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めぇでるコラム : 2021年7月 2ページ目

さわやかお受験のススメ<小学校受験編>建学の精神、教育方針の理解の仕方 (3)

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    「めぇでる教育研究所」発行
さわやかお受験のススメ<小学校受験編>
        第53号
  年長児のお子さまをお持ちの方へ
小学校受験をお考えの皆様を応援します!!
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建学の精神と教育方針の理解の仕方(3)
 
 
今回は、地元千葉県の5校を取り上げてみました。国府台女子学院小学部は、
前回第52号でお話ししましたので、4校について紹介いたしましょう。
 
 
≪ 日出学園小学校 ≫
 
教育理念と目標 
   ここから大きく育つ、生きる力。
   自主性  向上心  想像力  好奇心
小学校6年間を通じて「なおく・あかるく・むつまじく」の校訓をもとに、
人間教育の実践をしています。
 
  「なおく」とは、正しいこと正しくないこと、良いこと悪いことが判断で
   きること。
  「あかるく」とは、笑顔を絶やさず感動を体験しながら、一生懸命取り組
   むこと。          
  「むつまじく」とは、文字通り仲良くする、共に生きる、共生のこと。 
           
健康で潤いのある人間性や想像力を養い、基礎学力の定着を図る、これが本校
の目標です。具体的な内容に関しては、荻原巌校長のあいさつを参考にしてく
ださい。 
         
「日出学園は昭和9年(上皇陛下が誕生した翌年、市川が市となった年)に市
川在住の有志によって創設されました。
その中心となった青木要吉は若き日にアメリカに留学し民主主義と自由主義を
肌で感じ、その体験から生徒の特性を伸長することに重点を置いた私塾的な雰
囲気を持つ寺子屋のような少人数、男女共学の教育を目指していたと聞いてい
ます。
当初は幼稚園、小学校のみでしたが、昭和22年中学校を、25年には高等学
校を開設して現在に至っています。
 
人間形成の土台づくりは、児童期の体験数で決まると思います。小学校では、
学校行事での関わりの中から楽しさ、悔しさなどいろいろな想いを体験しても
らい、その都度いろいろなことを考えて前に進んで欲しいと願っています。そ
のために、異学年交流・異年齢交流・宿泊合宿など集団の中で、友だち・下級
生・上級生という立場で物事を考え行動し、そのような体験の中から社会性や
共感性などを身につけていってほしいと常々思っております」           
 
教科では、国語力の向上に力を注いでいます。図書室には現在約54、000
冊の蔵書があり、恵まれた環境の中で、考え、思い、学び、表現するための手
立てである「言葉の力」をつけさせ、「生きる力」へとつなげていけるように
指導していること。
また、「書は人なり、心を写す力」ともいわれているように、正しい「書写力」
を身につけることが一番の目標で、低学年のうちから、一点一画、ていねいに
書く習慣を身につけるように心がけている学校です。
 
創立者の信念でもあった「昼食はお母さんの手作りのお弁当」は、少し形を変
え、ネットで注文し、購買部で購入できるシステムをはじめました。働くお母
さん方への支援、これも歓迎されているようです。
 
共学で、高校までのゆとりのある一貫教育で、大学受験は、本人の実力次第。
なお、中学受験に関しては、従来から、受験対策のノウハウは充実しており、
HPの中学校合格状況に、その実績を見ることができます。小学校は地元で安
全に通学、中学から東京の学校へと考えているご両親も多いようです。
 
 
 
≪ 聖徳大学附属小学校 ≫
 
2021年度から、高校(光英VERITAS中学校・高等学校)までの共学
となりました。それまでは、男子は中学受験する必要があり、かなりの進学実
績をあげていましたから、充実した進学体制をあげても良いのではないでしょ
うか。幼児教室対象の説明会でも、外部の優秀な指導者を招いていると聞いた
ことがあります。
 
最近、日本女子大学附属豊明小学校、聖心女子学院初等科をはじめ、学童保育
やアフタースクールが盛んですが、本校の「聖徳アフタースクール」の大きな
特徴として、車でのお迎えを容認していることでしょう。お仕事を持っている
お母さん方には強い味方になるのではないでしょうか。
 
校名の聖徳の由来は、聖徳太子の道徳や礼節などに対する思慮の深さを教育の
基礎とし、豊かな人間づくりを実現したい思いから。読み方を変えたのは、聖
徳太子に深い尊敬の念からで、「しょうとく」と読むのを控え「せいとく」と
したそうです。
 
「思いやりと、礼を尽くす、こまやかな心を学ぶ」を目指す小笠原礼法宗家の
指導による礼法教育、明和班、全校生が一緒に食事をする「食堂(じきどう)」
など、学園の「礼節」「知育」「勤労」の3つの教育方針について、どのよう
に期待するかをまとめてみましょう。
 
礼法教育は、1年生から6年生まで、年間指導計画があり、電車の中で化粧を
している女性や、歩きながら物を食べている無作法者に見せたいほど、日本古
来の文化が伝承されている学校です。これも欠かせない志望理由になるのでは
ないでしょうか。
 
 
 
≪ 千葉日本大学第一小学校 ≫
 
創立時は男子だけの別学でしたが、平成8年4月から共学校になり、大学まで
の一貫教育校です。共学が自然で、受験を考えなければ16年間のゆとりのあ
る教育環境で、自分の進む道を、ゆとりを持って学べることでしょう。
 
本校の児童は、一定の内部進学規定を満たすことで、学園の2つの中学校へ約
70%、2つの高校へは90%以上、そして大学へは60%の生徒が進んでい
ます。(令和3年7月のHPより)
 
本校の校訓「真(まっすぐに) 健(すこやかに) 和(なごやかに)を、わ
たしども流に、心を表す言葉として考えると、
 真は「飾り気のない、偽りのない心」
 健は「すこやかな精神」
 和は「おだやかな心」
となりますが、いかがでしょか。
 
