2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第11章 お月見です 長月(4)
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「めぇでる教育研究所」発行
2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第43号-
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第11章 お月見です 長 月 4
【九月に読んであげたい本】
なぜ、お月さまに、うさぎが住むようになったか、そのいわれを伝える話があります。主役は、あの良寛さんです。原作は、良寛さんの略歴や性格などの説明がありますが、ここでは、月とうさぎということで省略しました。
◆良寛と月とうさぎ◆ 良寛 著
秋になると、お月さまの好きな良寛さまは、子ども達にこんな話をしました。
大むかし、猿ときつねとうさぎが、仲良く、助け合って住んでいると聞いた神様は、本当かどうか知りたいと思いました。ある日、神様は、ぼろぼろの服を着た老人に化け、三匹の住む林にやってきました。杖をつき、ひょろひょろと歩いてきた老人は、長い間、何も食べていないので、食べ物を恵んでくれと言うのです。
そこで、猿は木の実を少し見つけ、きつねは川魚を捕ってきましたが、うさぎだけは、何もとらずに戻って来ました。老人は、三匹は、心を一つにして暮らしていると聞いたが、うさぎは、物を恵む心が薄いようだと言ったのです。
うさぎは、猿に芝を刈ってきてくれと頼み、きつねには、芝を燃してくれと、悲しそうに言いました。
猿は芝を担い、きつねは、火をつけたのです。すると、うさぎは、「何もあげられないので、私の肉を食べてください」と、火の中へ飛び込み、死んでしまったのです。驚いたのは、神様です。かわいそうなことをしたと、泣き伏し、猿も、きつねも、泣きました。立ち上がった老人は、「三匹は、感心なものだ。中でもうさぎの心は、立派で、美しい」と言ったのです。
やがて、老人の姿は神様になり、杖でうさぎの体に触ると、もとの真っ白な体になったのです。
しかし、うさぎは目をつむったままでした。
「お前を天の月の宮へ送ろう。お前は、これから、いつまでも、あの月とともに輝くのだ」と神様は言ったのでした。
「それだから、まるいお月さまを、よく見てごらん。お月さまの中で、うさぎが跳ねているのが、見えるだろう」と良寛さんは、子どもたちに話すのでした。
少年少女・類別/民話と伝説-二九 日本の心をうつ話
関 英雄 編著 偕成社 刊
この話は、良寛さんが作ったのではなく、原作は、龍樹(リュウジュ 2世紀に生まれたインド仏教の僧)の主著の一つ「大智度論」(般若経の百巻に及ぶ注訳書)にあるものだそうです。修行中のお坊さまが、空腹でふらふらになっているのを見た鳩が、焼き鳥になるから食べてくれといって火に飛び込み、涙ながらに食べる話です。鳩は、お釈迦さまの化身という教えであり、インド、中国を経て、日本へ伝わったもので、「今昔物語」の巻の五にも出ています。
それを良寛さんが、子ども達に話してあげたのでしょう。月の中で、うさぎが跳ねていたり、もちをついたりしているように見て楽しむのと、月の表面のまだらなクレーターが、そのように見えるだけと片付けてしまうのとでは、どちらが子どもの感性を育むのでしょうか。
うさぎといえば、童謡「うさぎとかめ」を思い出す方も少なくないのではないでしょうか。夏目漱石の「吾輩は猫である」でも、くしゃみ先生の子どもが歌っています。その二番の歌詞ですが、
二、なんと おっしゃる うさぎさん そんなら おまえと かけくらべ
むこうの 小山の ふもとまで どちらが さきに かけつくか
とあります。
ところで、かめさんに負けたうさぎさんは、どうなったかご存知ですか、実は、続きがあるのです。
負けたうさぎさんは、うさぎ村から追放されるのですが「子うさぎをよこせ!」と脅迫してきた狼を、知恵を働かせてやっつけ、名誉を回復し、うさぎ村へ帰ることができたのです。「負けたうさぎ」で検索すると、「新潟県の民話 福娘童話集」が出てきますが、これが傑作で、思わず1時間ばかり読んでしまいました(笑)。
このイソップ物語、驚いたことに、明治時代の教科書に掲載されたときの題名は、何と「油断大敵」とあるではないですか。(脱帽!)
