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めぇでるコラム : 2024年9月

2026さわやかお受験のススメ<現年中児 今から始める小学校受験>★★手は第二の脳 3★★

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         「めぇでる教育研究所」発行
2026さわやかお受験のススメ<現年中児 今から始める小学校受験
      現年中児のお子様をお持ちの方々へ
 2026年度入試(2025年秋に実施)を成功に導く手引きです。
      <第13号
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★★手は第二の脳 3★★
 
●絵 画●
 
お絵描きは、歌や踊りと同様、子どもにとって大切な表現方法です。子ども達はお絵描きが大好きですが、これも生まれ月、月齢差が表れますから、このことを考えてあげなければ、発育状況に
そぐわない要求をしがちで、子ども達には困ったことになります。
 
まず、お子さんの絵の描き方を、思い出してみましょう。
 
2歳頃は、点や線のなぐり書きでした。
 
3歳頃から、円や四角らしきものが表われて、ある日、突然、頭から手足がニョキニョキ出ている絵を描き、やがて頭と体が分かれ、一応、人間らしくなりますが、手は電信柱のように、横に真
っすぐ伸びたままで、年長になった頃から手も下におり、やっと人間と認められる絵になったのではないでしょうか。
 
そして、必ずといっていいほど、お日さまが輝いています。
 
ここまで来るのに、4、5年かかる子もいますから、子ども達には大変な仕事でもあるわけです。
しかも、絵を描く作業は、促成栽培的に腕をあげることはできません。お子さんの生育史が、そのまま表れてくるのではないかと思います。
 
なぜ、小学校の入学試験に絵を描かせる課題があるのでしょうか。
 
ただ、単に、絵の巧拙を評価するためとは、考えにくいことです。
大人は、自分の考えを相手に伝えるのに言葉だけで足りますが、幼児は、それだけでは十分とはいえません。
言葉で足りなければ、体全身で表す身体表現も、大切なコミュニケーションの手段ですが、絵も、その一つです。
 
自分の思っていることを、絵で表したいのです。
 
ですから、子どもは、絵の巧拙にこだわらずにせっせと描きます。
そばで見ていると、本当に楽しそうで、こういうときの子どもの目は輝いています。
 
以前、慶應義塾幼稚舎が、イーゼルを立てて絵を描かせたことがありました。
評価のポイントは、初めてのことに積極的に取り組む意欲や行動力だと考えましたが、舎長は、ある雑誌のインタビューで「子どもの顔を見たかったから」と答えていました。
 
第8号でも紹介しましたが、思い出してください。
絵は、子どもの感性が、そのまま表れるものだと思います。
 
感性= 
(環境+五感が受けた刺激)×(好奇心+観察力)÷そしゃく力
 
また出てきました。おかしな式だと思われた方、私ども流ですのでご容赦ください。
しつこいようですが、感性とは、子ども自身が、与えられた環境の中で、自らの力で培ってきた、自前の能力だと言いたいのです。
ですから、親の思惑で、絵についていろいろと注文をつけ始めると、面白くない絵になるのではないでしょうか。それは、お子さんの自前の感性で描いた絵ではなく、第三者に教えこまれた絵だ
からです。どなたがおっしゃったのか定かではありませんが、それを「大人の手あかのついた絵」というそうです。
 
受験のためのお絵描き教室も、その一つではないでしょうか。
絵を描かせる学校が増えていますから、対策用のお絵描きです。
これもうわさの一つで真偽の程はわかりませんが、「テーマは秋」だとすると、10人が10人とも枯葉の舞う絵を描き、しかも全員、申し合わせたように葉っぱを黄色に描くそうです。
 
こんなことをしていると、子どもの感性は、おかしくならないでしょうか。
第一、子どもが落葉を見て、ホッとため息をついて、「人生、無常ですね!」などと枯葉の舞う様子を描いているとは、考えられないことです。
 
秋であれば、子どもが楽しみにしていることは、たくさんあるのではないでしょうか。
お月見、遠足で出かけた芋掘り、ぶどう狩りや運動会など、楽しい思い出が残っていれば描くはずです。
こういった噂は、本当に噂であってほしいものです。
 
自分の描きたいことを、自分流儀で描ければ、いいのではないでしょうか。ウルトラマンと戦う怪獣が、ものすごい勢いで、真っ赤な炎を口から吐き出している絵を見たことがあります。
 
画用紙全体を使って、迫力がありました。
 
子どもに聞くと、
「どんな武器を持っていても、ウルトラマンは、絶対に、負けないんだよ!」と興奮気味に話していましたが、「これだ!」と思いました。    
何だかよくわからない怪獣でしたが、口から出る怪しげな炎の色といい、鋭いつめの形といい、「あやうし、ウルトラマン!」の感じが、よく表れていました。
その子は、ウルトラマンは、天下無敵だと信じているから、こういう絵になったのでしょう。
ウルトラマンは、絶対に負けないと信じている子どもの気持ちが、素直に伝わってきます。
 
画用紙全体を使って描いているのも、いいですね。
 
これが、左右の端っこに、細かくコチョコチョと、何やらわからないように描かれているようでは、心配です。
しかも、色が黒や灰色などで、暗い感じのする絵では、真剣に、お子さんの置かれている環境を、早急にチェックする必要があると思います。
 
「絵は心の窓」ともいわれているように、子どもの感性は、鏡に映るように表れるからです。
 
また、絵を描きたがらない子が増えていると聞きますが、絵を大人の思惑で、評価しているのではないでしょうか。
そうだとすれば、かわいそうです。
子どもの描く絵に口を出さずに、のびのびと描かせてあげることが大切です。もし、お父さんやお母さんが、絵を描くのを苦手としていたら、なおさらのことです。
 
小学校側も、大人が考えるような、巧い絵を期待していないと思います。
その子に育まれている感性をみたいのです。
ですから、一つの話を聞いた後で、
「この話は、どのようになっていくと思いますか。それを絵に描いてみましょう」
といった問題に発展させ、子どもの頭の中をのぞきたいのです。
 
絵の巧拙だけを、見ているのではありません。
 
百人の受験生がいたら、百枚の違った絵が描かれるのではないかと思います。
 
逆を考えてみましょう。
もしも、百枚とも同じ絵だとしたら、マインドコントロールされていることではないでしょうか。
これは、恐ろしいことです。
過保護、過干渉では、子どもの感性まで、コントロールすることにもなりかねません。
 
「個性を伸ばしてあげたい」とお考えなら、子どもの感性を磨ける環境を作ってあげましょう。
専門家の先生にお叱りを受けるかもしれませんが、子どもの描く絵は、写生ではなくイメージ、想像力の集結されたものだと思います。
五感のアンテナを刺激してあげれば、感性は育まれるものです。
 
本を読んであげることからも、たくさんの刺激を与えることができます。また、日本には、恵まれた自然があり、四季折々の自然の変化を、五感を通して、きちんと身体にしみ込ませておきまし
ょう。
 
絵を描くテクニックより、ものを観る心の眼を育てることです。
小さい時こそ、本物に触れる機会をたくさん持つことが、大事ではないでしょうか。
そこから感性は育ってきます。
感性は、ご両親の作る環境で培われるものです。 
 
「お母さん、ぼく、絵描きさんになりたい!」
心の準備ができてからの絵画教室は、最高の教場になるはずです。
 
お断りしておきますが、「絵画教室が駄目だ」などと、そんなだいそれたことをいっているのではありません。プロの先生方に叱り飛ばされます。皆さん、お子さんの感性を大切にして指導され
ていますから、何ら心配ありません。
 
心配なのは素人の方、特に、お父さんやお母さん方が、お子さんの描く絵に注文をつけることです。
 
繰り返しますが、感性はご両親の作る環境で培われるものです。
 
最後に、お願いしておきたいことがあります。
 
それは、描いた絵について、何を描いたか聞いてあげることです。
それらしく見えなくても、何を描きたかったのかわかりますから、そこを褒めてあげましょう。
幼児が描いた絵は、その時点で、お子さん自身の最も優れた作品であることを忘れないでください。
 
 
 (次回は、「鍛えてほしい第二の脳4」についてお話しましょう)
 

 
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2025さわやかお受験のススメ<小学校受験編>合否のカギを握るのは「志望理由」(1)

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         「めぇでる教育研究所」発行
2025さわやかお受験のススメ<小学校受験編>
      年長児のお子様をお持ちの方々へ
 2025年度入試(2024年秋に実施)を成功に導く手引きです。
      <第64号>
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合否のカギを握るのは「志望理由」(1)
 
 
志望理由のまとめ方について、模擬面接をしていて少し気にかかることがありましたので、付け加えておきましょう。それは何かと言いますと、志望理由にあまり説得力がないことが多いなと感じます。
 
例えば、雙葉小学校を志望されるご家庭との面接を再現すると、こうなりがちです。
 
「お父さんにお伺いします。本校を志望される理由をお聞かせください」
「はい、校訓である『徳においては純真に、義務においては堅実に』に賛同して受験しました」
「では、お子さんに、普段の生活で、どのように教えていますか」
と尋ねると具体的な説明がありません。
 
小学校の案内書やガイドブックに書かれている建学の精神や校訓を、そのままおっしゃる方が多いのですが、これでは学校側を納得させることは不可能ではないでしょうか。
既に、志望理由も明確になっているはずですが、もう一度、原点に戻り、以下のように、学園全体の教育体制について考えてみましょう。
ただし、ここでいう共学は小学校の場合で、中高は別学の学校も含まれていることをお断りしておきます。
 
また、慶應義塾幼稚舎、桐朋小学校、桐朋学園小学校は、面接はありませんが、志望理由をまとめる参考にしてください。
 
白百合学園小学校、東洋英和女学院小学部、聖心女子学院初等科、立教小学校、立教女学院小学校など。
1.宗教教育 2.別学 3.大学までの一貫教育 4.賛同できる教育方針
1から4について、どういったことを期待しているかを書いてみましょう。
4については、例えば、白百合学園小学校の場合、学園の校訓である三徳、 勤勉・従順・愛徳について、
  従順…すすんでみがこう正しい心
  勤勉…すすんでなんでもいっしょうけんめい
  愛徳…すすんで親切よろこんで
ということですが、これをわたしども流に、従順は「素直」、勤勉は「一所懸命頑張る」、愛徳は「思いやり」と置き換えると、いずれも皆さん方が育児で大切にしていることではないでしょうか。
 
青山学院初等部、淑徳小学校、聖学院小学校、玉川学園小学部など。
1.宗教教育 2.共学 3.大学までの一貫教育 4.賛同できる教育方針
4について、青山学院初等部のスクールモットー「あなた方は世の光、あなた方は地の塩である」は、幼児の場合ですから、「世の光」は自立していること、「地の塩」は協調性や社会性といった集団生活への適応力と考えると、「5つの約束」の意味がよく理解できるのではないでしょうか。
 
   5つの約束
    ・しんせつにします
    ・しょうじきにします
    ・れいぎただしくします
    ・よくかんがえてします
    ・じぶんのことはじぶんでします
 
「『しんせつにしよう』ではなく『しんせつにします』と自ら発信していることだ。ここに初等部教育の原点がある」と説明会でも当時の部長は言っていましたが、ポイントは、自立と自律、そして集団生活への適応力ですが、育児で大切にしていることではないでしょうか。
さらに、ランドセルなし、通信簿もありませんが、こういったことも視野に入れる必要はないでしょうか。
ホームページの「国内短期留学 止揚学園」を見てください。「すべては教場」、初等部はこういった教育をする学校でもあるのです。
 
慶應義塾幼稚舎、学習院初等科、成蹊小学校、早稲田実業学校初等部、千葉日本大学第一小学校、桐蔭学園小学部など。
1.共学 2.大学までの一貫教育 3.賛同できる教育方針
 例 慶應義塾幼稚舎
   独立自尊について   
   一年生が入学した時に「三つの約束」をします。
    ・うそをつかない。
    ・お父さん、お母さん、先生のいいつけを守る。
    ・自分でできることは自分でする。
この三つの約束こそ、独立自尊の精神を身につけるための第一歩です。
皆さん方は、普段からお子さんに、
「うそをついてはいけません」「約束は守りなさい」「自分でできることは自分でしなさい。お母さんを頼っても知りませんよ!」と言ってきかせ、実践しているのではないでしょうか。
お母さんの教えこそ、まさに「独立自尊の精神」そのものではありませんか。
 
日本女子大学附属豊明小学校、川村小学校など。
 1.別学 2.大学までの一貫教育 3.賛同できる教育方針
 例 日本女子大学附属豊明小学校
   三綱領 信念徹底・自発創生・共同奉仕について、 
     ○ 信念徹底(正しいと考えたことはやりとげる)
     ○ 自発創生(自ら考え、工夫し、実行する)
     ○ 共同奉仕(心を合わせて皆のために仕事をする)
 
わたしども流に解釈すれば、
     ○ 信念徹底は、はじめたことは途中でギブアップせずに、最後まで頑張る子
     ○ 自発創生は、夢中になって遊び、楽しく遊ぶ工夫のできる子
     ○ 共同奉仕、友達と仲良く遊べる情緒の安定している子
となりますが、こういったことを大切にしていれば、三綱領を育児に取り入れていると言えるのではないでしょうか。難しく考える必要はないと思います。
 
雙葉小学校 田園調布雙葉小学校 横浜雙葉小学校 光塩女子学院初等科 暁星小学校など。
1.宗教教育 2.別学 3.高校までの一貫教育 4.賛同できる教育方針
 
雙葉小学校については、しばしば紹介してきましたので、ここでは暁星小学校を取り上げますが、雙葉小学校に対して一点付け加えておきましょう。それは「バラはバラらしく、スミレはスミレらしく、その人らしく生きる。自分で自由に学び、決定することができ、責任のとれる人に育てていく」という言葉です。前校長の河野先生が例年おっしゃっていましたので参考にしてください。
ちなみに子ども達には、「置かれた場所で咲きなさい。」と都度お話があったそうです。
 