本校の特色として、「学習習慣の定着と学力向上」とありますが、年間の授業
時間数は、本校は13教科で6676時間、公立校は5645時間と、かなり
多いこと。
また、創立以来、英語教育に力を入れています。5年生は英語劇を行ったり、
ステップアップタイムの活用などで、卒業時に6年生全員が実用英語技能検定
5級合格を目指しています。
そして、縦割りグループによる学年を超えたユニークな「さくら活動」でしょ
う。
こういったことからまとめてみましょう。
 
 
 
≪ 昭和学院小学校 ≫
 
教育目標に「知・徳・体の全人教育(知識だけにかたよった教育ではなく、性
格教育、情操教育なども重視する教育)を掲げていますが、開校以来、少数の
児童(1学年2クラス)に行き届いた教育を行うことを目標に、道徳教育を重
視し、児童の基本的生活習慣の形成に力を注いでいます。それが、校是「明敏
謙譲」の狙いであり、教育目標に表れています。「学校案内」には、「明敏と
は活力を持って未来を開くこと、謙譲とは英知を持って社会に生きること」で、
「明朗にして健康で、自主性に富み、謙虚で豊かな人間を育てること」と説明
されています。
 
鈴木祐子校長は、就任の挨拶で、こうおっしゃっていました。
 
「高い学力とやさしい心」を目標に私たちは日々の教育に力を注いでいます。
その基盤となるのは子ども同士、子どもと教師、保護者の方々とのあたたかい
人間関係です。私たちが挨拶を大切にし、思いやりの言葉が行き交う風土を大
切にするのは、品位と節度ある態度に裏打ちされた人間関係こそ「知・徳・体」
のバランスの取れた21世紀型の人づくりに欠かせない資質と考えるからです。
これからも「明敏謙譲」の建学の精神のもとに、心と体と頭を磨き、謙虚さを
備えた心身ともに健康な子を育ててまいります。
 
 
「心と体と頭を磨き」、響きのいい言葉ですね。「頭を磨き」が先行すると、
頭でっかちな子になりがちです。子どもが望むのではなく、親がそう仕向ける
ことに問題ありですね。
 
「明敏謙譲」、例によって、育児の姿勢としてわたしども流に考えるとこうな
ります。
 
「謙譲」とは、「へりくだること」という意味で、「謙譲の美徳」ともいいま
すが、最近は、お目にかかれない言葉となりました。むしろ、「謙虚」の方が
おなじみかも知れません。「自分が偉いものと思わず、素直に他に学ぶ気持ち
があること」という意味です。すると校是の「明敏」は、「明朗にして健康で、
自主性に富む」ですから、「元気で、明るく、自力で挑戦する子」に、「謙譲」
は「謙虚で心の豊かな人間を育てる」ですから、「素直な子」と置き換えるこ
とができるでしょう。
 
独自の国語教育、伝統の読書教育に加え、「視写」があります。
文章をそのまま写すことです。おそらく子ども達は、名文を写し、記憶し、漢
字を覚え、語彙も増えるといったように、楽しい学習をしているのではないで
しょうか。
 
幼稚園では、年少から英語を正課にしていることについて、受験されるお母さ
ん方から、「英語の勉強について、何らかの準備をしておかなくても、ついて
いけるでしょうか」と質問を受けることがあります。附属の幼稚園では、年少
から正課として英語を保育に取り入れ、年少組は週1回30分程度、年中、年
長組は週5日40分程度行っています。3年間でかなり力がついていると考え、
入学後、英語を学んでいない子どもにとって、それがハンデになるのではと考
えるのも当然ではないでしょうか。
 
それについて鈴木祐子校長は、
「本校では、ESL用に開発された『グレープシード』という英語のカリキュ
ラムを使用しています。入学時には個々のバックグランドにより英語力がまち
まちな児童たちですが、少人数制の英語授業を通し、ほぼ1年で経験に由来す
る差はなくなります」
とおっしゃっていますから、心配ないようです。
 注 ESL(English as a Second Language)
     英語を母語としない人のための英語教育を目的としたプログラム
 
また、本校のアフタースクールには12講座の内、英語の授業が3講座設けら
れており、これを利用することで、ハンデをなくす対策になっているのではな
いでしょうか。本校のアフタースクールは半端ではなく徹底していますから、
学校側も自信を持って対応できると考えているようです、私見ですが。
 
共学で、高校までの一貫教育校と期待する教育内容からまとめてみましょう。
日出学園と同様、中学受験のノウハウは充実しており、HPを見ると進学状況
を見ることができます。これは、現在共学ですが、それ以前は、中高は女子だ
けの別学であったため、男子は受験を控えていたためです。念の為、お断りし
ておきますが、面接で「中学受験を目指しています」は、そういう考えを持っ
ていても、あえて言う必要はありません。
 
なお、令和3年度入試から105人募集に増え、それに伴い、校舎の増設工事
を行っています。
 
 
3回に分けて、「私学の建学の精神、教育方針の理解の仕方」について、「お
とうさん、おかあさんの受験対策」(めぇでる教育研究所 刊)からピックアッ
プして紹介しましたが、これは、あくまでも「わたしども流の考え」にすぎま
せん。
こういった解釈を情報として公表するのには、少し、心配があります。それは、
幼稚舎が作文を止め、面接を廃止した理由が、あまりにも「傾向と対策化され
ている現状から意味がないと判断したから」とおっしゃったことと同じ理由か
らです。一つの考え方、ヒントとしてお読みいただき、ご自身の言葉でお話し
できるようにしていただきたいと、老婆心ながらお願いしておきたいと思いま
す。詳しくは、めぇでる教育研究所のHPをご覧下さい。
 
間もなく夏休みに入りますが、夏休みの講習会に参加し、キチンと計画を立て
て、乗り切りましょう。「夏を制する者は秋を制す」、この気持ちで頑張って
ください。
 
 
 (次回は「夏休みの過ごし方」を予定しています。)

 


さわやかお受験のススメ<保護者編>第9章(4)七夕祭りでしょう 文月

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2022さわやかお受験のススメ<保護者編>
       ~紀元じぃの子育て春秋~
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
          -第35号-
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第9章 (4) 七夕祭りでしょう   文 月
 
