2025さわやかお受験のススメ<保護者編>第5章 雛祭りですね(2)
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「めぇでる教育研究所」発行
2025さわやかお受験のススメ<保護者編>
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第17号-
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第5章 雛祭りですね(2)
★★童謡「うれしいひなまつり」には二つの誤りが★★
雛祭りを楽しんでいる雰囲気の伝わってくる童謡、それが「うれしいひなまつり」です。
ところが、作詞者のサトウハチローは、2つの誤りに気づき、破棄したいと考えていたそうです。
その誤りとは、1つは2番の「お内裏様とおひなさま」で、「内裏雛」は天皇、皇后の姿をかたどった「殿と姫の両方」を表し、「おひな様」は男雛と女雛で一対を表すので、同じことを繰り返すことになるからです。
2つ目は3番の「赤いお顔の右大臣」は左大臣の誤りで、さらに大臣ではなく、正しくは随身、近衛兵(宮中警備の兵士)の長官のこと。
大臣であれば「笏(しゃく)」を持っているはずが、弓矢、太刀で武装しているからだそうです。(hinaningyou.biz/matigattaohinasama.htm より要約)
大臣であれば「笏(しゃく)」を持っているはずが、弓矢、太刀で武装しているからだそうです。(hinaningyou.biz/matigattaohinasama.htm より要約)
本メルマガでは、皆さんが慣れ親しんでいるこの童謡の歌詞に従い左大臣、右大臣としました。
うれしいひなまつり
作詞 サトウハチロー 作曲 河村 光陽
一 あかりをつけましょ ぼんぼりに
お花をあげましょ 桃の花
五人ばやしの 笛太鼓(たいこ)
今日はたのしい ひなまつり
二 お内裏様と おひな様
二人ならんで すまし顔
お嫁にいらした 姉さまに
よく似た官女の 白い顔
三 金のびょうぶに うつる灯(ひ)を
かすかにゆする 春の風
すこし白酒 めされたか
あかいお顔の 右大臣
四 着物をきかえて 帯しめて
今日はわたしも はれ姿
春のやよいの このよき日
なによりうれしい ひなまつり
★★なぜ、桃の花を飾るのですか★★
なぜ、桃の花なのでしょうか。
「桃は五行の精なり」といい、桃には古来より邪気を払い百鬼を制すという魔除けの信仰があった。(中略)中国で殷(いん)の時代に狩猟民族が天意を占うときに、亀の甲や獣骨に占い字(ト辞・ぼくじ)を刻んでそれを火にあぶると、甲羅や骨にひび割れができる。
そのひびの入り方によって古代人は神意を判断して吉凶を占った。そのひび割れをかたどったのが「兆」という象形文字である。「兆候(きざし)」「前兆(しるし)」「兆占(うらない)」「兆見(まえぶれ)」などのことばからもわかるように、兆は未来を予知するかたちを表している。「桃」は兆しを持つ木とされ(中略)、未来を予知し、魔を防ぐという信仰が生まれたのである。したがって鬼退治物語の主人公は、柿太郎でもなく梨太郎でもなく、桃太郎でなければならないのである。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P79)
桃の木には、たくさんの実がなり、魔を防ぐと信じられていましたから、桃の花を供え、子宝に恵まれる女の子の幸せを祈ったのです。
さらに訳ありなのは、桃太郎の家来が、猿と雉と犬であることです。「犬猿の仲」といわれるほど仲の悪い犬と猿が家来となって、うまくいくはずはないのですが、間に鳥がいるから大丈夫なのです。
十二支にも「申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)」と間に酉が入って、けんかをしないように配慮されていますね。
★★左近の桜、右近の橘って?★★
