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めぇでるコラム : 2019年2月 2ページ目

さわやかお受験のススメ<幼稚園受験編>独り立ちの準備ですよ(6) 四季を楽しんでほしい(1)

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         「めぇでる教育研究所」発行
   「2020さわやかお受験のススメ<幼稚園受験編>」
            第14号
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独り立ちの準備ですよ(6) 四季を楽しんでほしい(1)
 
◆相談会情報◆
中央線沿線 私立小学校合同相談会
  日時 2月17日(日)10:00―15:00
  場所 国立学園小学校
     JR国立駅下車 徒歩10分
かたばみ幼稚園など4園参加します。
イベントの内容、アクセスの方法など、詳細はホームページをご覧
ください。
 
日本には、四季があります。
しかし、日常生活には四季の気配が希薄になってきました。
四季折々の変化を演じてくれる自然に、本当に申し訳ないと思います。
日本の伝統のある行事も、四季折々の節目として祝っていたのですが……。
 
最近、祝祭日に国旗を掲げる家を、ほとんど見かけなくなりました。
若い人は、元日に朝祝いもしないと聞きます。
雑煮の代わりに、ハンバーガーとコーヒーで済ませ、それでも初詣には出かけ
るようです。
日本の神さまは、建国以来、和食派です。
洋食を食べて願をかけて、神さまは聞いてくれるのでしょうか。
しかし、ひな祭り、端午の節句や七五三などには、お金をかけて盛大に祝って
います。
年中行事も、私の子どもの頃と違ってきました。
自然への素朴な感謝ではなく、豪華なセレモニーになったように思います。
言わずもがなですが、バレンタインデーにクリスマス、ハロウィンは、日本の
オリジナル行事ではありません。
クリスマスは子どもの夢ですから許せますが、バレンタインデー、あれはチョ
コレート会社の陰謀ではないでしょうか。
ハロウィン、渋谷の騒動、何か勘違いしているようですね(笑)。
 
ところで、お祝いには欠かせない飾り物があります。
たとえば、正月の門松一つとっても、懐かしい思い出が浮かんできます。
これは、父から、よく聞いた話ですが、なぜ、門松は、松、竹、梅で飾るのか
……、このことです。
「松は常緑樹で、一年中、葉の色は緑色だから、元気で、健康であること
を表している。竹は、まっすぐに伸び、強い風にあおられても、逆らうことな
くゆったりとしのいでいる。雪が積もっても枝は苦しそうだが、しなって耐え
るから、雪は滑り落ちてしまう。他の木のようにポキンと折れない我慢強さが
ある。しかも、竹の中は空っぽで、五月の空に泳ぐこいのぼりのように、腹に一
物もなく正直で、『竹を割ったような性格』は、ここから出ている。梅は、寒風
にさらされても、リンと咲く。あの小さなつぼみが、いい。強くて、しかも
咲く姿は、清らかだ。このように門松には、健康で、我慢強く、清く、強く生
きる願いが込められている」
と教わったものです。
 
季節折々の行事は、自然に対して感謝する気持ちを表したものでした。
そして、家族の幸せを願って、家族みんなで祝ったものです。
いろいろな行事の意味を、親が子どもに教え、楽しく祝い、思い出として心に
残してあげ、自分が親になったときに、その楽しい思い出を子どもに伝える、
そんなしきたりがありました。
しかし、これだけ季節感が希薄になってくると、季節折々の行事も、しっくり
しないのも無理のないことかもしれません。
冬にすいかを食べられるのですから、季節に対する感覚が、おかしくなるのも
当然でしょう。
便利になると、その分、失うものも出てくるといわれていますが、その通りで
はないでしょうか。
品質改良、温室栽培、冷凍技術、そして輸送手段などの進歩は、目覚しいもの
がありますが、季節は、そんなことに一切、こだわりません。
きちんとけじめをつけてくれているのですから、感謝して、それに応えなくて
は、罰が当たると思います。
 
