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めぇでるコラム : 2024年8月

2026さわやかお受験のススメ<現年中児 今から始める小学校受験>ご家庭で楽しくできる受験準備(1) 身につけてほしい話を聞く姿勢

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         「めぇでる教育研究所」発行
2026さわやかお受験のススメ<現年中児 今から始める小学校受験
      現年中児のお子様をお持ちの方々へ
 2026年度入試(2025年秋に実施)を成功に導く手引きです。
      <第6号
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ご家庭で楽しくできる受験準備
 
(1) 身につけてほしい話を聞く姿勢
 
今回からしばらく、家庭でできる受験準備の基本的なことについてお話ししましょう。
 
小学校の入学試験には、文字を使えませんから、ペーパーテストには答えは出ていますが、設問は、どこにも書かれていません。
このことです……。
 
一回で説明を理解できなければ、それまでです。
設問が書かれていれば、難しい問題は後回しにして、時間があれば挑戦できますが、小学校の試験は、これができません。
 
まず、設問を聞き、「はじめ!」の合図で取り組み、「そこまで!」と声がかかればやめて、次の設問を聞きます。
「もう少しでできるぞ!」と続けていると説明を聞き逃すことになり、次の問題に挑戦できません。
 
「約束を守る」の項目に、チェックが入る学校もあるようです。
そういったことから考えると、もっとも厳しい試験方法ではないでしょうか。
 
さらにやっかいなことには、慶應義塾幼稚舎のようにペーパーを用いない「行動観察型」のテストでは、先生の指示を聞き取り、理解し、考えをまとめ、自分自身の意見をいったり、話をしたり、思ったことを絵に描いたり、身体で表現しなければなりません。
 
しかも、生まれて初めて入った場所で、初めて会った同年代の子ども達とグループを組み、初対面の先生の指示を聞き、理解し、すぐに行動に移さなければなりません。
機敏に対応できる能力が求められます。
 
このように、話を聞く姿勢ができていなければ、小学校の入学試験には対応できません。ですから、まず、ご家庭で心がけてほしいのは、お子さんが「話をきちんと聞けるようにする」ことです。
 
それには、ご両親が「お子さんの話をきちんと聞く姿勢」を示すことが大切です。
「こうしなさい!」「こうしなければダメ!」と注文をつけるのではなく、逆に、お子さんの話に耳を傾けてあげる、話を聞いてあげることが大切なのです。
 
これは、簡単なようですが、あまりできていないのではないでしょうか。
 
幼児の話は一本道ではなく、あっちへ飛んだり、脱線したり、一回で完結せずに、予想のつかない展開となりがちです。
そこを辛抱強く聞いてあげ、
「○○君(ちゃん)、こういうことだったのね」
などと簡単にまとめてあげれば、
「何だ、そういうことか!」
と、本人は意識しなくても話の仕方の学習にもなっているのです。  
 
幼稚園や保育園から帰ってくるなり、
「ママ、あのね、きょう……」
などと話しはじめた時には、何はさておき聞いてあげましょう。
話したい意欲に燃えているのですから、「話の仕方の学習時間」と考えて、真剣に聞いてほしいのです。
 
聞いてもらうと、子ども心にも快感が生じます。
そこから、「人の話はきちんと聞かなければいけないこと」も学習できるのです。お母さんは、「話をきちんと聞きましょう!」と、柳眉を逆立て命令しているわけではありませんが、お子さん自身は「話をきちんと聞く学習の基本」を学んでいるわけです。お父さんも同様です。
 
これも「教えない教育」の一つの例です。
 
話を聞いてもらえたお子さんは、身も心もすっきりとし、
「ようし、今日は、プリントを5枚、頑張るぞ!」
となれば、一石二鳥ではありませんか。
 
お母さんにも経験ありませんか。
会社から帰ってきたお父さんに、テレビのワイドショーなどで仕入れた情報を披露しようとした時に、
「疲れているからあとにしてくれ!」
などといわれれば、ムッとしませんか。
 
お子さんも同じです。
力関係でお母さんに勝てませんから、黙るしかないのです。
せっかくの学習チャンスを無駄にしています。
この無駄は、はかり知れない大きなものであることを肝に銘じておきましょう。
スキンシップにも影響がでます。
 
お子さんの話を聞けないお父さん、お母さんは、命令と要求が多くなりがちです。
立教小学校の説明会で、「対話の反対は沈黙ではなく、命令と要求」とおっしゃったのは、田中司元校長でしたが、幼児の場合は、まさにその通りではないでしょうか。
 
お子さんが急に黙ったり、プッとふくれたり、不満げな様子を示す時は、「命令や要求が実行されている」と考えましょう。
子ども達が、もっとも嫌がるお父さん、お母さんであることに気づいてほしいですね。
 
ところで、特にお母さん、お子さんの赤ちゃん時代を思い出してください。
お子さんは、「ママ!」の一言で、一方的に会話を済ませてはいませんでしたか。
「お腹がすいた」
「水を飲みたい」
「おむつを取り替えて」
「汗をかいて気持ちが悪いの」
「日光浴をしたい」
「抱っこして」
「淋しいからそばにきて」
「テレビをつけて」
「頭が痛いの」
「お散歩に連れてって」
など、書き出すときりがありませんからやめますが、選択肢はこんなものではなかったはずです。
 
お母さん方は、「ママ!」の一言で、何を要求しているかを的確に判断し、適切な処置をしていたのではないでしょうか。
このことを思い起こせば、つたない話でも、聞いてあげるのは楽ではありませんか。
お子さんが、「ねえ、ママ!」といったときには、素直に話を聞いてあげるように心がけましょう。もちろんお父さんもです。
 
イエス・キリストも、「忙しい毎日の中で、その時にあたって最善の行動とは何かを考えなければならない」とおっしゃっていますが、子どもの話をゆっくり聞いてあげる、これもその時
に最優先すべきことと考えるべきではでしょうか。何もキリストにお出まし願うこともありませんが(笑)。
 
もう一つ、思い出してほしいのです。
 
赤ちゃんが、なぜ、話せるようになったか、このことです。
自然に話せるようになったわけではありません。
映画「ジャングルブック」は、赤ちゃんの頃から狼達に育てられ、言葉をまったく話せなかった少年が主人公でした。
言葉は、その学習時期を過ぎると臨界期といって、どうにもならなくなり、身につかないそうです。
 
ここでも、お父さん、お母さんの涙ぐましい努力が、あったはずです。
 
「ママ(パパ)、おみじゅ!」
と、お子さんがいったとします。
お母さん(お父さん)は、どのように対応されたか覚えているでしょう、それほど昔の話ではありませんから。
「のどが渇いたので、お水が飲みたくなったのね!」
こういっていたはずです。
そこで、お子さんは、
「ノドガ カワク、ミズヲ ノミタイ」
といった言語の学習をしていたわけです。
この語りが、おうむがえしが、会話の学習の基礎となり、今のように話せるようになったわけです。
「主語が『私』で、述語が『飲みたい』、目的語が『水』で、形容詞が、副詞が……」と教えたわけではありませんが、かなり、理詰めに話せるようになっています。
 
お父さん、お母さんとの学習が、苦にならなかったからです。
なぜでしょうか。
 
それは、やはりお父さん、お母さんが、話ができるように、やさしく対応してあげたからです。
その心は、「まだ、話せないから」といった配慮があり、無理に教え込まなかったからではないでしょうか。 
話をじっくりと聞いてあげ、言葉のシャワーを繰り返し浴びせかけた結果であり、これも「教えない教育」であったわけです。
  
