2024さわやかお受験のススメ<保護者編>第12章 日本の神様でしょう 神無月(3)

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       「めぇでる教育研究所」発行
   2024さわやかお受験のススメ<保護者編>
   「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
     豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第46号-
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第12章 日本の神さまでしょう  神無月(3)
 
       
【十月に読んであげたい本】
 
神無月ですから、この話がいいでしょう。舞台は諏訪湖、といえば一大音響とともに湖面にできる氷の山脈「御神渡り(おみわたり)の現象が思い浮かぶのではないでしょうか。寒さで亀裂の生じた氷の隙間から噴き上げた水が凍り、裂けた方向を見て吉凶を占う「御神渡り拝観式」は、約600年の歴史をもつ伝統行事だそうで、昔の人は、本当に驚かれたことだと思います。
その諏訪湖に棲む龍神様の話です。
 
 
◆神在(かみあり)祭りと諏訪の竜神◆  谷 真介 著
 
毎年、旧暦の1月にあたる11月には、全国の神様が出雲の国(島根県)に集まるため、留守になる地方が多く神無月といわれ、反対に全国の神様が集まる出雲は神在月といいます。神様の集まる場所は出雲大社で、八百万の神様が集まります。この集いを「神在祭り」といい、出雲の人々は11月19日から1週間、静かに過ごすことになっていました。ところが、出席しなくてもいい神様がいます。信濃の国(長野県)の諏訪湖にいる竜神様もその一人で、こんな訳があったのです。
ある年のこと、竜神様だけが姿を見せません。待ちくたびれた神様達から文句が出始めると、「夜明けまえからここにいるぞ!」と声がしたので見上げると、天井の梁に身体の太い竜が巻きついていました。「降りてこられよ」というと、「私の体は長く、尻尾は湖畔の松にかかっていて、この社に入るまいが下りて行こう」と言ったのですが、下りてこられては神様の居場所がなくなるし、尾が国にあるならば全体が来るまでに相談は終わるので、「これからは国にいてほしい。決められたことは、こちらから知らせるから」ということになり、竜神様は大喜びして帰ったそうです。神在祭りが始まる夜には、近くの浜に海蛇が押し寄せてきました。これは神様たちの使者である竜蛇様といわれ、頭に「あり」という神様の紋がついていたそうです。
 (日づけのあるお話三百六十五日  11月のむかし話 谷 真介 編著  金星社 刊)
 
出雲大社の神様は、日本にいた神様、大国主命(おおくにぬしのみこと 大黒様)で、伊勢神宮の神様は、高天原から天孫降臨された天照大神です。大国主命は、後から来られた天照大神に国を譲り、その代わりに壮大な神社を出雲に建立してもらったそうです。大黒様が社から出られないように、しめ縄は逆向きに飾り、柏手は4拍手(普通は2拍手、4回は死を意味する)、正面ではなく、右の御座所に左向きに祀られて、参拝者とは正面を向いていないことなどから、怨霊として祟られないように封じ込めた説もあります。
 
 平安時代に源為憲の書いた「口遊“くちずさみ”」に、日本の三大建築を意味する言葉が出ています。“雲太(うんた)、和二(わに)、京三(きょうさん)というのですが、(中略)実際はそうだったかは別にして、そう信じられていたことが重要だと思います。雲太は出雲太郎の略で出雲大社、和二は大和次郎で大和、すなわち奈良にある東大寺の大仏殿、京三は京三郎で京都御所の大極殿です。つまり日本で一番大きいのは出雲大社、次が大仏殿、三番目が京都御所の大極殿というわけです。
 (神道から見たこの国の心 樋口清之 井沢元彦 共著 P109 徳間書房 刊)
 
当時の大仏殿の高さは15丈で、出雲大社は現在の社の2倍の16丈(48m)あったそうで、古代出雲史博物館に復元された模型が展示されていますが、48mの社まで伸びている階段を見た時は魂消(たまげ)ましたね。
 
ところで、出雲大社では、平成25年5月に60年ぶりに「平成の大遷宮」、本殿の修造が終わり「本殿遷座祭」が、10月には伊勢神宮の社殿を作り替える20年に一度の大祭、「式年遷宮」が執り行われました。出雲大社といい伊勢神宮といい、神話の世界が現在まで受け継がれ、日常生活の中に自然と溶け込んでいるのは、世界広しといえども日本だけでしょう。皇紀2674年の時空を経て実現したのが、平成26年10月に行われた高円宮典子さまと出雲大社宮司、千家国麿氏のご成婚。典子さまは天照大神、天孫族の末裔で、国麿氏は国を譲った大国主命を祀る出雲国造(祭祀を司る職)の末裔、国粋主義者ではありませんが、悠久の歴史を感じないわけにはいきませんでした。
 
