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めぇでるコラム : 2018年8月 2ページ目

さわやかお受験のススメ<幼稚園受験編>面接ケース・スタディー(7)

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         「めぇでる教育研究所」発行
   「2019さわやかお受験のススメ<幼稚園受験編>」
            第41
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面接 ケース・スタディ編(7)
「タイクツダナァ……!」
 
お子さんへの質問が終わると、今度はご両親の番です。
面接が終わると、お子さんだけ他の部屋へいって遊ぶような場合は心配ありま
せんが、親の面接が続く場合は、こういったことも十分に考えられます。
模擬面接でも、よくあるからです。
 
じっと座っていたお子さんが、足をブラブラしはじめました。
その時です。
お母さんが、手で制し、キッとにらみつけたのです。
子どもでなくても、びっくりします。
ハッとして、うつむいてしまいました。
テーブルをはさんでの面接ですから、直接、先生方には見えません。
おそらく、お母さんが、テーブルの下で足をおさえつけたのでしょう。
顔が、そういっています。
もっとすごいお母さんになると、手を叩くそうです。
どう思いますか。
 
ご両親の面接になると、お母さんもご主人の話を真剣に聞いています。
「いま、ご主人のおっしゃったことについて、どう思われますか」
などと質問されることもあるからです。
しかし、お子さんは退屈しはじめます。
足をブラブラさせるどころか、手をテーブルの上に置いたり、頭を触ったり、
とにかくじっとしていられません。
それどころか、椅子から立ち上がって歩き始めるお子さんもいます。
「お座りしていなさい」
といいながら、ほとんどのお母さんは、強引に手で引っ張り、座らせようとし
ます。 
これもどうでしょうか。
 
こういった経験をされたお母さんから、聞いた話です。
ミキちゃんは、じっとするのが苦手で、3分間が限界だそうです。
でも、それが幼児です。
30分間も、じっと座っている子がいたら、気持ちが悪くなりませんか。
面接当日、心配したとおりミキちゃんは、椅子から立ち上がろうとしました。
「ミキちゃん、もう少し頑張ってね!」
期待に応えて、少し頑張りました。
しかし、もう限界です。
でも、今度は、お母さんは止めませんでした。
そして、
「先生、すみません。このままでよろしいでしょうか?」
と尋ねてみました。
「もう少しですから、お母さんのおひざで待ちましょうね」
こうおっしゃってくれたそうです。
ミキちゃんの一番心の休まる場所ですから、静かに待てて、無事、面接を終え
たばかりか、合格しました。
 
2、3歳児にとり、静かに座って待つことは、大変に難しいものです。
とにかく、じっとしていないのが幼児です。
口だけで強制するのは、無理です。
このお母さんのように、強引に手を引かずに、先生に聞いてみることも大切で
はないでしょうか。
お母さんが聞けたのは、ミキちゃんの性格をよく知っているからです。
ミキちゃんの不安な気持ちが、立ち上がるしぐさに表われています。
子どもの置かれている状態を考えて、子どもの気持ちになって行動しようとす
るお母さんであることもよくわかります。
 
普段、お子さんと静かに過ごす時間を作っていますか。
お子さんの好きな絵本を、読んであげていますか。
お子さんの話をちゃんと聞いてあげていますか。
好きな話を読んでもらい、話を聞いてもらっていると、静かに待つ姿勢も身に
つきます。
 
「ここで立ち上がったからマイナス10点!」
幼稚園側が、そんな採点をするわけはありません。
その時のお母さんの取った態度が、採点の対象になるはずです。
強引に座らせ、叱責するだけでは、保護者とはいえません。
くどいようですが、繰り返します。
お母さん方は、保護者です。
お子さんが、初めての場所や、初対面の人には、どのような態度をとりがちか、
一番よく知っているのは、お母さん方ではありませんか。
起こりえるケースをいろいろと想定し、どのように対処すべきか、考えておく
べきではないでしょうか。
 
猛暑が戻ってきました。コンディションをくずさないよう健康管理には、十分
に注意して下さい。
 (次回は、ケース・スタディ編8についてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第11章 お月見です 長月(2)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2019さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第41号-
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第11章  お月見です   長 月(2)
  
★★秋の七草★★
春の七草は、色彩的には黄色が多く、それに食べられるものばかりでした。
正月の7日に食べる七草粥には、春の七草が入っています。今年1年間、息災
で病気にならないようにと、払いの意味で食べたものですが、正月にご馳走を
食べすぎて、弱った内蔵をいたわる意味で食べたのでしょう。これも昔の人の
生活の知恵です。
 
秋の七草は、どうでしょうか。
萩(はぎ) 薄(すすき) 葛(くず) 撫子(なでしこ) 女郎花(おみなえし) 
藤袴(ふじばかま) 桔梗(ききょう)をいいます。見るとわかりますが、紫色が
多くて観賞用です。葛は、根は解熱剤として使われていますし、粉にした葛粉
は食べられますが、春の七草とは、大変な違いです。
 
事の起こりは万葉集で、山上憶良が秋の七種の草花を詠んだことから、秋の七
草といわれるようになったのです。
 
 秋の野に 咲きたる花を 指(おゆび)折り かき数ふれば 七草の花
   芽子(はぎ)の花 尾花 葛花(くずばな) 瞿麦(なでしこ)の花
    女郎花(おみなえし)また藤袴 朝貌(あさがお)が花  
 
(万葉集八巻 山上憶良)
 
朝貌の花は、現在では桔梗のことです。
芽子といい瞿麦といい朝貌といい、昔の字は、秋の七草にしてはゴツゴツした
感じを受けませんか。何だか花の名前の感じがしません。今の方が、親しめま
す。いや、もっと現実的な秋の七草があります。
 
昭和10年、菊池寛、高浜虚子などの文人や学者の推薦によって新聞社が選ん
だ「新秋の七草」があります。菊、葉鶏頭(はげいとう)、秋桜(コスモス)、彼
岸花、赤飯(あかまんま)、白粉花(おしろいばな)、秋海棠(しゅうかいどう)
の七草です。山上憶良と比べると、色彩豊かで華やかで、人手がかかっている
感じがします。
 
平成にふさわしい「秋の七草」は、インターネットの投票によると、春の七草
でご紹介した左大臣四辻善成(平安時代)の真似をするとこうなります。
 
    ハギ キキョウ  コスモス ススキ ヒガンバナ
          リンドウ ナデシコ 秋の七草
 
しかし、本来の七草は、人の手にかかることをこばむ野草という感じが伝わっ
てきますが、いかがでしょうか。
 
話は変わりますが、秋桜(コスモス)、漢字で書くと日本産まれのようですが、
何とメキシコ産です。
コスモスは、一見、葉もきゃしゃで弱々しく、花もたおやかですから、責任を
もって、きちんと保護してあげなくてはと思いがちですが、茎は太く、本当は、
強いのです。台風でなぎ倒されても、いつのまにか窮屈な姿勢ながらも、花を
咲かせます。さすが、メキシコ産と納得しているのは、私だけでしょうか。
「秋桜」と書いて「コスモス」と、今までになかった読み方が広まったのは、
山口百恵さんのヒット曲「秋桜(コスモス)」(1977年 昭和52年)から
だそうで、作詞、作曲者のさだ まさし氏は、「小春日和」と名づけていたとか。
嫁ぐ娘が母を思う曲で、
 
♪突然涙こぼし元気でと 何度も何度も繰り返す母
 ありがとうの言葉をかみしめながら 生きてみます私なりに
 こんな小春日和の穏やかな日は もう少しあなたの子供で いさせてください♪
 
泣かされましたね、男のくせに。(赤面)
もう一つのヒット曲「プレイバックPart2」にはびっくり。あんなリズムで歌
える歌手は、当時、いませんでしたから。「馬鹿にしないでよ そっちのせいよ! 
Play back Play back!」と蓮っ葉なセリフが、かわいかったですね(笑)。 かつて
大手幼児教室にお世話になっていた時、教室のあったマンションに三浦夫妻が住んで
おり、長男の小学校受験で、私がお世話をする可能性もあったのですが、引っ
越しをされ実現しませんでした。(残念!)
 
★★重陽って、五節句の一つではないのですか★★
9月といえば重陽の節句、とならないのが不思議です。
3月の「ひな祭りですね」を思い出してください。9月9日を重陽といい、陰
暦9月9日の節句で、「9」は陰陽道では、陽の数とされており、この2つの数
を重ねた日で、菊の節句ともいわれていると紹介しました。陰陽道では、この
ように奇数を尊び、「9」を最高の数と考え、天の数、天子様の数として、神聖
視されていました。それでしたら、大変な日ではありませんか。
しかし、何かお祝いをした記憶がないのです。
 
  この日は菊の節句である。平安時代に菊は「翁草」「千代見草」「齢草(よ
わいぐさ)」などとい
  われ、重陽の節句に寒菊の酒宴が催された。「菊酒」といって、酒に菊の花
をひたして飲む
  と、長生きできるといわれ、また「菊の着せ綿」といって、前の晩に菊に
かぶせて露にしめら
  せた綿で身体を拭くと長寿を保つといわれた。
        (年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 
P180-181)
 
このように菊は、古くから薬用植物として珍重されていましたが、菊の芯を集
めて作る枕を菊枕や幽人枕(ゆうじんちん)ともいって、香りが高く、頭痛を
治し、邪気を払うといわれ珍重されていたそうです。
そういえば、「菊政宗」という日本酒がありますが、命名のいわれは、これでし
ょう。菊正宗の純米酒は「上善如水(じょうぜん水のごとし)」で絶品です。適
量をたしなめば、酒も良薬の一種に違いないのですが、適量をたしなむのは至
難の業で、意志の強い持ち主でなければ難しいですね。苦労しています(笑)。
 
脱線しますが、千利休は「酒盃の銘」で、「一盃は、人、酒を呑む。二盃は、酒、
酒を呑む。三盃は、酒、人を呑む」といっていますが、けだし、名言ですね。
酒が人を呑むと虎に変身しますが、なぜ、酔っぱらいを虎というのか、親父の
話では、酒のことを「ささ」といい、笹の生えているところに虎がいるからだ
といっていましたが、酔っぱらいを収容する所を「トラ箱」というのもうなず
けますね。
 
蛇足ですが、「上善如水」は5月に紹介しましたが、老子道徳8章にある「水は
万物を潤し、利を与え、自分を主張することなく、器に添って形を変え、争わ
ず、流れに逆らわない。老子の無為自然の生き方」をいうもので、新潟の白龍
酒造にも「上善如水」があり、何だか名酒を賛美するための言葉のようですが、
とんでもない誤りで、酒飲みがカッコつけて飲むための言い訳にすぎません
(笑)。
 
「菊」は漢名(中国での名称)の「菊」を音読みしたもので、「菊」の漢
字は「散らばった米を一ヶ所に集める」の意味があり、菊の花弁を米に見
立てたもの。
また、漢名の「菊」は、「究極、最終」を意味し、1年の一番終わりに咲
くことから名づけられた。
(www.hana300.com/kiku00.htmlより)
 
日本の国花は、桜と菊です。
桜に始まり菊で終わる、自然に恵まれた日本を象徴する花であり、国花にふさ
わしい花であることも肯けます。
 
菊は、その姿が、端整で、美しく、香りにも、何ともいえない気品があります。
古くから菊は、竹、梅、蘭と合わせて四君子(しくんし)といわれ、水墨画の
画材によく使われていました。
菊の品評会などで見る菊は、華やかなムードに包まれ 十分に手間暇のかかっ
ている感じが、匂い出ています。菊人形も、ここまでやるかと、文句のつけよ
うのない作品もあり、うならされます。
いずれも、秋の風物詩として欠かせません。
 
しかし、人里離れた山あいに、ひっそりと咲く、小さな野菊、あれも、いいで
すね。
香もふくいくとして、観賞用の人工菊に、絶対に負けません。寒さに強く、晩
秋から初冬にかけて、けなげにも咲き続けています。花は、ひっそりと咲いて
いるからこそ、もののあわれを誘います。
女性も、ひっそりと、ひかえめがいいのですが、今風ではありません。これを
いうのには、勇気がいります。「ますらお不在」といわれそうだからです。「ま
すらお」は「丈夫・益荒男」と書き、強くて、堂々とした、立派な男子のこと
です。
 