誤解をされると困りますから繰り返し説明しますが、「教えない教育」は何も教えないのではなく、教わっている本人が、意識することなく、楽しく、大変な学習をしていることです。
 
そして、面接で、丁寧な言葉で話してほしいとお考えでしたら、お母さん自身が、響きのよい言葉を使うことです。
「ご飯よ、○○ちゃん!」ではなく、「ご飯ですよ、○○くん(さん)!」と話しましょう。
 
言葉遣いやあいさつは、一朝一夕に身につくものではありません。
親が率先して、よいお手本を見せることです。
 
さらに、指示は、正確に出すように心がけましょう。
「ねえ、○○ちゃん、あそこにある、あれとって!」
「あそこの、あれ」といわれても、わかっているのは指示を出したつもりのお父さん・お母さんだけで、聞いているお子さんには、何が何だかわかりません。
何だろうと迷っていると、
「何をぐずぐずしているの!」
と、怒気を含んだ催促になりかねません。
 
「これ、それ、あれ、どれ」といった「こ・そ・あ・ど言葉」
は、使わないことです。
「こ・そ・あ・ど言葉」は、文章が煩雑になるのをさけるために使う「代名詞」です。
代わりの言葉ではなく、名詞をきちんと使いましょう。
 
「○○くん、ダイニングのテーブルの上にある料理の本を、お母さんのところへ持ってきてください」と指示がきちんと出ていれば、「いい加減に聞いたらまずいことになるぞ!」と、お子さんもわかります。
 
   ◆話を聞いてあげる。 
   ◆きれいな言葉を使う。
   ◆指示をきちんと出す。
      
保護者に、こういった配慮があれば、お子さんも、保護者の願いに応えるはずです。
心当たりがありましたら、早速、実行しましょう。
 
暑い日が続くようです。清涼飲料水は控えめに、家で作った麦茶などで、渇きをしのぎましょう。
 
 
(次回は、「本の読み聞かせの素晴らしい効用 1」についてお話しましょう)
 
 
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2025さわやかお受験のススメ<小学校受験編>過去の説明会より

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         「めぇでる教育研究所」発行
2025さわやかお受験のススメ<小学校受験編>
      年長児のお子様をお持ちの方々へ
 2025年度入試(2024年秋に実施)を成功に導く手引きです。
      <第57号>
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○説明会情報○
 昭和学院小学校 オープンスクール・入試説明会
   9月7日(土)
      
 国府台女子学院 学校説明会
   9月14日(土) 
 
 千葉日本大学第一小学校 学校説明会
   9月7日(土) 
      
 いずれもHPでご確認ください。
 
 
 
 ■過去の説明会より
 
今回も、過去に行われた説明会での情報を紹介しましょう。
 
「共学がいいか、別学がいいか」、徹底的に分析をしてくれたのが立教小学校の田代現校長です。具体的な話は教頭時代でしたので、教頭時代の数年の話をまとめてみました。教頭は、その容貌と話し方から、大変な熱血漢である印象を受けます。おそらく、子ども達からも親しまれているのではないでしょうか。
 
「本校にはどんな男の子がいるか。男の子は単純で、雑駁で、ずぼらで、締まりがなく、言葉遣いは悪いし、けんかは日常茶飯事だが、私は好きだ。
 脳科学者の話では、すべてに当てはまるわけではないが、脳の厚さは、女性は11歳で最大になるのに比べ、男性は18ヶ月遅れるとか、実証されているそうだ。成熟差を中学生で比べると、1年半から2年間ほど遅れるそうで、我々が教えていてもそれは感じる。
 アメリカでは1932年に公立校の男女別学を禁止していた。しかし、2006年10月に法改正がなされ、公立校で別学、共学を選択できるようになった。脳の発達や思考、得意分野の違いをまったく無視し、同じ条件で教育したことに問題があるということで、別学が増えていく。
 イギリスの研究者の話では、男女別学では、性別による固定観念を打ち崩しやすいが、共学ではこれが難しいといっている。歌を歌う場合、共学では恥ずかしがってほとんど歌わない。男子校の合唱は一つの特徴でもある。女子校では今はやりの『リケジョ(理系女子)』ではないが、数学や科学を好む学生が増えてきた。別学では男子らしさ、女子らしさという固定観念がなくなるのではといわれてきている。共学では逆に強調され、男女別学の良さが見直されて来ている。アメリカの真似をするのが大好きな日本だから、文科省が力を入れている中高一貫教育も、今に中高一貫男子校、女子校を作り出すかもしれない、公立校の。我々は小中高大学までの一貫教育で男子校。皆さん方は、すでに先見の明があるといえる。それを申し上げておきたい。18歳をこえると脳の成長の差はなくなるそうだ。小中高で男女が分かれていて、大学で共学というのは理想的な教育制度で、手前みそながら何ですが……」(会場から笑い声が起こりました!)
 
理系に進む女子については、国府台女子学院の平田史郎学院長は、進学実績からその傾向にあるとおっしゃっていましたが、「女子だけだからいいのです。共学にする考えはありません」と力説していました。やはり科学的な根拠があったわけです。もしかすると、公立校での中高一貫男子校、女子校の誕生は、案外早い時期に実現するかもしれませんね。
 
ところが、聖徳大学附属女子中学、高校は、2021年4月より共学の進学校を目指し、学校名を「光英(こうえい)VERITAS(ヴェリタス)中学校高等学校」に変更、生まれ変わりました。これで益々、国府台女子学院は貴重な存在になりました。
 
話を戻しましょう。
どんな家庭のお子さんが欲しいかについて田代先生は、次のようにおっしゃっていました。
 
「最後に、いつもお願いしていることだが、どんな家庭のお子さんがほしいか、メモをとるような話ではないが、訓練によって鍛えられた子どもではなく、話の読み聞かせや自然の中で五感を使った遊びの体験やお手伝いを重視する家庭。
それらを基にして、豊かな会話をもっている家庭、そういう日常生活を大切にしている家庭で、社会のルールを守る社会性や協調性を厳しくしつけられている家庭の男の子が欲しい。なぜなら、学校は社会性を訓練する場、男が成長して父親になった時、知性を発揮できるように、キリスト教の精神に基づき行える心の豊かさ、自分に対して優しさという知性を身につける場であり、こういったことを理解し協力してくれるご家庭の子、男の子なら誰でも結構」
 
学校選びの基本は、「ご両親がどんな大人に育てたいのか、そのためにはどういった教育、環境が必要であるかではないでしょうか」とおっしゃっていました。私どもも、「はじめにご家庭の教育方針ありき」と言ってきましたので、素直に受け入れることができました。
 
以前、紹介しました「教育の道は家庭の教えで芽を出し、学校の教えで花が咲き、世間の教えで実がなる」、明治時代、高等小学校(現在の5、6年生)の親に配られた「家庭心得」ではありませんが、そのとおりですね。
 
高学歴者の不祥事が伝えられるたびに、「世間の教え」をないがしろにした結果ではないかと考えますが、今までの努力は何だったのだろうと、他人事ながらもったいないと思いますね。
 