次は、伊勢神宮の霊験あらたかな話です。
伊勢神宮には、皇室の主神である天照大神が内宮に、外宮には食物を司る神、豊受(とようけ)大神が祀られています。参拝された方はお気づきかと思いますが、神社には必ずあるしめ縄、狛犬、賽銭箱、おみくじなどはありません。
 
しめ縄のない理由は不明。狛犬は江戸時代頃から神社に設置されるようになったもので当時はなかったから。賽銭箱がないのは、神宮の祭儀を主宰するのは天皇陛下であり、天皇以外のお供えは紙幣禁断といって許されていないから。おみくじがないのは、お参りすることが吉日で、おみくじは国の重要な問題を解決するために神さまにお伺いするもので、個人的には吉兆を占うのは憚(はばか)られるという理由だからだそうです。どうしてもおみくじのほしい方は、「おかげ横丁」で買えます。
(伊勢神宮の豆知識 http://matome.naver.jp/odai/2138915798271580401 より要約)
 
 
 
次です。落語にも同じ話があり主人公は犬ですが、この話は猫です。猫というと、妖怪変化など恐ろしい話が多いのですが、昔話だけに、ほのぼののとした構成になっている珍しい話です。
 
◆ねこのよめさま◆   中本 勝則 著
 
むかし、心のやさしい若者がいましたが、貧乏で嫁のきてもありません。ある日、庄屋さまが猫を捨てようとしていたので訳を聞くと、ねずみも取らずに飯ばかり食べる猫だからという。若者は猫を貰い、「たま」と名付け、わずかな食べ物を半分あげかわいがりました。       
ある時、若者が畑から帰るとたまが寝ていたので、「留守の間に、そばでも引いてくれ」といってみました。次の日、帰ってくると、うすの取っ手にしっぽを巻きつけ、うすを引いているのです。あんなことをいったので、そばを引いてくれているのかと、そばだんごを作り、たまにも食べさせました。
それから、うすを引くのは、たまの仕事になったのです。
ある晩のこと、「かわいがってもらいましたが、猫のままでは、恩返しができません。お伊勢さまにお参りすれば、人間に変えていただけるそうですから、お暇をください」といったのでした。若者は、それも一理あると考えて、銭を首に結びつけて旅に出したのです。しかし、若者は心配でくわを持つ手にも力が入らず、畑に出る日が少なくなったのでした。                             
それから一年たったある日のこと。若者が畑でぼんやりしていると、若い娘の声が聞こえたではありませんか。何と伊勢参りに行ったたまが、かわいい娘になって帰ってきたのでした。若者は大喜び、娘を嫁にして畑仕事に精を出し、幸せに暮らしたのです。
  十一月のお話 きつねのよめさま 松谷 みよ子/吉沢和夫・監修 日本民話の会・編 国土社 刊 
 
 
池波正太郎氏の「鬼平犯科帳」には、浅草の回向院に建てられた猫塚の話があります。両替屋に飼われていた猫が、小判を盗み出した現場を押さえられ、殺されてしまいます。この猫は両替屋にやってくる魚屋さんから、いつも魚をもらっていました。ところが、魚屋さんが風邪をひいて寝込んでしまい、一人暮らしで薬どころか三度の食事まで事欠く始末だった時、心配した猫が、店から小判三両を盗み出し、魚屋さんへ持っていったことが後でわかったのです。猫の恩返しをした心がわからずに殺されてしまったのを不憫に思い、建てた猫塚だそうです。動物の恩返し、真剣に聞く子ども達の目は、いつも輝いています。
 
ところで、この回向院には、義賊といわれた鼠小僧次郎吉の墓があり、墓石の欠けらを持っていると、「賭け事に勝つ」「運がつく」、受験生などには「するりと入れるご利益がある」といわれ、墓石を欠きとる人が絶えず、現在は墓前に真っ白な「欠き取り用の墓石」が置かれています。インターネットで見ることができますが、次郎吉は今でも有名人なんですね。織田信長父子の供養塔がある京都市の大雲寺には、安土桃山時代の大盗賊、石川五右衛門の墓があり、墓石を削って呑ませると盗癖が治ると信じられ丸くなっているそうで、二人ともお役に立っているようです。
 
