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めぇでるコラム : 2017年12月

さわやかお受験のススメ<小学校受験編>よく聞かれる質問にお答えします

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        「めぇでる教育研究所」発行
    2019さわやかお受験のススメ<小学校受験編>
            第25号
 現年中児のお子さまをお持ちの小学校受験をお考えの皆様を応援します!!
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よく聞かれる質問にお答えします
 
来週はクリスマスを迎えますが、いろいろ訳ありなんですね。
街にはジングルベルのメロディが流れ、至る所、赤、緑、白の3色で飾られま
すが、赤はキリストが人類のために十字架に流した血の色、緑はキリストの永
遠の命を象徴する色、白はキリストの純潔を表す色。クリスマス・ツリーは、
アダムが楽園から持ってきた「善意を知る木」で、キリストを表す不滅の生命
の木。ツリーの天辺に飾る星は、キリストが生まれたときに輝いた星で「ベツ
レヘムの星」といわれていますが、どの星かは不明。クリスマス・リースは柊、
刺はキリストの受難、赤い実はキリストの流した血を表したもので、節分で使
う柊とは別種。そして、クリスマスはキリストの誕生日ではなく、聖書の中で
も、その日を特定していません。ご存知でしたか、信者ではない私は、つい最
近まで知りませんでした(笑)。
(拙著 メールマガジン さわやかお受験のススメ 保護者編(6)
 12月8日号より)
 
ところで、長男が小学校の2年生頃だと記憶しているのですが、どうやら、友
達から知恵をつけられたらしく、「今日は、お父さんと寝る!」といって私の
ベッドに入り、ドラえもんシリーズの漫画本を数冊持ち込み、中々、眠りませ
ん。「サンタは、お父さん!」を確かめたかったようですが、やがて、睡魔に
襲われ眠ってしまいました。朝、自分のベッドにプレゼントが配達されている
のを見て、「やっぱり、お父さんはサンタじゃなかった!」と、何故か納得し
ていました。この頃が、無邪気で可愛いですね……(笑)。
 
今回は、読者の皆様からよく聞かれる質問を編集した『さわやかお受験のスス
メ 小学校受験 Q&A編(100問)』から抜粋したものを紹介しましょう。
 
Q「問題集をやりたがらないのですが、無理にでもさせた方がいいでしょうか」
A「教室から配布される家庭用の学習か、過去に出題された問題集での勉強か、
状況がわかりませんが、問題集を使っての家庭学習の場合をお話しましょう。
 
幼児の場合は、問題集を開いて、即、勉強とはなりません。
赤ちゃん時代を思い出してください。
例えば、歩くことを考えても、いきなり歩けるようになったわけではなく、
はいはいをし、つかまり立ちをし、歩いては転ぶことを繰り返し、やっと歩
けるようになったはずです。
幼児が一つの能力を身につけるには、それにふさわしい体験を積むことによ
り習い学ぶ、体験学習が必要です。
中高大学の入試と小学校の受験準備の異なるのは、勉強と学習の違いにある
といえます。
勉強は、字のごとく「強いて勉める」であり、学習は「習い学ぶ」ことです。
幼児は、体験していないことは理解できません。
 ですから、問題集を嫌がるのは、自分で体験していない領域のことをさせ
られているからではないでしょうか。
泳げるようになると、十数年泳がなくても機会があれば泳げるのは、体が覚
えている、中枢神経系に属しているからだそうです。
教室での宿題であれば、体験したことの復習ですから、苦にしないはずです。
 
『なぜ、嫌がるのか』、その点を見極め、無理をしないことが大切です。」 
 
Q「幼稚園の先生から、話をきちんと聞いていないといわれているのですが」
A「小学校の受験で最も大切なのは、話を聞く姿勢を身につけることです。
ペーパーテストのプリントを見ても、答えはダミーも含め、すべて出ていま
すが、設問はどこにも書かれていません。
中高大の試験のように、『苦手な問題は飛ばして後でやろう』など、できな
い相談です。
文字を使えませんから、スピーカーから流れる言葉を聞き取り、素早く対応
しなければならない
のです。
行動観察型のテストも同様で、先生の言葉を聞き、理解し、迅速に対応しな
ければ、得点になりません。
 幼稚園の先生にいわれるまでもなく、ご家庭でもサインは出ているはずで
す。まず、お子さんの話をきちんと聞いてあげましょう。
話を聞いてくれるのは、子ども達にはとてもうれしいことなのです。
そこから、お子さんは「話はきちんと聞くものだ」ということを学習してい
るのです。
そして、本をたくさん読んであげましょう。
好きな本であれば、お子さんは静かに聞くはずです。
『話をきちんと聞きなさい!』と柳眉を逆立て、何回言っても改まらないで
しょう。
話を聞く姿勢は、言葉のキャッチボール、楽しい会話と、お子さんが興味を
持っている本を読んであげる、本の読み聞かせなどから身につくものだから
です。」
 
Q「同じ本を何回も読んでくれとせがむのですが、記憶力が弱いのでしょうか」
A「そんなことはありません。
お子さんは、読んでもらった話が面白いから、一所懸命に覚えているのです。
読んでもらったときは、『面白いな!』といった漠然としたイメージが、繰り
返し読んでもらうことで、物語を少しずつ覚え、小さな木が、時を経て成長
するように、今では、かなりはっきりと話の筋を記憶しているものです。
完全に覚えてしまうと、次の本へ移っていくはずです。
一人になったとき、ぶつぶつと何やらつぶやきながら、本を見ていないでし
ょうか。
お母さんに読んでもらった話を、思い出しているのです。
また、読んであげている途中に、突然、『そこまでで、いいです』というこ
とはないでしょうか。
一人で思い出しながら読んでいるときに、忘れてしまったのか、そこをはっ
きりさせたくて『読んでください』と来るわけです。
これは大変なことで、言葉を覚えることで語彙は増え、物語を記憶すること
で表現する力もついてきます。
話を聞く姿勢をきちんと身に付けることは、小学校受験で、もっとも大切な
ことですから、根気よく読んであげましょう。
文字を習い、自分で読めるようになると、もう『読んでください』と来なく
なりますから。」
 
Q「読んだ後に感想を聞いても、きちんと答えられないのですが」
A「読んだ後に感想を聞くのは、まだ、早いと思います。
先にも触れましたが、1回だけ読んでもらい、きちんとした感想を言えない
のは、その本に対するイメージが、まだ、できていないからです。
何回か読んでもらうことで、次第に固まってきます。
そこまで待ってあげましょう。
ですから、1回だけ読んで、『面白かったでしょう』『何が面白かった』と
いった話かけは、するべきではありません。
また、よく聞く話ですが、お母さん方は、子どもの頃に読んでもらい、面白
かった本を読んであげることがあるようです。
それはいいのですが、『どう、面白かったでしょう』と聞いたことはないで
しょうか。
そんな時、お子さんは、『……?』となったのではありませんか。
まだ、しっかりとイメージ化ができていないと、答えようがないからです。
2、3回読んだ後で、聞くようにしましょう。
ただし、『お母さんは、おばあちゃんに読んでもらい、こういったことを学
んだのですよ』と、お母さん自身の感想を言うのは、いいのではないでしょ
うか。
『ママは、こういったことを感じたんだ』と、考えるヒントになるからです」
 
Q「昔話の出題率が高いようですが、なぜでしょうか」
A「常識の領域で、例えば、桃太郎と猿、犬、雉の家来や、黍団子、鬼など
物語に出てくるものを線で結ぶといった形で出題されています。
昔話は、多くの場合『昔々、あるところに、おじいさんとおばあさんが、住
んでいました』と、『いつ、どこで、誰が』と明らかにし、『何を、なぜ、
どのように』と、いわゆる[5W+1H]の形式で展開しますから、わかり
やすく構成されています。
そして、内容は、勧善懲悪で、正しいものは必ず報われ、悪者は、懲らしめ
られます。
5歳頃から未分化であった情緒が分化され、喜怒哀楽の感情がはっきりと表
れてきます。
それに刺激を与えられることで、ずるい人間には憤りを覚え、悲しい話には
涙ぐみ、幼いなりにも善悪に対する分別、倫理観や道徳観を育んでいると考
えられます。
 
ですから、昔話が出題されるのも、うがった見方をすれば、昔話で学習した
様々なことを、幼稚園や保育園の生活で実地訓練をし、社会性、協調性とい
った集団生活への適応力を養い、それが小学校生活をスムーズに送れる基礎
となっているからではないでしょうか。
 
ちなみに、日本の五大昔話は、『桃太郎』『花さかじいさん』『舌切り雀』
『さるかに合戦』『かちかち山』です。皆さん方はお子さんに、この5つの
昔話のあらすじを話すことができるでしょうか」
 
蛇足ですが、暁星小学校の「鍛える教育」について、佐藤正吉前校長は説明
会で、目標は日本昔物語のキャラクターでもある「気は優しくて力持ち」と
おっしゃっていました。なお、佐藤前校長は、現在、幼稚園の園長として活
躍中です。
 
Q「3月生まれですが、図書館へ行っても幼い内容の本しか選べません。心配
 ないでしょうか」
A「お子さんは3月生まれですから心配ありません。
興味を持って選べたことを褒めてあげ、必ず読んであげましょう。
お母さんが心を込めて読んであげれば、お子さんはきちんと理解し、次のス
テップへ向かい、確実に歩み始めるはずです。
選んだ本が、自分で面白くないと判断できることが大切です。
「何よ、こんなやさしい本を!」と言ってしまうと、お子さんの自尊心は傷
つき、自分から本を選ぶ気持ちもなくなります。
いろいろな本を読んでもらい、試行錯誤を積み重ねながら、取捨選択し、自
力でレベルをあげていくものです。
お母さんのお気に入りの本ばかり選んで読んであげても、内容をよく理解で
きなければ、読んでもらっている本人は、つらい思いをするだけで、結果的
には本の嫌いな子になりかねません。
 
ゆっくりと時間をかけ、お子さんの期待に応えてあげることが、レベルアッ
プにつながるのです。3月生まれお子さんの場合、1年近くの差があるので
すから、そのことを忘れずに無理をしないことです。
他のお子さんと比べて評価するのは、賢いお母さんのすることではないと思
います」
 
(次回は、「入試問題の出題範囲」についてお話しましょう)
 
 
今回が今年最後の配信になります。ご愛読頂きまして有難うございました。
来年も一緒に頑張りましょう。良いお年をお迎えください。
                めぇでる教育研究所 所長 藤本紀元

さわやかお受験のススメ<幼稚園受験編>独り立ちの準備(1)社会性ってなんでしょう

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         「めぇでる教育研究所」発行
   「2019さわやかお受験のススメ<幼稚園受験編>」
            第8
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独り立ちの準備 
(1)社会性ってなんでしょう
 
メリー・クリスマス!
孫が、初めてのクリスマス・プレゼントを貰ったときの驚きの表情を思い出し
ます。娘がビデオを撮っていたのですが、不思議そうな顔が、一転して、それ
こそ破顔一笑、子どもの表情には偽りがなく、いつ見ても心が和みますね。
お子さんの笑顔、楽しんでください。
 
お子さんに十分な愛情をかけて育てるのは、2歳までです。
3歳は自立の時代ですから、過干渉、過保護の育児を卒業し、自分でしなけれ
ばならない「基本的な生活習慣」「しつけ」などを、きちんと身につける時期
です。
いろいろなことを体験させましょう。
大切なのは、遊びです。
遊びを通して学習をすることです。
 
2歳頃から、公園に行くようになります。
いわゆる、公園デビューです。
親子で着る服装マニュアルがあるそうですが、そこまでマニュアル信奉者とな
ると、没個性的としかいいようがありません。
そんなことにとらわれない、賢いお母さんであってほしいですね。
 
しかし、公園での砂場遊びは、流行らないようです。
放し飼いの動物などの共同便所になっていると聞きます。
衛生上、「問題あり」だそうです。
最近、夕方になると、ビニールシートなどをかけた砂場を見かけますが、これ
は歓迎すべきではないでしょうか。
砂場は、何もないところから、形のあるものを作り上げていくのですから、す
ばらしい学習の場になります。
かつて、東京藝術大学の彫刻科のある教授が、
「最近、学生の塑像作りが下手になったのは、子どもの頃に砂場遊びを十分に
していなかったからではないか」
とおっしゃっていましたが、うなずけますね。
以前、アメリカでベストセラーになった本に、「人生に必要な知恵は、全て幼
稚園の砂場で学んだ」がありましたが、外国人も考えることは同じです。
余談ですが、この本は、日本の古典の名著「徒然草」とよく似ています。
「徒然草」の英語版が出版されているかどうかわかりませんが、著者のロバー
ト・フルガム氏は、読んだのではないかと思うほど、同じような話が出てきま
す。
しかし、著者の職業が神父さんとわかり、兼好法師はお坊さんですから納得で
きました。
 
ところで、砂場で同じ年の子どもが4、5人集まっても、「ケンちゃん、一緒
にお山を作ろうよ!」とはなりません。
見ていると面白いですね。
砂場にいても、それぞれ自分一人の世界で勝手に遊んでいます。
それでも、チラッ、チラッと視線を向け、
「あの子、何をしているのだろう?」
「おもしろそうだな!」
と思っているかどうかはわかりませんけれど、見ることは見ますが、一緒に遊
びません。育児書に書かれてある「並行遊び」です。
こういった並行遊びができるのは、4歳頃から始まる「仲間遊び」に移るため
の準備期間で、これも非常に大切な体験です。
 
この時期の主人公は、お母さんです。
お母さん同士が数人集まって、コミュニケーションをはかります。
子育ての情報交換の場にもなります。
核家族化が進み、育児について先輩のアドバイスも得難いですし、少子化時代
ですから、子育ての経験も少なくなりました。
同じ年の子ども、少し年上の子を持つお母さん方との交流は、不安であったこ
とが解決するなど、ストレスを解消する大切な機会となり、育児ノイローゼに
落ちることも防いでくれます。
その反面、よその子を見て、優越感に浸ったり、劣等感に陥ったりもするよう
です。
少し勇気が必要ですが、子どもたちのためです、いっておきましょう。
お子さんは、ご両親の血を受け継いでいます、遺伝です。
お母さんの能力や人格の半分は、受け継いでいると謙虚に考えましょう。
劣等感を持たれては、子どもは救われません。
お母さんの子は、お母さんの子です、自信を持ちなさい。
お母さん自身がそうであったように、お子さんは、やがて、お母さんを越えて
いきます。
いい過ぎでしょうか……?
 
