2026さわやかお受験のススメ<保護者編>第1章(2)情操教育、難しく考える必要はありません-本を読んであげてください〔2〕
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「めぇでる教育研究所」発行
2026さわやかお受験のススメ<保護者編>
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第4号-
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第1章 (2)情操教育、難しく考えることはありません
- 本を読んであげてください 〔2〕 -
「竜宮城って、おもしろいところだな。絵に描いてみようかな!」となると絵画の領域です。幼児期の絵は、写生ではなく、イメージ、想像して描いたものではないでしょうか。ファンタジーの世界ですから夢もふくらみます。
絵を描こうとする動機は純粋です。
幼児には、この「……かな?」がついた時こそ、好奇心の芽を育む絶好のチャンスなのです。「小学校の入学試験に、絵を描かせる学校があるから、絵画教室に行きましょう」と考えて始めるのは、子どもの希望ではありませんから、絵を描くことが好きになるとは思えません。
最近、絵を描くことをいやがる子どもが増えていると聞きますが、想像力が培われてくる前に、大人の求める望ましい上手な絵を期待するからではないでしょうか。感性が磨かれなければ、絵は描けません。
(環境+五感が受けた刺激)×(想像力×好奇心÷咀嚼力)=描かれた絵
妙な式ですが、私見ですが私の経験では、感性は、子ども自身が与えられた環境の中で、自らの力で培ってきた「自前の能力」ではないだろうかといいたいのです。親が、注文を付け始めると、おもしろくない絵になりがちだからです。
お子さんの絵について、振り返ってみましょう。
2歳頃から、点や線の殴り書きが始まったのではないでしょうか。
3歳頃から、直線や曲線を使って○や□らしきものが表われ、それこそ、ある日突然、頭から手足がニョキニョキ出ている頭足人間を描いたと思います。やがて、頭と体が分かれ、一応、人間らしくなりますが、手は電信柱のように、横に真っすぐのびたままで、年長になって、やっと手も下におり、人間と認められる絵になったのではないでしょうか。
ここまで表現できるようになるには、これだけの段階を踏んでいるのです。
絵は、言葉や身体表現と比べ、差のつきやすい能力といえます。
うまい絵を求めるより、何を描きたがっているのか、その内容に注目し、楽しく描ける雰囲気を作ってあげることが大切です。
「絵は心の窓」ともいわれ、心の屈折が表れるそうです。冷静にお聞きください。もしかしたら、遺伝もあるかも知れません。ご両親、特に、お母さんは子どもの頃、どういった絵を描いていたか、ご自身のお母さんに聞いておきましょう。
話を本題に戻しましょう。
話の読み聞かせの効果は、まだ、あります。
昔話をはじめ、子どもの読む本は、勧善懲悪から成り立っています。正義は、必ず勝ちます。倫理、道徳、善悪について、襟を正して説教をしなくても、きちんと学習しています。いってみれば、お子さん用の「修身、道徳講座」です。情操教育の基礎、基本を学習しています。
3歳を過ぎる頃から自立が始まります。自立が始まると、いろいろな経験を重ねながら、さまざまな感情も一緒に培われます。これが情緒です。この情緒の分化が、5歳頃には出揃うと考えられています。
赤ちゃん時代は、「ママ!」の一言ですべての要求を表し、ついこの間までは、望みが叶わなければ何でも泣くだけで表現していたことを考えれば、言葉で表せるのは、格段の進歩ではないでしょうか。今まではおもちゃ箱の中に、乱雑に入れられていたおもちゃが、「自動車はここ」、「ぬいぐるみはこっち」、「ままごと道具はあっち」と、きちんと整理されて行く状態になるのです。
まだ、整然とはいきませんが。
まだ、整然とはいきませんが。
つまり、未分化だった情緒が分化されて、大人に見られるような、「喜び、怒り、楽しみ、悲しみ、望み、不安」といった情緒が表れ、いろいろな話を聞くことから、喜怒哀楽など心の動きが誘い起こされ、幼いなりに自我を作っているのです。
