとしません。
「『おぶさりてえ!』といっているから、おぶってやったらどうか」と、ばあ
がいうものだから、帯を持って出かけました。
山道を登って行くと、あの声がぴたりと止み、突然、そばの杉の木の天辺から、
「おぶさりてえっ!」
と、大声がしたので、じいは、頭をかかえて座りこんだのです。
すると、背中に、ずしんとおぶさってきたものがあり、おぶわれたきり、もう
何もいいません。
何とか庭までたどり着き、降ろそうとしますが、離れません。
台所でも、座敷でも、降りないので、「降ろしてくれ」と、ばあに声をかけま
した。
ばあが見ると、背中にのっているのは大きな石なので、あきれて背中に手をか
けると、自分から落ちたのです。
「この石は、おらたちの家に来たかったのだろう。家宝にしよう」と、二人で
床の間に運び、安心して寝てしまいました。
次の朝、その石はたくさんの大判小判に変わり、お金持ちになって、いい年越
しをしたのでした。
 世界のメルヘン 22 日本のむかしばなし 
   つるのよめさま  松谷みよ子・水谷章三 講談社 刊
 
これも、おかしな話です。普通は、福の神は歓迎されるはずですが、何と逆に
なるのです。
福の神にとっては初体験、その顔を思い浮べると、吹き出したくなります。
 
◆びんぼう神とふくの神◆   望月 新三郎 著
とんとむかし、あるところに、働き者のおやじとかかがいました。
朝早くから夜遅くまで働いたので、暮らしは次第によくなってきたのです。
ある年越しの晩、二人で正月の支度をしていると、泣き声がしたので、おやじ
が押し入れを開けると、ぼろを着た、やせたじじいが転げ出てきたのでした。
これが貧乏神で、「お前たちは働き者だから、福の神が来るので出ていかなけ
ればならない。それが悲しくて泣いているのだ」というのです。
「長年、おらの家に住んだ仲だから、福の神が来たら、追っ払ってしまえ」と
励まされたのです。
「貧乏神、早く出ていけ!」と福の神がやって来ました。
「しっかりと追い出せ!」と、二人の励ます声に、元気になった貧乏神、勢い
よく組みつきましたが、福の神は、びくともせず、貧乏神は押されるばかりで
す。
すると二人は、貧乏神の後から押しはじめました。
これには福の神もたまらず、引っ繰り返され、「福の神を追い出す家など初め
てだ!」と逃げ出しました。
戸口の前に打出の小槌が落ちていたので、貧乏神が拾い、「米、出ろ! 金、
出ろ!」とふると、米や小判が、たくさん出てきたのです。
それからというもの貧乏神は、福の神のようになり、いつまでも、この家で暮
らしたのでした。         
 日本むかしばなし 2
  子どものすきな神さま 民話の研究会 編 巽 弘一 絵
    ポプラ社 刊
 
12月といえば、私には忘れられない歴史的な事件、といってもかなり脚色さ
れた話になっていますが、四十七名の赤穂浪士が、主君、浅野内匠頭(たくみ
のかみ)の仇を討った「忠臣蔵」があります。
8月に出てきますが、広島に原子爆弾が落とされた時、岡山と兵庫の県境にあ
る赤穂市に住んでいたせいもあるかもしれません。
戦前は、小さな子どもでも知っていた話ですが、今はどうでしょうか。
こんな話が残されています。
 
◆キツネも喜んだ討ち入り◆
京都の紫野の南に、狐の霊を祭る小さな社があり、「忠臣蔵」で知られる兵庫
県の赤穂の殿様、浅野内匠頭(たくみのかみ)が建てたもので、浅野神社ともい
われています。殿様の恨みを果たそうと、家老、大石内蔵助(くらのすけ)以
下、四十七名の浪士が、江戸の本所松坂町にあった吉良上野介(こうずけのす
け)の屋敷に討ち入り、仇をとったのは、1720年(元禄15年)の12月
14日の夜でした。
同じ日の深夜、浅野神社の境内に数百人の人々が集まり、にぎやかな踊りが始
まったのです。
「こんな夜更けに何事か!」と近くに住む人々は驚いて神社まで行って見ると、
数え切れないほどのキツネ達が、社を取り巻き、後ろ足で立ち上がりながら、
前足を手のように打ち振り、踊り狂っていたのです。
家を飛び出してきた人々は、びっくりしてしまいました。 浪士が討ち入りを
果たした事件が京に伝えられたのは、三日後のことです。それなのに、同じ日
の夜に、何百キロも離れた京のキツネ達は、霊力でそれを知って喜び、踊って
いたのです。
「キツネというのは、本当に魔物じゃ。不思議なことじゃのう……」
キツネ達の踊りを見た人々は、後にそういって、キツネの霊力に感心したとい
う話です。
(「雪窓夜話抄 上野 忠親 著」
  必ずその日のお話がある  365のむかし話  
   谷 真介 編・著 講談社 刊)
 
当日、雪が降っていたかどうかわかりませんが、14日ですから満月であった
ことは確かです。今読んでいる井沢元彦氏の「逆説の日本史 全17巻」の受け
売りですが、本能寺の変が起きた天正10(1582)年6月2日は月の姿は
ない闇夜で、そのために隠密に行動でき成功したとありますが、月の運行の様
子から遠い昔の事件の夜空を想像できるとは知りませんでした。(笑)  
 