例 暁星小学校
「鍛える教育」の究極の目的は、日本昔話のキャラクターである「気は優しくて力持ち」の男子の育成です。
もやしっ子を解消するために始めたサッカーを考えてみましょう。サッカーは11人で戦いますが、ボールをキープした選手は、相手を自分に引きつけておき、ギリギリのところでパスをして味方にボールをつなぎ、最後にゴールへ蹴りこめるのは、たった一人です。旺盛なファイトとフェアーな精神、チームワークの育成、しかし、学業をおろそかにしていると、優秀な選手でも練習に参加させてもらえない「練停」があり、文武両道、ここに暁星学園の教育目標が表れていないでしょうか。
 
以前の話になりますが、平成27年の説明会では、現役で東京大学と早稲田大学に入った二人の出身者の小学校時代の体験をつづった作文を朗読、東大生は聖歌隊、早大生はサッカー部の話でしたが、いつもの校長の話を裏付ける厳しい「文武両道」の話は参考になりました。
特に運動の得意な子でなくてもやればうまくなる話は、自ら挑戦する意欲こそ、鍛える教育の原点であることや、部員のすべてが東大をはじめ難関校を目指す中での切磋琢磨する話は、説得力がありました。
 
模擬面接でも、「小学校は親が良かれと選んであげるが、大学は自らの力で挑戦すべきだ」とおっしゃるお父さん方が多く、二人の話はこれを裏づける頼もしいもので、こういったことも参考にされてはいかがでしょうか。
 
「れんてい」という言葉は、サッカー部出身の学生さんの話にあったので、「練習参加停止」のことではないかと思い、勝手に「練停」と当て字を書きましたが、説明会で先生に伺ったところ、「練停」でいいそうです。
 
 
 (次回は、「合否のカギを握るのは「志望理由」(2)」 についてお話しましょう)
 

 
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第13章  七五三でしょうな 霜 月(1)

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第47号-
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第13章  七五三でしょうな 霜 月(1)
 
9月17日の十五夜をご覧になった方、10月15日の十三夜も見ておきたいものです。「両方見ないと縁起が悪い」と言われていたそうですが、これは江戸時代の遊里、吉原の客寄せのキャッチフレーズで、「両日ともいらっしゃい!」が狙いだったとか。考えたものですね(笑)。
 
十五夜と言えば、お月見団子とススキを連想しますが、そのススキはネットによると「箱根、仙石原のススキが見頃」だそうです。お子さんに、ススキや月見団子など日本の秋の風物詩を肌で感じさせたいものです。
 
ちなみに今年の十五夜は満月ではなく「ほぼ満月」でした。次に十五夜が満月なのはなんと2030年だそうです。
 
さて、物の本によると、霜月(しもつき)のいわれは、文字通り「霜が降る月」という意味だそうです。
その他に、「凋(しぼ)む月」や「末つ月」がなまった説もあるそうですが、あまりいわれていないようですね。
 
 
 ★★なぜ、11月15日なのですか★★ 
 
11月といえば七五三でしょう。11月15日は、七五三のお祝いです。三歳になった男の子と女の子、五歳になった男の子、七歳になった女の子が、新しい着物をきてお宮へお参りし、神様に子どもの健康と成長をお祈りして、普段、ご無沙汰の限りをつくしている氏神さまへ、ご報告に出かけるわけです。氏神さまとは、その土地に生まれたものを守る神様で、鎮守の神、産土(うぶすな)の神のことです。これも、当然ながら、訳ありです。
     
 七五三は、もともとは徳川幕府の三代将軍家光の四男徳松(後の五代将軍綱吉)の身体が虚弱体質だったので、五歳の祝いを慶安3年(1650)11月15日に執(と)り行ったのがはじめといわれている。
 (年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P200)
 
その理由ですが、昔の暦には、いろいろと暦注があり、それぞれの「吉凶」が記されていますが、その暦注の中に「きしく」があります。「きしく」は、「鬼宿日(きしゅくにち)」のことで、鬼の宿る日と書きますから、何やら大凶のような感じがしますが、江戸時代の初期に使われていた暦、唐から入ってきた「宣命暦」(せんみょうれき)によると、「よろずよし、ただし婚礼には
忌むべし」の日になるのです。宣命暦は、インドの宿曜経(すくようきょう 人々の吉凶を知る方法を説く経典)に基づいて作られており、本家のインドでも、鬼宿を尊んでいます。お釈迦様が生まれた紀元前463年4月8日は、鬼宿でした。インドでは、鬼宿を最善の日としているのもうなずけますね。
 
そして、日本は、何といっても農耕民族です。古くより田の神さまは、春には山から下りて田畑を守り、秋には山に帰るものと信じられていましたし、そのために人々は、春には稲が順調に育つようにと祈り、秋には豊かな実りを感謝するしきたりがありました。
 
11月15日は霜月の祭りで、収穫を終えた稲や穀物と酒を供え、神さまのお恵みに感謝をする日だったのです。人々も、一年間の労働から開放された喜びの日です。
 
後の五代将軍の五歳のお祝いが11月15日に行われた理由は、ここにあったわけです。権力の頂点に君臨する将軍ですから、そのご威光とお祭りの日が重なった鬼宿日こそ、祝日に最もふさわしい日だったのです。こうして、11月15日が、七五三の日と決められたのでした。
 
 
 
 ★★七五三の本来の意味★★
 
今の七五三は、美しく着飾って神社へお参りし、千歳飴をもらい記念写真を撮って、食事をして帰る、一見、楽しそうですが、子どもにとっては何とも不自由な日、という感じもしないわけではありません。
      
女の子に聞いてみると、着物をきて、お化粧するのは嫌いではないのですが、この日だけは例外らしいのです。帯を何本も巻かれ苦しい思いをして、のどが渇いてジュースを飲むにも、わき目もふらずに飲むことに集中し、ソフトクリームなどとんでもない話で、もう、クタクタになるそうです。女の子の着物は購入する場合ももちろんですが、レンタルでも大変高価です。奮発してお金をかけますから、汚すと大変です。親中心のお祝いでは、こうなりがちですね。
 
しかし、本来の七五三の目的は、素朴で厳粛な祝いだったのです。
 
昔の赤ちゃんは、ほとんどが頭をつるつるにそっていました。三歳になって、初めて髪の毛を伸ばし、「もう赤ちゃんではありません」というお祝いをしました。これを髪置(かみおき)といいます。
 
男の子は、五歳になると初めて袴をはくお祝いをしました。これを袴着(はかまぎ)といいます。
 
七歳の女の子は、それまでの、ひものついた着物から、ひものついていない新しい着物に代えて、初めて帯を結ぶお祝いをしました。これを帯解(おびとき)といいます。
 
この三つのお祝いを一つにまとめたのが、七五三の行事でした。 
 
昔の人たちは、子どもは神さまの子どもで、七歳になったとき、初めて人間の子どもになると思っていました。ですから、こういうお祝いをして、早く人間の子どもになることを神さまにお願いしたのです。「これで一人前の子どもになった!」と祝うのが、本来の七五三の意味なのです。
 
ですから、昔は、七歳までは、社会の一員として認められていませんでしたし、罪を犯してもとがめられず、また、喪に服することもなかったのです。一人前としての生存権を認められるのは、七歳からでした。今の義務教育が七歳になる年から始まるのも、やはり、訳ありなのです。
 
また、七五三は、それぞれ子どもの成長過程の節目にもあたります。
三歳は、親の手を借りずに自分でできるようにする自立の始まるときです。
五歳は、集団生活への適応力を身につける自律の始まるときです。
七歳は、学校教育が始まり、独り立ちの始まるときです。
 
七五三、やはり奇数がめでたい数ですから、こうなるのでしょうが、こうして見ると、その歳々に意味のあることがわかります。成長に伴い、自分でしなくてはならないことが増えるのですから、親が過保護にならないための戒めでもあったのです。しかし、今は子離れのできないお父さん、お母さんが、増えていると思えてなりません。
 
4月の「花祭りですね」でも触れましたが、子どもの成長過程をこう考えています。                         
一歳は、五感を通して受ける刺激に反応して成長する条件反射の時期。
二歳は、ご両親のお手本を見ながら学習する模倣の時期。
そして三歳は、自分の力で生きていくための自立の時期だということです。
 
ですから、やっていることをみて、口をはさみむようでは過干渉であり、手を貸したくなるようでは過保護だと思います。三歳過ぎても、何かにつけて口をはさみ、手を貸していると、いやな言葉ですが超過干渉であり超過保護です。
 
五歳を過ぎれば、一人前の人間になる修行の始まるときです。何でもお子さん自身にやらせるべきで、試行錯誤を積み重ねながら、自立心は育まれるもので、ここでも「失敗は成功のもと」です。いつまでもお母さんが口を出し、「早くしなさい!」「何をグズグズしているの!」などといわれ続けていると、自分でやろうとする意欲など育ちません。
 
子ども達がいちばん嫌いな言葉は、「早くしなさい!」です。
 
できないから早くできないのであって、どれだけ無理な注文をしているか、真剣に考えてください。そして、しなやかな気持ちで、お子さんと接するお父さん、お母さんになってあげましょう。主にお母さん方が得意とする料理、なぜ、レシピを見ないで素早く、上手に、美味しく作れるのでしょうか。試行錯誤を積み重ねた結果ではありませんか。
 
七歳は、独り立ちして育っていくことを願う前祝いです。きれいに着飾るのもお祝いですから結構ですが、それだけではなく、親が精神的に子離れをする最後の時期だと思います。
 
お父さん、お母さんの自立を見守る温かい眼差しは、子どもの自立心を培い、そこから自律心も育まれます。先にもお話ししましたが、義務教育が始まる時であることも、成長の理に適っているわけです。
 
 
 
 ★★千歳飴★★
 
七五三といえば千歳飴。記念写真を見ると、千歳飴と印刷された袋を持っていますね。
「千歳」とは千年のことですから、長寿への願いがこめられているわけです。
袋には、縁起物のシンボル松竹梅や、長寿の代表であるつるやかめ、それに翁や婆の絵をあしらった、これ以上はない、めでたいデザインが用意され、その中に、これでもかと紅白のあめの棒が入っています。めでた尽くめの千歳飴は、江戸の宝永時代のころ、観音様で有名な浅草寺のある浅草で、豊臣家の残党の一人であった平野陣九郎重政が、甚右衛門と名を改め、あめ屋となって始めたものといわれているそうです。千歳飴は長く伸びるので、子どもがぐんぐん大きくなって、いつまでも長生きできるようにと食べたのでした。
同じ飴で、今でも覚えているのは金太郎飴です。不思議でしたね、どこを切っても、同じ顔の金太郎さんが出てくるのですから。
現代の子は、食べているのでしょうか。
 
 
 
 ★★人の一生の祝い★★
 
お宮参り、七五三、成人式、還暦などは、今でもお祝いされていますから、耳新しい言葉ではないでしょう。しかし、三日祝、卒寿となると、「……?」となるかも知れません。
 
いずれも、人が生まれてから年をとり、老いて亡くなるまで、その年齢に応じた、さまざまな通過儀礼といわれているお祝いがあります。昔は、今のように医学が進歩していませんでしたから、病魔から命を守るために行った儀式でもあったのです。本来、祝いの対象となる年齢は、生まれた年を1歳とする数え年でしたが、今日では、生まれた年は0歳で翌年の誕生日の前日終了で1歳とする満年齢で行われています。さて、皆さんは、どのくらいご存知でしょうか。
 
[三日祝] 
湯始めを行い、三日衣裳という袖のある産着を着けさせる日で、お母さんは産後ですし、お父さんは新米のパパですから、ここはおばあちゃんの独壇場です。
                        
[お七夜] 
生後7日目、名前を付ける命名式を行う日で、昔は神棚に名前を飾り、家の神様に報告したものです。 
 
[お宮参り] 
地方によって異なりますが、男子は生後31日か30日、女子は32日か31日に産土神(うぶすながみ)にお参りをします。そんな昔のことではありませんから、覚えているでしょう。産土とは、その人が生まれた土地のことで、産土神とは、その人の生まれた土地を守る神さまで、鎮守(ちんじゅ)の神、氏神ともいいます。この頃のお母さん、輝いていますし、お父さんもファイト満々です。
 
[お食い初め](おくいぞめ)
生後100日目または120日目に初めてご飯を食べさせる内祝ですが、まだ、ご飯は無理ですから、実際は食べさせる真似をするだけです。離乳食を経て自分の手で食事のできるようになるまで、本当に大変な時期でした。
 
[初節句]
生まれて初めての節句、女の子のひな祭り、桃の節句と男の子の端午の節句です。初孫であれば、おじいちゃん、おばあちゃんの存在を有り難く思い、感謝する日です。
 
[七五三]
省略しますが、この間に入園、入学の内祝いがあります。「幼児にはシックスポケットあり」といわれていますが、お父さん、お母さん、ご両親の祖父母を入れると6つのポケットがあり、幼児にとって強力なスポンサーとなるという意味です。七五三も両祖父母の楽しみな祝になっているようです。
                          
[十三参り]
4月13日に初めての厄年の13歳の子どもが、福徳と知恵と健康を授けていただくために虚空菩薩様にお参りする日です。13歳は、精神的にも肉体的にも、子どもから大人へ成長する途中の不安定な過渡期で、最初の厄年にあたるところから、厄除けする意味もあります。中学生がこの時期にあたるわけです。
 