【七月に読んであげたい本】  
 
七夕とお盆です。どちらも、その縁起話があるので、紹介しましょう。
 
 
 ◆天女のよめさま◆   常光 徹 著
 
 むかし、ある村の若い猟師が、沼のほとりで昼寝から目を覚すと天女が三人、
泳いでいました。若者は、木にかけてあったとび衣(羽衣)を一枚隠したので
す。水浴びが終わると、天女はとび衣を着て、天へ舞い上がって行きましたが、
隠された天女は天上に帰れません。若者は、泣いていても仕方がないと慰め、
家に連れて帰ったのです。
 やがて、天女は若者の嫁になり、三人の子どもが生まれました。ある時、上
の子が、むずかる下の子をあやす歌を聞き、その歌詞をヒントにとび衣を見つ
け、子どもを連れて、天上へ帰ったのです。家に帰った若者は、「会いたけれ
ば、一番鶏が鳴く前に、わらじ百足分を肥やしにし、夕顔の種を植えてくださ
い」との置き手紙を読み、わらじを作ったのですが、あと一足で夜が明けたの
で、わらじを埋め、夕顔の種を植え、眠ってしまいました。目覚めた若者が見
たのは、空に伸びた、夕顔のつるでした。これで、嫁や子どもに会えると、犬
を抱えて登ったのですが、もう少しの所で、つるは止まっていました。若者は、
犬を天上に放り上げ、しっぽにつかまり、天の庭に跳ね上り、家族と再会でき
たのです。
 ところが、天上のじいさまは、若者を快く思わず、「四町歩の畑を一日で耕
せ!」などと難癖をつけるのです。その度に、嫁さまの助けで解決しますが、
最後は、うまくいきませんでした。うりの収穫が終わると、じいさまは、縦に
切れ(本当は横に切る)というので切ると、積んであるうりが、音をたてて裂
け、水があふれ出して大水となり、若者をのみこみ、流れていくのです。嫁さ
まは、毎月、七日に会いましょうと呼びましたが、若者は、七月七日と聞いて
しまい、それ以来、年に一度、七月七日に、二人は会うことになったのです。
 うりからあふれ出た大水が、夏の夜空に見える天の川になったのでした。 
   七月のおはなし 「かっぱのおくりもの」
     松谷 みよ子/吉沢 和夫監修 日本民話の会・編 国土社 刊
  
同じような話に、鈴木三重吉の「星の女」があります。馬車や蜘蛛(くも)の
王様が出てくるので、「羽衣伝説」は日本の他にあるのかなと、不思議に思っ
たことを思い出します。
鈴木三重吉には、立ち往生したソリで過ごす少年の素晴らしい知恵を描いた
「少年駅伝夫」、肉屋と野良犬の心温まる生活を描いた「やどなし犬」など、
子どもたちに読んでもらいたい作品が残されています。
 
この話から、「ジャックと豆の木」を思い出しませんか。何回もいいますが、
人間、どこに住んでいても考えることは同じなのです。そう思うと、何やらう
れしくなります。本当は、心のやさしい生きものなのです、人間は。ところで、
「ジャックと豆の木」に出てくるのは「鬼」でしょうか、それとも「大男」で
しょうか。
 
 
 
 ◆お盆のはじまり◆
 
七月十五日は、祖先や亡くなった人たちの霊をなぐさめるお盆の日です。お盆
の縁起を伝える話が残されています。
 
 お釈迦さまに、目蓮上人という神通力にたけたお弟子がいて、修行中に息を
引きとり、あの世へ旅立ちました。死んだお母さんに会いたいと思い、三途の
川を渡り、閻魔大王のいる関所に着き、母に会わせてくれるよう、願い出たの
です。大王は、上人を、湯が煮えたぎる大きな釜の所へ連れていきました。釜
の中では、釜茹の刑を受ける人達がうめき、叫び声を上げていたのです。上人
が、母の名前を呼んでいると、釜の中から一匹のカメがはい上がり、「私がお
前の母だ」というのです。その訳を尋ねると、お前が可愛くて、賢いことを自
慢し、お前さえ長生きすればよいと罪深いことばかり考えていたからだという
のです。上人は、お母さんを助ける方法はないかと尋ねると、毎日、石に一字
ずつお経を書き、それからお経を読んでと言いかけたとき、番人の鬼がきて、
カメを湯の中へ投げ込んでしまい、二度と姿を見せません。そこで上人は、大
王にお礼を言うと、不思議なことに、再びこの世に戻ってきたのです。               
 次の日、上人は神通力で、八千人もの羅漢(悟りに達した仏教の修行者)を
集め、一つ一つの石に、一字ずつお経を書き、お母さんのために、盛大な供養
を行ったのです。すると、紫雲たなびく天上遥かから、「お前のおかげで極楽
浄土へ行けるようになったよ」というお母さんの声が聞こえてきたのでした。
上人は、その後、毎年、七月十五日になると、お灯明をあげ、祭壇に新鮮な野
菜を備え、お母さんや祖先の供養をしたそうです。
 これが、お盆の始まりだそうです。
  日づけのあるお話 365日 七月のむかし話 
                   谷真介編・著 金の星社 刊
 
この話を聞くたびに、「子煩悩」という言葉を思い出します。この言葉から、
子どもをかわいがる親のイメージを持ちがちですが、本当はそうではありませ
ん。煩悩とは、「心身にまといつき心をかき乱す、一切の妄念・欲望」(岩波
国語辞典)のことです。「子煩悩」は、「子は煩悩のもと」と考えるべきなの
です。すると、目蓮上人のお母さんが、なぜ地獄へ落ちたかわかります。
 
「お前のことが可愛くて、可愛くてね。お前が賢いことを人に自慢ばかりして
いたのじゃ。他の人は早く死んで、おまえだけ長生きしてくれればいいと、罪
深いことばかり考えていたからだよ」
 