ところで、皇室の菊の御紋章、あれは十六葉八重表菊で、後鳥羽上皇が、特に
菊を好まれたために定められたものです。
そして、欲しい人には最高の価値がある勲章、舌をかみそうですが、大勲位菊
花大綬章は、朝日と菊の花を表しています。
この勲章を、断る方がいます。確固たる理由があるのでしょう。そういった話
を聞くたびに、なぜか、さわやかな気持ちになります。もっとも、私自身、勲
章をもらえる条件が何もなく、ひがんでいるにすぎないのですが(笑)。
 
リーズナブルな刺身についているプラスチック製の菊、あれは単なる飾り物で
すが、上等な刺身には、食用の生菊が、さん然と輝いています。これは高価な
ものですから、必ず、頂きましょう。菊の花をむしって、小皿の醤油に散らし、
刺身と一緒に食べます。
菊は、わさび、生姜、レモン、酢橘(すだち)、蓼(たで)と同様、食中毒や食
材の腐食を防ぐ自然の優れものです。これらの菊は、観賞用とは異なり食用と
して栽培されたもので、さっと湯がいて三杯酢で食べても、おひたしにしても、
なかなかおつなものです。
 
ところで、刺身をのせている「刺身のつま」というのでしょうか、面白い存在で
すね。
ほとんどが大根か海藻(おごのり)ですが、あれがついていないと、何か物足
りない感じがします。しかし、ほとんどの方は、決して、好んで、食べません。
明治生まれの親父は、それこそ一本も残さず食べていましたから、私も残せま
せん。主役の鮪や鯛の刺身を引き立たせる脇役を立派に果たしているのですが、
刺身のなくなった後の姿は、何とも哀れです。「人間、引き際が大切だと教えて
いるのではないでしょうか」などと、「よいしょ」することもありませんが、何
かかばってあげたくなりませんか(笑)。
 
話を戻して、五十円硬貨の表のデザインは、何と菊です。さらに、兵庫県の県
花は、野路菊(のじぎく)です。ご存知のことと思いますが、菊は献花に用いま
すから、病気の見舞いには、タブーの花となっています。
 
日本の三大怪談話は、「四谷怪談」「番町皿屋敷」「牡丹燈籠」ですが、「1枚、
2枚……」と夜な夜な皿を数える幽霊の名は「お菊」だからいいのであって、
「おなべ」「おくま」「おとら」ではさまにならないという話を阿刀田 高氏の本
で読んだのですが、「アッハッハ!」と笑っただけで、出典を控えませんでした、
済みません。こういった幽霊なら、寝苦しい丑三つ時(午前2時ごろ)に出て
ほしいですね。丑三つ時は、幽霊の出動時間です(笑)。
 
最後に、ことわざを一つ。
  「春蘭秋菊 ともに 廃すべからず」(両者ともに優れており捨てがたい)
蘭と菊は、四君子の二つです。 
島根県にも清水寺があることを、五木寛之氏の「百寺巡礼 第8巻」(講談社 
刊)を読んで知り、素晴らしい三重塔を見ようとパソコンで検索していた時に、
島根県江津市のホームページで、この解説を読んだのですが、わかりやすいの
で紹介しましょう。
 
   中国では、「梅」「蘭」「竹」「菊」の4種の草木は「四君子」と呼ばれ、
古来より人々
に愛されています。「君子」とは人徳・学識・礼儀に優れた人のことですが、
「梅蘭
竹菊」は気品の高い美しさを備え、梅は高潔、蘭は清逸、竹は節操、菊は
淡泊と
「君子」に似た特徴をもっていることから、草木の中の「四君子」に例え
られています。
      筆者注 清逸(せいいつ) 清く浮世離れしていること
        (島根県江津市のホームページ 
http://www.city.gotsu.lg.jp/6490.html)
 
5月にも紹介しました「六日の菖蒲」、それに加えて「六日の菖蒲、十日の菊」
があります。菖蒲は5
月5日の端午の節句に、菊は9月9日の重陽の節句に用いるもので、6日と1
0日では間に合わな
いことから、「時期に遅れて役に立たないこと」のたとえです。類義語としては
「後の祭り」「夏炉冬
扇」、ちなみに英語では“a day after fair”だそうです。
    (kotowaza-all guide com 故事ことわざ辞典より)
 
(次回は、「菊花の約」などについてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<現年中児 今から始める小学校受験>ご家庭で楽しくできる受験準備(1) 身につけてほしい話を聞く姿勢

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        「めぇでる教育研究所」発行
2020さわやかお受験のススメ現年中児 今から始める小学校受験
            第6
 現年中児のお子さまをお持ちの小学校受験をお考えの皆様を応援します!!
 
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ご家庭で楽しくできる受験準備         
(1) 身につけてほしい話を聞く姿勢
 
今回からしばらく、家庭でできる受験準備の基本的なことについてお話しまし
ょう。
 
小学校の入学試験には、文字を使えませんから、ペーパーテストには答えは出
ていますが、設問は、どこにも書かれていません。
このことです……。
 
一回で説明を理解できなければ、それまでです。
設問が書かれていれば、難しい問題は後回しにして、時間があれば挑戦できま
すが、小学校の試験は、これができません。
まず、設問を聞き、「はじめ!」の合図で取り組み、「そこまで!」と声がかか
れば止めて、次の設問を聞きます。
「もう少しでできるぞ!」と続けていると説明を聞き逃すことになり、次の問
題に挑戦できません。
「約束を守る」の項目に、チェックが入る学校もあるようです。
そういったことから考えると、もっとも厳しい試験方法ではないでしょうか。
 
さらにやっかいなことには、慶應義塾幼稚舎のようにペーパーを用いない「行
動観察型」のテストでは、先生の指示を聞き取り、理解し、考えをまとめ、自
分自身の意見をいったり、話をしたり、思ったことを絵に描いたり、身体で表
現しなければなりません。
 
しかも、生まれて初めて入った場所で、初めて会った同年代の子ども達とグル
ープを組み、初対面の先生の指示を聞き、理解し、すぐに行動に移さなければ
なりません。
機敏に対応できる能力が求められます。
 
このように、話を聞く姿勢ができていなければ、小学校の入学試験には対応で
きません。ですから、まず、ご家庭で心がけてほしいのは、お子さんが「話を
きちんと聞けるようにする」ことです。
 
それには、ご両親が「お子さんの話をきちんと聞く姿勢」を示すことが大切で
す。     
「こうしなさい!」「こうしなければダメ!」と注文をつけるのではなく、逆に、
お子さんの話に耳を傾けてあげる、話を聞いてあげることが大切なのです。
これは、簡単なようですが、あまりできていないのではないでしょうか。
幼児の話は一本道ではなく、あっちへ飛んだり、脱線したり、一回で完結せず
に、予想のつかない展開となりがちです。
そこを辛抱強く聞いてあげ、       
「ケンイチ君、こういうことだったのね」                     
などと簡単にまとめてあげれば、         
「何だ、そういうことか!」           
と、本人は意識しなくても、話の仕方の学習にもなっているのです。  
 
幼稚園や保育園から帰ってくるなり、                     
「ママ、あのね、きょう……」                   
などと話しはじめた時には、何はさておき聞いてあげましょう。
話したい意欲に燃えているのですから、「話の仕方の学習時間」と考えて、真剣
に聞いてほしいのです。
聞いてもらうと、子ども心にも快感が生じます。
そこから、「人の話はきちんと聞かなければいけないこと」も学習できるのです。
お母さんは、「話をきちんと聞きましょう!」と、柳眉を逆立て命令しているわ
けではありませんが、お子さん自身は「話をきちんと聞く学習の基本」を学ん
でいるわけです。
これも「教えない教育」の一つの例です。
話を聞いてもらえたお子さんは、身も心もすっきりとし、   
「ようし、今日は、プリントを5枚、頑張るぞ!」
となれば、一石二鳥ではありませんか。    
 
お母さんにも経験ありませんか。
会社から帰ってきたお父さんに、テレビのワイドショーなどで仕入れた情報を
披露しようとした時に、
「疲れているからあとにしてくれ!」
などといわれれば、ムッとしませんか。
中には、切れるお母さんもいるようです。
お子さんも同じです。
切れますが、力関係でお母さんに勝てませんから、黙るしかないのです。
せっかくの学習チャンスを無駄にしています。
この無駄は、はかり知れない大きなものであることを肝に銘じておきましょう。
スキンシップにも影響がでます。
お子さんの話を聞けないお母さんは、命令と要求が多くなりがちです。
立教小学校の説明会で、「対話の反対は沈黙ではなく、命令と要求」とおっしゃ
ったのは、田中司元校長でしたが、幼児の場合は、まさにその通りではないで
しょうか。
お子さんが、急に黙ったり、プッとふくれたり、不満げな様子を示す時は、「命
令や要求が実行されている」と考えましょう。
子ども達が、もっとも嫌がるお母さんであることに気づいてほしいですね。
 
ところで、お母さん、お子さんの赤ちゃん時代を思い出してください。
お子さんは、「ママ!」の一言で、一方的に会話を済ませてはいませんでしたか。
「お腹がすいた」
「水を飲みたい」      
「おむつを取り替えて」      
「汗をかいて気持ちが悪いの」      
「日光浴をしたい」             
「抱っこして」       
「淋しいからそばにきて」      
「テレビをつけて」      
「頭が痛いの」       
「お散歩に連れてって」      
など、書き出すときりがありませんから止めますが、選択肢はこんなものでは
なかったはずです。
お母さん方は、「ママ!」の一言で、何を要求しているかを的確に判断し、適切
な処置をしていたのではないでしょうか。
このことを思い起こせば、つたない話でも、聞いてあげるのは楽ではありませ
んか。
お子さんが、「ねえ、ママ!」といったときには、素直に話を聞いてあげるよう
に心がけましょう。
 
イエス・キリストも、「忙しい毎日の中で、その時にあたって最善の行動とは何
かを考えなければならない」とおっしゃっていますが、子どもの話をゆっくり
聞いてあげる、これもその時に最優先すべきことと考えるべきではでしょうか。
何もキリストにお出まし願うこともありませんが(笑)。
 
もう一つ、思い出してほしいのです。
赤ちゃんが、なぜ、話せるようになったか、このことです。
自然に話せるようになったわけではありません。
映画「ジャングルブック」は、赤ちゃんの頃から狼達に育てられ、言葉をまっ
たく話せなかった少年が主人公でした。
言葉は、その学習時期を過ぎると臨界期といって、どうにもならなくなり、身
につかないそうです。
ここでも、お母さんの涙ぐましい努力が、あったはずです。
 
「ママ、おみじゅ!」
と、お子さんがいったとします。
お母さんは、どのように対応されたか覚えているでしょう、それほど昔の話で
はありませんから。
「のどが渇いたので、お水が飲みたくなったのね!」
こういっていたはずです。
そこで、お子さんは、
「ノドガ カワク、ミズヲ ノミタイ」
といった言語の学習をしていたわけです。
この語りが、おうむがえしが、会話の学習の基礎となり、今のように話せるよ
うになったわけです。
しかも、「主語が『私』で、述語が『飲みたい』、目的語が『水』で、形容詞が、
副詞が……」と教えたわけではありませんが、かなり、理詰めに話せるように
なっています。
お母さんとの学習が、苦にならなかったからです。
なぜでしょうか。
 
それは、やはりお母さんが、話ができるように、やさしく対応してあげたから
です。
その心は、「まだ、話せないから」といった配慮があり、無理に教え込まなかっ
たからではないでしょうか。 
話をじっくりと聞いてあげ、言葉のシャワーを繰り返し浴びせかけた結果であ
り、これも「教えない教育」であったわけです。  
誤解をされると困りますから繰り返し説明しますが、「教えない教育」は何も教
えないのではなく、教わっている本人が、意識することなく、楽しく、大変な
学習をしていることです。      
 
そして、面接で、丁寧な言葉で話してほしいとお考えでしたら、お母さん自身
が、響きのよい言葉を使うことです。
「ご飯よ、ケンちゃん!」ではなく、「ご飯ですよ、ケンジくん!」と話しまし
ょう。
言葉遣いやあいさつは、一朝一夕に身につくものではありません。
親が率先して、よいお手本を見せることです。
 