食べ物には、旬があります。
魚介類、野菜、果物など、いちばん味のよい時期があります。
鰹のたたきが、真冬に出てくると、気持ちが悪くなります。
秋刀魚の塩焼きを、桜の花を見ながら食べるなど許せません。
鰹は初夏、もっとも戻り鰹という旨いものもありますが、秋刀魚は秋に食べな
いと、魚に申し訳ないと思っています。
しかし、現代っ子は、好んで魚を食べないようです。
魚は、体にもよく、頭のよくなる養分も入っているのですが……。
はしを、うまく使えないのではないでしょうか。
煮魚や焼き魚を食べるのは、はしさばきが容易ではありません。
しかし、手先の器用な子の知的な能力が高いのも、事実です。
はしをきちんと使って食事ができるように心がけているお母さん、少ないので
はありませんか。
幼児期は、机の上で記憶力だけに頼る勉強より、手を使う作業の方が大切であ
るといっても信じてもらえないようですが、科学的にも実証されています。
「手は第二の脳」といわれているのですが……。
小さい時は、お母さんが食べやすく、ほぐしてあげましょう。
さばのみそ煮、おいしいですよ。
お母さん方も魚の料理は、生臭いし、面倒ですから、苦手ではないでしょうか。
一匹の魚を三枚におろせるお母さん、少ないでしょうね。
スーパーへ行けば、そんな手間を、みんな省いてくれますから。
便利になった分、横着になっていませんか。
旬の魚は、しっかりと季節を示してくれています。
 
話は違いますが、筆記用具の持ち方のおかしな学生さん、かなり、います。
はしをきちんと持って食事をしていないと思います。
これは、書道の先生から伺った話ですが、試してみましょう。
ご飯を食べるように、はしを1膳持ち、1本、抜き取ってください。
筆記用具を持つ形になっていますね。
残ったはしは、鉛筆を持つように、正しく、美しく持てていれば、はしをきち
んと持って食事をしていることになるのです。
おかしなはしの持ち方をして、ご飯を食べている若い人、よく見かけます。
これも、しつけです。
小さい時に、はしをきちんと持って食事をしていなかったのでしょう。
食事は、日に三度のことです。
形は心を作るともいわれています、「心」をです。
 
「鉛筆の持ち方一つで、育児の姿勢がわかる」という人もいますが、納得でき
ますね。
平成29年の立教女学院小学校の説明会で、教頭先生は、こうおっしゃってい
ました。
「今年も、はしを使った問題が出たとしても、はしで物を運ぶ速さを競ってい
るのではなく、日本の文化である正しいはしの持ち方ができているかを見るも
のです」
賢いお母さんになってほしいですね。
 
ところで、肉に季節の感覚はあるのでしょうか。
熊、猪、鴨などは、きちんと季節感を誇示していますが、野生の名残をしっか
り持っていますから、味に癖があります。
ですから、子どもの好みに合いません。
牛や豚、鳥の肉は、どうでしょう。
一年中、顔をみせています。
子どもたちの好きなハンバーグステーキやカレーライスに、旬はあるのでしょ
うか。
私は肉より魚ですから、よくわかりませんが、ないでしょうね。
作られている方には申し訳ありませんが、みんな同じ味がします。
聞いただけで胃がもたれる感じのする年ですから、聞き流してください。
しかし、ブロイラーや卵を見ていると、日本の教育の縮図を見せつけられてい
るような気になります。
「個性を伸ばしてあげたい!」といって、スーパーで惣菜を買って済ませるよ
うでは、みんな同じ物、同じ味の物を食べていることにならないでしょうか。
何百羽といる鶏小屋で、ひたすら卵を産む鶏と重なりませんか。 
 
野菜、これは旬の塊ですが、キャベツは、今は一年中食べられます。
きゅうりやなす、トマトやかぼちゃは、夏の風物詩です。
私は、もぎたてのきゅうりの味が忘れられません。
母が、大ざっぱに皮をむき、パラパラと塩をかけるだけですが、これがおいし
かった。
今、食べているきゅうりには悪いのですが、お日さまの味がしません。
しかし、風物詩、この言葉、死んでいます。
風鈴の音色で、いざこざが起こるのですから。
風物詩どころではありません。
音色、「ねいろ」……、いい言葉ですね。
 