少子化時代に過保護な育児をしていると、「子煩悩地獄」に落ちます。被害者
は、お子さん自身であることに、気づいてほしいものです。
 
また、「子ゆえの闇」という言葉があります。
    
「人の親の心は闇にあらねども 子を思ふ道にまどひぬるかな」 藤原 兼輔 
 
親の心は普段は正しいが、子どものことを思うときだけは、迷いが生じてしま
う、という意味の歌である。ここから「子ゆえの闇」という言い方が生まれた。
どんなに理性的な人でも、ことわが子が置かれた環境や将来の話になると思慮
分別をなくしてしまう……子を持つ親なら、そういう気持ちはよく理解できる
はずである。早い話が親ばかだが……。
 (知らない日本語 教養が試される341語  谷沢永一 著 幻冬社刊 P57)
 
「早い話が親ばかだが……。」わかっていますが、つける薬はないということ
ですね。
 
 
 
次に紹介する話は、「ナヌ?」となるはずです。そうです、芥川龍之介の世界
です。こういった作品に出会うと、「やってくれるではないですか」とうれし
くなりますね。
 
 
 ◆にんじんのしっぽ◆   水谷章三 著
 
 むかし、けちなばあさんが、じいさんと隣同士に住んでいました。じいさん
が風邪を引き、薬にんじんを分けてくれと頼むと、一本あげるのを惜しみ、細
いにんじんを半分に折り、曲がったしっぽのところを、あげたのです。じいさ
んの風邪は治りました。その後しばらくして、ばあさんは死にましたが、行き
先は地獄です。
 釜に投げこまれ、首だけ出して苦しみ、もがいていた時、天の神さまが、雲
に乗り通りかかったので、助けてくれと大騒ぎをしたのです。その声が神さま
の耳に届き、何か方法はないかと、使いの者を閻魔大王のもとへ走らせたので
した。困ったのは、大王です。ばあさんは、何も善いことをしていないからで
す。閻魔台帳を見ていると、やっと見つかったのは、隣のじいさんに、薬にん
じんをあげたことでした。大王は鬼に言いつけ、薬にんじんのしっぽを、使い
の者に渡しました。
 神さまは、「お前が人助けをした、にんじんのしっぽだ。これにつかまって
上がれ」と釜の上に降ろしたのです。それにつかまったばあさんを、神さまが
引き上げはじめました。釜から二本の足が出ると、右足に一人、左足に一人、
亡者が飛びついたのです。すると、四本の足に一人ずつ飛びつき、八本の足と
なり、十六人、三十二人と亡者が飛びつきます。ばあさんは、かなり上まで来
たと思い下を見ると、足の下に亡者がつながっているではありませんか。にん
じんが切れてしまうと、ばあさんが足をこねまわしたからたまりません。取り
ついていた亡者どもは、地獄の釜に落ちてしまいました。ばあさん一人になり、
天国に上れると思ったのですが、あと一息のところで、しっぽは切れ、ばあさ
んも地獄に戻ってしまったのです。そして、「人のこと、降り落とさねばよか
ったってか、どうかな」と、つぶやいたのでした。                    
 九月のはなし   きのこばけもの 松谷みよ子/吉沢和生・監修
                    日本民話の会・編 国土社 刊     
 
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」と違うのは、ばあさんの最後の一言でしょう。お釈
迦さまが、カン陀多(カンダタ)の無慈悲な心を哀れんだのに対して、このば
あさんの一声は、「人のこと、降り落とさねばよかったのではないのかだって、
どうかな。そんなことはわからないよ」と、ばあさん本人に言わせているとこ
ろがいいですね。後悔しないで開き直っています。昔話は、その時代に生きた
庶民の息吹を感じることができます。この話も意味深長ではないでしょうか。
人生を達観している気がします。。
 
 
 
最後に、うなぎに関した面白い話があるのですが、パソコンで検索しても見つ
かりません。寺村輝夫氏の「とんち話・むかし話シリーズ」の「わらいばなし
編」(あかね書房 刊)ではないかと思います。題もうろ覚えで間違っている
かもしれませんが、こういった話です。
 
 
 ◆においの値段◆
 
 うなぎ屋さんの店の前に、舌を出すのもいやな、けちべえさんが住んでいま
した。昼時になると、けちべえさんは、お茶碗にご飯をいっぱいつめ、家の窓
をあけ、うなぎの焼ける匂いをかぎながら、美味そうにご飯を食べるのでした。
うなぎ屋さんはこれがしゃくで、何とかお金を取れないものかと考えていたの
です。
 ある日のこと、請求書を持って、けちべえさんの家に行ったのでした。
 「けちべえさん、あなたは、毎日、お昼になると、うなぎの匂いをかいで、
ご飯を食べていますが、うなぎはただではありません。匂い代を払ってくれま
せんか」
 「ああ、いいですよ。毎日、ご馳走になっていますから」
といって、けちべえさんは、奥にいって、何と財布を持って出てきたではあり
ませんか。
 「いくらですかな?」
 驚いたのはうなぎ屋さんです。 けちべえさんが、お金を払ってくれるなど、
信じられなかったからです。
 「1月分ですから、ちょうど○○です」  
 「おや、安いものですな。じゃ、払いますよ」
といって、お金を床に投げ出したのでした。チャリン、チャリンと音を立てた
のを聞いたけちべえさんは、
 「私は、匂いだけをかぎましたから、お前さんにもお金の音だけで払ってあ
げましょう」
といって、お金を拾い、さっさと奥に入ってしまったのでした。
 
 
落語にも同じ話があったと記憶しています。これは、とんち話ですから、子ど
も達の方が知っているかもしれません。
 
 
 
 
  (次回は「終戦記念日、このことです」についてお話しましょう)
 
 
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話 
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
制作したものです】
 

さわやかお受験のススメ<現年中児 今から始める小学校受験>創刊号

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         「めぇでる教育研究所」発行
「2023さわやかお受験のススメ<現年中児 今から始める小学校受験>」
      現年中児のお子様をお持ちの方々へ
 2023年度入試(2022年秋に実施)を成功に導く手引きです。
          ★創刊号★
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 - 年中から挑戦される皆さんへ -
  
