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めぇでるコラム : 2018年1月 2ページ目

さわやかお受験のススメ<幼稚園受験編>独り立ちの準備(2)しつけ、手を抜いたらいけません

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         「めぇでる教育研究所」発行
   「2019さわやかお受験のススメ<幼稚園受験編>」
            第9
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独り立ちの準備 
 (2)しつけ、手を抜いたらいけません
           
明けましておめでとうございます。
今年もご愛読のほどよろしくお願いします。秋のゴールを目指し頑張りましょ
う。応援します。
 
大きな門松、ご覧になりましたか。花を咲かせて実を結ぶ顕花植物から松、竹、
梅が、花を咲かせずに胞子で増える隠花植物からは裏白(鏡餅の下にしくもの)
か選ばれ、植物の代表がそろって正月を祝っています。古くから伝わるものに
は、それなりの意味があり、科学がまだ発達していない時代に、どうしてこう
いったことがわかっていたのか不思議な気がしませんか。
(拙著 メールマガジン さわやかお受験のススメ 保護者編 「日本の年中
行事と昔話」より)
 
しつけ、これは大切です。
といっても、堅苦しい言葉遣いや礼儀作法ではありません。
当たり前のことを、当たり前にできるようにしつけることです。
小さいときから手を抜くと、抜いた分だけ身につきません。
その年にふさわしいしつけがあります。
これは、ご両親が責任を持ってやらねばならぬことであり、お手本は、ご両親
です。
これこそ、付け焼刃は効きません。
そのまま、大人になります。
街で、よく見かけるでしょう、おかしな若者や大人を。
 
まずは、公衆道徳です。
大勢の人が集まる場所では、守らなければならないルールがあります。
これは、その時、その場で、出会った状況に応じて、きちんと教えるべきです。
「しつけのTPO」です。
 
電車に乗るとき一つ取り上げても、教えることが、たくさんあります。
整列乗車をしているところに割り込んでくる子がいます。
子どもだから許してあげるか、などと仏心を起こしたら、サッと乗って席を取
り、
「お母さん、席、取ったよ!」
「ありがとう!」
お母さんが、後から、ゆっくりと乗ってきます。
何が「ありがとう!」ですか。
お腹が大きいとか、赤ちゃんをおんぶして荷物を持っているとか、そういった
状況であれば、良識を備えた大人は席を譲ります。
親が、ルール違反をすると子どもも真似をします。
小さいときが肝心です。
 
これも困ります。
電車を1台待って席が取れ、応援している野球のチームが、本当に久しぶりに
勝ったので、いい気分でスポーツ新聞を読んでいると、小さな子が前に来て、
「ママ、座りたい!」
年寄りの前に来ないで、若者のところへ行けばと思いますが、子どもも席を譲
らない若者がいることを知っているのでしょう。
 
腹の立つこともあります。
こういうお母さん、許せません。
電車の中で、お母さん同士が、話に夢中になって、子どもが、ギャーギャー騒
いでいるのに、ぜんぜん、注意しません。
子どものためだと思って、
「坊や、少し静かにしようね、電車の中だから」
と注意しました。
すると、そのお母さん、何と言ったと思いますか。
私を、キッとにらみつけて、
「おじちゃんが(本当は、オジンと言いたかったでしょうね)うるさいと言う
から、止めなさい!」
と、言ったものです。
「それじゃ、私が、うるさいと言わなければ、止めさせんのか!」
こう、言いたくなります。
電車は、家の中と違います。
人の迷惑にならないように静かに乗る。
みんなが守らねばならない、最低のルールではありませんか。
これは、親が、キッチリと子どもに教えこむ、しつけです。
それを放棄しているのですから、いやになります。
後で困るのは、子ども自身であることに、どうして気づかないのでしょうか。
さらに、「人が、ドウ、コウ言っているから」と、他人のせいにしてしつける
のは、間違いです。
自分の信念ですべきです。
母親としての教育、誰がするのですか、自分自身ではありませんか。
「育児は、育児しながら育自する」、自分を育てることです。
これを忘れて一貫性のない、付和雷同的で節操のないしつけをされては、混乱
するのは誰でしょう。
子どもにもっとも嫌われる母親のタイプです。
 
