さわやかお受験のススメ<保護者編>第12章 日本の神様でしょう 神無月(2)
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「めぇでる教育研究所」発行
2018さわやかお受験のススメ<保護者編>
~紀元じぃの子育て春秋~
「情操教育歳時記 日本の年中行事と昔話」
豊かな心を培う賢い子どもの育て方
-第45号-
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第12章 神無月、風流です(2) それにしても、わからないことがありました、子ども心にも。私の家の中には、仏壇と神棚がありました。仏壇にはご先祖の位牌が、神棚には天照大神のお札が鎮座ましまして、庭には氏神さまを祭った小さな祠があり、父が、毎朝、この三つに、お水をあげて、お参りするのです。それが終わらないと食事は始まりません。仏さまと神さまが同居しているのです、不思議でした。まだ、本地垂迹説など知りませんでしたから。でも、不思議でも何でもないのでしょうね。生まれた時には、神社へお参りして神さまに報告し、結婚式では、キリストに永遠に愛し合うことを誓い、死して後は、阿弥陀さまのもとでやすらぎを願うことに、何ら不都合を感じないのが、日本人の信仰心ですから。キリスト教やイスラム教のように、唯一つの神を信仰する一神教は、やたらにもめたりしていますが、いろいろな教えや真情などの、よいところを少しずついただきながら、自前の信仰心を作り出し、お互いに仲良くやっていきましょうというのですから、合理的なのかもしれませんね。世界の四大聖人の教え、キリスト教の愛、イスラム教の施し、仏教の慈悲、儒教の仁(相手を思いやる心)を理解しているのも、もしかすると、日本人だけではないでしょうか。資源の乏しいわが民族が、経済大国に発展したのと同じで、独特の知恵だと思います。日本は文化の吹き溜まりといわれていますが、選択の自由はあるわけで、ただ、ひたすら迎合しているわけではありません。しかし、これだけはいえると思います。木がうっそうと茂る伊勢神宮の参道を、玉砂利を踏みしめながら歩くときや、出雲大社の古色蒼然とした社を参拝するときの、何とも表現のしようのない気持ち、荘厳とか厳粛などの言葉では表せない心情、これは、一体、何なのでしょうか。その気持ちを見事に表現したものがあります。「樅の木は残った」「長い坂」「さぶ」「柳橋物語」(何回読んでも同じところで涙が出る困った作品)などの作者、山本周五郎の作品にあるのですが、これを見つけたときは、さすがと感激しました。 「長者の万燈より貧者の一燈という、これは寄進の要求だろう、四万六千日とか彼岸とかの類は参詣の約束だ、……我われの神社にはこういう要求や約束はない、西行の作だと伝えられる歌に、なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるるとある、なんの約束もなくして無念無想に低頭できる神社の存在、……宗教としてこれほど純粋なものが他にあるかね」 [山本周五郎小説全集 37「新潮記」(193頁)山本周五郎 著 新潮社 刊]またしても西行ですが、宗教として云々は、ともかくとして、「なにごとの おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」これではないでしょうか。私の勝手な思い込みかも知れませんが……。また、松尾芭蕉は、伊勢神宮に参拝した折り、「何の木の花とはしらず匂哉(にほひかな)」と詠んでいますが、和歌と俳句の違いというのでしょうか、和歌は心情を詠いあげていますが、俳句はぐっと抑え込み読む者に任せる、といった感じがしますね。素人のたわごとですが、以前に紹介しました五木寛之氏の「短歌はリズム、和歌はメロディー」を思い出します。「知らねども」「とはしらず」、いい言葉ですね。これが日本の神さまの姿ではないでしょうか。余談になりますが、私は山周こと、山本周五郎、大好き人間です。