 
 
ひな祭りに欠かせないのは桃の花、神さまに捧げる榊(さかき)も訳ありでしょう。少し恐ろしいですが、その言われを残した昔話があります。
      
◆鬼退治◆   おざわ としお 再話
 
むかし、ある村に元気のいい若者がいました。ある時、村に誰も来なくなり、若者は峠に化け物でも出ていると思い、家に伝わるやすりを持って退治に出かけたのです。山道の途中、たき火をしている老人に会いましたが、若者の行く手をじゃまするので腹をたて、けとばしました。すると、「わしには娘が三人いて、威勢のいい若者を婿にしたいと探していたのだ」と言うので若
者は承知し、老人の家に行ったのです。立派な家でしたが、若者が門を入ると閉まり、かんぬきの掛かる音がするのです。鬼の家かもしれないと老人についていくと、家の前に二頭の馬がつながれ、裏には人間のしゃれこうべが積まれています。老人は、若者を座敷に招き、三人の娘がもてなしてくれました。夜になると、誰を嫁にするかと言うので末の娘を指名すると、「奥へ行って休みなさい」と娘には赤い星の、若者には白い星の模様の布団を用意したのです。若者は何かあると思い、娘が寝こむと自分の布団を娘にかけ、娘の布団を自分にかけ眠ったふりをしました。真夜中に鬼となった老人は、槍を持って現れ、白い星の模様の布団を刺すと、「料理は明日の朝だ」と戻っていったのです。若者は逃げようとしましたが、戸にはかんぬきがかかり出られません。そこで、やすりでこするとかんぬきは切れ、若者はつないであった馬に乗り逃げたのです。気づいた鬼は馬に乗り追いかけていきました。
倒れていた大木を若者の馬は跳び越えましたが、鬼の馬は大木に足をひっかけ、鬼もろとも下の滝に落ちたのです。倒れていた大木をみると榊でした。
無事に家へ帰った若者は、それから神さまを拝む時には、榊を使うようになったのです。うりや、うんぷんだりょん。
   日本の昔話 5 ねずみのもちつき おざわ としお 再話 赤羽 末吉 画  福音館書店 刊 
 
最後に出てくる「うりや、うんぷんだりょん」は、「これで話は終わり、めでたし、めでたし」という意味で、いろいろなのがあり、「とっぴんぱらりのぷぅ」といった奇妙なものがあったと記憶していますが、地方によって違うようです。
 
 
 
次の話は笑えますね。一休さんをはじめ、和尚さんと小僧さんの話には傑作がそろっています。いわゆる「とんち話」ですが、これも素晴らしい。「山川草木悉皆(しっかい・ことごとく)神性」などと冗談ですが、「至る所に神さまあり」ならではの話です。
 
◆かみがない◆   鶴見 正夫 著
 
むかし、あるお寺の小僧さんが、和尚さんのお供で出かけました。途中まで行くと、小僧さんは小便をしたくなり、道端によって着物の前を広げました。
和尚さんは、「そこには道の神さまがおられるので駄目だ」といいます。小僧さんはこらえました。少し行くと畠があったので飛び込み小便をしようとすると、和尚さんは、「そこには、作物の神さまがおられるから駄目だ」といいます。少し行くと川があったので、川へむかってかけ出しました。すると、「川には、水の神さまがおられるから駄目だ」といいます。どうにも我慢できなくなった小僧さんは、下っ腹を抱えて土手に登りました。そこには地蔵さまがありましたが、構ってはいられません。地蔵さまの前で小便をしようとすると、土手の下から和尚さんは、「駄目だ!」と怒鳴りましたが、小僧さんはもう我慢ができません。すると、何を思ったのか道の方へ向きかえ、着物の前をひろげてシャーと小便を飛ばしました。小便は、土手の下の和尚さんの、つんつるてんの頭にかかりました。「何をするんだ」と和尚さんは、びしょ濡れの頭で怒鳴りました。すると小僧さんは、すました顔でこういったのです。「和尚さんの頭は、つんつるてん。そこには、髪がないからよろしいでしょう」
 とんちでころり 鶴見 正夫・文 ヒサ クニヒコ・絵 ポプラ社 刊 
                    
人間の周りは、神さまだらけを実証した話ですが、落ちの語呂合わせ(神と髪)には、神さまも吹き出すことでしょう。
 
 
 