ずる賢い人には怒りを覚え、悲しい話になると涙ぐみ、正直な人が報われると笑顔を見せ、恐い話になると表情も変わってきます。
話をきちんと理解している証拠です。正しいこと悪いことの分別を、感情を移入しながらシミュレーション学習をし、幼いながらも、正義に対する憧れや悪に対する嫌悪感を養っているのです。
それが自我であり、個性を培っていく基本的な学習になっているのです。
「三つ子の魂百まで」の意味は、ここにある事も忘れてはならないでしょう。小学校受験編でも紹介しましたが、英語では“The leopard cannot change his spots”というそうで、世の東西を問わず、育児の鉄則となっているようです。
まだ、あります。これが最も大切だと思います。お父さんやお母さんが感情こめて読んであげると、子どもは真剣に、心をこめて聞くものです。そこから、人の話を静かに、行儀よく聞く姿勢が身につきます。これは、これから始まる小学校の勉強にスムーズに取り組むために身につけておきたい、大切な心構えであり、学習態度です。
話が聞けないようでは、いくら漢字が読め、足し算や引き算ができ、九九をそらんじていても、駄目です。
小学校の先生方に聞いてみると、みなさん、そうおっしゃいます。
それほど、話を聞く姿勢を身につけることは大切なのです。話を聞く姿勢ができていないと、勉強についていけず、落ちこぼれることにもなりかねません。
あまり本を読んであげずに、
「人の話は、キチンと聞かなくては駄目だと、お母さんはいつもいっているでしょう!」
と、恐い顔して、厳しく、何十回といっても無駄、と言っても過言ではないでしょう。
言葉だけで説得できません、態度で示すに限ります。本を読んであげることで、保護者自身が、よいお手本を見せています。それが、話を聞く姿勢を身につける訓練になっているのです。
ひたすら自己中心に行動する子や、落ち着きがなくじっとしていられない子になる原因の一つとして、話を聞きたがる大切な時期に、読み聞かせを怠ったことも考えられるのではないでしょうか。
「たがる大切な時期」をモンテッソーリ教育では「敏感期」といいます。その時期に著しく成長し、それを過ぎると鈍感になる成長過程のことです。真偽の程は定かではないようですが、言葉の敏感期に人間の言葉に触れなかったため、言葉を話せないまま成長したインドの狼少女は、敏感期を実証した話ではないでしょうか。
※マリア・モンテッソーリ
イタリアのローマで医師として精神病院で働き、知的障害児へ感覚教育を実施し、知的水準を上げる効果をみせ、1907年に設立した貧困層の健常児を対象にした保護施設「子どもの家」において、独特の教育法を完成させた。以後、モンテッソ―リ教育を実施する施設は「子どもの家」と呼ばれるようになった。
(ウィキペディア フリー百科事典より)
それはともかくとして、話の読み聞かせは、予想もつかない力も育みます。
話がおもしろければ、そしてそれが長編ともなれば没我の世界の中で、一つのことに集中できる持久力や耐久力さえ身につきます。
気力や体力は、運動だけで培われるものではありません。こういった精神力を鍛えることで、物事に取り組む意欲や頑張る力も育まれます。
さらに、すごいと思うのは、
「言語能力を高めるためのお勉強ですよ!」
といった意識は、読んでいるお父さんやお母さんも、聞いているお子さんにも、まったくないはずです。無意識の内に、自主的に、積極的に、しかも楽しく学習しています。
これこそ、「教えない教育」の最も効果的な方法ではないでしょうか。
「教えない教育」とは、誤解を恐れずにいえば、本人は、勉強だと思っていないにもかかわらず、ものすごい勉強をしていることです。何かを学ぼうとする気持ち、学習意欲が身につきます。
しつこいですけれど、まだ、あります。
親(保護者)の表情豊かな、やさしい語りかけが、何よりのスキンシップなのです。ですから、本をたくさん読んであげる親は、子どもに慕われます。
それは、親とお子さんが、同じ土俵に上がり、同じ気持ちで、物語の世界を楽しんでいるからです。大人は、こんな荒唐無稽な話などありえないと思っても、また少し抵抗を感じる言葉でも、一切、無視し、お子さんのレベルに合わせて読んであげているはずです。視線は同じ高さですから、心は通います。