最後は、どうしても、この話に出てもらわなければ、おさまりがつきません。
おじいさんが、笠を売りに行ったものの、まったく売れなくて、お地蔵様にか
ぶせてあげる話が多いのですが、私は、この話が好きです。おじいさんの見返
りを求めない無償の奉仕に、お地蔵様が応えてあげるのがいいですね。こうい
うことって、ありそうでないのが現実ですが、あってほしいと願う、庶民の素
朴な望みです。
育児も同じです。「あなたのために、お母さんはこんなにしてあげたのに…」。
育児は、有償の奉仕ではありません。見返りを期待しはじめると、親子の絆は、
切れがちではないでしょうか。「無償のほほ笑み」は、親の宿命です。みなさ
んのご両親が、そうであったように、巡り合わせです。「子を持って知る親の
恩」と言うではありませんか……。しかし、最近では、早期教育やお受験にか
かわると、「塾に通い始めて忘れる子どもの心」とも言われているようです。
子どもは、決して、断じて、絶対に、お母さんだけの宝物ではありません。
 
◆かさ地蔵◆   浜田 廣介 著
むかしのことです。
ある所に、じいと、ばあが住んでいました。
もうすぐお正月、貧乏でも年越しの晩に魚っ気がなくてはと、じいは、さけの
頭を買いに出かけたのです。
雪が降り、風も吹き始め、道端の六つのお地蔵さんの頭は、雪をかぶって寒そ
うに立っています。
石のお地蔵様でも、かわいそうだと、手でかき落としますが、すぐに積もって
しまいます。
そこで、じいは、町まで急ぎ、さけを買うのは止めてすげ笠を買ったのですが、
お金が足りず、五つしか買えません。
じいは、頭に一つずつ笠をかぶせ、足りない分は、自分の古い笠をかぶせてあ
げたのです。
帰ったじいは、さけを買わない訳を話すと、よいことをしたと、ばあも喜びま
す。
夜が明けると、大晦日。
二人は、麦飯を分け、菜づけに熱いお湯をかけて、塩気をすすって食べ、無病
息災で年を越せるこ
とを感謝し、火箱を抱いて寝床に入ったのです。
すると、どこからともなく、唱える声が近づき、ドシン、ドシンと重い響きが、
枕元まで響いてきました。
二人は恐くなり、布団をかぶって震えていました。
地響きと声は、庭先に入ってきたのです。
何やら話し声がしたかと思うと、かけ声と共に「ドシン!」と大きな音がして、
後は何の音もしません。
眠気も拭き飛んだ二人は、寝床でじっとしていました。
やがて、夜明けを知らせる三番鶏が鳴いたので、じいは戸を開けてみると、大
きな袋が置いてあり、中には金貨と銀貨が、ぎっしりとつまっていたのです。
六人のお地蔵様が、笠のお礼に袋をかつぎ、大地を踏みながら運んできたので
した。
 世界民話の旅 9
 日本民話  浜田 廣介 著 さ・え・ら書房 刊
 
お地蔵さまは、お釈迦さまが入滅後、弥勒菩薩さまが生まれるまでの間、人々
を救済する菩薩さまで、正しくは地蔵菩薩さまといい、仏さまの仲間なのです。
あのやさしいお顔から民間信仰に結びつき、村や子どもなど弱いものを守って
くれると信じられ、村の入口や街道筋などに、たくさん立てられるようになっ
たのでした。
この話に出てくる「六地蔵」とは、
地獄道(地獄で苦しむこと)、
餓鬼道(常に飢餓に苦しむこと)、
畜生道(けだものの姿に生まれて苦しむこと)、
修羅道(争いの絶えない世界で苦しむこと)、
人道(人の踏み行う道を外れて苦しむこと)、
天道(超自然宇宙の道理から外れて苦しむこと)
という六道に迷う人々を救済する願いがこめられているのです。
 
学生時代、京都の浄瑠璃寺へ歩いて行った時、途中の山道でたくさんの石仏と
出会い、感動したことがありました。今は、バスで山門までいけますから、見
過ごすかもしれません。浄瑠璃寺は、薬師仏とそれを祀る何とも素朴ですばら
しい三重塔、横一列に並んでいるどっしりと存在感のある阿弥陀仏九体とその
本堂、宝池を中心とした庭園が、平安時代のまま揃っている唯一の寺で、奈良
にある女人高野と呼ばれていた室生寺と同様、一人で訪ねたい寺です。名刹を
散策するには、晩秋から初冬がいいですね。
(次回は、「何といっても正月ですね」についてお話します)
 

2016さわやかお受験のススメ<保護者編>★★第2章(3) 何といってもクリスマスと大晦日ですね

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
             -第8号-
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第2章(3) 何といってもクリスマスと大晦日ですね
 
 ★★なぜ、大晦日というのですか★★
いよいよ日本のことです。12月31日を、なぜ、大晦日というのでしょうか。
これも訳ありなのです。
 
1年間の最後の日を大晦日(おおみそか)または、大晦(おおつごもり)とも
呼びます。「晦日(みそか)」とは、毎月の末日のことです。一方、「晦(つ
ごもり)」とは、「月の隠れる日」すなわち、「月籠り(つきごもり)」が訛
ったもので、どちらも毎月の末日を指します。“1年の最後の特別な末日”を
表すために、2つの言葉のそれぞれに「大」をつけ、「大晦日」「大晦」とい
います。
〔いろは事典 http://iroha-japan.net/iroha/A01_event/13_omisoka.html〕
 
月の運行状況を思い出してください。太陽と月と地球が一直線になると、月は
地球から見えなくなりますが、この状態から月が始まることから「朔(さく)」
や「新月」といいます。三日ほどすると細い鎌形の月が見え、次第に大きくな
り満月、十五夜となります。そして、次第に小さくなり、やがて見えなくなり
ますが、この状態を「月隠り」といいます。ご存知のように、月が地球を一回
りするには、一ヶ月かかります。ですから、月の始まる新月の状態「朔」を訓
読みして「ついたち」と呼び、また月の始まる「月立ち」が転じて「ついたち」
と呼ぶようになったのです。また、月末は月がこもって晦(くら)いので「晦
日(つごもり)」といいます。
 