                          
「小学校の受験は、大学受験より難しい」と聞くと、驚かれるかもしれません。
 
では、皆さんは、小学校、中学校、高校、大学の入学試験で、もっとも難しい
のは、どの段階だとお考えでしょうか。
 
中学受験で、麻布、開成、武蔵、桜蔭、雙葉、女子学院といった御三家へ入る
のは容易ではありません。
大学についても、全入時代と言われつつ、難関大や知名度の高い大学には浪人
しても合格できるといった保証もありません。
このように考えていくと、大学、高校、中学、そして小学校の順と考えても不
思議ではありません。
 
しかし、それでは、正解とはいえません。
もっとも難しいのは、一見やさしそうにみえる小学校なのです。
なぜなら、小学校の受験は、子どもの意志ではなく、親がよかれと思ってはじ
めるからです。
試験場でテストを受けるのは子ども自身ですが、合否を判定されるのは、実は、
試験場にはいない、ご両親だからです。
 
「そんな馬鹿な、テストを受けた子どもの点数次第ではないのですか?」
 
偏差値教育の洗礼を受けてこられた皆さんですから、気持ちはわかります。
確かに、ペーパーテストのできるお子さんは、知的な能力の点ですぐれている
といえます。
しかし、ペーパーテストで満点をとっても、わがままな子や手のかかる子かも
しれません。
社会性や協調性といった集団生活への適応力は判定できないでしょう。
そういった子どもの集団であれば、教育は成り立ちません。
 
小学校側の求める子は、「知育・徳育・体育の三つの能力が、バランスよく発
達している子」といわれています。
限られた時間内に、ペーパーテストや行動観察、そして、絵画や制作、運動、
課題や自由遊びなどを通して三つの能力を評価し、さらに面接で、ご両親の考
えを聞き、総合的に判定するもので、ペーパーテストの点数、知的な能力だけ
で合否を決めているのではありません。
 
大学入試は本人の努力次第で決まると言っても過言ではありません。
しかし、小学校受験は、本人の努力次第とはいえません。
ご両親とお子さんの三人四脚で受験準備を進めなければ、希望する学校へは入
学できないでしょう。
つまり、ご両親が、どういった育児をしてきたか、その育児の方針と学校の教
育方針に矛盾のないことが、ポイントとなるのです。
 
さらに、やっかいなのは、試験の方法です。
幼児のテストには、文字や数字を使えませんから、ペーパーテストには、答え
は出ていますが、設問は、どこにも書かれていません。
このことです……。
 
大学などの試験は、難しい問題があると、後回しにし、時間があれば挑戦でき
ますが、小学校の試験は、これができません。
説明を聞き、すぐに取り組み、「そこまで!」と声がかかれば、そこで止め、
次の設問の説明を聞きます。
「もう少しでできるぞ!」と続けていると、次の設問の説明を聞き逃し、問題
に挑戦できません。
そういったことから考えると、もっとも難しい試験方法ではないでしょうか。
ですから、話をきちんと聞き、すばやく対応できる力がなければ克服できませ
ん。
 
もっとやっかいなことに、慶應義塾幼稚舎のような行動観察のテストでは、先
生の指示を聞き、自分の考えをまとめ、自分の言葉で話したり、思ったことを
絵に描いたり、体で表現します。
しかも、生まれて初めて入った場所で、初めて会った子どもとグループを作り、
初めて会った先生の指示を聞き、理解し、すぐに行動しなければなりません。
機敏に対応する能力が必要なのです。
 
さらに、気になることがあります。
保護者の方の心配の種でもある、面接があります。
保護者がお子さんをバックアップできる、たった一回のチャンスです。 
合格されたお母さんでさえ、
 
「頭が真っ白になって、何が何だかわかりませんでした」
 
などと、苦笑しながら告白されるほど、プレプレッシャーがかかるようです。
 
この面接の比率は、幼稚園の入園テストの場合は、子どもの発達度2割、両親
面接が8割、小学校の入学テストの場合は、5対5、五分五分といわており、
その比重は高いのです。
 
まだ、あります。
願書や面接の資料の記入です。
たとえば、雙葉小学校の面接資料は、内容が詳細に分かれていて、皆さん、書
くときに苦労しています。
       
さらに加えて、いろいろな怪情報、うわさが渦巻いています。
根も葉もないうわさに惑わされ、右往左往し、くたびれ果ててしまう保護者の
方もいます。
第三者から見れば何でもないことでも、当事者になると見過ごせないのがうわ
さです。
驚かしているわけではありませんが、これだけのことを経験し、お子さんにふ
さわしい学校を選び、早ければ9月下旬から、11月にかけて試験に臨むこと
になります。
 
これが小学校を受験されるご両親の歩む道です。
 
シルクロードになるか、いばらの道になるか、保護者の考え次第です。
保護者が本気になり、真剣に取り組まなければ、合格の栄冠を獲得することは
できません。
 
本メールマガジンは、入試問題に的を絞り、学校側は何を求めているかを分析
し、そのために、保護者は何をすべきかについて、年中さんから、無理なく挑
戦できるように、具体的に解説したものです。
 
合格の一助になれば幸いです。
 
                     めぇでる教育研究所 職員一同
 

 


さわやかお受験のススメ<小学校受験編>建学の精神、教育方針の理解の仕方 (2)

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    「めぇでる教育研究所」発行
さわやかお受験のススメ<小学校受験編>
        第52号
  年長児のお子さまをお持ちの方へ
小学校受験をお考えの皆様を応援します!!
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建学の精神、教育方針の理解の仕方 (2)
 
■ 暁星小学校
 
もやしっ子をなくすためにサッカーを取り入れた学校といえば、暁星小学校で
す。今は、どうでしょうか。もやしっ子は、たくましくなり、全国高校サッカ
ー選手大会に出るほどの実力を備え、強豪といわれるまでになりました。
サッカーは、かなり、過激なスポーツです。手は使えませんから、体を張った
足技が、ものすごいですね、このことです。
サッカーは、まさしく格闘技です。ワールドカップを見ていても、「ここまで
やるか!」といったプレーが随所に見られました。ですから、イエロー・カー
ドやレッド・カードと、反則に厳しいペナルティーを与えます。「ルールを守
って戦うフェアーな精神の持ち主」であることも大切な条件です。さらに、
11人で戦うゲームですが、一人ひとりは、敵を自分に引き付けておき、ぎり
ぎりのところで味方にパスをつなぎ、最後にゴールポストにシュートを決める
チャンスを勝ち取れるのは、たった一人です。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬あり」
ではありませんが、犠牲的な精神が求められます。チームワークです。フェア
ーな戦いとチームワーク、ここに学園の教育の礎があるのではないでしょうか。
 