次は、早稲田実業初等部の求める子ども像です。
 
『どんな子どもに来てほしいか、いろいろとあるが主だったことを言うと、第1に早実大好き、早稲田大学に進んで勉強したいと思う子。2つ目に規則正しい生活ができる。もう一つ大切なことは、自分のことは自分でできるお子さん。
これができていないと宿泊学習が始まると辛くなる。中学で体験したことだが、宿泊合宿のときの荷物作り、親御さんが詰めてしまう。忘れ物が出ても名前が書いていないからわからないので処分するしかない。自分でやらないからわからない。3つ目は人の話を最後までしっかりと聞くことができる。4つ目は物事に最後まで取り組むことのできる子を期待している。
 基本的な生活習慣は、ご家庭で教えて頂きたい。しつけの問題になるが、教え方に問題があるのではないか。ご両親共に子どもと接する時間が少なくて忙しい。うまくできないと早くしなければならないから、お母さん方はすぐに手を貸してしまう。そうではなく言葉をかける。言葉を理解し自分でやることが大切。だから時間はかかる。手を貸すと「また貸してくれる」と子どもは考える。その時はスムーズに通過できるが、後々それが癖になる。言葉を主体にして見守り、時間をあげて言葉で考えさせて、自分でできることを中心に考え、できたところでしっかりと褒める。その繰り返しが大切。褒められると次に生きてくる。また褒められたいという気持ちになる。そういうことを大切にしてほしい。幼い時に身に付いたしつけ、習慣は、子どもにとって大切な宝物になる」
 
そして、モチベーションの上げ方について。
 
「学校見学会が行われるが、初等部を見学できるのはこの日だけ。是非ともお子さんと一緒に来てほしい。お子さんが自分の目で見ることが大事。私の願いは、お子さんが『この学校に来て学びたい、勉強したい、一緒に友だちと遊びたい』と思うだけでも、これからの受験勉強の励みとなり、お子さんのモチベーションも上がる。それを狙っている部分もあるので、『勉強しなさい!』と言ってもモチベーションは上がらず、そのへんはなかなか難しい。そのためにも是非、一緒に来てほしい」(2018年説明会)
  (早稲田実業学校初等部 橋詰敏長元部長  )
 
また、森国前部長は、「早稲田実業学校の伝統と歴史は、校是『去華就実』のもとで形成されてきた。上辺だけの華やかさではなく実をとる、外面より内面の美しさを求める精神を大切にし、社会の各方面で貢献できる人材の育成を目指している。校訓の『三敬主義』は、他者を、自己を、事物を敬うことの大切さを説いてきた。謙虚で優しく、自重自立し、全てのことに敬う心をもって取り組む誠実な姿勢を示すもの。こういった理念を受け継ぐ初等部6年間は、一人ひとりの個性を尊重し、確かな学力を身につけ、自ら学び、考え、創り出し、表現する力を育て、人間性豊かな児童を育てることを目標に掲げている」とおっしゃっていました。
星現部長も同じようにおっしゃっています。
 
 
最後に、慶應義塾幼稚舎です。
幼稚舎の教育の特徴「6年間担任に持ち上がり制と教科別専科制」について、大島誠一元舎長の話を紹介しておきましょう。
 
「幼稚舎教育を通じて、子ども達にどういった人になって欲しいかというと、『人生を楽しむ人になってほしい』『社会を肯定的に見る人になってほしい』『自分の能力を生かして人の役に立つ人になってほしい』と私は願っている。
人生を楽しむといっても、ただ、その場その場を面白おかしく生きるというのではない。日々、辛い努力を積み重ねることも大切で、辛いことに辛抱することも大事だ。しかし、究極的には『自分の仕事を楽しむ』ことだ。
福澤諭吉が示した慶應義塾の目的に、『社会の先導者たらんとすることを欲するものなり』という語句がある。しかし、始めからリーダーになることを目指すのではない。仕事に喜びを感じ、自分の好きなことをやっている内によい仕事ができる。その結果として周りに支えられリーダーになっていくという考えだ。もちろん、自分が嫌なこともやらなくてはならないだろう。しかし、やっていることが楽しくなければ継続することは難しく、ましてやよい仕事ができるとは思わない。楽しいからこそ人から見れば辛いことも、たいして辛いと思わずにできるのだろう。会社の組織の中で高い位置につくことができなくても、あるいは先導者となり得なくても、年老いた時に、『自分の人生はよかった』と思えるような生き方を私は大切にしたいと考えている。
こういった考えは、福澤諭吉の生き方そのものだと思う。福澤の生き方は、最初から立身出世位を目指したものではない。『知りたい、見てみたい、やってみたい』という気持ちが凝縮した人生だったと思う。幼稚舎という学校を理解していただくには、ここで私がくどくど申すより、福澤が自らの人生を振り返った『福翁自伝』を読んでいただければご理解いただけるものだと考える。是非、一読されることをお薦めしたい。そして『福翁自伝』は、幼稚舎を受験するだけではなく、自分の生き方を考える上でも素晴らしい書物だと思っているので、多くの方々に読んでほしいと思っている」
 
『福翁自伝』はわかりませんが、明治初期に発売された「学問のすすめ」は、300万部以上売り上げ、超ベストセラーになっています。ちなみに、世界一のベストセラーは「聖書」で、約3880億冊だそうです。
      (「マナビゲート 2016」P39 大学通信 発行より)
 
雙葉小学校の説明会は、公開行事がない本校で唯一校内に入ることができる機会です。校庭の一角には、幼稚園、小学校に在籍されてから聖心女子学院へ進まれた上皇后美智子様が、ご成婚の記念に植樹されたメタセコイヤの3本の内の1本が、校舎と頭を揃えるほどに成長した姿を見ることができます。
といっても、校庭に入ることはおそらくできませんので、会場へ移動の際に階段から見ることができる大きな木、と思っていただければよいでしょう。
 
夏になり、入試に向け家庭学習も一段とペースが上がってきたのではないでしょうか。夏期講習会で身につけたリズムを崩さないように、頑張りましょう。
一点、休養を取ることもお忘れなく。
 
    (次回は「よくある質問について」お話ししましょう)
 
 
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第11章 お月見です   長 月(1)

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第40号-
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第11章 お月見です   長 月(1)
 
 
8月はまだまだ「夏」という感覚(小学校受験としても夏)ですが、暦の上では、今月から秋です。
秋の読み方は、「黄熱(あかり 稲が成熟する)からとの説が一般的ですが、秋空が「あきらか(清明)」である、収穫が「飽き満る」、草木の葉が「紅(あか)く」なるなどの説もあるようです。
長月(ながつき)のいわれは、秋も深まり、次第に夜が長くなっていくから「夜長月」の略が、わかりやすいですね。
これにもいろいろな説があり、「稲刈月(いねかりづき)」の「い」と「り」を略して「ねかづき」が「ながつき」となったものや、「稲熟月(いねあかりつき)」が略されたという説もあるそうです。
 
 
 
★★お月見ですね★★
 
9月といったら、お月見ですね。
天保暦でいうと、8月15日にあたり、今のグレゴリオ暦では、9月の15日から20日頃が見頃です。今年は9月17日です。
 
秋の澄んだ夜空に、こうこうと輝く満月を観賞する習慣は、古くから中国にあり、それが平安時代に貴族の間に伝わり、やがて、武士や庶民にも広まったものです。昔は、「中秋の名月」といい、月を眺めながら、和歌を詠み、お酒を酌み交わし、秋の夜を過ごしました。何やら風流な趣が伝わってきそうですが、お百姓さんは、それどころではありません。何しろ日本は、農耕民族でしたから、とにかく自然が頼みの綱です。
 
お月さまは、お百姓さんにとって、お日さまと同様、大変な存在でもあったのです。
 
ご存知のように月は、およそ1ヵ月の間に丸くなり、また、だんだんと欠けていきます。新月から1週間程で半月になり、15日程で満月に、1週間後には半月となり、再び新月に、これの繰り返しです。そこで昔の人は、満ち欠けする月の形から、1ヵ月のおよその日にちを知ることができ、それをもとに農作業の時期、段取りを行っていました。
 