なぜ、雛壇に桃だけではなく、桜と橘を飾るのでしょうか。雛壇に向かって右に桜、左に橘を飾りますが、これは京都御所にある「左近の桜」(御所に向かって右側)「右近の橘」(向かって左側)を表しているそうです。京都の冬は、昔から雪こそあまり積もりませんが、底冷えをする寒さは厳しく、禁中に仕える者は、古くから左近の桜のつぼみのふくらむ様子を眺めながら、春を待っていました。
京都御所の紫宸殿の東側に桜、西側に橘が植えてあり、左近衛府の官人は桜の木から、右近衛府の官人は橘の木からそれぞれ南側に整列して宮廷の警護にあたった。桜と橘はいわば、宮廷の門と同じ役割を果たしているのである。
(年中行事を「科学」する 永田 久 著 日本経済新聞社 刊 P85)
官人とは天皇を守る近衛兵のことですが、お雛さまを飾るモデルは京都御所。
五段目には、おかしな顔をした傘と笠と沓を持った雑用係の三仕丁を飾り、その左右には、宮廷の門と同じように桜と橘を飾ります。その上の四段目には、向かって右に左大臣(老人)、左に右大臣(若者)を飾りますが、唐の文化の影響が、そのまま身分の上下となって表れているわけです。三仕丁は、それぞれ泣き顔、笑い顔、怒り顔をしており、表情豊かな子に育つ願いが込められているそうです。
橘は、みかんの古称で、日本では万葉の時代から和歌に多くうたわれている馴染み深い木の一つで、黄色い実が魔除けになるともいわれています。大昔より日本に自生している常緑樹で、冬でも緑を失わないその姿と、見栄えのある美しい果実、そしてかぐわしい香が、古くから尊ばれてきたのでした。
また、神の化身とされる蝶の幼虫が育つことで、神代と世俗を結ぶ神の依代(よりしろ・心霊が招き寄せられて乗り移るもの)と考えられていました。
(https://www.e87.com/selection/hina/colum_04.htmlより)
橘は 実さへ花さへ その葉さへ 枝に霜降れど いや常葉の樹
万葉集 6(1009)
万葉集 6(1009)
(注 枝“え” 常葉“とこは”)
「橘の木は、実も花も、その葉も、そして、その枝までも、霜が降ってもびくともしない。いつまでも葉の落ちない木だこと」と、万葉集にも歌われていますが、常葉の樹(常緑樹)の中でも、生命力の豊かな木であることがわかります。何事も訳ありですね。
★★なぜ、菱餅は、赤、白、緑なのですか★★
菱餅を見ていると、積もっていた雪も少しずつとけはじめ、雪の下で寒さに耐えながら、春を待っていた木の葉や草の緑色が、ほんのわずかながら姿を見せ、早春の息吹がうかがえる、そんな情景が浮かんできます。咲き始めた桃の花に、春の淡雪がうっすらと積もる初春の雪景色、その白と緑と赤の鮮やかなコントラストに、「日本って、いいなぁ!」と日本人であることにしみじみと感謝したくなります。菱餅は、初春を待つ人々の心を見事に表していると思いませんか。本当のところはどうなのでしょうか。
菱餅の赤、白、緑の三色は、赤は桃や紅花で色づけしたもので魔除けを、白は清浄を、緑は独特の香りのある蓬(よもぎ)で、体に悪いものを外に出す働きがあり、薬として使われていたので健康を表しているのだそうです。
また、どうして形が「菱形」かは、諸説あるので、調べてみてください。
菱餅を飾る理由は、インドの仏典の説話に、竜に菱の実を捧げたところ娘の命を救った話があり、そこから「菱の実は子どもを守る」という言い伝えが生まれたからだそうです。
★★ひな祭りのごちそう★★
多様性の時代と呼ばれる現代ではどのようにされているのかはわかりませんが、かつては、女のお子さんがいる家庭では、必ず蛤(はまぐり)のお吸い物とお寿司を頂きました。
蛤の貝殻は、他の貝とは合わないことから女性の貞節を教え、夫婦の相性が良いことを願ったものです。女の子のお祝いらしく、彩(いろどり)が華やかなちらしや五目寿司などに、菜の花やぜんまいのおひたし、たらの芽のてんぷらなど、春の旬の食材が花を添えます。先に紹介した菱餅の他に、干した米を煎った雛あられ、元は桃の花を酒に浸した桃花酒でしたが江戸時代頃から飲まれるようになった甘い白酒などが、雛祭りのごちそうの定番でしょう。
