さわやかお受験のススメ<保護者編>第7章(1)端午の節句です 皐月

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         「めぇでる教育研究所」発行
     2019さわやかお受験のススメ<保護者編>
         ~紀元じぃの子育て春秋~
     「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
       豊かな心を培う賢い子どもの育て方
           -第24号-
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第7章(1) 端午の節句です    皐 月
 
 
物の本によると、皐月(さつき)のいわれは、この月は田植えをする時期で早
苗(さなえ)を植える「早苗月」から「さつき」となったそうです。「五月晴
れ」と書いて「さつきばれ」と読みますが、こちらの方が親しみやすいですね。
 
 
 ★★端午の節句★★
 
5月といえば端午の節句、別名「菖蒲の節句」。端午の「端」は「はじめ」と
いう意味で、最初の午(うま)の日のことですが、午の音読みが「ご」であるこ
とから、5月の5日が端午の節句として祝われるようになりました。また男の
子が初めて迎える端午の節句を初節句といい、健康で、たくましい男性に成長
することを願う行事で、事の起こりは江戸時代だそうです。昔は3月3日が
「ひな祭り」で女の子の節句、5月5日を男の子の節句として祝ったものです
が、今は男の子も女の子も元気よく育つようにと祝う「子どもの日」の方が、
なじみやすいのではないでしょうか。床の間に、さまざまな幟(のぼり)を背
にした神武天皇を中心に、武者人形や兜(かぶと)を飾った記憶があります。
 
枕草子にも、平安時代の5月5日の情景が描かれています。
 
   節は、五月にしく月はなし。
   菖蒲、蓬などのかほりあひたるも、いみじうをかし。
                    (枕草子 第四十六段)
 
以前にも紹介しましたが、五節句を定めたのは江戸幕府で、端午の節句のルー
ツは、お武家さん、侍の世界です。侍の家では、立派な侍になるように、鯉の
ぼりを立て、鎧(よろい)や兜、鍾馗(しょうき)や金太郎、桃太郎のような
勇ましい人形を飾って武運長久を祈り、お家安泰を願ったのです。それがいつ
の頃か定かではありませんが、家を継ぐことになる男の子の誕生と成長を祝う
ための節句として、一般庶民の中にも定着したもので、戦いから身を守る兜や
鎧を飾り、端午の節句に欠かせない風物詩となっているのです。その経緯は、
5月に読んであげたい本で紹介しますが、伝説「コイのぼりのはじまり」に記
されています。この日に、家の屋根や軒先に、菖蒲の葉や蓬をのせたり、菖蒲
を入れた風呂に入ったりしたものです。それで、この日を「菖蒲の節句」とも
いいます。
 
今では、軒先に菖蒲の葉や蓬を見ることはできませんが、男の子のいる家では、
菖蒲湯をやっているのではないでしょうか。スーパーマーケットなどで菖蒲を
売っていますから。
菖蒲湯に入って、菖蒲の根っこを額に当て、鉢巻きをしたものです。こうする
と、風邪を引かなくなるし、頭もよくなるといわれたのです。確かに、匂いが
強いですから、風邪薬の感じはありましたが、頭脳明晰になるとは、子ども心
にも信じていませんでした。どちらかといえば、けんかに強くなるイメージは
ありました。菖蒲の葉は、先が細長くとがっているので、刀のような感じがす
るからです。新聞紙で折ってもらったかぶとをかぶり、木で作った刀でちゃん
ばらごっこ。これが、私たちの遊びの定番でした。「ちゃんばら」は、「チャ
ンチャンバラバラ」の略で、歌舞伎の立ち回りや、映画の殺陣(たて)をまね
たごっこ遊びのことですが、今どき、こんな遊びをする子はいないでしょうね。
 
余談ですが、お母さん方、兜を折れますか。パソコンで「兜の折り方」を検索
すると、簡単なものから複雑なものまでヒットできます。孫のリクエストで
18工程もある兜に挑戦しましたが、これは難しい。最後に「お疲れ様でした!
最後までありがとうございました」のコメントの下に、さんざん失敗した紙を
足元に散らかした女性が、パソコンの前でうなだれている写真が載っていまし
たが、これが傑作で、思わず笑ってしまいました。中々うまく折れませんから、
ほっとしますね(笑)。(「折り紙 かぶとの折り方 NAVERまとめ」より)
 
そして、私には楽しみでしたが、粽や柏餅を食べる日です。粽(ちまき)や柏
餅は、おいしかったのですが、蓬で作った草餅は、子どもにとっては匂いが強
烈で、喜んで「頂きます」とはなりませんでしたが、何しろ蓬の葉には、悪魔
を追い払う力があるといわれ、私は男の子だけに、食べざるをえない雰囲気が
あり、否応もなかったのです。しかし、今の蓬の草餅は、おいしいですね。匂
いといい、味といい、まるで違ったものを食べている感じがします。
 