また、月の明かりで、夜遅くまで農作業ができたのです。言ってみれば、お月さんは暦であり、時計であり、夜間の照明器具でもあったわけですから、感謝の心は、現代では考えられないほど、深かったに違いありません。
 
さらに、旧暦の8月といえば、稲にとっては、夏の暑いお日さまを、さんさんと受け、しっかりと実をつける時です。しかし、台風が来ると、折角、丹精を込めて育ててきた稲は、強風と豪雨でメチャメチャになってしまいます。台風一過の秋晴れのもとで、すっかり水を被ってしまった田んぼを、お百姓さんはぼう然と眺めるしかありません。ですから、お月さまに、すすきや秋の花とおだんごや果物芋などを供えて、自然が荒れないようにお祈りを捧げたのです。
 
なお、十五夜を見た場合には、旧暦の9月13日(現在の10月10日~30日頃)の十三夜も見なければならないといわれています。1回しか見ないお月見を「片見月」といい、不吉なことが起こると嫌われていたからだそうです。
十三夜は、栗や豆を備えることから「栗名月」「豆名月」ともいい、十五夜が中国から伝来したものに対し、十三夜は日本のオリジナルな風習です。
 
また、「十三夜に曇りなし」ともいわれ、晴れの夜が多く、秋の澄んだ夜空に、こうこうと輝く月を見ることができます。丁度、10月の下旬にあたり、秋たけなわの頃だからです。お子さんと一緒に「片見月」とならないように、確かめてみましょう。こういった話をするだけでも、お子さんには、楽しい思い出となるものです。
 
 
 
★★なぜ、すすきを飾るのでしょうか★★
 
すすきは、姿、形から見ても稲科の仲間だとわかります。
あの白い花穂が、いいですね。別名「尾花」といいますが、本当に漢字は説得力があります。これは、お百姓さんから聞いた話ですが、なぜ、お月さまにすすきを飾るのか、その理由は、すすきの尾花は、細くて長く、まるでほうきのようですから、秋風に揺れながら、その穂で、しっかりと神さまを捕まえ、豊作をお願いしたいからだ、といっていました。
 
 
 
★★なぜ、お月さまにうさぎが…?★★
 
今の小学生は、笑ってばかにするかもしれませんが、昔は、宇宙ステーションや月面探査など想像外のことでしたから、月にうさぎが住んでいると信じられていました。満月を見ると、うさぎが跳ねているように、また、杵(きね)を持ち、餅をついているようにも見えていたようです。
 
うさぎ うさぎ なに見て跳ねる     
十五夜お月さん見て 跳ねる     
 
文部省唱歌です、牧歌的で、いいではありませんか。
 
うさぎの住んでいる満月を見ながら、すすきやおだんごを飾り、自然に感謝する心は、小さい時に、きちんと育んでおきたいものだと思います。これも情操教育に欠かせない、大切な行事ではないでしょうか。
 
満月を、星を、しみじみと眺めたことはありますか。お子さんと一緒に、夜空を探索してみましょう。
澄んだ秋の空には、お子さんと共有できるロマンがあふれています。星座にまつわる伝説を知る機会になるかもしれません。まずは、分かりやすく、3つの星が並ぶオリオン座、ですね。
             
ところで、外国の人々も、うさぎだと見ているのでしょうか。天の川と同じく、いろいろな見方があるもので、想像のつかないものもあり、見る位置により、こんなに違うものかと驚かされました。
 
 中国では、うさぎが薬草を作っているとも、ひきがえるやかにがすんでいるともいわれています。ヨーロッパや北アメリカでは、女の人の横顔やロバ、インドや南アメリカではワニ、中東ではライオン、アフリカではうさぎがひっかいた傷に見えるそうです。
(心を育てる 子ども歳時記12ヵ月 監修 橋本裕之 講談社 刊 P83)
 
やはり、世界中の人々も、こうこうと輝く満月に、いろいろな思いを抱いていたのですね。
 
海外へ出かけたとき、お月さまがどのように見えるか、お子さんと一緒に眺めてみるのも、いい思い出になるかも知れません。満天の星の主役は、北斗七星や南十字星、オリオン座などのようですが、お月さまも加えてみてはいかがでしょうか。手軽に出かけられませんが、南極では、逆さまに見えるそうです。
 
そして子どもから、「お父さん、どうしてうさぎさんは、いつも同じ格好をしているのかな」とかなり大人を困らせる質問があるかもしれません。裏側はどうなっているかなんですね。言われてみればその通りで、大人は不思議に思いませんが、そこは探求心の旺盛な子ども。良い質問です。
 
「月の自転周期と月が地球の周り回る公転周期が一致しているから、常に表しか見えない」ということのようですが、子どもにどう説明すれば良いか、悩みますね。
皆さんなら、どう説明しますか。
 
 
   (次回は、「秋の七草」などについてお話しましょう)
 
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、制作したものです】
 
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2026さわやかお受験のススメ<現年中児 今から始める小学校受験>幼児に必要なのは、 勉強ではなく学習です。

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2026さわやかお受験のススメ<現年中児 今から始める小学校受験
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 2026年度入試(2025年秋に実施)を成功に導く手引きです。
      <第5号
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幼児に必要なのは、 勉強ではなく学習です。
 
 
ある年の白百合学園小学校の親子面接で、こういった質問があったそうです。
「何かお勉強をしていますか。どういうお勉強ですか」
「…………?」
こうなってしまったお子さんが、多かったのではないでしょうか。
 
模擬親子面接で、こういった質問をするのは控えますが、どのような受験準備をされているのか聞きたくなるときがあります。それは、ペーパーテストの成績は良いのですが、行動観察型のテス
トでは、それほど点数が取れていない場合です。幼児に「勉強をしていますか」とは聞けませんから、いけないと思いながら誘導尋問をします。
 
「幼稚園から帰ったら、どんなことをしますか」
「お教室へ行ったり、お母さんとプリントのお勉強をしています」
「お勉強は楽しいですか」
 
ここで、お母さんを見るお子さんがいます。どうやら勉強が楽しくないようですね。
しかし、そうはいえませんから、お母さんの顔を見て、そして、うつむいてしまいます。
後で、親子関係が険悪になると困りますから、
「楽しいようですね。ところで……」
と話を変えます。
 
多くの子ども達に聞いても、受験準備は勉強だといい、女の子は「お勉強」といいます。
しかし、どういった勉強をしているかまでは、説明できません。
話の記憶から数量、推理・思考、図形、構成と勉強している領域は広く、取り組んでいる内容も複雑だからです。
学校側は、何を聞きたかったのでしょうか。
                      
それはともかくとして、教育の二文字から「勉強と学習」といった二つの言葉が浮かんできます。
では、勉強とは、どのような意味があるのでしょうか。
辞書を引くと、こう書いてあります。
 
「1.そうする事に抵抗を感じながらも、当面の学業や仕事などに身を入れること。
 2.将来の大成・飛躍のために一時忍ばなければならない、つらい経験」
   (「新明解国語辞典」三省堂 刊)
 
幼児期には、「つらい経験」はあまりさせたくないものです。
 
一方で、学習を辞書で引くとこう書いてあります。
 
「習い学ぶこと。とくに、学校などで系統的に勉強すること」
   (岩波国語辞典第三版 岩波書店 刊)
 