果物、これは、完全に季節を無視されているものがあります。
いちごなどは、一年中、ショートケーキと仲良しです。
ちょっと不節操ではないかと責めるわけにはいきませんね。
人間が、勝手にやっていることですから、いちごに責任はありません。
いちごは、温室に責任を取ってもらいたいでしょうね。
しかし、自然の中で育っている果物は、頑張っています。
みかん、ぶどう、柿、梨などには、季節感があります。
 
花は、どうでしょう。
純粋な心を持つ正統派の野生の花は、きっちり筋を通しています。
梅と桜は、狂い咲きしない限り、季節に従順です。
入学式にコスモスでは、いくら漢字で「秋桜」と書いても、さまになりません。
紫陽花は梅雨に欠かせませんし、朝顔や向日葵は、聞いただけで汗が出ます。
菊となると秋です。
私は、小さな野菊が好きで、香りも馥郁(ふくいく)として、こたえられませ
ん。
しかし、あの大きな菊ですが、愛好者には申し訳ありませけれど、「私、咲いて
いるの!見て! ちゃんと見なさい!」とばかりに、辺りをにらみつけている
感じがして、何やら恐い感じがします、偏見ですが。
コスモスもいいです、あのたおやかな感じが何ともいえません。
しかし、強いのです。
豪雨に叩きつけられても、しばらくすると立ち直ります。
そのけな気なところが好きですね。
 
ちょっとキザですが、季節は、何やら崇高な哲学者の雰囲気を持っています。
たとえば、花です。
きれいですが、短命です。
子どもに何か教えられませんか。
力いっぱいに咲くことの素晴らしさと、生命の大切さなどです。
小さな、弱々しいスミレにしても、精一杯に咲いています。
しかし、人間に、「きれいな花だこと!」などと思われたくて、咲いているわけ
ではないでしょう。
でも、本当にきれいです。
なぜでしょうか。
自然だからではないでしょか。
与えられた生命を真っ正直に生きている感じがします。
咲いている様子を評価されると思っていないからでしょうね。
教えられます。
 
予想していた春一番、関東地方には吹かなかったようですが、今年の立春は、
暖かでした。
 
 (次回は、独り立ちの準備ですよ 7四季を楽しんでほしい(2)について
お話しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第4章 建国記念日と2月に読んであげたい本(1)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2020さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第14号
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第4章 建国記念日と2月に読んであげたい本(1)
 
2月14日はバレンタインデー。「バレンタイン」は、3世紀頃にローマで殉教
したキリスト教徒の英語名、イタリア語では「ヴァレンティーノ」。当時の皇帝
は、兵士の戦意に影響があると考え若者の結婚を禁止。哀れに思ったバレンタ
インは、ひそかに結婚させていたのが皇帝の知るところとなり処刑された日が
2月14日、殉教の日がバレンタインデー。チョコレートを贈る習慣は、イギ
リスのチョコレート会社カドリバ社がギフト用のチョコレートボックスを製造
し広めたもの。日本では1970年頃より広まった。(言語由来辞典より要約)
7歳の孫も、ガールフレンド(?)から貰ったチョコレートを、誇らしげに見
せてくれましたが、こんな小さい時から関心があるんですね。娘は「裏がある
の!」と教えてくれ、笑ってしまいましたが、今年はどんなことになるやら。
お子さんはいかがでしたか(笑)。
 
★★建国記念の日★★
2月11日は、建国記念の日です。昭和24年(1967)2月11日から、「建
国をしのび、国を愛する心を養う日」として祝日に定められたものです。しかし、
建国記念日は昭和生まれではなく、明治6年に紀元節として誕生しました。紀
元節は、日本書紀に記されている、神武天皇が即位され、日本の国が始まった
日と定めた祝日でした。その根拠は、日本書紀第三巻・神武天皇の項に、以下
のようにあります。
 