こんなしつけをされていると、混んだ電車の中で、「エッ、ウッソ、ホント、
マジー!」などと奇妙な言葉で、長々とスマホで話をする、人の迷惑を、全然
考えない子になり、優先席に足を投げ出して座り、漫画を読んでいる若者にな
ります。
お年寄りが前に立っても、知らん顔をしています。
中には、寝たふりをする輩(やから)もいます。
また狸が一匹いると笑ってしまいますね、「狸寝入り」です。
でも、学生さん、足の長いのはわかったから、浅く腰かけるのは止めなさい。
あの姿勢は、腰に負担がかかります。
腰が悪くなったら一大事です。
「腰」という字は、「月へんに要」とかくでしょう。
人間の体の中で、肝心要のところだからです。
冷や酒と年寄りのいうことは後で効いてくるものです。
本当は、「冷や酒と親の意見」ですが、きょう日のお父さん、「説教」をしま
せん。
だから、子どもは迷うのです。
ロン毛に茶髪、ピアスに厚化粧、若者の特権だから、どんな格好してもいいの
でしょうが、そこに「父親の見識」が見えません。
 
かなり昔の話で恐縮ですが、ある女子大の教授が「母親の顔を見たい」(題名
は間違っているかもしれません)といった題の本を書かれたことがありました。
とにかくしつけがめちゃくちゃなのです、そこで母親がたたかれました。
今は、しゃかりきな母親が目立つ分、父親不在なのでしょう。
「父親の顔を見たい!」などといった本が出るかもしれませんよ、お父さん!
 
スマホを、歩きながら見るなど、並外れた非常識な振る舞いを平気でやってい
ますが、大きな声で話していることにも、全く気づかないようです。
良識のあるお方は、「今、電車の中ですから」と断って、すぐに切りますが、
人様への配慮が、少しも見られません。
「今の若い者は……」と言う前に、こういう気配りにかける若者を育ててしま
った私たち大人は、どんなしつけをしてきたのだろうと思わざるを得ません。
私たち大人は、こういうことを許してきたのです。
罪作りな話ではありませんか。
やはり責任の一端は、私たち大人にもあるわけです。
しつけの原点は、やはり家庭です。
 
この間、変な親子に会いました。
これと同じ話を聞いたとき、信じられませんでしたが、本当の話でした。
私も体験したのです。
皆さんは、アンビリーバブルと言うかもしれません。
こういうことなのです。
電車に乗っていたら、若いお母さんとお嬢ちゃんが乗ってきました。
私の隣に座り、窓から外を見ているお嬢ちゃんは、靴を脱ぎません。
すると、お母さんが声をかけたのです。
靴を脱がせるのだなと思っていましたが、とんでもないことになりました。
「○○ちゃん、お靴脱ぎますか、脱がないのですか」
「脱ぎたくありません」
「そうですか」
これで、おしまいです。
丁寧な言葉遣いと、その行いは、反比例しています。
今の世の中、「エニシング ゴーズ、何でもあり」ですから、いまさら驚くこ
とではないでしょうけれど、しかし、靴を脱ぐ、脱がないは、お嬢ちゃんの都
合で決めることですか。
違うでしょう。
一歩外へ出たら、守らねばならぬルールがあります。
守らなければ、秩序が乱れます。
ルールを守る、これは、生きていく人間が暗黙に了解するところではありませ
んか。
もっと言えば、家憲であり親の見識であって、しつけです。
こういったことは、親が責任を持って教えないで、誰が教えるのですか。
教えてもらえなかったら、不幸なことです、これは。
被害者は、やはり子ども自身です。
 
しつけは、当たり前のことを当たり前に、教えればいいのです。
でも、この当たり前のことが、当たり前でなくなっています。
何度も言いますが、公衆道徳は、親が責任をもって教えるしつけです。
これは、お父さんの大切な仕事です。
いい仕事、残してあげなさい。
 
小さいときのしつけこそ、「三つ子の魂百まで」ではないでしょうか。
しつけに限り、年齢相応のことができない場合、「まだ、小さいから」は、お子
さんのために決して良いことではありません。
できるように、やさしく、辛抱強く、繰り返し教えることが大切です。
 