この「習い学ぶ」ことから、キリスト、釈迦、マホメッドと共に、世界の四大聖人である孔子の話を思い出します。
 
「論語物語」の中にある「うぐいすの声」です。
テーマは君子に関することですが、学習について、息子の鯉(お祝いに王様から鯉をいただいたのが命名の由来だそうです)に説明するシーンがあります。
論語を研究したことはないのですが、印象に残っています。もしかすると私の誤解であって、専門家の先生から叱責を受けるかもしれませんが、「わたくし流」に解釈して紹介しましょう。
文言は正確ではありませんが、ダイジェストすると、こういった話になります。
 
早春の朝、庭を散歩する孔子が、「ホーホケキョ」と鳴くうぐいすの声を聞き、息子の鯉に、「お父さんうぐいすが鳴いたね。今に、赤ちゃんうぐいすが鳴くよ」というと、「ケッキョ!」と不
器用に鳴く声が聞こえてきます。
「この赤ちゃんうぐいすは、親の鳴き方を一所懸命に真似て、繰り返し、繰り返し練習するのだよ。赤ちゃんうぐいすにとって、学ぶということは、親の鳴き方を真似するのであり、習うという
ことは、何回も練習し、失敗を重ねることであって、やがて、親鳥のように、鳴けるようになるのだよ」
 
このように、幼児の教育は、「勉強」ではなくて「学習」ではないでしょうか。
 
受験勉強も「強いて勉める」のではなく、「学び習う」のが望ましく、また、そうあるべきだと思います。
「そんなの理想でしょう。大人でも解けないような問題が出ていますよ。何であんなに難しい問題がでるのですか。できなければ合格しないということでしょう!」
 
そのような声も聞こえてきそうです。ごもっともですといいたいのですが、難しい問題でも、きちんと段階を踏んでいけば、できるようになります。多くの場合、取り組み方が間違っているから
できないだけです。
 
歩けない我が子を、無理やり歩かせようとしましたか。
十分に“はいはい”をさせ、つかまり立ちができ、少し歩いてはよろけて倒れる、これを繰り返すことで、やっと歩けるようになったわけです。発育段階を無視せず、一歩一歩、ゆっくりと時間
をかけて見守った、あたたかい愛情があったからではないでしょうか。
 
また、しっかりと“はいはい”をして筋肉を鍛えるなど、さまざまな条件を乗り越えた結果でもありますが、そこには「歩きたい」と願う本能があり、そのために試行錯誤をいとわない意欲や行動
力があったからです。
 
知的な能力を培うのも、同じだと思います。
幼児が、いろいろなことを知りたがるのは、一人で生きていくための知恵を備えるためではないでしょうか。
 
幼児が、一つの能力を身につけるには、それにふさわしい体験を積むことによって学習していきます。いわゆる「体験学習」です。
記憶力も大切な能力ですが、知的な能力は、記憶だけに頼った勉強だけで、身につくものではありません。
 
一度泳げるようになると、十数年泳がなくても、泳ごうと思えば泳げます。ところが、英単語などは使わなければ、簡単に忘れてしまいます。泳ぎは、体が記憶している中枢神経系統に、記憶は
大脳神経系統に属しているからだといわれています。幼児は日常の家庭生活を通して、また、幼稚園や保育園、近所の友達との関わりから、さまざまな能力が開発されていくのです。
 
さらに、幼児にとって大切なのは、「遊び」です。
 
幼児の遊びは、仕事です。
大人は仕事をするとき、報酬を考え取り組みますが、幼児の仕事には、金銭的な報酬は何もありませんし、要求もしません。
しかし、一人で生きていくための知恵は確実に身につき、自立を促します。ここで言う「遊び」は、ゲームをやっていて、つまらないからやめるといったような遊びとは違います。ですから全力
をあげ、夢中になって取り組んでいるのです。
 
遊びには、一人遊びと仲間遊びがありますが、ここでは、一人遊びを考えてみましょう。
 
一人遊びを見ていると、子どもが夢中になっている様子がよくわかります。
それも道具は、ウルトラマンと怪獣の人形だけで、大激戦が繰り広げられています。
番組を撮影する監督も顔負けの映像が、子どもにはリアルタイムでポンポンと浮かんでいるのでしょう。
 
子どもの想像力や空想力は、大人の比ではありません。
 
台本を書いて、セットを組み、主演から脇役、対戦相手の怪獣、そして本人しかわからない奇妙な効果音まで流し、監督までやっているのですから驚きです。
 
しかも、こんなにすごい想像力を働かしながらも、もっとおもしろく遊べる方法はないものかと工夫しています。
ですから、子どもは遊びに夢中になれるのです。
 
どうしたらもっと面白くなるかと、いろいろなアイデアを考え、その中から、
「これが、いいぞ!」
と選び、遊びの場に引き出します。
やってみたところが今一だとすると、
「なんだ、おもしろくないな。カット、カット!」
と駄目出しをして、また新しい台本に挑戦し始めます。
 
「考え、実践し、評価し、新しい遊びを見つける」、幼児の遊びは、これの繰り返しで、そこから新たな力が育まれていきます。
まさに大人顔負けのPDCAサイクルですね。
しかも、だれも教えていません。すごいことです。
 
教えてくれなくても、こんなに夢中になって取り組めるのです。
それは、一歩でも前進したい本能的な要求であり、そこから得た知恵が、自力で生きる力になっているからです。
こういったすばらしい潜在能力を利用しない手はないと思います。
 
幼児の教育は、「体験学習」で培われ、「教えない教育」に基づいたものであるべきだと思います。
 
「教えない教育」とは、本人が教わっていると思わずに、たくさんのことを学んでいる教育のことです。
 
赤ちゃん時代から、お母さん方の育児の姿勢は、「体験に基づいた教えない教育」に徹してきたはずです。
 
言葉を語りかけたとき、おむつを外したとき、スプーンやはしを使えるようにしたとき、恐い顔をして、教え込んだでしょうか。
 
失敗しても怒らない、できるようになるまで「忍の一字」で待ってあげたはずです。
 
「うちの子は、まだできないから」
ときちんとお手本を見せるという愛情があったからこそ、お子さんもそれに応えて成長したのではないでしょうか。
 
受験準備も同じです。
 
できる、できないだけにこだわらず、どうすれば楽しく学習できるか、一緒に考えてあげましょう。
 
それには、遊びの感覚を取り入れることです。
 
机の上で問題集を広げてする受験勉強は、基本的な力が備わっていなければ、苦痛になるだけです。
 
お父さんやお母さんとの学習が面白ければ、そして楽しければ、お子さんは、一所懸命に挑戦するはずです。 
受験勉強の第一歩は、ここから始めるべきだと思います。
 
暑さに負けず、昆虫採集や外遊びをする子ども達を見かけます。
水筒を持っていますが、帽子をかぶっていない子がいます。お子さんはいかがですか。元気なことは良いのですが、熱中症対策はしっかりしてあげましょう。
 
また、外から帰ってきた時は、手洗い、うがいを励行してください。良い習慣は、毎日の積み重ねから身につくものだからです。
 
 
 (次回からは、「家庭でできる楽しい受験準備」についてお話しましょう。)
 
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2025さわやかお受験のススメ<小学校受験編>説明会より

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         「めぇでる教育研究所」発行
2025さわやかお受験のススメ<小学校受験編>
      年長児のお子様をお持ちの方々へ
 2025年度入試(2024年秋に実施)を成功に導く手引きです。
      <第56号>
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○説明会情報
 
  聖心女学院初等科 オープンスクール
    期間:8月22日(木)、23日(金)
    時間:午前9時~
    所要時間:30分(各日5回、1回60名)
    申込期間:8月1日(木)~8月22日(日)15時まで
    申込はHPから
 