お母さん同士が心を開き始めると、子どもも安心して遊んでいます。
一緒にいるといった方が、正しいかもしれません。
自分と同じような子どもがいて、お母さんと違うお母さんがいて、それだけで
も視野は、広がります。
 
ここで、いろいろな問題が起きます。
たとえば、他の子が作ったお山を、自分のものにして遊び始め、「これは、ぼ
くが作ったものだから駄目!」と頭を叩かれ、「自分の思い通りには、ならな
いものだな!」とわかるわけです。
ちょっと語呂合わせのようですが、家族以外の第三者が教えてくれる、社会が
教えてくれるから、社会性です。
「自分の思い通りにならないことがある!」
「守らなければならないルールがある!」
「やってはいけないことがある!」
「人のいうことは、聞かなければ困ることがある!」
「お母さんが、助けてくれないこともある!」
こういったことを、遊びを通して学習していくわけです。
協調性です。
ご両親のあたたかい保護のもとで暮らしてきた環境とは、大変な違いです。
戸惑いも、気後れも、腹立つことも、苛立つことも、泣きたくなるときも、恐
ろしい思いをするときも、いやな思いをするときも、自信をなくすこともある
でしょう。
しかし、どれ一つ取り上げても、自分で経験し、解決していくものばかりです。
幼いなりにたくましさが、芽生えてきます。
自立できるか、自分の世界に閉じこもるかの境目です。
過保護にならないことが大切です。
オタクの要因は、この時期にインプットされるのではないでしょうか、冗談で
す(笑)。
 
ところで、お母さん方は、このような場合、どうしますか。
遊んでいたわが子が、泣いて戻ってきたとします。
当たり前のことですが、第一声は、「どうしたの?」となります。
A型母親。
「ケンちゃんが、いじめたの!」
「まあ、ひどい子。もう、ケンちゃんと遊んだらだめよ。あの子、乱暴なんだ
から!」
あの子以下は、余計です。
子どもの前で、友達の悪口を言ってはいけません。
ケンちゃんとは、仲良しなのでしょう。
友だちですから、子ども自身も傷つきます。
 
B型母親。
「ケンちゃんが、いじめたの!」
「そう、どうしていじめられたの?」
冷静ですね、これです。
どうして泣いているのか、聞かないとわかりません。
わが子に非のある場合もありますし、何があったのか予測のつかないのが、子
どもの世界です。
 
A型母親では、もし、わが子が悪かったとしたら、どうなるでしょうか。
「お母さんが、遊んじゃいけないということは、ぼくが正しいのだ。そうだな!」
こうなりませんか、わがままを助長するだけです。
こんなお母さんも、いるそうです。
「うちの子、泣かしたのはダレ!」
犯人探しです。
子どものいうことだけを聞いて判断し、行動する自己中(ジコチュウ)のお母
さん方です。
子どものけんかは、どっちもどっちです。
その証拠に、しばらくすると泣かしたケンちゃんが、「あそぼぅ!」と言うの
ですから。
 
子煩悩という言葉を誤解していると思います。
子煩悩は、子どもを可愛がる親のやさしい気持ちではなく、「子は、煩悩のも
と」と考えてみましょう。
煩悩とは、心身を悩ませ、惑わせる欲望です。
子育てを生きがいとする溺愛型のお母さんになりがちです。
迷惑するのは、いうまでもなくお子さんです。
そこに早く気づいてほしいですね。
 
B型母親では、そのわけを聞くことで、
「それは、あなたがよくないのですよ」
と諭し、公平な大人の判断で、一つのルールを覚えるきっかけとなります。
こういった体験を積むことで、幼稚園や小学校という集団生活への適応力が、
身についてくるのではないでしょうか。
しかし、この公平な大人の判断、怪しくなっています。
公平な判断と自分に都合のよい勝手な解釈は違います。
わが子かわいさのあまり公平な判断を誤ると、そのツケは、必ず、「わがまま
な性格」という形で現われてきます。
これを忘れないで下さい。
 
仲間遊びも、大切です。
そうはいっても、近所に同じ年の子がいません。
マンションでも、同じ階に赤ちゃんが一人もいない、同じ年の子、同学年の子
もいないことがあるようです。
少子化時代です、兄弟、姉妹がいません。
核家族化も進んでいます。
都心では公園など、望むほうが無理です。
交通量が多ければ、外で遊ばせられません。
誘拐も心配です。
絶対に許せないことですが、幼児を狙った凶悪な犯罪も増えています。
どうしても、親と一緒にいる時間が長くなりがちです。
 
子どもが減って、閉園される幼稚園も増えていると聞きます。
それにもかかわらず、名門の幼稚園へ入るのは、大変です。
たとえば、白百合学園幼稚園などは、2年・3年保育、合わせて定員60名の
ところに、年によっては、10倍前後の応募者があるようです。
幼稚園に入れておけば、大学までいける一貫教育制度に魅力があるのも確かで
しょう。しかし、過保護、過干渉な育児にならないように、子ども同士で遊ぶ
機会を与えたいと考え、3年保育の幼稚園が、歓迎されているのも事実ではな
いでしょうか。
そのためには、狭き門を突破しなければならない入園テストがあります。
2、3歳を対象にした幼児教室は、この難関を突破するためのノウハウを指導
する専門家の集団です。
既に通っているお子さんもいると思いますが、楽しく通っているでしょうか。
「お母さんのもとを離れても楽しいことがある」ことを教えてくれる教室であ
れば、心配ありません。
入園テストの第1のポイントは、「お母さんのもとを離れて遊ぶことができる
か」にあるからです。
 
(次回は、独り立ちの準備 (2)しつけについてお話しましょう)
 
 
今回が今年最後の配信になります。ご愛読頂きまして有難うございました。
来年もよろしくお願いします。良いお年をお迎えください。
 
                めぇでる教育研究所 所長 藤本紀元
 

さわやかお受験のススメ<保護者編>第2章(3)何といってもクリスマスと大晦日ですね

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2019さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第8号-
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第2章(3) 何といってもクリスマスと大晦日ですね
 
メリー・クリスマス! 
ところで、「なぜ、サンタさんは、トナカイの引くそりに乗ってくるのかな?」
と尋ねられことはありませんか。前号で紹介しましたクラーク・ムーアが、自
分の子どものために書いた「サンタクロースが来た」の中で、「サンタは8頭
のトナカイの引くそりに乗り、世界中の子ども達にプレゼントを配る」と書か
れており、これを踏まえて、ロバート・L・メイという通販会社の社員が娘に
書いた詩が元となり、童話「ルドルフ赤鼻のトナカイ」が発表され、アニメ映
画となり、例の「真っ赤なお鼻のトナカイさんは♪……」の曲が生まれ、世界
中に広がったそうです。(Santaxus.comより) 
作詞者の仕事が通販であることが、何やら訳ありで、面白いではありませんか
(笑)。
 
 
★★なぜ、大晦日というのですか★★
 
いよいよ日本のことです。12月31日を、なぜ、大晦日というのでしょうか。
これも訳ありなのです。
 
1年間の最後の日を大晦日(おおみそか)または、大晦(おおつごもり)とも呼び
ます。「晦日(みそか)」とは、毎月の末日のことです。一方、「晦(つごもり)」と
は、「月の隠れる日」すなわち、「月籠り(つきごもり)」が訛ったもので、どちら
も毎月の末日を指します。“1年の最後の特別な末日”を表すために、2つの
言葉のそれぞれに「大」をつけ、「大晦日」「大晦」といいます。
〔いろは事典 http://iroha-japan.net/iroha/A01_event/13_omisoka.html]
 
月の運行状況を思い出してください。太陽と月と地球が一直線になると、月は
地球から見えなくなりますが、この状態から月が始まることから「朔(さく)」
や「新月」といいます。三日ほどすると細い鎌形の月が見え、次第に大きくな
り満月、十五夜となり、そして次第に小さくなり、やがて見えなくなりますが、
この状態を「月隠り」といいます。月が地球を一回りするには一ヶ月かかりま
すから、月の始まる新月の状態「朔」を訓読みして「ついたち」、また月の始ま
る「月立ち」が転じて「ついたち」と呼ぶようになったのです。また、月末は月が
こもって晦(くら)いので「晦日(つごもり)」といいます。
 
太陰太陽暦では、1ヵ月を大の月は30日、小の月は29日と定めていたので、
今のように31日の月はありませんでした。そして、月末を三十日と書いて
「晦日」と呼び、12月31日は、その年最後の月末ということで、「大」を
つけて大晦日となったわけです。
 
5千円札の肖像に使われた樋口一葉の作品に「大つごもり」がありますが、一
葉の筆力を絶賛したのは文豪、森鴎外でした。では、一葉の結婚する相手はど
なたであったかご存知でしたか。何と、夏目漱石なのです。
 
「樋口一葉の父親が夏目漱石の父親と同僚だったために、二人の間で結婚話が
進んでいました。ところが一葉の父親が亡くなり、一葉自身も二十四才で亡く
なったため、この話は立ち消えとなったそうです。(中略)もし、夏目漱石と
樋口一葉が結婚していたら、どんなに文才のある子が生まれていたことでしょ
うか」
(「つい他人に自慢したくなる無敵の雑学」なるほど倶楽部 編 
  角川書店 刊 P182)
 
それを残念に思い、財布の中で逢う瀬を設けたのが大蔵省造幣局。漱石は千円
札ですが、お役人にしては、粋なはからいではなかったでしょうか、とは考え
すぎでしょうね(笑)。樋口一葉記念館は、「たけくらべ」の舞台となった台
東区竜泉町にあります。
(http://www.taitocity.net/taito/ichiyo)
 
 
 ★★一家総出の大掃除★★
 
これは、よく覚えています。大晦日は、新しい年へ続く大切な日で、お正月の
神様を、ご先祖様と一緒に迎えるために、まず、神棚と仏壇をきれいにし、家
の中や外も掃除したものです、しかも雑巾掛けです。私の役目は外の手の届く
所で、寒い時期ですから、手は真っ赤になり、ズキン、ズキンと痛み、ズルズ
ルと鼻水の出る、きつい仕事でした。現代風の建物と違って木造で、障子は紙
ですから、水をかけて洗うわけにはいかないのです。       
                            
そして、今、考えると大変だったと思うことがあります。当時の燃料は薪(ま
き)でした。煙は煙突から外に出るようになっていますが、燃えたときに出る
煤(すす)が、どこからともなく侵入して、部屋を、かすかに汚すのです。電
気掃除機などなく、はたきと雑巾で、こまめに掃除をしていたのですが、この
煤ばかりは、さすがの母もてこずっていました。それで「煤払い」といって、
竹竿の先にわらを縛りつけ、日頃は手の届かない所まで、煤やほこりを取った
のです。普段、手をつけない所まで徹底的に掃除をし、正月の三日間は何もし
ません。ほうきで畳を掃くと、「福を掃く、福が逃げる」といって嫌ったもの
で、大晦日は掃除納めでもあったのです。今は元日でも掃除をしていますが、
電気掃除機は掃くのではなく吸い集めますから、「福を集める」でいいのかも
しれません。
 