(次回は、独り立ちの準備(3)あいさつも大事です、についてお話しましょう。)

さわやかお受験のススメ<保護者編>(4)冬(12月~1月)に読んであげたい本

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2019さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第9号-
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(4)冬(12月~1月)に読んであげたい本
 
明けましておめでとうございます。
今年もご愛読の程よろしくお願い致します。
 
初詣、お出かけになりましたか。
大きな門松をご覧になったと思いますが、文句なしに、すごい秘密が隠されて
います。植物界の代表が勢ぞろいし正月を迎えているのです。花が咲き種を作
る顕花植物から松、竹、梅が、花は咲かせず胞子で増える隠花植物からは裏白
(鏡餅の下に敷くもの)が選ばれていますが、昔から受け継がれているものに
は、それなりの意味があります。詳しくは、1月編「文句なしに正月です」で
紹介します。
 
【冬(十二月~一月)に読んであげたい本】
神さまの交代する月ですから、神さまの話が多いですね。あまりにも、たくさ
んあるので困りますが、これなどちょっと恐くて、面白いです。
      
◆おぶさりてえのおばけ◆
むかし、あるところに、正直で働き者の、じいと、ばあがいました。
二人は懸命に働きましたが、暮らしは楽になりません。
ある年越しの晩のことです。
寝ようとしたとき、裏山から重っ苦しく、「おぶさりてえ!」と叫ぶ声が聞こ
えたので、ばあが、「様子を見てきてくれ」というと、じいは、嫌だと布団に
もぐりこんでしまうのです。
声は、夜中になっても止めようとしません。
「『おぶさりてえ!』といっているから、おぶってやったらどうか」と、ばあ
がいうものだから、帯を持って出かけました。
山道を登って行くと、あの声がぴたりと止み、突然、そばの杉の木の天辺から、
「おぶさりてえっ!」
と、大声がしたので、じいは、頭をかかえて座りこんだのです。
すると、背中に、ずしんとおぶさってきたものがあり、おぶわれたきり、もう
何もいいません。
何とか庭までたどり着き、降ろそうとしますが、離れません。
台所でも、座敷でも、降りないので、「降ろしてくれ」と、ばあに声をかけま
した。
ばあが見ると、背中にのっているのは大きな石なので、あきれて背中に手をか
けると、自分か
ら落ちたのです。
「この石は、おらたちの家に来たかったのだろう。家宝にしよう」と、二人で
床の間に運び、安心して寝てしまいました。      
次の朝、その石はたくさんの大判小判に変わり、お金持ちになって、いい年越
しをしたのでした。
  世界のメルヘン 22 日本のむかしばなし         
     つるのよめさま  松谷みよ子・水谷章三 講談社 刊        
 
 
これも、おかしな話です。普通は、福の神は歓迎されるはずですが、何と逆に
なるのです。
福の神にとっては初体験、その顔を思い浮べると、吹き出したくなります。
      
◆びんぼう神とふくの神◆   望月 新三郎 著
とんとむかし、あるところに、働き者のおやじとかかがいました。
朝早くから夜遅くまで働いたので、暮らしは次第によくなってきたのです。      
ある年越しの晩、二人で正月の支度をしていると、泣き声がしたので、おやじ
が押し入れを開けると、ぼろを着た、やせたじじいが転げ出てきたのでした。
これが貧乏神で、「お前たちは働き者だから、福の神が来るので出ていかなけ
ればならない。それが悲しくて泣いているのだ」というのです。
「長年、おらの家に住んだ仲だから、福の神が来たら、追っ払ってしまえ」と
励まされたのです。
「貧乏神、早く出ていけ!」と福の神がやって来ました。
「しっかりと追い出せ!」と、二人の励ます声に、元気になった貧乏神、勢い
よく組みつきましたが、福の神は、びくともせず、貧乏神は押されるばかりで
す。
すると二人は、貧乏神の後から押しはじめました。
これには福の神もたまらず、引っ繰り返され、「福の神を追い出す家など初め
てだ!」と逃げ出しました。
戸口の前に打出の小槌が落ちていたので、貧乏神が拾い、「米、出ろ! 金、
出ろ!」とふると、米や小判が、たくさん出てきたのです。
それからというもの貧乏神は、福の神のようになり、いつまでも、この家で暮
らしたのでした。         
  日本むかしばなし 2
   子どものすきな神さま 民話の研究会編 巽弘一 絵 ポプラ社 刊
 