さらに、指示は、正確に出すように心がけましょう。
「ねえ、ケンちゃん、あそこにある、あれとって!」
「あそこの、あれ」といわれても、わかっているのは指示を出したつもりのお
母さんだけで、聞いているお子さんには、何が何だかわかりません。
何だろうと迷っていると、
「何をぐずぐずしているの!」
と、怒気を含んだ催促になりかねません。
「これ、それ、あれ、どれ」といった「こ・そ・あ・ど言葉」は、使わないこ
とです。
「こ・そ・あ・ど言葉」は、文章が煩雑になるのをさけるために使う「代名詞」
です。
代わりの言葉ではなく、名詞をきちんと使いましょう。
 
「ケンジくん、ダイニングのテーブルの上にある料理の本を、お母さんのとこ
ろへ持ってきてください」と指示がきちんと出ていれば、
「いい加減に聞いたらまずいことになるぞ!」
と、お子さんもわかります。
 
   ◆話を聞いてあげる。 
   ◆きれいな言葉を使う。
   ◆指示をきちんと出す。
      
ご両親に、こういった配慮があれば、お子さんも、ご両親の願いに応えるはず
です。
心当たりがありましたら、早速、実行しましょう。
 
台風12号は、西の方へ行って災害をもたらしました。また猛暑が戻ってきま
したが、清涼飲料水は控えめに、家で作った麦茶などで、渇きをしのぎましょ
う。
(次回は、「本の読み聞かせの素晴らしい効用1」についてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<小学校受験編>願書の書き方

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        「めぇでる教育研究所」発行
    2019さわやかお受験のススメ<小学校受験編>
            第57号
 年長児のお子さまをお持ちの小学校受験をお考えの皆様を応援します!!
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★★願書の書き方★★
 
志望校も決まれば、願書の記入となります。
 
願書は、ご両親の考え方や性格など、いろいろなことが浮かび上がってくるも
のです。
面接される先生方は、この願書を読まれて面接に臨むわけですから、いってみ
れば、学校側が知ることのできる唯一の情報であり、書き方によっては、それ
が決め手となりかねません。
志望理由やご家庭の教育方針、お子さんの性格や育児の留意点、職業、通学経
路など、記入されたデータをもとに質問が始まるわけですから、親としての責
任は、限りなく重いものです。
 
簡潔で、的を射た表現から、面接は和やかな雰囲気で進み、お互いのコミュニ
ケーションが成り立ちます。
逆に、要領を得ない、冗漫な表現では、悪い印象を与えかねません。
 
ほとんどの願書には、「楷書で丁寧に記入し、使用する筆記用具は黒の万年筆か
ボールペン」と注意を促しています。
達筆な草書で書かれた願書は、注意を無視することになり、見た目はきれいで
あっても、簡単に読み切れませんから、何百通の願書を読む立場になれば、こ
れほど思いやりの欠けた願書もないでしょう。
また、記入欄いっぱいに小さな字で書き込むのもどうでしょうか。
もし、あなた自身が面接を担当する先生の立場でしたら、どういった願書を歓
迎するでしょうか。
やはり、一点一画を丁寧に、読みやすく書くことが大切だと思います。
 
また、書き慣れているからと、サインペンを使用することは避けましょう。
サインペンは水に弱く、にじんで願書を汚したり、字、そのものが消えたりし
がちだからです。
 
●願書記入に関しての留意点
 
・氏名で齋(斎、斉)、澤(沢)、邊(辺)、壽(寿)など、普段、略字で書き慣
れている方は注意しましょう。
 氏名の「ふりがな」は、ひらがなで書かれている場合は「ひらがな」で、カ
タカナの場合は「カタカナ」で記入します。
 
・現住所は、住民登録票に記載されている通りに記入します。
 やりがちなミスは、
 〔東京都新宿区○○町4ー5ー6 メゾン△△△△ ××号〕
 といった住所の記入です。
 住民登録票には、以下のように表記されているはずです。
 〔東京都新宿区○○町4丁目5番地6号 メゾン△△△△ ××号〕
 
・職業は、簡潔に記入しますが、説明をしなければわからない場合もあります。
 記入欄は限られていますから、面接の折りに質問を受けることを考え、わか
りやすく説明できるよ
 うにしておきましょう。
 自営業の方は、年収や従業員数等を尋ねられたケースもありましたから、ま
とめておきましょう。
 私学はご家庭の経済力に依存しており、経済的な基盤が安定しているかを確
認していると考え、的確に応じることが大切です。
 
職業を持っている母親は不利といわれているので、書くことを躊躇されるお
母さん方がいると聞きますが、これも噂の一つです。
入学後の送迎や、緊急時のお迎え、学校の行事や参観など、きちんと出席し、
協力できれば問
題はありません。
日本女子大学附属豊明小学校、聖心女子学院初等科も学童保育をはじめ、仕
事を持つお母さん方を援助しています。
ただし、緊急時のお迎えについては、東日本大震災以後、速やかに対応でき
ることも求められています。学校側に不安を与える条件がなければ、専業主
婦より、苦労をするわけですから、もっと自信を持ってください。
 
・通学方法、所要時間は、電車の場合は、各駅停車を利用した時間を、乗り換
えがある場合は、それに要する時間、自宅から最寄りの駅、駅から学校までと
いった歩く時間は、子どもの足でかかる時間を記入します。
 駅から学校までの時間は、学校側から○○分と指定している場合もあります
ので、読み落とさないように注意しましょう。
 
 通学時間は、多くの場合、ラッシュアワーを避けるようにはなっていますが、
地域によっては、その時間帯になることもありますし、バスの場合は渋滞など
から、時間がかかることもあります。
 正確な時間を知るためにも、登校時間に合わせて出かけ、所要時間を把握し
ておきましょう。
 乗り換えがある場合、特に、地下鉄などは、迷路のような所もありますから、
注意が必要です。
 私は青山学院初等部、東京女学館小学校、聖心女子学院初等科へ行く時に、
副都心線を利用しますが、渋谷駅で、いつもうろうろしてしまいます。
 上記の学校の他に、幼稚舎、立教女学院小学校(制服がないので推定?)、昭
和女子大附属小学校の生徒達の姿を見かけますが、みんな何の苦もなく乗り
換えています、当たり前の話ですが(笑)。
 
・写真は、カラーでも白黒でも可、写真屋さんで撮らなくてもスナップ写真で
も可、といっている学校もあります。
 制限があるとすれば、3ヵ月以内に撮影されたもので、本人と確認できるも
のです。
 「○○写真館ご用達の写真でなければ合格しない」は、単なる噂ですが、気
になさる方は、ご利用ください。
メールマガジンで「噂といっていたから撮らなかったので不合格になった」な
どと、あとでいわれても困りますから・・・、冗談ですが。
 
・性格、長所、短所ですが、正直に書きましょう。
 子どもは、演技できませんから、試験場のどこかで、あらわれるものです。
 短所の表現には、十分に気をつけてください。
 「気が短くて飽きやすい」などと書かれる方はいないと思いますが、これで
は、保護者として失格でしょう。
 「だれが、そのように育てたのか」と思われるだけです。
 親の愛情の伝わる表現の仕方があるものです。
短所は、育児でうまくいかなかったところが表われているといえますし、遺
伝もあると考えられますから、お子さんだけの責任ではありません。
 
・ミッション系の学校の願書には、宗教について書く欄があります。
 そこへ「無し」「無宗教」などと書かれる方がいますが、これはどうでしょう
か。
 日本人であればどこかの宗派に属しているはずですから明記しましょう。
 「仏教だと不利」は、噂にすぎません。
 
・誤字や略字に注意が必要です。
 働(仂)、卒(卆)、言(云)、その他 問、職、点、第など。
 
願書の記入上の注意に関しては、9月から始まる説明会でもやっていますし、
学習院初等科、青山学院初等部では、記入例を細かく記した資料も同封されて
います。
それでも、印鑑の押し忘れや、記入漏れなどがあると注意を促していますから、
記入例や注意書きにしたがって、慎重に書くべきです。
 
書き損じた場合は、修正液を使用してもよいという学校もありますが、やはり、
願書は「お願いの書」ですから避けるべきで、そのためにも何部かコピーを取
り、下書きをすべきでしょう。白百合学園小学校の説明会では、願書だけ別売
していましたが、今年はうっかりして確認できませんでした。暁星小学校は9
月配布ですが、願書だけの販売があるか確認してきます。
 
また、慶應義塾幼稚舎や早稲田実業学校初等部などの願書のように、志望理由
などを書く欄に線の引いてあるものは書きやすいのですが、雙葉小学校や白百
合学園小学校、昭和学院小学校、国府台女子学院小学部、日本女子大学附属豊
明小学校の面接書類のように、白紙で線がなく、書く欄も広い場合は、あらか
じめ鉛筆で薄く線を引き、万年筆かボールペンで記入した後、完全にインクが
乾いてから消しゴムで線を消せば、字も揃い、読みやすくなります。
なお、願書に関する情報は、平成30年度(平成29年11月受験)のもので
あることをお断りしておきます。
 
最後に、「主人は字が下手なものですから、私が書いた方がよいでしょうか」と
いった質問をよく受けますが、一点一画、丁寧に書けば、決して読みづらい願
書にはならないと思います。
また、「主人が書かなければ合格しない」ともいわれているようですが、これも
おかしな話で、どうやら、願書の最後のところなどに、「記入者」と書かれてい
るところから、こういった噂が流れているようです。
 
「字が下手」「主人が書く」などは、どうでもよいとはいいませんが、一点一画、
丁寧に書かれ、志望理由などが要領を得たものであれば、それで十分ではない
でしょうか。
「形を繕うより心」です。
わが子のために心から、その学校への入学を希望されているならば、そこには、
自ずとご両親の心意気が表われているはずです。
 
 「願書は、ご家庭の顔」といわれる理由は、ここにあるのです。
 
盛夏、お元気にお過ごしでしょうか。常識破りの台風12号、しのぎやすい日
が数日ありましたが、猛暑が戻ってきました。体調を崩さないように、お子さ
んの健康管理には十分に注意してあげましょう。                      
(次回は、「面接について」お話ししましょう)

さわやかお受験のススメ<幼稚園受験編>面接ケース・スタディー(6)

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         「めぇでる教育研究所」発行
   「2019さわやかお受験のススメ<幼稚園受験編>」
            第40
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〔説明会情報〕
7月28日(土)11時より、雙葉学園中高講堂で、開園以来はじめて雙葉小
学校附属幼稚園の説明会が行われました。台風15号の直撃も心配されました
が、帰り際に雨に降られただけで、無事終了。参加者は推定550名。一斉保
育と自由保育の兼ね合いがうまくいっており、学園の一人ひとりの個性を尊重
する方針が伝わってきました。良かったのは、スライドで見た、男の子が中高
の体育科の教員の指導で野球をやっていた様子で、男子同士の関わりにも配慮
されていることもわかりました。映像はありませんでしたがサッカーもやり、
難しいルールのなども学んでいるとか。また、子どもたちが持って登園するバ
スケット、中身はお母さん手作りの弁当でした。
ところで、「他校を受験した場合は、小学校への推薦権を失い、一般の方と同じ
試験を受けることになります」との説明がありました。昔の話ですから真偽の
程は確かではありませんが、幼稚舎へ合格した女の子が、お茶の水女子大学附
属小学校へ合格したために辞退し、補欠が動いた話を聞いたことがあります。
推薦権を放棄する方がいるとは信じがたいですね。隣りのお母さん、メモを取
る手を休め「エッ……!」と驚いていました、私も同じですが(笑)。
所要時間37分、質疑応答、園舎見学がなかったとはいえ、私が知る限り、説
明会の最短時間でした。
 
       面接 ケース・スタディ編(6)
お子さんが口を閉ざしてしまったら
 
「こんにちは」
「………」
「お名前を教えてください」
「………」
「いくつになりましたか」
「………」
何を聞かれても黙ってしまい、答えられないお子さんもいます。
そんな時、お母さんはどうしますか。
 
しつこく質問を続ける先生はいません。
お子さんを緊張させるだけですから。
先生方は、お父さんに質問をし、様子を見ながら、また、お子さんに質問を試
みてくれるはずです。
問題は、その時のお父さんとお母さんの態度だと思います。
簡単に答えを教えたり、口を閉ざすわが子を見て取り乱したりするようでは、
保護者とはいえないでしょう。
 