何かの随筆で、「周五郎の嫌いな作家は川端康成」を読んだのですが、出典名を思い出せず紹介を控えていました。不思議なもので、置き場所のなくなった本を整理しようと読み返していたところ、見つかったのです。周五郎が家を借りに行ったところ、大家から「作家には貸せない」と断られ、その理由を聞くと、「半年の家賃を踏み倒し、引越料をふんだくられたからだ」という。「誰ですか、その作家は?」と尋ねたところ、「川端康成」だったそうで。「これは許せない!」と激怒。信じがたい話で、そういう時もあったといえばそれまでですが、「家を建てた大家の苦労を考えれば許せない!」と怒る周五郎の頑(かたく)なな潔癖さがたまらなく好きなのです。([混沌の時代を生き抜く帝王学ノート P171~173より要約 伊藤肇 著 PHP文庫刊)話を戻しまして、松江の中学の英語の教師であったラフカディオ・ハーン、小泉八雲は、西洋人として初めて出雲大社の昇殿参拝を許されたのですが、その感動をこう述べています。 仏教には百巻に及ぶ教理と、深遠な哲学と、海のような広大な文学がある。神道には哲学はない。体系的な倫理も、抽象的な教理もない。しかし、まさしく「ない」ことによって、西洋の宗教思想の侵略に対抗できた、東洋のいかなる信仰もなし得なかったことである。(神々の国の首都 小泉八雲 著 平川 裕弘 編 講談社学術文庫刊)寺院に仏像はありますが、神社にはありません。ご神体は、なぜか、1枚の鏡です。にもかかわらず、神社には、「かたじけなさ」に頭を下げざるを得ないものが、確かにあります。「己の姿を映し、襟を正す」、これが日本人の信仰の源ではないでしょうか。「無念無想に低頭できる」とありますが、正式な作法は、「二拝二拍手一拝」で、二度おじぎをし、ポンポンと二度手を打ち、最後にもう一度おじぎをします。出雲大社では4度打ち、伊勢神宮では、何と八開手(やひらで)といって八度打ちますが、参拝した時に伺ったところ、これは神職の方がなさることで、一般の方は「二拝二拍手一拝」でいいそうです。これは、神さまとご対面させていただくための儀式でしょうが、柏手を打つのは、日本だけだといわれています。また、神社の参道には玉砂利が敷かれていますが、昔は、川で体を清めてから参拝した名残で、玉砂利は川を表しているそうです。その参道も、真ん中を「正中(せいちゅう)」といい神さまの通り道で、人間は左右の端を歩くのが正しいとされているそうです。明治神宮へ参拝した折り、「真中は明治天皇さまがお歩きになるので、わしらは端を歩くんだ」といって、端っこに寄せられた記憶があります。「天皇さまは神さま?」と聞きたいところでしたが、なにしろ親父にとって昭和天皇(昭和30年代でしたから正しくは今上天皇)は、現人神(あらひとがみ)でしたから、おっかなくて黙って歩いていました(笑)。まったくの蛇足ですが、「私は無信仰です」などと平気で言う方がいますが、これは外人と話すときには注意が必要です。無信仰とは、「私は平気で人を殺せます」というのと同じだそうです。★★酉の市★★「酉の市、11月ではありませんか?」と言われそうですが、何でもありの歳時記です。酉の市は、何と日本誕生と深い関係があるのです。日本誕生となると、どうしても神話の世界に入っていかなければなりません。戦後、神話のすべては作り事と否定され、神代に関する「おとぎ話」さえ、子ども達の周りから消えてしまいました。ここで紹介する神話は、古事記(講談社学術文庫刊)から要約したもので、神話の真偽はともかくとして、「おとぎ話」としてお読みください。勿論、私たちの年代、1940年生まれのものには、懐かしい話ばかりです。僭越な話ですが、神さま方のお名前は読みやすくするためにカタカナで表記しました。◆イザナギノミコトとイザナミノミコト◆イザナギノミコトとイザナミノミコトは、神様から授かった天沼矛(アマノヌボコ)を、雲の上の天の浮き橋からさし降ろし、海の水をかきまぜ引き上げました。