 
★★なぜ、大晦日にそばを食べるのですか★★
 
年越しそばは、「細くて長いそばを食べて縁起をかつぎ、長生きできるように
願ったもの」といわれています。また、そばは切れやすいことから、「一年分
の苦労や災いを切り捨てる願い」もこめられていました。「細く、長く、切り
捨てる」と縁起をかついでのことと思っていましたら、これも訳ありでした。
昔、金を使い細かいものを作っていた職人を金箔師といいますが、仕事場を掃
除する時に、そばのだんごで畳のへりや透き間を叩いて、飛び散った金箔を集
めたそうです。そこから、「そばは、金を集めて縁起がよい、そばで金を集め
る」という縁起となって、来年もお金がもうかることを願い、そばを食べるよ
うになり、江戸中期から始まった習わしといわれています。
そばの味を引立てる薬味に欠かせないのが葱(ねぎ)ですが、これにも面白い
いわれがあります。
 
葱(ねぎ)は、心を和らげる意味の「労(ね)ぐ」に通じて、それが祓い浄め
る神職「禰宜(ねぎ)」ともなって、今年の汚れを払いぬぐって心安らかに新
しい年を迎えようという、語呂合わせでもある。また、年越しそばを食べ残す
と、来年の小遣い銭にこと欠くともいわれている。    
〔年中行事を「科学」する P251 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
年越しそばを食べ残す話は、お雛さまを長く飾っておくと、お嫁に行きそびれ
るのと同じ縁起かつぎです。しかし、現代っ子は、年越しそばを食べています
かね。ラーメンやスパゲッティの方が好まれているのではないでしょうか。そ
ばは、ビタミンBやたんぱく質、ルチン(ポリフェノールの一種)や植物繊維
を含む健康食品です。私の教室がある本八幡にも、とても美味しい蕎麦屋さん
があります、行列ができると困りますから紹介しませんが(笑)。年越しそばを
食べると、いつもは寝る時間ですが、この日だけは、起きていても怒られませ
ん。長く起きていれば起きているほど長生きできるということで、眠りたがる
子どもまで、無理に起こしたものです。
 
当時の遊びは、カルタ、すごろく、トランプで、「ババ抜き」や「7並べ」、
「神経衰弱」などをやっていました。相手がいる遊びですから、負けてはなる
ものかと真剣に戦っていました。現代っ子は、一人でゲームをする機会が多す
ぎませんか。ゲームの結果に一喜一憂する相手がいるからゲームが成り立ち、
自分が負けていても止めるわけにはいきません。ましてや、リセットボタンを
押して、再戦などもできません。「勝っても負けてもみんなで楽しむ」、これ
も大切ではないでしょうか。負けが続いて悔しがると、適当に手を抜いて勝た
せてくれた母を思い出します。(感謝)
 
 
★★除夜の鐘の意味★★
 
除夜とは、「古い年が押し退けられる夜」の意味で、大晦日の晩です。行く年、
来る年も、除夜の鐘が鳴らなくては決まりがつきませんが、これにもいろいろ
とわけありです。
 
 「除夜の鐘は煩悩を解脱し、罪業の消滅を祈って百八回つくとされ、中国では
宋の時代から始まった。日本では鎌倉時代に禅寺で朝夕行われていたが、室町
時代からは大晦日だけつくようになった」   
(年中行事を「科学」する P251 )
 
私の子どもの頃は、夕方の鐘が門限時間でした。なぜか、お寺の鐘というと、
「烏の鳴き声」「山に沈むお日様」「夕焼け」の3つが浮かんできます。童謡
「夕焼け小焼け」の世界です。
   
夕焼け小焼け
   作詞 中村雨紅  作曲 草川 信
  一 夕焼け小焼けで日が暮れて    山のお寺の鐘がなる
    お手てつないでみなかえろ    烏といっしょにかえりましょう
  
  二 子供がかえったあとからは    まるい大きなお月さま
    小鳥が夢を見るころは      空にはきらきら金の星
 
私の住んでいる川越市では、冬の間、午後4時になると、このメロディが流れ
てきます。天気がよければ、真っ赤に染まった西の空に雪を頂いた富士山が見
え、やがて薄墨を流したような夕闇が空を覆い、宵の明星が輝きを増してきま
す。いつ見ても飽きない日本の素晴らしい夕暮れです。「雪を頂く」は、富士
山全体を頭や顔に見立てた表現からきた言葉だそうです。
 
話を戻しまして、百八つの鐘のつき方ですが、きちんとした決まりがあるので
す。
 
「五十四声は弱く、五十四声は強く打つ百八回の鐘は、百八つの煩悩を洗い清
めるためである。百七つ目は最後の宣命といい、ゆく年の最後に鳴らして煩悩
が去ったことを宣言し、百八つ目は、最初の警策といい、来る年の最初につい
て、新たなる年を迎えるにあたって煩悩に惑わされぬよう、眠りを覚ますとい
われる」 (年中行事を「科学」する P251)
   
宣命とは、宣命体で書かれた天皇の命令のことであり、警策とは、禅寺で座禅
の時に、ピシッと肩を打ち据える、あの棒状の板のことですから、決意の程が
わかります。
   
ところで、平家一門の栄華と滅亡を描いた名作「平家物語」の序、「祇園精舎の
鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす」
と「鐘の声」になっていますが、「鐘の音」では響きが悪いですね。沙羅双樹の
花は、別名ナツツバキといい、夜明けに咲き夕方に散ることから、世の無常の
象徴として記されている白い花で、めったにお目にかかれません。この花で知
られているのが、京都市左京区にある妙心寺の塔頭(たっちゅう)山内にある
小寺院東林寺です。私が見たのは樹齢三百年といわれていた古木でしたが、今
花を咲かせているのは二世の若木だそうです。緑の苔の上に散り落ちた白い花
とのコントラストが鮮やかで、釈迦の教えである「今日すべきことを明日に伸ば
さず、確かにしていくことがよき一日を生きる道である」を、身をもって示して
いる雰囲気があり、一見の価値はあります。ホームページでも見ることができ
ますが、毎年6月の中旬から7月の初旬まで「沙羅双樹の花を愛でる会」として
公開されています。妙心寺は大きなお寺で、一度は訪ねておきたい京都の名刹
です。
 
   
★★百八つの煩悩(ぼんのう)って何ですか★★
 
人間には、百八つの悩みや欲張りの心があり、これを煩悩といいますが、私た
ち凡人は悩み多き日々を送るのも当然なのです。
 
「煩悩」とはなんだろう。サンスクリットではクレシャーと言って「心を怪我
しそこなうもの」を意味し、心をわずらわし、身を悩ます心の働きであり、悟
りという最高の目的の実現を妨げるすべての心の働きである。
(年中行事を「科学」する P251)
 
「お盆の始まり」(7月)で紹介しますが、「子煩悩」という言葉があります。
わが子を並はずれにかわいがることですが、子どもは迷いのもと、苦しみのも
とであって、「子は煩悩のもと」という意味から転化したものだそうです。子
煩悩にはまったお母さん方は、子どもの自立を妨げていることを忘れてはなり
ません。自立心が育まれなければ、自ら取り組む意欲、自発性が育たないから
です。「やるぞ!」といった気力がありませんから、「やった!」という達成
感もありませんし、「次に何をやろうかな?」という関心もありません。無気
力、無感動、無関心、全部「無」です。子どもの成長を支える原動力は意慾で
あり、達成感であり、好奇心です。自立を妨げる育児は、過保護であり過干渉
であることを肝に銘じておきたいものです。
 
煩悩の根源は一般に貪(とん)、瞋(しん)、痴(ち)とされ、これを三毒、
三惑などという。「貪」とは「むさぼり」であり貪欲である。「瞋」とは「目を
むいて怒ること、瞋恚」であり、また嫌悪、悪意でもある。「痴」とは「おろか、
真実をわきまえない痴愚」である。「痴」はサンスクリットではモーハmohaと
いうが、モーハという音が「ばか」となって慕何、莫詞、莫迦などと音訳され、
後には「馬鹿」と当て字で書かれるようになった。
(年中行事を「科学」する  P252)
 
「貪」は貪欲、「痴」は音痴などでわかりますが、「瞋恚」は難しいですね。
「仏教の十悪」の一つで、自分の心に逆らうものを憎しみ怒ることです。この
三つから解脱できると悟りの境地に至るのでしょうが、やはり凡人には無理な
話です。「解脱」の「解(げ)」ですが、解熱剤を「かいねつざい」と読み笑
われたことがありましから、解脱などとてもできない相談ですね(笑)。
 
ところで、「馬鹿」の語源ですが、親父は「馬と鹿の区別がつかない者を馬鹿
者というのだ」と言っていましたが、実際は中国の秦の時代にあった話で、
「馬を鹿だ」と言った権力者に「鹿です」とへつらった者と、「馬です」と反
抗した者たちの様子を表した言葉で、へつらった者は、後に全員処刑されたと
いう怖い話だそうです。
 
では、百八つの悩み、煩悩の正体は何をいうのでしょうか。
 
人間には六根という六つの感覚器官-目・耳・鼻・舌・身・意-を持っていて、
それぞれ六境という六つの対象-色・声・香・味・触・法を理解する。そのと
き三不同-好・平・悪の受け取り方があり、その程度は染・淨の二つに分かれ
る。そのすべてが、過去・現在・未来の三世にわたって、人を煩わし、悩ます
のである。
 
 6  × 3  × 2 ×  3 =108
(六根) (三不同) (染淨) (三世)
 
合わせて百八つの煩悩という。(年中行事を「科学」する P252)
 
六つの対象の最後の「法」とは、仏教の説いた真理のこと。何だか難しくなっ
てきましたが、わたし流に解釈すると、こういうことではないでしょうか。
「好・平・悪の受け取り方」は、感度良好、普通、感度不良、「染淨」の「染
は物を色水に浸して色を付ける」意味ですから影響を受ける、「淨は水が静か
におさまって濁りがない」ですから影響を受けないことでしょう。
 
その他に、1年は12カ月で、1年には二十四節気、七十二候(時節、時期)
があるので、 12+24+72=108として、その時々に人を悩まし迷わ
せるものが合せて百八つの煩悩があるという説がある。
(年中行事を「科学」する P253)
 
これが分かりやすいですね。二十四節気とは、季節の変わり目を示す春分、夏
至、秋分、冬至などの節分を基準に1年を24等分して15日ごとに分けた季
節で、七十二候は、二十四節気を約5日ずつ3つに分け暑さ、寒さから見た時
節のことです。私たち凡人は、いついかなる時にも煩悩に悩まされる愚かな人
間ということでしょうか。二十四節気については、6月に詳しくお話しします。
 
語呂合わせのようなものもあります。四苦八苦(4×9=36 8×9=72) 
合わせて108、素直に肯いてしまいますね(笑)。
 
こだわるついでに、梵鐘には上の方にいぼ状の突起がありますが、この数は、
何と108個だそうです。よく響くための音響効果の役を果たしているのかと
思いましたが、やはり、訳ありなんですね。驚きました。(脱帽)
 
「牛に引かれて善光寺参り」でおなじみの善光寺、一宗一派に拘らず、全ての
人に極楽浄土へ導く教えを説く、日本人的な心の持ち主であらせられる御本尊、
一光三尊阿弥陀如来様を祀る本堂の柱は、何と108本だそうです。ところで、
なぜ、「牛に引かれて善光寺参り」というのでしょうか。
 
昔、善光寺の近くに住みながら、信仰心など持ち合わせていなかったおばあさ
んが、ある日さらしておいた布を、隣の家の牛が角に引っ掛けて走り出したの
を見て、それを追っていくうちに、いつの間にか善光寺に駆け込み、それが縁
で深く信仰することになったという説話から、「自分の意思からではなく他人
の誘いで、思いがけない結果を得たり、よい方面へ導かれることのたとえ」と
して使われます。(学習研究社 四字熟語辞典より)
 
さらに驚いたことに、念仏を唱える時に使う数珠ですが、一つ一つは百八つの
煩悩を表し、正式には108個の珠から成り立っているそうです。しかし、皆
さんのお持ちの数珠は、108の半分か四分の一ではないでしょうか。材料は、
モクゲンジの実、サンゴ、水晶ですが、モクゲンジの実から出来ている数珠で、
念仏を20万遍唱えると天界に生まれ、百万遍唱えると極楽に往生するそうで
す。1日1回唱えても1年で365回、これは大変なことですね。
 
今はNHKの紅白歌合戦の後に、「行く年、くる年」で、全国の名鐘の声を聞
けるのも有難いことです。本来除夜の鐘は、鐘の声を聞きながら、今年1年に
犯した様々な罪を悔い改め、煩悩を取り除き、清らかな心で新年を迎えるため
のものでした。外に出ると、月は青白く輝き、あたりはひっそりと静まり、も
の凄く寒かったものでした。大気が汚染されていませんから、冷気を妨げるも
のがなく、音を遮る高層ビルなどありませんでしたから、除夜の鐘の声が遠く
からでもはっきりと聞こえ、子ども心にも何やら心に迫るものがあったと記憶
しています。今はどうでしょうか。車の音の絶えることもありませんから、静
かに、厳かにとはいかないでしょう。
「鐘の音がうるさい!」との苦情から、止めてしまったお寺があるとか……。
 