最近は、お父さんが口をはさむようです。
特にお嬢さんの場合、お父さんは落ち着きをなくしがちです。
「お名前を聞かれているんだよ、教えてあげなさい」
この程度は、許容範囲です。
年齢を聞かれて、
「ほら、○○ちゃんは、3つでしょ」
このお父さんのアドバイス、どう思いますか。
回答を教えているのですから、駄目ですね。
しかも、わが子を「○○ちゃん」というのもどうでしょうか。
人前ですから、チャンはいただけません。
わが子を人様に紹介する時、「娘の○○です」というのではないでしょうか。
ここでも、普段の顔が表れるようです。
もし、呼び捨てにされた経験がなければ、お子さんはびっくりするでしょう。
お子さんの名前の呼び方、いかがですか。
 
しかし、黙り込んでしまったお子さんを、黙って見ているのも困ります。
冷たい親だと思われかねません。
幼児は、初対面の人と話をするのは苦手ですから、きっかけを作ってあげまし
ょう。
やはり、お母さんがいいでしょう。
「先生は、あなたと初めて会ったからお名前がわからないのよ。教えてあげま
しょうね」
これくらいなら、許されます。
それでも話ができなければ、無理強いする必要はないと思います。
 
ましてや、答えられなければ駄目だと思い込み、先生を見たり、わが子を見た
り、きょろきょろと落ち着きのない様子は、見苦しいものです。
信じられないことですが、口を閉ざしたわが子を、にらみつけるお母さんもい
るそうです。
保護者として、絶対にやってはいけないことの一つです。
 
しかし、こういった状態になっても、保護者の力でバックアップできる可能性
は、残されています。
 
こういうお母さんがいたそうです。
「お母さまにうかがいます。お子さんの長所と短所をお聞かせください」
こう聞かれたお母さんは、
「はい、長所は、元気で明るいことなのですが、初対面の方とお話をするのが
苦手で、慣れるのに少し時間がかかるところが短所かもしれません。普段は、
こういったことはないのですが、やはり、緊張してしまったようです。申し訳
ありませんでした」 
このお母さんの回答から、わが子を思う心が伝わってこないでしょうか。
また、口をきけなくなった原因もわかります。
最後の「申し訳ありませんでした」の一言が、「責任は、私にあります」と、緊
張する雰囲気を作った自分自身を反省していることになりませんか。
お母さんの謙虚な気持ちが伝わってきます。
 
こんな時に、
「長所は、元気で、明るく、活発なことで、短所は、少し、はしゃぎ過ぎると
ころです」
などと、紋切り型に答えるお母さんとでは、先生方に与える印象は、いかがで
しょうか。
お子さんのことを考えていないお母さんということになりますね。
 
そして、こういう長所があるから合格、こういう短所があるから不合格という
のも、考えにくいことです。
そうではないでしょうか。
お子さんは、これから伸びる可能性を、いっぱい持っています。
まだ、まだ、小さな、小さな芽です。
たかだか2、3年の履歴書しかもっていない幼子です。
幼稚園側が、そういったことだけに、こだわるわけはないと思います。
 
何が起こるかわからないのが幼児の面接です。
口を閉ざしてしまったわが子に、親として成すべきことは何か。
おわかりいただけたと思います。
保護者としての心構えを、常に、忘れないことが大切ではないでしょうか。
 
想定外の動きを見せた台風12号、しのぎやすい日が続きましたが、また猛暑
が戻ってきました。暑さはまだこれからです。うっとうしい毎日が続きますが、
お母さんの笑顔が、そんな気持ちを吹き飛ばしてくれます。お子さんもお母さ
んも、体調を崩さないように気を付けましょう。
(次回は、面接ケース・スタディ編(7)をお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第11章 お月見です   長 月(1)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2019さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第40号-
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第11章 お月見です   長 月(1)
 
暦の上では、今月から秋です。
秋の読み方は、「黄熱(あかり 稲が成熟する)からとの説が一般的ですが、秋
空が 「あきらか(清明)」である、収穫が「飽き満る」、草木の葉が「紅(あ
か)く」なるなどの説もあるようです。
長月(ながつき)のいわれは、秋も深まり、次第に夜が長くなっていくから「夜
長月」の略が、わかりやすいですね。
これにも、いろいろな説があり、「稲刈月(いねかりづき)」の「い」と「り」
を略して「ねかづき」が「ながつき」となったものや、「稲熟月(いねあかりつ
き)」が略されたという説もあるそうです。
 
★★お月見ですね★★
9月といったら、お月見ですね。
天保暦でいうと、8月15日にあたり、今のグレゴリオ暦では、9月の15日
から20日頃が見頃です。
 
秋の澄んだ夜空に、こうこうと輝く満月を観賞する習慣は、古くから中国にあ
り、それが平安時代に貴族の間に伝わり、やがて、武士や庶民にも広まったも
のです。昔は、「中秋の名月」といい、月を眺めながら、和歌を詠み、お酒を酌
み交わし、秋の夜を過ごしました。何やら風流な趣が伝わってきそうですが、
お百姓さんは、それどころではありません。何しろ日本は、農耕民族でしたか
ら、とにかく自然が頼みの綱です。
 
お月さまは、お百姓さんにとって、お日さまと同様、大変な存在でもあったの
です。
ご存知のように月は、およそ1ヵ月の間に丸くなり、また、だんだんと欠けて
いきます。新月から1週間程で半月になり、15日程で満月に、1週間後には
半月となり、再び新月に、これの繰り返しです。そこで昔の人は、満ち欠けす
る月の形から、1ヵ月のおよその日にちを知ることができ、それをもとに農作
業の時期、段取りを行っていました。 
また、月の明かりで、夜遅くまで農作業ができたのです。言ってみれば、お月
さんは暦であり、時計であり、夜間の照明器具でもあったわけですから、感謝
の心は、現代では考えられないほど、深かったに違いありません。
 
さらに、旧暦の8月といえば、稲にとっては、夏の暑いお日さまを、さんさん
と受け、しっかりと実をつける時です。しかし、台風が来ると、折角、丹精を
込めて育ててきた稲は、強風と豪雨でメチャメチャになってしまいます。私の
小学校時代(昭和20年代)の日本の景気は、米の収穫量で決まりですから、
何とか穏便にと思うのは、当然でしょう。
台風一過の秋晴れのもとで、すっかり水を被ってしまった田んぼを、ぼう然と
眺めていたお百姓さんの姿を、何回も見ましたが、子ども心にも悔しい思いを
したものでした。ですから、お月さまに、すすきや秋の花とおだんごや果物、
芋などを供えて、自然が荒れないようにお祈りを捧げたのです。
 
なお、十五夜を見た場合には、旧暦の9月13日(現在の10月17日頃)の
十三夜も見なければならないといわれています。1回しか見ないお月見を「片
見月」といい、不吉なことが起こると嫌われていたからだそうです。十三夜は、
栗や豆を備えることから「栗名月」「豆名月」ともいい、十五夜が中国から伝来
したものに対し、十三夜は日本のオリジナルな風習です。
また、「十三夜に曇りなし」ともいわれ、晴れの夜が多く、秋の澄んだ夜空に、
こうこうと輝く月を見ることができます。丁度、10月の下旬にあたり、秋た
けなわの頃だからです。お子さんと一緒に「片見月」とならないように、確か
めてみましょう。こういった話をするだけでも、お子さんには、楽しい思い出
となるものです。
 
ご覧になったかと思いますが、2016年は、7月に2回、2日と31日に満
月が現われました。これをブルームーンと呼び、2、3年に1度の割合で起こ
り、今年1月と3月にもみられた天体現象です。ブルームーンの名称の由来は、
英語の慣用句に“once in a blue moon”(珍しいことやまれなことのたとえ)
があり、まれな現象を「ブルームーン」ということだからだそうです。次回の
年間2回のブルームーンは19年後、年1回は2020年10月31日だそう
です。
 
「月光」といえば、ベートーベンの「ムーンライト・ソナタ 月光」を思い浮
かべる方が多いのではないでしょうか。私はグレン・ミラーの作曲した「ムー
ンライト・セレナード」で、ミラーの生涯を描いた「グレン・ミラー物語」を
1週間、毎日、映画館に通って観たものでした。「真珠の首飾り」「茶色の小瓶」
「イン・ザ・ムード」などの演奏も楽しみでしたが、全盛時代のジャズの王様、
ルイ・アームストロングの率いる、ほれぼれするようなメンバーの熱演を観る
ことができたからです。曲は「ベージン・ストリート・ブルース」で、ドラム
のジーン・クルーパーとコージー・コールのドラム合戦は、何回観ても飽きま
せんでした。入口のお姉さんと顔見知りになり、「私も長い間この仕事をやって
いるけど、学生さんのような人は初めて!」とあきれ顔でいわれました(笑)。
この頃から、ドラムに憧れていたのです、高校1年生の時でした。
                     
★★なぜ、すすきを飾るのでしょうか★★
すすきは、姿、形から見ても稲科の仲間だとわかります。
あの白い花穂が、いいですね。別名「尾花」といいますが、本当に漢字は説得
力があります。これは、子どもの頃に、お百姓さんから聞いた話ですが、今で
もよく覚えています。なぜ、お月さまにすすきを飾るのか、その理由ですが、
すすきの尾花は、細くて長く、まるでほうきのようですから、秋風に揺れなが
ら、その穂で、しっかりと神様を捕まえ、豊作をお願いしたいからだといって
いました。今は、郊外に出かけないと見られなくなりましたが、子どもの頃に
は、そうですね、見上げるほどの高さですから、2メートルぐらいになるのも
あり、これなら神様を絶対に逃さないと思ったものです。       
                                
★★なぜ、お供え物に芋があったのでしょうか★★
米で作ったおだんごや果物、それに採れたての野菜などを供えたものです。
母からよく聞いた話ですが、お日さまには天照大神(あまてらすおおみかみ)
が、お月さまには月読命(つきよみのみこと)という神さまがお住みになり、
お日さまを浴びていろいろな物が育つように、お月さまの光にも不思議なエネ
ルギーがあって、その光を浴びた物を食べると、健康で長生きするからだとい
っていました。
「かぐや姫」のラストシーンで、月の光で侍が、ばたばた倒れますが、あれを
思い出し納得していました。数々の怪獣を一撃で倒すウルトラマンのスペシウ
ム光線ではありませんが、月光の威力に感嘆したものです。あの場面には、い
つも魅せられていました、UFOの世界です。こういった空想は、時代を超越
し、夢があります。科学が、1つ1つ、その根拠を壊していますけれど、サン
タのプレゼントと共に、幼児期の楽しい夢であり、一緒に楽しんであげるもの
ではないでしょうか。  
                      
このウルトラマンに目下、孫がはまっていて、「それはバルタン星人だろう」と
言ったら、「おじいちゃん、何で怪獣の名前を知っているの?」と尊敬されてし
まいました。もう40年前になりますが、長男が夢中になって遊んでいたもの
で、いまだ人気が衰えないようですね。女の子には、リカちゃん人形が人気の
的で、サンタの代わりに買いに出かけたものでしたが、新作、マサト君が出た
年は手に入れるのに苦労したことを思い出しました(笑)。
 
ところで、子どもの頃ですから、「夜露」がよくわかりませんでした。供えてあ
る果物や芋が、夜露に濡れて、月の明かりで光っているのです。神秘的でした。
ですから、夜露に光る果物を食べると、何やら力がつくような気がしましたし、
おいしいと思いました。感動して、母の話を信じていたものです。
「神秘的……」、響きのいい言葉ではありませんか。「迷信だ」といって信じな
い大人は結構ですが、そういって子どもの夢を簡単に壊すようでは、空想力や
想像力も育たないのではないかと思いますね。
    【注】 古事記には天照大御神、日本書紀には天照大神と明記されて
います。
 
今では、お月見に、だんごやすすきなどをお供えする家庭も少ないでしょうが、
芋を飾る話はさらに聞かないのではありませんか。ところが、私の子どもの頃
は、芋は、欠かせなかったようでした。
しかし、どうしてお月さまに芋を供えたのか、このことです。おだんごや果物
は、納得できましたが、芋はわかりませんでした。お月さまと芋は、どう考え
ても結びつきません。
これも、じいさまから聞いた話ですが、米が主食になる前は、里芋や山芋が主
食でした。今は、さつま芋掘りは、秋の観光イベントに欠かせないものですが、
その収穫が、ちょうど十五夜の頃でしたから、感謝の気持ちを表しお供えをし
たそうです。お月見は、芋などの畑作の収穫祭でもあったわけですね。それで、
中秋の名月を「芋名月」ともいったのです。
 