 「辛酉年春正月庚辰朔、天皇即帝位於橿原宮、是歳為天皇元年」
 辛酉(かのとり)の年の庚辰(かのえたつ)朔(ついたち)、一月一日、天皇
は橿原宮
 にご即位になった。この日を天皇の元年とする。
 
これを根拠として、紀元節は誕生しました。しかし、昭和23年に、紀元節が
戦争の原因になった国家主義や軍国主義を象徴する祝日であったことや、日本
の誕生した日はいつであるか、歴史的な根拠が明白でないことなどから廃止さ
れ、その後、さまざまな論争が続き,紆余曲折を経て、やっと「の」の一字を
入れることで「建国記念の日」ができたわけです。
 
紀元節の根拠は日本書紀にあるとお話ししましたが、果たして正しいのでしょ
うか。暦のことなど研究したことのない私でも、秘密を解くポイントは、「辛酉
(年春正月)・庚辰・朔」にあるではと推察しますが、暦学的に検証すると、そ
の根拠は立証されているのですから驚きです。「年中行事を科学する」(永田 久 
著 日本経済新聞社 刊 P54~65)には、「辛酉・庚辰・朔」について、
西暦紀元前660年は辛酉年、2月11日の干支は庚辰、月齢はゼロであり、
現在、建国記念の日となっている2月11日は、「日本国は神武天皇の即位をも
って建国とする」との日本書紀の記述と一致することが証明されています。西
暦紀元前660年といってもピンと来ないかもしれませんが、縄文時代です。
この歳時記は、筆者の不見識から驚くことばかり出てきますが、これもまさし
く驚きです。計算の方法は難しくて私の手には負えませんが、興味のある方は、
ぜひお読みになって下さい。
 
西暦は、キリスト誕生の年(実は生後4年目)を元年として数える年代ですが、
日本には、先に実証されたと紹介しました日本の紀元を、神武天皇即位の年を
元年とした皇紀があり、平成31年は皇紀、紀元2679年になります。私は
紀元2600年、西暦1940年、昭和15年2月11日生まれで、自分の年
齢79を下二桁に入れると、今年は紀元2679年であり、西暦では下二桁に
79を足すと、2019年とわかるという便利な年回りになっています。
 
ところで、ご存知のように、日本に残る最古の書物は「古事記」で、第40代、
天武天皇が、わが国に言い伝えられてきた事柄を整理し、語部(かたりべ)で
ある稗田阿礼(ひえだのあれ)に覚えさせ、第43代、元明天皇が太安万侶(お
おのやすまろ)に文字に書かせ、西暦712年に完成したものです。その8年
後の720年に、第44代、元正天皇が年代も入れ詳しく編集したものを残そ
うと、舎人(とねり)親王に書かせたのが日本書紀です。ですから、記紀に書
かれている話は、古代の人々が語り伝えてきた話を文字に書き留めた神話(天
地の創造を擬人的に説明し、森羅万象に宿る霊の存在や、民族の祖先の活動を
述べる物語 新明解国語辞典 三省堂)で、一人の人が作った話ではありませ
ん。本当かなと思う話もありますが、宇宙の始まりはどうだったか、国はどの
ようにして作られたか、人間はどのように生まれたか、そして生きてきたかを
物語るものです。地球という星が、陸と空に分かれてできていく様子を描いた、
巻一の「天地開闢(かいびゃく)と神々」は、どうしてこういったことがわか
っていたのか、不思議に思えるほど科学的で、またしても驚かざるを得ません。
 