睦月、如月、弥生と懐かしい陰暦の月の名称が出てきましたが、昔はどんなことをしていたかわかる話があります。「鬼の目玉」(2月)にもありましたが、全部の部屋を説明しませんでしたから、ここで全てを紹介しましょう。
 
◆見るなの座敷◆   浜田 廣介 著
 
むかし、ある村の若者が、庭の梅の木の小枝に足をはさまれていたウグイスを助けたことがありました。秋に若者はキノコを取りに行って迷子となり、ある家の所へ出たので声をかけると、娘が出てきたのです。道を尋ねると方向違いだとわかり、途方に暮れていると、「今晩、ここに泊り、明日、いらっしゃれば」と。喜んだ若者を庭の縁側に招き、「母を呼んでくるので待っていてほしい。しかし、座敷の中を見ないでください」と言って出かけたのです。時間が経ち手持ちぶさたになった若者は、透き間から座敷の中をのぞいてみました。そこは一月の座敷で、床の間に松竹梅の鉢植えと鏡もちが供えられ、子どもが晴れ着をきてすご六遊びをしているのです。不思議に思った若者は、次の座敷をのぞきました。そこは二月の座敷で、稲荷様の初午祭りの様子でした。隣は三月の座敷でひな祭り、次は四月の座敷で花祭り、次は五月の座敷で端午の節句、次は六月の座敷で山開きの日の様子が、次は七月の座敷で七夕祭り、次は八月の座敷でお月見の様子が、次は九月の座敷で豆が実りアワも穂を下げて揺れています。次は十月の座敷、刈り入れ時でお百姓さんの働いている様子が見えるのです。次は十一月の座敷で、枯れ木が目立ち山には雪がかかり寂しい眺めです。最後は十二月の座敷で、人々は正月を迎える支度をしています。一年続きの座敷を見た若者は、元へ戻ろうとしたとき娘が現れたのです。「私は、助けていただいたウグイスです。お礼をしようと思っていましたのに、どうして、のぞきなさったの、見るなの座敷を。ホー、ホケキョ!」と鳴くと、娘も家も庭もなくなり、若者一人が、ぼんやりと林のやぶの中に立っていたのでした。     
   世界民話の旅 9  日本の民話 浜田廣介著 さ・え・ら書房 刊 
 
日常生活を快適に過ごすために、やってはいけないことを定め、破ると破局を招く話は、「古事記」に豊玉姫の出産をのぞいたことから離別する神話があるほどで、「他言してもらっては困るのだが」といった約束と同様、守られないようです。「千夜一夜物語」にも同じような話「アジプと40人の美女」があり、部屋は40で「のぞいてはいけません」の約束を破りとんでもない結果になるのですが、好色な話なので割愛します。アラブの世界では40という数は「たくさんある」という意味で使われるそうです。中国では「白髪三千丈」、日本では「八百万」となりますが、ちっちゃな島国にしては何とも大げさな表現で、笑ってしまいますね。
 
「世界民話の旅 9」には「見るなの座敷」の他に28の作品があり、「泣いた赤オニ」の作者、浜田廣介の手になる再話集です。ただし、現在は絶版となっていて気軽に手に取ることができないのが残念です。こういった民話や神話は、私達祖先の精神的な文化遺産です。幼い子どもの情操を培う大切なエッセンスが、こういった昔話ではないでしょうか。
 
子どもは親が解説しなくても、分化されはじめたさまざまな情緒を育みながら、自分なりに解釈し、自分のものにしていきます。そこから幼いなりに自我が芽生え、自立心が育まれます。
 
わが子を溺愛する過保護な育児や、四六時中目を光らせ管理する過干渉な環境からは、情操豊かな子など育ちません。自立心や積極的に取り組む意欲を育てることです。そのためにも、お子さんをじっくり育てるゆとりを持ちましょう。子どもへの保護、干渉は、ほどほどに済ませるべきで、干渉していいのは、しつけです。「他人に迷惑をかけない」は共生の掟で、教えるのはご両親です。
 
例えば、携帯電話やスマートホンの使い方を見るにつけ、しつけが出来ていないと痛感する場面に出くわします。
何でも自分を中心にしか考えず、「思いやる気持ち」が薄れていくそのもとは、幼児期の育児に問題があるのでは、と思います。「褒める時にはやさしく褒め、叱るべき時には厳しく叱る」、これは親の真心であり、子どもにとっては、最高の有難い手本ではないかと考えますが、皆さん方はどうお考えでしょうか。  
 
 
 (次回は、「第13章 七五三でしょうな」についてお話しましょう)
 
 
 
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