ところで、日本人は不思議な民族ですね。12月から1月にかけての行事をみ
ても、クリスマスを祝い、除夜の鐘で煩悩を除き、正月には神社へ初詣をしま
す。キリスト教、仏教、神道の行事、イベントが生活に入り込んでいる国です。
矛盾だらけの日本でも、私はこの国に生まれたことを感謝しています。この気
持を子ども達に伝えたいのです。力不足でさばききれないかもしれませんが、
こういった形式で進めたいと思います。お父さんもお母さんも童心に返り、行
事や昔話を、お子さんと一緒に楽しみ、受け継がれてきた日本の文化を伝えて
あげましょう。そこから家庭の文化は生まれます。大切な、大切な心の教育は、
ご家庭で作り上げた文化に礎があり、そこから生まれてくるものだと私は確信
しています。第三者にゆだねて身につくものではありません。
 
(次回は「12月に読んだあげたい本」についてお話ししましょう)
 
前回、配信の都合で間に合いませんでしたが、今年の漢字は「北」でした。正
確なことが伝わってこないので、迂闊なことは言えませんが、民族って何だろ
うと考えさせられてしまいますね。繰り返しますが、私は日本の国に生まれた
ことを心から感謝しています。
 
今回が今年最後の配信になります。ご愛読頂きまして有難うございました。来
年もよろしくお願い致します。よいお年をお迎えください。
               めぇでる教育研究所  所長  藤本 紀元

さわやかお受験のススメ<小学校受験編>面接テスト

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        「めぇでる教育研究所」発行
    2019さわやかお受験のススメ<小学校受験編>
            第24号
 現年中児のお子さまをお持ちの小学校受験をお考えの皆様を応援します!!
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 ■■[2]5つの試験形式■■ 
   (5) 面接テスト  
 
最後は、面接テストです。
ほとんどの学校は親子面接ですが、青山学院初等部、立教小学校、学習院初等
科、成蹊小学校のようにお子様の面接のない両親面接のところもあります。
面接は、ほとんどの学校で考査前に行われていますが、日本女子大学附属豊明
小学校、国府台女子学院小学部のように考査後に、
学習院初等科、成蹊小学校、日出学園小学校のようにお子さんの考査当日に、
暁星小学校、早稲田実業学校初等部のように一次試験合格者のみに行う学校も
あります。
 
少し古くなりますが、雙葉小学校は母子面接でしたが、平成20年から父親も
参加する親子面接になりました。これは歓迎しましたね。それまでお母さんが
一人で苦労していたからです。
また、両親面接であった暁星小学校は、平成25年から親子面接になりました
が、試験間近の9月の説明会で公表しただけに、周りの父母の皆さん方から、
「エッ!」といった驚きの声も聞こえ、直前講習に面接の講座を設けた教室も
あったようです。
両親面接の学校は、形式に変更がないか、ホームページに目を通しておきまし
ょう。
 
小学校側が面接をする目的は、ご両親が考え、実行している育児の方針と小学
校の教育方針に、共通認識があるか、限りなく同じ方向に近づいているかどう
かを知ることです。
まず、大雑把に分けて説明しましょう。
「私どもは、共学で、宗教色のない小学校を希望します」
の場合は、慶應義塾幼稚舎、学習院初等科、成城学園初等学校、成蹊小学校、
早稲田実業学校初等部、昭和学院小学校、日出学園小学校、千葉日本大学第一
小学校などがあります。  
 
「共学で、宗教教育を行っている学校が、いいですね」
となると、ミッション系の青山学院初等部、玉川学園小学部、聖学院小学校、
仏教の淑徳小学校などでしょう。
 
「男子だけの学校を考えています」
となれば、立教小学校か暁星小学校です。
 
「女の子で一人っ子ですから、女子だけの宗教教育をやっている学校が、合っ
ていると思います」ということであれば、たくさんあります。
ミッション系では、雙葉小学校、田園調布雙葉小学校、横浜雙葉小学校、白百
合学園小学校、聖心女子学院初等科、東洋英和女学院小学部、立教女学院小学
校、光塩女子学院初等科、仏教系では国府台女子学院小学部、この辺で勘弁し
てください。
 
「女の子だけの学校で宗教教育をおこなっていない学校を希望します」
の場合は、日本女子大学附属豊明小学校、東京女学館小学校、川村小学校でし
ょう。
東京女学館大学は、残念ながら今年の11月16日をもって閉学。
 
「私どもの子は、一人っ子ですから、受験で苦労させたくないのですが」
となると、大学まである小学校を選ぶことになります。この発想は、あまり歓
迎できませんが、過保護にならないことを祈っています。
 
「それがいやなんですよ。生きることは競争です。社会人になる前に、自分の
能力を確かめられる受験を体験させておきたいのです!」
となれば高校まである小学校を選べば、いいですね。暁星小学校、日出学園小
学校、昭和学院小学校(短大まであります)、桐朋小学校、桐朋学園小学校、
森村学園初等部でしょう。桐朋は、小学校は共学ですが、中学から国立にある
桐朋中学校は男子校に、調布市仙川にある桐朋女子中学校は女子校と別学にな
ります。
 
国立市にある国立学園小学校は、幼稚園と小学校だけの特殊な学園で、千葉に
ある聖徳大学附属小学校は、中高は女子だけですから男子は受験となりますが、
目的は名門中学校への受験でしょう。中学校への進学状況は、ホームページで
確認できます。
 
こういった、大雑把な希望から方向を定めて、それから、それぞれの小学校の
教育方針と我が家の育児の方針が、合っているかどうかを検討するわけです。
       
幼稚舎の教育方針がわかりやすいので、紹介しておきましょう。作文も面接も
なくなりましたが、願書には、志望理由を書きますから参考にしてください。
 
幼稚舎の徳育の根本は、独立自尊の精神にあります。その規範となるものが、
「幼稚舎修身要領」(10ヶ条)です。これは通信簿の第1ページにも記して
あります。成績よりも前に目を通してほしい大切な事項だという意味です。
新1年生になった時に3つの約束をしますが、「幼稚舎修身要領」の中から特
に大切なものを取り上げたものです。
  1つ、うそをつかない。
  2つ、お父さん、お母さん、先生のいいつけを守る。
  3つ、自分でできることは自分でする。
これは福沢諭吉の精神を表した「幼稚舎修身要領」(10ヶ条)の中から、特に大
切な項目を選んだものです。
(「子どもと向かい合う教育」元慶應義塾幼稚舎長 川崎悟郎著 リヨン社刊)
 
普段、子どもにいって聞かせていることを考えると、
「うそをついてはいけません!」
「約束は、守りなさい!」
「自分でできることは自分でしなさい、お母さんを頼っても知りませんよ!」
だとします。これを破ると、叱り、諭しているとします。そうであれば、お母
さんの育児の姿勢と幼稚舎の教育方針は、一致していることになります。
そして、共学が自然だと思っているとします。
宗教教育は、両親共に経験がないので、なじめないものがあると考えていたと
します。
大学まであって、受験戦争に参加しなくて済みますし、学部がたくさんありま
すから、将来、目指す道が広いのも魅力だと思っているとします。
通学に約1時間、しかし、体力、気力ともに心配ないとしましょう。
たくさんお金はかかりますが、頼れる祖父母が健在です。冗談、冗談です。幼
児には、「シックス ポケット」があるといわれています。両親には、祖父母
が二人ずついて、教育資金となるポケットが6つあるということです。
こういう図式ができていれば、面接があったとしても、幼稚舎を選んだ理由を、
きちんと胸を張って説明できます。これが、面接の目的です。
 
幼稚舎の他にも、面接を実施していないのは、桐朋小学校、桐朋学園小学校で、
その理由ですが、以前にも紹介しました、桐朋学園小学校の鈴村元校長の話を
思い出してください。文言は正確ではありませんが、次のような内容でした。
 
「大人は、趣味を尋ねられると、本当は、競馬、競輪などの博打が大好きでも、
『趣味は、読書と音楽鑑賞です』と平気でいうものです。演技もできます。で
すから、やっても無駄なのです。本音をおっしゃいませんから。しかし、子ど
もを2日間預からせてもらうと、子どもは正直ですから、みんな本当の姿を見
せてくれます。育てられている環境は、わかります。ですから、私どもでは、
面接をしないのです。」 (注 桐朋学園小学校のテストは二日間)
 
その通りではないでしょうか。大人は、猫をかぶりますから、面接は、ニャー
ニャー大会かもしれません。子どもは正直で、演技をしませんから、育てられ
ている環境を、そのまま見せてくれます。
ですから、面接で、つけ焼刃は効かないのです。
 
また、慶應義塾幼稚舎では、紋切り型のステレオタイプ的な回答が増え、面接
をやる意味がないと考え、廃止したと伺ったことがあります。
 
面接では、付け焼刃は効かないとお話ししましたが、入学試験そのものも、メ
ッキでは駄目なのです。メッキは、はげるものです。以前、紹介しました、あ
るミッション系の校長先生の言葉を思い出してください。
 
「入学試験に必要な知識や礼儀作法なるものを、泥縄式に詰め込み、『受験準
備、事足れり』とお考えでしたら、それは誤りであることに気づいてほしい。」
 
繰り返しますが、その通りではないでしょうか。赤ちゃんを育てたとき、あれ
これと泥縄式に詰め込みましたか、お母さん。そんなばかげたことは、しなか
ったはずです。子どもの成長に合わせ、一歩一歩、ゆっくりと、一緒に、階段
をのぼってきたのではありませんか。その心は、「できるまで待ってあげよう、
忍の一字」ではなかったでしょうか。小学校は、無理やり受験戦士に育てられ
た子を望んでいません。
 
子どもの知育は、子ども自身が、「知りたい、識りたい」と、身体全体から、
ふつふつと湧き出るときに、与えるものであることが大切なのです。モンテッ
ソーリの「その時期に最も活動が盛んになり成長する敏感期」です。お子さん
の成長を見極め、学習するためにふさわしい環境を作ってあげるのが、親の役
目です。主導権は、子ども自身にありです。それを、親が握り締めていないで
しょうか。勉強だけではなく、遊びまでもです。
 
やはり、親は、教育に関して信念というか哲学を持つべきだと思います。しか
し、これを言うのには、勇気が必要です。小学校の受験にしても早期教育にし
ても、私たち親は、子どものためによかれと思って始めますから、「そんなこ
とは、余計なお世話だ!」となりがちです。  
しかし、学校選びは「はじめに我が家の育児の姿勢(方針)ありき」であるべき
です。古い話で恐縮ですが、明治初期に、小学校の高等科(現在の5,6年生)
の家庭に配布されたものだそうですが、
「教育の元は家庭で芽を出し、学校の教えで花が咲き、世間の教えで実を結ぶ」、
これは含蓄のある言葉ではないでしょうか。
「ご家庭で育てた芽に、どういった花を咲かせるか。そのためにはどういった
教育がふさわしいか」、学校選びは、こうあってほしいものです。
 
来年1月から、国立、私立小学校の入試問題を紹介し、小学校の受験に何が必
要なのかをお話ししましょう。誤った受験準備をしないことが、お子さんのた
めだからです。 
 (面接に関する情報は平成29年12月現在のものです)
 
(次回は、「よくある質問」についてお答えしましょう)
 

さわやかお受験のススメ<幼稚園受験編>この辺からが問題です(2)過干渉な育児

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         「めぇでる教育研究所」発行
   「2019さわやかお受験のススメ<幼稚園受験編>」
            第7
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この辺からが問題です(2)過干渉な育児
 
もっと駄目な子育てがあります。
子どものやっていることを見て、何から何まで口を出すお母さんがいます。
これも困ったものです。
過干渉、過干渉の育児です。
 
「そうやったら、駄目ですよ。こうやるの!」
「違うでしょ、こうしないと上手くできませんよ!」
「止めなさい、お母さんは、そう言わなかったでしょう!」
こう書くと、何やら子どもを諭す、親のやさしい顔が浮かんできそうですが、
そうではありません。
オクターブとは言いませんが、半オクターブぐらい、間違いなく音声は上がっ
ています。しかも、怒気さえ含んでいます。
こういった言葉の後は、
「何度、言ったらわかるの!」
必ず、こうなりがちです、恐いですね……。
これでくじけずに、
「ぼくは、やります!」、「わたし、がんばります!」と、けなげに言う子が
いたら、教えてほしい。
いないでしょう。
これでは、手を出さなくなります。 
 
最初から、うまくできないのが子どもです。
ですから、模範演技をしてみせなくてはいけません。
それも、何十年も人間をやってきた、経験豊かなお母さんが、きっちりやるよ
うなお手本は駄目です。
幼稚園の先生や保育園の保育士に聞いてごらんなさい。
「子どもさんの目の高さで、お話ししてあげてください」
こう言うはずです。
お母さんの背の高さで話をしてはいけません。
それでは、「命令と要求」になり、最悪の結果として「強制」になりかねません。
気をつけてほしいのです。
 