世界の文明が発祥した各地にも、ギリシャ神話、ユダヤ神話、インド神話、中
国神話や数々の民話などが残されており、民族やその地域の特徴が伝えられて
いますが、共通する話の展開に、思わず膝を叩き、考えていることは同じなの
だと思うと、年甲斐もない話でなんですが嬉しくなります。そこに住んでいる
人々が作った神話であるからこそ、価値があるのではないでしょうか。それが
民族の持つ固有の歴史であり文化だと思います。私が心酔してやまない哲学者、
梅原猛氏の「神々の流竄(るざん)」、「葬られた王朝」、「天皇家のふるさと日向
へゆく」、阿刀田高氏の「古事記を知っていますか」、そして井沢元彦氏の「言
霊(ことだま)・怨霊信仰」「聖徳太子の和の精神」を解説している「逆説の日
本史」、昨年発売された百田百樹氏の「日本国紀」など読まなくてはならない本
ばかりで、うれしい悲鳴を上げています。「10月の神無月」で詳しくお話しす
る予定です、無理かもしれませんが(笑)。
 
悲報 梅原猛氏は2019年1月12日、冥界へ旅立たれました、享年93歳。
故渡部昇一先生と同様、難解な表現を避け、やさしく解き明かして頂きありが
とうございました。ご冥福をお祈りいたします。(合掌)
 
ところで、今上陛下(きんじょうへいか)は、神武天皇から数えると百二十五
代目にあたるそうです。先にもお話ししましたが、今年は皇紀、紀元2679
年になります。世界で最も古い歴史を持つ国であり、古来の文化を単なる歴史
の遺産としてではなく、現在まで生活の中に生かし続けている国はあるのでし
ょうか。
天照大神を祀る伊勢神宮では、平成25年に20年ごとの式年遷宮が執り行わ
れましたが、持統天皇4年(690)以降、1300年以上、続けられています。
建築方式は弥生建築といわれ、聖徳太子が活躍した飛鳥時代以前のもので、脈々
と受け継がれているのは、「世界広し」といえども日本だけです。
 注 式年遷宮 伊勢神宮の内宮と外宮の二つ正宮の正殿などを作り替え神座
を移すこと。
 
日本は、もっとも短く見積もっても二千年ぐらいまで遡ることができます。世
界で二番目に長い国はデンマークで一千数十年、次がイギリスで九百四十年余
り、アメリカ、フランスは二百年そこそこ、中国はたった六十四年。「四千年の
歴史」なんて大嘘ですからね(笑)。
 (著者インタビュー 武田恒泰 著 「日本人はいつ日本が好きになったの
か」
   月刊雑誌 WiLL 12月号(2013年) P144 ワックス出
版社 刊)
 
日本人が大切に守ってきた様々な文化を、親が子ども達にきちんと伝えるべき
だと思います。国旗を掲揚し、国家を歌うのも、法律で決められたからではな
く、親が子ども達に、「なぜ、国旗があり、国歌を歌うのか」、きちんと答えを
出してあげたいものです。国のために家庭があるわけではなく、家庭があるか
らこそ国が成り立つのではないでしょうか。「個々のアイデンティティは、家庭
で育てるもの」などと何も意気がることではありませんが、幼児期の教育の原
点は、家庭にあるからです。家庭教育の低下を防ぐためにも、私たち親は、保
護者であることを肝に銘じておきたいものです。世界的な不況や政治の混迷、
東日本大震災や原発問題など、ここ数年元気がありませんでしたが、やっと立
ち上がる兆しが見えてきた今だからこそ、日本に生まれた幸せを、もっともっ
と噛みしめ、感謝しなければいけないのではないでしょうか。
 
★★2月に読んであげたい本1★★ 
鬼に関する話はたくさんあります。代表作は「桃太郎」「こぶとり爺さん」です
が、これはお染みの話ですから紹介するのは遠慮しておきましょう。子どもに
聞かせる話ですから、恐怖感をあおるようなものはあまりありません。節分で
すから、やはり豆まきの話からにしましょう。
 