小学校の門には、「困苦や欠乏に耐え、進んで鍛練の道を選ぶ気力のある少年
以外は、この門をくぐってはならない」と書かれた額が掲げられています。
 
以前の説明会では、小学校時代、運動の苦手だった子が、友の誘いでサッカー
に挑み、サッカーチームの一員となったばかりか、切磋琢磨して難関校へ合格、
共に励ましながら目標を達成する「鍛える教育」の成果を作文で披露しました
が、よくわかる話でした。
 
高校までの一貫教育に関しては、そのまま大学へ進んでしまうより、社会へ出
る前に受験勉強をし、その厳しさを体験させるべきだと考えるお父さん方が多
いようで、進学状況を見ても、生徒はしっかりと応えていることもわかります。
 
「宗教教育」「別学の教育環境」「高校までの一貫教育制度」に期待すること、
プラス、「困苦や欠乏に耐える気力のある少年」をどのように解釈するか、こ
こがポイントではないでしょうか。「質実剛健」だけでは、説明しきれないの
ではと考えます。
以前、佐藤前校長が説明会で、暁星小学校の鍛える教育のイメージは、日本昔
話のキャラクターでもある「気は優しくて力持ち」といっていましたが、この
比喩はわかりやすいのではないでしょうか。吉川直剛校長からも、同じ話を聞
くことができました。
ちなみに、運動会の入退場門、本校の入場門は健闘門、退場門は勇退門となっ
ています。
 
ここ数年の面接では、志望理由や育児の方針といった質問ではなく、お子さん
とゲームをしながら、その対応の仕方や、そばで見ているお母さん(またはお
父さん)にゲームの様子を聞くなど、従来の面接とは違った形で行われる年も
ありました。模擬面接の時、入室して席を決めるじゃんけんをしますが、「最
初はグー、じゃんけんぽん!」、わずか数秒のことですが、照れずにじゃんけ
んに興ずる親子、見ていてもほのぼのとしますね。学校側の目的は、ありのま
まの親子の姿、家庭を見ることにあったと思います。今年はどうなるでしょう
か。
 
 
 
■ 青山学院初等部
 
青山学院初等部は、ミッションスクールは別学が多い中で、めずらしく共学で
す。ランドセルも通信簿もありません。これが青山の教育方針です。
ランドセルは、昭和40年に廃止しています。その理由は、ランドセルは、
「学校追従型のシンボル」と考えているからだそうです。1に勉強、2に勉強、
3、4がなくて5も勉強です、現代っ子は。
家で宿題やら予習やら復習をひたすらこなす前に、「家庭で、きちんと身につ
けなければならないことがありませんか」ということではないでしょうか。
家庭でしっかりとやらなくてはならない基本的な生活習慣やしつけ、言葉遣い、
そして情操教育が、なおざりにされていないでしょうか。青山は、家庭での教
育を重視しているということです。
 
通信簿は、相対評価が多いものです。
5が2人いれば1も2人といった評価ですから、通信簿は相手との比較表にな
りがちです。比較表ではなく、学習の質を問うのが勉強の評価ではないでしょ
うか。ですから、期末試験の結果や出てきた偏差値といった評価をする資料の
ない状態で、先生と子ども、先生と保護者が、直接、話し合うそうです。
通信簿がないことは、結果よりプロセスを重視する学習観ではないでしょうか。
自分で考え、判断して、行動する、自発性です。結果さえよければそれでいい
という価値観と違い、思考力、判断力、行動力を育てる教育で、新学習指導要
領が掲げる“アクティブ・ラーニング”と同じではないでしょうか。
 
ところで、意外に知られていないことがあります。
初等部のHPを開き、「教育の特色・紹介」のところの「国内短期留学・止揚
学園」をご覧ください。30数年前、ある本を読み知ったのですが、「すべて
が教場」の意味を理解できたものでした。青山学院は、こういう教育を実施し
ている学校でもあるのです。
 
「宗教教育」「共学」「大学までの一貫教育制度」に期待することは何でしょ
うか。「共学」を忘れがちですが、これも大きな特徴です。そういったことか
ら、まとめてみましょう。
 
 
 
 
■ 国府台女子学院小学部
 
国府台女子学院のことを、千葉の白百合学園とさえおっしゃるお母さん方がい
ました。小学部の入学試験の難しさといい、大学への進学状況を見ても、「さ
もありなん」と思わざるをえないほど実績を上げています。近年、毎年医学部
医学科への進学者が出ていて、「社会で活躍できる女子を育てる」方針が着実
に実を結んでいるのではないでしょうか。
 
価値観が多様化し、社会全般が「エニシング・ゴーズ、何でもあり」の風潮を
歓迎するムードもありますが、そういったウイルスに感染することなく、小さ
い頃から一つの価値観に基づいた教育を受けさせたい、そう考えるご両親が増
えていることも事実です。
 
仏教に基づく教育を行い、女子だけの、高校までの一貫教育校です。
月毎に行われる仏教行事は、本学院の教育理念である「敬虔・勤勉・高雅」を
身につけるための、貴重で重要な教養、教化となっています。「教養は、徳を
みがき、人格を高めること」で、「教化は、キョウゲと読み、人を教え、よい
影響を与えて善に導くこと」だそうです。となると、教育理念である「敬虔・
勤勉・高雅」を、どのように解釈するかが問題になってきます。
 