子どもの背たけで周りを見たことはあるでしょうか。
見たことがなければ、試してください。
大人の五分の一も見えません。
子どもの経験は、言ってみれば、背の高さと同じです。
そんな程度なのです。
ですから、噛んで含むように教え、やって見せ、失敗しても、
「頑張ろうね。最初から、上手にできないものですよ!」
と励ましてあげましょう。
やさしい励ましの言葉は、やってみようという意欲に火を点けます。
うまくいったら、「上手にできたじゃない!」と褒めることです。
 
「こうやるの!」
「それはだめ!」
「そうしなさいと言いましたか!」
いつも、こんな言葉を浴びせかけられていたら、どうなるでしょうか。
これは、「命令、禁止、抑制」の言葉です。
育児は、兵隊を鍛える軍隊方式と違います。
これでは、いじけてしまいます。
うろ覚えで自信はありませんが、父の言っていた言葉があります。
連合艦隊司令長官で、真珠湾攻撃やミッドウエイ海戦を指揮した山本五十六
元帥の残された名言です。
「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ 誉めてやらねば、人は動かじ」
このような言葉だったと思いますが、大人の兵隊の訓練でも、こうなのです。
相手は、人生経験の、ほんのわずかな幼い子どもです。
いじけてしまったら、どうなるでしょうか。
自分でやろうとする意欲も、やってみたいという好奇心も育ちませんし、自発
性も自立心も培われません。
これでは、自分からやろうとしない、消極的な暗い性格になります。
 
「指示待ち子ども」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
自分からやろうとしない子どものことです。
その心は、「失敗したら、怒られるからやらない」、このことです……。
ジーッと、ひたすら待っているのです。
大人ではありません、4、5歳の幼児が、待っているのです。
こんな小さい時から、バランスシートを読み、損得勘定ができているのです。
恐い話ではありませんか。
 
「やるぞ!」という気力がありませんから、「やった!」という達成感もあり
ませんし、
「次に何をやろうかな!」という関心もありません。
無気力、無感動、無関心、全部、「無」です。
子どもの成長を支える原動力は、意欲です、達成感です、好奇心です。
それが、全部、なしです。
過干渉になっていると、こうなりがちです。
おどおどして、お母さんの顔色ばかり気にする子になります。
幼児の目は、本来、きらきらと輝いているものです。
「うちの子、内気なもので……」とおっしゃる方がいますが、誰が内気にした
のでしょうか。
子どもは、親の作った環境で育ちます。
これを忘れてはいけないと思います。
 
ですから、3歳になっても、お子さんのやっていることを見て、口を出したく
なれば過干渉で、実際に口を出していては、超過干渉だと考えましょう。
お子さんのためです、お子さん自身のためです。
時間がかかっても、いいではありませんか。
結果だけを判断するのではなく、プロセスです、過程を見てあげましょう。
「ここまでできているのだから、もう少しだわ」
待ってあげましょう。
自分の力でやり遂げることは、とても大事です。
繰り返しますが、おむつを外した時のことを、思い出しましょう……。
 
ちょっと恐いことをいっておきましょう。
小さいときは関係ありません、お母さんの方が、何かにつけて強いのですから。
でも、子どもは、日に日に成長します。
背丈も、いつかは逆転します。
中学生になる頃には、見かけは大人のような子がいますから。
子どもが、「力では負けない、力では!」と意識したらどうなりますか。
もう、言うことを聞きません。
バットを持って、向かってくるかもしれません。
家庭内暴力です。
家庭は、崩壊します。
よく聞きますね、「どうして、あんな優しい子が!」……。
抑圧された自立心が、姿を現したと考えられないでしょうか。
そうだとすれば、被害者は親ではなく、子ども自身です……。
芽生えてきた自立心を、力で抑えることはできません。
 
しかし、勝手、気ままは、駄目です。
「だって、今の幼稚園は、自由保育でしょ?」
このことです。
後で詳しく説明しますが、自由保育は、「勝手、気まま、エニシングゴーズ、
何でもありの保育」ではありません。
これを履き違えると、おかしなことになりがちです。
自由と放任は、違います。
自由には、責任が伴います。
まだ、幼児は自分のやっていることに責任をとれませんから、自由は与えられ
ません。また、自由と個性を育てることも違います。
個性を育てたいから子どもに自由を与えるのは、間違いです。
それは自由ではなく、放任です。
放任すると野放図になりがちです。
「訓練されていない個性は、野性である」とおっしゃったのは、国府台女子学
院の平田史郎学院長ですが、このことを肝に銘じましょう。
(注 平田学院長は、昨年2016年、藍綬褒賞を受賞されています。)
 
けじめのない子は、集団生活に入れません。
集団の中で光る能力、それが個性ではないでしょうか。
幼稚園、保育園、小学校と集団生活に入っていくのですから、勘違いされると
困るのはお子さんです。
「やっていいこと、いけないこと」は、幼稚園や学校で教わることではありま
せん。
ご家庭で、きちんと教えることです。
アメリカの学校では、先生と親の言っていることが違った場合は、親が言って
いるようにしなさいと教えているそうです。
社会のルールを教えるのは両親の義務であり、他人の子どもに注意をするのは
大人としての義務でもあるわけです。
誤った個人主義の考えから、この辺があいまいになってしまったのが、戦後教
育の最大の欠陥ではないでしょうか。
 
お母さんが、手を貸していたことを、子どもに、少しずつさせましょう。
そして、まだまだ、危ないことをしますから、気をつけて見守らなくてはなら
ないでしょう、特に男の子は。
我慢比べです。
禁止、命令、抑制という、指図や制限する範囲を少しずつ緩めてあげましょう。
そこで、やっていいことと、いけないことを、一つずつ学び、習わせるのです。
けじめです。
しかし、「そうですか、私が、口うるさいから消極的なのですね、うちの子は!」
と、いきなり今までの干渉の態度を改めて、たがを緩めるのは、どうでしょう
か。
今まで何年間か育てられてきた環境を、百八十度、変更することになるのです
から、お子さんは戸惑います。
少しずつでいいのです。
子育てに極端は、禁物です。
 
過保護や過干渉の育児は、お子さんの自立を妨げます。
自立を妨げるのは、伸びるはずの可能性の芽を摘むことにもなるのです。
お母さん方が望むような、いわゆる「個性豊かな人間」に成長するはずはあり
ませんし、希望される幼稚園から招待状を頂けません。
 
(次回は、「ここからが問題です(1)社会性って」についてお話しましょう。)

さわやかお受験のススメ<保護者編>第2章(2)何といっても、クリスマスと大晦日ですね

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2019さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第7号-
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 第2章 (2)何といってもクリスマスと大晦日ですね  師走
  
クリスマスが近づきました。
お子さんへのプレゼント、手に入りましたか。娘がサンタに頼んだのは、リカ
ちゃん人形の2代目ボーイ・フレンド「藤原まさと君」。手に入らず、イブの
夕方に東京のデパートで見つけ、冷や汗をかいた経験があるからです、40数
年前の話ですが(笑)。
 
 
★★なぜ、七面鳥の受難日なのですか★★
 
これも、わかりませんでした。七面鳥は高価ですから、庶民はチキンで済ます
のではないでしょうか。七面鳥、やはり訳ありでした。    
                            
オランダの清教徒が1620年に、メイフラワー号に乗ってアメリカのプリマ
ス港に着き、初めて食卓に乗せた肉が野性の七面鳥であった。清教徒は、キリ
スト教を布教するために苦労をしてアメリカを開拓したが、彼らの「生命の支
え」となってくれた七面鳥を神に捧げて感謝した。初心を忘れないようにする
ために、クリスマスには昔の苦労をしのんで七面鳥を食べるのである。もっと
も今日のアメリカでは七面鳥は感謝祭(11月の第4木曜日)に欠かせない料
理となり、クリスマスの食卓にはチキンが運ばれることが多い。       
〔年中行事を「科学」する P247-248 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
日本でも、これに似た習慣がありました。「ありました」と、またしても過去
形になるのは、今では家で炊くこともないからです。「赤飯」、またの名を
「おこわ」ともいい、米に赤あずきを加えて蒸したもので、結婚式などのお祝
いの席でしか、お目にかかれません。この赤飯には、「初心を忘れるな」とい
う戒めがあったのです。米が大陸から日本に伝えられたときは、今のような白
米ではなく、赤米でした。あわやひえ、山芋が主食であったことを考えれば、
炊きたての赤米は、本当においしかったに違いありません。どの民族も、同じ
ような経験を積んで、歴史を刻んでいることがわかります。若い皆さん方には
信じがたい話でしょうが、戦後の食糧難の時代、銀シャリ(麦も芋も何も入って
いない白米だけのご飯のこと)は、夢にまで見た憧れの食べ物でした。
敬老の日に町会から赤飯の折り詰めを二箱頂きましたが、前期高齢者の仲間入
りをした家内は、「エッ……!」といささか憮然としていましたね(笑)。
 
 
★★なぜ、クリスマスにケーキを食べるのですか★★
 
ヴァレンタイン・デーのチョコレートは、何やらこじつけのような気配があり
ます。しかし、ケーキは、何か意味がありそうです。これも、訳ありでした。
 
クリスマスケーキは、はじめ薪(まき)の形をしていたため、ユール・ログ(yule
log)といわれていた。クリスマスの前夜、果物のなる木の丸太を暖炉に入れ、
前の年の燃え残りから火を移す。新たな火を暖炉にともされる儀式は聖なるも
ので、新しい命が生まれると考えられていた。クリスマスの新しい薪を燃やす
ことによって家は暖かくなり、家族全員集まって神を讃え、喜びを分かち合う
のである。クリスマス・ログは、公現祭(1月6日)間で12日間、絶やさず燃
やし続け、そのあとは灰を大切にとっておき、やけどや害虫予防に用いた。聖
なる薪を菓子にして喜びを分かち合うしきたりとしたのが、クリスマスケーキ
のそもそもの始まりだったのである。
〔年中行事を「科学」する P247 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
初代のケーキは、素朴な味がしたことでしょう。今のケーキは何代目かわかり
ませんが、相当、派手になっています。何といっても「デコレーション・ケー
キ」ですから。やはり、感謝の気持ちをこめて食べなくてはいけません。ちな
みに、デコレーション・ケーキは和製英語で、正しくはfancy cakeだそうです。
このケーキを顔にぶつけ合っておもしろがるギャグがありましたが、最低です。
食べ物がなくて餓死する人々が、世界中にどれほどいるか知らないわけはない
でしょう。こんなことは、絶対に止めてほしい。
ところで、食べ物を残さない習慣は、幼児期にきちんと身につけるべきです。
私が戦後の食料難を経験した昭和15年(1940)生まれのせいでしょうか。
飽食は、忍耐力を育てない気がしてなりません。そして、食事の際には、「い
ただきます」と手を合わせ、食べ物に感謝する気持ちを、しっかりと身につけ
ておきたいものです。「蓮如 われ深き淵より」や「親鸞」などの作品を通し
て、宗教の世界をやさしく説いてくれる五木寛之氏は、こうおっしゃっていま
す。
 
「私たちは、イワシやサンマを食べるとき、うまいと思う反面、人間は何と残
酷な生き物だろう、お許しくださいと無意識のうちに考える感覚がどこかに残
っている。しかし、ハンバーガーを食べているときは、そういった感覚はほと
んどない。ましてやカロリーメイトだったりすると、まったくありません。食
生活がバーチャル・リアリティ化しているのです。その結果、私たちはまだし
も、子供たちは、食生活の上でも、生命の重さとそれを消費して生きている自
分という存在の残酷さを実感するチャンスがなくなっています」
(「他力」 五木寛之 著 講談社 刊 P144)
 
 注 バーチャル・リアリティ(virtual reality)
       コンピュータの作り出す仮想空間を現実であるかのように知覚させる
    こと。(広辞苑)
 
イワシやサンマにとって、人間は殺魚犯です。感謝の気持ちを忘れたときから、
人は傲慢になるようですね。
 
 
★★なぜ、サンタさんは、世界共通なのですか★★
 
白いひげを生やし、丸々と太った、明るく、笑顔のやさしい、とっても善良な
おじいさんで、プレゼントをいっぱい積んだトナカイの引くそりに乗り、雪の
上どころか、空まで飛んでみせ、なぜか、煙突から入ってくるサンタさんのイ
メージは、世界共通です。これも、訳ありでした。  
 
サンタクロースは、1822年に、聖書学者、アメリカのクレメント・クラー
ク・ムーアー(1777ー1863)が作った、[ 'T was the Night before
Christmas](クリスマスイブのこと)の詩の中で生まれた。聖ニコラウスを原
像としたサンタクロースは、ムーアーの詩の中で、白い鬚を生やし、丸々と太
った明るい善良なおじいさんとして生まれたのである。(中略) 1863年に
アメリカの風刺画家、トーマス・ナスト (1842ー1902)による絵が評判
をよんで、白い鬚 、赤い帽子に赤い服、長靴をはき、大きな袋をかついだサ
ンタクロースというイメージが定着したのである。        
〔年中行事を「科学」する P242・248 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
           