◆豆をいるわけ◆   谷 真介 著
むかし、まだ鬼があちこちの山奥に住んでいた頃の話です。その年は、春から
日照り続きで、稲は枯れだしました。心配した庄屋さんが、「雨を降らしてくれ
たら、一人娘のお福を嫁にやってもよい」と言ったその声を山奥の鬼が聞き、
大雨を降らせたのです。約束を迫られ嫁がせますが、その時、お母さんが知恵
を働かせます。「道に落としながら行きなさい」
と菜の花の種を渡しました。それを足元に落としながら、鬼に連れられて行く
のでした。
翌年の春、菜の花は咲き、それを道標(みちしるべ)に娘は家に帰れたのです。
取り返しにきた鬼にお母さんは、「酒ばかり飲んでいる者にお福はやれぬ!」と
迫り、「もう、飲まん!」と約束をした鬼に、戸のすき間からいった豆を投げ、
「その豆を植えて花を咲かせてみろ。その花を持ってきたら、お福をやる!」
と言ったのです。何年も続けましたが、咲くわけがありません。鬼も次第に豆
を見るのが嫌になり、お福の家にも来なくなりました。この話を聞いた村の人
達は鬼が来ないように、いった豆を家の周りにまくようになったのです。
これが二月三日、節分の豆まきの始まりだそうです。
          日づけのあるお話 365日
              二月のむかし話 谷 真介 編著 金の星 刊
 
節分の豆まきは、「いった豆」がキーワードのようです。童話の名作「ヘンゼル
とグレーテル」の著者はグリム兄弟ですが、ドイツ人です。菜の花の種をまく
作戦と小石とパンのかけらを目印にした共通の作戦は、面白いではありません
か。世界中の童話や昔話を読んでいて、話の筋や仕掛け、舞台装置が、そっく
りなものに出会うとうれしくなります。その話がほほ笑ましいとなおさらです。
 
イギリスの民話にも日本の昔話とそっくりなものがあります。「トム・テイッ
ト・トット」の翻訳ともいわれているそうです。日本の題名は「鬼六」といい
ますが、文句なく面白い話です。
 
◆鬼 六◆
むかし、ある所に、大きくて流れの速い河がありました。その河へ橋を架けて
ほしいと頼まれ、やってきた名人は、一目で難しい仕事とわかり頭を抱えます。
すると、河の中から大きな鬼の首だけが現われ、「橋を架けてあげるから、お礼
にあなたの目玉をくれないか!」
と言ったのです。困りはてていた大工さんは、約束をします。橋はできてほし
いが、できれば目玉をあげなくてはと、大工さんは一晩中、眠れません。    
翌朝、行ってみると、何と立派な橋が架かっているではありませんか。喜んだ
大工さんですが、鬼との約束を思い出し、肩を落とします。そこへ鬼が顔を出
し「目玉をよこせ」と言う。どうしたものかと考えていると、「明日の朝までに
私の名前を当てたら、目玉はい
らないよ!」と言って、また沈んでしまったのでした。大工さんに鬼の名前が
わかるはずもありません。途方に暮れて歩いていると、山奥に入いりこんでし
まい、引き返そうとしたその時に歌が聞こえてきたのです。木陰からのぞくと、
鬼の子ども達が歌っていました。
    ♪オニロク オニロク オニロクさん
     早く目玉をもってこい
     大工の目玉をもってこい
     橋のお礼をもってこい
     オニロク オニロク オニロクさん♪
大工さんは、それを聞いてほっとし、笑みを浮かべるのでした。
翌朝、大工さんが河に行くと、顔を出した鬼は、名前のわかるはずがないと自
信満々です。
そこで大工さんは自信なさそうに、「河鬼!」、「橋鬼!」などと言って、鬼を得
意にさせておき、最後に大声で、「オニロクー!」と叫ぶと、鬼はブクブクと泡
だけ残して消えてしまい、二度と姿を現しませんでした。
  子どものための世界のお話
  福光 えみ子 福知 トシ 福井 研介 大江 多慈子 編 新福音社 刊
 
この話を研究されて、一冊の本にまとめた方がいるほど知られているそうです。
進学教室でこの話をしたところ、「ドイツで聞いたことがある!」とお父さんの
仕事でドイツに住んでいた子が言ったので、調べてみると本当の話でした。鬼
といえば、てっきり東洋生まれだと思っていましたから驚きました。
 