[成人式]
今は成人は18歳。お祝いは地域によって18歳または20歳に祝いますが、本来は、男子は15歳、女子は13歳が一般的でした。奈良時代に起きた元服から始まった儀式で、ヨーロッパやアメリカにはないそうです。成人の年齢を迎えても、自由と権利だけを主張し、義務を無視している自己中心の子どもに育てるのは、親の責任不履行の結果ではないでしょうか。
心したいものです。
 
 注 元服とは、奈良時代以降の男子の成人を示す儀礼、頭に冠を付ける意味。
   女子は裳着(もぎ)といって、平安時代以降、女子の成人を示す儀礼、初めて裳をきせるもの。裳とは、表着(うわぎ)や袿(うちき)の上に、腰部から下の後方だけをまとった服。
   (「ウィキペディア フリー百科事典」より)
 
[厄年]
厄年とは、「人の一生の内、何かの災いにあいやすい年齢をいい、医学の発達した現代においても、何事においても慎まなければならない年」で、男子42歳、女子33歳が大厄です。本人に災いがなく周りに起こる場合もあり、心意現象として片付けるわけにいかない、不思議な現象といえます。
                       
[還暦]
60歳、生まれた年の干支に返ることから「還暦」と呼ばれています。昔は、赤い帽子をかぶり、ちゃんちゃんこを着て祝ったものですが、最近はどうでしょうか。「ちゃんちゃんこ」とは、子どもの着る袖のない羽織のことです。
 
[古稀]
70歳のお祝いです。古稀の由来は、「国破山河在 城春草木深…」でおなじみの唐代随一の詩人、朴甫の『曲江詩』の中にある「人生七十古来稀」の句で、この前文に「酒債は尋常行く処に有り」、「酒代のつけは私が行くところ常にある。70年生きるのは稀であるから、今のうちに酒をたくさん飲んで楽しんでおこう」という意味だそうです。
     (注「稀」は当用漢字にはなく「希」と書く場合が多い)
 
[喜寿]
77歳、「喜」の草書体が、七を三つ書き七十七と読めるところから、喜寿の祝いとなりました。以降の命名と由来は、文字から起きたものです。
 
[傘寿]
80歳、「傘」の略字が、八と十から成り立っていることから。
 
[米寿]
88歳、6月にも紹介しましたが「米」の字を分解すると「八十八」になることから、米寿の祝いとなりました。
 
[卒寿]
90歳、「卒」の略字体が「卆」で、九十と読めるから。
 
[白寿]
99歳、「百」から上の一字を取ると白になるからで、百の下は99ですから、白寿とはしゃれています。
 
[茶寿]
108歳、茶という字を分解すると、十、十、八十八となり、足すと108になることと、古来「八」は、末広がりで縁起のよい数であることから、108歳の祝に。
 
また、年齢に関する異称には、次のものがあります。
弱冠をのぞき、出典は「子曰(しいわく)」で始まる孔子の「論語」です。
 
 [志学]15歳のこと。論語(為政)吾十有五而志於学 十有五にして学に志すから。
  [弱冠]20歳のこと。古代中国で20歳を「弱」といい、元服の冠をかぶることから。
 [而立](じりつ)30歳のことで、論語(為政)三十而立から。学問が備わって自分の立場ができあがる年。
 [不惑]40歳のことで、論語(為政)四十而不惑から。
     人生の方向が定まって迷わなくなる年。
 [知命]50歳のことで、論語(為政)五十而知天命から。
     天から与えられた使命を知る年。
 [耳順](じじゅん)60歳のことで、論語(為政)六十而耳順から。
     修業を積んで他人の言葉を素直に受け入れられるようになる年。
 
それぞれの通過儀礼は、人生の節目と考えられますし、それなりに意味があり、昔から伝えられてきた英知であり、哲学ではないでしょうか。お子さんだけではなく、ご両親のお祝いは、感謝をこめて行いましょう。そして、「育児」しながら、自らを育てる「育自」を心がけ、「わが人生を楽しむ、賢いお父さん、お母さんになってほしい」と思います。ご両親の生きがいは、お子さんだけに託するものではありません。なぜ、七五三のお祝いをするのか、もう一度、考えてみましょう。
 
ところで、日光の東照宮にある「三猿」の彫刻は、猿を通して人間の一生を8面で表したもので、その2番目には「幼年期の3匹の猿」がありますが、こういった教えであるとは知りませんでした。
 
 いわゆる「見ざる、言わざる、聞かざる」の教えは、物心のつく幼年期には、悪いことを見たり、言ったり、聞くことをしないで、良いものだけを受け入れ、素直なままに成長させよという教えが暗示されている。      (「三猿の教え」東照宮ホームページより)
 
「三猿」でクリックすると教訓を読むことができます。「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」ともいいますが、英語では簡単に“Ask much,know much”(「故事ことわざ辞典」より)だそうで、子どもにしっかりと教えたい教訓の一つではないでしょうか。
 
(次回は、「11月に読んであげたい本(1)」についてお話ししましょう)
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、制作したものです】
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2026さわやかお受験のススメ<現年中児 今から始める小学校受験>★★手は第二の脳 2 ★★

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         「めぇでる教育研究所」発行
2026さわやかお受験のススメ<現年中児 今から始める小学校受験
      現年中児のお子様をお持ちの方々へ
 2026年度入試(2025年秋に実施)を成功に導く手引きです。
      <第12号
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★★手は第二の脳 2 ★★
 
 
 ●切る●
 
「切る」は、はさみの場合、ナイフのように押して切るのではなく、文字通りチョッキン、チョッキンと音がするように、上下の刃をしっかりと開閉させて切るようにします。
最初は、5センチほどの細長い紙を切らせ、はさみの操作をマスターしましょう。
できるようになれば、はじめは直線からです。
これもスピードは、必要ありません。 
チョッキン、チョッキンと音がリズミカルになったら、曲線や円、三角、そして複雑な形に挑戦しましょう。
 
新聞に挟まれてくる広告やダイレクトメールには、上質紙を使い、デザインの凝ったものがありますから、利用させてもらいましょう。
「ママが、後で使うから切り取っておいてください!」
お母さんのお手伝いだと聞けば、子ども達は頑張ります。
ただし、はさみは、操作を誤ると危険な道具になりますから、必ず、一緒にやりましょう。
 
そして慣れてきたら、チョッキンと歯が閉じ切る前に開き、前に進んでまた切るという風にできるようにしましょう。
 
成蹊小学校や学習院初等科では、2本の線で囲まれた中心をはさみで切る問題がありましたが、これは難しいですね。きちんと操作できるようになってから、挑戦してみましょう。
 
そして、はさみを相手に渡す場合、どうすればよいかを教えてください。
聞いた話ですが、新入社員がはさみを渡すときに、相手に刃の方を向けているのに驚き、その訳を聞いたら、
「だって、私が刃の方を持つと危ないではないですか!」
といったそうです。
しつけやマナーは、小さい時から身につけさせるべきで、これは家庭の文化だと思いますが、いかがでしょうか。
 
 
 ●貼る●
 
次は、「貼る」です。
貼るは、現代っ子の苦手とする作業の一つと言われていますが、そうならざるを得ないでしょう。
家で糊を使っているでしょうか、主役はセロテープでしょうね。
リップスティック型の糊は、あるかもしれませんが、少しつけただけでピタリと貼れますから、幼児用の糊とは、接着力も使い方も違います。
 
幼児の使う「つぼ型の容器」に入った糊には、いろいろと教育的な配慮がなされています。
 
ふたを開けることを考えてみましょう。
右利きの子なら、左手に糊の入った容器を持ち、右手でふたについている取っ手を持ち上げ開けます。
両手を使っていますから、目も手元の作業を監視しています。 
司令塔からの命令です。
 
次に、使う量ですが、これが難しいですね。
 
適量を取れるようになるには、ある程度の経験をつまなければなりません。貼る面積を計算し、分量を計りで量るわけではなく、目分量、勘です。
 
分量を間違うと、多ければベタベタに、少なければ直ぐにはがれます。
数を見極める直感と同じです。
 
まだ、あります、糊のつけ方です。
 
左手で糊をつける紙をしっかりと押さえ、右手人差し指は、表面全体に、のりが滞りなく行き渡るよう、ノビロ、ノビロとつけていきます。
これは練習が必要ですし、根気がいります。
このことです……。
 
根気のいる作業を丁寧に続けることで、持久力や忍耐力も培われてきます。
 
ところで、作業に時間がかかるお子さんや、器用ではないお子さんに、言ってほしくない言葉があります。
 
「ハヤクシナサイ!」、この一言です。
 
子ども達が、お母さんから言われたくない嫌な言葉の第一位といっていいのは、これです。
子ども自身は、一所懸命にやっているにもかかわらず、うまくできないからです。
苦戦している時に、せかされるのですからあせります。
あせるとプレッシャーがかかり、うまくできません。
こんなことが続くと、やがて、苦手意識を持ちはじめ、手作業を嫌がるようになります。
 
第二の脳の発達は、これでとまります。
お子さんにとって大変な損失であることを、肝に銘じて下さい。
 
お子さんには、大雑把に分けると「ウサギ型」と「カメ型」があります。
 
「ウサギ型」は、器用に物事をこなしますが、根気に欠けます。
「カメ型」は、作業の一つ一つを納得しながら取り組みますから、時間はかかりますが、根気があります。
「ウサギ型」は、小学校の低学年までは光り輝いています。
「カメ型」は、中学年頃から光りはじめ、やがて、立場は逆転します。「カメ型」は、試行錯誤を積み重ねていますから、じっくりと考える習慣が身についてくるからです。
 
カメ型のお子さんは、せかさないことです。
ウサギ型のお子さんには、「うちの子、頭がいいわ!」で安心せずに、考えさせる工夫をしましょう。
 
ところで、イソップ物語にある「ウサギとかめ」の話、明治時代の教科書では、どのようなタイトルがついていたと思いますか。
「油断大敵」です。
明治時代の漢字文化が生きていますね。
 
「面倒だな。お母さんのを借りよう!」
楽をしようとしていますが、これだから不器用になるのでしょう。
はっきりと言わなくても、これは手抜きです。
「手が汚れるから、セロハンテープにしようかな!」
こういった発想は、いただけませんし、この場合の「かな!」は、子どもらしくありませんね。
 
最後は、事後処理です。
 
手を拭き、糊の容れ物にふたをして、終わりです。
糊で汚れた手を拭く作業までも含まれていますが、「汚れたらきれいにする」は幼児にとって清潔感を身につける、大切な、大切な学習です。私が手の汚れない糊が気にいらない理由は、これで
す。
 
このように、糊を使う一連の手作業には、深い教育的な配慮がなされていることが、おわかりいただけたのではないでしょうか。
 
ですから、だじゃれのようですが、使わない手はありません。
こういった手順を踏んだ作業は、子どもの成長に欠かせない大切な経験です。
手順は記憶され、作業に流れのあることがわかり、やがて、手際よく進める工夫をする、基本的な訓練になっているのです。
 
使いやすく、便利になるのは結構ですが、子どもの発育段階を考え、今は面倒でも、糊を使うべきだといった見識を持つのも、親の役目ではないでしょうか。
 
幼児教室では、授業時間の関係で「つぼ型の容器」に入った糊を使う代わりにリップスティック型の糊を使うことがありますが、ご家庭では「つぼ型の容器」に入った糊を使う機会を多く持って
ください。
 
また、糊を使うのを嫌がる子は、泥んこ遊びをやらせていないと思います。
砂場で遊べない子は、糊を使うのを嫌がるはずです。
お子さんは、いかがですか。
 
最後に貼る練習ですが、切るところで紹介しました新聞に入ってくる広告など切り取ったものを、スケッチブックに貼ってみましょう。
 
初めは少量の糊で貼れる面積の狭いものを選び、中心に糊をつけ、ノビロ、ノビロと満遍なく伸ばす練習をすることです。
同じ大きさのものを扱うことで、適量をとるコツもわかってきます。そして、次第に大きなものへといった段階を踏むことが大切です。
 
最後に、セロテープについて、気にかかることをお話ししておきましょう。
 
なかなか適切な長さに切れないものです。
これも難しい作業ですから、少し無駄になりますが、2,3センチの長さに切れるように練習することです。
練習しなければ、何ごともうまくなりません。
うまくできない時は、切り取るぎざぎざの部分にセロテープを固定させ、右端から少し斜め下へ引っ張るように切ってみましょう。
ねじる動作ですね。
慣れてくれば、必要な数だけ切り、テーブルの端などに軽く貼っておくと「切る」と「貼る」の作業が、スムーズにできます。
 
 
 ●結ぶ●
 
「ひも」もそうですね。
昔は、寝巻でしたから、毎日、ひもと付き合っていました。
結ばなければ、格好がつきません。
パジャマはボタンですが、ボタンかけにも苦労している子、いますね。
お父さん、お母さんが、いつまでも手を貸しているからではないでしょうか。
お子さんにさせましょう。
過保護からは、自立心は育ちません。
 
箱にひもをかけて、結び方を練習しておきましょう。
あやとりもいいですね。
 
巧緻性ばかりか記憶力も刺激されます。
複雑な作品では、手順を忘れるとどうにもなりません。
ところが不思議なもので、遊びとなるとかなり複雑なものでも、積極的に練習をし、覚えてしまうものです。
おばあちゃんに教わったといって、三段梯子をこしらえたお子さんがいましたが、お子さんが、どのような環境で育てられているかわかりますね。
 
お母さんが作って見せ、お子さんに好奇心を持たせることです。
「ママ、すごい!」と間違いなく賞賛され、お子さんの知的な能力も開発されます。
一石二鳥ではありませんか!
 