サンタさんのモデルである聖ニコラウスは、十二使徒の一人で、毎年、クリス
マス・プレゼントを配りにやってきますが、本来の意味は、キリスト自身が、
この世の光として、神様から人々に、プレゼントされたのです。それが、いつ
頃かわかりませんが、キリストからの贈り物となって、サンタさんが配達人と
なり、さらに、サンタさんに自分の欲しいものを頼めば、直接、枕元まで配達
してくれるようになったのです。親が、サンタさんの代理人とわかり、がっか
りするまで、長い子では、もの心ついてから小学校の高学年ぐらいまで、夢を
与え続けるのですから、これはすごいものです。
 
親が困るのは、サンタさんにお手紙を書きたいとせがまれることでしょう。私
は、知りませんでしたが、サンタさんの本部は、フィンランドにあります。
1961年に、フィンランドの郵政省は、正式にサンタさんの住所を、次のと
おりに決めたのです。「サンタのおじさん、日本語、わかりますか?」、心配
ありません。ただし、返信用の切手を同封しなければ、返事はもらえません。
これが、サンタさんの現住所です。
  MR.SANTA CLAUS
  Joulupukin  Konttuuri  Napapiirri,96930 Rovaniemi 
「サンタの住所」で検索すると、手紙の書き方などの詳しい情報を得ることが
できます。検索してお確かめください。                  
 
 
★★なぜ、サンタさんは、煙突から来るのですか★★
 
こう聞かれて、困ったことはありませんか。これも、やはり訳ありでした。          
 
北欧では、長い冬を前にして、心地よく暖かい日を送るために、煙突掃除が必
要欠くべからざるものであった。サンタクロースが煙突からやってくることに
よって子供たちに煙突掃除を手伝わせる大義名分が立ち、子供たちも喜んで手
伝いをするというわけである。
〔年中行事を「科学」する P243 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
     
北欧は、なにしろ北極の近くですし、冬ともなれば、お日さまは南の方へ行っ
てしまいますから、昼は短いし、夜は長いし、とにかく寒いし、冬は長いし、
何やら「……し、」ばかりで、元気が出なくなります。そんな長い冬を、暖か
く、快適に過ごすには、何といっても暖炉です。熱効率を妨げるのが、煙突に
へばりつく、煤(すす)です。そうです、煙突掃除は、冬の生活に備えて、
欠かせない仕事でした。                                   
「サンタさんが、気持ち悪がって入れませんよ、こんなに汚れていては!」 
子どもは、必死で、快く、真面目に、掃除を手伝います。それはそうでしょう、
自分の家だけサンタさんが来なかったら大変です。寒い地方に住む人々の、生
活の知恵でしょう。これは、嘘をついてだますのではなく、問題意識を持たせ
ることです。日本には、煙突のある家は少ないですから、あまり心配はありま
せんけれど。        
 
問題意識、育児でも大事です。命令と指示と強制だけでは、子どもは動きませ
ん。子ども自身に意識的にやろうとする意欲をもたせる方が大切で、それには、
ご両親が良いお手本を見せることです。「率先垂範」、響きのいい言葉ですね。
四字熟語は、悠久の時の流れがしみ込んでいるような気がします。ちなみに英
語では、“example by leadership”だそうです。(四字熟語データバンクより)
 
ところで、サンタさんは、夜に来るのがいいですね。
「パパ、今晩は寝ないで、サンタさんの来るのを見るのだから!」
こういう頃の子どもは、本当に、かわいいものです。マンションでは、ベラン
ダから入ってくることになっているようですが、窓際で寝込んでしまった子を
見ましたけれど、あどけない寝顔が印象的でした。「施し」、あまり響きのい
い言葉ではありませんが、ボランティアと同じように、贈り物という好意は、
密かに行われるところに意義があるのですから、夜更けに、そっと来るのが、
いいですね。
 
 
★★クリスマス・カードのルーツ★★      
 
最後に、クリスマス・カードですが、これは、外国の人には、とても楽しみの
ようです。
日本の年賀状にあたるのでしょうか。しかし、「謹賀新年」とか「賀正」しか
書かれていない年賀状は、味気ないものです。「メリー・クリスマス」としか
書かれていないクリスマス・カードもあるのでしょうか。メールに変わってい
るかもしれません。
 
1843年に、イギリスのヘンリー・コールが、知人の画家ホーレスーに絵を
描かせ、クリスマスを祝して知人に送ったのが始まりという。そして、イギリ
スのヴィクトリア女王が3年後の1846年にクリスマス・カードを送ったこ
とをきっかけとして、この習慣が世界中に広まったといわれている。 
〔年中行事を「科学」する P243 永田 久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
ところで、日本でクリスマスが始まったのは、何と永禄4年(1561)。
といってもピンとこないかもしれませんが、上杉謙信と武田信玄が川中島で戦
った年です。ポルトガルの宣教師ビレラが、大阪の堺から本国に送った手紙に、
「堺のキリシタンらは、大いなる喜びと満足とをもって、クリスマスを祝した
り」とあり、これがクリスマスに関するもっとも古い文献といわれています。
今のように、人々の間に広がるのは、大正時代まで待つことになります。
 
 
★★サンタさんは、お父さんの愛情です★★
 
子どもの夢を破るのは、いい年をした大人のやることではありません。これを
先生がやってしまった話を池波正太郎の随筆にあったと第5号で紹介しました
が、こういう話です。
 
「サンタクロースは、本当はいない。プレゼントは、君のお父さんとお母さん
が入れておいてくれるのだ」などと、余計なことをいって、(先生が)子どもの
夢をぶち壊してしまうのだそうな。「まったく怪しからん話です」と、友人は
憤慨した。(中略) 平常は会社の激務に追いまくられ、それを癒す深酒で、
帰宅が深夜におよぶ父親がクリスマスの夜には、サンタクロースのプレゼント
を決して忘れずに、会社の帰りに一人息子のプレゼントを買ってくる。これを
子どもの枕元の靴下へ入れてやるときの友人の姿を思いみれば、口が腐っても
「サンタクロースはいない」とはいえまい。この世、このとき、彼はサンタ翁
そのものであって、他の何者でもないのだ。なればこそ、「サンタクロースは
実在する……」のである。「ね、だから、やっぱりサンタクロースはいるのだ
よ。そうだろう」と、私がいうと、友人は泪ぐんだ。
(日曜日の万年筆 P287-288  池波正太郎 著 新潮社 刊)
 
全国のお父さん方は、この日は子どもの夢をかなえてあげるサンタさんです。
これこそ見返りを考えない親心ではないでしょうか。「無償のほほえみ」は、
お母さん方の専売特許ではありません。蛇足ですが、「泪」、いい字ですね。
 
 
★★なぜ、冬至に柚子(ゆず)湯に入り、かぼちゃを食べるのですか★★
 
「12月25日はローマの冬至祭にあたり、この日を境に短かった昼間が次第
に長くなる、不滅の太陽が生まれ変わる日」と紹介しましたが、日本では「物
事が悪いことから善い方へ向かっていく」と考えられ、冬至のことを「一陽来
復」という別名があります。神社では「一陽来復」のお札を配りますが、私が
子どもの頃には、早稲田大学の近くにある穴八幡神社のお守りには「金銀融通
のご利益がある」といわれ賑わっていましたが、今はどうでしょうか。
この日柚子湯に入ると風邪をひかない、かぼちゃを食べると中風(ちゅうぶう 
半身不随、腕または足の麻痺する病気)にかからないともいわれています。柚子
湯は体が温まり、風邪や神経痛などに効くことや、柚子にはビタミンCとカル
シュームを多く含むため、食べても風邪の予防になり、かぼちゃはビタミンA
が多く含まれ、目や体の健康に役立つと科学的にも立証されている優れもので
す。また、語尾に「ん」のつくたべもの、にんじん、れんこん、ぎんなん、か
んてん、なんきん(かぼちゃのこと)、みかん、きんかん、ぽんかんなどには、
食物繊維やビタミンが多く含まれ、野菜不足になる冬の食材、果物として欠か
せません。これも昔から受け継がれてきた生活の知恵でしょう。子ども達には
ハロウィンでおなじみになったかぼちゃですが、食べる方はどうでしょうか。
 
「12月に読んであげたい本」は、構成の都合上、来春の始めになりますので、
クリスマスに関する話を紹介しておきましょう。
さすがに、日本の昔話には登場しませんが、外国には、ご存知の「マッチ売り
の少女」など、子どもたちの心を揺さぶる話がたくさんあります。王さまや大
金持ちが頼んでも鳴らなかった教会の鐘が、幼い兄弟の善意から鳴る話は、仏
さまの教えを学ぶ進学教室の子ども達にも大いに受け、毎年、紙芝居で紹介し
ていました。以前、お話ししましたが、紙芝居には素晴らしい作品がたくさん
あります。アニメーションと違い動きがない分、自力でイメージをふくらまさ
なければならないだけに、想像力を培う優れ物です。図書館で探して、やって
みましょう。きっと、お子さんの喜ぶ姿を見ることができるからです。
 
昨年の漢字は「金」でしたが、天気予報の分野では、「驚」だったそうです。
素直に肯けますね。今年は何になるでしょうか。世相も自然の変化も、かなり
過激ですから、私の予想は「激」です。当たらない方がいいのですが……。
近所の雑木林、落ち葉の絨毯に仔犬がもぐりこみ日向ぼっこ、子ども達は落ち
葉の布団に座り、ゲームを楽しんでいました。
 
 (次回は、「大晦日(1)」についてお話しましょう)

さわやかお受験のススメ<小学校受験編>運動テスト

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        「めぇでる教育研究所」発行
    2019さわやかお受験のススメ<小学校受験編>
            第23号
 現年中児のお子さまをお持ちの小学校受験をお考えの皆様を応援します!!
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■■[2]5つの試験形式■■ 
   (4) 運動テスト  
 
みんなで一斉に行う集団テストと、一人ひとりで行う個別テストがあります。
集団テストには、先生のお手本を見て、その通りにする模倣体操や、タンバリ
ンなどのリズムに合わせて行進をする、片足で30秒間ほど立つバランス感覚、
指の屈伸などがあります。
 
個別テストは、ケンケン、ケンパー、くま歩き、ボール遊び、ゴム段、跳び箱、
平均台といった運動をいくつか組み合わせて、先生の模範演技の後に一人ひと
りが挑戦するものです。
たとえば、こういった組み合わせです。
 
 「床に引かれた真っすぐな線の上をケンケンで進み、平均台を渡り、
  次に跳び箱に登り、跳び降り、得意なポーズをする」
         
こういったテストは多くの学校でやっています。しかし、これは技を競う「競
技大会」ではありません。
先ほどのような課題のほかにも、ボールを投げたり、ついたり、走ったりなど
をしながら、年齢にふさわしい運動機能の発育状態を見ているだけです。です
から、難しいものはありません。ウルトラなんとかなどは、オリンピックの話
で、一所懸命、子どもらしく、挑戦できれば、いいのです。
 
これも生活体験が、そのまま出ます。ボールをついたことのない子にボールを
つけといっても、絶対にできません。運動は、身体全体で学習するものですか
ら、正直に表れます。これは、誰の責任でしょうか。ご両親です。運動器官に、
何らかの障害がある場合はともかく、普通の発育状態で、みんなができる運動
ができないのは、親がさせていないからと言えないでしょうか。こういう子は、
比較的に頭がよいそうです。頭だけよくても、みんなができることができない
と、いやな言葉ですが、いじめの原因になったりもします。
 
逆もあるのだそうです。スポーツ教室に通って、きちんと技をみがき、それは、
それでいいのでしょうが、
「みんな、下手だな……! こうやるんだよ!」
見下しているのです。態度が大きいのです。ボール遊びなどでこういうことも
あるそうですが、これも駄目ですね。
 
早期教育にも、こういう欠点が、表れがちではないでしょうか。
「九九もできないの!」
これと同じです。見下していたカメさんに抜かれるウサギさん、たくさんいる
そうです。ウサギさんは、ひらめき型で、カメさんは、じっくり考えるタイプ
です。繰り返し試みるカメさんを、あたたかく見守ってあげるお母さんになり
ましょう。カメさんは、小学校の4年生頃から、ウサギさんを追い抜きはじめ
ます。その理由は、選択肢が2つか3つの場合、直感力がすぐれているひらめ
き型のウサギさんは、あまり苦労することなく答えを選び出せますが、選択肢
がふえてくると、直感力だけでは解決できなくなります。じっくり考えるカメ
さん型は、選択肢が少なくても、一つひとつ検証しながら答えを出すので、時
間はかかりますが、試行錯誤、“trial and error”を積み重ね、きちんと考え
て答えを出す習慣を身につけているからです。イソップの寓話「うさぎとかめ」
は、油断を戒めたものですが、こういった解釈も可能ではないでしょうか。
 