                   
 ★★なぜ、鯉のぼりなのでしょう★★
 
鯉は硬骨魚で、鱗(うろこ)が36枚あるといわれ、別名、六六魚(りくりく
ぎょ)と呼ばれているそうですが、実際には31枚から38枚ほどで、泥沼の
川や池に棲み、2本の口ひげを備え、食用、観賞魚として珍重されるばかりか、
立身出世の象徴ともされています。
「なぜ、鯉のぼりなのか」、その理由は文部省唱歌に歌われています。鯨はい
くら体が大きくても、鮫はいかに強そうだからといっても、端午の節句の主役
になる資格はありません。
その答えは、3番の「百瀬の滝」を昇って竜になるにありそうです。
 
   鯉のぼり (文部省唱歌)
        作詞 不明
        作曲 広田 竜太郎
    一、いらかの波と 雲の波   重なる波の 中空を 
      橘かおる   朝風に   高く泳ぐや 鯉のぼり
 
    二、開ける広き  その口に  船をも呑まん 様(さま)見えて
      ゆたかに振う 尾鰭(おひれ)には  物に動ぜぬ  姿あり
 
    三、百瀬の滝を  昇りなば  忽(たちま)ち竜に なりぬべき
      わが身に似よや 男子(おのこ)ごと  空に躍るや 鯉のぼり 
 
中国の黄河の中流にある竜門の滝には、下流からいろいろな魚が、群れをなし
てさかのぼってくるそうです。見たわけではありませんが、何しろ清流逆巻く
滝です。他の魚達は、ギブアップしても、鯉だけは滝を昇りきって、竜になる
言い伝えがあり、そこから出世する糸口となる関門を「登龍門」といい、「鯉
の滝昇り」として、立身出世のシンボルとなったのです。流れに水をさすよう
ですが、昇りきれない鯉もいたのではないでしょうか。納得できる言葉があり
ます。
 
 「点額」という言葉があり、これは『額にケガをする』という意味で、流れ
 を昇らずにケガをした魚にたとえ『落伍者』『落第生』のことを表していま
 す。
  (目からうろこ!日本語がとことんわかる本 日本社 講談社 刊 P134)
 
また「鯉の一跳ね」といって、水揚げされた鯉は一度跳ねるだけで、あとはじ
たばたせずに生きており、しかも「まな板の鯉」といって、まな板の上にのせ
られても、きっちり覚悟を決め、悠々と横たわっている姿から、潔い、強い魚
として、お侍さんから尊ばれていたのです。川に潜り鯉を捕まえる時は、両手
で胸に抱くようにするとじっとしている話をリバーツーリスト野田知佑氏の随
筆で読みましたが、この習性を狙ったものでしょうか。
 
そして「五月の鯉の吹き流し」といい、鯉のぼりの中は空っぽで、何も入って
いません。さわやかな風を腹いっぱいに流し込んで泳ぐ、はらわたのないのび
やかな姿が「腹黒く」もなく「腹に一物」もない、さっぱりとした男らしい気
性を表しています。ですから、男の子の節句には、世の中で役に立つ、たくま
しくて立派な人物になってほしいとの願いをこめて、鯉のぼりを立てたのです。
 
ところで、鯉のぼりの一番上に飾る「吹き流し」は、滝や雲をなぞらえたもの
で、風になびきながら泳ぐ鯉の姿を、美しく引き立てています。吹き流しは、
青、赤、黄、白、黒の五色で、木火土金水の五行を表わしています。五行とは、
簡単にいえば、古代中国で考えられていた、人間の生活に必要な材料を表した
ものですが、これにも訳があります。
 
 五行とは、木・火・土・金・水の5つの要素で、自然界、人間界のすべての
 現象をつかさどるものとする。木から火、火から土、土から金、金から水、
 水から木が生まれ、水は火に、火は金に、木は土に、土は水に勝つとする。
 そして、それぞれを表す色として木に青、火に赤、土に黄、金に白、水に黒
 があてられたが、後に最上の色とされる紫に変わり用いられるようになった。
 また、木には仁、火には礼、土には信、金には義、水には智という道徳観が
 あてられた。
  (日本の年中行事百科3 夏 民具で見る日本人のくらしQ/A P32
                                  監修 岩井 宏實 河出書房新社 刊)
 
この五行には、病気を引き起こすもとと考えられていた「邪気」を払う力があ
ると信じられていました。しかも、鯉をとって食おうとする竜は、この五色が
大嫌いだったそうです。ですから、竜は近づくことができず、鯉は五色の吹き
流しに守られ、五月の空を、さわやかな薫風にのり、悠々と泳いでいるのです。
最近は、黒に代わって緑や紫が使われていますが、黒と白では縁起が悪いから
ではなく、本来、黒でなくてはいけない理由があるわけです。そういえば、船
旅で別れを惜しむときに、五色のテープを使っていますが、もしかしたら、海
に棲むといわれていた竜から、身を守るためのセレモニーかもしれません。
 