◆てんとうさまと金のくさり◆ おざわ としお 再話
むかし、あるところに、母さんと太郎、二郎、三郎の三人の子どもが住んでいました。
ある日、母さんは、「山へ仕事に行くから、だれが来ても戸を開けてはいけない」と言って出かけましたが、母さんは、鬼ばさに食われてしまいます。母さんに化けた鬼ばさは、家に来て、「戸を開けておくれ」と言うのですが、「母さんはきれいな声なのに、がらがら声じゃないか」と開けません。鬼ばさは、きれいな声のでる草を食べ、「開けておくれ」と言うと、太郎は、少し開けて手を見ると毛むくじゃらなので、「母さんの手は、すべすべしてきれいだ」と、閉めてしまいます。鬼ばさは、山芋を塗ってすべすべにし、いい声で「開けておくれ」と言うので、見ると、すべすべした手なので戸を開けたのです。鬼ばさの化けた母さんは、三郎を抱き上げ、寝間へ入り寝てしまいました。
夜中に、太郎と二郎は、かじるような音で目を覚ますのです。
「何を食べているの?」と聞くと、母さんは、三郎の指を投げたのです。
「あいつは鬼ばさだ、三郎は食われた」と、二人は逃げ出しました。
夜が明ける頃、川に出ましたが渡れないので、木に登り隠れました。追いかけてきた鬼ばさは、川面に二人が写っているのを見つけ、「どうやって登ったの」と聞くので、「木に油をつけて登ったのだ」と言うと、鬼ばさは、その通りにしますが登れません。見ていた二郎が、「木に、なた目をつければ登れるのに」と言ってしまうのです。鬼ばさは、なた目をつけて登ってきて、天辺まで追い詰められた太郎は、「お天道さま金の鎖を下ろしてください」と叫びました。
すると、金の鎖が下がってきて、それにぶら下がり、天に登ったのです。鬼ばさも、「鎖をよこせ!」と叫ぶと、腐った縄が下がってきて、それにぶらさがりましたが、天に届く前に切れ、畑に落ちて死んでしまいました。鬼ばさの血で、そばの茎が真っ赤に染まったので、今でも、そばの茎は赤いのです。
天に登った太郎と二郎は、お星さまになったのでした。
日本の昔話 3 ももたろう おざわとしお 再話 赤羽末吉 画
福音館書店 刊
兄弟が七人で、全員、空に登れて、お月さまのそばで、七つの兄弟星になり、鬼は、すすきの原に落ちて死んだために、今でも、すすきの根が赤いという話もあります。2月に紹介しました「まめをいるわけ」と「ヘンゼルとグレーテル」の話といい、あまりにも似ているので、びっくりさせられます。グリムの「狼と七匹の子やぎ」を読んでみましょう。思わず、「グスッ!」と、笑いたくなるはずです。
もう一つ紹介しておきましょう、これも世界中の子どもたちに親しまれている話とそっくりです。
◆ぬかふくとこめふく◆
むかし、あるところに、母親と二人の娘が住んでいました。妹のこめふくは実の子で、姉のぬかふくは、ままっ子でした。
ある日、こめふくには小さい袋を、ぬかふくには穴の空いた大きな袋を渡し、「栗をとってこい」と言われ出かけました。ぬかふくは、いくら拾っても穴から落ち、それをこめふくが拾いますから、間もなくいっぱいになり、帰ってしまったのです。しばらくすると、大きな栗が落ち、拾おうとすると亡くなった母親が現れ、穴を縫い、何でも出してくれる宝の小袋を授けました。その小袋に「栗よ、出ろ!」というとたくさん出たので、袋に入れて家に帰ったのですが、今頃まで何をしていたと怒られ、つらい仕事ばかりさせられる毎日が続きます。