 
●摘まむ●
 
「箸を使った問題」
 
 :お椀の中のものを、別のお椀に箸を使って、一つずつ移してください。
 
これが試験です。
立教女学院小学校や白百合学園小学校などで出題されています。
豆を買ってきて、割り箸を使い、懸命に練習する話を聞きますが、何かおかしくないでしょうか。
これは練習をして身につけるものではなく、身体の運動機能的な発達にかかわることですし、基本的な生活習慣の一つですから、しつけと関係あります。
 
一応の目安として、箸は3歳頃から使えるようになり、5歳頃には巧みに使えるようになるといわれています。
練習用の工夫された箸がありますから、もっと早く使えるようになっているかもしれません。
問題集を読むと、箸でカラーボールや玩具のミニチュアの果物、大豆、ビー玉、落花生、金平糖を摘まむ、積み木をハンカチで包むなどの課題があります。
 
なぜ、学校側がこんな試験をするのでしょうか。
 
手先の器用な子は頭もいいから、箸を持たせて選抜しようとは、考えにくいことです。
 
しかし、箸を満足に持てない子が多いからとすれば、これこそ問題です。
園児がペーパーテストに強くても、箸を使って食事をできない方が、よほど恐ろしい話ではありませんか。
こんなことまで試験で調べるのは、幼き戦士たちは、頭が良くても、こういったことが苦手なのでしょうか。
 
誤解を招いてはいけませんから、立教女学院小学校の学校説明会での話を紹介しておきましょう。
 
「あえてこの場で申し上げますが、テストの中でお箸を使う場面がありましたら、お箸で物を運ぶ速さを競っているのではなく、正しい箸の持ち方ができているかを見ていることをご理解
いただきたい。テストの主旨はそこにあります。日本の文化でもある箸の持ち方を、きちんと身につけてほしいと考えています。」
 
五感に刺激を与え、脳を鍛えましょう。
言葉は使わなければ進歩しないと同様、手作業もやらなくてはうまくできません。
しかも、この二つの能力は、ご家庭で楽しみながらできることです。
 
例えば、もっとも得意とする料理を作るとき、レシピを見ながら作るでしょうか。
素材選びから料理の手順、味付けまで、きちんと頭に入っているはずです。
司令塔の脳と実戦部隊の手との共同作業がスムーズに行われるのは、積み重ねた経験が、頭脳にしっかりと記憶され、手が指示通りに反応しているからです。
 
失敗を恐れず、試行錯誤を積み重ねながら挑戦することで、第二の脳は鍛えられます。
 
鍛えられると同時に、自力でできるようになることで、自立心が育まれます。
 
「手は第二の脳」といわれるのは、こういった仕組みになっているからです。
家庭でやらないとは、もったいない話ではないでしょか。
 
以上が、ご家庭でやってほしい基礎トレーニングです。
 
しかし、手作業は、月齢差が無残なほど表れますから、その点をきちんと判断しながら、あせらずに頑張ってください。
これまでのトレーニングだけでも、脳の活性化はかなり進み、お子さん自身、物を作ることに興味を持ち始めているのではないでしょうか。
 
物を作る楽しさを体験させる、絶好のチャンスです。
 
市販されている幼児用もしくは小学校低学年用の制作、折り紙、お絵描き等の本を参考に、お子さんと一緒に取り組みましょう。
 
季節折々の年中行事も、格好の教材になります。
門松、鬼の面、ひな人形、かぶと、紫陽花、朝顔、七夕飾りなどを作り、楽しい思い出をたくさん残してあげましょう。
その思い出から、独特の家庭の文化が間違いなく築かれていくのです。
 
ところで、お勧めしたい手作業は折り紙で、お金をかけずに、これほど楽しめる遊びはありません。
 
模擬テストを受けたお子さんには、12枚や30枚の折り紙で作ったくす玉をあげることがあります。このくす玉、一度ご家庭で挑戦してみてはいかがでしょうか。糊を使わずに組み立て
るのでやりがいがあります。(笑)
 
 
(次回は、「鍛えてほしい第二の脳3」についてお話しましょう。)
 

 
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2025さわやかお受験のススメ<小学校受験編>面接編4

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         「めぇでる教育研究所」発行
2025さわやかお受験のススメ<小学校受験編>
      年長児のお子様をお持ちの方々へ
 2025年度入試(2024年秋に実施)を成功に導く手引きです。
      <第63号>
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面接編4
 
今回は、ご両親の面接についてお話をしましょう。
 
◆父親編◆
 
ほとんどの学校で、お父さん方には、志望理由と職業を尋ねられています。
ですから、合否の鍵を握っているのは、お父さん方といっても過言ではないでしょう。
責任重大です、何しろお父さんは、一家を代表して面接に臨むわけですから。
 
「なぜ、この学校を選んだのか」をきちんとおっしゃってください。
 
そして、私学の運営は、ご家庭に経済的な負担をかけることで成り立っていますから、学校側は、その基盤がしっかりと築かれているかを確認しなければなりません。
職業を尋ねられるのも、このためです。
会社名と所属課、仕事の内容によっては簡単な説明も必要です。
しかし、専門家でなければわからない言葉を使うべきではありません。今では普通に使っていますが、模擬面接で「システムアナリストです」と言ったお父さんがいましたが、これだけでは不親切で、誠実とはいえません。簡単な説明も必要です。
自営業の場合は、仕事の内容がわかるようにまとめておきましょう。
時には、営業年数、年商、従業員数など必要になる場合もあるかもしれません。
 
お父さんの応答で気になることがあります。
仕事柄、人と接する機会の多い方、営業関係の方は、話に如才のない分、長くなりがちです。
面接は、限られた時間内で、手際よく済ませるべきです。
1分間で、相手にどのくらい情報を伝えることができるか、一度、録音し、聞いてみましょう。
すると、聞く人には、どのくらい負担がかかるかがわかります。
そうすれば、簡潔明瞭な回答こそ、思いやりのある、誠実な態度であることが理解できるはずです。
 
制限時間のあることを、常に頭に入れておきましょう。
 
最後に、お子さんの姿勢が崩れたときに、恐い顔をして「駄目!」を出すお父さんもいますが、前にお話したお母さんのように、「やわらかくたしなめるサイン」を考えておきましょう。
 
 
 
◆母親編◆
 
「あがって話せなかったらどうしよう!」
などと考える必要はありません。
参加しているお母さん全員が、同じ不安な気持ちでいるのですから。
そんな心配をせずに、「私は保護者です!」と言い聞かせることです。
男には、よくわかりませんが、「出産のことを考えれば恐いものなし」とおっしゃったお母さんがいました。
 
それはともかく、一所懸命、お話しできれば、道は開けます。
誠意です。
 
ただし、その学校を選んだことに自信がなければ、不安になり、緊張しますから、あがります。
そこがポイントであり、全てです。
 
お父さんのところでも触れましたが、話がくどくて、長く、まとまりに欠ける場合があります。それを避けるために、例えば、お子さんの長所、短所を話すことを想定して、話し言葉で文を書き、録音し、聞いてみましょう。
ご自身で聞き、長いと思えば、相手にとっては、とてつもなく長いものです。
質問事項にもよりますが、あまり長く話すのは、私学の求めているであろう謙虚さにふさわしいでしょうか。
 
また、言葉遣いも、気になるところでしょうが、普段、あまりなじみのない敬語や、「……参りました」「……存じます」などの謙譲語を使って話すのは、かえって緊張のもとになりますから考えものです。
何事も、不自然な感じを与えない、自然体がいいのではないでしょうか。
ところで、最近、気になるのですが、若いお母さん方の中には、「そういったこととかにぃー、興味を持ち始めましたぁー」といったように、語尾をのばし、妙なアクセントで話す方がいます。
お母さん同士ではいいでしょうが、やはり、初対面の学校の先生方と話をするには、ふさわしいとはいえません。
 
また、自分のことしか考えずに、お子さんやお父さんが話されたことを、よく聞いていないお母さん方がいます。
 
例えば、面接の先生に、
「お子さんの言っていることは、こういうことですか」と確認を求められるかもしれませんし、「お父様がおっしゃったことについて、どう思いますか」と聞かれることもあるようです。
そんなときに困った顔をするようでは、保護者とはいえないでしょう。
質問事項を想定し、うまく言えるだろうかなどと心配していると、「心、ここにあらず」といった状態になり、お子さんやお父さんの回答を聞き逃すことになりがちです。
お母さん自身も、気を静め、落ち着くためにも、しっかりと話を聞きましょう。
 
そして、お父さんが、例えば、間違ったことを言っても、即座に訂正しないことです。「お子さんが、成長したと感じられることはありますか」といった質問に、「去年の秋、予防接種に行ったとき、泣かずに頑張ったときのことです」と答えたお父さんに、少し顔をしかめて、「パパ、今年の春でしょ!」と、静かに、きっぱりと訂正したお母さんがいました。
お父さんは、気分を害されたような表情をして、お母さんの方を見ましたが、二人の間に、なにやら気まずいムードが漂いはじめたのは、言うまでもありません。
予防接種の時期を間違えたから、育児に関心のない父親で減点などされるわけがないでしょう。
即座に訂正をしたお母さんの態度こそ問題です。
私学には、古い道徳観念が残っているとはいいませんが、やはり、初対面の人の前で、どうでもいいようなことで、お父さんの間違いを訂正するのは、私学の求めているであろう「謙虚なお母さん」としていかがでしょうか。
もっとも、お父さんが同様なことをするのも、言わずもがなですね。
 
 
 
◆退室◆ 
 
「本日は、ご苦労さまでした」
「失礼します」
立ち上がり、礼をして退室するわけですが、お父さんが先頭で、お子さん、お母さんという順が良いでしょう。
そして、出口で、立ち止まり、面接官の方を向いて、「失礼します」とあいさつをしましょう。
この時、お子さんは、一刻も早く外へ出たい気持ちから、あいさつどころではありません。
しかし、ここは面接の最後の場ですから、「お世話になりました」といった気持ちを伝えたいものです。
お父さんが一言、声をかけ、あいさつを促しましょう。
入室の時と違い、これから始まる面接にプレッシャーをかけるわけではありませんから、お子さんも、あいさつできるはずです。
「ごあいさつは」より「さよならしようね」といった言葉がけの方が、お子さんにも抵抗がなく、自然にできると思います。
最後に、お母さんがあいさつをし、ドアを閉めて、部屋を出ます。
 
これで終わったわけですが、うまく進んだ場合は、緊張から開放され、ほっとされたお母さんから、
「ご苦労さまでした」
などと、ねぎらいの言葉がかかるのですが、結果が思わしくないときは、部屋を出たとたんに、
「なぜ、私が願書に書いたとおりに言ってくれなかったの!」
などと、非難をするお母様もいるそうです。
「壁に耳あり、障子に目あり」ではありませんが、先生方が見ていないとは限りません。
 
しかし、聞いているお子さんが、どんな気持ちになるかを考えられない母親であるなら、受験はやめるべきでしょう。
面接の後にお子さんの試験があり、もう一度、学校へ来る場合、悪い印象を与えると、同じ場所へ行きたがらないものです。
本番の入試にも影響しかねません。
 
また、お子さんが、うまく応答できなかったとしても、そのことには触れずに、嘘でもいいですから、次につながる言葉がけを忘れないことです。
 
「初めての先生と、よくお話できていたね。お父さんもびっくりしたほどだったよ。今度はね、一人でどんなことができるか、お友達と楽しく遊べるかを見てくれるんだって。お父さんは来ないけれど、頑張るんだよ。ママ、今夜は、ユキの好きな焼肉がいいね」ユキちゃんが、好んで挑戦した受験ではないことを、保護者は、決して、忘れてはなりません。 
 
掛け持ち受験について、まだわかりませんが、10月に入ると、受験日と面接の日が決まり、学校から通知も来ますし、出願してみなければわからなかった、受験可能な学校も判明します。
どういったスケジュールになるか作戦を立てることになりますが、掛け持ち受験は、お子さんにとって大変な負担になります。
精神的にも、肉体的にもタフなお子さんばかりとは限りません。
ご両親で、しっかりと話し合いましょう。
 
また、試験のために早朝に家を出なければいけない場合もあります。
少しずつ、起きる時間を早めてみるとか、ベストコンディションで臨めるように工夫しましょう。
 
幼稚園も始まりました(保育園はいつも通りですね)。元気に通っていますか。
生活のリズムが戻るまで、あまり無理されないことです。心身ともに健康第一です。
 
そして、お母さん方へ。妙なうわさなどに心を惑わされない、賢いお母さんになりましょう。
もうあとわずかです、頑張ってください。
 
 
(次回は、「鍵を握るのは志望理由」についてお話します)

 
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第12章 日本の神さまでしょう  神無月(3)

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第46号-
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第12章 日本の神さまでしょう  神無月(3)
 
       
【十月に読んであげたい本】
 
神無月ですから、この話がいいでしょう。舞台は諏訪湖、といえば一大音響とともに湖面にできる氷の山脈「御神渡り(おみわたり)の現象が思い浮かぶのではないでしょうか。寒さで亀裂の生じた氷の隙間から噴き上げた水が凍り、裂けた方向を見て吉凶を占う「御神渡り拝観式」は、約600年の歴史をもつ伝統行事だそうで、昔の人は、本当に驚かれたことだと思います。
その諏訪湖に棲む龍神様の話です。
 