 
12月といえば、私には忘れられない歴史的な事件、といってもかなり脚色さ
れた話になっていますが、四十七名の赤穂浪士が、主君、浅野内匠頭(たくみ
のかみ)の仇を討った「忠臣蔵」があります。
8月に出てきますが、広島に原子爆弾が落とされた時、岡山と兵庫の県境にあ
る赤穂市に住んでいたせいもあるかもしれません。戦前は、小さな子どもでも
知っていた話ですが、今はどうでしょうか。こんな話が残されています。
 
◆キツネも喜んだ討ち入り◆
京都の紫野の南に、狐の霊を祭る小さな社があり、「忠臣蔵」で知られる兵庫
県の赤穂の殿様、浅野内匠頭(たくみのかみ)が建てたもので、浅野神社ともい
われています。殿様の恨みを果たそうと、家老、大石内蔵助(くらのすけ)以
下、四十七名の浪士が、江戸の本所松坂町にあった吉良上野介(こうずけのす
け)の屋敷に討ち入り、仇をとったのは、1720年(元禄15年)の12月
14日の夜でした。
同じ日の深夜、浅野神社の境内に数百人の人々が集まり、にぎやかな踊りが始
まったのです。
「こんな夜更けに何事か!」と近くに住む人々は驚いて神社まで行って見ると、
数え切れないほどのキツネ達が、社を取り巻き、後ろ足で立ち上がりながら、
前足を手のように打ち振り、踊り狂っていたのです。
家を飛び出してきた人々は、びっくりしてしまいました。 浪士が討ち入りを
果たした事件が京に伝えられたのは、三日後のことです。それなのに、同じ日
の夜に、何百キロも離れた京のキツネ達は、霊力でそれを知って喜び、踊って
いたのです。
「キツネというのは、本当に魔物じゃ。不思議なことじゃのう……」
キツネ達の踊りを見た人々は、後にそういって、キツネの霊力に感心したとい
う話です。
 (「雪窓夜話抄 上野 忠親 著」
   必ずその日のお話がある 365のむかし話 谷真介編・著 講談社刊)
 
 
当日、雪が降っていたかどうかわかりませんが、14日ですから満月であった
ことは確かです。井沢元彦氏の「逆説の日本史 全17巻」の受け売りですが、
本能寺の変が起きた天正10(1582)年6月2日は月の姿はない闇夜で、
そのために隠密に行動でき成功したとあります。月の運行の様子から遠い昔の
事件の夜空を想像できるとは知りませんでした。(笑)  
 
最後は、どうしても、この話に出てもらわなければ、おさまりがつきません。
おじいさんが、笠を売りに行ったものの、まったく売れなくて、お地蔵様にか
ぶせてあげる話が多いのですが、私は、この話が好きです。おじいさんの見返
りを求めない無償の奉仕に、お地蔵様が応えてあげるのがいいですね。こうい
うことって、ありそうでないのが現実ですが、あってほしいと願う、庶民の素
朴な望みです。
育児も同じです。「あなたのために、お母さんはこんなにしてあげたのに…」。
育児は、有償の奉仕ではありません。見返りを期待しはじめると、親子の絆は、
切れがちではないでしょうか。「無償のほほ笑み」は、親の宿命です。みなさん
のご両親が、そうであったように、巡り合わせです。「子を持って知る親の恩」
と言うではありませんか……。
                           