太陰太陽暦では、1ヵ月を大の月は30日、小の月は29日と定めていたので、
今のように31日の月はありませんでした。そして、月末を三十日と書いて
「晦日」と呼び、12月31日は、その年最後の月末ということで、「大」を
つけて大晦日となったわけです。そういえば、紙幣の肖像に使われた樋口一葉
の作品に「大つごもり」がありますね。樋口一葉記念館は、台東区竜泉3ー
18ー4にあります。「たけくらべ」の舞台となった竜泉寺町です。興味のあ
る方に、ホームページを紹介しておきましょう。
( http://www.taitocity.net/taito/ichiyo )
ところで、一葉が結婚する相手はどなたであったかご存じでしたか。何と、夏
目漱石なのです。
 
「樋口一葉の父親が夏目漱石の父親と同僚だったために、二人の間で結婚話が
進んでいました。ところが一葉の父親が亡くなり、一葉自身も二十四才で亡く
なったため、この話は立ち消えとなったそうです。(中略)もし、夏目漱石と
樋口一葉が結婚していたら、どんなに文才のある子が生まれていたことでしょ
うか」
 (「つい他人に自慢したくなる無敵の雑学」 
   なるほど倶楽部 編 角川書店 刊 P182)
★★一家総出の大掃除★★
これは、私の記憶にも、しっかりと残っています。大晦日は、新しい年へ続く
大切な日ですから、お正月の神様を、ご先祖様と一緒に迎えるために、まず、
神棚と仏壇をきれいにしました。家の中や外も、掃除したものです、しかも雑
巾掛けです。私の役目は、外の手の届くところでした。冬の寒い時期です、手
なんか真っ赤になって、ズキン、ズキンと痛くなりますし、ズルズルと鼻水の
出る、きつい仕事でした。現代風の建物と違って木造です。障子は紙ですから、
水をかけて洗うわけにはいかないのです。
 
そして、今、考えると大変だったと思うことがあります。 昔は、煮炊きは薪
(まき)でした。煙は煙突から外に出るようになっていますが、燃えたときに
出る煤(すす)が、どこからともなく侵入して、部屋を、かすかに汚すのです。
昔は、電気掃除機などありませんでしたから、はたきと雑巾で、本当にこまめ
に掃除をしているのですが、この煤ばかりは、さすがの母もてこずっていまし
た。それで「煤払い」といって、竹竿の先にわらを縛りつけ、それで、日頃は
手の届かないところまで、煤やほこりを取ったのです。とにかく普段、手をつ
けない所まで徹底的に掃除をし、正月の三日間は何もしません。ほうきで畳を
掃くと、「福を掃く、福が逃げる」といって、嫌ったものです。ですから、大
晦日は掃除納めでもあったのです。今は、元日でも掃除をしています。しかし、
電気掃除機は掃くのではなく吸い集めますから、「福を集める」でいいのかも
しれません。もっとも、こんなことを気にするのは、年寄りだけでしょうね。
 
★★なぜ、大晦日にそばを食べるのですか★★
大晦日に食べるから、「年越しそば」です。私はそば好きですから、年中、食
べていますが、大晦日のそばは、特別な趣があります。「細く、長く、来年も
幸せを、そばからかき入れる」といわれています。昔は引っ越ししたときに、
ご近所に「末長く、よろしく頼みます」と気持ちをこめて、そばを配ったもの
でした。また、そばは切れやすいことから、「一年分の苦労や災いを切り捨て
る願い」もこめられていました。「細く、長く、切り捨てる」と縁起をかつい
でのことと思っていましたら、これも訳ありでした。昔、金を使い細かいもの
を作っていた職人さんを金箔師といいますが、仕事場を掃除する時に、そばの
だんごで、畳のへりや透き間を叩いて、飛び散った金箔を集めたそうです。そ
こから、「そばは、金を集めて縁起がよい、そばで金を集める」という縁起と
なって、来年もお金がもうかることを願い、そばを食べるようになり、江戸中
期から始まった習わしといわれています。
そばの味を引立てる薬味に欠かせないのが葱(ねぎ)ですが、これにも面白い
いわれがあります。
 
葱(ねぎ)は、心を和らげる意味の「労(ね)ぐ」に通じて、それが祓い浄め
る神職「禰宜(ねぎ)」ともなって、今年の汚れを払いぬぐって心安らかに新
しい年を迎えようという、語呂合わせでもある。また、年越しそばを食べ残す
と、来年の小遣い銭にこと欠くともいわれている。    
 〔年中行事を「科学」する P251 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
年越しそばを食べ残す話は、お雛さまを長く飾っておくと、お嫁に行きそびれ
るのと同じ縁起かつぎです。しかし、現代っ子は、年越しそばを食べています
かね。ラーメンやスパゲッティの方が好まれているのではないでしょうか。大
晦日にラーメン、何となくそぐわないし、寂しい気持ちになりますね。行列が
できるようになると困りますから紹介しませんが、私の教室のある本八幡には、
とてもおいしい、小さな蕎麦屋さんがあります(笑)。 年越しそばを食べる
と、いつもは寝る時間ですが、この日だけは、起きていても怒られません。こ
れは、長く起きていれば起きているほど長生きできるということで、眠りたが
る子どもまで、無理に起こしたものです。
 
当時の遊びは、カルタ、すごろく、トランプでしたね。「ババ抜き」や「7並
べ」、「神経衰弱」などをやっていたと思います。相手がいる遊びですから、
負けてはなるものかと真剣に戦っていました。
現代っ子は、一人でゲームをする機会が多すぎませんか。ゲームの結果に一喜
一憂する相手がいるからゲームが成り立ち、自分が負けていても止めるわけに
はいきません。ましてや、リセットボタンを押して、再戦などもできません。
「勝っても負けてもみんなで楽しむ」、これも大切ではないでしょうか。負け
が続いて悔しがると、適当に手を抜いて勝たせてくれた母を思い出します。
(感謝)
 