 
◆神在(かみあり)祭りと諏訪の竜神◆  谷 真介 著
 
毎年、旧暦の1月にあたる11月には、全国の神様が出雲の国(島根県)に集まるため、留守になる地方が多く神無月といわれ、反対に全国の神様が集まる出雲は神在月といいます。神様の集まる場所は出雲大社で、八百万の神様が集まります。この集いを「神在祭り」といい、出雲の人々は11月19日から1週間、静かに過ごすことになっていました。ところが、出席しなくてもいい神様がいます。信濃の国(長野県)の諏訪湖にいる竜神様もその一人で、こんな訳があったのです。
ある年のこと、竜神様だけが姿を見せません。待ちくたびれた神様達から文句が出始めると、「夜明けまえからここにいるぞ!」と声がしたので見上げると、天井の梁に身体の太い竜が巻きついていました。「降りてこられよ」というと、「私の体は長く、尻尾は湖畔の松にかかっていて、この社に入るまいが下りて行こう」と言ったのですが、下りてこられては神様の居場所がなくなるし、尾が国にあるならば全体が来るまでに相談は終わるので、「これからは国にいてほしい。決められたことは、こちらから知らせるから」ということになり、竜神様は大喜びして帰ったそうです。神在祭りが始まる夜には、近くの浜に海蛇が押し寄せてきました。これは神様たちの使者である竜蛇様といわれ、頭に「あり」という神様の紋がついていたそうです。
 (日づけのあるお話三百六十五日  11月のむかし話 谷 真介 編著 金星社 刊)
 
出雲大社の神様は、日本にいた神様、大国主命(おおくにぬしのみこと 大黒様)で、伊勢神宮の神様は、高天原から天孫降臨された天照大神です。大国主命は、後から来られた天照大神に国を譲り、その代わりに壮大な神社を出雲に建立してもらったそうです。大黒様が社から出られないように、しめ縄は逆向きに飾り、柏手は4拍手(普通は2拍手、4回は死を意味する)、正面ではなく、右の御座所に左向きに祀られて、参拝者とは正面を向いていないことなどから、怨霊として祟られないように封じ込めた説もあります。
 
 平安時代に源為憲の書いた「口遊“くちずさみ”」に、日本の三大建築を意味する言葉が出ています。“雲太(うんた)、和二(わに)、京三(きょうさん)というのですが、(中略)実際はそうだったかは別にして、そう信じられていたことが重要だと思います。雲太は出雲太郎の略で出雲大社、和二は大和次郎で大和、すなわち奈良にある東大寺の大仏殿、京三は京三郎で京都御所の大極殿です。つまり日本で一番大きいのは出雲大社、次が大仏殿、三番目が京都御所の大極殿というわけです。
 (神道から見たこの国の心 樋口清之 井沢元彦 共著 P109 徳間書房 刊)
 
当時の大仏殿の高さは15丈で、出雲大社は現在の社の2倍の16丈(48m)あったそうで、古代出雲史博物館に復元された模型が展示されていますが、48mの社まで伸びている階段を見た時は魂消(たまげ)ましたね。
 
ところで、出雲大社では、平成25年5月に60年ぶりに「平成の大遷宮」、本殿の修造が終わり「本殿遷座祭」が、10月には伊勢神宮の社殿を作り替える20年に一度の大祭、「式年遷宮」が執り行われました。出雲大社といい伊勢神宮といい、神話の世界が現在まで受け継がれ、日常生活の中に自然と溶け込んでいるのは、世界広しといえども日本だけでしょう。皇紀2674年の時空を経て実現したのが、平成26年10月に行われた高円宮典子さまと出雲大社宮司、千家国麿氏のご成婚。典子さまは天照大神、天孫族の末裔で、国麿氏は国を譲った大国主命を祀る出雲国造(祭祀を司る職)の末裔、国粋主義者ではありませんが、悠久の歴史を感じないわけにはいきませんでした。
 
次は、伊勢神宮の霊験あらたかな話です。
伊勢神宮には、皇室の主神である天照大神が内宮に、外宮には食物を司る神、豊受(とようけ)大神が祀られています。参拝された方はお気づきかと思いますが、神社には必ずあるしめ縄、狛犬、賽銭箱、おみくじなどはありません。
 
しめ縄のない理由は不明。狛犬は江戸時代頃から神社に設置されるようになったもので当時はなかったから。賽銭箱がないのは、神宮の祭儀を主宰するのは天皇陛下であり、天皇以外のお供えは紙幣禁断といって許されていないから。おみくじがないのは、お参りすることが吉日で、おみくじは国の重要な問題を解決するために神さまにお伺いするもので、個人的には吉兆を占うのは憚(はばか)られるという理由だからだそうです。どうしてもおみくじのほしい方は、「おかげ横丁」で買えます。
(伊勢神宮の豆知識 http://matome.naver.jp/odai/2138915798271580401 より要約)
 
 
 
次です。落語にも同じ話があり主人公は犬ですが、この話は猫です。猫というと、妖怪変化など恐ろしい話が多いのですが、昔話だけに、ほのぼののとした構成になっている珍しい話です。
 
◆ねこのよめさま◆   中本 勝則 著
 
むかし、心のやさしい若者がいましたが、貧乏で嫁のきてもありません。ある日、庄屋さまが猫を捨てようとしていたので訳を聞くと、ねずみも取らずに飯ばかり食べる猫だからという。若者は猫を貰い、「たま」と名付け、わずかな食べ物を半分あげかわいがりました。
ある時、若者が畑から帰るとたまが寝ていたので、「留守の間に、そばでも引いてくれ」といってみました。次の日、帰ってくると、うすの取っ手にしっぽを巻きつけ、うすを引いているのです。あんなことをいったので、そばを引いてくれているのかと、そばだんごを作り、たまにも食べさせました。
それから、うすを引くのは、たまの仕事になったのです。
ある晩のこと、「かわいがってもらいましたが、猫のままでは、恩返しができません。お伊勢さまにお参りすれば、人間に変えていただけるそうですから、お暇をください」といったのでした。若者は、それも一理あると考えて、銭を首に結びつけて旅に出したのです。しかし、若者は心配でくわを持つ手にも力が入らず、畑に出る日が少なくなったのでした。                             
それから一年たったある日のこと。若者が畑でぼんやりしていると、若い娘の声が聞こえたではありませんか。何と伊勢参りに行ったたまが、かわいい娘になって帰ってきたのでした。若者は大喜び、娘を嫁にして畑仕事に精を出し、幸せに暮らしたのです。
  十一月のお話 きつねのよめさま 松谷 みよ子/吉沢和夫・監修  日本民話の会・編 国土社 刊 
 
 
池波正太郎氏の「鬼平犯科帳」には、浅草の回向院に建てられた猫塚の話があります。両替屋に飼われていた猫が、小判を盗み出した現場を押さえられ、殺されてしまいます。この猫は両替屋にやってくる魚屋さんから、いつも魚をもらっていました。ところが、魚屋さんが風邪をひいて寝込んでしまい、一人暮らしで薬どころか三度の食事まで事欠く始末だった時、心配した猫が、店から小判三両を盗み出し、魚屋さんへ持っていったことが後でわかったのです。猫の恩返しをした心がわからずに殺されてしまったのを不憫に思い、建てた猫塚だそうです。動物の恩返し、真剣に聞く子ども達の目は、いつも輝いています。
 
ところで、この回向院には、義賊といわれた鼠小僧次郎吉の墓があり、墓石の欠けらを持っていると、「賭け事に勝つ」「運がつく」、受験生などには「するりと入れるご利益がある」といわれ、墓石を欠きとる人が絶えず、現在は墓前に真っ白な「欠き取り用の墓石」が置かれています。インターネットで見ることができますが、次郎吉は今でも有名人なんですね。織田信長父子の供養塔がある京都市の大雲寺には、安土桃山時代の大盗賊、石川五右衛門の墓があり、墓石を削って呑ませると盗癖が治ると信じられ丸くなっているそうで、二人ともお役に立っているようです。
 
 
 
ひな祭りに欠かせないのは桃の花、神さまに捧げる榊(さかき)も訳ありでしょう。少し恐ろしいですが、その言われを残した昔話があります。
      
◆鬼退治◆   おざわ としお 再話
 
むかし、ある村に元気のいい若者がいました。ある時、村に誰も来なくなり、若者は峠に化け物でも出ていると思い、家に伝わるやすりを持って退治に出かけたのです。山道の途中、たき火をしている老人に会いましたが、若者の行く手をじゃまするので腹をたて、けとばしました。すると、「わしには娘が三人いて、威勢のいい若者を婿にしたいと探していたのだ」と言うので若者は承知し、老人の家に行ったのです。立派な家でしたが、若者が門を入ると閉まり、かんぬきの掛かる音がするのです。鬼の家かもしれないと老人についていくと、家の前に二頭の馬がつながれ、裏には人間のしゃれこうべが積まれています。老人は、若者を座敷に招き、三人の娘がもてなしてくれました。夜になると、誰を嫁にするかと言うので末の娘を指名すると、「奥へ行って休みなさい」と娘には赤い星の、若者には白い星の模様の布団を用意したのです。若者は何かあると思い、娘が寝こむと自分の布団を娘にかけ、娘の布団を自分にかけ眠ったふりをしました。真夜中に鬼となった老人は、槍を持って現れ、白い星の模様の布団を刺すと、「料理は明日の朝だ」と戻っていったのです。若者は逃げようとしましたが、戸にはかんぬきがかかり出られません。そこで、やすりでこするとかんぬきは切れ、若者はつないであった馬に乗り逃げたのです。気づいた鬼は馬に乗り追いかけていきました。
倒れていた大木を若者の馬は跳び越えましたが、鬼の馬は大木に足をひっかけ、鬼もろとも下の滝に落ちたのです。倒れていた大木をみると榊でした。
無事に家へ帰った若者は、それから神さまを拝む時には、榊を使うようになったのです。うりや、うんぷんだりょん。
   日本の昔話 5 ねずみのもちつき おざわ としお 再話  赤羽 末吉 画  福音館書店 刊 
 
最後に出てくる「うりや、うんぷんだりょん」は、「これで話は終わり、めでたし、めでたし」という意味で、いろいろなのがあり、「とっぴんぱらりのぷぅ」といった奇妙なものがあったと記憶していますが、地方によって違うようです。
 
 
 
次の話は笑えますね。一休さんをはじめ、和尚さんと小僧さんの話には傑作がそろっています。いわゆる「とんち話」ですが、これも素晴らしい。「山川草木悉皆(しっかい・ことごとく)神性」などと冗談ですが、「至る所に神さまあり」ならではの話です。
 
◆かみがない◆   鶴見 正夫 著
 
むかし、あるお寺の小僧さんが、和尚さんのお供で出かけました。途中まで行くと、小僧さんは小便をしたくなり、道端によって着物の前を広げました。
和尚さんは、「そこには道の神さまがおられるので駄目だ」といいます。小僧さんはこらえました。少し行くと畠があったので飛び込み小便をしようとすると、和尚さんは、「そこには、作物の神さまがおられるから駄目だ」といいます。少し行くと川があったので、川へむかってかけ出しました。すると、「川には、水の神さまがおられるから駄目だ」といいます。どうにも我慢できなくなった小僧さんは、下っ腹を抱えて土手に登りました。そこには地蔵さまがありましたが、構ってはいられません。地蔵さまの前で小便をしようとすると、土手の下から和尚さんは、「駄目だ!」と怒鳴りましたが、小僧さんはもう我慢ができません。すると、何を思ったのか道の方へ向きかえ、着物の前をひろげてシャーと小便を飛ばしました。小便は、土手の下の和尚さんの、つんつるてんの頭にかかりました。「何をするんだ」と和尚さんは、びしょ濡れの頭で怒鳴りました。すると小僧さんは、すました顔でこういったのです。「和尚さんの頭は、つんつるてん。そこには、髪がないからよろしいでしょう」
 とんちでころり 鶴見 正夫・文 ヒサ クニヒコ・絵 ポプラ社 刊 
                    
人間の周りは、神さまだらけを実証した話ですが、落ちの語呂合わせ(神と髪)には、神さまも吹き出すことでしょう。
 
 
 
睦月、如月、弥生と懐かしい陰暦の月の名称が出てきましたが、昔はどんなことをしていたかわかる話があります。「鬼の目玉」(2月)にもありましたが、全部の部屋を説明しませんでしたから、ここで全てを紹介しましょう。
 
◆見るなの座敷◆   浜田 廣介 著
 
むかし、ある村の若者が、庭の梅の木の小枝に足をはさまれていたウグイスを助けたことがありました。秋に若者はキノコを取りに行って迷子となり、ある家の所へ出たので声をかけると、娘が出てきたのです。道を尋ねると方向違いだとわかり、途方に暮れていると、「今晩、ここに泊り、明日、いらっしゃれば」と。喜んだ若者を庭の縁側に招き、「母を呼んでくるので待っていてほしい。しかし、座敷の中を見ないでください」と言って出かけたのです。時間が経ち手持ちぶさたになった若者は、透き間から座敷の中をのぞいてみました。そこは一月の座敷で、床の間に松竹梅の鉢植えと鏡もちが供えられ、子どもが晴れ着をきてすご六遊びをしているのです。不思議に思った若者は、次の座敷をのぞきました。そこは二月の座敷で、稲荷様の初午祭りの様子でした。隣は三月の座敷でひな祭り、次は四月の座敷で花祭り、次は五月の座敷で端午の節句、次は六月の座敷で山開きの日の様子が、次は七月の座敷で七夕祭り、次は八月の座敷でお月見の様子が、次は九月の座敷で豆が実りアワも穂を下げて揺れています。次は十月の座敷、刈り入れ時でお百姓さんの働いている様子が見えるのです。次は十一月の座敷で、枯れ木が目立ち山には雪がかかり寂しい眺めです。最後は十二月の座敷で、人々は正月を迎える支度をしています。一年続きの座敷を見た若者は、元へ戻ろうとしたとき娘が現れたのです。「私は、助けていただいたウグイスです。お礼をしようと思っていましたのに、どうして、のぞきなさったの、見るなの座敷を。ホー、ホケキョ!」と鳴くと、娘も家も庭もなくなり、若者一人が、ぼんやりと林のやぶの中に立っていたのでした。     
   世界民話の旅 9  日本の民話 浜田廣介著 さ・え・ら書房 刊 
 