すると、矛先から落ちた海水が固まってオノゴロジマができ、島に下りた二人が結婚し、大小八つの島、大八洲国(おおやしまのくに)を生み、日本列島が出来たのです。そして、岩や土、砂、風、海、川、水、山、船、穀物の神さまを生みますが、最後に火の神さまを生んだのが原因で、イザナミノミコトは亡くなります。◆黄泉(よみ)の国の話◆イザナギは黄泉の国を訪ね、国造りは終わっていないので現生に戻ってくれとイザナミに頼みます。ところが、イザナミの体にうじがわき、8匹の鬼が生まれるのを見て逃げ出したのです。姿を見られたイザナミは、恥をかかせたと怒り、黄泉の国の醜女(しこめ)に後を追わせます。最後に、イザナミ自身が追いかけてきて、黄泉の国とこの世を結ぶ岩をはさみ、夫婦別離の宣言をします。イザナミは「いとしいわが君が、こんなことをするなら、あなたの国の人々を一日千人絞め殺しましょう」といい、「あなたがそうするなら、私は一日に千五百の産屋を建てよう」とイザナギはいい、この時から地上では一日千人の人が死に、千五百人が生まれることになったのでした。醜女をやっつけるために桃を3個投げたと書かれていますが、桃太郎で紹介したように、桃は神話の世界でも、何やら神秘的な果物なんですね。また、ギリシャ神話にもそっくりな話があります。黄泉の国から脱出する際に、「振り向かないで!」という約束を破り、振り向いたためにご破算になる結末も同じです。◆アマテラスオオミカミ◆黄泉の国から逃げてきたイザナギは、身を清めるために体を洗い、いろいろな神様を生んだのちに、左目を洗うと高天原(たかまがはら)を治めるアマテラスオオミカミが、右目を洗うと夜の国を治めるツクヨミノミコト、鼻を洗うと海原を治めるスサノウノミコトが生まれたのです。アマテラスオオミカミ、ツクヨミノミコト、スサノウノミコトは、禊(みそぎ)から誕生しました。◆天の岩戸の伝説◆スサノウは、海原を治める仕事をせず、母のイザナミのいる黄泉の国へ行きたいと、泣きわめいては乱暴を働くので、イザナミはひどく怒り追放します。アマテラスオオミカミに話してから、根の国へ行くことになったのですが、スサノウはここでも乱暴なふるまいをし、皮をはいだ馬の死骸を機織り小屋へ投げ込み、機織り娘にけがをさせ死んでしまいます。怒ったアマテラスは、天の岩屋に閉じこもり、この世は真っ暗闇になり、悪い神さまが悪事を働き、病気も広がりました。相談をした八百万の神さまは、岩戸の前でお祭り騒ぎを始めたのです。「私が姿を隠し世の中が暗くなっているのに、何を楽しそうに騒いでいるのだろう」と岩戸を少し開けた時、力持ちの神さまタジカラオが、岩戸をひきはがし、再び世界は明るくなったのでした。投げ飛ばされた岩は、信濃の戸隠山となったということです。全くの余談ですが、東宝が1959年に、古事記を題材にし、主演三船敏郎で制作した「日本誕生」で、アマテラスを演じたのは、伝説的な女優、原節子でしたが、2015年9月6日、冥界入りしました、享年95歳。ちなみにYouTubeの予告編で、その美貌を見ることができます。岩戸の前で踊った神さまは音羽信子でしたが、若い皆さん方は、知らないかもしれませんね。(合掌)この天の岩戸の前で舞われた時、弦という楽器を演奏した神さまがおられ、岩戸が開いた時に、その弦の先に鷲(おおとり)が止まったのです。神さま達は、世の中を明るくする瑞兆、よいしるしを現した鳥だとお喜びになり、以来、この神さまは、鷲の一字を入れ、鷲大明神、天日鷲命(アマノヒワシノミコト)と称されるようになったのです。このアマノヒワシノミコトが、諸国の土地を開き、開運、殖産、商売繁盛に御神徳の高い神さまとして、当地、浅草にお祀りされたのでした。後に、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が、東夷征伐の際に社に立ち寄られ戦勝を祈願し、志を遂げての帰途、社前の松に武具の「熊手」をかけ、勝ち戦を祝い、お礼参りをされました。その日が11月酉の日であったので、この日を鷲神社例祭日と定めたのが酉の祭り、「酉の市」です。