祭りの日、母親と妹が見にいった芝居を見たいと思っていると、尼さんが来て、「芝居がもう一幕で終わるところで帰ってきなさい」と言うのです。ぬかふくは、宝の小袋に頼んで、着物や帯、かんざしを出し、出かけました。ぬかふくが、きれいなので、人々は見とれました。こめふくが見つけて、「ぬかふくではないか」と言いますが、母親は信じません。ぬかふくは、もう一幕で終わることに気づき、あわてて帰ったために、片方の足袋が脱げ、そのまま家へ帰ったのです。尼さまが、仕事を片付けてくれたので、汚い着物に着替え、仕事をしていました。帰ってきた母親は、まったく気づきません。
ところで、足袋を拾ったのは、村の大旦那の息子で、嫁にほしいと、作男たちが足袋を持って探しにきたのです。こめふくにはかせましたが合いません。ぬかふくにはかせてみると、ぴったり合うのですが、母親は、「この子は、お祭りには行っていない」と言いはります。
そこで、お盆の上に皿、皿の上に塩を盛り、塩の上に松葉をさして、歌の詠み比べをして決めることになりました。見事な歌を詠んだぬかふくが嫁に決まり、小袋から嫁入り衣装を出して着飾り、かごに乗って若旦那のところへ嫁いだのでした。
おばばの夜語り(平凡社6 名作文庫) 新潟の昔話
水沢 謙一/水野庄三・絵 平凡社 刊
シャルル・ペロー作の「シンデレラ」ですね。
魔法使いのお婆さんが尼さまに、ガラスの靴の代わりに足袋が、午前零時の刻限の代わりに、芝居の最後の一幕前に帰る約束、傑作ではありませんか。最後の決着の方法が「歌の詠み比べ」であるのも、日本人らしいですね。
こめふくの詠んだ歌は、
よんべな こいた ねこのくそ 水けだった 毛だった
今朝 こいた ねこのくそ 息 ほやほや
何やらに臭ってきそうな歌に対し、ぬかふくは、
ぼんさらや さらさら山に 雪ふりて
雪を根として そだつ松かな
ときれいに決め、作者の意図に拍手を送りたくなります。ぬかふくに、宝の小袋を渡すのが、生みの親であるところも泣かせます。日本のむかし話、すばらしいではありませんか。
ちなみに、シンデレラ型の類似話は、ヨーロッパだけでも五百を越えるそうです。口伝え話をシャルル・ペローが「過ぎた昔の物語ならびに小話」の中に、「サンドリヨン、または小さなガラスのくつ」として再話したもので、グリム兄弟の作品にも「灰かぶり」があります。「シンデレラ」が有名になったのは、どうやら、ディズニーのアニメが世界的にヒットしたためだと言われているそうです。
「シンデレラの本名はエラ(ELLA)」という記事を見た記憶があるのですが、その真偽は定かではありません。
注 再話 昔話・伝説などを、言い伝えられたままではなく、現代的な表現の話に作り上げたもの。
鬼と並んで「やまんば」は、むかし話に欠かせません。
山姥(やまうば)のことで、地方によって、さまざまな呼び名があります。共通しているのは、山に住み、その容姿は、髪の毛を長く伸ばし、ぼさぼさで、口は耳までさけており、背は高くて、力持ちということでしょう。恐いのですが、親しみの持てる話が多く、これもその一つです。そして、面白いことに、兄の「だだ八」、弟の「ねぎそべ」、おばあさんの「あかざばんば」という妙な名前を、たちどころに覚えてしまう子がいます。興味を持ったことは、即座に記憶してしまうようですね。
◆ちょうふく山のやまんば◆ 今村 素子 著
むかし、ちょうふく山のふもとに小さな村がありました。ある年の十五夜の晩、お月見の最中に、突然、激しい雨風となり、
「やまんばが、わらしこを持った。もちをついて持ってこい。こなければ、人も馬も殺すぞ!」