 
日常生活を快適に過ごすために、やってはいけないことを定め、破ると破局を招く話は、「古事記」に豊玉姫の出産をのぞいたことから離別する神話があるほどで、「他言してもらっては困るのだが」といった約束と同様、守られないようです。「千夜一夜物語」にも同じような話「アジプと40人の美女」があり、部屋は40で「のぞいてはいけません」の約束を破りとんでもない結果になるのですが、好色な話なので割愛します。アラブの世界では40という数は「たくさんある」という意味で使われるそうです。中国では「白髪三千丈」、日本では「八百万」となりますが、ちっちゃな島国にしては何とも大げさな表現で、笑ってしまいますね。
 
「世界民話の旅 9」には「見るなの座敷」の他に28の作品があり、「泣いた赤オニ」の作者、浜田廣介の手になる再話集です。ただし、現在は絶版となっていて気軽に手に取ることができないのが残念です。こういった民話や神話は、私達祖先の精神的な文化遺産です。幼い子どもの情操を培う大切なエッセンスが、こういった昔話ではないでしょうか。
 
子どもは親が解説しなくても、分化されはじめたさまざまな情緒を育みながら、自分なりに解釈し、自分のものにしていきます。そこから幼いなりに自我が芽生え、自立心が育まれます。
 
わが子を溺愛する過保護な育児や、四六時中目を光らせ管理する過干渉な環境からは、情操豊かな子など育ちません。自立心や積極的に取り組む意欲を育てることです。そのためにも、お子さんをじっくり育てるゆとりを持ちましょう。子どもへの保護、干渉は、ほどほどに済ませるべきで、干渉していいのは、しつけです。「他人に迷惑をかけない」は共生の掟で、教えるのはご両親です。
 
例えば、携帯電話やスマートホンの使い方を見るにつけ、しつけが出来ていないと痛感する場面に出くわします。
何でも自分を中心にしか考えず、「思いやる気持ち」が薄れていくそのもとは、幼児期の育児に問題があるのでは、と思います。「褒める時にはやさしく褒め、叱るべき時には厳しく叱る」、これは親の真心であり、子どもにとっては、最高の有難い手本ではないかと考えますが、皆さん方はどうお考えでしょうか。  
 
 
 (次回は、「第13章 七五三でしょうな」についてお話しましょう)
 

 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、制作したものです】
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2026さわやかお受験のススメ<現年中児 今から始める小学校受験>★★手は第二の脳 1★★

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         「めぇでる教育研究所」発行
2026さわやかお受験のススメ<現年中児 今から始める小学校受験
      現年中児のお子様をお持ちの方々へ
 2026年度入試(2025年秋に実施)を成功に導く手引きです。
      <第11号
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★★手は第二の脳 1★★
 
 
ペーパーテストの対策は、ご家庭でも問題集などを使い、十分過ぎるくらい行われているようですが、ものを作る作業、制作やモールにおはじきを通す、糸を結ぶ、箸を使うといった手作業の問
題に関しては、教室や塾の指導にお任せの場合が多いのではないでしょうか。
 
いわゆる、巧緻性の問題です。
 
辞書を引くと、「きめこまかく上手にできていること」となっています。
聞き慣れない言葉ですが、小学校の入学試験では、きちんとやっておかなければならない重要な項目の一つです。
 
「塗る、折る、切る、貼る、結ぶ、摘む」などの手作業の他に、制作や絵を描く、手本と同じものを書く模写の問題などがあります。
 
なぜ出題されるのかというと、このような手作業からは、誰かに手伝ってもらわずに自分で思っているように作らなければならないので、自立の状態がわかります。筆記用具の持ち方からは基本
的な生活習慣やしつけの状態が、制作やお絵描きからは、幼児が自分の考えを表す大切な方法、手段ですから情緒の発達状況が、模写からは、観察力、模写力、集中力が判定できるので、出題さ
れるわけです。
 
こういった作業は、子どもの発育段階と密接な関係があり、その年令にふさわしい経験を積んで身につくものですから、手を抜くとできません。
学校側は、年令にふさわしい経験を積んでいるかを見たいのです。
 
さらに、もう一押ししておきましょう。
 
なぜ、筆記用具の持ち方から基本的な生活習慣やしつけがわかるのでしょうか。
それは、食事をするように箸を持ち、一本抜くと、正しい筆記用具の持ち方になっているからです。
 
妙なボールペンの持ち方で字を書いている人がいますが、小学校の勉強が始まる前に、身についてしまう場合が多いようです。
「名は体を表す」ともいいますが、字もそうではないでしょうか。
メールではわからなくても、書いた字を見れば一目瞭然です。
 
かなり先の話ですが、履歴書を書く時にあわてても間に合いません。デジタルの時代ですが、まだまだアナログ、ペンで字を書くということは残るのではないでしょうか。
「たかが筆記用具の持ち方」などと思う前に、お子さんのための大切なしつけと考え、取り組みましょう。ご両親もお子さんと一緒に、今一度、正しい持ち方を確認してみましょう。
 
巧緻性の問題が、「ご両親の育児の姿勢を評価している」といわれる理由は、ここにあるからです。
年中から年長にかけて、たいへん重要なことですから、4回に分けてお話しましょう。
 
ただし、巧緻性は、子どもの発育状態と密接な関係がありますから、お子さんの月齢を十分に考慮しながらお読みください。
 
 
 
◆基礎作業編◆
 
 ●塗る●
まず、「塗る」から考えてみましょう。
簡単なようですが、子ども達は、大変な作業をやっているのです。
たとえば、クレヨンで、円の中をはみ出さないように塗ることを考えてみましょう。
まず、左手で紙を押さえます。
そして、右手でクレヨンを持ち、はみ出さないように注意しながら、できるだけ丁寧に、白い部分が残らないように、まんべんなく塗ります。この一連の作業を、試験の場合を想定し分析してみ
ましょう。
 
まず、最初に、先生の模範演技を見て、頭脳の司令塔にある何とかいう神経に、目と耳から情報がインプットされます。
説明終了と同時に、きちんと理解した脳から指示が出ます。
 
 「右手で赤のクレヨンを持って、左手は、画用紙が動かないように、しっかりガードしなさい。
 まず、黒く印刷されている円の内側を、円に沿って、はみ出さないように描きなさい。 
 次に左から右へ塗る反復作業を根気よくやりなさい。
 左上の方、少し塗りが足りません、至急、補足しなさい。
 残り時間は、あと30秒程です。
 スピードを上げなさい」
 
目は手元を、指示どおりにやっているか見ています、監視カメラですね。
リアルタイムで、次々と正確な報告が届きます。
それに従い、即座に指示が出ます。
話を聞き取る力が備わっていないと、こうはいきません。
きっちりとした指示が出ないことには、手の方も、動きません。
このことです……。
 
手先の器用な子の知的な能力は高いといわれています。
それは、持って生まれたものではないと思います。
頭も使わなければ、よくなりません。
試行錯誤を積み重ねることで手順を覚え、その度に司令塔から指示が出、手先もそれに応えて頑張ります。
記憶する力がつき、手先も器用になるのです。
 
いってみれば、頭と目と耳と手の合同訓練ですね。
 
これがバラバラでは、おかしなことになります。
目がきちんと見ていないと、状況がわかりません。
耳がしっかりと聞いていないと、指示されていることが理解できません。
わからない状態ですから、脳からの指示も、不正確になります。
この意味不明、「……わかりません」の状態で作業が始まると、どうなるでしょうか。
 
色を塗れば線からはみ出します。
折り紙を折れば、グチャグチャに折ります。
はさみで切れば、ギザギザだらけです。
糊を使えば、量を無視してベタベタに貼ります。
紐を結べば、ユルユルです。
 
こうなるでしょうね、合同練習不足です。
最近、こういう子が増えているそうです。
この責任の一端は、ご家庭の教育にありではないでしょうか。
過去問などを買い求めて知的なトレーニングは、積極的になさっているようですが、こういったことこそ、ご家庭で時間をかけ、ゆっくりと、じっくりやってほしいのです。
お子さんと一緒にやりましょう、簡単にできますから。
それに、問題集を使っての勉強と違い、腹を立てないで済みます。
 
たとえば、色塗りです。
5センチの正方形を縦、横4個ずつ作って、色を塗らせましょう。
色を決めて、斜めに塗ると、きれいな模様ができます。 
最初は、この程度から始めて、ます目を増やしてあげましょう。
後で出てくる系列完成の学習にもなります。 
 
・・・・・・・・・・・・・
・ 赤 ・ 緑 ・ 青 ・ 赤 ・
・・・・・・・・・・・・・
・ 緑 ・ 赤 ・ 緑 ・ 青 ・
・・・・・・・・・・・・・
・ 青 ・ 緑 ・ 赤 ・ 緑 ・
・・・・・・・・・・・・・
・ 赤 ・ 青 ・ 緑 ・ 赤 ・
・・・・・・・・・・・・・
 
こういった遊びから、脳も手先も鍛えられ、美醜の感覚も育ってきます。
塗り絵の苦手な男の子は、こういった遊びをしていないのではないでしょうか。
大人には何でもないことが、幼児にはとてつもなく難しいということがたくさんあります。
何事もそうですが、基本的な作業をおろそかにしないことです。
 
塗る問題でも難しいものがあります。
 
★鉛筆を使い、一番目の四角を最も濃く塗り、二番目は少し薄く、三番目はそれより薄く塗りなさい。
 
日本女子大学附属豊明小学校で、よく出題されています。
今の段階では、まだ難しいですが、こういった問題もあることを覚えておきましょう。
 
 
 
●折る● 
 
「折る」は、折り紙の登場です。
これから折り紙には、いろいろな領域でお世話になりますから、常備しておきましょう。
折ってみるとわかりますが、メーカーにより色が微妙に違い、厚さにも変化があり、硬いもの、柔らかいものがあります。
柔らかいものだけ使っていると、硬いものは折りにくくなります。
最初は柔らかいものを使い、うまく折れるようになれば硬いものも使ってみましょう。
 
折り紙は、楽しいものです。
何しろ、1枚の紙から、立体作品ができるのですから、すぐれものです。
簡単なものから始めましょう。
 
大切なのは、最初の一折りで、ここを、キチンと押さえましょう。 
スピードは、必要ありません。
 
丁寧に、しっかりと折ることが大切で、一つ一つの作業は、まさに巧緻性そのものです。
さらに、折り紙は、手順を忘れると完成しませんから、記憶力もつき、一石二鳥の効果を期待できます。
基本は、折り紙の角をきちんと揃えて半分に折り、長四角と三角を作ることです。
 
正確にきれいに折るには、指先の力も鍛えなければなりません。
うまく折れない場合には、紙をちぎりましょう。
 
新聞紙で十分です。
最初はうまくちぎれなくても心配ありません。
きちんとちぎれるようになるには、いろいろと工夫する必要があります。
これは、とても大切なことで、教える前に挑戦させてください。
 
「子どもが、考え、工夫する前に、教え込んでしまう」のは、決してよいことではありません。
育児が過保護や過干渉のタイプのお母さん方は、とかく教えがちですが、まず、子どもにさせることです。
 
うまくちぎれるようになるには、工夫が必要です。
工夫してできるようになれば、やる意欲も育ちます。
できたことから達成感を味わえるからです。
 
大人から見れば「何だ!」と思えることが、子どもにはすばらしい発見でもあるのです。
ちぎった紙を使って、1つに丸めた後折り紙などで包み、ボールを作ってみましょう。
はさみを使わずに、紙をちぎってものを作るテストがあることも覚えておいてください。
なお、「千切る」であって、「裂く」ではないのでご注意ください。
 
また、機会があれば、お母さんが折ったものを広げて、どういった線ができているか見せてあげましょう。
あまりにもきれいな幾何学的な模様に、きっと驚くと思います。
左右、上下が対称になっているなどと難しい説明はいりませんが、やがて挑戦しなければならない対称図形の学習に役に立ちます。
 
以前、暁星小学校では、少し工夫しないと難しいと思える折り方をさせました。
日本女子大学附属豊明小学校では、座布団に正座をして折り紙をしたこともありました。
 
ところで、最近では、鶴を折れない保護者がいるようです。 
お子さんは、さみしがりませんか。
お子さんばかりに要求せず、練習し、お子さんの期待を裏切らないようにしてください。
 
    (次回は「手は第二の脳 2」についてお話しましょう)

 
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2025さわやかお受験のススメ<小学校受験編>面接編3<お子さん編>

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         「めぇでる教育研究所」発行
2025さわやかお受験のススメ<小学校受験編>
      年長児のお子様をお持ちの方々へ
 2025年度入試(2024年秋に実施)を成功に導く手引きです。
      <第62号>
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★説明会情報★
 
 国府台女子学院小学部
  学校説明会 9月14日(土)10時~11時30分
  学院祭見学 9月21日(土)、22日(日)
   
     詳しくはホームページをご覧ください。
 
 
 
 ■ 面接編(3)
 
<お子さん編>
 
ほとんどの場合、質問は、お子さんから始まります。
緊張をほぐすために、名前や生年月日、幼稚園(保育園)のことなどから聞くようです。
しかし、住所や電話番号は、通常、あまり聞かれませんから、うまくいえない場合があります。
そんな時、ほとんどの子ども達は、お母さんを見ます。
すると、お母さんは、
「東京都新宿区………」とやりがちです。
 