また、これは、よく覚えていますが、大晦日の11時50分ごろから風呂に入
り、除夜の鐘が鳴り終わると、12時を過ぎたことになりますから、「2年間、
風呂に入っていた!」などと喜んでいたものです。何といっても子どもですか
ら、普段は、12時過ぎまで起きていることはありません。起きていられたこ
とが、子ども同士の自慢の種になるのです。若い衆、ほとんどお百姓さんでし
たが、「夜明し」といって、お酒や肴を持ち寄り、一晩中、語り合うのを楽し
みにしていたようです。残念ながら、私がその年齢になった時は、そういう習
慣は無くなっていました。
 
★★除夜の鐘の意味★★
除夜とは、「古い年が押し退けられる夜」の意味で、大晦日の晩です。行く年、
来る年も、除夜の鐘が鳴らなくては決まりがつきませんが、これにもいろいろ
とわけありです。
 
「除夜の鐘は煩悩を解脱し、罪業の消滅を祈って百八回つくとされ、中国では
宋の時代から始まった。日本では鎌倉時代に禅寺で朝夕行われていたが、室町
時代からは大晦日だけつくようになった」
 (年中行事を「科学」する P251 )
 
私の子どもの頃は、夕方の鐘が、門限時間でした。なぜか、お寺の鐘というと、
「烏の鳴き声」「山に沈むお日様」「夕焼け」の3つが浮かんできます。童謡
「夕焼け小焼け」の世界です。
   
夕焼け小焼け
作詞 中村雨紅  作曲 草川 信
一 夕焼け小焼けで日が暮れて    山のお寺の鐘がなる
  お手てつないでみなかえろ    烏といっしょにかえりましょう
 
二 子供がかえったあとからは      まるい大きなお月さま
  小鳥が夢を見るころは        空にはきらきら金の星
 
私の住んでいる川越では、冬の間、午後4時になると、このメロディが流れて
きます。天気がよければ、真っ赤に染まった西の空に雪をいただいた富士山が
見え、やがて薄墨を流したような夕闇が空を覆い、宵の明星が輝きを増してき
ます。いつ見ても飽きない日本の素晴らしい夕暮れです。
 
話を戻しまして、百八つの鐘のつき方ですが、きちんとした決まりがあるので
す。
 
「五十四声は弱く、五十四声は強く打つ百八回の鐘は、百八つの煩悩を洗い清
めるためである。百七つ目は最後の宣命といい、ゆく年の最後に鳴らして煩悩
が去ったことを宣言し、百八つ目は、最初の警策といい、来る年の最初につい
て、新たなる年を迎えるにあたって煩悩に惑わされぬよう、眠りを覚ますとい
われる」       (年中行事を「科学」する P251)
 
宣命とは、宣命体で書かれた天皇の命令のことであり、警策とは、禅寺で座禅
の時に、ピシッと肩を打ち据える、あの棒状の板のことですから、決意の程が
わかります。
 
ところで、鐘の音の数え方、「声」なんですね、知りませんでした。平家一門の
栄華と滅亡を描いた名作「平家物語」、日本人なら学生時代に一度は目にする有
名な序、「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者
必衰の理をあらわす」と「鐘の声」になっています。沙羅双樹の花は、別名ナ
ツツバキといい、夜明けに咲き夕方に散ることから、世の無常の象徴として記
されている白い花で、めったにお目にかかれませんが、この花で知られている
のが、京都市左京区にある妙心寺の塔頭(たっちゅう)山内にある小寺院東林
寺です。私が見たのは樹齢三百年といわれていた古木でしたが、今花を咲かせ
ているのは、二世の若木だそうです。緑の苔の上に散り落ちた白い花とのコン
トラストが鮮やかで、釈迦の教えである「今日すべきことを明日に伸ばさず、
確かにしていくことがよき一日を生きる道である」を、身をもって示している
雰囲気があり、一見の価値はあります。ホームページでも沙羅双樹を見ること
ができますが、毎年6月の中旬から7月の初旬まで「沙羅双樹の花を愛でる会」
として公開されています。妙心寺は大きなお寺で、一度は訪ねておきたい京都
の名刹です。
 
★★百八つの煩悩(ぼんのう)って何ですか★★
人間には、百八つの悩みや欲張りの心があり、これを煩悩と言うのですが、私
たち凡人は悩み多き日々を送るのも当然なのです。
 
「煩悩」とはなんだろう。サンスクリットではクレシャーと言って「心を怪我
しそこなうもの」を意味し、心をわずらわし、身を悩ます心の働きであり、悟
り党最高の目的の実現を妨げるすべての心の働きである。
  (年中行事を「科学」する P251)
 
「お盆の始まり」(7月)で紹介しますが、「子煩悩」という言葉があります。
わが子を並はずれにかわいがることですが、子どもは迷いのもと、苦しみのも
とであって、「子は煩悩のもと」という意味から転化したものだそうです。子
煩悩にはまったお母さん方は、子どもの自立を妨げていることを忘れてはなり
ません。自立心が育まれなければ、自ら取り組む意欲、自発性が育たないから
です。「やるぞ!」といった気力がありませんから、「やった!」という達成
感もありませんし、「次に何をやろうかな?」という関心もありません。無気
力、無感動、無関心、全部「無」です。子どもの成長を支える原動力は意慾で
あり、達成感であり、好奇心です。自立を妨げる育児は、過保護であり過干渉
であることを肝に銘じておきたいものです。
 