たいへん難しい言葉です。HPにも解説がありますが、独自に解釈してみると、
こうなります。
「敬虔」は、仏につつしんで仕えることから、深く敬って態度をつつしむさま。
「勤勉」は、勤めて骨を折ることから、何事も一所懸命。
「高雅」は、気高く、雅(みやび)やかなことから、だれからも愛される気品。
 
このように置き換えてみると、わかりやすいのではないでしょうか。「つつま
しく、一所懸命に頑張る、心のやさしい子」といった子ども像が浮かんできま
す。そういった子どもに育ってほしいと考え、育児の基本にしているご両親で
あれば、学校の教育方針と一致していることになります。
以前、教育理念を俳句もどきに、
 
  ひたむきで つつしみぶかく みやびやか
 
などとお母さん方に紹介していたこともありました(笑)。
 
ある年の説明会で、平田史郎学院長は、不作法で言葉遣いの乱暴な者を評して、
「訓練されていない個性は野性である」とおっしゃっていました。
 
女子だけの環境については、「女子だけだからいいのです。女の子しかいない
ので、男子のする仕事までやることになり、体験の幅が豊かになります」とい
われ、共学にする予定は、まったくないと断言しています。ここ数年の幼児教
室対象説明会でも、女子教育の効果を医師国家試験の合格率や大学合格率のデ
ータを元に、強調していました。
こういったことをヒントに、「宗教教育」「女子だけの教育環境」「高校まで
の一貫教育制度」に期待することをまとめてみましょう。
 
(次回は、「建学の精神、教育方針の理解の仕方(3)」
                      についてお話ししましょう)

 


さわやかお受験のススメ<保護者編>第9章(3)七夕祭りでしょう 文月

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2022さわやかお受験のススメ<保護者編>
       ~紀元じぃの子育て春秋~
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
          -第34号-
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第9章(3)  七夕祭りでしょう   文 月
 
★★お盆って何の日、ご冗談を★★
 
人間は死ぬと仏様になり、その仏様をお迎えする行事をお盆だと思っていまし
たが、少し違うようでした。「盆と正月が一緒に来たような忙しさ」といいま
すが、これは1年を半期ずつに分けた前期の始まりが正月で、後期の始まりが
お盆だから、こういう使い方をするのです。
 
 正月に、日頃お世話になった人々のところへ感謝と新たな年を迎えるにあた
 っての抱負を胸に、年始まわりするのと同じように、盆には健在な親、仲人、
 師などの親方筋を訪問し、心のこもった贈り物をする、盆礼という習慣があ
 った。(中略)盆は満月の日、7月15日である。それが仏教の説く盂蘭盆会
 (うらぼんえ)と一致し、仏教国家として次第に民衆の間に浸透し、(中略)
 盆は7月15日の中元に吸収され、「盆と正月」は「盆暮」と姿を変えたので
 ある。
 (年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P149)
 
日本に伝えられた盂蘭盆会は、推古天皇14年(606年)に初めて催され、
聖武天皇天平5年 (733年)より、年中行事になったそうです。「盆と正月」
が「盆暮」と言葉を変えたのは、1年を半期ずつに分けた前期の終わりを盆、
後期の終わりを暮というようになったからです。それで盆は中元を、暮は歳末
を意味するようになり、盆にはお中元を、暮にはお歳暮を、お世話になってい
る人に感謝の気持ちをこめて、贈り物をするようになったのです。
 
また、お正月に「お年玉」があるのと同様、お盆にも「お盆玉」があるのをご
存じでしたか。江戸時代、山形県の風習がはじまりとか。
文具メーカーから盆玉のポチ袋が発売されたり、日本郵便からも「お盆玉袋」
が発売されたりもしていたようです。
 
 
 
★★お盆の風物詩★★
 
お盆には、7月15日を中心に祖先の霊を迎えて送る行事、精霊祭(しょうり
ょうまつり)があります。 
13日に迎え火をたきますが、これは仏様が、おがら(あさの皮をはぎ取った
茎のこと)を折って、たいた煙に乗り、盆灯篭(ぼんどうろう)の明かりを頼り
に家に帰ってくるからだそうです。おがらの足をつけたきゅうりの馬となすの
牛を内向きに並べて飾るのは、仏様は、馬に乗り、荷物を牛に背負わせて帰っ
てくるといわれているからです。迷子にならないように、きちんとお迎えをす
る意味でしょう。私のように、そそっかしい仏様もいるはずですから。                         
 
仏様を祭る棚を盆棚(精霊棚)といって、そこに真菰(まこも)を敷き、ほお
ずき、ききょう、おみなえし、はぎ、山ゆりなどの秋の花を飾ります。こうし
て久しぶりに帰ってきた仏様は、真菰にお座りになり、それを家族みんなで慰
めるということでしょう。お供えは、畑でとれたものや、仏様が生きていたと
きに好きだった食べ物も供えます。私でしたら「越乃寒梅」(幻の銘酒といわ
れた新潟の酒)を1合だけ、お願いしたいものです。
 
そして、懐かしい自分の家で過ごした仏様は、7月16日には、お帰りになり
ます。これが送り火で、きゅうりの馬となすの牛は、今度は外向きに並べて、
送り出すことになりますが、これも間違いなく彼岸の方へ帰ってもらうためで
しょう。
 
広島の灯篭流しのように、送り火を小さな船に乗せて、お供え物と一緒に、川
へ流すこともあります。また、地方によっては、美しく飾られた精霊船に、仏
様に供えたものを乗せて、灯火をつけ、経文や屋号を書いたのぼりを立てると
ころもあります。      
 
送り火で有名なのが、京都の「大文字焼き」で、8月16日に行われています
が、これは8月15日を旧盆として祭る風習が、残っているからです。7月の
京都は、まだ梅雨明け前です。しとしと降る梅雨空に、大文字焼きは映りがよ
くありません。やはり、しっかりと暑い8月だからこそ、風情があります。何
やら風鈴の涼しげな音と、蚊取り線香の匂い漂ってくる、そんな感じがしませ
んか。
 