  成蹊小学校 第2回学校説明会
    期間:8月22日(木)、23日(金)
    時間:午前9時~、11時~、13時~
    申込期間:7月30日(火)~8月30日(金)15時まで
    申込はHPから
 
  ※詳細は各校のHPをご覧ください。
 
 
■説明会より
      
昨年までは、新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、WEBでの学校説明会にする学校もまだありましたが、今年は多くの学校で、学校での対面方式での説明会に戻っています。みなさん方も、直接学校に行くことで、学校に通うイメージが湧いたのではないでしょうか。
 
今回は、その白百合学園小学校の説明会が、実際にどのように行われたかを紹介しましょう。ただし、文言は、正確ではないことをお断りしておきます。
  
   
 
  めぇでる教育研究所 入試情報
      白百合学園小学校 学校説明会
 
日 時 令和6年6月29日(土) 10:00―11:15
場 所 学園講堂
参加者 約500名
 
座席に置かれた封筒について、学園報(小、中、高の保護者に配布)、大樹に(小学校の保護者)、学校案内、文集しらゆり(毎年、説明会用に作成、小学生の作文、詩、感想文)、募集要項が入っているとの説明があった。
 
  次第
「白百合学園のあゆみ」
校長挨拶 建学の精神と教育方針
映像「一年桜組の一年間」
学校生活を振り返って(6年生児童)
本校の教育活動
3年生の歌
連絡
 
 
1.「白百合学園のあゆみ」(中西 教頭先生)
 
学園の母体であるフランスのシャルトル聖パウロ修道女会は、今年で創立328年を迎える。発祥の地は、ルヴェヴィル・ラ・シュナルという小さな村だ。
17世紀末のフランスの農村では人々は貧しく、子どもの教育が疎かにされていた。その状況に心を痛めた1人の神父が学校を始めることにした。神父の志に共感し、子どもたちに読み書きや手仕事を教えたり、病人の看護を行ったりしたのは修道女たちだった。人々の苦しみに寄り添い、献身的に愛ある活動を行う修道女たちの取り組みが本校の教育の原点。144年前、1878年にフランス人の3名の修道女が函館に派遣され、彼女たちの働きが日本各地に広がった。1881年、東京にも学校が設立され、これが本学園の始まり。関東大震災や東京大空襲などさまざまな困難の中でも、創立当初の修道女たちの思いを受け継ぎ、現在に至っている。
 
 
2.校長挨拶(保倉啓子先生) ~建学の精神と教育方針~ 
 
建学の精神は、設立当初の修道女たちの心を受け継ぎ、子どもたちに神の愛を伝えながら、時代の要請に応えて教育を行うことを使命としている。そして、本校が基盤としているキリスト教の人間観とは、「人間は一人ひとり神に愛されたかけがえのない存在であり、その存在価値は、他者との比較や競争によって優劣が生じるものではなく、この世に生きているだけで、無条件に価値がある」ということだ。これは時代を超えて、宗教を超えて、普遍的なことであると思う。
 
児童には、分かりやすく次のような校訓を掲げて、指導にあたっている。
従順「すすんで みがこう 正しい心」
勤勉「すすんで なんでも いっしょうけんめいに」
愛徳「すすんで しんせつ よろこんで」
 
今年度は、特に『勤勉』に重点を置き、「みんなとともに進んで生かそう自分の力」という白百合生の姿を掲げている。お互いの個性や良さを認め、大切にし合う心を養うこと、どんなことにも誠実に向き合い、一つひとつ丁寧に一生懸命に取り組む心を育むこと、これは修道女たちが大切にしてきた精神の一つだ。
ご両親からたくさんの愛情を受けて育ってきている本校の児童は、とても優しく思いやりがあり、周りに目を配り、助けを必要としている人に思いを寄せて、進んで行動している。正しいこと、良いことを自分なりに考え、力を尽くそうとする白百合生の姿は建学の精神の体現だと思う。
教職員も同じ精神で子どもたちのために一致団結して教育に当たっているので、本校の教室や職員室は大変なごやかで笑顔が溢れており、保護者の皆様にはお子様を安心してお預けいただける学校であると確信している。
 
 
3.映像「1年桜組の1年間」
 
入学式の様子から始まり、「ごきげんよう」の挨拶の練習、授業の様子、上級生との関わりなど日々の生活の様子が伺えた。最後には2年生として入学式で「友だちになるために」を合唱し、新1年を迎えて映像は終了した。ご覧になった保護者は入学後の1年をイメージできたのではないだろうか。
 
 
4.学校生活を振り返って(6年生児童)
 
<一人目>
「夏休みにヨーロッパ旅行に行き、学校で学んでいるフランス語と英語を使って現地の方とコミュニケーションをとったこと。その経験が自分にとって、大きな喜びと自信になったこと。また、自身は中国にルーツを持つことから、日、中、仏、英の4つの言語に日常的に触れているので、将来は多くの言語を使いこなし、世界各国を巡りながら命を救う仕事に就きたい。」と話してくれた。
 
<二人目>
「毎朝の楽しみは、1年生のお世話に行くことだ。授業準備や着替えを手伝い、朝礼までの間おしゃべりをしたり、絵本を読んであげたりしている。自分が1年生の時、6年生と過ごせる朝の時間が大好きだった。6年生になった今、1年生が自分を頼ってくれることがうれしくて、毎朝あたたかい気持ちになる。
また年に数回、1年生から6年生まで30人ほどのグループで、6年生が企画した遊び行う白百合タイムがある。学年を超えて仲良くなれる行事だ。今年は、私がお姉様にしてもらってうれしかったことを下級生にしてあげ、白百合生らしさを受け継いでいきたい。」と話してくれた。
 
<三人目>
「2月に雪の学校に行き、スキーやそり遊び、雪合戦など、自然の中で冬を満喫した。スキーではクラスの枠を超えた友達と過ごしたので、たくさんの友達と仲良くなることができた。スキーで転んだ時や気持ちが落ち込んだ時、友達に温かい言葉をかけられ、その優しさに助けられた。途中で気持ちがすれ違うこともあったが、ミーティングで話し合い、お互いを理解し合うことで、前よりも絆が強まった。雪の学校以外にも、4年生の海の学校、6年生の高原学校など、3年間にたくさんの体験ができたことに感謝している。宿泊学習は私たちにとって一生大切にしたい素敵な思い出だ。」と話してくれた。
 
いずれも児童の視点からの発表ということもあり、非常に参考になった。
 
 
5.本校の教育活動 (清水雅子教頭先生)
 