と叫びながら、何者かが屋根を飛び回るのでした。声が聞こえなくなると、もとの月夜となったのです。夜が明け、もちをつきましたが、届ける人がいません。そこで庄屋さんが、普段から威張っている、だだ八とねぎそべ兄弟に役をいいつけ、道案内に、あかざばんばを付けてもらい、届けることにしました。
三人とも、やまんばに殺されると思いながら、山を登って行ったのですが、途中で、血なまぐさい風が吹き、兄弟はおびえてしまい、再び強風が吹くと、もちを放り出し、逃げてしまったのでした。ばんばは、もちを届けなければ、人も馬も食われる。寿命も近いのだから、村人のために役立とうと、登っていきます。
やまんばの家に着くと、
「もちを食いたくなり、ガラを使いにやったが、村人達が迷惑をしたのではと心配していた。やまんばは、恐ろしいものではない」
と言うのです。ガラは、四、五才になる子どもで、放り出したもちを取ってこいというと、アッという間にかついできますし、すまし汁を作るから、くまを捕ってこいというと、捕まえてきます。村で暴れたガラだと、ばんばも納得したのです。夕方になり、帰るというと、手伝いする者がいないので、二十一日だけ助けてほしいと頼まれ、暮したのでした。帰る日が来ると、いくら使っても、もとの一ぴきにもどる不思議な錦をくれたのです。
家に着くと、何と、ばんばの葬式をしていたのですが、元気な姿をみてお祝いとなりました。貰った錦を分けてあげましたが、次の日には、もとの一ぴきに戻っていたのです。
その後、村には悪い病気も流行らず、楽しく暮らしたのでした。
日本むかしばなし 7 おにとやまんば 民話の研究会 編
松本 修一絵 ポプラ社 刊
「さばうりとやまんば」「山んばの桐のはこ」「もちのすきなやまんば」なども読んであげたい本です。
この本の挿絵では、やまんばは優しい顔をしたお母さんだったと記憶しています。なぜ、やまんばは、恐ろしい容貌になってしまったのか、その経緯を述べた話が、澤田ふじ子さんの作品にありました。引用文を読むと遠慮したくなりますが、全編、肩の凝らない傑作な事件簿です。
公家達は、己の腕を顕示するのを欲せず、武士とは逆に、秘匿するのを心得としていた。それが日本人だけではなく、東洋の文化の精髄というべきだろう。
今でもこの気風は、京都市民の中に脈々と受け継がれている。
その精神を一言でいえば、すべてにおいて世間から目立つことをはばかるのがそれで、知者は山に隠れて〈仙人〉となり、意識的女性は〈山姥〉となるのだ。山姥は山に住み、怪力を発揮するという伝説的な女。鬼女とも考えられているが、図様として描かれている山姥が、童子(金太郎)を伴っているのは、知恵の伝承や再生を願う意味が、そこに込められているからである。
近世から近代に及ぶ民俗学的考察の誤りが、山姥を醜悪で凄惨な女性として決め付けてしまった。長澤蘆雪の代表作、厳島神社に蔵されている〈山姥図〉(重文)は、美術史研究の中で、今もこうとしか捉えていないのだ。
(祇園社神灯事件簿 四 お火役凶状 P278-279 澤田ふじ子著
中央文庫 刊)
(引用者注 長澤芦雪 江戸時代の絵師、丸山応挙の高弟)
インターネットで検索して見ましたが怖い絵で、なぜか、西洋の魔女に似ていて、子ども達が読む絵本から描いていた山姥のイメージと異なり、意外に思いました。
澤田さんの人気シリーズの一つである「足引き閻魔帳 第4巻 山姥」の表紙が、長澤芦雪の〈山姥図〉です。アップになっていましたが、すさまじい形相で、子ども達には見せられません。
(次回は、「日本の神様でしょう 神無月」についてお話しましょう)
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