煩悩の根源は一般に貪(とん)、瞋(しん)、痴(ち)とされ、これを三毒、
三惑などという。「貪」とは「むさぼり」であり貪欲である。「瞋」とは「目
をむいて怒ること、瞋恚」であり、また嫌悪、悪意でもある。「痴」とは「お
ろか、真実をわきまえない痴愚」である。「痴」はサンスクリットではモーハ
mohaというが、モーハという音が「ばか」となって慕何、莫詞、莫迦などと音
訳され、後には「馬鹿」と当て字で書かれるようになった。
 (年中行事を「科学」する  P252)
 
「貪」は貪欲、「痴」は音痴などでわかりますが、「瞋恚」は難しいですね。
仏教で言う十悪の一つで、自分の心に逆らうものを憎しみ怒ることです。この
三つから解脱できると悟りの境地に至るのでしょうが、やはり凡人には無理な
話です。この「解脱」の「解(げ)」ですが、解熱剤を「かいねつざい」と読
み笑われたことがありましから、解脱などとても出来ない相談ですね(笑)。
参考までに仏教の十悪を紹介しておきましょう。
 ・身の三悪(正行・しょうぎょう 悟りを得るための正しい行い)
殺生(せっしょう)無意味に他人や衆生(生きとしいける一切のもの)の命を
奪うこと。
偸盗(ちゅうとう)盗みのこと。
邪淫(じゃいん)淫らな異性交流のこと。
 ・口の四悪(正語 悟りを得るための言葉の災いの戒め)
     妄語(もうご 嘘をつくこと)
     綺語(きご 奇麗事をいって誤魔化すこと)
     両舌(りょうぜつ 二枚舌を使うこと)
     悪口(あっく 他人の悪口をいうこと)
 ・意の三悪(正思 悟りを得るために邪淫になる欲望)
     貪欲(とんよく 欲深いこと)
     瞋恚(しんい すぐ怒ること)
     愚痴(ぐち 恨んだり妬んだりすること)
(「通信用語等の基礎知識」より)
口の四悪、意の三悪の(  )内の文言は、わたし流の勝手な解釈です、読み流
してください。
では、百八つの悩み、煩悩の正体は何をいうのでしょうか。
 
人間には六根という六つの感覚器官-目・耳・鼻・舌・身・意-を持っていて、
それぞれ六境という六つの対象-色・声・香・味・触・法を理解する。そのと
き三不同-好・平・悪の受け取り方があり、その程度は染・淨の二つに分かれ
る。そのすべてが、過去・現在・未来の三世にわたって、人を煩わし、悩ます
のである。
  6  × 3  × 2 ×  3 =108
(六根) (三不同) (染淨) (三世)  合わせて百八つの煩悩という。
(年中行事を「科学」する P252)
六つの対象の最後の「法」とは、仏教の説いた真理のこと。何だか難しくなっ
てきましたが、わたし流に解釈すると、こういうことではないでしょうか。
「好・平・悪の受け取り方」は、感度良好、普通、感度不良、「染淨」の「染
は物を色水に浸して色を付ける」意味ですから影響を受ける、「淨は水が静か
におさまって濁りがない」ですから影響を受けないことでしょう。まだ、あり
ます。
 
人間の六根には、三不同という好・平・悪の受け取り方の他に、三受という楽・
捨・苦の感じ方があり、そのすべてが過去・現在・未来の三世にわたるので、
 6  × (3 + 3) ×  3 =108
(六根) (三不同) (三受) (三世)  という解釈もある。
(年中行事を「科学」する P253)
またしても、わたし流ですが、三受という楽・捨・苦の感じ方は、楽しむ、感
知せず、苦しむということでしょう。まだ、あります。
 
その他に、1年は12カ月で、1年には二十四節気、七十二候(時節、時期)
があるので、 12+24+72=108として、その時々に人を悩まし迷わ
せるものが合せて百八つの煩悩があるという説がある。
 (年中行事を「科学」する P253)
 
これが分かりやすいですね。二十四節気とは、季節の変わり目を示す春分、夏
至、秋分、冬至などの節分を基準に1年を24等分して15日ごとに分けた季
節で、七十二候は、二十四節気を約5日ずつ3つに分け暑さ、寒さから見た時
節のことです。私たち凡人は、いついかなる時にも煩悩に悩まされる愚かな人
間ということでしょうか。二十四節気については、6月に詳しくお話しします。
 
ところで驚いたことに、「牛に引かれて善光寺参り」でおなじみの善光寺、一
宗一派に拘らずに、全ての人に極楽浄土へ導く教えを説く、日本人的な心の持
ち主であらせられる御本尊、一光三尊阿弥陀如来様を祀る本堂の柱は、何と
108本だそうです。ところで、なぜ、「牛に引かれて善光寺参り」というの
でしょうか。
 
昔、善光寺の近くに住みながら、信仰心など持ち合わせていなかったおばあさ
んが、ある日さらしておいた布を、隣の家の牛が角に引っ掛けて走り出したの
を見て、それを追っていくうちに、いつの間にか善光寺に駆け込み、それが縁
で深く信仰することになったという説話から、「自分の意思からではなく他人
の誘いで、思いがけない結果を得たり、よい方面へ導かれることのたとえ」と
して使われます。       (学習研究社 四字熟語辞典より)
 
さらに驚いたことに、念仏を唱える時に使う数珠ですが、一つ一つは百八つの
煩悩を表し、正式には108個の珠から成り立っているそうです。しかし、皆
さんのお持ちの数珠は、108の半分か四分の一ではないでしょうか。材料は、
モクゲンジの実、サンゴ、水晶ですが、モクゲンジの実から出来ている数珠で、
念仏を20万遍唱えると天界に生まれ、百万遍唱えると極楽に往生するそうで
す。1日1回唱えても1年で365回、これは大変なことですね。
 