この故事により日本武尊が併せて祀られ、ご神祭の一柱となりました。 (「鷲神社 後由緒」より)また、こういう説もあります。鷲神社は、もともとは、大阪府堺市の大鳥神社が本社で、大鳥の起源は、日本武尊の魂が白鳥になって、陵(みささぎ 貴人の墓)から飛び立ったという伝説によるものと言われています。[子どもに伝えたい年中行事・記念日 P98 萌文書林 編集部編 刊]酉の市は、「お酉さま」の名前で親しまれており、境内では福をかき集める縁起物の熊手が、威勢のいい掛け声と共に売られ、冬の到来を告げる風物詩ともなっています。何事も訳ありですが、酉の市の由緒が、神代の時代までさかのぼるとは驚きです。日本武尊の武具であった熊手が、開運、商売繁盛のお守りになったとは知りませんでした。熊手は、時代と共に形も飾り物も変わり、江戸中期より天保初年頃までは、柄の長い実用品の熊手に、おかめの面と四手(しめ縄についている細く切った紙)をつけたものだそうです。その後に、いろいろな縁起物をつけ、今のようなおかめや宝船、千両箱、大判小判などの紙を張り付け種類も多くなり、その年の流行を入れた熊手も話題を集めています。江戸時代の頃は、商人や庶民の信仰の対象となっただけではなく、お武家さんにも空高く舞い上がる鷲を出世のシンボルとしてあがめられ、大いに賑わったそうです。ところで、三の酉まである年は、俗に「火事が多い」と言われていますが、それはどうやら鶏の赤い鶏冠(とさか)から連想されたものと聞いた記憶があるのですが、定かではありません。★ハロウィーン★最後に、外国のお祭りを紹介しましょう、10月31日に行われるハロウィーンです。キリスト教の祝日である「万聖節(ばんせいせつ)」の前夜祭で、秋の収穫を祝い、悪霊を追い出す祭り。当夜には、日本のお盆と同じで親族の霊が各家に帰ってきますが、一緒に悪霊もやってきて悪さをするために、町中でたき火をして追い払ったのでした。紀元前からケルト人が行う宗教行事が、ハロウィーンの始まりといわれているそうです。アメリカでは、悪霊を追い払うためにカボチャをくり抜いた提灯(ちょうちん)、ジャコランタンを飾り、魔女やお化けなどに仮装した子ども達が、「お菓子をくれないと悪戯をするぞ!」と近所の家を回る楽しいお祭りになっていますが、日本ではどうでしょうか。仮装行列などは、若者や大人が楽しんでいるようですね、我が家ではやった記憶がありません(笑)。※ジャコランタンの由来「昔アイルランドに、ジャックという名のケチなずるい男がいた。あまりにも狡猾であったため、ジャックは死んでも天国に入れてもらえず、仕方なく地獄へ向かったが、悪魔に追われて追い返されてしまった。ジャックは悪魔がくれた炭火を、くりぬいたカブに入れ、夜道を照らして歩いた。今でもジャックはそのランタンをもって、あの世とこの世の間をさまよい歩いている」という言い伝えが、ジャコランタンの始まりだそうです。今ではカブの代わりにカボチャを使うようになり、ジャコランタンはハロウィーンのシンボルになりました。(『和のこころ』 日本の年中行事 :So-net ブログより) 当初はカブだったんですね。トルストイの作品に出てくるような「大きなカブ」でなければ、提灯は無理ですね(笑)。今年は横着な台風が、長々と日本列島に滞在し、東北方面に大被害をもたらしました。「日本の神さま、しっかり守ってください!」と言いたくなりましたが……、速やかな復旧を祈ってやみません。私が教室へ出かける時、総武線の浅草橋駅、市川駅間に荒川と江戸川が流れる、いわゆる海抜ゼロメートル地帯を通りますが、頑丈な護岸が目に入り、更に護岸を高める工事が行われています。万が一の災害に備える防災対策は、決して手を抜けないもので、「スーパー堤防は必要ですか」とおっしゃった政治家がいたと記憶していますが,絶対に必要だと改めて思いましたでね。備えあれば憂いなしです。勝手気ままな集中豪雨、打ち止め止めにしてほしいですね。(次回は、10月に読んであげたい本についてお話ししましょう)