川越は、さつま芋の名産地で、秋には小さな子達が、芋掘りにやってきます。
盛り付けの鮮やかな和食「芋ご膳」からソフト・クリームまで、美味しいもの
がたくさんありますが、戦後の食糧難の時代に、朝、昼、晩と三食、さつま芋
を食べた世代ですから、見ただけで胸焼けがし、どうしても手が出ません。な
どと言いながら、さつま芋から作った地ビールだけは、飲んでいます(笑)。妙
にこだわりますが、ソフト・クリームは、正しくはsoft  ice  cream です。
 
ところで、「栗よりうまい十三里」ともいいますが、この語源、川越に住んで4
0数年になるというのに知りませんでした。酒の話が楽しいドイツ文学者、高
橋義孝教授の随筆に、「目からうろこ」の話がありました。正確には「目からう
ろこが落ちる」で、英語では“The scales fall from one’s eyes”だそうで
す。(「故事ことわざ辞典」より)
 くりよりうまい十三里、すなわちさつまいもの集散地は埼玉県の川越で、川
越は江戸から十三里へだたっているから、九里と四里とを合わせて十三里、川
越ということになり、その川越の名産物さつまいもは栗よりもうまいというこ
となのである。
                     (「叱言たわごと独り言」高橋義
孝 著 新潮文庫 刊)
叱言、「こごと」と読みます。辞書では「小言」となりますが、文学の世界では、
正式な表現でなくても、その文学者独自の考え方、表現が許されるからです。
小言は軽く聞き流せますが、叱言はかなり怖いですね(笑)。
 
★★なぜ、お月さまにうさぎが…?★★
今の小学生は、笑ってばかにしますが、私の子どもの頃は、宇宙船アポロなど
は、想像外のことでしたから、月にうさぎが住んでいると信じていました、あ
る時期までは。うさぎが跳ねているように、また、杵(きね)を持ち、餅をつ
いているようにも見えました。
 
           うさぎ うさぎ   なに見て跳ねる     
           十五夜お月さん見て 跳ねる     
 
文部省唱歌です、牧歌的で、いいではありませんか。
 
ところで、私の子どもの頃のおじいさんたちは、本当に話がうまかったのです。
いま聞くと、吹き出したくなるものばかりでしょうが、夢がありました。これ
もその一つなのですが、お月さまにうさぎが住んでいる証拠は、
「満月の晩に見てみ、うさぎが餅をついているように見えるのは、あれは、う
さぎの国の旗、国旗だ。お月さんはうさぎの国だと、宣告しているのだよ」
といったものでした。戦後のことでしたが、戦争は、命を的にした領土の争奪
戦ですから説得力もありました。それで、私が、
「じゃ、おじいちゃん、地球を月のうさぎが見たら、どんな旗に見えるのかな?」
「そりゃ、人間に決まっとるがな」
理屈でなくて、何だかおかしな話でしたが、本当のような気がするのです。う
さぎが住んでいるから「うさぎの旗」、人間が住んでいるから「人間の旗」なの
だそうです。おじいちゃんの頭に浮かぶ人間は、絶対に日本人です。そして、
日の丸の旗を持っているに違いありません。もしかしなくても、旗を持ってい
るのは兵隊さんです。おじいちゃんにとって日本は、神州不滅の国でしたから。
こういったお年寄りとの楽しい会話が、懐かしく思い出されます。昔のお年寄
りは、一家の生活の一部を、きちんと担っていたのではないでしょうか、それ
も、尊敬されて、です……。
 
うさぎの住んでいる満月を見ながら、すすきやおだんごを飾り、自然に感謝す
る心は、小さい時に、きちんと育んでおきたいものだと思います。これも情操
教育に欠かせない、大切な行事ではないでしょうか。
満月を、星を、しみじみと眺めたことはありますか。お子さんと一緒に、夜空
を探索してみましょう。
澄んだ秋の空には、お子さんと共有できるロマンがあふれています。星座にま
つわる伝説を知る機会になるかもしれません。3つの星が並ぶオリオン座と宵
の明星、金星しか識別できませんから、偉そうなことはいえませんが(笑)。
             
ところで、外国の人々も、うさぎだと見ているのでしょうか。天の川と同じく、
いろいろな見方があるもので、想像のつかないものもあり、見る位置により、
こんなに違うものかと驚かされました。
 
中国では、うさぎが薬草を作っているとも、ひきがえるやかにがすんでいる
ともいわれています。ヨーロッパや北アメリカでは、女の人の横顔やロバ、
インドや南アメリカではワニ、中東ではライオン、アフリカではうさぎがひ
っかいた傷に見えるそうです。
        (心を育てる 子ども歳時記 12ヵ月  監修 橋本裕之 
講談社 刊 P83)
 
やはり、世界中の人々も、こうこうと輝く満月に、いろいろな思いを抱いてい
たのですね。
海外へ出かけたとき、お月さまがどのように見えるか、お子さんと一緒に眺め
てみるのも、いい思い出になるかも知れません。満天の星の主役は、北斗七星
や南十字星、オリオン座などのようですが、お月さまも加えてみてはいかがで
しょうか。手軽に出かけられませんが、南極では、逆さまに見えるそうです。
 
長男が小学生の頃、「お父さん、どうしてうさぎさんは、いつも同じ格好をして
いるのかな」とかなり大人を困らせる質問をしたものです。話をよく聞いてみ
ると、常に表だけ見えて、裏側はどうなっているかなんですね。言われてみれ
ばその通りで、大人は不思議に思いませんが、そこが探求心の旺盛な子どもの
ことですから、困り果てました。友人に星座に詳しいロマンチストがいるのを
思い出し、聞いたところ、「月の自転周期と月が地球の周り回る公転周期が一致
しているから、常に表しか見えない」といわれ、子どもにどう説明したか思い
出せませんが、多分、いい加減な話で煙に巻いたのではないかと思います(笑)。
皆さんは、どう説明しますか。
 
最後に、お月さまといえば、文部省唱歌の「月」(詩曲 作者不詳)を、懐かし
く思い出します。
 
1. 出た 出た 月が  まるい まるい まんまるい  盆のような月が
2. 隠れた雲に   黒い 黒い 真っ黒い   墨のような 雲に
3. また出た 月が  まるい まるい まんまるい  盆のような月が
 
といっても、しみじみと眺めた、詩情豊かなといった高尚なものではなく、つ
まらない遊びなのですが、なぜか、思い出すのです。この歌詞を、逆さまから
歌うだけの、ばかげた話ですが、これがおかしくって……。
 
1.たで たで がきつ  いるま いるま いるまんま  なうよのんぼ がきつ
2.たれくか にもく  いろく いろく いろっくま  なうよのみす にもく
 
みんなで、なぜだか、ゲラゲラ笑いながら、品悪く歌って、面白がっていたの
です。
「いーるま いーるま いるまんま」とか「いーろく いーろく いろっくま」
と声を張り上げて。
今、歌ってみても、笑っちゃいますね、ばかばかしくて(大笑い)。何しろ、戦
後の何もない時代でしたから、こんなことでも楽しかったんですね。この歌を
聞くと、いつもお腹をすかしていた、あの頃を思い出します。
 
台風12号、関東には直撃しませんでしたが、豪雨の災害からまだ復興してい
ない西日本地方には、大きな痛手となりました。関東には猛暑が戻り、川越は
1日に38度を超えたようです。熊谷の41,1度のときも38度を記録しま
したが、体温より高いですから、後期高齢者には、きついですね。(笑)
(次回は、「秋の七草」などについてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<現年中児 今から始める小学校受験>幼児に必要なのは、 勉強ではなく学習です 

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        「めぇでる教育研究所」発行
2020さわやかお受験のススメ現年中児 今から始める小学校受験
            第5
 現年中児のお子さまをお持ちの小学校受験をお考えの皆様を応援します!!
 
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幼児に必要なのは、 勉強ではなく学習です 
 
ある年の白百合学園小学校の親子面接で、こういった質問があったそうです。
「何かお勉強をしていますか。どういうお勉強ですか」
「…………?」
こうなってしまったお子さんが、多かったのではないでしょうか。
 
模擬親子面接で、こういった質問をするのは控えますが、どのような受験準備
をされているのか聞きたくなるときがあります。それは、ペーパーテストの成
績は良いのですが、行動観察型のテストでは、それほど点数が取れていない場
合です。幼児に「勉強をしていますか」とは聞けませんから、いけないと思い
ながら誘導尋問をします。
「幼稚園から帰ったら、どんなことをしますか」
「お教室へ行ったり、お母さんとプリントのお勉強をしています」
「お勉強は楽しいですか」
ここで、お母さんを見るお子さんがいます。どうやら勉強が楽しくないようで
すね。
しかし、そうはいえませんから、お母さんの顔を見て、そして、うつむいてし
まいます。
後で、親子関係が険悪になると困りますから、
「楽しいようですね。ところで……」
と話を変えます。
多くの子ども達に聞いても、受験準備は勉強だといい、女の子は「お勉強」と
いいます。
しかし、どういった勉強をしているかまでは、説明できません。
話の記憶から数量、推理・思考、図形、構成と勉強している領域は広く、取り
組んでいる内容も複雑だからです。
学校側は、何を聞きたかったのでしょうか。
                      
それはともかくとして、教育の二文字から「勉強と学習」といった二つの言葉
が浮かんできます。
では、勉強とは、どのような意味があるのでしょうか。
辞書を引くと、こう書いてあります。
 
「1.そうする事に抵抗を感じながらも、当面の学業や仕事などに身
を入れること。
 2.将来の大成・飛躍のために一時忍ばなければならない、つらい経験」
   (「新明解国語辞典」三省堂 刊)
 
この勉強という字から、思い出すのは、先に紹介した「すずめの学校」の歌で
す。
本当は、こういう歌なのです。
 
     ♪チイチイパッパ チイパッパ
      雀の学校の先生は むちを振り振り チイパッパ
      生徒の雀は輪になって お口をそろえて チイパッパ
      まだまだいけない チイパッパ もう一度一緒に チイパッパ 
      チイチイパッパ チイパッパ♪  
 
何か暗い感じがしませんか。
発展途上国の日本が、先進国に追いつけ追い越せと、国をあげて教育に熱を入
れた、お国のための教育の姿です。
先生がむちを振り、先生のように鳴けと問答無用です。
「命令と要求」そのものではないでしょうか。
かつて、バブル経済全盛期の頃には、こういった指導をする教室もあったと聞
きます。お母さん方は、「もっと鍛えてください」などと、空恐ろしいことをい
って、子どもを預けたそうです。幼児は肉体的にも精神的にも、鍛える指導に
対処できる成長などしているわけでもなく、また、そのような時期ではありま
せん。これでは、幼子にとって勉強とは、まさに「つらい経験」になりがちで
す。
そうではないでしょうか。
 
しかし、学習を辞書で引くとこう書いてあります。
 
     「習い学ぶこと。とくに、学校などで系統的に勉強すること」
             (岩波国語辞典第三版 岩波書店 刊)
 
この「習い学ぶ」ことから、キリスト、釈迦、マホメッドと共に、世界の四大
聖人である孔子の話を思い出します。
「論語物語」の中にある「うぐいすの声」です。
テーマは君子に関することですが、学習について、息子の鯉(お祝いに王様か
ら鯉をいただいたのが命名の由来だそうです)に説明するシーンがあります。
論語を研究したことはないのですが、印象に残っています。もしかすると私の
誤解であって、専門家の先生から叱責を受けるかもしれませんが、「わたくし流」
に解釈して紹介しましょう。
文言は正確ではありませんが、ダイジェストすると、こういった話になります。
 
早春の朝、庭を散歩する孔子が、「ホーホケキョ」と鳴くうぐいすの声を聞き、
息子の鯉に、
「お父さんうぐいすが鳴いたね。今に、赤ちゃんうぐいすが鳴くよ」
というと、「ケッキョ!」と不器用に鳴く声が聞こえてきます。
「この赤ちゃんうぐいすは、親の鳴き方を一所懸命に真似て、繰り返し、繰り
返し練習するのだよ。赤ちゃんうぐいすにとって、学ぶということは、親の鳴
き方を真似するのであり、習うということは、何回も練習し、失敗を重ねるこ
とであって、やがて、親鳥のように、鳴けるようになるのだよ」
余談になりますが、ある年の夏に上高地へ行ったとき、大正池でうぐいすの親
子の鳴き声を聞きましたが、この話とそっくりで感激しました。
 