しかし、最近は郊外に出ないと、悠々と泳ぐ鯉のぼりの姿を見かけなくなりま
した。端午の節句が、子どもの日と改められても、男の子の健やかな成長を願
う親心には、変わりはないと思うのですが。マンションや団地のベランダに小
さな鯉のぼりが泳いでいると、「やっているな!」とほほえましくなります。
 
プロ野球の好きな方へ、広島東洋カープは、なぜ「カープ(鯉)」なのでしょ
うか。命名の由来は、何と城の名前です。原爆ドームのすぐそばにある広島城
(築城 毛利輝元)は、別名を「鯉城(りじょう)といい、そこから『広島カ
ープ』となったもので、城の名前をつけている球団は、他にありません。原爆
で倒壊した天守閣は、昭和33年に復元されましたが、学生時代に訪れた時、
中御門跡付近には原爆でこげた石垣があり、風化されてなるものかと訴えてい
るような気がしました。G7の外相、オバマ大統領が爆心地を訪れましたが、
どこかの国の方こそ、広島平和記念資料館に足を運び、並の神経では正視でき
ない残虐非道、その記録を見るべきではないだろうか。死者14万人、その倍
以上の人間をどうやって殺し、死体を処分したのか、私にはわかりませんが、
南京大虐殺、若い皆さん方はどう考えますか。
 
話題を変えて、今年の日本人の大リーガー、投手ではヤンキースのマー君、レ
ンジャーズのダルビッシュ有、ドジャースの前田、そして打者ではマリナーズ
のイチロー、日米通算で参考記録とはいえ、ローズの4256本を抜き425
7本で1位、世界記録の保持者、何とも素晴らしい。ブルーワーズの青木とカ
ブスの上原は帰ってきましたが、二刀流の大谷翔平、鮮やかなデビュー。怪我
さえしなければと祈るだけです、頑張れ!
 
ところで、日本球界に復帰した選手が、満足に働けない姿を見るにつけ、本場
の野球のすさまじさを想像できます。日程と試合数を見ただけでも、エネルギ
ーを搾り取られる感じがしますから、技術の前に体力と精神力、これが秀でて
いなければ活躍する場はないですね。イチローの凄さがわかります。古巣に帰
ってきたムネリンこと川崎、やはり参っていたんですね。
 
大リーガーといえば、忘れてならないのは野茂英雄投手で、日本の野球界は、
快く渡米させなかったことを思い出します。とかく開拓者には、逆風が吹きが
ちですが、それを乗り越える実力も、精神力も、体力も備えた、すばらしい選
手でした。彼には国民栄誉賞をもらう資格が十分あるのでは。「名球界ベース
ボールフェステバル2016」で、例のトルネード投法を久しぶりに見ました
が、少し太ったとはいえ、往年のしなるようなフォームは、全く変わっていな
いのには脱帽しました。
 
かつて名勝負といわれた野茂と清原某、対決を見たくて西武球場へ足を運びま
したが、無冠の帝王の名が泣いていますね。父親は、子どもにとって限りなく
大きな存在。消すことのできない傷、誰が癒すのか。
 
「鬼平犯科帳」の著者、池波正太郎は、「自由というものは人間の社会生活に
はなく、個人の胸の内に大きく存在する」(「男のリズム」P167 角川文
庫刊)、国府台女子学院 平田史郎学院長は、「訓練されていない個性は野性
である」とおっしゃっていますが、こういったことをキチンと子どもに教える
のも、私たち親の務めではないだろうか。偉そうなことをほざいてなんですが。
(苦笑)
 
昨年の4月18日、パソコンを立ち上げ、渡部昇一先生の訃報を知りガックリ。
日本の歴史を通史として読ませていただき、以来、「正論」を説く情熱に圧倒
され、新聞の使命は『正確な情報を伝えること』をしっかりと教えていただき
ました。先に冥界入りした矢沢永一先生と、日本の現状を痛烈に批判し合って
いるかも知れません。享年86歳でした。先生のご母堂の教育方針は、「教育
の道は家庭の教えで芽を出し、学校の教えで花が咲き、世間の教えで実がなる」
だったそうですが、学校選びの基本は、まさに「はじめにご家庭の教育方針あ
りき」であるべきですね。育ててきた芽に、どんな花を咲かせるか。それには
どういった教育が必要か。その道を作ってあげるのが、ご両親の役目ではない
でしょうか。
 
お詫び 前号で紹介しました松本清張の作品、題名を飛ばしていました。『神
と野獣の日』(角川文庫)です。
 
(次回は、「第7章(2) なぜ、しょうぶ湯なのでしょうか」などについてお
話しましょう)
 
 

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