視線の高さが違ってくると、命令と忍従の関係になりがちです。
しかし、一つだけいっておきたいことがあります。
いくら話の読み聞かせは素晴らしいといっても、お子さんが興味を示さない本では、あまり効果はありません。「少年少女 世界名作全集 全十巻」などを買い揃えるのはどうでしょうか。
「本当は、『かちかち山』の話、読んでもらいたいのだけど……」、こういったことは、小さい時から、とかくありがちです。気を使ってください、親の考えを押し付けるのは、決していいことではありません。私たち親は、とかく子どものためによかれと思ってやることが、案外、子どもには迷惑な話となっている場合があるものです。「あなたのためなのに……!」という前に、親のエゴが優先していないか考えましょう。
(お断わり。同名の「少年少女 世界名作全集 全十巻」があったとしても、その本とは一切関係ありません)
また、ご両親が子どもの頃に読み、印象に残った本を読んであげることもあるでしょうが、「どう、面白かった?」といった言葉がけはやめましょう。
親のイメージを押し付けることになりがちだからです。
「ツバサちゃん、どうだったかしら?」
と軽い気持ちで聞き、反応が今一の場合は、引き下がる思いやりも必要です。
読んでほしいとリクエストがあり、数回読んであげて、しっかりとしたイメージが出来上がってから、感想を聞くようにしましょう。
ところで、本の選び方ですが、一緒に図書館へ行き、最初はお父さんやお母さんが選んであげ、後はお子さんに任せてみましょう。
お子さんが選んだ本は、たとえ、年齢にふさわしくない幼い内容であっても、いやな顔をせずに読んであげてください。そして、自分で選んだことを褒めてあげましょう。お子さん自身が興味を持たなければ、本の好きな子にならないからです。読書の芽は、ご両親、保護者の優しい心遣いから培われるものではないでしょうか。
また、お子さん自身が「読んでほしい」、と意欲的になる以前に「読書の時間です」などと、スケジュールをキッチリと組むのはどうでしょうか。
お子さん自身が望んだときが、最高の教場となるからです。
まず、読み聞かせが習慣となり、読んでほしいという意欲を掻き立てるために、寝る前に読んであげると良いのではないかと思います。以前、横浜雙葉小学校の説明会で、当時の学園長が「お子さまと添い寝をしながら本を読んであげる機会が少なくなっているのでは」と懸念されていましたが、皆さん方はどうでしょうか。
最後に、図書館にはまだ紙芝居がたくさんありますので、利用してみましょう。紙芝居は、絵と言葉の表現に無駄がありませんから解りやすく、また、親子で向き合っていますから、お子さんの表情がよく見え、どういったことに興味をもっているかがわかるからです。
ところで、図書館で騒いでいる子や遊んでいる子もいますが、公衆道徳を教えるのは、ご両親の大切な仕事です。手を抜いていると、あとで困るのは、お子さん自身です。
また、借りた本は大切に扱う習慣をつけましょう。落書をされた本やジュースなどをこぼしたあとさえ残っているものも見かけます。「みんなで使うものは丁寧に扱う」、これも守らなければいけない規則です。たった1冊の本から、育児の姿勢が至るところに顔を出しています。
そして、返却期日は、必ず、守りましょう。こういった約束事は、幼児期にきちんと身につけてあげれば、お子さんの人格形成の礎(いしずえ)にもなるからです。繰り返しますが、「三つ子の魂百まで」は、「良い習慣は幼児期に身につく」ことを伝える、育児の鉄則ではないでしょうか。
このように、幼児期は、文字を教えこむより、心をこめて本を読んであげ、心の通った会話ができる環境を作ってあげることが大切です。
「文字よりも言葉」です。
小学生になれば、覚えた言葉を文字で表す学習に進み、国語を楽しく勉強できるようになるものです。これが「情操教育の基礎、基本」です。ご納得していただけたでしょうか。
(次回は、季節の行事についてお話しましょう)
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