先程お話ししました「六根」ですが、六根から起こる欲望を断ち切り清浄にな
ることを「六根清浄(しょうじょう)」と言いますが私にも体験があります。
と言っても禅寺で修行をし、煩悩から解脱したのではありません。昔、親父と
富士山へ登った時、「六根清浄、六根清浄!」と唱えながら頂上を目指したも
のでした。欲望を断ち切り、清らかな気持ちになって登ることでしょう。何し
ろ日本のシンボルでもある「霊峰富士」ですから。しかし、のどは乾き、お腹
はすき、足は棒のようになり、くたびれ果てて苦しかったのですが、頂上へ着
いた時の爽快さ、あれが六根清浄の心境でしょうか。
 
今はNHKの紅白歌合戦の後に、「行く年、くる年」といった番組があり、茶
の間で全国の名鐘の声を聞けるのも有難いことです。本来除夜の鐘は、鐘の声
を聞きながら、今年1年に犯した様々な罪を悔い改め、煩悩を取り除き、清ら
かな心で新年を迎えるためのものでした。外に出ると、月は青白く輝き、あた
りはひっそりと静まり、もの凄く寒かったものでした。大気が汚染されていま
せんから、冷気を妨げるものがなかったのでしょう。そして、音を遮る高層ビ
ルなどありませんでしたから、除夜の鐘の声が遠くからでもはっきりと聞こえ、
子ども心にも何やら心に迫るものがあったと記憶しています。今はどうでしょ
うか。車の音の絶えることもありませんから、静かに、厳かにとはいかないで
しょう。
 
ところで、日本人は不思議な民族なんですね。12月から1月にかけての行事
をみても、クリスマスを祝い、除夜の鐘で煩悩を除き、正月には神社へ初詣を
します。キリスト教、仏教、神道の行事、イヴェントが生活に入り込んでいる
国です。矛盾だらけの日本でも、私はこの国に生まれたことを感謝しています。
この感謝の気持を子ども達に何とか伝えたいのです。力不足でさばききれない
かもしれませんが、こういった形式で進めたいと思います。お父さんもお母さ
んも童心に帰り、行事を昔話を、お子さんと一緒に楽しんでください。そして、
受け継がれてきた日本の文化を伝えてあげましょう。そこから家庭の文化は生
まれます。大切な、大切な心の教育は、ご家庭で作り上げた文化に礎があり、
そこから生まれてくるものだと私は確信しています。第三者にゆだねて身につ
くものではありません。
 (次回は「12月に読んだあげたい本」についてお話ししましょう)
 
今回が今年最後の配信になります。来年もよろしくお願いします。
よいお年をお迎えください。
めぇでる教育研究所
所長  藤本 紀元

2016さわやかお受験のススメ<保護者編>★★第2章 (2)何といってもクリスマスと大晦日ですね 師走

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2016さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
             -第7号-
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第2章 (2)何といってもクリスマスと大晦日ですね 師走
 
クリスマスが近づきました。お子さんと楽しくお過ごしください。
 
★★なぜ、七面鳥の受難日なのですか★★
これも、わかりませんでした。七面鳥は高価ですから、庶民は、チキンで済ま
すのではないでしょうか。私は、焼き豚、それもタンの塩焼き、タン塩が好き
ですが、関係ないですね。七面鳥、やはり訳ありでした。
 
オランダの清教徒が1620年に、メイフラワー号に乗ってアメリカのプリマ
ス港に着き、初めて食卓に乗せた肉が野性の七面鳥であった。清教徒は、キリ
スト教を布教するために苦労をしてアメリカを開拓したが、彼らの「生命の支
え」となってくれた七面鳥を神に捧げて感謝した。初心を忘れないようにする
ために、クリスマスには昔の苦労をしのんで七面鳥を食べるのである。もっと
も今日のアメリカでは七面鳥は感謝祭(11月の第4木曜日)に欠かせない料
理となり、クリスマスの食卓にはチキンが運ばれることが多い。
〔年中行事を「科学」する P247-248 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
日本でも、これに似た習慣がありました。「ありました」と、またしても過去
形になるのは、今では家で炊くこともないからです。「赤飯」、またの名を
「おこわ」ともいい、米に赤あずきを加えて蒸したもので、結婚式などのお祝
いの席でしか、お目にかかれません。この赤飯には、「初心を忘れるな」とい
う戒めがあったのです。米が大陸から日本に伝えられたときは、今のような白
米ではなく、赤米でした。あわやひえ、山芋が主食であったことを考えれば、
炊きたての白米は、本当においしかったに違いありません。どの民族も、同じ
ような経験を積んで、歴史を刻んでいることがわかります。若い皆さん方には
信じがたい話でしょうが、戦後の食糧難の時代、銀シャリ(麦も芋も何も入っ
ていない白米だけのご飯のこと)は、夢にまで見た憧れの食べ物でした。
 
★★なぜ、クリスマスにケーキを食べるのですか★★
ヴァレンタイン・デーのチョコレートは、何やらこじつけのような気配があり
ます。しかし、ケーキは、何か意味がありそうです。これも、訳ありでした。
 