そして、塩漬けの桜の葉で巻いた上品な香りが何ともいえない桜餅なども加わりました。
ところで、雛あられですが、関東は米、関西は餅と材料に違いがあり、関東は米を爆(は)ぜて作ったポン菓子を砂糖などで味付けしたもの、関西は直径1センチ程の餅からできたあられを、醤油や塩味などで味付けしたものです。
また、あられが3色なのは、白は雪で大地のエネルギー、緑は木々のエネルギー、赤は生命のエネルギーを表し、菱餅と同様、自然のパワーを授かり、災いや病気を追い払い成長できるという意味が込められているそうです。(「トレンド情報ステーション」より要約)
★★桃源郷は、どこにあるのでしょうか★★
桃といえば、この話を忘れることはできないでしょう、桃源郷です。陶淵明の書いた「桃花源記」にある理想郷は、桃の花が咲き乱れる桃源郷として描かれています。魔除けの力を秘めた霊木であり、不老長寿の仙薬(飲むと仙人になるという薬から転じて効き目が著しい霊薬のこと)と信じられていた桃の花ゆえに、納得できますね。「桃花源記」の原文は手に負えませんが、こういった古典文学には、小学生の高学年用に書かれたものがあり、重宝します。
【桃花源記(作:陶淵明)の話の概略】(抄訳)
中国太元の時代、武陵に一人の漁師がいました。
ある日、小舟をあやつり漁に出たのですが、見覚えのない所に来てしまい、あたり一面に桃の花しか咲いていない林を見つけたのです。甘美な香りを漂わせ、美しい花びらが舞っているではありませんか。見とれていた漁師は、林の先を突き止めたくなり奥まで船を進めました。林は水源のあたりで山につきあたったのです。そこに小さな穴があり、中へ入っていくと、突然、景色が開け、土地は四方に広がり、立派な建物や滋味豊かな田畑が見渡せました。鶏や犬の鳴き声が聞こえ、そこにいる人々は、異国人のような装いをし、みんな楽しそうでした。
ぼんやりと立っている漁師に気づいた人々は驚き、どこから来たのか尋ね、ありのままに答えると、一軒の家に案内され、お酒やご馳走でもてなされたのです。人々が言うには、
「私どもの祖先が、妻子ともども一村の者たちと秦の世の戦乱を逃れ、この絶境に来てから、一度も外に出たことがないので、よその人とまったく関わりを持たなくなってしまったのです。ところで、今は一体、どういう時世なのですか」と、漢はもちろん、魏、晋のこともわからないのです。漁師が詳しく説明すると、みな感に堪えないように聞き、家から家へ連れていかれ、どこでも歓待されるので、4、5日滞在したのでした。
やっと村を去る日が来たとき、「私どものことは言うほどのこともありませんから、よそ様にはお話にならないでください」と懇願するのです。しかし、途中に目印を残しながら帰ってきた漁師は、家に着くと、さっそく郡の太子のもとへ行き、この話をしました。興味を覚えた太子は、案内をさせましたが、目印はおろか、前に行った道さえ見つかりません。この伝えを聞いたある君子が、その仙境へ行こうとしましたが、その志を果たさぬ内に病で世を去り、この後、再び訪ねようとする者はいなかったということです。
この話から「武陵桃源」「桃源郷」は仙境の意に使われ、転じて理想郷の意となったのでした。
生きる心の糧 中国故事物語 4 駒田 信二・寺尾 善雄 編
河出書房新社 刊
人はだれしも秘密を持つと黙っていられなくなるようです。浦島太郎も乙姫さまとの約束を守れず、おじいさんになってしまいました。これも人間の性(さが)でしょう。
理想郷は、誰しもが心の隅に描きたくなる「かくありたい、ささやかな願い」ではないでしょうか。残念ながら実生活でも、ささやかな願いは、かない難くなっているようです。
それにしても、山の奥深くに、海の底に、理想郷を夢見るのは子どもではなく、いい年をした大人、しかも男性というところが何とも言えません。
(次回は、「雛祭りですね(3)」についてお話しましょう)
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