このように、幼児の教育は、勉強ではなくて学習ではないでしょうか。
受験勉強も「強いて勉める」のではなく、「学び習う」のが望ましく、また、そ
うあるべきだと思います。
「そんなの理想でしょう。大人でも解けないような問題が出ていますよ。何で
あんなに難しい問題がでるのですか。できなければ合格しないということでし
ょう!」
柳眉を逆立て抗議するお母さんの姿が目に浮かびます。
ごもっともですといいたいのですが、難しい問題でも、きちんと段階を踏んで
いけば、できるようになります。多くの場合、取り組み方が間違っているから
できないだけです。
 
「二足直立歩行」など気取った表現ですが、歩けない我が子を、無理やり歩か
せようとしましたか。
十分に“はいはい”をさせ、つかまり立ちができ、少し歩いてはよろけて倒れ
る、これを繰り返すことで、やっと歩けるようになったわけです。発育段階を
無視せず、一歩一歩、ゆっくりと時間をかけて見守った、あたたかい愛情があ
ったからではないでしょうか。
また、しっかりと“はいはい”をして筋肉を鍛えるなど、さまざまな条件を乗
り越えた結果でもありますが、そこには「歩きたい」と願う本能があり、その
ために試行錯誤をいとわない意欲や行動力があったからです。
 
知的な能力を培うのも、同じだと思います。
幼児が、いろいろなことを知りたがるのは、一人で生きていくための知恵を備
えるためではないでしょうか。
 
幼児が、一つの能力を身につけるには、それにふさわしい体験を積むことによ
って学習していきます。いわゆる「体験学習」です。記憶力も大切な能力です
が、知的な能力は、記憶だけに頼った勉強だけで、身につくものではありませ
ん。
一度泳げるようになると、十数年泳がなくても、泳ごうと思えば泳げます。と
ころが、英単語などは使わなければ、簡単に忘れてしまいます。泳ぎは、体が
記憶している中枢神経系統に、記憶は大脳神経系統に属しているからだといわ
れています。学生時代に苦労して覚えた英単語、どこに隠れているのやら腹が
立ちませんか。
それはともかく、幼児は日常の家庭生活を通して、また、幼稚園や近所の友達
との関わりから、さまざまな能力が開発されていくのです。
 
さらに、幼児にとって大切なのは、「遊び」です。
幼児の遊びは、仕事です。
大人は仕事をするとき、報酬を考え取り組みますが、幼児の仕事には、金銭的
な報酬は何もありませんし、要求もしません。
しかし、一人で生きていくための知恵は確実に身につき、自立を促します。ゲ
ームをやっていて、つまらないからやめるといった遊びとは違います。ですか
ら全力をあげ、夢中になって取り組んでいるのです。
 
遊びには、一人遊びと仲間遊びがありますが、ここでは、一人遊びを考えてみ
ましょう。
一人遊びを見ていると、子どもが夢中になっている様子がよくわかります。
それも道具は、ウルトラマンと怪獣の人形だけで、大激戦が繰り広げられてい
ます。
円谷監督も顔負けの映像が、リアルタイムでポンポンと浮かんでいるのでしょ
う。
子どもの想像力や空想力は、大人の比ではありません。
台本を書いて、セットを組み、主演から脇役、対戦相手の怪獣、そして本人し
かわからない奇妙な効果音まで流し、監督までやっているのですから驚きです。
しかも、こんなにすごい想像力を働かしながらも、もっとおもしろく遊べる方
法はないものかと工夫しています。
ですから、子どもは遊びに夢中になれるのです。
どうしたらもっと面白くなるかと、いろいろなアイデアを考え、その中から、
「これが、いいぞ!」
と選び、遊びの場に引き出します。
やってみたところが今一だとすると、
「なんだ、おもしろくないな。カット、カット!」
と駄目出しをして、また新しい台本に挑戦し始めます。
「考え、実践し、評価し、新しい遊びを見つける」、幼児の遊びは、これの繰り
返しで、そこから新たな力が育まれていきます。
しかも、だれも教えていません。
教えてくれなくても、こんなに夢中になって取り組めるのです。
それは、一歩でも前進したい本能的な要求であり、そこから得た知恵が、自力
で生きる力になっているからです。
こういったすばらしい潜在能力を利用しない手はないと思います。
 
幼児の教育は、「体験学習」で培われ、「教えない教育」に基づいたものである
べきだと思います。
「教えない教育」とは、本人が教わっていると思わずに、たくさんのことを学
んでいる教育のことです。赤ちゃん時代から、お母さん方の育児の姿勢は、「体
験に基づいた教えない教育」に徹してきたはずです。
言葉を語りかけたとき、おむつを外したとき、スプーンやはしを使えるように
したとき、恐い顔をして、教え込んだでしょうか。
失敗しても怒らない、できるようになるまで「忍の一字」で待ってあげたはず
です。
「うちの子は、まだできないから」
ときちんとお手本を見せるという愛情があったからこそ、お子さんもそれに応
えて成長したのではないでしょうか。
 
受験準備も同じです。
できる、できないだけにこだわらず、どうすれば楽しく学習できるか、一緒に
考えてあげましょう。
それには、遊びの感覚を取り入れることです。
机の上で問題集を広げてする受験勉強は、基本的な力が備わっていなければ、
苦痛になるだけです。
お母さんとの学習が面白ければ、そして楽しければ、お子さんは、一所懸命に
挑戦するはずです。 
受験勉強の第一歩は、ここから始めるべきだと思います。
 
猛暑にも負けずに、近所の雑木林に蝉など昆虫採集に来る子ども達、水筒を持
っていますが、帽子をかぶっていない子がいます。お子さんはいかがですか。
外から帰ってきた時は、手洗い、うがいを励行してください。良い習慣は、毎
日の積み重ねから身につくものだからです。
  (次回からは、「家庭でできる楽しい受験準備」についてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<小学校受験編>よく受ける質問から

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        「めぇでる教育研究所」発行
    2019さわやかお受験のススメ<小学校受験編>
            第56号
 年長児のお子さまをお持ちの小学校受験をお考えの皆様を応援します!!
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よく受ける質問から
★説明会情報★
20日(金)午前10時30分からの雙葉小学校説明会に参加してきました。
河野久仁子校長の話で、毎年、聞けたわかりやすい話、と言っても私の勝手な
思い込みですが、聞けませんでした。受験される方には参考になると思います
ので紹介しましょう。例によって、文言は正確ではないことをお断りしておき
ます。
 
学校生活は、競争の場ではなく、共に祈り、共に学び、助け合う場です。「先
生と子ども」「子どもと子ども」という関わり合いの中で、人間同士の信頼関
係を築き、自分が愛されることを感じながら、子どもの人間としての成長を助
けていくようにと考えています。一人ひとりの子どもが、人との関わりの中で
自己を表現しながら、その人らしく生きることができるように祈っています。
バラはバラらしく、スミレはスミレらしく、その人らしく生きる。また、自分
で自由に学び、決定することができる、責任の取れる人に育てていこうといっ
たように、子ども達が、これからの世界を支えていく人に育っていくように願
っています。
 
「バラはバラらしく、スミレはスミレらしく、その人らしく生きる」、年甲斐も
なく好きなんですね、この文言が。(笑)明治生まれの親父は、よく「駕籠(か
ご)に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋(わらじ)を作る人。世の中はいろいろな
人で成り立っているのだ。一人ひとりが違っていていい、お前らしく生きれば
いいのだ」と言っていました。「その人らしく」は、自己中ではなく、幼稚舎の
「独立自尊」と同様「共生他尊」です。私の勝手な解釈ですが、読み流してく
ださい。
 
猛暑の続く、暑い夏休み、元気でお過ごしでしょうか。
この時期によくある質問からいくつかを紹介しましょう。
 
Q.慶應義塾幼稚舎の試験では、絵がうまく描けなければ合格しないそうですね。
 
A.「うまく描けなければ」という文言は、大人の考える絵に対する評価でしょう。
この考えが、子ども達を苦しめているようです。
入試で絵を描かせるのは、絵の巧拙、上手、下手だけを見ているのであり
ません。
大人は自分の考えを相手に伝えるのに、言葉だけで足ります。
しかし、幼児は、言葉だけでは不十分です。
言葉で足りなければ、体全体で表す身体表現も、大切なコミュニケーショ
ンの方法で、絵もその一つです。
自分で思っていること、考えていることを絵で表現したいのです。
子どもの絵は写生ではなく、感じたことを描いていると思います。
ですから子どもは、絵の巧拙にこだわらず、思い通りに、せっせと描きま
す。
そばで見ていると、本当に楽しそうです。
以前、幼稚舎が、画家が絵を描くときに使うイーゼルを立て、絵を描かせ
ましたが、舎長は、その目的を「子ども達の表情を見たかった」とおっし
ゃっていました。
ですから、一つの話を聞いたあとに、「この続きの絵を描いてみましょう」
といった問題に発展させ、子どもの感性を見ているのではないでしょうか。
 
「うまい」に越したことはありませんが、それが、子ども自身の感性では
なく、誰かに教え込まれたものであれば、評価されないと思います。
どなたがおっしゃったかわかりませんが、そういった絵を「大人の手垢の
ついた絵」というそうです。
「お子さんは、楽しく絵を描いていますか」
そうであれば、子どもらしい絵が描けていると思います。
学校の狙いも、そこにあるのではないでしょうか。
  
最近の傾向として、例えば、5~6人のグループに、模造紙1枚とクレヨン
1箱が用意され、「弁当の絵」「水槽の絵」などのテーマが与えられ、相談
しながら描くといった形式で出題されていますが、使いたいクレヨンを他
の子が使っている場合、何もしないで使い終わるまで待っている子がいる
と聞きます。ポイントは「相談して」にあるのですが、お子さんは積極的
に参加できますか。
 
Q.1枚の絵を見て話を作るのが苦手なのですが、うまくなる方法はないでし
ょうか。
 
A.「うまくなる方法」などありません。
技術的なことを教えても、お子さんは、おそらく理解できないと思います。
1枚の絵から話を作るのは、本当に難しいものです。
絵を見ても、自分で体験をしたことがなければ、話せないのが幼児です。
まず4枚ほどの絵からできている「お話作り」の問題からやってみましょ
う。
4枚の絵であれば、どういった状況か把握できるからです。
そこから話を作る方法を、自分なりに考え始めるものです。
最初は、つたない話になりがちです。
最後まできちんと聞いてあげ、できたことを褒め、それからおかしなとこ
ろは、「ママは、こう思うけれど、どうかな?」と、お子さんに考えるヒン
トを出してあげることです。
「違うでしょ、こうなの!」では、お母さんの作品になってしまいます。
これを十分にやった後に、3枚の絵、2枚の絵に進み、そして1枚の絵に
挑戦しましょう。
苦手なお子さんには、「お母さん(お父さん)、あのね!」方式がいいでしょ
う。
お母さんやお父さんに話しかけるように作ることです。
幼児の経験は、まだ狭いものですから、体験していないことを表現するの
は苦手です。
日常生活で、「ママ、あのね!」と話しかけてきたときは、必ず、聞いてあ
げましょう。
自分で体験したことを話す、これが話作りの基本でもあるわけです。
話すチャンスをたくさん作ってあげることが大切です。
なお、「お母さん、あのね!」方式は、某国立大学附属小学校で、作文の時
間に実践していた学習方法です。
 
Q.問題に取り組む時に時間がかかり過ぎるのですが心配ないでしょうか。
 
A.幼児には、問題集をやるときにも、さっさと答えるタイプと、じっくりと
考えて答えを出す二つのタイプがあるようで、イソップ物語の「ウサギと
カメ」の話から、前者を直感が働くウサギ型、後者をじっくりと考えるカ
メ型と考えることもできます。
難しい対称図形や回転図形の問題でも、ウサギ型は、4つの答えから正解
を選び出すのにも時間がかからず、カメ型は、慎重に取り組みますから時
間がかかります。一つ一つ検証して、答えを出しているからです。
おそらくお子さんは、カメ型のタイプではないでしょうか。
一つ一つ比べ、「これは、ここが違う」と納得しなければ、次の答えに手を
出せないのですから、むやみに急がすことはありません。
一度、仕組みや方法が理解できれば、スピードもアップします。
 