これはどうでしょうか。
 
住所や電話番号を、面接のために記憶させていると、こうなりがちです。
言えないと「減点される」と思っているのではないでしょうか。
ですから、答えなるものを、すぐに教えてしまうのです。
「ほら、迷子になったとき、どうする約束でしたか」などと、二人だけでわかるヒントを出せるお母さんであってほしいのです。
遊園地やデパートなどで迷子になったとき、何が頼りになるでしょうか。
名前と住所を言えば、すぐに探してもらえることを知っていれば、お子さんも覚えるはずです。
 
自然災害を含め、緊急事態が発生した場合、電話は連絡に欠かせないものです。
いずれも、面接のために覚えることではなく、自力で物事に対応しなければならない時のために、身につけておかなければならない知恵ではないでしょうか。
 
「幼稚園(保育園)は、楽しいですか。仲良しのお友達の名前を教えて下さい」
幼稚園や保育園が楽しく、友達がたくさんいれば、すぐに答えられるでしょう。
こういった質問からは、集団生活への適応力である社会性や協調性が育まれているかがわかります。
 
幼児への質問は、日常の生活が中心となっていますから、難しい質問はないはずです。返答に詰まったときは、「答えられなくてもよい」とは言いませんが、面接官が、ご両親の態度を見ていると思えばいいでしょう。
 
余計な口出しをせず、温かく見守ることが基本ですが、状況に応じてお子さんがわかるヒントを出せる保護者であってほしいのです。
その時には、面接官に、「よろしいでしょうか」と一言、確かめることもお忘れなく。
 
絶対にやってほしくないのは、お子さんの回答を訂正することです。
 
親子面接の指導をしているときに、こういったことがありました。
「何人家族ですか」
「はい、5人です」
お父さんが、あろうことか、「えっ!」といって、少しですが、笑ったのです。
「違うでしょ、4人ですよ」
お母さんが、あわてて、恐い顔をしながら、間違いであることを指摘しました。
びっくりしたのは、答えたお子さんです。
これはまずいと思い、すぐに質問をしました。
「5人家族なのですね。では、どなたがいらっしゃるのかな」
「お父さん、お母さん、お姉ちゃん……、ぼくと……、ポチです」
お母さんを気にしながら、小さな声で答えました。
ポチは、いうまでもなく犬ですが、みんなでポチを可愛がっている様子が伝わり、微笑ましいではありませんか。
犬を家族に入れたから、「常識外れで減点!」などと考えにくいことです。
あわてて訂正したお母さんこそ、「保護者として失格!」、マイナス点がつくと思います。なぜなら、その質問を境に、お子さんはそわそわし始め、それまでの元気な姿が見られなくなったからです。
笑ったお父さんは、その後のお子さんの様子を見て、後悔したのは言うまでもありません。
 
お子さんは、質問の内容を理解し、自分の言葉で、堂々と答えたのですから、うなずいてあげるべきです。
お子さんの回答を訂正することはもちろん、笑うなどとは、保護者としてすることではありません。
 
お父さんやお母さんに関する質問で、お子さんが困った顔になるのは、保護者の仕事です。
「お父さんは、どのようなお仕事をしているのですか」の質問に、「国家公務員です」と「みんなのために役に立つお仕事です」との答えでは、どちらが子どもの答えとして、ふさわしいでしょうか。
「サラリーマン」では、わかりません。
お子さんは、お父さんやお母さんの仕事を、きちんと説明できますか。
こういった質問から、普段の親子関係がわかるとは言いませんが、仕事はご自身の生きがいと考えれば、あだやおろそかに出来ないのではないでしょうか。
「お父さんやお母さんは、ぼく達のために一生懸命に頑張っているんだ!」
と思っていないお子さんは、いません。
 
お父さん方、「お子さんがわかるように、お父様のお仕事を説明して下さい」といわれた場合、どうお話ししますか。模擬面接でも戸惑うお父さん方が多いですね。「お子さんがわかるように」が、難しいのです。
お母さんにも同じ質問をしてみると、どうしたわけか、お父さん以上に説明ができないことが多いですね。
ご両親共に、お子さんにわかるように説明しておきましょう。
 
姿勢の崩れるお子さんもいます。
 
質問を聞きながら、足をぶらぶらさせたり、手を机の上に乗せたり、女の子は、スカートを握りしめるなど、落ち着かなくなり、姿勢の乱れる場合があります。
普段から、食事のときなど、だらしなく食べているお子さんは、その通りにしますから問題外として、心配なのは、緊張のあまり、本人が気づかずに、そのようにふるまうことがあるのです。
 
姿勢の乱れた姿など見たこともないお母さんは、びっくりしてしまい、あわてて手足をたたいたり、手を膝に戻したり、心配のあまり、膝をつねってしまうお母さんもいます。もっとすごいお母さんになると、恐い顔をして、にらみつけます。
これもどうでしょうか。
本人は緊張しきって、無意識にそういった動作をしているにすぎないのです。
何もしなくてよいとは言いませんが、やはり、修正をしなくてはならないでしょう。
 
これはいいなと思ったお母さんがいました。
 
「タロウくん、足が笑っていますよ」
と、やさしくいったのです。
気づいた本人は、お母さんを見て、手で頭をかくような仕草をし、照れ笑いしながら、腰を少し前に進めて、足をしっかりと床につけ、手はお膝になりました。
お母さんは、「申し訳ありません」といった気持ちを表すかのように、軽く会釈をしたのです。
 
見事でした。
 
お子さんが緊張した場合、どのようなことをするか、よくわかっていて、椅子に浅く腰掛けて訂正する方法を、親子で体験済みだったのでしょう。
これが保護者の役目ではないでしょうか。
 
また、本人の質問が終わり、ご両親の番になると、今度は緊張感から開放され、退屈になり、姿勢の崩れることがあります。
模擬面接のときに、男の子には、「お父さんやお母さんがお話をしている間は、手をひざに置き、背を伸ばして聞いているのが、一番、かっこいいのだよ」、女の子には、「一番、かわいいのですよ」と話しています。
「じっとしているんですよ!」だけでは、ほとんど効果はありません。
親が話をしているとき、終わるまで静かに待てる方法を考えてあげましょう。
 
かつて、暁星小学校では、お父さんとお子さんがゲームをし、その様子を両親に聞くといった形式で行いましたが、狙いは、3人が醸し出す雰囲気から、日常生活の様子を判断したのではないでしょうか。つまり、面接のための定番的な訓練は、「役に立ちませんよ」と言いたかったのだと思います。暁星小学校ですが、今年も面接は保護者面接、また、保護者に作文の提出があります。
 
最後に一言。
 
家庭学習で苦手な問題にとり組む時には、細心の注意が必要です。
繰り返しますが、幼児がわからないといった時は、本当にわからないのです。
お子さんがわかるように工夫してください。
「何でできないの!」といった不用意な言葉がけは、今までの自信を崩すことにもなりかねません。
お子さんが萎縮するようなやり方だけは、絶対にやめましょう。
 
夏の疲れが出やすい時期です。健康管理には、十分に気をつけてください。       
 
 
   (次回は、「ご両親の面接」についてお話をしましょう。)
 

 
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第12章  神無月、風流です(2)

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第45号-
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第12章  神無月、風流です(2) 
 
 
今でも仏壇と神棚が家の中にあるご家庭もあるのではないでしょうか。
仏壇には先祖のお位牌が、神棚には天照大神のお札が鎮座ましまして、さらに庭には氏神さまを祭った小さな祠があるかもしれません。
仏さまと神さまが同居しているのです。
 
でも、不思議でも何でもないのでしょうね。
生まれた時には、神社へお参りして神さまに報告し、結婚式では、キリストに永遠に愛し合うことを誓い、死して後は、阿弥陀さまのもとでやすらぎを願うことに、何ら不都合を感じないのが、日本人の信仰心ですから。
 
キリスト教やイスラム教のように、唯一つの神を信仰する一神教は、やたらにもめたりしていますが、いろいろな教えや信条などの、よいところを少しずついただきながら、自前の信仰心を作り出し、お互いに仲良くやっていきましょうというのですから、合理的なのかもしれませんね。
 
世界の四大聖人の教え、キリスト教の愛、イスラム教の施し、仏教の慈悲、儒教の仁(相手を思いやる心)を理解しているのも、もしかすると、日本人だけかもしれません。言い過ぎでしょうか。
 
資源の乏しいわが民族が、経済大国に発展したのと同じで、独特の知恵だと思います。日本は文化の吹き溜まりといわれていますが、選択の自由はあるわけで、ただ、ひたすら迎合しているわけではありません。これだけはいえると思います。
 
さて、木がうっそうと茂る伊勢神宮の参道を、玉砂利を踏みしめながら歩くときや、出雲大社の古色蒼然とした社を参拝するときの、何とも表現のしようのない気持ち、荘厳とか厳粛などの言葉では表せない心情、これは、一体、何なのでしょうか。
 
松江の中学の英語の教師であったラフカディオ・ハーン、小泉八雲は、西洋人として初めて出雲大社の昇殿参拝を許されたのですが、その感動をこう述べています。
 
 仏教には百巻に及ぶ教理と、深遠な哲学と、海のような広大な文学がある。
神道には哲学はない。体系的な倫理も、抽象的な教理もない。しかし、まさしく「ない」ことによって、西洋の宗教思想の侵略に対抗できた、東洋のいかなる信仰もなし得なかったことである。
 (神々の国の首都 小泉八雲 著 平川 裕弘 編 講談社学術文庫 刊)
 
寺院に仏像はありますが、神社にはありません。ご神体は、なぜか、1枚の鏡です。にもかかわらず、神社には、「かたじけなさ」に頭を下げざるを得ないものが、確かにあります。「己の姿を映し、襟を正す」、これが日本人の信仰の源ではないでしょうか。
 
「無念無想に低頭できる」とありますが、正式な作法は、「二拝二拍手一拝」で、二度おじぎをし、ポンポンと二度手を打ち、最後にもう一度おじぎをします。出雲大社では4度打ち、伊勢神宮では、何と八開手(やひらで)といって八度打ちますが、参拝した時に伺ったところ、これは神職の方がなさることで、一般の方は「二拝二拍手一拝」でいいそうです。これは、神さまとご対面させていただくための儀式でしょうが、柏手を打つのは、日本だけだといわれています。
 
また、神社の参道には玉砂利が敷かれていますが、昔は、川で体を清めてから参拝した名残で、玉砂利は川を表しているそうです。その参道も、真ん中を「正中(せいちゅう)」といい神さまの通り道で、人間は左右の端を歩くのが正しいとされているそうです。
 
まったくの蛇足ですが、「私は無信仰です」などと平気で言う方がいますが、れは外国人と話すときには注意が必要です。無信仰とは、「私は平気で人を殺せます」というのと同じだそうです。
 
 
 
★★酉の市★★
 
「酉の市、11月ではありませんか?」と言われそうですが、何でもありの歳時記です。
 
酉の市は、何と日本誕生と深い関係があるのです。日本誕生となると、どうしても神話の世界に入っていかなければなりません。戦後、神話のすべては作り事と否定され、神代に関する「おとぎ話」さえ、子ども達の周りから消えてしまいました。ここで紹介する神話は、古事記(講談社学術文庫 刊)から要約したもので、神話の真偽はともかくとして、「おとぎ話」としてお読みください。僭越な話ですが、神さま方のお名前は読みやすくするためにカタカナで表記しました。
 
◆イザナギノミコトとイザナミノミコト◆
イザナギノミコトとイザナミノミコトは、神さまから授かった天沼矛(アマノヌボコ)を、雲の上の天の浮き橋からさし降ろし、海の水をかきまぜ引き上げました。すると、矛先から落ちた海水が固まってオノゴロジマができ、島に下りた二人が結婚し、大小八つの島、大八洲国(おおやしまのくに)を生み、日本列島が出来たのです。そして、岩や土、砂、風、海、川、水、山、船、穀物の神さまを生みますが、最後に火の神さまを生んだのが原因で、イザナミノミコトは亡くなります。
 
◆黄泉(よみ)の国の話◆
イザナギは黄泉の国を訪ね、国造りは終わっていないので現生に戻ってくれとイザナミに頼みます。ところが、イザナミの体にうじがわき、8匹の鬼が生まれるのを見て逃げ出したのです。姿を見られたイザナミは、恥をかかせたと怒り、黄泉の国の醜女(しこめ)に後を追わせます。最後に、イザナミ自身が追いかけてきて、黄泉の国とこの世を結ぶ岩をはさみ、夫婦別離の宣言をします。
イザナミは「いとしいわが君が、こんなことをするなら、あなたの国の人々を一日千人絞め殺しましょう」といい、「あなたがそうするなら、私は一日に千五百の産屋を建てよう」とイザナギはいい、この時から地上では一日千人の人が死に、千五百人が生まれることになったのでした。
 
醜女をやっつけるために桃を3個投げたと書かれていますが、桃太郎で紹介したように、桃は神話の世界でも、何やら神秘的な果物なんですね。また、ギリシャ神話にもそっくりな話があります。黄泉の国から脱出する際に、「振り向かないで!」という約束を破り、振り向いたためにご破算になる結末も同じです。
 
◆アマテラスオオミカミ◆
黄泉の国から逃げてきたイザナギは、身を清めるために体を洗い、いろいろな神さまを生んだのちに、左目を洗うと高天原(たかまがはら)を治めるアマテラスオオミカミが、右目を洗うと夜の国を治めるツクヨミノミコト、鼻を洗うと海原を治めるスサノウノミコトが生まれたのです。アマテラスオオミカミ、ツクヨミノミコト、スサノウノミコトは、禊(みそぎ)から誕生しました。
 