まだ、あります。盆踊りです。
 
これも、仏様を迎え、慰め、そして来年も間違いなく来てくださいと、送るた
めに捧げられたもので、中央のやぐらのまわりを輪になり、鉦(しょう)と太
鼓と笛に合わせて踊ったのです。今では、地域のコミュニケーションの場とな
り、夏に欠かせないイベントの1つになっていますが、親子で「ドラえもん音
頭」に合わせて踊られてはいかがでしょうか。
 
「やっとさー!」の掛け声も楽しい徳島の阿波踊りは、ものすごい迫力で、夏
の風物詩に欠かせません。東京の山の手、高円寺の阿波踊り、今ではすっかり
定着して名物になっていますが、何だかおかしな気がしないでもありません。
しかし、下町の浅草では、ブラジル生まれのサンバ大会をやっていますから、
おかしくないのでしょう。本場のブラジルから応援にきている女性軍団の踊り、
リオのカーニバルのものすごさを想像させてくれます。
 
 
 
★★お神輿と山車の違い★★
 
浅草といえば「三社祭」、浅草寺の境内は、神輿(みこし)を担ぐ人で、ごっ
た返します。威勢よく担ぐ神輿は、上下左右に激しくゆれ、よくぞ怪我人が出
ないものだと心配になるほど殺気だち、恐いほどです。
この神輿のいわれですが、時代劇でよく見かけるように、昔、身分の高い人は、
輿(こし)といわれた台に乗り出かけていました。神輿は、つまり、「神の輿」
であって、神様の乗り物なのです。そして、お乗りになっている神様は、激し
くゆさぶられるのが大好きで、激しければ激しいほどご機嫌になるといわれ、
そのために、元気よく担ぐのだそうです。
 
山車は、祇園祭などでお馴染みですが、四月の桜の時に紹介しましたように、
神様は、冬になると山に帰り、春になると下りてくると信じられていました。
 
 お祭りには、神様が必要ですから、来ていただくために、お迎えするための
 乗り物が必要だったわけです。そのため、祭りには移動式の山が作られたの
 です。これさえあれば、祭りに神さまを招くことができると考えられていま
 した。その後、形が変わり「山車(だし)」になっても、山の字が残ったの
 です。
 (心を育てる 子ども歳時記12か月 監修 橋本裕之 講談社 刊 P66)
 
ところで、神様にも悪い神様がいたそうです。
夏祭りの神様は悪い神様で、病気や飢饉などを起こさないように、神輿を激し
く揺さぶり、ご機嫌を取って、山に帰ってもらい、災いを未然に防ぐ、昔の人
の知恵だったのです。日本の三大祭といえば、東京の神田祭、大阪の天神祭、
コンチキチンコンチキチンのお囃子でおなじみの京都の祇園祭ですが、祇園祭
の主役である牛頭(ごず)大王は、地獄にいるという牛頭人身の獄卒で、有名
な悪い神様だそうです。
 
 
 
★★なぜ、土用の丑の日に、うなぎを食べるのですか★★
 
「土用」というのは、何も夏だけではありません。「節分」と一緒で年に4回
あります。前にもお話したと思いますが、立春、立夏、立秋、立冬は、それぞ
れの季節の始まりです。そして、それぞれの前の18日間を「土用」といい、
その最初の日を「土用の入り」といいます。土用は、四季、それぞれにあるの
ですが、なぜか夏の土用だけが有名です。しかし、なぜ「丑の日」というので
しょうか。それは、それぞれの日にちには、正月で取り上げた「十二支」の動
物の名前がついているからです。それで、夏の土用の内にやってくる丑の日の
ことを「土用の丑の日」といいます。
 
ご存知のように、この日は夏ばてしないように、良質のたんぱく質、脂肪、ビ
タミン、カルシュウム、鉄、亜鉛、DHA、ミネラル類などを含む、栄養のバ
ランスのすぐれたうなぎを食べる習慣がありますが、何とその歴史は古く、何
しろ「万葉集」の大伴家持の歌に、「夏バテに効果がある」と詠われています。
 
奈良時代から、この日は、うなぎにとって、まさに受難の日であったわけです。
しかし、なぜ「土用の丑の日」に、うなぎなのでしょうか。丑の日ですから、
ステーキとか焼肉という感じがしますが、江戸時代ですから、まだ、牛肉は無
理でしょう。
 
事の起こりは、江戸時代の学者、平賀源内が、うなぎ屋の宣伝をしたのが始ま
りといわれ、そのコピーは、「土用の丑の日はうなぎの日」だったそうです。
 
源内は、起電気であるエレキテルを完成させたことで知られていますが、その
他、本草学者(薬用に重点をおいて、植物や自然物を研究した中国古来の学問)、
劇作家、発明家、科学者、陶芸家、画家、工学者として一流でしたから驚きで
す。非常に多才な方で、まさに江戸のレオナルド・ダ・ヴィンチ的な存在であ
ったわけです。
 
ところで、江戸時代は4本足の獣を食べなかったのですが、「うさぎは、ぴょ
ん、ぴょん飛ぶから、あれは鳥だ!」といって食べていたのです。ですから、
うさぎは1羽、2羽と数え、それが今も残っているのですが、子どもたちには、
よく理解できない数え方になっています。哺乳類を食べることを禁じていた仏
教の影響でしょうが、とんだところで、子どもたちを悩ませているようです。
 
この数詞ですが、日本語は難しいですね。1本、2本、3本、1匹、2匹、3
匹とふえるに従い読み方が違い、4本、4匹以下が、また違いますし、花にし
ても、1本、1輪、1束、1鉢、1株などと分けて使っていますから、外国の
方には、魔法のように思えるようです。それだけ、物に関する感性が、繊細だ
ということですね。 
                               
最後に蛇足ですが、天然うなぎの旬は、産卵前の秋から冬にかけての時期で、
「秋の下りうなぎ」といわれているそうです。そういえば、下り鰹(戻り鰹)
も脂がのり美味しいですね。
 
  (次回は「7月に読んであげたい本」についてお話しましょう)
 
【本メールマガジンは、「私家版 情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話 
情操豊かな子どもを育てるには 上・下 藤本 紀元 著」をもとに編集、
制作したものです】

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