本校の全ての教育活動の基盤となっているのは宗教教育だ。児童の1日はお祈りで始まりる。日常生活のことや周囲の人への感謝、災害や戦争で苦しむ人々のことを考え、心を込めて祈る。
本校では、児童の学校生活全てを通して、教職員全員でキリスト教を土台とした宗教教育を行っている。いつも、どんな時にも神様の存在があり、ありのままの私たちを受け入れてくださること。その神様を信頼し、感謝して、自分自身の行動へとつなげていく力を育てていきたいと思っている。
本校では、各学年が桜組、菊組、梅組の3クラスに分かれていて、2年ごとにクラス替えがある。学級担任のほかに、専科教諭も各学年に副担任として配属される。1学年6名ずつの教員が学年団として、児童一人ひとりの成長を共に見守る。1年生は併設の幼稚園から60名、小学校から60名でスタートするが、すぐに慣れて、みんな仲良くなるので、安心してほしい。
また、担任、副担任の他に1年生の各クラスには教育補助もついて、幼稚園や保育園から入学する児童の様子をよく見て、支える体制をとっている。学級担任は、児童が自己肯定感を高められるような温かな学級経営を心がけながら、主に国語や算数の授業を行う。専科教諭もそれぞれの専門性を生かして、質の高い授業を行っている。全ての教員が日々研鑽を重ねながら、興味や関心を深め、探求していく喜びを味わうことが大切であると考えて、授業を組み立てている。そのためには、児童の学習状況をていねいに見ることが欠かせない。授業をきっかけに学びの種が芽を出し、成長していく過程を見つめていくことは、私たち教員にとって幸せなことだ。
伝統的な女子高である本校では、ジェンダーバイアス、女性はこうあるべきだという考え方にとらわれることがない。本校には、活発で雄弁な児童も、静かに思考を深める児童もいるが、それは一人ひとりの個性として受け入れられる。
女の子らしさではなく、自分らしさを大切に、どの子にもさまざまな場面でリーダーとなって活躍する機会がある。お互いの絆を深め、成長していくことができる環境は、女子校ならではの良さといえる。経験や思いを共有しながら成長した卒業生は、中高での生活を経て、大人になっても変わらぬ交流をしている様子だ。卒業生が一生の友を得て、白百合生としての誇りを持って社会に貢献できることを願い、私たちは日々の指導に臨んでいる。
 
<算数教育について>
本校算数科では、「数、量、図形の知識や数学的な考え方を身につけさせ、問題を解決しようとする態度を育てる」「多様な考え方に触れる中で、自らの思考を深めさせ、数学的な良さを感得させる」という2つの目標を掲げて、日々の指導にあたっている。
指導の中では、問題解決に至るまでのプロセスを大切にしている。
低学年の足し算や引き算の学習を例にお話しする。計算方法を習得する前に、絵やブロックを用いて問題場面を表現し、その絵やブロックをくっつける、離す、結びつけるなどの操作を通して、基本的な考え方を身につける。また、長さや重さ、かさに関する内容でも、同様にまずは五感を用いた体験的に理解できるようにしている。
高学年では、体験的に理解する段階からステップアップし、線分図や表、図などを用いて情報を整理し、式に表したり、問題を解いたりすることができるように指導していく。
問題を解くだけではなく、どのようにして解くのか、より良い解き方はないかという思考のプロセスを大切にしており、そのためには、1人で考える時間だけでなく、クラスで話し合う時間も大切にしている。さまざまな考え方に触れたり、伝え合ったりする経験を通して、少しずつ論理的な思考力が養われる。
話し手は「自分が伝えたいことが聞き手に理解してもらえているか、相手意識を持って話す。」、聞き手は「話をしている相手に体を向けて聞く。」という話し方、聞き方の指導から始めている。学年が進むごとに、子どもたちはクラス全体の話し合い、グループやペアでの交流を通して、自らの考えを精錬させる力を高めている。
 
最後に、6年生の少人数制授業について紹介する。学習内容はより高度になり、また発達段階として人前で間違ったことを言ってしまう恥ずかしさから、6年生の児童は発言に躊躇する場面も見られる。そこで、昨年度からクラスを半数にして、担任と算数の専科教員でそれぞれを分担して授業を行っている。人数が少なくなったことで、教師が全児童の考えを理解しやすくなり、子どもたちの間違いがちな点を全員の共通の話題として取り上げやすくなった。間違いについて20人で検討し、より良い考えを皆で作り上げる授業ができていると実感している。
 
<外国語教育について>
本校の外国語教育の特徴は、フランス語と英語の2つの外国語を学習することだ。フランス語は1年から6年生まで週に1回、英語は3、4年生が週に1回、5、6年生は週に2回、少人数授業も取り入れながら、日本人と外国人ネイティブ教師によるチームティーチングの体制で行っている。外国語の強化目標は、6年間で自分の身の回りのことについて聞ける、話せる、読める、書けることだ。また、本校が外国語教育で1番大切にしているのは、言葉の面白さや楽しさを味わうことを第一に、自分の考えを伝えたり、人の思いを受け入れたりして、お互いを尊重し合う心を育てることだ。
6年生では、「私、学校、家族」というテーマを2か国語で文章にまとめている。授業では、児童が理解しながら楽しんで豊かな表現に出会うだけでなく、宗教的、文化的な行事を体験する活動も行っている。
フランス語は学校でのみ学習している児童がほとんどなので、授業内で十分な習熟を図れるように特に丁寧に指導している。そして、併設中学校では、フランス語は必修科目として全員が学習を継続し、高校で第1外国語として選択すると大学受験の科目とすることもできる。
また、定期的に外国語での交流活動も行っている。フランス語では、生活科の「こども祭り」でフランス人学校の方々と一緒に遊ぶ活動や、併設高校の交換留学生とともに行う日本文化についての活動を続けている。英語では、イギリスの小学生とビデオレターやグリーティングカードの交換を行い、フランス語では、スペイン領カナリア諸島の小学生と手紙や映像での交流を行っている。
これらの交流では、学んだ言葉を使う楽しさを味わいながら、生き生きと活動する様子が見られた。
また、カトリック学校ならではの関わりとして、フランス語と英語でお祈りを唱えたり、聖歌を歌ったりする機会がある。フランス語と英語の2つの言語を学ぶことにより、本校の児童は外国語への関心や感度を高めている。言葉は外の世界への窓。その窓がいくつもあることで視野がさらに広がる。外国語の学習を通して、他者に対して開かれた人間に育ってほしいと願いながら、日々の指導を行っている。
 
 
6.3年生の歌
 
『あの空はどうして青い』のほか、フランス語で『アヴィニョンの橋の上で』を元気いっぱいに披露してくれた。
 
 
7.連絡事項
 
出願方法:WEB出願、願書はHPよりダウンロードし、記入後郵送。
     学校での願書の販売はしない。願書のダウンロード期間や郵送期日が決まっているので間違えないように。詳しくは募集要項を参照してほしい。
 
学校見学会:9月7日(土)に実施。7月20日(土)9:00からミライコンパスのサイトより申し込み開始。詳細は後日で確認してほしい。
 
以上で終了。
個別の質疑応答あり。
 
 
 
いかがでしたでしょうか。
文言は正確ではありませんが、説明会の様子が伝わったのではないでしょうか。
 
夏休み講習、元気に通っていますか。毎日、体系的に学ぶことにより、受験に必要な力は確実につくと共に、知らない友とも学べ本番の雰囲気をも体験できます。暑い日々が続いています。室外と室内の温度差などで体調を崩さないように、健康管理には十分に注意してあげましょう。
 
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2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第10章 終戦記念日、このことです 葉月(4)

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第39号-
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 第10章  終戦記念日、このことです   葉 月(4)
 
 
間もなく終戦記念日。終戦後80年近くになりましたので、保護者の方もなかなかイメージしにくいのではないでしょうか。それにもまして戦争そのものの話は小さな子ども達には難しい話ですから、今回の配信を機に、ウクライナ情勢も参考にして、戦争についてご両親はどう考えているかも話し合ってみましょう。
 
 
【八月に読んであげたい本】
 
昭和20年3月10日、東京大空襲。たった一晩で、10万人もの尊い命が失われました。
その東京大空襲を描いた「東京大空襲ものがたり」は、年長さんでも理解できるのではないでしょうか。当時の世相や風習もわかりやすく解説されています。
ダイジェストにするのはおこがましいと思い、本文を少し紹介することにします。
 