世界中の民話や童話、昔話を読んでいると同じような話がたくさんあります。
ドイツには、この他に「こぶとりじいさん」とそっくりな話もあります。ノッ
クグラフトンの伝説「こぶとり」です。背中にこぶのあるラズモアという帽子
屋さんが、歌と踊りがたいへん上手だったので、また一緒に遊ぼうと、約束の
証拠に背中のこぶを預かるといって取られてしまいます。日本では相手は鬼で
したが、ドイツでは小人さんです。この話を聞いた歌も踊りも下手な、こぶの
ある青年が行くと、あまりにも下手なので、預かっていたこぶをもらってしま
うというところもそっくりです。グリムの作品にも「小人の贈り物」と題した
同じ話があります。肌の色が、言葉が、生活習慣が、宗教が違っても、人間、
考えることは皆、同じなのだと思うとうれしくなりますね。
 
この話を読んだ時、頭に浮かんだのは、
   ♪森の木陰でドンジャラホイ シャンシャン手拍子足拍子♪
の「森の小人」でした。童謡には、大人になっても忘れられないものが数々あ
るものです。お子さんと一緒に、歌ってみませんか。思い出に残るはずです。
 
ところで、ある年のことですが、教室の人気者であった物知り博士のケンちゃ
んが、「どうして、鬼が人間の目玉を欲しがるのですか」と質問をしたものです。
素朴な疑問ですが鋭い質問です。眼は音読みだと「ガン」です。「鬼六サンのお
身内か友達に、ガンにかかった人がいてね。目のお医者さんを眼科のお医者さ
んというでしょう。そのガンによく効く薬は人間の眼、つまりガンだから欲し
かったのでしょうね」とだじゃれのように説明しましたが、ケンちゃんは「信
じられない!」といった顔をし、子ども達にも、全然、受けませんでした。先
にもお話ししましたが、子どもは、こういった疑問には納得しないと絶対に妥
協しません。ですから子どもの前で、いい加減なことを言うと信用をなくしま
す。子どもの疑問にあいまいな答えは通じません。それだけ純真なのです。純
真ということは、探求心が旺盛ですから遠慮がなく、追求の手をゆるめません。
それだけ残酷でもあるのです。お母さん方が「カッ!」となるのも、こんな時
ではないでしょうか。悪気はないのです。率直なだけなのです。その言葉で相
手がどう思うかなど考えていないからです。まだそんな時期なのです。大らか
に応対してあげましょう。
 
しかし、こういった大人が増えていますね。いわゆる「自己中心・ジコチュウ」
で、相手を思いやる気持ちは爪の垢(あか)程もありません。これは率直では
なく、精神年齢は子ども以下ということです。相手を思いやる気持ちを育むの
は、ご両親の育児の姿勢にあるのも間違いありません。子は親の背を見て育つ
のですから,しっかりと観察されていることを肝に銘じておきましょう。
 
で、結末はどうなったか。
「本当は、先生もわからないのよ!」と言ったところ、「先生でもわからないこ
とがあるの?」と不満そうでしたが、ケンちゃんは矛を収めてくれました。(猛
省)
 
バレンタインデーといえば、私はジャズの名曲『マイ・ファニー・バレンタイ
ン』(My funny Valentine)を思い出します。歌ではサラ・ヴォーン(Sarah 
Vaughan)、演奏ではマイルス・デイヴィス(Miles Davis)が好きです。最近、
ジャズを聴く機会がなくなり残念ですが、YouTubeで視聴できます。往年の名
プレヤーの演奏を動画で鑑賞できるなど信じがたい話で、いつ聴いても感動し
ますね!(感謝)
 
今年の立春、暖かでした。予想していた春一番、関東地方は吹かなかったよう
です。
 
 (次回は、「第三章 2月に読んであげたい本2」についてお話しましょう)

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