思考派のカメさん型は、小学校の中学年を過ぎる頃から、力を発揮し始め
ます。
考える力が育まれ、基礎学力がしっかりと身についているからです。
直感派のウサギさん型は、この頃に、一度つまずきますが、頭の回転の速
さから立ち直れます。
ですから、カメさんの場合は、時間がかかってもあせらせることなく、問
題は時間内に解くことを、少しずつ教えてあげましょう。
ウサギさんは、ひらめきだけに頼らず、正解であっても、他の答えはどう
して駄目なのか、その説明をさせましょう。
どちらもお子さんの大切な能力ですから、良いところを伸ばしてあげる、
賢いお母さんになってあげましょう。
  
Q.文字や数字の読み書きは、できた方がいいと友達は言うのですが、やった
方がいいのでしょうか。              
 
A.小学校の入学試験には、文字の読み書き、数字を使った計算はありません。
ただし、答えをイラストではなく、書いてある文字に印をつけるテストを
実施している学校もありますが、それは、その学校の方針ですから、受験
する方は、そのための準備が必要です。
また、暁星小学校でも、年中行事と関係のある数字、例えば母の日は5月
ですから5に○をつける、記憶の問題でスクリーンに映った数字と同じも
のに○をつける問題がありましたから、1月・正月、2月・節分、3月・
雛祭り、4月・花祭り、5月・子どもの日、母の日、6月・父の日、7月・
七夕、9月・お月見、10月・お祭り、運動会、11月・七五三、12月・
クリスマスなど、その月と数字がわかるようにしておきましょう。
やっていると思いますが、毎朝、カレンダーを見て、「今日は8月16日、
日曜日」というだけで、月日と曜日も無理なく覚えるものです。
ただし、数字を書く必要はなく、読めればいいでしょう。
文字は問題用紙に氏名を書きますし、靴を脱ぎ、試験が終わった後で靴を
履くときなど、書かれた名前を見て判断することもありますから、名前の
読み書きはできるようにしておきたいものです。
 
年長になる頃から、文字と数字を書きたがるようになりますが、その場合
は、正しい書き順を教えましょう。
自己流で覚えると、直すのに苦労するからです。
文字を書くことの得意であった子が、小学校へ入ってからことごとく直さ
れ、自信を失う話をよく耳にします。
数字は「0・5・7・8・9」、文字は「と・も・や・よ」、書きにくい「あ・お・
そ・ぬ・む・め」などです。
ただし、テストで数字や文字で答えては、得点にならないことを教え、約
束してください。
 
ところで、お子さんは、ブツブツとつぶやきながら、昔話や童話の本を読
んでいませんか。「話の読み聞かせ」の効果です。教えなくても、文字を読
めるようになっていくものです。本を読んであげるのは、大切な学習にな
っていることを忘れないでください。
 
以上の「Q&A」は当研究所発行の「さわやかお受験オススメ 小学校受験 Q
&A」からピックアップしたものです。
詳しくは、ホームページをご覧ください。
 
暑い夏、本番を迎えました。
「夏を制する者は秋を制する」ともいわれています。
 無理は禁物ですが、頑張りましょう。
(次回は「願書の書き方」についてお話ししましょう)

さわやかお受験のススメ<幼稚園受験編>面接ケース・スタディー(5)

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         「めぇでる教育研究所」発行
   「2019さわやかお受験のススメ<幼稚園受験編>」
            第39
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面接 ケース・スタディ編(5)
「あれっ! ママ、どうしちゃったの?」
 
着席すると、面接される先生方を見ることになります。
ここでも、二つのタイプが考えられます。
余裕を持ったお母さんと緊張しきったお母さんです。
 
お子さんを、さりげなく視野に入れているお母さんがいます。
正面を向いていても、少し工夫すれば、お子さんの様子を見ることができます。
これは、実に、感じのいいものです。
「守ってあげなくてはいけない」
と自覚したお母さんの姿があるからではないでしょうか。
「ユキさんですね。いくつですか」
「3歳です」
答えたお子さんは、お母さんの方をチラッと見ます。
すると、お母さんは、
「よくいえましたね」
といわんばかりに、やさしく微笑むのです。
不安そうだったお子さんも、これで安心して、落ち着きます。
ただ、これだけのことですが、お子さんにとっては、心強いサインなのです。
なぜでしょうか。
それは、いつもと変わらないママが、いるからです。
 
後日談になりますが、
「面接中に、やさしく微笑むことなどできないでしょうね」
とおっしゃっていたお母さんが、
「先生、できました!」
と笑いながらいってくれたことがありました。
そのわけは、もう、おわかりだと思います。
ご両親が、力を出し合い、真剣に、取り組んだ結果です。
 
逆の場合を考えてみましょう。 
最初の質問に答えた時、お母さんを見ると、目をつむって、うつむいていたと
します。
「あれっ、ママどうしたの?」
とならないでしょうか……、なりますね。
不安になるのも当然で、いつもと違ったママだからです。
 
面接を受けたお母さん方は、一種異様な雰囲気だとおっしゃっています。
確かにそうでしょう。
でも、それは、当たり前ではないでしょうか。
初めて会った人と、限られた時間内に、緊張を強いられながら応答して、その
結果が、お子さんの幼稚園を決めるのですから、「緊張するな!」という方が無
理な注文でしょう。
 
しかし、面接会場に入って、お子さんの存在を忘れてしまうようでは情けない
ではありませんか。
受験資格はないと思ってください。
お子さんは、もっと緊張していることを考えてほしいのです。
もしかしたら、やっとの思いで座り、一刻でも早く、この部屋から出たがって
いるかもしれません。
保護者としての自覚が足りないと思います。
保護者とは、弱い者を、かばい、守り、助ける義務のある人のことです。
「ママの選んだことでしょう。しっかりしてくださいな!」
お子さんの叫び声が、聞こえませんか。
聞こえないようでは、受験をすべきではないと思います。
お子さんのためです。
 
ご両親が、本気になって受験に取り組んでいなかった結果といえます。
もしも、お父さんが、
「面接なんて!」
と軽い気持ちで考えていると、不安材料を抱えたまま、面接に臨むことになり
ます。
模擬面接を受けて、きちんと体験し、お母さんやお子さんは、どのような対応
をするか、知っておくべきです。
ぜひ、お受けになって下さい。
お母さんが熱心であれば、それだけプレッシャーがかかっているわけですから、
その負担を分かち合うべきです。
 
また、お子さんの質問が終わると、お父さんへの質問に移りますが、この時も、
忘れてならないことがあります。
お子さんへの質問が終わり、無事済んで、ほっとし、また、下を向いてしまう
お母さんがいます。
お子さんを視野に入れて、面接をする先生方を見ているべきです。
そして、お父さんが、どのように答えているか、しっかりと聞いてほしいので
す。
質問の内容によっては、
「今のご主人のお答えに付け加えることはありませんか」
「ご主人のお話しされたことについて、どう思われますか」
などと尋ねられる場合もあるかもしれません。
そのような時に、「えっ!」と驚くようでは、答えられないでしょう。
どのように展開するかわからないのが、親の面接です。
 
お子さんを視野の中に入れ、お父さんの応答をしっかりと聞きましょう。
そういった気配りから余裕が生れ、先生方の質問にもきちんと対応できるので
す。
 
暑い日が続いていますが、夏本番はこれからです。お昼寝タイムにはお母さん
も一緒に休みましょう。
  (次回は、面接ケース・スタディ6についてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第10章 終戦記念日、このことです 葉月(4)

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2019さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第39号-
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第10章  終戦記念日、このことです   葉 月(4)
 
間もなく終戦記念日。小さな子ども達には難しい話ですから、今回は、戦争に
ついて、ご両親はどう考えているか話し合ってみましょう。
 
私見ですが、憲法学者が「自衛隊そのものが憲法違反」だといい、「憲法9条改
定についてはその必要なし」という。「自衛隊は憲法違反だが、9条は改定しな
くてよい」となれば、一体どうやって国を守ればいいのでしょうか。「攻撃する
能力があっても仕掛けないのが最大の防御」、これが世界大戦にならない抑止力
となっていると考えますが、皆さんは、いかがでしょうか。中国と北朝鮮の軍
事力に脅威を覚えない人はいないと思います。仲裁裁判所の判決を「紙くず同
然」と切り捨てる中国の傲慢な態度を見ると、「備えあれば憂いなし」、我が子
や孫のためにも、どういった政策がいいのか、私たち親は、真剣に考えるべき
ではないでしょうか。観念論だけでは、日本を守ることなど不可能です。もっ
とも、日本など中国の属国になればというのなら話は別ですが……。チベット、
新疆ウイグル問題を知らないはずはないのに、自由の有り難さを噛みしめる必
要はないのでしょうか。百田茂樹氏の「カエルの楽園」、寓話的な「警世の書」
であればいいのですが。「憲法9条さえ守っていれば日本は平和である。たとえ
滅んでも平和である」、滅んだ民族に平和があっても、何の価値もないだろうに。
最後は、ぞっとしましたね。
森友・加計問題にこだわった国会議員の先生方、トランプ大統領ではありませ
んが、「他にやることがないのか!」と言いたい。
 
【八月に読んであげたい本】
昭和20年3月10日、東京大空襲。たった一晩で、10万人もの尊い命が失
われました。もし、親父の転勤がなければ、この日で私の人生は終わっていた
かも知れません。東京の下町、日暮里に住んでいたからです。戦後、訪ねた親
父の話では、一面焼け野原で、知人は誰もいなかったそうです。
「東京大空襲ものがたり」、年長さんでも理解できるのではないでしょうか。当
時の世相や風習もわかりやすく解説されています。作者は早乙女勝元氏で、既
刊の「東京大空襲」は読みましたが、こういった映画があり、子どもたちにも読
める本があるとは知りませんでした。(怠慢!)ダイジェストにするのはおこが
ましいと思い、本文を少し紹介することにしました。
 
 今井正監督の「戦争と平和」。
主演は20歳になったばかりの愛らしい工藤夕貴。空襲のシーンは、思わず
息をのむ凄さです。主人公の電柱を巡って、次々に起こる悲しいできごと。
私は作者であることを忘れて涙が止まりませんでした。なお、映画の原作分
「戦争と平和」は講談社から刊行されましたが、私はこの電柱のことを子ど
も達に伝えようと、同じ題材で書いたのが、この「東京大空襲ものがたり」
となったのです。
 
 「電柱だけが知っている炎の夜のこと。
 ゆかりと進一の家の近くに、真っ黒こげの電柱があります。
 これは、咲子おばさんにとっては、たった一つだけの、大事な目印なのです。
東京大空襲の炎の夜に、おばさんは、赤ちゃんの螢子ちゃんと、ここではぐ
れてしまったのです。
 二人は父さんから、その話を聞かされ……」
 
これが物語の始まりで、真っ黒こげの電柱の叫び声で終わります。
 
亡くなった人は、何も語ることができませんが、どれだけたくさんの、つ
らく悲しいできごとがあったことでしょうか。焼け残りの電柱は、今も東
京下町の、あの町角に立っています。北風の吹く寒い日も、夏のカンカン
照りの日も、電柱は亡くなった人たちに変わって、「炎の夜」のできごとを、
私に、そしてみんなに語り続けているように思われます。
でも、その声は聞こえません。ですから、ゆかりと進一は、電柱にかわっ
て、こう呼びかけるのです。
  誰もが、平和を守るための努力を、
  そのための、小さな勇気を、
  わすれてはいけない、と。
     花房ゆかり 眞一
(東京大空襲ものがたり  早乙女勝元 著 有原誠治 絵  金の星社 刊)
 
絵は、アニメの好きな方にはすぐわかる有原誠治氏。辛い体験をされた多くの
方々は、すでに冥界へ旅立たれたのではないでしょうか。こういった現実があ
ったことを、しっかりと子どもに伝えることも、親の仕事ではないかと思いま
す。久しぶりに図書館に出かけ読んだのですが、「楽をするなよ!」と叱りつけ
られた気がしました。長女が小学生の頃、涙ながらに読んでいた「ガラスのう
さぎ」にも出会いました。(反省)
 