余談になりますが、負けたウサギはどうなったかご存知でしょうか。カメに負
けた駄目ウサギとして、ウサギ村から追放されますが、「子ウサギを餌に差し
出せ!」と脅迫する狼をやっつけ、無事、ウサギ村に復帰します。狼をやっつ
ける方法が、用心深いウサギらしく、傑作です。
(「それからのうさぎ」 読んであげたいおはなし 松谷みよ子の民話(上)  
  筑摩書房 刊) 
 
話を戻しまして、問題点は、まだ、あります。指示されたとおりにできるかで
す。先程のいろいろな運動を組み合わせたものや、模範演技をしっかり見て、
理解し、同じようにできるかです。指示の理解と的確な行動力を判定している
と思います。
 
まだ、あります。待っている間です。自分の番が来るまでは、緊張しています
から心配ありませんが、自分の番が終わると、ゆるみがちです。他の子どもが
やっている間、キチンと体操座りで待っていられるかです。本当は、これが学
校側の狙いだと思うのですが……。
 
最後に、一言。これは、笑えない話ですね。あるミッション系の小学校の説明
会で聞いた話です。
先生が模範演技をして、さて始めようとしたとき、一人の女の子が聞いたので
した。
「先生、これテストですか?」
「………!」
先生は、何とも言えません。どこの学校も、子どもたちには、テストというプ
レッシャーをかけないように気をつかっていますから、「テストです!」とは、
言いがたいのです。
「テストでないなら、やりたくありません!」
子どもの正直な告白です。毎日、やること、全て、試験のための訓練になって
いるのでしょう。悲しくなりますね。しかし、体を動かすことをいやがる子ど
もなど、いるのでしょうか。「お子さんを追い込むような準備はしないでほし
い」と、シスターはおっしゃっていました。やはり、おかしいです。
おかしくしているのは、誰でしょうか。ほんの一部の猛烈受験ママの話でしょ
うが、こういったことからマスコミの言う「受験戦争の低年齢化」となり、針
小棒大に騒がれてしまうのでしょうけれど、お子さんのためです、こういった
お母さんにはならないでいただきたいとお願いしておきましょう。
 
昔の話ですが、お父さんが海外へ単身赴任しているお子さんの志望校は、ボー
ルを使った運動テストが行われる暁星小学校でした。盛んに話しかけてくるの
で、やはり、寂しいのだなと耳を傾け、時には叱ったりしたものでした。子ど
もから聞いた話ですが、お母さんと近所の公園で、毎日のようにボール遊びや
縄跳びをしていたそうです。試験のためではなくても、親子で汗を流すのは、
大変なスキンシップになっています。少し太めであったお母さんが、スリムに
なってきたので、絶対に合格するだろうと思いました。親子が心を一つにして
目標に向かえば、望みはかなえられるものです。入学式の帰りに挨拶に見えま
したが、一番うれしそうだったのは、何と初対面のお父さんでした。遠く海外
にいて手を貸せなかったお父さん……、涙腺の緩い私は、困ってしまったこと
を覚えています(笑)。
 
何から何まで、塾や教室の先生方にお任せだけでは、よい結果は出ないことも
覚えておいてください。
 
(次回は、「面接テスト」についてお話しましょう。)
 

さわやかお受験のススメ<幼稚園受験編>この辺からが問題です(1)過保護な育児

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         「めぇでる教育研究所」発行
   「2019さわやかお受験のススメ<幼稚園受験編>」
            第6
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この辺からが問題です (1)過保護な育児
 
 
3歳頃からの子育てに、問題がありそうです。
それは、自立を妨げる育児です。
 
自立の始まる大切な時期に、2歳頃と同じように手をかけていると、お子さん
は、どうなるでしょうか。
何でも、お母さんがやってあげていると、お子さんは「これでいいのだ!」と
勘違いをし、依頼心の強い子になりがちです。
自分でやらなくては、試行錯誤を積み重ねる機会がありません。
試行錯誤は、一つの能力を身につけるための大切な冒険であり、実験であり、
体験です。2歳頃から始まった模倣時代に、どのようにやるべきか、じっくり
観察されています。ですから、うまくいかなければ、子どもなりに工夫します。
できるようになるまで、辛抱強く挑戦するものです。
この挑戦する持続力は、できるようになったときの快感に支えられているので
しょう、夢中になって取り組みます。
モンテッソーリの「その時期に最も活動が盛んになり成長する敏感期」です。
 
  注 マリア・モンテッソリー
    イタリアのローマで医師として精神病院で働き、知的障害児へ感覚教
育を実施し知的水準を上げる効果を見せ、1907年に設立した貧困
層の健常児を対象とした保護施設「子どもの家」において、独特の教
育法を完成させた。以後、モンテッソーリ教育を実施する施設を「子
どもの家」と呼ぶようになった。 
                (ウィキペディア フリー百科事典より)
 
何でもやろうとする時期なのです。
そこで、お母さんが手を貸してばかりいると、やってみようとする意欲がわき
ません。やらなければ、物事をやりとげる手順を学べませんから、その苦労が
わかりません。
そのような環境で育てられていると、意欲も集中力も持続力も培われません。
ですから、わがままな子や、飽きっぽい子になりがちです。
相手を思いやる気持ちなど育つわけがありません。
過保護、過保護の育児です。
 
困るのは、誰でしょう。
言うまでもなく、お子さん自身です。
信じられない話ですが、「かわいい、かわいい!」と甘やかすだけ甘やかして
おいて、「しつけや生活習慣は幼稚園で」と考えているお母さんがいると聞き
ます。
そのような子育てをしていたらどうなるでしょうか。
幼稚園では、誰も手を貸してくれません。
今まで、お母さんがやってくれていたことを、全部、自分でしなくてはなりま
せん。
一人でできるでしょうか、無理でしょう。
どうなると思いますか。
みんなができて、自分だけできないとなると、「なぜ……?」となります。
先生に甘えても、限度があります。
 
「何で、そんなことができないの?」
初めて経験する同年代の子どもの冷たい目や批判の言葉に、戸惑います。
わがままな性格では、友達との接し方もうまくないですから孤立しがちで、幼
稚園など、少しも面白くないでしょう。
行きたくなくなるのも当然ではないでしょうか。
極端な話ですけれど、不登校生ではなくて不登園児、こんな言葉はないと思い
ますが、そんな状況に追い込まれかねません。
そこで気づき、子育ての軌道修正するのは、親子ともども苦労します。
普通の幼稚園でも、入園当初、非常に困ったことになるでしょう。
ここで気づかずに、「悪いのは幼稚園の先生!」と言い放って、平然としてい
るお母さんがいるそうです。
被害者は、子ども自身であることにも気づきません。
名門幼稚園の受験をお考えのお母さん方には、いらっしゃらないと思いますが、
こういった自己中心型の育児では、どの幼稚園からも歓迎されません。 
 
話は違いますけど、小・中学校の不登校児童は、どのくらいいるかご存じです
か。
文部科学省が10月20日に公表した「平成28年度学校基本調査」によると、
13万4,398人に上り、3年連続増加しているそうです。
その原因は、いろいろありますから、一概には言えません。
しかし、過保護な環境で、わがままいっぱい育てられ、他人との共生をきちん
と学習していないと、こうなりやすいと考えられないでしょうか。
そうであるなら、被害者は、やはり、子ども自身です。
 
ですから、3歳になっても、お子さんのやっていることを見て、手を貸してあ
げようかと思えば過保護であり、本当に手を貸していれば超過保護であると考
えましょう。
 
お母さんの手を借りずにできることが、たくさんある子の知的な能力は高いと
言われていますが、当然だと思います。
一つのことができるようになるまでには、幼い子どもなりに、それだけ頭を使
って、体を使い、頭と体が一つになって苦労を重ね、苦心しているからです。
一つのことができれば、次のことをやりたくなります。
やる気です、意欲も育ちます。
「やった!」という快感も伴います。
これが好奇心をくすぐります。
何にでも興味を持つようになります。
連鎖反応を起こします、これですね。
 
幼児が初めてのことに挑戦して、失敗して当たり前です。
失敗したことを叱らないで、励ますことです。
そして、辛抱強く待ってあげましょう。
そうすれば、子どもは、やります。
励まして、再び挑戦する意欲を持たせることです。
 
おむつをはずしたことを思い出しましょう……。 
 
ところで、公立と私立校の違いは、どこにあるとお考えでしょうか。
東京と横浜に雙葉学園がありますが、女の子だけしかいない、ミッション系の
学校です。
系列校に皇太子妃の雅子様が、ご卒業された学校があります。
正確には、田園調布雙葉といって、幼稚園から高校まである学校です。
私立の学校には、公立の学校と違い、その学校、独特の教育方針があります。
簡単に言えば、一部の学校を除き応募資格(通学指定地域、通学時間)がなく、
宗教教育もできますし、小学校一年生から英語も教えられますし、土曜日を休
みにすることができます。
ただし、平成14年から、公立の小学校でも英語の授業を始め、週五日制にな
りましたから、後ろの2つは私立学校の特徴とは言えなくなりました。
建学の精神や校訓があること、宗教教育を行い、男女別学の制度があることな
どが公立校との違いでしょう。
 
その校訓ですが、雙葉学園は、「徳に於いては純真に、義務に於いては堅実に」
を掲げています。
この言葉が、育児にピッタリと当てはまると考えています。
しかし、私の勝手な解釈ですから、間違っているかもしれませんが、こういう
意味だと思っています。
「徳に於いては純真に」とは、たとえば、お母さんのお手伝いをして、
「お母さん、お手伝いしたら、あれ買ってくれる?」
と言ってお手伝いをするのは、純真と言えるでしょうか。
言えません、動機が不純です。
明らかに見返りを考えていますから、計算済みのお手伝いです。
また、3歳なら3歳の子が、親に頼らず自力でできることを、お母さんに手伝
ってもらっているとすれば、「義務に於いては堅実に」と言えるでしょうか。
言えません、軟弱です。
甘えん坊になるだけでしょう。
過保護な育児をしていると、こんな子になりがちです。
 
別学については、これはお父さん方に聞いてもらいたい話です。
たくさんの幼稚園がある中で、田園調布雙葉小学校附属幼稚園と靖国神社の側
にある白百合学園幼稚園は、女の子しかいません。
ですから、白百合学園の3年保育の幼稚園に入って、そのまま大学まで進んだ
とすると、幼稚園3年、小学校6年、中学校3年、高等学校3年、大学4年と、
19年間、女の園です。
これで宝塚歌劇団へ入ったら、どういうことになるのでしょうか。
この2つの幼稚園を選ぶときに、避けて通れない大切な志望理由になります。
最も、雙葉学園には大学がありませんから大学受験で共学の学校を選べますし、
白百合の場合も学部の関係で併設の大学まで進む生徒は少ないですから、余計
なお世話と言われそうですが(笑)
 
さらにもう一つ、紹介しましょう。
日本女子大学附属豊明幼稚園には募集人員84名中、男子が24名いますし、
雙葉小学校附属幼稚園、東洋英和幼稚園には、男の子もいます。
小中高には、男の子しかいない暁星幼稚園には、逆に女の子も若干名ですがい
ます。
小学校から別学になるのですが、幼稚園だけ共学です。
なぜでしょうか。素朴な疑問ですが、これも余計な詮索ですね。
しかし、いずれの幼稚園も倍率は高く、狭き門となっていますから、過保護な
育児では、合格の二文字を獲得できません。
 
今、お子さんに、どのくらい手を貸しているか、チェックしてみましょう。
こういったことを、きちんと指導してくれる幼児教室を、選んでいただきたい
と思います。
 
(次回は、この辺からが問題です(2)として、過干渉の育児についてお話し
ましょう)

さわやかお受験のススメ<保護者編>何といっても、クリスマスと大晦日ですね

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2019さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第6号-
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第2章 (1) 何といっても、クリスマスと大晦日ですね  師 走
 
暦の上では、12月から冬です。
物の本によると、冬という読み方は、「冷(ひ)ゆ」からといわれていますが、
他にも、冬が威力を「振るう」、寒さに「震(ふる)う」、動物の出産の時期
である「殖(ふ)ゆ」の意との説もあるようです。
師走(しわす)のいわれは、文字通り、1年の終わりである12月は、何かと
あわただしい日が続き、普段、どっしりと構えている師匠といえども趨走(す
うそう ちょこちょこ走る意)するので、師趨となり、これが「師走」となっ
たという説が有力だそうです。
 
季節の読み方と陰暦のいわれについては、
「子どもに伝えたい年中行事・記念日 萌文書林 編集部 編 萌文書林 刊」  
を参考にさせていただきました。
 
12月といったら、何といっても大晦日です。「ちょっと待った!」と、さえ
ぎる声が聞こえそうです。
クリスマスですね、わかっています。子ども達が、最も楽しみにしている日で
すから。しかし、クリスマスはキリスト教の祭りで、12月だけ、にわか信者
になってお祝いするのも、おかしな話ではありませんか。バレンタイン・デー
や最近のハロウィンほどではないでしょうが、何やら商業主義の笛に踊らされ
ているような気がします。そう考えるのも、私にはクリスマスの思い出が、ほ
とんどないからかもしれません。戦争中、キリスト教は敵性宗教ですから、信
者は非国民扱いでした。「え、ウッソー! 信仰は、個人の自由でしょ!」と
は軽薄な言い方で嫌いですが、こんな声が聞こえてきそうです。若いお母さん
方には、信じられないでしょう。為政者が、その気になれば、宗教まで法律で
規制できるのですから、恐いことです。
 