◆天の岩戸の伝説◆
スサノウは、海原を治める仕事をせず、母のイザナミのいる黄泉の国へ行きたいと、泣きわめいては乱暴を働くので、イザナギはひどく怒り追放します。アマテラスオオミカミに話してから、根の国へ行くことになったのですが、スサノウはここでも乱暴なふるまいをし、皮をはいだ馬の死骸を機織り小屋へ投げ込み、機織り娘にけがをさせ死んでしまいます。怒ったアマテラスは、天の岩屋に閉じこもり、この世は真っ暗闇になり、悪い神さまが悪事を働き、病気も広がりました。相談をした八百万の神さまは、岩戸の前でお祭り騒ぎを始めたのです。「私が姿を隠し世の中が暗くなっているのに、何を楽しそうに騒いでいるのだろう」と岩戸を少し開けた時、力持ちの神さまタジカラオが、岩戸をひきはがし、再び世界は明るくなったのでした。投げ飛ばされた岩は、信濃の戸隠山となったということです。
 
この天の岩戸の前で舞われた時、弦という楽器を演奏した神さまがおられ、岩戸が開いた時に、その弦の先に鷲(おおとり)が止まったのです。
 
神さま達は、世の中を明るくする瑞兆、よいしるしを現した鳥だとお喜びになり、以来、この神さまは、鷲の一字を入れ、鷲大明神、天日鷲命(アマノヒワシノミコト)と称されるようになったのです。このアマノヒワシノミコトが、諸国の土地を開き、開運、殖産、商売繁盛に御神徳の高い神さまとして、当地、浅草にお祀りされたのでした。
 
後に、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が、東夷征伐の際に社に立ち寄られ戦勝を祈願し、志を遂げての帰途、社前の松に武具の「熊手」をかけ勝ち戦を祝い、お礼参りをされました。その日が11月酉の日であったので、この日を鷲神社例祭日と定めたのが酉の祭り、「酉の市」です。この故事により日本武尊が併せて祀られ、ご神祭の一柱となりました。(「鷲神社 後由緒」より)
 
また、こういう説もあります。
 
鷲神社は、もともとは、大阪府堺市の大鳥神社が本社で、大鳥の起源は、日本武尊の魂が白鳥になって、陵(みささぎ 貴人の墓)から飛び立ったという伝説によるものと言われています。
[子どもに伝えたい年中行事・記念日 P98 
萌文書林 編集部編 刊]
 
酉の市は、「お酉さま」の名前で親しまれており、境内では福をかき集める縁起物の熊手が、威勢のいい掛け声と共に売られ、冬の到来を告げる風物詩ともなっています。何事も訳ありですが、酉の市の由緒が、神代の時代までさかのぼるとは驚きです。日本武尊の武具であった熊手が、開運、商売繁盛のお守りになったとは。。。
 
熊手は、時代と共に形も飾り物も変わり、江戸中期より天保初年頃までは、柄の長い実用品の熊手に、おかめの面と四手(しめ縄についている細く切った紙)をつけたのだそうです。その後に、いろいろな縁起物をつけ、今のようなおかめや宝船、千両箱、大判小判などの紙を張り付け種類も多くなり、その年の流行を入れた熊手も話題を集めています。
江戸時代の頃は、商人や庶民の信仰の対象となっただけではなく、お武家さんにも空高く舞い上がる鷲を出世のシンボルとしてあがめられ、大いに賑わったそうです。
 
 
 
★ハロウィーン★
 
最後に、外国のお祭りを紹介しましょう、10月31日に行われるハロウィーンです。
キリスト教の祝日である「万聖節(ばんせいせつ)」の前夜祭で、秋の収穫を祝い、悪霊を追い出す祭り。
 
当夜には、日本のお盆と同じで親族の霊が各家に帰ってきますが、一緒に悪霊もやってきて悪さをするために、町中でたき火をして追い払ったのでした。紀元前からケルト人が行う宗教行事が、ハロウィーンの始まりといわれているそうです。
アメリカでは、悪霊を追い払うためにカボチャをくり抜いた提灯(ちょうちん)、ジャコランタンを飾り、魔女やお化けなどに仮装した子ども達が、「お菓子をくれないと悪戯をするぞ!」と近所の家を回る楽しいお祭りになっていますが、日本ではどうでしょうか。コロナでの自粛までは、仮装行列など、若者や大人が楽しんでいましたね。
 
※ジャコランタンの由来
 「昔アイルランドに、ジャックという名のケチなずるい男がいた。あまりにも狡猾であったため、ジャックは死んでも天国に入れてもらえず、仕方なく地獄へ向かったが、悪魔に追われて追い返されてしまった。ジャックは悪魔がくれた炭火を、くりぬいたカブに入れ、夜道を照らして歩いた。今でもジャックはそのランタンをもって、あの世とこの世の間をさまよい歩いている」という言い伝えが、ジャコランタンの始まりだそうです。今ではカブの代わりにカボチャを使うようになり、ジャコランタンはハロウィーンのシンボルになりました。(『和のこころ』 日本の年中行事 :So-net ブログより) 
 
当初はカブだったんですね。
トルストイの作品に出てくるような「大きなカブ」でなければ、提灯は無理ですね(笑)。
 
 
   (次回は、10月に読んであげたい本についてお話ししましょう)
 

 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、制作したものです】
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2026さわやかお受験のススメ<現年中児 今から始める小学校受験>ご家庭で楽しくできる受験準備(3)★★養ってほしい数感覚 2 ★★

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         「めぇでる教育研究所」発行
2026さわやかお受験のススメ<現年中児 今から始める小学校受験
      現年中児のお子様をお持ちの方々へ
 2026年度入試(2025年秋に実施)を成功に導く手引きです。
      <第10号
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★★養ってほしい数感覚 2 ★★
 
 
[アバウトから正確に] 
 
さて、何回も続けていく内に、お子さんは、たとえば10と5では、10の方が多いとわかると、今度は数字で多少の判定をはじめます。
そこまでわかってきましたら、「では、いくつ違いますかゲーム」に切り替えましょう。
ゲームのやり方は、同じです。
 
最初は、同じマークから始めましょう。
1枚ずつカードをめくり、お子さんが8、お母さんは3が出たとします。
お子さんは、「ぼくの勝ち!」と宣言して、その違いを調べます。
この場合も、[8-3=5]ではなく、数の少ない方のカードの[3]を覚え、数の多い[8]のカードのマークを3個、指で押さえて隠します。
 
そして残ったマークを数え、「ぼくの方が5個多い」と、必ず、言葉で判定結果を言うようにします。
 
今度は、お子さんのカードが4、お母さんのカードが7で、お母さんが勝った場合も、「ぼくの負け!」とお子さんに宣言をさせ、お母さんのカード[7]を使い、4個を指で押さえ、残ったマークを数えて、「ぼくの方が3個少ない」とお子さんに判定させ、結果を言うようにします。
 
お母さんは、一切、言葉をはさむ必要はありません。
 
正解の場合は「ピン、ポン!」、間違った場合は「ブッ、ブー!」と警告する程度にし、ゲームの進行は、お子さんに任せます。
このゲームは、正確に「いくつ違うか」を判定するものですから、スピードは必要ありません。 
先程も触れましたが、[10と9]、[8と7と6]のカードでは、マークの配列が[4と3]の違いに気づけば、どこをどう押さえて隠せばよいかもわかり、真ん中のマークの数だけで判定で
きるようになると、自然とスピードアップしますが、答えは、必ず、口頭でキチンと言えるようにします。
 
4種類のカードをまぜてやるのは大変ですから、2種類、10回戦で十分ですが、お子さんが希望する場合は挑戦してみましょう。
 
これができるようになれば、次に同じマークのカードを4枚並べ、「一番多いものと少ないもの」を見分けるゲームをやってみましょう。
指でさして、答えさせます。
これも直感で判定させたいのですが、ここまで、かなりゲームの量をこなしたことになりますから、数字とマークの数の関係で、わかるお子さんも出てくるでしょう。
 
例えば、[5、3、7、9]のカードが、並んだとします。
「9が一番多くて、3が一番少ない」と、数字でいえるようになれば、もう、カードでのゲームは、卒業してもいいでしょう。
 
ところで、数字は抽象的ですから、数詞がつかなければ、幼児には具体的な数は、わかりにくいものです。
 
[1]といってわからないことでも、「りんごが1個」となると、頭にりんごが1個浮かび、具体的な数を把握できるわけです。
トランプは、5のカードであれば、数字の5とマークが5個ありますから、抽象的な数字をマーク5個で具体的に表しています。
 
小学校の入試では、数字を使った計算はやりません。
 
ですから、1は○が1個、2は○が2個、10は○が10個であることが理解できれば、十分なのです。
数の多少がわかれば、トランプでのゲームを卒業し、数字のない遊びへ進みます。
しかし、お子さんがゲームを面白がるようでしたら、楽しみながら続けてあげましょう。
 
ここまで進むと、数字を書きたいお子さんも出てくるでしょう。
その場合、[0・5・7・8・9]の書き順を、きちんと教えてください。0は上から左回りで書き、下から右回り、時計回りで書くのは○(マル)です。
8は〇を2個縦に書きがちで、自己流で覚えてしまうと、直すことになりますから、小学生になってから苦労します。
 
そして、数字を覚えても、問題集や模擬テストなどでは、「絶対に数字を使って答えてはいけない」と約束しましょう。答が合っていても、得点にはならないからです。当然のことですが、入学
試験で数字を使って答えては、絶対に合格しません。設問のどこにも、数字で答えなさいとの指示はないからです。新しいことを覚えると、つい、使いたくなるものです。ここで、きちんと押さ
えておきましょう。
 
次の遊びは、お母さんが教材を作ります。
 
トランプより少し大きい長四角のカードを20枚(1から10まで各2枚ずつ)作り、ハートやスペードの代わりに●で表します。
トランプに慣れていますから、最初はマークと同じ配置にしましょう。
慣れてきたら、市販されている問題集などを参考に、オリジナルカードを作ってあげましょう。
市販されているシールを貼って作ると、きれいなカードができます。
 
最初のゲームは、直感で見分けた「多少の違い」をやってみましょう。
今度は数字がありませんから、直感が頼りです。
きちんと見分けられれば、「いくつ違うか」のゲームに挑戦しましょう。
今度は、トランプより大きいですから、答えも出しやすいと思います。
 
それもできるようになれば、4枚並べ、直感で「一番多いものと、一番少ないもの」を当てるゲームに進みますが、お母さんが意図的にカードの配置をした方がいいと思います。
 
[1・2・3・4][1・10・5・8]のように、[1と10]が入ったものばかりでは、緊張感に欠けるからです。カードをうまくアレンジしてあげましょう。
市販されている「数量の問題集」などを参考にされるのもいいですが、難易度を考えて選んでください。
 
慣れてきましたら、「二番目に多いものと、二番目に少ないもの」に挑戦してみましょう。
やり方は「一番多いものを見つけ、それより少ないもの(その次に多いもの)が二番目」になり、「一番少ないものを見つけ、それより多いもの(その次に少ないもの)が二番目に少ないもの」になります。
最初は戸惑うかもしれませんが、あくまでもゲーム感覚で、楽しみながらやってください。
ここではお子さんとお母さんでのゲームを題材としましたが、お父さんと対戦しても良いですね。
 
それから、幼児の場合は、何事においても誕生日、生まれ月を考慮する必要があります。
衣服の着脱、歯磨き洗顔などの基本的な生活習慣はもちろんのこと、こういった遊びを通した知的なトレーニングにも、十分に注意してほしいと思います。
「隣の○○ちゃんができるのに、なぜ、うちの子はできないのかしら」と思う前に、必ず、生まれ月を考えましょう。
早生まれのお子さんには、無理をしないように気をつけてください。
 
「できなくても、できるまで待ってあげる」、この気持ちが大切です。
 
お子さんのおむつを外すとき、お母さん方はどうしましたか。
粗相をしても、叱り飛ばさなかったはずです。
その心は、「まだ、できないから待ってあげる」であり、その心は「今に、必ずできる」ではなかったでしょうか。
待ってくれたから、お子さんは期待に応えたのです。
 
知的な能力の開発も、同じです。
いや、知的なことだけに慎重な対応が必要なのです。
できなくても、あせる必要はありません。
 
幼児は、体験を積んでいないからできない場合が多く、決して能力だけに問題があるわけではありません。
 
いろいろと体験させ、待ってあげましょう。
待ってあげるお父さんやお母さんのやさしい心が、必ず、できるように導くからです。
待ってあげるやさしい思いやりから、頑張る意欲は育ってきます。
お子さんの、今ある姿を見て、自信を持ちましょう。
 
こういった遊びで、十分に数感を養ってから、○を使った数の多少、和(合わせていくつ)、差(いくつ違うか)、対応(いくつ必要か)、分割(分けるといくつ)といった問題に進むのが、幼
児にふさわしい算数の学習であることを、ご理解いただけたのではないでしょうか。
ゆっくり、じっくり、しっかりと、ゲーム感覚で楽しんでください。
 
最後に、トランプの絵札は、普通、11はJ、12はQ、13はKとアルファベットで表されています。
Kはキングで王さま、Qはクイーンで王女さまの頭文字であることはわかりますが、Jは何を表しているのでしょうか。
これは、「ジャック」という名前の頭文字からとったものだそうです。
ジャックとは、イギリスではありふれた名前の代名詞で、日本では「太郎」にあたると考えればわかりやすいでしょう。
よくある名前を付けることで、名もない一兵士を象徴させているそうです。
騎士道の精神ではないでしょうか。
 
連日の猛暑が少しやわらぎ、台風が来るなど、少しずつ秋の気配が漂い始めたようです。
体調を崩さないように注意してあげましょう。
 
 
  (次回は、「第二の脳を鍛えましょう1」についてお話しましょう)
 
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