  ◆東京大空襲ものがたり◆   早乙女 勝元 著
 
 「電柱だけが知っている炎の夜のこと。
 ゆかりと進一の家の近くに、真っ黒こげの電柱があります。
 これは、咲子おばさんにとっては、たった一つだけの、大事な目印なのです。
 東京大空襲の炎の夜に、おばさんは、赤ちゃんの螢子ちゃんと、ここではぐれてしまったのです。
 二人は父さんから、その話を聞かされ……」
 
これが物語の始まりで、真っ黒こげの電柱の叫び声で終わります。
 
 亡くなった人は、何も語ることができませんが、どれだけたくさんの、つらく悲しいできごとがあったことでしょうか。焼け残りの電柱は、今も東京下町の、あの町角に立っています。北風の吹く寒い日も、夏のカンカン照りの日も、電柱は亡くなった人たちに変わって、「炎の夜」のできごとを、私に、そしてみんなに語り続けているように思われます。
 でも、その声は聞こえません。ですから、ゆかりと進一は、電柱にかわって、こう呼びかけるのです。
  誰もが、平和を守るための努力を、
  そのための、小さな勇気を、
  わすれてはいけない、と。
     花房ゆかり 眞一
 
 (東京大空襲ものがたり  早乙女勝元著 有原誠治絵  金の星社 刊)
 
今となっては、空襲の辛い体験をされた多くの方々は、すでに冥界へ旅立たれたのではないでしょうか。こういった現実があったことを、しっかりと子どもに伝えることも、親の仕事ではないかと思います。
 
 
 
  ◆長崎のピカ◆
 
 昭和20年の8月6日に、広島に原子爆弾が落とされたの。
 一発で広島中が燃え、何10万の人が死んだの。
 3日後の8月9日、今度は長崎に落ちて、私の家族8人は一人ずつ順々に死んでいったの。
 最初に死んだのは、おばあちゃん。外出中に被爆し、真っ黒になり、はらわたを出して死んだの。次の日に、父さんと母さん、兄ちゃんと死んでいったけれど、上の妹、ゆみ子は、ずうっと見ていたの。次の日の明け方、きれいな船に、父さんと母さんと、おばあちゃんと兄ちゃんが笑って、おいで、おいでしていると、かぼそい声で言うの。「船に乗ったらだめ!」と叫んだけれど、「みんなで迎えに来たよ」と言って亡くなったの。顔はボールのようにはれあがり、歯ぐきはまっ黒にただれ、紫色の斑点が身体中に出て、口も動かないの。でも、そう言って死んだの。気がついたら、弟も死んでいたの。
 下の末っ子の妹、すず子は、防空壕で体を寄せ合っていたら、冷たくなっていくので、マッチをつけてみたら、もう死んでいたの。その身体を、一晩中だいて寝ていたの。冷たくて、皮がべろべろとはげるの。
 次の日、お隣のおじさんがきて、一人ずつ焼いたの。
 私は、12歳でした。
           
  夏休みのはなし
  「海ぼうず」 松谷みよ子/吉沢和夫監修 日本民話の会・編 国土社刊                                          
 
12歳の無残な夏、平和な時代に生かされていることに、ただ感謝するだけです。
もう一冊、戦時下を舞台にした話を紹介しましょう。
 
 
  ◆ホタルになった兵隊さん◆   堀田 貴美 著
 
 前の戦争のとき、九州南端の知覧に陸軍の飛行場があり、戦争末期、そこは特攻基地でした。
 特攻機は人間爆弾で、搭乗員は、二十歳前後の若者達だったのです。基地の近くに、おばさんと二人の娘が手伝う富屋食堂があり、隊員達に親しまれていました。その中に、出撃後に飛行機が故障して、帰ってきた宮川三郎軍曹がいました。再び、出撃しましたが、二度とも機械が故障し、引き返したのです。整備隊長に、いい飛行機をくださいと訴えました。仲間が戦死し生き残るのは辛かったのでしょう。同じ頃、やはり、一人生き残った滝本軍曹が配属され、宮川さんと知り合い、富屋に一緒に顔を見せるようになりました。
 昭和20年6月5日の夕方、二人は、明日出撃するため、富屋へ別れにきたのです。
 娘たちは、出撃の鉢巻きを贈り、話もつきません。帰りがけに宮川さんが娘達に、「明日の晩9時に、ホタルが2匹入ってくるから、中に入れてやってね」と言いました。
 翌日は天気が悪く、富屋の人達は、案じていましたが、夜8時頃、滝本さんが現われ宮川さんは行ったという。2機並んで飛び立ったが、雨雲にさえぎられ、帰ろうと合図しました。宮川さんは、「お前は引き返せ」と、別れの合図をし、雨雲の中へ飛び去ったのです。娘達は、宮川さんの気持ちが、痛いように伝わってきました。
 その時、一匹のホタルが天上にとまり、時計を見ると、9時でした。宮川さんが言った時刻と何秒も違いません。店にいた隊員もよってきて、滝本さん達は、ホタルを見ながら、宮川さんの思い出を話しました。ホタルは、話を聞いているようでした。               
 「宮川さん、やっぱり帰ってきたんじゃねえ。」
 おばさんは、ぽつんと言いました。
   日本むかしばなし 23
     ジェット機とゆうれい 日本民話の会 金沢祐光 絵  ポプラ社刊 
                                         
最後の、おばさんのつぶやきが、悲しく、何とも言えません。多くの人達の犠牲でつかんだ平和を、私達は、無駄遣い、浪費していないでしょうか。
 
 
                                         
戦争の話から離れ、盛夏、真夏に怪談話を一席。 
むかし話にも怪談はありますが、現代っ子は、昆虫を殺しても、「電池、取り替えてよ、お母さん!」と言うそうですから、こんな話、恐がらないかもしれませんね。                
 
 
 ◆あめかいゆうれい◆   中本 勝則 著
 
 ある夏の暑い晩のこと。
 あめ屋のじいさんのところへ、青ざめた顔をした一人の女が、あめを買いにきたのです。
 それからというもの、決まったように、夜遅く、あめを買いに来ます。七日目の晩のことでした。
 「あめをください」と差し出した手に、銭はありません。いつもより、青ざた顔は、悲しそうに見えるのです。じいさんは、何もいわずに、あめをあげました。
 「どこの人だろう」と後をつけると、不思議なことに、山寺の山門まで来ると姿を消したのです。
 すると、寺の中から、赤子の泣き声が聞こえるのでした。驚いたじいさんは、和尚さんに訳を話すと、まだ新しい墓にじいさんを連れていったのです。
 先日、赤子を身ごもったまま女の人が亡くなり、それがこの墓だというのです。掘り出してみると、棺桶の中で、玉のような男の子が、母の胸にしがみつき、見れば男の子は、あめをにぎっているではありませんか。じいさんが売ったあめでした。
 昔、死んだ人には、一文銭を六枚、手に握らせ墓に埋めたそうです。死んだら渡る「三途の川」の渡し賃でした。しかし、母親の手の中には、六文銭はなかったのです。
 和尚さんは、泣いている男の子を抱き上げて、「母さまは、わしが供えた銭で、毎晩、お前のために、あめを買いに行ったのだ」と言って、静かに念仏を唱えたのでした。                     
    海ぼうず  松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
                             日本民話の会・編  国土社刊 
 
妖怪やお化けの話は、たくさんあります。幼児用に、怖くない話が多いですから、お子さんが興味を持ったときは読んであげましょう。無理なく、勧善懲悪を教えるように構成されているからです。
 
     ( 次回は、「お月見です」についてお話しましょう。)
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、制作したものです】
 
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