一時、クリスマス・イブは、大人がどんちゃん騒ぎをする日でしたが、今は、
健全なホーム・パーティーになっているようです。質素に祝うのが、本来の在
り方です。しかし、毎年思うのは、あのデコレーション・ケーキです。翌日に
なると、ぐっと値が下がります。翌日がクリスマスですから、25日に豪勢に
とは、やはり、駄目なのでしょう。子どもの夢ですから、財布のひももゆるみ
ます。
 
ところで、「26日のクリスマスケーキ」という言葉を聞いたことはあります
か。結婚適齢期があった頃の話ですが、26歳になると「誰も手を出さない」
という意味で使っていたそうです。封建時代の婦道(女性の守るべき道)の名
残で、今どき、こんなことをいったら、袋叩きにあいますね。
 
それはさておき、北は北海道から南は沖縄まで、全国的に展開され、いや、世
界的な規模でのお祝いですが、キリスト生誕のことは、遠慮しておきましょう、
日本は、仏教と神道の国ですから。何やら、殊勝な態度のようですが、キリス
ト教について、よく知らないだけの話です。
しかし、なぜ、なぜ、どうしてと思う素朴な疑問は、数々あります。
     
 
 ★★12月25日は、キリストの誕生日ではない!?★★
 
「ナヌ……!?」
この歳時記には、筆者の不勉強から「……!?」が再三、姿を見せますが、第
1号は、キリストの誕生日です。読んだときはびっくりしました。例の、とい
っては不敬に当たると思いますが、馬小屋でお生まれになったあのお話は、ど
うなるのでしょうか。いろいろと探っていく内に、何と小さなお子さん用の歳
時記に、実にわかりやすく、説明されているではありませんか。
 
 クリスマスは、イエス・キリストの生誕を祝うお祭りですが、聖書の中で
 は、キリストの誕生日は特定されていません。4世紀頃、キリスト教が広
 まるにつれて、統一された聖誕祭が必要となりました。その頃、力を持っ
 ていたミトラ教のお祭りに対抗するために、12月25日に決められたと
 いわれています。
 (えほん百科 ぎょうじのゆらい 講談社 刊)
 
ミトラ教とは、ユーラシア大陸(ヨーロッパとアジアの総称 亜欧州)で信仰さ
れていた太陽の神、ミトラスのことで、12月25日はローマの冬至祭にあた
り、この日を境に短かった昼間が次第に長くなる、不滅の太陽の生まれ変わる
日と考えられていました。4世紀になり、この慣わしを取り入れ、「キリスト
こそ、私達の太陽」とあがめ、キリストの誕生日として祝うようになったので
す。信者の皆様方には不敬になるのをお詫びしながら申し上げますが、
「イエス・キリストが、この世に生まれたことをお祝いする日」であり、
「キリストが、神からこの世に送られてきたことを感謝する日」なのですね。
「きよし、この夜」は、やはり、心静かに感謝の心を込めて過ごす日なのです。
 
ところで、我が国にも馬小屋の前で生まれた方がいらっしゃいます。厩戸皇子
(うまやどのみこ)こと、聖徳太子です。厩戸の名前の由来は、お母さまが宮
中を見回っていた時に産気を催し、馬小屋の前で出産したからだそうですが、
当時(574年 敏達3年)、キリスト教の一派であった景教が、既に中国に来て
いたため、日本にもその話が伝わり、キリスト降誕説話と同じ伝説が生まれた
のでした。この話は黒岩重吾の歴史小説を読み覚えているのですが、本が見つ
かりません。(陳謝)
 
 
 ★★なぜ、クリスマスには「赤、緑、白」の三色になるのですか★★ 
 
このことです。どうしてクリスマスになると、「赤、緑、白」の三色になるの
でしょうか。12月になると、ジングルベルのメロデイーが流れ、この三色が
街にあふれます。デパートでこの色にお目にかからない売場は、ほとんどあり
ません。私は子ども達に、「赤はサンタさんの着ている服の色、緑はクリスマ
ス・ツリーの樅の木、白は雪です」といい加減な説明をしていました。ハワイ
で見たサンタさんは裸足でしたし、常夏の国ですから「白は雪」とはいえませ
ん。これも、当然のごとく訳ありでした。
 
 クリスマスの色は、赤と緑と白である。キリストが人類のために十字架に
 流した血の色は赤である。キリストの純潔を表す色は白、そしてキリスト
 の永遠の命を象徴する色が緑である。
 〔年中行事を「科学」する P245 永田久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
 
 ★★なぜ、クリスマス・ツリーは、樅の木ですか★★
 
日本では、松の木でしょう。常緑樹は、いつも、みずみずしい姿ですから縁起
物には欠かせません。門松もその一つです。では、なぜ樅の木になったのでし
ょうか、これも訳ありでした。
 
 クリスマス・ツリーは不滅のシンボルとして永遠の生命を表す常緑の木で
 ある。12月24日は「アダムとイブ」の日といわれている。アダムは楽
 園を追われたとき、生命の木から実を一つとってきた。その実から木が育
 ち、キリストの十字架が作られたという。クリスマス・ツリーはアダムの
 持ってきた「善意を知る木」であり、キリストを表す不滅の生命の木であ
 る。
 〔年中行事を「科学」する P244 永田久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
クリスマス・ツリーは、アダムが楽園から持ってきた実から生まれたとは、こ
れまた驚きです。真冬にも枯れることなく青々と緑を茂らせ、花を咲かせる常
緑樹であることから、「厳冬に耐える生命力にあやかりたい」などと考えるの
は、やはり、不謹慎なわけですね。では、いつ頃からクリスマス・ツリーは、
飾られるようになったのでしょうか。
 
 プロテスタントでは、クリスマス・ツリーは、マルティン・ルーテル
 (1483~1546)が、初めて採用したのです。1529年のクリ
 スマスの前夜、ルーテルが凍りついた雪の道を歩きながら、澄み切っ
 た夜空を見上げると、無数の星が、美しく輝いていた。この星の輝き
 を、キリストの愛と感じたルーテルは、樅の木を一本切り取り、木の
 枝にたくさんのろうそくを灯し、感激した夜の情景を家の中に再現し
 たのである。ギリシャ正教ではケルラリウスによって、1054年に
 クリスマス飾りとして採用された。
 〔年中行事を「科学」する P244~245 永田久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
都会の空では無理ですが、清里の高原で見た星空は、まさに、星が降ってきそ
うな感じでした。陳腐な表現で申し訳ないのですが、神秘的でしたね。「神秘
的…」、この言葉も、影が薄くなってきたようです。                         
   
当時のクリスマス・ツリーは、どのようなものだったのでしょうか。
 
 樅の木は、はじめは、ろうそくと林檎(りんご)で飾られていた。人々
 は、キリストの光を表すろうそくと、豊穣を示す林檎によって、明日
 の命、永遠の命を讃え、祈った。さらに樅の木は天使が飾りつけをす
 る意味を象徴して、一本の銀の糸を「天使の髪」といって、飾りつけ
 の最後に何気なく木にかけておく習わしがある。 (ふり仮名は筆者)
 〔年中行事を「科学」する P245 永田久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
本来の飾りは、ろうそくとりんごだけで、質素なものでした。今の樅の木は、
華やかです。靴までぶらさげ、物欲の権化のようになってはいますが、子ども
の夢ですから仕方がないでしょう。
ところで、樅の木の天辺に飾ってある星は、キリストが生まれたときに輝いた
星といわれ、「ベツレヘムの星」と呼ばれていますが、それがどの星に当たる
かは、定かではないそうです。
 
 
 ★★なぜ、クリスマス・リースは、柊なのですか★★ 
 
クリスマスといえば、樅の木が主役だと思っていましたが、玄関やプレゼント
の飾りつけにするクリスマス・リースも外せません。しかし、あれは柊(ひい
らぎ)の葉です。柊は、日本では鬼から身を守る魔除けの一つですが、これも
訳ありでした。
 
 クリスマスシーズンに赤い実をつけ、緑の葉を持つ柊(holly)は、古
 くから、ローマ人によって魔除けとして、また長寿の木として、サトゥル
 ナリア、冬至祭にも用いられていたが、キリスト教がこの習慣を引き継ぎ、
 棘(とげ)はキリストの受難、赤い実はキリストの血という解釈を与え、
 クリスマスの愛の木としたのである。英語で(holly)がholy(神聖な)に
 通じる縁起もあるのだろう。
 〔年中行事を「科学」する P245 永田久 著 日本経済新聞社 刊〕
 
サトゥルナリアは、12月17日から25日まで祝われた古代ローマの祭りで、
農耕神サトゥルナリア
を祀り、闇を追い払う冬至祭のことです。ただし、リースに使う柊は「ひいら
ぎもち(Chinese holly)」と呼ばれ、赤い実をつけ、葉っぱもトゲの形も異な
り、節分に使う柊とは同じではありません。
 
ところで、クリスマスのテーマソングのような[Silent Night, Holy Night]、
日本では「きよし、この夜」ですが、いいですね。「静かで、神聖な夜」では、
ぶち壊しでしょう。日本の英語教育って、こんなことをやっていたのではない
でしょうか。だから、実用的な英語力が身につかなかったのではと、偉そうな
ことはいえませんが。「……いた」と過去形にこだわったのは、2002年度の指
導要領改定で、公立の小学校でも英語の授業が始まり、2018年から「読む
英語 “reading”から、話す英語“speaking”」と実践的な英語教育を目指す
ことになり、その効果に期待したいものですが、これも本人の努力次第です。
5月に亡くなられた上智大学名誉教授、英語文法史の大家、渡部昇一氏は、
「留学、結構だが、卒論はきちんとした英語で書かなければならないから大変
だよ」とおっしゃっていましたが、“writing”の難しいことは、皆さ
んも英作文で苦労されたのではないでしょうか。卒論は英作文と違い論文です
から、日本語を駆使できなければ書けません。このことを承知していないと困
ったことになるのでは。留学に憧れる若者の気持ちはわかりますが、生半可な
気持ちではだめだと思いますね。
 
古い話になりますが、ウィリアム・ホールデンとジェニファー・ジョーンズが
共演した映画 “Love is a many splendid thing” を「慕情」と訳した方がい
ましたが、これなども、うならされませんか。また、名女優、キャサリン・ヘ
ップパーンの演じた“Summer time in Venice”は「旅情」です。わずか二文字
の漢字に刺激を受け、映画館へ足を運んだものでした。     
最近の映画は、題名が横文字のままのものが多くなっているようですが、映画
を見てから「なるほど!」と納得させられるようなタイトルが少なくなってい
るようで、残念な気がします。至る所で、横文字が大きな顔をしていますが、
日本語、捨てたものではありません。もっと大切に使うべきだと思いますね。
外国語を深く読み切る力が衰えているのではないでしょうか。
司馬遼太郎の「胡蝶の夢」(新潮文庫 刊 全4巻)などの作品は、幕末から
明治にかけ、オランダ語や英語を苦心惨憺して翻訳した人々の世界を活写した
もので、その大変な努力に、ただ、ただ、頭が下がるだけですが、私たちは、
今、その恩恵を受けていることに感謝しなければいけないのではと思いますね。
“reading”が果たした役目、これも日本の文化を支えてきた原動力の一つであ
ることは間違いないでしょう。
 
 漢字仮名交じり文は、私達の祖先が英知を結集して、中国から伝わってき
 た漢字から、カナ、ひらがなを作り、完成させた素晴らしい表記法であり
 大変な文化財です。あまり知られていないようですが、アジア・アフリカ
 諸国では、数学や物理、化学など自然科学を学ぶには、英語やフランス語
 を習得しなければ出来ません。日本の高校生は微分、積分を日本語で学ん
 でいますが、それを可能にしたのは日本の漢字文化なのです。母国語で自
 然科学を学び研究出来るのは、世界でも奇跡に近いことでもあるのです。
 日本から数々のノーベル賞の授賞者がうまれるのも、勿論、ご本人の努力
 のたまものですが、自然科学を母国語で学べる素晴らしい教育環境である
 ことも、子ども達にきちんと教えるべきではないでしょうか。
 (「日本の科学教育は大丈夫か」 内科医 西岡昌紀 著 WILL 2014年
  12月号より 要約)
 
4年連続受賞はなりませんでしたが、子ども達に、日本語で勉強するのが当た
り前だと思っている数学や物理、化学などの自然科学を、母国語で学べない国
もあることを話し、日本語の素晴らしさを教えてはいかがでしょうか。
 
 (次回は、クリスマスの(2)についてお話しましょう)
 

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