◆かさ地蔵◆   浜田 廣介 著
むかしのことです。
ある所に、じいと、ばあが住んでいました。
もうすぐお正月、貧乏でも年越しの晩に魚っ気がなくてはと、じいは、さけの
頭を買いに出かけた
のです。
雪が降り、風も吹き始め、道端の六つのお地蔵さんの頭は、雪をかぶって寒そ
うに立っています。
石のお地蔵様でも、かわいそうだと、手でかき落としますが、すぐに積もって
しまいます。
そこで、じいは、町まで急ぎ、さけを買うのは止めてすげ笠を買ったのですが、
お金が足りず、五つしか買えません。
じいは、頭に一つずつ笠をかぶせ、足りない分は、自分の古い笠をかぶせてあ
げたのです。
帰ったじいは、さけを買わない訳を話すと、よいことをしたと、ばあも喜びま
す。
夜が明けると、大晦日。
二人は、麦飯を分け、菜づけに熱いお湯をかけて、塩気をすすって食べ、無病
息災で年を越せるこ
とを感謝し、火箱を抱いて寝床に入ったのです。
すると、どこからともなく、唱える声が近づき、ドシン、ドシンと重い響きが、
枕元まで響いてき
ました。
二人は恐くなり、布団をかぶって震えていました。
地響きと声は、庭先に入ってきたのです。
何やら話し声がしたかと思うと、かけ声と共に「ドシン!」と大きな音がして、
後は何の音もしま
せん。眠気も拭き飛んだ二人は、寝床でじっとしていました。            
やがて、夜明けを知らせる三番鶏が鳴いたので、じいは戸を開けてみると、大
きな袋が置いてあり、
中には金貨と銀貨が、ぎっしりとつまっていたのです。
六人のお地蔵様が、笠のお礼に袋をかつぎ、大地を踏みながら運んできたので
した。
 世界民話の旅 9
  日本民話  浜田 廣介 著 さ・え・ら書房 刊     
 
お地蔵さまは、お釈迦さまが入滅後、弥勒菩薩さまが生まれるまでの間、人々
を救済する菩薩さまで、正しくは地蔵菩薩さまといい、仏さまの仲間なのです。
あのやさしいお顔から民間信仰に結びつき、村や子どもなど弱いものを守って
くれると信じられ、村の入口や街道筋などに、たくさん立てられるようになっ
たのでした。
 
それにふさわしい童謡があります。
 
 見てござる
  山上 武夫 作詞  海沼 実 作曲
   村の外れのお地蔵さんは いつもにこにこ見てござる
   仲良しこよしのじゃんけんぽん ホイ 石けり なわとび かくれんぼ
   元気で遊べと見てござる ソレ 見てござる
 
私の年代では、日本で最も伝統のある合唱団「音羽ゆりかご会」の創設者であ
り「みかんの花咲く丘」「里の秋」「あの子はたあれ」の作曲者で、山田耕筰、
中山晋平と共に著名な作曲家として、また童謡歌手、川田正子、孝子、美智子
の三姉妹の育ての親として知られていますが、若い皆さん方にはどうでしょう
か。
  
この話に出てくる「六地蔵」とは、
  地獄道 (地獄で苦しむこと)
  餓鬼道 (常に飢餓に苦しむこと)
  畜生道 (けだものの姿に生まれて苦しむこと)
  修羅道 (争いの絶えない世界で苦しむこと)
  人 道 (人の踏み行う道を外れて苦しむこと)
  天 道 (超自然宇宙の道理から外れて苦しむこと)
という六道に迷う人々を救済する願いがこめられているのです。
 
学生時代、京都の浄瑠璃寺へ歩いて行った時、途中の山道でたくさんの石仏と
出会い、感動したことがありました。今は、バスで山門までいけますから、見
過ごすかもしれません。浄瑠璃寺は、薬師仏とそれを祀る素朴ですばらしい三
重塔、横一列に並んでいるどっしりと存在感のある阿弥陀仏九体とその本堂、
宝池を中心とした庭園が、平安時代のまま揃っている唯一の寺で、奈良にある
女人高野と呼ばれていた室生寺と同様、一人で訪ねたい寺です。名刹を散策す
るには、晩秋から初冬がいいですね。
(注 室生寺 高野山は開創当時から明治5(1872)年まで女人禁制、そ
れに対して当寺院は、女性の参詣が自由であったので、女人高野と呼ばれるよ
うになった。(About Koyasanより)
 
  (次回は、「何といっても正月ですね」についてお話します)
 

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