長崎のピカ
昭和20年の8月6日に、広島に原子爆弾が落とされたの。
一発で広島中が燃え、何10万の人が死んだの。
3日後の8月9日、今度は長崎に落ちて、私の家族8人は一人ずつ順々に死
んでいったの。
最初に死んだのは、おばあちゃん。外出中に被爆し、真っ黒になり、はらわ
たを出して死んだの。次の日に、父さんと母さん、兄ちゃんと死んでいった
けれど、上の妹、ゆみ子は、ずうっと見ていたの。次の日の明け方、きれい
な船に、父さんと母さんと、おばあちゃんと兄ちゃんが笑って、おいで、お
いでしていると、かぼそい声で言うの。「船に乗ったらだめ!」と叫んだけれ
ど、「みんなで迎えに来たよ」と言って亡くなったの。顔はボールのようには
れあがり、歯ぐきはまっ黒にただれ、紫色の斑点が身体中に出て、口も動か
ないの。でも、そう言って死んだの。気がついたら、弟も死んでいたの。下
の末っ子の妹、すず子は、防空壕で体を寄せ合っていたら、冷たくなってい
くので、マッチをつけてみたら、もう死んでいたの。その身体を、一晩中だ
いて寝ていたの。冷たくて、皮がべろべろとはげるの。
次の日、お隣のおじさんがきて、一人ずつ焼いたの。
私は、12歳でした。
    夏休みのはなし
「海ぼうず」 松谷みよ子/吉沢 和夫 監修 日本民話の会・編  国土社 刊
 
12歳の無残な夏、平和な時代に生かされていることに、ただ感謝するだけで
す。
私は広島に原子爆弾が落とされた時、岡山の県境にある忠臣蔵で名高い播州赤
穂、兵庫県赤穂町に住んでいました。真っ青に晴れ渡った暑い朝でした。突然、
空が濃霧のようなものに覆われ、真夏の太陽が肉眼で見えるほどになったので
す。これが、あの悪名高きキノコ雲が流れてきたのだとは知りませんでした。
「新型爆弾が落とされたらしい!」と、大人達が声をひそめて、ささやきあっ
ていたことを覚えています。
5歳の夏でした。 
 
8月6日は広島原爆忌。
慰霊碑に「過ちは繰り返しませぬから」と刻みながら、原発を受け入れ、想定
外の事故とはいえ、過ちを繰り返してしまいました。しかし、もう草木も生え
ないだろうといわれた廃墟の中から、広島も、長崎も、復興しました。快適な
文化生活を望み、その結果として原発は作られたことも、自分達の住む町にな
いことに胸をなでおろし、後ろめたい気持ちで、私達は承知していたのではな
いでしょうか。ですから、日本列島に50基もの原発が設置されたわけです。
東電や福島県民や設置された地域の皆さん方だけが苦労するだけではなく、国
民全員が、不便な生活へ戻ることを覚悟し、真摯な気持ちで「電力について」
考えるべきではないでしょうか。「原発反対」だけでは代替エネルギーは手に入
りません。この猛暑、クーラーなしの生活、考えただけでもぞっとしませんか。
「のど元過ぎれば熱さを忘れる」、情けない話ですが、人間、本当に弱いですね。
性根を据えて考えるべきだと思いますが、皆さんはいかがでしょうか。
 
ところで、東京大学法学部出身の現役エリート官僚が書いた「原発ホワイトア
ウト」(若杉 冽 著 講談社 刊)を読み、モンスターシステムを知り、よく
ぞ発表できたものと脱帽しました。
私が学生の頃、週刊誌創設ブームで、トップ屋、事件記者として活躍し、その
後「黒の試走車」「赤いダイア」「汚職ざんまい」など、産業スパイや政財界を
舞台に、城山三郎と共に一世を風靡した作家、梶山季之が、企業の暗部や闇社
会を暴露しましたが、ある週刊誌のインタビューで、「こういったことを書いて
ぃると命を狙われるのでは」と問われ、「事実を書いている内は殺されません」
と答えていたことを思い出しました。
「大統領の殺し屋」(光文社文庫 刊)を再読しましたが、イケルヴィッチ、シ
ロカネスキーと池田隼人や黒金泰美がモデルとわかる人物が出てくる、自民党
総裁選挙に絡む汚職の実態を暴いたもので、最後の2行に「この作品は、すべ
て架空の物語です。しかし、もし事実の部分があるとしたら、筆者が何らかの
形で報復されるでしょう」と挑戦状を叩きつけた好漢。45歳の若さで香港に
て客死。報復されたのではとの疑念が消えないまま、旺盛なサービス精神が災
いし、寿命を縮めた逸材でした。
その後、森村誠一、清水一行、広瀬二紀、三好徹、高杉良など社会派が活躍し、
氏の精神は受け継がれていることがわかります。大好きな作家の1人で、本棚
にはかなりくたびれた文庫本が22冊、大きな顔をして残っています。困った
ことに、同じ棚には友人であった山口瞳の「けっぱり先生」(モデルは桐朋学園
の名物先生、生江義男)など20冊があり、いずれも読み始めると止まらず、
仕事に差しさわりが出て困っています(笑)。
 
元に戻して、読み応えがあるので粗筋は省きますが、原発の安全を脅かすのは、
地震や津波などの自然災害だけではなく、もっと簡単に福島以上の災害をもた
らすことが明らかにされています。送電する鉄塔を利用することなのですが…
…。「熱しやすく冷めやすい」私達に、「原発問題は、これでいいのか」と問い
かける警鐘ではないでしょうか。舞台は新潟、柏崎刈羽原発、山本議員らしき
人も出てきます。
 
◆ホタルになった兵隊さん◆   堀田 貴美 著
前の戦争のとき、九州南端の知覧に陸軍の飛行場があり、戦争末期、そこは
特攻基地でした。
特攻機は人間爆弾で、搭乗員は、二十歳前後の若者達だったのです。基地の
近くに、おばさんと二人の娘が手伝う富屋食堂があり、隊員達に親しまれて
いました。その中に、出撃後に飛行機が故障して、帰ってきた宮川三郎軍曹
がいました。再び、出撃しましたが、二度とも機械が故障し、引き返したの
です。整備隊長に、いい飛行機をくださいと訴えました。仲間が戦死し生き
残るのは辛かったのでしょう。同じ頃、やはり、一人生き残った滝本軍曹が
配属され、宮川さんと知り合い、富屋に一緒に顔を見せるようになりました。
昭和20年6月5日の夕方、二人は、明日出撃するため、富屋へ別れにきた
のです。
娘たちは、出撃の鉢巻きを贈り、話もつきません。帰りがけに宮川さんが娘
達に、「明日の晩9時に、ホタルが2匹入ってくるから、中に入れてやってね」
と言いました。
翌日は天気が悪く、富屋の人達は、案じていましたが、夜8時頃、滝本さん
が現われ宮川さんは行ったという。2機並んで飛び立ったが、雨雲にさえぎ
られ、帰ろうと合図しました。宮川さんは、「お前は引き返せ」と、別れの合
図をし、雨雲の中へ飛び去ったのです。娘達は、宮川さんの気持ちが、痛い
ように伝わってきました。
その時、一匹のホタルが天上にとまり、時計を見ると、9時でした。宮川さ
んが言った時刻と何秒も違いません。店にいた隊員もよってきて、滝本さん
達は、ホタルを見ながら、宮川さんの思い出を話しました。ホタルは、話を
聞いているようでした。
「宮川さん、やっぱり帰ってきたんじゃねえ。」
おばさんは、ぽつんと言いました。
  日本むかしばなし 23
   ジェット機とゆうれい 日本民話の会 金沢 祐光 絵  ポプラ社 刊 
 
最後の、おばさんのつぶやきが、悲しく、むなしい。多くの人達の犠牲でつか
んだ平和を、私達は、無駄遣い、浪費していないでしょうか。特攻に関しては
11月にお話します。
 
4月に紹介した「同期の桜」の4番です。
 
    貴様と俺とは同期の桜  離れ離れに散ろうとも
    花の都の靖国神社    花の梢に咲いて会おう
 
戦場で命を落とすのは、多くは前途のある若者達です。終戦記念日には、毎年
のように親父に連れられ靖国神社へお参りしたもので、「今の平和は、ここに眠
る人々の愛国心から築かれたものだ。忘れるなよ、紀元!」、これが口癖でした。
60年安保闘争に参加した時、「日本の平和は憲法9条で守られているわけでは
ない。安保条約で守られていることがわからんのか! 反対なら、日本人をや
めて、とっととソ連へ移住しろ!」と怒鳴られたものでした。明治生まれのお
父さん方は、信念がありましたね。平和ボケ、親父が生きていたら嘆くだろう
な。しかし、段々と考えや言うことが、親父に似てきたようで、泉下で苦笑し
ているかもしれません。白百合学園小学校は靖国神社のすぐそばにありますが、
学校説明会へ参加した帰りには参拝し、境内に併設された同社の祭神ゆかりの
資料を集めた遊就館に出かけ、元気を頂いています。
 
盛夏、真夏に怪談話を一席。 
むかし話にも怪談はありますが、現代っ子は、昆虫を殺しても、「電池、取り
替えてよ、お母さん!」というそうですから、こんな話、恐がらないでしょ
う。
 
◆あめかいゆうれい◆   中本 勝則 著
ある夏の暑い晩のこと。
あめ屋のじいさんのところへ、青ざめた顔をした一人の女が、あめを買いに
きたのです。
それからというもの、決まったように、夜遅く、あめを買いに来ます。七日
目の晩のことでした。
「あめをください」と差し出した手に、銭はありません。いつもより、青
ざめた顔は、悲しそうに見えるのです。じいさんは、何もいわずに、あめを
あげました。
「どこの人だろう」と後をつけると、不思議なことに、山寺の山門まで来
ると姿を消したのです。
すると、寺の中から、赤子の泣き声が聞こえるのでした。驚いたじいさん
は、和尚さんに訳を話すと、まだ新しい墓にじいさんを連れていったのです。
先日、赤子を身ごもったまま女の人が亡くなり、それがこの墓だというので
す。掘り出してみると、棺桶の中で、玉のような男の子が、母の胸にしがみ
つき、見れば男の子は、あめをにぎっているではありませんか。じいさんが
売ったあめでした。
昔、死んだ人には、一文銭を六枚、手に握らせ墓に埋めたそうです。死ん
だら渡る「三途の川」の渡し賃でした。しかし、母親の手の中には、六文銭
はなかったのです。
和尚さんは、泣いている男の子を抱き上げて、「母さまは、わしが供えた銭
で、 毎晩、お前のために、あめを買いに行ったのだ」と言って、静かに念仏
を唱えたのでした。
          海ぼうず  松谷 みよ子/吉沢 和夫 監修
                        日本民話の会・編  国土社 刊 
 
妖怪やお化けの話は、たくさんあります。幼児用に、怖くない話が多いですか
ら、お子さんが興味を持ったときは読んであげましょう。無理なく、勧善懲悪
を教えるように構成されているからです。
 
戦争の話はこれまでにして、全くの余談になりますが、NHKの大河ドラマ「花
燃ゆ」は、せっかちな私にはまどろっこしいテンポにイライラし、高杉晋作を
扱った本を読み直してみました。その中の一冊、幕末、官軍につくか幕府に従
うか、迷う長岡藩家老、河井継之助を描いた「峠 (上下)」(司馬遼太郎 著 
新潮社 刊)には、晋作は“ただ者”ではなかったことが書かれたおり、イラ
イラの源は、この本であったと納得しましたが、読書とは有り難いもので、今
回、読み落としていた3つのことに気づきました。
 
第1に、下巻の50~100頁には、福澤諭吉の西洋の自由と権利に基づく「独
立自尊」の精神が発酵する過程も描かれていたことです。付箋がたくさん貼っ
てあるのですが、このところは1枚もなし。30歳後半で、まだ幼児教育に手
を染めていないからでした。
 
第2は、官軍に囲まれ長岡で、戦いを挑む時に、継之助は土民を奮起させるた
めに、文章を書いて配ったのですが、読む相手を考え、漢文や候文(そうろう
ぶん)ではなく、話し言葉で書いてあることでした。いわゆる言文一致体、山
田美妙から始まったと思っていたのですが、何と、先輩がいました。
 
第3は、諭吉が酒好きであることでしたね。
母親が幼童の福澤の月代(さかやき)を剃るとき、痛さに我慢できなくなり泣
くと、母親は、「あとで酒をたべさせるから」となだめて剃ったとか。こういっ
た話に出会うと、うれしくなりますね。「酒をたべさせる」は誤植ではありませ
ん。酒粕ではないでしょうか。私も幼少のみぎり、少し食べて頬を染め、ボー
ッとなった記憶があるからです。この幼児体験が酒好きになったとは、単なる
言い訳です。以上、全くの余談ですが、長く引っ張ってきたのは、福澤諭吉が
酒好きであったことをいいたかったのです(笑)。
 (次回は、「お月見です」についてお話しましょう」

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