クリスマスケーキは、はじめ薪(まき)の形をしていたため、ユール・ログ
(yule log)といわれていた。クリスマスの前夜、果物のなる木の丸太を暖炉に
入れ、前の年の燃え残りから火を移す。新たな火を暖炉にともされる儀式は聖
なるもので、新しい命が生まれると考えられていた。クリスマスの新しい薪を
燃やすことによって家は暖かくなり、家族全員集まって神を讃え、喜びを分か
ち合うのである。クリスマス・ログは、公現祭(1月6日)間で12日間、絶
やさず燃やし続け、そのあとは灰を大切にとっておき、やけどや害虫予防に用
いた。聖なる薪を菓子にして喜びを分かち合うしきたりとしたのが、クリスマ
スケーキのそもそもの始まりだったのである。
〔年中行事を「科学」する P247 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
初代のケーキは、素朴な味がしたことでしょう。今のケーキは何代目かわかり
ませんが、相当、派手になっています。何といっても「デコレーション・ケー
キ」ですから。やはり、感謝の気持ちをこめて食べなくてはいけません。ちな
みに、デコレーション・ケーキは和製英語で、正しくはfancy cakeだそうです。
このケーキを顔にぶつけ合っておもしろがるギャグがありましたが、最低です。
食べ物がなくて餓死する人々が、世界中にどれほどいるか知らないわけはない
でしょう。こんなことは、絶対に止めてほしい。
ところで、食べ物を残さない習慣は、幼児期にきちんと身につけるべきです。
私が戦後の食料難を経験した昭和15年(1940)生まれのせいでしょうか。
飽食は、忍耐力を育てない気がしてなりません。そして、食事の際には、「い
ただきます」と手を合わせ、食べ物に感謝する気持ちを、しっかりと身につけ
ておきたいものです。「蓮如 われ深き淵より」や「親鸞」などの作品を通し
て、宗教の世界をやさしく説いてくれる五木寛之氏は、こうおっしゃっていま
す。
 
私たちは、イワシやサンマを食べるとき、うまいと思う反面、人間は何と残酷
な生き物だろう、お許しくださいと無意識のうちに考える感覚がどこかに残っ
ている。しかし、ハンバーガーを食べているときは、そういった感覚はほとん
どない。ましてやカロリーメイトだったりすると、まったくありません。食生
活がバーチャル・リアリティ化しているのです。その結果、私たちはまだしも、
子供たちは、食生活の上でも、生命の重さとそれを消費して生きている自分と
いう存在の残酷さを実感するチャンスがなくなっています」
(「他 力」 五木寛之 著 講談社 刊 P144)
バーチャル・リアリティ(virtual reality)
 コンピュータの作り出す仮想空間を現実であるかのように知覚させること。
(広辞苑)
 
イワシやサンマにとって、人間は殺魚犯です。感謝の気持ちを忘れたときから、
人は傲慢になるようです。
 
★★なぜ、サンタさんは、世界共通なのですか★★
白いひげを生やし、丸々と太った、明るく、笑顔のやさしい、とっても善良な
おじいさんで、プレゼントをいっぱい積んだトナカイの引くそりに乗り、雪の
上どころか、空まで飛んでみせ、なぜか、煙突から入ってくるサンタさんのイ
メージは、世界共通です。これも、訳ありでした。  
 
サンタクロースは、1822年に、聖書学者、アメリカのクレメント・クラー
ク・ムーアー(1777ー1863)が作った、
['T was the Night before Christmas](クリスマスイブのこと)
の詩の中で生まれた。聖ニコラウスを原像としたサンタクロースは、ムーアー
の詩の中で、白い鬚を生やし、丸々と太った明るい善良なおじいさんとして生
まれたのである。(中略) 1863年にアメリカの風刺画家、トーマス・ナス
ト (1842ー1902)による絵が評判をよんで、白い鬚 、赤い帽子に赤い
服、長靴をはき、大きな袋をかついだサンタクロースというイメージが定着し
たのである。        
〔年中行事を「科学」する P242・248 
永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
           
サンタさんのモデルである聖ニコラウスは、十二使徒の一人で、毎年、クリス
マス・プレゼントを配りにやってきますが、本来の意味は、キリスト自身が、
この世の光として、神様から人々に、プレゼントされたのです。それが、いつ
頃かわかりませんが、キリストからの贈り物となって、サンタさんが配達人と
なり、さらに、サンタさんに自分の欲しいものを頼めば、直接、枕元まで配達
してくれるようになったのです。親が、サンタさんの代理人とわかり、がっか
りするまで、長い子では、もの心ついてから小学校の高学年ぐらいまで、夢を
与え続けるのですから、これはすごいものです。
 
親が困るのは、サンタさんにお手紙を書きたいとせがまれることでしょう。私
は、知りませんでしたが、サンタさんの本部は、フィンランドにあります。
1961年に、フィンランドの郵政省は、正式にサンタさんの住所を、次のと
おりに決めたのです。「サンタのおじさん、日本語、わかりますか?」、心配
ありません。ただし、返信用の切手を同封しなければ、返事はもらえません。
これが、サンタさんの現住所です。
MR.SANTA CLAUS
Santa Claus Arctic Circle 96930 Rovaniemi Finland (Yahoo! 知恵袋より)
手紙を出される場合は、パソコンで検索してお確かめてください。お子さんの
夢を破ることのないようにお願いします。
 
★★なぜ、サンタさんは、煙突から来るのですか★★
こう聞かれて、困ったことはありませんか。これも、やはり訳ありでした。
 
北欧では、長い冬を前にして、心地よく暖かい日を送るために、煙突掃除が必
要欠くべからざるものであった。サンタクロースが煙突からやってくることに
よって子供たちに煙突掃除を手伝わせる大義名分が立ち、子供たちも喜んで手
伝いをするというわけである。
〔年中行事を「科学」する P243 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
北欧は、なにしろ北極の近くですし、冬ともなれば、お日さまは南の方へ行っ
てしまいますから、昼は短いし、夜は長いし、とにかく寒いし、冬は長いし、
何やら「……し、」ばかりで、元気が出なくなります。そんな長い冬を、暖か
く、快適に過ごすには、何といっても暖炉です。熱効率を妨げるのが、煙突に
へばりつく、煤(すす)です。そうです、煙突掃除は、冬の生活に備えて、欠
かせない仕事でした。
「サンタさんが、気持ち悪がって入れませんよ、こんなに汚れていては」 
子どもは、必死で、快く、真面目に、掃除を手伝います。それはそうでしょう、
自分の家だけサンタさんが来なかったら大変です。寒い地方に住む人々の、生
活の知恵でしょう。これは、嘘をついてだますのではなく、問題意識を持たす
ことです。日本には、煙突のある家は少ないですから、あまり心配はありませ
んけれど。
 
問題意識、育児でも大事です。命令と指示と強制だけでは、子どもは動きませ
ん。子ども自身に意識的にやろうとする意欲をもたせる方が大切です。それに
は、ご両親が、よいお手本を見せることです。「率先垂範」、いい言葉ですね。
四字熟語は、悠久の時の流れがしみ込んでいるような気がします。
 
ところで、サンタさんは、夜に来るのがいいですね。
「パパ、今晩は寝ないで、サンタさんの来るのを見るのだから!」
こういう頃の子どもは、本当に、かわいいものです。マンションでは、ベラン
ダから入ってくることになっているようですが、窓際で寝込んでしまった子を
見ましたけれど、あどけない寝顔が印象的でした。「施し」、あまり響きのい
い言葉ではありませんが、ボランティアと同じように、贈り物という好意は、
密かに行われるところに意義があるのですから、夜更けに、そっと来るのが、
いいですね。
 
★★クリスマス・カードのルーツ★★
最後に、クリスマス・カードですが、これは、外国の人には、とても楽しみの
ようです。
日本の年賀状にあたるのでしょうか。しかし、「謹賀新年」とか「賀正」しか
書かれていない年賀状は、味気ないものです。「メリー・クリスマス」としか
書かれていないクリスマス・カードもあるのでしょうか。メールに変わってい
るかもしれません。
 
1843年に、イギリスのヘンリー・コールが、知人の画家ホーレスーに絵を
描かせ、クリスマスを祝して知人に送ったのが始まりという。そして、イギリ
スのヴィクトリア女王が3年後の1846年にクリスマス・カードを送ったこ
とをきっかけとして、この習慣が世界中に広まったといわれている。 
〔年中行事を「科学」する P243 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
ところで、日本でクリスマスが始まったのは、何と永禄5年だそうです。とい
ってもピンとこないかもしれませんが、上杉謙信と武田信玄が川中島で戦った
年といえば、時代背景が浮んでくると思います。ポルトガルの宣教師ビレラが、
大阪の堺から本国に送った手紙に、「堺のキリシタンらは、大いなる喜びと満
足とをもって、クリスマスを祝したり」とあり、これがクリスマスに関するも
っとも古い文献といわれています。今のように、人々の間に広がるのは、大正
時代まで待つことになります。
 
★★サンタさんは、お父さんの愛情です★★
子どもの夢を破るのは、いい年をした大人のやることではありません。これを
先生がやってしまった話を池波正太郎の随筆にあったと12月5日の第5号で
紹介しましたが、こういう話です。
 
「サンタクロースは、本当はいない。プレゼントは、君のお父さんとお母さん
が入れておいてくれるのだ」などと、余計なことを言って、(先生が)子どもの
夢をぶち壊してしまうのだそうな。「まったく怪しからん話です」と、友人は
憤慨した。(中略) 平常は会社の激務に追いまくられ、それを癒す深酒で、帰
宅が深夜におよぶ父親がクリスマスの夜には、サンタクロースのプレゼントを
決して忘れずに、会社の帰りに一人息子のプレゼントを買ってくる。これを子
どもの枕元の靴下へ入れてやるときの友人の姿を思いみれば、口が腐っても
「サンタクロースはいない」とはいえまい。この世、このとき、彼はサンタ翁
そのものであって、他の何者でもないのだ。なればこそ、「サンタクロースは
実在する……」のである。「ね、だから、やっぱりサンタクロースはいるのだ
よ。そうだろう」と、私がいうと、友人は泪ぐんだ。
(日曜日の万年筆 P287-288  池波正太郎 著 新潮社 刊)
 
全国のお父さん方は、この日は子どもの夢をかなえてあげるサンタさんです。
これこそ見返りを考えない親心ではないでしょうか。「無償のほほえみ」は、
お母さん方の専売特許ではありません。余計なことですが、「泪」、いい字で
すね。
  
★★なぜ、冬至に柚子(ゆず)湯に入り、かぼちゃを食べるのですか★★
「12月25日はローマの冬至祭にあたり、この日を境に短かった昼間が次第
に長くなる、不滅の太陽が生まれ変わる日」と紹介しましたが、日本では「物
事が悪いことから善い方へ向かっていく」と考えられ、冬至のことを「一陽来
復」と言う別名があります。神社では「一陽来復」のお札を配りますが、私が
子どもの頃には、早稲田大学の近くにある穴八幡神社のお守りには「金銀融通
のご利益がある」と言われ賑わっていましたが、今はどうでしょうか。
この日柚子湯に入ると風邪をひかない、かぼちゃを食べると中風(ちゅうぶう 
半身不随、腕または足の麻痺する病気)にかからないとも言われています。柚子
湯は体が温まり、風邪や神経痛などに効くことや、柚子にはビタミンCとカルシ
ュームを多く含むため、食べても風邪の予防になり、かぼちゃはビタミンAが
多く含まれ、目や体の健康に役立つと科学的にも立証されている優れものです。
また、語尾に「ん」のつくたべもの、にんじん、れんこん、ぎんなん、かんて
ん、なんきん(かぼちゃのこと)、みかん、きんかん、ぽんかんなどには、食
物繊維やビタミンが多く含まれ、野菜不足になる冬の食材、果物として欠かせ
ません。これも昔から受け継がれてきた生活の知恵でしょう。子ども達にはハ
ロウイーンでおなじみになったかぼちゃですが、食べる方はどうでしょうか。
(次回は、「大晦日1」についてお話しましょう)
 

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